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10月

《草上の昼食》:マネは何を表現しようとしていたのか。

 前回、石井柏亭《草上の小憩》を取り上げ、マネ《草上の昼食》の影響がどこにあるのかを見てきました。改めてマネの《草上の昼食》を何度も見ることになったのですが、見れば見るほど、人物モチーフの取り合わせが奇妙に思えてきます。

 マネは《草上の昼食》で一体、何を表現しようとしていたのでしょうか。

 そこで今回は、制作過程や時代背景を踏まえ、マネが制作当時、何に関心を寄せていたのかを把握し、《草上の昼食》で何を表現しようとしていたのかを考えてみることにしたいと思います。

 《草上の昼食》の解説を見ると、ほぼ一致して、この作品はティツィアーノの《田園の奏楽》とラファエロの《パリスの審判》の影響を受けていると指摘されています。果たして、どこがどのように影響されているのでしょうか。

 まず、定説となっているこれら二つの作品を見ていくことから始めたいと思います。

■《田園の奏楽》と《パリスの審判》

 多くの評論家や学者、好事家が一致して指摘するのは、マネは、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio, 1488頃-1576)の《田園の奏楽》(Concerto campestre, 1509年)をルーヴル美術館で見て、着衣の男性と裸身の女性が田園で憩うという作品の着想を得たということです。

 そして、手前の男女3人の配置については、1515年頃にマルカントニオ・ライモンディ(Marcantonio Raimondi, 1480-1534)によって制作された、ラファエロ(Raffaello Santi, 1483-1520)の《パリスの審判》(Giudizio di Paride, 1515年)を基にした銅版画に影響されたということでした。

 《田園の奏楽》にしても、《パリスの審判》にしても、16世紀前半に制作された宗教画です。

 それでは、二つの作品を順に見ていくことにしましょう。

●ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)《田園の奏楽》(Concerto campestre, 1509年頃)

 この作品は長い間、イタリア人画家ジョルジョーネ(Giorgione, 1477年頃 – 1510年)が描いた作品といわれてきました。ところが、最近の学説ではその弟子ティツィアーノ(Tiziano Vecellio, 1488年頃-1576年)の作品だとされています。

(油彩、カンヴァス、105×137㎝、1509年頃、ルーヴル美術館)

 着衣の二人の男性と裸身の女性が草原に腰を下ろし、その近くに、裸身の女性が立ったまま、水差しから水を注いでいる姿が描かれています。座った女性は後ろ向き、立っている女性は前を向いています。暗い色調の木立の中で、画面手前の二人の裸身の明るさが目立ちます。

 二人とも完全な裸身というわけではなく、立っている女性は太腿から膝下にかけて布を巻きつけ、座っている女性は右太腿に巻き付けた布の上に腰を下ろしています。いずれも豊穣の象徴としての豊満な姿が描かれています。

 座っている男女3人は一見、仲睦まじく、団欒しているように見えます。ところが、よく見ると、どうやらそうではなさそうです。というのも、男性二人は親密に話し合っているのに、彼らは目の前の女性とは何ら関わりがなさそうなのです。

 二人の男性を見てみましょう。

 赤い帽子を被り同色の服を着た男性は楽器を奏でながら、隣の茶色の帽子を被った男性と何やら親し気に語っています。

(前掲、部分)

 至近距離に裸身の女性が座っているというのに、男性二人がなんら関心を示している様子はありません。赤い服を着た男性など、裸身の女性とは足が触れ合わんばかりに近いところにいるのに、まるで女性など存在していないかのように、隣の男性との会話に夢中です。

 もちろん、彼等はすぐ傍に裸身の女性が立って、水差しから水を注いでいるのにも気づかないようです。不思議なことに、男性は二人とも、裸身の女性になんの興味も示していないのです。

 ということは、この裸身の女性たちは生身の人間ではなく、女神あるいはニンフと理解すべきなのでしょう。そう考えれば、着衣の男性と裸身の女性を描きながら、この作品が顰蹙を買うこともなく、ルーヴル美術館に展示されていた理由もわかります。

 女神あるいはニンフだからこそ、裸身を描いても拒絶されなかったのです。

 16、17世紀の美術理論ではデコールム(decorum)という概念が重視されていました。宗教画、歴史画などの作品では、個々の人物の描き方が適切で、主題や表現ともに品位を保つ配慮が必要とされていたのです(※ https://karakusamon.com/word_bijyutu.html)。

