ヒト、メディア、社会を考える

香取淳子のメディア日誌
このページでは、香取淳子が日常生活の中で見聞きするメディア現象やメディアコンテンツについての雑感を綴っていきます。メディアこそがヒトの感性、美意識、世界観を変え、人々の生活を変容させ、社会を変革していくと考えているからです。また、メディアに限らず、日々の出来事を通して、過去・現在・未来を深く見つめ、メディアの影響の痕跡を追っていきます。


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映画『イン・ザ・ハイツ』に、カリビアン・ディアスポラの魂を見る。

■ラテンのヒップホップで、暑気払いを

 2021年8月6日、近くのユナイティッドシネマで、『イン・ザ・ハイツ』を見てきました。その日も朝からうだるように暑く、うんざりするような気分でした。コロナ禍で外出もできず、適当な憂さ晴らしもできません。気だるく、何をする気にもならないでいるとき、ふと、夕刊で見た映画評の「熱いリズム」という言葉が脳裡をかすめました。

 ずいぶん前に読んだはずですが、その言葉と写真だけは妙に鮮明に記憶に残っていたのです。タイトルと写真を見ただけで、記事を読んではいませんでした。確認してみると、その記事では、2021年7月30日、封切されたばかりの映画“イン・ザ・ハイツ”が紹介されていました。


(2021年7月30日、日経新聞より)

 暑いさ中でも、人々は楽しそうでした。写真を見ているうちに、ミュージカル映画を見るのも悪くないなという気になってきました。映画館の大画面で、ノリのいい音楽とキレキレのダンスを見れば、きっと、暑気払い、コロナ払いもできるでしょう。

 さっそく、ネットで座席をチェックすると、まだ相当、余裕がありました。朝1番のチケットをオンラインで購入すると、ようやく気持ちが落ち着きました。これで一安心、開始直前に映画館に着いても大丈夫です。

 朝10時5分、映画は始まりました。

 男が子どもたちを前に、「昔あるところに・・・」と話しだす冒頭シーンを見た瞬間、2年ほど前に見たミュージカル映画『アラジン』を思い出しました。この映画も、男が子どもたちに話しかけるシーンで始まっていたのです。それが、ちょっと気になりました。ミュージカルにお定まりのオープニングなのでしょうか?

 そういえば、観客は日常生活を引きずったまま映画館にやって来ます。その観客の意識を手っ取り早く切り替え、現実世界から物語の世界へ誘導するための入り口なのかもしれません。音楽を積み重ね、繋いでいくミュージカルでは境界を設定しにくく、明らかにトーンの異なった導入部が必要なのかもしれません。

 『アラジン』と同様、この映画も、エンディングとオープニングが対応したシーンで編集されていました。子どもたちに語りかけながら、主人公が過去の出来事を振り返り、現在の自分たちを語るという形式になっていたのです。

 さて、子どもに語りかけるシーンから、場面は一転して、この物語が展開されるワシントンハイツに移ります。アップテンポの音楽を背景に、リズミカルなカット割りで構成されているので、観客はすぐにも作品世界に引き込まれていきます。

 テンポの速いラップとキレの画面を見ているうちに、画面に合わせて身体を揺すり、リズムを取っているのに気づきました。私もいつの間にか、ラテンの「熱いリズム」に感染していたのです。コロナ鬱も暑気疲れもたちまち、どこかに吹き飛んでしまいました。

 それでは、『イン・ザ・ハイツ』がどのような映画なのか、見ていくことにしましょう。

 まずは、2分25秒のUS版予告映像(日本語字幕付き)をご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/CxaMDJTbjKs

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 よく出来た予告映像です。ラップとヒップホップに絡め、映画の概要やエッセンスが的確に表現されています。この予告映像の展開に沿って、映画の概要やコンセプトを見ていくことにしましょう。

■映画の概要

 たとえば、冒頭のシーン。主人公が子どもたちに向かって、「ある所にワシントンハイツという場所があった」と話し始めます。次いで、「ワシントンハイツの一日が始まる」という字幕とともにラップが流れ、主人公のウスナビが暮らす日常のエピソードが映像で綴られます。

 消火栓の安全ピンを抜き、立ち上る水しぶきを浴びて大騒ぎする子どもたち、シャッターに落書きをする若者、追いかける主人公のウスナビ(コンビニ店主)など、住民の朝のルーティーンが短いショットで重ねられます。物語が展開されるワシントンハイツの日常が、断片的な映像を積み重ねて紹介されるのです。やがて文字だけの静止画になります。

「ミュージカルの金字塔「ハミルトン」の製作者がおくる」

『ハミルトン』とは、2016年に空前の大ヒットを飛ばしたミュージカル映画です。トミー賞、グラミー賞、ローレンス・オリヴィエ賞、ピューリッツア賞など、さまざまな賞を受賞しています。

 この大ヒット作『ハミルトン』で、製作・脚本・音楽・作詞などを務めたリン・マニュエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda)が、この映画では原作・製作・音楽を担当していました。(※ https://theriver.jp/hamilton-release/

 だから、「ミュージカルの金字塔「ハミルトン」の製作者がおくる」なのです。最初にアピールすべきポイントだと担当者は考えたのでしょう。この文字だけの静止画の後、かき氷を載せた手押し車を引く男が現れます。

 その映像に、「冷たい、かき氷はいかが」という字幕がかぶります。このかき氷売りに扮した男こそ、原作者のリン・マニュエル・ミランダです。


(ユーチューブ映像より)

 再び、文字だけの静止画になります。

 「傑作ミュージカルの映画化」

 『イン・ザ・ハイツ』は、2005年に初演されたブロードウェイミュージカルで、リン・マニュエル・ミランダの出世作でした。当時、新境地を開拓した作品として、大きな話題を呼びましたが、なかなか映画化することができませんでした。それが今回、ようやく映画化されたのです。まさに、待望の「傑作ミュージカルの映画化」なのです。

 もちろん、物語が展開されるワシントンハイツや登場人物なども、ラップとヒップホップに乗せて、生き生きと紹介されています。

■物語が展開する場所、主要な登場人物

 いきなり、女性の足元をローアングルで捉えたショットが現れ、驚きましたが、美容院の経営者ダニエラ、そこで働くカルラ、クカなど3人の女性たちでした。

 このショットに、「これは消えかけていたワシントンハイツの物語」という字幕がかぶります。

 彼女たちは、ワシントンハイツの一角にあるウスナビの経営するコンビニに行く途中でした。毎朝、店に立ち寄り、ゴシップやちょっとした冗談を交わすのが、彼女たちの朝のルーティーンでした。


(ユーチューブ映像より)

 次いで、コンビニの外側では、バネッサがニーナを見つけ、「天才のお帰りよ」と叫び、再会を喜びあう姿が映し出されます。

 「天才」という言葉を聞いた時、一瞬、違和感を覚えました、映画では後になって説明されますが、ニーナは子どもの頃から成績がよく、この地区から始めて大学に進学した女性でした。地元の人々は誰もが彼女を誇りに思っていました。だから、バネッサも皮肉ではなく真心で、つい、「天才」と呼びかけてしまったのでしょう。

 そのバネッサはケータイで不動産屋と話しながら、コンビニに入ってきます。それを見たベニー(タクシー会社の社員)とソニー(コンビニを手伝う従弟)は、ラップに乗って、軽快にやり取りしながら、ウスナビにバネッサにアタックしろとけしかけます。


(ユーチューブ映像より)

 彼らに押されるように、ウスナビはおずおずと彼女に、「引っ越すの?」と話しかけます。バネッサは「審査が通れば、ダウンタウンへ」と答え、ちょっと誇らしげな表情を浮かべます。


(ユーチューブ映像より)

 バネッサは意気揚々と、店から出て行ってしまいます。ウスナビは悄然とし、ベニーとソニーは手をたたいて笑い転げます。

 このように、ウスナビが朝、店を開けた途端、待ちかねていたかのように、地元の人々がやってきます。買うのはたいてい、ペットボトルかコーヒー、新聞ですが、誰もが決まって買っているのが宝くじでした。

 ウスナビにとっては母親代わりのアブエラも、店が開けば早々にやってきて、コーヒーを頼み、宝クジを買っていきます。彼女の口癖は「忍耐と信仰!」です。「毎日まじめに働いていれば」と、ウスナビや地元の人々を暖かく見守り、母親代わりとしてワシントンハイツになくてはならない存在になっていました。


(ユーチューブ映像より)

 慌てて駆け込んできたのが、ニーナの父親ケヴィン(タクシー会社の社長)です。彼はこの朝、普段よりも多く、20ドル分もの宝クジを買いました。


(ユーチューブ映像より)

 これが彼らの日常なのです。こうして主要な登場人物たちの顔見せが終わったかと思うと、再び、文字だけの静止画になります。

「そこは“夢”が集う場所 N.Y.」

 ニューヨーク市のワシントンハイツ地区には、ラテン諸国からの移民がコミュニティを形成していました。彼らはそれぞれ、大きな夢であれ、小さな夢であれ、さまざまな夢を抱いて暮らしています。遠路はるばるやって来たニューヨークは、彼らにとって、まさに“夢”が集う場所なのです。

