ヒト、メディア、社会を考える

04月

ソウル国立現代美術館で見た、Yoo Youngkuk氏の作品

■Yoo Youngkuk氏の「生誕100年記念展」
 昨年末、用事があって、ソウルに出かけました。ついでに美術館に立ち寄ってみようと思い、ネットで検索すると、ソウルの国立現代美術館で、Yoo Youngkuk氏の生誕100年記念展が開催されていました。開催期間は2016年11月4日から2017年3月1日までです。

 ずいぶん長い開催期間ですが、Yoo Youngkuk氏の作品をまとめて見ることができる貴重な機会かもしれません。Youngkuk氏のことを知っていたわけではありませんが、たまたまその時、展覧会が開催されていたので、訪れてみたのです。

 当時、ソウルは反朴デモが激しく、光化門広場にはデモ隊のテントが多数、並び、朴大統領、サムソン副会長、KIA会長らの像が攻撃の的になっていました。曇天の下、栄誉をきわめたヒトたちの末路が哀れでした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。)

 いま、韓国の政治状況はさらに混沌とし、朝鮮半島全体が不穏な状況に陥っています。日々、報道されるニュースを見ていると、昨年末のソウルの状況を思い出し、ヒトの世の移り変わりの激しさに無常を感じてしまいます。

 あれからだいぶん時間が経ってしまいました。ようやくいま、Yoo Youngkuk氏の生誕100年記念展を振り返ってみる時間の余裕ができました。当時を思い起こしながら、作品紹介をしていきたいと思います。

 さて、ソウル国立現代美術館はなかなか風情のある建物でした。それもそのはず、この美術館は1938年に韓国で初めて建築された石造りの建物・徳寿宮石造殿の中にありました。徳寿宮に入り、石造殿に向かって庭園を歩いていると、知らず知らずのうちに、都心の喧騒から離れ、静かで落ち着いた気持ちになっていきます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。) 

 会場に入ると、案内リーフレットがハングル表記でしたので、残念ながら、言葉から作品理解の手がかりを得ることができませんでした。しかも、具象画ではなく抽象画です。それこそ、何の手がかりもなく、色彩と形、質感といった非言語的要素と直に向き合うことになりました。

 もっとも、それだけに、Youngkuk氏の作品の本質を鑑賞することができたといえるかもしれません。これまで抽象画はこれまでよくわからなかったのですが、ある時期のYoungkuk氏の作品には強く心に訴えかけるものがあったのです。

 実は、Youngkuk氏が抽象画家だということも知らないまま、たまたまその時期開催されていたので、展覧会に出かけたのでした。帰国してからネットで検索すると、日本語でこの展覧会が紹介されていることがわかりました。

 私が見た展覧会のタイトルは「絶対と自由」であること、「Yoo Youngkuk」は漢字で「劉永国」と表記されることをこのサイトで知りました。

こちら →
https://www.mmca.go.kr/jpn/exhibitions/exhibitionsDetail.do?menuId=1010000000&exhId=201611090000504

■Youngkuk氏と日本の抽象画家
 1916年に韓国で生まれたYoungkuk氏は1935年、東京の文化学院に入学して絵画を学んだそうです。その後、1938年には第2回自由美術家協会展で協会賞を受賞し、その会友になったといいます。いずれも上記のサイトで知りました。

 さらに、ここではYoungkuk氏が長谷川三郎氏や村井正誠氏などとともに、当時、抽象絵画の領域でリーダー的存在であったと記されています。長谷川三郎氏といえば、現代抽象絵画の先駆者といわれている画家です。そして、村井正誠氏もまた抽象絵画の草分けの一人とされています。はたして、そのようなことがあるのでしょうか。Youngkuk氏は当時、まだ22歳ごろです。

 そこで、興味半分に、長谷川三郎氏や村井正誠氏の側からYoungkuk氏について調べてみました。その結果、両画家のいずれのプロフィール記事にもYoungkuk氏について記載されていませんでした。ただ、Youngkuk氏との関連を示す事柄がまったくなかったということもできません。ひょっとしたら、関連はあったかもしれないと推測できる程度の事実は多少、記されていました。

 たとえば、長谷川三郎氏については、村井正誠氏らとともに1937年、自由美術家協会を結成したこと、抽象主義絵画の発展に尽力したことがわかりました。

こちら →http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8921.html

 また、村井正誠氏については、長谷川氏とともに自由美術家協会の結成に参加したこと、1938年に文化学院の講師になったことなどがわかりました。

こちら →http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28143.html

 いずれもYoungkuk氏のことは書かれていませんが、これらの情報をつなぎ合わせると、当時、文化学院で学んでいたYoungkuk氏と、そこで教えていた村井氏との接点はあったと考えられます。つまり、Youngkuk氏は文化学院で村井氏に学び、抽象画の世界に親しんでいったのでしょう。

 一方、長谷川氏は欧米で3年間、絵画を学んで帰国した後、積極的な創作活動を展開していました。村井氏もまたフランスで4年間学んだ後、日本で新しい時代の美術活動を展開していました。両氏とも欧米の新しい絵画動向に触れ、さまざまな刺激を受けて作品を発表していたのです。両者が意気投合し、新しい芸術活動を展開していくとき、村井氏が学生であったYoungkuk氏を伴っていた可能性が考えられます。

 彼らが当時、何歳であったかというと、Youngkuk氏が受賞した1938年、村井氏は33歳、長谷川氏は32歳、そして、Youngkuk氏は22歳でした。ですから、年齢の面からみても、彼が当時、日本で抽象画のリーダー的存在であったとは考えられません。師としての村井氏や長谷川氏に従って、彼らが展開する新しい芸術活動に参画していたという程度のことでしょう。ですから、先ほどのサイトの記事は明らかに、Youngkuk氏の箔付けのための誇大表現といえます。

