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超高齢社会の日本、デジタルガバメントへの移行は可能なのか。

■日本・エストニア、デジタルガバメントフォーラムの開催
 2019年6月12日、日経ホールで「日本・エストニア;デジタルガバメントフォーラム」が開催されました。最近、デジタルファースト法案が成立しましたが、果たして、日本はデジタルガバメントに移行できるのかと思っていました。ですから、新聞でこのフォーラム開催を知ったとき、タイトルに引かれ、参加することにしたのです。

 行ってみると、参加者の圧倒的多数は中壮年の男性で、女性はちらほらと見かける程度でした。

こちら →
(フォーラム開始前の会場風景。図をクリックすると、拡大します)

 おそらく、行政、企業、研究者なのでしょう、ダークスーツにノートパソコンにスマホといった典型的なスタイルの男性たちが次々と入場し、開始直前にほぼ満席になりました。タイムリーなテーマだったし、今後の日本社会を決定づける重要なテーマだったからかもしれません。

 このフォーラムは、①講演を通しての情報提供、②分科会での討議、③提言につなげるパネルディスカッションといった具合に、朝10時から夕方5時50分まで、全体が三部構成で組み立てられていました。登壇者と参加者が情報を共有しながら、討議を行い、最終的にデジタルガバメントに向けた提言を行うという流れになっていました。

 分科会は、①「エストニアでデジタル化ができて、なぜ日本にできないのか?」、②「どうすれば進む!日本社会のデジタル化!」、③「世界へ発信していく日本のデジタル社会の姿とは?」など、三つ設定されていました。

 私は分科会①に出席したかったのですが、どうしても避けられない用事があって、残念ながら午後の部からは退席せざるをえませんでした。

 当日の様子は後日、日経新聞で報道されるということでしたので、紙面で内容を捕捉したいと思いますが、私が見聞きした限りでいえば、とても充実した内容だったので、印象に残ったところを中心にご紹介していくことにしましょう。

■digitizationからdigitalizationへ
 最初に、印象に残ったのが、情報通信技術政策担当、内閣府特命担当大臣であり、日本エストニア友好議員連盟の平井卓也氏のお話しでした。

 平井氏はまず、10歳の女の子がクラウドファンディングで資金を集め、エストニアに行ってロボティックの研究をしたいという事例を紹介されました。そして、多くの子どもたちが今、デジタル化に大きな関心を寄せるようになっており、いわゆるデジタル・ネイティブ世代のポテンシャルが想像以上に高いと報告されたのです。子どもの頃からスマホとともに生きてきた世代にとっては当然のことなのかもしれませんが、私もこれを聞いて驚きました。

 次に、令和(beautiful harmony)の時代を生きる日本の次世代は、高齢世代とうまく調和しながらSociety5.0 を作り上げていくことが大切だと述べられました。それこそが、beautiful harmonyの精神だというのです。実際、少子高齢化が今後も続く日本では、人口の4割が65歳以上、50歳以上が6割という状態がしばらく続きます。したがって、次世代が高齢世代を取り込みながら、デジタル化を進めていく必要があるのです。

 世界でも突出して高齢化率の高い日本は、このままではデジタル後進国になりかねません。まさにピンチとしかいいようのないのが現状ですが、だからこそ、それをチャンスに変えていく必要があるというのが平井氏の主張でした。

 まずは行政のデジタル化を進め、イノベーションを起こし、さまざまな社会的課題を対処していくことが肝要で、そのためには、マインドセットを変えていく必要があるというのです。

 マインドセットという聞き慣れない言葉を聞いて、調べて見ると、どうやら、ベストセラーになった“MIND SET”(『マインドセット』、キャロル・S・ドゥェック著、今西康子訳、2016年)から来ているようでした。その意味は思考様式といったようなものですから、これまでとは考え方を変えて、行政改革に取り組まなければならないということでした。つまり、行政のデジタル化を進めるといっても、今の行政組織をそのままデジタル化するのではなく、新しいインフラを構築する覚悟で臨まなければならないということなのです。

 平井氏はさらに、エストニア政府関係者が2013年頃に言われた言葉として、digitizationが重要なのではなく、digitalizationが重要だということを紹介されました。digitizationとdigitalizationとは似たような言葉ですが、その意味が異なります。今、必要なのは、digitalizationなのだという指摘でした。digitalizationは単なるデジタル化ではなく、デジタル化されたデータを利活用し新たな価値を創り出すことまで含まれているのです。

 聞いていて、ふと、2000年頃、globalizationとglobalizationとの違いが議論されたいたことを思い出しました。あの頃は“global”という言葉を軸に世界が動いていたのです。翻って今、“digitalization”という流れの中で世界が大きくうねり始めています。改めて、“digital”をキーワードに、新たな時代に突入しつつあることを実感させられました。

 さて、マイナンバーカードのお手本にしたのはエストニアのIDカードだったそうです。さらに、サイバーセキュリティに関しても、日本はタリン協定に参加し、防衛省からエストニアに人材を派遣し、digitalization下の安全対策を進めているそうです。調べて見ると、『防衛研究紀要21』に河野桂子氏が<「タリン・マニュアル 2」の有効性考察の試み>というタイトルの論文を書いていました。

「タリン・マニュアル 2」とは、サイバー活動に適用される国際法に関する文書のことで、2017年2月5日、NATOのサイバー防衛センターによって発表されました。これに関しては、発表後、ワシントンDC、デン・ハーグ、タリンなどで評議会が開催され、国際的に立ち上げられたといいます。

こちら →https://the01.jp/p0004346/

 この「タリン・マニュアル 2」は、2013年に発表された「タリン・マニュアル1.0」に続くものだそうですが、この「タリン・マニュアル1.0」は当時、サイバー空間で行われる戦争に既存の国際法をどのように適用できるのかを最も包括的に分析した文書だといわれていたようです。

こちら →
https://www.securityweek.com/security-think-tank-analyzes-how-international-law-applies-cyber-war

 核攻撃ばかりではなく、サイバー攻撃の脅威が現実のものになっている今、新たな手段の攻撃に対しどう対処するか、国際的な指針が必要になってきているのです。行政のデジタル化を進めてきたエストニアはいち早く、その指針作成にも取組んできたようです。私たちが知らないところで着々とデジタル化に対応して国家戦略が展開されていることがわかります。

 さて、このフォーラムにはエストニアから13名が参加されていましたが、最初に登壇されたのが、経済通信副大臣のヴィルヤ・ルビ氏でした。ルビ氏は世界がデジタル化によって再編成されるにつれ、国境がなくなっていくとともにサイバー攻撃の恐怖も増大しているといいます。そんな中、エストニアが提供するe-government academyは世界130ヵ国と協業しており、日本とエストニアの関係は近年、とても緊密なものになっているといいます。Society5.0の下では、常に学び続けること、共に学び合うことが基本だといいます。

 それでは、e-Government Academyとはどういうものなのでしょうか。

■e-Government Academy
 まず、e-Government Academy戦略・開発担当副ディレクターのHannes Astok氏、続いて会長のArvo Ott氏のお話しがありましたが、両氏を含むチームメンバーについては下記に紹介記事がありました。

こちら → https://ega.ee/team/

 さて、Hannes Astok氏は講演の中でまず、45年前のエストニア人夫婦の写真を提示し、続いて、これを加工し、彼らの前にパソコンとケーブルを置いた写真を提示し、これが今の状況だと説明しました。

こちら →
(“Estonian e-government ecosystem: analogue and digital elements”より。図をクリックすると、拡大します)

 9世紀の写真を加工し、2016年の技術環境に変更したのが上の写真ですが、今や普通の人々がパソコンを操作し、調べものをし、スカイプで話し、ユーチューブの映像を見て楽しむようになっているのです。

 このように国民がさまざまなデジタルデバイスを使っているのなら、行政もまたデジタル化し、生活改善に寄与できる方向に変えていく必要があると考え、エストニアは行政のデジタル化に着手したといいます。もっとも行政にはアナログの要素とデジタルの要素がありますから、それを見極めながら、国民がいつでもどこでも行政サービスを受ける環境を創り出すことが大切だと指摘します。

 これについてはHannes Astok氏が作成した、“Estonian e-government ecosystem: analogue and digital elements”と題するパワーポイントの資料がありましたので、ご紹介しておきましょう。

こちら → 
https://www.itu.int/en/ITU-D/Regional-Presence/AsiaPacific/Documents/Events/2017/Sep-SCEG2017/SESSION-1_Estonia_Mr_Hannes_Astok.pdf#search=’eestonia+ecosystem’
 
 さらに、e-GovernmentについてはHannes Astok氏による紹介冊子がありました。

こちら → https://ega.ee/publication/introduction-to-e-government/
 
 さて、日本のマイナンバーカードはエストニアのIDカードを参考にして作成されたといいます。どのようなコンセプトを参考にしたのでしょうか。

 このIDカードについてもHannes Astok氏が説明してくれました。

■Estonian ID card
Hannes Astok氏は、行政のデジタル化を進めるに際し、想定されるボトルネックに対処するには、ワンストップサービスを提供することだといいます。そのためには、すべての行政サービスに関する情報をデジタルフォーマットに変換する必要があり、その一方で、国民を確認し承認するためのIDカードが必要だというのです。

 エストニアでは2002年からエストニア国民ID(国民識別番号)カードが発行されました。対象者はエストニア国民とエストニアへの移住者です。

 カードの表側には、所有者の写真、所有者の自筆署名、所有者の氏名、所有者の国民ID番号、所有者の生年月日、所有者の性別、所有者の市民権、カード番号、カードの有効期限が記載されています。

 そして、裏側には、所有者の出生地、カードの発効日、その他、居住許可に関する項目等々、表裏の印刷データを機械的に読み取り可能なフォーマットに変換した文字列が記載されています。
 
 個人を特定する重要な情報が入っているわけですから、このカードは技術的、法的、サイバーセキュリティその他の面で安全なものにしなければなりません。そこで15年前に開発されたのが、X-Roadです。分散システムの中で作動するX-Roadというデータ交換基盤が整備されたので、安全なのだそうです。

 それがスマホの普及によって、mobile ID、smart IDといった具合に、技術の進展に応じてカードも進化してきました。それに伴い、国民のアクセスも大幅に向上したといいます。それによって行政手続きのコストが大幅にカットされ、1720億円が節約されたといいます。人口125万7000人のエストニアでそうなのですから、1億2000万人余のにほんではさらに大きな節約が可能になるでしょう。

 もちろん、税の申告も電子申請になっていますから、いまではほとんどの国民がオンラインで税申告をするようになっているようです。

■tax declaration online
 e-Government Academy会長のArvo Ott氏は、2000年以降、税の申告もオンラインで行っており、2011年以降はほぼ100%が電子申請を行っているといいます。申請については下記のような手続きをするようです。

こちら → https://thisestonianlife.com/taxes-online-estonia/
 
 ただし、これをスムーズに進めるためには、国民が不安を抱かないように、プライバシー、セキュリティについて保証して進めることが必要だといいます。

 エストニアでは税の申告だけではなく、金銭取引、事業登録などもすべてオンラインで処理できるようになっているようです。

こちら → https://e-estonia.com/solutions/business-and-finance/e-tax/

 これを見ると、会社設立の98%、銀行取引の99%、税申告の98%がオンラインで行われていることがわかります。このことからは、行政サービスのオンライン化と合わせて民間サービスのオンライン化を行い、相互にやり取りができるようになっていることがわかります。

 エストニアではこのように事業や財政のオンライン化によって一貫したサービスが可能になっています。人々にとっては利便性が図られ、行政や民間事業主にとっては利便性ばかりか、無駄な経費がかからなくなりますから、大幅な節約ができます。

 こうしてみてくると、日本がエストニアに倣ってマイナンバーカードを創設した理由もわかってきます。行政サービスのオンライン化のために、個人認証手段としてのマイナンバーカードは不可避なのです。

 少子高齢化がさらに進み、医療負担、年金負担が今後さらに高まっていくことを考えれば、手続きにかかる無駄な経費は省いていくのが当然だということはわかりますが、果たして、日本で行政サービスのオンライン化は可能なのでしょう。

■超高齢社会の日本、デジタルガバメントへの移行は可能なのか。
 2019年5月、デジタルファースト法案が成立しました。さらに、2019年6月4日、政府はデジタルガバメント閣僚会議でマイナンバーカードの普及促進のための総合対策をまとめました。その中で興味深いと思ったのは、健康保険証として使えるようにし、2022年度中にほぼすべての住民にカードを交付するというものです。

 私は超高齢社会の日本で行政サービスのオンライン化は難しいのではないかと思っていますが、マイナンバーカードを健康保険証として使えるようにすれば、普及が進む可能性が高くなると思います。というのも、高齢者がもっともよく使うのは健康保険証なので、そこにマイナンバーカードを紐づけることによって、普及が進むことは明らかです。

 さらにはお薬手帳としても使えるようにすれば、マイナンバーカードによって治療の透明性を高めることも期待できるでしょう。無駄な投薬は回避されるようになるでしょうし、当然、膨張し続ける医療費の削減にもつながるでしょう。

 もちろん、医療機関がそれに対応できるよう整備しなければなりませんが、2022年度中には全国ほぼすべての医療機関が対応できるようにするということです。今度こそは、政府の本気度がわかります。

 もっとも、2019年6月11日の日経新聞夕刊の記事によると、2018年度中に個人番号を含む情報が漏洩するなどのマイナンバー法違反または違反の恐れのある事案が、134機関で279件あったと政府の個人情報保護委員会で発表されたそうです。134機関の内訳は、地方自治体が80、国の行政機関が9、民間事業者が45でした。その原因としては、電子メールの誤送信、書類の紛失、不正アクセス、等々のよるものでした。

 このような状態を見ると、まだ安心して個人情報を行政機関によって一元管理されたくないという気持ちになってしまいます。エストニアの場合、個人情報を安全に管理するための仕組みを同時に開発して進めていました。日本の場合、どうなっているのでしょうか。

 今後の社会状況を考えれば、日本こそ、デジタルガバメントへの移行は不可欠だと思いながらも、このような情報管理の甘い実態を知ると、まだ難しいのではないかと思えてなりません。なにしろ、超高齢社会の日本です。高齢者がカードを紛失してしまった場合、悪用されないための手段はあるのでしょうか。個人情報を保護するにはどうすればいいのか、高度なセキュリティシステムを導入するにはどうすればいいのか、安全に活用するための論議の過程をその都度、公開しながら進めてもらいたいという気がしています。

 神戸市長や会津若松での事例なども報告されましたが、今回のフォーラムで印象に残ったのは、これまでご紹介してきた事柄です。私が出席できなかった分科会等の情報については、後日、日経新聞で報道されてから、考えてみることにしましょう。(2019/6/14 香取淳子)

デジタルファースト法の成立で、何が見えてきたか。

■デジタルファースト法案の成立
 2019年5月24日、デジタルファースト法案が参院本会議で可決されました。すでに衆議院では4月26日に可決していますから、これでこの法案が成立したことになります。一体デジタルファースト法案とはどのようなものなのでしょうか。

 総務省は以下のように概要を示しています。

こちら →
(総務省HPより。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、情報通信技術を活用し、行政手続きの利便性の向上を図り、行政運営の簡素化・効率化を図るための法案だということがわかります。パソコンの普及だけではなく、スマホの普及率の高さがこのような行政のデジタル化を可能にしたと思います。ほとんどの人がスマホを日常的に操作できるようになったからこそ、行政サービスのデジタル化も実現可能になってきたのです。

 さて、行政のデジタル化に関する基本原則としては、①デジタルファースト(個々の手続き・サービスをデジタルで完結させる)、②ワンスオンリー(一度提出した情報は、二度提出する必要がない)、③コネクテッド・ワンストップ(民間サービスを含め、関連手続きは一度で済ますことができる)、だとされています。2019年から実施されるようになります。

 行政手続きのオンライン化が行政側にメリットがあることは確かです。人手を省くことができますし、人為的なミスがなくなり、正確に処理できます。さらには、データを積み上げ、相互に関連づけることも可能ですし、データに基づいた行政サービスも提供できるようになるでしょう。では、利用者側にどのようなメリットがあるのでしょうか。

