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映画

「運び屋」:実話の映画化に必要なものは何か。

■クリント・イーストウッドが主演・監督する「運び屋」

 3月14日、たまたま時間が空いたので、「運び屋」(2018年制作、米映画)を見てきました。現在88歳のクリント・イーストウッドが87歳の時に監督・主演を演じた作品です。イーストウッドといえば著名な俳優なので、これまでに写真は何度か雑誌等で見たことがありますが、映画はまだ見たことがありませんでした。

 ポスターに掲載された顔写真には、90歳近い高齢者ならではの味わい深さがありました。

 目深にかぶった帽子の下から見える横顔・・・、深く刻み込まれた皺、何か言いかけようとしているような口元・・・、どれ一つとって見ても老齢と深い孤独とが滲み出ていることがわかります。ふと見ると、鼻先の脂肪が光って見えます。老いたとはいえ、まだ気力が残っていることが示されています。

 画面右下には、残照の下、ピックアップトラックが一台、広大な荒野の中の道を走っているのが見えます。黄昏の光景に絡め、運び屋としてひたすら運転し続けた孤高の人生が浮き彫りにされているのです。この映画のエッセンスが見事に表現されたポスターでした。

 この映画の原題は「The Mule」、2018年12月14日に公開された米映画で、制作費は5000万ドル、興行収入は3月14日時点のデータで103,804,407ドルです。すでに米国内だけで制作費の2倍以上の興行収入を得ていることになります。

こちら →https://www.boxofficemojo.com/movies/?page=main&id=themule.htm

 今後、高齢化が進む先進諸国での上映が増えていけば、観客も大幅に増加していくでしょう。興行収入は、さらに増える可能性があります。

 「運び屋」というタイトルを見ると、誰しも条件反的に、犯罪映画を思い浮かべてしまうでしょう。私もてっきり、派手なアクションシーン満載の犯罪映画だろうと思っていました。ところが、実際は、そうではなく、味わい深い人生ドラマになっていました。運び屋が高齢者なので、華々しいアクションシーンを設定することができなかったのでしょう。

 その代わりに、高齢者ならではのエピソードが随所に組み込まれており、犯罪映画であるにもかかわらず、ほのぼのとした情感溢れる作品に仕上がっていました。人生を考え、家族を思い、ヒトとしての生き方を考えさせられる映画になっていたのです。この映画はきっと、国境を越え、幅広い観客から共感を得られるようになるでしょう。

■実話を原案に映画化

 この作品は、ニューヨークタイムズに掲載された記事(2014年7月11日付)に着想を得て制作されました。

 ハリウッド・レポーターのボリス・キット氏によると、2014年11月4日、制作会社インペラティブ・エンターテイメントはこの記事の権利を獲得し、ルーベン・フライシャーを監督として映画化に着手したといいます。ニューヨークタイムズに記事が掲載されてから三か月後のことでした。

こちら →https://www.hollywoodreporter.com/news/zombieland-director-tackling-tale-87-746038

 記事の内容は、デイ・リリー(day lily)の栽培で受賞経験もある園芸家が、メキシコを拠点とする麻薬組織の運び屋をしており、2011年、87歳の時に逮捕されたというものでした。麻薬の運び屋というだけなら、よくある犯罪記事にすぎませんが、制作陣はおそらく、運び屋が87歳だったという点に興味を抱いたのでしょう。

 制作陣が記事の段階で権利を押さえていたことからは、映画化の原案としての可能性の高さが示唆されています。確かに、麻薬の運び屋が超高齢者だったという意外性は、さまざまな側面から深く掘り下げることができます。取り上げ方によっては、年齢を問わず、訴求力の強い作品に仕上げることができます。

 晩節をどう生きるかに焦点を合わせれば、大きな社会的関心を喚起する可能性がありました。なんといっても、先進諸国では高齢化が進行しています。そのような現状を考えあわせれば、90歳近いクリント・イーストウッドが監督・主演を担うこの映画が話題作になるのは明らかでした。

 もっとも、この記事が掲載された時点では、まだ主演が誰になるか決まっていませんでした。

 この記事を書いたサム・ドルニックも、2018年12月5日付けのニューヨークタイムズ誌上で、クリント・イーストウッドがこの映画を監督し主演もするとは考えもしなかったと書いています。

こちら →https://www.nytimes.com/2018/12/05/reader-center/clint-eastwood-movie-drug-mule-sinaloa-cartel.html

 さらに彼は、上記の記事の中で、「ツイッターが暇つぶしだなんて誰が言ったんだ?」と皮肉っています。実はこの記事のネタは、サム・ドルニックがたまたまネットでツイッターをスクロールしていたとき、警察の記録簿から見つけたものでした。ですから、彼は、ツイッターは決して暇つぶしの手段などではなく、貴重な情報源なのだといいたかったのでしょう。

 先ほどいいましたように、サム・ドルニックがツイッターで見つけたのは、イリノイ州に住む89歳の園芸家が1400ポンド以上のコカインを、メキシコ系麻薬組織の運び屋として移動させていた廉で、デトロイトで刑を申告されたという情報でした。逮捕時87歳だった運び屋が2年余を経て実刑を宣告されたのです。

 その情報を見てサム・ドルニックは、これはニューズバリューがあるだけではなく、物語に仕立て上げられる内容だと判断しました。そして、老いた運び屋の人生をニューヨークタイムズの記事にしようと思いついたのです。

 この情報には、彼のジャーナリスト魂が刺激されるだけの訴求力がありました。ヒトの心を強く動かすものがあったのです。それはおそらく、90歳に近い高齢者が麻薬組織の運び屋として働いていたということでしょう。

 それまで犯罪歴もない高齢が、なぜ、晩節を汚すようなことをしたのか、私も興味津々です。そこには高齢者ならではの心理、あるいは、生活環境がなにがしか影響を及ぼしていたのかもしれません。いずれにせよ、予想もできない事件でした。だからこそ、主演・監督ともクリント・イーストウッドに変更されたのでしょう。

 当初、ルーベン・フライシャーを監督に起用し、制作体制を組んでいたはずが、どういう経過があったのかわかりませんが、いつの間にか、クリント・イーストウッドがこの映画の監督になっていました。90歳近い高齢者が運び屋であるこの物語にリアリティを持たせるには、主演・監督とも同世代である必要があったのでしょう。

 それでは、メイキング映像をみていただくことにしましょう。

こちら→ https://youtu.be/HA5z-fQKxpc

 出演者たち、そして、クリント・イーストウッドの言い分を聞いていると、彼が主演・監督を務めたからこそ、この映画が成立したことがよくわかります。

■ストーリー構成

 冒頭のシーンでは、デイ・リリー(daylily)の花がクローズアップされます。主人公アールが大切に栽培している花です。ユリ科の植物で、その名(day lily)の通り、花が咲くのは一日限りですが、アールは手間暇かけ、愛しむように栽培しています。

 映画ではこの冒頭のシーンに続き、アールが品評会で金賞を受賞するシーンになります。晴れやかなアールの笑顔がとても印象的です。ところが、周囲から次々と浴びせられる称賛に応じているうちに、うっかり一人娘の結婚式に出るのを忘れてしまいます。栽培家としては高い評価を得ても、家族を顧みることがなかったことの象徴として、このエピソードが組み込まれています。仕事を優先し、他人にかまけて家族をないがしろにしてきたせいで、アールはその後、一人娘や妻から見放されていきます。

 12年後、老いたアールは家族から見放され、家は差し押さえられて、お金も底をついてしまっていました。インターネット時代にアールの仕事が追い付かなくなっていたのです。孫娘だけは心配してくれていましたが、お金がなく、祖父としての役目を果たすこともできません。そんな折、お金になるといわれ、何を運ぶか知らされないまま、目的地まで届ける仕事を引き受けます。

 いわれるままに運転するだけで、予想もしなかった大金を手にして、アールは驚きます。

予告CMより。

 いまにも壊れそうなピックアップトラックに乗っていたアールは、大金を手にしたので新車を購入し、再び、運び屋の仕事を引き受けます。

 途中、ふと気になってトランクを開けると、バッグがたくさん積み込まれています。中を開けると、白い袋がたくさん入っていました。明らかに麻薬です。唖然としていると、背後から近づいてきた警官に、「どうしたんですか?」と声をかけられます。

予告CMより。

 警官とやり取りをしているうちに、警察犬が激しく吠え出しました。それを聞いて警官は車に戻りますが、アールは危険を察知し、自分の方から犬に近づき、痛み止めの薬を嗅がせます。麻薬犬の嗅覚を混乱させることによって、麻薬が車から発見されることを回避します。とっさに知恵を巡らせ、危機をやり過ごしたのです。

 機転の利くアールは、その後、厳重な警察の取り締まりの目をかいくぐって何度も、大量の麻薬を運びます。麻薬組織のボスは喜び、アールの仕事はさらに増えていきます。

予告CMより。

 豪腕の運び屋がいると判断した警察は、敏腕警官を担当に抜擢し、取り締まりを強化します。担当警官はまさか90歳近い高齢者が運び屋だとは思いもしません。ですから、取り締まりの最中にアールと直接会話する機会があったのに、彼こそが当人だと気づくこともありませんでした。むしろ共通の話題に話を弾ませ、いっとき、心を通わせていたほどでした。