■作品コンセプト

 この作品のコンセプトの一つは、「夢」でした。登場人物たちはそれぞれ、何らかの夢を抱いていました。

 たとえば、バネッサは美容院でネイリストとして働きながら、デザイナーになる夢を抱いていました。日々、デッサンをし、作品制作に挑んでいます。

こちら → https://youtu.be/r2AcTFu3rOs

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 お金に余裕のないバネッサは、ゴミ箱に捨てられた布切れを拾い集めては、嬉しそうな表情を見せます。この布切れがあれば、ミシンで縫ってアイデアを形にし、ファッションの勉強に役立てることができます。お金がないなりに、彼女は知恵と工夫で、しっかりと勉強を続けていたのです。

 色とりどりの大きな布が次々と、ビルの屋上から垂れ下がってくるシーンでは、目を輝かせて見上げるバネッサのクローズアップが印象的でした。

 そこに、「誰にも小さな夢がある」という字幕がかぶります。

 ワシントンハイツの住民のほとんどは、ラテン諸国からの移民でした。彼らは故郷では暮らしていくことができず、生きていくためにニューヨークにやってきたのです。営々と働き、ラテン系コミュニティを築き上げ、貧しいながらも助け合って暮らしてきました。そんな彼らが貧困と差別の中で生き伸びていくには、心の支えとして夢が必要だったのです。

 ニーナが帰って来たのを祝って開催されたパーティのさ中、突然、ワシントンハイツが停電してしまいます。暗闇の中で人々はパニックになり、ケータイを片手に、右往左往しながら街頭に出ます。


(ユーチューブ映像より)

 大勢の人々が次々とビルから街頭に出てきます。すると、まるで人々の不安を打ち消すかのように、夜空に高く、花火があがります。

 華麗に夜空を飾ったかと思うと、あっけなく消えてしまいます。そんな花火の儚さは、夢を抱きながらも、叶えられることのないラテン系コミュニティの住民を象徴しているように思えました。

こちら → https://youtu.be/aaFXc7SN8Ak

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 闇夜で花火を見上げる人々を捉えたショットには、「(夢を)叶えるには」という字幕が表示されます。

 そして、美容院での光景、アブエラ(ウスナビの母親代わり)の後ろ姿を捉えたショットが続き、それらの画面に、「お金が必要だ」という字幕がかぶります。アブエラの声でした。

 夢を抱いてニューヨークにやってきても、それを叶えるには、資金が必要でした。アブエラは長年、この街で暮らし、母親代わりとして、住民のさまざまな夢につきあって生きてきました。だからこそ、夢を実現するには、お金が必要だということがわかっていたのです。

 アブエラは口癖のように、「忍耐と信仰」といいながら、毎日、ウスナビの店で宝クジを買っていました。

 そのアブエラが停電の日、パーティのさ中に倒れてしまいました。異変に気づいたウスナビが枕元で「大丈夫?」と心配すると、「今日は一人じゃない、皆がいる」と穏やかに言い、「忍耐と信仰」といつもの言葉を口にしました。そして、そのまま、「暑い、暑い、燃えるよう」と言いながら、亡くなってしまいました。停電でエアコンも止まっていたのです。

 停電はコミュニティにとって、いっときの危機でしたが、もう一つ、住民たちは大きな選択を迫られる危機に直面していました。ワシントンハイツが再開発の対象になっており、低所得層の彼らはやがて住めなくなるという危機に瀕していたのです。

 夢を描き、未来に期待する一方で、彼らは差別と貧困という現実に曝されていました。個人では乗り越えることが難しい障壁でした。

■物語の背景

 ワシントンハイツでは最近、再開発の動きがあり、不法移民の住民が強制退去させられそうになっていました。都市を効率よく活用するため、行政はこの地区に付加価値をつけ、新たに高級住宅地として生まれ変わらせようとしていたのです。

 いわゆるジェントリフィケーション(gentrification:都市の再開発による居住空間の高度化)によって、ワシントンハイツの物価は高騰し、家賃は上がり、低所得層は暮らしにくくなっていました。

 近所の商店は次々と店を閉じ、主人公のウスナビも、故国ドミニカに戻って父の遺した店を再開しようと考えるようになっていました。母親代わりのアブエラと従弟のソニーと共に、その夢を実現できればと、二人にはその思いを告げていました。故国に戻れば、貧しくても威厳を持って生きていくことができるはずです。

 ところが、停電した日、あまりの暑さで高齢のアブエラが亡くなってしまいました。一方、生まれた時にここに移住してきたソニーは、自分の故郷はこのワシントンハイツだと言い張り、ドミニカには行きたくないと拒絶します。

 ウスナビはにっちもさっちもいかなくなっていました。

 コンビニの中から街頭を見るウスナビの目に、熱狂的に踊る住民たちの姿が映ります。窓ガラスに反映されたそのショットが見事でした。窓ガラス越しに街頭を見るウスナビの顔の周囲に、激しく踊る住民たちの姿が反射して映り込んでいるのです。そのショットに、「世界が回っているのに」という字幕がかぶります。


(ユーチューブ映像より)

 ウスナビはすぐさま店から出て、街頭で集う人々の間に飛び入り、「僕たちがこの街で共に過ごせるのは」とラップで歌います。すると、ウスナビを捉えたショットに、「今夜が最後になるだろう」という字幕がかぶります。

 熱情的に踊る人々を捉えたショットに、「僕たちを追い出すつもりだ」というウスナビのセリフ。次いで、ソニーがニーナに「僕たちも立ち上がろう」という場面になり、そして、熱狂的な群衆のダンスシーンが展開されます。

こちら → https://youtu.be/8YCC2kDsQ2w

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 ダンスシーンでは、誰もが生き生きとしています。まるで陶酔しているかのように、それぞれが身体をくねらせ、踊りに熱中しています。そのシーンの背後で、「威厳を持って生きるのよ」というセリフが流れます。アブエラの声でした。さらに、「世界に知ってもらうのよ」、「私たちのことを」というセリフが続きます。

 ここに、この作品のもう一つのコンセプトが凝縮して表現されています。移民2世たちが抱く夢とその実現の間には、大きな乖離があります。それこそが現実で、ほとんどの場合、夢を果たすことができず、挫折してしまいます。それでも、威厳だけは持ち続けなければならないという年長者からの教えでした。

 このシーンでは、ワシントンハイツの住民に迫る危機について説明される一方、ラテン系住民へのメッセージが込められていたのです。

 まるで亡くなったアブエラが甦り、熱狂的に踊る彼らを励まし、諫め、そして、その巨大なエネルギーを方向づけようとしているかのようでした。

 再び、文字だけの静止画になります。

「クレイジー・リッチ」監督ジョン・M・チュウ

■監督

 この映画の監督は、台湾系アメリカ人ジョン・M・チュウでした。

 彼は2018年に『クレイジー・リッチ』を製作し、アジア人をキャストにした映画ではじめて、大ヒットを記録しました(※ https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-news/weekend-box-office-crazy-rich-asians-wins-265m-1135824/

 ジョン・M・チュウは1979年にカリフォルニア州で生まれ、2008年、『ステップ・アップ2:ザ・ストリート』で長編映画の監督デビューを果たしました。以後、順調に製作経験を積み重ね、9本目となるこの作品も手堅くまとめられています。

 興味深いのは、2011年に“Justin Biever : Never Say Never”、そして、2013年に”Justin Biever’s Believe”を製作していることでした。ヒップホップのカナダ人シンガーソングライターを題材に映画を製作していたのです。

 試みに、“Justin Biever : Never Say Never”の予告映像を見てみることにしましょう。

こちら → https://youtu.be/4Bg8EuLT1ew

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 この動画からは、ジョン・M・チュウ監督がヒップホップに造詣が深く、ジャスティン・ビーヴァーの素晴らしさを的確に捉えて表現していることがわかります。その他の作品を見ても、作品が全般にリズミカルで、ハギレのいいカット割りで構成されているのが印象的です。

こちら → https://www.imdb.com/video/vi2816851993?playlistId=tt1702443&ref_=vp_rv_0

 画面を見ると、映像と音楽、音響、パフォーマンスがそれぞれ絶妙にマッチしており、ラップやヒップホップでしか表現できない現代社会の深層を捉えることができていました。その手腕はこの映画でも存分に発揮されているといっていいでしょう。

 さて、わずか2分25秒の予告映像でしたが、これまでご紹介してきたように、『イン・ザ・ハイツ』のエッセンスが凝縮して表現されていました。

 ところが、残念なことに、この予告映像では、脚本家、そして、振付師については触れられていません。そこで、脚本家や振付師の考えがわかるようなインタビュー記事あるいは動画をネットで探してみました。

 ようやく関連情報をいくつか見つけました。これらのインタビュー記事あるいは動画を通して、作品作りに際し、彼らがどのような点に気をつけたのかを把握していきたいと思います。

■脚本家

 原作者のミランダは映画化に際し、脚本家のキアラ・アレグラ・ヒュデス(Quiara Alegría Hudes)のアイデアを取り入れたといいます。

 彼女は、ラテン系コミュニティで常に話題になる「ドリーマー」と呼ばれる不法移民の若者問題を取り上げ、映画版では移民問題全般を強調しました。その一方で、都市再開発による低所得層の暮らしにくさにも踏み込んでいます。全般に、社会問題をベースにした作品構成になっています。

