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香取淳子のメディア日誌
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延期費用の負担を巡って迷走する日本:誰のためのオリンピックなのか。

■IOCの不可解な行動

 2020年4月21日、テレビや新聞各社は、国際オリンピック委員会(IOC)が公式サイトで、オリンピックの追加費用負担について安倍首相が合意したと掲載し、翌日にはそれを削除したと報じました。

 たとえば、朝日新聞は、次のような記事を掲載しています。

こちら → https://www.asahi.com/articles/ASN4P5TW0N4PUTQP018.html

 これを読むと、IOCは4月20日、「安倍首相が現行の契約に沿って日本が引き続き負担することに同意した」と公式サイトに掲載していたようです。ところが、大会組織委員会がその掲載内容を否定し、削除を求めたところ、21日には公式サイトから削除されていたというのです。

 問題の記事は、IOCの公式サイトのQ&Aのページに掲載されていました。もちろん、いま、その文章を見ることはできません。現在、見ることができるのは変更された後のものです。

こちら → https://www.olympic.org/news/ioc/tokyo-2020-q-a

 この中の7項目目、「(UPDATED) WHAT WILL BE THE FINANCIAL IMPACT OF POSTPONING THE GAMES?」というのが、問題視されたものでした。その内容をご紹介しておきましょう。

Tokyo 2020 and the IOC confirm that it was agreed between the IOC and Japan on 24 March 2020 that the Games of the XXXII Olympiad will now be celebrated in 2021. This postponement was made in order to protect the health of all people involved in the staging of the Games, in particular the athletes, and to support the containment of the virus. It will now be the work of the IOC to assess all the challenges induced by the postponement of the Games, including the financial impact for the Olympic Movement.

The Japanese government has reiterated that it stands ready to fulfil its responsibility for hosting successful Games. At the same time, the IOC has stressed its full commitment to successful Olympic Games Tokyo 2020. The IOC and the Japanese side, including the Tokyo 2020 Organising Committee, will continue to assess and discuss jointly about the respective impacts caused by the postponement.

 そもそも、原文は、IOC公式サイトの「オリンピック東京大会に関するよくある質問」のコーナーで取り上げられた、「オリンピック延期後の財政的な影響はどうか?」という質問に対する回答として用意されたものでした。

 ところが、修正された上記の文章では、「安倍首相」の文字もなければ、財政支出に関する文言もありません。ただ、延期に取り組む心構えのようなものが書かれているだけDした。とても、延期後の追加費用に関する質問への回答とはいえません。

 先ほどの朝日新聞によると、日本の組織委員会は、IOCが公式サイトに掲載した記事に対し、「会談では費用負担について取り上げられた事実はなく、双方合意した内容を超えて、このような形で総理の名前が引用されたことは適切でない」ことを理由に、削除を要求したといいます。

 上記の文章を読むと、明らかに、日本の組織委員会から削除を要求され、修正されたものだということがわかります。IOCは日本の組織委員会の要求をいわれるままに聞き入れたのです。

 そこで、4月20日にIOC公式サイトに掲載された原文がどのようなものであったのかが気になってきました。

■原文ではどう書かれていたのか。

 ネットで探してみると、井上美雪氏が「東京オリンピック追加負担に「首相同意」 IOCが翌日削除」というタイトルの記事の中に、IOC公式サイトの該当箇所を写真撮影したものが掲載されていました(※ HUFF POST NEWS, 2020年4月21日)

 写真で記録された文章の文字を一つずつ、起こしてみました。

The postponement was made in order to protect the health of all people involved in the staging of the Games, in particular the athletes, and to support the containment of the virus. It will now be the work of the IOC to assess all challengers induced by the postponement of the Games, including the financial impact. Japanese Prime Minister Abe Shinzo agreed that Japan will continue to cover the costs it would have done under the terms of the existing agreement for 2020, and the IOC will continue responsible for its share of the costs. For the IOC it is already clear that this amounts to several hundred million of dollars costs.

The postponement was not determined by financial interests, because thanks to its risk management policies including insurance, the IOC in any case be able to continue its operations and accomplish its mission to organaise the Games.

 これが、2020年4月20日に掲載されたIOC公式サイトの原文です。

 確かに、ここでは、「日本の安倍晋三首相が、2020年に向けた現行の契約条件の下で引き続き費用を負担し、IOCもその費用の分担について引き続き責任を負うことに同意した」と書かれ、さらに、「IOCにとっては数億ドルのコスト負担になることはすでに明らか」だと記されています。

 ですから、原文では、現行の契約条件の下、安倍首相は延期費用を負担することに同意したことがはっきり書かれているばかりでなく、IOCの負担分についても現行の契約条件下で合意されていることが示唆されているのです。

 上記の朝日新聞は、「追加経費は約3千億円規模の見方があるが、IOCは見解で、自らの負担額は数億ドル(数百億円)規模とした」と書いています。IOCが(独自の)見解で、数億ドルと見積もったということなのでしょう。

 さらに、菅氏は「延期に伴い、必要な費用については、16日に開催されたIOC組織委との会議において、コストを含む影響の取り扱いが共通の課題であることを確認し、今後共同で評価、議論することで合意したと承知している」と述べたと報じています。必要な費用分担については今後、両者で話し合い、協議していくというのです。

 日本側の言い分を見ていると、IOCが公式サイトを利用して、追加費用のうち、わずか5分の1程度しか負担しないと宣言しているように思えてきます。

 果たして、実際はどうなのでしょうか。

■気になるIOCの回答

 朝日新聞は記事の中で、削除理由についてIOCに取材したところ、次のように回答を得たと書いています。

 「IOCの情報発信の場で、安倍首相の名前を出すのは適切ではないと、組織委から合図(連絡)があった。彼らの希望をもちろん尊重した」

 IOCの回答からは、日本側のクレームの中心が、延期費用の負担ではなく、「安倍首相の名前を公式サイトで出した」ことであったことがわかります。ここに、面子にこだわり、国益を軽んじた姿勢が透けて見えます。

 IOCの回答を見て、私が気になったのは、費用負担の金額について、否定せず、訂正もせずにただ、「日本側の希望を尊重して」、該当箇所を削除しただけだということでした。

 確かに、IOCは削除要請を受けて、「安倍首相」の名前や金額を削除し、日本側の要望通り、下記のように文章を修正しています。

The IOC and the Japanese side, including the Tokyo 2020 Organising Committee, will continue to assess and discuss jointly about the respective impacts caused by the postponement.

 原文で具体的に書かれていた、「安倍首相が…、現行契約の下、日本側の負担に同意した」の箇所、そして、具体的な金額は削除され、その代わりに、「延期による影響については、両者は引き続き、共に評価し、議論していく」とだけ記されています。

 これではIOCが原文で表現していた肝心の部分が否定されたことにはなりません。つまり、追加費用のうちIOCが負担するのは数億ドルだけだという見解が否定されたことにはならないのです。

■負担金をめぐるせめぎ合い

 いま、明確に否定しておかなければ、やがてIOCの言い分が既成事実化してしまいかねないでしょう。なにしろ、IOCは原文で、「現行の契約の下、安倍首相が同意した」と記していたのですから・・・。

 一連の流れを見ていると、日本側の対応に危うさを感じざるをえません。

 IOC公式サイトの文章(原文)を読んで、誰もが印象に残るのは延期費用のうち、IOCが負担するのは数億ドルという箇所です。ところが、日本側はその箇所について、明確な訂正を要求していないのです。

 ジャーナリストの江川紹子氏もおそらく、そのことを危惧したのでしょう、自身のツイッターで、「「合意の事実はありません」に留まらず、日本は追加経費については払えません、ということを、日本側はまず宣言してもらいたい」という見解を示しています。(※ 2020年4月22日、ヤフーニュース)

 朝日新聞は記事の中で追加費用を約3千億円と見込んでいました。果たして、実際はどの程度になるのでしょうか。IOCの見解を踏まえれば、日本は途方もない金額を負担しなければならなくなる可能性があります。江川氏のいうように、「合意の事実はない」と指摘するだけではなく、「日本は追加費用の負担はできない」とはっきりというべきでしょう。

 ひょっとしたら、追加費用についてはっきり否定できない何かが、日本側にあるのかもしれません。

■開催への固執から一転して、延期で合意

 これまで何度か、オリンピックが中止されたことがあります。ところが、今回は、「延期」です。オリンピック史上はじめて、「延期」の決定がなされたのです。つまり、IOCは今回、敢えて、前例を覆す決定をしているのです。・・・、ということは、日本側が何らかの条件を提示して、IOCに「延期の決定」を要請した可能性があります。

 思い返せば、延期決定に至る経緯がなんとも不透明で、しかも、唐突でした。

 延期が決定されたのは、2020年3月24日でした。安倍首相がバッハIOC会長と電話で協議し、開催予定だったオリンピック、パラリンピックを1年程度延期することで合意したと報じられたのです。「東京2020」の名称を維持したまま、遅くても2021年夏までに開催することがIOC理事会で承認されたというのです。

 バッハ会長は、WHO(世界保健機構)のパンデミック宣言を踏まえ、日本からの延期の提案を承認したといいます。一方、安倍首相は事前の記者会見の場で、「完全な形での実施」ができなければ、延期も仕方がないと述べ、「中止は選択肢にない」と述べていました。両者の発言を突き合わせると、明らかに日本側の要望をIOCに聞き入れてもらったことになります。

 実際、バッハ会長は4月12日、ドイツ紙のインタビューに答え、「中止と違い、延期はIOCが独断では決められない」と語っています(※ 2020年4月13日、「日経新聞」)。

 こうしてみると、「延期」という選択は日本側の要望であったことがわかります。

 これまで開催予定だったオリンピックが中心になったケースはいくつかありますが、延期になったことは一度もなく、今回が初めてだそうです。

 最初に中止になったのは1916年のベルリン大会で、これは直前に始まった第1次世界大戦のせいでした。東京で開催されるはずだった1940年大会は、日中戦争のため1938年に返上しています。そして、1944年に予定されていたロンドン大会は第2次世界大戦のため、中止になりました(※ 日経新聞2020年3月12日)。

 これまでは、すべて戦争が原因で、予定されていた大会が中止になっています。

 ところが、今回はパンデミックが原因です。なぜ、中止ではなく、延期に決定されたのでしょうか。しかも、いつ収束するかもわからないのに、なぜ、「1年程度の延期」なのでしょうか。当時、私は不思議でなりませんでした。

 しかも、バッハ会長はドイツ紙のインタビューに答え、「中止の場合、IOCの保険が適用されるが、延期では適用されない」と述べています(※ 前掲。2020年4月13日、「日経新聞」)

 日本は保険が適用されなくても、中止ではなく、延期を選択したのです。当時の状況を思い返せば、アスリートや観客などを慮って延期を要望したわけではなさそうです。

■中止を要望する各国選手の声、競技団体の声

 新コロナウイルスの感染者は、中国の武漢市で発生して以来、瞬く間に世界に拡散していきました。感染者数は急増し、いつ収束するかもわかりません。感染は約170ヵ国・地域に広がっており、各国は出入国制限をするようになっていました。当然のことながら、五輪予選の延期や中止が相次いでいました。

 IOCによると、出場枠のうち、43%はまだ決まっていませんでした(※ 2020年3月23日 日経新聞)。誰が考えても、このままの状況では、オリンピックを今年7月に開催することは不可能でした。

 案の定、選手をはじめ現場の関係者から、次々と開催中止の声が上がり始めました。ついにはJOCの理事も中止発言をするようになりました。選手の健康、大会に向けたコンディションを考えたからでした。

 ところが、安倍首相、森大会委員長、小池都知事などの主催者は一様に、当事者の声を無視し、なんとしても開催すると言い張っていました。IOCも同様です。不自然なほど開催へのこだわりを見せていました。

 感染が拡大しはじめてから、IOCやバッハ会長がどのような発言をしてきたか、整理した図がありますので、ご紹介しましょう。


日経新聞、2020年3月23日

 イタリアで感染が急増しはじめた3月4日、バッハ会長は「東京五輪の成功に全力を尽くす」といっています。ところが、フランスやドイツ、スペインに感染が広がり始めた12日、「WHOの助言に従う」といっています。感染者が増えていく中、欧米を中心に選手や団体らがオリンピックの中止あるいは延期を求めるようになりました。IOCはこれらを無視することはできず、各国の選手代表らと電話会議をしたのが、3月18日です。

 翌19日に、バッハ会長はニューヨークタイムスの取材に、「違うシナリオを検討している」と答えており、それまでとはやや見解を変えました。それでも、21日段階ではまだ、「延期することはできない」とドイツのラジオ局の取材に答えていたようです。

 ところが、21日、スポンサーやTV放映権などでIOCに強い影響力のあるアメリカが延期に向けて動きだすと、IOCは、「延期」を含めた対応を検討すると発表したのです。22日の夜のことでした。

このころ、私はなぜ、IOCやJOCは選手や観客の健康に留意せず、ひたすら開催にこだわり続けるのか、不思議で仕方がありませんでした。

■延期決定の背後に見える、経済的損失

 各紙は、関西大学名誉教授の宮本勝浩氏の試算を踏まえ、延期なら6408億円の損失、中止なら4兆5151億円の損失になると報じました。これを読むと、中止ではなく、延期にしなければならなかったのは、損失が膨大になるからだということがわかります。中止になれば、開催することによって得られる収入がゼロになるのですから、当然です。とはいえ、4兆5151億円とは莫大な金額です。

 こうしてみてくると、日本側がIOCに強く要望し、その結果、「延期」が決定されたことが推察されます。

 日刊スポーツは4月29日、組織委員会の森喜朗会長に取材し、その内容を記事にしています。なぜ、中止ではなく、延期だったのか、森氏へのインタビュー結果は以下のようにまとめられています。

「日本での新型コロナウイルス感染者が増え始めた2月上旬、森会長は組織委の幹部に延期した場合のシミュレーションをするよう内々に指示していた。中止を回避するため聖火を日本に持ち帰り、先手を打って日本側からIOCへ延期を提案したことも明かした」(2020年4月29日、「日刊スポーツ」)

 延期の決定から1か月余が過ぎ、ようやく森喜朗会長も口を開く気になったのでしょうか。日本の主催者が一様に、「通常開催を目指す」と言い続けた理由は、「日本側がその姿勢を崩したら、IOCバッハ会長は喜んで「中止」を選択しただろう」と明かしたのです。

 当時、「延期」に持ち込むための不自然な言動が繰り返されていました。経済的損失を考えれば、いまさら中止にするわけにはいかなかったのでしょう。新型コロナウイルスの感染者が日増しに増えているなか、政府、組織委員会、東京都だけは現実を見ないように頬かむりして、「通常の開催」を唱え続けたのです。

「延期」に持ち込むことがどれほど難題だったか、森氏によって、その舞台裏が明かされたわけですが、その理由は、アスリートや観客の気持ちに配慮したからではなく、経済的損失をより少なくするためでした。

■負担金を支払えるのか。

 延期に伴う追加費用について、組織委員会とIOCは最大で3千億円程度と見積もっていました。これは先ほどの宮本氏の試算の半額以下です。主催者側が低い方の数字を取り上げ、采配していることからは、いかにも軽い負担のように人々に印象づけようとしているように思えます。