予告CMより。

 食堂で隣り合わせた担当警官が、忙しさにかまけ、家族の記念日を忘れていたことを知ると、アールは、さっそく自身の経験を話し始めます。記念日を忘れることがいかに大きなダメージを家族に与えるか、自身の辛い過去を話しました。一人娘からはその後12年半も口をきいてもらえない、悲しい体験を吐露したのです。

 それを聞いて、警官の気持ちは一気にアールに引き寄せられていきます。同じ悩みをかかえた人生の先輩として、アールに親しみを感じてしまいます。追う者と追われる者がいっとき、家族の話題で心を通い合わせるシーンでした。この時の警官が後にアールを逮捕することになります。

 さて、回を重ねるたびに運ぶコカインの量が増え、手にするお金も増えていきます。それに伴い、組織からの監視は厳しくなっていきます。車に監視カメラが取り付けられ、見張り役によってアールの行動は逐一、監視されるようになります。

 それでも、アールは好きなところで車を停め、好きな食堂に立ち寄り、好きなものを食べ、自由自在に動き回っています。そんなある日、孫娘から電話があり、祖母(アールの妻)が危篤だという知らせを受けます。

 いったんは仕事だからと断りますが、思い直し、病床に伏せる妻のところに駆けつけます。思いもかけないアールの帰宅に家族は戸惑い、娘は拒否反応を示します。

予告CMより。

 それでもアールは強引に、病床の妻メアリーに寄り添います。死に瀕したメアリーは、ひどい夫でひどい父親だったけど、最愛のヒトだったといい、アールを許してくれます。そんなアールと母メアリーを見て、娘もついにアールを許すようになります。

 メアリーの死を契機に、アールは娘と和解しました。メアリーのおかげでアールは家族に受け入れられたといっていいでしょう。人生の終わりになってようやく、アールに安堵の時が訪れたのです。

 ところが、安堵の時を得たのも、つかの間、黒のピックアップカーを追跡していた警察にアールは捕まってしまいます。

 それにしても、法廷でのアールの態度がなんといさぎよく、見事だったことでしょう。麻薬組織の運び屋として晩節を汚したアールが、まるで汚名を返上するかのように、弁護士を制し、いさぎよく罪を認めたのです。

 弁護人が、軍人として国のために果敢に戦ってきたこと、人の良さや高齢であることを麻薬組織から利用されただけだということ、等々を主張してアールを弁護したのに、アールは「全てにおいて有罪」だと主張し、自ら刑を受けることを望んだのです。

 エンディングでは、刑務所の中で花栽培に従事するアールの姿が映し出されます。そして、下記のようなフレーズの歌が流れます。

 「老いを迎え入れるな、

  もう少し、生きたいから、

  老いに身をゆだねるな、

  ドアをノックされたら、

  いつか、終わりが来るとわかっていたから、

  立ち上がって、外に出よう」

 歌詞といい、声のトーンといい、しみじみとした味わいがあり、胸に沁み込みます。トビー・キースが歌う「Don’t Let the Old Man In」をご紹介しておきましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=RLp9pkWicdo

 これを聞いていると、次第に、90歳近い年齢で主演・監督を務めたクリント・イーストウッドからのメッセージのように聞こえてきます。

■実話の映画化に不可欠な要素は何か。

 この映画のメインプロットは、ニューヨークタイムズに掲載された記事を踏まえて、作成されています。それを支えるサブプロットとして、家族との関係、老いていく者の矜持、などが組み込まれ、ストーリーが立体的に構成されていました。だからこそ、犯罪映画でありながら、味わい深い作品に仕上がっていたのでしょう。

 つまり、実話にフィクションを加えることによって、大勢のヒトの気持ちを打つ、情感豊かな映画に仕上がったのだと思います。それでは、フィクションに不可欠な要素は何だったのか、考えてみることにしましょう。

 2014年にニューヨークタイムズに記事を書いたサム・ドルニックは、先ほどご紹介した2018年12月5日付けの記事の中で、興味深いことを書いています。この記事を書くに際し、彼は記事の骨組みになるようないくつかの疑問を、数か月にわたって調べたというのです。

 たとえば、なぜ、そのようなことをしたのか? 騙されやすい人だったのか? 詐欺師だったのか? 天才的な犯罪者だったのか? ・・・、といったような疑問です。いろいろ調べた結果、サム・ドルニックはそれらの疑問についてはそれぞれ見解を得ることができたといいます。それでも、ジャーナリストとしての彼にできるのはせいぜいそこまでだというのです。

 サム・ドルニックは、ジャーナリストとしては、調べて知りえたことしか書くことはできないといいます。事実を書くことこそがジャーナリストの仕事の鉄則だというのです。ところが、記事に書く実在の人物は、複雑で、矛盾し、謎めいていて、しかも驚くべき経歴を持つ人々なのです。

 ですから、たとえば、最初にコカインをトラックに運び入れたとき、どう思ったのか、と尋ねても、実際には決して答えてもらえなかっただろうとサム・ドルニックは書いています。そして、仮に調査しつくしたとしても、なぜ運び屋をやったのかわからないし、おそらく当人ですら、わからなかったに違いないといいます。つまり、事実をいくら積み上げても、きめ細かな心理などを浮き彫りにすることはできなかっただろうというのです。

 サム・ドルニックの記事を読み、映画制作者は閃きを感じました。だからこそ、この記事を脚本家のニック・シェンクに送付したのです。そして、シェンクは脚本家としての発案で、高齢の麻薬運び屋に手の込んだバックストーリーを創りました。すなわち、父親に憤慨している娘、家族への罪の意識、ピーカンパイへの好みといったような要素を加え、バックストーリーを創ったのです。

 まさにこの点に、実話からの映画化に際し、フィクションを創り出す専門陣営・ハリウッドが介入する余地があったといえるでしょう。ジャーナリストが紡ぎだした記事では埋めることのできない溝をフィクションで補い、ストーリーを完璧なものにしたのです。

 警察情報から実話として記事を作成したのはジャーナリストのサム・ドルニックでした。ところが、それだけでは映画化することはできず、脚本家ニック・シェンクは新たにフィクショナルな要素をいくつか付け加えました。複雑で矛盾した現実社会を生きてきた実在の人物をリアリティ豊かに再現するための装置ともいえるものです。

 確かに、父親を拒否し続ける娘を登場人物に設定しなければ、アールの深い孤独を浮き彫りにすることはできず、家族に対する罪の意識も観客に深く伝わってこなかったでしょう。そして、出来心で一回だけ運び屋をやったというのではなく、その後何度も麻薬組織の片棒を担いでいたことの理由もわからなかったでしょう。

 老いさらばえて、家族から見放されていたアールは、どこかでヒトから認められたかったのだと思います。大金を手にしたアールが、まるで家族に対する罪の意識を振り払うかのように人助けをしていたのも、その種の承認欲求の現れでしょう。退役軍人クラブの再建に尽力したときに見せたアールの表情のなんと晴れやかなことか・・・。ヒトは何歳になっても、家族や他人から認められたいのだということがわかります。

 さらに、アールはピーカンパイが大好きだという設定でした。ピーカンパイというのは、ナッツを上に載せたパイのような焼き菓子です。子どもが大好きなお菓子ですから、ピーカンパイが好きだというだけで、老いたアールに子どもらしさ、可愛らしさのイメージを加えることができます。映画の中ではトランクを開けていたとき、近づいてきた警官に、アールはとっさの知恵を働かせて、ピーカンパイを話題にし、煙に巻いていました。

 このように脚本家ニック・シェックが新たに付け加えた要素は、ストーリーを強化し、キャラクター像を立体的なものにする効果がありました。なにより大きな効果は、父親を拒否し続ける娘を設定することによって、単なる運び屋のストーリーを情感豊かな人生ドラマに変貌させたことでしょう。

 その結果、観客の心を打つ素晴らしい映画に仕上がりました。実話にフィクショナルな要素を加えてはじめて、ストーリーが強化され、登場人物それぞれにリアリティが感じられ、感情移入も可能な作品世界が生み出されたのです。

 この映画の作品化過程をストーリー構成の観点から読み解いてみて、さまざまなことがわかってきました。

 同じストーリーを扱うとはいっても、ジャーナリストの領分と脚本家の領分とは異なるということ、映画にはフィクショナルな要素が、事実の隙間を埋めるために必要だということ、などを思い知ったのです。

 もちろん、映画の構成要素はストーリーだけではありません。映像や音楽・音響もまた重要な役割を担っています。ただ、今回は、実話からの映画化という点で、「運び屋」に興味を抱いたので、ストーリー構成の観点からこの映画について考えてみました。総合芸術としての映画はこのように複雑多岐で多様、多義的で融通無碍、だからこそ、面白いのだと思いました。(2019/3/17 香取淳子)

「ボヘミアン・ラプソディ」:フレディ・マーキュリーのカリスマ性を考える。

観るたびに泣いた「ボヘミアン・ラプソディ」

 2018年12月下旬、はじめて「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。評判になっていたので、取り敢えず観ておこうという軽い気持ちでした。公開から1か月半以上経っていましたが、それでも、ひょっとしたら混んでいるかもしれないと思い、開場30分前に着くように出かけました。ところが、平日だったにも関わらず、すでに最前列の席しか空いていませんでした。そして、私のすぐ後で満席になってしまったのです。こんな経験ははじめてでした。