 ヒュデスはインタビューに答え、次のように語っています。

こちら → https://ew.com/movies/in-the-heights-writer-quiara-alegria-hudes/

 ヒュデス自身もミランダと同様、移民2世です。両親はプエルトリコから移民し、ニューヨークにラテン系コミュニティを築き上げた世代でした。意気投合した二人は2004年、共同でラテン系コミュニティをテーマにミュージカル脚本を執筆し始めました。それが、ブロードウェイミュージカル『イン・ザ・ハイツ』でした。

 ヒュデスは登場人物の中ではとくに、ニーナやソニーに感情移入できるといいます。というのも、ヒュデスもニーナと同様、子どもの頃から勉学に励み、ラテン系コミュニティからはじめて大学教育を受けた世代だったからです。

 しかも、ニーナと同様、名門大学を卒業しています。ニーナはスタンフォード大学という設定でしたが、ヒュデスはイエール大学で学士号を取得し、ブラウン大学で芸術学修士号を取得しています。

(※ https://en.wikipedia.org/wiki/Quiara_Alegr%C3%ADa_Hudes

 しっかりとしたストーリー構成にするため、ヒュデスは、映画版ではラテン系アメリカ人エリートであることを強調して、ニーナの役割設定をしたと語っています(※ 前掲インタビューURL)。

 授業料の支払で親に経済的負担をかけることに悩むニーナは、追い打ちをかけられるように、学内でいくつか差別的待遇を受けます。ラテン系コミュニティからただ一人、名門大学に入学できたとはいえ、出自がラテン系コミュニティだということに変わりはありませんでした。入学早々、ニーナは厳しい現実を悟らされ、逡巡したあげく、退学を決意して帰郷していたのです。

 興味深いのは、ニーナがワシントンハイツに戻ってくるなり、ダニエラの美容院に行って、ストレートヘアから生まれつきのカーリーヘアに戻したことでした。

こちら → https://youtu.be/UrFH772ytzM

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 ニーナはスタンフォード大学ではアイロンで伸ばしたストレートヘアにしていました。おそらく、ラテン系であることを隠そうとする心理が働いていたのでしょう。その抑圧された感情を晴らすかのように、ワシントンハイツに戻ってくると、彼女は早々に美容院に行って、元のカーリーヘアに戻します。ありのままの自分に戻したのです。

 カーリーヘアになって自分を取り戻したニーナは、ダニエラたちに退学すると告げます。驚く彼女たちを後目にニーナは、なんとも爽やかな表情を見せて美容院を出ていきました。

 一方、父親はニーナの学費を捻出するため、経営しているタクシー会社を売ろうとしていました。それを知ったとき、私の学費のためにこれまでやってきたことすべてを捨ててしまうの?と、ニーナは父親を厳しく問い詰めます。当然のことでした。

 コミュニティの期待を一身に集めてきたニーナでしたが、念願の名門大学に入学すると、自分の居場所がわからなくなり、威厳さえも失いそうになっていました。そんな時、大きく浮上してきたのがウスナビの従弟ソニーでした。

 ソニーといえば、ウスナビが故国ドミニカに戻って一緒に仕事を始めようと選んだ相手です。

 ヒュデスは、そのソニーが、ウスナビがいつも故郷を懐かしんでいるといってなじるシーンを付け加えました。そして、僕はドミニカなんかに行きたくないよ、ここにいたい。このニューヨークこそ僕の故郷で、僕の居場所なんだからとソニーに言わせたのです。

 さらに、‘96,000’の歌のシーンで、ソニーは、もし宝くじに当たって96,000ドルが手に入ったら、僕は自分のためには使わず、この近隣のインフラを改善し、よりよいWi-Fiを使えるようにしたいと宣言しています。つまり、ソニーはお金を手にしたら、自分たちのコミュニティに投資をし、生活環境の向上を図りたいといっているのです。

 これらのシーンを加えることによって、ヒュデスは、しきりに故郷を懐かしむウスナビとは違って、不法移民とはいえ、ソニーの意識はアメリカ人なのだということを示します。

 これは重要なポイントでした。

 一口にラテン系アメリカ人といっても、プエルトリコ系、ドミニカ系、メキシコ系が混在しています。彼らの母語は英語かスペイン語かに分かれるのです。当然、アメリカへの思いも異なるでしょう。さらに、いつアメリカに移住したのかによっても、アメリカへの思いは異なります。そのような点を踏まえ、ヒュデスは、より現実に沿ったストーリー構成を考えたのだと思います。

 プエルトリコ系移民2世であるヒュデスは、ラテン系の中ではいち早くアメリカに移住し、英語を使って暮らしていました。それだけに、そのプエルトリコ系と、いまだに故郷を懐かしみ、スペイン語を捨てきれないドミニカ系との違いに敏感でした。その差異を描かなければ、この作品のリアリティは欠けると思っていたのです。

 もちろん、白人社会に対する移民の気持ちにも敏感でした。ヒュデスは諸々の微妙な文化の差異にこだわって製作に臨みました。

 たとえば、ラテン系の映画評論家が、『イン・ザ・ハイツ』を取り上げた際、ニーナが帰郷した際はストレートヘアだったのに、すぐ元のカーリーヘアに戻したことに言及していました。それを知って、とても嬉しかったとヒュデスは語っています(※ 前掲インタビューURL)。

 ニーナの髪の毛をどうするか、ヒュデスたちは時間をかけて検討したといいます。観客がどれほど気にするかわからないようなことでしたが、ヘアスタイルの変化は、ニーナの気持ちの変化、気持ちの立て直しをはっきりと示すシンボリックな表現だったのです。

 脚本家がリアリティにこだわり、細部にまで真剣にチェックを入れたのと同様、振付師もリアリティにこだわっていました。

■振付師

 振付師のクリス( Christopher Scott )が『イン・ザ・ハイツ』のダンスについて語っている7分30秒の動画があります。

こちら → https://youtu.be/KZJqV09DgcU

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 興味深いことに、この映画はダンスと一体だとクリスは言っています。

 たとえば、サルサはニューヨーク風のストリートなサルサを、ストリートダンスは、ライト・フィート、フレキシング、ポッピング、ブレイクダンスなど、それぞれの文化を表現しているさまざまな要素を取り入れたというのです。

 さらに、ラテンといえば、サルサだけども、ブレイクダンスはアフリカ系だけではなく、プエルトリコ系やドミニカ系もあるといいます。抑圧された人々が、その気持ちをダンスに込めて表現していることを考えれば、ワシントンハイツの住民がライト・フィートを取り入れたように、映画にも新しいダンスを取り入れる必要があるというのです。

 動画で見ると、ライト・フィートはヒップホップのようなものでした。

こちら → https://youtu.be/H9jC18XYXjQ

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 クリスは、その種の文化の違いを理解しなければ、振付にも違和感が出てしまうといいます。監督もおそらく、同じような思いで製作に臨んだのでしょう。

 彼はまず、監督が「ダンスからシーンを考えていった」と語っています。振付を撮影して監督に送ると、意見が戻ってきて、監督が音楽付きのストリートボードを作るのだそうです。だから、「どんなシーンになるか想像しやすい」とクリスはいいます。

 なぜそうするのかについて、監督自身、「ダンスを通して物語が伝わるから」と理由を述べています。

 クリスはジョン・チュウ監督とは約12年間仕事を共にしてきました。二人はおそらく、阿吽の呼吸で理解しあえる関係なのでしょう。

 クリスは若い頃は振付のことだけを考えていたが、ジョン・チュウ監督がカメラにどう映るかを考えなければならないと教えてくれたといいます。お互いに影響し合い、領域を超えて、そのスキルを磨いてきたのでしょう。

 一方、脚本家のヒュデスは、ダンスの「オーディションを見て、ラテン系の才能が集まっていて、誇らしかった」と述べています。クリスがスキルだけではなく、文化の理解、表現の幅などを考え、人集めをしたからでしょう。クリス自身、「世界のトップダンサーがNYスタイルのサルサを踊った」と言っているほどです。

 実際、ダンスシーンのすべてが最高の出来栄えでした。

 この映画では、才能溢れた振付チームの下、素晴らしい才能とテクニックを持ったダンサーたちが練習を重ね、渾身のパフォーマンスを見せてくれたのです。振付師のクリスがいろんなジャンルの最高のダンサーを集め、振付チームを結成して、指導してきたことの成果でした。

 圧巻は、『Canaval Del Barrio』でした。下記の4分48秒の映像のうち、冒頭から2分23秒までがダンスシーンです。

こちら → https://youtu.be/ZDOVLEjbN4o

(冒頭から2分23秒まで。広告はスキップするか、×で消してください)

 クリスは、このダンスシーンでは、ドミニカ系、メキシコ系、コロンビア系がそれぞれ違うスタイルで踊るよう振付をしたといいます。ですから、『Canaval Del Barrio』はラテン系それぞれの文化を象徴したダンスシーンといえるでしょう。

