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絵画

第55回練馬区民美術展に出品しました。

■第55回練馬区民美術展の開催

 第55回練馬区民美術展が開催されました。期間は2024年2月3日(土)から2月12日(月)まで、時間は午前10時から午後6時(最終日は午後2時終了)でした。美術館脇の公園には、第55回美術展の看板が掛けられていました。

こちら →
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 館内に入ると、出品作品は、洋画1、洋画Ⅱ、日本画、彫刻・工芸のジャンルに分けて、展示されていました。

 私は洋画Ⅰ(油絵)部門に出品しましたが、この部門の出品者は69名でした。その中から区長賞1名、教育委員会賞1名、美術館長賞1名、奨励賞3名、努力賞3名が選ばれています。

 まず、私の作品が展示された、洋画1の部門のコーナーを見てみましょう。

こちら →
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 真ん中に展示されているのが、私が出品した作品です。風景を背景としているので、カンヴァスはPサイズの20号を使いました。

 昨年と同様、母をモチーフに描きました。もちろん、リアルな母ではなく、イメージの中の母を手掛かりに、晩年に差し掛かった頃の姿を作品化しています。

 もうすぐ100歳になろうとする母は、認知症が悪化し、95歳ごろから施設のお世話になっています。今では、施設を訪れても、私のことを認識できず、言葉にならない音声を発することしかできなくなりました。

 人としての形が徐々に崩れ始めているのですが、それでも、その表情や目つきには、かつての母の面影が残っていました。認識能力を失っているはずなのに、聡明で、孤高の面持ちが見られるのです。

 母のことをいろいろと思い返しているうちに、ふと、80歳になった頃から、母が不思議な輝きを見せ始めたことを思い出しました。

 母は、晩年に入ろうとしている頃から、全身からいぶし銀のような輝きを発しはじめました。その時は、深く考えもしなかったのですが、その後、さまざまな高齢者の姿を見るにつれ、なぜ、母にそのような変化が起きたのか、不思議でならなくなりました。

 一時は、その理由を探りたいと思ったこともありました。ところが、母と離れて暮らすうちに、そのような気持ちもいつしか忘れ去っていました。

 今回、母をモチーフに絵を描こうとしたとき、ふいに、その頃の気持ちが甦ってきました。記憶の底に深く沈んでいたその気持ちが、突如、浮上してきたのです。

 そこで、当時の母をイメージしながら、その姿をカンヴァスに表現してみることにしました。母の不思議な輝きの源泉を見出すことができるかもしれません。

 そう思った途端、反射的にタイトルが思い浮かびました。

《晩秋》です。

■《晩秋》

 80歳になった母は、もちろん、見た目は年齢相応に老いていました。肌はくすみ、深く刻み込まれた皺は隠しようもなく、衰えが顔全体に広がっていました。ところが、ふとした拍子に見せる表情に、なんともいえない輝きがみられるようになりました。

 それは、年齢に抗って放たれているように見える一方、年齢の積み重ねによって生み出されているようにも見えました。

 80歳にならなければ、得られないような美しさであり、ひっそりとした輝きでした。誰もが気づくわけでもありません。母が生きてきたプロセスを知っている者しか、看取できない微妙な変化でした。

 見た目の老いの背後から滲み出た内面の深みであり、母が本来、持ち合わせていた聡明さや孤高の精神と交じり合って生み出された風情や雅趣といえるようなものでした。

 人生を四季に例えるなら、まさに、晩秋の輝きでした。

 もうすぐ冬になろうとする時期、気温は下がり、木々の葉はさまざまに紅葉していきます。街路を見渡せば、イチョウ並木が黄色く輝き、塀越しに見える庭木は、橙色や黄色に色づき、遠く山を望めば、とりどりの暖色系の葉で覆われた木々が華やいで見えます。

 晩秋ならではの、いっときの輝きです。

 やがて、冷たい風が吹いて、木々は葉を落とし、いっさいの生命活動は鳴りを潜めてしまいます。晩秋から冬にかけてのほんの一時期、木々は紅葉した姿で、精一杯の輝きを見せるのです。

 80歳頃からの母の輝きは、紅葉した木々の姿に重ね合わせることができるものだったような気がします。

 紅葉の季節が過ぎれば、木の葉は一枚、一枚、散って落ち、瞬く間に、枝と幹だけになっていきます。人もまた80歳を過ぎれば、一年、一年、老いが目立つようになり、動作も反応も鈍くなっていきます。生命力が衰えていく過程が、そのような現象として現れるようになります。

 母は80歳になっても、背を丸めて歩くようなことはなく、背筋をピンと張って歩いていました。思い返すと、母が不思議な輝きを見せていたのは、80歳からの10年間ほどでした。90歳になると、歩調は遅くなり、反応も鈍くなっていきました。さすがに心身ともに老いが際立つようになり、ひっそりとした輝きも老いの影に隠れてしまいました。

 晩秋に思いきり輝き、やがて、散っていく木の葉のように、母は80歳からの10年間、いぶし銀のような輝きを見せ、そして、その後の10年間、人としての形が脆くも崩れていきました。

 今回、カンヴァスに描きとどめようとしたのは、晩節に母が見せてくれた、ひっそりとした輝きです。

■母をどう描いたか

 今回、私が出品した《晩秋》を見ていくことにしましょう。

こちら →
(油彩、カンヴァス、72.7×53㎝、2023年。図をクリックすると、拡大します)

 写真では、会場のライトが額縁のアクリル面に反射しています。カンヴァスの画面がありのままに写し出されているとはいえませんが、私が表現したかったことはほぼ、この写真から伝わってくると思います。

 描きたかったのは、老いてなお輝きを見せていた頃の母のイメージです。

 当時、帰省するたびに見かけていたのが、もの思いに耽る母の姿です。台所で料理をしている時、庭で草むしりをしている時、床の間の花瓶に花を活けている時、ふとした拍子に、母は「心ここにあらず」の表情を見せることがありました。

 もの思いに耽っているように見える時があれば、何か考え事をしているように見える時もありました。母の周囲には、人を寄せ付けない、孤高の雰囲気が漂っていたのです。気軽に話しかけることもできず、戸惑ったことを覚えています。

 その時の光景を何度も思い返しているうちに、この孤高の雰囲気こそが、母が見せていた不思議な輝きの源泉なのかもしれないという気がしてきました。

 孤高の雰囲気とそこから生み出される輝きを表現するには、どのような画面構成にすればいいのか、考えてみました。さらに、モチーフをどのような設定すればいいのか、背景をどうすればいいのか、いろいろとシミュレーションしてみました。

■逆光の中のメインモチーフ

 まず、メインモチーフの母は、逆光を受けて佇む姿にしようと思いました。

 晩節にさしかかった母を、明るく輝かしく描くのは不自然です。顔色は当然、暗く、鈍い色調でなければなりません。その反面、顔面にはいぶし銀のような輝きも必要です。そこで考えたのが、逆光の中でモチーフを描くという構図です。

 こうすれば、メインモチーフに必要な二つの側面を表現できると考えたのです。

 実は、このようなアイデアを思い付くキッカケとなったのが、ミレーの《晩鐘》でした。

こちら →
(油彩、カンヴァス、55.5 × 66 cm、1857-59年、オルセー美術館蔵。図をクリックすると、拡大します)

 ミレー(Jean-François Millet、1814 – 1875)は、バルビゾン派を代表する画家といわれ、田園に取材した作品を数多く制作しました。この作品はそのうちの一つです。

 画面には、農民夫婦が手を休めて祈りを捧げる様子が描かれています。逆光の中で手を合わせ、祈りを捧げる夫婦の姿が、静かな佇まいの中で捉えられているのが印象的です。タイトルからは、晩鐘が鳴り響くのを合図に、一日の平安を感謝する敬虔な気持ちが表現されていることがわかります。

 この作品は、1865年2月にパリで展示されました。その時、ミレーは、次のように、祖母の思い出を描いた作品であることを述懐していたそうです。

********
かつて私の祖母が畑仕事をしている時、鐘の音を聞くと、いつもどのようにしていたか考えながら描いた作品です。彼女は必ず私たちの仕事の手を止めさせて、敬虔な仕草で、帽子を手に、「憐れむべき死者たちのために」と唱えさせました。
********(※ Wikipedia)

 在りし日の祖母の姿を思い起こしながら、ミレーはこの作品を描いていたのです。そのような背景事情を私はまったく知りませんでしたが、美術の教科書でこの作品を見たとき、敬虔な農民の姿に強く心を動かされたことは、はっきりと覚えています。

 当時、ヨーロッパでは風景画が注目を浴びるようになっていました。ところが、ミレーは、都会人が求めるような田園風景を描くのではなく、農民の生活を踏まえて風景を描いていたといわれています。

 日本の紹介された作品、《種まく人》(1850年)や《落穂拾い》(1857年)などを見ると、確かに、ミレーが風景を、農民の生活と一体化させて捉えていることがわかります。農民の生活と真摯に向き合い、深く観察して作品化していったところに、ミレーの独自性があるといえるでしょう。

 私がなぜ、この作品を思い出したかといえば、母の生きる姿勢に、この作品に見られる敬虔な要素があったからでした。母は「徳子」という名前でしたが、その名の通り、「徳を積む」ことをひっそりと実践してきた人生でした。私がミレーのこの作品をまっさきに思い出したのは、おそらく、農民夫婦の敬虔な光景に、母の生き方との親和性が見られたからでした。作品から受ける敬虔な印象が、母を思い起こさせたのです。

 もっとも、この作品には、私が求めるいぶし銀のような輝きは見られません。確かに、穏やかさ、落ち着き、敬虔さは画面から伝わってきますが、輝きが足りません。陽が落ちた残照では、命のラストステージを煌めかせる熱量が不足しているのです。

 メインモチーフである母に、いぶし銀の要素を添えるには、もう少し、きらびやかな要素が必要でした。

 そこで、さらにミレーの作品を渉猟してみました。すると、次のような作品が見つかりました。

こちら →
(油彩、カンヴァス、100.7×81.9㎝、1870-72年、ニューヨーク フリック・コレクション。図をクリックすると、拡大します)

 タイトルは《ランプの明かりで縫物をする女性》(Woman Sewing by Lamplight)です。初めて見る作品です。

 ミレーは1875年1月20日に亡くなっていますから、制作年からいえば、晩節の作品といっていいでしょう。

 《晩鐘》とは違って、メインモチーフのすぐ近くにあるランプが光源になっています。画面中央辺りが明るい色調、そこから遠ざかるにつれ画面が暗くなるという色構成です。モチーフがランプの光で、明るく浮き彫りにされているのが印象的です。

 画面全体から、暖かな家庭の温もりが感じられます。

 ランプから放たれた穏やかで暖か味のある光が、女性を照らし出しています。横顔、肩、手を柔らかい光で包み込み、縫物をする女性を優しく捉えています。よく見ると、ライトの下では、赤ん坊が眠っています。俯き加減に針を運ぶ女性は、おそらく、母親なのでしょう。

 ランプを光源とする穏やかな光線が、周辺に柔らかな陰影を作り出し、作品に落ち着きと暖かさを添えています。黄色、橙色など暖色系を中心とした色構成の中に、農民の生きる力とひっそりとした輝きが感じられます。

 この色合いを、メインモチーフを支える背景色に使ってみようと考えました。

 次に、考えたのが背景です。

■背景としての湖畔、差し色としての白

 晩節の母を描くのですから、私は、背景として、晩秋の風景しか思いつきませんでした。もちろん、一口に晩秋といっても、さまざまな風景があります。紅葉した街路樹もあれば、紅葉した山、あるいは、すっかり葉を落とした木々など、どのような景色を選べば母のイメージに相応しいのか、悩み、いろいろとシミュレーションしてみました。

 その結果、晩秋の湖畔を、背景として取り上げることにしました。

 湖畔なら、紅葉した木々、すっかり葉を落とした木々など、晩秋を象徴する一切合切を、一つの景色の中に収めることができます。それらの要素を、ごく自然に画面に持ち込むには、湖畔がもっとも適していると思ったのです。

 さらに、背景を湖畔に設定すれば、メインモチーフとの間に、ちょっとした空間を生み出すことができます。この空間を活かす恰好で、湖の際に枯れ木、湖辺に紅葉した木々を描けば、画面に奥行きや深みを生み出し、興趣を感じさせることができると考えました。

 こうして、枯れ木や紅葉した木々を配した湖畔を背景に、逆光を受けて佇む母の姿をイメージして描いたのが、先ほどご紹介した《晩秋》です。

 メインモチーフと背景との組み合わせとバランスで構成を考え、ラフに仕上げてみましたが、何かが足りません。何度も画面を見返してみましたが、決定的要素が足りないような気がしてならないのです。

 老いてなお、背筋をピンと伸ばして暮らしていた、あの母のイメージを表現しきれていませんでした。凛とした佇まいは、母が80歳を過ぎて、放ち始めたいぶし銀のような輝きを支えるものでした。それが画面から滲み出ていなかったのです。

 凛とした母の佇まいを表現するにはどうすればいいのか・・・、再び、画面を見つめ、シミュにレーションを繰り返した結果、要所要所に、白を散らしてみることにしました。

 晩秋の湖畔の空気には、肌を刺すような厳しい冷たさがあります。その厳しい冷たさは、凛とした佇まいに通じるものがあり、晩節の象徴でもあるように思えました。それは白によってしか表現できないもののように思えました。

 試みに、髪の際や逆光の粒子の中に、白を差し色として置いてみました。思いのほか、画面に輝きが生まれたことに驚きました。まさに、いぶし銀のような輝きです。これでようやく、納得できる画面になったような気がします。

 気をよくして、さらに、顔や首の縁、その背後で煌めく残照の中に、そっと白を置いてみました。そうすると、不思議なほど見事に、晩節の母の輝きを表現することができました。予想以上の白の効果でした。

 差し色として白を使うことによって、晩秋の冷たい空気の感触、母の凛とした生き方、いぶし銀のような輝きを表現することができたのです。

 それにしても母はなぜ、80歳を過ぎた頃から、輝き始めたのでしょうか。カンヴァスに母のイメージを描いて見てようやく、なぜ、母が輝き始めたように見えたのか、多少、わかってきたような気がしました。

■母はなぜ、輝いて見えるようになったのか

 80歳ともなれば、心身ともに衰えが目立つようになります。動きが鈍くなったり、物忘れがひどくなったり、老化に伴うさまざまな衰えが、心身に現れるようになります。輝きとは無縁になるのが一般的です。

 それまでの自己肯定感を失い、アイデンティティ・クライシスに陥る人も多々、いると思います。

 ところが、母の場合、80歳を過ぎてから、ひっそりとした輝きを見せるようになっていたのです。それが不思議でなりませんでしたが、今回、絵を描くために、当時の母を何度も思い返すうちに、その原因がなんとなくわかってきたような気がしました。

 母の不思議な輝きは、おそらく、孤独感を昇華させることができ、新しいアイデンティティを獲得したから得られたものではないでしょうか。その頃、時折、母が見せていた孤高の佇まいを思い出します。

 父が83歳で亡くなった時、母は75歳でした。その後、母はそのまま、大きな家で一人暮らしを続けていました。同じ敷地内に弟の家族が住んでおり、日常的に行き来があったので、私は心配していませんでしたが、アイデンティティが大きく揺らいでいたことは確かでしょう。

 専業主婦として生き、外で働いた経験もない母は、家庭こそがアイデンティティの基盤でした。父の死後、その基盤が崩れてしまいました。子どもたちはとっくの昔に巣立って、それぞれの家庭を築き、残されたのが妻という役割でしたが、それも父の他界によって、喪失してしまいました。

