ヒト、メディア、社会を考える

05月

「クロームキャスト」の販売、テレビは今後、どうなる?

■グーグル、「クロームキャスト」の発売

5月28日、米グーグル日本法人が家庭のテレビでインターネット動画などを視聴するための機器を発売しました。既存のテレビに取り付けるだけで、ユーチューブの動画や有料動画コンテンツをテレビの大画面で楽しめるようになるというデバイスです。家庭内の無線LAN経由でネットから動画を取り込み、テレビで再生するという仕組みのようです。私はこういうデバイスが欲しかったので、とても楽しみです。

■ニュース媒体として魅力のなくなった地上テレビ

いつごろからか、テレビをあまり見なくなってしまいました。たぶん、東日本大震災のころからでしょう。当時、テレビは人々を安心させるための情報だけを流していました。はたしてそうなのか、という不信感から、ユーチューブなどを見始めました。そこでは放射性物質に関する海外の情報、専門家の情報、現場からのナマ情報などが溢れていました。それこそ、求める情報でした。

テレビでは被災地の野菜を食べようキャンペーンをはっていましたが、ユーチューブなどでは専門家が放射性物質は消えてなくなることがないので、どのエリアの食品は危険だから、できるだけ食べないようにといっていました。

その後、当時のテレビが混乱を避けるために放射性物質の恐さを十分に伝えていなかったことがわかってきました。テレビのメインフレームは、地域や国や東電などを守るために人々に正確な情報を伝えていなかったのです。ですから、その時から、テレビはもはや「環境監視」の役割を果たしていないのではないかと思い始めたのです。

そういう目で改めてテレビ番組を見ると、ニュースなどの情報番組がワイドショー的な構成になってしまっています。キャスターが自分の意見をいいすぎますし、海外のニュースはよほど大きなニュースでなければ報道しません。これでは世の中の情勢が伝わらないのではないかと思ってしまいます。

■代替メディア

幸い、スマホに各国のニュースサイトをインストールすると、ニュースを見ることができます。言葉を理解できないことも多いのですが、映像はわかりますから、とりあえず映像でざっくりと理解し、詳細はインターネットでキーワード検索してテキストベースで理解するという方法を採るようになりました。

多様な情報を入手することができ、いつでもどこでも見られるという点で、スマホはとてもいいのですが、画面が小さいのが難点でした。ところが、今回、グーグルが発売した「クロームキャスト」を使うと、スマホの画面をテレビで見ることができるようになるというのです。そうなったら、テレビはどうなってしまうのでしょう。

■選択肢が少なく、多様性に乏しい地上テレビ

そもそも日本の地上テレビは選択肢が少なすぎます。NHK以外の民放が5チャンネルとMX、しかも、どの局も同じ時間帯では同じような番組を流しています。チャンネルが少ない上に、番組の多様性も乏しいのです。これではいくらテレビが好きな高齢者でも逃げてしまうでしょう。

母はもともとテレビが大好きだったのですが、最近は見るものがないと嘆いています。NHKの番組しか見なくなってしまいました。なぜNHKかというと、安心して見ることができるからというのです。それも限られた番組だけです。

■40代・50代もテレビ離れ

中高年世代のテレビ離れが始まっているようです。総務省情報通信政策研究所が4月15日に発表した速報によると、40代と50代の視聴時間の減少が顕著だったそうです。それぞれ前年に比べ40分も減少しているというのです。若者の間で起きていた現象がいよいよ40代・50代まで拡大してきたのでしょう。

詳細はこちら。http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20140417_644844.html

この世代が高齢世代になるころにはテレビよりもインターネット、スマホが基幹メディアとして機能するようになっているのかもしれません。

■テレビを軸としたビジネスモデルの終焉か?

先日角川と提携して話題を呼んだdwangoの川上氏が2013年、アニメ制作会社のカラーの取締役に就任しました。その際、「今のテレビを軸としたアニメのビジネスモデルは崩壊しかかっていて、このままだと日本のアニメ業界は終わる」と嘆いていたといいます(井上理、『NIKKEI  BUSINESS』 2014/5/26 )。テレビを視聴するヒトが少なくなれば、そういうことが派生的に起こってくるのです。

これまでは10代、20代でテレビ離れが顕著だといわれてきましたが、最近は中高年層まで離れつつあるといいます。そうすると、アニメに限らず、テレビを軸としたビジネスモデルも変容せざるをえなくなってくるでしょう。

■テレビ広告費

果たして、テレビの媒体価値は実際に減少しているのでしょうか。そこで、電通が2014年2月20日に発表したニュースリリースを見ると、2013年のテレビ広告費は前年比100.9%増で、マスコミ4媒体のうち、唯一増加しているようです。

詳細はこちら。http://www.dentsu.co.jp/news/release/2014/pdf/2014014-0220.pdf#search=’%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E5%BA%83%E5%91%8A+%E6%8E%A8%E7%A7%BB’

テレビ離れが進んでいるといわれながら、まだ、広告費は増えているようです。つまり、テレビを見ているヒトはまだ圧倒的に多いということなのでしょう。一部でテレビ離れが進んでいるのかもしれませんが、すべての国民ということでいえば、テレビは依然として基幹メディアなのです。テレビという媒体自体、きわめて魅力があるからでしょう。

■いまこそ、媒体の素晴らしさに見合うコンテンツを

広告費の推移を見る限り、テレビは依然としてヒトを捉え続けているようです。ただ、番組内容がお粗末であったり、視聴者のニーズにそぐわなかったりするので、テレビ離れを招いているだけなのかもしれません。とすれば、まだヒトがテレビを見限っていないいまのうちに、番組内容の改善を図っていく必要があるのではないでしょうか。

いまこそ、テレビという媒体の素晴らしさに見合うだけのコンテンツの改善、そして充実を、と願わざるをえません。(2014/5/29 香取淳子)

 

アニメーターの育成支援

■日本動画協会、応募案件の採択

2014年4月25日、日本動画協会は文化庁の平成26年度の若手アニメーター等人材育成事業に応募し、採択されたそうです。日本動画協会のホームページにも掲載されていますが、アニメ!アニメ!」の方が詳しいのでそちらのURLを下記に記します。

詳細はこちら。http://animeanime.jp/article/2014/04/26/18445.html

この記事によると、第1回から4回まで毎年採択されていた日本アニメーター・演出家協会の応募案件が不採択になり、日本動画協会の案件が採択されるという異変があったようです。どうして受託者が今回から変更になったのか、わかりませんが、部外者からみれば、どちらが採択されても構いません。アニメーター育成支援事業が継続されさえすればいいのです。

といいながら、思い直しました。ひょっとしたら、日本動画協会がアニメーションに関する諸事全般を手掛けるシステムにした方がいいのかもしれません。アニメーションについて知りたい、調べたいと思っても、どこが窓口なのかわからないのです。日本アニメを世界に流通させようとしているのであれば、アニメーションに関するすべてを統括できる組織が必要になってくると思います。そういう点で、とりあえず、今年度から日本動画協会が若手アニメーターの人材育成事業を受託されたのはいいことだと思います。

事業受託者が変更になっても、予算規模や事業内容はこれまでとほぼ同じだそうです。アニメーション制作4団体を選定し、年間を通してオリジナルアニメーションを制作し、その中でOJTを行ってきたのと同様の内容でこの事業が行われることになります。これまでにこの事業で過去4年間にアニメーター105人を育成、14の制作会社が参加し、20分余のオリジナルアニメーションを16本制作したそうです。着実に若手アニメーターを育成することができているのです。