 ただ、実際にYoungkuk氏の作品を見てみると、どれも素晴らしいものばかりでした。とてもピュアで、時代を経ても色あせない、モダンな美しさに満ちていました。とくに、色彩の取り合わせが巧みで、強く印象付けられました。

■第2コーナーで見た印象深い作品
 会場では作品が年代別に、4つのコーナーに分けて展示されていました。おかげで、Youngkuk氏の創作活動の変遷過程をつぶさに追うことができました。山をモチーフにした作品が多かったのですが、その捉え方、描き方の変容から、Youngkuk氏の創作活動の推移を見ることができました。

 私がもっとも惹きつけられたのは、第2コーナーに展示されていた作品です。ここでは1960年から1964年に制作された作品が展示されていました。

 たとえば、1960年に制作された「山」という作品があります。

こちら →
(油彩、136×211㎝、1960年、図をクリックすると、拡大します。)

 抽象的な画面構成でありながら、木々のリアルな実在が感じられます。さまざまな種類の木々、岩石、草木、生態系としての山が色鮮やかに描かれています。遠景には白い木々、中景にはカーブを描くように散らされた鮮やかな赤、そして、近景に配置されたのが、左下の緑と、右下の茶です。それらの色が暗い画面の中で、快い緊張関係を保ちながら、配置されています。その緊張関係がシャープで、とても都会的で、洗練された絵柄になっています。

 同じ時期に描かれた、やはり、「山」というタイトルの作品があります。

こちら →
(油彩、キャンバス、136×194㎝、1961年、図をクリックすると拡大します。)

 この作品は、上の絵と同様の発想で描かれています。ところが、こちらは白の部分が多く、画面のほぼ半分を占めています。その結果、同じ「山」でも表情がやや異なってきます。白い木々を支えている白い基層部分が大きく描かれているせいか、上の「山」よりも、さらに山肌に近づいている印象があります。

 この作品もやはり、抽象的な画面構成でありながら、山の息吹すら感じられるリアリティがあります。さらに、この作品は、洗練された印象を損なわないまま、どっしりとした山の土臭さ、力強さを感じさせます。不思議なことに、この絵には、洗練と土着という相反する要素が混在しているのです。

 それにしても、なぜ、私はこの絵に相反する要素があると思ってしまったのでしょうか。ひょっとしたら、それは、この画面で大きな比重を占める白の使い方が繊細で、微妙なリズムがあり、それが岩山の鼓動すら感じさせてくれているからかもしれません。繊細さと無骨さが感じられるからこそ、そのような相反性を察知してしまったのでしょう。とても魅力的な作品です。

 さて、同じ第2コーナーに「作品」というタイトルの絵があります。

こちら→
(油彩、キャンバス、130×194㎝、1964年、図をクリックすると、拡大します。)

 会場で見たとき、鮮やかな赤が印象的でした。よく見ると、赤の補色である緑が効果的に使われています。赤い半球のようなもの(りんご?)の横には緑の葉が散るように描かれ、画面に流れを作っています。

 そして、赤の半球の上にも暗い緑の葉のようなものが配され、上方には明るい緑色の帯が太く横一線に描かれています。緑がかった暗い画面の中で、半分のリンゴが逆さまになっている形状の赤が、いっそう際立っています。

 この作品にも、色彩の取り合わせの妙味があって、惹きつけられます。赤と緑、オレンジといった具合に、使われている色数が少なく、それだけに、それらの色をきめ細かく使いわけながら、画面構成、モチーフの配置を考えられたのでしょう。色彩を制限する中で究極の美しさが追求されていることがわかります。

 このコーナーの作品にはいずれも華やかさがあって、強く印象付けられます。

■いまなお新鮮なYoungkuk氏の世界
 思えば、この展覧会はYoungkuk氏の生誕100年を記念して開催されたものでした。それなのに、どの作品をみても決して古びていません。いまなお新鮮な輝きを放っているのが、不思議でした。

 たとえば、第1コーナーで展示されていた作品に、「山」というタイトルの絵があります。

こちら →
(油彩、100×81㎝、1957年、図をクリックすると、拡大します。)

 緑と青、黒を基調にした画面に、太い黒の線で一筆画きのような、シンプルな形状がいくつも描かれています。山を構成する木々、草木、岩石などが表現されているのでしょう。シンプルで平面的な構成の中にモダンなテイストが感じられます。下方には、さり気なく、明るい緑の上にオレンジの線が描かれており、アクセントとして効いています。

 第3コーナーにも、やはり、「山」というタイトルの作品が展示されていました。

こちら →
(油彩、135×135㎝、1968年、図をクリックすると、拡大します。)

 この作品では、線によって形状を表現するのではなく、三角の組み合わせで「山」が表現されています。線を使わず色彩で形状が表現されていますから、境界線の色遣いが重要になってきます。その観点からこの絵を見ていくと、左側の三角の境界線が水色で描かれ、その先は紫のグラデーションで塗られています。まるで、夜空の下での山並みが目の前に浮かんでくるようです。

 一方、その同じ三角の左側の境界線は緑色のやや太く描かれています。ですから、夜空とはいえ、もう明け方に近いのでしょう、うっすらと木々の色が浮き上がってきているようです。

 Youngkuk氏の作品はいずれもこのように、抽象画といいながら、このように見る者の想像力を刺激し、リアルな実在を感じさせるところに妙味があるのではないかと思いました。この作品もまた、平面的な構成でありながら、奥行きを感じさせ、快いリズムを感じさせてくれます。

 私はこれまで抽象画はあまり見たことがなかったのですが、今回、ソウルではじめて、Youngkuk氏の作品を見て、抽象画ならではの永遠性、洗練されたモダンを感じました。私が好きなのは第2コーナーに展示されていた諸作品ですが、この時期の作品にはどれも、洗練された華やかさがあります。