 このシーンには、ラテン系コミュニティが一体となって立ち上がり、「世界にそのビートを響かせろ!」と訴えるウスナビの思いが凝縮されて表現されていました。

 ラテン音楽やダンスは、スペイン人に征服された奴隷たちが、チャチャチャ、マンボ、ソンなどのリズムを生み出したという経緯があります。ですから、そのような歴史を踏まえたうえで、現在のラップやヒップホップ、ライト・フィートなどを取り入れ、クリスは慎重に、さまざまなダンスシーンを創っていったのです。

 振付師クリスが求めていたのは、ジョン・チュウ監督、そして、脚本家キアラ・アングラ・ヒュデスと同様、リアリティでした。

 それでは、『Canaval Del Barrio』の一端を見てみることにしましょう。

■『Canaval Del Barrio』

 『Canaval Del Barrio』の迫力あるダンスシーンの中で、とくに引きつけられたのは、「旗を掲げろ」と名付けられた箇所です。主要登場人物たちの姿を画面のあちこちで見ることができます。ワシントンハイツの住民とともに立ち上がったのです。

こちら → https://youtu.be/bU3luTqDJeE

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 ウスナビはソニーに向かって、「お前の言う通り、ここは無力な移民ばかり」と語りかけ、「街は消える運命で、今夜が集まれる最後かも」と続けます。画面にはニーナ、カルラの姿が見えます。

 ウスナビはさらに、「でも、このまま引き下がるのか?」と問いかけ、「現実を嘆くより、俺は旗を掲げたい」と意思表示します。

 この時、カメラは佇んでウスナビを見つめるバネッサをバストショットで捉え、次いで、ソニーに語りかけるウスナビ、そして、国旗を差し出す子どもの姿を捉えます。


(ユーチューブ映像より)

 子どもたちが真剣な表情でウスナビを見守っています。ウスナビは、子どもの手から国旗を受け取ると、すぐさま、「旗を掲げろ!」と呼びかけます。音楽は次第に大きく、クレッシェンドで表現されます。この時、パフォーマンス、音楽のテンポとリズムで醸し出された画面の熱気が、観客にも直に伝わってきます。

 建物と建物の間には、洗濯物と共に多くの国旗が吊るされています。故国への思いが人々の生活の中にしっかりと組み込まれていることがわかります。

 「今夜こそ、声をあげるんだ!」とウスナビは続けます。画面にはバネッサの顔、ソニーの顔が見え、ウスナビを取り囲む輪が次第に大きくなっていくのがわかります。ウスナビはさらに高く国旗を振り上げ、「歌え、世界まで響かせろ」と皆をたきつけます。


(ユーチューブ映像より)

 ウスナビの傍らにはいつの間にか、カビエラ、カルラ、クカがいて、激しく踊っています。周囲の皆も両手を振り上げ、ジャンプし、感極まった様子です。「皆の旗に魂を込めて」というセリフの下、人々を捉えた映像が流れます。ウスナビの言葉に陶酔したような表情で、大勢の住民が両手を上げ、身体を震わせ、激しく踊っています。


(ユーチューブ映像より)

 この時、ワシントンハイツの住民は老いも若きも気持ちを通わせ、一体となっていたのでしょう。巨大な心のエネルギーが一気に爆発したような感じです。「あの橋を越え、世界へ、どこまでもビートは響く」というウスナビの言葉が力強く、リアリティを帯びて響き渡っています。

 まさに、クライマックス。皆の気持ちが一つになった瞬間でした。

 次いで、「この前のことは忘れて、最後に踊ってくれ」とウスナビはバネッサの手を取ると、曲は転調し、二人は静かに踊りだします。これが、冒頭で紹介した日経新聞の夕刊で見た写真のショットです。周囲の人々は暖かく二人を見守りながらも、陽気にはやし立てます。

■米国ラテン系コミュニティにみる格差社会の縮図

 わずか1分31秒のこの動画からは、ラテン系コミュニティの住民がこれまで大きく声をあげることなく暮らしていたことがわかります。差別に悩み、貧困にあえぎながらも、彼らは大規模な抗議行動をすることもなく、ダンスや音楽で積もる思いを発散させながら生きてきたのです。

 それが、今、ウスナビの旗振りの下、大勢が集まり、それに大きく呼応したのです。歌って、踊って、故国の旗を掲げ、自分たちの存在を世界に知らせようとしはじめたのです。

 再開発で追い詰められてようやく、ワシントンハイツの住民は声をあげようとし始めました。それもラテン系の人々らしく、音楽とダンスに乗せて、陽気に楽しく、自分たちの存在を世界に知らせようとし始めたのです。

 見ていて、思わず、涙が流れそうになりました。

 この映画で語られていることは、何もラテン系コミュニティに限ったことではありません。あらゆる社会に通じます。いってみれば、現代社会の課題とでもいえるようなものが、ラップやヒップホップ、ライト・フィートに乗せて、明るく陽気に提起されていました。

 かつては地域に根付いた独自文化の下で、人々は身の丈に合った豊かさを享受しながら生きていました。ところが、グローバル化の進行によって、いつの間にか、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなるという構図が定着してしまいました。

 生産性の低い国や地域の住民は生きていけなくなり、故国を捨て、故郷を捨て、豊かな国や都市に移住せざるをえなくなっているのが現状です。その結果、地域との絆が途絶え、人との関係も途切れ、現代社会の人々は誰もが、一粒の砂のように、孤立し、無力になっています。

 この映画で取り上げられたラテン系コミュニティを取り巻く諸問題は、現代社会が抱える構造的な問題だといっていいでしょう。

 人と人を繋ぎとめるものがなくなりつつある一方、アブエラがいうように、何をするにも、「お金が必要」になってきています。その結果、マネタイズできるものが価値を持ち、そうではないものが価値をもたないという仕組みがあらゆる領域に浸透しています。

 果たしてこれでいいのでしょうか。

 『イン・ザ・ハイツ』では、ダンス、音楽、ストーリー、映像、それぞれが見事に絡まり合い、ラテン系コミュニティが抱える問題が的確に捉えられていました。格差社会の縮図ともいえるワシントンハイツを舞台に、カリビアン・ディアスポラの魂が見事に表現されていたといえるでしょう。それだけに、その背後に流れる重い課題を受け止めざるをえませんでした。

 この作品のキーワードは、夢、都市再開発、移民、宝クジ、エリート、差別と貧困、故郷などです。ところが、今回、それらを十分に組み込んで表現することができませんでした。とくにストーリーとダンスシーンとの関係については不十分なまま、書き終えてしまいました。改めて、書いてみたいと思っています。(2021年8月30日 香取淳子)

HYBEと“Dynamite”に見るK-POPの未来

■HYBE、巨大経済圏を構築か?

 2021年7月20日、日経新聞に「BTS事務所、1億人経済圏へ」というタイトルの記事が掲載されていました。

こちら → https://www.nikkei.com/article/DGKKZO74027410Z10C21A7FFJ000/

 タイトルを見て興味を覚え、ざっと内容を読んでみました。K-POPの代表ともいえる「BTS(防弾少年団)」の所属事務所であるHYBEが「プラットフォーマー」への転換を急ぎ、オンライン上に1億人規模以上の巨大経済圏を築こうとしているというのです。

 すでに2020年12月期の決算で、HYBEの時価総額はK-POP業界の中で突出していました。


(2021年7月20日付日経新聞朝刊より)

 日本でも有名な「東方神起」や「少女時代」を抱えるSMエンターテイメントよりもはるかに高い時価総額をはじき出していたのです。売上高を見ると、そう大した違いはありませんが、営業益が抜群に高いのが注目されます。

 そもそも時価総額とは、株価に発行済株式数を掛けたもので、企業価値を評価する際の指標になっています。株価には、現在の業績だけではなく、将来の成長への期待が強く反映されますから、HYBEの企業方針、営業政策が今後のエンターテイメント界を牽引するものであることが示されているのです。

 それでは、先ほどの記事に戻ってみましょう。

 2020年はコロナ禍で最大の収益源であるライブの多くが中心になり、「公演売上高」は98%減にまで落ち込んだと書かれています。日本のエンターテイメント業界も同様でした。ところが、HYBEはそのような状況下でも増収増益を達成していたのです(上記の表を参照)。

 何故、そのようなことができたのでしょうか。

■Weverse(ウィバース)

 記事によると、それを誘導したのが、オンライン音楽配信、オンラインライブ、ファンクラブからの収益でした。そして、これらのネット上の顧客の接点となったのが、HYBEが自社で開発したウエブサービス「Weverse」でした。

こちら → https://www.weverse.io/?hl=ja

 Wikipediaを見ると、Weverse(ウィバース)は、HYBEとインターネット企業NAVERが共同出資したWeverse Companyによって開発された韓国のファンコミュニティプラットフォームだと説明されていました。

こちら → https://ja.wikipedia.org/wiki/Weverse

 初版は2019年6月10日にリリースされ、最新版は2021年5月30日に公開されています。OSはiOSかAndroidで、「Official for All Fans」をキャッチコピーに運営されているといいます。

 Weverse(ウィバース)は、アーティストとファンとの交流に特化し、ツィッター、インスタグラム、ユーチューブの機能を融合させた巨大なコミュニティサイトです。誰でも無料で利用できますから、文字や画像を通してファンとアーティストが直接交流できるのです。もちろん、有料コンテンツやメンバー限定のコンテンツ、グッズ販売などから収益を上げることが出来る仕組みです。

