ヒト、メディア、社会を考える

映画

映画『イン・ザ・ハイツ』に、カリビアン・ディアスポラの魂を見る。

■ラテンのヒップホップで、暑気払いを

 2021年8月6日、近くのユナイティッドシネマで、『イン・ザ・ハイツ』を見てきました。その日も朝からうだるように暑く、うんざりするような気分でした。コロナ禍で外出もできず、適当な憂さ晴らしもできません。気だるく、何をする気にもならないでいるとき、ふと、夕刊で見た映画評の「熱いリズム」という言葉が脳裡をかすめました。

 ずいぶん前に読んだはずですが、その言葉と写真だけは妙に鮮明に記憶に残っていたのです。タイトルと写真を見ただけで、記事を読んではいませんでした。確認してみると、その記事では、2021年7月30日、封切されたばかりの映画“イン・ザ・ハイツ”が紹介されていました。


(2021年7月30日、日経新聞より)

 暑いさ中でも、人々は楽しそうでした。写真を見ているうちに、ミュージカル映画を見るのも悪くないなという気になってきました。映画館の大画面で、ノリのいい音楽とキレキレのダンスを見れば、きっと、暑気払い、コロナ払いもできるでしょう。

 さっそく、ネットで座席をチェックすると、まだ相当、余裕がありました。朝1番のチケットをオンラインで購入すると、ようやく気持ちが落ち着きました。これで一安心、開始直前に映画館に着いても大丈夫です。

 朝10時5分、映画は始まりました。

 男が子どもたちを前に、「昔あるところに・・・」と話しだす冒頭シーンを見た瞬間、2年ほど前に見たミュージカル映画『アラジン』を思い出しました。この映画も、男が子どもたちに話しかけるシーンで始まっていたのです。それが、ちょっと気になりました。ミュージカルにお定まりのオープニングなのでしょうか?

 そういえば、観客は日常生活を引きずったまま映画館にやって来ます。その観客の意識を手っ取り早く切り替え、現実世界から物語の世界へ誘導するための入り口なのかもしれません。音楽を積み重ね、繋いでいくミュージカルでは境界を設定しにくく、明らかにトーンの異なった導入部が必要なのかもしれません。

 『アラジン』と同様、この映画も、エンディングとオープニングが対応したシーンで編集されていました。子どもたちに語りかけながら、主人公が過去の出来事を振り返り、現在の自分たちを語るという形式になっていたのです。

 さて、子どもに語りかけるシーンから、場面は一転して、この物語が展開されるワシントンハイツに移ります。アップテンポの音楽を背景に、リズミカルなカット割りで構成されているので、観客はすぐにも作品世界に引き込まれていきます。

 テンポの速いラップとキレの画面を見ているうちに、画面に合わせて身体を揺すり、リズムを取っているのに気づきました。私もいつの間にか、ラテンの「熱いリズム」に感染していたのです。コロナ鬱も暑気疲れもたちまち、どこかに吹き飛んでしまいました。

 それでは、『イン・ザ・ハイツ』がどのような映画なのか、見ていくことにしましょう。

 まずは、2分25秒のUS版予告映像(日本語字幕付き)をご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/CxaMDJTbjKs

(広告はスキップするか、×印を押して消してください)

 よく出来た予告映像です。ラップとヒップホップに絡め、映画の概要やエッセンスが的確に表現されています。この予告映像の展開に沿って、映画の概要やコンセプトを見ていくことにしましょう。

■映画の概要

 たとえば、冒頭のシーン。主人公が子どもたちに向かって、「ある所にワシントンハイツという場所があった」と話し始めます。次いで、「ワシントンハイツの一日が始まる」という字幕とともにラップが流れ、主人公のウスナビが暮らす日常のエピソードが映像で綴られます。

 消火栓の安全ピンを抜き、立ち上る水しぶきを浴びて大騒ぎする子どもたち、シャッターに落書きをする若者、追いかける主人公のウスナビ(コンビニ店主)など、住民の朝のルーティーンが短いショットで重ねられます。物語が展開されるワシントンハイツの日常が、断片的な映像を積み重ねて紹介されるのです。やがて文字だけの静止画になります。

「ミュージカルの金字塔「ハミルトン」の製作者がおくる」

『ハミルトン』とは、2016年に空前の大ヒットを飛ばしたミュージカル映画です。トミー賞、グラミー賞、ローレンス・オリヴィエ賞、ピューリッツア賞など、さまざまな賞を受賞しています。

 この大ヒット作『ハミルトン』で、製作・脚本・音楽・作詞などを務めたリン・マニュエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda)が、この映画では原作・製作・音楽を担当していました。(※ https://theriver.jp/hamilton-release/

 だから、「ミュージカルの金字塔「ハミルトン」の製作者がおくる」なのです。最初にアピールすべきポイントだと担当者は考えたのでしょう。この文字だけの静止画の後、かき氷を載せた手押し車を引く男が現れます。

 その映像に、「冷たい、かき氷はいかが」という字幕がかぶります。このかき氷売りに扮した男こそ、原作者のリン・マニュエル・ミランダです。


(ユーチューブ映像より)

 再び、文字だけの静止画になります。

 「傑作ミュージカルの映画化」

 『イン・ザ・ハイツ』は、2005年に初演されたブロードウェイミュージカルで、リン・マニュエル・ミランダの出世作でした。当時、新境地を開拓した作品として、大きな話題を呼びましたが、なかなか映画化することができませんでした。それが今回、ようやく映画化されたのです。まさに、待望の「傑作ミュージカルの映画化」なのです。

 もちろん、物語が展開されるワシントンハイツや登場人物なども、ラップとヒップホップに乗せて、生き生きと紹介されています。

■物語が展開する場所、主要な登場人物

 いきなり、女性の足元をローアングルで捉えたショットが現れ、驚きましたが、美容院の経営者ダニエラ、そこで働くカルラ、クカなど3人の女性たちでした。

 このショットに、「これは消えかけていたワシントンハイツの物語」という字幕がかぶります。

 彼女たちは、ワシントンハイツの一角にあるウスナビの経営するコンビニに行く途中でした。毎朝、店に立ち寄り、ゴシップやちょっとした冗談を交わすのが、彼女たちの朝のルーティーンでした。


(ユーチューブ映像より)

 次いで、コンビニの外側では、バネッサがニーナを見つけ、「天才のお帰りよ」と叫び、再会を喜びあう姿が映し出されます。

 「天才」という言葉を聞いた時、一瞬、違和感を覚えました、映画では後になって説明されますが、ニーナは子どもの頃から成績がよく、この地区から始めて大学に進学した女性でした。地元の人々は誰もが彼女を誇りに思っていました。だから、バネッサも皮肉ではなく真心で、つい、「天才」と呼びかけてしまったのでしょう。

 そのバネッサはケータイで不動産屋と話しながら、コンビニに入ってきます。それを見たベニー(タクシー会社の社員)とソニー(コンビニを手伝う従弟)は、ラップに乗って、軽快にやり取りしながら、ウスナビにバネッサにアタックしろとけしかけます。


(ユーチューブ映像より)

 彼らに押されるように、ウスナビはおずおずと彼女に、「引っ越すの?」と話しかけます。バネッサは「審査が通れば、ダウンタウンへ」と答え、ちょっと誇らしげな表情を浮かべます。


(ユーチューブ映像より)

 バネッサは意気揚々と、店から出て行ってしまいます。ウスナビは悄然とし、ベニーとソニーは手をたたいて笑い転げます。

 このように、ウスナビが朝、店を開けた途端、待ちかねていたかのように、地元の人々がやってきます。買うのはたいてい、ペットボトルかコーヒー、新聞ですが、誰もが決まって買っているのが宝くじでした。

 ウスナビにとっては母親代わりのアブエラも、店が開けば早々にやってきて、コーヒーを頼み、宝クジを買っていきます。彼女の口癖は「忍耐と信仰!」です。「毎日まじめに働いていれば」と、ウスナビや地元の人々を暖かく見守り、母親代わりとしてワシントンハイツになくてはならない存在になっていました。


(ユーチューブ映像より)

 慌てて駆け込んできたのが、ニーナの父親ケヴィン(タクシー会社の社長)です。彼はこの朝、普段よりも多く、20ドル分もの宝クジを買いました。


(ユーチューブ映像より)

 これが彼らの日常なのです。こうして主要な登場人物たちの顔見せが終わったかと思うと、再び、文字だけの静止画になります。

「そこは“夢”が集う場所 N.Y.」

 ニューヨーク市のワシントンハイツ地区には、ラテン諸国からの移民がコミュニティを形成していました。彼らはそれぞれ、大きな夢であれ、小さな夢であれ、さまざまな夢を抱いて暮らしています。遠路はるばるやって来たニューヨークは、彼らにとって、まさに“夢”が集う場所なのです。

■作品コンセプト

 この作品のコンセプトの一つは、「夢」でした。登場人物たちはそれぞれ、何らかの夢を抱いていました。

 たとえば、バネッサは美容院でネイリストとして働きながら、デザイナーになる夢を抱いていました。日々、デッサンをし、作品制作に挑んでいます。

こちら → https://youtu.be/r2AcTFu3rOs

(広告はスキップするか、×印を押して消してください)

 お金に余裕のないバネッサは、ゴミ箱に捨てられた布切れを拾い集めては、嬉しそうな表情を見せます。この布切れがあれば、ミシンで縫ってアイデアを形にし、ファッションの勉強に役立てることができます。お金がないなりに、彼女は知恵と工夫で、しっかりと勉強を続けていたのです。

 色とりどりの大きな布が次々と、ビルの屋上から垂れ下がってくるシーンでは、目を輝かせて見上げるバネッサのクローズアップが印象的でした。

 そこに、「誰にも小さな夢がある」という字幕がかぶります。

 ワシントンハイツの住民のほとんどは、ラテン諸国からの移民でした。彼らは故郷では暮らしていくことができず、生きていくためにニューヨークにやってきたのです。営々と働き、ラテン系コミュニティを築き上げ、貧しいながらも助け合って暮らしてきました。そんな彼らが貧困と差別の中で生き伸びていくには、心の支えとして夢が必要だったのです。

 ニーナが帰って来たのを祝って開催されたパーティのさ中、突然、ワシントンハイツが停電してしまいます。暗闇の中で人々はパニックになり、ケータイを片手に、右往左往しながら街頭に出ます。


(ユーチューブ映像より)

 大勢の人々が次々とビルから街頭に出てきます。すると、まるで人々の不安を打ち消すかのように、夜空に高く、花火があがります。

 華麗に夜空を飾ったかと思うと、あっけなく消えてしまいます。そんな花火の儚さは、夢を抱きながらも、叶えられることのないラテン系コミュニティの住民を象徴しているように思えました。

こちら → https://youtu.be/aaFXc7SN8Ak

(広告はスキップするか、×印を押して消してください)

 闇夜で花火を見上げる人々を捉えたショットには、「(夢を)叶えるには」という字幕が表示されます。

 そして、美容院での光景、アブエラ(ウスナビの母親代わり)の後ろ姿を捉えたショットが続き、それらの画面に、「お金が必要だ」という字幕がかぶります。アブエラの声でした。

 夢を抱いてニューヨークにやってきても、それを叶えるには、資金が必要でした。アブエラは長年、この街で暮らし、母親代わりとして、住民のさまざまな夢につきあって生きてきました。だからこそ、夢を実現するには、お金が必要だということがわかっていたのです。

 アブエラは口癖のように、「忍耐と信仰」といいながら、毎日、ウスナビの店で宝クジを買っていました。

 そのアブエラが停電の日、パーティのさ中に倒れてしまいました。異変に気づいたウスナビが枕元で「大丈夫?」と心配すると、「今日は一人じゃない、皆がいる」と穏やかに言い、「忍耐と信仰」といつもの言葉を口にしました。そして、そのまま、「暑い、暑い、燃えるよう」と言いながら、亡くなってしまいました。停電でエアコンも止まっていたのです。

 停電はコミュニティにとって、いっときの危機でしたが、もう一つ、住民たちは大きな選択を迫られる危機に直面していました。ワシントンハイツが再開発の対象になっており、低所得層の彼らはやがて住めなくなるという危機に瀕していたのです。

 夢を描き、未来に期待する一方で、彼らは差別と貧困という現実に曝されていました。個人では乗り越えることが難しい障壁でした。

■物語の背景

 ワシントンハイツでは最近、再開発の動きがあり、不法移民の住民が強制退去させられそうになっていました。都市を効率よく活用するため、行政はこの地区に付加価値をつけ、新たに高級住宅地として生まれ変わらせようとしていたのです。

 いわゆるジェントリフィケーション(gentrification:都市の再開発による居住空間の高度化)によって、ワシントンハイツの物価は高騰し、家賃は上がり、低所得層は暮らしにくくなっていました。

 近所の商店は次々と店を閉じ、主人公のウスナビも、故国ドミニカに戻って父の遺した店を再開しようと考えるようになっていました。母親代わりのアブエラと従弟のソニーと共に、その夢を実現できればと、二人にはその思いを告げていました。故国に戻れば、貧しくても威厳を持って生きていくことができるはずです。

 ところが、停電した日、あまりの暑さで高齢のアブエラが亡くなってしまいました。一方、生まれた時にここに移住してきたソニーは、自分の故郷はこのワシントンハイツだと言い張り、ドミニカには行きたくないと拒絶します。

 ウスナビはにっちもさっちもいかなくなっていました。

 コンビニの中から街頭を見るウスナビの目に、熱狂的に踊る住民たちの姿が映ります。窓ガラスに反映されたそのショットが見事でした。窓ガラス越しに街頭を見るウスナビの顔の周囲に、激しく踊る住民たちの姿が反射して映り込んでいるのです。そのショットに、「世界が回っているのに」という字幕がかぶります。


(ユーチューブ映像より)

 ウスナビはすぐさま店から出て、街頭で集う人々の間に飛び入り、「僕たちがこの街で共に過ごせるのは」とラップで歌います。すると、ウスナビを捉えたショットに、「今夜が最後になるだろう」という字幕がかぶります。

 熱情的に踊る人々を捉えたショットに、「僕たちを追い出すつもりだ」というウスナビのセリフ。次いで、ソニーがニーナに「僕たちも立ち上がろう」という場面になり、そして、熱狂的な群衆のダンスシーンが展開されます。

こちら → https://youtu.be/8YCC2kDsQ2w

(広告はスキップするか、×印を押して消してください)

 ダンスシーンでは、誰もが生き生きとしています。まるで陶酔しているかのように、それぞれが身体をくねらせ、踊りに熱中しています。そのシーンの背後で、「威厳を持って生きるのよ」というセリフが流れます。アブエラの声でした。さらに、「世界に知ってもらうのよ」、「私たちのことを」というセリフが続きます。

 ここに、この作品のもう一つのコンセプトが凝縮して表現されています。移民2世たちが抱く夢とその実現の間には、大きな乖離があります。それこそが現実で、ほとんどの場合、夢を果たすことができず、挫折してしまいます。それでも、威厳だけは持ち続けなければならないという年長者からの教えでした。

 このシーンでは、ワシントンハイツの住民に迫る危機について説明される一方、ラテン系住民へのメッセージが込められていたのです。

 まるで亡くなったアブエラが甦り、熱狂的に踊る彼らを励まし、諫め、そして、その巨大なエネルギーを方向づけようとしているかのようでした。

 再び、文字だけの静止画になります。

「クレイジー・リッチ」監督ジョン・M・チュウ

■監督

 この映画の監督は、台湾系アメリカ人ジョン・M・チュウでした。

 彼は2018年に『クレイジー・リッチ』を製作し、アジア人をキャストにした映画ではじめて、大ヒットを記録しました(※ https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-news/weekend-box-office-crazy-rich-asians-wins-265m-1135824/

 ジョン・M・チュウは1979年にカリフォルニア州で生まれ、2008年、『ステップ・アップ2:ザ・ストリート』で長編映画の監督デビューを果たしました。以後、順調に製作経験を積み重ね、9本目となるこの作品も手堅くまとめられています。

 興味深いのは、2011年に“Justin Biever : Never Say Never”、そして、2013年に”Justin Biever’s Believe”を製作していることでした。ヒップホップのカナダ人シンガーソングライターを題材に映画を製作していたのです。

 試みに、“Justin Biever : Never Say Never”の予告映像を見てみることにしましょう。

こちら → https://youtu.be/4Bg8EuLT1ew

  (広告はスキップするか、×印を押して消してください)

 この動画からは、ジョン・M・チュウ監督がヒップホップに造詣が深く、ジャスティン・ビーヴァーの素晴らしさを的確に捉えて表現していることがわかります。その他の作品を見ても、作品が全般にリズミカルで、ハギレのいいカット割りで構成されているのが印象的です。

こちら → https://www.imdb.com/video/vi2816851993?playlistId=tt1702443&ref_=vp_rv_0

 画面を見ると、映像と音楽、音響、パフォーマンスがそれぞれ絶妙にマッチしており、ラップやヒップホップでしか表現できない現代社会の深層を捉えることができていました。その手腕はこの映画でも存分に発揮されているといっていいでしょう。

 さて、わずか2分25秒の予告映像でしたが、これまでご紹介してきたように、『イン・ザ・ハイツ』のエッセンスが凝縮して表現されていました。

 ところが、残念なことに、この予告映像では、脚本家、そして、振付師については触れられていません。そこで、脚本家や振付師の考えがわかるようなインタビュー記事あるいは動画をネットで探してみました。

 ようやく関連情報をいくつか見つけました。これらのインタビュー記事あるいは動画を通して、作品作りに際し、彼らがどのような点に気をつけたのかを把握していきたいと思います。

■脚本家

 原作者のミランダは映画化に際し、脚本家のキアラ・アレグラ・ヒュデス(Quiara Alegría Hudes)のアイデアを取り入れたといいます。

 彼女は、ラテン系コミュニティで常に話題になる「ドリーマー」と呼ばれる不法移民の若者問題を取り上げ、映画版では移民問題全般を強調しました。その一方で、都市再開発による低所得層の暮らしにくさにも踏み込んでいます。全般に、社会問題をベースにした作品構成になっています。

 ヒュデスはインタビューに答え、次のように語っています。

こちら → https://ew.com/movies/in-the-heights-writer-quiara-alegria-hudes/

 ヒュデス自身もミランダと同様、移民2世です。両親はプエルトリコから移民し、ニューヨークにラテン系コミュニティを築き上げた世代でした。意気投合した二人は2004年、共同でラテン系コミュニティをテーマにミュージカル脚本を執筆し始めました。それが、ブロードウェイミュージカル『イン・ザ・ハイツ』でした。

 ヒュデスは登場人物の中ではとくに、ニーナやソニーに感情移入できるといいます。というのも、ヒュデスもニーナと同様、子どもの頃から勉学に励み、ラテン系コミュニティからはじめて大学教育を受けた世代だったからです。

 しかも、ニーナと同様、名門大学を卒業しています。ニーナはスタンフォード大学という設定でしたが、ヒュデスはイエール大学で学士号を取得し、ブラウン大学で芸術学修士号を取得しています。

(※ https://en.wikipedia.org/wiki/Quiara_Alegr%C3%ADa_Hudes

 しっかりとしたストーリー構成にするため、ヒュデスは、映画版ではラテン系アメリカ人エリートであることを強調して、ニーナの役割設定をしたと語っています(※ 前掲インタビューURL)。

 授業料の支払で親に経済的負担をかけることに悩むニーナは、追い打ちをかけられるように、学内でいくつか差別的待遇を受けます。ラテン系コミュニティからただ一人、名門大学に入学できたとはいえ、出自がラテン系コミュニティだということに変わりはありませんでした。入学早々、ニーナは厳しい現実を悟らされ、逡巡したあげく、退学を決意して帰郷していたのです。

 興味深いのは、ニーナがワシントンハイツに戻ってくるなり、ダニエラの美容院に行って、ストレートヘアから生まれつきのカーリーヘアに戻したことでした。

こちら → https://youtu.be/UrFH772ytzM

  (広告はスキップするか、×印を押して消してください)

 ニーナはスタンフォード大学ではアイロンで伸ばしたストレートヘアにしていました。おそらく、ラテン系であることを隠そうとする心理が働いていたのでしょう。その抑圧された感情を晴らすかのように、ワシントンハイツに戻ってくると、彼女は早々に美容院に行って、元のカーリーヘアに戻します。ありのままの自分に戻したのです。

 カーリーヘアになって自分を取り戻したニーナは、ダニエラたちに退学すると告げます。驚く彼女たちを後目にニーナは、なんとも爽やかな表情を見せて美容院を出ていきました。

 一方、父親はニーナの学費を捻出するため、経営しているタクシー会社を売ろうとしていました。それを知ったとき、私の学費のためにこれまでやってきたことすべてを捨ててしまうの?と、ニーナは父親を厳しく問い詰めます。当然のことでした。