 なぜなのでしょうか。

 そこで、手がかりを得るため、Youngkuk氏の展覧会を案内するサイト(前掲)から、彼の来歴を見ると、この時期、Youngkuk氏は韓国で現代美術を志向する若手の画家たちから尊敬されていたようです。だから、半ば、求められるように、彼は、若手を牽引し、抽象と前衛を標榜した運動を積極的に展開していたのでしょう。

 そのような事実を知ると、あの時期の作品に感じられる溢れるような才気とエネルギーは、Youngkuk氏が未来を思考する若い人々に囲まれ、現代美術の理論と実践を追求していたからではないかと思えてきました。

 第2コーナーに展示されている諸作品には、独りで創作している際には生まれるはずのない、他人を意識した煌めきのようなものがあったのです。私はそこに惹かれたのでした。

 その後、彼はグループ活動をやめ、一人で籠って、創作活動に専念するようになります。当然のことながら、作品の雰囲気も変化していきます。第3コーナー、第4コーナーの作品には、第2コーナーのような煌めきは見られませんでした。もちろん、第1コーナーの作品にもありません。

 こうしてみてくると、単独で行っているはずの創作活動にも、実は他人の影響が及んでいるということを思わないわけにいきません。このこともまた、Youngkuk氏の展覧会を見て得ることができた発見の一つといえるでしょう。(2017/4/17 香取淳子)

東京アニメアワード2017:「日本のアニメーション教育を多様化することを考える」に参加し、考えてみた。

■「日本のアニメーション教育を多様化することを考える」
 2017年3月12日、「東京アニメアワード2017」の一環として、池袋の産業生活プラザ8Fで、国際交流パネル3「日本のアニメーション教育を多様化することを考える」が開催されました。

 このパネルは第1部として、各国のアニメ教育関係者から、実践されている教育内容とその特質などについて報告、次いで、第2部として、制作会社やアニメーターとして活躍されている方々から、体験を踏まえ、教育内容について報告、という構成でした。

 登壇者は、ダビデ・ベンベヌチ(Davide Benvenuti:シンガポール南洋工科大学アートデザインメディア校准教授)氏、、トム・シート(Tom Sito:アメリカ南カリフォルニア大学アニメーション学科教授)氏、、ニザム・ラザック(Nizam Razak:マレーシアのアニメ会社アニモンスタ・スタジオズCEO)氏、、ハン・リーン・ショー(HAN Liane Cho:アニメーター/絵コンテ作家)氏、、ロニー・オーレン(Rony Oren:イスラエルのエルサレム ベツァルエル美術 デザイン学校教授)氏、そして、日本からは東京芸術大学教授の岡本美津子氏と同大学教授の布山タルト氏でした。

こちら →http://animefestival.jp/screen/list/2017panel3/

 今回、報告されたアニメーション教育については今後、日本が参考にしなければならないところも多いでしょう。そこで、報告内容に沿って、別途、関連資料を渉猟し、それらを含めてご紹介しながら、見ていくことにしたいと思います。

 それでは、アメリカ、イスラエル、シンガポール、日本の順で見ていくことにしましょう。

■各国のアニメーション教育

アメリカ

 トム・シート氏は40年以上、ディズニーやドリームワークスなどでアニメ制作に携わり、『リトル・マーメイド』『ライオンキング』『シュレック』などの作品を手掛けてこられました。アニメーションに関する本も4,5冊出版されています。

こちら →https://www.amazon.co.jp/Tom-Sito/e/B001JS9O9U/ref=sr_ntt_srch_lnk_2?qid=1489820556&sr=8-2

 40年前、シート氏がアニメ制作を始めたころ、アニメーション教育を行う学校はせいぜい2,3校だったそうです。ところがいま、アニメーション教育を行う大学や専門学校が大幅に増えています。デジタルメディア業界からの要求に応じていくうちに、そうなったようです。ところが、教育内容はそれぞれ多種多様、実践に役立つ教育をしているところもあれば、芸術に傾いた教育をしているところもあるといいます。

 そんな中、シート氏が在籍されている南カリフォルニア大学(USC)は、全米屈指のアニメーション教育を行う大学として認知されているといいます。

こちら →http://anim.usc.edu/

 USCの場合、アニメを教えるクラスはすでに1930年代半ばにはあったそうですが、専攻としてアニメ学科が創設されたのは、1990年でした。現在のカリキュラムは以下のようになっています。

こちら →http://anim.usc.edu/about/curriculum/

 上記のカリキュラムの下で教育を受けた学生は、2Dか3D、またはVRの作品を1本制作することが課せられています。理論と実践の両方を学び、最終的に自身で作品を制作することが課せられるのです。

 アニメ学科の教員はトム・シート氏をはじめ、教員それぞれが多士済々のメンバーで構成されています。とくにトム・シート氏は1998年、アニメ雑誌でアニメ界でもっとも重要な100人のうちの一人に選ばれています。豊富な制作実践に裏付けられ、クリエーターとして高く評価されているのです。

 そのような来歴のトム・シート氏を専攻長にもつUSCのアニメ学科は、学生ばかりでなく教員もまた相互にクリエイティブな刺激を与え合っているのでしょう。創造的な活動を展開していくには、最適の環境だといえます。教員の面からいえば、アニメーション制作を行うための教育環境としてとても恵まれていると思います。

 環境といえば、USCの設備環境もまた充実しています。たとえば、著名な俳優のジョージ・ルーカスはUSCに巨額の寄付をし、制作設備の整った建物を建築しました。個人としては過去最高の寄付金額だったそうです。この建物はその後、建て替えられ、今は諸設備が新しく整備され、進展する技術に対応できるようになっています。