 ティツィアーノは晩年、フェリペ2世の依頼で、宗教画と「ポエジア」と呼ばれる古代神話連作絵画を制作していました。神話に仮託した裸婦が描かれることも多かったといわれています。《田園の奏楽》を見てもわかるように、理想的な裸身を描く技量を持っていたからでしょう。

 ティツィアーノはデコールムに則って、魅力的な裸体を描くことができたのです。

 さて、マネの《草上の昼食》が影響を受けたといわれるもう一つの作品が、《パリスの審判》です。

●ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)《パリスの審判》(The Judgment of Paris、1515年)

 ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi, 1483-1520)はイタリアの画家であり建築家です。明確でわかりやすい構成と、人間の壮大さを謳い上げる世界を視覚化したことで評価されています。ラファエロの作品は絵画でもドローイングでも評価が高く、ローマ以外でも彼の作品を元にした版画が出回り、よく知られていました。

 そのラファエロが《パリスの審判》を描いたのをライモンディ(Marcantonio Raimondi,1475年頃‐1534年頃)が版画にしたのが、下の作品です。

(銅版画、サイズ不詳、1515年、ドイツ、シュトゥットガルト州立美術館)

 裸身の神々や天使が多数、描かれています。調和の取れた構図の下、それぞれが生き生きとした表情と動作で描かれ、見事です。その画面の一角に、《草上の昼食》のモチーフの配置とよく似た部分があります。

(前掲、部分)

 左の男性は膝に肘をついて、こちらを見て居ます。右の男性は足を投げ出し、武器のようなものを両手に持っています。3人とも男性ですが、この人物配置はまさに《草上の昼食》の人物配置です。マネがこの作品をヒントにしたことは明らかです。

 こうして二つの作品を見てくると、これらが《草上の昼食》に大きな影響を与えていたことがわかります。いずれも16世紀前半、ルネサンス盛期の作品です。これまで数多くの評論家や学者たちが指摘してきたように、画題といい、構図といい、マネがこれらのルネサンス期の作品を参考に《草上の昼食》を描いていたことは明らかです。

 ただ、それがわかったとしても、マネがこの作品を通して何を表現しようとしていたのかはわかりません。

 果たして、マネはこの作品を通して、何を表現しようとしていたのでしょうか。

 再び、マネの《草上の昼食》の画面に立ち戻って、考えてみることにしましょう。

■画面を構成する「水浴」と「ピクニック」の光景

 やや引いて画面全体を見ると、気になるのは、上下二つに分かれた画面構成です。異なる二つの光景が一つの画面に描かれているのです。

 まず、中景から遠景にかけて、薄衣を着て水浴をしている女性が描かれています。前回指摘した人物配置図でいえば、三角形の頂点に当たる部分です。そして、前景から中景にかけては、着衣の男性二人と裸身の女性が談笑している光景が描かれています。

(油彩、カンヴァス、208×265.5㎝、1863年、オルセー美術館)

 画面の上下で別々の光景が描かれているのです。上方は水浴する場面であり、下方はピクニックをしている場面です。いずれも癒しの光景とみることができます。奇妙なことに、この異なる二つの光景は森の木立の下、一見、違和感なく接合されています。

 二つの光景は着衣の男性の背後に見える緑の草地で描き分けられ、背後の川面には巨木の樹影が映し出されています。そのせいか、川辺と森とがごく自然に繋がって見えます。暗緑色の木々で覆われた画面の中で、裸身の女性と肌色のシュミーズを着た女性の姿がまるで光源のように辺りを照らし出しています。暗緑色の木立の中で、そこだけスポットライトを浴びているかのようです。

 よく見ると、水浴の女性は斜め下に視線を落としています。

(前掲。部分)

 まるで森にピクニックを楽しむ男女3人を見ているように見えます。この女性は裸身ではなくシュミーズをまとっていますから、女神ではなくニンフでもありません。生身の女性が視線をピクニックを楽しむ男女に向けているのです。

 この女性の視線は、時空の異なる二つの光景をさり気なく連携させるだけではなく、マネの関心の移行を示しているともいえます。すなわち、「水浴」から「ピクニック」への関心の流れです。