 コミュニティの期待を一身に集めてきたニーナでしたが、念願の名門大学に入学すると、自分の居場所がわからなくなり、威厳さえも失いそうになっていました。そんな時、大きく浮上してきたのがウスナビの従弟ソニーでした。

 ソニーといえば、ウスナビが故国ドミニカに戻って一緒に仕事を始めようと選んだ相手です。

 ヒュデスは、そのソニーが、ウスナビがいつも故郷を懐かしんでいるといってなじるシーンを付け加えました。そして、僕はドミニカなんかに行きたくないよ、ここにいたい。このニューヨークこそ僕の故郷で、僕の居場所なんだからとソニーに言わせたのです。

 さらに、‘96,000’の歌のシーンで、ソニーは、もし宝くじに当たって96,000ドルが手に入ったら、僕は自分のためには使わず、この近隣のインフラを改善し、よりよいWi-Fiを使えるようにしたいと宣言しています。つまり、ソニーはお金を手にしたら、自分たちのコミュニティに投資をし、生活環境の向上を図りたいといっているのです。

 これらのシーンを加えることによって、ヒュデスは、しきりに故郷を懐かしむウスナビとは違って、不法移民とはいえ、ソニーの意識はアメリカ人なのだということを示します。

 これは重要なポイントでした。

 一口にラテン系アメリカ人といっても、プエルトリコ系、ドミニカ系、メキシコ系が混在しています。彼らの母語は英語かスペイン語かに分かれるのです。当然、アメリカへの思いも異なるでしょう。さらに、いつアメリカに移住したのかによっても、アメリカへの思いは異なります。そのような点を踏まえ、ヒュデスは、より現実に沿ったストーリー構成を考えたのだと思います。

 プエルトリコ系移民2世であるヒュデスは、ラテン系の中ではいち早くアメリカに移住し、英語を使って暮らしていました。それだけに、そのプエルトリコ系と、いまだに故郷を懐かしみ、スペイン語を捨てきれないドミニカ系との違いに敏感でした。その差異を描かなければ、この作品のリアリティは欠けると思っていたのです。

 もちろん、白人社会に対する移民の気持ちにも敏感でした。ヒュデスは諸々の微妙な文化の差異にこだわって製作に臨みました。

 たとえば、ラテン系の映画評論家が、『イン・ザ・ハイツ』を取り上げた際、ニーナが帰郷した際はストレートヘアだったのに、すぐ元のカーリーヘアに戻したことに言及していました。それを知って、とても嬉しかったとヒュデスは語っています(※ 前掲インタビューURL)。

 ニーナの髪の毛をどうするか、ヒュデスたちは時間をかけて検討したといいます。観客がどれほど気にするかわからないようなことでしたが、ヘアスタイルの変化は、ニーナの気持ちの変化、気持ちの立て直しをはっきりと示すシンボリックな表現だったのです。

 脚本家がリアリティにこだわり、細部にまで真剣にチェックを入れたのと同様、振付師もリアリティにこだわっていました。

■振付師

 振付師のクリス( Christopher Scott )が『イン・ザ・ハイツ』のダンスについて語っている7分30秒の動画があります。

こちら → https://youtu.be/KZJqV09DgcU

(広告はスキップするか、×で消してください)

 興味深いことに、この映画はダンスと一体だとクリスは言っています。

 たとえば、サルサはニューヨーク風のストリートなサルサを、ストリートダンスは、ライト・フィート、フレキシング、ポッピング、ブレイクダンスなど、それぞれの文化を表現しているさまざまな要素を取り入れたというのです。

 さらに、ラテンといえば、サルサだけども、ブレイクダンスはアフリカ系だけではなく、プエルトリコ系やドミニカ系もあるといいます。抑圧された人々が、その気持ちをダンスに込めて表現していることを考えれば、ワシントンハイツの住民がライト・フィートを取り入れたように、映画にも新しいダンスを取り入れる必要があるというのです。

 動画で見ると、ライト・フィートはヒップホップのようなものでした。

こちら → https://youtu.be/H9jC18XYXjQ

(広告はスキップするか、×で消してください)

 クリスは、その種の文化の違いを理解しなければ、振付にも違和感が出てしまうといいます。監督もおそらく、同じような思いで製作に臨んだのでしょう。

 彼はまず、監督が「ダンスからシーンを考えていった」と語っています。振付を撮影して監督に送ると、意見が戻ってきて、監督が音楽付きのストリートボードを作るのだそうです。だから、「どんなシーンになるか想像しやすい」とクリスはいいます。

 なぜそうするのかについて、監督自身、「ダンスを通して物語が伝わるから」と理由を述べています。

 クリスはジョン・チュウ監督とは約12年間仕事を共にしてきました。二人はおそらく、阿吽の呼吸で理解しあえる関係なのでしょう。

 クリスは若い頃は振付のことだけを考えていたが、ジョン・チュウ監督がカメラにどう映るかを考えなければならないと教えてくれたといいます。お互いに影響し合い、領域を超えて、そのスキルを磨いてきたのでしょう。

 一方、脚本家のヒュデスは、ダンスの「オーディションを見て、ラテン系の才能が集まっていて、誇らしかった」と述べています。クリスがスキルだけではなく、文化の理解、表現の幅などを考え、人集めをしたからでしょう。クリス自身、「世界のトップダンサーがNYスタイルのサルサを踊った」と言っているほどです。

 実際、ダンスシーンのすべてが最高の出来栄えでした。

 この映画では、才能溢れた振付チームの下、素晴らしい才能とテクニックを持ったダンサーたちが練習を重ね、渾身のパフォーマンスを見せてくれたのです。振付師のクリスがいろんなジャンルの最高のダンサーを集め、振付チームを結成して、指導してきたことの成果でした。

 圧巻は、『Canaval Del Barrio』でした。下記の4分48秒の映像のうち、冒頭から2分23秒までがダンスシーンです。

こちら → https://youtu.be/ZDOVLEjbN4o

(冒頭から2分23秒まで。広告はスキップするか、×で消してください)

 クリスは、このダンスシーンでは、ドミニカ系、メキシコ系、コロンビア系がそれぞれ違うスタイルで踊るよう振付をしたといいます。ですから、『Canaval Del Barrio』はラテン系それぞれの文化を象徴したダンスシーンといえるでしょう。

 このシーンには、ラテン系コミュニティが一体となって立ち上がり、「世界にそのビートを響かせろ!」と訴えるウスナビの思いが凝縮されて表現されていました。

 ラテン音楽やダンスは、スペイン人に征服された奴隷たちが、チャチャチャ、マンボ、ソンなどのリズムを生み出したという経緯があります。ですから、そのような歴史を踏まえたうえで、現在のラップやヒップホップ、ライト・フィートなどを取り入れ、クリスは慎重に、さまざまなダンスシーンを創っていったのです。

 振付師クリスが求めていたのは、ジョン・チュウ監督、そして、脚本家キアラ・アングラ・ヒュデスと同様、リアリティでした。

 それでは、『Canaval Del Barrio』の一端を見てみることにしましょう。

■『Canaval Del Barrio』

 『Canaval Del Barrio』の迫力あるダンスシーンの中で、とくに引きつけられたのは、「旗を掲げろ」と名付けられた箇所です。主要登場人物たちの姿を画面のあちこちで見ることができます。ワシントンハイツの住民とともに立ち上がったのです。

こちら → https://youtu.be/bU3luTqDJeE

(広告はスキップするか、×で消してください)

 ウスナビはソニーに向かって、「お前の言う通り、ここは無力な移民ばかり」と語りかけ、「街は消える運命で、今夜が集まれる最後かも」と続けます。画面にはニーナ、カルラの姿が見えます。

 ウスナビはさらに、「でも、このまま引き下がるのか?」と問いかけ、「現実を嘆くより、俺は旗を掲げたい」と意思表示します。

 この時、カメラは佇んでウスナビを見つめるバネッサをバストショットで捉え、次いで、ソニーに語りかけるウスナビ、そして、国旗を差し出す子どもの姿を捉えます。


(ユーチューブ映像より)

 子どもたちが真剣な表情でウスナビを見守っています。ウスナビは、子どもの手から国旗を受け取ると、すぐさま、「旗を掲げろ!」と呼びかけます。音楽は次第に大きく、クレッシェンドで表現されます。この時、パフォーマンス、音楽のテンポとリズムで醸し出された画面の熱気が、観客にも直に伝わってきます。

 建物と建物の間には、洗濯物と共に多くの国旗が吊るされています。故国への思いが人々の生活の中にしっかりと組み込まれていることがわかります。

 「今夜こそ、声をあげるんだ!」とウスナビは続けます。画面にはバネッサの顔、ソニーの顔が見え、ウスナビを取り囲む輪が次第に大きくなっていくのがわかります。ウスナビはさらに高く国旗を振り上げ、「歌え、世界まで響かせろ」と皆をたきつけます。


(ユーチューブ映像より)

 ウスナビの傍らにはいつの間にか、カビエラ、カルラ、クカがいて、激しく踊っています。周囲の皆も両手を振り上げ、ジャンプし、感極まった様子です。「皆の旗に魂を込めて」というセリフの下、人々を捉えた映像が流れます。ウスナビの言葉に陶酔したような表情で、大勢の住民が両手を上げ、身体を震わせ、激しく踊っています。


(ユーチューブ映像より)

 この時、ワシントンハイツの住民は老いも若きも気持ちを通わせ、一体となっていたのでしょう。巨大な心のエネルギーが一気に爆発したような感じです。「あの橋を越え、世界へ、どこまでもビートは響く」というウスナビの言葉が力強く、リアリティを帯びて響き渡っています。

 まさに、クライマックス。皆の気持ちが一つになった瞬間でした。

 次いで、「この前のことは忘れて、最後に踊ってくれ」とウスナビはバネッサの手を取ると、曲は転調し、二人は静かに踊りだします。これが、冒頭で紹介した日経新聞の夕刊で見た写真のショットです。周囲の人々は暖かく二人を見守りながらも、陽気にはやし立てます。

■米国ラテン系コミュニティにみる格差社会の縮図

 わずか1分31秒のこの動画からは、ラテン系コミュニティの住民がこれまで大きく声をあげることなく暮らしていたことがわかります。差別に悩み、貧困にあえぎながらも、彼らは大規模な抗議行動をすることもなく、ダンスや音楽で積もる思いを発散させながら生きてきたのです。

 それが、今、ウスナビの旗振りの下、大勢が集まり、それに大きく呼応したのです。歌って、踊って、故国の旗を掲げ、自分たちの存在を世界に知らせようとしはじめたのです。

 再開発で追い詰められてようやく、ワシントンハイツの住民は声をあげようとし始めました。それもラテン系の人々らしく、音楽とダンスに乗せて、陽気に楽しく、自分たちの存在を世界に知らせようとし始めたのです。

 見ていて、思わず、涙が流れそうになりました。

 この映画で語られていることは、何もラテン系コミュニティに限ったことではありません。あらゆる社会に通じます。いってみれば、現代社会の課題とでもいえるようなものが、ラップやヒップホップ、ライト・フィートに乗せて、明るく陽気に提起されていました。

 かつては地域に根付いた独自文化の下で、人々は身の丈に合った豊かさを享受しながら生きていました。ところが、グローバル化の進行によって、いつの間にか、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなるという構図が定着してしまいました。

 生産性の低い国や地域の住民は生きていけなくなり、故国を捨て、故郷を捨て、豊かな国や都市に移住せざるをえなくなっているのが現状です。その結果、地域との絆が途絶え、人との関係も途切れ、現代社会の人々は誰もが、一粒の砂のように、孤立し、無力になっています。

 この映画で取り上げられたラテン系コミュニティを取り巻く諸問題は、現代社会が抱える構造的な問題だといっていいでしょう。

 人と人を繋ぎとめるものがなくなりつつある一方、アブエラがいうように、何をするにも、「お金が必要」になってきています。その結果、マネタイズできるものが価値を持ち、そうではないものが価値をもたないという仕組みがあらゆる領域に浸透しています。

 果たしてこれでいいのでしょうか。

 『イン・ザ・ハイツ』では、ダンス、音楽、ストーリー、映像、それぞれが見事に絡まり合い、ラテン系コミュニティが抱える問題が的確に捉えられていました。格差社会の縮図ともいえるワシントンハイツを舞台に、カリビアン・ディアスポラの魂が見事に表現されていたといえるでしょう。それだけに、その背後に流れる重い課題を受け止めざるをえませんでした。

 この作品のキーワードは、夢、都市再開発、移民、宝クジ、エリート、差別と貧困、故郷などです。ところが、今回、それらを十分に組み込んで表現することができませんでした。とくにストーリーとダンスシーンとの関係については不十分なまま、書き終えてしまいました。改めて、書いてみたいと思っています。(2021年8月30日 香取淳子)

『ノマドランド』に何を見たか。

■『ノマドランド』

 2021年3月31日、久しぶりに映画でも見ようかと、近くのユナイティッドシネマに行ってきました。何を見るか決めていなかったので、館内のポスターをざっと見渡しましたが、これなら見てみたいと思える作品がなかなか見つかりません。

 今回はやめようと思い、帰りかけたとき、ふと、ホール内でデモ映像が流されているのに気づきました。32インチTVサイズのスクリーンには、外国人の少女が映し出されています。

 立ち止まって画面をみると、つぶらな瞳の少女のアップ画面の下に、「先生はホームレスなの?」という字幕が表示されています。聞かれた高齢女性は一瞬、間を置き、画面には、“ハウスレス”と字幕が表示されました。これを見た途端、ようやく、見たい映画が決まりました。

 映画のタイトルは、『ノマドランド』(Nomadland)です。

 久しぶりに見応えのある映画に出会いました。見終えてもしばらくは気持ちを整理できず、『ノマドランド』の世界に浸っていたほどです。映画館を出ると、外は別世界に見え、帰宅途上、エンドロールで流れていたウエスタン調の音楽がいつまでも耳でこだましていました。

 深く、清々しく心に響き、何か考えさせられるものがあったのです。

 見始めても、ストーリーにメリハリはなく、主人公や登場人物に魅力があるわけでもありません。もちろん、なにか事件が起こり、観客をハラハラ、ドキドキさせて画面に引き込もうとする仕掛けもありませんでした。

 人によっては、つまらないと思ったかもしれません。

 どちらかといえば、ドキュメンタリーのように、淡々と事実に沿って展開されていきます。ところが、ノマドを取り上げながら、興味本位の姿勢で追っているわけではなく、安直に社会問題化しようともしておらず、観客の興味関心を引こうとする姿勢がどこにも見当たらなかったのです。

 それなのに、私は見終えた時、この映画が創り上げた世界に引きずり込まれていました。いったい、何故なのでしょうか。

 帰宅後、ネットで調べてみると、監督は北京生まれでアメリカ在住のクロエ・ジャオ(Chloe Zhao)氏でした。この映画は、2017年に出版されたノンフィクション『ノマド:漂流する高齢労働者たち』(著者:Jessica Bruder)を原作に、2020年にアメリカで製作された108分の作品でした。

 再び、ネットで調べてみると、映画館のデモ映像で見たあのシーンを含む予告映像が見つかりました。2分15秒ほどの映像ですが、この映画を端的に知ることが出来ます。さっそく、ご紹介しましょう。

こちら → https://searchlightpictures.jp/movie/nomadland/video.html

(開始後38秒目ぐらいで、あのシーンになります)

 日本では3月26日に公開されたばかりでしたが、この映画は2020年にアメリカで製作されており、冒頭の字幕で紹介されているように、すでに欧米で数々の賞を受賞しているようです。

 それでは、この予告映像を見ながら、キーとなる映像を紹介し、私がなぜ、108分もの長い間、この映画の世界に引き込まれてしまったのかを考えてみたいと思います。

■キーとなる映像

 冒頭のシーンです。もうすぐ闇に包み込まれていこうとする夕刻が、荒涼とした風景の中で、「引き」の構図で捉えられています。左にうっすらと白いバンが見えます。ドアが開き、その先の方に人がいるようですが、はっきりしません。圧倒される荒野の夕刻が、どこまでも広がっているだけです。

(予告映像より。)

 やがて、カメラは、女性が一人で佇んでいる姿を、バストショットで捉えます。

(予告映像より。顔がぼやけていますが、ご了承を。)

 背後には白い車があり、風のふぶく音がずっと聞こえてきます。その間、セリフはなく、観客はひたすら、この広大な荒野の映像と風のふぶく音が創り上げる世界に曝されます。言葉ではなく、聴覚と視覚だけが刺激され、観客に感覚的な理解を促しているかのようでした。

■聴覚と視覚への刺激

 このシーンで感じさせられるのは、広大な荒野がもたらす寂寥感と、ヒトの孤独です。暮れなずむ夕刻の寂寥感と一人佇む女性の孤独とが重なり合って、観客の中の原初的な感覚が呼び覚まされていきます。

 まだ言葉にはならない情感がふつふつとかき立てられていきます。その情感を踏まえ、画面からなんらかのメッセージを読み取り、そこに詩情すら感じられるようになると、観客はすでにこの映画に感情移入して見ていることになります。

 セリフに依存せず、映像と音声だけで観客を力強く、画面に引き付けていくのです。セリフがないだけに、意識レベルよりも深いところが刺激されます。やがて、呼び覚まされた原初的感覚が記憶され、蓄積されていきます。

 なにもこのシーンに限りません。

 この種のシーンが随所に挿入されており、その都度、観客はヒトとしての原初的な感覚が呼び覚まされていきます。つまり、一種のキー映像となって、この映画全体の基調を創っているのです。

 もう一つ、ご紹介しておきましょう。

(公式サイトより)

 やはり、夕刻です。まだ明るさが残り、ピンク色の雲がすーっと長く尾を引いて、広がっています。どこまでも広がる大空の下、ファーンがランタンを持って歩いています。ファーンの姿はシルエットになって、ランタンから放たれる光が、スカートの腰下をぼんやりと照らし出しています。

 幾筋も広がるピンク色の雲とランタンの光とが見事に呼応し、画面を引き締めています。この瞬間でしか見られない、美しい光景が捉えられていました。

 映画を見ている最中は気づきませんでしたが、こうして静止してみると、改めてその美しさがわかります。自然の美しさと同時に、ヒトの美しさも捉えられていたのです。

 このようなキー映像が要所、要所に挿入されていました。観客はそれを見るたび、深く、静かに気持ちが揺さぶられます。すでに冒頭のシーンから、観客は意識下で感覚をわしづかみにされていたのです。

 人の心の奥深く、入り込んでしまうこの種の映像が作用し、観客は画面に引き込まれて見ていたのではないかという気がします。

 セリフによって意識に訴えるのではなく、自然の光景と音声とによって意識下に訴えられたからこそ、深いところで観客の気持ちを捉えることができたのでしょう。外在的要素(セリフ)ではなく、内在的要素(感覚)に訴えかける手法が功を奏したといえます。

 もちろん、言葉も大きな役割を果たしていました。この作品のキーとなるセリフを、予告映像の中からいくつか拾ってみましょう。

■キーとなるセリフ

 先ほど、ご紹介した予告映像に、この作品を組み立てているいくつかのキーとなるセリフがありました。予告映像には含まれていないシーンもいくつかありましたので、実際の映画の展開とは多少、異なります。とりあえず、ご紹介していきましょう。

●ノマド

 ファーンは、同世代に見える女性から、「あなたはどこへでも行ける、あなたみたいな人は放浪の民(ノマド)と呼ばれる」といわれます。

(予告映像より)

 眼鏡をかけたこの女性は定住し、安心と安全を手に入れて暮らしているのでしょう。その言葉には、半ば嫉みに近い感情と侮りのようなものが感じられます。ファーンは、「そうね」と答え、その見解を静かに受け入れているようでした。

 ノマドの生き方をもう少し、肯定的に捉えているのが、ファーンの姉でした。彼女は、「ノマドの生き方って、昔の開拓者みたいじゃない? ある意味、アメリカの伝統よ」といいます。

(予告映像より)

 久しぶりに戻って来たファーンを迎えたパーティの席上、彼女はノマドの生き方を肯定するような発言をし、ファーンを擁護します。もはやファーンの生き方を変えることはできないと諦めていたからかもしれません。

 いずれにせよ、定住していないか、そうでないか、家があるのか、ないのか、多くの人々にとって、重要な判断材料になります。多くの場合、それは差別にもつながりかねないのですが、実は、生き方の問題なのです。

●ホームレスではなく、ただのハウスレス

 スーパーで出会ったかつての教え子から、「先生はホームレスになったの」と聞かれ、ファーンは「ホームレスではなく、ハウスレス」と強調します。

(予告映像より)