■慢性的に不足している若手アニメーター

日本は世界に冠たるアニメ大国といわれながら、実はその制作を支えるアニメーターの人材は枯渇し、高齢化が進んでおり、深刻な問題になっていました。アニメ好きな若者は多く、制作したくてアニメ業界に入っていくのですが、長時間労働、低賃金に耐えきれず、結局はやめてしまうといった事態が続いていたのです。その若者の人口そのものが今後、大幅に減少していることを考えれば、なんとか手を打たないと、日本のアニメ産業そのものが成り立たなくなってしまいかねない状態なのです。

先日、大泉学園で開催された「アニメプロジェクトin 大泉」に行ってきたのですが、予想外に若者の姿は少なかったのに驚きました。「松本零士・ちばてつやトークショー」も参加者は家族連れか、アニメーターかアニメ関連の仕事をしていると思われる中高年の人々でした。少子高齢化の一端を見る思いがしていましたが、おそらく、今後はこの傾向はさらに進んでいくのでしょう。

日本のコンテンツで唯一、国際競争力を持っているといわれるアニメ産業ですが、その実態をみると、危機的状態なのだということがわかります。

■おおいに稼ぐアニメキャラクター

アニメ番組の企画・制作とキャラクターの権利事業を展開する「創通」という会社の事業が好調です。日経新聞(2012/3/7付)によると、2014年8月期の連結純利益は、3期連続で過去最高を更新する見通しだといいます。

創通業績推移

出所:創通

確かにグラフを見ると、年々、売上を伸ばしているのがわかります。その稼ぎ頭が「機動戦士ガンダム」をはじめとするアニメキャラクターなのだそうです。アニメ関連グッズが売れると、版権利用時に支払われるライセンス収入が増えるという仕組みです。

■「機動戦士ガンダム」

創通の版権事業の売上高は2014年8月期に52億円(前期比6%増)になるといいます。そのうち41億円がガンダム関連で、こちらは2年前に比べ22%増だそうです。1979年に誕生したガンダムが35年も経ったというのにまだ人々を引き付けているのです。

トヨタがシャア・アズナブル(ガンダムの登場人物)の専用車という設定で昨年、発売した小型車「オーリス」は、一部で熱狂的な人気を集めたといいます。

詳細はこちら。http://netz.jp/char-auris/

また、相模屋食料が2012年から発売する「ザクとうふ」(ガンダムの敵役ロボットの頭部を再現したパッケージ)は、これまで豆腐には関心のなかった30代、40代の男性をひきつけ、大ヒット商品になりました。

詳細はこちら。https://sagamiya-kk.co.jp/company/tho_zaku.html

ガンダムは、かつてファンであった30代、40代の男性に向けた商品市場を大きく拡大しているのです。トヨタの「オーリス」にしても相模屋の「ザクとうふ」にしても、仕掛け人は創通だったといいます。ガンダムという付加価値をつけただけで、大きく市場を広げているのです。

とはいえ、日本の中だけでは市場は限られています。創通はガンダムを使って、アジア戦略を強化しようとしています。ガンダムが独特の世界観をもち、大人も引き付けるストーリー性があるからです。

アニメをこのようなビジネスという観点からみると、どのような世界を描くか、どのようなストーリー展開でその世界を表現していくのかが、きわめて重要なものになってきます。まさに、アニメ作品を構想し、それを表現していく力のある人材が必要になってくるのです。

若手アニメーターだけではなく、アニメ作品を構想し、それを実現していく力量のある人材もまた必要なのです。アニメ産業が次世代産業であり、稼げる産業だとするなら、優秀な人材がこの業界に積極的に入っていけるような仕組みを作っていくことが重要なのではないでしょうか。(2014/5/27 香取淳子)

 

大学に押し寄せるグローバル化の波

■文科省の動き

2014年4月8日、文科省は平成26年度のスーパーグローバル大学創成支援事業を募集しました。この事業は平成24年度に始まったグローバル人材育成推進事業をフォローアップするものだそうです。

詳細はこちら。http://www.jsps.go.jp/j-gjinzai/follow-up.html

この事業のタイトルには、「経済社会の発展を牽引する グローバル人材の育成」という但し書きが付されています。ですから、これは日本の経済発展に資するための人材育成ということになります。

今回、発表された「スーパーグローバル大学創成支援事業」では、その目的について、以下のように書かれています。

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我が国の高等教育の国際競争力の向上を目的に、海外の卓越した大学との連携や大学改革により徹底した国際化を進める、世界レベルの教育研究を行うトップ大学や国際化を牽引するグローバル大学に対し、制度改革と組み合わせ重点支援を行うことを目的としています。

******** 詳細はこちら。http://www.jsps.go.jp/j-sgu/index.html

日本の高等教育の「国際競争力」を高めるために、「海外の卓越した大学との連携」や「大学改革」によって国際化を徹底させることを具体的な目的としています。その目的を効果的に実践に移すために、それを実践できる大学に対しては制度改革を組み合わせて重点支援を行うとしているのです。

この支援政策からは、政府がトップレベルの大学、国際化を牽引できる大学等を重視し、制度改革とセットで重点的に支援していこうとしていることがわかります。つまり、エリート層の抽出とその育成に向けての支援を推進しようとしているのです。

一方、この支援政策からは、日本の大学全体の研究レベル、学生の学力レベルが低下し、結果として高等教育における国際競争力が低下しつつあることが示唆されているといえるでしょう。政府が大学の制度改革とセットで、強烈なてこ入れをしなければならないほど、日本の大学教育がひどいものになっているのかもしれません。

■高校生の頭脳流出が始まっている?

5月21日、日経産業新聞で興味深い記事を読みました。東京大学への合格者数が33年連続トップの東京の開成高校で、生徒の志望校に変化がみられるというのです。学力の高い生徒は東大を目指すのが当たり前だったのが、最近、トップ層で海外の有名大学を目指すものが出始めたというのです。開成高校で開催されたカレッジフェアには海外の有名大学10校も参加したといいます。高校生の頭脳流出の兆しが見え始めているのです。日本のエリート校に進学することが必ずしも輝かしい未来を保障してくれるわけではなくなりつつあるからでしょう。時代の流れを敏感に察知したトップレベルの学生が日本の大学で学ぶことに限界を感じ始めているのかもしれません。

もちろん、まだ、ごく一部の動きにすぎません。わずかな動きでしかないとはいえ、若くて多感な時期に海外の著名大学で学ぶという選択肢が浮上してきているのです。それも、日本の大学のレベルを問題視しているからではなく、記事を読むと、どうやら高校生や保護者が日本で学ぶことに意義を見い出しにくくなってきているようなのです。それだけ現実社会がグローバル化していることの反映でもあるのでしょう。

もちろん、海外の有名校で学んだからといって、輝かしい未来が保障されているわけではありません。日本の大学で安穏な学生生活を送るよりは海外でさまざまな経験をして、語学力や問題解決能力、人脈を身につけた方がはるかに価値があるという判断なのでしょう。

■日本人の海外留学は減少

一方で、日本人の海外留学は年々減少しているといわれます。

詳細はこちら。http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/25/02/__icsFiles/afieldfile/2013/02/08/1330698_01.pdf

たしかに数字を見ると、年々、減少しています。ですから、今の若者は内向き志向だといわれたりもするのですが、実際には様々な要因が複合的に作用しているようです。

たとえば、これまでの留学先として選択されることの多かった米国については、授業料の高騰、危険、英語力のなさ、米国イメージの低下、企業が留学経験をあまり評価しない、等々があげられています。つまり、米国留学について情報を収集して検討した結果、メリットがなさそうなので選択しなかったという可能性があるのです。

詳細はこちら。http://matome.naver.jp/odai/2137245671555590701

サターホワイト氏による調査結果で、留学しない理由の上位にあげられていたのが、「少子化」、「日本国内の大学が増えた」、「日本国内の大学の国際化」、「ネットを使えば世界中の情報が手に入る」、「日本は豊かで居心地がいい」「就職活動が前倒しになり、留学すると不利になる」、「企業は留学経験をあまり評価しない」、「家計に余裕がなくなった」等々。

こうしてみると、どうやら若くて多感な時期に海外の大学で学び、多様な経験を積みたいという高校生がいる一方で、留学することのメリット、デメリットを比較対照し、日本で学ぶ学生もいるということなのでしょう。その判断の基準には家計や就職状況といった要素も絡んでいます。

■日本のトップ校の対応は?