こちら →https://en.wikipedia.org/wiki/USC_School_of_Cinematic_Arts

 一方、USCは研究大学でもありますから、実験的な映像制作を行い、さまざまな表現の可能性を追求しています。学生は講義を受けるだけでなく、様々なワークショップに参加することもできます。理論と実践の両面から、多様な刺激を受け、それらを参考にしながら、学生たちは制作設備の整った環境の中で、自身の作品を制作していくのです。こうしてみてくると、USCがアニメーション教育についてはアメリカ屈指の大学だといわれるだけのことはあると思わざるをえません。

 ところで、シート氏はハリウッドのゴールデンエイジに活躍したアニメーターの弟子だったそうです。シート氏の恩師は、ニューヨークの消防士の息子だったシート氏を快く受け入れ、懇切丁寧に、そして、厳しく教えてくれたといいます。シート氏はそのことを深く感謝していました。

 さらに、シート氏はその恩師から、「私たちが教えたように、後の世代を教育してほしい」といわれたそうです。ですから、シート氏はいま、彼から授かったものを、彼がしてくれたように、学生たちに教えているといいます。教える者と教えられる者とが信頼しあう関係を築き上げてこそ、実効性のあるいい教育ができるのでしょう。とても示唆深いエピソードでした。

イスラエル
 
 オレン氏はこれまでの42年間、アニメーターとして制作に携わる一方、37年間、イスラエルでのアニメーション教育に携わってきました。彼の来歴を辿れば、1980年から2002年まで、イスラエルのさまざまな学校で教え、2000年から2008年までは、イスラエルのベツァルエル美術デザイン学校でアニメーション学部長を務め、現在は同校の教授です。このような経歴を見ても、彼がイスラエルのアニメーション教育の先駆者であり、制作と教育の両面を率いてきたことがわかります。

 さて、彼がアニメーターになったころ、イスラエルにはアニメーターが5人しかおらず、制作したアニメを放送するテレビ局も一つしかなかったといいます。制作者はもちろんのこと、アニメを放送するテレビ局も圧倒的に少なかったのです。もっとも、テレビ局が一つしかなく、寡占状態だったおかげで、放送された作品はイスラエルのすべてのヒトに見てもらえました。そのことはアニメ業界の進展にとって大きなメリットだったといえるでしょう。

 それにしても、ネットがなかった時代に、わずか5人で一からアニメ業界を立ち上げていくのが、いかに大変なことだったか。オレン氏たちの往時の苦労がしのばれます。イスラエルでアニメ業界を立ち上げるため、彼ら5人はまず、世界中のアニメフェスティバルに赴き、さまざまなアニメーションを見てきたといいます。そして、それらの見聞を踏まえ、1970年代にアニメーション教育を始めました。当時、初心者コースと上級コースしかなく、専門学科はありませんでした。

 そして、2000年になってようやく、大学に学部生用のフルコースの教育課程が創設されました。このときもオレン氏たちは、海外のさまざまな大学を参考にし、カリキュラムを作成したといいます。そうしていくうちに、イスラエルでもケーブルテレビが増え、アニメ需要も高まってきました。

 もちろん、当時はまだテレビアニメ、商業アニメの制作が中心でした。とはいえ、コンテンツへの需要が高まってきたことは業界にとって、またとない好状況が訪れたといえます。その後、イスラエルではいわゆるアニメ革命が起き、その勢いが17年間、継続しているといいます。

 イスラエルで現在、完全なアニメーション教育のプログラムを提供しているのは、オラン氏が在籍するこのベツァルエル美術デザイン学校だけだそうです。ですから、アニメーションを学ぶために同校に、毎年46名もの学生が入学してくるようになったのです。現在、学生数は170名だといいます。

こちら →https://web.archive.org/web/20071022092403/http://bezalel.ac.il:80/en/

 イスラエルは人口800万人ほどの小さな国です。そのことを考えれば、この学生数が相対的にどれほど多いものであるかがわかろうというものです。この数字から、イスラエルでは多くの若者がアニメーション制作の担い手になる夢を抱いていることが読み取れます。

 そして、オレン氏たちが創り上げてきたアニメーション教育の成果も徐々に現れてきているようです。たとえば、イスラエルでは今年、劇場アニメ映画が5本制作されましたが、制作者のほとんどがオレン氏の大学の卒業生だそうです。同校では以下のようなカリキュラムの下、アニメーション教育が行われています。

こちら →http://www.bezalel.ac.il/en/academics/
 
オレン氏はクレイアニメーションの専門家です。

こちら →http://ronyoren.com/about/rony-oren/

 国境を越えて、クレイアニメーションのワークショップも実践されているようです。下記は2016年にクロアチアでワークショップが行われたときの様子が報告されたものです。

こちら →http://ronysclayground.com/gallery/ronys-croatian-tour-2016/
 
 一連の報告を聞いていると、国境を越えて活躍するアニメーション制作者が教育の現場に立っていること自体、学生にとってはすばらしい教育の実践になるのだと思えてきました。 

シンガポール
 
 ダビデ・ベンベヌチ氏は現在、シンガポール南洋工科大学准教授です。イタリア出身のアニメーターで、25年間、アニメ制作の仕事をしてきました。その制作実績を買われ、南洋工科大学で教鞭を取るようになりました。シンガポールでのアニメ需要に応じ、制作者からアニメ教育に身を転じたのです。

こちら →http://research.ntu.edu.sg/expertise/academicprofile/Pages/StaffProfile.aspx?ST_EMAILID=DBENVENUTI

 ベンベヌチ氏は、日本の古い世代には懐かしい、『カリメロ』の制作にも携わってこられたそうです。『カリメロ』は、日本では東映アニメーションが制作し、1974年10月から1975年9月にかけて日本テレビ系で放送された作品です。

