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07月

カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」を観る。

■松方コレクション
 2018年6月30日、日経新聞朝刊の文化欄を読み、松方コレクションの総目録が7月に刊行されることを知りました。松方コレクションとは、実業家の松方幸次郎が大正初期から昭和初期にかけて、イギリス、フランス、ドイツで収集した美術品のコレクションを指します。

こちら →https://www.nmwa.go.jp/jp/about/matsukata.html

 松方幸次郎は1916年から約10年間、ヨーロッパを訪れるたびに画廊を訪れ、約1万点に及ぶ美術品を買い集めました。人脈を駆使し、お金と手間暇かけて蒐集に励んだのは、近代化に向けて舵を切って間もない日本に美術館を建設し、若い画家たちに本物の西洋美術を見せたいという思いからでした。

 残念なことに、その後、関東大震災、世界恐慌、第二次大戦といった大きな社会混乱が続きました。美術館建設が叶わかったのはもちろんのこと、せっかくのコレクションも、その期間に多くが散逸してしまいました。火災で焼失したもの、混乱のさ中に消失したもの、あるいは、他国に没収されたものもありました。

 松方幸次郎の高邁な志と努力が無に帰そうとしていたのです。

 ところが、1959年、第2次大戦中にフランスに没収されていたコレクションが、フランス政府から日本に寄贈返還されることになりました。そのコレクションを収蔵するために設立されたのが、国立西洋美術館です。戦後14年を経、日本が目覚ましい復興を遂げ始めていた頃でした。

 西洋美術館は、設立以来、散逸したコレクションの情報収集を進めて買い戻しに努め、2014年以降は総目録の刊行に向けて調査してきました。その結果、コレクションの発見が相次ぎ、これまで定本とされてきた「松下コレクション西洋美術総目録」(1990年、神戸市立博物館刊)に収録された作品に、新たに約1000作品が追加されることになりました。

 6月30日に私が新聞で目にしたニュースでは、7月中旬に刊行される第1巻(絵画)には1207点、そして、年末に刊行される予定の第2巻(彫刻、素描)には約1800点が収録されるということでした。関係者の長年の努力が実り、ようやく松方コレクションの全容が解明されようとしているのです。

 記事を読み終えた途端に、松方幸次郎が20世紀初、日本の若手画家たちのために選んだ作品はどのようなものだったのか、気になってきました。数多くのコレクションの中には、時代を超え、今なお輝いている作品があるかもしれません。

 そのような作品に出会うことができれば、油絵の魅力の真髄に迫ることもできるでしょう。とくに、絵画が一般大衆へのメッセージ伝達手段として重視されていた時代、どのような描き方が取り入れられていたのか、さらには、説得効果を高めるために、どのような工夫がされていたのか、といったようなことを把握できればいいなと思いました。

 7月に入って、ようやく空き時間をみつけ、西洋美術館を訪れてきました。
 
■悲しみの聖母
 松方コレクションが展示されている常設展は、国立西洋美術館の本館2階にあります。しばらく作品を見ていて、ほどなく、見学に来ていた中学生たちが絵の前に群がり、口々に「きれい!」といっているのに気づきました。近づいて見ると、「悲しみの聖母」というタイトルの作品でした。17世紀の作品が展示されている壁面の片隅で、小ぶりの作品ながら、そこだけ輝くように異彩を放っていました。

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(図をクリックすると、拡大します。国立西洋美術館)

 まず、明暗のコントラストの強い画面構成が、印象に残ります。暗闇の中から静かに浮かび上がってくるように見えるのが、青いマントをまとった聖母の横顔です。視線を下方にずらすと、今度は、そっと組み合わせた手に目が留まります。そして、やや引いてみると、頭上には、鮮やかな青いマントの背後で鈍い金色の後光が射しているのに気づきます。

 明暗のコントラストを巧みに使い、顔と手の、色白で柔らかくきめ細かな肌が強調されていることがわかります。

 その一方で、輝くような肌はマントの青を強調しています。そして、鮮やかに描かれたマントの青が、聖母の若さと敬虔さを際立たせています。暗闇で静かに祈りを奉げる聖母の姿がなんと清らかに見えることでしょう。まるで何か得体の知れない強い力に誘導されてでもいるかのように、気持ちがぐいぐいと画面に引き寄せられていきます。

 そういえば、橙色を含んだ柔らかな肌色と、隣接して配されたマントの青はほぼ補色関係にあります。聖母の顔の色とマントの色は相互に強く引き立て合っているといえるでしょう。