東大の浜田純一総長は、「1点を争う入試も大切。それに勝ってきた東大生だからこそ別の力も必要だ」(2014/5/21 日経産業新聞)と述べています。受験競争を勝ち抜いてきた東大生の優秀さを評価しながらも、回答のない世界で困難を乗り切って活躍するタフネスの重要性も指摘しています。東大生にその要素が培われれば、さらにパワーアップできるというわけです。そのために東大では「体験活動プログラム」を2012年に開始し、24の海外活動に2013年度は160人の学生が参加したといいます。

4月からは「東京大学グローバルリーダー養成プログラム(GLP)」が始まったようです。これは東大生の中でもとくに英語力に秀でた人材を選び、リーダーを養成しようというものです。1学年3000人の中から英語成績上位者10%を対象に英語の集中講義をし、3年生に進む段階で、語学力だけではなく、リーダーシップや将来ビジョンなども見極め、さらに100人に絞りこむといいます。きわめて実践的な内容のプログラムになっています。

日本のトップ校がこれほどまでに実践的な教育プログラムを組み始めたのです。いつまでも象牙の塔として社会と隔絶して研究を行うだけでは存在しえなくなってきたのでしょう。グローバル人材育成のための実践教育はどうあるべきかを模索し始めたように見えます。

■海外で見かけた日本人学生

10年から15年ほど前に海外で何度か、日本人学生を見かけたことがありました。ロシア、オーストラリアなどの大学で、東アジア系の顔をしている学生を見かけることがありましたが、遠くからでも日本人か、そうでないかがすぐにわかりました。近づいてみると、日本語を話しているので、「やっぱり」と思ったものです。

中国人や韓国人の学生は、日本人と同じような顔、似たような体型をしているのですが、どこか違うのです。当時、海外に出る中国人や韓国人はまだそれほど多くなかったせいかもしれませんが、彼らは堂々していたのです。それに引き替え、日本人の方は姿勢が悪く、だいたいが連れ立って行動しているので、すぐわかってしまいます。

せっかく海外の大学に来たというのに、日本人同士で固まって行動していることが多いように見えました。海外赴任の大人もそうだといわれていますから、学生だけを責めることはできないのですが、閉鎖的だという点で彼らが目立っていたことを思い出します。

いま思えば、当時の日本はすでに大学の大衆化の時代を迎えていて留学はエリートのものではなくなっていたからかもしれません。せっかく留学しているのに、気概とかミッションというようなものが感じられず、仲間と付和雷同的に行動しているだけのように見えたのは彼らがエリートではなかったからかもしれません。

一方、当時、中国人や韓国人の留学生はエリートでした。その気概があり、それなりのミッションを抱いていたからこそ、毅然とした態度だったのではないかといま、思います。

■変化してきた大学の社会的役割

文科省はグローバル人材育成のための支援事業を強化しようとしています。それは、グローバル化の波が大学にまで押し寄せているからなのでしょうし、なによりも、知識経済の時代になって、大学の知的活力が経済の源泉であり、推進力にもなることがはっきりしてきたからでしょう。大学こそが国際競争力をもち、新たな発見、メカニズムの解明を推進できる能力を発揮しなければ、社会が沈潜してしまいかねなくなっているのです。それほど大学の果たす役割が大きなものになってきています。

大学はもはや若者のレジャーランドではなくなってるのです。知的交流の場であり、知的実践の場であり、さらには知的競争の場でもなければならなくなっています。もちろん、知的蓄積の場でもあります。とはいえ、すべての大学がそのような役割を担うことは困難です。

■大学に押し寄せるグローバル化の波

大学全入の時代になって以来、学力もない学生を大学生として受け入れている大学は多数あります。そのような学生を教育し、一人前の社会人として就職できるようにしていくのも大学の役割です。基礎学力、コミュニケーション能力、英語力、ICT技能を大学教育の中で確実に身につけさせてから、学生を社会に送り出していくのです。実はこれこそ、大学の重要な役割なのかもしれません。

このように考えると、高等教育機関として大学をひとまとめにしてしまうのではなく、いくつかに分類する必要があるのではないかという気がします。一つはトップ校として世界的競争力を持つ大学、もう一つは社会に出て仕事をするのに必要な基礎学力、等々を学生に徹底的に身につけさせる大学、そして、クリエイティブな領域、あるいはスポーツなどで能力を培い、世界的競争力を持つ大学、等々です。エリート教育と大衆教育、そして、クリエイティブな能力を涵養し、マネジメントし、世界に流通させる力を持つ大学、等々です。

グローバル化の波が中間層をなくし、二極化を進めているといわれています。大学に押し寄せたグローバル化の波もまた、どこにでもあるようなメニューを並べた4年制大学の衰退を生み出していくでしょう。

大学が社会に存続していこうとするなら、①科学技術、社会文化など専門に特化し、それで国際競争力を持つような大学、あるいは、ごく少数の、クリエイティブな領域やスポーツなどで能力を発揮し、世界的競争力を持つような大学、②社会に必要なスキルを身につけさせる義務教育を高度化したような大学、この二種類に再編されていくのではないかという気がします。

つまり、ひたひたと押し寄せるグローバル化の波によって、大学もまた、二極化の方向で再編を迫られていくことになるのではないでしょうか。(2014/5/21 香取淳子)

 

KADOKAWAとドワンゴの統合、日本コンテンツのプラットフォームになりうるか?

■コンテンツ企業とネット配信企業の統合

2014年5月14日、KADOKAWA とドワンゴが記者会見を開催し、今年10月に経営統合すると正式に発表しました。コンテンツ企業とネット配信企業が新たな持ち株会社「KADOKAWA/DOWANGO」を10月1日に設立し、両社はその傘下に入るというのです。記者会見の席上、KADOKAWAの佐藤相談役は、「両社の強みを持ち寄り、世界に類を見ないコンテンツのプラットフォーマーにしていく」と語りました(2014/5/15 日経新聞)。

一方、DOWANGOの川上会長は「(ソフトや顧客を)囲い込むのではなく、基本的にオープンな統合を目指す」と述べています(2014/5/15 毎日新聞)。統合することで両社ともパワーアップできると勢い込んでいる様子が伝わってきますが、はたしてどうなのでしょうか。

詳細はこちら。http://info.dwango.co.jp/pdf/news/service/2014/140514.pdf

■海外での日本の存在感のなさ

海外に行ってホテルでテレビを見るたびに思っていたことがあります。何十チャンネルもの放送局から数多くの番組が放送されているのに、日本の番組はといえば、NHKぐらいです。それもたいていの場合、テンポが遅く、画面が暗く、他のチャンネルに比べて見劣りがしました。なんとか見る気になったのはニュースですが、これもテンポが遅く、キャスターが自分の意見をいい過ぎなので、思わずチャンネルを変えてしまうことが多いのです。日本で見ているときはそれほど気にならなかったのですが、海外で見ていると、キャスターのコメントのつけ過ぎ、キャスター同士の卑近な会話が気になってしまうのです。無意識のうちに他の国のニュース報道のスタイルと比較して見ているからでしょう。