こちら →http://www.toei-anim.co.jp/lineup/tv/karimero/

 可愛くてユニークなキャラクター、カリメロを私はいまでもすぐに思い出せます。当時、日本の子どもたちの間で大きな人気を博していました。

 さて、ベンベヌチ氏はイタリアを出てから、ディズニーやドリームワークス、さらにはオーストラリアでも仕事をしてきたといいます。2D、3D、TVアニメ、さらにはビデオゲームまで、アニメーションに関連するさまざまな領域で仕事をしてきました。このような幅広いアニメ制作の実践歴が目に留まったのでしょう。

 9年前、南洋工科大学アニメ・デザイン・メディア校の非常勤講師となり、4年半前に常勤の准教授になりました。南洋工科大学アニメ・デザイン・メディア校(ADM)は、2005年にシンガポール政府の支援の下、設立されました。設立に際しては、シンガポール政府が最新設備を備えた施設を提供してくれたそうです。この領域が今後、新たな産業としても期待されているからでしょう。

こちら →http://www.adm.ntu.edu.sg/Pages/index.aspx

 ADMは、学部から大学院修士課程、博士課程までも備えており、アニメーション教育については完全なプログラムが提供されています。たとえば、学部生のカリキュラムは以下のようになっています。

こちら →http://www.adm.ntu.edu.sg/Programmes/Undergraduate/Pages/Home.aspx

 さらに、学部間の協力で、学際的な研究ができるような配慮もなされています。幅広くアニメーション教育ができるように教育システムが設計されているのです。

 シンガポールの場合、アニメを教える教員もアニメ業界人もほとんどが外国からやってきたそうです。能力を買われて引き抜かれてきたヒトたちなのでしょう。それだけに、ADMの教員は優秀なヒトが多いとブヌベヌチ氏はいいます。

 たとえば、この大学の准教授 Ina Conradi Chavezは、2017年2月にロサンゼルスで開催された映像フェスタ・アニメ部門で受賞しました。

こちら →
(http://www.studentfilmmakers.com/3d-filmmaking-alive-and-well-at-sda-2017/より)

 このように最先端のクリエーターが教員なのです。ADMは海外からの優秀な教員を揃えているばかりか、シンガポール政府が提供した最新設備を備えた施設があります。そのような教育環境の下、学生たちはアニメの理論と実践を学び、自主制作に励んでいるのです。すばらしいクリエーターが排出されるのも当然といえるでしょう。

 ADM学では3年前からアニメコースを二つに分けました。一つはアニメを学ぶコース、そして、もう一つは特殊効果を学ぶコースです。後者は学生の進路を考え、設定されたコースだといいます。卒業した学生たちがシンガポールで就職できるようにするには、アニメ制作会社をターゲットにしたコースばかりではなく、CMや映像一般、ゲーム会社などをターゲットにした特殊効果コースが必要だと判断されたからでしょう。

日本

 アニメ大国といわれながら、日本ではアニメ専攻を持つ大学は10校もありません。ですから、アニメを大学で系統的に学ぶ機会は少なく、学生が独自にアニメを学んでいるケースが圧倒的に多いのです。

 東京芸術大学の岡本美津子氏は、日本の大学でアニメ専攻を創るのはとても難しいといいます。実際、東京芸術大学では2008年に大学院としてアニメ専攻が創設されましたが、アニメ専攻の学部はいまもありません。

 さて、東京芸術大学大学院では現在、1学年16名で、総勢、32名が学んでいます。

こちら →
http://www.geidai.ac.jp/wp-content/uploads/2013/07/www.geidai.ac_.jp_film_pdf_anim_pamphlet.pdf

 高度な表現能力を持ったリーダーを要請するのが目的だとされており、①「才能発見型教育」によるリーダーの育成、②「つくる」を主体とした現場主義の教育環境の創造、③革新的なアニメーション表現を創造、④「総合的なネットワーク」の形成、等々が掲げられています。

こちら →http://www.geidai.ac.jp/department/gs_fnm/animation

 以上のような目的を達成するために、以下のようなカリキュラムが設定されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。)

 これを見ると、グループ制作や講評、あるいは、外部から招聘したベテランクリエーターの下で制作実践を行うといったところに力点が置かれているのがわかります。従来、日本の大学教育は現場とは乖離していると指摘されてきましたが、その難点が克服されたカリキュラムになっています。学生たちは1年次で1作品、2年次で1作品、制作することになっており、創造的な実践が求められているようです。

 岡本氏は、東京芸術大学では多様性を持たせるような教育をしているといいます。そして、多様性がいかに重要かということの一例を紹介してくださいました。それは、芸大で、国際合同講評会を行った際、ロボットを扱った作品が日本人からは評価されていなかったのに、海外の専門家からは好評を得たというエピソードです。このような経験からいっそう、海外からの多様な視点を教育に取り入れることの必要性を岡本氏は感じられたようです。 

 それでは実際に、学生たちはどのような作品を制作しているのでしょうか。第7期修了生の作品の予告編がありますので、ご紹介しましょう。

こちら →http://animation.geidai.ac.jp/07yell/

 まさに多種多様、さまざまなテイストの作品のオンパレードです。ここで見られる制作の萌芽が今後、いかに大きく花開いていくか、創造者の道を歩み始めた学生たちは、日々、研鑽に努め、学び続ける意思が必要でしょう。
 岡本氏はさらに、芸大では日中韓で学生の共同制作を行っているといいます。たとえば、2016年度は以下のような作品が制作され、展示されました。

こちら →http://animation.geidai.ac.jp/jcksaf/
 
 以上、アメリカ、イスラエル、シンガポール、日本と、各国のアニメーション教育についての報告をみてきました。いずれも、さまざまな取り組みでアニメーション教育を行っていることがよくわかりました。もちろん、その背景には、国の体制、アニメーションに関する歴史、産業界との関連、等々が大きく関わっていることは確かでしょう。