 さらに、ホームレスとハウスレスとは「別物よ」と念を押し、「わかった?」と確認します。

 家がないことと家庭がないこととは違うのだとかつての教え子に言い含めるのです。このシーンでは、家がなく、定住できない人々を低く見る風潮に対するファーンの反発が感じられます。

 このシーンの後、ファーンの来歴がナレーションと字幕によって、明らかにされます。

 夫はUSジプサム社の社員で、ファーンは代用教員でした。それがリーマンショックで会社が倒産して社宅を追い出され、夫も亡くなってしまいました。住む場を失ったファーンは、それでもその地を離れず、バンに住み、ノマドとして生きることを選んだのです。

 ファーンにしてみれば、ノマドはホームレスではなく、家がなくて定住しない生き方なのだと教え子に言いたかったのでしょう。家はなくても、家庭は心の中にあり、それを大切にするため、定住しないことを選択したのだということを・・・。

●働きたい、仕事をしたい

 ファーンの生活が苦しいのは事実でした。福祉スタッフから、「今は厳しいわ。年金の早期受給の申請をしてみたら・・・?」と薦められるほどです。

(予告映像より)

 そう言われたファーンは即座に断り、「働きたいの、仕事がしたいの」といいます。

 まず、自助を優先するところに、ノマドとしての気概が感じられます。もちろん、働けば、生活費が得られるだけではなく、そこで友達もできます。

 アマゾン発送センターで働いていた時、出会ったのが、リンダでした。その後も季節労働者として共に働き、時にはともにフェイスケアをしたりします。

(予告映像より)

 フェイスシートを顔に載せ、寝椅子でくつろぐファーンとリンダです。過酷な労働の合間のリラックスシーンといえます。彼女たちは生き方としてノマドを選びながらも、定住していた時の身だしなみやエチケットを決して忘れていないことが強く印象づけられます。見ていて、歩っとさせられるシーンでした。

 このシーンが挿入されることによって、この映画が社会派ドキュメンタリーになることが回避されています。

 ある時、リンダはRTR(ノマドたちの非営利組織)の集会に参加しないかと誘います。最初は渋っていたファーンですが、決意して行ってみて、ファーンはさまざまなノマドと出会います。

●思い出は生き続ける

 映画が終わりに近づいたころ、「昔、父が言っていた。思い出は生き続けるって。でも、私の場合、思い出を引きずり過ぎたかも」とファーンは言います。それまで明らかにしなかったノマドとして生きる理由を、ファーンはボブ(RTRのリーダー)に明かすのです。

 ボブもまた自身を語り、「この生き方が好きなのは、最後の“さよなら”がないんだ」と言います。このセリフに、ファーンが亡くなった夫の写真を手に持つシーンが被ります。

(予告映像より)

 二人のやり取りの中から、ファーンがいつまでも夫の思い出を引きずり、寒冷地でノマドとして生きる道を選んだことが明らかになります。

●また路上で会おう

 ボブもまた自身を語り、「何百人ものノマドと出会ったが、一度も“さよなら”とはいわなかった」といいます。このセリフに、亡くなったスワンキーとファーンが、ゆっくりと歩くシーンが挿入されます。やはり、暗闇になる直前の夕刻でした。

(予告映像より)

 それにしても、なんと象徴的な映像なのでしょう。シルエットになったファーンの背後の空はオレンジ系の色で、スワンキーの背後の空は濃いブルーでした。自然界の移ろいを巧みに捉え、生きている者、亡くなった者をシンボリックに表現しているのです。

 ボブが出会ってきた何百人もの中に、ファーンやスワンキーがいます。そのうちスワンキーはすでにこの世の人ではありません。でも、別れ際に「さよなら」とはいっていないので、また、いつかどこかで会えるでしょうというのが、ボブの生き方です。

 ボブはどのノマドに対しても、「私はただ、また路上で会おう」と言ってきたといいます。そして、ボブの顔がアップになり、「実際、そうなる。また会える」と確信に満ちた表情で言うシーンに変わります。

(予告映像より)

 別れても、路上でまた会えるということを確信できるからこそ、ボブは人を信じて生きてこられたといいます。確かに、たとえ、亡くなったとしても、思い出の中ではまた会えるのです。

 ボブは、「だから、私は信じていられる」と言葉を続けます。

 そして、画面は、ファーンが生まれたばかりの赤ちゃんを抱くシーンになります。ノマド仲間のデイブの孫です。

(予告映像より)

 デイブは息子の家族と同居することを決めた時、ファーンに一緒に来ないかと誘います。このまま一人でノマドとして生きていこうとしているファーンを心配していたのです。だから、別れ際に、是非、遊びに来てと伝えていたのです。

 訪れてきたファーンに、デイブはわざと赤ん坊を押し付け、部屋を出ていきます。ファーンに抱かれて無心に眠る赤ん坊の姿を映し出した映像に、ボブの「だから、私は信じていられる」というセリフが表示されるのです。

 見ず知らずのファーンに抱かれているのに、安心しきって眠る赤ん坊の姿は、生きることは他人への信頼から始まることということを示唆しています。そのシーンにボブのセリフが被り、「信頼」という言葉が、時間空間の広がりの中で捉えられているのです。さり気ない日常のシーンでありながら、哲学的なインプリケーションがあります。

 観客としては、このとき、ファーンは自分の生き方について考えてみたのではないかと思わずにはいられませんでした。

 それでは、映画の骨格を形成しているストーリー構造をみていくことにしましょう。

■ストーリー構成

 この映画は三幕構成で組み立てられていました。順に見ていくことにしましょう。

●第1幕

 冒頭からRTRの集会までが、第1幕に相当します。

 冒頭、荒涼とした風景の中で、一人佇む高齢の女性が登場します。片隅に小さなバンが見えます。その車が雪の残る荒野を縫う道路を進んでいきます。運転する女性が大写しになり、「あなたはどこへでも移動できる」という字幕が表示されます。この映画を象徴するシーンの一つです。ノマドとして生きることを選択した60代の女性ファーンがこの映画の主人公です。

 荒野を駆けるバンを後ろから撮影したシーンはいくつか出てきます。いずれも荒涼とした風景を背景に、一台だけ走る姿が、背後から捉えられているのが印象的でした。たとえば、次のようなシーンがあります。

(公式サイトより)

 緑のない砂山のような丘陵が眼前に迫っています。周囲は草木のない荒野が広がり、ヒトが生きていく場としての過酷さが感じられます。さらに、横長の大画面がこの風景に寂寥感を添えています。

 冒頭の数シーンで表現されているように、ノマドにはどこへでも移動できて、何者にも束縛されない自由があります。その反面、安全を保障されているわけではなく、不便で、過酷な生活を強いられます。そして、定住している人々からは「放浪の民(ノマド)」といわれ、ともすれば、差別的に見られがちです。

 つぶらな瞳の少女が登場し、そのアップ画面の下に、「先生はホームレスになったの?」という字幕が表示されます。

(予告映像より)

 ファーンはスーパーでかつての教え子に出会いました。

 一瞬、間をおいて、「No, I’m just houseless」とファーンは答え、画面には、“ハウスレス”と字幕が表示されます。ファーンは言葉を継いで、少女に、「Are they the same thing, right?」と尋ね、少女が「No」と答えると、満足したような表情でうなずきます。

 この映画の主人公ファーンは、USジプサム社の社員だった夫がリーマンショックで会社が倒産後に死亡して家を失い、バンで暮らしながら生活している60代の女性です。

 かつては代用教員をしていたのに、いまでは、アマゾンの発送センターの作業、ビルの清掃、ファミレスでの皿洗いなどの賃仕事クをして、日銭を稼ぎ、出費を切り詰めて生活しています。

 ノマドとして生きることがいかに大変か。たとえば、アマゾンの仕事がなくなれば、生活費が途絶えるだけではなく、駐車場も使えなくなります。仕事探しはもちろんのこと、まずはバンを駐車できる場所から探さなければなりません。

 あまりに厳しい生活ぶりを知った福祉スタッフはファーンに、年金の早期受給申請を勧めます。ところが、彼女はそれを断り、「私は働きたい、仕事をしたいの」と訴えます。このシーンでは、できる限り、自立して生きていきたいというファーンの心根が示されています。

 他人に頼ることを拒み、あくまでも自立して生きていこうとするファーンに、アマゾンでの仕事仲間のリンダは、ノマドの集会に参加してみないかと誘いかけます。

 ここまでが第1幕です。主人公の置かれた環境、来歴、そして、ノマドとして生きることがいかに大変なことか、さまざまなエピソードを通して、的確に示されています。

 ところが、なぜ、ファーンがノマドとして生きているのか、その内面については、この段階ではまだ触れられていません。

●第2幕

 RTRの集会からスワンキーの死までが第2幕です。

 リンダから誘われても、渋っていたファーンは、思い切って、世界最大のノマドたちの集会“RTR(Rubber Tramp Rendezvous)”に参加してみることにしました。すると、そこには様々な理由で、ノマドとしての生活を選んだ人々がいました。

 そのときのシーンがコンパクトに編集され、RTR編として解禁されていました。さっそく、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/u0E7hmyUbUs

 どんよりと曇った大空の下、ファーンは不安そうな表情でRTRの集会に出かけます。リンダを探し当てると、ほっとした表情で彼女の肩を叩きます。振り返ったリンダは「よく、きたわね」と声をかけ、「あれがボブよ」とRTRのリーダー、ボブを指さします。

 そんな二人の様子を見ていた後ろの男性がファーンに椅子を差し出します。さり気ないやり取りの中に、ノマドたちの他人を思いやる心持が見えてきます。そんなちょっとした気持ちのやり取りは、やがて、RTRのリーダー、ボブの演説内容とリンクしていきます。

 画面はRTRのリーダー、ボブ・ウェルズのショルダー・ショットに切り替わり、演説する顔面の表情が映し出されると、その内容が次々と字幕に表示されていきます。

 「我々はドルや市場という独裁者を崇めてきた」

 「貨幣というくびきを自らに巻き付け、それを頼みにして、生きてきた。馬車馬と同じだ」

 「身を粉にして働き、老いたら、野に放たれる。それが今の我々だ」

 「もし、社会が我々を野に放り出すなら、放り出された者たちで助け合うしかない」

 この字幕が表示されたとき、画面は、真剣に聞き入っているファーンのショルダー・ショットに切り替わります。

 その画面のまま、ボブの言葉は続きます。

 そして、「“経済”というタイタニックが沈みかけている」というフレーズが字幕表示された後、カメラはボブの顔を映し出し、「私の目的は、救命ボートを出して、多くの人を救うことだ」と締めくくります。

 演説するボブの言葉を紹介してきましたが、おそらく、それがアメリカ社会の現実なのでしょう。グローバル資本主義経済下では、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなって、格差が広がっています。労働者は、低賃金で働けるだけ働かされて、高齢になると、切って捨てられるというのが実状なのです。

 RTRのリーダー、ボブが言うように、高齢になれば、社会保障も十分ではないまま、職を失い、家を失ってしまいます。そうなれば、バンに住んで、ギグワークを探し、生きていくしか方法はないのです。

 ボブの語る一つ、一つのフレーズが、心に刺さるものでした。自己責任という名の下に搾取され続け、高齢になれば、放り出されるといった現実の中で、ノマドたちは、生きていくために、助け合うしかないのです。

 ボブの演説が終わると、炊き出しのシーンになります。ファーンはリンダと一緒に配給の列に並びますが、そこで出会ったのが、スワンキーでした。

 彼女は腕を怪我しており、食べ物を取り分けることができません。ファーンがそのお手伝いをしています。こうして出会ったその時から、彼女たちの中に、お手伝いをする、されるという関係が生まれていきます。

 パブリカをもっと入れてとか、コリアンダーはダメといったような会話には、家庭の雰囲気を感じさせられます。列を作って順番を待つノマドたちの表情も明るく、なんともいえず穏やかなに見えました。一人ではなく、集っているからこそ、気持ちが安定し、穏やかな表情になるのでしょう。

 路上生活をしていると、一人では解決できない不便なことがいろいろあります。

 たとえば、ファーンに気持ちを許したスワンキーはさっそく、車体の塗装を頼みます。ファーンは快く引き受け、なんとか塗り終えると、スワンキーは「残ったペイントはあげるわ」といい、感謝の気持ちを伝えます。

 こうして、貨幣を介在させない互酬関係が成立するのです。

 個人的な助け合いばかりではありません。RTRの集会に参加すると、ノマドたち共通の課題として、救助の呼び方、タイヤの交換、さらには、車にはGPSを搭載した方がいいといったような生活の知恵を教えてもらえます。

 第2幕では、RTR集会に参加することによって、孤立していたノマドたちも一人ではなく助け合って、共に生きていけるということが示されています。社会から切り離され、絆を断ち切られたとしても、ここに来れば、メンバーの一人だということを確認できるのです。

 さらに、この集会を経て、スワンキーやデイブを絡めたノマドと知り合い、それぞれのサブストーリーが誕生し、第3幕へと誘導されます。

●第3幕

 親しい人が亡くなり、バンが故障するというクライマックスを経て、それでもファーンがノマドとして生きることを選択するまでが描かれます。

 ファーンはRTRの集会で、さまざまなノマドと出会います。たとえば、スワンキーの場合、車体の塗装を頼まれ、やがて、二人の間に友情が生まれていきます。

 ある日、スワンキーは不用品の提供をfacebookで告知し、身の周りを整理しはじめました。このシーンで私はなによりも、高齢のスワンキーがSNSで社会とつながっていることに驚きました。

 定住していなくても、スマホの契約ができるのか、さらには、カード決済ができるのか、日本に住んでいると、そんなことがちょっと気になりましたが、現代のノマドには車とスマホ、パソコンは不可欠なのだと、このシーンを見て納得しました。

 さて、75歳のスワンキーがなぜ身の周りの整理を始めたかといえば、医者から余命7,8カ月だと診断されたからでした。ノマドとして生きてきた彼女ですが、いよいよ、死をどう迎えるかという段階に入っていたのです。

 このまま病院で死を待つのはお断りだと彼女はファンシーにいい、安楽死の方法をいろいろ考えているともいいます。そして、ノマドらしく、さよならといわず、明るくバンに乗って、去っていきました。

 その後、ファーンはスワンキーが亡くなったことを知ります。ノマドの仲間たちは集い、焚火をし、彼女が好きだった石を一人ずつ、投げ込んでいきます。石が好きだったスワンキーが望んだ弔いの儀式でした。

(公式サイトより)

 真ん中にいるのがRTRのリーダーであるボブ・ウェルズ、そして、その隣がデイブです。二人とも両手を組み、沈んだ顔をしています。スワンキーの死によって、誰もが、いつかは迎えなければならない死を考えさせられたのです。

 車とスマホがあり、健康であれば、ノマドとして生活していくことはできます。ところが、その一つでも欠けると、もはやノマドであり続けることはできなくなります。自立して生きることはできず、家族か公的扶助に頼らざるを得なくなります。

 ファーンにもそのような時が訪れました。車が故障したのです。

 ファーンは整備工場に車を持ち込みます。その時のシーンが本編整備工場編として公開されていました。ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/LVR9A7YLsqQ

 車を点検する整備士の様子をファーンは不安そうに見つめています。まるでわが子の回復を願うまなざしでした。

 点検を終えた整備員は、修理代の見積もりとして、2300ドル+税だといいます。そして、この車は走行距離が長くて、市場価格も安い。修理するより、車を買ったらどうかと提案します。

 言われたファーンは「それはできない」と即答します。そして、慌てたように、「時間もお金もかけて改装したから、他人かれ見ればボロ車でも、私には…」と言いかけて、「車に住んでいるのよ、私の家(home)なの」と言い直します。

 ファーンにとってこの車は、壊れたからと言って取り換えることのできない家庭なのです。

 当然のことながら、修理を選択しますが、そのお金がありません。仕方なく、姉に電話し、修理代金を貸してもらうことにしました。姉は久しぶりに会う妹を快く受け入れ、歓迎のパーティを開いてくれます。

 パーティの席上、姉は、「ノマドの生活って、昔の開拓者みたいじゃない。ある意味、アメリカの伝統よ」といい、ファーンの生き方を擁護します。姉の言葉を、ファーンはどれほど複雑な思いで聞いていたのでしょう。

 さて、姉に修理代金を借りることができ、ファーンは再び、ノマドとして路上生活に戻ります。

 ある日、ファーンは息子家族の家で暮らすデイブを訪れました。デイブの家族は総出で歓待してくれました。そして、息子の妻から、デイブが一緒に暮らしたがっていることも聞きます。ひょっとしたら、少しは気持ちが動いたのかもしれません。

 ところが、ファーンはやはりノマドとして生きることを選択します。

 第1幕、第2幕、第3幕とみてくると、この映画のストーリーがきわめて構造的に組み立てられていることがわかります。

 いかにもドキュメンタリー映画のように見えながら、実は、緻密なストーリーによってドラマティックに創り上げられていたのです。だかこそ、一見、つまらないように見えながら、一度も退屈することなく、画面に引き込まれて見ていたのだということがわかります。

 果たして、どのようなスタッフが製作していたのでしょうか。

■製作スタッフ

 最初にいいましたが、この映画の監督はクロエ・ジャオ(Chloe Zhao)氏です。『ザ・ライダー』(2017年、アメリカ製作)で高く評価されています。1982年の北京生まれでアメリカ在住の気鋭の監督です。

こちら → https://eiga.com/person/315968/

『ノマドランド』では、監督・製作はもちろん、脚本・編集も担当しています。

 この映画では、深淵で情感豊かな映像が強く印象に残りましたが、撮影を担当したのは、ジョシュア・ジェームズ・リチャード(Joshua James Richard) 氏 でした。

(公式サイトより)

 主人公のファーンを撮影するジョシュア・リチャーズ氏とクロエ・ジャオ監督です。『Vogue』2021年2月18日号によると、クロエ・ジャオ監督は彼とは私生活でもパートナーで、息の合った仕事ができているそうです。

 さらに、クロエ・ジャオ監督はインタビューに答え、「必ず私がファーストカットを手がけて、それを観て彼は私の編集の方向性を理解してくれるんです。彼は私がどこをカットするかを把握しているので、いちいち彼に伝えなくていいんです」と語っています。

 おそらく、この写真はファーストシーンを撮影していたときのものなのでしょう。

 何をどういう観点で撮るか、どのような光量、ライティングの下で撮るか、映像に美意識が重要なことは言うまでもありませんが、さらに、作品のコンセプトが関わってきます。

 上記のインタビュー内容を考え合わせると、『ノマドランド』で素晴らしい映像を度々、目にすることができたのは、監督と撮影者とが作品コンセプトや視点、美意識を共にしていたからこそ、可能だったといえるでしょう。

 もちろん、俳優にとっても、監督との一体感は必要です。

 『Vanity Fair』(2020年11月11日)の記事によると、ファーンを演じたフランシス・マクドーマンド氏は、2017年に製作された『ライダー』を見て、クロエ・ジャオ監督が完璧だと思ったそうです。

 クロエ・ジャオ監督に惹かれた彼女は、2017年に出版された“Nomadland: Surviving America in the 21st Century” (邦題:『ノマド:漂流する高齢労働者』)の映画化権を購入し、クロエ・ジャオ監督に製作依頼をしたのです。

  主演のフランシス・マクドーマンド氏主導で、この映画が誕生したともいえますが、果たして、フランシス・マクドーマンド(Frances McDormand)氏とはどういう人物なのでしょうか。

 調べてみると、『ファーゴ』、『スリー・ビルボード』などでアカデミー主演女優賞に輝いた、実力派の俳優でした。

こちら → https://eiga.com/person/63036/

 そして、ファーンに心を寄せ、一緒に住まないかと誘いかけたデイブを演じたのが、デヴィッド・ストラザーン(David Strathairn)氏でした。

こちら → https://eiga.com/person/50572/

 驚いたことに、『ノマドランド』の出演者は、ファーンとデイブ以外はすべて俳優ではなく、ノマドをはじめとする協力者たちでした。

 確かに、Wikipediaで、『ノマド:漂流する高齢労働者たち』をチェックしてみると、映画に出演していた俳優以外の人々は、この本で取り上げられた人々でした。リンダ・メイ、シャーリン・スワンスキー、ボブ・ウェルズなど、まるで本物のノマドのように、俳優が迫真の演技をしているのかと思っていましたが、実は、当人たちが画面に登場していたのです。

 彼らは主演のファーンに打ち解けて、すっかり気を許し、素のままでカメラの前に立ち、その生活ぶりを再現していたのです。登場人物が本物なのですから、画面に迫力がでないわけがありません。

■なぜ、『ノマドランド』に引き付けられたのか。

 なんの予備知識もなく、見た映画でした。最初は風景画のような、深淵で詩的な映像に引き付けられただけでした。登場人物に華がなく、ストーリーにもメリハリがなく、漂流して生きざるをえない高齢労働者の日常が描かれているだけのように見えました。