■利用者にとってのメリットは?
 具体的に示された例でいえば、引っ越しの際、ネットで住民票の移動手続きをすると、その情報に基づき、電気、ガス、水道等の変更手続きもできるようになるというのです。確かに、これまでは住所変更をすれば、電話、電気、ガス、水道などの生活インフラそれぞれについて変更手続きをしなければならず、面倒でした。それが一度、住民票の移動手続きをするだけで、関連手続きがすべて自動的にできてしまうのだとすれば、これほど便利なことはありません。

 さらに、死亡や相続などの手続きもネットで済ませられるといいます。かつて相続の手続きが煩雑で大変だったことを思い出します。ですから、ネットで手続きが完了できるのだとすれば、便利になることは確かです。

 もっとも、引っ越しにしても、身内の死亡や相続にしても、そう何度も経験することではありません。ですから、いま、ご紹介したような行政サービスの利便性を提示されても、どれほどの人々がそれをメリットだと感じるでしょうか。利用者がメリットを感じるのは、行政サービスにかかるコストに比べ、はるかに利便性が高かった場合です。

 実は、そのようなサービスを受けるためには、オンラインで申請をすることが原則になりますし、本人確認や手数料納入もオンラインで行われるようになります。つまり、利用者側にその前提となる条件が課せられるのです。本人確認のためのマイナンバーカードや決済のためのクレジットカードが必要となりますから、これまでそのようなものを必要としないで暮らしてきた人々は、それを大きなコストだと思うでしょう。

 実は、マイナンバーは交付から約3年たっていますが、普及は進んでおらず、約1割にとどまるといわれています。利用者にとって大きなメリットが感じられないのに、個人情報がどのように利用されるかわからないので、ほとんどの人が躊躇っているのです。ですから、マイナンバーカードを使わなければならない場合、通知カードで代用する人が圧倒的に多いというのが現状です。

■マイナンバーカード普及率
 マイナンバーカードが普及しなければ、行政手続きの電子化が進むはずもありません。そこで、政府はこのデジタルファースト法案の成立を契機に、今後、通知カードを廃止し、マイナンバーカード利用の促進を図っていこうとしています。相当、強引なやり方ですが、マイナンバーカードの普及が進まなければ、行政のデジタル化も進まないのですから仕方のないことなのかもしれません。

 NECは、「今なぜデジタル・ガバメントなのか」というレポートを発表し、その中で行政のデジタル化について下図のような概念図を示しています。行政手続きのデジタル化で省力できる仕組みが現状と比較して書かれているので、よくわかります。ご紹介しておきましょう。

こちら →
(NECのHPより。図をクリックすると、拡大します)

 現状では甲と乙が印紙を貼った契約書を交わし、契約が成立することになるのですが、それでは手間暇がかかります。そこで、将来は甲と乙がマイナンバーカードあるいは生体認証で本人確認を行い電子化された契約書を交わすと、クラウド上で契約書の有効性が確認され、認証局による認証を受けたうえで契約が完了となり、電子署名とタイムスタンプの入った電子文書が発行されるという仕組みです。

 利用者はパソコン画面で操作するだけで済みます。印紙代や郵送料等もかからず、コストが低減されます。

 対面での交付手続きもパソコン上で処理し、マイナンバーカードあるいは顔認証等で本人確認をし、オンラインで申請すると、行政機関によってマイナンバーに資格付与されるか、あるいは、本人限定郵便等で通知されるという仕組みです。

こちら →
(NECのHPより。図をクリックすると、拡大します)

 対面手続きの場合もオンライン上で処理すれば、やはり大幅に時間や関連経費が節約できることがわかります。ただ、行政のデジタル化には、本人確認のためにマイナンバーカードがとても重要な役割を果たすということを把握しておく必要があります。政府が半ば強制的にマイナンバーカード利用を推進しようとする背景をここにみることができます。

 ところが、2019年3月18日朝刊の東京新聞によると、3月13日時点でマイナンバーカードの普及率はまだ12.8%だといいます。発行日から5回目の誕生日に「電子証明書」の有効期限が切れますが、このままではカードを更新しない人が続出する可能性があります。

こちら →
(東京新聞2019年3月18日朝刊より。図をクリックすると、拡大します)

 マイナンバーカードは2016年に始まりましたが、約4年経過してもまだ1640万2088人しか利用していないのです。

■なぜ、普及しないのか
 一言でいってしまえば、利用者にとってメリットが感じられないからでしょう。東京新聞の記者は、政府は2020年度末には健康保険証の代わりにカードを使える仕組みを導入し、さらなる利便性をアピールするする方針だと書いています。健康保険証を廃止してマイナンバーカードに一元化してしまうのならともかく、代替として使えるという程度では普及は進まないでしょう。

 ニッセイ基礎研究所の清水仁志氏は「マイナンバーカード普及の課題」と題する論考の中で、マイナンバーカードにはセキュリティ面でのデメリットがあるとし、カードの紛失等によるマイナンバーの流失、カードの不正利用、さらに、パスワードを知られると、オンライン上の個人情報まで抜き取られてしまう恐れがあると指摘しています(『研究員の眼』2018年12月4日)。

 清水氏はさらに、内閣府が実施した調査データを紹介しています。

こちら →
(内閣府「マイナンバー制度に関する世論調査」2018年11月より)

 左側の図を見ると、取得した理由の第1が、「身分証明書として使えるから」であり、第2は、「将来利用できる場面が増えると思ったから」です。一方、右側の図を見ると、取得しない理由の第1が、「取得する必要がかんじられないから」で、第2が、「身分証明書になるものは他にあるから」でした。

 こうしてみると、取得理由からも、取得しない理由からも結局、特に早急にマイナンバーカードを持つ必要がないという実状がわかってきます。

 筆者の清水氏は、「現在、マイナンバーカードは任意取得であり、カード普及のためには、カード取得のデメリットよりもメリットを強く感じてもらうことが必要だ」と結論づけています(前掲)。

■セキュリティへの不安
 いろいろ調べているうちに、調査時期はやや古いのですが、興味深いデータを見つけることができましたので、ご紹介しましょう。『内閣府マイナンバー制度に関する世論調査』(調査実施2015年1月/n=1,680)を参考に、マイナンバーに対する懸念のデータをZDNet Japan編集部が作成したものです。

こちら →
(ZDNet Japan編集部(https://japan.zdnet.com/)作成。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、第1が、「個人情報漏洩によりプライバシーが侵害される」(32.6%)、第2が、「マイナンバーや個人情報の不正利用による被害」、第3が、「国により個人情報が監視・監督される」(18.2%)でした。

 上記に挙げた懸念の内容は、行政のセキュリティ体制の甘さを考えると当然のことです。私もセキュリティの観点からこれ以上、カード類を増やさないようにしています。

 そういえば、2018年の調査でも、「マイナンバーを取得しない理由」として第3に「個人情報の漏洩が心配だから」、第4に「紛失や盗難が心配だから」が挙げられていました。

 こうしてみてくると、マイナンバーカードの普及を促進させようとすれば、なによりもまず、①取得する必要性を感じさせること、②セキュリティ体制を万全なものにすること、等々が不可欠だという気がします。

 それではデジタルファースト法成立後、政府はどのような全体構想の下、行政のデジタル化、すなわち、デジタル・ガバメントに誘導していこうとしているのでしょうか。
 
■デジタル・ガバメント構想
 デジタル・ガバメント構想自体は20年ほど前からありましたが、現在は「デジタル・ガバメント推進方針」(2017年)に基づき、デジタル・ガバメントの実現に向けて取り組んでいるところです。そんな中、2019年3月30日、官邸は「世界最先端のデジタル・ガバメントの実現に向けて」という構想を発表しました。

こちら →
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/dai14/siryou5.pdf
 まず世界的にデジタルトランスフォーメーションが進む中で、取り残されているのが日本の行政部門だという認識が示されます。国民生活やビジネスを取り巻く環境が大幅に変化する中、デジタルを前提とするビジネスへの転換、組織改革が世界的なうねりとなって展開されているのに、日本の行政部門は旧態依然としてアナログ型行政から抜け出せていない、このままでは日本がやがて隘路に陥るのは必至だという認識です。

 ニッセイ基礎研究所の清水仁志氏は「デジタル・ガバメントに向けた取組み」という論考の中で、デジタル・ガバメントの目的を要領よく整理していますので、ご紹介しておきましょう(下図)。

こちら →
(『研究員の眼』2019年5月13日より。図をクリックすると拡大します)

 この図でいえば、日本は現在ようやく①と②に達しようとしているところですが、やがては③に至ります。そうなると、行政が所有するデータを利活用したさまざまなイノベーションが可能になるという政府の将来構想を見て取ることができます。

 逆にいえば、現段階を首尾よく通過しなければ、デジタル・ガバメントは成り立たず、ICTを踏まえたさまざまな社会的課題の解決も達成できなくなるということになります。マイナンバーカードの普及率の低さからは、日本の行政デジタル化は相当、遅れているといわざるをえません。

■海外の評価は実態に即しているのか
 ところが、清水氏は、日本のデジタル・ガバメントへの評価は意外にも高いといいます。その根拠となるデータとして、国連と早稲田大学のデータを挙げていますので、ご紹介しましょう(下図)。

こちら →
(『研究員の眼』2019年5月13日より。図をクリックすると拡大します)

 これを見ると、国連のデータでは日本は10位、早稲田大学のデータでは7位にランクされています。確かに予想よりも高い評価です。何を指標にしてランキングしたかによって順位は決まりますが、清水氏は、日本の場合、デジタル・ガバメントに向けた取組み計画の策定や、政府C10制度などが評価されたからではないか。すなわち、情報システムの最適化に加え、組織や部門を超えて企業グループを俯瞰し、経営の変革を推進する主導的役割を果たせるように、各府庁が横断的に推進している点が高く評価されたからだとみています。

 おそらく、その通りなのでしょう。最先端の知識と技術を組み合わせ、民間の力を借りながら、政府の省庁横断的に果敢に取組む姿勢が評価されたのだろうと思います。計画は素晴らしく、ロードマップも過不足なく組み立てられていたのでしょう。

 ところが、実際はデジタル・ガバメントの基盤であるマイナンバーカードすら、笛吹けども踊らずの状態で、ほとんど普及していないのです。生活者としての実感をいえば、トップレベルの構想は素晴らしいのかもしれませんが、生活者レベルではそれがうまく展開していないような気がします。ですから、日本ではそれほどデジタル化が進んでいるとは思えないのです。

 たとえば、ソウルやバンコク、シンガポールに旅行すると、ほとんどの買い物はカードで決済できましたが、日本の場合、東京でもいまだに現金しか扱わないところがあって不便だなと思うこともしばしばです。

■デジタル・ガバメントは日本で機能しうるのか
 行政のデジタル化に対する私の実感は、電通の調査結果によって裏付けられました。ロンドンの電通が英オックスフォード大学の研究機関と共同で、デジタル経済の充足度について実施した調査があります。その結果を見ると、日本はなんと24か国中最下位の24位なのです。

 たまたまタイの英字紙バンコクポストの2019年4月10日の記事にこの図が掲載されていましたので、ご紹介しましょう。

こちら →
(資料:Dentsu Aegis Network Digital Society Index Survey 2018, BANGKOG POST 2019/Apr/10)

 これはタイの英字紙の記事に掲載されていた図なので、タイの項にマーカーが引かれています。見ると、タイではデジタル経済に対し、心理的ニーズこそ低いものの、基本ニーズ、自己実現ニーズ、社会的承認ニーズ、いずれもきわめて高いのが特徴です。この傾向は中国やインドと似通っています。いずれも、デジタルに対する基本ニーズ、自己実現ニーズ、社会的ニーズが高く、それはすなわち、彼らのデジタル化に向けたモチベーションが高いということになります。

 一方、日本はといえば、心理的ニーズ(シンガポールに次いで低い)以外のすべての項目で諸国に比べ、最も低いという結果でした。一般に、調査結果を見る場合、どのような人々を対象に、どのような項目を設定して調査したのかによって、結果は影響を受けますが、それを割り引いたとしても、日本の結果の低さには驚かざるをえません。すべての項目で平均をはるかに下回っているのです。つまり、日本の人々の間では諸国に比べ、デジタル化に向けたモチベーションがきわめて低いということになります。

 この図を見ているうちに、やがて、このランキングの結果には、マイナンバーカードの普及の低さに通底するものがあるのではないかと思えてきました。つまり、その国の人口構成やデジタル社会への変革のモチベーションの多寡などが、介在しているのではないかと思えたのです。

 たとえば、人口構成が比較的若い、経済的に比較的に豊かではない、社会が比較的に安定しない、等々の諸国では、人々の間でデジタル化に向けた種々のニーズが発生するのではないでしょうか。いってみれば、満たされないが故のニーズ、あるいは上昇志向故のニーズです。

 現状に不満感を抱いている人々にとって、今よりも豊かで安定した生活をするには、世界の潮流であるデジタル化の波に乗るしかありません。それには、旧態依然とした制度を壊そうとするぐらいのチャレンジ精神がなければ対応しきれないことはわかっています。もっとも、チャレンジしさえすれば、大化けするかもしれませんから、モチベーション高く頑張る人が次々と登場してくることでしょう。

■高齢社会を踏まえた取組みを
 超高齢社会の日本では、新しいことにチャレンジしようとする人が年々、減ってきているような気がします。それは、変化を好まず、新しいことに興味を示さなくなる高齢者の人口が増えてきているからだと思います。高齢になると大抵の場合、身の回りのことか、健康や生活の安定にしか興味を示さなくなりますし、現状を肯定し、変革を求めなくなります。ですから、デジタル化へのニーズが低いのも当然ですが、その高齢者が人口のボリュームゾーンを占め、今後も増え続けるのが日本の現状です。人口動態の側面からみれば、半ば必然的に、高齢者の生活価値観や生活意識が社会全体の潮流を方向づけ、牽引していくようになります。・・・、このままでは、とても行政のデジタル化は進まないでしょう。

 そのような社会状況の中で行政のデジタル化を進めるとすれば、どうすればいいのか・・・、と考え、思いつくのは、今回デジタルファースト法案で示されたサービス以外に、高齢者がもっと身近に感じられる行政サービスを提供できないかということです。たとえば、医療サービスなどの利便性、効率性を図ることとセットで行政のデジタル化を推進すると、より多くの高齢者がそのメリットを感じ、デジタル化を受け入れるようになるかもしれません。

 もちろん、それに合わせて、高齢者に対するIT教育を行政が無料で推進する必要があります。基本的なパソコンの扱い方、スマホの扱い方などを伝える場が必要になってくるでしょう。民間や市民団体などの力を借りながら、高齢者に負担の少ない方法で、基本なIT教育の場を提供することが大切だと思います。

 科学技術の大国であったはずの日本がいつの間にか、世界的なデジタル化の潮流の中で大国の座から退き、遅れを取りつつあります。そこに介在するのは、高齢者の比重の高い社会構造、それに呼応するかのようなチャレンジ精神の喪失、低く安定した社会状況、等々です。次世代のために、どうすれば行政のデジタル化を適切に推進することができるのか、まずは大きな人口ゾーンである高齢者の不安を取り除きながら、高齢者を包摂する形で取組む必要があるのではないかと思います。(2019/5/31 香取淳子)

5G時代の到来:社会的課題の最適解をサービスとして提供しうるか。

■通信4社に5Gの電波割り当て
 2019年4月10日、総務省は通信4社に対し、次世代通信規格5Gに必要な電波を割り当てました。各社に割り当てられた帯域は以下の通りです。

こちら →
(総務省より。図をクリックすると、拡大します)

上図で示されているように、NTTドコモ(以下、ドコモ)、KDDIと沖縄セルラー電話(以下、KDDI)、ソフトバンク、楽天モバイルの4社に5Gの電波が割り当てられました。これまで5G絡みで、未来社会の夢がさまざまに語られてきましたが、これでようやく各社は2020年内に商用サービスを開始できるようになりました。5G時代の幕が開かれたのです。

 興味深いのは、割り当てられた帯域の枠数が、社によって異なることです。28GHz帯は各社1枠ですが、3.75 GHz帯及び4.5 GHz帯はドコモとKDDIが2枠でソフトバンクと楽天が1枠でした。これは一体、どういうことなのでしょうか。

 調べてみると、総務省は電波の割り当てに際し、申込者に条件を課していたことがわかりました。すなわち、全国を10㎞四方の4500区画に分け、その50%以上に、5年以内に基地局を設置することを最低基準にしていたのです。