 新型コロナウイルスの感染は世界中に及び、人々の健康を脅かし、経済を破綻させています。オリンピックのスポンサー企業もまた、経済の悪化により資金の余裕がなくなりつつあります。

 エコノミストの試算によれば、夏ごろまで感染拡大が続けば、日本のGDPは7.8兆円減少し、上場企業の純利益は最大24.4%減ると見積もっています(※ 2020年3月23日、日経新聞)。いまや、追加費用を日本が負担できるのかどうかも危ぶまれる状況になっているのです。

 4月28日、古賀茂明氏は一連の騒動について、次のように述べています。

「元々五輪予算1兆3500億円のうち、IOCの負担は850億円で、全体のわずか6%強だ。1年延期のための費用は約3千億円とされるが、IOCに従来の割合を極端に超えて支払えと言える理由は特にない。しかも、小池百合子都知事、安倍晋三総理ともに五輪中止の選択肢はなく、交渉上の立場は弱い。そう考えると、IOCが巨額負担をする可能性はなく、IOCの発表は常識的なものだったと考えられる」(2020年4月28日、「AERAdot.」)

 延期に至る経緯を思い起こせば、古賀氏の指摘はとてもよく納得できます。IOCはおそらく、契約に基づいて、自身の負担金額を算出したと考えられます。算出基盤にゆるぎない自信を持っているからこそ、IOCは日本からクレームを受けても、要望をそのまま聞き入れ、該当箇所を削除したのでしょう。

 日本側も、IOCの算出基盤を理解しているからこそ、該当箇所を削除しただけの修正を是とし、問題にしなかった可能性が考えられます。

■不透明な意思決定過程

 森氏はインタビューに答え、日本側が一丸となって開催を主張し続けなければ、IOCは喜んで中止しただろうと述べていました。本来であれば、オリンピックは「中止」されるはずだったのです。ところが、日本側は経済的損失を恐れ、無理やり、「延期」に持ち込みました。

 当然、延期に伴う費用の負担についても、契約に基づく規定があったはずです。

 新型コロナウイルス感染が世界中に広がっているいま、どの国も経済が停滞し、追い詰められてきています。公式サイトでIOCが敢えて延期費用の負担に言及したのは、日本が規定通り費用を負担するか否か危惧し始めたからかもしれません。

 なにしろ、延期に至る意思決定過程はあまりにも不透明で、不自然でした。日本側は直近の経済的損失だけを考え、強引にオリンピック史上経験のない「延期」に持ち込みました。中止であれば保険が適用され、延期なら保険が適用されないというのに、日本側は敢えて、非合理な決定をしたのです。

 日本側の思考法や意思決定の在り方に、IOCが懸念を覚えていたとしても不思議はありません。バッハ会長がドイツ紙のインタビューに答え、費用負担を「数億ドル」と明かし(2020年4月13日、「日経新聞」)、IOCの公式サイトにも「数億ドル」と記載しました(4月21日)。一連の動きからは、今後の焦点が延期費用負担を巡るものであり、IOCが早々に日本側の動きを制したと考えられます。

 そのような流れのなか、安倍首相は4月28日、延期費用の支払いを約束した事実はないと否定しました。

こちら → https://www.asahi.com/articles/ASN4X4J07N4XUTFK01L.html

 確かに、安倍首相は衆議院予算委員会で、国民民主党の渡辺周氏の質問に答え、「IOCに対して費用を負うと約束した事実はない」と述べたと報じられています。同様の内容を「日刊スポーツ」も報じています。今回、安倍首相は公の場ではじめて、延期費用の負担を否定したのです。

 公式サイトにIOCの見解が掲載された時点(4月21日)では、安倍首相はこれについて言及せず、菅官房長官が、「追加費用に関する合意の事実はない」と述べていました。この文言には、合意には達していないが、話し合いはしたという含みがあります。ですから、両者が今後、話し合いを重ね、協議していくという方向につながります。

 ところが、今回、安倍首相は「IOCに対して費用を負うと約束した事実はない」と述べているのです。これは、責任者である首相がIOCの見解を完全否定したことになります。虚偽だと宣告しているようなものですから、今度はIOCからクレームがつけられても文句はいえません。

■誰のためのオリンピックなのか。

 安倍首相が、新型コロナウイルスの影響で「スポンサーのなかには厳しい状況の中にあるところもあると承知している」との認識を示したと朝日新聞は記しています。ですから、予算委員会で渡辺氏から質問された際、首相はとっさに国内世論やスポンサー企業を思い浮かべ、このような答弁をしたのかもしれません。

 実際、今の状態では、とてもオリンピックどころではないという意見が、国民からもスポンサー企業からも出てくるでしょう。

 IOCの見解を完全否定しておかなければ、大変なことになるという思いが、安倍首相の脳裏をよぎったのかもしれません。オリンピックを強引に、「延期」に持ち込んだように、開催を阻む要因をその場しのぎの答弁で抑え込もうとした可能性があります。

 一国の首相が、そのような行き当たりばったりの対応を繰り返せば、どのような結末を迎えることになるのでしょうか・・・。ふと、日本の将来に暗雲が垂れ込めているような気がしてきました。

 今回、オリンピックの延期に伴う費用負担を巡って、いろいろ調べてみました。はっきりと見えてきたのが、日本政府の意思決定過程がいかに不透明で、その場しのぎに終始しているかということでした。しかも、事後、納得できるような説明がありません。

 不透明だからこそ、非合理なこともまかり通ってしまいます。その結果、一見、思い通りに事が運んだように見えたとしても、最終的には大きな代償を支払うことになってしまうのです。

 延期費用を巡る騒動からは、日本政府の意思決定過程の不透明さが浮き彫りにされました。重大な意思決定が、理念もなく、合理性を欠き、データを踏まえずに行われていました。

 オリンピックはいったい誰のためのものなのか。日本政府をはじめ主催者側はその原点を踏まえず、不透明ななかで意思決定を行いました。経済的損失を第一義的に考えたからでした。その結果、今、延期費用についても迷走しています。理念を置き去りにした日本の態勢には、危うさと不安を感じずにはいられません。(2020/5/2 香取淳子)

新型コロナウイルスが露呈した日本の義務教育

■緊急事態宣言

 安倍首相は2020年4月7日、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象に緊急事態宣言を発令すると発表しました。爆発的な感染の拡大や医療崩壊を防ぐには、外出の自粛などを徹底する必要があると判断したためで、この宣言の効力は4月8日の午前0時から5月6日までといいます。

 教育に関していえば、東京都はすでに2020年4月1日、都立高校の休校措置を5月6日まで延長すると発表していました。それに伴い、小中学校を所管する市区町村に対しても、休校の延長およびITを活用した学習支援への対応を要請していました。

このように、緊急事態宣言以前に、小中高の休校期間が5月6日まで延長されていましたから、別段、驚きはしませんでしたが、果たして、子どもたちの教育はどうなっているのか、とても気になりました。というのも、3月2日に全国の小中高が一斉に臨時休校に入ってから2か月間も、子どもたちは教育を受けることができないからでした。

 2020年2月27日、安倍首相は全国の小中高に対し、3月2日から一斉に、臨時休校を要請しました。ですから、今回、非常事態宣言を発令された都市の子どもたちは、2か月間も学校に通わないことになるのです。春休みを挟んでいるとはいえ、

 それにしても、3月2日、全国一斉に出された休校要請は唐突でした。

当時、日本はそれほど感染が広がっていませんでした。高齢者や基礎疾患のある人が多く感染しており、子どもへの感染は北海道以外、報告されていなかったはずです。それだけに、なぜ、安倍首相が感染対策として真っ先に、全国一斉に小中高の休校を要請するのか、私にはまったく理解することができませんでした。

子どもたちの感染率、その感染経路を明らかにしたうえで、一斉休校の措置をとるのならまだしも、そのような事実を踏まえた措置というわけではありませんでした。しかも、事前に対応策を練り上げないまま、突如、一斉休校が要請されたのです。

受験シーズンでしたから、動揺した子どもたちもいたことでしょう。なにより、共働きの家庭、ひとり親家庭の子どもたちは休校期間中、どこで、何をして、過ごすのでしょうか。その後、休校をいいことに、盛り場に出かけたり、ゲームセンター、カラオケなどに出向く中高生もいましたから、かえって、感染の機会を与えたようなものでした。

 果たして、感染症対策本部の基本方針はどうなっていたのでしょうか。

■2月25日に決定された、感染症対策の基本方針

 新型コロナウイルス感染症対策本部が、2020年2月25日に決定した基本方針は、以下のようなものでした。

こちら → https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000599698.pdf

 これを読むと、全国一斉休校をしなければならないほど、子どもへの感染が心配されていたわけではありませんでした。

 感染症に対して現時点で本部が把握していることとして、「飛沫感染、接触感染であり、空気感染は起きていない」、感染力は様々であり、罹患しても軽症であったり、治癒する例も多いとしながらも、「高齢者、基礎疾患を有する者では重症化するリスクが高い」と記されています。対症療法が中心で、感染しても軽症が多く、多くの事例で感染力も低いことが示されています。子どもについてはなんら言及されていません。

 感染拡大防止策として、現行は、「患者クラスターに関係する施設の休業やイベントの自粛」、「高齢者施設等の施設内感染対策を徹底」、「公共交通機関等、多数の人の集まる施設における感染対策を徹底」とされています。そして、今後は、「外出の自粛、患者クラスターへの対応を継続、強化」、「学校等における感染対策の方針の提示及び学校等の臨時休業等の適切な実施に関して都道府県等から設置者等に要請」とされていました(pp.5-6)。子どもに関する事柄といえば、今後、休校もありうるという程度のものでした。

 この基本方針を読む限り、子どもへの感染が心配されるような記述は見られませんでした。ところが、基本方針決定の2日後の27日、全国の小中高の一斉休校が発表されました。この時点で一斉休校の必然性があったのかどうかわかりませんが、大きなインパクトがあったことは確かです。

 それでは、2月28日に開催された文部科学大臣の臨時記者会見の様子を見てみましょう。

こちら → https://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/mext_00039.html

 記者から次のような興味深い質問が寄せられています。

「今段階、感染経路として学校がない状況で、休業することの効果、これについていかがお考えなのかということと、優先順位として、学校が最初だったという必要があったのでしょうか。もっと別のことが普通はあったと思うんですけど、政府内の検討というのはいかがだったんでしょうか」

 これに対し、萩生田光一文部科学大臣は次のように答えています。

「現段階では、学校での集団感染などは確認をされておりません。しかしながらここ数日間、学校関係者による罹患者が確認をされております。日頃から、児童生徒あるいは先生方が集団的な活動をする学校の場合は、これはこのコロナウイルスに限らずですね、やはり一斉に拡大する可能性が極めて高い場所だということを専門家の皆さんからも常々指摘をされてまいりました。(中略)万が一、学校でこのような事態が起これば、本当に児童生徒の生命健康を守ることができない事態になりかねない、こういう判断の中で学校、まず最初学校といいますか、子供たちの集まる学校施設をまず先に、という決断に至りました」

 このやり取りをみてもわかるように、子どもたちにまだ感染者がいない段階で、予防的措置として採られたのが全国一斉休校でした。この決定に違和感を覚えた人も多かったでしょうが、国内外の人々に大きなインパクトを与えたことも確かでした。

 国外に対しては、日本政府が果敢に新型コロナウイルス対策をしているという印象を与え、国内では、過剰に思えるほどの対応で新型コロナウイルスに対する警戒を喚起しました。その結果、子どもや保護者の生活、教育現場、教育業界へのしわ寄せ等々、さまざまな影響を引き起こしています。

 長期にわたる休校で、とくに気になるのが、義務教育課程の子どもたちへの影響です。文科省は義務教育に関し、どのような対策をとっているのでしょうか。

■文科省の対策

 新型コロナウイルスに対する文科省の対策は下記のHPにまとめられています。

こちら → https://www.mext.go.jp/a_menu/coronavirus/index.html

 教育コンテンツとしては、次のようなページが設定されています。

こちら → https://www.mext.go.jp/a_menu/ikusei/gakusyushien/mext_00460.html

 経産省、NHK、徳島教育委員会、文科省などが制作したさまざまなコンテンツがありますが、学校教育の代替となるコンテンツとは言い難く、これだけでは休校中の教育を補完することはできないでしょう。提供されたコンテンツをいろいろ見ていくと、もっとも適しているのが、NHKの教育番組だということがわかります。

こちら → https://www.nhk.or.jp/school/program/

 学年ごと、教科ごとにコンテンツが用意されており、これなら自宅学習の教材にふさわしいでしょう。これらのコンテンツを使った学習方法も紹介されています。

こちら → https://www.nhk.or.jp/school/ouchi/

 学習を進めるには、①ノートを用意、②インターネットでこのサイトにアクセス、③番組タイトルをもとに内容を予測、④番組を見る、⑤どんな番組だったか内容をノートにまとめる、⑥ノートを見せながら、誰かに話す、といった学習手順が推奨されていました。

 この通り実行すれば、おそらく、学習効果もある程度、期待できるのでしょう。それには保護者がある程度、関わっていくことが条件となります。

■一定の教育効果を果たしたTV幼児番組

 思い出すのが、『セサミストリート』というアメリカの幼児教育番組です。放送開始されたのが、1969年ですから、もう50年も前の番組です。

こちら → https://www.sesameworkshop.org/

 以前、私はこの番組について調べたことがあります。ジョンソン政権時に「ヘッドスタート」計画の一環として、幼児教育のために開発されたのが、この番組でした。幼児教育、発達心理学などの学者が参加し、年代に合わせ、必要な知識や技能を習得できるような工夫がされています。その一端をご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/BNNcpAcF0GM

 ビッグバードなどのキャラクターに引き付けられ、面白がって番組を見ていれば、自然にアルファベットを覚え、数字を理解し、日常生活のモラルを身につけられるというのが、この番組のセールスポイントでした。

 多くの学者がこの番組の視聴効果について研究しています。3歳児から5歳児までの子どもを対象にした調査結果では、どの年齢層の子どもも保護者とともに視聴した場合、継続的に視聴し続けた場合に学習効果が上がったことが報告されています。

 この番組では何よりも子どもたちが積極的に番組を視聴してくれることを重視していました。ですから、子どもたちの好きそうなぬいぐるみを番組進行のキャラクターとして設定し、1分以下の身近なセグメントにまとめられたアニメーションや歌、動画などに教育目標を盛り込み、制作されていました。

 その後、このような細かくセグメント化した制作手法は子どもたちの学習能力を高めないという見解をもつ人々が批判するようになりましたが、1960年代から1980年代ぐらいまでの間、教育環境に恵まれない幼児にとって学習効果を上げてきたことも事実です。

 もっとも、先ほどもいいましたように、親か保護者がともに視聴し、番組内容について語り合うというのが条件でした。子どもにただ、見せっぱなしにしているのではそれほど効果が期待できないというのです。

 NHKが学習方法を紹介しているように、番組をただ視聴するだけではなく、その内容について子どもがノートに書き留め、番組内容について誰かと話したりすると、学習効果が期待できるということになります。