 世話をしてきた対象をすべて失ってしまったのです。

 父を失った喪失感を、母はどのようにして補っていたのでしょうか。あるいは、大きな家で一人暮らしをするようになって、寂寥感をどのように紛らわせていたのでしょうか。当時、私は仕事に忙しく、慮る余裕がありませんでしたが、母はアイデンティティ・クライシスに陥っていたのではないかと思います。

 ちょうど80歳を過ぎた頃から、母は、私が帰省するたびに、「お母さんが、この家を守る」と言うようになりました。確かに、長い廊下はそれまで以上に磨き込まれるようになっていましたし、いくつかある床の間にはいつも、何かしら花が活けられ、それに合わせて、掛け軸も取り替えられていました。

 数年に亘るアイデンティティ動揺期を経て、母は、「家を守る」ことに、新たなアイデンティの基盤を見つけたように見えました。

 日々、部屋を掃除し、庭を手入れし、仏壇に御仏飯や花を供えて、「家」の世話をすることに生き甲斐を感じるようになっていたのです。「家を守る」ことにアイデンティティの基盤を置くことによって、母はようやく、自分の居場所を見つけたのでしょう。

 その頃から、母は不思議な輝きを見せるようになりました。
 
 「家を守る」ということは、単に家を整え、綺麗にするということだけではありませんでした。家の対面を守り、先祖を守るという決意の表れでもありました。母にとってはむしろ、こちらの意味合いの方が強かったのかもしれません。

 生身の人間との関わりが薄れても、母は日々、気持ちを通わせ、生きていることの意味を感じさせてくれる対象を見つけたのです。私は、母がついに孤独感を昇華し、孤高の精神へと変貌させていった感情と思考のプロセスを感じました。

 思い返せば、ちょうどこの頃から、母がいぶし銀のように輝いて見えるようになったような気がします。

 当時の母をイメージし、今回、作品化してみました。改めて画面を見て、思いのほか、的確に表現できたのではないかという気がしています。(2024/2/19 香取淳子)

第54回 練馬区民美術展に出品しました。

■第54回 練馬区民美術展の開催

 第54回 練馬区民美術展が、2023年2月4日(土)から2月12日)まで、練馬区立美術館で開催されました。


(図をクリックすると、拡大します)

 今回の展示作品は254点で、その内訳は、洋画1(油彩画)が59点、洋画Ⅱ(水彩、パステル、版画など油彩画以外)が125点、日本画(水墨画含む)が20点、彫刻・工芸が50点です。

 私は、《4月生まれの母》というF12号の油彩画を出品しました。


(図をクリックすると、拡大します)

 左端が私の作品です。

 会場内のライトが額縁のアクリル面に縦に反射し、ちゃんと撮影できていませんでした。撮影後、画像を確認しなかったのが悔やまれます。

■《四月生まれの母》

 次に、私の作品だけを撮りました。


(油彩、カンヴァス、60.6×50㎝、2022年。図をクリックすると、拡大します)

 こちらも会場内のライトが影響したのでしょうか、画面の色調がうまく反映されていません。全般に白っぽく映っています。改めて、絵を写真撮影することの難しさがわかりました。

 さて、今回出品した作品は、母をイメージして描きました。

 大正13年4月生まれの母はもうすぐ99歳になります。認知症が重症化し、3年ほど前から施設でお世話になっています。最近は施設を訪れても、コロナのせいで、直接会うことはできず、ガラス窓越しにしか会えなくなりました。とはいえ、一目、その姿を見るだけで、元気な様子を確認することができ、安心できます。

 昨年訪れた際も、母は見たところ、元気そうで、声をかけると、なにかしら応えてくれました。

 食欲も衰えず、よく食べているせいか、顔色はよく、しっかりとして見えます。その表情を見ていると、私が誰だかわかっているかもしれない・・・と、微かな期待を抱きたくもなります。

 何度も、「お母さん」と呼びかけてみました。聞こえているのかどうか、その都度、車椅子に座った母の目に光が宿り、瞬間、生気がみなぎるように見えます。それを見ると、やはり、わかっているのではないかと思えてきたりします。

 その時、母はなんとも穏やかで、安らかな表情をしていました。

 母は施設の4階でお世話になっています。その4階のスタッフの方々から、母が「100歳のアイドル」と呼ばれていることを知りました。それを聞いて、涙が出そうになるほど、嬉しくなりました。

 母を暖かく、お世話してくださっているスタッフの方々の様子が思い浮かびます。おそらく、母もまた、認知症になっても笑顔を絶やさず、感謝の言葉を忘れないでいるのでしょう。介護する者と介護される者との関係の一端を垣間見たような気になりました。

 老いて、さまざまな記憶が飛び、母はずいぶん前から、私たちの顔もわからなくなっていました。それでもまだ、人としての基本だけはしっかりと脳裡に刻み込まれているのでしょう。それがスタッフの方々との絆をつないでいるのかもしれません。

 若かった頃の母を思い出します。

 母は何事も、声を荒げることなく、穏やかに受け入れてきました。どんなことがあっても辛抱強く耐え、しかも、笑顔を忘れませんでした。

 そんな母の姿がなんども目に浮かぶようになり、今回、出品した作品の画題にしようと思い立ったのです。

■大正、昭和、平成、令和を生きた母

 大正13年(1924)4月5日に生まれた母は、まもなく99歳になります。大正末期に生まれ、昭和、平成、令和と4つの時代を生きてきたのです。激動の時代を乗り越え、よくこれまで無事に生を紡いでこられたものだと思います。

 母が生まれた1924年は一体、どんな年だったのか、見てみましょう。

 年表を見て驚いたのは、ソビエト連邦の議長だったレーニンが1924年1月21日に亡くなっていたことでした。

 第1次世界大戦(1914-918)の後、飢餓のために各国で革命が勃発し、ロシア帝国をはじめ、4つの帝国が次々と崩壊していきました。

 ロシア帝国の崩壊後、1922年12月30日に誕生したのが、ソビエト連邦です。政権を握る議長の座に就いたのがレーニンでした。そのレーニンの死後、後継を巡る闘争を経て、トロツキー派を制し、1924年1月、最高指導者の地位に就いたのがスターリン(1878-1953)でした。

 その後、第一次大戦後の歪みを残したまま、世界は激動の渦に巻き込まれていきます。

 一方、日本では、母が生まれた前年の1923年9月1日に関東大震災が発生していました。建物は倒壊し、火災は発生し、多くの人々が亡くなりました。首都機能は麻痺し、日本全体が極度の飢えと貧困、不安に陥っていました。

 大変な時代に、母は生を受けていたのです。

 やがて世界は、1939年9月1日、ドイツのポーランド侵攻から始まる第2次世界大戦に突入しました。

 そのころ、母は15歳、県立姫路高等女学校の生徒でした。

 高等女学校を卒業後も2年間、専攻科に通い、卒業するとすぐ、お見合いで結婚しました。かるた会の席でお見合いが行われたそうですから、百人一首を得意としていた母にとっては絶好の見せ場だったのかもしれません。

 お見合い相手の父は、東京帝国大学文学部英文科(現、東京大学)を卒業し、当時、東京で英語の先生をしていました。そのため結婚すると、母は戦時下の東京で暮らすようになりました。東京での母は、日々、爆撃を逃れ、食糧を調達するのに苦労していたようです。

 結婚の際に親がそろえてくれた着物を持って、農家を訪ね、わずかな食糧と引き換え、なんとか生き延びていました。ところが、戦争末期に、終に、栄養失調になってしまいました。妊娠していたこともあって、一人帰郷し、実家で出産しています。終戦後9カ月、1946年5月、第一子である私が誕生しました。

 その後、父は第四高等学校(現、金沢大学)を経て、岡山大学に移動しました。引っ越すたびに、母は慣れない土地で苦労し、子どもたちを育ててきました。まだまだ調度品は整わず、食糧難の時代でした。

 岡山で暮らしていたのは、池があり、築山のある大きな家でした。微かに記憶に残る家が懐かしく、数年前に訪ねてきました。所々、記憶にある断片と合致し、幼い頃が甦ってきます。

 この家は現在、文化遺産に指定されています。

こちら → https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/115694

 門から道路に続く、この白い石道を三輪車で遊ぶ幼い頃の私の写真が残っています。私たちは、この家の一角に間借りして住んでいました。

 ようやく定住するようになったのが、私が幼稚園の頃です。その頃、何があったのかわかりませんが、祖父から戻ってくるようにいわれたのです。以後、父は、家族を実家のある兵庫県に残し、自身は大学のある岡山県に通う生活を送るようになります。

■子どもたちと母

 父の実家に戻った後、しばらくは、祖父母も一緒に暮らしていました。祖父はまだ医者を続けており、家には、家事担当のお手伝いさんや下働きをする男性もいました。私が自転車の乗り方を教えてもらったのは、体格のいいお手伝いさんでした。

 ところが、私が小学校3年生の頃、祖父母は引っ越していきました。薬局を経営する伯母らと共に暮らし始めたのです。このときも、何があったのかわかりません。ただ、祖父母が引っ越すとともに、お手伝いさんも下働きをする男性もいなくなりました。その途端、大きな家ががらんとした空間になってしまいました。それがとても強く印象に残っています。

 家の管理、家事一切を一人でこなさなければならなくなった母はさぞかし大変だっただろうと思います。なにしろ、それまではお手伝いさんと下働きの男性がいてようやく体裁を整えることができたような大きな家でした。

 父は、週に何日間かは勤務のため岡山に出かけ、不在でした。その間、母と子どもたち4人とで暮らさなければならなかったのです。家事ばかりか、防犯の面でも気苦労が絶えなかったのではないかと思います。

 ある時、母が私に、「誰かが入ってきたら、お母さんが抵抗するから、あなたは弟たちを連れて、裏から逃げて」といったのです。そして、玄関にはしっかりと鍵をかけ、その傍らに木刀を置いていました。私が長子で、下にまだ幼い弟妹がいましたから、母は私を助手代わりに使うしかなかったのでしょう。

 昭和30年代の初め、まだ人々は貧しく、物騒な世の中でした。

 小学校4年生の私は、どの経路で弟妹たちを連れて逃げればいいのか、逃げ切れなければどこに隠れれば安全か、などといったようなことを真剣に考えたことを思い出します。

 母は女学校の頃、バスケットボール部の選手でした。体力には相当、自信があったのでしょう。いざとなれば、子どもたちのため、木刀で闘う覚悟をしていたのです。

 4人の子どもを生み、育てた母は、胃潰瘍以外に大きな病を経験することもなく、父が亡くなった後も、気丈に生きてきました。ところが、今、認知症になり、施設のお世話になっているのです。思いもしなかったことでした。

 人が健康で恙なく、平穏に生きていくことがどれほど難しく、得難いものであるかを思い知らされます。

 母を見ていると、この世に生を受け、一人前に成長し、やがて、老いていく、人のライフコースの中で、もっとも過酷なのは、身体の自由が効かなくなった晩年ではないかという気がします。

 ウィーン分離派の画家クリムトは、《三世代の女性》という作品の中で、老年期の悲哀を見事に表現しています。

■クリムトの《三世代の女性》(The Three Ages of Woman, 1905年)

 グスタフ・クリムト( Gustav Klimt, 1862 – 1918)は、帝政オーストリアに生まれた画家です。日本では、《接吻》(The Kiss, 1907-08年)という作品が有名ですが、それ以前に描かれた作品の中で、気になったのが、《三世代の女性》です。


(油彩、カンヴァス、180×180㎝、1905年、ローマ国立近代美術館所蔵)

 画面中央に年齢の異なる女性が3人、描かれています。おそらく、子、母、祖母という設定なのでしょう。幼児期、青年期、老年期の女性の姿がそれぞれ、裸体で描かれているのです。とても珍しい画題でした。

 子どもを抱いた女性は慈愛に満ちた表情を浮かべ、子どもの頭に頬を寄せています。子どももまた安心しきった様子で女性に身を委ねています。理想的な母と子の姿が描かれており、平和で幸福の象徴に見えます。

 この作品を観て、多くの観客がまず、目を引かれるのはこの部分でしょう。

 実際、後に作成されたポスターや複製画では、母と子の部分だけが切り取られ、作品として出回っています。興味深いことに、《母と子》として、この作品はよく知られているのです(※ https://www.aaronartprints.org/klimt-thethreeagesofwoman.php)。

 そもそも、この作品のタイトルは《三世代の女性》です。クリムトがこの作品を通して描こうとしたのは、子、母、祖母といった三世代の女性だったのです。ところが、この作品はクリムトの意図に反し、「母と子」の部分にスポットが当てられてしまいました。

 一体、なぜなのでしょうか。

 それについて考えてみようと思い、人物が描かれている箇所を拡大してみました。


(前掲。部分)

 母子が幸せそうに肌を密着させている様子は、限りなく優しく、暖かく描かれており、観る者の気持ちを和ませてくれます。見ているだけでほほえましく、幸せな気分になれます。

 ところが、左の高齢女性は一人佇み、老醜をさらしています。この姿を見たとき、見るべきではないものを見てしまったような後味の悪さが残りました。

 女性の肌はたるんで萎び、乳房は垂れています。手といわず脚といわず、静脈が浮きあがり、腹部が異様に突き出ています。しかも、女性は、手で髪の毛を引き寄せて顔を覆っており、その表情を見ることはできません。まるで老いを恥じて、顔を隠そうとしているかのようです。

 クリムトはひょっとしたら、老醜そのものをリアルに描こうとしていたのでしょうか。

 母と子の身体は、それほど克明には描かれていなません。ところが、高齢女性の身体は、苛酷なまでに老衰した状況がリアルに描かれています。今まさに生のさ中にいる母と子の姿に比べ、老いさらばえ、死を待つばかりの高齢女性との対比が、なんともいえず残酷に思えました。

■ロダンの《老いた娼婦》(The Old Courtesan, 1901)

 《三世代の女性》の中の高齢女性の身体は、ロダン(Auguste Rodin, 1840-1917)の《老いた娼婦》(The Old Courtesan, 1901)を参考に描かれたといわれています。1901年にウィーンで開催された19世紀美術展覧会に出品された作品です。
(※ https://www.gustav-klimt.com/The-Three-Ages-Of-Woman.jsp


(ブロンズ、50.2×27.9×20.3㎝、16.8㎏、1885年鋳造、メトロポリタン美術館所蔵)

 これは、かつては美しかった女性の老いた姿を表現した作品です。立体なので、こちらの方がリアルで、老衰の残酷さがいっそう際立っています。

 クリムトは展覧会に参加して、この作品に非常な感銘を受け、翌年、ロダンに会うことが出来た際にはとても喜んでいたそうです。

 このエピソードからは、クリムトは《三世代の女性》で、老衰のリアルを表現しようとしていたと考えざるをえません。

 だからこそ、敢えて、高齢女性とは距離を置いて、母と子を配置し、その密着ぶりが際立つような画面構成にしたのでしょう。

 ちなみにこの作品は、1911年のローマ国際美術展で金賞を受賞しました。クリムト独特の装飾的な美しさの中に、誰しもいつかは迎える老衰という深刻なテーマが、ライフコースの視点を取り込み、巧みに表現されていたからだと思います。

 ところが、その後、この作品は、「母と子」の部分だけが切り取られ、ポスターや複製画として再生産されています。大多数の観客は、快く感じられるものを見たがるという傾向を優先したからでした。

 この一件からは、市場原理に従えば、作者の制作意図とは異なる形で作品を再生産せざるをえないことが確認できたといえます。

■画題としての老いた母

 《4月生まれの母》を描こうと思い立った際、私は悩みました。99歳にもなろうとする母の外見は老衰そのものでした。そのような姿を描くことは、逆に、母を冒瀆することになるのではないかと思ったのです。なによりも、そのような姿を、私は描きたくもありませんでした。