 この条件からは、総務省が、全国津々浦々、人々が5Gの電波の恩恵を受けられるよう、配慮していたことがわかります。その結果、先ほどの図で明らかにされたように、3.75 GHz帯及び4.5 GHz帯で、ドコモとKDDIに2枠の電波が割り当てられました。

 019年4月11日の産経新聞は、各社の全国カバー率、基地局数、サービス開始時期、設備投資額を整理し、表にまとめています。

こちら →
(産経新聞2019年4月11日より。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、全国カバー率は、ドコモが97%、KDDIが93.2%、ソフトバンクが64%、楽天モバイルが56.1%でした。ドコモとKDDIが90%以上を占めています。全国満遍なく5Gのサービスを早期に開始できるか、多様なサービスを提供できるか、等々を考えれば、カバー率の高い申込者であるドコモとKDDIが3.75 GHz帯及び4.5 GHz帯で2枠を割り当てられたのは当然です。

■5Gサービスとは?
 先ほどの表を見ると、カバー率の高さに比例し、設備等への投資額も高額になっています。もっとも多額を出資するのがドコモですが、一体、どのようなサービスが予定されているのでしょうか。

 ドコモが総務省に提出した5Gサービスの展開イメージを見ると、以下のように示されています。

こちら →http://www.soumu.go.jp/main_content/000549664.pdf

 ここではまず、5Gの導入意義について、①増加するパケットトラフィックへの対応、②5Gの特徴を活かし、様々な業界とのコラボレーションによる新産業の創出、などの2点が挙げられ、説明されています。

 いずれも、5Gの特徴である、①高速・大容量、②低遅延、③多数の端末との接続などを活かしたサービスによって、対応が可能になるということです。具体的には、下図をイメージするとわかりやすいかもしれません。

こちら →
(「5Gサービス展開イメージ」(NTT dokomo、平成30年4月27日)より。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、大都市中心部、都市圏、地方など、トラフィック量が大幅に異なる地域でも5Gで対応できることが示されています。それだけではありません。電波の遅延が低く、多数のデバイスと同時に接続できるので、さまざまなサービスを利用できるようになるようです。

 たとえば、ドローンによる配送、自動運転、遠隔医療をはじめ、工場や農業での安全で効率のいい生産などが、5Gのサービスによって可能になります。さらには、効率がよく、利便性が高く、ヒトとヒトがつながりあえる環境も整備されやすくなりますから、人々のニーズにマッチしたサービスが可能になることが示されています。

 それでは、海外ではどうなのでしょうか。

■海外の動向
 すでにアメリカと韓国は2019年4月3日、5Gのスマホ向けサービスを始めています。日本では4月10日にようやく5G電波の割り当てが発表されたばかりだというのに、米韓はすでにスマホ向け5Gのサービスを始めているのです。ですから、日本は出遅れたと一部から指摘されているようです。

 興味深い記事がありました。

 佐藤ゆかり総務副大臣は、ロイターのインタビューを受けた際、「開始時期よりも5Gサービスを受けられるネットワークの整備が重要だ」とし、「出遅れとは感じていない」と強調し、その一方で、「運用面で世界トップを目指していく」(ロイター、2019年4月10日)と語ったというのです。

 佐藤副大臣はなぜ、そのような返答をしたのでしょうか。確かに、私も「開始時期よりも5Gサービスを受けられるネットワークの整備が重要だ」と思います。とはいえ、実際、米韓は日本よりも早く5Gサービスを開始していますから、私は、「出遅れとは感じていない」という返答に、いささか違和感を持ちました。

 ただ、NHKのWebニュースを読んで、その理由がわかり、納得しました。

 実は、4月3日、米韓の事業者が競い合うように、相次いでスマホ向け5Gサービスを開始していたというのです。

 2018年10月1日から5Gサービスを開始した米ベライゾンは、2019年4月11日に予定していたスマホ向け5Gサービスを前倒しし、2019年4月3日に開始しました。その一方、韓国のSK、LGU+、KTの大手3社は4月3日午後11時、5Gサービスを開始しました。こちらは5日に開始予定だったものを2日前倒しし、芸能人やスポーツ選手など一部を対象にしたといいます。一般向けのサービスは当初の予定通り、4月5日に開始されました(NHK NEWS WEB、2019年4月4日)。

 双方とも当初の予定を変更し、開始時期を巡って争っていたのです。おそらく、このことを念頭に置いていたのでしょう。佐藤副大臣は「出遅れとは感じていない」と強調し、開始時期よりも5Gサービスを受けられるネットワークの整備が重要だ」と語りました。

 米国ではモトローラ、韓国ではサムソンのスマホで5Gサービスが開始されましたが、サムソンでは不備が出ているといわれています。このような状況を見ると、改めて、開始時期よりも、5Gサービスを受けられるネットワークの整備こそ、肝要だということがわかります。

 そもそも5Gサービスは世界各国で、2020年の実現を目指し、取り組まれています。世界の動向からいえば、一部で主導権争いをしていますが、全体でいえば、まだ緒についていないのです。

 世界の携帯電話事業者による業界団体(GSM Association、以下、GSMA)が実施した調査結果があります。5Gの動向を把握するため、それを見てみることにしましょう。

■GSMAによる調査
 GSMAは、調査の結果を踏まえ、2020年以降の世界の5G回線数は、約5年で11億回線、世界人口に対するカバー率は約3割に達すると予測しています。開始後の予測カバー率推移を図示したのが、以下のグラフです。

こちら →
(総務省より。図をクリックすると、拡大します)

 驚いたことに、わずか5年弱で人口カバー率30%近くまで達することが予想されています。技術力、基地局設置等への投資など、数々の課題を抱えながらも、多くの国は5Gの利用に向けて優先的に取り組んでいることがわかります。カバー率の推移を示すこの図を見ていると、5Gのサービスが社会インフラとして機能し始めることが容易に理解できます。

 あらゆるモノが繋がる社会になれば、その基盤となる通信ネットワークの重要性はさらに高まります。これをインフラとして整備できない国はそれこそ、社会の進展から出遅れてしまうでしょう。

 興味深い資料を見つけました。ロシア及び独立国家共同体諸国の最新市場動向レポート「The Mobile Economy: Russia & CIS 2018」(2018年10月30日発表)です。これによると、ロシアでは2020年に開始予定の5Gサービスは、2025年には国内人口の81%をカバーすると報告されています。

こちら →
(「日経×TECH」、2018年11月7日より。図をクリックすると、拡大します)

そこで、原著を見てみると、ロシアがまず取り組みたいのはeMBB(enhanced mobile broadband)だと書かれています。なぜかといえば、ロシアでは、固定ブロードバンドはすでに成熟し競争力のある市場になっているのに、IoTとエンタープライズソリューションは出遅れているからです。ですから、5Gを導入しても、2020年以降の初期段階では、都市部と既存のホットスポットに集中することになり、5Gは主に、ネットワークの輻輳を緩和し、高速で大容量の通信を提供するためのオフロードソリューションになるというのです。

 こうしてみてくると、これまでのインフラの延長線上に、5Gのインフラが構築されることがわかります。それぞれの国情を踏まえた展開をせざるをえないのです。開始時期争いをすることにそれほど意味はないといえるでしょう。

 ちなみに、先ほどご紹介したロシアの報告では、5Gの主導権争いが中国、米国、韓国で展開されていると指摘されていました。そこに日本という文字はなく、トップグループに日本が入っていないことは明らかでした。

■5Gが牽引するIoT時代
 モバイル無線技術はこれまで1Gから4Gまで、もっぱら高速と大容量を求めて技術が進化してきました。単なる電話機能からメールやネット接続、写真や音楽配信、動画配信やSNS、といった具合に、技術の進化に伴い、サービス内容も多様化していました。今回の5Gには「高速で大容量」に加え、「超低遅延」、「多数同時接続」、といった特徴があるといわれています。それでは、どのようなサービスが可能になるのでしょうか。

 総務省は、平成30年版『情報通信白書』の中で、4Gまでが人と人とのコミュニケーションを行うためのツールとして発展してきたのに対し、5Gはあらゆるモノ、人などが繋がるIoT時代の新たなコミュニケーションツールとしての役割を果たすことになると説明しています。

こちら →
(総務省、平成30年版『情報通信白書』より)

 上図では3段階に分けて、5Gの特徴と機能が示されています。まず、1Gから4Gまでの高速・大容量技術があり、それに加え、超低遅延の技術、多数同時接続の技術が統合されたのが5Gとなります。そして、その5G全般の特徴を活かしたさまざまなサービスが具体的に示されています。

 まず、これまでの技術を拡張した「高速・大容量」を活用したサービスで、エンターテイメント領域が大幅に変化します。5Gになれば、2時間の映画も3秒でダウンロードできるようになるといいますし、スポーツ観戦の楽しみ方も大幅に変わってくるでしょう。

 さらに、これまでのモバイル無線技術にはなかった「超低遅延」と「多数同時接続」を活かしたサービスが示されています。これらが、今後の社会に大きなインパクトを与えるようになることは確かです。

 たとえば、自動運転のように、リアルタイムで安全性の高い通信状況が求められる場合、遅延が極めて低い「超低遅延」技術は不可欠です。ロボット遠隔制御についても、遠隔医療についてもこの技術は欠かせません。

 さらに、倉庫に保管された多数の物品の位置や中身の把握する場合、多数のデバイスを同時に接続して利用できる「多数同時接続」の技術が効力を発揮します。この技術は医療にもエンターテイメントにも行政にも活用することができ、これまで以上にきめ細かなサービスが可能になります。

 総務省等の情報に基づき、5Gの機能とそのサービス内容を見てきました。現時点ではまだ構想にすぎないとはいえ、これまで以上に多様なニーズにマッチしたサービスが可能になることがわかります。すでにいくつものプロジェクトが実用に向けて、実装実験を繰り返しているようです。

 サービスを享受する側としては、果たして、5Gが牽引するIoT時代に必要な人材がどれほどいるのか、気になります。

■人材育成はどうなっているのか。
 さまざまなニーズを発掘するヒト、ニーズに沿ったサービスを考案するヒト、5Gの電波を利用してサービスを提供できる仕組みを創り出すヒト、5Gのサービスを展開するにはさまざまな過程に対応できる人材が必要です。そのような人材が今、果たしてどれほどいるのでしょうか。

 総務省のHPを見ると、5Gの利活用については、アイデアコンテストを実施し、その結果も2019年1月11日に発表されていました。

こちら →http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban14_02000369.html

 これを見ると、さまざまな地域、組織から、多様なアイデアが寄せられていることがわかります。いずれも、人々の生活向上に寄与しうるサービスといえるでしょう。

 2019年1月29日‐30日、東京国際交流館プラザ平成で、「5G国際シンポジウム2019」が開催されていたようです。私は全く知りませんでしたが、展示概要は以下の通りです。

こちら →
https://5gmf.jp/wp/wp-content/uploads/2018/12/5g-international-symposium-2019-3.pdf

 そして、2019年4月10日の日経新聞には、総務省が電波利用の専門人材の育成に乗り出すという記事が出ていました。2019年度に初めて中核拠点(COE)を公募し、大学や高等専門学校と企業の若手が共同研究に取り組む体制を構築するというのです。

 この「電波COE」は全国から1機関選出し、総務省が所管する競争的研究資金から年間最大4億円を最長4年間にわたって拠出するといいます。電波のより効率的な利用法、周波数を共同利用する技術などを研究テーマとし、30歳代までの若手を中心に、大学や企業が連携して取り組むことが前提になっています。

こちら →
http://www.soumu.go.jp/main_content/000603070.pdf#search=’%E9%9B%BB%E6%B3%A2COE’

 日経新聞の記事を読み、そして、総務省の資料を見ると、行政側の取り組みの一端がわかります。ただ、素人ながら、果たして、これだけで5Gに向けた人材を育成できるのかという不安が胸をよぎります。

 先ほどご紹介したロシアの報告書では、アメリカ、中国、韓国は5Gで主導権争いをしていると書かれていました。そこに日本という文字はなく、主導権争いをするトップグループに入っていないことを思い出しました。

 政府主導で5Gの整備に動く中国、これまでの実績を踏まえ、民間の力と力を合わせ5Gの推進を重視するアメリカ・・・、米中とも人材も資金も豊富です。一方の日本は果たしてどうなのか、民間企業の力が推進力になっていくとすれば、5Gをめぐる米中の争いの狭間でなんとか日本なりの立ち位置を確保できるのかもしれませんが・・・。

■少子高齢社会のニーズに対応した5Gサービスは?
 これまで見てきたように、ヒトがこれまで経験したことのない社会が5Gによって生み出されようとしています。現在はまだ、可能性の段階のサービスです。ですから、実際にサービスが導入される過程でいろいろと問題が出てくるでしょうが、様々な問題点をその都度、克服していけば、やがては現実のものになっていくでしょう。まずは課題を発見し、それに対応できるサービスを考えていくことでしょう。

 少子高齢化に伴う課題、過疎化に伴う課題をはじめ、現在、日本社会には緊急に取り組まなければならない社会的課題がいくつかあります。

 たとえば、『平成30年版高齢社会白書』によると、現在、日本の高齢化率は27.7%(総人口に占める65歳以上の人口)ですが、その比率は今後さらに伸びると推計されています(下図)。

こちら →
(『平成30年版高齢社会白書』より。図をクリックすると、拡大します)

 上図を見ると、75歳以上の人口も増え続けますから、介護を必要とする人、生活行動全般に援助を必要とする人が増えてきます。しかも、独居世帯が増えており、これまでのように家族が高齢者を支えていくことが難しくなってきています。できるだけ自立して生きられる期間を長くすることが大切になってきているのです。

 モバイル端末が、その他のデバイスと同時に多数、接続できるようになると、それこそ、独居高齢者の運動状況、摂食状況、健康状態のチェックなどができ、最適の予防措置を取ることができます。そして、高速大容量、超低遅延の通信が可能になると、それこそ遠隔医療も身近なものになっていくでしょう。

 このように、健康寿命を延ばすための多様な5Gサービスが創案され、実用化されていけば、超高齢社会の日本が、後続する高齢社会に最適のサービスを提供することもできます。これはほんの一例です。社会的課題を5Gサービスによって解決していくことができれば、5Gが普及していく時代の世界に通用するサービスモデルとして機能するようになるかもしれません。このようにみてくると、今回の5G電波の割当は、社会的課題が通信技術によって解決されていく社会の幕開けだといえるでしょう。(2019年4月15日 香取淳子)

アップルの新サービスを考える。

■「アップルTV+」今秋、開始
 2019年3月25日、米アップル社のティム・クックCEOは、カリフォルニア州クパチーノで開催されたイベントで、今後の事業計画を発表しました。その中でもっとも注目されたのが、今秋開始予定の定額制動画配信サービスです。

こちら →
(資料:アップル社リリース映像より。図をクリックすると、拡大します)

 「アップルTV+」、競合他社では提供できない独自の映画やドラマ、ドキュメンタリーを制作し、アップル製品のユーザーを主なターゲットに、100以上の国や地域で提供していくと語っています。

こちら →https://youtu.be/6JRcYwjGUnE

 冒頭でいいましたように、このサービスは定額制の動画配信サービスです。ユーザーは当然のことながら、コンテンツの質量が十分か、魅力あるコンテンツが提供されるかが気になります。この点に留意したのでしょう、ティム・クック氏は、「創造性豊かな人々を結集し、これまでにない新しいサービスを作り上げる」と説明していました。実際、会場ではスティーブン・スピルバーグ監督が登壇し、コンテンツ制作への意欲を語りました。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=dtc38zTI79g
(広告をスキップしてご覧ください)

 スティーブン・スピルバーグ監督が登場するのは、上記映像の4分53秒から5分16秒までの間です。このイベント映像を見ていると、動画配信サービスに対するアップル社の意気込みがひしひしと伝わってきます。考えて見れば、それもそのはず、アップルは動画配信サービスでは、後発なのです。

 動画配信サービスでは最大手のNetflixが最近、日本で独自アニメ作品の制作に乗り出すという記事を読みました(2019年3月12日付日経新聞)。日本のアニメ制作会社3社と業務提携を結び、今後、数年間にわたって複数の作品を世界に配信する体制を、Netflixは整えたというのです。独自に制作した日本アニメを提供することによって、サービスの充実を図っているのでしょう。