■水浴

 「水浴」から「ピクニック」への流れは、神話世界のイメージから現実世界のイメージへの流れであり、理想主義から現実主義への流れともみることが出来ます。ひょっとしたら、ここにマネの制作過程での意識の流れを追うことができるかもしれません。

 そもそも、この作品の1863年に開催されたサロン出品時のタイトルは《水浴》でした。ところが、モネがこの作品に刺激されて《草上の昼食》(1865-1866年)を描いたのを見たマネが、1867年に開催された個展でこの作品のタイトルを《水浴》から《草上の昼食》へと変更してしまったのです。

 マネはなぜ、タイトルを《水浴》から《草上の昼食》に変えたのでしょうか。

 マネの《草上の昼食》の画面を見返して見ると、「水浴」よりも「ピクニック」の方に比重が置かれているのは明らかです。この画面構成をみれば、マネがタイトルを変更した理由もわからなくはありません。

 ただ、画面上部に水浴の光景を描き、タイトルを《水浴》にしていたことを考えれば、マネは当初、水浴を画題に制作しようとしていたのではないかと思われます。その後、なんらかのきっかけがあって、ピクニックの光景をメインに描くようになったのでしょう。

 実は、1862年にマネは水彩でこの作品の下絵を描いています。

(水彩、紙、33.9×40.3㎝、1862年、オックスフォード、個人蔵)

 これを見ると、人物モチーフの配置、ポーズなど本作とほとんど変わりません。1862年の時点で、裸身の女性に着衣の男性二人、その背後に水浴する女性といった構図は定まっていたことがわかります。

 ただ、下絵では、裸身の女性と隣の男性が仲睦まじく寄り添い、同じ方向を見て居るのに対し、本作では、至近距離にいながら二人の間には距離があります。二人はやや離れて座り、女性は正面を見つめているのに男性はやや視線をずらして描かれているのです。

 また習作では手前にバスケットからパンや果物などが転がり出ている様子は描かれておらず、ピクニックという雰囲気はありません。ピクニックの要素は本作の制作段階で描き加えられたと考えられます。

 実は、《草上の昼食》の前にマネが描いていた作品があります。

 《驚くニンフ》(1861年)と《テュイルリー公園の音楽祭》(1862年)という作品です。これらの作品はどうやら、マネが《草上の昼食》で取り上げた二つの光景、「水浴」と「ピクニック」に関係がありそうです。

 まず、《驚くニンフ》から見ていくことにしましょう。

■《驚くニンフ》(La Nymphe surprise,1860- 1861)

 恥じらいを含ませながら驚くニンフの表情が印象的です。

(油彩、カンヴァス、146×114cm、1860-1861年、アルゼンチン、ブエノスアイレス国立美術館)

 モデルは、マネの恋人であったピアニストのスザンヌ・リーンホフです。当時、マネは父親に反対されて結婚できずにいましたが、父親が亡くなった2年後、彼女と結婚しています。

 マネは、レンブラント(Rembrandt Harmenszoon van Rijn , 1606 – 1669年)の《スザンナと長老たち》(Susanna and the Elders , 1647年)に刺激されて、この作品を制作したといわれています。(※ https://en.wikipedia.org/wiki/La_Nymphe_surprise

 それでは、《スザンナと長老たち》(1647年)は一体、どのような作品なのでしょうか。見ておくことにしましょう。

(油彩、パネル、76.6×92.8㎝、1647年、Gemäldegalerie, Berlin)

 この《スザンナと長老たち》(1647年)を参考にして描かれたのが、マネの《驚くニンフ》でした。

 確かに、裸身の一部を白い布で覆い、胸を手で隠すようにしてこちらを見るポーズは、《驚くニンフ》によく似ています。違っているのは、《スザンナと長老たち》では二人の老人に襲われそうになる状況が描かれているのに、《驚くニンフ》ではそうではないということです。

 状況が描かれていないので、マネの《驚くニンフ》では、驚きと困惑の原因がわからないのです。

 ひょっとしたら、マネは敢えて、レンブラントの作品からスザンナのポーズと表情だけを取り入れ、彼女が置かれた状況は削除して、《驚くニンフ》を描いたのかもしれません。そうした方がおそらく、作品が宗教的世界に拘束されにくいと判断したからでしょう。