■感染回避、授業の遅れをどうするか

 ブルック・オークシャー(Brooke Auxier)は、ピュー・リサーチ・センターの調査結果に基づき、教育における格差を指摘しています。

こちら → https://www.pewresearch.org/fact-tank/2020/03/16/as-schools-close-due-to-the-coronavirus-some-u-s-students-face-a-digital-homework-gap/

 新型コロナウイルスで休校になった子どもたちは、家庭学習においてデジタルギャップに直面しているというのです。自宅学習にインターネットを毎日あるいはほぼ毎日利用する13~14歳の子どもは58%、インターネットを学習に利用したことはないという子どもは6%だったといいます。これは居住する地域特性や両親の学習レベル、人種、収入などと相関しており、子どもたちの家庭学習には明らかな差異が見られるというのです。

 休校だからそのまま家庭学習に任せておけばいいということにはならず、学校教育が行われないこの期間に、子どもたちの学習レベルに差異が拡大するということになります。日本ではまだそのような調査結果はありませんが、学校再開後、学習能力の差異は拡大しているかもしれません。

 公立の小学校に通っている子どもは、始業式にプリントを渡された程度だったようですが、私立の小学校に通っている子どもは、ほぼ毎日、学校からオンラインで教材が送られており、保護者が先生の代わりになって学習をさせているようです。

 休校期間が長引けば長引くほど、通っている学校の違い、保護者の支援などで子どもたちの学習能力に差がつくことは明白です。自分で教材を選んだり、学習予定を組んだりすることができない小学生の場合、とくに家庭環境に違いが学習環境に違いとなってくるでしょう。

 小学生の場合、まだ先生か保護者の支援が必要ですから、休校の場合はオンライン学習と気軽にいってしまえない事情があります。このことは、たとえ、オンライン教育のための技術的な環境整備ができたとしても、今後の課題として認識しておく必要があるでしょう。

■日本のICT教育の遅れ

 2020年4月17日の日経新聞に、「ICT教育、海外に後れ」というタイトルの記事が掲載されました。読むと、2019年時点でのパソコン配備は小中学生5.4人に1台にとどまるといいます。

 さらに、2018年OECDの調査によると、1週間の数学の授業で「デジタル機器を利用しない」という日本の生徒の割合は89%で、加盟国平均の55%を大きく上回っています。OECDの加盟国は36ヵ国で、メキシコやチリ、トルコといった新興国も加盟しています。その平均値よりはるかに高く、日本では89%もの生徒がデジタル機器を利用しないと回答しているのです。

 先進国だと思っていた日本の義務教育が、なんとも嘆かわしい状況に置かれていることが露呈しました。

 てっきりインフラ整備の不備のせいだと思っていたのですが、著作権法に」阻まれて教科書のデータをインターネットに公開するのが難しいからだそうです。

 さらに、嘆かわしいことに、教員のITスキル不足が関係しているといいます。ICTを課題や学級活動で活用している日本の中学教員の割合は17.9%で、調査対象国48ヵ国・地域の中で下から2番目だというのです。


(日経新聞2019年6月19日より)

 上図を見ると、一目瞭然です。とくに中学校でICT教育がおざなりになっているのが心配です。これでも、前回より8.0ポイント上昇したというのですから、驚きです。ICT時代といわれながら、これまで日本の義務教育の現場では、なんらICTが活用されていなかったことになります。

 そればかりではありません。創造力や批判的思考力を鍛える指導でも、日本は劣っているというのです。

 「明らかな解法が存在しない課題を提示する」指導を頻繁に行っている中学教員の割合は平均37.5%に対し日本は16.1%でした。また、「批判的に考える必要がある課題を与える」指導では、加盟国平均61.0%に対し、日本は12.6%でした(※ 日経新聞2019年6月19日)。

 とくにクリティカルに考える思考力が鍛えられていないようです。今後、論理的思考能力が重要になる時代に、子どもたちは生きていきます。この子どもたちが義務教育の課程でその能力が鍛えられないとすれば、果たして、いつその能力を獲得できるのでしょうか。

 日本の義務教育では、ICTインフラ、教科書、教員、いずれをとっても、諸国に比べ、圧倒的に劣っているのです。一体、なぜ、ここまで放置されてきたのでしょうか。

 もちろん、教員や子どもばかりを責めることはできません。創造力や批判的思考力を阻む社会的圧力が日本社会に潜んでいることも影響しているでしょうし、競争を嫌う社会風潮も関係しているかもしれません。

 新型コロナウイルスを契機に今後、世界中が新たな社会に変貌していくことになるでしょう。子どもたちは、否応なく、ICTを駆使する力、創造力、批判的思考力を育てていく必要があります。

 日本の義務教育にいったい何が必要なのでしょうか。

 子どもたちの幸せのために、将来の動向を見据えたうえで、基本方針を練り直し、必要な教育を着実に実践していくことがなによりも大切だと思いました。(2020/4/21 香取淳子)

新型コロナウイルス騒動のさ中、5Gネットワークを考える。

■ソフトバンク、5Gサービス開始の発表

 2020年3月5日、ソフトバンクは3月27日から5Gサービスを開始すると発表しました。日本で初めての5Gサービス・商品の発表だったのですが、これはネット中継で行われました。観客のいない会場で行われ、ネットで公開されたのです。

 この変則的な発表は、会場でのウイルス感染を避けるための措置でした。新型コロナウイルス騒動のさ中、不特定多数のヒトが一堂に会すれば、ひょっとしたら、感染者が出るかもしれません。ソフトバンクはそのことを懸念したのです。

 中国の武漢市で見つかった新型コロナウイルスは、瞬く間に世界各地に拡散していきました。日本でも感染者が日々、報道されるようになり、人々の不安は高まる一方でした。感染対策のため、3月2日からは小中高が一斉に休校になりましたし、図書館、美術館、各種施設も休館になりました。地下鉄に乗ると、不必要な外出は避けるよう繰り返しアナウンスされ、人々はマスク、トイレットペーパー、保存食品等などを買い占めるようになっていました。

 そんな騒動のさ中、ソフトバンクの5Gサービスが発表されたのです。

 私はふと、この新型コロナウイルス騒動が、5G導入に向けた大きな契機になるかもしれないと思いました。なにしろ、まるでパンデミックさながら、瞬く間に感染者が世界に拡散していきましたから・・・。

 人々は人混みを避け、さまざまなイベントは中止になり、経済活動が停滞し始めました。このままではいずれ社会生活も成立しなくなります。テレワーク、オンライン会議、オンライン診療など、ヒトとの接触を避けられる遠隔コミュニケーションが注目されるようになりました。

 感染対応策として、まず、テレワークが奨励されるようになりました。

 さらに、厚生労働省は2月28日、慢性疾患の定期受診者に対するオンラインによる診療、処方、服薬指導等について、都道府県の関連部局に通知を出しました(※ https://www.mhlw.go.jp/content/000602230.pdf)。

 オンライン診療はこれまでその必要性が説かれながらも、診療の実施要件が難しく、なかなか普及しませんでした。ところが、今回の新型コロナウイルス騒動を受け、厚生労働省も重い腰を上げ、オンライン診療に踏み切らざるをえなくなったのです。

 もっとも、今回の通知でも、感染が疑われる患者の診療に対しては、依然として、対面診療が求められています。ところが、感染者との濃厚接触が疑われる患者等には、対面診療をせず、健康医療相談や受診勧奨を行っても差し支えないとされたのです。これまでと比べれば、一歩前進といえるでしょう。

 すでに感染が全国に拡散してしまった今、なによりもまず、感染者の行動を制限し、医療現場への感染を避ける手立てが必要でした。

■新型コロナウイルス騒動の中、優先すべきものは何か

 後手後手にまわった感染対策で、日本政府は信用を落としてしまいました。3月12日時点で、日本からの出国者には、35か国・地域から入国が制限され、76か国・地域から入国後14日間の隔離や観察処置などの行動が制限される始末です(※ https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56497330W0A300C2EA2000/)。

 日本政府が感染国からの入国を禁止せず、感染者の行動制限もしなかったせいで、いまや医療関係者が次々と感染しています。医療従事者が感染すれば、別の疾患で病院を訪れている患者も巻き添えをくいます。感染者がこのまま増え続け、制限もなく病院を訪れれば、やがては医療の崩壊といった事態も招きかねないでしょう。

 実際、イタリアでは感染者が急増し、医療崩壊に直面しているといいます。感染しているかどうか確かめるため、多数の人々がPCR検査を求めました。政府はそれに歯止めをかけることができず、無制限に応えてしまいました。その結果、医療従事者に大きな負担を強いただけではなく、医療現場を混乱させたばかりか、いたずらに感染を拡大させてしまったのです(※ https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56642800Q0A310C2910M00/)。

 日本政府はこれを他山の石とし、何を優先して取り組むべきなのかを見極め、今度こそ、適切に対処する必要があるでしょう。緊急事態だからこそ、優先順位をつけ、リーダーシップを発揮して感染対策に取り組んでほしいのですが、政府の動きを見ていると、必ずしもそうとはいえません。政府は感染力の強い新型コロナウイルスを水際で防ぐことができず、国内で感染者を出してしまった後も、感染者の行動に制限をかけていないのです。国民の生活を守ろうという姿勢が見えず、これでは将来が不安になります。

 興味深いことに、発生源の中国はすでに、今回の騒動を機に、5Gを活用したオンライン診療等を積極的に進めているといいます(“The Ecinomist” Mar. 5th 2020)。

 5Gを利用して、高精細画面でリアルタイムに患者とコミュニケーションができるようになれば、確かに、対面診療と遜色のないオンライン診療が可能になるでしょう。5Gは、ヒトが遠隔地とリアルタイムでつながり、リアルな状況下でコミュニケーションできるネットワークなのです。

■中国で進むオンライン診療

 2020年2月7日の『人民日報日本語版』によると、武漢協和病院と武漢科技大学付属天佑医院に、5Gスマート医療用ロボット2台が投入されたといいます。これらのロボットが医療スタッフをサポートし、診療のガイド、消毒、衛生管理、薬の配達などを行うのです。そうすることによって、院内での交差感染を減らし、院内隔離、管理、コントロールの水準を高めることができます。

 これらの病院にロボットを提供したのは、中国移動通信集団の湖北有限公司でした。その責任者によると、サービス用ロボットは、病院のロビーで診療のガイドを行い、予防知識を提供してスタッフの負担を軽減するとともに、院内感染を防止する役割を担うといいます。

 また、消毒・衛生管理ロボットは、感染の危険のあるゾーンで医薬品を配布したり、消毒液を適宜散布したり、床面を消毒・掃除するそうです。遠隔操作で決められたルートの消毒、衛生管理を行うことができ、人手によらず、一連の作業を行うことができるというのです(※ https://www.recordchina.co.jp/b779691-s10-c20-d0035.html)。

 驚いたことに、世界中が新型コロナウイルス騒動に手をこまねいているうちに、中国では着々と、医療現場での5Gサービスが展開されていたのです。なんとしたたかなことでしょう。

 オンライン医療に貢献しているといえば、スマホも同様です。医療アプリ「平安好医生」は、中国の大手保険会社が運営していますが、昨年9月、登録者数が3億人を超えたそうです。その勢いで、12月以降、タイにも進出しているといいます。

こちら → https://baike.baidu.com/item/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E5%A5%BD%E5%8C%BB%E7%94%9F

 「平安好医生」は、専門医を紹介し、スマホで予約を取るサービスが好評で、登録者数を伸ばして来ました。今回の新型コロナウィルス対策に関しては、全国に無料でマスクを配布するため、「ウイルス対策司令室」を開設し、対処しているそうです。

 なにも「平安好医生」に限りません。中国で今、大きく躍進しているのが、対面コミュニケーションを必要としないオンライン診療、あるいは、ドローンや自動走行車を活用した無人の小口配送などでした。

 感染報道を見ていて気になるのは、中国が新しいテクノロジーを積極的に、感染対策や治療等に利用していることです。データ収集を兼ねているのでしょうが、今回の騒動を奇貨として、医療現場でさまざまな5Gサービスを展開することによって、5G時代の優位性を目指しているように思えます。

 たとえば、武漢の新型コロナウイルスの専門病院・火神山病院と北京の解放軍病院の専門家たちは、5Gネットワークを使って相互に意見を交わしながら、オンライン診療をしています。

こちら → https://www.afpbb.com/articles/-/3267783

 感染者を多数、受け入れている医療現場が、リアルタイムで感染症の専門家とやり取りをすれば、より適切な処置が可能です。専門家にとっても、これまでの知見を深化させることができ、洗練させていくことができます。さらに、膨大な感染者データを解析して、ワクチンや新薬を開発し、治験を行っていけば、やがては効果的な治療法も見いだせるようになるでしょう。

 武漢市の新型コロナウイルス医療の最前線では、最新のテクノロジーを活かした治療や感染対策が取られていました。事前の備えがあったからこそ、5Gを利用したオンライン会議、オンライン診療を行うことができたのでしょう。

■すでに始まっていた武漢市の5Gサービス

 今回、新型コロナウイルス騒動で一躍、世界的に有名になった武漢市ですが、調べてみると、なんと5Gの実験都市でもありました。

 2019年11月には、5Gを利用した無人の自動運転移動販売車が稼動しています。この自動販売車は、全周をカメラで監視しており、ヒトが手招きをすると近づき、飲み物と菓子のメニューを表示します。購入後の決済はQRコードのスキャンで行い、購入者に課金されるというシステムで動いているといいます。

 中国で初めての路線バスの自動運転も、実は、武漢市の深蘭科技が、東風汽車製の電動バスを使って、運行を開始しました。営業免許はやはり、2019年11月に交付されたそうです。車両には乗客の安全を見守る車内監視モニターが設置され、乗客が手ぶらで乗っても利用できるよう、料金収受のための指静脈認証システムなどが装備されているといいます。

 さらに、百度やアリババ集団などのIT系企業が、武漢市でさまざまな実証実験を行っているといいます(※ https://diamond.jp/articles/-/230317?page=2)。5Gを活用して、各種社会サービスを展開しようとしているのです。

 それにしても、なぜ中国がいち早く、新型コロナウイルスの感染対策として、5Gを適切に活用できたのでしょうか。私には不思議でなりませんでした。

 調べてみると、それは、中国がすでに2019年に実証実験を終了させていたからだということがわかりました。

 ジェトロは2018年5月29日、武漢市が中国移動通信と協力して、5Gの整備を進めていることを報告しています。武漢東湖新技術産業開発区に20基の5G基地局を設置し、実証実験を始めていたのです。

 2018年4月に武漢市政府が発表したロードマップによると、2020年には市内全体をカバーする5Gネットワークが完成し、以後、全面的な商用化を始めるということでした(※ https://www.jetro.go.jp/biznews/2018/05/bb238269c526dd56.html)。