 二番手のアマゾンはすでに会員制サービスの「アマゾンプライム」を実施しており、会員数は世界で1億人を突破したといいます。そして、映像コンテンツ大手のウォルトディズニーは独自作品を制作するとともに、新作を独占的に配信するサービスを2019年後半に開始するといいます。

 こうしてみてくると、IT企業が最近、立て続けに、コンテンツの充実、あるいは、新規参入など、動画配信サービスのテコ入れをしていることがわかります。2019年は次世代の高速通信規格5Gが運用され始めるといわれています。一連の動向は、今後、競合他社がコンテンツの独自性を競い合って、ユーザーの獲得に熾烈な戦いを展開する前触れなのかもしれません。

■動画配信サービスの群雄割拠
 それにしても、Netflixはなぜ、日本アニメに力点を置いたコンテンツ戦略を取っているのでしょうか。

 Netflixの有料会員数の推移をみると、2018年末で1億3900万人、そのうち米国以外が約8000万人でした。グラフを見れば、一目瞭然、本国よりも海外での契約者数が多く、しかも、その伸び率もまた、米国よりも世界の方が高いのです。

こちら →
(資料:BBCより。図をクリックすると、拡大します)

 Netflixはおそらく、そのような市場特性を踏まえ、成長の軸足を欧州やアジアなどに移そうとしているのでしょう。そのためのコンテンツ対策として目をつけたのが日本アニメでした。

 日本動画協会のデータから、日本アニメの産業規模の推移を見ると、子どもの数が減少しているにもかかわらず、年々増大しており、2017年度は2兆1527億円に達しています。しかも、国内市場は減少に転じているのに、海外市場は一貫して増加傾向を示しており、2017年度は9948億円と、1兆円に迫るほどでした。

こちら →
(資料:日本動画協会より。図をクリックすると、拡大します)

 メディア・コンサルタントの氏家夏彦氏は『GALAC』(2018年3月号)誌上で、以下のような見解を示しています。

「日本のアニメは大人をも虜にする。これにいち早く気づいたのがNetflixであり、そのきっかけになったのが『シドニアの騎士』なのだ。(略)ところが、海外では、この面白さを知らない大人が大多数だ。だから、「大人が楽しめるアニメ」という新たなジャンルを立ち上げれば、新たなユーザーを獲得できる。Netflixにとって日本のアニメは、全世界で新たなユーザーを開拓できる強力なエンジンとして期待されている存在なのだ」

 まるで現状を見越したような見解です。

 実際、Netflixは独自に日本アニメを制作し、それを軸に世界展開をさらに強力に推し進めようとしています。さまざまなデータから、独自の日本アニメを制作し、それをテコにすれば、さらなるユーザー獲得を展開期待できると判断したからなのでしょう。

 もう一つ、日本動画協会が発表したデータで、興味深い結果があります。

 それは、2017年度の国内アニメの配信市場は、前年比約13%増の540億円だったというものです。2002年には2億円だった市場が15年間で劇場市場の406億円を超えるほど増大したというのです。その結果、アニメ制作会社の配信関連収入も前年比約13%増の136億円となったといいます。配信サービスの利用が幅に増えているのです。

 このように、最近の出来事を振り返ってみるだけで、定額制の動画配信サービス業界に大きな動きがあることがわかります。5G時代を迎え、IT業界がこの領域で、群雄割拠の様相を見せ始めていることは明らかです。

 それでは、再び、アップルの新サービスに戻ってみましょう。

■アップルが発表した新サービス
 今回紹介されたのは、「アップルニュース+」、「アップルTV+」、「アップルアーケード」、「アップルカード」でした。ニュースであれ、エンターテイメントであれ、ゲームであれ、既存のコンテンツにアップル独自のコンテンツを加え、定額制で配信するというサービスと、安全で機能的に決済できる独自カードの発行です。

 それでは、アップル社はなぜ、このような新サービスを立ち上げたのでしょうか。

 まず、2019年3月25日に始まった「アップルニュース+」から見てみることにしましょう。

こちら →
(資料:アップル社リリース映像より。図をクリックすると、拡大します)

 このサービスは専用のアプリをダウンロードし、月額9.99ドルを支払えば300以上の新聞や雑誌が読み放題になるというものです。まずは米国とカナダ、次いでオーストラリアや欧州などに、段階的にサービス地域を拡大していくといいます。

 今秋から開始されるのは、先ほどご紹介した「アップルTV+」だけではありません。「アップルアーケード」もまた今秋、開始されることが明らかにされました。これは、100以上の新作ゲームを定額で楽しめるゲーム配信サービスです。

こちら →
(資料:アップル社リリース映像より。図をクリックすると、拡大します)

 このようにアップルは、エンターテイメント領域の定額制配信サービスを今秋、一気に提供する予定なのです。増え続けるコンテンツをアップルのプラットフォームに集め、それを定額でユーザーに利用してもらおうという仕組みのサービスです。

 これらの新サービスは、ユーザーには、一つのプラットフォームから多種多様なコンテンツに接触できるという利便性があり、アップルには、iPhoneなどデバイス依存からの脱却が可能になり、多様なビジネス展開を構想することができます。

 そして、2019年夏から、「アップルカード」を発行する計画も発表されました。iPhoneでの決済をしやすくするためです。しかも、そのカードは私たちが見慣れているカードとは大幅に体裁が異なっています。

こちら →
(資料:アップル社リリース映像より。図をクリックすると、拡大します)

 先ほどの映像で説明されていたように、アップルカードには、カードナンバー、カードID(CVV番号)、有効期限、サインなどがありません。カードにはアップルのマークとICチップ以外には名前だけが記載されており、とてもシンプルです。ナンバーが記載されていないので、セキュリティ上も安全だというわけです。

 しかも、使った瞬間に端末内にデータが反映され、処理されるので、いつ、どこで何に使ったのかが記録されるので、支出管理も容易にできるそうです。

こちら →
(資料:アップル社リリース映像より。図をクリックすると、拡大します)

 金融大手のゴールドマン・サックスと組んで開発したこのカードは、他のICカードのどれよりも利便性が高く安全性も高いと説明されています。

■サービス部門の強化
 今回、紹介された「アップルニュース+」、「アップルTV+」、「アップルアーケード」、「アップルカード」を見ると、アップルは、サービス部門での収益増大を目指すだけではなく、決済サービスの新規領域を開拓しているようにも思えます。

 実際、iPhoneなどのハードウエアは成長期を経てすでに成熟期に差し掛かっています。今回、ハードウエアについての発表がなかったことを考えれば、アップルはサービス部門に軸足を置いた事業内容にシフトしようとしているのでしょう。

 そういえば、つい最近読んだ記事(2019年3月26日付日経新聞)で、iPhoneは中国での販売不振で、2018年後半に販売数が激減したと書かれていたことを思い出しました。その新聞を探し出して開いてみると、グラフが掲載されていました。これを見ると、一目瞭然です。

こちら →
(2019年3月26日日経新聞より。図をクリックすると、拡大します)

 アップル社全体の業績をみると、サービス部門は右肩上がりで伸びているのに、iPad、Mac、時計などは低迷しており、iPhoneもその成長に陰りが見えていることがわかります。iPhoneが画期的なデバイスであることは確かですが、もはやそれだけに依存することは難しくなっていることがよくわかります。

 このような結果を見ると、アップル社が今後の事業内容として、サービス部門を重点的に展開していこうとするのは当然のことだと思えてきます。

■ハードウエア、ソフトウエア、サービスの一体化
 2019年3月25日の基調講演でCEOのティム・クック氏は、アップル社はこれまで一貫してハードウエア、ソフトウエア、サービスを一体化して提供してきたといっています。

こちら →https://www.apple.com/apple-events/march-2019/

 確かにiPhoneにはさまざまなソフトウエアが搭載されており、ユーザーの日常生活をきめ細かくサポートをしてくれています。例えば、ハードウエアのiPhoneに搭載されたソフトウエアのLife360を使って、子どもの居場所を確認できるサービスが提供されています。子どもの登下校が心配な親にとってどれほど安心できるサービスでしょう。

 私自身、iPhoneを使い始めて以来、10年ほどになりますが、いつの間にか、四六時中、手放せなくなっています。朝はアラームで起床、メールをチェックし、天気予報を見ます。スケジュールでその日の行動予定を見てから、乗換案内で到着時刻を調べ、家を出る時間を決めます。

 日中はiPhoneを持ち歩いているだけで自動的に歩数計算をしてくれますから、歩数が足りないと思えば、遠回りして帰宅し、歩数調整をしています。フィットネスクラブでのデータも記録されていきますし、睡眠時間も計算されます。つい、健康管理ができているような気になってしまいます。

 一事が万事、ハードウエアとソフトウエア、サービスが一体化されたiPhoneは、いつの間にか、ヒトの生活行動全般に深く入り込んでしまっています。ティム・クック氏がいうように、日頃、何かをしようとする際、必要なサービスがきめ細かにiPhoneから提供されているからでしょう。依存せざるをえなくなっているのです。

■包括サービスの利便性と危険性
 アップルはこれまで、iTunesで音楽配信をし、iCloudでデータ保存サービス、Apple Storeでアプリの販売を行ってきました。そして、今回、発表されたのが、ニュース、動画、ゲームの定額制配信サービスと、アップルのプラットフォームでそのまま決済できるカードの発行です。

 すでに実施されているサービスに新サービスを加えると、ヒトが行うあらゆる生活行動はすべてアップルのプラットフォーム上で可能になるという点に大きな特徴があるといえます。

 グーグル(G)、アップル(A)、フェイスブック(F)、アマゾン(A)は、インターネットビジネスの4巨人といわれています。いわゆるGAFAですが、各社の売上構成をみると、それぞれの特徴がはっきりと見えてきます。

こちら →
(近藤哲朗(チャーリー)&ビジネス図解研究所より。図をクリックすると、拡大します)

 アップルはパソコンメーカーとしてスタートし、ハードウエア中心でこれまでビジネスを展開してきましたが、今回、ハードウエアについての発表はありませんでした。これは、アップル社が、サービス部門への転換を図っているからと見ることができますし、5G時代に備えた仕様のデバイスを開発中だからだと見ることもできます。

 アップルには、ハードウエア、ソフトウエア、サービスの一体化した事業を展開できる強みがあります。入手したデータに基づき、新たなサービスを展開し、それを検証できる強みがあるのです。

 ユーザーの利用歴は収集され、集積されてビッグデータとなり、新たなサービスや製品を生み出す手掛かりになるでしょう。ハードウエアとソフトウエア、サービスが一体化されたデバイスは、利便性の点で利用者にメリットがあり、データとして利活用できるという点で事業者にメリットがあります。

 このように考えてくると、今回、米アップルが発表した新サービスは、単に一企業がヒトを取り巻く情報・娯楽環境をすべて仕切ってしまうというだけではなく、決済を含めたヒトの生活行動すべてを把握し、コントロールし、一元化してしまう危険性を含んでいるのではないかという気がしてきました。

 便利だ、快適だと思っているうちに、いつの間にか、国境を越えてIT企業がヒトを支配するようになってしまっているのではないかという思いにとらわれてしまいましたが、もはや元には戻れません。ジョージ・オーウェルの世界が急に身近に思えてきました。(2019年3月31日 香取淳子)

第50回練馬区民美術展が開催されています。

■第50回練馬区民美術展の開催
 練馬区立美術館で2019年2月2日から2月11日まで、第50回練馬区民美術展が開催されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 洋画Ⅰ(油彩画)、洋画Ⅱ(水彩画・パステル画・版画など)、日本画(水墨画を含む)、彫刻・工芸など4部門270点ほどの作品が展示されていました。時間の都合で洋画Ⅰと洋画Ⅱ部門だけを見て回りましたが、今回は全般に水準の高い作品が多いように思えました。

 私はFサイズ20号の油彩画を出品しました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 2Fの会場入ってすぐ左側に、今回、美術館長賞を受賞した作品と隣り合わせで展示されていました。向かって左が私の作品(「冬の日」)、右が藤岡武義氏の受賞作品「中国宏村の古民家群」です。人々の行きかう様子、水面に映った古民家群などが表情豊かに描かれていて、引き込まれます。とくに、太陽の射し具合、水面を揺らす小波など微妙なところが丁寧に捉えられており、味わい深い作品に仕上がっていると思いました。

■印象に残った作品
 洋画Ⅰで展示されていた油彩画は85点でしたが、印象に残った作品を一つ、ご紹介しておきましょう。

横山志な乃氏の「日溜り」です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 日溜りの中の温かさを求め、どこからともなく、小鳥たちが集まってきたのでしょう。柔らかな羽毛に心地よさそうな陽光が射しています。ふと見ると、足元の葉にも柔らかな陽射しが伸びています。葉の表面はところどころ射しこんだ陽光を浴びてつややかに光っています。右の奥には枯れ木、そして、上方はいかにも寒そうな空が広がっており、身を寄せ合って暖を取る小鳥たちの姿を際立たせています。この作品を見ていると、寒い冬の日、ようやく訪れたひとときの幸せを感じさせられます。

 次にご紹介するのは、杉山けり氏の「暗い一日」です。この作品は洋画Ⅱ部門(水彩画・パステル画・版画など油彩画以外)で展示されていた作品112点のうちの一つで、教育委員会賞を受賞しています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 黄色を背景色に、まるで何かを睨みつけているかのような表情の若者の姿が、黒を基調にさまざまな色彩の中で捉えられており、印象的です。背景も顔もシャツ、肩や腕も図案化され、色彩の組み合わせも豊かに表現されています。この作品を見ていると、「暗い一日」というタイトルが響いてきます。構図といい、色彩の取り合わせといい、さまざまな形状の構成といい、アイデアが素晴らしいと思いました。

 今回、洋画Ⅰ、洋画Ⅱ部門の作品を鑑賞し、改めて、さまざまなモチーフ、さまざまな捉え方、表現技法があるものだということを思い知らされました。(2019/2/3 香取淳子)

チベット・タンカに見る内面世界

■中国チベット・タンカ芸術展の開催
 「中国チベット・タンカ芸術展」が2019年1月29日から2月24日まで中国文化センターで開催されています。タンカという様式の絵画をこれまで見たこともありませんでしたので、1月29日、訪れてみました。会場には15世紀や19世紀の作者不詳の作品以外に40点ほどの現代作家の作品が展示されていました。

こちら →
https://www.ccctok.com/wp-content/uploads/2018/11/24769bb4d1a60b96e7642ef26d0ed4ad.pdf

 一覧して、色遣いの鮮やかさに圧倒されてしまいます。画布に鉱物顔料を使って描いているので、時間が経っても色褪せないのだそうです。今回の展覧会は中国文化センターと吉祥タンカ芸術センター(北京吉祥大地传播有限公司)の主催です。吉祥タンカ芸術センターはタンカの蒐集、研究、制作、宣伝を総合的に取り扱う会社で、2003年に設立されました。北京の798芸術区に本部を置き、チベット、青海省、北京市など中国各地でタンカ芸術画院を創設し、チベットの民族文化を世界に発信しているといいます。

 タンカとはチベット仏教の仏画の掛け軸の総称です。会場で初めてタンカの諸作品を見たとき、鮮やかな色彩の持つ力に魅了されてしまいました。それでは、作品を見ていくことにしましょう。残念ながら、今回、撮影した写真をアップすることができませんでしたので、チラシに掲載された作品を中心にご紹介していくことにします。

■八馬財神
 先ほどご紹介したチラシの表面に使われていたのが、「八馬財神」(100×70㎝、2017年)で、根秋江村氏の作品です。チラシには作品のごく一部が使われているだけですが、さまざまなモチーフがいかに精密に生き生きと描かれているかがわかります。

 メインモチーフは獅子に乗って正面を向いて大きく描かれています。祖師と称される人物なのでしょうか。その周辺には馬に乗った武将がさまざまな角度から描かれており、メインモチーフの頭上には炎を背景にした守護尊も描かれています。台座の下には色とりどりの花や葉が表情豊かに描き出されています。

 興味深いことに、両脇に滝の流れる風景や山並み、青々とした葉をつけた木々が描かれています。まるで山水画のような図柄でメインモチーフを挟み込むように描かれていますし、右上を見ると、雲の上に宮殿のような建物が描かれています。チラシの表面で使われているのは、絵全体の一部分でしかありませんが、それでもヒトを取り巻く社会、自然、生活が描かれていることがわかります。