 ファーンという架空の人物が設定されていなければ、ただのドキュメンタリー映画で終わったでしょう。

 どこから、この映画に引き付けられていったかといえば、スーパーでかつての教え子に出会い「先生はホームレスになったの?」と問われたシーンからです。「ホームレスではなく、ハウスレス」ときっぱり言い切るファーンの表情に引き込まれたのです。そして、考えさせられました。

 ホームレスとハウスレスとはどう違うのか?と頭の中で問いかけていたのです。この時、私の脳裡にしっかりと 楔が打ち込まれたといえるでしょう。このシーン以降、セリフに注意して見るようになり、次第に、この映画の奥深さに引き込まれていったのです。

 当初、キーになったのは、このような映像であり、そして、セリフでした。

 やがて、ストーリーが展開していくにつれ、ただの高齢労働者にしか見えなかった登場人物たちが、それぞれの価値観を持ってノマドという生き方を選択し、自立して生きている人々だということに気づいていきます。

 スワンキーの死を知り、バンの故障というクライマックスに至ったとき、さすがのファーンも今度こそは、ノマドとしての生き方を放棄するのかと思いました。ですから、同居の提案があったデイブの元に行くシーンになったとき、それを受け入れるのかと思いました。

 生まれたばかりの赤ん坊を抱いたとき、ファーンには感慨深いものがあったはずです。信頼されていること、未来が感じられること、いずれも生きていく上で欠かせないものです。

 実際、ファーンはデイブの息子家族からも歓待されており、同居しても居心地よく暮らせることは予想できていました。老いて、身寄りのない女性にとって、同居はもっとも望ましい選択でしたから、その可能性は十分、ありました。

 ところが、ファーンはノマドとして一人、路上で生きる道を選択したのです。夫との思い出から抜け出ることができなかったからでした。

■『ノマドランド』に何を見たか。

 最後のシーンが秀逸でした。


(公式サイトより)

 

 岩に砕け散る大波を背景に、ファーンが一人、佇んでいます。その姿に悲壮感はなく、気負いもなく、ただ、貧しくても自由に生きてきたことからくる自負心と落ち着き、そして、悟りのようなものが感じられました。

 このときのファーンの顔には、気高さすら感じられます。自己責任を条件に選択を迫られたのではなく、自らの意思でノマドという生き方を選択した者の潔さがあったのです。

 さて、この映画は、ノマドのエピソードを積み重ねて観客を誘導し、クライマックスに達したかと思うと、さまざまな可能性を示して期待させ、逡巡させ、最終的に、主人公はノマドの生き方を選択するという展開でした。

 ハラハラ・ドキドキの要素はありませんでしたが、事実を踏まえ、構造化されたストーリーに支えられていました。そのおかげで、ノマドの生き方を通して、折々のシーンで、「生きる」ということを考えさせられました。

 アマゾン発送センターやファイスブックなど、現代的要素を巧みに取り入れながら、建物としての家、家族の交流の場としての家庭、そういうものを失った者が辿り着いたノマドという生き方が深刻ぶらずに描かれていたのです。

 グローバル資本主義経済下で生きるということの意味を深く問いかけ、哲学的内容を含んだ見応えのある作品でした。

 とくに、最後のシーンでは、孤高の人、ファーンが最後まで矜持を保って生きてきた姿勢に圧倒されました。このシーンを何回も反芻しながら、これまで自分はどう生きてきて、今度、どう生きようとしているのか、いまなお、問い続けています。観客に内省を迫る映画だといえるでしょう。(2021/04/11 香取淳子)

Disney実写版『アラジン』:欲望の連鎖が紡ぐ21世紀のストーリー

■Disney実写版『アラジン』

 7月12日、たまたま時間が空いたので、近くのユナイテッドシネマでDisneyの実写版『アラジン』(字幕版)を見てきました。

こちら → https://www.disney.co.jp/movie/aladdin.html

 意外なことに、客席は半分も埋まっていませんでした。ちょっと驚きましたが、6月7日に公開されすでに5週目の終わりだったこと、平日だったことなどを思えば、その程度の観客数でも別段、不思議はないのかもしれません。

 ところが、帰宅してネットで検索してみると、公開された6月7日以降の週間ランキングは連続1位でした。

こちら →http://www.kogyotsushin.com/archives/weekly/201906/

 7月のデータを見ても、第1週はやはり1位、勢いは衰えていません。全国的な統計を見れば、実は、5週連続1位を記録していたのです。確かに、エンターテイメントとしては、とてもよく出来た映画でした。

 試みに、映画の雰囲気を知ってもらうために、公式ホームページで紹介されていた60秒の映像をご覧いただきましょう。

こちら →https://youtu.be/mxL6e5vQ0RE

 この映像を見てようやく、私が見た劇場で観客数が少なかった理由がわかったような気がしました。

 『アラジン』は、2D(字幕版)、2D(吹替版)、IMAX(字幕版)、4DX3D(吹替版)の4種類が上映されていましたが、私が見たのは2D字幕版でした。これは1日3回上映されており、私は午後に用事があったので、午前に上映開始されるのを選びました。しかも、平日でしたから、週末の午後、吹替版なら観客数はもっと多かったのかもしれません。

 さて、オリジナルの『アラジン』は1992年に制作されたアニメ作品です。それを実写にリメイクし、2019年6月7日に公開されたのがこの作品です。それでは、2019年実写版『アラジン』がどのようなものだったのか、2分20秒の予告映像(字幕版)をご覧いただきましょう。

こちら → https://youtu.be/EbsZrpwmsq0

(広告はスキップしてください)

 ほんの一部分にすぎませんが、これを見ただけでも、この映画の音楽がどれほどテンポ良く、メリハリの効いたリズムであったか、ノリのいいものであったか、そして、映像のキレがどれほど良く、臨場感に満ちたものであったかがわかろうというものです。

■2019年実写版『アラジン』

 もっとよくコンテンツを知っていただくために、アメリカ版予告映像&制作スタッフのトーク映像をご紹介しましょう。先ほどご覧いただいた予告映像よりも長め(12分41秒)です。重複するシーンもありますが、ご了承ください。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=foyufD52aog

(広告はスキップしてください)

 冒頭のシーンは、スピード感溢れるテンポで構成されています。ところが、その後、逃げ延びたアラジンが街中で侍女に扮したジャスミンに出会うシーンになると、動きがなくなり、二人が視線を交わすだけになります。アクションを見せるシーンの後は、心理的な駆け引きを見せるシーンを用意し、メリハリをつけていることがわかります。

 ハラハラドキドキするシーンがあるかと思えば、陽気にノリノリ気分になってしまうシーンもあります。アップテンポでリズミカルな音楽とメリハリの効いた映像がぴったりと絡み、観客を飽きさせることなく、気持ちを明るく弾ませてくれる作品になっていました。

 ちなみに監督はイギリス人のガイ・リッチー(Guy Ritchie)、その経歴を見ると、若いころはコマーシャルやミュージックビデオを多く制作していたようです。

 直近の作品の傾向を見てみると、2015年に監督したスパイアクション映画『コードネーム U.N.C.L.E.(アンクル)』は、1960年代のテレビドラマ『0011ナポレオン・ソロ』のリメイク映画ですし、2017年に監督した『キング・アーサー』は、アーサー王伝説を題材としたアクション映画です。

 このような制作作品の傾向からは、ガイ・リッチーこそ、この作品に最もふさわしい監督だったといえるでしょう。

 実際に、劇場の大画面でこの作品を見ると、アクションシーンや魔法のシーンなどが素晴らしく、とても印象的でした。実際にはありえないシーンも、特撮技術によって実写映像に溶け込むように編集されており、視覚的訴求力の高い画面に仕上がっていました。とくに、サルやトラ、オームといった準レギュラーの動物たちの造形や動きが見事に表現されていました。

 キャラクターの造形といい、アクションシーン、魔法のシーン、アップテンポのダンスシーンなど、エンターテイメントとして必要な要素はすべてカバーされていたのです。5週連続でランキング1位というのも納得できます。

 それでは、1992年に制作されたアニメ版と比較するとどうなのでしょうか。

■実写版『アラジン』vs アニメ版『アラジン』

 まず、興行収入を比較することから始めましょう。

 1992年に制作されたアニメ版『アラジン』は制作費2800万ドルに対し、世界から得た興行収入は5億405万ドルでした。

こちら → https://www.boxofficemojo.com/movies/?id=aladdin.htm

 なんと制作費の約18倍にも達しています。

 一方、2019年に制作された実写版『アラジン』は制作費1億8300万ドルに対し、チェックした時点で(2019年7月14日)、世界から得た興行収入は9億6153万9269ドルです。

こちら → https://www.boxofficemojo.com/movies/?id=disneyfairytale22019.htm

 米国での公開が5月24日、日本での公開は6月7日ですから、今後、さらに数字は伸びると思いますが、現時点での興行収入は制作費の約5.25倍です。

 同じ条件で比較するため、オープニング1週間の興行収入で両者を比較すると、1992年のアニメ版は1928万9073ドル(1131劇場)で、2019年の実写版は9150万929ドル(4476劇場)でした。上映劇場が約4倍なので、それに応じた興行収入になっています。

 上映劇場数がオリジナルの4倍になっているのは、実写版にリメイクすることによって、観客のターゲット層を、子ども向け家族だけでなく、青年層にまで広げることができたからだと推察できます。

 次に、二つの作品のポスターを比較してみることにしましょう。

ポスター比較 (映画comより)


 左が実写版(2019年)、右がアニメ版(1992年)です。

 いずれも、三日月を背景に、魔法のジュータンに乗ったアラジンと王女ジャスミンの姿が中心に置かれています。モチーフ、背景、構図、いずれをとっても似かよっています。2019年版はおそらく、1992年版を意識して制作されたのでしょう。

 もっとも、よく見ると、両者には微妙な違いが見られます。

 実写版はアラジンとジャスミンが互いに顔を見つめ合っているのに対し、アニメ版は身を寄せ合って、愛を語らうシーンが捉えられています。意思を確認し合うシーンに力点が置かれているのが2019年版だとするなら、身体的な触れ合いに力点が置かれているのが1992年版といえるでしょう。

 一方、実写版には「その願いは、心をつなぐ。そしてー世界は輝きはじめる」というコピーが添えられ、アニメ版には「愛は冒険を生む。冒険が愛を育てる」というコピーが添えられています。

 これらのコピーからは、実写版ではアラジンとジャスミンの生き方や世界とのつながり方にウエイトが置かれているのに対し、アニメ版では二人の愛と冒険に力点が置かれていることが示されています。

 こうしてみてくると、アニメと実写といった形式の違い以外に、1992年と2019年という制作年の違い、すなわち、時代精神の違いといったようなものがみられるのです。

 さらに、実写版には魔法のランプの精ジーニーの姿が左下に大きく描かれているのに対し、アニメ版にジーニーの姿はありません。つまり、実写版ではジーニーを含めた主要登場人物を三人とみなし、その生き方、世界観が描かれているのに、アニメ版ではアラジンとジャスミン二人の愛の物語で完結しているのです。

 アニメ映画であれ、実写映画であれ、それぞれの作品には時代の風潮や価値観、世界観が反映されざるをえないことを感じさせられます。

 さて、ストーリーの展開の観点からみると、2019年の実写版は1992年に制作されたアニメ映画をリメイクしたものだとはいえ、いささか異なる面があるようです。

こちら → 

https://www.cinemablend.com/news/2472222/disneys-aladdin-10-differences-between-the-remake-and-the-original

 この記事の筆者は、登場人物の生き方や世界観に21世紀の現在にマッチするよう修正されていたると考えています。そのような側面での改変によって、21世紀の観客を大きく魅了するエンターテイメントになりえたのかもしれません。

 それでは、アメリカ版ポスターを通して、作品の構造を見てみることにしましょう。

■アメリカ版ポスターが示す作品の構造

 まず、アメリカ版ポスターに表現されている主要な登場人物と、ターニング・ポイントとなる主要なシーンをご紹介しておきましょう。

アメリカ版・ポスター


 このポスターは、とても興味深い画面構成になっています。

 中央に、魔法のランプを見つめる主人公のアラジンが大きく描かれています。これを全体の中心線だとすると、左半分にやや引いて、ジャスミン王女、そして、右半分にはランプの精であるジーニーの顔が大きく、まるで観客をのぞき込むような恰好で描かれています。

 左右にレイアウトされたこの二人は物語の主要なキャラクターです。

 色調の観点からいえば、ポスターの左半分は黄金をイメージさせる黄土色、右半分はその補色である濃いブルーをベースカラーに設定されており、アラジンを挟んで二つの領域に分けられています。

 左側が宮殿を舞台に、権力闘争が展開されるリアルな世界が描かれているとするなら、右側は魔法のランプが隠されていた洞窟を舞台に、夢を実現するファンタジックな世界が描かれているといえるでしょう。

 まず、左側から見てみましょう。

 王女の衣装を着たジャスミンが毅然とした姿を見せており、その背後には、黄金で輝く宮殿の内部が描かれています。細部に装飾が施され、何もかもが黄金色で輝いており、それが奥深くどこまでも続いているのです。宮殿がいかに広大で、豪華なものかが示されています。

 王女のボディガードの虎(ラジャー)は黄金色に輝いていますし、その隣に描かれた王女の父、アグラバー国王もまた輝く光の中で、威厳のある立ち姿で描かれています。その下には彼らが支配するアグラバーの城下が描かれています。ですから、左側は富と権力が示されているといえるでしょう。

 それでは、右側はどうでしょうか。

 アラジンの右肩の背後からランプの精ジーニーが大きな顔を覗かせています。このポスターの中で最も大きく描かれているばかりか、ジーニーだけが観客と視線を交差できるような描かれ方をしています。眉を軽く上げ、おどけた表情を見せながらも、視線はダイレクトに観客に向けているのです。

 ご説明したのは、先ほどのポスターの上半分です。切り取ると、このようになります。

アメリカ版ポスター上半分

 改めて、この三人の視線の向きをチェックしてみると、主人公のアラジンは視線を伏せ、ジャスミンは視線を遠方に投げています。つまり、この二人は観客と目を合わせないように描かれているのです。つまり、二人はあくまでも物語の登場人物であって、語り手ではないということが示されています。

 一方、ジーニーは笑みを浮かべ、視線をダイレクトに観客に向けています。ですから、このジーニーこそ、物語の全容を把握し、観客に向かって面白おかしく語りかける語り部のように見えます。そういえば、『アラジン』はアラビアンナイトの一話でした。この映画のオープニングは、行商人が子どもたちを前にお話をして聞かせるシーンだったことを思い出します。

 それでは、何がこの物語のキーポイントになるのでしょうか。それは、魔法のランプの精が叶えてくれる「願い事」すなわち、欲望です。

 主要な登場人物の欲望がどんなものだったのか、見ていくことにしましょう。

■ランプの精が叶えてくれる願い事

 物語は、侍女に扮して城外に出た王女ジャスミンがアラジンと出会うことからはじまします。宮殿に閉じ込められるようにして暮らしている王女ジャスミンにとって、城外に出ることは、まだ見ぬ世界を知ることであり、夢でした。

アグラバーの城外 (ユーチューブ映像より)

 ところが、一歩、城外に足を踏み入れると、そこは秩序もなく、雑多なものが混在している空間でした。物売りの声が聞こえるかと思えば、盗人が追われる騒動もありました。喧騒に満ちた街中は興味が尽きず、キョロキョロと見回っている間に、ジャスミンは露店の立ち並ぶ一角にやってきていました。

 そこに突如、現れたのがアラジンでした。

 アラジンは盗みを咎められ、追われていました。階段を駆け上り、屋上伝いに追手をかわしながら、華々しいアクションシークエンスを繰り広げた後、ようやく人混みに紛れ込み、ほっとしたときに出会ったのが、ジャスミンでした。

アラジンとジャスミン アメリカ版クリップ

 挨拶代わりに、アラジンはジャスミンから母の形見の腕輪を盗みます。驚くジャスミンを見て満足し、すぐさま腕輪を返却します。ところが、相棒の小ザル(アブー)がいつの間にか、また盗んでしまいました。これでは信用を失ってしまうとばかりに、アラジンは返却のために宮殿に忍び込みます。このとき、アラジンはジャスミンを侍女だと思い込んでいました。

 首尾よくジャスミンに会うことができ、腕輪を返すことはできたのはいいのですが、アラジンは衛兵に捉えられてしまいます。その処遇を担当したのが国務大臣のジャファーでした。彼は、ジャスミンが実は王女だということをアラジンに教え、洞窟に入って魔法のランプを取ってくれば、チャンスを与えるといい、大金持ちになれるぞと唆します。


アラジンとジャファー (ユーチューブ映像より)

 権力志向の強いジャファーは、国務大臣であることに不満を持ち、ひたすら王になることを願っていたのです。通常手段では不可能なこの願いも、魔法のランプを使えば叶えることができるのではないかと思い、アラジンに命じたのでした。

 アラジンはサルのアブーを伴って、洞窟の中に入っていきます。

 洞窟の中に入ったアラジンは崖の上に置かれているランプを見つけ、なんとか手に取り、下に降りた途端に、ランプの精であるジーニーが突如、現れます。アラジンは何も知らずに、ランプをこすってしまったのです。


アラジンとジーニー  アメリカ版クリップ

 ジャファーの命令に従ってようやく手にした魔法のランプから、思いもしないランプの精霊が現れ、三つの願いをかなえてあげるというのです。

 これがこの物語の第一のターニング・ポイントになります。

■アラジン、アリ王子として宮殿へ

 ジーニーはさっそく、ランプの使い方や願い事のルールなどをアラジンに教えます。

こちら → https://youtu.be/DuPUlLXiTQQ

 どんな願いも聞き入れてくれるというので、アラジンはジャスミンに会いたいといいます。王座を求めるジャファーと違って、アラジンの願い事はなんとささやかなものなのでしょう。ただ、ジャスミンに会いたいというだけのものでした。

 ところが、相手は王女です。会うには、宮殿に入るという大きなハードルを乗り越えなければなりません。正々堂々と、誰にも邪魔されることなく宮殿に入り、しかも、歓待されるという状況を創り出さなければなりません。

 それには、どこかの国の王子になり、表敬訪問をするという体裁を取らなければならないのです。

 ジーニーはいろいろなアイデアを出しながら、最終的にアラジンを架空の国「アバブワ」のアリ王子に仕立て上げます。もちろん、ジーニーが魔法を使って変身させられるのは外見だけですが、いろいろな衣装を試着させてみて、最終的に、白いターバンにいかにも王族らしい衣装に決定します。

ジーニーに変身させられたアラジン ユーチューブ映像より。

 砂漠を背景に、次々とアラジンを変貌させていくシークエンスは、ジーニー主導のコメディタッチで表現されています。魔法使いならではの面白さが、特撮技術とジーニー役の俳優ウィル・スミスのコミカルな演技で組み立てられており、笑いを誘う部分です。

 こうしてアラジンは、ランプの精ジーニーの魔法によってアリ王子に変身し、ジャスミンのいる宮殿に向かいます。

こちら →https://youtu.be/2URgeV4ilcU

 ジーニーが踊りながら先導する行進がなんとも陽気で、華やかです。華麗な衣装のダンシングチームが踊りながら行進した後は、ダチョウが突進していきます。そして、アブーが変身させられた象に乗って、アリ王子に変身したアラジンが現れます。大勢の人々が見ている沿道から、歓声が沸いています。

 宮殿のバルコニーからは王やジャスミンが、何事が起こったのかとアラジンの一行を見守っています。

宮殿から見下ろす王とジャスミン ユーチューブ映像より。

 そうそう、うっかりして、大切な登場人物を紹介し忘れていました。アラジンの相棒、小ザルのアブーです。

アラジンとアブー アメリカ版ポスター

 アラジンの肩に乗って、威嚇するように大きく口を開け、こちらを睨みつけています。時にいたずらもしますが、アラジンにはとても頼りになる相棒です。宮殿に向かう際はジーニーによって巨大な象に変身させられ、アラジンを乗せて行進しています。

 派手で豪華な行進で入城するというジーニーの作戦は成功しました。

 得体の知れないアリ王子ですが、ジーニーが先導する行進があまりにも豪華で派手だったので、財力の豊かな国から表敬にきた王子だと勘違いされたのでしょう、つゆほども警戒されることなく、アラジンの一行は宮殿に迎え入れられたのです。