 ただ、アニメーション教育には、どの国にも共通の課題もあるはずです。それは、制作を担う人材を育成していく上でぶつかる課題でもあるでしょうしクリエイティブな領域には不可避の課題でもあるでしょう。すなわち、アニメ制作をこなせる人材を育成するのか、新たなアニメを開拓できる人材を育成するのか、という問題です。

■大衆性vs.実験性
 司会者の竹内氏は、各登壇者の発表を受けた後、シンガポールのADMの学生たちの作品は産業界に近いが、芸大の学生たちの作品はアートに近いと短評されました。学生が制作した作品からそのような評価をされたのですが、ここには深い意味が込められているように思いました。

 つまり、この短評には、アニメーション教育にはシンガポールのADMのように卒業してすぐ産業界で働けるような教育をするのか、あるいは、芸大のように先端性、あるいは実験性を追求する教育を行うのか、という問題が含まれているという気がしたのです。ですから、竹内氏からは、大学を卒業した若者が将来、アニメ業界で生きていくには、どのような教育が不可欠なのか、という基本的な問題を提起されたといえるでしょう。

 アニメーションを専攻した学生が卒業後、その業界で生きていくには、受けた教育と産業界のニーズが合致している方がスムーズです。ところが、日本の教育ではたして、そのようなことが可能なのか、という問いかけでした。

 学生たちの制作した作品から、その教育内容が見えてきます。それを踏まえての発言だっただけに、教育界は重く受け止める必要があったかもしれません。つまり、アニメーション教育とアニメ業界との間で、もっと連携を強め、実際に役立つ人材を育成していく必要があるという指摘にはもっと耳を傾ける必要があるのではないかという気がしました。

 これに関連して、芸大の布山氏は具体的に、2012年からアニメーション・ブート・キャンプがスタートされているといわれました。これは教育界と産業界との共同のプロジェクトで、どのような人材を育成していくかを考え、その目的に沿って実践していくためのプログラムなのだそうです。いってみれば、教育界と産業界をブリッジするためのプラットフォームです。

こちら →https://animationbootcamp.info/

 ここでは集まった学生たちがチームを組み、彼らに対しアニメ制作のプロが教えるという仕組みで、3泊4日で、泊まり込みで学ぶというスタイルです。たとえば、アニメーションにおける演技という課題があるとすれば、3人一組でチームをつくり、その課題に取り組みます。このようなブートキャンプを経験すれば、下記のことを習得できるようプログラムが設計されているようです。

1.自己開発、自己発展できる人材の育成(テクニックではなく、考え方を教える):その結果、2Dでも3Dでも適応できる。
2.身体感覚、観察の重視。:その結果、パターンをコピーするのではなく、自分の身体感覚を起点に感じ、考えられる。
3.他者に伝わる表現力を目指す。

 以上のことを学生たちはワークショップを通して学び、自身の制作に結び付けていくといいます。このような布山氏の報告を聞くと、私が思っていた以上に、実践的な教育活動が展開されているようでした。

■アニメーション教育の今後を考える。
 布山氏が報告されたAnimation Boot Campについて興味深く思いましたので、ちょっと調べてみたところ、ディズニーなども行っていました。

こちら →http://www.waltdisney.com/sites/default/files/WDFM_SummerCamps_2014.pdf

 そして、その結果、制作されたのが以下の映像です。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=cDWURsNlwcE

 これ以外にも、さまざまな取り組みがあるようです。たとえば、アニメキャラクターについてのブートキャンプもあります。

こちら →http://www.schoolofmotion.com/products/character-animation-bootcamp/

 このようにして、ブートキャンプについてのサイトをいくつか見ていくうちに、日々、進化する技術や技法とセットで表現されるアニメーションの教育には、この種の実践体験が欠かせないのかもしれないと思うようになりました。

 さて、各国のアニメ教育者の報告を聞いていて、アニメーション教育にはきわめて多様な側面があるからこそ、さまざまな取り組みを実践していく必要があるのだということをあらためて感じました。クレイアニメ、長編アニメ、短編アニメ、2D、3D、あるいはテレビアニメ、といった具合に、アニメーションのジャンルによって、企画立案から、実践のための教育内容に至るまで異なってくるでしょう。 

 しかも、制作に必要な技術は日々、進化しています。ですから、布山氏がブートキャンプで実践されているという3項目は、どのタイプのアニメーションにも通用する基本的な学習課題として必要不可欠なのではないかと思いました。

 今回のパネルで登壇された方々はそれぞれ、アメリカ、イスラエル、シンガポール、日本でアニメーション教育のトップ校の教育者たちでした。それぞれの大学の学生たちは人的にも設備的にも最高の環境下で学び、実際にすばらしい作品を制作していました。こうしてみてくると、充実した設備の下、制作実績も豊富な教員の下で学ぶというのが理想なのでしょう。

 一方、日々進化する技術にどのように対応していくか、という課題も残っています。これについては、技術の習得に邁進するだけではなく、ヒトとしての感性を大切にしながら、他人に受け入れられる表現を目指す努力も怠らないようにする必要を感じました。日本が今後、アニメ大国にふさわしい教育を行っていくには、実績を積み上げながら、地道に実践を続けていくしかないのかもしれません。(2017/4/13 香取淳子)

篠原愛「サンクチュアリ」展に見るセクシュアリティ

■篠原愛「サンクチュアリ」展の開催
 ギャラリーモモ両国で、篠原愛「サンクチュアリ」展が開催されました。期間は2017年3月11日から4月8日までです。

 実は、個展開催の案内ハガキを受け取ったときから、ぜひ、実物を見てみたいと思っていました。ハガキに掲載された作品が妙に気になっていたのです。ぜひとも見たいと思っていながら、なかなか時間の都合をつけられず、ようやく訪れることができたのが、終了日の前日、4月7日でした。