大きな図で見てみることにしましょう。

こちら →
https://www.ccctok.com/wp-content/uploads/2018/10/WeChat-Image_20181010112335-mini.jpg
(中国文化センターHPより)

 仏画ですから、それぞれのモチーフにさまざまな意味が込められているのでしょう。仏画に馴染みのない私にはそれが何なのか、よくわかりませんが、絵画作品として観ただけでも惹きつけられるものがあります。画面を見入り、強く気持ちを揺り動かされる何かがあるのです。

 私の目にはモチーフの具体的な姿しか見えませんが、おそらくそれぞれのモチーフに何らかの意味が込められているのでしょう。会場には現代作家の作品とは一風変わった作品も展示されていました。古代タンカと類別された、「金剛亥母曼荼羅」という作品です。

■金剛亥母曼荼羅
 会場で展示されていたのは、「古代タンカ」と類別された「金剛亥母曼荼羅」(94×58㎝)という作品でした。作者不詳で15世紀ごろの作品とされています。最初にご紹介したチラシの裏面右側で取り上げられている作品です。

 とても抽象的な図案に見えます。ここでご紹介しようと思い、この作品をネットで探してみましたが、似たような作品がいくつもあるのですが、同じ作品はありませんでした。部外者から見れば、同じように見える図柄でも実はそれぞれに込められた意味が違うのだということを思い知らされました。図というよりは情報を伝達する要素の方が大きいのでしょう。

大きな図で鑑賞することにしましょう。

こちら →
https://www.ccctok.com/wp-content/uploads/2018/10/WeChat-Image_20181010112354-mini.jpg
(中国文化センターHPより)

 中央に四角で囲われた中に円があり、その円の中に星型の図案があり、その中に中心の楕円を囲むようにして四方に楕円が配されています。それぞれに菩薩や如来、祖師、守護尊、女性尊などが描かれています。真ん中の四角の外側には、僧侶や人々、などさまざまなモチーフが描かれており、まるで一つの世界が構築されているように見えます。

 興味深いのは、真ん中の四角の外側のモチーフはそれぞれ同じ大きさで、ラインに沿って配置されています。人物の属性、向きなどに意味が込められているのでしょう。そのように考えてみると、モチーフのそれぞれに情報が付与されたヒエログリフのようにも見えてきます。この作品は書物のように絵の助けを借りながら、人々に情報や思想を伝える役目を担っていたのだと思いました。

 この作品とは逆に、仏画でありながら絵画としての要素を強く感じた作品があります。

■仁青才让氏の作品
 会場に入った途端、色彩のハーモニーが素晴らしく、洗練された作品に魅了されてしまいました。訴求力が強く、しばらく作品の前で佇んでしまったほどでしたが、伝統的な仏画でありながら、現代の観客を持惹きつけてしまう諸作品を手掛けたのはタンカ作家の仁青才让氏でした。

こちら→http://www.kfarts.com/xi_cang/1623.html

 8歳から出家し、タンカを学んだそうです。現在39歳ですが、画家、書家としてのキャリアは長く、タンカ作家の第一人者として高く評価されています。今回の展覧会では現代作家の作品41点が展示されていましたが、そのうち20作品が仁青才让氏の作品でした。どの作品も観客を引き付けて離さない強い力を感じさせられました。

 最初にご紹介したチラシの裏面、左下で使われている藍色の作品もその一つです。この作品は2017年に制作され、45×33㎝とやや小ぶりですが、会場で見ていると、次第に心が安らぎ、清らかになっていくのを感じます。

 藍色の濃淡で画面を覆い、真ん中の菩薩を明るく、その背後には黄色系、オーカー系、グリーンペール系の色が交互に配されており、柔らかな光を感じさせられます。そして、その背後には無数の花弁のようなものが描かれ、その先がやはりペール系で色取られています。同系色の濃淡、そして補色の組み合わせが巧みで、思わず、見入ってしまいます。

 光の優しさ、柔らかさが際立って見えたのは全体を覆う藍色のせいでしょうか。この作品は鉱物のアズライトを研磨して作る石青を下地に使ったそうです。会場で見た藍色の濃淡と金色の組み合わせが絶妙で、菩薩の輝きが感じられる一方、藍色と黒、そして金の組み合わせで作られる背景に精神世界の深淵さが表現されており、感動してしまいました。

 仁青才让氏の作品はこのように、構図といい、色の組み合わせといい、画力といい、どれも、誰が見ても一目でその素晴らしさがわかる秀逸さがありました。もっと大きな図でご紹介したいと思い、ネットで探していましたら、「金绿度母」という作品を見つけました。

こちら →https://img4.artfoxlive.com/uploadFile/productImg/201705/l/1495008279263_627695_origin.jpg

 この作品は会場では展示されていませんでしたが、際立つのは、モチーフの大きさによる遠近感と構図の面白さです。菩薩や如来、守護尊などが対角線を活かして配置されており、それぞれの関係性と躍動感が表現されています。

 ここではご紹介できませんが、仁青才让氏は、黒金タンカの作品、緑金タンカの作品、紅晶タンカの作品なども手掛けており、それぞれ、色彩に合ったモチーフと構図を選択し、印象的な作品に仕上げていました。会場に入ってすぐに魅了されてしまったと書きましたが、実は、いずれも仁青才让氏の作品でした。

■タンカ作品に見るヒトの内面世界
 モチーフを表現するための絵具も、仁青才让氏の手になれば、モチーフに生命を宿らせるための道具なのでしょう。今回の展覧会で7人の現代作家の作品が展示されていました。それぞれに味わいがあり、素晴らしい作品でしたが、私が絵の前でしばらく立ちとどまって鑑賞したのはいずれも仁青才让氏だったのです。

 どこが他の作品と異なっていたのか。今思えば、絵の中で表現されている世界に深さが読み取れたからだといえます。立ち止まって見てしまうというのは絵の細部を観たいという欲求に駆られていたからにほかなりません。なぜそのような思いに駆られたのかといえば、絵に強い訴求力があり、しかも容易には読み取れない深淵なものがあったからだという気がします。

 ヒトが生きること、やがては死んでいくこと、そして、さまざまな恐れやおびえ、悲しさや辛さを乗り越え、手にすることができる世界、そういうものを絵が提供できるとき、その作品に強い力がみなぎっているはずです。仁青才让氏の作品には、色彩が奏でる美しさの背後にそのような強さがあったのです。

 今回、私ははじめてタンカの作品を40数点、鑑賞しました。とくに仁青才让氏の作品には仏画としてのタンカの精神を引き継ぎ、現代美術としての魅力が発散されていました。卓越した技量によるものでしょうし、鉱物顔料を使った深さのせいかもしれません。絵画の持つ力の大きさと多様性を認識させられました。(2019/1/30 香取淳子)

「人生フルーツ」から学ぶ:生きていくこと、老いること。

■「人生フルーツ」の上映
 2018年12月12日、人権週間にちなみ、練馬区が企画した上映会で「人生フルーツ」を観ました。高齢のご夫婦のドキュメンタリーで女優の樹木希林がナレーションを務めたということだけしか知らないまま、上映会に参加しましたのですが、素晴らしい映画でした。ご夫婦の日常生活が淡々と描かれるだけなのですが、どういうわけか感動してしまったのです。チラシを見ると、この映画は2016年に公開された映画で第91回キネマ旬報文化映画第1位、第32回高崎映画祭ホリゾント賞、平成29年度文化庁映画賞文化記録映画優秀賞を受賞した作品でした。

 
こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 なんとほのぼのとしたご夫婦の姿なのでしょう。思わず引き込まれ、見入ってしまいました。背景の雑木林、柔らかな陽射しに包またご夫婦の笑顔、よく見ると、お揃いの帽子を被っておられます。雑木林の樹皮から作られたお手製の帽子なのでしょうか。じっと見ているうちに、年輪を重ねた者だけがもつ豊かさとはこういうものかと思ってしまいました。

 映画はこの写真に象徴されるようなものでした。ただ、この写真だけでは表現できないものもありました。日常生活を追った動画だからこそ浮き彫りにすることができた側面もありました。失ってしまった何か大切なものが全編に込められているような気がするのですが、それが何なのかはっきりと説明することができません。

 どうすれば、この感動を伝えることができるかと思いながら、ネットを探していると、この映画の予告編を見つけることができました。この作品の内容をコンパクトに紹介できていると思いますので、ご紹介することにしましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=Fx6V8lerA5A

 映画を思い返しながら、なぜ私が感動してしまったのか考えてみたいと思います。

 この作品は建築家の津端修一さん(90歳)、英子さん(87歳)ご夫婦の日常生活を中心に描いたドキュメンタリーです。何気ない生活風景を淡々とカメラに収めながら、そこから豊かな人生が伝わってくるのはなぜなのか。予告映像を手掛かりに映画を思い起こしながら、みていくことにしましょう。

■高蔵寺ニュータウンの設計への参加
 予告映像ではカメラはまず、高蔵寺ニュータウンの典型的なコンクリート住宅を俯瞰してから、その一角に佇む赤い屋根の小さな家を映し出します。津端修一氏が設計に関わった住宅団地が特徴のない、無味乾燥な集合住宅群であるのに対し、雑木林に包まれた平屋建てのご自宅にはヒトに寄り添う自然の温もりが感じられました。修一氏が恩師アニトニン・レーモンドの自宅に倣って建てた平屋です。玄関はなく、30畳の居間がメインの生活空間で、これ以外に書庫、手仕事ルーム、倉庫、離れなどがあります。

 これまでに見たこともないような個性的な家ですが、そこには修一氏の建築哲学、あるいは生活信条とでもいえるようなものが反映されていました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。
https://s.webry.info/sp/99596184tettsu.at.webry.info/201706/article_1.htmlより)

 敷地の境界線に沿って、桜、柿、プラム、カエデ、クヌギ、モミなどが植えられ、その中が居宅と畑になっています。なんと70種の野菜と50種の果物を収穫できるそうです。見事なまでに自然との共生が果たされています。

 実は修一氏は高蔵寺ニュータウンの設計を任されたとき、自然との共生を目指したプランを計画していました。ところが、1960年代の社会情勢ではそのような案は受け入れられず、理想とはほど遠い、機能だけを求めた団地になってしまいました。それを契機にそれまでの仕事に距離を置き、ニュータウンの一角に土地を買い、家を建て、雑木林を育て始めたといいます。

 修一氏の建築家としての人生が大きく変わる契機となったのが、この高蔵寺ニュータウンの仕事だったのです。映画ではそこのことに深くこだわらず、自然と共生して暮らすご夫婦の日常生活に力点が置かれていましたが、私は気になりました。そこでネットで調べてみると、その間の事情が多少はわかってきました。

■なぜ建築家の仕事に距離を置いたのか。
 Toshi-shi氏が(遊)OZEKI組というHPに寄稿された文章です。このHPは閉鎖されるということなので、多少長くなりますが、該当部分を引用しておくことにしましょう。

******
 津端氏は東大卒業後、レーモンド事務所を経て、1955年に住宅公団に入社し、阿佐ヶ谷住宅や赤羽台団地などの団地計画などに従事した後、1961年に名古屋へ転勤した。(中略)1961年に名古屋支社へ赴任した津端氏は、東大ヨット部の後輩であるK氏を部下に、T氏、K氏を担当者として、ガイドプランの作成を始めた。ちなみにO氏はW氏と同時に、候補地選定等を担当していたが、1961年度末で異動。計画決定後に再び高蔵寺ニュータウンの整備を担当するようになる。また、1961年11月には東大T研究室に基本計画策定を委託するが、これも津端氏からK氏を通じて委託をしたもので、実際には津端氏の指示のもとに作業が進められた。
 もちろん喧々諤々な議論はあったが、津端氏のリーダーシップの下、円満なムードの中で作業は進められ、第2次マスタープラン、さらに1963年の事業計画原案、本所との調整を経て、64年には認可申請がされている。ここまで全て、津端氏がリーダーとして調整し、まとめたものだった。(中略)計画策定後の事業推進にあたっても、このように津端氏が中心となって調整・整備が進められたが、T先生が津端氏の言葉の中で特に記憶に残っているものとして「住宅を設計するように、団地を設計する」という言葉を挙げられた。千里ニュータウンは土地利用や施設配置が中心の平面計画だったが、高蔵寺ニュータウンは先述したスケッチにあるように三次元のアーバンデザイン、立体計画だった。そこには、施設ごとの低層・高層のみならず、デザインまでが構想されていたが、それらは公団の住建部隊が乗り込んで作業を進める中で、建設密度、住戸規模、住棟配置など、当時の標準設計に合わせて建設が進められ、津端氏の構想からは大きくかけ離れたものとなっていった。そこが一番心残りだったのではないかとT先生はおっしゃっていた。
津端氏は公団を退社後、広島大学に赴任している。当時公団で進められていた賀茂学園都市との関わりについて尋ねたが、T先生自身が賀茂学園都市を担当していたものの、特に関わりはなかったとのこと。広島大移転にも特に関わることなく、しかしこの時期に市民菜園を始めている。それが「人生フルーツ」に描かれる自然とともに生きる暮らしにつながったとすれば、津端先生にとって広島大赴任は大きな転機となる出来事だったのかもしれない。
**** Toshi-shi@(遊)OZEKI組より。

 これを読むと、修一氏が都市計画から離れざるを得なかった理由がなんとなくわかるような気がします。機能性とコストパフォーマンスを求める時代風潮と自身の建築哲学、生活信条がそぐわなくなっていったのでしょう。それでも妥協せず、別の道を選択されたことに修一氏の揺るぎない建築哲学と信念を持った生き方が感じられます。

 Toshi-shi氏によると、津端ご夫婦は広島大赴任後、市民菜園をはじめられたようです。

■自然と共生する生活
 冒頭でご紹介したご夫婦の写真はご自宅の庭で撮影されたものでした。背景には早緑の葉が木々の奥深く、幾重にも重なり、陽ざしに柔らかさを添えています。その前の敷石に腰を下ろすお二人の笑顔のなんと素晴らしいことでしょう。

 年輪を重ねた者だけが浮かべることのできる含蓄のある笑みだといえます。顔に深く刻み込まれた皺には多様な経験と知恵が、そして、帽子からはみ出た白髪には余分なものをそぎ落としたいさぎよさと清潔感が感じられます。

 皺といい、白髪といい、老いていくことに伴う自然現象ですが、老いることを恐れる人々は皺や白髪を隠そうとし、コラーゲンを注入したり、染髪したりします。「老い」のもたらす価値と美に気づかず、いつまでも「若さ」がもたらす価値と美にしがみついているのでしょう。それだけに、ご夫婦のこの写真は貴重です。

 この部分だけを取り出して、再度、ご紹介しましょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。撮影:田渕睦深氏、主婦と生活者より)

 チラシではこの写真の上にキャッチコピーが載せられていましたが、それもまた的を射たものでした。

 「人生は、だんだん美しくなる」

 お二人の素晴らしい笑顔を見ていると、このキャッチコピーのように、本当に、「人生は、だんだん美しくなる」と思えてきます。老いることが衰えていくことではなく、静かで安定感のある美しさを創り出していくことでもあると思えるようになっていくのです。年を重ねることの豊かさ、重み、味わい深さ・・・等々、それらは自然に寄り添って生きていく過程で育まれていくのでしょうか。

 ご自宅にはさまざまな果樹が植えられており、それが毎年、豊かな果実を実らせます。たとえば、スダチの木の枝には「ドレッシング用です」と書かれた小さな黄色の札が付けられています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 樹木が単なる木として存在しているのではなく、このような札が付けられることによって、ヒトにその存在を認識され、承認してもらえることになります。この庭を訪れたヒトはこの札を見ることによって、名前を知り、その機能(ドレッシング用に使われる)を知ります。知った途端にこの木に親近感を抱き、愛着を覚えるようになるでしょう。名づけられ、その属性が知らされたからです。

 実は、庭のそこかしこにこの黄色の札が付けられています。それを見て私は、この庭では木々や野菜がそれぞれの存在を主張しているように見えました。一歩、この庭に足を踏み入れれば,誰しも、どんなものにも個性があり、それぞれの役割があることを思い知らされるでしょう。自然と共生するだけではなく、庭で生きる植物たちをこのような形で可愛らしくアピールさせているのです。