■王座を狙うジャファー

 アリ王子の顔を見るなり、国務大臣のジャファーはアラジンだと気づきます。そして、その華麗な変身ぶりを見て、アラジンが魔法のランプを手に入れたと察知します。

 そもそも、この物語の発端の一つはアラジンとジャスミンの出会いであり、もう一つの発端はジャファーの王座狙いでした。国の重鎮である国務大臣を務めていたとはいえ、いつまでも二番手でいることに安住できないジャファーの欲望が、この物語のもう一つの発端だったのです。

 ジャファーは、宮殿に忍び込んだアラジンを捉え、ジャスミンが王女であるkとを教え、さらに、洞窟にある魔法のランプを取り出して来いと命令しました。魔法の力で王座を得たいというのが彼の狙いだったからです。

  それなのに、アラジンは今、魔法のランプを使ってアリ王子となり、宮殿に現れています。ジャファーが怒るのも当然でした。アラジンは魔法のランプを横取りしたばかりか、大胆にも宮殿に赴き、王や王女ジャスミンに表敬訪問をしているのです。

 アラジンはそれほど見事にアリ王子に変身していました。これを見たジャファーは、改めて、魔法のランプの力の凄さを認識したことでしょう。なんとしてでも、ランプを取り戻そうと画策します。

 さて、アリ王子(アラジン)は表敬の挨拶の際、ジャスミンに贈り物を申し出ます。最初の申し出(ジャムなどの贈り物)には関心を示さなかったジャスミンですが、二度目に申し出た、行きたいと思ったところにはどこへでも、魔法のジュータンに載せて連れて行ってあげるという提案には喜びました。

 この時、ジャスミンもまた、アリ王子が実はアグラバーの街で出会ったアラジンだということに気づきます。ただ、ジャファーとは違って、アリ王子が扮装して街に出ていた仮の姿がアラジンだったと解釈したのです。

 見かけは王子でも中身はアラジンなので、宮殿のお偉方とのやり取りにはボロが出ます。その隙を狙ったジャファーは、ランプがどこにあるか言わなければ、お前の正体をばらすぞとアラジンを脅し、縛り上げて海に投げ込んでしまいます。

海に投げられるアラジン ユーチューブ映像より。

 

 危機一髪のところ、機転を利かせたジーニーが変則的に第2の願いを使って、アラジンを助けます。ところが、その間に、ジャファーにランプを奪われてしまいます。

ランプを手にしたジャファー  アメリカ版クリップ

 サルタンの衣装を着たジャファーの姿です。向かって左手の人差し指を突き出し、左手にはランプを持っています。まるで勝利宣言をしているかのようです。魔法の力で仮に、国王になりたかったジャファーの夢が叶った瞬間でした。

 これが第二ターニング・ポイントのシーンです。

 その後、魔法の力を失ったアラジンは追い詰められていきます。ジャファーはジーニーに命じ、アラジンとアブーを氷に閉ざされた荒地に追いやってしまいます。これもまた、危機一髪のところで、魔法のジュータンに乗って宮殿に戻ってくることができました。

 アラジンがいない間に、ジャファーはジャスミンに、結婚を承諾しなければ、父である王と侍女ダリアを殺すと脅します。ジャスミンは仕方なく応じ、結婚式を迎えたその日、魔法のジュータンによって救い出されたアラジンとアブーが駆けつけます。

■最後のお願い

 ジャファーはイアーゴを獰猛な肉食鳥に変身させ、彼らを追いかけさせます。魔法のランプを手にしても、こすらなければ効力はありませんから、ジャファーはそれを阻止しようとしたのです。壮絶なチェイスが繰り広げられます。

 これが第三のターニング・ポイント、そして、クライマックスシーンです。

 アラジンはジャファーを挑発するように、お前はまだジーニーに及ばない、宇宙で一番パワフルな存在になるには最後のお願いをするしかないよ、とけしかけます。挑発に乗ったジャファーは、宇宙で一番パワフルな存在にしてくれとジーニーに願います。

 ジャファーの願いを聞いたジーニーはその意味がよくわからず、魔法の力が強大なランプの精になりたいのかと思い、ジャファーを精霊に変えて、ランプに閉じ込めてしまいます。おまけに、ランプにつながれたジャファーは、道連れにイアーゴを引きずり込みました。これで敵は全て、ランプの中に閉じ込められてしまったことになります。

一切を見届けたジーニーは、ジャファーとイアーゴが入ったランプを魔法の洞窟に投げ戻します。ようやく恐怖から解き放たれたアラジンは約束を守って、最後のお願いでジーニーをランプの精から解き放って人間に変え、自由にします。

 そして、ジャスミンに対しては、魔法のジュータンに乗って、行きたいところにはどこへでも連れていくという約束を果たしました。

魔法のジュータンに乗るジャスミンとアラジン アメリカ版クリップ

 一方、王はジャスミンを次期王にすることを宣言します。

 ジャスミンをどこかの国の王子と結婚させて国を譲りたいと思っていた王でしたが、ジャスミンの自分でこの国を治めたいという希望を聞きいれたのです。宮殿内の不祥事にもうろたえることなく、問題解決できる能力を認めたからでしょう。

 人間になったジーニーはジャスミンの侍女ダリアを結婚し、ジャスミンもまたアラジンと結婚します。こうして登場人物たちはハッピーエンドを迎えるのです。

 最後を締めくくるように、最初に登場した行商人の家族が再び、登場します。子どもたちにお話を聞かせるという体で始まった物語がこうして幕を閉じたのです。語り部はジーニー、そして、聞いているのは、ジーニーとダリア夫婦の子どもたちでした。

■欲望の連鎖が紡ぐストーリー

 この作品はアニメ版の実写化です。アニメ版は『アラジンと魔法のランプ』を原作にしたファンタジックな異国のラブロマンスですが、実写版の場合、それだけでは訴求力が足りません。子ども向けのアニメ作品を実写化するには、大人が見ても楽しめる要素が必要だったでしょう。

 21世紀の大人が見ても楽しめる要素として、特撮技術による躍動的なアクションシーン、意表をつく魔法シーン、さらには、ダンスシーン、コミカルなシーンなどが次々と、弾力的に叩き込むように加えられました。観客は誰しも、スピード感あふれる画面展開にくぎ付けになってしまったことでしょう。よく出来たエンターテイメントでした。

 興味深いのは、実写化に際し、「願い事」(欲望)の連鎖に力点を置いて、ストーリーが展開されていたことでした。21世紀の観客は1992年の観客とは違って、単なるラブロマンスには引き込まれません。時代精神と絡ませた世界観、あるいは人生観を組み込まなければ、観客を夢中にさせることはできないでしょう。

 脚本を担当したのはジョン・オーガスト(John August)ですが、監督のガイ・リッチー(Guy Ritchie)も加わっています。

 ストーリー構成を見ると、登場人物たちの欲望が連鎖し、プロットを展開していくような仕組みになっていることがわかります。登場人物たちの欲望が問題を発生させ、解決したかと思えば、さらにその別の問題が発生するといった格好で、ストーリーが展開されるという構造になっているのです。

 この作品の主要な登場人物は五人います。


左から、ジャファー、ジーニー、アラジン、ジャスミン、ダリア  アメリカ版クリップ

 いずれもが、それぞれの人生観、世界観に基づく欲望を抱いています。

 たとえば、王女ジャスミンは城外の世界を見て見識を深めたいという欲望、アラジンはたまたま街で出会ったジャスミンにもう一度会いたいという欲望、ジャファーは王座に就きたいという欲望、ジーニーは人間になりたいという欲望、ジャスミンの侍女ダリアは結婚して家庭を持ちたいという欲望、といった具合です。

■欲望の中空構造を象徴するアラジン

 この五人の中でただ一人、欲望が変化している人物がいます。それは、アラジンです。「ジャスミンに再び会いたい」という素朴な欲望から、やがて、(ジャスミンに会うため)、「王子になりたい」になり、(ジャスミンの希望を叶えたいため)、「ジャスミンが望むところはどこへでも魔法のジュータンに乗って行きたい」になっていきます。

 なぜ、このように変化するのかといえば、アラジンの究極の欲望が、他人の欲望の実現でしかないからでしょう。いってみれば、アラジンには自身の欲望というものがないのです。

 たとえば、ジャファーとジャスミンの欲望は国の支配に関わっています。自身の権力志向を満足させるために王座を狙うのがジャファーだとすれば、ジャスミンは女性もまた支配者になりうるという立場から王権を手にすることを願っています。

 「スピーチレス~心の声」という新曲の中で、ジャスミンの思いは存分に表現されています。

こちら →https://youtu.be/b8z9l9kqGCs

(広告はスキップしてください)

 このようなジャスミンの思いは現代女性を代表するものであり、ここに21世紀ならではの時代精神が表現されています。

 そして、ジーニーとダリアの欲望は、「人間として」あるいは、「家庭人として」生きていきたいというものです。ヒトを繋ぎとめてきたさまざまな絆から解き放たれた現代人の一部は再び、ヒトとは何かを問い、家庭に拠り所を求めようとしています。そのような現代潮流の一端がかれらの欲望に反映されています。

 このように、アラジン以外の登場人物はそれぞれ、自己実現のための欲望を持っており、それを実現させるために行動しています。

 ところが、アラジンは違います。物欲はなく、権力欲もなく、自己実現のための欲望もなく、ただひたすら他人の欲望を実現させるために、「願い事」をします。まるでランプの中のように、アラジンには欲望が空洞になっているのです。

 考えて見れば、だからこそ、個性的な登場人物たちが、アラジンを中心に、調和を保ちながら、存在できているように見えるのでしょう。自身の欲望を持たないアラジンが、一種の中空構造の役割を果たすことによって、欲望の衝突がもたらす悲劇を回避することができているように思えるのです。

 このような観点から実写版『アラジン』を読み解くと、この映画から現代社会に有益な示唆を得たような気がします。

 自己実現、自己利益のための欲望が巨大なエンジンとして、社会を動かしているのが現代社会です。だとするなら、どこかに空っぽの空間を作らなければ、社会そのものがやがて、欲望の衝突によって自己崩壊を招きかねないでしょう。現代社会の歪を考えると、中空構造の機能を捉えなおしてもいいのではないかという気がしました。(2019/7/16 香取淳子)

「運び屋」:実話の映画化に必要なものは何か。

■クリント・イーストウッドが主演・監督する「運び屋」

 3月14日、たまたま時間が空いたので、「運び屋」(2018年制作、米映画)を見てきました。現在88歳のクリント・イーストウッドが87歳の時に監督・主演を演じた作品です。イーストウッドといえば著名な俳優なので、これまでに写真は何度か雑誌等で見たことがありますが、映画はまだ見たことがありませんでした。

 ポスターに掲載された顔写真には、90歳近い高齢者ならではの味わい深さがありました。

 目深にかぶった帽子の下から見える横顔・・・、深く刻み込まれた皺、何か言いかけようとしているような口元・・・、どれ一つとって見ても老齢と深い孤独とが滲み出ていることがわかります。ふと見ると、鼻先の脂肪が光って見えます。老いたとはいえ、まだ気力が残っていることが示されています。

 画面右下には、残照の下、ピックアップトラックが一台、広大な荒野の中の道を走っているのが見えます。黄昏の光景に絡め、運び屋としてひたすら運転し続けた孤高の人生が浮き彫りにされているのです。この映画のエッセンスが見事に表現されたポスターでした。

 この映画の原題は「The Mule」、2018年12月14日に公開された米映画で、制作費は5000万ドル、興行収入は3月14日時点のデータで103,804,407ドルです。すでに米国内だけで制作費の2倍以上の興行収入を得ていることになります。

こちら →https://www.boxofficemojo.com/movies/?page=main&id=themule.htm

 今後、高齢化が進む先進諸国での上映が増えていけば、観客も大幅に増加していくでしょう。興行収入は、さらに増える可能性があります。

 「運び屋」というタイトルを見ると、誰しも条件反的に、犯罪映画を思い浮かべてしまうでしょう。私もてっきり、派手なアクションシーン満載の犯罪映画だろうと思っていました。ところが、実際は、そうではなく、味わい深い人生ドラマになっていました。運び屋が高齢者なので、華々しいアクションシーンを設定することができなかったのでしょう。

 その代わりに、高齢者ならではのエピソードが随所に組み込まれており、犯罪映画であるにもかかわらず、ほのぼのとした情感溢れる作品に仕上がっていました。人生を考え、家族を思い、ヒトとしての生き方を考えさせられる映画になっていたのです。この映画はきっと、国境を越え、幅広い観客から共感を得られるようになるでしょう。

■実話を原案に映画化

 この作品は、ニューヨークタイムズに掲載された記事(2014年7月11日付)に着想を得て制作されました。

 ハリウッド・レポーターのボリス・キット氏によると、2014年11月4日、制作会社インペラティブ・エンターテイメントはこの記事の権利を獲得し、ルーベン・フライシャーを監督として映画化に着手したといいます。ニューヨークタイムズに記事が掲載されてから三か月後のことでした。

こちら →https://www.hollywoodreporter.com/news/zombieland-director-tackling-tale-87-746038

 記事の内容は、デイ・リリー(day lily)の栽培で受賞経験もある園芸家が、メキシコを拠点とする麻薬組織の運び屋をしており、2011年、87歳の時に逮捕されたというものでした。麻薬の運び屋というだけなら、よくある犯罪記事にすぎませんが、制作陣はおそらく、運び屋が87歳だったという点に興味を抱いたのでしょう。

 制作陣が記事の段階で権利を押さえていたことからは、映画化の原案としての可能性の高さが示唆されています。確かに、麻薬の運び屋が超高齢者だったという意外性は、さまざまな側面から深く掘り下げることができます。取り上げ方によっては、年齢を問わず、訴求力の強い作品に仕上げることができます。

 晩節をどう生きるかに焦点を合わせれば、大きな社会的関心を喚起する可能性がありました。なんといっても、先進諸国では高齢化が進行しています。そのような現状を考えあわせれば、90歳近いクリント・イーストウッドが監督・主演を担うこの映画が話題作になるのは明らかでした。

 もっとも、この記事が掲載された時点では、まだ主演が誰になるか決まっていませんでした。

 この記事を書いたサム・ドルニックも、2018年12月5日付けのニューヨークタイムズ誌上で、クリント・イーストウッドがこの映画を監督し主演もするとは考えもしなかったと書いています。

こちら →https://www.nytimes.com/2018/12/05/reader-center/clint-eastwood-movie-drug-mule-sinaloa-cartel.html

 さらに彼は、上記の記事の中で、「ツイッターが暇つぶしだなんて誰が言ったんだ?」と皮肉っています。実はこの記事のネタは、サム・ドルニックがたまたまネットでツイッターをスクロールしていたとき、警察の記録簿から見つけたものでした。ですから、彼は、ツイッターは決して暇つぶしの手段などではなく、貴重な情報源なのだといいたかったのでしょう。

 先ほどいいましたように、サム・ドルニックがツイッターで見つけたのは、イリノイ州に住む89歳の園芸家が1400ポンド以上のコカインを、メキシコ系麻薬組織の運び屋として移動させていた廉で、デトロイトで刑を申告されたという情報でした。逮捕時87歳だった運び屋が2年余を経て実刑を宣告されたのです。

 その情報を見てサム・ドルニックは、これはニューズバリューがあるだけではなく、物語に仕立て上げられる内容だと判断しました。そして、老いた運び屋の人生をニューヨークタイムズの記事にしようと思いついたのです。

 この情報には、彼のジャーナリスト魂が刺激されるだけの訴求力がありました。ヒトの心を強く動かすものがあったのです。それはおそらく、90歳に近い高齢者が麻薬組織の運び屋として働いていたということでしょう。

 それまで犯罪歴もない高齢が、なぜ、晩節を汚すようなことをしたのか、私も興味津々です。そこには高齢者ならではの心理、あるいは、生活環境がなにがしか影響を及ぼしていたのかもしれません。いずれにせよ、予想もできない事件でした。だからこそ、主演・監督ともクリント・イーストウッドに変更されたのでしょう。

 当初、ルーベン・フライシャーを監督に起用し、制作体制を組んでいたはずが、どういう経過があったのかわかりませんが、いつの間にか、クリント・イーストウッドがこの映画の監督になっていました。90歳近い高齢者が運び屋であるこの物語にリアリティを持たせるには、主演・監督とも同世代である必要があったのでしょう。

 それでは、メイキング映像をみていただくことにしましょう。

こちら→ https://youtu.be/HA5z-fQKxpc

 出演者たち、そして、クリント・イーストウッドの言い分を聞いていると、彼が主演・監督を務めたからこそ、この映画が成立したことがよくわかります。

■ストーリー構成

 冒頭のシーンでは、デイ・リリー(daylily)の花がクローズアップされます。主人公アールが大切に栽培している花です。ユリ科の植物で、その名(day lily)の通り、花が咲くのは一日限りですが、アールは手間暇かけ、愛しむように栽培しています。

 映画ではこの冒頭のシーンに続き、アールが品評会で金賞を受賞するシーンになります。晴れやかなアールの笑顔がとても印象的です。ところが、周囲から次々と浴びせられる称賛に応じているうちに、うっかり一人娘の結婚式に出るのを忘れてしまいます。栽培家としては高い評価を得ても、家族を顧みることがなかったことの象徴として、このエピソードが組み込まれています。仕事を優先し、他人にかまけて家族をないがしろにしてきたせいで、アールはその後、一人娘や妻から見放されていきます。

 12年後、老いたアールは家族から見放され、家は差し押さえられて、お金も底をついてしまっていました。インターネット時代にアールの仕事が追い付かなくなっていたのです。孫娘だけは心配してくれていましたが、お金がなく、祖父としての役目を果たすこともできません。そんな折、お金になるといわれ、何を運ぶか知らされないまま、目的地まで届ける仕事を引き受けます。

 いわれるままに運転するだけで、予想もしなかった大金を手にして、アールは驚きます。

予告CMより。

 いまにも壊れそうなピックアップトラックに乗っていたアールは、大金を手にしたので新車を購入し、再び、運び屋の仕事を引き受けます。

 途中、ふと気になってトランクを開けると、バッグがたくさん積み込まれています。中を開けると、白い袋がたくさん入っていました。明らかに麻薬です。唖然としていると、背後から近づいてきた警官に、「どうしたんですか?」と声をかけられます。

予告CMより。

 警官とやり取りをしているうちに、警察犬が激しく吠え出しました。それを聞いて警官は車に戻りますが、アールは危険を察知し、自分の方から犬に近づき、痛み止めの薬を嗅がせます。麻薬犬の嗅覚を混乱させることによって、麻薬が車から発見されることを回避します。とっさに知恵を巡らせ、危機をやり過ごしたのです。

 機転の利くアールは、その後、厳重な警察の取り締まりの目をかいくぐって何度も、大量の麻薬を運びます。麻薬組織のボスは喜び、アールの仕事はさらに増えていきます。

予告CMより。

 豪腕の運び屋がいると判断した警察は、敏腕警官を担当に抜擢し、取り締まりを強化します。担当警官はまさか90歳近い高齢者が運び屋だとは思いもしません。ですから、取り締まりの最中にアールと直接会話する機会があったのに、彼こそが当人だと気づくこともありませんでした。むしろ共通の話題に話を弾ませ、いっとき、心を通わせていたほどでした。

予告CMより。

 食堂で隣り合わせた担当警官が、忙しさにかまけ、家族の記念日を忘れていたことを知ると、アールは、さっそく自身の経験を話し始めます。記念日を忘れることがいかに大きなダメージを家族に与えるか、自身の辛い過去を話しました。一人娘からはその後12年半も口をきいてもらえない、悲しい体験を吐露したのです。

 それを聞いて、警官の気持ちは一気にアールに引き寄せられていきます。同じ悩みをかかえた人生の先輩として、アールに親しみを感じてしまいます。追う者と追われる者がいっとき、家族の話題で心を通い合わせるシーンでした。この時の警官が後にアールを逮捕することになります。

 さて、回を重ねるたびに運ぶコカインの量が増え、手にするお金も増えていきます。それに伴い、組織からの監視は厳しくなっていきます。車に監視カメラが取り付けられ、見張り役によってアールの行動は逐一、監視されるようになります。

 それでも、アールは好きなところで車を停め、好きな食堂に立ち寄り、好きなものを食べ、自由自在に動き回っています。そんなある日、孫娘から電話があり、祖母(アールの妻)が危篤だという知らせを受けます。

 いったんは仕事だからと断りますが、思い直し、病床に伏せる妻のところに駆けつけます。思いもかけないアールの帰宅に家族は戸惑い、娘は拒否反応を示します。

予告CMより。

 それでもアールは強引に、病床の妻メアリーに寄り添います。死に瀕したメアリーは、ひどい夫でひどい父親だったけど、最愛のヒトだったといい、アールを許してくれます。そんなアールと母メアリーを見て、娘もついにアールを許すようになります。