 こうしてみてくると、明暗によって観客の視線を誘導するだけではなく、補色関係にある色を配置することによってモチーフが際立って見えるように構成されていることがわかります。明暗の効果と補色の効果を巧みに組み合わせることによって、画面の中で聖母の顔と手が焦点化され、観客の情感を強く刺激しているのです。

 この絵を見たとき、観客はまず明暗のコントラストの強さに目を引かれ、次いで、色彩のコントラストに関心を高めていくうちに、やがて、気持ちが強く画面に引き込まれていきます。このような一連の心理的プロセスが、明暗と色彩のコントラストを使って、巧みに創り出されていました。

 いったいどのような画家が描いたのか、気になって解説を見ると、この作品は1655年ごろ、イタリアのカルロ・ドルチによって制作されたと書かれていました。17世紀のフレンツェで活躍した宗教画家ですが、祭壇画など大画面の構図は得意ではなく、小画面の聖母像や聖女、聖人像を描く画家として人気があったそうです。

 この解説を読んで、なるほどと納得がいきました。絵から受けた印象はそのまま、カルロ・ドルチの画家としての来歴と重なります。これまで書いてきたように、「悲しみの聖母」には強い訴求力があります。ですから、彼が描く聖母像が当時、大変人気があったことも素直に理解できます。

 この作品はなぜ、それほど強烈な訴求力を持ちえたのでしょうか。

■モチーフの相互作用
 それでは、上半身に目を向けてみましょう。

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(図をクリックすると、拡大します)

 まず、視線が捉えられるのは、横顔、そして、組み合わされた手、そして最後に、頭上に配された後光です。メインモチーフが①聖母の横顔だとすれば、それに劣らないほど強いメッセージを放っているのが、②組み合わされた手です。そして、観客の意識されない情感に働きかける役割を果たしているのが、③聖母の頭上に描かれた鈍く輝く後光です。

 それらの間でどのような相互作用が生まれ、画面全体を方向付けているのでしょうか。メインモチーフといえる横顔から見ていくことにしましょう。

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 うつむき加減の横顔には深い悲しみがたたえられています。目を閉じ、祈りに没頭する姿勢には他を寄せ付けない厳しさが感じられます。神への祈りに専心しているのでしょうか、声をかけることすら阻まれそうです。

 この横顔を明暗の観点からみると、通った鼻筋と頬の一部と鼻下の一部がもっとも明るく、額、顎の一部がそれに次ぎます。頬の一部にはほんのりと赤味が射し、唇のしっとりとした赤味を引き立てています。一連の明るさの中では比較的暗く、明るさと暗さの段階の調節役を担っているのが、眉間と瞼の一部です。

 一見すると、この絵は顔が強く印象付けられるように構成されていますが、よくみると、顔の造作がはっきりとわかるのはダイヤモンドの形に収まる範囲でしかありません。顔の約半分は影になっているのです。いってみれば、情報が明示されない部分です。ですから、影部分を大きく設定することによって、観客の想像力の働く余地を高くしているといえるのかもしれません。

 さて、顔の大きさに引き換え、比較的大きく描かれているのがマントです。そのマントの影部分と顔の影部分とが一体化して描かれています。ここでも情報がはっきりと示されない部分が大きく設定されています。その結果、悲しみに奥行きが与えられているだけではなく、聖母の存在自体に深みが生み出されているように思えます。

 さらに、マントのなだらかな曲線が要所、要所、鮮やかな青で彩られています。そのせいか、布の端に柔らかい動きが生み出され、隣接した聖母の肌にも生気が感じられます。静謐感の漂うこの作品に、生きていることの証のように、優しく、柔らかい動きが生み出されていることに気づきます。この絵の訴求力の源泉はこのあたりにあるのかもしれません。

 次に、組み合わされた手をクローズアップしてみましょう。

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 マントの下から除いているのが組み合わされた両手です。顔と同じぐらい大きな面積で描かれているので、とても存在感があります。柔らかな感触の手や桜色の爪は、横顔の肌色と呼応し、聖母の健康な若さが見事に表現されています。

 カルロ・ドルチは、この両手を横顔と同じぐらいの面積で、しかも、年齢まで推し量れそうなほど丁寧に皮膚の状態を描いています。とても存在感があります。組み合わされた両手は、祈る行為を描くためのモチーフとして欠かせないのでしょう。

■モチーフに組み込まれた文化的記号
 悲しみに沈む横顔と組み合わされた両手を、順に見ていくと、聖母の深い悲しみに同情し、やがて、神への祈りに共感する、・・・、といった一連の心理プロセスが観客の側に生まれます。ですから、観客が絵を見て勝手に描いたストーリーに沿って、さまざまな感情がごく自然に喚起され、生起されていくように思えます。