 黄色の木の札を作っているのは、修一氏でした。

 木の下には水盤が置かれ、小鳥がやってくれば一休みし、水が飲めるようになっています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 ここにも黄色の札が置かれています。もし、この札がなかったら、水盤はただの水盤でしかありません。札が置かれることによって、小鳥がやってきたときに飲む水なのだということが示され、特別の存在になります。鳥もまた自分の居場所を確保できているからでしょう、ヒトを恐れることなく、平然と2羽の小鳥が水盤の縁に留まっています。

 庭の隅々にこのような配慮が見られ、津端ご夫婦が樹木や草花、小鳥など、庭で生きるもの一切合切を共に生きるものとして扱っているのが微笑ましく、見ているだけで心が豊かになっていくのを感じます。

■オシャレな生活
 先ほどご紹介したお二人の写真をもう一度、振り返ってみましょう。淡い色調のせいでしょうか、カメラで捉えられた被写体すべてに上品で爽やかな印象があります。柔らかな陽射しに包まれた雑木林を背景にしたお二人の姿がとりわけ印象的です。背景の自然に溶け込んでいるようでいて、実は、お二人の存在感がしっかりと捉えられているのです。

 お二人とも同じように白髪の上に樹皮で手作りしたような帽子を被っておられます。これがなんともいえず牧歌的で微笑ましく、ファンタジーを感じさせられます。そして、お二人とも眼鏡を着用されていますが、英子さんは縁が目立たないもの、修一氏は黒縁のもので、それぞれお顔の特徴を引き立てる効果があります。つまり、英子さんは目元の優しさが強調され、修一氏はくっきりとした個性的な面持ちになっています。

 黒縁眼鏡の強さに合わせるように、修一氏は紺色のハイネックを着用し、英子氏は逆に5分袖の淡い水灰色のハイネックを着用しています。これは修一氏のパンツと似たような色で、お二人が並んだ時、色彩のバランスが取れるよう配慮されているように見えました。主張せず、お互いの個性を際立たせながらも、調和がとれています。

 農作業するときの装いも決して野良着ではなく、淡い色調のシャープなデザインのものでした。そして、果実を入れるバケツの色が黄色なら、修一氏が乗っている自転車のフレームは赤と言った具合に、シンプルでカラフルな色が生活空間のそこかしこに使われており、センスの良さが際立っています。

 モノだけではありません。生活自体がオシャレなのです。例えば、英子さんは庭でとれた野菜や果実を使って、さまざまな料理やお菓子を手作りします。イチゴが収穫できる時期になると、イチゴケーキを楽しみます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 多少、見た目は悪くても、採れたてのイチゴがスポンジケーキの上にたっぷり乗っているのです。どんなに甘く、香しいことでしょう。有名店も及ばないイチゴケーキが出来上がりました。このように津端家の料理やお菓子はすべて英子さんの手作りなのです。

 ある日の食後、修一氏が食べ終わると思わず、美味しかった」と言いました。すると、英子さんはすかさず「美味しいと言ってもらえて、本望です」と返しました。このやり取りがとても味わい深く、感謝の気持ちが生活を豊かなものにしていると思いました。

 またある日の食事時、修一氏が「木のスプーン」と言いました。英子さんがスープ皿の傍に金属製のスプーンを置いていたのです。実は修一氏は木のスプーンしか使いません。こだわりがあるのです。すると、英子さんはそれを厭う気配も見せず、修一氏に木のスプーンをさっと渡しました。このように、ご夫婦の間にはあうんの呼吸で組み立てられた生活スタイルがありました。それがとてもオシャレだと思いました。

 実は、英子さんは朝食を二種類用意します。毎朝、修一氏用に和食、自分用にパン食をテーブルにセットするのです。傍から見ると、面倒だと思いますが、それぞれの好みを尊重して暮らす習慣ができているのでしょう。英子さんはごく自然に手際よく二種類の朝食を準備していました。

■改めて考えさせられる、今をどう生きるか。
 このようなライフスタイルを築き上げるまで、お二人にはいったい、どのぐらいの年月が必要だったのでしょうか。

 そういえば、映画の中でまるで主題歌のように、以下のナレーションが繰り返されていました。

*****
風が吹けば、枯れ葉が落ちる。
枯れ葉が落ちれば、土が肥える。
土が肥えれば、果実が実る。
こつこつ、ゆっくり。
人生、フルーツ。
*****

 自然の営み、循環システムの豊かさを言い表したものですが、最後のフレーズ、「こつこつ、ゆっくり」という言葉が心に響きます。ナレーションは女優の樹木希林が担当しました。重みのある言葉です。津端夫婦の日常生活を通して、自然の営みと年月の働きがもたらす豊かさが見事に表現されていました。

 画面に引き込まれて見続けて、改めて、考えさせられました。今をどう生きるか…。

 かつてどう生きてきたかが、「今」を決定します。ですから、「今」をどう生きるかは、「未来」を決定するのです。津端ご夫婦は未来を見据え、こつこつ、ゆっくりと木々を育て、枯れ葉を堆肥に土を豊かにし、果実を実らせてきました。あるべき姿を思い描いて日々、工夫を重ねて生活してこられたからでしょう。収穫したきゅうりを手にしたときの英子さんの笑顔は天下一品でした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 さまざまな経験と知恵と思いやりに溢れています。それこそ、「こつこつ、ゆっくり」理想の実現に向けて夫婦で歩んできたからこそ得られた果実といえるでしょう。そういえば、修一氏は夫婦で台湾に出かけたとき、付き添人に「英子さんは僕にとって、最高のガールフレンド」と言っていました。数十年共に生きてきてなお、このような言葉を口にできるとは・・・、素晴らしいと思いました。

 カメラクルーが気にならなくなったころでしょうか、英子さんは修一氏のことを「修たん」と呼んでいたのに気づきました。一方、修一氏は佐賀の病院関係者が訪ねてきたとき、英子さんのことを「お母さん」と呼んでいました。この二つのシーンを思い起こし、私はお二人の関係が見えるような気がしました。英子さんの方が大きく修一氏を包み込むようにして、これまで生きてこられたのではないかと思ったのです。

 90歳と87歳にもかかわらず、お二人の身ごなしの軽いこと、歩くのが速いこと、そして、笑顔の素晴らしいこと、ついつい見惚れてしまいました。健康で充実した生活をなさっているからでしょう。素晴らしい映画でした。見終えて清々しい気持ちになるのは久しぶりです。(2018/12/15 香取淳子)

データサイエンスの時代、大学に求められるものは何か。

■武蔵学園データサイエンス研究所設立記念講演会の開催
 2018年11月24日、武蔵大学で「武蔵学園データサイエンス研究所設立記念講演会」が開催されました。

こちら →
https://www.musashigakuen.jp/albums/abm.php?f=abm00012613.pdf&n=181124_%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%B1%95%E9%96%8B.pdf

 武蔵学園では、社会科学、人文科学の視点でデータサイエンス研究を推進することを目的に、2017年に「武蔵学園データサイエンス研究所」が設立されました。ここではデータサイエンスに関する人材育成、研究・教育方法の開発、社会への啓発活動を展開していくといいます。

 「社会科学、人文科学の視点でデータサイエンス研究を推進する」という趣旨に興味を覚え、このシンポジウムに参加してみることにしました。

 当日配布された資料によると、武蔵大学は2014年に社会学部を再編し、新学科を設立する構想を開始しました。2016年には諸状況を考慮し、学科新設ではなくコース新設に当初の方針を変更し、2017年に社会学科、メディア社会学科共通のコースとして新設されたのが、「グローバル・データサイエンスコース」です。この時同時に設置されたのが、「武蔵学園データサイエンス研究所」でした。所長は有馬朗人氏です。

 講演会が始まってまず驚いたのは、有馬朗人氏が開会挨拶のため壇上に立たれたことでした。有馬氏といえば、かつて東大総長であり、科学技術庁長官であり、文部科学大臣であったことは私も知っていました。ところがいま、武蔵学園の学園長であり、今回、設立された武蔵学園データサイエンス研究所の所長でもあるというのです。ずいぶん前に文部科学大臣をなさっていましたから、多分、相当のご年齢のはずです。

 さっそくスマホを取り出し調べてみると、有馬氏はなんと今年88歳でした。すっかり驚いてしまいました。確かに、壇上に上がってこられる際の足元にはややおぼつかない印象がありました。やはりご年齢のせいかと思いましたが、お顔は私がかつて新聞雑誌等で拝見したときのままでした。

 さらに驚いたのは、パワーポイントを使って要領よくデータサイエンス研究所設立の経緯を述べられたことでした。いったん檀上に立たれると、その年齢を忘れさせてしまうほど力強く、張りのある声で会場の参加者たちを引き付けてしまわれたのです。ご自身の経歴とデータサイエンスとの関わりを、ユーモアたっぷりにお話しされるご様子には圧倒されてしまいました。そして、開会の挨拶にふさわしく、ビッグデータはこれまでもっぱら自然科学領域で活用されてきたが、今後は人文社会科学領域で利活用し、その発展につなげてもらいたいと締めくくられたのです。

 たしかに今後、高齢化によって生産年齢人口はますます減少していくことを思えば、社会人文科学領域でのビッグデータの利活用によって社会の維持を図っていくことが必要になるでしょう。この領域でのデータサイエンティストの育成は必須です。

■社会現象をデータ処理すること
 私は大学院生の頃、質問紙調査によって得られたデータを、統計的手法によって分析するという手法で、社会現象を研究していました。1980年代初、実証社会学の領域ではデータ解析にSPSS(Statistic Package for Social Science)を使うのが主流でした。調査票で得られた回答をコーディングシートに書き写し、そのデータをパンチカードに入力し、次にプログラムを入力したカードと合わせてカードリーダーに読み取らせ、集計結果を出していくという方法です。

 当時、大型計算機は拠点校にしか設置されていませんでした。ですから、個々のデータをコーディングシートに書き写すと、わざわざ東京大学の計算機センターにまで出向いて、入力作業、データの読み取り、解析作業を行っていました。入力作業は手作業ですから、当然、打ち間違いがあります。まずは単純集計結果を出してから、データのバグを発見し、修正していく作業が必要でした。よくあるのは、「0」と「O」、「7」と「1」の打ち間違いでしたが、回答肢にない数字を打ってしまうこともよくありました。ヒトが行う作業に完璧はないということを再認識させられたことを思い出します。

 そのようにローデータを丁寧に修正してから、解析作業に入るわけですが、私は、クロス集計をしてからχ二乗検定を行う、あるいは、因子分析を行う、等々の作業を行っていました。χ二乗検定の結果で有意差が出たとき、あるいは、因子分析結果ではっきりとした結果が出たとき、瞬間、なんともいえない嬉しさが立ち上ってきて、これまでの労苦が報われるような思いがしたものでした。

 ところが、帰宅してそれを文章にまとめようとすると、想定内の結果でしかなかったと思うことが多く、次第にこの手法に不満を感じるようになっていました。その後、同じような経験を何度か重ねるうちに、この手法は仮設検証には有効でも、何かを発見するには向かないのではないか、あるいは、社会現象に伴う時間経過の要因を把握するのは難しいのではないか、という思いが強くなっていきました。横断的に収集したデータの限界を感じていたのです。

 そのような私が当時、達した結論は、①少数サンプルで徹底したパイロットスタディを行い、そこで得られた知見に基づいて仮設を立て、調査の枠組みを設計し、構造化された質問票を作成する、②対象を限定し、サンプル数をできるだけ多くする、③コントロールグループを設定し、比較検討できるようにする、というものでした。このような条件の下ではじめて、現実に即した有効な結果が得られるのではないかと思っていました。

 さて、その後、コンピュータの性能は向上し、解析手法の精度も高くなっています。当時とは違って、社会科学、人文科学の領域でデータ活用できる範囲も広がっていますし、データ処理に基づく結果についても信頼度が高まっています。

 しかも、センサーが発達した結果、様々な領域で自動的に収集されるデータが増え続けています。私が調査研究を行っていた頃は数百サンプルのデータを収集しようとすれば、巨額の資金が必要でした。研究助成を申請し、採択されでもしない限り、不可能でした。

 ところが現在、様々な領域でセンサーが自動的に収集する膨大なデータがあります。ビッグデータからは数百サンプルのデータよりはるかに精度の高い結果が導かれるでしょう。これを利活用しない手はありません。しかも、社会人文科学領域でのデータサイエンティストの育成は緒に就いたばかりです。武蔵大學がデータサイエンス領域での人材育成に向けて舵を切り、同時に、研究所を設立して教育、研究、実践に対応しようとされていることは時宜に合っており、素晴らしいと思いました。

 それでは、記念講演会に戻りましょう。有馬氏に続き、武蔵大学学長の山嵜哲哉氏の開会の挨拶が終わると、横浜市立大学データサイエンス学部長・岩崎学氏による基調講演、次いで、専門家によるパネルディカッションが行われました。

■基調講演:「データサイエンスの展開~社会科学分野への提言~」
 岩崎学氏は「統計的データ解析の理論と応用」の専門家で、現在は横浜市立大学データサイエンス学部長です。「データサイエンスの展開~社会科学分野への提言~」と題して、講演されました。

 岩崎氏は、データサイエンティストに求められるのは、〇ビジネス課題を整理し、解決する力(business problem solving)、〇データを分析能力(data science)、〇データサイエンスを意味ある形に使えるようにし、実装、適用できるようにする力(data engineering)、等々だといいます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大されます)

 この図で示されるように、社会科学領域ではまず、現実社会の問題点を整理し、課題は何かを発見する能力が必要になります。ビジネスであれ、行政であれ、教育であれ、それぞれの現場で何が課題なのかが明らかになれば、その解決に向けてデータを選択し、それぞれの課題にふさわしい条件下で活用し、分析することができます。

 興味深いのは、データを分析した結果を意味ある形に整理し、実際に使えるようにする実装能力、あるいは、適用能力が必要だと説かれていたことでした。社会現象の説明のためのデータ分析ではなく、社会現象に伴う課題を解決するためのデータ分析が重要だということです。それには、分析結果を踏まえて何らかの社会実装、あるいは社会への適用ができるものでなければならないというわけです。

 岩崎氏はさらに、社会科学には相関関係があっても因果関係があるとは言えないことに留意すべきだとし、そもそもデータさえあればいいというわけではなく、データの素性、背景なども明らかにしておく必要があるとも述べられました。実例をあげてわかりやすく説明されながら、統計学では平均値を押さえた上で個々の数値を見ていく必要があることも指摘し、線からズレているところに情報があるといわれました。確かにそうです。経験に照らし合わせ、私はなるほどと思いました。

 こうしてみると、データから情報を最大限に引き出すためのスキルの獲得だけではなく、データにはそれぞれ限界があることも知っておく必要があることがよくわかります。それだけに、先ほどの図で示されたような三つのジャンルの専門家がチームワークよく動くことが大切で、互いにリスペクトし合いながらコミュニケーションを取り、目的を遂行していく必要があるのでしょう。

■パネルディスカッション
 基調講演をされた岩崎氏をはじめ、横浜国立大学教授・松本勉氏、国際大学准教授・庄司昌彦氏、株式会社アサツーディ・ケイ執行役員・沼田洋一氏によるパネルディスカッションが行われました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 松本氏は、新しい情報社会は、CPS(Cyber Physical System)とIoT(Internet of Things)で構成されるものだとし、今後は社会科学系に強みを持つデータサイエンティストが必要になってくるといいます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 CPSとは、実世界にある多様なデータをセンサーネットワークで収集し、サイバー空間で大規模データ処理技術等を駆使して分析し、そこで創り出した情報によって社会問題の解決を図るという仕組みを指します。そして、IoTとは、インターネット経由でセンサーと通信機能を内蔵したモノが情報交換をし、相互にコントロールし合うようになることを指します。

 私はこれを聞いてすぐ、自動走行する車を連想しました。センサーと通信機能を備えた車が道路を走ると、周辺を走る車の情報、道路情報などをセンサーが自動的にキャッチし、それらのデータを瞬時に分析して、車にフィードバックし、混雑しない道路の選択、目的地への到着時間などがわかる、といったようなものが事例としてあげられるでしょう。

 データといっても私がかつて行っていたようにデータ入力をヒトが行うのではなく、センサーが自動的に行い、そのデータを通信装置が自動的にクラウドに送信していくのです。それをキャッチしたクラウドが自動的にビッグデータを分析し、そこで新たに創り出された情報が車にフィードバックされるという仕組みです。