 施設でお世話になっている姿は、確かに、現実ではありますが、母の真実の姿ではありません。

 これまで目にしてきた母の姿の断片が、いくつもの記憶となって、私の脳裡に残っています。それらを反芻しているうちに、母の姿とは、見えている肉体や姿形ではなく、さまざまな記憶、一切合切を含めたもの、すなわち、母が生きるのを支えてきた精神こそ、母の真の姿ではないかという気がしてきたのです。

 いろいろ思いを巡らせているうちに、母を描くとすれば、そのような母の生を貫く精神ではないかという結論に辿り着きました。

 つまり、子どもを守るためには、闘いも厭わない気丈さ、さまざまな困難に遭遇しても、それに耐え抜く強さ、どんな時も笑顔を絶やさない穏やかさ、優しさ・・・、母が生きてきた過程で私が垣間見てきた母の精神を、母のリアルな姿として表現したいと考えたのです。

 この作品で、そのような思いを表現できたかどうか、わかりません。ただ、悲しみと慈愛、忍耐と寛容、安らぎと穏やかさ、優しさ・・・、といったようなものを、顔面の色調や表情などに込めたつもりです。

 背景はもちろん、桜の木です。


(図をクリックすると拡大します)

 入間川沿いに毎年、見事な桜が花を咲かせます。開花した部分とまだ蕾の部分とが混在している時期の桜を取り上げてみました。

 桜花には可憐で、健気で、潔い美しさがあります。母の根本精神を突き詰めれば、そこに到達するような気がします。

 ふと見上げると、真上に桜の木の大きな枝が伸びていました。


(図をクリックすると、拡大します)

 輝かしく開花した花弁に、ふいに風に吹き付け、はらりと頭の上に落ちてきました。淡いピンク色をした可憐な花びらです。

 画面の母の顔の上にも、この桜の花びらを散らそうと思いました。母はこの桜花のように、老いてもなお初々しいところがありました。

 女学校を卒業してすぐに結婚した母は、一度も社会に出て、働いたことがありません。世間馴れしておらず、もちろん、世間知もなく、いつまでも少女のようなところがありました。

 かつてはそのような母を頼りないと思い、不満に思ったこともありました。ところが、理想を軽視し、即物的な実利優先の世の中になっていくにつれ、世間馴れしていない母の子どもとして生まれ、育てられたことを、とても幸せだと思うようになりました。

 しばらくは、この母を画題に、描いていこうと思っています。(2023/2/27 香取淳子)

Idemitsu Art Award 2022展:リアルとファンタジーの合間に

■Idemitsu Art Award 2022展の開催

 国立新美術館で今、「Idemitsu Art Award 2022展」が開催されています。開催期間は2022年12月14日から12月26日まで、開催時間は10:00-18:00(入場は17:30まで)です。

 これまで「シェル美術賞」をして知られていた美術賞が、2022年4月に改称され、「Idemitsu Art Award」となりました。名称が変わっても、次代を担う若手作家を奨励するという目的に変わりはありません。

 これまで通り、40歳までの若手作家を対象に作品募集され、その結果を反映した展覧会、「Idemitsu Art Award 2022展」が今回、実施されました。

 実施概要は以下の通りです。

こちら → https://www.idemitsu.com/jp/news/2022/220603.html

 改称された「Idemitsu Art Award 2022展」には、650名の作家から応募があったといいます。昨年と比べ、作家は142名増え、応募作品は128点増えて860点にも上っているのです。

 これまでと違って、グランプリの賞金が300万円に増額(これまでは100万円)され、25歳以下の出品が無料(1点まで無料、2点目以降は有料)に改良されていたからでしょう。若手作家がこの好機を見逃すはずはありません。改良によって、若手の応募意欲が高まっていたことは明らかでした。

 さて、審査員は上記URLに示された5名ですが、そのうち2名が、今回、新たに審査員に加わりました。福岡市美術館学芸員の正路佐知子氏と、とシェル美術賞2010年度の審査員賞を受賞した画家の青木恵美子氏です。

 新たな視点を加えて審査された結果、グランプリを含む8点の受賞作品、46点の入賞作品が選出されました。今回、展示されていたのは、これら54点の作品です。全般に、優しい色遣いの作品が多いように思えました。

 それでは、会場に入って、鑑賞することにしましょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 40歳以下を対象にした公募展のせいか、会場で見かける観客も若い人が多かったような気がします。

 2022年度のグ受賞作品は8点で、作者および作品概要は以下の通りです。

こちら → https://www.idemitsu.com/jp/enjoy/culture_art/art/2022/winners.html

 それでは、まず、これらの受賞作品の中から、印象に残った作品を何点か、ご紹介していくことにしましょう。

■印象に残った作品

●グランプリ作品:《せんたくものかごのなかで踊る》

 グランプリに選ばれたのが、竹下麻衣氏の、《せんたくものかごのなかで踊る》という作品です。

こちら →
(岩絵具、水干絵具、膠、箔、カンヴァス、162×140㎝、2022年、図をクリックすると、拡大します)

 会場でこの作品を見た時、何が描かれているのか、すぐにはわかりませんでした。

 得体の知れないものが重なり合い、波打つように、画面を覆っています。形からも、色からも、これらのモチーフが一体、何なのか、推し測ることすらできませんでした。なにしろ、モチーフとモチーフが重なり合って、認識の根拠となる形が崩れてしまっているのです。

 しかも、色と色が溶け合って、境界線すら曖昧です。曖昧模糊とした画面の中で、かろうじてモノとして認識できるのが、細い黒の線で描かれたワイヤーでした。

 もっとも、ワイヤーだということはわかっても、それが「せんたくものかご」だという認識には至りません。作品のタイトルを見て、ようやく、このワイヤーが「せんたくものかご」だとわかった次第です。

 認識の盲点を突かれたような気がしました。

 この作品を見た時、タイトルも見ていたはずなのに、漢字で書かれた「踊る」という言葉に強く印象づけられ、平仮名で書かれた他の言葉を認識していなかったのです。タイトルの中の、「せんたくもの」、「かご」、「なかで」という言葉は、平仮名で書かれていました。そのせいで、すっかり認識のフィルターから洩れてしまっていたのです。

 象形文字から派生した漢字は表意文字なので、一目でその意味を理解できます。ところが、平仮名は表音文字なので、見ただけでは意味を理解できません。

 そのような漢字(表意文字)と平仮名(表音文字)の特性の違いに着目し、作者はタイトルの表記に工夫を凝らしたのかもしれません。タイトルのほとんどは平仮名表記にされていました。そうすることによって、観客がすぐにも理解してしまうことを阻む一方、唯一、漢字表記された「踊る」という言葉を強く印象づける効果があったのです。

 さて、このワイヤーが、「せんたくものかご」なら、奇妙なモチーフの群れは、洗濯物かごに投げ込まれた衣類だということになります。これで、ようやく、描かれているモチーフが、洗濯物かごに入れられた布類だということがわかりました。

 なんと、日常生活の中で、ともすれば見落とされがちな洗濯物が、この作品の画題だったのです。

 このような画題の選び方もまた、観客の認識の盲点を突く要素の一つだったと思います。とくに、作品の中に何らかの意味、あるいは、メッセージを見出そうとする観客にとっては、意表を突かれる画題だったでしょう。

 観客には一般に、作品化される画題は、作者にとって何らかの価値があるはずだという思い込みがあります。それもまた、認識の盲点を突く要素になっていたと思います。

 タイトルにしても、画題にしても、この作品には認識の盲点を突くようなところがありました。何が描かれているのか、すぐにはわからなかったのもそのせいだという気がします。

 さらに、ワイヤーかご以外に、具体的なモノとして同定できるモチーフはありませんでした。色彩についても形状についても、ワイヤー以外はすべて、曖昧模糊としています。

 画面は淡いベージュとグレーを基調として色構成されていました。そんな中、得体の知れない黒い塊が3か所、上から順に適度な間隔を空けて配置されています。これもまた、何か具体的なものと同定することはできません。

 黒い塊は、乱雑に動き出そうとする不定形のモチーフを抑え込む役割を果たしているように思えます。同様に、下方には茶色の塊が配置されており、はみ出そうとしているモチーフをどうにか抑えているように見えます。つまり、濃い色を使って描かれたこれらの物体は、ワイヤーとは別に、秩序のない画面を引き締めていたといえます。

 容積を超えて、ワイヤーかごに投げ込まれた洗濯物は、元の姿を変え、得体の知れない物体に変化せざるをえないのでしょう。確かに、うず高く積み上がった高みからワイヤーかごを大きくはみ出し、床に達してしまったものがあれば、ワイヤーの隙間からはみ出そうとしているものもありました。

 一方、上方には、緑の濃淡で曲線がいくつか、ランダムに描かれています。衣類の模様にも見えますが、乱雑な中にも、そこから軽やかな動きが生み出されていました。下方には、ドット模様の衣類がワイヤーからはみ出し、襞を作っています。さらに、画面の左には、ワイヤーから大きくはみ出し、うねるような格好で、床に達している大きな衣類が描かれています。

 そのような洗濯物の様相を、作者は「踊っている」と捉えました。洗濯物に人格を与え、「踊る」と形容したところに、作者の若い感性が感じられます。

 誰からも見向きもされないような洗濯物を擬人化して、言葉を与え、価値づけようとしている気がしたのです。

 洗濯物に着目し、それらを放埓な様相で表現し、「踊る」と捉えて作品化した作者の着眼点が面白いと思いました。ありふれた日常のものを作品化しようとする試み、それを、認識の盲点を突くような形で表現し、観客に訴求しょうとする意欲に若さが感じられました。

 この作品と似たような雰囲気を感じたのが、《bathroom 1》です。

●鷲田めるう審査員賞:《bathroom 1》

 鷲田めるう審査員賞に選ばれたのが、石川ひかる氏の《bathroom 1》です。

こちら →
(油彩、木炭、パステル、カンヴァス、130.3×162㎝、2022年、図をクリックすると、拡大します)

 タイル壁に沿って、バスタブ、シャワーヘッド、排水口、ブラシなどが描かれています。それらを見ると、浴室内が描かれていることは明らかなのですが、全体にぼんやりとしています。すべてがまるで水蒸気の漂う空間に閉じ込められているかのように見えます。

 ほとんどのモチーフはぼんやりと淡いグレーで描かれ、オフホワイトで覆われた画面の中に封じ込められています。それだけに、色彩のあるモチーフはことさらに強く印象づけられますが、その形状や描かれ方が不自然でした。

 たとえば、バスタブと排水栓をつなぐ線が赤で描かれています。あまりにも細くて、うっかりすると、見落としてしまいそうになります。この赤い線の一方の端は、バスタブに張られた湯の中に深く沈み込んでしますが、片方の端は水栓を経由して、バスタブに固定されているのです。それが不自然で、違和感を覚えました。

 さらに、バスタブ内の湯は、群青色と水色とに分けて表現されています。風呂の湯なのに、なぜ二色に分けて描かれているのかわかりませんが、いずれも海水の色で描かれています。しかも、表面には無数のさざ波が立ち、波打っています。当然のことながら、海を連想させられますが、やはり、不自然で、違和感を覚えさせられます。

 描かれているものがどれも不自然で、稚拙に見えます。

 たとえば、タイル壁の目地なのに、線がまっすぐに引かれておらず、間隔も不揃いです。バスタブの形状も水道栓も、シャワーヘッドも何もかも、リアリティに欠け、バランスに欠け、稚拙としかいいようのない描き方なのです。

 ところが、やや引いて見ると、水蒸気の立ち込めた浴室の様相が、見事に描き出されていることに気づきます。

 稚拙に見えていた浴室内の光景ですが、引いて見てみると、逆に、蒸気のこもった浴室のむっとした空気、バスタブから人が出た後の湯の揺らぎといったものが巧みに表現されているように思えてきたのです。

 それにしても奇妙なのは、群青色と水色で描かれたバスタブの湯でした。まるで陸に近い海と遠い海とを描き分けているようにも思えます。群青色パート、水色パートのどちらにも表面に波頭が立ち、うねっているように描かれています。

 浴室という狭い密室空間が描かれているにもかかわらず、ごく自然に、波立つ海を連想させられてしまいました。

 水面が波立っているのは、ひょっとしたら、誰かがバスタブから立ち去った後だからかもしれません。あるいは、強風が海面を撫ぜ、さっと通り過ぎた後だったのかもしれません。

 誰もいない浴室内の光景が描かれているだけなのに、ヒトの気配が感じられ、海が連想されました。リアルとファンタジーが混在した世界に迷い込んだような気分になっていたのです。

 なんとも不思議な作品でした。

 この作品には、観客の気持ちをアクティブにするための仕掛けが潜んでいたように思います。どのように表現すれば、どのような効果が得られるのか、作者は熟慮を重ねて制作したのではないかという気がするのです。

 たとえば、総てのモチーフは、ぼんやりと曖昧に描かれるだけではなく、不自然な形態で捉えられていました。稚拙に見える表現でしたが、逆に、観客の想像力は限りなく刺激されます。

 それは、おそらく、稚拙で、不自然に描かれた作品を見ると、観客は半ば条件反射的に、欠損部分を補おうとし、そのための想像力を働かせるからでしょう。

 こうしてみてくると、観客が、作品とアクティブに関わらざるをえないような仕掛けを、作者は用意していたのではないかと思えてきます。すなわち、稚拙で、不自然にモチーフを表現するという戦略です。

 画面の不完全さが、観客を刺激し、無意識のうちに、作品への関与度を高めていくのではないかという気がします。その結果、画面には描かれていない世界までも頭の中で創り出し、想像の世界を堪能するようになるのではないかと思いました。

 それでは、次に、色彩の美しさが印象に残った作品をご紹介しましょう。

●桝田倫弘審査員賞:《プランツとプラネット》

 桝田倫弘審査員賞に選ばれたのが、檜垣春帆氏の《プランツとプラネット》です。

こちら →
(油彩、ペンキ、アクリル、パステル、木炭、カンヴァス、162×130.3㎝、2022年、図をクリックすると、拡大します)

 会場でこの作品を見た時、まず、画面の色調が艶やかで、美しいのが印象的でした。とはいえ、これまで取り上げてきた作品と同様、この作品も、何が描かれているのか、すぐにはわかりませんでした。

 画面の7割ほどが、オフホワイトと淡いベージュで構成された巨大な空間で占められています。その淡い枯れ葉色の上に、濃い枯草が散乱し、辺り一帯を覆っています。風が吹いて、枯れ葉や枯草が砕けて飛散していったのでしょう、周辺にはその残骸が散っていました。

 興味深いことに、いくつもの光線が、その巨大な空間の中を、自由自在に弧を描きながら、縦横無尽に駆け巡っています。まるで散乱する枯れ葉を繋ぎ留めようとしているかのように見えます。

 裏側にいくつか光源があるのでしょうか、背後から輝いています。そして、下方の群青色の空間との繋ぎ目辺りに、発光体のようなものがいくつか描かれており、画面全体に華やぎが感じられます。

 画面の3割ほどを占める下方の空間は、まるで夜空のようでした。群青色の空間が広がり、星が点々と煌めいています。

 上方の黄色をベースとした空間と、下方の群青色をベースとした空間は、ほぼ補色関係になっていて、互いの色を際立たせています。これまでご紹介してきた作品とは違って、配色のコントラストが明確で、しかも艶がありました。ワクワクするような色の刺激があります。

 ちなみに、この作品のタイトルは、《プランツとプラネット》です。

 まず、通常は仰ぎ見ている宇宙が、この作品では下方に配置されています。しかも、その形状が、まるで宇宙から見た地球のように、プラネットとして描かれているのです。

 一方、そのプラネットと接するようにして描かれたのが、枯れ葉や枯草が舞い散る空間でした。プランツが浮遊する空間が、まるで無限に広がる宇宙のように表現されているのです。私たちが認識しているプラネット(宇宙)とプランツ(地上に生息)との位置関係が真逆に表現されていたのです。

