ヒト、メディア、社会を考える

08月

いわき市立美術館で見た、心に残る作品

■常設展で見た辰野登恵子氏の作品
 いわき市に出かけたのは今回が初めてですが、街なかを散策中に、洒落た建物を見つけました。8月21日の午後、じりじりと照り付ける日差しを受けて、その建物はまぶしく輝いていました。近づいてみると、いわき市立美術館でした。誘われるように美術館に入っていくと、平成28年度常設展前期Ⅱとして、「美術館へようこそー絵画のすがた」と「常磐炭鉱~スケッチブックの記憶~」が開催されていました。

「美術館へようこそー絵画のすがた」のコーナーでは、内外の画家、彫刻家の作品24点が展示されていました。いずれもいわき市立美術館所蔵の作品で、いわゆる現代美術に分類されるものでした。

こちら →160329132537_0
(http://www.city.iwaki.lg.jp/www/contents/1001000005276/index.htmlより)

 このコーナーで私がもっとも惹きつけられたのは、上の写真には写っていませんが、辰野登恵子氏の『UNTITLED 95-8』です。深みのある鮮やかな赤で着色された巨大な図形がなんともいえない存在感で、観客に迫ってきます。奇妙な図形は、ヒトとヒトが対峙しているようにも見え、器具の一部のようでもあり、単なる記号のようにも見えます。

 何が描かれているのか、描かれていることにどのような意味があるのか、よくわかりません。絵を見たときヒトが条件反射的に求めてしまう意味が、この絵からは解読できなかったのです。ところが、この絵からは、ヒトの気持ちをゆさぶるような迫力と、生命に直結したようなエネルギーを感じさせられました。だからこそ、意味はわからないながらも、私はこの絵に惹きつけられてしまったのでしょう。

 会場では撮影できませんでしたので、ここでその絵をお見せすることはできません。後で、インターネットで検索してみると、似たような作品を見つけることができました。この作品の後に描かれたと思われる作品です。

こちら →UNTITLED 95-9
(http://xn--zck9awe6d.jp.net/wp-content/uploads/2014/09/561.jpg より。図をクリックすると拡大します)

 一見しただけでは展示作品かと思ってしまうほど、よく似ています。ですが、よく見ると、メインモチーフの形状や色遣い、背景の形状や色遣いが微妙に異なっています。辰野氏はおそらく、展示作品(UNTITLED 95-8)のどこかに満足できずに、その直後、この『UNTITLED 95-9』を制作したのでしょう。背景の模様の色遣いが展示作品よりも多様になっていますし、メインモチーフの色遣いがフラットになっています。

 私はどちらかといえば、展示作品(UNTITLED 95-8)の方が好きです。メインモチーフの色遣いに深みがあり、陰影の付け方に濃淡があって、この奇妙な図形の存在感が強調されていたからです。背景の模様の色遣いがコントロールされていることも、メインモチーフを引き立たせる効果がありました。

 具体的に何を表現しているのか、解釈は観客に委ねられています。それだけに、モチーフの形状や色彩だけでなく、背景の形状や色彩も大きな意味を持ってきます。『UNTITLED 95-8』の場合、背景の色遣いが『UNTITLED 95-9』よりも制限されているので、この模様が青い海に浮かぶいくつかの島のように見えます。地球を俯瞰するような構図を背景に、存在感のあるメインモチーフが配置されているといっていいかもしれません。

 ですから、マクロ的にもミクロ的にもヒトと地球とのかかわりが示唆されているように見えますし、ヒトとヒト、ヒトと社会が捉えられているようにも見えます。多様な意味を引き出せそうな作品なのです。私はしばらくこの絵の前で佇んでいました。それだけ、この作品には根源的な迫力があり、このコーナーではとても目立っていました。

■いわき市と常磐炭田
 1Fの展示コーナーに入ってすぐ左手に、もう一つの常設展、「常磐炭鉱~スケッチブックの記憶~」が開催されていました。このコーナーでは炭坑をテーマに制作された作品37点が展示されており、異彩を放っていました。いわき市に関係する美術家12名が制作したもので、いずれも同館所蔵の作品です。