 この映画は2018年11月9日に公開され、その後、右肩上がりで観客動員数が増えています。日本の観客人口は限られていますから、リピーターがいなければ、このような現象はあり得ません。

こちら →https://blog.foxjapan.com/movies/bohemianrhapsody/news/

 実際、リピーターらしい観客を何人か見かけました。

 ドキュメンタリータッチの映画で、感動的な作品でした。ストーリー構成がよくできていたせいか、チャリティコンサート「ライブエイド」に至る直前辺りから、私は泣きっぱなしでした。どんな思いでフレディ・マーキュリーがこのライブに臨んだのかがわかりますし、なにより、ライブで提供された楽曲がどれもすばらしく、取り上げられた曲の歌詞の一つ一つが心に響きます。いつの間にか、画面のフレディの動きに合わせ、足を踏み、リズムを取っていました。ライブシーンに完全にはまり込んでいたのです。

 いかにクィーンのステージが素晴らしいものであったか。映画では、それまで芳しくなかった募金がクィーンの登場を機にみるみる増えていくシーンが挿入されていました。当時、この中継を見ていた人々はクィーンのステージを見て感動し、争うように寄付をしていったのでしょう。募金額は飛躍的に伸びていきました。

 映画を見終えてもこのときの感興は冷めず、私はその後しばらくユーチューブでクィーンの音楽を聴きまくりました。映画館で味わった感動を得たかったのです。

 1月下旬、再び、映画館に足を運びました。今度は日曜日でしたから、席が取れないかもしれないと思い、朝、映画館が開くのを待って出向き、座席を確保しておきました。この日は公開からすでに2か月以上経っていましたが、やはり大勢の観客が詰めかけていました。今回は明らかにリピーターらしい観客が多く、中にはワインを持ち込んでいる二人連れの観客も見かけました。迫力のあるライブシーンが多いので、きっとライブに行くような感覚で映画を見に来たのでしょう。

 今回もまた、私は「ライブエイド」に至る直前から涙が止まらなくなりました。こんなことはこれまで経験したことがありません。そもそも、これまで同じ映画を2回も見ることはありませんでした。ところが、この映画は2回見ても新しい発見があり、よく知っているはずのシーンなのに、独特のサウンドに包まれ、心に響く歌詞を見ていると、自然に涙腺が緩んでしまったのです。そして、再び、言葉では表現しがたい感動に包まれてしまいました。

 この映画はいったい何故、大勢の観客の気持ちをこんなにも揺さぶってしまうのか、その理由を考えてみたいと思います。

1985年7月13日、「ライブエイド」

 イギリスのウェンブリーで1985年7月13日に開催されたチャリティコンサート「ライブエイド」の会場で、クィーンがどれほど異彩を放ち、他の出場者たちを圧倒していたか。それを報告する「クィーンはいかにライブエイドのステージの主役の座を奪ったか」というタイトルの記事をネットで見つけました。2015年7月13日に公開されたものです。日付からは「ライブエイド」の30周年記念に寄せられたものだということがわかります。ご紹介しておきましょう。

こちら →http://ultimateclassicrock.com/queen-live-aid/

 ウェンブリーの会場には有名アーティストやクィーンよりもより人気があり、当時を代表する若いグループも参加していました。ところが、クィーンはその時、80年代初に勢いを失ってしまったグループだとみなされていて、あまり期待もされていなかったようです。

 ところが、この時、ステージで何かが起こったと、その記事は書いています。期待されていなかったクィーンに大観衆が猛烈な喝采を送ったのです。

 クィーンはこれまでの新旧の楽曲の中から6曲をピックアップして繋ぎ、20分間のショーに仕立てました。通常のライブでは最後に披露していた「ボヘミアン・ラプソディ」をトップに、「We are the Champion」を最後に編成したのです。

 「ボヘミアン・ラプソディ」は冒頭の混成パートは省かれ、いきなり、「Mama,I just killed a man」のフレーズが印象的なピアノの弾き語りから始まります。そして、ピアノの弾き語りの「We are the Champion」で会場全体を盛り上げ、大観衆を一体感の中に包み込んでから閉じます。20分間のショーはメリハリを利かせて構成されており、大観衆を引き込みながら、流れを作り、展開していく構造になっていました。フレディ・マーキュリーの計算が功を奏したことは確かです。

 意外性(「ボヘミアン・ラプソディ」)から始まるショーを,「観客との一体感」(「We are the Champion」)で締めくくった構成とメリハリをつけた編成の妙に感嘆してしまいます。ショーマンとしてのフレディ・マーキュリーの企画の才能は実演者としても発揮されました。

 クィーンが登場し、フレディ・マーキュリーがピアノの前に腰かけると、会場を埋め尽くした大観衆が沸きました。間奏の間も絶えず速いテンポでステージ上を動き回るフレディ・マーキュリーに合わせ、大観衆は一斉に高く手をあげ、足を踏み、歓声をあげました。ステージのフレディ・マーキュリーと大観衆とが一体化したのです。

 会場には7万5千人も集まったといわれます。

こちら →

(文春オンライン 2018/1/24より)

 この画像を見ると、このライブの規模の大きさがわかろうというものです。これだけ多数の人々がフレディの一言で手を高く挙げ、声を発したのです。ミュージシャンとしてのフレディ・マーキュリーはショーマンとしての企画力ばかりか、パフォーマーとして抜群の能力を持ち合わせていることを示してくれました。

切れ味のいいパフォーマンス

 映画の「ライブエイド」のシーンでは私もフレディ役のパフォーマンスに引き込まれ、知らず知らずのうちに、リズムに合わせて身体を揺らし、足を踏んでいました。フレディ・マーキュリーを正確に真似た演技に魅了されてしまったのです。

 それにしてもフレディ役のラミ・マレックの演技には驚きます。大観衆を前にしたステージで、まるでフレディが生き返ったのかと思うほどそっくりに、切れ味のいいパフォーマンスを見せてくれたのです。2019年1月28日、第50回全米映画俳優組合賞でラミ・マレックはこの演技が評価され、主演男優賞を受賞しました。実際の顔立ちは全く異なるのに、動作はもちろんのこと、表情までもフレディそっくりに演じきったところに俳優としての力量の高さを窺い知ることができます。

 この時のフレディ・マーキュリーと俳優ラミ・マレックを比較し、並べた画像がありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →

https://front-row.jp/_ct/17168728より)

 向かって左がフレディ・マーキュリーで右が俳優のラミ・マレックです。とてもよく似ています。クィーンの他のメンバーも同様、実物そっくりの俳優が起用されていました。この映画はフレディ・マーキュリーを軸にクィーンの半生(「ライブエイド」まで)を忠実に追った映画です。ですから、実物とよく似た俳優の起用もまた大ヒットの要因の一つだったといえるのかもしれません。

 それでは、実際の「ライブエイド」はどのようなものだったのか、当時の映像で見てみることにしましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=A22oy8dFjqc

 これを見ると、ステージ上のフレディの動きにはどんな場合も、切れがあることがわかります。たとえば、冒頭でピアノを弾くフレディはフレーズ毎に手を高く上げ、エッジを効かせた動きをします。そして、2分45秒ごろから始まるパフォーマンスでは膝をまっすぐに伸ばし、要所、要所で動作を止め、誇張した仕草を見せています。動作が次の動作に移る切り替えの時、動きを止めることによって、躍動感を生み出していることがわかります。

 このように連続した動きの中に静止した動きを取り込むことによって、どんなに遠くから見ていてもフレディの動きが切れ味よく、躍動感にあふれて見えます。フレディはおそらく、ストップモーションの効果を視野に入れてパフォーマンスを組み立てたのでしょう。音楽のテーマ、コンセプトに沿ったパフォーマンスだというだけではなく、どんなに遠くからでも認識できる動きを考案していたと考えられます。

ボヘミアン・ラプソディ

 1回目、最前列の席しか選べなかった私は、見上げるようにしてスクリーンを見つめていましたが、ウェールズの農園で「ボヘミアン・ラプソディ」をレコーディングする辺りから次第に引き込まれていきました。制作過程を扱ったシークエンスが興味深かったからでした。

 2008年にアップされた当時のクィーンのデモ映像を見てみることにしましょう

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=fJ9rUzIMcZQ

(クィーン公式ビデオより)

 1985年の「ライブエイド」では省かれていた混成パートがこのデモ映像には収められています。ハーモニーが美しく清らかで引き込まれます。若いころのクィーンが知性と熱情と冒険心を結晶化させて創り出したのが、この「ボヘミアン」でした。当然、デモ映像もそのコンセプトに沿うものでなければならず、フレディ・マーキュリーが考案したといいます。

 さて、映画ではこの混成パートを収録する時のフレディの姿がとても印象的でした。高音パートを担当するロジャー・テイラーにさらに高音を出すよう、フレディ・マーキュリーは何度もダメ押しをするのです。ロジャーが怒ってしまっても、妥協を許さず、完璧を求めるフレディ・マーキュリーにクリエーターとしての真摯な姿を見たような気がしました。