 気になっていた絵は、画廊に入ってすぐ左の壁面に展示されていました。実物を見ると、あらためて、この絵の得体の知れなさに戸惑います。ハガキと違って実物はサイズが大きいだけに、ことさら、異空間に迷い込んだような、不安な気持ちにさせられてしまうのです。

 会場で展示されていた作品にはどれも、私がこれまで見たことのない、独特の光景が描出されていました。描写力が抜きんでて巧みで、強い訴求力があります。それなのに、なぜか、素直に作品世界に入っていくことができない・・・、もどかしさを感じてしまいます。

 いったい、なぜなのか。まずは作品を見ていくことにしましょう。

■月魚
 ハガキに掲載されていた作品のタイトルは、「月魚」です。

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(油彩、綿布、パネル、50.0×72.7㎝、2016年。クリックすると、図が拡大されます。)

 この絵でまず目につくのは、白い大きな魚と横顔を見せた少女の裸体です。それらのモチーフを包み込むように、蓮の葉と花が配置されています。無数の蓮の葉が穴の開いた状態で、画面の下方一帯を覆い尽くし、画面の左右には、鮮やかなピンク色の蓮の花が大小取り混ぜ5輪、描かれています。

 モチーフの取り合わせがなんとも奇妙です。さらにいえば、モチーフの取り合わせが奇妙なら、それらを捉える構図もまた奇妙です。作者はこのモチーフと構図に、どのようなメッセージを込めようとしていたのでしょうか。

 それでは、このモチーフと構図にフォーカスし、見てみることにしましょう。

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(クリックすると、図が拡大されます。)
 
 大きな魚の腹部の辺りに、少女の横顔が見えます。両手を直角に曲げ、頭部を守る防御の姿勢を取っています。一方の手は魚のヒレを掴み、まるで大きな魚に抵抗しているかのようです。そして、もう一方の手の指先は赤く染まっています。抗ったときに噴き出た血液なのでしょう。少女の頭上には、魚の引きちぎれたヒレが垂れており、その一部もまた赤くなっています。

 さらに、この魚は大きく口を開け、近くを泳いでいる小さな魚にいまにも食いつこうとしています。よく見ると、小さな魚の腹部からは血が流れ落ちていますし、骨だけになった部分もあります。すでに食いちぎられた後なのでしょう。深海魚のように獰猛な、この魚の表情が不気味です。

 再度、この絵の全体画面に戻ってみると、大きな魚は引きちぎられたヒレで、少女の頭を抑えつけています。そのまま視線を移動させていくと、裸体の少女が魚と溶け合っているのがわかります。少女は背後から抱きかかえられるような姿勢で、魚と合体しているのです。
 
 少女の肌は透き通るように白く、ピンクがかった美しい色が純心と無垢を表しているようです。ところが、その肌に、腕といわず、腿といわず、脛といわず、無残にも魚の鱗が生えてきています。それだけではありません。一方の足先からはすでに尾ヒレが出ています。魚に襲われた少女が少しずつ、魚の一部になり始めているのがわかります。

 少女は諦めきったような、悲しげな表情で、一点を見つめています。まるでレイプされた後の放心状態のようにも見えます。私が案内ハガキで見て、この絵に気になるものを感じたのはおそらく、この点でしょう。篠原氏は、卓越した精緻なタッチで、アブノーマルなセクシュアリティを描いていたのです。

■サンクチュアリ
 さて、この個展のタイトルは「サンクチュアリ」ですが、同名の作品が広い壁面に展示されていました。

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(油彩、綿布、パネル、97×260.6㎝、2016年。クリックすると、図が拡大されます。)

 こちらもまた異様な光景です。3人の少女が木に身を寄せ、腰を下ろしています。彼女たちを取り囲むように、白いウミヘビが枝に巻き付き、とぐろを巻いています。いまにも少女に襲いかかろうとしているウミヘビもいます。

 中央部分に焦点を当てて見ることにしましょう。

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(クリックすると、図が拡大されます。)

 3人のうち中央に位置する少女は、白いヘビの胴体や頭部に埋もれ、ほとんど顔しか見えません。その少女を、獰猛な表情のウミヘビが羽交い絞めにしてるようにみえます。さらに、少女の頭上からは別のウミヘビが襲い掛かろうとしています。いずれも口周辺に生えたヒゲは硬くて鋭利、そして、背ビレは先が尖っており、襲撃のための武器のようにも見えます。このようなウミヘビからは、当然のことながら、凶暴なイメージを抱かざるをえません。

 ところが、そのようなウミヘビに囲まれていながら、3人の少女の誰一人として、その表情に恐怖心は見られません。もちろん、悲壮感もありません。もっとも危険な位置にいる少女でさえ、むしろ、あどけない表情を見せています。ですから、少女と獰猛なウミヘビとが不思議なほど和気あいあいと、親交を温めているように見えるのです。

 描かれた光景が喚起するイメージと、メインモチーフの表情とがリンクしていないのです。おそらくその点に、私は違和感を覚えたのでしょう。そこで、この絵を読み解くカギは何かと思いを巡らせているうち、ふと、記憶の底から、「白蛇伝」が浮かび上がってきました。

 ひょっとしたら、この絵は「白蛇伝」をベースにして描かれたものではないでしょうか。そう思って、あらためてこの絵を見ると、大きな白いヘビが自由に泳ぎ回っています。その傍らで、少女たちは安心しきった表情で、のんびりと大きな木にもたれかかったり、腰かけたりしています。そして、足元にはピンクの花が満開です。

 このように別の視点で見てくると、次第に、この絵は「白蛇伝」をベースにしたものだと思えてきました。そうだとすれば、少女は白いヘビの化身なのです。そして、おそらく、この画面で描かれた光景は、ヘビの化身(少女)が好きな男性(ヒト)の命をよみがえらせるため、命の花を届けようとして嵐に巻き込まれ、海に落ちてしまったときのシーンなのでしょう。