 こうして見て来ると、何気ない身体の一部のように見える両手の存在が、メッセージを強化するうえできわめて重要な役割をはたしていることがわかります。いってみれば、文化的記号として観客の意識に作用しているのです。

 最後に聖母の頭上に描かれた後光を見てみましょう。

 後光はさり気なく薄く描かれています。ですから、ともすれば意識下に追いやられてしまいがちなのですが、よく見れば、聖母のまとったマントの頭上で、金色の鈍い光が薄い弧状になっていることに気づきます。しかも、明らかに聖母の頭上にだけ鈍い光が放たれています。

 現代社会の観客はおそらく、ほとんど誰も、これを見ていても後光だとは認識していないでしょう。ただの背景の一部でしかありません。ところが、聖母を表現しようとすれば、組み合わされた両手と同じぐらい、後光は重要な要素なのです。

 これまで見てきたように、これらの三つのモチーフ(目を閉じた聖母の横顔、組み合わされた両手、後光)はそれぞれ、神に向かって祈りを奉げる文化的記号として作用していることがわかりました。ですから、この作品がなぜ、強い訴求力を持っているのかを考えた場合、まず、複数のモチーフの相互作用による効果が考えられます。

 さらに、この絵のモチーフと構図には、誰もが目にする日常生活の一シーンのようなさりげなさがあります。つまり、観客を無意識のうちに説得するための文化的記号が、日常生活の延長上に仕組まれているのです。

 しかも、色彩を象徴的な色に絞り込み、影部分を多く設定した画面構成です。余分な情報は影部分に落とし込んで極力排除され、ノイズの発生が回避されています。だからこそ、この絵が明確なメッセージを持ち、強い訴求力で観客に迫ってくるのでしょう。時代を超え、社会体制を超え、ヒトの感情に直接訴えかけてくる強さの源泉は、モチーフと画法、画面構成にあるといえます。

■親指の聖母
 そういえば、数多くの聖母像を描いたカルロ・ドルチには、この作品に酷似した、「親指の聖母」という作品があります。

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(図をクリックすると、拡大します。東京国立博物館)

 現在、東京国立博物館に所蔵されておりますが、かつては長崎奉行所に所蔵されていました。宣教のため日本にやってきたシドッチ神父が、イタリアから携行してきた聖母像です。こちらは1678年の制作だとされています。

 「悲しみの聖母」と見比べてみると、構図、モチーフのポーズはほぼ同じです。ところが、興味深いことに、この作品に組み合わされた両手は描かれていません。親指だけがマントから少し見えているだけです。

 1655年ごろ描かれたとされる「悲しみの聖母」には描かれていた両手が、1678年に描かれた「親指の聖母」にはなく、その代わりに親指の爪先部分だけが描かれているのです。この23年間で画家カルロ・ドルチにどのような認識の変化が起きていたのでしょうか。

 手と指だけに着目すると、「悲しみの聖母」(1655年ごろ)が、手を合わせて祈るという行為に力点を置いているとすれば、親指だけを見せた「親指の聖母」(1678年)は、むしろ悲しみに力点を置いているように見えます。

 そこで、二つの絵を見比べてみると、「親指の聖母」では、マントの下から上部の頭髪やマントの裏生地が見えます。それも、やや明るい赤味がかった紫色で、滑らかな布の触感がきめ細かく描かれています。マントの布地も「悲しみの聖母」よりも影に落としこまれる部分が少なく、微妙な色彩の変化が比較的現実に即して描かれています。

 省略が少ないという点では、「悲しみの聖母」に比べ、23年後の「親指の聖母」の方がより世俗的になったといえます。その一方で、頭髪や衣服が写実的に描かれており、聖母の悲しみが観客に同一視されやすい状況で提示されているともいえます。

 先ほどもいいましたが、「親指の聖母」は、組み合わせた両手を描き、「祈る」行為まで見せずに、その一歩手前の「悲しみ」を表現する段階で留められています。ですから、観客が聖母の悲しみを共有することに力点が置かれているように見えます。

 おそらく、その方が見る者の感情を喚起しやすいからでしょう。悲しみの感情を共有する状態に置かれれば、宣教師の介入の余地が高くなります。悲しみから祈りへの道筋を説得しやすくもなるでしょう。描かれた内容からいえば、布教にはこの作品の方がふさわしいと判断された可能性があります。

 さて、似たようなモチーフの作品と比較することによって、「悲しみの聖母」が、実はきわめて抽象的な作品なのだと気づかされました。明暗のコントラストを強め、余分な情報をそぎ落としてさまざまなノイズを排除し、メッセージが明確に伝わる工夫がされていました。