 そればかりではありません。フレディはテープが擦り切れそうになるほど音を重ね、終に新しいサウンドを創り出しました。こうして、オペラからバラード、ロックなどさまざまな音楽の要素を取り入れ、機材を使ってアレンジし、高い知性が感じられる楽曲を創作したのです。メンバーにさまざまなジャンルの音楽についての素養がなければできることではありません。

 基調となるフレーズを作ったのはフレディ・マーキュリーでした。

 歌詞が何とも魅力的です。映画の中で、「Mama, just killed a man」で始まるフレーズに出会ったとき、私は軽い違和感を覚えました。「今日、ママンが死んだ」で始まるカミュの小説を連想し、不条理な世界を描いているのかと思ったからでしたが、実際はまったく違っていました。

 続いて、「Mama, oh-,don’t mean to you cry. If I’m not back again this time tomorrow. Carry on, carry on, as if nothing really matters.」というフレーズを聞いたとき、不条理とは逆に、母親に詫びて真摯に自分の人生を歩んでいこうとするフレディの思いを強く感じました。

 実は、映画の中では伏線として、最初の部分でフレディが名前を変えたことを示すシーンが設定されていました。フレディ・マーキュリーは当時、イギリス領だったタンザニアのザンジバル島で生まれ、名付けられた名前はファルーク・バルサラでした。故郷で革命が起こった1964年にフレディの一家はイギリスに移住します。

 イギリスで活動するには名前を変えなければならないと考えていたのでしょう。バンドを結成するとすぐ、彼はフレディ・マーキュリーに名前を変えます。唖然とする家族やバンド仲間を前に、決然とした態度でこれからはフレディ・マーキュリーとして生きていくと宣言したのです。

 こうしてみてくると、「Mama, just killed a man」というフレーズは、彼が勝手にフレディ・マーキュリーというイギリス風の名前に変更することによって、ファルーク・バルサラを消してしまったことを指すのでしょう。ですから、その後に、「Mama, oh-,don’t mean to make you cry. 」という歌詞をつないで、生んでくれた母親に詫びたのだと私は思いました。

不安定なアイデンティティの基盤

 18歳で母国を離れ、イギリスに移住せざるをえなかったフレディ・マーキュリーのアイデンティティの基盤がいかに不安定なものであったか、想像を絶するものがあります。

 映画の最初の方で、空港でアルバイトをしていたフレディが、「パキ野郎」とののしられるシーンがありました。パキスタンからの移民と思われたからでしょうが、フレディが実際にどれほど多くの差別的な待遇を受けてきたか、このシーンを見ただけで容易に想像できます。

 移民としてイギリスに移住したフレディはイギリス人風に名前を変え、やがて有名になってお金を稼ぎ、次々とコンプレックスの原因となるようなものを除去していきます。ただ、どうしても取り除けなかったものが、性的指向性でした。7年間も同棲していたメアリーに、自分が同性愛者だとフレディは告白します。当時はまだ同性愛者に対する社会の目が厳しかっただけに、このシーンで私はフレディの誠実さを感じさせられました。ところが、当然のことながら、メアリーは指輪を外し、離れていきます。

 メアリーと別れてから、フレディは同性愛者と行動を共にするようになり、自堕落な生活に陥ってしまいます。日夜パーティを開き、放蕩三昧の生活を送るようになるのです。

こちら →

https://torukuma.com/freddie-gay/より)

 おそらくこのような時期に、エイズに感染したのでしょう。フレディは次第に身体に不調を覚えるようになっていきます。そんな折、連絡の取れなくなっていたフレディを探しに来たメアリーから、「ライブエイド」のオファーがあったことを聞きますが、フレディは知りません。重要なオファーを知らされないまま、享楽的な生活に誘導されていたフレディは、同性愛者のマネージャーに怒り、疎遠になっていたクィーンの仲間に和解を求めます。

 これを契機に、さまざまな個性の4人が相互に尊敬し合い、啓発し合える関係であったことを確認し合います。そして、クィーンとして「ライブエイド」に参加することを決定しますが、しばらく活動をしていなかったせいで、思うように声が出ず、満足のいく演奏もできません。フレディはエイズ感染による体調不良が次第に顕著になってきました。

 クィーンに復帰することで、フレディはようやくアイデンティティの基盤を見つけたように思います。それはミュージシャンとして、パフォーマーとして、そして、クリエーターとしてのアイデンティティです。

 一方でフレディは以前から目をかけていた同性愛者を探し出し、生活を共にするようになります。家族にも引き合わせて承認を取り、創作に専念できる環境を整えていくのですが、身体の方は深刻な状況になっていきます。ライブエイドに向けた練習の際も、以前なら容易に出た声がでず、戸惑う場面も出てきます。クィーンのメンバーは焦らず静かにフレディの体調に合わせ、練習を積み上げていきます。

 そして、クィーンは「ライブエイド」を見事なステージに仕上げました。とくにフレディ・マーキュリーのパフォーマンスは素晴らしく、大観衆をたちまちのうちに虜にしてしまいました。類まれなカリスマ性のおかげでしょう。こうしてクィーンは「ライブエイド」のステージで一挙に自信を回復し、高い評価を得ました。

クリエーター、ミュージシャン、パフォーマーならではのカリスマ性

 それにしても私は何故、この映画に感動し、何度も泣いてしまったのでしょうか。それも悲しくて涙したわけではありません。感動のあまり、泣いてしまったのです。では、何故、感動したのでしょうか。それはおそらく、フレディ・マーキュリーのクリエーターとしての真摯な態度、そして、ヒトを強烈に引き込むカリスマ性ではなかったかと思います。

 いってみれば、私もまた1985年に「ライブエイド」に参加した大観衆のように、フレディのパフォーマンスに惹きつけられ、一種の催眠術をかけられたような状態になっていたのではないかという気がしています。

 たとえば、実際の「ライブエイド」の映像を見て、興味深かったのが、「Radio Ga Ga」とその後で即興的に付け加えられた観客との掛け合いのシーンです。

こちら →https://www.youtube.com/watch?time_continue=89&v=0omja1ivpx0

 これを見ると、7万5千人といわれた会場の大観衆が一斉にフレディの指示にしたがって動いています。フレディが「エーオー」といえば、会場も「エーオー」と呼応し、「リラリラリラ…」と言えば、会場も同じように発声します。まるで催眠術にかかったかのように、意のままに動く大観衆を前にし、フレディはいかにも満足気に見えます。

 このときのフレディ・マーキュリーはまさにカリスマでした。

 たった一人の男がステージの上からパフォーマンスと声だけで7万5千人の観衆を操っているのです。「エーオー」という意味をなさない音を媒介に、フレディと大観衆が掛け合い、コミュニケーションを交わし、互いの存在を認め合っているのです。きわめて原初的なヒトとヒトとの関係、ヒトと集団との関係を見たような気がしました。フレディは非言語的なものを媒介にコミュニケーションを交わせることのできる異能のヒトだったといわざるをえません。

 そういえば、フレディが描いたというデッサンやデザイン画をネットで見たことがありますが、素晴らしい出来栄えでした。優れた美意識を持つ才能豊かな人物だったということがわかります。音楽ばかりでなく美術、身体表現など非言語的能力の卓越したヒトだったのかもしれません。

 こうして見て来ると、移民の子であり、同性愛者であったことが、フレディを超人にしたのではなかったかと思えてきます。ネガティブな立場に身を置くしかなかった状況下で、社会をさまざまな側面から見つめる目が養われたのでしょうし、異文化体験の中から、非言語的メッセージの読み取り能力や発信能力も培われてきたのではなかったのかと思うのです。

 この映画を2回も見て、感動し、涙した結果、総合芸術としての映画の持つ力の凄さを思い知らされました。改めて、映画は言語的要素と非言語的要素との相乗効果でヒトを感動させることができる媒体だという気がしています。(2019/1/31 香取淳子)

グローバル化時代、道化師ショコラが今、私たちに語りかけるもの。

■武蔵大學セミナー

 2018年12月19日、武蔵大学で「19世紀末フランスのサーカス世界と越境芸術家たち」というタイトルのセミナーが行われました。「19世紀末フランスのサーカス世界」という文言に引かれ、参加することにしました。講師は人文学部専任講師の舘葉月氏です。

 19世紀末フランスといえば、つい、パリを舞台に華々しく展開された絵画、舞台芸術、文学、音楽、ファッション等に焦点が当てられがちですが、このセミナーでは「フランスのサーカス世界」が取り上げられます。意外な組み合わせが面白く、関心をかき立てられました。果たしてどのようなお話が聞けるのか、興味津々、出かけてみました。

■記憶に残るサーカス

 サーカスは子どもの頃、一度見に行ったことがあるだけです。楽しかったというより、怖かったという印象の方が強かったせいでしょうか。あるいは、底知れない空間に引き込まれてしまいそうな危うさを感じたからでしょうか。不思議な魅力を覚えながらも、私は再び、親にサーカスに行きたいとは言いませんでした。

 記憶に残っているのは、ショーが始まると、次々と登場してくる異様な風体の出演者たちであり、いつ落ちるかとハラハラドキドキしながら見ていた空中ブランコや綱渡りです。どれも子どもの日常生活にはないものばかりでした。高所でブランコをしたり、綱渡りをしたりするなど、子どもの私にしてみれば、想像もできないことでした。