 英語、日本語、中国語、スペイン語、インドネシア語など多言語に対応しており、世界から約2700万人が利用しているそうです。HYBEはWeverse(ウィバース)をプラットフォームに、新たなK-POP業界のビジネスモデルを構築したのです。抜群の時価総額はこの画期的な事業展開が評価されてものでした。

 HYBEは、事業のさらなる拡大戦略を企図していました。

■買収

 先ほどの記事によれば、HYBEは韓国のネット大手ネイバーが運営するファンコミュニティサイト「V LIVE(ブイライブ)」を買収することを決め、HYBEに属していない人気アーティストの発信力を取り込む算段をしているそうです。

 これまでは競合関係にあったWeverse(ウィバース)とV LIVE(ブイライブ)が統合すれば、K-POP全体をカバーする会員数1億人規模にもなるプラットフォームが出来上がるという見通しなのです。

 Wikipediaによれば、V LIVE(ブイライブ)は韓国の動画配信サービスで、国内を拠点とする著名人がファンとのライブチャット、パフォーマンス、リアリティショーなどのライブ動画をインターネット上で放送することができるといいます。

こちら → https://ja.wikipedia.org/wiki/V_LIVE

 ストリーミング配信はオンラインか、iOSかAndroidのモバイル端末で、再生はPCで利用できるといいます。このサービスは2015年8月にリリースされ、NAVERが所有していました。ですから、HYBEとNAVERが共同出資してWeverse(ウィバース)を立ち上げた段階で、今回の統合が企図されていたことがわかります。

 V LIVE(ブイライブ)は、日本、中国、アメリカ、タイ、メキシコなど、15ヵ国に対応していました。Weverse(ウィバース)に統合すれば、さらに幅広い利用者を見込むことができます。

こちら → https://www.vlive.tv/home/chart?sub=VIDEO&period=HOUR_24&country=ALL

 そうなれば、幅広い利用者のニーズに応えられるアーティストの発掘が必要になってきます。HYBEはすでに2021年4月2日、米Ithaca Holdingsイサカ・ホールディングス)を買収すると発表しています。

こちら → https://news.yahoo.co.jp/articles/79fce4fbf9f20148111086be196cd3982a5cd9ba

 Ithaca Holdingsイサカ・ホールディングス)には、ジャスティン・ビーバーやアリアナ・グランデなどが所属しています。いずれもK-POPの枠を超えた発信力の高いアーティストです。ジャスティン・ビーバーのSNSのフォロワー数は累計4億人を超えるといいますから、Weverse(ウィバース)は世界のエンターテイメント業界を席巻することになるでしょう。

 それほど稼ぎ頭のアーティストを抱えていながら、Ithaca Holdingsイサカ・ホールディングス)はなぜ、買収に応じたのでしょうか。

 調べてみると、Ithaca Holdingsイサカ・ホールディングス)のオーナー、ブラウン(Scooter Braun)は、HYBEはその画期的なシステムとキュレーションによって、所属アーティストをさらに飛躍させるための支援をしてくれると期待していることがわかりました。

 HYBEに参画することは、音楽業界そのものを革新し、大きく変えるチャンスに乗ることだと認識しているのです。グローバル市場を席捲し、開拓し続ける姿勢に感動したせいか、ブラウン自身はどうやら、HYBEの取締役に就任するようです。

こちら → https://news.yahoo.co.jp/articles/66906bbebe21daa9fda2c4d41ab4e457dcf3615e

 もちろん、プラットフォームに対応した新人アーティストの発掘も欠かせません。

■新人アーティストの発掘

 HYBEはさらに、世界最大の音楽企業である米ユニバーサル・ミュージック・グループと連携し、米国で新人を発掘し、育成を開始するため、米国でオーディション番組を制作する予定だそうです(※ 2021年7月20日、日経新聞)。

 ちなみに、米ユニバーサル・ミュージック・グループは、アーティストやソングライターを発掘、育成することを目的とした企業グループです。

こちら → https://www.universal-music.co.jp/about-umg/

 会長のルシアン・グレンジ (Lucian Grainge)もまた、Ithaca Holdingsイサカ・ホールディングス)のブラウン(Scooter Braun)と同様、HYBEが最も革新的でグローバルな音楽企業だと認識していました。「良い音楽は言語と文化の壁を超えることができる」といい、今回の連携によって、「音楽産業の歴史に一線を画すことができる」と自負しています。

こちら → https://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2162579

 HYBEは、米ユニバーサル・ミュージック・グループとの連携によって、オーディション番組を通し、新しいK-POPボーイズグループのメンバーを選抜するといいます。現在、2022年の放送開始を目途に進められていますが、優れた資質を持つ人材を発掘し、アメリカ市場はもちろん、グローバル市場で活躍できるように育成するというのです。

 オーディション番組で選ばれると、音楽だけではなく、パフォーマンス、ファッションなどビジュアル面で磨き込まれ、グローバル市場のアーティストとして鍛えられていきます。ミュージックビデオ、ファンコミュニケーションなどが結合されたプラットフォームを舞台に、音楽を通して幅広く人々の気持ちを捉えられるアーティストに作り替えられていくのです。

■HYBEのビジネスモデルと企業文化

 興味深いのは、Ithaca Holdingsイサカ・ホールディングス)のオーナー、ブラウン(Scooter Braun)も、ユニバーサル・ミュージック・グループの会長ルシアン・グレンジ (Lucian Grainge)も、HYBEのシステムが今後のグローバル市場を狙う上で欠かせないと認識していることでした。

 コロナ禍で急速にオンライン化が進み、あらゆる企業が業態変化を迫られている中、唯一、確かな足取りで歩を進めているHYBEに未来のエンターテイメント業界のビジネスモデルを見出したからなのでしょう。

 HYBEの拡大戦略を進めているのが、創業者のバン・シニョク(房時赫)取締役会議長です。世界的な大ヒット集団BTS(防弾少年団)を育成したことで知られています。

 彼の新人発掘手法は、オーディションでアイドルの卵を選抜し、歌やダンス、外国語などを習得する準備期間を経てデビューといった過程を踏ませます。

 このようなアイドル育成過程は、米ハーバード・ビジネス・レビューの事例研究でも取り上げられたほど、各方面で注目されています。HYBEは、「アイドルを成功に導く方程式を確立している」と絶大な評価を受けているのです。

 たとえば、2020年3月、米Fast Companyが発表した「2020年世界で最も革新的な50社」には、HYBEがなんと、Snap、Microsoft、Teslaに次いで、4位に選ばれているのです。その理由として、コミュニケーションプラットフォーム(Weverse)とeコマースプラットフォーム(Weverse Shop)が挙げられています。

(※ https://www.fastcompany.com/90457458/big-hit-entertainment-most-innovative-companies-2020

 こうしてみてくると、HYBEが確立したプラットフォームが他の追随を許さないものであることがわかります。Ithaca Holdingsイサカ・ホールディングス)のオーナー、ブラウン(Scooter Braun)や、ユニバーサル・ミュージック・グループの会長ルシアン・グレンジ (Lucian Grainge)が容易にHYBEに参画した理由がわかろうというものです。

 しかも、今後、エンターテイメント市場が大きくアジアにシフトしていくことは目に見えています。両社がHYBEに参画したのは経営者の判断として当然でした。アジア市場をはじめとするグローバル市場を席捲するには、HYBEとの連携が不可欠になっているのです。

 実際、HYBEは快進撃を続けていますが、それを牽引しているのが、創業者パン・シヒョクが育成したBTS(防弾少年団)でした。

 初めて英語の歌詞が付けられた楽曲だといわれる“Dynamite”を通して、BTSを見てみることにしましょう。

■“Dynamite”MVの再生回数が10億回を突破

 2021年4月13日、タワーレコード・オンラインニュースで、韓国BTS(防弾少年団)の’Dynamite’ MVの再生回数が10億回を突破したと報じられていました。

こちら → https://tower.jp/article/news/2021/04/13/tg005

 BTSはすでに、“DNA”(13億回)、“Boy with Luv”(11億回)で10億回以上の記録を出していますが、“Dynamite”もそれに続く大ヒットの様相をみせています。

 これは、2020年8月21日にデジタルシングルとして発売され、BTS としては初めてすべての歌詞が英語で書かれた楽曲です。

 すでにこの頃からHYBEが米市場をはじめ、グローバル市場を視野に入れた展開を試みていたことがわかります。果たして、“Dynamite”はどのような楽曲なのか、動画をいくつか見てみることにしましょう。

■BTS “Dynamite” official MV

 2020年9月26日に公開され、1億6904万3281回(2021年7月31日時点)、再生されています。3分30秒のオフィシャル動画です。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=BflFNMl_UWY

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 背景は明るいタッチのイラスト風に描かれたバスケットボールの練習用コートです。その前で、リズミカルな楽曲に合わせ、歌い、ダンスする7人のメンバーが、三角形で隊列を組んでいます。まもなく、6人が画面から消え、しばらくはメインボーカルがソロでダンスを披露します。時折クローズアップで映し出される顔には少年のような甘さが残っており、やや高い音声とマッチしています。


(ユーチューブ映像より)