一方、タイ、ベトナム、中国などアジアの国々に行ってホテルのテレビを見ると、必ず韓国ドラマのチャンネルがあります。歴史ドラマ、都会風の恋愛ドラマがテンポよく、カラフルに表現されています。おもわずチャンネルを止めて見てしまいます。そして、ホテルを一歩出ると、今度は韓国ドラマで見た女優や男優があでやかに笑って商品を宣伝しているポスターや広告板をあちこちで見かけるといった具合です。ホテルでテレビを見ていると、あまりにも日本の存在感がなく、街に出ると、宣伝力のある日本人(女優、男優、タレント、歌手)の姿をポスターや広告板などで見かけることがないのでがっかりしてしまったことを思い出します。

■多言語対応

ドワンゴはニコニコ動画を英語や中国語に翻訳することで海外対応を急いでいるといいます。ようやくスタートしたのかと思いました。ネットで動画を配信すれば、世界に流通できますが、コンテンツが流通するだけでは意味がありません。そのコンテンツが理解できるよう多くの人々が理解できる言語に翻訳する必要があるのです。とりあえず、英語と中国語に対応しようとしているのは世界でこの二か国語を使用する人口が圧倒的に多いからでしょう。

NHKの国際放送は英語に対応しているだけです。いまや世界が英語と現地語を基本に、多言語対応をしようとしているというのに、日本のテレビは英語に対応しているだけなのです。ラジオの国際放送は18か国語に対応しているといいますが、基幹メディアであるテレビが多言語対応をしていかなければならないのではないでしょうか。すくなくとも英語の字幕を付与すべきではないかと思います。

■ネットとリアルが融合して生み出す、新たな流れ

ネットとリアルが融合して生み出す新しい流れとはどういうものなのでしょうか。日経新聞の説明によると、以下のようになります。

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たとえば、KADOKAWAのアニメ制作者とドワンゴの技術者が共同で映像作品をつくることで、新しいサービスが生まれる可能性があり。従来は既存の作品を動画サイトで流すだけだったが、視聴者の反応でストーリーが変化したり、登場人物と会話できたりする作品が考えられる。

ドワンゴの動画サービスに投稿された作品をもとに、KADOKAWAが出版物や音楽作品を販売することも検討する。「ニコニコ動画」では一般の利用者が自作の楽曲やキャラクターを発表している。こうした作品をKADOKAWAの編集者が商業製品に加工する考えだ。アニメや漫画などの「クールジャパン」のコンテンツを世界に発信する基盤づくりも狙う。

*******    日経新聞(2014/5/15)より

意欲的な取り組みが考えられているようです。ただ、せっかく新しい形式のコンテンツを考えたとしてもネットで配信する限り、すぐに複製されてしまう可能性が考えられます。あるいは、仕組みは整備されたとしても、コンテンツに魅力がなく、この種の取り組み自体が消滅してしまう可能性もあります。グローバルな競争の中でどのように活路を開いていくか、注意深く戦略を練る必要があるのではないでしょうか。

■ネット時代の競争力

ネットでコンテンツを配信するサービスではすでに、アマゾンが成功を収めています。また、豊富なコンテンツを抱えるディズニーはネット配信のアップルと関係があります。仕組みの面だけ見ても、強力な競合相手がすでにいくつも存在しているのです。実際、米AOLとタイムワーナーの統合は失敗しました。今回の旗揚げは日本にとって非常に意義深いのですが、どうすれば成功するかというモデルもないなか、進んでいかなければなりません。

ネット時代の競争力としては、豊富なコンテンツ、ネット配信の安全で精緻な仕組み、そして、地球規模の利用者に理解してもらうための翻訳が前提条件となるでしょう。その上で、どれだけ魅力的なコンテンツを安価でユーザーフレンドリーに配信できるかということが競争力の要点となるのではないでしょうか。

KADOKAWAの角川社長は「日本のプラットフォームができる」とアピールしているようです。その意気込みは素晴らしいと思いますが、ネット時代の競争力として必要な要件を踏まえ、取り組む必要があるでしょう。KADOKAWAとDWANGOの統合によって、ようやく日本はネット娯楽の発信者としてのスタートラインに立てたという気がします。(2014/5/15 香取淳子)

 

アリババの選択:パソコンからスマホ時代到来の象徴か?

■中国アリババ、米株式市場への上場を申請

中国アリババが米株式市場への上場を申請しました。5月6日のことです。よほどのビッグニュースだったのでしょう。海外メディアが一斉に取り上げていました。CNN等の報道によると、アリババの上場は米史上最大級の新規株式公開(IPO)になると専門家からは見られているようです。アリババの実際の株式公開は今夏以降だとされていますが、2012年にIPOで資金調達したフェイスブックをしのぐとさえいわれています。

中国のネット企業としては4月にもウェイボがナスダックに上場して2億8600万ドルの資金を調達したばかりです。相次いで中国ネット企業が米株式市場に上場していますが、なにか理由があるのでしょうか。最近、中国経済失速のニュースが絶えません。しかも各地で不穏な動きもあります。信州大学教授の真壁昭夫氏は、中国や香港など中国市場で株式公開を行うと、中国の規制によって現経営陣の支配力が低下することを懸念したからだと推察しています。

■ウォール街の興奮

ウォールストリートジャーナルは、「アリババの新規株式公開(IPO)によって米国はテクノロジー企業の上場先としての支配的な地位を占めるだろう」とアナリストが非公式に語ったことを伝えています。(THE WALL STREET JOURNAL, 2014/3/25) アリババの業績が堅調で、ビジネスモデルも確立した大企業だからです。この記事を書いたFrancesco Guerreraは、アリババやウェイボが米株式市場に上場を申請したことの理由を以下のように分析しています。

1.専門的投資亜やアナリストに加え、競合企業の大半がいる米市場には魅力がある、2.米国の技術は魅力的で、新規上場によって費やしたコスト以上の結果が得られる、等々です。中国のネット企業にとって米市場はその種の魅力があるのでしょうし、米市場にとって中国ネット企業の参入は規模の面で、興奮せざるを得ないほどの魅力があるのでしょう。

ちなみにロイターは以下のように、ネット関連企業の対比をグラフにしています。

ネット企業比較

 

出所:2014/5/5、ロイター作成

上記のグラフを見ると、アリババは売上高成長率、株価売上高倍率できわめて高い比率を示しています。このグラフを見る限り、アリババは今後ますます大きく成長していくことが予測されます。

■米ヤフーとの決別か?

日経産業新聞(2014/5/8付)は、この件について興味深い記事を載せています。上海の菅原透記者によるもので、彼は「待望の米上場に踏み切った裏には、発展期を支えた大株主の米ヤフーとの関係を事実上、断ち切る狙いがある」と分析しているのです。実際、アリババ関係者は「過去との決別」と語っているようです。アリババは2005年にヤフーから10億ドルの出資を得て、大きく成長しました。ところが、2011年ごろから両者の関係がまずくなったといいます。

アリババの創業者のジャック・マー氏、ヤフーの共同総合者のジェリー・ヤン氏、ソフトバンクの孫正義氏は創業以来、親交深く、ともに支えあいながら成長してきた起業家たちです。この三者はお互いに支えあってきましたが、ヤン氏が2009年にヤフーを退任した時点で、アリババと米ヤフーとの関係は終わっていたと関係者は語っているようです。アリババの米上場の報道に際し、孫正義氏が、「アリババは戦略的パートナー」といい「株式の売却は考えない」と語った(ロイター、2014/5/7)のも実はそのあたりの事情を配慮したからなのでしょう。

菅原記者は、アリババが米ヤフーと決別を狙っている理由として、アリババグループが2004年に設立したオンライン決済会社のアリペイの存在を挙げています。アリペイがマー氏が所有する中国企業に売却され、マー氏の所有になっていたことを米ヤフーが怒りました。アリババのマー氏はヤフーに間接的に収益の一部が渡るようにして折り合いをつけましたが、ヤン氏の退任を機に決別を企図したというのです。

■ネット時代の変化の兆しか?