 確かに、武漢市人民政府は2018年4月3日、5G基地局を設置することについて、通知を出していました。

 この通知で示された全体概念は、①指導理念、②作業目標、です。ご紹介しておきましょう。

 まず、指導理念として、5Gの情報インフラは戦略的で公共的なインフラであると位置づけています。そして、この情報インフラは、企業ニーズにも十分応えることができ、市の公共リソースを合理的に利用しながら、5Gのネットワーク展開と産業の刷新を加速させる基盤になるとしています。5Gネットワークによって、全国に先駆けて武漢市をスマート化し、産業との融合を推進し、武漢市全体の開発レベルを全国トップクラスにするとしているのです。

 次に、作業目標として、武漢市のさまざまな公共リソースを全面的に開放し、3,000基のマクロ基地局と27,000基以上のマイクロ基地局を構築し、5Gネットワ​​ークの実質的な実証実験を2018年末に開始するとしています。そして、2019年には武漢市で開催される第7回世界軍人スポーツ大会に向けて、商用利用のための5Gネットワ​​ークを提供し、2020年には都市全域をカバーする5Gネットワ​​ークを完成させ、それを完全に商用化するとしています(※ 《市人民政府办公厅关于印发武汉市5G基站规划建设实施方案的通知》、武汉办 [2018] 36号、2018年4月3日)。

 このロードマップを見ると、武漢市は中国の5Gネットワークの実験都市でもあることがわかります。2019年には武漢市全域にマクロ基地局、マイクロ基地局が設置され、さまざまな社会サービスに対応できるように計画されていたのです。

■武漢軍人スポーツ大会で示された、5Gとスポーツ融合の魅力

 2019年10月18日から27日までの10日間、武漢市スポーツセンターで第7回世界軍人スポーツ大会が開催されました。世界109か国から9308人の兵士が参加し、射撃、水泳、陸上競技など、さまざまな競技が行われました(※ 「2019年武汉军运会」、百科)。

 この競技大会では、各所に設置された5Gネットワークを活かし、高精細映像で捉えられた競技シーンが現場からリアルタイムで中継され、躍動感あふれるシーンを人々に届けました。

 たとえば、人民日報は、《经济日报》の記事を踏まえ、10月23日、海軍工科大学武漢ムーラン湖キャンパスで、海軍の5つの大会が行われたことを報告しています。競技シーンは5Gネットワークと4Kテクノロジーを利用して高精細画像で伝えられたといいます。

 実際にこの生中継を担当した、湖北モバイル・5G事務所の刘树为氏は、「5Gと4KパノラマHD画像での生中継は、スポーツの魅力とすばらしさを完璧に伝えることができます」と述べています(※ http://it.people.com.cn/n1/2019/1025/c1009-31419546.html)。

 会場には、新華社と中国移動が共同で設立した5Gコミュニケーションイノベーションラボが設置されており、リリースされたばかりの軍事ゲーム《兵兵突击》も展示されていたようです(※ http://www.xinhuanet.com/politics/2019-10/17/c_1125118991.htm)。

 ゲームの開発担当者は、このゲームには5Gならではの「高速、大容量」、「低遅延」という技術的特徴が活かされているので、ユーザーは没頭して楽しめると述べています。

 第7回世界軍人スポーツ大会では、さまざまな競技シーンが5Gならではの迫力ある画面で伝えられ、5Gで楽しめるゲームをリリースされました。スポーツ、ゲーム領域での5Gのデモンストレーションが行われていたのです。国際スポーツ大会が、5Gをアピールする 格好の 場として利用されていたのです。

 いずれにしても、武漢市が全国に先駆けて、5Gネットワークを実装し、公共的な目的は当然のこと、商用的な目的にも対応できるよう計画され、実行されていたことは明らかです。

 そういえば、日本でも、2020年開催のオリンピックを目途に、5Gネットワークの開始が計画されてきました。

 国際スポーツ大会は、国内外の老若男女を巻き込むことができるビッグイベントです。言葉を介さず、誰もが見て、楽しめるスポーツ大会ですから、内外に向けた宣伝装置として、これほどふさわしいものはないでしょう。だからこそ、東京オリンピック大会でも、5Gを駆使した臨場感あふれる映像の活用が企画されていたのです。

 2020年は日本にとって、5Gお披露目の年なのです。その先駆けとなったのが、ソフトバンクの5Gサービスの発表でした。ですから、今回はそのことを取り上げるつもりで、書き進めてきました。

 ところが、ソフトバンクのネット発表について書きはじめると、新型コロナウイルス騒動に触れずにいられなくなり、 つい、横道に逸れてしまったのです。中国の5Gサービスやロボットを活用した感染対策は、それほど興味深いものでした。

 さて、すっかり遅くなってしまいました。それでは、ネット中継で行われたソフトバンクの5Gサービスの発表に戻ることにしましょう。

■ソフトバンクの5Gサービスの内容

 3月5日、ネット中継されたソフトバンクの5Gサービス内容は、次のようなものでした。

こちら → https://youtu.be/XNeDglI_mPQ

 まず、エンタメとしての魅力については、AKB48のメンバーを起用し、①FR(多視点:多様な視点でアイドルを見ることができる)、②AR(拡張現実:アイドルとのつながりをシェアできる)、③VR(仮想現実:アイドルが目の前にいるかのように感じられる)等々をアピールしています。

 スポーツとしての魅力についても同様、野球選手、バスケットボール選手を起用し、FR、AR、VRの観点から訴求しています。これらのエンタメ、スポーツはいずれも独自のコンテンツとして配信するそうです。

 さらに、2020年6月からは、クラウドゲーミングサービスが開始されます。クラウド技術によって、いつでもどこでも、迫力ある映像のゲームを堪能できるとアピールしていました。400タイトル以上を提供するといいますが、これはエンタメやスポーツの倍以上になります。おそらく、ゲームこそが、5Gのスマホ初期ユーザーに訴求力があるコンテンツだという認識なのでしょう。

 ソフトバンクの発表内容からはどうやら、エンタメ、スポーツ、ゲーム中心の5Gサービスになるようです。初期ユーザーを若年層に設定して、サービス内容を考えたからでしょうか。

 確かに、ARやVRの開発者900人に対するXRDCの調査結果によると、AR、VR業界をけん引しているのは依然としてゲームだといいます(※ “WIRED”2019/08/27)。

 それを確認するため、“AR/VR Innovation Report”(XRDC, October 14-15, 2019)をダウンロードして見ました。すると、ARやVRの開発者が手掛けているプロジェクトはゲームが圧倒的に多くて59%、次いで、ゲーム以外のエンタメ(38%)、教育(33%)、トレーニング(27%)といった順でした(※ http://reg.xrdconf.com/AR-VR-Innovation-Report-2019)。

 ソフトバンクが初期ユーザー向けに設定したサービスは、エンタメ、スポーツ、ゲームでした。 XRDCの調査結果と照らし合わせれば、 高精細映像で5Gの魅力を堪能できる領域に集約されていることがわかります。

■日本では当面、対応エリアが限定

 3月27日のネットワーク開始に合わせ、ソフトバンクのデバイスが4機種、販売されます。価格別、機能別にさまざまなユーザーを想定して用意されていますが、留意しなければならないのは、全国どこでも利用できるわけではなく、当面、対応エリアが7都道府県の一部に限定されていることです。(※ 3月31日時点でのエリア https://cdn.softbank.jp/mobile/set/common/pdf/network/area/map/5g-area.pdf)。

 ネットを見ると、対応エリアが限定されていることに不満が高まっているようですが、なにもソフトバンクに限りません。先行するアメリカでも同様、エリアが限定されていることへの不満がありました。

 なぜ、対応エリアが限定されているのかといえば、それは、5Gの電波特性が原因です。5Gは確かに高速で大容量なのですが、届く範囲は狭く、それをカバーするには多数の基地局を設置しなければならないからなのです。

 電波特性をわかりやすく説明した図がありますので、ご紹介しましょう。


2020年3月7日付日経新聞より

 5Gを構成するミリ波は高速で、直進性があり、電波は数百メートルしか飛びません。しかも、建物や樹木ばかりか、雨が降ったりしても電波が遮られてしまうそうです。ですから、5Gネットワークの機能を活かすには、基地局を増やすしかないのですが、現時点ではまだ基地局が十分に設置されておらず、対応エリアが限定されるという現象が起きてくるのです。

 5Gは速度がこれまでの100倍で、タイムラグもほとんどありませんから、これからの産業や人々の生活を大きく変えると期待されています。ところが、5Gを開始しても当面は、対応エリアを限定しなければなりません。通信各社にとっては難題です。

 上図は、「5G、弱点克服へ「脱・自前」というタイトルの記事に添えられたものですが、その内容をみると、携帯大手各社は、通信設備の共用でコスト削減を図り、この弱点を克服しようとしているというものでした。

 基地局を設置する鉄塔や設備などを各社が共用することで、3~4割のコストが抑えられるというのです。ここに、民間で5Gを敷設していくことの難題が見えてきます。

 5Gを導入しなければ、世界に伍していくことができないのが現状です。それなのに、各社が競い合っているのでは競争力が削がれてしまいます。そこで、協同できるところは手を組むという判断に至ったのでしょう。どうやら、日本の通信各社は究極の策として、共用でコストダウンを図り、必要な基地局を設置していく方向に動いているようです。

 さて、この記事には、「5Gは3ステップで進化する」というタイトルの図が添えられていました。今後の展開の様子がわかりやすく図示されていましたので、ご紹介しておきましょう。


2020年3月7日付日経新聞より

 これを見ると、2020年は対応エリアが限定されており、5Gといってもまだ、ゲーム、エンタメ、スポーツなどのAR、VRサービスが主流のようです。これを見て、ようやく、ソフトバンクが提示した5Gサービスが、エンタメ、スポーツ、ゲームに偏っていた理由がわかりました。電波の特性から商用化できるサービスが限られていたのです。

 この図を見ると、5Gの機能を全面的に活用したサービスが可能になるのは、日本の場合、早くても2023年になるようです。

■5Gの取組みに見る日本と中国

 『平成29年版情報通信白書』には、「5Gは、ICT時代のIoT基盤として早期実現が期待されている」と書かれています。日本でも対応が急がれたのは、「世界各国で5Gの早期実現に向けた取組が進められて」いるからでした。

 日本でも2014年9月、 「第5世代モバイル推進フォーラム(5GMF)」 が設立され、5Gの導入に取り組んでいます。

こちら → https://5gmf.jp/

 5GMF は、2020年2月19から20日にかけて、「5G国際シンポジウム2020~5Gが創る未来~」をテーマとした、国際シンポジウムを開催しました。これについての報告は、2020年3月11日、5GMFのHPにアップされました。

こちら → https://5gmf.jp/event/20200311173135/

 第2部で、携帯電話事業各社による今後の事業展開の方向性、アプリ等についてのデモンストレーション、業界内外の連携等についてのパネルディスカッション等が行われたようです。実際に参加していませんので、具体的にどのような内容であったのか、よくわかりませんし、実証実験の展示やデモなども見ていないので、実状はよくわかりません。ですが、シンポジウムの概要や実証実験の写真等を見て、全般にもどかしさを感じました。5Gに関して日本は相当、出遅れているのではないかという印象を抱かざるをえなかったのです。

 このシンポジウムが開催されたのが2月でしたから、新型コロナウィルス騒動のせいかもしれませんが、海外からの参加者がきわめて少ないのです。わずか3か国(トルコ、インドネシア、韓国)からしか参加していません。5Gを先行開始した韓国はまだしも、5G先進国のアメリカや中国から一人も参加していないのが気になりました。

 一方、中国では、今回の新型コロナウィルスの感染対策として、5Gサービスを活用していました。医療現場では、オンライン診療をはじめ、院内感染を防ぐためのロボットによる診療ガイド、清掃、衛生管理が行われていました。また、物資輸送のため、ドローンや自動走行車が利用され、小口配送なども行われていました。実際に5Gによるサービスが稼動していたのです。

 日本が大幅に遅れているのは明らかでした。

 かつては技術立国日本とまでいわれたのに、なぜ、日本が5G領域で遅れを取っているのか、不思議でなりません。調べてみると、5Gの標準必須特許(standard-essential patent:SEP)の出願件数は中国が突出しており、34.02%を占めています(※ 2019年3月、独IPリテイックス調査による)。


2019年5月3日付 日経新聞 より

 企業別シェアをみると、トップがファーウェィで(中国、15.05%)、5位が中興通訊(ZTE)(中国、11.7%)、9位が中国電子科学技術研究院(CATT)(中国、7.27%)とトップテンの中に3社も入っています。中国は圧倒的な存在感を見せているのです。

 日経新聞はその理由について、「3G、4G通信技術で後塵を拝した中国は欧米のライバル企業に多くの特許料を支払わなければならなかった」ため、「次世代通信技術を『中国製造2025』の重点項目に位置づけ、国を挙げて5G関連技術の研究開発を支援してきた」からだと分析しています(※ 2019年5月3日付日経新聞)。

 たとえば、トップにランクされたファーウエイは2018年度、5Gを含む研究開発費に153億ドル(約1兆7100億円)を投じました。2014年度に比べ、2倍以上にも上ったそうです(※ 2019年4月30日付日刊工業新聞)。

 一方、日本企業はトップテンに入っておらず、富士通(日本、4%)がようやく12位にランクされた程度でした。中国に比べ、日本企業は圧倒的に資金力、研究環境、マンパワーなどが不足しています。そんな中、富士通はよく頑張ったといえるのかもしれません。

■5Gサービスの展開、新コロナウイルスの発生

 5Gサービスを2019年に先行開始したのが、アメリカ、韓国、中国でした。中国は11月1日に、国内50都市で5G商用サービスを開始しました。開始時点で1000万人の事前登録者がいたそうです。

 実証実験を経て、さまざまな社会サービス、商用サービスがちょうど実用化段階に達した頃、新型コロナウィルス騒動が発生しました。

 2020年1月23日、中国政府は武漢を封鎖し、周囲から遮断しました。それでも、新型コロナウィルスは瞬く間に世界中に拡散し、2020年3月17日時点で、感染者数は17万7421人、死者数は7044人に達しました。同時点で中国の感染者数は8万881人、死者数は3226人、感染者数、死者数とも中国以外の国の方が多くなりました。

 WHOが「パンデミック宣言」を出したのが、3月11日、遅すぎるといわれましたが、いまや感染の中心は欧米に移動しています。

 2020年3月10日、WHOのパンデミック宣言の前日、習近平主席は武漢市を訪問し、医療従事者や軍兵士、警官、ボランティアらを慰労しました。9日時点で、湖北省での感染者は17人、それ以外では2人と報じられました。おそらく、新型コロナウイルス騒動の終息をアピールするための訪問だったのでしょう。

 さて、中国では感染者がどのように分布しているのか、色分けして示された地図があります。見てみることにしましょう。

 上の図で、こげ茶色(2000人以上)で示されているのが、湖北省です。次いで多いのが、茶色(1500~1999人)で示されている河南省、湖南省です。この二つの省は湖北省に隣接しています。そして、沿岸部の広東省、浙江省です。

 それにしてもなぜ、感染者数、死者数とも湖北省(武漢市)の住民が、他地域に比べ、圧倒的に多いのか、私には不思議でした。そこで、数値で確認してみようと思います。

 CNNは、習氏が武漢を訪問した3月10日時点で、感染者8万754人のうち6万7760人、死者3136人のうち3024人が湖北省の住民だと報じていました。この数字に従えば、なんと、感染者のうち83.9%、死者のうち96.4%が湖北省の住民になります。

 感染者が発見されてまもなく、武漢市は封鎖され、外部との接触を断たれました。そのことが多少は影響しているのかもしれませんが、湖北省(武漢)の感染者の致死率は4.46%です。湖北省以外の中国の感染者の致死率は0.86%でしたから、湖北省(武漢)の致死率はなんと、その5倍以上にもなります。

 新型コロナウイルスは一般に、感染力は強いが、致死率は低いといわれています。それだけに、武漢市での致死率の高さはなんとも不気味です。今後、研究が進み、ウイルスの正体や感染経路が明らかになると、このような疑問も解明されるのでしょうが、いまはまだ腑に落ちません。

 そういえば、武漢市では5Gサービスが開始されていました。感染対策として、ロボットを使って医療現場の作業を軽減し、自動走行車を使って物資を配送していたのです。まだ実証実験段階にとどまっている日本からみれば、まるでデモンストレーション映像のように見えました。

 大勢のヒトの生命を奪い、行動を制限し、経済活動、社会活動を停滞させた新型コロナウイルスは、世界中に感染者を生み出しながら、5Gで駆動されるデータドリブン時代に誘導しているように、私には思えました。

 5Gは今後、さまざまな非接触、非対面作業への需要に応えることができるでしょう。中国は今回、感染対策、オンライン診療、自動走行などを通して大量のデータを収集していますから、そのビッグデータをAIで分析し、より適切な医療サービスに仕上げていくこともできるでしょう・・・。

 そんなことを思っているとき、何の脈絡もなく、ふっと、5Gが影響しているのではないかという思いが脳裏をかすめました。妄想かもしれません。

■ひょっとしたら・・・・?