 鉛筆画、コンテ画、水彩画、油彩画、リトグラフ、さらにはセメントによる塑像など、技法も異なれば材質も異なる多様な作品群です。炭坑をモチーフにした37点が集中して展示されているこのコーナーには、地元の美術館ならではの郷土愛が感じられました。

 私はあまりよく知らなかったのですが、福島県いわき市はかつて殖産産業であった炭鉱で栄えていたようです。いわき駅の観光案内所でもらった何枚かのチラシに、「いわき市石炭・化石館 ほるる」がありました。ここでは、いわき市が産炭地として栄えた当時の資料と、市内で発掘された動植物の化石等が展示されています。JR湯本駅から徒歩10分のところにあります。

こちら →http://www.sekitankasekikan.or.jp/about/about.html

 そういえば、子どものころ、社会科の授業で常磐炭田について学んだような気がします。言葉だけ記憶していた常磐炭田が、いわき市を含むこの地域一帯を経済的に支え、繁栄に寄与していた時期があったのです。

 展示作品は、炭坑やそこで働くヒト、炭坑を取り巻く町、などをモチーフにさまざまな観点から制作されていました。そのせいでしょうか、描き方の巧拙にかかわらず、どの作品にもヒトを立ち止まって見入らせる力がありました。生活に根差したリアリティが画材を通して立ち上ってきていたからでしょう。

 このコーナーの展示作品からは、何が描かれているのか、作品を通して作家が何を伝えようとしているのかが直に使わってきました。そして、程度の差はあれ、どの作品からも、生活実態を踏まえた生命力のようなものが滲み出ていました。ヒトと社会のありようを示唆する作品もありました。

■中谷泰氏の作品
 このコーナーでまず、印象に残ったのが、中谷泰氏の作品でした。『炭坑町』(油彩、100×91㎝、1958年)という作品です。

こちら →炭坑町
(https://www.hakkoudo.com/ninki-sakka/%E4%B8%AD%E8%B0%B7%E6%B3%B0/より。図をクリックすると拡大します)

 左上方に描かれた茶色のボタ山に対比するように、2本の煙突を挟んで、右上方に緑の残る鉱山が描かれています。その下には人々の暮らす家々が描かれており、鉱山とそこで働く人々の生活が示唆される構図です。

 煙突からはもくもくと黒い煙があがり、空も黒ずんで見えます。この絵の中でヒトの姿は描かれていませんが、煤煙の空の下で暮らす人々の悲惨な生活が容易に想像できます。ここでの生活は大気汚染など気にしていられないほど苛酷なものだったのかもしれません。

 右上方に描かれた山は左側のボタ山よりも手前にやや小さく、緑色で描かれています。かつてはこのような緑の木々に覆われていた山が石炭の発掘が繰り返され、やがて、左のボタ山のように茶色になってしまうということが示されているような気がします。観客にしてみれば、ここに緑の山が描かれていることで、ほっとした気持ちになります。

 ネットで調べると、この作品にとてもよく似た『炭坑』(油彩、1956年)があることに気づきました。

こちら →

5.0.2 JP

5.0.2 JP


(http://search.artmuseums.go.jp/gazou.php?id=5166&edaban=1より。図をクリックすると拡大します)

 この作品では、『炭坑町』には描かれていなかったヒト(手ぬぐいを頭に巻いた女性)が描かれています。しかも、右上方の山が緑色ではなく茶色で、そこには山頂に続く道も描かれています。ですから、この絵では、右上方の山もボタ山なのです。二つの大きなボタ山の下で、煤煙に包まれて働く人々の暮らしがこの絵のモチーフになっています。全体が黒っぽい茶色で覆われているので、この絵からは救いようのない辛さが感じられます。