 それにしても、なんと奇妙な空間なのでしょう。

 通常、「プランツ」と聞いて連想するのは、緑色の葉や草、大地に根を張った木々ですが、ここで描かれているのは枯れ葉や枯草でした。枯れて、大地に戻る寸前の植物が、巨大なエネルギーによって放散され、うねりながら、無限の巨大空間の中で舞い散っている様子が描かれていました。

 プランツといいながら、緑色の葉や草(生)ではなく、枯れ葉や枯草(死)が飛散する様子が描かれていました。そして、プランツとして表現されている空間には、いくつもの光線が弧を描きながら、上下左右を巡っています。

 アースカラーで覆われ、黄昏を感じさせる広大な空間に、光の環や発光体のようなものが随所に描かれていたのです。それは、まるで枯草(死)を蘇らせ、プランツ(生)として、プラネット(地球)に送り返そうとするエネルギーのように見えました。

 まさに、輪廻転生の現象のように思えました。

 枯れ葉や枯草は、巨大な宇宙空間で舞い散って、砕け、やがて、下方のプラネットに落下して新たなプランツとして誕生するというメッセージが込められているように思えたのです。

 最初、この作品を見た時、ワクワクするような高揚感を覚えました。この作品の色調に、静かで落ち着いていながら、華やかな煌めきがあったからです。

 そして、どういうわけか、その煌めきの中に、生と死の繰り返しの円環現象を支える永遠のエネルギーと、そこから放たれる美が感じられたからでした。

 以上、受賞作品の中から印象に残ったものをご紹介してきました。次に、入選作品の中から1点、ご紹介しておきましょう。

 入選作品は46作品でした。

こちら → https://www.idemitsu.com/jp/enjoy/culture_art/art/2022/list.html

 これら入選作品の中から印象に残った作品を1点、ご紹介しておきましょう。

●桝田倫弘審査員の推薦:《集合住宅》

 桝田倫弘審査員に推薦されて、入選したのが、アルト・クサカベ氏の《集合住宅》です。

こちら →
(アクリル、岩絵具、パネル、和紙、130.4×162.1㎝、2022年、図をクリックすると、拡大します)

 この作品を見た瞬間、軽やかで都会的な色遣いに、強く印象づけられました。とくに惹かれたのが、繊細な空の色です。黄色や橙色など暖色系の淡い色に、白やセルリアンブルーを程よく加えた色調に、ほのかな陽光の輝きが感じられました。

 ぎらぎらと照りつけるわけではなく、どんよりと曇っているわけでもなく、心地よい明るさと陰りをもたらしているこの色遣いに、都会的な軽やかさと繊細さが表現されていました。

 その空を背景に、建物の設計図のようなものが、赤や黒、グリーンなどの細い線で描かれています。骨組みを示す線の細さが、空の色の繊細さを巧みに引き出していました。線描きならではの簡潔さが、周囲の色を引き立てる効果を生み出していたのです。

 重量感のあるコンクリートの建物が、輪郭線だけで表現されています。それも、赤、黒、青、緑などのごく細い線で、建物の構造がきわめてシンプルに示されていたのです。無駄なものが削ぎ落されていたせいか、画面からは、洗練された切れ味と都会的なセンスが感じられました。

 透けた建物の背後には林が見え、池が見えます。さらに、得体の知れない三角形、あるいは、長方形の造形物も見えます。このように、自然の中に幾何学的なモチーフをはめ込むことによって、人工的で現代的なテイストが加えられていました。

 手前には、建物を支えるコンクリートの杭が数本、立っています。通常、一直線に並べられるはずですが、ここでは、そうではなく、不揃いで、間隔も不均等です。そこに、堅固さの中に柔軟性があり、粗雑さも感じられます。なんともいえない人間臭さが醸し出されていたのです。

 現代的で都会的でありながら、田園の味わいがあり、人がいないのに、その気配が感じられます。そして、暖色系を交えて描かれた背後の空は、幻想的でありながら、リアリティがありました。

 不思議な空間が創出されていました。

 風も空気も通さないコンクリートの厚い壁を描かず、透明にし、背後の林や池が見えています。都会を象徴する建物の中に田園風景を取り込むことによって、風通しの良さと爽やかさを表現することができていました。

 背後に描かれた空は、朝とも午後とも夕刻ともつかない、暖色と寒色の入り混じった色で描かれていました。想像力をかき立てられる一方、ほどよいリアリティが感じられ、気持ちが和む作品でした。

■リアルとファンタジーの合間に

 展示作品の中から、印象に残った作品を4点、ご紹介してきました。いずれも、リアルとファンタジーの合間に作品世界が表現されていたのが、特徴です。

 その中でも理解しにくかったのが、《せんたくものかごのなかで踊る》と《bathroom 1》でした。どちらも、一見しただけでは、何が描かれているのか、作者が何をいおうとしているのか、皆目、わかりませんでした。

 モチーフの形状が曖昧で、モチーフとモチーフ、モチーフと背景との境界も判然としていません。しかも、画面の大半がオフホワイトに近い、淡いアースカラーで覆われていました。そのせいか、ファンタジックで幻想的な空間が描き出されていました。

 画面の色調はやさしく、モチーフの形態もぼんやりとしており、観客を和やかな気持ちにさせてくれます。その一方で、まるで解釈を拒否するかのような奇妙な空間でもありました。作品世界を解釈するための手がかりが欠けていたのです。

 ただ、《せんたくものかごのなかで踊る》には、タイトルの付け方にヒントがあり、《bathroom 1》には、稚拙で不自然に見える描き方にヒントがありました。安直な解釈を回避し、観客の想像力を駆使させるような仕掛けが込められていたのです。

 一方、《プランツとプラネット》と《集合住宅》には、まず、色彩に惹きつけられました。深い色合いに関心を覚えて画面を見ているうちに、ごく自然に、それぞれの作品世界に到達することができたのです。色彩が手掛かりとなり、モチーフの断片がヒントとなって、画面を解釈し、作品世界を堪能することができました。

 今回、若手の作品を何点か見てきて、改めて、リアルとファンタジーの合間にこそ、表現の真実が潜んでいるのではないかという気がしてきました。(2022/12/27 香取淳子)

第85回新制作展に見る百花繚乱 ②日常生活の中で、光はどう捉えられたか

■日常の中の光

 第85回新制作展の会場では、さまざまな画題の作品が多数、展示されていました。いずれもレベルが高く、つい、足を止めて、見入ってしまったことが何度もありました。そんな中、ありふれた光景を描いていながら、心に響く訴求力を持つ作品がいくつかありました。

 今回はそのような作品をご紹介していくことにしましょう。

 関谷泰子氏の作品、中村葉子氏の作品、能勢まゆ子氏の作品で、いずれも連作です。
 
■関谷泰子氏の作品

 窓から射し込む陽光の穏やかな優しさに惹きつけられました。関谷泰子氏は東京都の作家です。窓から射し込む陽光の姿が、午前と午後、様相を変えて、捉えられています。

 まず、《朝の光》から見ていくことにしましょう。

●朝の光

 庭に立つ人物を室内から捉えた光景です。

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(図をクリックすると、拡大します)

 背後から強い陽光を浴びているのでしょう、庭に立つ人は逆光で捉えられ、シルエットだけが見えます。ところが、そのシルエットは胴体と伸ばした腕と手しか捉えられていませんでした。雪見窓越しのせいか、首から上は見えず、足は縁側で遮られていたからです。

 逆光で捉えられたシルエットはそのまま、縁側に影を落とし、室内に入り込んでいます。影はそれほど長く伸びていませんから、やはり、午前の陽射しなのでしょう。外側の光は淡い青系の色で表現され、室内に入ると淡い赤系の色で表現されています。

 よく見ると、外側のシルエットは、障子戸を通して見る影絵のように、障子紙の質感を残して描かれていました。ところが、廊下に落ちた影にはガラス窓越しの質感があります。どちらかといえば、鮮明で鋭角的に見えるのです。透過する材質によって、光が作り出すシルエットにも違いがあることがわかります。

 しかも、逆光を受けて障子窓に映し出されたシルエットと、ガラス窓を透過して廊下に映し出されたシルエットとが接合されていました。一見、ありふれた光景に見えますが、実は、高度な知識とテクニックを駆使し、トリッキーな空間が作り出されていたのです。

 影絵のようなシルエットを映し出した窓は、白を基調に青系の淡い濃淡で微妙なグラデーションをつけて表現されていました。淡く、均一ではないところに障子紙の痕跡が残されています。

 一方、シルエットを映し出した廊下は赤系を基調に、光の当たった部分は明るく、そうではない部分は暗く描かれていました。外に近いところは白色を混ぜた色調で、内に入るにつれ暗色を混ぜるといった具合に、光量に応じて赤系の淡い濃淡が描き分けられていました。

 ごく日常、誰もが目にする光景が、室外と室内とで映し出されたシルエットで再構成されていたのです。穏やかで優しい陽光の中に、ファンタジックな空間が創り出されており、ささやかな幸福が感じられます。

●午後の光

 窓から光が射し込み、直線の影が奥の方まで室内に入り込んでいます。影の異様な長さからは、射し込む光が夕刻に近い午後の陽光だということが示されています。

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(図をクリックすると、拡大します)

 床には花柄模様のジュータンが敷かれ、そのジュータンの上に直接、ガラスの花瓶が置かれています。花瓶にはジュータンの模様と同じような花が生けられていますが、いまひとつ存在感がありません。ジュータンと一体化して見えるからでしょうか。

 さて、この花瓶も花も、低い位置から射し込む陽光によって、大きく形を変形させ、縦長に伸びています。花瓶の両側にも太さの異なる直線の影が長く伸び、室内の奥まで入り込んでいます。

 これらの影の長さを強調するためなのでしょうか、モチーフを捉えるアングルが特異でした。そして、この独特のアングルが、ありふれた光景を題材にしながら、画面を非凡なものに仕上げていました。

 この作品のモチーフは明らかに、花や花瓶ではなく、窓から射し込む縦長の影なのでしょう。というのも、影が画面の面積の大部分を占めているからですが、それだけに影の色調が作品に与える影響は大きいはずです。

 よく見ると、花やジュータンの色はもちろんのこと、カーテンや敷居や窓枠など、描かれているものすべてに固有色があるのですが、その上から青味がかった淡いペールピンクが影の色として全体を覆っていました。寂寥感のある色が使われていたのです。

 そのせいか、画面には優しく柔らかく、それでいて、やや寂し気な雰囲気が漂っていました。それは、陽が沈む前のそこはかとない寂しさであり、一日を振り返る内省的な気分を象徴しているようでもありました。

 室内に長く伸びる影をモチーフとし、特異なアングルでそれらを構成して、ファンタジックな空間が創り上げられていました。何気ない日常生活の中から詩情豊かな世界が生み出されていたのです。

■中村葉子氏の作品

 光と影のさまざまな効果に気づかされたのが、静岡県の中村葉子氏の作品です。よく見ると、《郷-秋の陽に》は、《郷―晩秋の頃》を拡大したものでした。二つの作品の描かれたシーンは同じもののようです。

 まずは全体像を描いた作品から見ていくことにしましょう。

●郷―晩秋の頃

 農村で見かける作業部屋なのでしょう。さまざまな道具が物が乱雑に置かれています。奥には押し入れのような棚があり、そこにもごみ袋や作業用道具箱のようなものが雑然と置かれています。

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(図をクリックすると、拡大します)

 左手の格子窓から陽光が射し込み、作業小屋の室内が明るく照らし出されています。見えてくるのは、板や縄、プラスティックケース、ゴムホース、排管のようなもの、作業台、椅子、壊れた木枠などです。

 窓から射し込む光が、小屋の中の物を暗闇の中から浮かび上がらせ、観客に認識させる機能を果たしています。その機能に着目して制作されたのが、この作品といえるでしょう。

 光は物を明るく照らし出す一方で、その反対側に影を作ります。こうして光が当たる所、当たらない所ができ、同じ場所でも観客に見える部分と見えない部分とが創り出されていくのです。

 たとえば、画面の左下は暗くて、何があるのか全くわかりませんし、右下も、椅子の上に石油ケースが置かれていることぐらいしかわかりません。また、たくさんの縄が巻き付いているように見える太い柱のようなものも手前が影になっているので、実際には柱なのかどうかわかりません。

 このように、暗くて何があるのかわからないような影の部分は、画面に謎を創り出します。

 窓から射し込む陽射しが、室内を光と影で区分けしています。中央やや左の位置に、大きな面積を占めていながら、何なのかわからない影の部分があり、手前と上部にも影の部分があります。いずれも面積が大きく、暗くて何があるのかわからない状態です。

 影部分は画面に謎を持ち込み、ドラマティックな様相に転換させることができるのです。

 一方、これらの影部分は、雑然とした室内をすっきり見せる効果を果たしていました。左下と右下の影、中央左よりに柱のように立つ影、上部の影、これらが画面を単色で切り分け、雑多なモチーフで溢れた画面を整理し、安定させていることがわかります。

●郷-秋の陽に

 先ほどの作品では影になっていた部分がこの作品では明らかにされています。

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(図をクリックすると、拡大します)

 先ほどの作品では影になっていて、その正体がよくわかりませんでしたが、この作品を見ると、どうやら柱のようです。その柱に結び目のついた縄が多数、引っかけられているのがわかり、驚きます。足元には黄色のプラスティックケースや棒や金属製の筒のようなもの、壊れた窓枠のようなものなどが散乱しています。

 この作品では、窓から射し込む光によって、さまざまなものが浮き彫りにされており、はっきりと認識することができます。彩度を抑えて表現されているせいか、あらゆるものが色褪せて見えます。陽光に晒されてきた年月の長さを示しているのかもしれませんし、積もった埃を表しているのかもしれません。

 背後の棚には、プラスティックの小物入れ、金属製の本立て、木製の壊れたおもちゃのようなもの、古新聞の入ったごみ袋など、不用品が無造作に置かれています。描かれているモチーフはすべて、日常生活を支える小道具か、もはや生活に必要のなくなった廃品です。

 丁寧に描かれた多種多様の生活用品や道具類を見ていると、私たちがどれほど多くの物に支えられて生きているかがわかります。ところが、長年、人の生活を支えてきたそれらの物は、持ち主から使われなくなると、不用品として放置され、やがて色褪せ、埃にまみれていかざるを得ないことも見えてきました。

 興味深いのはプラスティック製品です。画面にもいくつか描かれていますが、時間の経過とともに色褪せることはあっても、壊れることはなく、形を残しています。どれほど多くの生活用品、小道具がプラスティックで生産され、そして廃品となっているかが示されていますが、これはほんの一端です。

 この作品には、現代社会の問題点の一つがさり気なく、提起されていました。

 さて、この作品の興味深いところは、丁寧に写実的に描かれていながら、使われることなく、放置された物の悲哀が捉えられていることでした。明暗、遠近法を使って立体感をもたせて描かれていながら、それらの印象がとてもフラットなのです。

 アップしてみると、こんなふうでした。

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(前掲一部。図をクリックすると拡大します)

 彩度を抑え、色数を制限して描かれているから、そう見えたのかもしれません。いずれにしても、現代社会が孕む空虚感がフラットな表現の中に込められていたのです。壊れたわけではなく、まだ機能は残っていても、使われなくなると、物はその生命を失い、輝きを失っていくことが、このフラットな描き方の中に示されていたといえるでしょう。

■能勢まゆ子氏の作品

 庭石をモチーフに、ありふれた日常生活の一端が優しく捉えられているのが印象的でした。京都府の画家、能勢まゆ子氏の作品です。

●爺ちゃんの庭 -朝日-

 おそらく、巨大な石がこの作品のメインモチーフなのでしょう。ところが、その周辺に小さく描かれた木々や花の方が強く印象づけられます。

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(図をクリックすると、拡大します)