 武漢市ではいち早く、全市に5Gネットワークが張り巡らされました。武漢市は自動車メーカー各社の集積地でもあります。

 すでに自動走行車が稼働していました。自動走行を可能にするには、5Gネットワークが機能していなければなりません。大量のデータが高速で送信され、受信され、解析され、フィードバックされて無人運転ができるのです。自動運転を可能にする強い電磁波が、身体に何らかの作用をしていたのではないかという疑いが思い浮かんできたのです。というのも、最近、「武漢で眼科医が相次いで新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなっている」という内容の記事を読んだばかりだからでした(※ https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200317-00000017-nkgendai-hlth)。

 思い返せば、いち早く新型肺炎の発生に警鐘を鳴らし、やがて命を落とすことになってしまったのは、まだ30代の武漢市の眼科医でした。

 なぜ、まだ30代の眼科医が感染し、重症化し、死に至ってしまったのか、気になっていました。そこで、調べてみると、「眼球は体表に位置しており、電磁界曝露の影響を受けやすい」とし、家兎に対するマイクロ波とミリ波による曝露の影響を調べた研究がありました。

 報告書を読んでみましたが、専門家ではないので、実験方法やその内容についてよく理解することはできませんでした。とはいえ、「曝露2日の前眼部所見は、角膜混濁がさらに増強され、眼球結膜(眼の白目部分)に充血が見られたことより、眼部の炎症が続いていることが伺えた」と書かれ、最後に、「40GHzと75GHz の周波数で比較した場合、同じ入射電力密度では、角膜および水晶体の温度上昇は75GHzの方が高くなることがわかった」という記述が見られました。

(※ https://www.tele.soumu.go.jp/resource/j/ele/body/report/pdf/h26_01.pdf)素人の私でも、電波の速度が速くなるにつれ、曝露されると眼球に負荷がかかり、発熱しやすいことは理解することができました。

 この結果は、調査のために武漢の病院を訪れた中国人医師がマスクをしていたのに感染し、発症前の数日間、目が充血していたと述べていた(前掲URL)ことと合致します。ひょっとしたら、5Gの強い電波を浴びた結果、眼球に負荷がかかって充血し、ウイルスに感染しやすい状況になっていたのかもしれません。あくまでも素人の推測にすぎませんが・・・。

■日本が、5Gの安全性の確認を

 総務省は、電磁波の影響に関する研究を支援し、人々の不安に対する取り組みを行っているようです。


総務省東海総合通信局より

 先ほどご紹介した眼球への影響に関する研究以外にも、神経作用、遺伝子、脳腫瘍、免疫システムなど、電磁波の影響については多数の関連研究が行われていました(※ https://www.tele.soumu.go.jp/j/sys/ele/seitai/protect/index.htm)。

 さまざまな研究成果を踏まえ、総務省は、現段階ではまだ実施例が少ない研究領域、近年報告が増えているが日本では行われていない研究領域、今後も留意していかなければならない研究領域などがあることを指摘しています。

(※ https://www.soumu.go.jp/main_content/000525626.pdf

 テクノロジー主導で社会が激変していく時代に、突如、新型コロナウィルスが登場し、瞬く間に世界中を混乱に陥れました。今や、各国で出入国の制限や行動制限が加えられるようになり、社会活動、経済活動は停滞してしまいました。この騒動を機に、非接触、非対面のコミュニケーションへの需要は高まり、世界は一挙に、5Gの時代に突入していくことでしょう。

 確かに、このような社会状況だからこそ、5Gの導入を急ぎたくなる気持ちもわかります。とはいえ、ヒトの身体や生物への悪影響を示す知見を無視することはできません。5Gの導入に出遅れた日本こそ、5G先進国にはできない、生命体への影響を調査し、その検証を徹底的に行ってみてはどうでしょうか。それもまた、大きな社会貢献になると思うのですが・・・。(2020/03/18 香取淳子)

オリンピックを機に、字幕付与サービスは向上するか?

■新宿西口通路の壁面

 大江戸線都庁前駅から新宿に向かう西口通路の壁面に、オリンピック・パラリンピック大会の告知映像がいくつも展示されています。観光客が時折、その前でポーズを取り、写真を撮っているのを見かけます。そんな時、スポーツの祭典であるオリンピックは観光資源でもあったことに気づきます。

新宿西口通路

 展示されていたのは工学院大学前の壁面です。

 市松模様を組み込んでデザインされたマスコット・キャラクターがいかにも幾何学的で、未来の技術を連想させます。まるでヒト型ロボットのようだと思った途端、ネットで見かけた画像を思い出しました。

 調べてみると、これは、2020年東京大会のために制作されたマスコットロボットでした。身長160㎝、体重15.7㎏で、ミライトワと命名されています。離れたところからロボット同士が握手することができ、搭載されたカメラでヒトの接近を感知し、相手の動作ごとに目の表情を変化させることができるといいます。

(※ https://tokyo2020.org/jp/games/vision/innovation/data/robot_panel_A4.pdf

 実は、オリンピックは日本の技術力を世界に向けてアピールできる場でもあるのです。オリンピックを機に、大会で使えるさまざまなロボットが開発されていました。

https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/28713215.htmlより)

 たとえば、ミライトワのようなヒューマノイドロボット、遠隔地コミュニケーションサポートロボット、フィールド競技サポートロボット、等々です。オリンピック、パラリンピックをサポートするためのロボットが、機能別にさまざま製作されていました。

 中には、超高齢社会を見据えて開発されたような生活支援ロボットもあります。こちらは、オリンピック大会時には観戦サポートロボットとしての役割を担うといいます。いずれも情報通信工学を使ったものです。

(※ https://tokyo2020.org/jp/games/vision/innovation/

 それでは、情報通信工学技術はオリンピックを機に、私たちに何をもたらしてくれるのでしょうか。

■オリンピックを機に、ICTの進展を目指す

 『平成30年版情報通信白書』によると、総務省はオリンピックを機に、日本の持続的成長を見据え、次のようなアクションプランを策定しています(※ https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h30/html/nd261210.html )

アクションプラン概要図 総務省より

 

 これを見ると、上部に、「言葉の壁をなくす」、「情報の壁をなくす」、「移動の壁をなくす」、「日本の魅力を発信する」といった項目が提示されています。これらが目標なのでしょう。2020年東京大会を機に、言語、情報、移動のバリアフリー化を進め、日本の魅力を発信するためのICTの利活用が企図されていることがわかります。

『令和元年版情報通信白書』では、昭和、平成、令和に至るICTの発展プロセスが図で示されています。

(※ https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nb000000.html

ICTの発展 総務省より。

 

 この図からは、令和の始まりとともに、Society5.0を本格始動させようとしていることがわかります。平成後半にはモバイルメディアであるスマホが普及し、令和2年(2020年)には携帯各社が5Gサービスを開始します。社会を支える情報通信インフラが大きく変化していく時期にさしかかっているのです。

 IoT、AI、ビッグデータなどもすでに実用段階に入っています。オリンピックが開催される2020年はまさに、テクノロジー主導で激動する時代の幕開けになるのです。

 それでは、高度なICTを使ってどのようなサービスが可能なのでしょうか。

 先ほどのアクションプラン図を見ると、真ん中から下に4項目の内容が書かれています。それぞれ、期限を設けた実現目標も書かれていますから、政府が2020東京大会を目途に社会のICT化を進め、バリアフリー化を実現していこうとしていることがわかります。

■バリアフリー化の推進

 確かに、オリンピック、パラリンピック大会に備え、移動、言語や情報のバリアフリー化が進められています。

『令和元年版障碍者白書』を見ると、2020年東京大会に向けた取組みが説明されています。

(※ https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/r01hakusho/zenbun/pdf/s1_3.pdf

 具体的には、「心のバリアフリー」、「ユニバーサルデザインの街づくり」などが挙げられており、それぞれについて行動目標が示されています。障碍者や訪日する外国人に分け隔てなく接する心構えを養うとともに、彼らが不自由なく移動でき、コミュニケーションできるよう、社会環境を整備しようというのです。

「ユニバーサルデザインの街づくり」で設定された6項目のうち、第5項目に、「ICTを活用したきめ細かい情報発信・行動支援(バリアフリー情報提供機能強化等)」があります。これは外国人や視聴覚障碍者等に対する情報保障であり、障碍者に対する移動保障といえるものです。

 その内容を見ると、無料公衆無線LAN環境の整備、「言葉の壁」をなくす多言語音声翻訳システムの高度化、4K・8Kやデジタルサイネージの推進、第5世代移動通信システムの実現、といった具合です。盛りだくさんの内容に見えますが、5Gを活用して言語や情報のバリアフリー化を目指そうとしている点で、これは明らかに訪日する外国人を対象にした取組みです。

 もちろん、言語や情報バリアフリーのために開発された技術はいずれ、視聴覚障碍者や高齢者にも役立つよう改変されていくでしょう。

 日本はいま超高齢社会に突入しています。高齢化に伴い、さまざまなことが懸念されるようになっています。その最たるものが、高齢者の心身機能の低下に伴うコミュニケーション不全状況をどのように回避できるかということでしょう。

 オリンピック、パラリンピックを機に、言語や情報のバリアフリー化が推進されれば、閉会後、超高齢社会が抱える課題の一つが解決されるようになるかもしれません。

 それでは、多言語音声翻訳システムがどのようなものなのか、みていくことにしましょう。

 2014年3月19日、多言語対応の強化・推進のために多言語協議会が設置されました。2020年オリンピック・パラリンピック東京大会の開催に向けて設立された組織です。その後、多言語協議会は、国や地方の関係機関、民間の関係機関や企業と連携し、協働してシステムの開発に取り組んできました。

(※ https://www.2020games.metro.tokyo.lg.jp/multilingual/council/pdf/kangaekatah290622.pdf

 その結果、開発されたのが、「ボイストラ(VoiceTra)」という名前のアプリです。現在、31か国語に対応しており、無料で使うことができます。インストールのマニュアルは日本語と英語で提供されており、操作方法などもわかりやすく提示されています。

こちら → http://voicetra.nict.go.jp/manual.html

 VoiceTraの「紹介編」と「使い方編」が動画で提供されていました。ここでは、「使い方編」を見てみることにしましょう。

こちら → https://youtu.be/RSvsBv6TZ7M

 日本語音声に日本語字幕が付いています。この動画には他言語版として英語、中国語、韓国語が用意されています。求める言語をクリックすると該当ページに移動します。これを見ると、内容は単純ですが、必要最小限度のコミュニケーションはできるようになっています。日本語がわからない外国人にとっては貴重なデバイスです。もちろん、外国語のわからない日本人にとっても有益です。

 もっとも、ヒトのコミュニケーション内容は多様ですから、これだけで済むはずがありません。より満足できるコミュニケーションを目指そうとすれば、語彙を増やし、翻訳の精度を向上させる必要があります。それには翻訳データベースの充実を図ることが必要でしょう。そう思って調べてみると、総務省と情報通信機構(NICT)はすでに翻訳バンクを構築し、運用を開始していました。

(※ https://www.nict.go.jp/press/2017/09/08-1.html

 翻訳バンクは次のようなコンセプトで構築され、運用されています。

多言語バンク 情報通信機構より。

 

 ここで示されたように、さまざまな分野の翻訳データを数多く蓄積すれば、翻訳の精度を高め、より多くの分野の翻訳に対応できるようになります。AIによってビッグデータを活用することによって、量が質を向上させていくのです。

 その一方で、データの提供者には使用料の軽減を図ることで対応していくとしています。双方にメリットがあるよう計らいながら、翻訳バンクの充実を目指しているのです。ビッグデータとAIの利活用によって、時間が経てば、使い勝手がよく、利用者の満足度の高いシステムになっていくでしょう。

■言語、情報のバリアフリー化

 政府はオリンピック開催を機に、外国人滞在者のための言語、情報のバリアフリー化を推進しようとしています。

 その基本理念は、「多様な主体が表示・標識等の多言語対応に取り組むことにより、外国人旅行者が 円滑に移動し、安心して快適に滞在できる都市環境の向上を目指す」と書かれています。

(※ https://www.2020games.metro.tokyo.lg.jp/multilingual/council/pdf/kangaekata.pdf?1412)。

 対象者は、「2020 年オリンピック・パラリンピック東京大会開催時の外国人旅行者、観光・ビジネス等で日本を訪れる外国人旅行者」とされています。彼らに対し、「日本語+英語及びピクトグラムによる対応を基本としつつ、需要、地域特性、視認性などを考慮し、必要に応じて、中国語・韓国語、更にはその他の言語も含めて多言語化を実現」し、利便性を図っていくというのです。日本に短期間滞在する外国人を対象にしていることがわかります。

 対応するツールとしては、「交通機関や道路の案内表示や標識等、 飲食や宿泊、観光やサービス施設における案内表示や標識等、音声案内、パンフレット、ICTツールなどの各種媒体」が挙げられています。

 これを見る限り、言語、情報のバリアフリーを謳いながら、基盤メディアであるTVは対象になっていないことがわかります。どうやら、来日した外国人が滞在期間中に不自由なく行動できるように、案内や標識を多言語化するのが主な目的のようです。

 考えてみれば、日本を訪れる外国人旅行者数は激増しています。2013年に初めて1000万人を突破して以来、2014年には1300万人を超え、2016年には約2400万人といった具合です。このような状況からみれば、2020年の東京大会には、さらに多くの外国人旅行者が日本を訪れることでしょう。来日した外国人が快適に滞在できるよう、言語や情報のバリアフリー化を進めるのは当然のことです。