 レンブラントのこの作品は、実は、旧約聖書『ダニエル書補遺』の「スザンナ」のエピソードから題材を得て描かれたものでした。美しい人妻スザンナが水浴するのをのぞき見た二人の長老たちが、彼女を襲おうとしているシーンです。

 この「スザンナ」のエピソードはよほど強く、画家たちの創作意欲を刺激したのでしょう。数多くの画家たちがこれを題材に作品を仕上げています。

(※ https://www.aflo.com/ja/fineart/search?k=%E3%82%B9%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%81%A8%E9%95%B7%E8%80%81%E3%81%9F%E3%81%A1&c=AND

 レンブラントは数多くの画家たちのうちの一人だったのです。この題材なら、宗教的価値、道徳的価値があり、しかも、裸婦を描いても、デコールムを気にする必要がないのです。

 さて、《驚くニンフ》で描かれた表情は、レンブラントの《スザンナと長老たち》よりもさらに穏やかで、優しく、官能的に描かれています。木立の背後に川の流れが見え、自然の営みの中でそっと切り株の上に腰を下ろした女性の姿がなんとも優雅です。

 興味深いことに、マネはこの作品では、暈し表現を取り入れ裸身を豊かに表現し、アカデミズムの手法に則った描き方をしています。そのせいか、この作品は宗教画に分類されています。デコールムの点でこの作品が批判されなかったことがわかります。

 一方、《草上の昼食》では、水浴する女性は裸身ではなく、当時のマナーの従って、シュミーズを身につけています。生身の女性が描かれていました。

 こうして時系列でみてくると、マネは、《驚くニンフ》の女性を《草上の昼食》の上部に描かれた水浴する女性に移し替えて描いたように思えます。宗教画に題材を取りながら、当時の現代社会を表現しようとしていたのではないかという気がするのです。

 さて、この水浴する女性が視線を投げていたのが、ピクニックの光景でした。

 ちょうどこの頃、マネは、《テュイルリー公園の音楽会》(1862年)という作品を仕上げています。木立の中で憩うという点では大掛かりなピクニックのようなものでした。

■《テュイルリー公園の音楽会》(Music in the Tuileries , 1862年)

 第2帝政期のパリでは、上流階級が月に一度、テュイルリー公園に集まり、野外コンサートを開催していました。その時の光景を描いたのが、この作品です。

(油彩、カンヴァス、76×118㎝、1862年、ロンドン、ナショナル・ギャラリー)

 男性はシルクハットをかぶり、女性は華やかなドレスを着ています。大勢の人々が正装で公園に集まっているのです。画面手前では女性が二人こちらを眺め、その足元で子供たちが遊び、中ほどでは人々が談笑しています。

 また、手前には日除けのための日傘が置かれ、休息するための瀟洒な鉄製の椅子があちこちに置かれています。戸外らしさを感じさせるのはそれだけで、画面全体に優雅な社交界の雰囲気が漂っています。

 ところが、よく見ると、中心部分の描き方が実に雑です。絵具がただ意味もなく、塗りたくられているだけなのです。もちろん、その辺り一帯の人や物の形は判然としません。手前や左の人物は表情がわかるほど丁寧に描かれているのに、なぜ、中心部分がこれだけ雑に描かれているのか、不思議でした。

 やり過ぎと思えるほど、中心部分が雑に描かれているので、やや引いて画面を見ると、その傍らに立つ白いズボンの男性の姿が鮮明に印象づけられます。

 この男性はマネの弟のウジェーヌ・マネだそうです。画面には、マネ自身を含め、ボードレールや画家仲間のラトゥールなど、マネの友人が数多く描かれているといわれています。(※ Wikipedia)

 部分的に雑に描いているのは、群衆の中で特定の人物を際立たせるための手法かもしれません。そう思って、改めて、画面を見直してみると、丁寧に描かれた人物の周囲は、雑に絵具が塗られています。いかにもマネらしい革新的な表現方法でした。