 『炭坑』の制作年が1956年、『炭坑町』の制作年は1958年です。つまり、中谷氏は『炭坑』に満足しきれなくて、その後、『炭坑町』を制作したのだと思われます。

 同じモチーフを扱いながら、この二つの作品には描き方が異なっており、そこに中谷氏のモチーフに対する気持ちの変遷を見ることができます。『炭坑』が炭坑で働く人々の暮らしを見たまま描くことによって、この絵に批判を込めたのだとすれば、『炭坑町』の方は、直接的な批判色を薄め、あるべき姿を提示することによって間接的に批判をしているといえます。

 右のボタ山を敢えて緑色にし、ヒトの姿を消すことによって、婉曲的な批判に変容しているのです。ですから、同じモチーフを扱いながら、『炭坑町』の方が深みのある作品になっており、観客に訴える力も増していると思います。

 中谷氏がモチーフにしたのではないかと思われる風景写真をネットで見つけました。

こちら →top-img
(http://tankouisan.jp/より。図をクリックすると拡大します)

 この写真を見ると、中谷氏が最初は見たままのボタ山の光景を描き、その後、修正を加えたのだということがわかります。そうすることによって、絵としての陰影を刻み、画面に深みを増すことができているように思いました。

 さて、一連の作品の中で、私がもっとも惹かれたのは、中谷泰氏の『春雪』(油彩、91×100㎝、1960年)という作品です。

こちら →春雪
(http://machinaka.cocolog-nifty.com/blog/cat44385196/より。図をクリックすると拡大します)

 まず、絵として美しいと思いました。白の占める面積が大きいからでしょうか、墨絵のような美しさがあります。ここには煤煙はなく、ボタ山もそのふもとの家々も雪で覆われています。そのせいか、この絵には清らかささえ感じられます。良いも悪いもすべて雪によって包み込まれているからでしょう、諦念にも似た静けさと調和の下で黙々と働くヒトの暮らしが透けて見え、限りない愛おしさを感じさせられました。

■現実の超克と生きる力
 思いもかけず立ち寄ったいわき市立美術館で、辰野登恵子氏と中谷泰氏の作品に出会いました。辰野氏の作品からは、俯瞰の構図を背景にしたモチーフに巨大な生命力を見ました。そこには観客を捉えて離さない、モチーフの色彩と形状、それを支える背景の色彩と形状から生み出される迫力がありました。

 中谷泰氏の作品からは、社会批判の形にさまざま様相があることを教えられました。『炭坑』では直接的に、『炭坑町』では間接的に社会批判につながる表現がなされていました。両作品ともボタ山をメインにした光景から、大気汚染に晒され、苛酷な労働を強いられる炭坑の町のヒトの生活が浮き彫りにされています。ですから、見ていると、自然に社会批判の意識が立ち上ってくるのです。

 ところが、『春雪』ではその種の社会批判を超えた、ヒトと人生、あるいは、ヒトと自然といったようなものが見えてきます。雪で覆われたボタ山の光景が、目の前の現実を俯瞰する構図で捉えられているからでしょう。

 こうして見てくると、辰野登恵子氏の作品からも中谷泰氏の作品からも、現実の超克とその暁に得られる生きる力というものが見えてくるような気がします。たまたま訪れたいわき市で思いもよらず、素晴らしい作品に出合いました。(2016/8/24 香取淳子)

第17回日本・フランス現代美術世界展で見たLOILIER Hervé氏 の作品

■第17回日本・フランス現代美術世界展の開催
 JIAS日本国際美術家協会主催の「第17回日本・フランス現代美術世界展」(会期は2016年8月3日から8月14日)が、国立新美術館3A展示室で開催されています。8月9日、たまたま六本木に行く用事があったので、立ち寄ってみました。

 会場では油彩、水彩、アクリル、写真などさまざまなジャンルの作品(海外作品81点、国内作品300点余)が展示されていました。ここでは、油彩画として印象に残った作品を紹介することにしましょう。