 ところが、この施策の中にTV字幕は対象とされていませんでした。「ユニバーサルデザインの街づくり」の下、標識や案内などのバリアフリー化が推進され、無料公衆無線LAN環境の整備が提唱されているにもかかわらず、基盤メディアともいえるTVの字幕は対象とされていないのです。

■なぜ、TV字幕は言語・情報のバリアフリー化の対象ではないのか

 2020年東京大会に訪れる観光客やそれ以外の目的で訪れる外国人、いずれもホテルに宿泊し、何日間かの滞在中、日本のTVを見るはずです。

 オリンピックで来日したとなれば当然、ホテルでTV観戦するでしょうし、ニュースや日本のドラマなども見たりするでしょう。TVはありのままの日本を知ってもらうには絶好の媒体なのです。

 来日した外国人はホテルに着くとまずTVを見ます。その際、画面から流れる日本語音声に英語字幕だけではなく、日本語字幕も表示できるようになっていれば、どれほど喜ばれることでしょう。

 字幕があれば、日本語のわからない外国人でも音声と文字とを照合しやすく、理解しやすくなります。日本語字幕があれば、TVを見て日本語の学習意欲が喚起されるでしょうし、手軽な日本語学習ツールにもなります。日本語字幕のおかげで少しでも日本語を理解できるようになれば、日本への関心も高まるでしょう。

 もちろん、日本語字幕は外国人のためばかりではありません。聴覚障碍者や聴覚機能が低下している高齢者にも役立ちます。そう考えると、オリンピック、パラリンピックを機に言語、情報のバリアフリー化を目指すなら、誰もが接触するTVに日本語と英語の字幕を表示できるようにすることは不可欠でしょう。

 そもそも放送事業は総務省の管轄下にあります。ですから、総務省がTV字幕についてどのような見解を抱き、どのような政策を展開しているのか知っておく必要があるでしょう。果たして総務省の見解はどうなのでしょうか。

 調べてみると、アクセシビリティの観点から、総務省は平成30年度(2018年)に、今後10年間の字幕放送、解説放送及び手話放送の普及目標を定めた指針を策定していました。

(※ https://www.soumu.go.jp/main_content/000642553.pdf

 平成9年(1997年)以降、総務省は10年ごとに普及目標を設定し、着実にTVアクセシビリティの向上に努めていたのです。

■放送分野におけるアクセシビリティに関する指針

 2018年2月7日、総務省は『放送分野におけるアクセシビリティに関する指針』を策定し、次のように発表しました。

こちら → https://www.soumu.go.jp/main_content/000531258.pdf

 主な改正点としては,「字幕放送の普及目標対象放送時間を1時間拡大して18時間に」、「独立U局を除く県域局と放送衛星で、字幕・解説放送の目標数値を明示」、「NHK、地上系民放(県域局以外)の解説放送目標を15%に引き上げ,手話放送で初めて数値目標を設定する」等々です。

 この指針を策定する前に総務省は、『放送分野におけるアクセシビリティに関する指針』(案)として提示し、パブリックコメントを募っていました。その結果、次のような意見が提出されました。法人から10件、個人から10件です。

こちら → https://www.soumu.go.jp/main_content/000531717.pdf

 全般に解説放送に関する意見が多くみられます。字幕放送に比べ、対応が不十分だからでしょう。今回の指針で多少、改善されています。

 放送アクセシビリティとしては当然、解説放送を充実させていかなければなりませんが、ここでは字幕放送についての意見の中で印象に残ったものを取り上げることにします。個人、NHK、民放の一部から提出された意見は概略、次のようなものでした。

個人:「非常時や年末年始の字幕がなくなってしまう際、音声認識ソフ トを活用して代替する」、「情報保障という考え方を業界に浸透させる」、「海外の事例を参考に、国内でも字幕付与の義務化を実現してほしい」、「インターネットで公開する際にも字幕付与を進め てほしい」「パラリンピックの放送は、今の所、NHKのみです。しかもEテレと言う状況でこれを総合テレビに格上げしてほしいのと皿に民放でも放送できないものか検討して頂きたいものです。2020年東京五輪より民放でもパラリ ンピックも放送できないか?各局で話し合って頂きたいものです」

NHK:「NHKは、「指針(案)」に示された普及目標の対象となる放送時間について、視聴者の多い時間帯に付与することが望ましいとの方針も含め、妥当であると考えます。衛星放送への字幕付与については、生放送番組の字幕付与体制が整っていないなどの課題がありますが、字幕付与の効果がより高いと期待されるBSプレミアム を中心に拡充に努めてまいります。また深夜、早朝の時間帯であっても、台風等の影響が予測される場合は字幕放送の体制を整えて臨むとともに、大規模災害が発生したときにはできるだけ速やかに体制を整え、字幕放送を開始できるよう努めていきます。字幕の表示方法についても、改善すべく研究を進めます。一方で、 諸外国と比較し、日本では字幕放送に求められる正確さの水準が 高いことが、字幕放送普及を難しくしていることを踏まえ、関係 各署と制度面の課題について検討していきたいと考えています」

中京TV:「字幕放送制作に係る費用や人材確保の負担は極めて大きく、指針案に示された 2018 年度以降の目標達成は簡単ではないと認識しています。 弊社は、広域局とはいえ在京局や在阪局と比較すると規模や資 金面では大きな差があります。今後、音声認識技術の向上や自動字幕生成技術の発展がない限り、在京局や在阪局と同水準の目標達成については、多くの困難があると認識しています。以上のように課題も多く厳しい環境ではありますが、目標達成に向けて取り組んで参ります」

 字幕についての意見で印象に残ったものは概略、以上のようなものでした。これらについての総務省の見解は下記の表の右側の項に示されています。

こちら → https://www.soumu.go.jp/main_content/000531719.pdf

 これらを読むと、字幕放送については現段階で可能なことは相当、達成できているように思えます。果たして実際はどうなのでしょうか。総務省の資料から、字幕放送の直近の実績を見てみることにしましょう。

■字幕放送

 NHK、民放キー局、準キー、ローカル局等の平成30年度(2018年)字幕付与の実績についてみたのが、下記のグラフです。

総務省資料より筆者作成。

 これを見ると、NHK、在京キー局、在阪準キー5局、在名広域4局とも、総務省指針に対応する番組については97.4%、99.8%、99.7%、99.3%といった具合に、かなり高い率で字幕が付与されていることがわかります。NHK教育と系列県域101局は80%台にとどまっていますが、それでも高い付与率です。総務省対応番組への字幕付与は、現段階ではもはや難しいものではなくなっているのでしょう。このデータからは、字幕付与コストが軽減されれば、どの局も字幕付与率はさらに向上すると考えられます。

 総務省は今回の指針で、NHK、民放キー局、準キー局、在阪広域4局には「対象の放送番組全てに付与」とし、系列県域101局には「2027年度までに対象の放送番組の80%以上に字幕付与。できる限り、対象の全てに字幕付与」と数値目標を設定しています。

 ちなみに、「対象の放送番組」とは、次の①~④を除く全ての放送番組を指します。

①技術的に字幕を付すことができない放送番組(例:現在のところ複数人が同時に会話を行う生放送番組)

②外国語の番組

③大部分が器楽演奏の音楽番組

④権利処理上の理由等により字幕を付すことができない放送番組

 総務省がこの指針を策定したのが2018年7月で、グラフで示した字幕放送の実績は2018年度のものです。どの局も対象番組については字幕付与率が高いので、この目標は期間内に達成できるでしょう。

 もっとも、指針には「本指針は、技術動向等を踏まえて、5年後を目途に見直しを行う」とされていますから、上記①から④のうち、②については新たに対象番組に組み入れられるかもしれません。

 上のグラフを見ると、総放送時間に占める字幕付与率がどの局も全般に低いのが気になります。とくに系列県域局、独立県域局で低いのが目立ちます。これらの放送局ではおそらく、事前収録番組よりも、自社制作の生放送番組の比率が高いからでしょう。その方が制作費を抑制できるからですが、その結果として、字幕付与率が低くなっています。

 ローカル局では一般に、制作費を抑制するため、自主制作の生放送番組が多い傾向がみられます。ところが、生放送番組は字幕を付与しにくいうえに、誤りも発生しやすく、しかも、放送局は字幕付与に多大なコスト負担を強いられます。

 NHK、民放キー局、県域局を問わず、放送局にとって、生放送番組への字幕付与が大きな課題になっています。

■総務省字幕支援事業

 日本社会の動向を考えてみれば、超高齢化が今後も続き、労働移民や来日観光客は増え続けます。もはや言語・情報のバリアフリー化だけではなく、基幹メディアとしてのTVに日本語字幕を付与することが不可欠になるでしょう。高齢者や聴覚障碍者だけではなく、外国人をも視野にいれた字幕付与が必要になってくるのです。

 そのような現状認識が共有されているのでしょうか、字幕に関する技術はいま、さまざま開発されており、総務省もその支援事業を進めています。

 総務省が募集した平成30年度字幕支援事業には、2件の事業案が採択されました。1件はマルチスクリーン放送協議会による事業案で、もう一つはヤマハによる事業案でした。

(※ https://www.soumu.go.jp/main_content/000554092.pdf

それぞれ実証実験の結果が報告されているようです。

こちら → https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01ryutsu09_02000227.html

 結果を知りたくて、いろいろ探してみました。ヤマハの事業案に関しては報告書も出ていましたが、マルチスクリーン放送協議会の事業案に関してはどこを探しても、その報告書が見当たりませんでした。

 もっとも、マルチスクリーン放送協議会の事業案も実証実験は行われていたようです。『放送研究と調査』2019年1月号で関連記事を見つけましたが、次のように書かれていました。

 「生放送の音声から字幕を自動的に生成しスマートフォンに配信する実証実験が、11月19日から30日にかけて、全国の民放24局で行われた。(中略)今回の実証実験には、在阪民放5社で構成する「マルチスクリーン放送協議会」が開発した「字幕キャッチャー」を使用。このシステムには、NHK放送技術研究所や情報通信研究機構(NICT)の音声認識の技術が導入されていて、各局は5日間、夕方のニュースなどの音声から自動生成した字幕をスマホに配信し、障碍者や高齢者の反応を集めている。協議会によると、「字幕キャッチャー」を用いた場合、遅れは5秒程度にとどまるとしている。一方、文意は読み取れるものの、漢字などが正しく表示されないケースも見られ、視聴者が字幕の正確さをどの程度必要としているかについても調べる」(※ 越智慎司、「生放送の字幕を自動生成しスマホに配信、民放24局で実験」、『放送研究と調査』2019年1月号、p.97.)

 「字幕キャッチャー」を使って実証実験を行い、実際の放送番組を対象に、聴覚障碍者や高齢者の反応も取っていたようです。報告書という形では見つかりませんでしたが、実証実験を行っているのですから、当然、何らかの結果は出ているのでしょう。

 さて、総務省が平成30年度支援事業として採択した2件のうちのもう一つが、ヤマハの「SoundUD」を使って字幕をスマホ等に配信して表示させるシステムでした。

 ヤマハが開発した「SoundUDクラウド」はこれまで、主に交通や防災などの場面で活用されてきました。この実績を踏まえ、TVやラジオの音声を字幕情報として視聴者のスマホに送信するというのがこの事業の特徴です。

 その中核技術になるのが、音声トリガーです。これをTVの字幕付与サービスに活用しようというのです。

こちら → https://www.soumu.go.jp/main_content/000524687.pdf

 このシステムでは、アナウンサーの音声が自動的に認識されて、トリガー生成された発話内容が蓄積サーバに送られ、トリガー音声としてTVで放送されます。発話内容はトリガー情報として、対応アプリをインストールしたスマホに字幕を表示されるといいます。発話内容がトリガー生成されることによって、音声としてもデジタル情報としても活用することができるというのです。

 興味深いのは、画面に字幕を付与するのではなく、セカンドスクリーンとしてのスマホに、字幕を送信するということでした。ヤマハは、このシステムであれば、これまでのTV字幕に伴うさまざまな課題に対処できるといいます。

 つまり、これまでは字幕を付けることによって画面が見づらくなっていましたし、字幕付与のコスト負担が放送局の経営を圧迫するといった課題がありました。インターネット経由で字幕をスマホに表示できるこのシステムでは、それらの課題を一挙に解消できるというのです。(※ https://www.yamaha.com/ja/news_release/2018/18072401/

 実証実験の結果、アプリを利用してスマホに字幕を表示させた場合、外国人は100%(35人/35人)、障碍者(車いす)75%(3人/4人)、聴覚障碍者約90%(27人/29人)の評価を得ています。サイネージの場合も同様、外国人100%、障碍者(車いす)75%、聴覚障碍者80%でした(※『総務省報告書概要版』、p.4. https://www.soumu.go.jp/main_content/000625562.pdf

 このような結果を踏まえ、総務省は「施設管理者および実証実験参加者の双方より、ICTを用いた情報伝達は有効であるとの回答を得ました」と総括しています。

 具体的にいうと、次のような回答が見られました。

「ICTは、属性毎に情報の内容や言語を変えることができ、障碍を持った方や外国人の方にも情報を提供できるため非常に有効である」、

「競技会場のどこにいても一斉に多くの来訪者に情報が伝わるので良いシステムであると思う」、「今回実証したスマートフォンアプリは、電源喪失や通信障害など災害時における情報伝達手段として、非常に有効であると思われる」、

「サイネージは大画面であり、視覚的に情報が見やすい。また、情報を多言語で表示できる点が有効だ」等々です。

 ところが、この報告書をよく読むと、その内容はオリンピック会場でのスマホとサイネージへの字幕表示に関するもので、放送事業に関する記載はありませんでした。

 先ほどもいいましたように、マルチスクリーン放送協議会の字幕事業についての報告書はありませんでした。これらを考え合わせると、両事案とも放送に関する実証実験の結果が良くなかった可能性があります。おそらく、いずれも実用化レベルには達していなかったのでしょう。

 そう思って、調べていると、総務省が補正予算を組んで、聴覚障碍者放送視聴支援事業の募集しているのがわかりました。

■平成30年度第二次補正予算における支援事業

 総務省は2019年2月1日から25日にかけて、補正予案で「聴覚障害者放送視聴支援緊急対策事業」を募集していたのです。平成30年度セカンドスクリーン型実証実験の報告会が開催されたのが3月8日でしたから、1月末には両事案の実証実験の結果が総務省にはわかっていたのでしょう。

 総務省は3月29日、補助金(情報通信利用促進支援事業費補助金)の交付先を決定しています。

こちら → https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01ryutsu09_02000228.html

 事業タイトルは異なっていますが、今回も聴覚障碍者に向けた字幕付与事業であることに変わりはありません。そこで、調べてみると、案の定、先ほどの事業案の実証実験で誤って字幕が表示された例が報告されていました。

 具体的にいえば、「所有」と発音したアナウンサーの音声が「醤油」として字幕表示されたり、「六度」が、「鹿路」、「三度」が「サンド」、「七度」が「ななど」といった具合に、数字が誤って認識されてしまったケースです。(※『総務省の情報アクセシビリティ支援の取り組み例』、2019年2月18日)。