 メアリーの死を契機に、アールは娘と和解しました。メアリーのおかげでアールは家族に受け入れられたといっていいでしょう。人生の終わりになってようやく、アールに安堵の時が訪れたのです。

 ところが、安堵の時を得たのも、つかの間、黒のピックアップカーを追跡していた警察にアールは捕まってしまいます。

 それにしても、法廷でのアールの態度がなんといさぎよく、見事だったことでしょう。麻薬組織の運び屋として晩節を汚したアールが、まるで汚名を返上するかのように、弁護士を制し、いさぎよく罪を認めたのです。

 弁護人が、軍人として国のために果敢に戦ってきたこと、人の良さや高齢であることを麻薬組織から利用されただけだということ、等々を主張してアールを弁護したのに、アールは「全てにおいて有罪」だと主張し、自ら刑を受けることを望んだのです。

 エンディングでは、刑務所の中で花栽培に従事するアールの姿が映し出されます。そして、下記のようなフレーズの歌が流れます。

 「老いを迎え入れるな、

  もう少し、生きたいから、

  老いに身をゆだねるな、

  ドアをノックされたら、

  いつか、終わりが来るとわかっていたから、

  立ち上がって、外に出よう」

 歌詞といい、声のトーンといい、しみじみとした味わいがあり、胸に沁み込みます。トビー・キースが歌う「Don’t Let the Old Man In」をご紹介しておきましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=RLp9pkWicdo

 これを聞いていると、次第に、90歳近い年齢で主演・監督を務めたクリント・イーストウッドからのメッセージのように聞こえてきます。

■実話の映画化に不可欠な要素は何か。

 この映画のメインプロットは、ニューヨークタイムズに掲載された記事を踏まえて、作成されています。それを支えるサブプロットとして、家族との関係、老いていく者の矜持、などが組み込まれ、ストーリーが立体的に構成されていました。だからこそ、犯罪映画でありながら、味わい深い作品に仕上がっていたのでしょう。

 つまり、実話にフィクションを加えることによって、大勢のヒトの気持ちを打つ、情感豊かな映画に仕上がったのだと思います。それでは、フィクションに不可欠な要素は何だったのか、考えてみることにしましょう。

 2014年にニューヨークタイムズに記事を書いたサム・ドルニックは、先ほどご紹介した2018年12月5日付けの記事の中で、興味深いことを書いています。この記事を書くに際し、彼は記事の骨組みになるようないくつかの疑問を、数か月にわたって調べたというのです。

 たとえば、なぜ、そのようなことをしたのか? 騙されやすい人だったのか? 詐欺師だったのか? 天才的な犯罪者だったのか? ・・・、といったような疑問です。いろいろ調べた結果、サム・ドルニックはそれらの疑問についてはそれぞれ見解を得ることができたといいます。それでも、ジャーナリストとしての彼にできるのはせいぜいそこまでだというのです。

 サム・ドルニックは、ジャーナリストとしては、調べて知りえたことしか書くことはできないといいます。事実を書くことこそがジャーナリストの仕事の鉄則だというのです。ところが、記事に書く実在の人物は、複雑で、矛盾し、謎めいていて、しかも驚くべき経歴を持つ人々なのです。

 ですから、たとえば、最初にコカインをトラックに運び入れたとき、どう思ったのか、と尋ねても、実際には決して答えてもらえなかっただろうとサム・ドルニックは書いています。そして、仮に調査しつくしたとしても、なぜ運び屋をやったのかわからないし、おそらく当人ですら、わからなかったに違いないといいます。つまり、事実をいくら積み上げても、きめ細かな心理などを浮き彫りにすることはできなかっただろうというのです。

 サム・ドルニックの記事を読み、映画制作者は閃きを感じました。だからこそ、この記事を脚本家のニック・シェンクに送付したのです。そして、シェンクは脚本家としての発案で、高齢の麻薬運び屋に手の込んだバックストーリーを創りました。すなわち、父親に憤慨している娘、家族への罪の意識、ピーカンパイへの好みといったような要素を加え、バックストーリーを創ったのです。

 まさにこの点に、実話からの映画化に際し、フィクションを創り出す専門陣営・ハリウッドが介入する余地があったといえるでしょう。ジャーナリストが紡ぎだした記事では埋めることのできない溝をフィクションで補い、ストーリーを完璧なものにしたのです。

 警察情報から実話として記事を作成したのはジャーナリストのサム・ドルニックでした。ところが、それだけでは映画化することはできず、脚本家ニック・シェンクは新たにフィクショナルな要素をいくつか付け加えました。複雑で矛盾した現実社会を生きてきた実在の人物をリアリティ豊かに再現するための装置ともいえるものです。

 確かに、父親を拒否し続ける娘を登場人物に設定しなければ、アールの深い孤独を浮き彫りにすることはできず、家族に対する罪の意識も観客に深く伝わってこなかったでしょう。そして、出来心で一回だけ運び屋をやったというのではなく、その後何度も麻薬組織の片棒を担いでいたことの理由もわからなかったでしょう。

 老いさらばえて、家族から見放されていたアールは、どこかでヒトから認められたかったのだと思います。大金を手にしたアールが、まるで家族に対する罪の意識を振り払うかのように人助けをしていたのも、その種の承認欲求の現れでしょう。退役軍人クラブの再建に尽力したときに見せたアールの表情のなんと晴れやかなことか・・・。ヒトは何歳になっても、家族や他人から認められたいのだということがわかります。

 さらに、アールはピーカンパイが大好きだという設定でした。ピーカンパイというのは、ナッツを上に載せたパイのような焼き菓子です。子どもが大好きなお菓子ですから、ピーカンパイが好きだというだけで、老いたアールに子どもらしさ、可愛らしさのイメージを加えることができます。映画の中ではトランクを開けていたとき、近づいてきた警官に、アールはとっさの知恵を働かせて、ピーカンパイを話題にし、煙に巻いていました。

 このように脚本家ニック・シェックが新たに付け加えた要素は、ストーリーを強化し、キャラクター像を立体的なものにする効果がありました。なにより大きな効果は、父親を拒否し続ける娘を設定することによって、単なる運び屋のストーリーを情感豊かな人生ドラマに変貌させたことでしょう。

 その結果、観客の心を打つ素晴らしい映画に仕上がりました。実話にフィクショナルな要素を加えてはじめて、ストーリーが強化され、登場人物それぞれにリアリティが感じられ、感情移入も可能な作品世界が生み出されたのです。

 この映画の作品化過程をストーリー構成の観点から読み解いてみて、さまざまなことがわかってきました。

 同じストーリーを扱うとはいっても、ジャーナリストの領分と脚本家の領分とは異なるということ、映画にはフィクショナルな要素が、事実の隙間を埋めるために必要だということ、などを思い知ったのです。

 もちろん、映画の構成要素はストーリーだけではありません。映像や音楽・音響もまた重要な役割を担っています。ただ、今回は、実話からの映画化という点で、「運び屋」に興味を抱いたので、ストーリー構成の観点からこの映画について考えてみました。総合芸術としての映画はこのように複雑多岐で多様、多義的で融通無碍、だからこそ、面白いのだと思いました。(2019/3/17 香取淳子)

「ボヘミアン・ラプソディ」:フレディ・マーキュリーのカリスマ性を考える。

観るたびに泣いた「ボヘミアン・ラプソディ」

 2018年12月下旬、はじめて「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。評判になっていたので、取り敢えず観ておこうという軽い気持ちでした。公開から1か月半以上経っていましたが、それでも、ひょっとしたら混んでいるかもしれないと思い、開場30分前に着くように出かけました。ところが、平日だったにも関わらず、すでに最前列の席しか空いていませんでした。そして、私のすぐ後で満席になってしまったのです。こんな経験ははじめてでした。

 この映画は2018年11月9日に公開され、その後、右肩上がりで観客動員数が増えています。日本の観客人口は限られていますから、リピーターがいなければ、このような現象はあり得ません。

こちら →https://blog.foxjapan.com/movies/bohemianrhapsody/news/

 実際、リピーターらしい観客を何人か見かけました。

 ドキュメンタリータッチの映画で、感動的な作品でした。ストーリー構成がよくできていたせいか、チャリティコンサート「ライブエイド」に至る直前辺りから、私は泣きっぱなしでした。どんな思いでフレディ・マーキュリーがこのライブに臨んだのかがわかりますし、なにより、ライブで提供された楽曲がどれもすばらしく、取り上げられた曲の歌詞の一つ一つが心に響きます。いつの間にか、画面のフレディの動きに合わせ、足を踏み、リズムを取っていました。ライブシーンに完全にはまり込んでいたのです。

 いかにクィーンのステージが素晴らしいものであったか。映画では、それまで芳しくなかった募金がクィーンの登場を機にみるみる増えていくシーンが挿入されていました。当時、この中継を見ていた人々はクィーンのステージを見て感動し、争うように寄付をしていったのでしょう。募金額は飛躍的に伸びていきました。

 映画を見終えてもこのときの感興は冷めず、私はその後しばらくユーチューブでクィーンの音楽を聴きまくりました。映画館で味わった感動を得たかったのです。

 1月下旬、再び、映画館に足を運びました。今度は日曜日でしたから、席が取れないかもしれないと思い、朝、映画館が開くのを待って出向き、座席を確保しておきました。この日は公開からすでに2か月以上経っていましたが、やはり大勢の観客が詰めかけていました。今回は明らかにリピーターらしい観客が多く、中にはワインを持ち込んでいる二人連れの観客も見かけました。迫力のあるライブシーンが多いので、きっとライブに行くような感覚で映画を見に来たのでしょう。

 今回もまた、私は「ライブエイド」に至る直前から涙が止まらなくなりました。こんなことはこれまで経験したことがありません。そもそも、これまで同じ映画を2回も見ることはありませんでした。ところが、この映画は2回見ても新しい発見があり、よく知っているはずのシーンなのに、独特のサウンドに包まれ、心に響く歌詞を見ていると、自然に涙腺が緩んでしまったのです。そして、再び、言葉では表現しがたい感動に包まれてしまいました。

 この映画はいったい何故、大勢の観客の気持ちをこんなにも揺さぶってしまうのか、その理由を考えてみたいと思います。

1985年7月13日、「ライブエイド」

 イギリスのウェンブリーで1985年7月13日に開催されたチャリティコンサート「ライブエイド」の会場で、クィーンがどれほど異彩を放ち、他の出場者たちを圧倒していたか。それを報告する「クィーンはいかにライブエイドのステージの主役の座を奪ったか」というタイトルの記事をネットで見つけました。2015年7月13日に公開されたものです。日付からは「ライブエイド」の30周年記念に寄せられたものだということがわかります。ご紹介しておきましょう。

こちら →http://ultimateclassicrock.com/queen-live-aid/

 ウェンブリーの会場には有名アーティストやクィーンよりもより人気があり、当時を代表する若いグループも参加していました。ところが、クィーンはその時、80年代初に勢いを失ってしまったグループだとみなされていて、あまり期待もされていなかったようです。

 ところが、この時、ステージで何かが起こったと、その記事は書いています。期待されていなかったクィーンに大観衆が猛烈な喝采を送ったのです。

 クィーンはこれまでの新旧の楽曲の中から6曲をピックアップして繋ぎ、20分間のショーに仕立てました。通常のライブでは最後に披露していた「ボヘミアン・ラプソディ」をトップに、「We are the Champion」を最後に編成したのです。

 「ボヘミアン・ラプソディ」は冒頭の混成パートは省かれ、いきなり、「Mama,I just killed a man」のフレーズが印象的なピアノの弾き語りから始まります。そして、ピアノの弾き語りの「We are the Champion」で会場全体を盛り上げ、大観衆を一体感の中に包み込んでから閉じます。20分間のショーはメリハリを利かせて構成されており、大観衆を引き込みながら、流れを作り、展開していく構造になっていました。フレディ・マーキュリーの計算が功を奏したことは確かです。

 意外性(「ボヘミアン・ラプソディ」)から始まるショーを,「観客との一体感」(「We are the Champion」)で締めくくった構成とメリハリをつけた編成の妙に感嘆してしまいます。ショーマンとしてのフレディ・マーキュリーの企画の才能は実演者としても発揮されました。

 クィーンが登場し、フレディ・マーキュリーがピアノの前に腰かけると、会場を埋め尽くした大観衆が沸きました。間奏の間も絶えず速いテンポでステージ上を動き回るフレディ・マーキュリーに合わせ、大観衆は一斉に高く手をあげ、足を踏み、歓声をあげました。ステージのフレディ・マーキュリーと大観衆とが一体化したのです。

 会場には7万5千人も集まったといわれます。

こちら →

(文春オンライン 2018/1/24より)

 この画像を見ると、このライブの規模の大きさがわかろうというものです。これだけ多数の人々がフレディの一言で手を高く挙げ、声を発したのです。ミュージシャンとしてのフレディ・マーキュリーはショーマンとしての企画力ばかりか、パフォーマーとして抜群の能力を持ち合わせていることを示してくれました。

切れ味のいいパフォーマンス

 映画の「ライブエイド」のシーンでは私もフレディ役のパフォーマンスに引き込まれ、知らず知らずのうちに、リズムに合わせて身体を揺らし、足を踏んでいました。フレディ・マーキュリーを正確に真似た演技に魅了されてしまったのです。

 それにしてもフレディ役のラミ・マレックの演技には驚きます。大観衆を前にしたステージで、まるでフレディが生き返ったのかと思うほどそっくりに、切れ味のいいパフォーマンスを見せてくれたのです。2019年1月28日、第50回全米映画俳優組合賞でラミ・マレックはこの演技が評価され、主演男優賞を受賞しました。実際の顔立ちは全く異なるのに、動作はもちろんのこと、表情までもフレディそっくりに演じきったところに俳優としての力量の高さを窺い知ることができます。

 この時のフレディ・マーキュリーと俳優ラミ・マレックを比較し、並べた画像がありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →

https://front-row.jp/_ct/17168728より)

 向かって左がフレディ・マーキュリーで右が俳優のラミ・マレックです。とてもよく似ています。クィーンの他のメンバーも同様、実物そっくりの俳優が起用されていました。この映画はフレディ・マーキュリーを軸にクィーンの半生(「ライブエイド」まで)を忠実に追った映画です。ですから、実物とよく似た俳優の起用もまた大ヒットの要因の一つだったといえるのかもしれません。

 それでは、実際の「ライブエイド」はどのようなものだったのか、当時の映像で見てみることにしましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=A22oy8dFjqc

 これを見ると、ステージ上のフレディの動きにはどんな場合も、切れがあることがわかります。たとえば、冒頭でピアノを弾くフレディはフレーズ毎に手を高く上げ、エッジを効かせた動きをします。そして、2分45秒ごろから始まるパフォーマンスでは膝をまっすぐに伸ばし、要所、要所で動作を止め、誇張した仕草を見せています。動作が次の動作に移る切り替えの時、動きを止めることによって、躍動感を生み出していることがわかります。

 このように連続した動きの中に静止した動きを取り込むことによって、どんなに遠くから見ていてもフレディの動きが切れ味よく、躍動感にあふれて見えます。フレディはおそらく、ストップモーションの効果を視野に入れてパフォーマンスを組み立てたのでしょう。音楽のテーマ、コンセプトに沿ったパフォーマンスだというだけではなく、どんなに遠くからでも認識できる動きを考案していたと考えられます。

ボヘミアン・ラプソディ

 1回目、最前列の席しか選べなかった私は、見上げるようにしてスクリーンを見つめていましたが、ウェールズの農園で「ボヘミアン・ラプソディ」をレコーディングする辺りから次第に引き込まれていきました。制作過程を扱ったシークエンスが興味深かったからでした。

 2008年にアップされた当時のクィーンのデモ映像を見てみることにしましょう

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=fJ9rUzIMcZQ

(クィーン公式ビデオより)

 1985年の「ライブエイド」では省かれていた混成パートがこのデモ映像には収められています。ハーモニーが美しく清らかで引き込まれます。若いころのクィーンが知性と熱情と冒険心を結晶化させて創り出したのが、この「ボヘミアン」でした。当然、デモ映像もそのコンセプトに沿うものでなければならず、フレディ・マーキュリーが考案したといいます。

 さて、映画ではこの混成パートを収録する時のフレディの姿がとても印象的でした。高音パートを担当するロジャー・テイラーにさらに高音を出すよう、フレディ・マーキュリーは何度もダメ押しをするのです。ロジャーが怒ってしまっても、妥協を許さず、完璧を求めるフレディ・マーキュリーにクリエーターとしての真摯な姿を見たような気がしました。

 そればかりではありません。フレディはテープが擦り切れそうになるほど音を重ね、終に新しいサウンドを創り出しました。こうして、オペラからバラード、ロックなどさまざまな音楽の要素を取り入れ、機材を使ってアレンジし、高い知性が感じられる楽曲を創作したのです。メンバーにさまざまなジャンルの音楽についての素養がなければできることではありません。

 基調となるフレーズを作ったのはフレディ・マーキュリーでした。

 歌詞が何とも魅力的です。映画の中で、「Mama, just killed a man」で始まるフレーズに出会ったとき、私は軽い違和感を覚えました。「今日、ママンが死んだ」で始まるカミュの小説を連想し、不条理な世界を描いているのかと思ったからでしたが、実際はまったく違っていました。

 続いて、「Mama, oh-,don’t mean to you cry. If I’m not back again this time tomorrow. Carry on, carry on, as if nothing really matters.」というフレーズを聞いたとき、不条理とは逆に、母親に詫びて真摯に自分の人生を歩んでいこうとするフレディの思いを強く感じました。

 実は、映画の中では伏線として、最初の部分でフレディが名前を変えたことを示すシーンが設定されていました。フレディ・マーキュリーは当時、イギリス領だったタンザニアのザンジバル島で生まれ、名付けられた名前はファルーク・バルサラでした。故郷で革命が起こった1964年にフレディの一家はイギリスに移住します。

 イギリスで活動するには名前を変えなければならないと考えていたのでしょう。バンドを結成するとすぐ、彼はフレディ・マーキュリーに名前を変えます。唖然とする家族やバンド仲間を前に、決然とした態度でこれからはフレディ・マーキュリーとして生きていくと宣言したのです。

 こうしてみてくると、「Mama, just killed a man」というフレーズは、彼が勝手にフレディ・マーキュリーというイギリス風の名前に変更することによって、ファルーク・バルサラを消してしまったことを指すのでしょう。ですから、その後に、「Mama, oh-,don’t mean to make you cry. 」という歌詞をつないで、生んでくれた母親に詫びたのだと私は思いました。

不安定なアイデンティティの基盤

 18歳で母国を離れ、イギリスに移住せざるをえなかったフレディ・マーキュリーのアイデンティティの基盤がいかに不安定なものであったか、想像を絶するものがあります。

 映画の最初の方で、空港でアルバイトをしていたフレディが、「パキ野郎」とののしられるシーンがありました。パキスタンからの移民と思われたからでしょうが、フレディが実際にどれほど多くの差別的な待遇を受けてきたか、このシーンを見ただけで容易に想像できます。

 移民としてイギリスに移住したフレディはイギリス人風に名前を変え、やがて有名になってお金を稼ぎ、次々とコンプレックスの原因となるようなものを除去していきます。ただ、どうしても取り除けなかったものが、性的指向性でした。7年間も同棲していたメアリーに、自分が同性愛者だとフレディは告白します。当時はまだ同性愛者に対する社会の目が厳しかっただけに、このシーンで私はフレディの誠実さを感じさせられました。ところが、当然のことながら、メアリーは指輪を外し、離れていきます。

 メアリーと別れてから、フレディは同性愛者と行動を共にするようになり、自堕落な生活に陥ってしまいます。日夜パーティを開き、放蕩三昧の生活を送るようになるのです。

こちら →

https://torukuma.com/freddie-gay/より)

 おそらくこのような時期に、エイズに感染したのでしょう。フレディは次第に身体に不調を覚えるようになっていきます。そんな折、連絡の取れなくなっていたフレディを探しに来たメアリーから、「ライブエイド」のオファーがあったことを聞きますが、フレディは知りません。重要なオファーを知らされないまま、享楽的な生活に誘導されていたフレディは、同性愛者のマネージャーに怒り、疎遠になっていたクィーンの仲間に和解を求めます。

 これを契機に、さまざまな個性の4人が相互に尊敬し合い、啓発し合える関係であったことを確認し合います。そして、クィーンとして「ライブエイド」に参加することを決定しますが、しばらく活動をしていなかったせいで、思うように声が出ず、満足のいく演奏もできません。フレディはエイズ感染による体調不良が次第に顕著になってきました。

 クィーンに復帰することで、フレディはようやくアイデンティティの基盤を見つけたように思います。それはミュージシャンとして、パフォーマーとして、そして、クリエーターとしてのアイデンティティです。