米ヤフーは業績悪化に苦しんできました。たとえば、今年1月28日に発表された決算を見ると、4四半期連続の減収でした。オンラインディスプレイ広告と検索広告の料金が下がったからだといいます(ロイター、2014/1/28)。ところが、4月16日発表された決算をみると、アリババの好業績の影響を受けて、収益を向上させているようです。

詳細はこちら。http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N43A0P6KLVS101.html

とはいえ、中核事業は依然として停滞しているようです。

詳細はこちら。http://japan.cnet.com/news/business/35046618/

検索大手として一時代を築いたヤフーに変化の兆しが見られるようになりました。ネットへの入り口がパソコンではなく、スマホに代表されるモバイル端末に移りつつあるからでしょう。ですから、アリババにとって、ソフトバンクはこれからも提携価値がありますが、検索だけの米ヤフーはその役割を終えつつあるとみなしたのかもしれません。

一方、アリババは4月28日、中国の動画配信サイト最大手の優酷土豆に出資すると発表しました。これでアリババの出資比率は16.5%になります(日経新聞、2014/4/29)。これによってアリババは自社のネット通販利用者の囲い込みを行い、娯楽事業を強化することになります。

アリババの最近の動きを見ると、ネットの主戦場がモバイル端末であり、ネット通販であり、動画サイトを通した娯楽だということになります。今後、アリババの動きも見逃すことができなくなりそうです。(2014/5/15 香取淳子)

 

年金受け取り開始、75歳選択制へ

■年金受け取り開始年齢の引き上げ

2014年5月12日付の日経新聞によると、厚生労働相が公的年金の受け取り開始年齢について、個人の判断で75歳まで延ばせるよう検討する方針を明らかにしたといいます。いよいよ日本もそうなったのかという思いです。ただ、オーストラリアのように一律に年金開始年齢を75歳にするというのではありません。年金の受け取り開始を75歳まで引き延ばせるというだけです。

実は、現在も70歳まで年金の受け取りを延ばすことができます。たいていのヒトは65歳で受け取りますが、生活資金に余裕のあるヒトは70歳まで延ばすのです。というのも、支給の開始を遅らせると、その分、割り増し金をもらえるからです。これを「繰り下げ受給」というのですが、65歳で支給される年金を1か月遅らせると、0.7%増しとなります。70歳まで年金の受給を遅らせると、42%の増額になるといいます。これは国民年金、厚生年金とも同じです。

詳細はこちら。http://www.office-onoduka.com/nenkin2/koku_zougaku3.html

生活資金に余裕のあるヒトは支給年齢を延ばすことによって、最大42%もの増額となるのです。日経新聞は記事の中で、「富裕層の年金受け取りを遅らせることで、社会保障費の膨張を抑える狙いだ」と書いていますが、逆に支給額がこれだけ増額されるのであれば、社会保障費の膨張を増進させることになりはしないかと懸念されます。

78歳以上生きるのであれば、支給年齢を65歳以上にした方がいいと聞いたことがあります。日本人は男性、女性とも平均年齢は78歳を超えていますから、余裕があれば、繰り下げ受給した方が得だというのです。ですから、年金受け取り開始年齢を75歳まで引き上げるという政策は、割増率の見直し、一律開始等を併せて議論しなければ、意味がないのではないでしょうか。

■同じ日の日経新聞(5月12日付)の記事には、総務省の家計調査に基づき、高齢者の消費の伸びは人口の伸びよりも大きいと書かれています。高齢者が消費市場に大きな比重を占めつつあるのです。高齢人口が増加している社会では、若い世代に依存する存在として高齢者を捉えることはできなくなるでしょう。実際、高齢になっても健康で自身で仕事を生み出していくことのできるヒトも増えています。

■今後ますます健康で活動的な高齢者が増えていくでしょう。超高齢社会への対応策としては、年金受け取り年齢の引き上げよりむしろ、年齢ではなく能力によってヒトを判断し、それなりの働く場を用意する政策が必要なのではないでしょうか。高齢者が増大しつづける社会にはエイジレス社会の仕組みを導入していかなければ成り立たなくなっていくと思います。

■同じ日の日経新聞(5月12日付)で興味深いインタビュー記事を見つけました。セコム社長の前田修司氏は、日本が超高齢社会になっていることを踏まえ、世界で最も高齢化が進む国のサービスは今後、海外でも役立つと述べているのです。高齢者が増え、在宅医療、介護への需要が高まれば、そこに商機が生まれると彼が考えるていることがわかります。それは、超高齢化が日本だけのものではないからです。日本の次には先進諸国が超高齢社会になり、その後は、いまは発達途上国が高齢化への対応を迫られるようになるでしょう。

■科学技術が発達し、社会が豊かになれば、ヒトは滅多なことで死ななくなります。一方で、ヒトは自分の興味関心にかまけ、あまり子どもを産もうとは思わなくなるでしょう。子育てにはお金と時間がかかります。しかも、お金と時間をかけた割には子どもから報われることが少ないのが日本社会の現実です。

つい最近も先進国の中で日本がもっとも「母親にやさしくない国」だという調査結果が出たばかりです。国際組織セーブ・ザチルドレンが調査をした結果で、上位はフィンランド、ノルウェー、スウェーデンなど北欧諸国で、日本は32位でした。先進諸国の中で最下位だったそうです。

詳細はこちら。http://www.excite.co.jp/News/column_g/20140510/Economic_34729.html

この調査が示すのが日本の実態だとするなら、子育てにかかるコストを避け、自分の好きなことを求めていこうとする若者が増えるのも無理はありません。つまり、少子高齢化の社会構造を変えるのは容易ではないと思われるのです。興味深いことに、この調査で上位を占めているのはいずれも福祉国家として名をはせている国です。高齢者を大切にする国、福祉の行き届いた国は、「母親にやさいい国」でもあるのです。そのことに注目すべきではないでしょうか。

■エイジレス時代への適切な対応を

超高齢社会のいま、生きること、老いること、そして、死んでいくことについて、誰もが考えなければならなくなりつつあります。高齢者に対して適切な対応をしていくことは一方で、子どもを生み、育てることの大切さを思い知ることになっていくことでしょう。エイジレスという観点から社会システムを構築していけば、子どもを生み、育てることにも適した社会システムになっていくのではないでしょうか。日本がいま経験していることはやがて世界のすべての国が考えなければならない課題になっていくのです。(2014/5/12 香取淳子)

 

豪、年金支給開始年齢、2035年までに70歳へ

■定年制は?