 このように、両事業の実証実験では、聞き取りやすいはずのアナウンサーの音声に対して誤った反応を示す例がいくつか見受けられたのです。

 オリンピック、パラリンピック開催までに間もないというのに、両事業案で実用化できるレベルの結果が得られなかったのですから、総務省としても立て直す必要があったのでしょう。この報告書が出されたのが、2019年2月18日でした。この時点で、すでに補正予算による事業募集が始まっていました。

 そして、3月29日に公表された補正予算枠で採択された事業が、国立研究開発法人・情報通信研究機構による「放送番組用音声認識システムによる自動字幕表示システム」でした。

こちら → https://www.soumu.go.jp/main_content/000611220.pdf

 事業の概要欄からは、「自動字幕付与技術の強化により、聴覚障害者や高齢者を含む多くの視聴者がテレビジョン放送の内容を理解し、情報アクセスの機会を確保できるようにする」ことを目的にしていることがわかります。最後に、「本事業の成果を用いて自動字幕表示システムを2020年度に実用化し、実運用することを目指す」と書かれており、ここに総務省の焦りが透けて見えます。

 さて、この研究では、二つのセクションが注目されます。一つは「放送番組用音声認識システム」で、もう一つは「自動字幕表示システムの開発、試験運用及び評価」です。

 まず、「放送番組用音声認識システム」については、2500時間の放送番組からデータを収集して音声データとテキストデータに分けて格納し、それに最新の単語情報を加え、放送番組用にカスタマイズしたものを音声認識システムにあげるという流れになっています。

 興味深いのは、放送番組の多様で大量のデータを音声データとテキストデータとに分けて格納し、いつでも引き出せる状態にしていること、放送番組のデータベースに最新の単語情報を加えてカスタマイズし、音声認識システムに組み込んでいることでした。認識の精度をあげるためでしょう。

 そういえば、マルチスクリーン放送協議会とヤマハの実証実験の際、音声を誤って認識し、字幕表示していたことがありました。おそらく、それを避けるための処置なのでしょう。音声認識に至る前段階で、2500時間分もの放送番組から音声データとテキストデータの集積し、データ量を増やしています。音声認識の精度をあげるために、できるだけ多様で大量のデータベースを構築しているのです。

 次に、「字幕表示システム」の段階では、さらに複雑なシステムになっています。

 音声認識システムを経て、音声認識サーバーに送信されたデータは放送音声等と照合して認識され、字幕蓄積・配信サーバーに送信されます。その後、自動生成された字幕がスマホ、タブレット、セットトップボックス(STB)等のメディアに配信され、表示されます。

 最後に、各媒体の画面に表示された字幕について、聴覚障碍者等の評価を得て、システムを修正していくという仕組みです。

 STBを介したTVではアウトリーチ型字幕となり、スマホではセカンドスクリーン型字幕となります。いくつもの段階で誤表示がないような工夫がされています。これについての実証実験はこれからですが、担当するのが情報通信機構(NICT)ですから、マルチスクリーン放送協議会とヤマハの実証実験の結果を継承した成果が期待されます。

 というのも、ヤマハは音声トリガーとNICTが開発した音声認識エンジンを組み合わせてシステム構築を行っていましたし、マルチスクリーン放送協議会はNHK技研が開発した音声認識エンジンとNICTが開発した音声認識エンジンを使っていました。両事業案とも音声認識エンジンとしてNICTが開発したものを使っていたのです。今回の実証実験では、NICTが開発した音声認識エンジンに一本化して実用化が試されることになるのです。

■今後はAIハイブリッド型字幕・・・?

 2018年2月に発表された総務省の指針によって、ローカル局も2027年までに生放送番組への字幕付与に取り組まざるを得なくなりました。資本力、マンパワーが不足しているといって回避していられない事態になっているのです。

 2020年1月16日の日経新聞で、テレビ愛知がTV生字幕配信の実証実験を行うことを知りました。1月27日から31日放送の「ゆうがたサテライト」と2月2日放送の「データで解析!サンデージャーナル」で実証実験を行うというのです。

こちら → https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54448050W0A110C2000000/

 これは、TV音声をリスピーク方式と手入力方式で修正し、インターネットを通して字幕配信するというものです。受信機はパソコン、タブレット、スマホなどでセカンドスクリーン型字幕、あるいはTVのアウトリーチ型字幕になります。放送期間中に利用者に対しアンケート調査を実施し、今度の字幕配信や番組制作に役立てるといいます。

 このシステムはアセット・ジャパンが開発したもので、同社はすでに聴覚障碍者のために、「情報保障サービスe-ミミ」を展開しています。

 この延長線上に、今回のインターネットを介してTV字幕を配信するシステムを考案したのです。

 そもそもは筑波技術大学等が開発した「モバイル型遠隔情報保障システム」の技術を基盤に構築されたものでした(※ https://www.tsukuba-tech.ac.jp/ce/mobile1/index.html)。

 聴覚障碍者にとって、現在のTV字幕にはいくつか問題があります。とくに生放送字幕には大きな問題があります。それは、画面と字幕表示とに時間的なズレが生じることです。

 新聞報道によると、テレビ愛知が実験したWeb字幕でも、音声を文字に変換し、数秒後にウェブ配信し字幕表示すると書かれています。このシステムで、音声と字幕表示とのタイムラグは解消できるのでしょうか。それがちょっと気になりました。

 さて、これはAIハイブリッド型字幕になります。テレビ愛知に限らず、各放送局は今後のTV字幕について、このようなAIハイブリッド型を検討しているようです。

 たとえば、TBSの場合、CS放送向けの24時間報道チャンネル「TBS NEWS」に字幕を付与するシステムを開発し、第45回放送文化基金賞を受賞しました。

(※ https://www.tbs.co.jp/company/news/pdf/201906051700.pdf

 このシステムでは、「アナウンサーが読むニュース原稿を字幕システムに取り込む方式」、「地上波ニュースで放送済み字幕を取り込む方式」、「音声認識AIを利用して字幕を生成する方式」の3つを併用したハイブリッド方式を採っています。このような方式を採用した結果、字幕の正確性、スピードアップ、運用のコストダウンを実現できたといいます。

 2018年9月にこのシステムを本格的に運用して以来、大きなトラブルもなく、24時間TVニュースに字幕を付与できたことが評価されたのです。開発者の木村浩也氏は、今後はAIによる認識精度を高め、運用のコストダウンを図り、CS放送以外でも円滑に字幕付与できるようにしていきたいと述べています。

■5Gを利用した生中継映像の伝送

 TBS広報部は2019年11月1日、5Gを利用した生中継の映像伝送に成功したことを発表しました。放送局側に設置したカメラリモートコントローラーと、中継地点の放送用ハイビジョンカメラを5G回線で接続し、放送スタジオと同等の放送品質を担保し、映像伝送できたというのです。

こちら → https://www.tbs.co.jp/company/news/pdf/201911011700.pdf

 5Gの特徴は「高速・大容量・低遅延」だといわれています。そこで、TBSはNTTドコモの5Gサービスを利用し、日本で初めて、スタジオと同等の放送品質を担保し、生中継の映像伝送に成功したのです。

 実際、11月1日に、地上波のTBS番組「あさチャン!」「ひるおび!」「TBSニュース」で、渋谷スクランブルスクエア開業初日の模様の一部が、NTTドコモの5Gサービスを利用して生中継で放送されました。

 この生中継では、5Gのネットワークの上にVPN(Virtual Private Network)を構築し、TBS赤坂放送センターと中継地点とをダイレクトに接続しました。そして、赤坂放送センターに設置したカメラコントローラーで中継先カメラの遠隔制御を行い、映像を伝送したというのです。

 生中継でもスタジオ映像と同等の放送品質を保ちつつ、伝送できるシステムを日本で初めて実用化したことになります。5Gの幕開きにふさわしい放送技術といえるでしょう。

 TBSは今後、ここで使った遠隔番組制作手法を応用し、突発のニュース中継などでも高品質の中継を行えるようにするといいます。制作現場の人員の最適化を図りながら、クオリティの高い番組制作を進めていくと述べています。

■オリンピックを機に、字幕付与サービスは向上するか?

 TV局にとって生放送番組への字幕付与は課題が多く、コスト負担も高い事業でした。ところが、AIを活用し、5Gを利用することによって、より精度が高く、コスト負担の低い字幕付与システムが可能になりつつあります。

 すでに実用化されているものもあれば、今後、実証実験の結果を踏まえて改善されていくものもあります。いずれにしてもICTの進展に従い、TVへの字幕付与といった領域も大幅に改善されていくような気がします。

 米ラスベガスで2019年12月2日から6日まで、アマゾンウエブサービス(AWS)の年次開発者会議「re: Invent 2019」が開催されました。参加したジャーナリストの西田宗知佳氏は、5Gは低遅延が特徴だといわれ、だからこそ自動運転も可能だといわれるが、公衆網を使った低遅延化には5Gがスタンドアローンになるまで待つ必要があると指摘しています。(※ https://www.watch.impress.co.jp/docs/series/nishida/1223145.htm

 現在の5Gで使われているのは、4Gのネットワークを活かして5Gを構成する「ノン・スタンドアローン(NSA)」と呼ばれる方式が中心になっているそうですが、西田氏はそれでは無理だというのです。低遅延を実現するには5G網にサーバーを配置することが必要だとしたうえで、「どのくらいの数をどのくらいのエリアに配置するのか」の判断が難しい」と説明します。そして、「5Gにおける低遅延を実現する技術の採算性」が問題になるとも述べています。

 おそらく、それが現実なのでしょうが、たとえ現段階でそのような課題があったとしても、社会的に必要なものであれば、やがては技術改良されて使いやすくなり、コストダウンもされます。それがテクノロジーの辿ってきた道であるとすれば、5Gはいずれ、TV字幕に関する課題についても解決の糸口になってくれるでしょう。

 日本では2020年、5Gサービスが開催されます。「高速、大容量、低遅延」が大きな特徴だといわれる5Gの環境下では、リアルタイムのコミュニケーションが実現するのです。

 一方、オリンピックを機に、言語、情報のバリアフリー化が進められています。その一環としてTV番組にも英語と日本語の字幕が表示できるようになれば、視聴者層を拡大できるでしょう。

 TVはいつの間にか、オールドメディアと呼ばれるようになり、若い世代を中心にTV離れを食い止めることはできなくなっています。広告収入もネットに抜かれ始めている今こそ、番組に字幕を付与することによって、視聴者の拡大を図る必要があります。

 字幕を付与することによって、TVが聴覚障碍者や外国人への門戸を開いていけば、さまざまな立場の視聴者がTVを必要不可欠なメディアだと認識してくれるようになります。そうなれば、番組内容も自ずと変化していくでしょう。

 TV番組に日本語字幕と英語字幕を標準装備することによって、今後、日本が取り組んでいかなければならない包摂体制に、ヒトを誘導できる可能性があります。それこそ、今回のオリンピック、パラリンピックで提唱されている共生社会への糸口が見つかるような気がします。

 確かに、人々のTV離れが進んでいるのは事実です。それは番組内容が視聴者のニーズに応えていないからであって、TVという媒体自体になんの瑕疵もありません。依然として社会を支える基幹メディアであることに変わりはないのです。

 今回、触れませんでしたが、オリンピックを目途に、スポーツ中継の技術が進んでいます。5Gの下、臨場感あふれる映像を目にすれば、どれほどワクワクさせられるでしょう。セカンドスクリーンに表示される字幕を見れば、映像の魅力を損なわないまま、TV観戦を楽しむことができます。

 オリンピック、パラリンピックというビッグイベントを契機に、TV番組に字幕が付与され、さまざまな媒体で表示されるようになれば、視聴者人口を拡大することができ、やがては共生社会の基幹メディアとしてTVが機能するようになるでしょう(2020/2/18 香取淳子)。

オリンピック、パラリンピックは日本のTVを革新できるか?

■NHK、ネットとTV同時配信

 総務省は2020年1月14日、NHKが提出していたネットとTVの同時配信サービスを認可しました。これは、2019年5月29日に放送法の一部改正が成立したことを受けて、認可されたものです。

 日経新聞は2019年5月19日付の紙面で、このニュースを記事にしました。NHKが進めるサービスの概要を紹介するとともに、受信料収入を経営基盤とするNHKが民業を圧迫するのではないかという日本民間放送連盟(民放連)の反発、あるいは、NHKのガバナンス体制の不備に対する懸念なども紹介しているのです。

(※ https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45395390Y9A520C1MM0000/

 総務省はその後、NHKから提出された変更案に対するパブリックコメントを募集しました。そして、各方面から提出された意見を踏まえ、「NHKインターネット活用業務実施基準」の変更案に対する総務省の考えを表明しています。

(※ https://www.soumu.go.jp/main_content/000654087.pdf

 注目すべきは、「ユニバーサル・サービスに関する業務」、「国際インターネット活用業務」、「東京オリンピック・パラリンピック競技大会に関する業務」の項目でしょう。いずれも将来の社会変動を見据えた取り組みで、今後、NHKが果たすべき役割として捉えられています。

 NHKはこれらの項目に対し、費用の上限をそれぞれ、7億円、35億円、20億円と個別に設定しています。これらの業務内容を確実に遂行できるようにしようとしていることがわかります。もちろん、総務省もこれらを高く評価しています。

 たとえば、「ユニバーサル・サービスに関する業務」について、総務省は次のようにNHK案を評価し、認可しています。

 「NHK案においては、放送番組等の字幕、解説音声及び手話を、インターネットを通じて提供する業務を新規に開始することとしている。 本業務は、視覚・聴覚障害者や高齢者、訪日・在留外国人等が、協会の放送番組等を享受できるようにするためのものであり、国民・視聴者の利益にかない、協会が行うものとして適切なものであると認められる」

 日本は今後、高齢化が進む一方で、訪日・在留外国人が増加していきます。当然のことながら、TV番組をユニバーサル・サービス仕様にし、ネットでも同時配信することは不可欠になります。天気予報、災害情報、ニュース、生活情報など、TVは情報インフラとして生活に定着しています。インターネットでも同時に配信することで、視聴覚障碍を持つ人々や外国人の利便性は明らかに向上しますから、これは公共放送であるNHKの責務ともいえます。

 総務省はNHK案を認可したとはいいながら、いくつかの条件を設けています。このうち、「民放放送事業者との連携や協調を進める」という条件が課されているのが注目されます。パブリックコメントを踏まえたものなのでしょうが、NHKが率先して技術開発し、その結果、得られた技術やノウハウを民放が共有できれば、出遅れていた日本の放送業界も大きく変わる可能性があります。

 NHKがネットとTVの同時配信ができるようになれば、視聴者にとってもメリットがあります。視聴覚障碍者や外国人にも情報保障ができるだけでなく、ネットの特質を生かしたさまざまな放送サービスが可能になるからです。

 それが、今回総務省から認可された新サービスです。

■NHKプラス

 新放送サービスは、「NHKプラス」と名付けられています。

 実はNHKは2010年にもTVとネット同時配信の方針を表明していました。それが紆余曲折を経てようやく叶ったのが、2020年4月1日から開始される「NHKプラス」なのです。