 画面の大部分を巨大な庭石が占めています。見た途端に目に入るのはこの大きな石ですが、やがて画面左に小さく描かれた千両の赤に目が引かれます。赤色だからでしょうか、それとも、千両がお正月の縁起物だからでしょうか。

 その千両が大きな石にそっと寄り添うように、赤い実をつけています。小さな実は陽光を受けて艶やかに光り、その上を見ると、葉もまた明るい輝きを見せています。いずれも小さいながら、強い生命力を感じさせられます。

 よく見ると、千両と石の描き方は異なっていました。

こちら →
(前掲、部分。図をクリックすると、拡大します)

 この石には、まるで砂で出来ているような粗い感触があります。年月を経て、表面に凹凸ができ、陰影ができています。粗さを残したまま風格のある石に変化していったように見えます。青系、褐色系、黄土系など多様な色が使われており、その中に、この巨石がもつ歴史と風化過程が示されているように見えました。

●爺ちゃんの庭 -晦日-

 同じ庭の光景を別の角度から捉えたのがこの作品です。

こちら →
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 やや上方から至近距離で、モチーフが捉えられています。大きな庭石に沿って、千両の実や二葉葵の葉が丁寧に描かれています。穏やかな陽光を受けて、色艶よく、生命力をたぎらせているように見えます。

 きめ細かく丁寧に描かれた葉や実を見て居ると、葉の一枚一枚、実の一つ一つに生命が宿っているのがわかります。石の背後には竹垣が設えており、庭の一隅で展開されるそれぞれの生の営みを、優しく見守って来た「爺ちゃん」の存在を感じることができます。

 これら二つの作品の直接のモチーフは庭石や千両や二葉葵ですが、その背後から、丹精込めて育ててきた「爺ちゃん」の日常が透けて見えてきます。

 朝、太陽が昇って陽光が射し込むと、葉や花の営みが輝きを増していきます。それらを通して見えてくるのが、ささやかな幸せです。画面を見ているだけで、その背景を想像することができ、ほのぼのとした気持ちにさせられます。

■ありふれた生活空間の中で、光はどう捉えられたか

 第85回新制作展で印象に残ったのが、日常生活の中の光を取り上げた作品でした。3人の作家の作品をそれぞれ2点、取り上げてみました。どの作品も、奇をてらうことなく、見たままの光景が、淡々と描かれているだけのように見えました。

 ところが、その何気ない光景の中で、光はさまざまな効果を発揮し、画面を魅力あるものに変えていたことが、それぞれの作品の中で表現されていました。

 たとえば、関谷氏の作品からは、光には幻想を生み出す力があることを感じさせられました。《朝の光》では、逆光が障子戸に浮かび上がらせたシルエットのラインが、限りなく優しく、穏やかでした。逆光の鋭角的なラインが障子戸を通すことによって、朧気で、柔らかなラインに変化していたのです。現実の光景がファンタジックに捉え直されており、魅力的な画面になっていました。

 一方、陽光は射し込む角度によって、シルエットの形を変えていきます。そこに着目して制作されたのが、《午後の光》でした。午後の光が、ガラス窓越しに長いシルエットを作り出し、それが、日常生活の中に幻想的な空間を作り出していたのです。

 ジュータンに直に置かれたガラスの花瓶も花もかすんでしまうほど、異様に長く伸びたシルエットの群れが鋭角的に表現されており、興趣が感じられました。ありふれた日常生活に訪れる一瞬の美を見逃さず、その妙味を捉えた作家の感性が素晴らしいと思いました。

 中村葉子氏の作品からは、光が時に、ありふれた日常の光景をドラマティックに演出することを知らされました。光は、照らし出された領域とそうでない領域とに空間を分断します。その点に着目して制作されたのが、《郷‐晩秋の頃》です。

 窓越しに射し込む陽光が小屋の中を明暗で区分けし、物の形を認識できる領域と暗くて認識できない領域とに二分された世界が提示されます。

 手前と背後、そして中ほどの柱のような部分が暗く、中ほどの光が射し込む領域とが明確に分断されているのです。とくに手前と中ほどの柱の辺りが暗く、室内の様子がドラマティックに構成されているのが興味深く思えました。

 ありふれた日常の光景なのに、光がもたらす明暗によって二分された途端に、観客をドラマティックな世界に誘うのです。暗い影は、物や人の存在を隠してしまうからこそ、不安をかき立て、好奇心を喚起します。影部分の設定は、ドラマティックな世界を創る要素の一つなのだと認識させられました。

 《郷‐秋の陽に》では、光が当たっている領域が主に描かれていました。この作品を見て、改めて、暗い影の画面上の効果がわかりました。

 暗い影は、画面にメリハリをつけ、奥行きを感じさせる一方、観客の好奇心をそそり、なんらかの反応を引き起こします。その結果、観客の気持ちをかきたて、作品への関与を高めるのではないかとこの作品をみて、思いました。

 この作品で印象的だったのは、光が当たった箇所が写実的に描かれながらも、リアリティが感じられないほど、フラットに見えたことでした。現実味を喪失させるほどの平板さが見られたのです。

 これら二つの作品によって、光と影の果たす効果を知ることができました。

 能勢まゆ子氏の作品からは、ドラマティックでなければ、ファンタジックでもない日常の一場面でも、観客の想像力を刺激する仕掛けを画面に埋め込むことによって、訴求力が生まれることを知らされました。

 三者三様の光の捉え方をみてくると、改めて、光は絵画にとって古くて新しいテーマなのだと思わせられます。光と影、モチーフ、構図、それぞれの関係については、依然として新しい発見があり、気づきがあることがわかりました。(2022/10/11 香取淳子)

第85回新制作展に見る百花繚乱 ①新たな表現の地平

■第85回新制作展の開催

 第85回新制作展が国立新美術館で開催されています。開催期間は2022年9月21日から10月3日までです。

 会場の出口辺りにポスターが置かれていました。会員である金森宰司氏の作品《ライフ「ビート」》が使用されています。

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 私は9月28日に行ってきました。2Fの2A、2B、3Fの3A、3Bが絵画部門の展示会場になっていました。

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 初めて見る公募展でしたが、そのスケールの大きさに圧倒されてしまいました。作品サイズが大きいというだけではなく、レベルが非常に高いのです。どのような応募規定で、どのような審査基準なのか、興味を覚えてしまいます。

 帰宅してから、HPを見てみると、応募規定等については次のように規定されていました。

こちら → https://www.shinseisaku.net/wp/archives/24691

 絵画部門では、サイズと年齢によって、以下のように、4部門に分かれて審査されます。

① カテゴリー1(H140㎝×W140㎝×D30㎝(該当木枠60号以内)、
② カテゴリーⅡ(H205㎝×W205㎝×D30㎝(該当木枠130~80号以内)、
③ カテゴリーⅢ(H300㎝×W300㎝×D30㎝(該当木枠300号~150号以内)、
④ データ審査(30歳以下、1992年以降生まれ)、または国外在住外国人(年齢制限なし)

 会場に入ってまず驚いたのが、作品サイズの大きいことでしたが、サイズの規程が最低で60号、最大で300号ですから、会場の壁面が圧倒的に大きな作品で埋め尽くされていたのも当然でした。

 それでは入選作品のご紹介を始めていくことにしましょう。素晴らしい作品が数多く、足を止めて見入ってしまったことが何度もありました。そんな中で、今回はとくに、表現方法で新鮮さを覚えた作品を取り上げ、ご紹介していくことにしたいと思います。

 なお、入選作品の場合、サイズについての記載がなかったので、ご紹介する作品については、タイトルと作家名のみ記しておきます。いずれも巨大な作品だったことを報告しておきます。

■イースターの休日

 ちぎり絵のような表現が面白いと思い、足を止めて見入ったのが、《イースターの休日》という作品です。作家は京都府の八木佳子氏です。

こちら →
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 都会の街角を歩く人々が描かれています。手前で右方向に歩いていくのは地元の人々なのでしょう、スーツケースを持っておらず、軽装です。左側に太った女性、真ん中に2人の若い女性、そして、右側にリュックを背負った高齢の男性、手前に4人の男女が描かれています。この作品のメインモチーフです。

 いずれも雑誌のページを引きちぎって張り付けたように描かれているのですが、写実的に描くよりもはるかに的確に、イメージを喚起するように表現されているのに驚きました。

 例えば、左側の女性は、スーツケースを押して行く旅行者たちを見ながら、歩いています。好奇心旺盛で、太っているわりには歩幅は大きく、軽快に歩いている様子がわかります。真ん中の二人は、話に夢中になっているのでしょうか、旅行者を気にもしていません。そして、右側の高齢者は用心深くゆっくりとうつむきながら歩いており、周りに注意を払っているようには見えません。自分のことで精いっぱいなのでしょう。

 ふと、何故、この作品のタイトルが「イースターの休日」なのか、気になってきました。

 帰宅して調べてみると、処刑されたキリストが復活したのを記念して、イースターの休暇が生まれたとされています。毎年、決まった日にちで行われるのではないそうで、2022年は4月17日の日曜日だったそうです(※ Wikipedia)。

 だとすると、スーツケースを引く旅行者は、「イースターの休日」を示すためのモチーフだったのでしょうか。

 それにしては、彼らの存在感が希薄です。この作品は、前景にちぎり絵風に描かれた4人、中景に水彩画風に描かれた3人の旅行者、そして塀を挟んで、遠景にビルといった画面構成になっています。いかにも都会にありそうな風景が切り取られているのです。

 ところが、前景以外はすべて水彩画風に表現されています。つまり、前景以外はすべて、都会の一角を印象づけるための背景として処理されているのです。スーツを引く旅行者といっても、背後のビルと同様、前景の4人を引き立てるための小道具にすぎないのです。

 この作品を見たとき、都会的で軽快、現代的な感覚に満ち溢れているように思えました。透明感があり、リズミカルでもあります。なぜそう思ったのかといえば、ちぎり絵風の描き方がメインモチーフに採用されていたからです。

 画面すべてをちぎり絵風の描き方をしなかったせいか、前景のちぎり絵風の表現がとても目立ちます。ちぎった紙の端の白い部分が、細かな輪郭線を数多く創り出しており、それがモチーフの色表現に大きな影響を与えていました。モチーフを構成するすべての色にわずかな白が加わることによって、明るく軽快で、都会的、洗練された雰囲気が醸し出されているのです。

 雑誌から切り取った紙切れには、アルファベット文字が印刷されているものがあったのでしょう。それらが髪の毛やワンピースや短いスカートやズボンに取り入れられ、ユニークでオシャレなファッションが創り出されているように見えました。

 例えば、左側の太った女性は白地に黄土色、黒の模様の入ったワンピースを着ているように見えますが、おそらく、文字の入ったページを切り取ったものなのでしょう。

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 黄土色、白、黒、茶色で構成されたページを切り取り、文字部分を模様として活かしながら、衣服、髪の毛、靴、タイツに変身させています。

 何故、都会的で洗練されたイメージがあるのかといえば、おそらく、すでに雑誌のページで確認された色バランスを、そのまま持ち込んでモチーフが造形されていたからでしょう。そして、紙をちぎってできる切れ端の白が、輪郭線として機能する一方、主張する色と色の確執を抑え、洗練の度合いを高めていたように見えました。

 メインモチーフに限定してちぎり絵風の画法を導入したからこそ、この画法の訴求力、あるいは画題とのマッチングが際立ったのでしょう。新たな表現の地平が拓かれたような気がします。

■不語仙

 巨大な画面に、何か得体の知れない造形物が描かれています。《不語仙》というタイトルでしたが、タイトルの意味も分からなければ、描かれている造形物が何なのかもわかりませんでした。作家は兵庫県の中川久氏です。

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 下の作品が《不語仙 氷の声聞く》で、上が《不語仙 風の声聞く》です。二つの作品のタイトルを見ると、《不語仙》という語は同じですが、サブタイトルが異なっていますから、別作品と考えていいのでしょう。

 まずは、《不語仙 氷の声聞く》から見ていくことにしましょう。

こちら →
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 巨大な作品でありながら、精緻な筆致が異彩を放っていました。

 最初、このモチーフは枯れた葉が絡まって何かに引っかかっているのかと思っていましたが、どうも変です。枯れた植物だろうということはわかるのですが、モチーフの背景に描かれているものが何なのかよくわかりません。モチーフと背景がどう関係しているのかが見えてこず、手掛かりを掴むことができなかったのです。

 そもそも、《不語仙》という言葉がわかりませんでした。

 再び、背景をよく見ると、表面にさざ波のようなものが立っており、不透明の灰色で覆われています。一部、暗い部分があったので、そこに、何かがうごめいているようにも見えました。ただ、表面はなめらかに動いているように見えるので、モチーフの背後にあるものは川か水溜まりの可能性があります。

 ところが、川にしては魚のいる気配はないし、藻のようなものもありません。水溜まりにしては広すぎるし、深すぎました。

 しげしげとしばらく見続けて、ようやく、蓮の花が枯れた姿なのではないかと思い至りました。画面中ほどのモチーフが茎から下に垂れ下がりており、それが傘型をしていることに気づいたからでした。

 傘型に萎んだ形を見て、このモチーフが蓮の花が枯れ、茎から水に落ちそうになっている姿だと理解することができたのです。

 それでは、《不語仙 風の声聞く》を見ていくことにしましょう。

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こちらでも、真ん中のモチーフははっきりと、枯れた蓮の花だということがわかります。その後ろに見える枯れた蓮の花は、茎まで泥水に浸かって、変形しています。

 モチーフ3つは、手前から、枯れた葉、枯れて半分、泥水に浸かった蓮の花、そして、茎まで泥水に浸かって黒く変形した蓮の花、といった具合に、枯れて生命を終え、泥水の中に戻っていく3段階の過程が描かれていたのです。ふと、人の終末を連想させられました。

 生きていた世界から、枯れて、泥水に入り、別世界に向かっているプロセルそのものが描かれていたのです。

 画面の左上は泥煙が巻き上がって、濁っています。ところが、左下を見ると、石に張り付いた藻のようなものが揺らいでいます。泥水の中でありながら、まるで風に揺れているように見えます。泥水の中に所々、陽光がさしこんできているのでしょう、泥の中にぼんやりとした光が感じられます。やがて、おぼろながら光の筋が見えてきます。

 泥水の中の世界を、目を凝らして見ていると、藻が揺らぎ、海草がなびいているのが見え、聞こえるはずのない風の音すら聞こえてくるように思えてきます。

 興味深いことに、タイトルの《不語仙 氷の声聞く》も、《不語仙 風の声聞く》も、「音を聞く」ではなく、「声聞く」と表現されています。

 通常、「氷の割れる音を聞く」であり、「風の吹く音を聞く」のはずですが、「声を聞く」でもなく、「声聞く」と言い表されているのです。このようなタイトルの表現に、中川氏の感性、自然の捉え方、関わり方が見えてきます。

 自然を客体化せず、その中に包まれる存在として捉え、共に生き、関わってこられたのでしょう。だからこそ、中川氏には氷の割れる音や風の吹く音を自然の声として聞こえるのでしょう。

 中川氏は泥水に沈んでいく枯れた蓮の花をモチーフにこの連作を手掛け、枯れた後にも居場所はあることを示そうとしていたのではないでしょうか。

 蓮の花は泥水の中から生まれるといわれます。ところが、中川氏はこれら二つの作品で、枯れた蓮の花を描き、やがて泥水の中に沈んでいく過程を描いています。連作を通して、死の行く末を示唆しているのです。

 この作品には他の作品とは異なる吸引力のようなものがありました。たとえ何が描かれているかわからなくても、じっと見続けさせる力があったのです。

 得体が知れず、謎めいたモチーフが繊細で精緻な筆遣いで描かれていると、大抵の人は、その画面に惹きつけられ、見入ってしまうことでしょう。理解したいという衝動に駆られるからですが、タイトルや構図を容易に推察されないようなものにしておくと、理解は進まず、観客の関与はより深く、強くなります。