 やがて向かって左から3人のメンバーが合流し、左側の眼鏡をかけメンバーがメインとなってダンスしているうちに、右側から3人が加わり、再び、7人で三角形の隊列が組まれます。その中からトップに躍り出てきたメンバーが中心となって歌い、ダンスを披露するといった展開です。次々と主役が移り変わり、メリハリの効いた構成になっていました。

 この曲の別バージョンのMVもありました。

■BTS ’Dynamite’@America’s Got Talent2020

  2020年10月22日に公開された動画は、7152万3776回(2021年7月31日時点)、再生されています。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=e81ad5MpfQ0

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  これはメンバー個々人に焦点を当てて構成されたMVです。遊園地のような場所を背景に、7人のメンバーそれぞれが個性豊かな服装で、ダンスを披露します。遊園地内、屋上、モホークガソリンスタンドの前、さらには、車に乗り込み、その車内で、メンバーはそれぞれソロで、歌い、ダンスをしながら移動して行きます。

 それぞれの持ち味を活かしたシチュエーションが考えられ、パフォーマンスが工夫され快い見せ場が随所に設定されています。こうしてメンバーたちのソロダンスが終わると、7人のメンバーが揃って、三角形の布陣でダンスするといった展開です。ショートストーリー風に展開されていく構成が魅力的です。

 メンバーはそれぞれ、個性を活かした衣装を着用しています。


(ユーチューブ映像より)


 最後辺りになると、遊園地内の各所で白煙が勢いよく立ち上っていく仕掛けが施されています。ダイナマイトの象徴なのでしょうか。クライマックスを飾る仕掛けのようでした。

■BTS ’Dynamite’@Best Artist2020

 2020年11月25日に公開されたこの動画は、2159万1572回(2021年7月31日時点)、再生されていました。リリース後3カ月を経て制作されたこの動画には、ファンに向けたメッセージが加えられていました。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=Rz3I0souiEw

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 このバージョンでは冒頭、ジョングクが右手を高く上げたのが印象的でした。カメラはその手をクローズアップで捉えています。


(ユーチューブ映像より)

 右手の指の関節の上には「ARMY」とペイントされ、薬指には「J」と記されています。メインボーカルのジョングクを示すイニシャルです。手の甲にはハートマーク、人差し指には王冠マークのようなものも描かれています。ファンに向けてのメッセージなのでしょう。きめ細かなファンサービスが感じられます。

 ペイントされた右手を高く掲げるシーンが、「ARMY」と呼ばれるファン組織を意識したパフォーマンスであることは明らかでした。

 このバージョンでもソロが終わると、左側から3人のメンバーが登場し、4人でパフォーマンスが行われますが、ここでも、それぞれ個性を活かしながら、アメリカを意識した衣装を着用しているのが印象的です。


(ユーチューブ映像より)

 さて、2020年8月21日に発売された“Dynamite”のMVを三種類見てきました。9月26日、10月22日、11月25日、ほぼ一カ月ごとに公開されたMVをご紹介してきました。いずれもダンス部分については変わりませんが、衣装や背景、小物といった道具立てについては大幅な変化が見られ、観客を飽きさせない工夫が凝らされていました。

 これらを見ていて、改めて、重要なパートを占めるのがダンスだということがわかりました。詳しく見ていくことにしましょう。

■“Dynamite”のダンス

 ダンスに焦点を当てた動画を見つけました。これを見ると、7人のメンバーが布陣を変化させながらダンスを披露していく様子がよくわかります。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=CN4fffh7gmk

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 画面にはまず、ランダムにポーズを取る7人が登場します。やがてその中の一人が中央に出てきてステップを踏み始めると、その他の6人は両脇に移動し、画面から見えなくなります。ソロでダンスが披露されます。

 2,3秒もすると、向かって左側から3人が踊りながら出てきて、4人体制でダンスが展開されます。画面の左半分を使って4人がステップを踏んで一回転するころ、向かって右側から3人が登場し、7人体制でダンスが披露されます。

 先ほどとは違ったメンバーがトップになり、2列目に2人、3列目に4人といったふうに、三角形の布陣になります。向かって左端にいたメンバーが左に寄って、ソロステップを踏みます。その他のメンバーはバックアップ態勢となって、左端を頂点とした不完全な三角形を成形します。

■“Dynamite”振り付けの練習

 2021年6月4日に公開され、1546万1956回(2021年7月31日時点)、再生されています。3分25秒の動画をご紹介しましょう。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=WhDsAW1ZzZ8

  メンバー全員、上が白のTシャツ、下が水色あるいはブルーのGパンという姿です。服装をシンプルに統一したことで、動きがとてもわかりやすく、振り付け自体がショーとして組み立てられていることがわかります。

 もちろん、衣装は白かブルー系で統一されているとはいえ、髪の毛の色、靴の色、帽子を持っているか否か、眼鏡をかけているか否か、などファッション小物でメンバーの個性はしっかりと識別されています。


(上記ユーチューブ映像より)

 BTSのメンバー7人のうち、Jinはブラウンヘアに白いスニーカー、Sugaは黒髪に黒と白のスニーカー、J-Hopeは黒髪に黄色のスニーカー、RMはブルーヘアに黒のスニーカー、Jiminは黒いスニーカーに黒い帽子、Vはブラウンヘアにブラウンのスニーカー、ブラウンの帽子で、眼鏡をかけ、Jungkook(後ろ向き)は黒髪に底部がネオングリーンの白いスニーカー、といった具合です。

 統一感をかもしながらも、メンバーの個性に配慮したファッションが印象的でした。このグループの特性が見事に表現されています。スタジオでの練習風景のせいか、メンバーの顔には全般にリラックスした表情が見られます。

■“Dynamite”に見るK-POPの未来

 “Dynamite”はメロディがシンプルなので頭に残りやすく、テンポもいいので、よくできたTVCMのようなアディクション効果がありました。これを聞くと誰もが知らず知らずのうちに、身体を動かし、リズムに乗って、幸せな気分になっていきそうです。

 見る者の視聴覚に絶え間ない刺激を与え続け、条件反射的に心身の反応を喚起するように創り出されているからでしょう。

 音楽はシンプルなメロディが繰り返されます。そして、ダンスはそのようなシンプルな曲に合わせて、隊列を変え、7人からソロ、ソロから4人体制、7人体制といった具合に、メリハリをつけた構成になっています。

 ダンスをしながら、数秒ごとに隊列を変更して、布陣を変えていきます。三角形、不定形、台形、そして再び、三角形というように、目まぐるしく陣容を変え、個々のメンバーを引き立てながら、視覚的な動きの美しさを楽しめるような振り付けでした。

 センターを務めるメンバーも適宜、入れ替わり、7人のメンバーが一体となって変容を繰り返しながらパフォーマンスを展開していく様子は、まるで生きている構造体のように見えました。

 衣装も同様、7人のメンバーそれぞれの個性を活かしながらも、全体として何を伝えたいのか、明らかなコンセプトの下、構成されていました。見事なまでに、アーティストの個とグループ全体の調和を図りながら、見る者の視聴覚に快い刺激を与える工夫がされていたのです。

 そういえば、HYBEのアーティスト育成システムが、音楽だけではなく、パフォーマンス、ファッション、ファンとの関係などに留意したものであったことを思い出しました。

 ヒトの感覚を断片的に刺激しながら、条件反射的な刷り込みをしていく手法に、デジタル化社会との親和性を感じさせられました。HYBEの大成功を見ると、K-POP業界、さらには、世界のエンターテイメント業界は今後、このような方向でのコンテンツ制作、アーティストの育成に大きく傾いていくのでしょう。

 これでいいのかなという思いが、ふと、脳裏をよぎりました。(2021年7月31日、香取淳子)

アーティストは社会的課題をどう表現したか:米谷健+ジュリア氏の作品を見る。

福島原発事故から10年、思考停止のままでいいのか?

 2021年6月23日、福井県の美浜原発3号機が再稼働しました。1976年に運転開始し、2011年3月11日の東電・福島第1原発事故まで稼働していた原発です。稼動期間は35年、稼働開始からは45年を経ています。原子炉をはじめ諸施設には多少なりとも経年劣化が生じているはずです。

 老朽化した原発を再稼働してもいいのかと素人ながら、不安に感じてしまいますが、新聞報道によると、4カ月限定で稼動するだけで、10月には再び稼動を停止する予定だといいます。今回の再稼働はおそらく、夏の電力需要を賄うための臨時的なものなのでしょう。

 政府は2030年度には温暖化ガスを46%削減すると宣言しました。その目標を達成するには再生可能エネルギーだけでは足りず、原発で総発電量の2割を賄わざるを得ないといいます。そして、総発電量の2割を得るには30基ほどの原発の再稼働が必要になるともいわれています。

 ところが、これまでに再稼働したのは今回の美浜原発を含めて10基しかなく、すでに老朽化しているものが多いそうです。福島原発事故後の2012年に原子炉等規制法を改正し、原則として稼動期間を40年としましたが、それでも、その基準に照らし合わせると、現在33基ある原発のうち、2030年末時点で稼動可能な原発は20基まで減少するといいます。

 電力源として原発を使用するなら、建て替えが必要なことはいうまでもありません。新設、増設も考えなければならないでしょう。ところが、第5次エネルギー基本計画では、原発の建て替え(リプレース)や新設、増設について言及されておらず、結論が先送りにされています。