こちら → https://www.nhk.or.jp/pr/keiei/internet/pdf/net_004.pdf

 これを見ると、「NHKプラス」と命名したのは、「いつでも、どこでも、何度でも視聴できる」(生活を豊かに)、「いつでも、どこでも災害情報を入手できる」(生活に安心感を)、「ネット空間でも接触できる」(ネット時代に対応)、「新たな世界や多様な考えに触れることができる」(ネットに即した情報発信)、などの4つのプラス(メリット)があるからだとしています。

 サービス概要として、次のような点が挙げられています。


(NHK報道資料より)

 2020年4月1日から、午前6時から翌日の午前0時までの18時間このサービスは開始されます。総合TVと教育TVの地上放送の番組で、著作権の権利処理が終わっているものが対象になります。音声は2チャンネルで、二か国語放送、解説放送、字幕放送も行われますから、外国人、視覚障碍者、聴覚障碍者はこれまでよりも視聴しやすくなるでしょう。

 オリンピック・パラリンピックを契機に、TVの視聴覚バリアフリー化が推進されれば、未来社会に適した仕様のTV放送が実現するでしょう。

■オリンピック・パラリンピックに向けて

 NHKは東京2020オリンピック大会が開幕する1年前の7月20日から24日にかけて、新しいスポーツの楽しみ方や魅力を伝えるイベント「Nスポ!2019 -SHIBUYA-」を、渋谷ヒカリエで開催しました。

こちら → https://www.nhk.or.jp/event/nspo/

 ここでは、ステージイベントは、音声を字幕化してモニターに表示されたといいますから、オリンピック・パラリンピックには参加できない聴覚障碍者も、このイベントには参加することができたでしょう。バリアフリーのための第一歩です。

 さて、総務省はNHK案の「東京オリンピック・パラリンピック競技大会に関する業務」について、次のように評価していました。

「NHK案においては、大会に際し、専用ウェブサイト等を通じて、競技等のライ ブストリーミングやハイライト動画を提供するものである。 大会は我が国で開催されるナショナルイベントであり、本業務は、国民・視聴者 と大会期間中の訪日外国人の期待に応えるものであることから、一定の社会的 意義が認められる」

 これを見ると、総務省は、NHKが専用ウェブサイトを通して競技等のライブ映像やハイライト動画を提供することを奨励していることがわかります。それは、オリンピック・パラリンピック大会が世界に向けての晴れ舞台であり、日本の存在感をアピールできる場でもあるからでしょう。オリンピック・パラリンピックはまさにグローバルなメディアイベントなのです。

 実際、NHKは「2020東京オリンピック」というサイトを立ち上げています。

こちら → https://sports.nhk.or.jp/olympic/

 ここでは、さまざまな観点からオリンピック競技が取り上げられており、見応えがあります。

■CG手話

 興味深いのは、CGで作成した手話動画がこのサイトに掲載されていることでした。

こちら →
https://sports.nhk.or.jp/olympic/video/all/?tags=%e6%89%8b%e8%a9%b1CG%e3%81%a7%e8%a6%8b%e3%81%a9%e3%81%93%e3%82%8d%e7%b4%b9%e4%bb%8b%ef%bc%81

 卓球、ボクシング、アーチェリーなど、各種オリンピック競技の見どころについて、CG手話で簡略化して紹介されています。手話を理解できる聴覚障碍者ならすぐにも理解できるでしょう。

 たとえば、卓球はこのように解説されています。

こちら → https://sports.nhk.or.jp/olympic/video/table-tennis-sign/

 26秒の短い動画ですが、画面に字幕も付与されており、さまざまなレベルの聴覚障碍者が理解できるよう工夫されています。

 パラリンピックサイトを見ると、さらに、障碍者にとって充実した内容になっています。

こちら → https://sports.nhk.or.jp/paralympic/

 ここでも、オリンピックの場合と同様、CG手話で競技の見どころを紹介されています。オリンピック競技よりはやや長尺で、字幕も付与されています。

こちら → https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/wheelchair-tennis-sign/

 一体、どのようにしてこのようなCG手話が作成されているのでしょうか。

 興味深く思っていると、それを説明したページが目に入りましたので、ご紹介しておきましょう。

こちら → https://sports.nhk.or.jp/dream/universal/signlanguage/

 これを見ると、NHKはすでに約7000語の手話単語をCG化しているそうです。手話通訳者の指の動きをモーションキャプチャーで取り込み、CG手話を自動的に生成できるようにしているのです。

 モーションキャプチャーで動きを取り込む写真を見ていると、ふと、かつて『Happy Feet』を制作したジョージ・ミラー監督がこの技術を使っていたことを思い出しました。ペンギンのマンブルが見事なタップダンスを披露するのを見て、衝撃を受けたのです。パソコンで作り出されたキャラクターなのに、まるで本物のペンギンのように見えるのに驚き、そして、華麗な足さばきで音楽に合わせてタップダンスをするのを見て驚きました。

 制作を担当したオーストラリア人アニメーターのダミアン・グレイが、ブリスベンで講演をするというので、わざわざ出かけたこともありました。2007年9月9日のことです。会場では映像表現の最前線に関心を抱く大学生やクリエーターが詰め掛け、熱心に耳を傾けていました。

 あれから12年後、すでにCG手話が実用段階に入っているのです。技術の進歩の速さ、応用の多様さに感無量です。モーションキャプチャーを使えば、人が行う手話と同等以上のCG手話が可能でしょう。現在は約7000語の手話単語がCG化されているそうですが、その数が増えていけば、TV番組にCG手話をつけることは近い将来実現するでしょう。

■パラリンピックの価値

 JPCのHPには、国際パラリンピック委員会(IPC)が設定したパラリンピックの価値として、以下の4つの項目を掲げています。

(※ https://www.jsad.or.jp/paralympic/what/index.html

JPCのHPより。

 「勇気」(マイナスの感情に向き合い、乗り越えようとする精神力)、「強い意志」(困難があっても、諦めず、限界を突破しようとする力)、「インスピレーション」(人の心を揺さぶり、駆り立てる力)、「公平」(多様性を認め、創意工夫をすれば、誰もが同じスタートラインに立てることを気づかせる力)、等々。IPCが設定した目標を日本語に翻訳し、図式化したものです。

 原文( IPCのHPに記載)と照らし合わせてみると、日本語訳とは異なっているのが「Equality」でした。

Equality: Paralympic Sport acts as an agent for change to break down social barriers of discrimination for persons with an impairment.
(※https://www.paralympic.org/feature/what-are-paralympic-values


 なぜ、原文とは異なる訳語になっているのでしょうか。 気になったのですが、よく見ると、先ほどの図の下に小さく、次のような注釈がつけられていました。

***

※IPC発表の英語表記は「Equality」でありその一般的な和訳は「平等」ですが、「平等」な状況を生むには、多様な価値感や個性に即した「公平」な機会の担保が不可欠です。そしてそのことを気づかせてくれるのがパラリンピックやパラアスリートの力である、という点を強調するため、IPC承認の下、あえて「公平」としています。

***

 「Equality」を「公平」と訳し、その意図を注釈で書き記しているところに、JPCの意気込みが感じられます。東京で開催されるパラリンピック大会をきっかけに共生社会に向けて動き出そうとしているのでしょう。

 考えてみれば、異質な存在が異質なままに生きられる社会を可視化するには、パラリンピック大会は絶好の機会なのです。

 ところが、そのパラリンピックに出場できないのが聴覚障碍者です。

 出場できないとしても、観戦はできます。そこで必要になるのが、字幕です。聴覚に問題のない人の中には、画面に字幕が付与されると、映像の良さが半減するという人もいますが、先ほどもいいましたが、誰もが場内やTVで観戦を楽しめるようにするには、字幕は不可欠なのです。

■字幕放送

 NHK案では、ユニバーサル・サービスとして放送番組等の字幕、解説音声、手話などを、ネットを通して提供していくとしています。このうち、聴覚障碍者にとって有益なのは字幕放送です。

 日本語音声の画面に日本語の字幕を付与することは、聴覚障碍者にとって利便性が高いだけではなく、日本語を学習しようとしている外国人にもメリットが高いのです。さらに、空港や電車内で流される画面には音声よりも字幕の方が適しています。

 大勢の人が集まる場所や混雑した場所では、音声は雑音にかき消されて聞き取れません。電車内などではうるさいと人を不快な気分にさせてしまいます。健聴者にとっても、字幕の方がはるかに効率よくメッセージを伝える場合も少なくないのです。

 それでは、字幕付与の領域ではどのような技術が生まれているのでしょうか。

 2019年5月30日から6月2日にかけて、NHK放送技術研究所で「生放送番組における自動字幕制作」の様子が展示されていました。

NHK技研より。

 

 これは、AIを利用した音声認識によって、生放送の音声から自動的に字幕を制作し、インターネット配信をするお試しサービスを、福島、静岡、熊本で実施しているところを示したものです。

 通常は音声認識の誤りを人手で修正して正確な字幕を放送しているが、地方ではそのような専門性の高いスタッフを抱えることが容易ではないという事情があります。そこで、AIを使って音声認識した結果をそのまま字幕としてインターネットで配信するという試行サービスを行っているというのです。

 字幕付与に関して最も難しい領域の研究が行われているのです。これまで生放送番組への字幕付与は難しいといわれてきました。それも音声認識の精度が上がってくるにつれ、より修正の少ない字幕を付与することができるようになっています。

 もっとも難しいのが、図で示された地方局が制作した番組への字幕付与でした。AIの認識はデータが増えれば増えるほど精度が上がっていきますから、このような試行サービスが繰り返されていけば、字幕付与可能な番組については、近々、自動でできるようになるのかもしれません。

 ちなみに、NHKでは次のような方法によって、字幕が制作されています。

NHKより。

 

 歌謡番組や情報番組、報道番組の場合、高速キーボードを使って、人手で入力し字幕を起こしていく方式(キーボードリレー方式;左上)、スポーツ中継や情報番組の場合、実際に放送されている音声を別室でアナウンサーが読み上げなおし、それを自動認識させる方式(リスピーク方式;右上)、ニュース番組等の場合、番組音声を直接認識するシステムと人手での作業を併用する方式(ハイブリッド方式;左下)、ニュース番組等の場合(地方局で運用)、ニュースなど元原稿がある番組の場合、音声認識の結果からどの原稿を読み上げているのか推定して字幕化する方式(セレクト方式;右下)など4つの方式があるといわれています。

 番組のタイプによって、音声の自動認識の難易度に差があることがわかります。実証実験を繰り返し、より現実に適した方法が採用されていくのでしょう。

 アイ・ドラゴン4(聴覚障碍者用情報受信装置)を使った実証実験も始まったようです。

障碍者放送通信機構HPより。

 

 総務省が「聴覚障害者放送視聴支援緊急対策事業」として行うもので、ローカル局の番組に音声認識で生字幕をつけるための実証実験です。全国のローカル局のうち、20局が参加するといいます。人手をかけずに自動的に精度の高い字幕を付与する仕組みが様々に試行されている様子を知ることができます。

■障碍者はパラリンピックをどう捉えているのか

 IPCはパラリンピックの価値として4つ掲げていました。それでは、障碍者はパラリンピックをどう捉えているのでしょうか。

『放送研究と調査』(2018年11月号)を読んでいると、調査結果に添えて、パラリンピックに対する障碍者たちの意見が掲載されていました。興味深いと思ったのは、聴覚障碍者の次のような意見でした。

「パラリンピックは、いろんな障碍者がいると周知できる唯一の大きな機会。また、苦労しているのは私だけじゃないと、障碍者本人や家族、支援者の勇気や感動にもつながると期待している」(p.70)

 前回のブログ(「聴覚障碍者はパラリンピックに出場できない……?」)に書いたように、聴覚障碍者はパラリンピックに出場できません。それでも、この人は、パラリンピックは「いろんな障碍者がいると周知できる唯一の機会」と捉えているのです。

 私はそこに打たれました。

 自分たちは参加できないのに、「いろんな障碍者がいると周知できる唯一の機会」と、この人はパラリンピックをポジティブに捉えています。その姿勢に私は感銘しました。そして、このような反応が得られたところに、JPCが「Equality」を平等と訳さず、敢えて「公平」と訳したことの意図が理解されている痕跡を見たような気がしました。

 もちろん、この人がそのような見解を持てたのは、障碍を持つアスリートたちの姿に感動したからにほかなりません。彼らが懸命に努力し、渾身の力を込めて競技を展開する姿に尊さと美しさを発見したからこそ得られた感動なのでしょう。

 障碍にくじけず、生き抜こうとするアスリートの姿に勇気と強い力を見出し、感銘したのでしょう。あるいは、そこに学ぶべきものを感じ取ったのかもしれません。そして、アスリートの姿は、本人はもちろんのこと、家族や支援者に勇気を与え、感動を呼ぶことになるだろうと述べています。

 この聴覚障碍者の見解の中に、IPCが重視する4つの価値がすべて含まれています。

 私がこの人の自由回答に注目したのは、異質なものの中に多様性を認め、それぞれが創意工夫をすれば、誰もが同じスタートラインに立てることが的確に表現されていたからでした。 (2020//1/31 香取淳子)

 このブログを書いた後、興味深い報道がありましたので、追加します。

■民放キー局、今秋以降、TVとネット同時配信開始

 2020年2月2日、新聞各社は一斉に、民放キー局が今秋以降、TVとネット同時配信を開始すると報道しました。冒頭でご紹介したNHKに追従する対応です。こうなることは予想していましたが、意外に早くて驚きました。それほど、若者世代を中心にTV離れが進んでいるのでしょう。

 各局は7月開催(7月24日~8月9日)のオリンピック中継、8月開催(8月25日~9月6日)のパラリンピック中継はネットと同時配信するようです。これに関し、あるキー局社員は「五輪で視聴者に認知してもらい、その流れでレギュラー番組の同時配信を利用してもらえば理想的」と語っているようです。(※ 東京新聞2020年2月2日付朝刊)

 実際にネットと同時配信できるのは今秋以降ですから、本来ならオリパラの中継は該当しません。ところが、この二つのビッグイベントを外せば、NHKに視聴者をもっていかれてしまいます。民放キー局はなんとしてもこの時期に同時配信しなければならないと決意したのでしょう。NHKが4月1日開始と発表してからわずか三週間ほどで、民放キー局は同時配信の今秋開始を発表しました。

 これでようやく放送と通信の融合が本格化します。視聴覚障碍者、高齢者にとっては喜ばしいニュースといえるでしょう。

 民放5社は共同で視聴データを活用し、実証実験を進めています。(※ https://www.tv-viewing-log.info/2019/

 目的の中には、「視聴者の皆様の安全・安心を確保するため、さらに必要な事項の検討」とか「災害対策など公共性が高いサービスへの視聴データ利活用の検討」といった項目も入っていますから、視聴覚障碍者や高齢者がより見やすい、聞きやすいTVが実現するでしょう。

 世界を対象としたビッグイベントであるオリンピック、パラリンピックは、どうやら、TV革新の大きなきっかけになりそうです。

(以上は、2月2日に追記しました)