 コンセプトが明確で、確かな画力があって、モチーフや構図が戦略的に組み立てられていれば、一定数の観客を魅了することが出来るのではないかと思います。新たな表現の地平に、コンセプトや哲学が必要になってきているように思いました。

 帰宅して調べてみて、「不語仙」が「蓮の花の異称」だということを知りました。言葉の由来はわかりませんが、「蓮の花」よりもはるかに含蓄のある言葉だと思いました。

■神磐

 海水の煌めきの表現が素晴らしく、つい、見入ってしまいました。《神磐》というタイトルの連作です。下に描かれているのが《神磐Ⅱ》、上に描かれているのが《神磐1》です。手掛けた作家は愛知県の藤川妃都美氏です。

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 繊細で精緻な表現力に驚き、見入ってしまったのですが、これらのモチーフが何を意味しているのか、作者が何を言おうとしているのか、皆目わかりませんでした。そもそも《神磐》というタイトルすら、わかりません。

 ただ、どちらの作品にも、巨大な画面に巨大な亀が描かれ、亀の真上に、海辺で群れを成す巨石群が描かれていることが共通しています。異なるモチーフが上下に分かれて描かれているのです。

 このような構図、構成の作品は初めて見ました。

 大きすぎるので、つい、下に設置されている方を見てしまいましたが、《神磐》というタイトルに、Ⅰ、Ⅱと番号を振られていることを思えば、順序通り見ていく必要があるのでしょう。

まず、《神磐1》からみていくことにしましょう。

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 上部に海辺の巨石が描かれ、下部に亀が描かれています。上部に描かれた巨石は亀の手指のような形をしています。その背後には同じような奇妙な形をした石が転がっています。その下には海があり、海は巨石や山並みを映し出す一方、晴れ渡った空も映し出しています。空に奇妙なものが浮かんでいるのが映っていますが、それが何かはわかりません。

 下部の亀は上部の様子を窺うように、動かずにじっとしています。海から射し込んだ陽光を受けて、辺り一面はさざ波の模様で覆われています。そのような中で、亀は手をつき、やや身をよじった姿勢をとっており、生きているように見えます。

 次に、《神磐Ⅱ》を見てみることにしましょう。

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 下部のモチーフは最初、亀だと思ったのですが、ひょっとしたが、岩かもしれません。所々に苔のようなものがついており、向かって右の手には、まるで足裏をひっくり返したかのように丸い模様が入っています。

 上部を見ると、巨石群が左右対称に真っ二つに分かれていて、ちょっと不自然です。さざ波の立ち方にも違和感があります。下部の亀の磁力が強く、その真上を真っ二つに割っただけではなく、波の動きまで狂わせてしまったのでしょうか。

 亀の真上のセンターラインに沿って海上を進むと、洞窟の入り口に辿り着き、その中央に偶像のようなものが設置されているのです。だとすると、この亀は神の化身なのでしょうか。

 そういえば、この連作のタイトルは《神磐》でした。この作品の新しさは、画面を上下に分け、時間、空間の異なる層で関連するモチーフを組み込み、画面を層化して構成していたことでしょう。一枚の画面では表現しきれない新たな表現の地平を感じさせられます。

■百花繚乱を支える審査方法

 第85回新制作展に参加し、数多くの力作を目にしました。サイズの大きな作品が多く、しかも、レベルが非常に高いのが印象的でした。会員の作品が素晴らしいのはもちろんですが、入選作品の中に斬新なものが多々、見られたのが興味深く思えました。

 そこで、気になったのが、応募作品の審査方法です。HPを見ると、審査及び賞については、次のように決められていました。

「審査は本協会会員がこれに当たる。優秀作品には協会賞、新作家賞を贈る。
受賞者には、当協会各部主催の受賞作家展が企画される。」

 審査は「新制作」の全会員が担当するというのです。冒頭でお知らせしましたように、「新制作」では募集作品を4つのカテゴリーに分けていました。それは、自分に合ったサイズで応募し、作品のサイズごとに丁寧に審査してもらうためでした。

 具体的な審査方法は、次のようになっていました。
 
 応募者の氏名は伏せられ、作品が一人分ずつ(何点応募してもいい)審査会場に運ばれます。それを見て、会員が1点ずつ入落の挙手をするのです(※『2022年新制作手帖』)。

 今回、私は会場で諸作品を見て、どの作品も圧倒的にレベルが高いと驚いてしまったのですが、それには、このような審査方法が関係しているのかもしれません。長年、絵画制作に励み、境地を切り拓いてきた会員たちがそれぞれ、作品サイズごとに丁寧に審査するのですから、入落の基準が高く維持されてきたのも当然かもしれません。

『2022年新制作手帖』には、「新制作では、芸術性を尊重し、それに基づく平等性を大切にしています」と書かれていました。様々な可能性に対し、門戸を大きく開いておくという姿勢です。

 確かに、この審査方法を採れば、審査員の嗜好性によるバイヤスを回避できますし、絵画の可能性、表現の可能性に対する見落としを減少させることができるでしょう。審査が応募者と会員の切磋琢磨の場になっているのかもしれません。

 ふと、「見巧者」という言葉を思い出しました。芝居に関する言葉ですが、絵画にも通用するような気がしました。目の肥えた「見巧者」に見てもらって、適切な批評をもらうことで芸に磨きがかかるという見方です。

 今回、新制作が会員全員による審査方法を採用し、作品サイズ別に応募を受け付けていることを知りました。この方法なら、様々な表現の可能性を排除することなく、しかも、丁寧に審査してもられるメリットがあると思いました(2022/9/30 香取淳子)。

「近藤オリガ展」が開催されます。

■「近藤オリガ展」の開催

 後10日ほどで、「近藤オリガ展」が開催されます。

 開催期間は、2022年8月3日(水)から15日(月)(8月9日は休廊)まで、開催時間は10:00から18:00(最終日は16:00)まで、開催場所は、「ギャラリーNEW新九郎」(0465-20-5664)です。

 是非とも、ご鑑賞いただければと思い、ご案内致します。
 
 近藤オリガ氏は、現在、日本で活躍中の、ベラルーシ出身の画家です。

 ベラルーシ国立美術大学を卒業後、1980年代はベラルーシ国内および東欧で個展、グループ展で作品を多数発表し、数多く受賞しています。

 1988年には、ベラルーシ美術家連盟の会員になりました。1990年代は、西欧にも活動の幅を広げ、とくにドイツで は1995年以降、各地で個展を開催してきました。

 2007年以降、活動の舞台を日本に移しました。さまざまな賞を受賞し、大きな評価を得ています。

こちら → https://www.olgakondo.com/top/jp/prof/

 私は2016年に開催された「絵画のゆくえ2016:FACE受賞作家展」で、初めて、オリガ氏の作品に出会いました。以来、その画風の虜になってしまいました。

 オリガ氏の作品の一端をご紹介しておきましょう。

こちら → https://www.olgakondo.com/top/jp/work-1/

 いずれもモチーフは新古典主義的リアリズムで捉えられ、背景には暗色のグラデーションが何層も施され、神秘的で、幻想的な世界が創り出されています。

 画面を見ていると、魂が大きく揺さぶられる思いがします。

■ひまわり

 私が感銘を受けた作品の一つに、《ひまわり―福島への祈りー》(2012年)があります。

こちら →
(油彩、カンヴァス、130×162㎝、2012年。図をクリックすると、拡大します))

 この作品についてオリガ氏は、特別の思いを抱いておられるようでした。

 2011年の福島原発事故は、ベラルーシ出身のオリガ氏にとって相当、ショックな出来事でした。というのも1986年のチェルノブイリ原発事故でもっとも被害を受けたのがベラルーシだったからです。

 福島原発事故が起こったとき、オリガ氏はたまたま、ベラルーシに戻っていたそうですが、当時の記憶がすぐ甦り、日本が心配でたまらずドイツ経由ですぐに戻ってきたそうです。当時、成田空港は日本から脱出する外国人で溢れていたというのに、彼女はわざわざ日本に戻ってきたのです。

 この作品について、オリガ氏は、「ベラルーシの草原に咲いていたひまわりを持ち帰り、福島の復興を祈って、描いた」と語っておられました。

 何故かと言えば、ひまわりはタネが多く、タネが落ちれば、そこから多くの芽が出て、新しい命が育まれるからでした。

 福島の再生を祈って、この絵が描かれたのです。

 このエピソードからは、オリガ氏が、傷ついた者に寄り添い、痛みを分かち合おうとする繊細で豊かな感性の持ち主だということがわかります。

 そういえば、ひまわりの世界最大の産地がウクライナでした。

■ウクライナの現在

 2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻しました。何故、そのような事態になったのかはわかりませんが、多くの人々が傷つき、苦しんでいることは事実です。

 地図で見ると、ウクライナとロシア、ベラルーシは隣同士の国です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 オリガ氏の故郷は今、紛争のさ中にある国と隣り合わせなのです。日々、報道される悲惨な状況を知って、オリガ氏は、どれほど悲しみ、苦しんでおられることでしょう。

 オリガ氏が福島の復興を願って、《ひまわり―福島への祈りー》を描いてくださったように、私も、一日も早いこの紛争の終結を願わずにはいられません。

 そう思いながら、河辺を歩いていると、ひまわりが一輪、大きな木の下で咲いているのが目に留まりました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 背後に見える空はどんよりとした曇り空です。まるで、ウクライナとロシアの間の紛争を憂えているかのようです。

 空がすっかり晴れ渡り、ひまわりが大きく風に揺れ、人々の目を楽しませてくれるのは一体、いつになるのでしょうか。一日も早い平和の訪れを祈ります。

 さて、オリガ氏は今回の展覧会で、どのような作品を見せてくれるのでしょうか。

 最後に、展覧会の場所がわかりにくいかもしれませんので、パンフレットの案内図を載せておくことにしましょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 久しぶりに、展覧会場で作品の前で佇み、静かに自分を見つめ直す時間を持てるのを楽しみにしています。(2022/7/23 香取淳子)

第53回練馬区民美術展に出品しました。

■第53回練馬区民美術展の開催

第53回練馬区民美術展が、2021年12月18日(土)から12月26(日)まで、練馬区民美術館で開催されました。


(図をクリックすると、拡大します)

第53回は、例年と違って、年末に開催されました。というのも、第52回は例年通り、2021年2月3日からの一週間、開催されたのですが、コロナのため、作品の展示のみで、審査が行われなかったからです。

コロナの収束を待って、年内にもう一度、ということで、第53回の開催時期が年末になったのでした。

もっとも、第52回は審査が行われなかったので、キャンセルする人が何人かいたのでしょう。実は、私も申し込みはしていたのですが、キャンセルしました。キャンセルした作品を今回、出品したのですが、そうでない人は、年に二度も展覧会に出品できるだけの作品を制作しなければならず、大変だったと思います。

今回、油彩画部門は例年に比べ、出品数が相当、少なかったような気がしますが、おそらく、そのせいでしょう。

さて、今回、私はF20号の油彩画、《虹》を出品しました。


(油彩、カンヴァス、60.6×72.7㎝、2021年)(図をクリックすると、拡大します)

スマホで慌てて撮ったせいか、写真がぼやけてしまいました。しかも、会場の照明がアクリル面に映り込んでいます。見苦しい写真になってしまったことをご了承ください。

■なぜ、《虹》を描いたか。

まず、なぜ、《虹》というタイトルの作品を出品したかということについて、少しお話をしておきたいと思います。

昨今、気象変動のせいで、世界各地で大水害が絶えません。集中豪雨のせいで水害が多発していますが、その都度、スマホで撮影された動画がネットにアップされます。そのような動画をユーチューブで見るたび、心が痛む思いをしていました。

当事者が撮影した映像なので、生々しい現場の様子が手に取るようにわかります。家々や木々、橋、車など、ありとあらゆるものが次々と、大きな濁流にのみ込まれていく様子をリアルタイムで見ていると、人間の非力さを実感せずにはいられませんでした。

その後、被災地の人々はどうなってしまったのでしょうか。とくに気になったのが、三峡ダム周辺で発生した豪雨と洪水です。被害の規模があまりにも巨大で、想像を絶するほどでした。

被災地からの動画を見るたびに、大災害にめげず、なんとか復興にこぎつけてほしいと願わずにはいられませんでした。そして、私にできることがあるとすれば、それは何なのか・・・、と考えるようになりました。

ふと、思いついたのが、水が引いた後、空に架かる虹を描くことでした。あれだけの集中豪雨だと、ひょっとしたら、空に虹がかかるかもしれません。それを描いてみたらどうだろうと思ったのです。

もちろん、実際に虹がかからなくても構いません。

単なる雨上がりの後でも、空に虹がかかっているのを見ると、ちょっと晴れやかな気分になります。豪雨や大洪水を経験したような人なら、大空にかかる虹を見た時、どれほど感動するだろうかと想像してみたのです。

■祈りを込めて

被災地の人々は大切な人、これまで大切にしてきた物をある日突然、失ってしまったのです。どれほど悲嘆にくれたことでしょう。時には、気持ちの拠り所を失い、何も考えられずに、生きる気力すら失ってしまいかねないこともあったでしょう。

大きな喪失感を埋め、生きる希望を見失わないために、何をすればいいのだろうかと考えてみました。行きついた先が祈りでした。そして、そういう状況を画面で表現してみたいと思いました。

そこで、虹のかかる風景の前に女性を配置してみました。後方上からライトを当てて、撮影した女性像です。


(図をクリックすると、拡大します)

この女性像を真ん中に置いてみると、豪雨が上がった後の荒涼たる風景に、安らぎが訪れるような気がします。

おそらく、被災地の多くがこのように荒涼とした風景に変貌してしまっているのでしょう。わずかに残った木々以外は、何もかも押し流されてしまい、巨大な岩石だけの殺風景な光景になっているのではないかと思います。

それだけに、被災地の人々には、現状を乗り越え、生きていくための気力が必要になってきます。共に祈り、祈ることによって癒され、安寧の気持ちを得られるような存在が欠かせなくなるでしょう。

私は、女性像にそのような思いを込め、画面構成をしました。

何度も手直しして描いているうちに、この女性の顔面に、苦悩と安らぎ、癒しの表情が出てきたように思えました。鎮魂のため、生き抜く気力と気持ちの安らぎを得るために祈る、ひたすら祈る・・・、そのような気持ちからこの絵を描きました。

ふと、思い立って、虹を描いた作品にどのようなものがあるのか調べてみました。

私が興味深いと思ったのが、《虹のある風景》(ルーベンス、1632-35年頃)、《バターミア湖の虹》(ターナー、1798年)、そして、《虹かかる》(山下清、制作年不詳)です。この三作品をみてみることにしましょう。

■ルーベンス《虹のある風景》

調べてみると、ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577-1640)が《虹のある風景》という作品を制作していることがわかりました。


(油彩、カンヴァス、86×130㎝、1632-35年頃、エルミタージュ美術館)(図をクリックすると、拡大します)

画面の手前に馬車に乗った男、農婦、放牧された牛と馬が描かれています。中ほどの川辺では、男が棒のようなものを持って、何かを捉えようとしています。右手には林が広がり、左手にも木々が見えます。林の背後には小高い丘のようなものが見え、そこから右にかけて大きな虹がかかっています。

この作品では、牧歌的な田園風景の中に、虹が組み込まれていました。そのせいか、農民の生活風景を描いたにすぎないこの作品に、厳かな輝きが添えられています。木々の描き方に古典主義的な画法を感じさせる一方、農民の生活風景を捉えたところにフランドル派の面影が見えます。

一方、風景画家ターナーが描いた虹は、一種独特の趣がありました。

■ターナー《バターミア湖の虹》

ターナー(J. M. W. Turner, 1775-1851)が、バターミア湖に架かる虹を描いています。


(油彩、カンヴァス、サイズ不詳、1798年、テート・コレクション)(図をクリックすると、拡大します)