 このように様々な領域でセンサーが自動的に収集した膨大な量の情報に基づいて分析しますから、当然その精度も高くなっています。しかも通信機能を通して刻々とフィードバックしていきますから、その都度、修正が加えられていきます。ヒトの手を介することなく、適切な判断が下され、適切に対応されていきます。

 私が調査研究をしていた頃とは、データ収集の方法、そして、データ分析の規模も精度もまったく異なった時代を迎えていることがわかります。

 国際大学の庄司氏は、別の視点からデータサイエンティストに求められるものを提示してくれました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 庄司氏は、上図で示された価値判断、目的の段階で、人文科学の果たす役割があるのではないかといいます。つまり、実際の社会現象についてデータに基づき研究するだけではなく、そこに理念を含めた視点を持ち込んだ研究が必要ではないかというのです。課題を発見し、その解決に向けてデータを活用して分析する場合、現実だけをみていて、果たして、解決できるのかという問題提起です。

 現象を科学的に明らかにするだけでは、あるべきものを探求するための手がかりを得ることは難しいでしょう。ですから、そこになんらかの価値判断あるいは目的設定を行って研究に取り組む必要があるといいます。つまり、実態を単にフォローするだけではなく、解決策が浮き彫りになるよう、デザインという概念を加えて取り組む必要があるのではないかというのです。

 政策に関わる社会科学領域では特にそのような枠組みが必要になってうるのかもしれません。データ分析には認識科学と設計科学の両方が必要だというわけです。

 さて、ビジネス現場の視点から報告されたのが、沼田氏でした。ビジネスには実態を明らかにした上で解決策が求められます。有効な解決策を見出そうとするなら、データの属性や特性、限界性を認識した上でデータを扱う必要があるといいます。一方、物事にはなんらかの視点が組み込まれています。ですから、それら一切を踏まえた上で、総合的に分析結果を解釈していく必要があるということなのでしょう。

 さらに沼田氏は、企業で求められるデータサイエンスには、課題設定をする際、明確な視点が必要だといいます。というのも、データがあって、ロジックもしっかりしているのに、肝心の課題設定ができない若者を多く見てきたからでした。そして、彼らがなぜ課題設定することができないかといえば、想像力が足りないからではないかといいます。データ分析によって明らかになった情報をどのように読み取るかという段階では想像力が必要になってくるのに、想像力が働かないので、適切な課題設定ができないというわけです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 ビジネスの現場で様々な経験をしてこられた沼田氏は、想像力がすべてのビジネスの基礎だといいます。そして、ヒトの活動を想像する力は社会科学を学ぶことによって培われると指摘するのです。ですから、データサイエンティストに求められるのは、データサイエンスのスキルとロジックであり、社会科学によって培われた想像力だというのです。

■トップダウン(仮設構築)式かボトムアップ式か
 最後に、司会者から、データによるモデル化には、仮設構築式分析によるものとボトムアップ式分析によるものがあるが、それらの違いについてどう思うかとパネリストに向けて質問されました。興味深かったのは、パネリストの一人が、ボトムアップ式でもデータからモデルが浮かび上がってくるが、得られた結果について説明可能かといえば、ボトムアップ式だけでは難しいし、非効率だと答えたことでした。予測はできても制御はできないからだというのです。
 
 別のパネリストからは、日々の戦術ではボトムアップ式でやっていくが、ABテストを行いながら、実験的要素を加えていくという意見が出されました。ABテストとはインターネットマーケティングで施策が適切かどうかの判断を行うためのもので、ビジネスの現場ではこれによって日々調整をしているといいます。ネット通販ではABテストを繰り返し行っているそうです。

 こうしてみると、データ量が膨大になったとはいえ、依然としてデータ分析においてこの二つの観点が外せないことがわかります。これは庄司氏が図示した認識科学と設計科学の枠組みの違いとも重なります。二つを切り離して考えるのではなく、相互に補い合いながら実践につなげていくのがいいのかもしれません。

 会場では、データと対峙して研究を実践してきた研究者とデータを駆使してビジネスを展開してきた事業者がそれぞれの立場でデータに関する経験を踏まえ、社会人文科学でのデータサイエンスについての見解を披露されました。とても有意義な講演会だったと思いました。

■大学教育の見直しが必要か?
 2018年11月30日、日経新聞電子版で「文系学生も数学を、経団連が改革案 大学教育見直し提言」という見出しの記事を読みました。その内容は以下の通りです。

***
 大学には文系と理系でそれぞれ偏りすぎた教育内容の見直しを迫る。ビジネスの現場ではシェアビジネスやデジタルマーケティングが広がり、統計などの知識が必要だと考える経営者は多い。データを扱うために「最低限の数学」を学生が学び続けるよう求める。
 理系の学生に対しても「リベラルアーツ(教養)」の充実を求める。グローバルに活動する企業には従業員の国籍が多様になり、他国の文化を理解しながら働く人材が求められる。研究室に閉じこもらず、幅広い視点を持つ人材の育成を目指す。
***

 経団連は、以上のような内容の提言を大学側に向けて行っていくといいます。大学に改革を迫らなければならないほど、デジタル人材が不足しているのでしょう。

 そういえば、文科省は「データサイエンティストを束ねてリーダーシップを発揮できる棟梁レベルの人材が不足しており、その育成は喫緊の課題」だとし、2017年度には人材育成プログラムをスタートさせています。ちなみに、データサイエンティスト人材育成のためのスキームは以下のようなものです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。日経新聞電子版、2018年4月19日)

 上記の図に示された「棟梁レベルの人材」は、年間500人を輩出していかなければならないほど不足しているようです。

 2017年に文科省のプログラムに採択され、企業と大学が連携して人材育成を推進していこうとしているのが、以下の4つのグループです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。日経新聞電子版、2018年4月19日)

 東京医科歯科大学のグループが2017年、2018年でそれぞれ64人、60人、同様に、電気通信大学が40人、40人、大阪大学が0人、70人、早稲田大学が120人、70人ですから、2年合わせても464人で、年間必要とされる500人を下回っています。しかも、それぞれ予定、計画、目標値といった文言が添えられていますから、実際の受講生は464人を下回る可能性もあります。

 経団連が2018年11月30日の段階で大学への提言を打ち出したということからは、データサイエンティストの人材育成がスムーズに進んでいない可能性が考えられます。将来を見据えれば、非難を覚悟で、経済界から大学への教育改革を迫らざるをえなくなっているのでしょう。

 一連の流れをみていると、経済界はいち早く時代の変化に立ち向かうのに対し、教育界は経済界から後押しされてもなかなか動かない(動けない)というのがどうやら現実のようです。それは、経済界の競争相手が世界の事業者であるのに対し、教育界の競争相手がごく一部を除き、ほとんどが国内の大学・学校だからでしょうか。あるいは、経済界は判断を誤るとすぐにも倒産しかねないほど早く結果が出るのに対し、教育界は判断を誤ってもそれが判明するのに時間がかかるといった特性のせいでしょうか。いずれにしても、武蔵大学で行われた講演会はタイムリーでとても興味深く、さまざまなことを考えさせられました。(2018/11/30 香取淳子)

「練馬アニメカーニバル2018」が開催されました。

■「練馬アニメカーニバル2018」の開催
 2018年10月20日から21日の11:00から18:00、練馬駅北口で「練馬アニメカーニバル2018」が開催されました。土曜日、立ち寄ってみたのですが、意外に人数が少なく、驚きました。アニメイベントの開催地ならどこも若いヒトが溢れかえっているのかと思っていたのですが、どうやらそうでもなく、会場では若者より親子連れの方が目立っていました。若者向けアニメキャラクターを使った看板がちょっと場違いに思えたほどでした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 とはいえ、会場でもらったパンフレットを見ると、とても充実した内容で、アニメや漫画を端的に知りたいと思う者にとっては恰好のコンテンツが用意されていました。とくに、「練馬にいた!アニメの巨人たち LIVE高畑勲完読編」や「“アニメはネットで見る“のが常識に?! ネット配信はアニメビジネスに変革をもたらしたか」などのトークショーやシンポジウムが、私には興味深く思えました。

こちら →https://animation-nerima.jp/event/carnival/
 
 アニメそのものはもちろんのこと、よしもとアニメ芸人のライブ、イベント関連のアニメ作品の上映、アニメ制作体験のワークショップなども用意されていました。練馬駅は大江戸線、西武池袋線、有楽町線を利用できますから、アクセスになんら問題はありません。それなのになぜ、ヒトが集まっていないのか、私には不思議でなりませんでした。

 なぜ私がそんなふうに思ったかというと、2週間ほど前に徳島で見かけたアニメイベントとつい、比較してしまったからでした。

■「マチ★アソビvol.21」
 実は、徳島国際美術館に出かける予定で、10月6日から7日にかけて徳島に宿泊しました。その1か月ほど前に旅程を決めて、ホテルを予約しようとしたのですが、どういうわけか、希望したホテルは予約できませんでした。予約で満杯だというのです。ところが、徳島に着いてみると、街はいたって静かでほとんど人通りはありません。なぜ、どのホテルも予約客でいっぱいだったのか、理解できませんでした

 10月7日午前中、眉山ロープウェイに乗って山頂まで登ってみようと思い、阿波踊り会館に行きました。そこでようやく、ホテルの予約が取れなかった理由がわかりました。山頂でアニメイベントがあるというのです。山頂までのエレベーター前には若者が大勢並び、周辺の部屋や階段にまで溢れかえっていました。12時から眉山山頂で「FateHF×AbemaTVスペシャル」が開催されるので、全国各地からやってきた若者たちが列を作っていたのでした。

こちら →https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12246-105812/

 山頂のステージでは、コスプレあり、キャラクターやアイドルの登場ありといった具合に、若者たちが今を楽しむ空間が創り出されていたのです。山頂ではこのようなイベントが行われ、街中では各所でアニメ上映会が行われていました。

こちら →http://www.machiasobi.com/passrull.html

 徳島では町おこしの一環として、毎年この時期にアニメイベントが開催されており、大勢の若者たちを全国から集めるパワーを発揮していたのです。
 
こちら →http://www.machiasobi.com/

 「マチ★アソビvol.21」の今年の開催期間は、2018年9月から10月8日まででした。私が大塚国際美術館に行く予定でたまたま徳島を訪れたのが、このアニメイベントの開催日だったというわけでした。おかげで図らずも、徳島でのアニメイベントの集客状況を見ることができました。

 徳島と比較すると、今回の練馬アニメイベントはあまりにも参加者数が少なく、そして活気がなく、驚いてしまったのです。アニメ発祥の地といわれ、アニメ会社も多数ある練馬で開催されたアニメイベントなのになぜ、参加者が少なかったのか。しかも、若者が圧倒的に少なかったのか。私には理解できませんでした。

 先ほどご紹介したように、練馬アニメカーニバルのプログラムはとてもよく出来ていました。アニメを俯瞰し、把握しようとすればこちらのイベントの方がはるかに充実しており、参考になると私は思いました。とくに素晴らしかったのが、氷川竜介氏と原口正宏氏のトークショーでした。

■氷川竜介氏×原口正宏氏、高畑勲監督を語る
 これは、2018年4月5日に82歳で亡くなった高畑勲監督について、明治大学特任教授の氷川竜介氏とアニメ史研究家の原口正宏氏が語り合うというコーナーです。私は途中から参加したのですが、ジョークを交えて両者の対話を聞きながら、専門家ならではの蘊蓄を楽しむことができました。その一端をご紹介しましょう。

 司会者から、高畑勲監督の作品で印象に残るのはと問われ、氷川氏は「じゃりん子チエ」(1981年公開)を挙げ、原口氏は「パンダコパンダ」(1972年公開)を挙げました。

◆じゃりん子チエ

こちら →http://www.futabasha.com/chie/

 「じゃりん子チエ」を挙げた氷川氏は、高畑監督は原作に忠実にアニメ作品を制作していたといいます。原作をいったんバラバラに解体して本質を掴んでから再構成するかたこそ、面白くてやがて悲しいトーンができあがるというのです。たとえば、人間にとって本当の孤独とは何かという哲学的なテーマも、高畑監督の手にかかれば、穏やかなユーモアの中で味わい深く表現されていくというわけです。

◆パンダコパンダ

こちら →http://www.pandakopanda.jp/

 一方、「パンダコパンダ」を挙げた原口氏は、この作品の脚本は宮崎駿が手掛けたが、演出は高畑監督が担当しており、高畑監督の本質がこの作品にまぎれもなく現れているといいます。すなわち、日常生活を丁寧に切り取って描き、それを物語の展開の過程に挟み込んでいくという手法です。この手法を採るからこそ、ペシミスティックなものを土台にしても、観客と共有できるものが生み出されると説明します。

 高畑勲監督について、両者は異口同音にそのペシミスティックな姿勢を特徴として挙げています。調べてみると、確かにその要素はありました。たとえば、高畑監督は「母をたずねて三千里」についてのインタビューに答え、以下のように述べています。

 「ハイジの次に作った「母をたずねて三千里」の主人公マルコは、自分の無力さにいらだつ少年です。つらい状況に遭うと、「僕は呪われているんだ!」と叫ぶ。視聴者には「かわいげのない生意気な子」と映るだろうけれど、それでいい。一緒に作った宮さん(宮崎駿監督)は、主人公が旅の先々でトラブルを解決し、一宿一飯の恩義を果たす股旅ものをやりたかったのだろうが、僕は惨めな話がよかった。靴が壊れ、生爪がはがれるといった、目を背けたくなるエピソードもあえて入れた」
(「朝日新聞」2013年12月9日付夕刊)

 この記事を読むと、高畑監督が単なるストーリー展開の面白さだけではなく、登場人物をしっかりと支えるリアリティを求めていたことがわかります。実際、辛いエピソードがストーリーの中に組み込まれると、人物像に陰影が生み出され、笑いに深みが加わります。だからこそ、氷川氏が指摘するように、「面白くてやがて悲しい」気持ちになってしまうのでしょう。日常生活の一端に辛い要素を付加する高畑監督の手法こそが、大人の鑑賞にも耐えられるアニメ作品に仕立て上げているのかもしれません。

■高畑監督の功績
 高畑監督の手掛ける作品は次々とヒットしました。

 もちろん、それらの作品が制作されたのがシリアスなものを求める時代であったことも影響しているでしょう。作品が世に受け入れられるには時代の風潮が深く関わってきます。「パンダコパンダ」は1972年、「アルプスの少女ハイジ」は1974年、「母をたずねて三千里」は1976年、いずれも70年代に放送開始されています。人々がまだシリアスなものを求めていた時代でした。

 原口氏は、高畑勲監督は時代の風潮はどうであれ、子供に何を提供するかという観点からアニメ作品を制作すべきだと思っていたといいます。子供に今、何が不足しているのか。子供に向けて何を作るか、提供するか。そして、何よりもまず、教育、道徳、説教臭さを離れ、子供自体が生き生きと心を解放できるような作品を創るべきだと考えていたというのです。

 見るだけで子供が幸せになれる作品、長い年月を経ても子供たちに親しまれる作品、高畑監督はそのような作品を創ろうとしていたと原口氏はいいます。

 原口氏は、東映時代にTVアニメを一通り経験し、さまざまに試行錯誤した結果、高畑監督は独自の手法を見出したといいます。つまり、描こうとするものを客観的に捉えるとともに、プロセスを省略せずに見せる、それも、愚直なまでに丸ごと見せるという手法です。

 丸ごと見せることによって、観客をエピソードの細部に立ち会わせ、時間と経験を共有させることができます。細部を省略せず、丁寧に描くことによって、物語に時間の厚みを創り出し、観客が共感できる素地を作っていくのです。このような高畑監督の演出手法が、日本アニメに奥行きと風格を与えたといってもいいでしょう。高畑監督が演出した「アルプスの少女ハイジ」はその後の日本アニメに大きな影響を与えたといわれています。

 一方、氷川氏は、高畑監督は日本アニメの巨人だといいます。たとえば、空気は観客にどうやって実感させることができるか、見えないものをあるように見せるにはどうすればいいか。極めて難しい課題です。感情も同様、外から見えないものは表現するのは非常に難しい。それを高畑監督はしっかりと可視化し、実感できるように表現しているといいます。