こちら→ https://www.nippon.com/ja/currents/d00419/

 脱炭素をめざすとすれば、電力源としての原発は当面、必要であるにもかかわらず、福島原発事故以来、建て替え、新設、増設が検討されておらず、原発政策はいまだに思考停止状態になっているのです。

 事故後の10年間、原発をめぐるさまざまな議論も避けられてきました。脱炭素社会に向けてエネルギー政策をどう捉えていくのか、原発を継続するのかしないのか、しっかりとした議論を踏まえ、早急に安全で安定した電力供給のためのエネルギー政策を整備していく必要があるでしょう。

福島大学で開催されたオーストラリア学会

 2021年6月12日と13日、福島大学でオーストラリア学会が開催されました。福島原発事故10周年を記念して企画されたのが、「フクシマ」を巡る二つのシンポジウムです。両シンポジウムは豪日交流基金(AJF)の助成を得て行われました。福島原発事故は日本だけではなくオーストラリアにも大きな衝撃を与え、日豪関係にも影響していたからでした。

こちら →

http://www.australianstudies.jp/doc/2021_ASAJ_annual_conference_progra_j.pdf

 事故後10年を経たいま、多くの人々の原発に対する関心は次第に薄れてきているうえに、問題は依然として解決されていません。それだけに、事故後の10年間を総括し、そこから何が明らかになり、どのような教訓が得られたのかを洗い出し、今後どのように取り組んでいけばいいのかを検討する必要がありました。

 今回のオーストラリア学会はコロナ下とはいえ、オンラインだけではなく、対面でも参加できるように設定されていました。会場をキーステーションにし、登壇者や司会者、国内外からの参加者が意見交換できるように設営されていたのです。

 会場の大スクリーンには、オンラインで参加した日豪双方の学者、関係者が映し出され、それぞれの分野からの見解が披露されました。私はオンライン(ZOOM)で参加しましたが、発言者以外は映像をオフ、音声はミュートにするという条件が課せられました。おかげで画面が煩雑にならず、発言内容に集中することができました。

 もっとも、ZOOMで参加したので、カメラワークが思い通りにならず、撮影した写真も不鮮明なものにならざるをえませんでした。

米谷健+ジュリア氏によるアーティストトーク

 12日のシンポジウム「フクシマの教訓」の前に、米谷健+ジュリア氏によるアーティストトークが行われました。「見えない恐怖、絶えない不安と表現の力」というタイトルで構成され、とても興味深い内容でした。

 トーク内容は原発事故にとどまらず、多岐にわたりましたが、ここでは、健氏が初期に取り組んだ作品、その後、ジュリア氏とユニットを結成してから発表した作品の中から、とくに、海洋汚染、福島原発事故に関連する作品を取り上げることにします。

 健氏は写真をふんだんに使いながら、アーティストになった経緯、作品への取り組み姿勢、これまで手掛けた作品等々を語っておられました。それらの作品を中心に、適宜、ネット等で得た情報を交えながら、ご紹介していくことにしましょう。

沖縄で伝統陶芸を学ぶ

 健氏は、東京外為市場で金融ブローカーとして3年間働いた後、辞職し、沖縄で陶芸を学びました。脱サラ後、紆余曲折を経て、向かった先が沖縄だったのです。そこで伝統陶芸壺屋焼き陶工の金城敏男氏に師事し、2000年から2003年まで陶芸を修業します。

 当時の作品として会場のスクリーンに映し出されたのが、次の写真です。

(会場写真を撮影)

 取っ手が付いたひし形の壺です。側面には、波頭の上を勢いよく飛び跳ねる魚が二匹、向き合う恰好で描かれています。素朴な味わいの中に躍動する生命力が感じられます。救いを求めるように向かった先の沖縄で発見した生命の輝きとでもいえるようなものが、この作品には見られます。

 実際、沖縄の海はカラフルで、さまざまな生物が生を謳歌しています。

(会場写真を撮影)

 ところが、その輝かしい海の世界もいまや一変してしまいました。サンゴの多くに白化現象が見られるようになり、死滅しはじめているのです。

(会場写真を撮影)

 サンゴが白化する原因は、海水温の上昇によるといわれています。とくに1980年代以降、世界的に白化現象が増加しました。沖縄では2001年と2007年の夏に白化現象が起こりましたが、これは沖縄特有の暖水塊の発生によるとされています。ちょうど健氏が沖縄で陶芸を学んでいる時期、サンゴの白化現象が話題を集めていたのです。

メルボルンで発表された作品

 健氏は2008年に、”Heat: Art and Clime Change”というタイトルの展覧会(RMT Gallery、メルボルン)に出品しています。ネットで検索すると、その展覧会のカタログがありましたので、ご紹介しておきましょう。

こちら →

https://www.academia.edu/5691163/HEAT_Art_and_Climate_Change_2008_

 最後のページに健氏の作品が掲載されています。

(上記カタログより)

 この作品のタイトルは、”The Dead Sea”です。気候変動によって自然界が大幅に変化していく様子を健氏はインスタレーションで作品化していたのです。沖縄での経験がよほど印象深かったのでしょう。

 そもそも健氏は、沖縄で伝統陶芸の修行をしていたはずです。それなのになぜ、メルボルンでインスタレーションを発表していたのでしょうか。経緯がわからず、驚きました。最初にご紹介した2000~2003年の素朴な味わいのある陶芸作品と、2008年のメッセージ性のあるインスタレーションとがどうしても結びつきません。

 そこで、ネットで検索してみると、健氏の略歴が掲載されていました。何かヒントが得られるかもしれません。作品と略歴とを照らし合わせてみましょう。

こちら →

https://mizuma-art.co.jp/wp-content/uploads/2018/02/Yonetani_cv_jp_20_08.pdf

 これを見ると、沖縄での陶芸修行を終えるとすぐに、オーストラリア国立大学School of Artに入学していることがわかります。

《踏絵》、2003年制作

 オーストラリア国立大学に入学してまもない2003年11月に、健氏は《踏絵》というタイトルの作品を発表しています。さっそくネットで検索してみました。

 すると、これはパフォーマンス型のインスタレーション作品だということがわかりました。まず、オーストラリアの絶滅危惧種11種の蝶を模って、25㎝×25㎝のセラミックのタイルを制作します。そのタイル2200枚を展覧会場の床に敷き詰め、参加者に踏み潰してもらうというものでした。

もっとも、この説明だけでは分かりづらいかもしれません。さらに検索すると、この作品の解説映像をネットで見つけることができました。ご紹介しておきましょう。

こちら → http://kenandjuliayonetani.com/ja/sakuhin/fumie/

 8カ月かけて制作した2200枚ものタイルは、1時間も経たないうちに参加者によって踏み潰されたといいます。確かに、画面を見ると、床一面に敷き詰められたタイルが粉々になっています。

 ところが、興味深いことに、参加者の中には、蝶が模られたタイルを踏み潰すことができなくて、床から拾い上げ壁に立てかけている人がいました。砕けてしまえば、もはや元に戻らないことに耐えられなかったからでしょう。それに続く人もいました。

 言われるままに踏みつぶした人、言われても踏みつぶせなかった人、踏みつぶした後、後悔した人、反応はさまざまでした。絶滅危惧種の蝶が模られたタイルをどう見るか、どう考えるか、指示されるままに踏み潰すことができたか、できなかったか。この作品はまさに、参加者の環境に対する意識を問う現代の「踏絵」でもあったのです。

 沖縄で伝統陶芸を学んだ健氏は、オーストラリア国立大学でSchool of Art & Design科のCeramicsを専攻しました。そこで学び始めて最初に発表したのが、この《踏絵》でした。

 8カ月もの時間をかけて制作したタイルですが、これは単に参加者の反応を引きだすための刺激剤にすぎません。作者から指示され、参加者たちが床一面のタイルを踏み潰した後、会場には、粉々に砕けたタイルと、踏みつぶされず壁に立てかけられたわずかのタイルが残されました。参加者のパフォーマンスを組み込んだ一連の過程そのものが、この作品の全貌でした。

 インスタレーションとパフォーマンスを組み合わせた新しい芸術の誕生といえるでしょう。

インスタレーションとパフォーマンス

 まず、11種の絶滅危惧種の蝶が模られたタイルを敷き詰めた会場そのものが、インパクトの強いインスタレーションでした。踏み潰される前の2200枚ものタイルを見ただけでも、参加者たちはそれぞれ何かを感じ取っていたことでしょう。

 さらに、参加者たちは作者から指示されます。その指示に従って、タイルを踏み潰し始めた時、参加者たちは足裏から伝わってくるタイルの壊れる感触をどう感じたのでしょうか。

 タイルを壊さず、壁に立てかけている人がいましたし、それに続く人もいました。おそらく、壊すことに抵抗を感じ、後ろめたい思いをしていたのでしょう。反対に、タイルを踏み潰すことに身体的な快感を覚えた人もいたかもしれません。中には、足裏から伝わってくる振動に、なにがしか申し訳なさを感じながらも、踏みつぶし続けた人もいたでしょう。