湖面から傍の山にかかった虹が描かれています。七色といわれる虹ですが、黄色がかった白色でぼんやりと描かれているせいか、とても幻想的な画面になっています。

湖面に近いところだけが明るく、そこが光源のようになって、周囲を照らし出しています。自然の持つ峻厳さ、崇高さ、人間には及ばない力が、この画面からは強く感じられます。手前にごく小さく、小舟に乗っている人が描かれていますが、風景の中に埋没してしまっています。

色数を抑え、水墨画のように幻想的な世界を創り出しているところに、ロマン主義的な風合いを感じさせられます。

■山下清《虹かかる》

山下清がこのような作品を描いているとは思いもしませんでした。気どりも何もない、素朴な画面でいながら、心惹かれる作品でした。


(油彩、カンヴァス、40.0×50.0㎝、制作年不詳、所蔵先不詳)(図をクリックすると、拡大します)

この画面を見て、まず目につくのが、左側の大きな滝です。大量の水が流れ落ち、白く泡立って見える様子が描かれています。下の方は水蒸気でけぶって、岩の形がぼんやりとしています。

手前には大きな岩がゴロゴロを転がり、その上にうっすらと虹がかかっています。手前から右端へと、赤、黄色、水色で淡い弧を描くように、虹が描かれています。

虹の背後の右奥にはダムのようなものが描かれ、そこから大量の水が流れ落ちています。その上の空を見上げると、所々、わずかな晴れ間を残し、広く、雲で覆われています。

虹そのものを見つめ、その本質を捉えた作品だと思いました。

■画題としての《虹》

今回、私は画題として「虹」を選びました。それは集中豪雨、洪水などで被災された方々への鎮魂の思いを表したかったからです。その思いが的確に表現できたかどうかはわかりませんが、これを契機に過去の作品を調べたところ、これまで様々な画家が、虹を画題にしてきたことがわかりました。

ルーベンスの場合、農村の生活風景を輝かしく見せる要素として、虹を使っているように思えました。あくまでも背景的要素の一つとして取り上げていたのです。

一方、ターナーは、虹を使って、人間の及ばない異次元の世界を表現していました。虹や虹を取り巻く環境は、水蒸気の機能や特性を踏まえて構成されており、幻想的な絵画空間が創出されていました。

虹の本質を踏まえ、描かれていたのが山下清の作品でした。虹が水蒸気と太陽光によってできることが、的確に表現されていたのです。滝とダム、空一面の雲、そして転がる岩石などのレイアウトは、一見、稚拙に見えますが、原初的なエネルギーを感じさせられました。

「虹」を背景的要素の一つとして活用するのか、「虹」そのものを観察し、画題とするかによって違ってくるのでしょう。いずれにしても、さまざまな要素を併せ持つ「虹」は、画題として興味深いものがあると思いました。(2021/12/30 香取淳子)

コロナの時代、大型企画展はどうなるのか

■美術館の休館
 思い返せば、2月27日、国立新美術館で開催されていた「五美大展」に行く予定でした。どんな若い才能と出会えるのか、毎年このころになると、美大生たちの成果を鑑賞できるのが楽しみでした。ところが、当日、都合が悪くなって、29日に予定を変更したところ、コロナのせいで、運悪く、その日から休館になってしまいました。

 東京都の場合、多くの美術館が2月29日から休館になっています。

こちら → https://www.museum.or.jp/special/korona

 緊急事態宣言が全国的に解除になったのは5月25日でしたが、東京都の場合、緊急事態措置は5月31日まで延長されています。

こちら → https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/1007617/1007817.html

 国立新美術館の場合、6月11日には再開されました。これで美術館に行くことはできるのですが、行きたくなるような展覧会もなく、以来、しばらく美術館には足を運んでいませんでした。コロナ騒動はまだ収まっておらず、出かけようという気になれなかったのです。

 重い腰をあげ、ようやく出かけたのが、7月下旬、近くの練馬区立美術館です。

 練馬区立美術館では、開館35周年企画ということで、一風変わった企画展が開催されていました。区役所でそのチラシを手にしたとき、久しぶりに展覧会に行ってみたいという気持ちになりました。チラシに掲載されている作品を見て、久しぶりに、この目で見たいという衝動に駆られたのです。

 練馬区立美術館は、自宅からは徒歩15分ほどの距離にあります。ですから、感染を気にすることなく出かけられるという気安さもありました。

■コロナで阻まれた美術鑑賞
 ここ数年、ほぼ一か月に一回は目ぼしい展覧会を探し、美術館、画廊、デパートのギャラリーなどに出かけていました。美術鑑賞は恰好の気晴らしになりますし、知的刺激を与えてくれる娯楽でもありました。いつの間にか、美術館に出かけ、作品を鑑賞することが習慣になっていたのです。

 ところが、今回のコロナ騒動で数か月のブランクが生まれました。その結果、どこでどんな展覧会が開催されているのか、まったく気にならなくなってしまったのです。美術鑑賞の習慣を取り戻すのは容易ではないことがわかりました。

 美術館に出かけるには通常、電車に乗らなければならず、密閉した車内で不特定多数と空間を共にします。会場に着いても、不特定の人々と空間を共有しなければならないことに変わりはありません。鑑賞者の中には保菌者がいないとも限りませんし、マスク着用者ばかりの中では落ち着いて鑑賞する気にもなれません。一定の距離を保って鑑賞しなければならないのも不自由です。

 美術館への道中がコロナ禍を機に、感染への懸念に置き換わってしまいました。鑑賞の楽しみよりも、電車に乗り、会場に出かけることのリスクを気にかけるようになったのです。改めて、美術館に行くことは「不要不急の外出」に相当するのだと思い知らされました。

 このような経験はおそらく、私だけではないでしょう。美術館、映画館、劇場など、観客を相手にする芸術・娯楽はすべて、このような観客の態度変容の憂き目にあっているのではないかと思います。

■美術館に入場するには
 6月に入ると、美術館も再開されるようになりました。とはいえ、事前予約制になっているところが増えており、感染対策として入場者制限が避けられなくなっていることがわかります。

こちら → https://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2020/06/tokyo_reopen.html
 
 マスクを着用していなければ、入館できず、入館時には検温され、37.5度以上あれば、入館できません。もちろん、館内ではソーシャル・ディスタンスを保って鑑賞するよう、規制されています。中には、渋谷区松濤美術館のように、入館時に氏名、連絡先を記入しなければならないところもあります。

こちら → https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/22017
 
 これまでどおり美術館や画廊、ギャラリーで鑑賞できるようになったとはいえ、観客には、事前予約、入場時の検温、マスク着用、ソーシャル・ディスタンスの確保などが強いられます。これまでのように気軽に行けなくなってしまい、敷居が高くなったような気がします。
 
 一方、美術館、画廊、ギャラリー側にしてみれば、通常業務以外に、感染予防のための作業が増え、経費がかさみます。それなのに、入場者制限をしなければならず、収入の減少は避けられません。このような状態で、果たして、美術館、画廊、ギャラリーは経営していけるのか、ふと、心配になってきました。

■中止に追い込まれた「ボストン美術館 芸術×力」展
 2020年6月10日の日経新聞に、「3蜜回避で美術館の“大量動員至上主義”は変わるか」というタイトルの記事が掲載されていました。

 読んで、印象に残ったのは、今年予定されていた大型企画展が相次いで中止されたという箇所です。コロナ禍で憂き目に遭っているのは、国内の美術館だけではありません。海外の美術館もまた休館に追い込まれ、それが長引いて、展覧会のための作品輸送ができなくなっていたのです。

 たとえば、4月16日から7月5日までの期間、東京都美術館で開催予定だった「ボストン美術館 芸術×力」が中止に追い込まれています。

こちら → https://www.tobikan.jp/exhibition/2020_boston.html

 タイトルのすぐ下に、「日米両国の新型コロナウイルス感染拡大の影響のため、開催を中止いたしました」と書かれています。

 この展覧会は、3月半ばの時点では延期とされていました。主催者側は5月中旬の開催を目指し、関係者と調整していたようです。ところが、日米ともコロナ感染の拡大はとどまるところを知らず、結局は中止せざるをえなくなったようです。

 4月17日、開催中止のお知らせがホームページに掲載されました。

こちら → https://www.tobikan.jp/information/20200417_1.html

 主な原因は、作品輸送の目途が立たなかったことでした。今回の展覧会では、ボストン美術館が所蔵するコレクション約60点が展示される予定でした。ところが、アメリカでコロナ感染者が増大し、作品の輸送ができなくなってしまったのです。

 1876年に開館した同館は、古代エジプトから現代美術まで幅広い作品を収集しており、コレクション点数は50万点にも及ぶそうです。その中から選ばれた60点が来日する予定でした。日本で初めて鑑賞できる作品もあり、観客の期待も大きかったと思います。

「ボストン美術館 芸術×力」はいったい、どのような展覧会だったのでしょうか。

■初公開される日本の作品
 この展覧会のチラシを見ると、「チカラは、美を求めた」というキャッチコピーが、孔雀の絵の上にレイアウトされており、とてもインパクトがあります。

こちら → https://www.tobikan.jp/media/pdf/2019/boston_flier.pdf

 二羽の孔雀の隣に描かれているのは牡丹でしょうか。精緻な筆致と繊細な色遣いで豪華さと強靭さが表現されています。

 実は、これは、今回の展覧会で注目されていた作品の一つでした。江戸時代中期の大名・増山雪斎が描いた二幅一対の「孔雀図」です。チラシの表紙に使われていたのは、白と群青色の二羽の孔雀と赤と薄ピンクの牡丹が描かれているものでした。豪華絢爛という言葉がぴったりの絵柄です。

 開催されていれば、日本初公開となるはずでした。

 調べてみると、増山雪斎(1754-1819)は、三重県桑名市(現在)伊勢長島藩の第5代藩主で、48歳の時に家督を長男に譲り、その後は絵を描き、本草学の研究に邁進したとされています。

 元来、芸術家肌の為政者だったのでしょう。この作品は1801年に制作されていますから、雪斎が47歳の時に描かれたことになります。大名の余技とは思えないほど、素晴らしい出来栄えです。

 ひょっとしたら、この作品が素晴らしすぎたせいで、惜しげもなく藩主の座を捨て、絵筆を握ろうという気持ちになったのでしょうか。雪斎はこの一年後に、藩主の座を退き、絵画制作と本草学の研究に専念しています。

 日本の作品としては、この作品以外に、平安時代後期の「吉備大臣入唐絵巻」と鎌倉時代の「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」などの出品が予定されていました。いずれも日本に残っていれば国宝級といわれる絵巻です。こちらもチラシに使われており、「2020年、日本の宝里帰り」というキャッチコピーが付けられていました。

■芸術と権力者
 チラシの解説文には、「多くの権力者たちは、自らも芸術をたしなみ、またパトロンとして優れた芸術家を支援したほか、貴重な作品を収集しました」と書かれています。ちょっと気になる文言です。

 気になって調べてみると、増山雪斎は為政者でありながら、自身で絵を嗜み、絵師を超えるほどの技量で作品を制作していました。その一方で、藩士の春木南湖に絵を学ばせていました(※ http://www.photo-make.jp/hm_2/bird_tonosama_1.html)。優れた才能を見出しては支援していたのです。まさに、この展覧会のコンセプト、「チカラは、美を求めた」を例証しているといえます。

 さて、「ボストン美術館 芸術×力」展では、日本以外に、エジプト、ヨーロッパ、インド、中国などで制作された作品、約60点が展示される予定でした。

 具体的にどのような作品が選ばれていたのかわかりませんが、権力者と芸術作品との関係にスポットライトを当てて企画され、機能の面からその相互関係を読み取れるように組み立てられた展覧会だったのです。

 雪斎のように、為政者でありながら芸術を愛し、自ら創作に励んだばかりか、才能のある者を支援していた権力者もいるでしょうし、優れた作品のコレクションをし、自身の権力の正統性を傍証しようとしていた権力者がいたかもしれません。権力と芸術という観点からは想像力がさまざまに刺激され、物語をいくつも思い浮かべることができます。

 チラシを見ていると、あらためてこの展覧会が、これまでにない観点からの企画だったことを思い知らされます。芸術作品は、権力者が権力を誇示し、その正統性を視覚化する役割を担っていたというのです。展覧会のコンセプトが興味深く、観客の期待感を高めていたことでしょう。

 残念ながら、コロナのせいで、権力者と芸術作品との関係について考える機会が失われてしまいました。

■マスメディアと美術館連携の大型企画展
 何もこの展覧会に限りません。コロナのせいで開催中止、あるいは開催未定になった展覧会は数多くあります。

こちら → https://bijutsutecho.com/magazine/insight/21472

 「ボストン美術館 芸術×力」展は、東京都歴史文化財団、東京都美術館、ボストン美術館、日本テレビ放送網、BS日テレ、読売新聞社などが主催者として名を連ねています。きわめて大掛かりな展覧会だったことがわかります。

 4月20日から7月31日までの期間、チケットの払い戻しをしましたし、すでに制作してしまった図録やオリジナルグッズなどは、通信販売サイトで販売しています。

こちら → https://twitter.com/boston_2020/status/1280106850793295872

 図録は当然として、いったいどれだけのグッズが制作されていたのでしょうか。日テレポシュレのサイトから、オリジナルグッズを一覧してみましょう。

こちら → https://www.ntvshop.jp/shop/c/cboston/

 ノート、便箋、ポチ袋、シール等、37点(図録を含む)ものオリジナルグッズが開発され、販売されていました。展覧会が中止にならなければ数十万人が訪れ、会場で購入していたに違いない商品群です。

 美術館とマスメディアが連携して行う大型企画展が、いかに多数の観客を動員し、それに合わせたグッズ販売してきたかがわかります。

 大型企画展はもはや美術鑑賞の場というより、数十万規模を動員できるイベント会場になっていたといった方がいいでしょう。展覧会を成功させるには、話題先行でアクセスを増やし、グッズ販売につなげるには、マスメディアの協力が不可欠でした。

■企画から開幕までの道程
 産経新聞社事業本部・藤本聡エグゼクティブディレクターは、「怖い絵展」、「フェルメール展」、「ゴッホ展」などに関わった経験から、「美術展の企画から実施までの道程は極めて長い」といいます。

 「美術館の学芸員と企画コンセプトを練り、国内外の美術館と出品交渉を重ねて構成を固めていく」。その一方で、「作品の輸送計画・PR計画の策定、図録・音声ガイド・グッズの制作」などの準備に「短くて3~4年、長くて5年以上の歳月が必要だ」といいます。そのような作業を一つ一つ積み上げ、ようやく開幕を迎えるというのです。(※ 『芸術新潮』2020年8月号)

 藤本氏の場合、手掛けていた「ゴッホ展」(2020年1月25日~3月29日)が、コロナ禍で開催中の3月4日から臨時休館になりました。その後、厳重な感染対策をして、3月17日から再開しましたが、3月20日には再び、休館せざるをえず、そのまま会期を終えたという経験があります。

こちら → https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_2001/index.html

 そんな中、経験した大きな問題は、海外10ヵ国27カ所から借りたゴッホや印象派の作品をいつ、どのように返却するかということだったと藤本氏はいいます。コロナ感染拡大のため、4月3日に日本政府が入国拒否の対象を73ヵ国・地域に拡げたことで、国際貨物輸送もストップし、返却作業が滞ってしまったというのです。

 この記事を読んで、「ボストン美術館 芸術×力」展が、作品輸送の目途がつかずに中止になった経緯がわかりました。

 藤本氏はさらに、ロックダウンによる海外美術館の休館や輸送体制の不備等により、いまだに返却できず、日本に残されたままの作品もあるといいます。国内外でから作品を借用し、返却する過程でいかにリスクが多く、困難をきわめるか、展覧会の裏方作業が見えてきたような気がします。