昨日このブログで、オーストラリアで「現地のヒトに尋ねると、定年制は廃止されているといっていました」と書きました。2002年ごろにそのことを教えてくれたのは、ブリスベンに居住する2児の母で、30代後半の一般女性でした。そのときはなるほどと思って聞いていたのですが、昨日、ブログを書いた後、ちょっと気になったので、調べてみました。その結果、正確に言うと、その女性が言ったのは、「定年制の廃止」ではなく、オーストラリアには「定年」(法的に定められた年齢)で退職するという制度がないということだったようです。

ネット上に、「オーストラリアの労働市場に定年制はあるか?」という質問から始まるクイズ形式のスライドがありました。わかりやすくオーストラリアの退職後の経済生活が表現されています。それによると、「オーストラリアには法的に拘束力を持つ退職年齢(定年)というものはない」ということでした。さらに、退職後の生活のために積立預金できる期間は55~70歳の期間だとされています。つまり、55~70歳までの間に預金をして退職後の生活資金を確保できれば、いつでも好きな時に退職できるということなのです。

詳細はこちら。http://wiki.answers.com/Q/What_is_the_workplace_compulsory_retirement_age_Australia?#slide=1

■年齢差別禁止法

『みずほリサーチ』(2007年June号)によると、オーストラリアでは1990年に南オーストラリア州で初めて年齢差別禁止法制が立法化され、以後、すべての州で年齢差別が禁止されているそうです。欧米諸国では雇用における年齢差別の禁止が一般的ですから、オーストラリアもそれに倣っているのかと思っていたら、違いました。みずほ主任研究員の大嶋寧子氏によると、最も早く年齢差別禁止法を成立させたのはアメリカで1967年でした。次いで、カナダが70年代にすべての州で禁止、オーストラリアはなんと3番目だったのです。

欧州では90年代以降、、高齢化による年金財が悪化への懸念から、雇用における年齢差別への取り組みが重要な政策課題になっているようです。大嶋氏は記事の終わりで、年齢差別禁止を行う場合、雇用慣行との調和をどこまで図るべきか、現実的な議論を行うことが必要だと結んでいます。日本に限らず先進諸国はどこも、高齢人口の増加で深刻な財政に追い込まれつつあるといえます。

■豪、年金開始年齢引き上げへ

2014年5月2日、豪政府は年金支給開始年齢を2035年までに70歳に引き上げる方針を示しました。高齢問題に対応するための措置ですが、世界の先進国の中ではこれが最高齢になります。もちろん、この報道を聞いてオーストラリアの人々は驚いたでしょうが、ホッキー財務相はすでに年金を受給している人には影響しないと言っています(AFP, 2014/5/4)。なぜこのような政策をこの時期に発表したかといえば、オーストラリアの会計年度が7月から翌6月にかけてだからでしょう。いずれにしても、年金支給開始年齢は人口動態とともに国家予算に大きく影響します。

オーストラリアには法律で規定された定年はありませんが、1908年に年金制度が導入されて以来、男性は65歳、女性は60歳で年金受給資格を取るようです。ですから、この時期、ホッキー財務相が「現行の受給資格年齢は終了する」と述べた(AFP, 2014/5/4)のは、この案に基づき、予算を立てる必要があったからでしょう。

詳細はこちら。http://www.smh.com.au/federal-politics/political-news/retirement-age-rise-to-70-by-2035-joe-hockey-announces-20140502-zr318.html

オーストラリアの年金制度には、税を財源とする社会保障制度の老齢年金(Age Pension)と保険料を財源とした退職年金(Superannuation)があります。老齢年金は生活保護的な色彩の強いもので、対象になるのは、オーストラリアに10年以上住む居住者(市民権または永住権保持者)です。一方、退職年金は雇用主が被雇用者のためにスーパー運用基金に支払い、積み立てたものです。ですから、オーストラリア滞在中にこの制度に加入していた有資格者はオーストラリア国税局に換金請求ができるといいます。

詳細はこちら。http://www.australia.or.jp/aib/pension.php

■高齢人口の増加

オーストラリアの65歳以上の高齢者は今後30年間で約350万人から約700万人へと2倍に増加し、全人口の約22%を占めるようになると予測されています。そのうち、85歳以上の高齢者は50万人弱から140万人へと約3倍に増加し、医療保険制度を圧迫することが予想されています。オーストラリアの人口は約2340万人で、平均寿命は男性が79歳、女性が84歳ですから、高齢化に対する措置はいまから取っておいた方がいいでしょう。いずれにしても今後、多くの国で高齢人口の増加が年金、医療等を含む社会システムを大きく変容させていくことは明らかです。いち早く急激な高齢化の波をかぶっている日本が適切な対策を取っていけば、高齢社会をリードしていく存在になりうると思います。(2014/5/8 香取淳子)

 

70歳:「働く人」の定義拡大

■70歳までが働く人

経済財政諮問会議の有識者会議で、人口減と超高齢化への対策が検討され、提言案がまとめられました。高齢者と女性の活躍を支援し、出生率の上昇を図るための政策が明らかになったのです。とくに気になったのが、70歳までを働く人と定義づけたことです。

これまで生産年齢人口は15~65歳とされてきました。それを15~70歳に変更し、「新生産年齢人口」とするのだそうです。人口が減っても労働人口は約400万人多くなるという算段なのでしょう。しかも、こうすることによって、年金支給開始年齢を遅らせることもできます。まさに一挙両得、労働人口の確保と公的資金の出費を抑えることができるのです。

■生産年齢人口

なぜこれまでの定義を変更せざるをえなくなったのかといえば、人口が減少しているにもかかわらず、高齢人口だけは増加し続けているからです。ちなみに年齢区分別に将来の人口予測を見ると、以下のようになります。

 

高齢化の推移と将来推計

出所:国立社会保障・人口問題研究所

人口動態はきわめて的確に将来を予測できる指標です。上のグラフを見ると、日本社会の高齢化の推移を見ると、65歳以上の人口は1950年は4.9%だったのが、2060年には39.9%と予測されており、高齢者の占める比率が急上昇していることがわかります。日本が世界に類を見ないほど短期間に高齢化した社会だといわれるゆえんです。高齢化率が高まっているのは、高齢人口の増加と少子化の結果ですが、それがいま、多方面に影響をあたえはじめているのです。

■見えざる革命

P.F.ドラッカーは1976年に『見えざる革命ー来るべき高齢化社会の衝撃』という本を出しています。原著名も”The Unseen Revolution: How Pension Fund Socialism Came to America ”で、翻訳版、原著とも「見えない革命」が強調されたタイトルになっています。サブタイトルを見ると、日本語翻訳版は「来るべき高齢化社会の衝撃」となっていますが、原書は「年金基金社会主義」となっています。ドラッカーは、高齢者の老後の資産として積み立てられた年金基金が株式を保有し、投資することによって、労働者がいわば資本家にもなっていくことに着目します。つまり、年金基金が株式を所有することによって労働者が企業を支配下におくことになりますから、アメリカは一般的な見方とは違って、社会主義的な国の一つだといえるというわけです

ドラッカーは、労働者が資本家の役割をも担うことになる年金基金システムによって、アメリカの高齢者は諸外国の高齢者に比べ、豊かな年金を手にする可能性を得たことを指摘しています。老後のための資産形成が蓄積され大きなパワーになって企業に影響を与えていくことに注目しているのです。

見えざる衝撃

高齢化による社会変革は、暴動が起きたり大きな異変が起きて、社会が変革していくのではありません。高齢人口の増大自体がさまざまな領域に浸透して、変革を促すようになって社会が変革していくのです。一見、変革が起きているように見えないまま、大きな変革がじわじわと進んでいくところに特徴があります。ドラッカーがいうように、まさに「見えない革命」が起こるのです。

■定年制はどうなるのか?