 一方でフレディは以前から目をかけていた同性愛者を探し出し、生活を共にするようになります。家族にも引き合わせて承認を取り、創作に専念できる環境を整えていくのですが、身体の方は深刻な状況になっていきます。ライブエイドに向けた練習の際も、以前なら容易に出た声がでず、戸惑う場面も出てきます。クィーンのメンバーは焦らず静かにフレディの体調に合わせ、練習を積み上げていきます。

 そして、クィーンは「ライブエイド」を見事なステージに仕上げました。とくにフレディ・マーキュリーのパフォーマンスは素晴らしく、大観衆をたちまちのうちに虜にしてしまいました。類まれなカリスマ性のおかげでしょう。こうしてクィーンは「ライブエイド」のステージで一挙に自信を回復し、高い評価を得ました。

クリエーター、ミュージシャン、パフォーマーならではのカリスマ性

 それにしても私は何故、この映画に感動し、何度も泣いてしまったのでしょうか。それも悲しくて涙したわけではありません。感動のあまり、泣いてしまったのです。では、何故、感動したのでしょうか。それはおそらく、フレディ・マーキュリーのクリエーターとしての真摯な態度、そして、ヒトを強烈に引き込むカリスマ性ではなかったかと思います。

 いってみれば、私もまた1985年に「ライブエイド」に参加した大観衆のように、フレディのパフォーマンスに惹きつけられ、一種の催眠術をかけられたような状態になっていたのではないかという気がしています。

 たとえば、実際の「ライブエイド」の映像を見て、興味深かったのが、「Radio Ga Ga」とその後で即興的に付け加えられた観客との掛け合いのシーンです。

こちら →https://www.youtube.com/watch?time_continue=89&v=0omja1ivpx0

 これを見ると、7万5千人といわれた会場の大観衆が一斉にフレディの指示にしたがって動いています。フレディが「エーオー」といえば、会場も「エーオー」と呼応し、「リラリラリラ…」と言えば、会場も同じように発声します。まるで催眠術にかかったかのように、意のままに動く大観衆を前にし、フレディはいかにも満足気に見えます。

 このときのフレディ・マーキュリーはまさにカリスマでした。

 たった一人の男がステージの上からパフォーマンスと声だけで7万5千人の観衆を操っているのです。「エーオー」という意味をなさない音を媒介に、フレディと大観衆が掛け合い、コミュニケーションを交わし、互いの存在を認め合っているのです。きわめて原初的なヒトとヒトとの関係、ヒトと集団との関係を見たような気がしました。フレディは非言語的なものを媒介にコミュニケーションを交わせることのできる異能のヒトだったといわざるをえません。

 そういえば、フレディが描いたというデッサンやデザイン画をネットで見たことがありますが、素晴らしい出来栄えでした。優れた美意識を持つ才能豊かな人物だったということがわかります。音楽ばかりでなく美術、身体表現など非言語的能力の卓越したヒトだったのかもしれません。

 こうして見て来ると、移民の子であり、同性愛者であったことが、フレディを超人にしたのではなかったかと思えてきます。ネガティブな立場に身を置くしかなかった状況下で、社会をさまざまな側面から見つめる目が養われたのでしょうし、異文化体験の中から、非言語的メッセージの読み取り能力や発信能力も培われてきたのではなかったのかと思うのです。

 この映画を2回も見て、感動し、涙した結果、総合芸術としての映画の持つ力の凄さを思い知らされました。改めて、映画は言語的要素と非言語的要素との相乗効果でヒトを感動させることができる媒体だという気がしています。(2019/1/31 香取淳子)

グローバル化時代、道化師ショコラが今、私たちに語りかけるもの。

■武蔵大學セミナー

 2018年12月19日、武蔵大学で「19世紀末フランスのサーカス世界と越境芸術家たち」というタイトルのセミナーが行われました。「19世紀末フランスのサーカス世界」という文言に引かれ、参加することにしました。講師は人文学部専任講師の舘葉月氏です。

 19世紀末フランスといえば、つい、パリを舞台に華々しく展開された絵画、舞台芸術、文学、音楽、ファッション等に焦点が当てられがちですが、このセミナーでは「フランスのサーカス世界」が取り上げられます。意外な組み合わせが面白く、関心をかき立てられました。果たしてどのようなお話が聞けるのか、興味津々、出かけてみました。

■記憶に残るサーカス

 サーカスは子どもの頃、一度見に行ったことがあるだけです。楽しかったというより、怖かったという印象の方が強かったせいでしょうか。あるいは、底知れない空間に引き込まれてしまいそうな危うさを感じたからでしょうか。不思議な魅力を覚えながらも、私は再び、親にサーカスに行きたいとは言いませんでした。

 記憶に残っているのは、ショーが始まると、次々と登場してくる異様な風体の出演者たちであり、いつ落ちるかとハラハラドキドキしながら見ていた空中ブランコや綱渡りです。どれも子どもの日常生活にはないものばかりでした。高所でブランコをしたり、綱渡りをしたりするなど、子どもの私にしてみれば、想像もできないことでした。

 そして、大人たちが拍手喝采するアクロバットも、子どもの私にしてみればとうていヒトができることとは思えず、むしろ不気味な印象を抱いていました。というのも、当時、子どもたちの間では、サーカスのヒトたちは毎日、お酢をたくさん飲んで体を柔らかくし、厳しい稽古をさせられているから、あんなことができるのだという噂が広まっていたからでした。

 そればかりではありません。当時、私は一人で外に出かけるとき、母親から、「寄り道をしないで帰ってこないと、人攫いに連れていかれて、サーカスに売られてしまうわよ」などと脅されていました。家庭と学校しか知らない私にとって、サーカスは明らかに危険に満ちた異様な世界だったのです。慣れ親しんだ平穏な日常生活とは対極にある異質の空間でした。

■F・フェリーニ監督の「道化師」

 大人になってからF・フェリーニ監督の「道化師」(1970年)をDVDで観ました。映画公開時には観ることができず、後にDVDで観たのですが、ドキュメンタリータッチの映画ですが、フェリーニならではの独特の祝祭空間はしっかりと描出されていました。

 冒頭に続く以下のシーンを見たとき、突如、子どもの頃、サーカスに抱いていた感情を思い出しました。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=-pBSBBbWkSU

 イタリアでも母親は同じようなセリフで子どもを脅しているのだと思い、おかしくなってしまったものです。この映像では冒頭のシーンはカットされていますが、私がとても切ない気持ちになってしまうのは、ロングショットで捉えられた冒頭のシーンです。

 冒頭、子どもの頃のフェリーニが夜、物音で目を覚まし、窓から外を眺めます。暗闇に浮かぶ小さな後ろ姿がいかにも頼りなげです。不安感を抱きながらも好奇心に駆られているのでしょう、窓に顔をつけてじっと外を眺めています。暗闇から聞こえてくるのは、サーカス一座がテントを張っている物音だけでした。

 この冒頭のシーンは、フェリーニにとってはおそらく、原風景とでもいえる光景だったのでしょう。サーカスの記憶はさまざまな道化師たちの記憶と結びついています。道化師たちは非合理な存在だからこそ、理性では理解できないものを炙り出して見せてくれるのでしょう。彼らが披露するパフォーマンスを含め、サーカスの空間はフェリーニがヒトを本質的に理解するためには不可欠な装置だったのかもしれません。

 当時、サーカスではさまざまな異形の者たちが、道化師として観客に笑いを提供していました。小人であれ、巨漢であれ、黒人であれ、彼らは身体的特徴がもたらす悲劇を直視し、道化師として独特の化粧をし、喜劇に転化していたのです。ですから、道化師が生み出す笑いは、観客が意識的であれ、無意識的であれ、心に潜ませている差別的な感情に応えるものでした。

 フェリーニはそのような道化師たちを限りなく慈しみ、愛おしんできました。当時、異形の者たちは道化師として可視化され、れっきとした社会の一員として存在していたのです。ところが、近代化の進行に伴い、いつの間にか、彼らは人前から姿を消してしまいました。病院か施設に隔離されてしまったのでしょうか、社会に居場所がなくなってしまったのです。そのような社会状況について後年、フェリーニが悲しみの混じった複雑な気持ちを吐露していたことを思い出します。

■19世紀末、観客が求める笑いの変質

 舘氏はパワーポイントを使って、当時のポスターや絵画を紹介しながら、19世紀末フランスで活躍した黒人道化師ショコラの栄枯盛衰をフランス社会の変化に関連付けて語ってくれました。とりわけ興味深く思ったのは、19世紀末、フランスでは笑いが変質していったということでした。

 18世紀から19世紀にかけてパリでは常設サーカスの建物が次々と建築されたといいます。そのうち、現在も残っているのが、シルク・リベール(Cirque d’hiver)です。

 当時、幅広い階層の人々にとって、娯楽の中心はサーカスでした。ポスターや絵画にサーカスをモチーフにした作品が多々見られることからもそのことがわかります。サーカスの道化師として才能を発揮したのが、ショコラでした。もちろん、本名ではありません。チョコレートのように濃い褐色の皮膚にちなんでつけられた名前でした。実際はキューバからの移民でしたが、アフリカからの移民として黒人を売り物にした芸を披露していました。

 やがて、白人の芸人とコンビを組み、物珍しさと高い身体能力に支えられたパフォーマンスが観客から喝采を浴び、一躍娯楽界の寵児となりました。セミナー会場では、道化師ショコラをモデルにしたと思われるポスターも紹介されました。

 上図 (http://www.allposters.co.jp/より引用 ) は、ロートレックがカフェでダンスを披露するショコラの姿を描いたものです。脹脛といい、臀部といい、筋肉の張り具合がしっかりと捉えられており、卓越した運動能力の持ち主であることが示されていました。この姿態を見ただけで、身体能力の優れたショコラが魅力的なパフォーマンスを披露し、娯楽界の寵児であったことがわかります。

 ところが、19世紀末になると、観客の意識に変化が生じ、求める笑いの質にも変化が見られるようになったと舘氏はいいます。つまり、観客の差別的な感情に訴求する笑いが求められなくなっていったのです。これについて舘氏は、異形の者を笑いの対象にしてきたことに対する観客の贖罪の気持ちであり、そのような念を抱かせる対象そのものを忘れてしまいたいという気持ちではなかったかと指摘するのです。

 折しも、パリでは映画の撮影・上映技術を開発していたリュミエール兄弟が1895年12月28日、「工場の出口」という作品を有料公開しました。動く映像を初めて目にした人々は驚きました。日頃見なれた光景にすぎなくても、動画として映し出されることに新鮮味を覚え、興奮したのです。

 映画という新しい娯楽が普及するのに伴い、次第にサーカスの人気が衰えていきます。

 道化師が生み出す笑いは基本的に、観客の差別的な感情に訴求するものでした。ところが、近代化を経て、観客の意識が変化していくと、その種の笑いはやがて顧みられなくなっていきました。当時、ロンドンに次いで、いち早く産業化、都市化を経たパリの街は、近代化にふさわしく大改造されました。そのようなパリの街に住む観客には、これまでサーカスの道化師が生み出してきた笑いは次第に受け入れられなくなっていったのです。

 興味深いことに、リュミエール兄弟はショコラとフティットのコンビを撮影していました。黒人と白人のコンビは映画の題材として価値が高いと判断したのでしょう。当時の貴重な映像がありましたので、ご紹介しておきましょう。

こちら →https://youtu.be/XjHZ_z23BZY

 最初に映画が上映されて2,3年後、リュミエール兄弟は客をつなぎとめる必要に迫られるようになっていました。移り気な観客たちは、ただ動くだけの映像に関心を失い始めていたのです。映画を続けるため、リュミエール兄弟は、人々の興味を引くようなものであれば何でも題材にし、一種のドキュメンタリー映画を制作するようになっていました。著名であった黒人と白人のコンビ(ショコラ&フティットのコンビ)は稼げる題材だったのです。

 19世紀末に映画が登場して以来、パリでは娯楽の様相が一変しました。観客は機械を媒介とした娯楽に新しい感覚を刺激され、楽しみを覚えるようになり始めていました。一方、産業化、都市化が進行していたフランスでは、観客のヒトに対する意識が変わり、求める笑いの質にも大幅な変化が起きていたのです。

 サーカスは衰退し、道化師の笑いを求める人々も減少していきました。ショコラはヌーヴォー・シルクを解雇され、コンビも解消せざるをえなくなりました。その後、病気の子どものためにセラピー道化師の活動をはじめたりもしましたが、1917年、巡業中のボルドーで亡くなり、やがて、すっかり忘れ去られてしまいました。

■映画「ショコラ」

 フランスでは近年、道化師ショコラの再発見、再評価の動きがあり、2016年にはショコラをモデルにした映画「ショコラ」が公開されました。舘氏は、この映画はフランスで200万人も動員し、大ヒットしたといいます。いったい、どんな映画だったのか、ネットで見てみました。

 2016年に公開されたフランス映画「ショコラ~君がいて、僕がいる~」は、先ほどご紹介した黒人ショコラとコンビを組んだ白人フティットをモデルにした映画です。ショコラを演じるのが「最強のふたり」で好評を博したオマール・シー、フティットを演じるのがチャップリンの孫ジェームス・ティエレ、そして、監督は俳優出身のロシュディ・ゼムです。

映画チラシ

 映画は、子どもたちが丘を駆け下りてサーカスのテントが張られるのを見に行こうとしているシーンから始まります。このシーンを収めた映像をネットで探してみたのですが、フルバージョンの映像はスペイン語吹き替え版しか見つかりませんでした。とりあえず、冒頭だけをみていただくことにしましょう。

こちら→https://www.youtube.com/watch?v=xDq-pEP5efg

 この冒頭シーンは、フェリーニの「道化師」の冒頭シーンとイメージが重なります。子どもたちの好奇心を刺激するものがサーカスにはあることが示されています。未知の世界であり、日常とは異なる異質な空間が子どもたちの好奇心を誘うのでしょうか。オープニングに子どもを登場させることによって、映画の中で語られる世界に時間と空間の広がりを与えています。

 それでは、この映画は何を物語っているのでしょうか。監督と主演二人に対するインタビュー、そして、概略を紹介した予告映像がありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →https://eiga.com/movie/84870/video

 この映像の最初から1分47秒までが、メーキングを含めた監督と主演者へのインタビュー映像です。

 まず、ロシュディ・ゼム監督は「100年も前に有色人種の芸人が歩んだ人生を知って、感動したと同時に悲しくなった」と映画製作の動機を語ります。そして、ショコラ役のオマール・シーは「この映画によって無名だった彼が知られるようになる。彼はアーティストだったと伝えたい」といいます。フティット役のジェームス・ティエレは「白人と黒人のコントラストにすべてがある。二つの極に電流が走る」といい、対極にある二人がコンビを組むことによって得られた芸の上の成果を語ります。

 2分4秒以降は、この作品を要領よくまとめた予告映像になります。

 二人が出会い、コンビを組むようになるプロセスを描いたシークエンスでは、個性豊かな二人の性格がそのやり取りの中で自然に表現されています。白人&黒人コンビの道化師として彼らは評判を呼ぶようになり、やがて、パリに招聘され、成功を収めます。「ふたりなら無敵」と思い込むほど順調だったのに、ある日、ショコラは逮捕され、虐待され、黒人移民であるがゆえの悲哀を味わい、次第に身を持ち崩していきます。そんなショコラをフティットは我慢強く支えていく・・・、といった展開で、メリハリの効いたストーリーです。

 この作品は友情をメインテーマに、黒人に対する社会の差別意識、コンビ仲間の心中に潜在する差別意識と嫉妬心などがエピソードに絡めて巧みに描かれています。友情の背後にある複雑な心理状況が二人を取り巻く環境と関連づけて浮き彫りにされているので、とても説得力のある映画になっていました。

■道化師ショコラのアイデンティティ

 武蔵大学で開催されたセミナーに参加し、そこで紹介された映画「ショコラ」をネットで観ました。予想以上に面白く、身につまされるものがありました。120年も前の出来事なのに、グローバル化時代に生きる私たちに語りかけるものがあったのです。

 スペイン領キューバで生まれたショコラは生年もはっきりしません。植民地で生まれたことの悲哀です。本国スペインに奴隷として売られ、家内使用人や農場で働いていました。やがて、過酷な労働に耐えかねて逃亡し、フランスのサーカス一座にアシスタントとして雇われます。ここでは、国の力が弱い場合、その国で生まれても他国で生きていかざるをえず、出生国に紐づけられたアイデンティティを獲得することが難しいことが示されています。

 それでは、ショコラはアイデンティティの基盤をどこに見つけたのでしょうか。

 フランスのサーカス一座に雇われたショコラは、アフリカから来た黒人道化師として働くようになります。客寄せのために出自を偽り、アフリカの人食い人種としての仮面を付けざるをえなかったのです。

 そんなある日、白人芸人のフティットから誘われ、黒人&白人道化師としてコンビを組むようになります。コンビの新規性とショコラの芸が評価され、人気が高まっていきます。パリの大サーカスに招聘され、活動の舞台をパリに移します。ショコラはようやくアイデンティティの基盤を見つけることができました。

 芸を磨いたショコラは上流階級の人々からも招かれるようになり、著名になっていきます。著名になれば、もちろん、大金も入ってきます。実際は、黒人ショコラが白人フティットに蹴飛ばされ、平手打ちされることで笑いを取っていたのですが、ギャラの3分の2は白人のフティットが受け取るという非合理を受け入れざるを得ませんでした。

 芸を磨くことによって評価され、芸人としてアイデンティティを獲得できたとはいえ、身体に刻印された人種的特徴から逃れることはできず、社会的扱いもそれに応じたものでした。ショコラが自暴自棄になったのも当然のことだといえるでしょう。

 ショコラは努力を重ね、芸をきわめた結果、人気を得、大金を得たのですが、社会的な評価を覆すことはできませんでした。ショコラの社会的な劣位は芸人として大成功を収めても解決するものではなかったのです。

■ショコラが今、私たちに語りかけるもの。

 道化師ショコラが生きた時代、人種的特徴あるいは身体的特徴が人々の社会的地位を決定づけてきました。ショコラは芸人として評価されながら、ポジティブなアイデンティティを獲得することもできないまま、人生を終えました。出生国を離れ、国境を越えて生きざるをえなかったからでしょう。出生国へのロイヤリティを失い、居住国でアイデンティティを獲得できることもできなかったことの悲哀を感じてしまいました。

 グローバル化時代の今、国境を超えることがきわめて容易になっています。迫害を受けたわけでもないのに、より高い賃金を求めて国を捨てる人々も増えています。移動先の国では人権に基づき、一定の労働条件、生活条件が保証されていますから、出生国へのロイヤリティは希薄になっているのが現状だといえるでしょう。

 19世紀末の社会とは違って、現在、さまざまな偏見は是正されてきています。実際にコミュニケーションを持つことによって、偏見は容易に崩れることは事実です。実際、私はメルボルンからの帰途、機上で隣り合わせた黒人女性の才気あふれゴージャスな雰囲気に圧倒された経験があります。ニューヨークに住み、仕事の関係でメルボルンから成田経由でマドリッドに行くということでした。シンガポールで出会ったベトナム人女性画家も洗練されていて思慮深く、驚いたことがあります。有色人種に対する偏見は、直接的なコミュニケーションが増えるにつれ、解消に向かうかもしれません。

 ただ、移民となると、また状況は大きく異なります。ショコラの人生を思うとき、ローカル・アイデンティティを築くことなく、出生国を離れ、文化の異なる居住地で、果たしてポジティブなアイデンティティを築き上げることができるのか、といった疑念が消えないのです。

 芸を磨き、観客の期待に応えてきたおかげで、いっとき、ショコラは富と名声を得ました。ところが、フランスでは依然として、社会的地位は低いままでした。自暴自棄になってしまったのは、アイデンティティクライシスに陥っていたからではなかったかと思うのです。

 ショコラは出生国、居住国でも文化に根差したローカル・アイデンティティを築くことができませんでした。ですから、差別的環境から抜け出せないことがわかったとき、動揺してしまったのでしょう。拠って立つべき文化を持たないまま生きざるをえなかったものの苦悩がしのばれます。 

 2018年12月21日、日経新聞で「入管法改正、人手不足解消に期待」というタイトルの記事を読みました。

こちら →https://www.nikkei.com/article/DGKKZO39204570Q8A221C1L41000/

 「ショコラ」を観た後で、このニュースを知ったので、ちょっと気になりました。ショコラが生きた時代と現代とは違うということは承知の上で、人手が足りないからといって外国人労働者を受け入れてしまって、果たして、大丈夫なのか?という思いに駆られてしまったのです。

 ショコラの人生を映画で見ているうちに、ヒトは固有の文化を基盤にローカル・アイデンティティを獲得し、それでようやく、グローバルな状況に耐えられるようになるのではないかと思うようになったからでした。(2018/12/30 香取淳子)