■ LOILIER Hervé氏 の『タージ・マハルの夕べ』
 海外作品の展示コーナーでまず目についたのが、LOILIER Hervé氏 の『タージ・マハルの夕べ』です。モチーフを捉えた力強い構図、洗練された色遣い、自由奔放なようでいて実は非常に繊細なタッチ、思わず引き込まれて見てしまいました。

 この作品を仮にAとしましょう。

こちら →A
(80×80㎝、キャンバス、油彩、クリックすると図が拡大します)

 この作品(A)には、絵画ならではの魅力、さらにいえば、油彩画ならではの魅力が満ち溢れていました。キャンバスに油彩という表現方法だからこそ持ちうる最大限の魅力が引き出されていたのです。立ち止まって見ているうちに、なぜかマクルーハンの「メディアはメッセージだ」という箴言が思い出されてきました。

 マクルーハンといえばテクノロジーとヒトや社会との関わりを省察し、世界に一躍、名を馳せたメディア学者です。絵画とはなんのゆかりもありません。それなのになぜ、この絵を見て、そのような箴言が思い浮かんだのか、不思議です。しばらく思いを巡らせてみることにしましょう。

 この絵を見るとたしかに、キャンバスと油絵具という媒体(メディア)によって、色彩の深みと層の厚さに支えられた優雅さが表現されていました。だからこそ、私は油彩画の本質につながる何かをこの作品から感じさせられたのでしょう。ですから、モチーフとこの作品との関係を丁寧に辿ってみると、ひょっとしたら、油彩画の本質の一端を浮き彫りにできる可能性も期待できます。

 ネットで調べてみると、H. LOILIER氏はタージ・マハルをモチーフにいくつか作品を手掛けているようです。写真とそれらの作品、そして、今回の展覧会で見た『タージ・マハルの夕べ』を比較検討してみると、何か見えてくるものがあるかもしれません。

 ちなみに、フランスのWikipédiaを見ると、LOILIER Hervé氏は1948年生まれのフランス人で、2012年までエコール・ポリテクニークの視覚芸術科で教えていたようです。

■写真で見るタージ・マハル
 まず、タージ・マハルという、この作品のモチーフを写真で見てみたいと思います。

こちら →133345536582791 (1)
(https://plus.google.com/+IndiatourinautTajmahal/postsより。クリックすると図が拡大します)

 被写体をレンズで機械的に捉えると、このようになります。確かに荘厳で美しく、大理石で建造された建物の持つ迫力が伝わってきます。現地に赴いてこの建物を見ると、実際、このように見えるのでしょう。前庭、水面を含めると、左右上下対称の幾何学的なレイアウトが見事です。

 旅行会社のチラシなどでよく見かけるタージ・マハルは、インド・イスラム文化の代表的な建造物で、世界遺産にも登録されています。いまでは誰もが知っている有名な観光地になっていますが、実は墓所です。ムガル帝国の第5代皇帝が1631年に死去した妃を偲び、贅をつくし、22年もの歳月をかけて、1653年に完成したのがこの霊廟なのです。

 霊廟とはいいながら、白亜の宮殿のようにも見える華麗さに驚きますが、この建物が、愛する妃を偲んで建設されたと聞けば、納得できます。ですから、絵のモチーフとしてタージ・マハルを描く場合、第5代皇帝の妃への深い愛、妃の優雅さ、華麗さなどが表現されていなければなりません。建物の荘厳さを描くだけではなく、優雅、華麗といった要素を描き込むことが不可欠なのです。

 ところが、被写体を機械的に写し出すだけの写真で、優雅、華麗といった要素を表現するのは容易なことではありません。H. LOILIER 氏もさまざまな試行錯誤を経て、この作品に到達したのでしょう。それが証拠に、この作品以前に描かれたいくつかのタージ・マハルの絵には、表現に苦労し、変更を重ねた痕跡が残されているのです。

■LOILIER Hervé氏 の“Taj Mahal”
 H. LOILIER氏には“Taj Mahal”(キャンバスに油彩、60×60㎝)と題された作品があります。