 そして、大人たちが拍手喝采するアクロバットも、子どもの私にしてみればとうていヒトができることとは思えず、むしろ不気味な印象を抱いていました。というのも、当時、子どもたちの間では、サーカスのヒトたちは毎日、お酢をたくさん飲んで体を柔らかくし、厳しい稽古をさせられているから、あんなことができるのだという噂が広まっていたからでした。

 そればかりではありません。当時、私は一人で外に出かけるとき、母親から、「寄り道をしないで帰ってこないと、人攫いに連れていかれて、サーカスに売られてしまうわよ」などと脅されていました。家庭と学校しか知らない私にとって、サーカスは明らかに危険に満ちた異様な世界だったのです。慣れ親しんだ平穏な日常生活とは対極にある異質の空間でした。

■F・フェリーニ監督の「道化師」

 大人になってからF・フェリーニ監督の「道化師」(1970年)をDVDで観ました。映画公開時には観ることができず、後にDVDで観たのですが、ドキュメンタリータッチの映画ですが、フェリーニならではの独特の祝祭空間はしっかりと描出されていました。

 冒頭に続く以下のシーンを見たとき、突如、子どもの頃、サーカスに抱いていた感情を思い出しました。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=-pBSBBbWkSU

 イタリアでも母親は同じようなセリフで子どもを脅しているのだと思い、おかしくなってしまったものです。この映像では冒頭のシーンはカットされていますが、私がとても切ない気持ちになってしまうのは、ロングショットで捉えられた冒頭のシーンです。

 冒頭、子どもの頃のフェリーニが夜、物音で目を覚まし、窓から外を眺めます。暗闇に浮かぶ小さな後ろ姿がいかにも頼りなげです。不安感を抱きながらも好奇心に駆られているのでしょう、窓に顔をつけてじっと外を眺めています。暗闇から聞こえてくるのは、サーカス一座がテントを張っている物音だけでした。

 この冒頭のシーンは、フェリーニにとってはおそらく、原風景とでもいえる光景だったのでしょう。サーカスの記憶はさまざまな道化師たちの記憶と結びついています。道化師たちは非合理な存在だからこそ、理性では理解できないものを炙り出して見せてくれるのでしょう。彼らが披露するパフォーマンスを含め、サーカスの空間はフェリーニがヒトを本質的に理解するためには不可欠な装置だったのかもしれません。

 当時、サーカスではさまざまな異形の者たちが、道化師として観客に笑いを提供していました。小人であれ、巨漢であれ、黒人であれ、彼らは身体的特徴がもたらす悲劇を直視し、道化師として独特の化粧をし、喜劇に転化していたのです。ですから、道化師が生み出す笑いは、観客が意識的であれ、無意識的であれ、心に潜ませている差別的な感情に応えるものでした。

 フェリーニはそのような道化師たちを限りなく慈しみ、愛おしんできました。当時、異形の者たちは道化師として可視化され、れっきとした社会の一員として存在していたのです。ところが、近代化の進行に伴い、いつの間にか、彼らは人前から姿を消してしまいました。病院か施設に隔離されてしまったのでしょうか、社会に居場所がなくなってしまったのです。そのような社会状況について後年、フェリーニが悲しみの混じった複雑な気持ちを吐露していたことを思い出します。

■19世紀末、観客が求める笑いの変質

 舘氏はパワーポイントを使って、当時のポスターや絵画を紹介しながら、19世紀末フランスで活躍した黒人道化師ショコラの栄枯盛衰をフランス社会の変化に関連付けて語ってくれました。とりわけ興味深く思ったのは、19世紀末、フランスでは笑いが変質していったということでした。

 18世紀から19世紀にかけてパリでは常設サーカスの建物が次々と建築されたといいます。そのうち、現在も残っているのが、シルク・リベール(Cirque d’hiver)です。

 当時、幅広い階層の人々にとって、娯楽の中心はサーカスでした。ポスターや絵画にサーカスをモチーフにした作品が多々見られることからもそのことがわかります。サーカスの道化師として才能を発揮したのが、ショコラでした。もちろん、本名ではありません。チョコレートのように濃い褐色の皮膚にちなんでつけられた名前でした。実際はキューバからの移民でしたが、アフリカからの移民として黒人を売り物にした芸を披露していました。

 やがて、白人の芸人とコンビを組み、物珍しさと高い身体能力に支えられたパフォーマンスが観客から喝采を浴び、一躍娯楽界の寵児となりました。セミナー会場では、道化師ショコラをモデルにしたと思われるポスターも紹介されました。

 上図 (http://www.allposters.co.jp/より引用 ) は、ロートレックがカフェでダンスを披露するショコラの姿を描いたものです。脹脛といい、臀部といい、筋肉の張り具合がしっかりと捉えられており、卓越した運動能力の持ち主であることが示されていました。この姿態を見ただけで、身体能力の優れたショコラが魅力的なパフォーマンスを披露し、娯楽界の寵児であったことがわかります。

 ところが、19世紀末になると、観客の意識に変化が生じ、求める笑いの質にも変化が見られるようになったと舘氏はいいます。つまり、観客の差別的な感情に訴求する笑いが求められなくなっていったのです。これについて舘氏は、異形の者を笑いの対象にしてきたことに対する観客の贖罪の気持ちであり、そのような念を抱かせる対象そのものを忘れてしまいたいという気持ちではなかったかと指摘するのです。

 折しも、パリでは映画の撮影・上映技術を開発していたリュミエール兄弟が1895年12月28日、「工場の出口」という作品を有料公開しました。動く映像を初めて目にした人々は驚きました。日頃見なれた光景にすぎなくても、動画として映し出されることに新鮮味を覚え、興奮したのです。

 映画という新しい娯楽が普及するのに伴い、次第にサーカスの人気が衰えていきます。

 道化師が生み出す笑いは基本的に、観客の差別的な感情に訴求するものでした。ところが、近代化を経て、観客の意識が変化していくと、その種の笑いはやがて顧みられなくなっていきました。当時、ロンドンに次いで、いち早く産業化、都市化を経たパリの街は、近代化にふさわしく大改造されました。そのようなパリの街に住む観客には、これまでサーカスの道化師が生み出してきた笑いは次第に受け入れられなくなっていったのです。

 興味深いことに、リュミエール兄弟はショコラとフティットのコンビを撮影していました。黒人と白人のコンビは映画の題材として価値が高いと判断したのでしょう。当時の貴重な映像がありましたので、ご紹介しておきましょう。

こちら →https://youtu.be/XjHZ_z23BZY

 最初に映画が上映されて2,3年後、リュミエール兄弟は客をつなぎとめる必要に迫られるようになっていました。移り気な観客たちは、ただ動くだけの映像に関心を失い始めていたのです。映画を続けるため、リュミエール兄弟は、人々の興味を引くようなものであれば何でも題材にし、一種のドキュメンタリー映画を制作するようになっていました。著名であった黒人と白人のコンビ(ショコラ&フティットのコンビ)は稼げる題材だったのです。

 19世紀末に映画が登場して以来、パリでは娯楽の様相が一変しました。観客は機械を媒介とした娯楽に新しい感覚を刺激され、楽しみを覚えるようになり始めていました。一方、産業化、都市化が進行していたフランスでは、観客のヒトに対する意識が変わり、求める笑いの質にも大幅な変化が起きていたのです。

 サーカスは衰退し、道化師の笑いを求める人々も減少していきました。ショコラはヌーヴォー・シルクを解雇され、コンビも解消せざるをえなくなりました。その後、病気の子どものためにセラピー道化師の活動をはじめたりもしましたが、1917年、巡業中のボルドーで亡くなり、やがて、すっかり忘れ去られてしまいました。

■映画「ショコラ」

 フランスでは近年、道化師ショコラの再発見、再評価の動きがあり、2016年にはショコラをモデルにした映画「ショコラ」が公開されました。舘氏は、この映画はフランスで200万人も動員し、大ヒットしたといいます。いったい、どんな映画だったのか、ネットで見てみました。

 2016年に公開されたフランス映画「ショコラ~君がいて、僕がいる~」は、先ほどご紹介した黒人ショコラとコンビを組んだ白人フティットをモデルにした映画です。ショコラを演じるのが「最強のふたり」で好評を博したオマール・シー、フティットを演じるのがチャップリンの孫ジェームス・ティエレ、そして、監督は俳優出身のロシュディ・ゼムです。

映画チラシ

 映画は、子どもたちが丘を駆け下りてサーカスのテントが張られるのを見に行こうとしているシーンから始まります。このシーンを収めた映像をネットで探してみたのですが、フルバージョンの映像はスペイン語吹き替え版しか見つかりませんでした。とりあえず、冒頭だけをみていただくことにしましょう。

こちら→https://www.youtube.com/watch?v=xDq-pEP5efg

 この冒頭シーンは、フェリーニの「道化師」の冒頭シーンとイメージが重なります。子どもたちの好奇心を刺激するものがサーカスにはあることが示されています。未知の世界であり、日常とは異なる異質な空間が子どもたちの好奇心を誘うのでしょうか。オープニングに子どもを登場させることによって、映画の中で語られる世界に時間と空間の広がりを与えています。

 それでは、この映画は何を物語っているのでしょうか。監督と主演二人に対するインタビュー、そして、概略を紹介した予告映像がありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →https://eiga.com/movie/84870/video