「グレーテスト・ショーマン」:人類祝祭への賛歌

■「グレーテスト・ショーマン」
 2018年3月20日、少し時間の余裕ができたので、たまには映画でも観ようかと思い、上映作品の中から選んだのが、「グレーテスト・ショーマン」でした。なんの予備知識もなく観たのですが、久々に身も心も弾むのを感じました。

こちら →http://www.foxmovies-jp.com/greatest-showman/#/boards/showman

 上記映像の「予告D」では主な登場人物、ストーリー展開の重要な場面、パフォーマンス、音楽などが端的に紹介されています。

「グレーテスト・ショーマン」(The Greatest Showman)は、19世紀に活躍した興行師P・T・バーナムの半生を描いたミュージカル映画です。貧しく生まれ育った少年がお金持ちの令嬢と結婚して家庭を築き、紆余曲折を経て、やがて夢を実現させていく、というお定まりの成功譚です。

 ストーリー自体はハリウッドの定石を踏んでいますが、テンポの速い画面展開、リズミカルな画面構成、躍動感あふれるダンス、魂を揺さぶる音楽、そして、なにより、セリフの素晴らしさに酔いしれてしまったのです。

 ミュージカル映画だったからでしょうか、劇中、流れていた楽曲のリズムとサウンドが全身に沁みついてしまい、見終えてしばらくは軽い興奮状態でした。私はいつも映画が終わるとすぐ会場を出てしまうのですが、今回はエンドロールが終わり、場内が明るくなるまで映画の余韻に浸っていました。すぐには立ち去りがたい気分になっていたのです。

■興行師バーナム
 主人公バーナムは実在した人物ですが、ショービジネスに手を染めるまでの経緯は、現代社会に生きる観客が違和感なくストーリーに入り込めるよう、アレンジされています。

 勤務していた会社を解雇されてから、着手した事業が失敗し、次にバーナムが始めたのは、フリークショーでした。これは、大男、髭の濃い女性、全身入れ墨の男性、小人など、それまで世間から隠れるようにして生きていたヒトたちを舞台に登場させ、そのパフォーマンスを見せるショーです。

 バーナムとそのメンバーたちがそれぞれ、ポーズを決めて写真に収まっています。

こちら →
(https://www.eigaongaku.info/265.htmlより。図をクリックすると、拡大します)

 フリークショーは、19世紀から20世紀初頭にかけて盛況を呈したショービジネスです。娯楽の少ない時代の庶民の娯楽でした。バーナムもおそらく、その波に乗って興行師として成功を収めたのでしょう。

 フリークショーを興すことによって、興行主バーナムは、それまでひっそりと隠れて生きていたメンバーたちを次々と、表舞台に引き上げていきます。そして、「みんな違うから、輝くんだ」といって怖気づく彼らを鼓舞し、自信と勇気を引き出していきます。

 一方、不承不承、ショーの一員になることを引き受けたメンバーたちも、ありのままの自分をさらけ出すことによって収入を得、自分の居場所を得られることがわかってくると、自ずと自信が生まれ、堂々と生きていけるようになります。これは、「光を与えてくれた」という言葉に集約されています。

 さきほどの映像で端的に紹介されていましたが、バーナムのセリフ「みんな違うから、輝くんだ」、そして、メンバーのセリフ「光を与えてくれた」に、私はなによりも強く印象づけられました。

 バーナムにとっては収益を上げるショービジネスでしかなかったのかもしれませんが、メンバーにとってはかけがえのない居場所であり、心の拠り所にもなっていたのです。そのようなプロセスを示すセリフとパフォーマンス、音楽とが見事にマッチし、ストーリーの展開にともない、心身ともに引き込まれていきます。

 いつになく感動し、途中、涙を流したりもしました。ヒトの存在自体が放つ哀しさ、切なさ、侘しさに限りなく愛おしさを覚えてしまったのです。リズミカルな音楽とパフォーマンスがその気持ちに拍車をかけます。

 劇中、最も惹きつけられたのが、「This is Me」という曲でした。

■「This is Me」
 おそらく、誰もが同じ思いだったのでしょう、この曲は、第75回ゴールデングローブ賞で主題歌賞を受賞し、第90回アカデミー賞の主題歌賞にもノミネートされました。

 2018年2月21日、映画では髭女のレディ・ルッツを演じた女優キアラ・セトルがこの曲を歌う映像がyou tubeにアップされました。貴重な映像です。ご紹介しましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=lWtOVl5Cv00

 この映像は、マイケル・グレイシー監督とキアラがトークするシーンから始まっています。当初、マイクの前に決して出ようとしなかったキアラに、マイケル監督は、「堂々とありのままでいようと歌っているんだから」と強く後押ししたようです。それでようやく、キアラは皆の前で美声を披露するようになったということが明かされています。

 「隠れてろ、お前など見たくない」、「消えろ、誰もお前など愛さない」というセリフに続いて、「でも、心の誇りは失わない」、「居場所はきっとあるはず」というセリフ。さらに、「言葉の刃で傷つけるなら」に続いて、「洪水を起こして溺れさせる」というセリフ。そして、「勇気がある、傷もある、ありのままでいる」に続いて、「これが私」(「This is Me」)というセリフでいったん、終わります。

 たとえ逆境にあっても、誇りは失わず、ありのままでいるのが「私」だと、繰り返し確認する姿勢が表現されています。まさに、「This is Me」なのです。

 キーフレーズ「This is Me」はその後、なんども繰り返され、次第に情感が高められていきます。「見られても怖くない、謝る必要もない」、「心に弾を受け続けた」、「でも、撃ち返す」、「恥も跳ね返す」というふうに、使われるフレーズも次第に強くなっていきます。そのたびに声のトーンがあがり、ボリュームもあがっていきます。

 そのようなクレッシェンド効果が最高になったとき、「私たちは戦士」、「戦うために姿を変えた」というフレーズに移り、彼らの状況認識が変わっていったことが示されます。もちろん、そうはいっても、「心の誇りは失わず」、「居場所はあるはず」というフレーズは組み込まれています。彼らを心理的に支えるフレーズを通して、‘待ち’の姿勢が示されており、「輝く私たちのために」という希望が、彼らを支える拠り所になっていることが強調されます。

 一連のフレーズを通して、彼らがバーナムのショービジネスに参加することによって、肯定的に自分を捉えられるように変化していったことを把握することができます。

■危機を跳ね返すバーナムのアイデア
 興行師とパフォーマーたちが一体化したこのショービジネスは、各地で喝采を浴びました。バーナムはようやく、子どものころから夢に見続けた成功を手にします。ところが、富を手にし、有名にはなりましたが、所詮、成り上がり者でしかありません。バーナムが成功するにともない、非難の目を向ける人々も増えていきます。それは、地域の近隣住民であり、社交界であり、劇場評論家でした。彼らは成り上がり者のバーナムや家族を非難し、排除しようとします。

 そのような動きは、子どもたちのコミュニティでも例外ではありませんでした。バレーを習っているバーナムの娘はのけ者にされ、バレーを辞めたいと言い出す始末です。興行主としてビジネスの成功を追い続けていたバーナムに試練が訪れます。

 アイデアマンのバーナムは、彼なりの方法でこの危機を切り抜けます。

 成り上がりに必要なものは権威付けです。パートナーの伝手で、女王との面会を果たし、メンバーとともに出席したその席で、バーナムは著名なオペラ歌手と出会います。もちろん、彼はこの機会を逃しません。機を見て、彼女との公演の約束を取り付けてしまいます。

 そして、上流階級を対象にした公演もまた、大成功を収めます。

こちら →
(http://www.imdb.com/title/tt1485796/mediaviewer/rm2318162944より。図をクリックすると、拡大します)

 清楚で美しく、限りなく上品なオペラ歌手ジェニー・リンドは、気難しい上流階級の人々はもちろん、バーナムを非難し続けてきた劇場評論家さえ虜にしてしまいます。

 またしても、バーナムは危機を乗り越え、いよいよ成功の頂点に上りつめていきます。支えてきたのは、有能なパートナーのフィリップ・カーライルであり、努力の積み重ねで、圧巻のパフォーマンスを披露するメンバーたちでした。

■パフォーマンス、そして、芸と舞台技術
 それでは、メンバーたちのパフォーマンスを見てみることにしましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=abo9ULUk0ok

 「This is Me」の場合、どのように振り付けられ、パフォーマーたちによってダイナミックに演じられていったのか、上記の映像を見るとよくわかります。迫力あるシーンは、最先端の振付師によって効果的に振り付けられ、「This is Me」のフレーズが印象に残るように工夫されていたのです。

 もちろん、メンバーの芸や舞台技術もすばらしいものでした。たとえば、次のようなシーンがあります。

こちら →
(https://www.bustle.com/p/is-the-greatest-showman-a-broadway-musical-the-movie-takes-cues-from-both-stage-screen-7670795より。図をクリックすると、拡大します)

 これは、事業パートナーのフィリップ・カーライルとメンバーのアニーとの出会いのシーンです。アニーが空中から舞い降りてきて、カーライルの心を射止める情景が、幻想的に美しく表現されています。まるで妖精のようなアニーが、空中で浮かんだままポーズを取るための身体機能、舞台技術、それを華麗に見せるための照明技術、そして、優雅な雰囲気を保ったままポーズを維持するための芸、それぞれがマッチしているからこそ、このシーンが見事に輝いて見えるのです。

■作品評価
 私はこの作品を素晴らしいと思いましたが、どうやら米国の批評家たちの評価は違っていたようです。『VULTURE』(2018年2月13日)によると、『Rotten Tomatoes』では、批評家レビュー203のうち、55%が支持し、45%が不支持だったそうで、平均評価は10点中6点でした。また、『Metacritic』では、批評家レビュー43の平均点は100点中、48点でした。

 批評家からの評価が低く、興行一週間の成績が悪ければ、その後、興行的に成功しようがありません。

こちら →
http://www.vulture.com/2018/02/the-sneaky-slow-burn-success-of-the-greatest-showman.html

 上記にまとめられているように、当初、批評家からの評価が低く、公開後3日間の収益はわずか800万ドルだったそうです。ところが、実際に映画を見た観客の評価がよく、SNSや口コミで広がった結果、公開2週目の週末には1550万ドル、3週目の週末は1380万ドルと上昇しました。

 そこで、Box Office MOJOを見てみると、2018年3月19日時点のデータで、米国内の興行収入は169,836,171ドル、海外収入は229,414,675ドルで、総計399,250,846ドルでした。米国内が42.5%、海外が57.5%という構成比です。製作費が8400万ドルですから、この時点で製作費の4倍以上の収益をあげていることになります。

 19世紀の、それほど著名でもない米興行師を取り上げた伝記ミュージカル作品としては、上出来の数字ではないかと私は思います。21世紀の観客に見てもらうために、製作陣がどれほどの努力を傾けたのか、考えてみるのも一興でしょう。

 まず、批評家の評価が芳しくなかったということ、これは公開第一週の興行収入に大きく影響しますし、その後の展開をも左右します。ですから、批評家の評価を高くするのが、製作陣営の戦略のはずですが、それが機能しなかったということになります。

 たしかに、扱っている人物が19世紀のあまり名の知られていない興行師ですし、ストーリーもハリウッドでは当たり前の成功譚です。しかも、結末があまりパっとしません。

 終盤にかけてのバーナムは、火事で劇場が焼失し、財政困難に陥ります。どうなることかとハラハラさせられますが、事業パートナーのカーライルの支援で劇団そのものは再建させることができました。興行も野外にテントを張って再開することができ、大成功を収めました。いってみれば、クライマックスです。

 その後、バーナムはショービジネスをパートナーのカーライルに譲り、自分は家族の元に戻るという展開です。それまでに妻が実家に帰ってしまうという伏線が敷かれていたとはいえ、この結末は事業欲の塊のようだったバーナムの姿とはマッチしません。

こちら →
(http://www.brandiconimage.com/2018/01/golden-globes-2018-full-list-of-winners.htmlより)

 人物像として一貫性に欠け、安易な結末に走ってしまっています。そんなところが、批評家から辛く評価された原因なのかもしれません。あるいは、ストーリーがハリウッドの定石通りで、新鮮味がなく、訴求ポイントが見当たらなかったところが原因だったのかもしれません。いずれにせよ、批評家としては持ち上げる材料に欠ける作品だったのでしょう。

 ところが、観客主導で、この作品は次第に評価を得ていきます。

■人類の祝祭、そして、賛歌
 さて、これまで見てきたように、批評家たちはこの作品を肯定的に評価しませんでした。ところが、実際にこの映画を見た観客がSNSや口コミでこの映画の良さを拡散していきます。結果として、ヒットにつながっていくわけですが、なぜ、観客は批評家たちと違って、この映画を肯定的に捉えたのでしょうか。

 それに関連すると思われる興味深い記事を見つけました。この記事によれば、アカデミー賞授賞式でキアラが歌った「This is Me」の圧倒的なパフォーマンスに共演者、ブロードウェイが続々と絶賛コメントを寄せているというのです。

こちら →http://front-row.jp/_ct/17151729

 この曲は第90回アカデミー賞歌曲賞にノミネートされましたが、残念ながら、受賞はしませんでした。それでも、多くのヒトがツィートしたり、SNSから賛辞を送ったりしたといいます。この曲こそ、映画「グレーテスト・ショーマン」を成功に導いたといえるでしょう。それでは、この曲が観客の心をぐいと鷲づかみにした理由は一体、なんだったのでしょうか。

 おそらく、「This is Me」には多様なヒトへの賛歌が込められていたからではないかと思います。興行師バーナムが提供したフリークショーに、観客は人類の祝祭への賛歌を感じたでしょうし、翻って、自分自身への賛歌を感じたからかもしれません。ヒトが、何事も恐れることなく、恥じることなく、誇りを抱いて生きていくことへの賛歌を、この映画に感じられたからではないかと思います。音楽とパフォーマンスが素晴らしく、久々に身も心も弾む映画を見た思いがしました。(2018/3/21 香取淳子)

「レイルウェイ 運命の旅路」:戦争による心の傷を癒すことはできるか?

「レイルウェイ 運命の旅路」:戦争による心の傷を癒すことはできるか?

■レイルウェイ 運命の旅路

3月27日(金)、「レイルウェイ 運命の旅路」の試写を有楽町の角川シネマ有楽町で見ました。日本軍の捕虜になった英国人元兵士の実話に基づく映画だと知って、思わず身構える気持ちになってしまいました。日本軍を扱った典型的な戦争映画のように、捕虜や現地人に残忍な行為を行う日本兵の拷問シーンなど繰り返し見せつけられるのではないかと思ったからです。

ですが、この作品はちょっと違っていました。たしかに、捕虜に対する過酷な扱いや残虐な拷問シーンもたびたび登場するのですが、戦争で負った心の傷はどうすれば治癒できるのかといった点に焦点を当てて物語が構成されています。ですから、残虐なシーンを見ると、今回もまた、いたたまれない気持ちになってしまったのですが、映画を見終えると、なんだかほっとして救われた思いがしたのです。それはおそらく、戦争で心の傷を負ったのは残虐行為の被害者(英国人元通信兵)だけではなく、加害者(日本人元憲兵・通訳)もそうなのだという視点で作品が展開されていたからでしょう。

■泰緬鉄道建設

第2次大戦時、日本軍の捕虜になった英国軍通信兵エリック・ローマクスは泰緬鉄道の建設に駆り出され、残虐非道な扱いを受けた結果、心に大きな傷を負います。その傷はいつまでも癒えず、結婚して幸せを掴んだのも束の間、しばらくすると再び、そのPTSDに苦しみ続けます。一方、加害者であった日本人元憲兵・通訳の永瀬隆もまた自分の犯した罪に苦しみ、戦後、泰緬鉄道のあるタイへの巡礼を続けています。このように戦争は加害者にも被害者にも苦しみしか与えないことをこの作品は原作(実話)に基づいて描き出します。

圧巻だったのは、長年、復讐を望みながらも、主人公(被害者)が実際に加害者に対面すると、復讐では解決にならないこと、心が癒されるわけではないことを悟るシーンでしょう。この作品は戦争によるPTSDを扱っているだけに、全般に重苦しい雰囲気が漂っています。ときには息苦しくなってしまうほどですが、主人公の妻パトリシアを演じたニコール・キッドマンの美しさが画面に華やぎを添えてくれます。二人の出会いのシーンはまるで恋愛映画の始まりのようで、わくわくします。ちょっと紹介しておきましょう。

■出会い

主人公エリック・ローマクスはある日、列車の中で美しい女性パトリシアと相席になります。二人はふとしたことで会話を交わすようになりますが、そこで、エリックは鉄道に絡む博学ぶりを発揮してしまいます。彼が根っからの鉄道愛好家なのだということがこのシーンでさりげなく示されています。子どものように無邪気に勢い込んで話すエリックを見つめるパトリシアの表情が優しく、とても慈悲的でした。これも彼女が元看護婦で夫の心の傷の回復に精魂傾けていく後段の展開を暗示しています。他愛もない会話のシーンですが、エリックやパトリシアの人物像、心の交流が見事に表現されています。やがて二人は結婚に至ります。そして、物語は現在と過去を行き来しながら展開されます。

レイルウェイ 運命の旅路

この映画は4月19日に全国で公開されますので、内容の紹介はこのぐらいにしておきましょう。

■上映後のティーチ・イン

映画の上映後、原作者の妻であるパトリシア・ローマスクさん、監督のジョナサン・テプリツキー氏、プロデューサー・脚本担当のアンディ・パターン氏、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏の4人が司会者を交え、映画について語り合いました。印象深かったのは、パトリシアさんが、長年復讐心を抱いていた夫が実際に加害者のナガセにあったとき、夫の目に映ったナガセが自分と同じように老いさらばえた老人だったと語ったことでした。時がヒトの見かけを変え、ヒトの心に大きく作用することがわかります。

また、この映画の製作動機を聞かれたテプリツキー監督が、原作がもつ人間性に惹かれたからだと答えたことも印象的でした。実際、この作品は見事なまでに人間性に焦点を当てて製作されています。

■戦時における人間性

主人公(被害者)は戦争時の残虐非道な扱いによって心に傷を負い、長い年月をかけてもその傷は癒されませんでした。主人公はついに過去を直視し、向き合うことを決意します。そして、被害の現場で加害者と対面し、当時の苦しみを再体験をすることになります。ところが、被害者は逆の立場になっても当時の加害者と同じ行動をとることはできません。復讐心に満ち溢れていたはずなのに、行為としての復讐を実行できなかったのです。それこそ「人間性」が、被害者が復讐的行為をすることを止めたのでしょう。それを見た当時の加害者は深く反省します。そこにも「人間性」が介在します。

そして、後段で、原作に登場する駒井光男大尉の息子・駒井修氏が登場し、再会時のエピソードを披露しました。パトリシアさんは、彼があまりにもその父親に似ているので夫はショックを受けていたと語ります。

IMG_0757

戦後すでに68年を経ていますが、日本軍がアジア各地で行った蛮行、残虐行為がアジア各地に博物館、記念館として残されております。その種の博物館や記念館を訪れるたびに、いたたまれない気持ちになってしまっていました。この映画を見て、改めて戦争には勝利者はいないのだということを感じさせられます。戦争は被害者はもちろん、加害者にも多大な心の傷を負わせてしまうのです。

■なぜ豪英合作なのか?

映画を視聴し、その後のティーチ・インにも参加したのですが、どうしてもわからなかったことがあります。それは、英国人元通信兵の物語がなぜ、オーストラリア人監督によって製作されたのか、ということでした。コリン・ファース(エリック・ローマクス役)は英国人ですが、ニコール・キッドマン(パトリシア役)はオーストラリア人です。タイトルバックにも Screen Queensland や Screen Australia の文字が入っており、オーストラリアが力を入れていることがわかります。

そこで、調べてみました。その結果、劣悪な環境下で泰緬鉄道の建設に従事させられ、死亡したのは、連合軍捕虜である英国人6648人やオーストラリア人2710人、そして具体的な数は把握されていないのですが、数多くのアジア人だったそうです。約8万人がこの鉄道建設で命を落としたといわれています。

調べてみてようやくわかりました。なぜ、この映画がオーストラリア人監督によって起案されたのか、なぜ豪英合作なのか、なぜ主人公が英国人、サブ主人公がオーストラリア人なのか。ちなみにこの映画の一般公開は、オーストラリアが2013年12月26日、イギリスが2014年1月10日、そして、日本が2014年4月19日です。人間性に焦点を当てて戦争を取り上げたこの作品が、関係国だけではなく、他の多くの国の人々によって鑑賞され、戦争について議論され、語り継がれることを期待します。(2014/03/27 香取淳子)