 この作品を仮にBとしましょう。

 こちら →B
(http://www.galerie-saint-martin.com/artiste.php?id_artiste=74&PHPSESSID=af5aa6fe174890a1ec5d3416b416a424より。クリックすると図が拡大します)

 この作品の制作年はわかりませんが、『タージ・マハルの夕べ』(A)とは明らかにモチーフのレイアウトが異なります。

 写真を見るとよくわかるのですが、タージ・マハルでは基壇の上に立つ墓廟の四隅に4つの尖塔があります。Wikipediaによれば、これらの尖塔は、「皇妃に使える4人の侍女」に譬えられるとされています。墓廟が皇妃だとすれば、尖塔は侍女だというのです。

 ところが、この作品では尖塔が真ん中と左端に描かれており、この尖塔によって画面が分割されています。ですから、強く印象づけられるのは墓廟ではなく、この2本の尖塔なのです。

 そして、尖塔と墓廟は、水平線を挟んで上下対称の構図になっています。地上部分と水面部分の割合がほぼ同じなのです。地上部分は前方に尖塔が描かれ、墓廟は後方に描かれています。そして、墓廟の上の丸屋根はやや小さく描かれていますから、墓廟よりも尖塔の方が強く印象づけられます。

 一方、水面部分は逆さに映ったモチーフがラフに描かれており、墓廟よりも尖塔の方がその形態がはっきりした描き方になっています。ですから、ここでも尖塔の方が際立って見えます。

 時刻はやはり夕刻なのでしょう、残照の輝きが空にも水面にも広がっています。青を基調とした色遣いで建物が描かれているせいか、暮色の光景の方が強く印象付けられます。逆に、タージ・マハルの荘厳さ、優雅さ、華麗さが希薄になっています。

 こうして見てくると、同じモチーフを扱いながら、『タージ・マハルの夕べ』の方がはるかに優雅で美しくタージ・マハルが捉えられ、思わず引き込まれてしまう魅力が醸し出されていることがわかります。

■LOILIER Hervé氏 の“TAJ MAHAL AU LEVANT”
 H. LOILIER氏にはこれ以外にもまだタージ・マハルを扱った作品があります。“TAJ MAHAL AU LEVANT”(キャンバスに油彩、92×73㎝)という作品です。

 この作品を仮にCとしましょう。

こちら →C
(http://www.galerie-saint-martin.com/artiste.php?id_artiste=74&PHPSESSID=af5aa6fe174890a1ec5d3416b416a424より。クリックすると図が拡大します)

 これも制作年はわかりませんが、モチーフのレイアウトは『タージ・マハルの夕べ』により近づいています。墓廟に尖塔が2本というモチーフに変わりはありませんが、そのレイアウトが“Taj Mahal”(B)とは異なっています。

 墓廟を左半分に収め、尖塔を小さくし、墓廟の丸屋根が大きく描かれています。そして、水面ははっきりとは描かず、地上の建物に力点を置いて描かれています。このような描き方によって、Bよりも墓廟が強調された構図になっています。

 画面全体は黄色を基調とした色遣いで、ラフスケッチのようにも見えますが、青を基調とした“Taj Mahal”よりも、優雅さが生み出されています。おおざっぱな筆のタッチによって、柔らかさ、優美さが表現されているのです。

■LOILIER Hervé氏 の“Taj Mahal”
さらに、次のような作品もあります。これは制作年も作品サイズもわかりません。署名も入っていませんから、ひょっとしたら、下描き段階のものなのかもしれません。

 この作品を仮にDとしましょう。

こちら →D
(http://www.lechorepublicain.fr/eure-et-loir/actualite/pays/le-perche/2013/05/18/vente-de-tableaux-modernes-et-de-bijoux-cet-apres-midi_1554934.htmlより。クリックすると図が拡大します)

 この作品も、モチーフは墓廟と2本の尖塔です。先ほどの“TAJ MAHAL AU LEVANT”(C)に極めて近い構図です。ただ、この作品にはまだ水面が明らかに認識できる形で描かれており、曖昧ではありますが、2本の尖塔が水面に写り込んでいるのがわかります。