 「親指の聖母」と見比べてみなければ、「悲しみの聖母」が持つ特性に気づきませんでした。時代を超え、社会体制を超えて観客を魅了する普遍性が、「悲しみの聖母」には備わっていることがわかります。

 改めて、アップで写真に収めた「悲しみの聖母」を見ていると、不意に、永遠の微笑といわれるレオナルド・ダビンチの「モナリザ」が脳裏を掠めました。

■スフマート技法の効果
 横顔(「悲しみの聖母」)と正面を向いた顔(「モナリザ」)とでは比較にならないのですが、どういうわけかこの二つの作品に似たものを感じたのです。念のため、「モナリザ」の顔部分に焦点を当てた図を見てみましょう。

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(図をクリックすると、拡大します。Wikipediaより)

 「モナリザ」は謎の微笑をたたえているともいわれてきました。それは口元や目元などに輪郭線を使わないで描く手法を採用しているかでしょう。ダビンチなど16世紀の画家が創始したとされるスフマート技法が使われているのです。

 スフマートとは、色彩の透明な層を何度も上塗りしていくことによって、絵に深みやボリュームを与える技法です。

 とくに有名なのが、この「モナリザ」です。口元や目元に輪郭線が使われず、この技法で描かれています。笑みを表現するための重要な部位がいずれも、ぼかし表現で処理されているのです。その結果、「モナリザ」は「謎の微笑」といわれたり、「永遠の微笑」といわれたりしながら、これまでずっと観客の気持ちを引き付けてきました。

 スフマート技法が使われているのは、もちろん、目元や口元だけではありません。

 柔らかで、滑らかな肌。眉毛さえ、まるで肌に溶け込んでしまったかのように、瞼から続く皮膚の盛り上がりとして表現されています。顔と頭髪との境目も同様、輪郭線はなく、影部分として処理されています。その影部分は頬から生え際にかけて、グラデーションで色が微妙に変化し、頭髪へとつながっています。いずれもスフマート技法が使われています。

 Wikipediaによれば、ダビンチが「モナリザ」を描いたのが、1503年から1506年です。存命中から画家として著名だったダビンチの「モナリザ」のことを、17世紀の宗教画家カルロ・ドルチは当然、知っていたでしょう。同じフィレンツェで活躍した画家です。カルロ・ドルチもまた、このスフマート技法を駆使して「悲しみの聖母」を描いたのでしょう。

 「モナリザ」の場合ほど、微妙なグラデーションが施されているわけではありませんが、輪郭線が曖昧だからこそ、肌の柔らかさや奥行きが感じられました。いわゆる肖像画よりはるかに表情が豊かで、奥行きがあり、リアリティが感じられたのです。スフマート技法ならではの効果といえます。

■観客は絵の何を見ているのか
 カルロ・ドルチは17世紀フレンツェで活躍した宗教画家でした。「悲しみの聖母」では、宗教画家が手掛けた作品らしく、祈りの持つ、敬虔さ、荘厳さ、信仰の強さ、他人を寄せ付けない峻厳さなどがみごとに表現されていました。描かれたモチーフが相互に関係しあって絵のメッセージを明確にし、強化する役割を果たしていたからでしょう。

 この作品には、明暗のコントラストを強調した画面構成といい、補色効果を考慮したモチーフへの配色といい、明らかに観客を引き込むための仕掛けが感じられました。観客がこの作品を見た瞬間、その視線を誘導し、釘付けにし、やがては感銘を覚えるような工夫が施されていたのです。

 さらに、「モナリザ」との類似性から、気づいたこともあります。それは、スフマート技法が持つ観客の無意識に与える効果です。輪郭線を引かずにモチーフを捉える代わりに、グラデーションを効かせて、影部分に新たな意味を付与していました。それが、観客の心に残影を残し、感情を強く喚起する力になっていくのでしょう。

 スフマート技法は、上から何度も薄い透明色の絵具を塗り重ねることによって、画面に奥行きを生み出し、微妙な風合いを創り出します。いってみれば、曖昧で、解釈しきれない要素を画面に持ち込むのです。

 「悲しみの聖母」では大きな割合を占める影部分がそれに相当するでしょう。曖昧で、解釈しきれないからこそ、観客の意識下にいつまでも奇妙な感覚が残ります。ひょっとしたら、それが時代を経ても、色褪せることのない新鮮さ、あるいは普遍性につながっているのかもしれません。この作品を観て、油絵の魅力の一端に触れたような気がしました。(2018/7/19 香取淳子)