「白蛇伝」は中国の民間説話で、1958年には東映動画がアニメ映画として製作しました。現在、DVDで見ることができます。

 少女と白いウミヘビ、そして、満開のピンクの花というモチーフは一見、取り合わせに違和感があるように見えますが、これが中国の民間説話を踏まえて制作されたとするなら、納得できます。ただ、その場合もなぜ、3人の少女が描かれているのかを説明することはできません。

 もちろん、3人の少女を描いたのは、ただ単純に、絵の構造上、必要だっただけなのかもしれません。ヘビを描くためには横長の構図が必要で、それには少女を3人、描かなければ絵としての強度が保てなかったのでしょう。

 この絵と中国の民間説話と関連づけて解釈すれば、愛のためなら、どんな犠牲もいとわないというメッセージが込められているといえます。これは、時空を超えてヒトが共有できる一つのセクシュアリティです。

■森の中
 一連の展示作品の中で、もっとも危なげがないと思ったのが、「森の中」という作品でした。

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(油彩、綿布、パネル、91×116.7㎝、2016年。クリックすると、図が拡大されます。)

 この絵もやはり、違和感を完全にぬぐいきることはできませんが、異形の要素がこれまで見てきた作品よりは少なく、一般的な観客からは受け入れられやすいでしょう。とはいえ、この絵にも篠原氏はさり気なく、気になる仕掛けを施しています。

 それは、魚の体から立ち上る白い液体のようなものです。そこだけが混じりけのない白で描かれているので、いっそう目立ちます。そのために、この絵もまた、安易な解釈が妨げられ、依然として気になる箇所は残りますが、絵としてはむしろ、メルヘンの世界のようなやわらぎがあります。

 それでは、この絵のメインモチーフにフォーカスしてみましょう。

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(クリックすると、図が拡大されます。)

 魚の剥製のようなものをマントのように羽織ったヒト、背を向けていますが、おそらく男性なのでしょう。少女のごく近くに顔を寄せ、互いに目を見つめあっています。ですから、少年と少女が巨大な木々の根元に潜み、愛を交わしているように見えます。

 一見、違和感のある、魚の剥製のマントは、着用している男性の属する部族の表象なのかもしれません。だとすれば、この絵はトーテミズムを踏まえて、制作されているといえます。この絵にさほど違和感を持たなかったのは、トーテミズムについては多少、馴染みがあるからでしょう。

 もっとも、よく見ると、少女の表情にはちょっとした違和感を覚えます。近寄る少年(?)に対し、少女は目を見張り、やや驚いたような表情を見せているのです。この表情の持つ意味を重視すれば、二人の姿勢から受け取った印象と至近距離で見た少女の表情が与える印象とは明らかな乖離があるといえます。

 ひょっとしたら、この絵はトーテミズムの禁を犯そうとしているシーンを描いたものなのかもしれません。だとすれば、この絵もまた、時空を超えたセクシュアリティのタブーに踏み込んだものといえます。

■篠原愛「サンクチュアリ」展にみるセクシュアリティ 
 今回、展示作品の中から、「月魚」、「サンクチュアリ」「森の中」を紹介してきました。「月魚」では、少女と魚との一体化、「サンクチュアリ」では、ヘビの化身としての少女、そして、「森の中」ではトーテムとしての魚と少女の愛(?)が描かれています。

 展示作品はみな2016年に制作されたものでしたが、会場の奥にただ一つ、2009年から2011年にかけて制作された作品が展示されていました。

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(油彩、キャンバス、162×130㎝、2009-2011年。クリックすると、図が拡大されます。)

 タイトルは「女のコは何でできている?」という作品です。これを見ると、篠原氏の緻密な画法はずいぶん以前から確立されていたこと、女性の在り方についてしっかりとした問題意識を持たれていたこと、などがわかります。

 その延長線上で、今回、展示された一連の作品が生み出されたのでしょう。以前の作品と比べると、今回の作品は、人類史の文脈に比重を置いて、セクシュアリティを描こうとされているように思いました。

 そういえば、「月魚」を紹介する際、 書き忘れていたことがあります。それは、穴の開いた蓮の葉と華麗に開いた蓮の花についての解釈です。これらは一見、たいした意味があるわけでもない背景に過ぎないように思えますが、実はこの絵を考える際、看過できないモチーフとして挙げておく必要があるでしょう。

 「月魚」では、穴の開いた無数の蓮の葉と、華麗に花開いた蓮の花がサブモチーフとして描かれています。背景もそれにふさわしく、黒い濁った褐色の泥水です。蓮の花は泥の中で育つといわれますから、これらのサブモチーフと背景はリンクしています。

 そこで、この絵のメインモチーフ(大きな魚と少女)を振り返ってみると、大きな魚は少女を襲い、そして、小さな魚も食い殺しています。殺生を繰り返し、生きてきたのです。罪深い穢れた存在だといっていいでしょう。その大きな魚と小さな魚、そして、少女を包み込むものが、背景としての濁った泥水であり、穴の開いた蓮の葉、美しく花開いた蓮の花でした。ここに宗教性が感じられます。

 この絵を見ていると、セクシュアリティは暴力行為と結び付いたものである一方、生の根源であり、宗教的源泉でもあることが示唆されているように思います。

 「サンクチュアリ」展では、今回取り上げなかった作品を含め、いずれの作品にも、現代社会ではアブノーマルと位置付けられるセクシュアリティが含まれていました。そのせいか、見ていて、どこかしら違和感があり、それが契機となって、絵に含まれている意味を読み解きたいという衝動に駆られてしまいました。

 考えてみれば、そもそも「サンクチュアリ」(Sanctuary)という言葉自体、アブノーマル、あるいは反社会的行為と無縁ではありません。そういう点で、とても刺激的で、興味深い個展でした。(2017/4/12 香取淳子)