 しかも、尖塔が手前にはっきりと描かれていますから、かなり目立ちます。おそらく、作品Dは、“Taj Mahal”(B)の後に描かれ、Dが描かれた後、“TAJ MAHAL AU LEVANT”(C)が描かれたのでしょう。『タージ・マハルの夕べ』(A)に近いものがあるとはいえ、構図の面からいえば、まだ墓廟に力点が置かれていないところに絵としての弱さがあります。

 このように写真とタージ・マハルを扱った作品A、B、C、Dを比較してみてくると、H. LOILIER氏がさまざまに試行錯誤しながら、『タージ・マハルの夕べ』(A)に至ったことがわかります。制作年がわからないので、はっきりしないのですが、おそらく、B →D →C → Aという順で描かれたのでしょう。この試行錯誤の過程では、①構図、②色彩、③水面の扱い、という側面を中心に、H. LOILIER氏がその都度、変更し、修正を加え、完成度を高めていったことがわかります。

■構図の変遷過程
 一連の作品の主なモチーフはタージ・マハルの墓廟と2本の尖塔です。作品Bは右寄りに墓廟を配し、2本の尖塔によって画面が半分に切り取られる構図です。ですから、尖塔がとても強く印象づけられます。しかも、水平線で地上と水面に分けられ、水面に写り込んだ尖塔がはっきりと描かれているので、画面全体がこの2本の尖塔によって断絶させられている印象です。

 作品Dではこの構図が変更されています。墓廟は左寄りに配され、2本の尖塔は左右に不均等に配されています。しかも、地上と水面の割合は均等ではなく、水面部分が3分の1に抑えられています。このような修正によって、墓廟が強調され、丸屋根が印象づけられるようになります。優雅さ、華麗さを表現できる部分が強く押し出されるようになっています。

 作品Cでは作品Dの構図を引き継ぎながら、左水平線の位置をやや高く、2本の尖塔の高さを墓廟の高さよりも低く、変更しています。さらに水面部分を曖昧に描くことによって、水面に映り込むはずの尖塔の存在感を弱めています。ですから、墓廟がより強く印象づけられるようになりました。

 作品Aでは、作品Cの構図を踏まえ、右遠景にあった尖塔を削除し、変わりに丸屋根の建物を配しています。このような変更のおかげで、優雅さ、優美さが生み出されました。墓廟の丸屋根も大きく修正され、柔らかさが強調された構図になっています。

 さらに、仰角で捉えた構図には威厳が感じられます。これまでの作品では水面として扱われていた画面の半分ほどを、曖昧な形態のまま建物の前景として配置し、見るヒトに仰ぎの姿勢を取らせています。そして、丸屋根部分が大きく描かれています。仰ぎの構図で、しかも、天上に近い丸屋根が大きく描かれているせいか、霊性が強調されているように思えます。

 構図の変遷過程を見ていくと、H. LOILIER氏が優雅、華麗、優美といった方向でモチーフの形態とレイアウトを変更し、修正を加え、さらに、墓廟、とくに丸屋根部分を仰角で捉える構図にすることによって霊性、威厳、荘厳といった要素を付加していったことがわかります。

■色彩の変遷過程
 作品Bは青を基調とした色遣いで建物が着色されており、総大理石の建造物ならではの堅牢で荘厳な印象が醸し出されていました。墓廟と2本の尖塔の配置、水面に映し出されたそれらの影、左右、上下対称に描かれた構図が格調の高さ、威厳を表しています。夕日に暮れなずむタージ・マハルの姿としても美しく、それなりに調和の取れた作品であることは確かです。

 ただ、優雅、華麗、優美といった要素は表現されていません。タージ・マハルを建造した第5代皇帝がもっとも表現したかったであろうものが描き切れていないのです。

 作品Dは、青味が薄められ、黄色部分がより多く、明るく変更されています。その結果、華やかさ、柔らかさ、優しさといった要素が浮き出ています。尖塔はより明るくされ、水面に映る影も曖昧にされており、存在感が弱められています。