 さて、この作品は1863年にマルティネ(Galerie Martinet)画廊で開催された個展で展示されました。ところが、観客や批評家たちから下絵のようだと酷評されたといいます。予想通りの反応でしたが、その一方で、若い画家たちはこの作品に新鮮なものを見出し、評価していたそうです。(※ Françoise Cachin, “Manet : « J’ai fait ce que j’ai vu »”, Paris, Gallimard, 1994. 藤田治彦監修、遠藤ゆかり訳、『マネ―近代絵画の誕生』、創元社)

 興味深いのは、画面の色彩構成とモチーフの配置です。全体に男性が多く、黒のシルクハットに黒のジャケット、グレーあるいは白のズボンといった無彩色で統一されているせいか、手前のドレス姿の女性が目立ちます。

 白みを帯びたベージュのドレスを着た二人の女性は補色である水色のリボンのついた帽子を被っています。その水色は暗緑色の木立の背後に見える空の色と呼応し、画面を引き締めています。

 聴衆は、わずかに見える空の真下を頂点とした三角形の形の中に収まっています。幾何学的に計算されつくした構図であり、大勢の人物配置です。木々も人物も平板に描かれていますが、それだけに手前の鉄製の椅子が印象づけられます。

 音楽会に集まった聴衆が混乱せず、画面に収められているのは、大きな三角形の下、構造化されて表現されていたからでしょう。この作品は、色彩構成と空間構成の点で、《草上の昼食》に影響していると思われます。

 さて、《テュイルリー公園の音楽会》は、画面構成など表現方法はもちろんのこと、画題そのものも一部の人々には新鮮な印象を与えていた可能性があります。

 この作品には、19世紀後半のパリの上流階級の生活の一端を見ることができるだけではなく、新たな時代の楽しみ方が示されていました。戸外でレジャーを楽しむという贅沢が人々を捉え始めていたのです。

 ピクニックもその一つです。

■19世紀後半の近代化の諸相

 マネが《草上の昼食》(1863年)で取り上げたのは、二つの異なる光景、「水浴」と「ピクニック」でした。「水浴」は《驚くニンフ》(1860-1861年)の系譜を引き、「ピクニック」は《テュイルリー公園の音楽会》(1862年)の流れを汲んでいます。

 19世紀後半のフランスでは、急速に近代化が進み、鉄道が敷かれてパリに多数の人々が流入し、都市を中心に人々の生活が大きく変化していきました。そんな中、裕福な人々が週末には自然豊かな郊外に出かけ、余暇を楽しむようになっていました。

 マネが《草上の昼食》で描いた光景は、そのような都市生活者の変化の一端を捉えたものでした。

 マネ自身、ほとんど毎日のようにテュイルリー公園に出かけ、見たものをスケッチをしていたといいます。戸外でのスケッチを楽しみ、その一環として仕上げたのが、《テュイルリー公園の音楽会》でした。

 もっとも、この頃はまだ戸外でのレジャーは上流階級のものでしかありませんでした。それが証拠に、この作品に登場する人々は皆、シルクハットにドレスを着用しています。戸外での演奏会なのに、まるで王宮の舞踏会に出かけるような格好をしているのです。

 産業化が進行しつつあったとはいえ、まだレジャー用のファッションが開発されるまでには至らなかったのでしょう。《草上の昼食》の男性二人もピクニックに不釣り合いな正装をしています。

 さて、「水浴」にしても、「ピクニック」にしても、19世紀後半に見出された娯楽であり、自然への回帰現象の一つともいえるものでした。

 たとえば、入浴という習慣はフランスでは19世紀になるまで浸透しなかったそうです。19世紀末になっても浴室のある家庭は少なく、人々は大きなたらいに水を張って身体を洗っていた程度だといわれています。

 新しい生活習慣となりつつあった入浴風景を、印象派の画家たちは数多く描いていますが、マネにもそのような作品があります。《Le Tub》(1878年)という作品です。

■裸婦を通して、マネが描こうとしたもの

 産業化に主導されて、近代化が進み、時代は大きく変化していきました。もはやデコールムを気にしなくてもよくなっていたのでしょう。マネは1878年、生活風景の中で堂々と、女性の裸身を描いています。

●《Le Tub》(1878年)

 《Le Tub》(1878年)は、《草上の昼食》よりも15年も後の作品ですが、水浴する女性とポーズが、《草上の昼食》の水浴する女性のポーズとよく似ています。

(パステル、カンヴァス、54.0×45.0㎝、1878年、オルセー美術館)