 空気のある世界はヒトやものが生きている世界でもあります。高畑監督はシーン毎に細部を丁寧に積み重ねていくことによって、空気を感じさせ、見えない領域を観客に感じさせることができます。そして、日常性を画面に入れ込み、リアリズムに徹することで、登場人物の存在に説得力を持たせているのです。

■アニメイベントの集客力と訴求力
 10月7日に徳島のアニメイベント、そして、10月20日に練馬のアニメイベントに遭遇しました。いずれも通りすがりに偶然、見かけました。驚いたのは集客力の違いでした。徳島のアニメイベントは町おこしの一環として開催されており、会場には全国各地から若者たちが馳せ参じていました。閑散とした街並みでは、若者の姿だけが目立つ不思議な光景を何度も目にしました。

 イベントが行われる眉山山頂行のエレベーターに乗ろうとしても、混雑して乗り切れず、手持無沙汰だった私は物産コーナーに向かって、徳島の特産品を買いました。ところが、そこで見かけたのはもっぱら親子連れか高齢者で、若者は見かけませんでした。ひょっとしたら、混み合って身動きのできないほど多くの若者が集っていても、地元の物産にはあまりお金を落としていなかったのかもしれません。

 一方、練馬のアニメイベントには親子連れがもっぱらで、若者の姿はあまりなく、意外なほどでした。プログラムはとてもよく出来ていたのに盛り上がりに欠けていたのは、参加者数が少なかったからでしょう。そうはいっても、参加したトークショーは内容が充実しており、聴き応えがありました・・・、と書いてきて、ふと気づきました。

 練馬のアニメイベントで参加者が予想外に少なかったのは、若者に向けた参加型プログラムがなかったからではないかと思ったのです。

 アニメ制作ワークショップのような参加型のプログラムも用意されていましたが、ここでは親子連れが目立っていました。混んでいると思っていた上映会もグッズ販売も参加者が少なく、活気がありませんでした。イベントには付き物のお祭りの要素が欠けていたのです。それはおそらく、徳島のアニメイベントで見かけたような若者を対象にした参加型プログラムが用意されていなかったからでしょう。参加者の気持ちを弾ませる賑わいを生み出せなかったことが、集客力の弱さに結び付いたのではないかと思いました。

 もちろん、開催場所の状況も影響しているでしょう。徳島では眉山の頂上でイベントが開催されていました。大音量をあげ、参加者が打ち興じられる異空間が用意されていたのです。一方の練馬では開催場所が駅前広場とビル内だったので、大音量をあげることはできず、大人数も収容できませんでした。アニメイベントを通して日常空間から脱することができなかったのです。

 通りすがりに立ち寄ったとはいえ、私にとっては練馬イベントでのトークショー魅力的でした。日本アニメの作品や監督に詳しく、深い分析ができるヒトが登壇者として招待されていたのです。聞き始めるとたちまち引き込まれ、気が付くと、夢中でメモを取っていました。練馬のアニメイベントは集客力こそ弱かったですが、訴求力は強く、参加者の心に残るものは大きかったと思います。(2018/10/28 香取淳子)

日中友好漫画展:一コマ漫画の洗練されたユーモアと訴求力

■日中友好漫画展の開催
 2018年9月11日から21日まで、中国文化センターで「日中友好漫画展」が開催されています。日本漫画家協会、中国漫画創作基地(嘉興)、嘉興市文化広電新聞出版局、嘉興市文学芸術界連石古合会、等々主催、中国文化センター共催で行われました。会場では中国各地からの漫画作品50点と日本漫画家協会からの作品50点と合わせて100点、ユニークで風刺の効いた漫画作品が展示されています。

こちら →
https://www.ccctok.com/wp-content/uploads/2018/08/c1e6ce72345a2924d8f1b0a228262565.pdf#search=’日中友好漫画展’

 開催初日の9月11日、会場に出かけてみました。展示作品はすべて一コマ漫画でしたが、それだけに一枚の絵に凝縮した世界が表現されており、見応えがありました。中には社会観察力が深くて鋭く、思わず笑いがこみ上げてくる作品もありました。なるほどと思ってしまったからでしょう。この種の作品を見る機会があまりなかったせいか、とても新鮮な印象を受けました。

 印象に残った作品をいくつか取り上げてみましょう。

■漫画家がクリティカルに捉えた現代社会
 展示作品のうち、印象に残ったのはいずれも、中国の漫画家が捉えた現代社会を題材とした作品でした。

 たとえば、「家庭」という作品があります。

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 作者は浙江省の于保勋氏で、中国美術協会漫画委員会委員であり、中国ニュース漫画研究会常務理事です。

 眼鏡をかけネクタイに黒っぽいスーツ姿の男性が汗水を垂らしながら、巨大な荷物を背負って歩いています。背負っているのは、洋風の赤い屋根の家と赤いスポーツカーです。その家のバルコニーからは、まるでこれからパーティに出かけるかのように着飾った金髪の女性がバルコニーから身を乗り出し、「あなた!私まだ、自家用飛行機が欲しいわ」と叫んでいます。この男性の妻なのでしょう、その傍らにいるきれいにトリミングされた猫が笑っています。贅沢三昧の生活を楽しむ妻とそれを必死で支える夫という構図で、家庭が描かれています。

 この妻はすでにゴージャスな服や宝石を身につけ、オシャレな家に住み、スポーツカーまで所有しています。物欲はかなり満たされているはずなのに、それでもまだ自家用飛行機が欲しいと夫にねだっているのです。欲望には限りがないことが見事に表現されています。

 その背後に、欲望を次々と肥大化させていくことによって、経済活動が活性化し、社会が回っていく高度産業社会の仕組みの一端が透けて見えます。贅沢三昧の生活を汗水たらして支えているのが、ネクタイにスーツ姿の真面目そうな中年男性です。公務員なのでしょうか、巨額のお金を稼ぐことには犯罪につながりかねない危うさがあることも示唆されています。

 家庭内の光景を題材にした作品もあります。「夕食」という作品です。

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 作者は北京市の重磅动漫メディア総裁の権迎升氏、専業漫画家です。

 家族揃って食卓を囲んでいます。時計は7時を指していますから、きっと夕食の光景なのでしょう。ところが、団欒の雰囲気はかけらもなく、ひたすら静かです。それもそのはず、お父さんもお母さんもスマホを観ながら皿に箸をつけていますし、正面に座っている子どももタブレットを見ています。

 これまでスマホを題材にした作品は何度か目にしたことがありますが、若者か中年層がモチーフとして登場していました。ところが、この作品で幼児や犬がモチーフに加えられています。足が床に届かないような幼い子どもなのに、食事よりもタブレットの画面に夢中になっていますし、テーブルの下で寝そべる犬までも、大きなスマホの画面に見入っているのです。

 貴重な家族団欒の時間さえ、いまや、スマホに侵食されていることが象徴的に表現されています。せっかく家族が時間と場所を共有していながら、言葉を交わすことなく、意識はそれぞれ、スマホやタブレットを通してネット空間をさまよっているのです。

 ヒトとヒトの絆を対面で深めていく機会はスマホやタブレットで失われ、ネット空間でのコミュニケーションに移行していることが示されています。多様なデバイスやアプリケーションが開発されれば、幼児や犬も容易にネットの虜になってしまいます。この作品を見ていると、改めて、危うい時代に入ってしまったのではないかと思わせられます。

 肥大化する欲望を描いた「家庭」、スマホに乗っ取られた家族団欒を描いた「夕食」、いずれも、作品を通して、ヒトの存在基盤である家庭が崩壊寸前になっていることが示唆されています。

 人々の欲望を刺激することによって消費を促し、経済を活性化させるのが、高度産業化のメカニズムの一つだとすれば、ヒトが節度を忘れ、本来のコミュニケーションをなおざりにしてしまうのも無理はないのかもしれません。その高度産業化の行き着く果てが、環境汚染です。

 たとえば、「最後のオークション」という作品があります。

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 作者は北京市の張燿寧氏で、中国美術協会漫画芸術委員会副主任であり、中国ニュース漫画研究会会長です。

 この作品はオークション会場を題材に、環境汚染をユーモラスに捉えています。クリスティーズなのでしょうか、檀上では恰幅のいい男性がオークショニアとして会場を仕切っています。集まった買い手たちが次々と入札価格を提示する中、水の入ったボトルがひときわ大きく、立派に描かれています。

 絵画や骨董品など、次々に取引された高価な品々の中で、最後に登場したのが「純浄水」だという絵柄です。高価な美術品よりもさらに貴重なのが水だというわけです。物質的な欲望の果てに環境汚染が深刻になれば、飲み水こそがなによりも貴重で高価なものになるという皮肉が表現されています。

 以上、ご紹介した3点は会場でタイトルや名前も写るように撮影したので、作品自体は見づらいものになってしまいました。

 最後に、プラスティックによる汚染問題を象徴的に捉えた作品をご紹介しましょう。「プラスティックのお城」という作品です。下の写真は、会場ではうまく写せなかったので、チラシを撮影したものです。

こちら →
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 作者は北京市の王立軍氏で、中国美術協会漫画芸術委員会秘書長です。都市を海底部分から捉えた断面図ですが、ほのぼのとした独特の味わいがあります。海底部分の面積が大きく、不安定な不定形の物体で都市が支えられているからでしょうか。不思議な絵柄に強く印象づけられました。

 海底で都市を支える奇妙な物体は一体、何なのでしょう。不思議に思って、ネットで検索してみると、同じような形のものに出会いました。

 実は、奇妙な不定形に見える物体は、スーパーなどで使われているプラスティックバッグだったのです。プラスティックバッグをひっくり返してみると、以下のようになります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 プラスティックバッグを逆さまにすると、プラスティック都市を海底で支える物体と似たような形状になることがわかります。王氏は声高にプラスティックゴミの汚染を訴えるのではなく、さり気なく、プラスティックゴミで支えられた都市の危うさを表現しているのです。この表現はとても洗練されており、何度も抽象化過程を経た作品の趣が感じられます。

 会場で印象に残った作品を4点、ご紹介しました。興味深いのは、今回取り上げた作品がいずれも中国の漫画家の作品だったことです。日中の漫画家の作品が50点ずつ、同数展示されていたにもかかわらず、印象に残ったのがすべて中国の漫画家の作品だったということは、一コマ漫画では中国の漫画家の方が長じているといえるのかもしれません。

■日中漫画トークイベント
 2018年9月11日、13時30分から日中漫画トークイベントが開催されました。コーディネーターが日本の漫画評論家の石子順氏、登壇者が王立軍氏(中国美術協会漫画芸術委員会秘書長)、仲中暁氏(嘉興美術館副館長)、孔月華氏(嘉興文聯秘書処副処長)、岳陽氏(嘉興美術館職員)でした。

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(図をクリックすると、拡大します)

 石子順氏が登壇者に質問するという形で、トークイベントは進められました。聞いていて興味深かったのは、中国の漫画は一コマ漫画が主流なのに対し、日本の漫画はストーリ漫画が中心だということでした。それを聞いて、今回の展覧会で私が深く印象づけられた作品がいずれも中国の漫画家によるものだった理由がわかったような気がしました。一コマ漫画に対する造詣の深さが違っていたのです。

 さらに、中国では漫画創作基地として、嘉興美術館が指定されており、2年に一度、国際イベントを行う一方、絵を描くのが上手な子どもを対象に児童漫画のトレーニングを行い、将来の漫画家の揺り籠としての役割を果たしているということが紹介されました。

 嘉興国際漫画イベントは今年6月26日、上海市で開催されました。

こちら →
http://www.jxmsg.com/jxmsg/main/ArticleShow.asp?ArtID=1325&ArtClassID=10

 子どもたちを集めたトレーニング会は今年7月9日に行われたようです。

こちら →
http://www.jxmsg.com/jxmsg/main/ArticleShow.asp?ArtID=1329&ArtClassID=10
 一連のお話しを聞いていると、中国では着々と、漫画家の国際交流や次世代の漫画家育成が、国や地方政府に支援されて行われていることがわかります。
 
■豪Herald Sunの一コマ漫画
 同じころ、一コマ漫画が大きな話題になりました。オーストラリアの新聞Herald Sunがテニスの全米オープン戦でセリーナ・ウィリアムズ選手が見せた行為を表現した一コマ漫画です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。BBC Newsより)

 この一コマ漫画を見た途端、思わず、声を出して笑ってしまいました。私はYouTubeでこの時の状況を見たのですが、この一コマ漫画で描かれている通りの展開だったからです。試合情勢が悪くなってくると、セリーナ選手は苛立ちを隠しきれず、ラケットを壊し、ついには凄まじい勢いで審判に謝罪を求め、暴言を吐きました。見ていて、驚いてしまいましたが、この時の印象を絵で表現すると、まさしくこの絵柄になるでしょう。

 髪を逆立て、全身で怒りをぶちまけているセリーナ選手の姿は36歳の母親とは思えないほど幼稚でした。漫画では壊れたラケットの傍らにさり気なく、ころがった哺乳瓶の乳首が描かれています。

 一方、この試合で勝利した20歳の大坂なおみ選手に対し、審判が「あなた、ちょっとだけ彼女を勝たせてあげられる?」と聞いている様子が描かれています。この部分は漫画家のフィクションですが、審判員が、36歳の駄々っ子(セリーナ選手)をいさめるために、20歳の(精神年齢の高い)大坂なおみ選手に、(あれだけ騒いでいるから、仕方ない)、ちょっとだけ勝たせてあげてはどうかと提案している様子を、漫画家はセリーナ選手の幼稚さを際立たせるために描き加えているのです。

 実際、YouTubeで見た映像では、大坂なおみ選手は優勝インタビューで涙を流し、「こんな結果になってごめんなさい」とまで言っています。オーストラリアの漫画家が描いたように、セリーナファンがブーイングする会場でも、大坂なおみ選手は冷静さを失わず、勝者なのに謙虚な姿勢を崩さなかったのです。

 ところが、この漫画を掲載したところ、人種差別で、性差別的だと漫画家は非難されました。Herald Sunはこれに対し、漫画家を全面的に支援する姿勢を見せて、一面トップにこのイラストを再掲載したといいます。

■一コマ漫画のユーモアと訴求力
 それにしても、Herald Sunの一コマ漫画は何度見ても可笑しく、思わず声を出して笑ってしまうほどの訴求力がありました。それはおそらく、この一コマ漫画が、世界ランキング1位のセリーナが大坂なおみとの試合で見せた行動とその場の雰囲気を見事に捉えていたばかりか、両選手の本質までも描き切っていたからでしょう。

 本質を描き切った一コマ漫画には確かに、見る者の気持ちを強く動かす力があります。訴求力が強いだけに、言葉を超えた力で見る者の記憶に残るでしょう。そう思うと、この漫画は人種差別でも男女差別でもありませんが、訴求力が強いだけに、セリーナファンにしてみれば、こじつけでもいいから批判したくなるかもしれません。

 改めて、中国の漫画家たちの洗練された描写力を思わせられました。会場で私が印象づけられた作品はいずれも抽象度が高く、具体的に批判をしていても、ストレートな反感を呼ばないように処理されていたように思います。抽象度を高めて婉曲的に表現し、絵柄にユーモラスな味わいを加えるといった具合に、余裕のある洗練されたセンスが随所で光っていました。

 豪Herald Sun紙に掲載され、いま物議をかもしている一コマ漫画との違いはおそらく、この点でしょう。抽象度が低いので、ストレートな個人批判になってしまい、物議をかもしているのです。描きようによっては、テニスコート上でのマナー、あるいは、品格を訴える上質の作品になったかもしれませんが、この絵柄なので反発され、人種差別、性差別と捉えられ、一部の人々を刺激したのです。

 この展覧会で一コマ漫画を多数、見る機会を得ました。作品の多くは、社会をクリティカルに捉えた洞察力で支えられ、味わいのある絵柄で表現されていました。対象を深く観察し、考察し、それを絵の力でどう表現するか、モチーフの選択、構図の選択が巧みだと思いました。

 さらに、対象を抽象化すれば、洗練されたユーモアが醸し出されることにも気づかされました。高度な知性がなくてはこの種の作品は描き切れないでしょう。一コマ漫画には、洗練されたユーモアとクリティカルな訴求力が込められているからこそ、見る者を深く考えさせる力を持つのだと思いました。(2018/9/15 香取淳子)