 今回のコロナに限らず、事故、地震、テロ、盗難など輸送に伴うリスクは多々あります。それらを乗り越え、これまで大型企画展は開催されてきました。ところが、コロナを経験した今後はどうなるのでしょうか。海外の美術館からの借用に影響してくるのではないかという気がします。

 藤本氏は、ここ十数年で、人件費、輸送費、保険料など展覧会に関わる経費が膨れ上がっているといいます。以前はなかったテロ保険や地震保険などもかかるようになり、数十万規模の入場者数を見込めない企画は開催が難しくなっていると指摘しています(※ 『芸術新潮』前掲。)

 このような状況下では今後、海外の著名な画家を取り上げた大型企画展の開催は難しくなるかもしれません。

■大型企画展の事業モデル
 展覧会に関する記事をいくつか読んでみると、新聞社やTV局が実質的な事業主体となって運営しているのが、大型企画展の事業モデルだといえそうです。数十万人の動員を見込める大型企画展を、最初から最後まで仕切るのがマスメディア側です。

 具体的には、マスメディア側が企画から作品借り受け交渉、図録等グッズ制作などの関連作業を進め、実施まで4~5年かけて展覧会の開催にこぎつけます。しかも、その収支まで、マスメディア側が責任をもつ仕組みになっているようです。

 たとえば、入場者60万人規模の大型企画展の場合、典型的な収支モデルは次のようなものになります(※ 『週刊ダイヤモンド』2020年8月22日号、pp.50-51)。

 支出の部として、①作品借用料(3億~5億円)、②保険料(1億~1.5億円)、③輸送費(0.5億~1.5億円)、④展示・会場施工費(0.5億円)、広告宣伝費(0.5億~1億円)、その他運営コスト(0.5億~1億円)で、支出合計が6億~10億円前後になります。

 一方、収入の部としては、①入場料(約8割)、②グッズ販売(約2割)といった構成になっています。興味深いのは、この収支に責任を負うのはメディア側で、美術館側はいっさい負わないということです。そればかりではなく、入場料収入のうち20%強は美術館側に入る仕組みになっているといいます(※ 『週刊ダイヤモンド』前掲)。

 このモデルだと、入場者数が増えれば増えるほど、美術館側にもメディア側にも利益があるということになります。観客がすし詰め状況で作品鑑賞をしなければならない反面、メディア側と美術館側にはwin-winの関係を築くことができていたのです。

 実際、これまでの大型企画展では、当初予算で一日5000人から7000人もの入場者を想定するケースが多かったそうです。

■コロナ下で再考、美術館はどうあるべきか。
 私も美術館に行きながら、長蛇の列には嫌気がさし、入場しないで帰ってしまったことが何度かあります。とくに最近の有名な美術展はどれもたいてい混み合っており、鑑賞したいという気持ちが削がれてしまっていました。

 コロナ下のいま、感染予防対策の面から、入場者数は制限されています。その上限は、主な国立美術館で一日1600人程度、国立西洋美術館で一日3000人程度とされているようです。つまり、入場者数はこれまでの大型展覧会の半分以下に制限されているのです。観客にとっては好都合ですが、果たして主催者側にとってはどうなのでしょうか。

 多数の入場者数を想定した大型企画展の開催が今後、難しくなるとすれば、世界的に著名な画家を取り上げた企画展は開催しにくくなるのでしょうか。入場料を上げるわけにいかず、他の収入源も考えられないとすれば、やはり、大型展覧会の開催は困難になるといわざるをえなくなるでしょう。

 美術関係者からは、「大型企画展頼みからコレクション・常設展重視の流れが定着するといい」という声があがっているようです(※ 『週刊ダイヤモンド』前掲)。そうなると、コレクションの内容によって、美術館の個性が表出してきますから、美術館の存在価値が高まるでしょう。

 コロナ禍を機に、美術館もまたパラダイムシフトの時期を迎えているのかもしれません。(2020/8/31 香取淳子)

第51回練馬区民美術展が開催されています。

■練馬区民美術展の開催
 第51回練馬区民美術展が練馬区立美術館で開催されています。期間は2020年2月1日(土)から9日(日)、開催時間は午前10時から午後6時(最終日は午後2時終了)までです。

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 会場では洋画、日本画、彫刻、工芸の4部門に分けて、展示されていました。

 私は今回、「春の日」というタイトルの油彩画(F15号)を出品しました。

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 油彩画(洋画)部門の展示作品は87点でした。レベルの高い作品が多く、それぞれ見応えがありました。足を止めて見入ってしまった作品がいくつもありました。そのうち、強く印象に残った作品をご紹介していくことにしましょう。

■黒田依莉子氏の『深海の記憶』
 区長賞を受賞した作品です。この作品を会場で見たとき、言葉では表現しきれない不思議な魅力を感じました。写真撮影をして自宅で見直してみると、さらに深淵さが増して感じられ、引き込まれてしまいました。

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 画面左側に見えるやや褐色がかった乳白色の物体は、巨大な深海魚の一部なのでしょうか。まるで馬の臀部から脚部にかけての筋肉のように、所々、隆起が見られます。そこには肉塊の持つ柔らかさとその内側にある筋肉の強靭さが感じられます。よく見ると、かすかに朱が添えられている箇所があり、それが血のようにも見えます。

 視線を右にずらすと、頭がい骨と背骨と尾ヒレだけの魚が泳いでいます。肉片は食べられてしまったのでしょうか、骨の白さが不気味です。その真下でクラゲが浮遊していますが、クラゲの傘はまるで押しつぶされたかのように平板です。中心部には赤くて丸い口のようなものがあり、そこから放射状に赤い線が伸びています。いずれも赤く塗られていますから、これもまた血のように見えます。

 その左下にはタコ壺のようなものが転がっています。中にタコが入っているのでしょうか。つい、覗いてみたくなります。その右側には巻き付けられた縄の先が見えます。おそらく、タコ壺を固定するためなのでしょう。さらに目を凝らすと、背後に張り巡らされた漁網に引っかかった海老のようなものが見えてきます。

 やや引いてみると、クラゲは長い触手を縦横無尽に伸ばしており、その動きの中に水の質感が感じられます。水中だということは、肌色の物体の周辺から浮き上がっていく卵のようなものからも感じられます。

 膜につつまれ、真珠のように鈍い光を放ちながら、卵が肌色の物体から次々と水中に浮遊しはじめています。生命が誕生しているのです。

 興味深いことに、馬の臀部のように見える物体の上に、長方形の金箔のようなものが描かれています。自然界と交じり合うことのない人工物です。画面の下に描かれた縄も壺もヒトが作り出した人工物ですが、こちらは自然界と交じり合い、共生し、やがては朽ちていきます。ところが、金箔のように見えるものはいつまでも朽ちることなく、自然界とは異質なまま存在し続けるのでしょう。

「深海の記憶」とは海中から誕生した生命の根源を指しているのでしょうか。あるいは、深い記憶の底に眠る、個体発生と系統発生との連鎖を指しているのでしょうか。この画面からは、生命が誕生して以来の時間の堆積が感じられます。

 その一方で、さまざまな形状、大きさ、色彩のモチーフが画面に多数レイアウトされており、微妙に層化された奥行が生み出されています。それは水平方向に造形された層と、垂直方向に造形された層と一体化し、生命を育む空間の厚みと歴史を感じさせます。

 さらに、画面左上には金箔のようなものが描かれています。異質のものを配することによって、画面にコンフリクトが生み出され、劇的な構成になっています。とても興味深く、眠っていた感覚を甦らせてくれるような作品でした。

■加藤保典氏の『グラス』
 努力賞を受賞した作品です。何気ないモチーフを描きながら、奇妙な魅力があります。

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 グラスが5個、描かれています。このうち、見る者にとって違和感なく存在しているのはただ1つで、それ以外は描かれた視点がそれぞれ大きく異なっています。それが不思議な調和を保ちながら、重なり合って、一つの世界を創り出しています。

 グラスが5個、描かれていると書きましたが、ひょっとしたら、それ以上かもしれません。見る者にそう思わせてしまうほど、ただ一つのグラス以外は見たままを描かず、複雑に絡ませながらレイアウトしています。グラスの底面と上の縁、いずれも円形ですから、重ね合わせ、逆さまにして見せることが可能です。上部も下部の円形だということを利用して、まるでパズルのような絵柄を生み出しているのです。

 この作品を見ていて、ふと、セザンヌのリンゴを描いた作品を思い出してしまいました。タイトルは、『リンゴとオレンジのある静物』です。

こちら →
(1999年制作、オルセー美術館所蔵)

 真ん中のリンゴ以外はすべて、どこか違和感があります。リアリティに欠ける表現で描かれているからでしょう。食器の描き方も、布の描き方も雑に見えます。そう見えてしまうのは、セザンヌが遠近法を無視し、立体表現を無視したうえで、複数の視点を組み込んで描いているからでした。

 セザンヌのこの作品は、見る者に違和感や不安定を感じさせます。それは、遠近法や統一した視点といった作法から離れ、微妙に異なる複数の視点を画面に取り入れることによって生み出されていました。

 一方、展示されていた『グラス』は、極端に異なる複数の視点を画面に持ち込み、モチーフを描いた結果、見る者に謎解きの衝動を呼び起こしていました。こちらは不安感というよりは解明欲求を喚起させます。

 いずれも見る者を画面に引き付け、考え込ませる力を持っています。両者に共通するのは、一つの画面に異なる複数の視点を取り込んでいるということです。

 私がこの作品に奇妙な魅力があると思ったのは、現代的な要素が巧みに表現されていたからでした。透明なグラスには無機的でメカニックなイメージがあります。そのグラスをモチーフに、作者は極端に異なる複数の視点を一つの画面に取り込んでいました。だからこそ、シャープで脆い現代性を盛り込むことができたのかもしれません。

 現代社会では、人々は日々、明らかに異なる視点で発信された情報に晒されています。それだけに現状を把握するのにどれほどコストがかかり、負荷がかかっていることか・・・。

 この作品には、現代社会がヒトに押し付けているストレスが象徴されているようにも思えます。鋭角的で、繊細で、とても興味深い作品でした。

■伊藤茂子氏の『まどろむ頃』
 奨励賞を受賞した作品です。会場でこの作品を見たとき、ほっと気持ちが和むのを感じました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 淡い色調の画面からは、爽やかな空気と暖かな陽射しが感じられます。中心からやや左寄りに配置された数本の木々をメインに、画面が構成されています。葉は落ち、幹と枝だけの木々が柔らかな陽射しを受けて立っています。下草の生えた地面には水たまりができていて、木々の一部が水に映っています。

 枯草のように見える薄い黄土色のそこかしこに黄緑が配色されており、春の芽吹きが感じられます。遠くを見ると、木々の上部がピンク色で霞むように描かれており、桜を連想させられます。

 この作品には全体に春の雰囲気があります。それも、ようやく訪れたばかりといった趣の、早春を感じさせられます。この作品を見て、私がほっとした気持ちになったのは、見る者の緊張を解きほぐし、安らかな気分にしてくれる何かが画面から滲み出ていたからでしょう。

 それは、安定感のある構図のせいかもしれませんし、柔らかい色調のせいかもしれません。あるいは、水と木、草と空といった何気ないモチーフを優しく包み込んで作品化する画力のおかげかもしれません。

 この作品ではモチーフのエッジははっきりと描かれておらず、色彩だけで識別させています。境界線を引かずにコントラストを抑え、穏やかな色調で全体を整え、いってみれば、朦朧とした表現で画面全体が包み込まれていました。まさに、タイトルの「まどろむ頃」そのものの世界が描出されていたのです。油彩画でありながら、日本的な感性の感じられる作品でした。

■絵画が喚起するさまざまな衝動
 さまざまなジャンルの展示作品を見ていると、不意に、キャンバスを通して私は何を見ているのだろうかという疑問が頭をよぎりました。一目で立ち去る作品もあれば、その前でじっと佇んで見入ってしまう作品もあります。なんらかの判断基準が働いて、そのような鑑賞態度になるのでしょうが、それが何なのか、気になったのです。

 今回の展示作品はどれもレベルが高く、上手か否かで判別しているわけではないのは確かです。モチーフで見ているのかといえば、そうでもなく、色彩や構図、マチエールといったものでもないような気がします。

 それでは何かといえば、見る者を刺激し、なんらかの情感を喚起するような作品だということになりそうです。

 『深海の記憶』、『グラス』、『まどろむ頃』等の作品の前で、私はしばらく、佇んで見ていました。作品と対話していたといってもいいかもしれません。画面から放たれる刺激を受けて考えさせられ、自分なりの見解を見つけようとしていたのです。

 これらの作品には作者が感じ、考え、思い悩んだ軌跡が反映されていました。だからこそ、画面を見ていた私もそれに反応しようとしたのでしょう。そのことに気づいてからは、絵画の価値は、見る者に何らかの衝動を喚起させる力を持つか否かで判断されるのではないかと思うようになりました。もちろん、判断基準は人それぞれで、私の場合は、という注釈つきですが・・・。(2020/2/2 香取淳子)

第50回練馬区民美術展が開催されています。

■第50回練馬区民美術展の開催
 練馬区立美術館で2019年2月2日から2月11日まで、第50回練馬区民美術展が開催されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 洋画Ⅰ(油彩画)、洋画Ⅱ(水彩画・パステル画・版画など)、日本画(水墨画を含む)、彫刻・工芸など4部門270点ほどの作品が展示されていました。時間の都合で洋画Ⅰと洋画Ⅱ部門だけを見て回りましたが、今回は全般に水準の高い作品が多いように思えました。

 私はFサイズ20号の油彩画を出品しました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 2Fの会場入ってすぐ左側に、今回、美術館長賞を受賞した作品と隣り合わせで展示されていました。向かって左が私の作品(「冬の日」)、右が藤岡武義氏の受賞作品「中国宏村の古民家群」です。人々の行きかう様子、水面に映った古民家群などが表情豊かに描かれていて、引き込まれます。とくに、太陽の射し具合、水面を揺らす小波など微妙なところが丁寧に捉えられており、味わい深い作品に仕上がっていると思いました。

■印象に残った作品
 洋画Ⅰで展示されていた油彩画は85点でしたが、印象に残った作品を一つ、ご紹介しておきましょう。

横山志な乃氏の「日溜り」です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 日溜りの中の温かさを求め、どこからともなく、小鳥たちが集まってきたのでしょう。柔らかな羽毛に心地よさそうな陽光が射しています。ふと見ると、足元の葉にも柔らかな陽射しが伸びています。葉の表面はところどころ射しこんだ陽光を浴びてつややかに光っています。右の奥には枯れ木、そして、上方はいかにも寒そうな空が広がっており、身を寄せ合って暖を取る小鳥たちの姿を際立たせています。この作品を見ていると、寒い冬の日、ようやく訪れたひとときの幸せを感じさせられます。

 次にご紹介するのは、杉山けり氏の「暗い一日」です。この作品は洋画Ⅱ部門(水彩画・パステル画・版画など油彩画以外)で展示されていた作品112点のうちの一つで、教育委員会賞を受賞しています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 黄色を背景色に、まるで何かを睨みつけているかのような表情の若者の姿が、黒を基調にさまざまな色彩の中で捉えられており、印象的です。背景も顔もシャツ、肩や腕も図案化され、色彩の組み合わせも豊かに表現されています。この作品を見ていると、「暗い一日」というタイトルが響いてきます。構図といい、色彩の取り合わせといい、さまざまな形状の構成といい、アイデアが素晴らしいと思いました。

 今回、洋画Ⅰ、洋画Ⅱ部門の作品を鑑賞し、改めて、さまざまなモチーフ、さまざまな捉え方、表現技法があるものだということを思い知らされました。(2019/2/3 香取淳子)