有識者会議は70歳までは働くヒトと定義づけました。読売新聞(2014/5/6 付)はこの件について、「定年後の再雇用などで70歳まで働ける機会を増やす」と報じています。どうやら定年を70歳にするということではないようです。ということは、定年後、仕事が見つからないヒトは70歳になるまで年金支給もされないまま、生活費を切り詰めて暮らしていかなければならないということになるのでしょうか。現在の状況が5年延長されるだけと見た方がいいのかもしれません。

21世紀初の数年、毎年のようにオーストラリアに出かけていたことがありました。現地のヒトに尋ねると、オーストラリアでは定年制は廃止されているといっていました。高齢になっても有能で働けるヒトを定年制によって強制的に仕事を奪うのではなく、働く意思と能力があればいつまでも働いてもらえるよう、年齢要件を外したということでした。それを聞いて、いい仕組みだと感心したことを覚えています。もちろん、老後をのんびり過ごしたいヒトは若いうちから資金をためて、早めに退職するという選択をしています。

日本が定年制で有為のヒトから仕事を奪った結果、彼らが持っていた秀逸な技術が中国や韓国に流れたことがありました。国内でも優秀なヒトが定年で辞めたせいで、組織が停滞したケースもあります。それでも日本は頑なに定年制を守っています。今回の提言にしても、労働条件から年齢を外すのではなく、70歳という新たな区切りを設定しています。

高齢になればなるほど、年齢で一様に対処するのは難しくなります。ですから、定年制によって一律に対処するのは高齢社会にはふさわしくないのかもしれません。とはいえ、定年制の枠組みから日本はなかなか抜け出すことができません。それは日本人の好きな’平等主義’のせいなのでしょうか。それとも、年齢要件で一律に対処する方が、年金、健康保険、等々と連携させやすいからでしょうか。あるいは、日本の高齢人口規模は、意志や能力等の個別要件を考慮して対処するには膨大すぎるからでしょうか。

■10億人もの高齢者の陰

今後20年を見ると、世界の高齢人口は6億人から11億人に増えるといいます。ですから、先進諸国をはじめ多くの国にとって、高齢化による社会変動への対策が必要になってきているのです。

英エコノミスト誌は2014年4月26日号でこの問題を取り上げていました。ヨーロッパの多くの国々はすでに早期に退職を奨励する政策を取りやめているといいます。また、平均余命が長くなるにつれ、年金が確定給付型から確定拠出型に置き換えられるようになり、裕福なヒトでさえ、快適な老後生活を送ろうと思えばより長く働かなければならなくなったと指摘しています。

一方、より高学歴のヒトはこれまで報酬のいい仕事をしてきていたが、高齢になってもそのまま高収入を得ているといいます。というのも、現在、高学歴の高齢者は以前の高齢者よりもより生産性が高いからです。そして、技術的な変化がこの傾向を強化しているといいます。というのも、コンピュータを使いこなして専門的知識を管理し、創造する技術は年齢とともに衰えるわけではないからです。

頭脳労働が主流になると、労働生産性の高さは年齢ではなく、学歴によって左右されるようになります。そして、肉体労働の生産性は年齢に応じますが、知能労働の生産性はそうではありません。これまで何を学んできたのか、どのような技術があるのか、とくに、ICT技術を駆使して何ができるのか、といったようなことが問題になってくるからです。こうなると、いよいよエイジレスの時代の到来と考えた方がいいでしょう。(2012/5/7 香取淳子)

 

日本発 新教育モデルとは?

■文科省、OECDと共同で新教育モデルを開発か?

読売新聞(2014/5/6付)は、文部科学省が新しい学力を育成する教育モデルをOECD(経済協力開発機構)と共同で開発すると報じています。新しい学力とは、思考力、創造力、提案力、運営管理力などを総合し、複雑で正解のない問題を解決できる力だと定義づけており、開発には約2年をかけるそうです。その成果は2016年度をめどに全面改定される新学習指導要領にも反映されると書かれています。

この記事の見出しとリード部分を読んで、私はとても唐突な印象を受けました。というのも、ここ数年、ゆとり教育のせいで日本の子どもたちの学力が低下したと報道されてきましたから、私は、文科省が主導したゆとり教育モデルが子どもたちの学力低下を招いてきたと思っていました。それが今日の読売新聞では、「日本発 新教育モデル」という大きな見出しの下、一面トップ記事として報じられているのです。OECDはなぜ、子どもたちの学力を育成するのに失敗しているはずの日本の文科省と共同で、新教育モデルを開発しようとしているのでしょうか。違和感は去りません。

■安倍首相とOECD事務総長

本文を読んでみると、当初抱いた違和感は次第に薄れていきました。この共同開発案はOECD事務総長が安倍首相に提案したものだったようです。そこで、OECDのHPを見ると、たしかに、アンヘル・グリアOECD事務総長は4月9日に安倍首相を表敬訪問しています。グリア事務総長は官邸を訪れた際、アベノミクスの最初の成果はすばらしいものであるが、第三の矢である構造改革への取り組みが必要であり、支援したいと述べています。詳細はこちら。http://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/oecd/page18_000269.html

実はその前日の8日、グリア事務総長は都内で記者会見をしています。時事通信によると、安倍政権が6月に打ち出す成長戦略の改訂版について彼は注文を付けたといいます。たとえば、教育や労働市場などの個々の改革はパッケージとして相互に補完し合うものでなければならず、日本経済の改革を促す中長期的な政策でなければならないというようなものです。詳細はこちら。http://www.jiji.com/jc/zc?k=201404/2014040800900&g=eco

そして、今日5月6日、安倍首相はOECDフォーラムで基調講演を行いました。首相は最後の方で、「OECD東北スクール」の活動に触れていました。これは、OECDと文科省、福島大学が東日本大震災の復興の担い手とグローバル人材育成を目的に行っている活動を指します。カメラがパンすると、傍らでグリア事務総長がにこやかに聞いている姿が捉えられていました。演説が終わると盛大な拍手が起こっていました。安倍首相の演説はこちら。http://webcastcdn.viewontv.com/client/oecd/forum2014/video_d9b94450563470bf5efa59d423e03a79.html

■日本の子どもたちの学力、数年で復調

OECD加盟国と参加希望国・地域に居住する15歳の子どもを対象に3年に一度実施される国際学習到達度調査(PISA)があります。2012年度のこの調査で日本は読解力と科学で4位、数学で7位となりました。OECD加盟国の中では、読解と科学は1位、数学は2位でした。PISA結果の推移を示したのが下のグラフです。これを見ると、科学と数学は2000年度に及びませんが、読解力は2000年度を抜き、飛躍的な向上を示しています。低迷していた2003年度、2006年度に比べると、わずか6年で学力向上に大きな成果を果たしていたことがよくわかります。

日本は「脱ゆとり教育」で学力回復軌道に(筆者作成)

出所:http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20131203-00030318/

■日本発 新教育モデルとは?