 作品Cは、手前の尖塔の位置をやや右に移動し、丸屋根を損なわないようレイアウトされています。墓廟や尖塔は黄色を中心とした暖色系で覆われ、より優雅、華麗、優美といった要素が強調されています。

 そして、作品Aは作品Cの色構成を踏まえたうえで、茶、オレンジで墓廟や尖塔の稜線が着色されています。おかげで、女性らしい柔らかさと優雅さ、華麗さが演出されています。その一方で、丸屋根や墓廟の入口、窓など、影になる部分に濃い青が配色されています。影部分の濃淡の付け方に深みがあり、味わい深い夕刻の陰影が見事に捉えられています。

■水面の扱い
 作品Bでは、水面に映る墓廟や尖塔の影がしっかりと描かれています。約半分の割合で配置されているからでしょうか、それぞれのモチーフが左右上下対称に描かれているようにも見えます。ところが、作品Dになると、水面の割合が減少し、それに伴い、映じた部分も少なくなっているので、見るヒトの視線は地上の建物に向きます。そして、作品Cは、水面部分の割合は増えているのですが、水面部分が曖昧に処理されているので、観客は地上の建物を仰ぎ見る姿勢となり、自然に建物の威厳が醸し出されています。

 作品Aは、水面に建物の影はいっさい描かず、寒色系、暖色系を微妙に使い分けながら、夕陽の差し込む水面の深い濃淡を描いています。空も同様、右上方を濃いグレーでシャープな濃淡をつけながら色付けしています。そのおかげで、地上も空も水面も乱反射する夕陽の光が的確に捉えられています。夕刻のタージ・マハルを深く、美しく描く効果が生み出されているのです。

■油彩画『タージ・マハルの夕べ』
 会場で見た『タージ・マハルの夕べ』(A)には、第5代皇帝の妃への思いが見事に表現されているように思えました。これまで見てきたように、H. LOILIER氏が試行錯誤を重ね、構図、色彩、水面の扱いなどに微妙な変更を加えていったからでしょう。

 写真と比較してみると、この建物がもつ気高さと崇高さは深い青と白を基調とした色遣いによって表現されていることがわかります。影になる部分に深青系の色をあしらい、建物の稜線には暖色系の色を使っています。そのせいか、この建物には毅然とした崇高さに加え、優雅な美しさが感じられます。色彩の重ね方、荒いタッチなどに油絵ならではの表現技法が反映されているといえるでしょう。

 右遠方の丸屋根の背後には燃えるような黄色を配し、その上方には陽が落ち今まさに暮れようとする暗い色調で描かれています。夕べのタージ・マハルに思いを重ねるヒトの心にぴったりと沿うように、空も水面も建物も、多様な色相を描き分けています。いずれも写真では表現できないものです。H. LOILIER氏のフィルターを通して捉えられた独自のものだということがわかります。

 それはおそらく、H. LOILIER氏がさまざまな色を思いのままにキャンバスに載せ、それぞれの個性を際立たせながらも調和を生み出し、タージ・マハルの優美さを引き出していたからでしょう。そのような芸当は水彩画ではなく、アクリル画でもなく、もちろん、写真でもなく、油彩画だからこそ可能だったのではないかと思います。

 油彩画の本質の一端を垣間見ようとして、タージ・マハルをモチーフとしたH. LOILIER氏の作品を見てきました。多様な色彩の重ね塗り、ラフな筆致による微妙な陰影づけ、補色関係にある色彩の配置による奥行き感の演出など、油絵でしかできない表現によって現実を超えた世界を生み出せることがわかりました。まさに、キャンバスに油絵具という媒体(メディア)によってしか表現できない世界です。

 マクルーハンはテクノロジーとヒトとの関係、社会との関係を省察してきましたが、媒体(メディア)の役割についてはこの絵にも適用できるものだと思いました。(2016/8/17 香取淳子)