 この映像の最初から1分47秒までが、メーキングを含めた監督と主演者へのインタビュー映像です。

 まず、ロシュディ・ゼム監督は「100年も前に有色人種の芸人が歩んだ人生を知って、感動したと同時に悲しくなった」と映画製作の動機を語ります。そして、ショコラ役のオマール・シーは「この映画によって無名だった彼が知られるようになる。彼はアーティストだったと伝えたい」といいます。フティット役のジェームス・ティエレは「白人と黒人のコントラストにすべてがある。二つの極に電流が走る」といい、対極にある二人がコンビを組むことによって得られた芸の上の成果を語ります。

 2分4秒以降は、この作品を要領よくまとめた予告映像になります。

 二人が出会い、コンビを組むようになるプロセスを描いたシークエンスでは、個性豊かな二人の性格がそのやり取りの中で自然に表現されています。白人&黒人コンビの道化師として彼らは評判を呼ぶようになり、やがて、パリに招聘され、成功を収めます。「ふたりなら無敵」と思い込むほど順調だったのに、ある日、ショコラは逮捕され、虐待され、黒人移民であるがゆえの悲哀を味わい、次第に身を持ち崩していきます。そんなショコラをフティットは我慢強く支えていく・・・、といった展開で、メリハリの効いたストーリーです。

 この作品は友情をメインテーマに、黒人に対する社会の差別意識、コンビ仲間の心中に潜在する差別意識と嫉妬心などがエピソードに絡めて巧みに描かれています。友情の背後にある複雑な心理状況が二人を取り巻く環境と関連づけて浮き彫りにされているので、とても説得力のある映画になっていました。

■道化師ショコラのアイデンティティ

 武蔵大学で開催されたセミナーに参加し、そこで紹介された映画「ショコラ」をネットで観ました。予想以上に面白く、身につまされるものがありました。120年も前の出来事なのに、グローバル化時代に生きる私たちに語りかけるものがあったのです。

 スペイン領キューバで生まれたショコラは生年もはっきりしません。植民地で生まれたことの悲哀です。本国スペインに奴隷として売られ、家内使用人や農場で働いていました。やがて、過酷な労働に耐えかねて逃亡し、フランスのサーカス一座にアシスタントとして雇われます。ここでは、国の力が弱い場合、その国で生まれても他国で生きていかざるをえず、出生国に紐づけられたアイデンティティを獲得することが難しいことが示されています。

 それでは、ショコラはアイデンティティの基盤をどこに見つけたのでしょうか。

 フランスのサーカス一座に雇われたショコラは、アフリカから来た黒人道化師として働くようになります。客寄せのために出自を偽り、アフリカの人食い人種としての仮面を付けざるをえなかったのです。

 そんなある日、白人芸人のフティットから誘われ、黒人&白人道化師としてコンビを組むようになります。コンビの新規性とショコラの芸が評価され、人気が高まっていきます。パリの大サーカスに招聘され、活動の舞台をパリに移します。ショコラはようやくアイデンティティの基盤を見つけることができました。

 芸を磨いたショコラは上流階級の人々からも招かれるようになり、著名になっていきます。著名になれば、もちろん、大金も入ってきます。実際は、黒人ショコラが白人フティットに蹴飛ばされ、平手打ちされることで笑いを取っていたのですが、ギャラの3分の2は白人のフティットが受け取るという非合理を受け入れざるを得ませんでした。

 芸を磨くことによって評価され、芸人としてアイデンティティを獲得できたとはいえ、身体に刻印された人種的特徴から逃れることはできず、社会的扱いもそれに応じたものでした。ショコラが自暴自棄になったのも当然のことだといえるでしょう。

 ショコラは努力を重ね、芸をきわめた結果、人気を得、大金を得たのですが、社会的な評価を覆すことはできませんでした。ショコラの社会的な劣位は芸人として大成功を収めても解決するものではなかったのです。

■ショコラが今、私たちに語りかけるもの。

 道化師ショコラが生きた時代、人種的特徴あるいは身体的特徴が人々の社会的地位を決定づけてきました。ショコラは芸人として評価されながら、ポジティブなアイデンティティを獲得することもできないまま、人生を終えました。出生国を離れ、国境を越えて生きざるをえなかったからでしょう。出生国へのロイヤリティを失い、居住国でアイデンティティを獲得できることもできなかったことの悲哀を感じてしまいました。

 グローバル化時代の今、国境を超えることがきわめて容易になっています。迫害を受けたわけでもないのに、より高い賃金を求めて国を捨てる人々も増えています。移動先の国では人権に基づき、一定の労働条件、生活条件が保証されていますから、出生国へのロイヤリティは希薄になっているのが現状だといえるでしょう。

 19世紀末の社会とは違って、現在、さまざまな偏見は是正されてきています。実際にコミュニケーションを持つことによって、偏見は容易に崩れることは事実です。実際、私はメルボルンからの帰途、機上で隣り合わせた黒人女性の才気あふれゴージャスな雰囲気に圧倒された経験があります。ニューヨークに住み、仕事の関係でメルボルンから成田経由でマドリッドに行くということでした。シンガポールで出会ったベトナム人女性画家も洗練されていて思慮深く、驚いたことがあります。有色人種に対する偏見は、直接的なコミュニケーションが増えるにつれ、解消に向かうかもしれません。

 ただ、移民となると、また状況は大きく異なります。ショコラの人生を思うとき、ローカル・アイデンティティを築くことなく、出生国を離れ、文化の異なる居住地で、果たしてポジティブなアイデンティティを築き上げることができるのか、といった疑念が消えないのです。

 芸を磨き、観客の期待に応えてきたおかげで、いっとき、ショコラは富と名声を得ました。ところが、フランスでは依然として、社会的地位は低いままでした。自暴自棄になってしまったのは、アイデンティティクライシスに陥っていたからではなかったかと思うのです。

 ショコラは出生国、居住国でも文化に根差したローカル・アイデンティティを築くことができませんでした。ですから、差別的環境から抜け出せないことがわかったとき、動揺してしまったのでしょう。拠って立つべき文化を持たないまま生きざるをえなかったものの苦悩がしのばれます。 

 2018年12月21日、日経新聞で「入管法改正、人手不足解消に期待」というタイトルの記事を読みました。

こちら →https://www.nikkei.com/article/DGKKZO39204570Q8A221C1L41000/

 「ショコラ」を観た後で、このニュースを知ったので、ちょっと気になりました。ショコラが生きた時代と現代とは違うということは承知の上で、人手が足りないからといって外国人労働者を受け入れてしまって、果たして、大丈夫なのか?という思いに駆られてしまったのです。

 ショコラの人生を映画で見ているうちに、ヒトは固有の文化を基盤にローカル・アイデンティティを獲得し、それでようやく、グローバルな状況に耐えられるようになるのではないかと思うようになったからでした。(2018/12/30 香取淳子)

「グレーテスト・ショーマン」:人類祝祭への賛歌

■「グレーテスト・ショーマン」
 2018年3月20日、少し時間の余裕ができたので、たまには映画でも観ようかと思い、上映作品の中から選んだのが、「グレーテスト・ショーマン」でした。なんの予備知識もなく観たのですが、久々に身も心も弾むのを感じました。

こちら →http://www.foxmovies-jp.com/greatest-showman/#/boards/showman

 上記映像の「予告D」では主な登場人物、ストーリー展開の重要な場面、パフォーマンス、音楽などが端的に紹介されています。

「グレーテスト・ショーマン」(The Greatest Showman)は、19世紀に活躍した興行師P・T・バーナムの半生を描いたミュージカル映画です。貧しく生まれ育った少年がお金持ちの令嬢と結婚して家庭を築き、紆余曲折を経て、やがて夢を実現させていく、というお定まりの成功譚です。

 ストーリー自体はハリウッドの定石を踏んでいますが、テンポの速い画面展開、リズミカルな画面構成、躍動感あふれるダンス、魂を揺さぶる音楽、そして、なにより、セリフの素晴らしさに酔いしれてしまったのです。

 ミュージカル映画だったからでしょうか、劇中、流れていた楽曲のリズムとサウンドが全身に沁みついてしまい、見終えてしばらくは軽い興奮状態でした。私はいつも映画が終わるとすぐ会場を出てしまうのですが、今回はエンドロールが終わり、場内が明るくなるまで映画の余韻に浸っていました。すぐには立ち去りがたい気分になっていたのです。

■興行師バーナム
 主人公バーナムは実在した人物ですが、ショービジネスに手を染めるまでの経緯は、現代社会に生きる観客が違和感なくストーリーに入り込めるよう、アレンジされています。

 勤務していた会社を解雇されてから、着手した事業が失敗し、次にバーナムが始めたのは、フリークショーでした。これは、大男、髭の濃い女性、全身入れ墨の男性、小人など、それまで世間から隠れるようにして生きていたヒトたちを舞台に登場させ、そのパフォーマンスを見せるショーです。

 バーナムとそのメンバーたちがそれぞれ、ポーズを決めて写真に収まっています。

こちら →
(https://www.eigaongaku.info/265.htmlより。図をクリックすると、拡大します)

 フリークショーは、19世紀から20世紀初頭にかけて盛況を呈したショービジネスです。娯楽の少ない時代の庶民の娯楽でした。バーナムもおそらく、その波に乗って興行師として成功を収めたのでしょう。