読売新聞がなぜ、今日、この記事をトップニュースとして扱ったのかがわかりました。安倍首相のOECD基調演説と連動した記事だったのです。そして、この演説は6月に改訂版が出されるといわれる安倍政権の成長戦略とも関連しています。深刻化する少子高齢化という状況を踏まえながら、日本が今後も成長していくためには、ICTによってグローバル化した社会に対応していける人材育成であり、女性の活用です。安倍首相はOECD基調演説の中で女性の活用にも触れていました。

グリア事務総長が安倍首相を表敬訪問した際、成長戦略の改訂版について注文をつけたように、それぞれの領域毎の改革を関連づけて行わなければ成果を出すことはできません。とりわけ重要なのが、人材育成(教育)であり、女性の活用(労働市場)ではないかと私は思っています。

新教育モデルの開発には、「OECD東北スクール」の活動が参考にされるとされています。福島の中高生が農家を支援し、ゼリーの開発を提案、実際に販売されるようになった活動を参考にしながら、新教育モデルの開発に臨むというのです。その過程で現在、未来の社会に役立つ能力を涵養できると考えられるからでしょう。実際、「OECD東北スクール」活動の結果、子どもたちの課題解決能力、発想力、チームワーク力などが向上したそうです。

そのような実績があるのなら、2年後の新教育モデルに期待しようではありませんか。教育改革にはとかく異論反論が続出しやすく、せっかくのアイデアも頓挫しがちです。とはいえ、子どもが社会で自立して生きていける能力を身につけさせるのが教育の本質であるなら、そろそろ時代に見合った新しい教育モデルが登場してきてもいい頃だと思います。急速に変化する時代に教育システムがマッチしない状況があまりにも長く続いてきましたから。

もちろん、OECDと共同で開発される教育モデルですから、経済成長を目的としたものになるでしょう。その種の限界があることは常に念頭に置きながら、時代の変化に合ったよりよい教育モデルを模索することは大切だと思います。(2014/5/6 香取淳子)

 

相次ぐギャル系ファッション誌の休刊を考える。

■子ども人口の減少

今日は5月5日、子どもの日です。総務省が発表した資料によると、4月1日現在の子どもの人口は1633万人で、前年より16万人減少しております。これで、子ども人口は33年連続して減少しているというわけです。また、子ども人口の総人口に占める比率は12.8%で、こちらは40年連続して減少しています(下表、参照)。 いずれにしてもこれは子ども人口の減少に歯止めがかかっていないことを示すデータといえます。

表2 男女、年齢3歳階級別こどもの数  (平成26年4月1日現在)

出所:統計局

次に、子どもの年齢別に総人口に占める割合を見ていくと、12から14歳は2.8%、9から11歳が2.6%、6から8歳が2.5%となっております。3年毎に子ども人口を見ても、減少傾向がはっきりとしめされています。子どもマーケットが確実に縮小しつつあるのです。その影響を具体的に見てみることにしましょう。

■相次ぐギャル系ファッション誌の休刊

5月5日の日経MJを読んでいると、興味深い記事が目につきました。「ギャル系休刊相次ぐ」という見出しの記事です。記事の内容は、女性ファッション誌「egg」は7月号で休刊、「小悪魔ageha」も休刊となったというものでした。調べてみると、この雑誌を刊行していた出版社フォレストは約30億円の負債を抱え倒産し、4月15日付で事業を停止しています。帝国データバンクによると、今後は債務調査を進めるとともに、出版物等のコンテンツ売却の検討を進めるとしています。

詳細はこちら。http://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/3901.html

■ギャル系ファッション誌

「小悪魔ageha」は2006年に創刊され、2009年にはギャル系雑誌として一世風靡したこともありました。ピーク時は約30万部を発行するほどの勢いだったようです。ところが全盛期の誌面構成を担当していた名編集長が2011年11月に去ってからはこの雑誌の衰退がはじまったと分析されています。

衰退に至る過程についての詳細はこちら。http://gigazine.net/news/20140416-infor/

小悪魔ageha 8月号の画像(プリ画像)

上の写真が「小悪魔ageha」の表紙です。表紙のキャッチコピーを見ると、「7日間で脱でぶ子」「あのコの整形級メイク全プロセス」といった具合に、ファッション以外に美容、体型改善など、身体、ファッションともに美しくなるような情報が満載されています。一時は、人気のギャル系ファッション誌だったといわれています。ギャル系ファッション誌とは、ギャル系ファッションを中心に掲載している雑誌を指します。この種の雑誌を見て、中学高校生は自分のファッションをチェックし、コーディネートをチェックします。いってみれば、中高生のファッションの指標になるような雑誌でした。購買数が上がり、多くの中高生が読むことになれば、そこに掲載されたファッションやファッション小物は彼女たちの目に留まり、購入される可能性も高くなります。当然、広告価値も高いはずでした。それがなぜ、次々と休刊に追い込まれているのでしょうか。

■なぜ次々と休刊に追い込まれているのか

5月5日付の日経MJS紙で、長田真美記者は以下のように分析しています。

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ギャル系雑誌が相次ぎ休刊になっている要因の1つにスマホの普及がある。

若い女性は雑誌に頼らず、ファッションやメークなどの最新情報をインターネットを通じて収集するようになった。大洋図書の担当者は「読者モデルのブログなどを見ることで満足している人も増えているようだ」と推測する。

出版科学研究所の調べによると、2013年の雑誌(コミック含む)の市場規模は8972億円で、ピークだった1997年と比べると、約6割に縮小。なかでも女性ファッション誌の落ち込みは特に大きい。

スマホで得られる以上の情報を提供できるかどうかが雑誌の存続を左右しそうだ。

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長田記者はギャル系ファッション誌が相次いで休刊に追い込まれている実態を報告し、その要因としてスマホを挙げています。たしかに、近年のスマホの普及を考えると、その可能性もあります。でも、はたしてそれだけなのでしょうか?

■スマホが原因?

インターネットでファッション誌を見ることができるようになると、たしかに一部の読者はネットに流れ、もはや雑誌を購入しなくなった可能性はあります。ですが、雑誌とインターネットとは本質的に異なります。雑誌は寝転がっても読むことができますが、パソコンの場合、それができません。スマホならできますが、スマホの画面は小さすぎて、ファッションを見るには不向きです。また、雑誌の場合、ページを飛ばして読むこともできますが、スマホの場合、それが非常に難しい。ですから、ファッション誌が提供していたような情報をインターネットで得ることができるようになったから、雑誌が売れなくなったとは思えないのです。

■読者モデルのブログ

大洋図書の担当者は「読者モデルのブログなどを見ることで満足している人も増えているようだ」と推測していたそうです。読者がネットに流れたのだとしたら、それはおそらく、ネットがファッションに関してこれまでにない楽しみを提供できるようになったからなのでしょう。それが読者モデルのブログでした。ですから、雑誌を購入しなくてもブログを見るだけで満足できるヒトが増えてきたからこそ、雑誌が売れなくなってきたのだという担当者の推測に私は納得できます。

ギャル系ファッション誌の読者モデルは同年齢の読者にとって憧れの的です。そのモデルがファッションに関する情報をブログで提供してくれるとしたら・・・、それこそ、これまでにない魅力的なコンテンツになったに違いありません。しかも、ブログならスマホでも十分に楽しめます。いつでもどこでもスマホなら読者モデルのブログを読むことができます。もちろん、画面が小さくてもファッションやファッション小物の値段のチェックぐらいはできるでしょう。

■子ども人口減少も要因の一つ

雑誌全般に衰退傾向が続いています。とはいえ、とくにギャル系の休刊が相次いでいる背景には何か別の要因もありそうです。中高生という狭いターゲットを対象にしているのがギャル系ファッション誌です。そこに多数の雑誌が乱立していたというのも一つの要因でしょう。さらに、ギャル系ファッション誌の市場が縮小していたというもの大きな要因ではなかったかと思うのです。さきほど総務省統計局の発表した子ども人口の構成表をみると、12~14歳、9から11歳、6から8歳、というように3歳刻みで見ると、総人口の占める比率は年齢が低くなるほど低くなっています。つまり、ギャル系ファッション誌の対象人口が年々減少しているという実態があるのです。ターゲット年齢を狭く設定した市場では、人口減少は直接市場に反映されると推測されます。したがって、ギャル系ファッション誌の相次ぐ休刊の要因の一つに、子ども人口の減少があると考えられます。5月5日の子どもの日もだんだんさびしくなっていくような気もしますが、気のせいでしょうか。(2014/5/5  香取淳子)