 パステルならではの柔らかな色調で、日常の生活光景の中の裸身が優しく捉えられているのが印象的です。

 まず、やや身を屈めた弓形の曲線と、足元の金盥の丸い曲線が、画面に柔らかさをもたらしているのに気づきます。次いで、その背後に見える化粧台のようなものが作る水平線が画面を適宜、区切り、絶妙な構図を創り出していることに感心します。

 柔らかく、瑞々しい女性の肌が、同系色の色調の中でまとめられています。金盥の青味を帯びた濃淡の色が、肌の補色として使われるだけではなく、化粧台の影色としても使われており、画面に穏やかなメリハリが生まれているところに興趣が感じられます。

 奇をてらうことなく、淡々と日常生活の光景を描きながら、優しさと穏やかさ、静かな安定を描き出しているところに、マネの円熟した画力を感じさせられます。

 興味深いことに、この女性のポーズは、《草上の昼食》の水浴する女性のポーズを反転させたものでした。視線を落としながらも観客の方を向いています。見られていることを意識している表情です。この眼差しを見て、この作品が《驚くニンフ》の系譜を引いていることがわかりました。

 そういえば、《草上の昼食》の裸身の女性は、この女性よりもさらにしっかりと観客を見据えていました。

 実は、ルーベンスの作品にもこの女性と同じようなポーズ、表情の女性が描かれているものがあります。

 ちょっと見てみることにしましょう。

●ルーベンス(Pierre Paul Rubens)《Nymphs and Satyrs》(ニンフとサテュロス、1635年)

 ルーベンス(Pierre Paul Rubens,1577-1640)に《ニンフとサテュロス》(Nymphs and Satyrs)という作品があります。

(油彩、カンヴァス、136×165㎝、1615-1635年、プラド美術館)

 森の中で白い裸身のニンフたちが何人も描かれています。そのニンフたちに混じってサテュロスの姿も見えます。サテュロスはギリシア神話に登場する半人半獣の精霊です。ローマ神話にも現れ、ローマの森の精霊ファウヌスやギリシアの牧羊神パーンと同一視されることも多々あるようですが、豊穣の化身、あるいは、欲情の塊として表現されてきました。

 この作品を見ると、木に登ってたわわに実った実をもぎ取っているのはサテュロスたちで、その実をもらって幸せそうにしているのがニンフたちです。サテュロスが豊穣の化身であることは明らかで、牧歌的な光景の中に自然の恵みの豊かさが描かれています。

 画面左下には巨大な壺が置かれ、そこから水が流れ出ています。

 気になったのは、この壺のようなものにもたれるようにして座っているニンフの姿勢が、《草上の昼食》の裸身の女性のポーズとそっくりだったことです。

(前掲、部分)

 ひょっとしたら、マネはこの作品を見て、何らかの影響を受けていたのかもしれません。そう思ったのは、実は、マネはルーベンスの作品を模写していた時期があるからです。

 1849年頃、マネはトマス・クチュールのアトリエに入り、6年間修業していましたが、その間、ルーヴル美術館でティツィアーノやルーベンスの作品を模写していたといわれています。また、1856年にクチュールのアトリエを去った後もなお、ベラスケスやルーベンスの作品の模写を続けていました。

 ルーベンスの表現方法について、マネは熟知していたと思われます。

 そのルーベンスの《ニンフとサテュロス》で、大勢のニンフたちの中で、一人のニンフだけが観客を直視していたことに気づきました。敢えて、このようなニンフを描いたことに、17世紀の作品でありながら、新鮮さを感じました。ルーベンスはこのニンフを、意思を持つ女性として描いているように思えたのです。

 そして、このニンフの表情とポーズが、《草上の昼食》の裸身の女性ととてもよく似ていることに興味を覚えました。違いといえば、マネはルーベンスが描いたこのニンフの姿形を踏まえながら、自身の作品では、平面的に描いていたことです。

 《テュイルリー公園の音楽会》もそうですが、マネはモチーフを平面的に描くことによって、現代性を加味しようとしていたのではないかという気がします。

 産業化が進行し、生活に変化が生まれていた19世紀後半、マネは絵画界で一足先に、近代化を実行しようとしていたように思えます。(2022/10/31 香取淳子)