 フリークショーを興すことによって、興行主バーナムは、それまでひっそりと隠れて生きていたメンバーたちを次々と、表舞台に引き上げていきます。そして、「みんな違うから、輝くんだ」といって怖気づく彼らを鼓舞し、自信と勇気を引き出していきます。

 一方、不承不承、ショーの一員になることを引き受けたメンバーたちも、ありのままの自分をさらけ出すことによって収入を得、自分の居場所を得られることがわかってくると、自ずと自信が生まれ、堂々と生きていけるようになります。これは、「光を与えてくれた」という言葉に集約されています。

 さきほどの映像で端的に紹介されていましたが、バーナムのセリフ「みんな違うから、輝くんだ」、そして、メンバーのセリフ「光を与えてくれた」に、私はなによりも強く印象づけられました。

 バーナムにとっては収益を上げるショービジネスでしかなかったのかもしれませんが、メンバーにとってはかけがえのない居場所であり、心の拠り所にもなっていたのです。そのようなプロセスを示すセリフとパフォーマンス、音楽とが見事にマッチし、ストーリーの展開にともない、心身ともに引き込まれていきます。

 いつになく感動し、途中、涙を流したりもしました。ヒトの存在自体が放つ哀しさ、切なさ、侘しさに限りなく愛おしさを覚えてしまったのです。リズミカルな音楽とパフォーマンスがその気持ちに拍車をかけます。

 劇中、最も惹きつけられたのが、「This is Me」という曲でした。

■「This is Me」
 おそらく、誰もが同じ思いだったのでしょう、この曲は、第75回ゴールデングローブ賞で主題歌賞を受賞し、第90回アカデミー賞の主題歌賞にもノミネートされました。

 2018年2月21日、映画では髭女のレディ・ルッツを演じた女優キアラ・セトルがこの曲を歌う映像がyou tubeにアップされました。貴重な映像です。ご紹介しましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=lWtOVl5Cv00

 この映像は、マイケル・グレイシー監督とキアラがトークするシーンから始まっています。当初、マイクの前に決して出ようとしなかったキアラに、マイケル監督は、「堂々とありのままでいようと歌っているんだから」と強く後押ししたようです。それでようやく、キアラは皆の前で美声を披露するようになったということが明かされています。

 「隠れてろ、お前など見たくない」、「消えろ、誰もお前など愛さない」というセリフに続いて、「でも、心の誇りは失わない」、「居場所はきっとあるはず」というセリフ。さらに、「言葉の刃で傷つけるなら」に続いて、「洪水を起こして溺れさせる」というセリフ。そして、「勇気がある、傷もある、ありのままでいる」に続いて、「これが私」(「This is Me」)というセリフでいったん、終わります。

 たとえ逆境にあっても、誇りは失わず、ありのままでいるのが「私」だと、繰り返し確認する姿勢が表現されています。まさに、「This is Me」なのです。

 キーフレーズ「This is Me」はその後、なんども繰り返され、次第に情感が高められていきます。「見られても怖くない、謝る必要もない」、「心に弾を受け続けた」、「でも、撃ち返す」、「恥も跳ね返す」というふうに、使われるフレーズも次第に強くなっていきます。そのたびに声のトーンがあがり、ボリュームもあがっていきます。

 そのようなクレッシェンド効果が最高になったとき、「私たちは戦士」、「戦うために姿を変えた」というフレーズに移り、彼らの状況認識が変わっていったことが示されます。もちろん、そうはいっても、「心の誇りは失わず」、「居場所はあるはず」というフレーズは組み込まれています。彼らを心理的に支えるフレーズを通して、‘待ち’の姿勢が示されており、「輝く私たちのために」という希望が、彼らを支える拠り所になっていることが強調されます。

 一連のフレーズを通して、彼らがバーナムのショービジネスに参加することによって、肯定的に自分を捉えられるように変化していったことを把握することができます。

■危機を跳ね返すバーナムのアイデア
 興行師とパフォーマーたちが一体化したこのショービジネスは、各地で喝采を浴びました。バーナムはようやく、子どものころから夢に見続けた成功を手にします。ところが、富を手にし、有名にはなりましたが、所詮、成り上がり者でしかありません。バーナムが成功するにともない、非難の目を向ける人々も増えていきます。それは、地域の近隣住民であり、社交界であり、劇場評論家でした。彼らは成り上がり者のバーナムや家族を非難し、排除しようとします。

 そのような動きは、子どもたちのコミュニティでも例外ではありませんでした。バレーを習っているバーナムの娘はのけ者にされ、バレーを辞めたいと言い出す始末です。興行主としてビジネスの成功を追い続けていたバーナムに試練が訪れます。

 アイデアマンのバーナムは、彼なりの方法でこの危機を切り抜けます。

 成り上がりに必要なものは権威付けです。パートナーの伝手で、女王との面会を果たし、メンバーとともに出席したその席で、バーナムは著名なオペラ歌手と出会います。もちろん、彼はこの機会を逃しません。機を見て、彼女との公演の約束を取り付けてしまいます。

 そして、上流階級を対象にした公演もまた、大成功を収めます。

こちら →
(http://www.imdb.com/title/tt1485796/mediaviewer/rm2318162944より。図をクリックすると、拡大します)

 清楚で美しく、限りなく上品なオペラ歌手ジェニー・リンドは、気難しい上流階級の人々はもちろん、バーナムを非難し続けてきた劇場評論家さえ虜にしてしまいます。

 またしても、バーナムは危機を乗り越え、いよいよ成功の頂点に上りつめていきます。支えてきたのは、有能なパートナーのフィリップ・カーライルであり、努力の積み重ねで、圧巻のパフォーマンスを披露するメンバーたちでした。

■パフォーマンス、そして、芸と舞台技術
 それでは、メンバーたちのパフォーマンスを見てみることにしましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=abo9ULUk0ok

 「This is Me」の場合、どのように振り付けられ、パフォーマーたちによってダイナミックに演じられていったのか、上記の映像を見るとよくわかります。迫力あるシーンは、最先端の振付師によって効果的に振り付けられ、「This is Me」のフレーズが印象に残るように工夫されていたのです。

 もちろん、メンバーの芸や舞台技術もすばらしいものでした。たとえば、次のようなシーンがあります。

こちら →
(https://www.bustle.com/p/is-the-greatest-showman-a-broadway-musical-the-movie-takes-cues-from-both-stage-screen-7670795より。図をクリックすると、拡大します)

 これは、事業パートナーのフィリップ・カーライルとメンバーのアニーとの出会いのシーンです。アニーが空中から舞い降りてきて、カーライルの心を射止める情景が、幻想的に美しく表現されています。まるで妖精のようなアニーが、空中で浮かんだままポーズを取るための身体機能、舞台技術、それを華麗に見せるための照明技術、そして、優雅な雰囲気を保ったままポーズを維持するための芸、それぞれがマッチしているからこそ、このシーンが見事に輝いて見えるのです。

■作品評価
 私はこの作品を素晴らしいと思いましたが、どうやら米国の批評家たちの評価は違っていたようです。『VULTURE』(2018年2月13日)によると、『Rotten Tomatoes』では、批評家レビュー203のうち、55%が支持し、45%が不支持だったそうで、平均評価は10点中6点でした。また、『Metacritic』では、批評家レビュー43の平均点は100点中、48点でした。

 批評家からの評価が低く、興行一週間の成績が悪ければ、その後、興行的に成功しようがありません。

こちら →
http://www.vulture.com/2018/02/the-sneaky-slow-burn-success-of-the-greatest-showman.html

 上記にまとめられているように、当初、批評家からの評価が低く、公開後3日間の収益はわずか800万ドルだったそうです。ところが、実際に映画を見た観客の評価がよく、SNSや口コミで広がった結果、公開2週目の週末には1550万ドル、3週目の週末は1380万ドルと上昇しました。

 そこで、Box Office MOJOを見てみると、2018年3月19日時点のデータで、米国内の興行収入は169,836,171ドル、海外収入は229,414,675ドルで、総計399,250,846ドルでした。米国内が42.5%、海外が57.5%という構成比です。製作費が8400万ドルですから、この時点で製作費の4倍以上の収益をあげていることになります。

 19世紀の、それほど著名でもない米興行師を取り上げた伝記ミュージカル作品としては、上出来の数字ではないかと私は思います。21世紀の観客に見てもらうために、製作陣がどれほどの努力を傾けたのか、考えてみるのも一興でしょう。

 まず、批評家の評価が芳しくなかったということ、これは公開第一週の興行収入に大きく影響しますし、その後の展開をも左右します。ですから、批評家の評価を高くするのが、製作陣営の戦略のはずですが、それが機能しなかったということになります。

 たしかに、扱っている人物が19世紀のあまり名の知られていない興行師ですし、ストーリーもハリウッドでは当たり前の成功譚です。しかも、結末があまりパっとしません。

 終盤にかけてのバーナムは、火事で劇場が焼失し、財政困難に陥ります。どうなることかとハラハラさせられますが、事業パートナーのカーライルの支援で劇団そのものは再建させることができました。興行も野外にテントを張って再開することができ、大成功を収めました。いってみれば、クライマックスです。

 その後、バーナムはショービジネスをパートナーのカーライルに譲り、自分は家族の元に戻るという展開です。それまでに妻が実家に帰ってしまうという伏線が敷かれていたとはいえ、この結末は事業欲の塊のようだったバーナムの姿とはマッチしません。

こちら →
(http://www.brandiconimage.com/2018/01/golden-globes-2018-full-list-of-winners.htmlより)

 人物像として一貫性に欠け、安易な結末に走ってしまっています。そんなところが、批評家から辛く評価された原因なのかもしれません。あるいは、ストーリーがハリウッドの定石通りで、新鮮味がなく、訴求ポイントが見当たらなかったところが原因だったのかもしれません。いずれにせよ、批評家としては持ち上げる材料に欠ける作品だったのでしょう。

 ところが、観客主導で、この作品は次第に評価を得ていきます。

■人類の祝祭、そして、賛歌
 さて、これまで見てきたように、批評家たちはこの作品を肯定的に評価しませんでした。ところが、実際にこの映画を見た観客がSNSや口コミでこの映画の良さを拡散していきます。結果として、ヒットにつながっていくわけですが、なぜ、観客は批評家たちと違って、この映画を肯定的に捉えたのでしょうか。

 それに関連すると思われる興味深い記事を見つけました。この記事によれば、アカデミー賞授賞式でキアラが歌った「This is Me」の圧倒的なパフォーマンスに共演者、ブロードウェイが続々と絶賛コメントを寄せているというのです。

こちら →http://front-row.jp/_ct/17151729

 この曲は第90回アカデミー賞歌曲賞にノミネートされましたが、残念ながら、受賞はしませんでした。それでも、多くのヒトがツィートしたり、SNSから賛辞を送ったりしたといいます。この曲こそ、映画「グレーテスト・ショーマン」を成功に導いたといえるでしょう。それでは、この曲が観客の心をぐいと鷲づかみにした理由は一体、なんだったのでしょうか。

 おそらく、「This is Me」には多様なヒトへの賛歌が込められていたからではないかと思います。興行師バーナムが提供したフリークショーに、観客は人類の祝祭への賛歌を感じたでしょうし、翻って、自分自身への賛歌を感じたからかもしれません。ヒトが、何事も恐れることなく、恥じることなく、誇りを抱いて生きていくことへの賛歌を、この映画に感じられたからではないかと思います。音楽とパフォーマンスが素晴らしく、久々に身も心も弾む映画を見た思いがしました。(2018/3/21 香取淳子)

「レイルウェイ 運命の旅路」:戦争による心の傷を癒すことはできるか?

「レイルウェイ 運命の旅路」:戦争による心の傷を癒すことはできるか?

■レイルウェイ 運命の旅路

3月27日(金)、「レイルウェイ 運命の旅路」の試写を有楽町の角川シネマ有楽町で見ました。日本軍の捕虜になった英国人元兵士の実話に基づく映画だと知って、思わず身構える気持ちになってしまいました。日本軍を扱った典型的な戦争映画のように、捕虜や現地人に残忍な行為を行う日本兵の拷問シーンなど繰り返し見せつけられるのではないかと思ったからです。

ですが、この作品はちょっと違っていました。たしかに、捕虜に対する過酷な扱いや残虐な拷問シーンもたびたび登場するのですが、戦争で負った心の傷はどうすれば治癒できるのかといった点に焦点を当てて物語が構成されています。ですから、残虐なシーンを見ると、今回もまた、いたたまれない気持ちになってしまったのですが、映画を見終えると、なんだかほっとして救われた思いがしたのです。それはおそらく、戦争で心の傷を負ったのは残虐行為の被害者(英国人元通信兵)だけではなく、加害者(日本人元憲兵・通訳)もそうなのだという視点で作品が展開されていたからでしょう。

■泰緬鉄道建設

第2次大戦時、日本軍の捕虜になった英国軍通信兵エリック・ローマクスは泰緬鉄道の建設に駆り出され、残虐非道な扱いを受けた結果、心に大きな傷を負います。その傷はいつまでも癒えず、結婚して幸せを掴んだのも束の間、しばらくすると再び、そのPTSDに苦しみ続けます。一方、加害者であった日本人元憲兵・通訳の永瀬隆もまた自分の犯した罪に苦しみ、戦後、泰緬鉄道のあるタイへの巡礼を続けています。このように戦争は加害者にも被害者にも苦しみしか与えないことをこの作品は原作(実話)に基づいて描き出します。

圧巻だったのは、長年、復讐を望みながらも、主人公(被害者)が実際に加害者に対面すると、復讐では解決にならないこと、心が癒されるわけではないことを悟るシーンでしょう。この作品は戦争によるPTSDを扱っているだけに、全般に重苦しい雰囲気が漂っています。ときには息苦しくなってしまうほどですが、主人公の妻パトリシアを演じたニコール・キッドマンの美しさが画面に華やぎを添えてくれます。二人の出会いのシーンはまるで恋愛映画の始まりのようで、わくわくします。ちょっと紹介しておきましょう。

■出会い

主人公エリック・ローマクスはある日、列車の中で美しい女性パトリシアと相席になります。二人はふとしたことで会話を交わすようになりますが、そこで、エリックは鉄道に絡む博学ぶりを発揮してしまいます。彼が根っからの鉄道愛好家なのだということがこのシーンでさりげなく示されています。子どものように無邪気に勢い込んで話すエリックを見つめるパトリシアの表情が優しく、とても慈悲的でした。これも彼女が元看護婦で夫の心の傷の回復に精魂傾けていく後段の展開を暗示しています。他愛もない会話のシーンですが、エリックやパトリシアの人物像、心の交流が見事に表現されています。やがて二人は結婚に至ります。そして、物語は現在と過去を行き来しながら展開されます。

レイルウェイ 運命の旅路

この映画は4月19日に全国で公開されますので、内容の紹介はこのぐらいにしておきましょう。

■上映後のティーチ・イン

映画の上映後、原作者の妻であるパトリシア・ローマスクさん、監督のジョナサン・テプリツキー氏、プロデューサー・脚本担当のアンディ・パターン氏、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏の4人が司会者を交え、映画について語り合いました。印象深かったのは、パトリシアさんが、長年復讐心を抱いていた夫が実際に加害者のナガセにあったとき、夫の目に映ったナガセが自分と同じように老いさらばえた老人だったと語ったことでした。時がヒトの見かけを変え、ヒトの心に大きく作用することがわかります。

また、この映画の製作動機を聞かれたテプリツキー監督が、原作がもつ人間性に惹かれたからだと答えたことも印象的でした。実際、この作品は見事なまでに人間性に焦点を当てて製作されています。

■戦時における人間性

主人公(被害者)は戦争時の残虐非道な扱いによって心に傷を負い、長い年月をかけてもその傷は癒されませんでした。主人公はついに過去を直視し、向き合うことを決意します。そして、被害の現場で加害者と対面し、当時の苦しみを再体験をすることになります。ところが、被害者は逆の立場になっても当時の加害者と同じ行動をとることはできません。復讐心に満ち溢れていたはずなのに、行為としての復讐を実行できなかったのです。それこそ「人間性」が、被害者が復讐的行為をすることを止めたのでしょう。それを見た当時の加害者は深く反省します。そこにも「人間性」が介在します。

そして、後段で、原作に登場する駒井光男大尉の息子・駒井修氏が登場し、再会時のエピソードを披露しました。パトリシアさんは、彼があまりにもその父親に似ているので夫はショックを受けていたと語ります。

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戦後すでに68年を経ていますが、日本軍がアジア各地で行った蛮行、残虐行為がアジア各地に博物館、記念館として残されております。その種の博物館や記念館を訪れるたびに、いたたまれない気持ちになってしまっていました。この映画を見て、改めて戦争には勝利者はいないのだということを感じさせられます。戦争は被害者はもちろん、加害者にも多大な心の傷を負わせてしまうのです。

■なぜ豪英合作なのか?

映画を視聴し、その後のティーチ・インにも参加したのですが、どうしてもわからなかったことがあります。それは、英国人元通信兵の物語がなぜ、オーストラリア人監督によって製作されたのか、ということでした。コリン・ファース(エリック・ローマクス役)は英国人ですが、ニコール・キッドマン(パトリシア役)はオーストラリア人です。タイトルバックにも Screen Queensland や Screen Australia の文字が入っており、オーストラリアが力を入れていることがわかります。

そこで、調べてみました。その結果、劣悪な環境下で泰緬鉄道の建設に従事させられ、死亡したのは、連合軍捕虜である英国人6648人やオーストラリア人2710人、そして具体的な数は把握されていないのですが、数多くのアジア人だったそうです。約8万人がこの鉄道建設で命を落としたといわれています。

調べてみてようやくわかりました。なぜ、この映画がオーストラリア人監督によって起案されたのか、なぜ豪英合作なのか、なぜ主人公が英国人、サブ主人公がオーストラリア人なのか。ちなみにこの映画の一般公開は、オーストラリアが2013年12月26日、イギリスが2014年1月10日、そして、日本が2014年4月19日です。人間性に焦点を当てて戦争を取り上げたこの作品が、関係国だけではなく、他の多くの国の人々によって鑑賞され、戦争について議論され、語り継がれることを期待します。(2014/03/27 香取淳子)