 インスタレーション、パフォーマンス、それぞれ参加者に与える効果は異なります。参加者の環境への認識の違いによってもその受け止め方は異なってくるでしょう。

 インスタレーションにこのようなパフォーマンスを組み込んだおかげで、この作品はメッセージ性が高く、発信力の強い仕上がりになっていました。自然と社会とヒトとのかかわりを、参加者に深く考えさせるだけのインパクトがあったのです。それは、この作品がしっかりとした構造を持ち、明確なコンセプトの下、制作されていたからにほかなりません。

 健氏は8カ月かけてモチーフとなるタイルを制作し、会場の床に敷き詰め、インスタレーション作品としました。それだけでも十分インパクトのある現代美術なのに、健氏はさらに、参加者を巻き込むパフォーマンスを組み込み、参加者への影響力を強化しました。これまでの健氏にはない発想であり、表現活動でした。

 沖縄で陶芸技術を学んでいたころは、せいぜい海洋生物への関心から海洋汚染に関心を抱いた程度ではなかったかと思います。ところが、オーストラリアで学び始めて早々に、これまでとはまったく異なった性質の作品を発表していたのです。

 一体、何があったのでしょうか。

Socially Engaged Art

 そこで、調べてみると、健氏が入学したオーストラリア国立大学School of Art & Design科では、学部生に対し、次のようなコースを設けていることがわかりました。

こちら → https://programsandcourses.anu.edu.au/2021/course/ARTV2801

 Socially Engaged Art実践というコースが設けられ、「社会実践」や「社会彫刻」などの実験が行われています。「社会実践」にしても、「社会彫刻」(人間社会のさまざまな事象を含めて造形しようとする)にしても、社会的な関わりの中で表現活動を実践していこうとするものです。

 アーティストは表現活動を行いますが、このSocially Engaged Artでは、作者とか作品という概念よりも、対話や相互作用そのものに価値を見出す特徴があるといいます。また、参加者を巻き込むインタラクティブな実践という点で、Relational Artと呼ばれる作品群とも通じるものがあるともいわれています(※ Artwordsより)。現代アートの一ジャンルなのでしょう。

 このような説明に照らし合わせると、健氏の《踏絵》はまさにSocially Engaged Artそのものだといえるでしょう。沖縄では得られなかった美術的境地をオーストラリアで獲得したことがわかります。

 健氏は沖縄で海洋汚染の現実を知りました。アートの力で環境破壊に対処していくことができればと願ったことがあったかもしれません。Socially Engaged Art実践というコースはそんな彼にぴったりの学びの場でした。

 以後、健氏は明確なコンセプトの下、参加者を巻き込みながら、アートの力を活用した社会実践を続けていくことになります。

 手始めに制作したのが、《踏絵》でした。この作品では、ヒトが自然界に及ぼしてきた破壊力を、静(インスタレーション)と動(パフォーマンス)の両面から参加者に認識させることができました。

 インスタレーションによって参加者の問題意識を喚起し、パフォーマンスによって身体感覚に基づいて熟考させる・・・、といった仕掛けがあったからです。参加者のそれまでの意識レベルがどうであれ、アートの社会実践を経験してもらうことによって、ヒトは自然とどうかかわればいいのか、参加者それぞれに自覚を促すことができたのです。

 新しい形態の芸術作品でした。

 以後、健氏はこの手法で、次々と作品を発表していきます。

《スィートバリアリーフ》、2009年制作

 修士号を取得した2005年には、砂糖を使った作品を制作し、シドニーやメルボルンで発表しています。これら一連の作品が認められからでしょう、2009年にはオーストラリア代表に選ばれ、ベネチアビエンナーレに出品しています。作品のタイトルは、《スィートバリアリーフ》です。

(会場写真を撮影)

 オーストラリア北東岸には有名なグレートバリアリーフがあります。小さなサンゴやポリプ(イソギンチャクなど固着して触手を広げるもの)などが数十億も集積して形成されている巨大なサンゴ礁です。

(世界遺産オンラインガイドより)

 この辺りには、400種以上のサンゴ、1500種の魚類をはじめ、多種多様な生物が生息しているといいます。約200万年前からの石灰岩が堆積し、その上にサンゴが生息しはじめ、壮大な景観を形成しており、1981年には世界自然遺産に登録されています。

 上空から見ると、このようになっています。

(世界遺産オンラインガイドより)

 見ると、全体に茶色っぽくなっています。気候変動による海水温の上昇でサンゴが白化し、サンゴ礁が死滅に瀕していることがわかります。さらに、水質汚染やサンゴを食べるオニヒトデの発生などで、サンゴ礁の存続自体が危うくなりかけているともいわれています。

 それでは、もう一度、先ほどのベネチアビエンナーレに出品された作品《スィートバリアリーフ》に戻ってみましょう。

 写真手前に見える水色の塊とモデルたちが手にしているオレンジと青の塊が、この作品のモチーフです。白化したサンゴが彩色されているように見えます。白い髪飾りを付け、白いドレスを着ているモデルたちは白化現象を象徴しているのでしょうか、それとも、漂白された砂糖を象徴しているのでしょうか。

 この作品を紹介したページがありましたので、ご紹介しましょう。

こちら → http://kenandjuliayonetani.com/en/works/sweetbarrierreef/

 この作品もまた、インスタレーションとして発表され、会場ではパフォーマンスが披露されていました。

 ここに掲載されたYouTube画面を見ると、着色されたモチーフの中身はどうやらケーキのようです。モデルたちが切り分けて参加者たちに配っています。《スィートバリアリーフ》という名の通り、これらのモチーフは甘いサトウキビで制作されていたのです。

 モチーフの制作に使われたサトウキビは、ヒトの欲望のメタファーであり、さらには、世界が歩んできた植民地化、近代化、消費主義化の象徴でもありました。

 たとえば、クィーンズランド州の東北部にインガムという町があります。元々はアボリジニの土地だったのですが、1880年、そこに植民地製糖会社が設立されました。以来、イタリア移民が雇われて砂糖の生産に大きく貢献し、発展を遂げてきたといいます。この例に限らず、植民地の歴史とサトウキビ農園とは密接なかかわりがあったのです。

こちら →

http://www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/bun45dict/dict-html/00577_Ingham.html

 このように、オーストラリアは輸出産業としてサトウキビ生産を発展させてきました。ところが、生産が活発になるにつれ、やがて環境保護団体からサトウキビ農家に対する批判が高まっていきました。肥料や農薬に含まれる化学物質、赤土の河川への流出などが、サンゴ礁の生態系を脅かしているというのです。

 また、タイや沖縄では、サトウキビ畑の焼き畑が、大気汚染の原因になっていると問題になっています。

こちら → https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210120/k10012823751000.html

 各地のサトウキビ栽培が土壌汚染、大気汚染、海洋汚染を招いていることを作品化したのが、この《スィートバリアリーフ》でした。

 こうしてみてくると、健氏の一連の作品が世界各地で進んでいる環境汚染にメスを入れるものであることがわかります。

アーティストユニットの誕生、そして、福島原発事故

 2009年以降、米谷健氏とジュリア氏はユニットを結成し、作品を制作するようになりました。

 先ほどご紹介した経歴を見ると、ジュリア氏は2003年にオーストラリア国立大学で歴史学の博士号を取得しています。一方、健氏は2003年に陶芸科の修士課程に進んでいますから、二人は同時期にオーストラリア国立大学で研鑽し、研究した仲間だったことがわかります。

 ジュリア氏は大学院修了後、研究職にも就いていたようですが、学問の世界に限界を感じ、アートに魅力を覚えるようになったといいます。健氏との出会いがその引き金になったのかもしれません。もっとも、ジュリア氏のキャリアは研究職からスタートしているので、アートを手掛ける場合も、テーマを設定してから制作に入ることが多いといいます。

 環境破壊をテーマに作品を制作してきた健氏とはお似合いのカップルであり、未来を担うアーティストユニットだといえるでしょう。

(ZOOM画面を撮影したので、角度が限定され、画質も悪いですが、ご了承ください)

 さて、米谷健+ジュリアとしてアーティストユニットを形成して2年後に、福島原発事故が発生します。オーストラリアで福島原発事故を知ったとき、二人は是非とも原発をテーマに作品を制作したいと思ったそうです。

 元々、健氏は環境破壊に関心がありましたし、ジュリア氏も歴史学の研究者なので、技術の進化と社会との関連については興味があったはずです。世界を揺るがす原発事故を機に、二人の制作衝動が刺激されたのは当然でした。

 そもそも原発の燃料であるウランの資源量はオーストラリアがトップなのです。

ウラン資源量トップのオーストラリア

 ウラン資源は世界中に分布していますが、圧倒的な資源量を誇るのが、オーストラリアです。主要15ヵ国だけで世界の既知ウラン資源の95%を占めているのですが、そのうちオーストラリアは30%で、他を圧倒しています。

(日本電子力産業協会国際部報告書『ウラン2018―資源、生産、需要』、2019年2月、p.7より)

 2018年の上記資料をさらに具体的に見ると、オーストラリアのウラン資源量は世界第1位、産出量は第3位でした。

(前掲。p.6 )

 資源量、産出量ともトップクラスのオーストラリアですが、自国内に原子力発電所を持っていません。ですから、研究用以外のウランはすべてアメリカ、EU、日本などの原発所有国に輸出しているのです。

 これらの国だけで輸出量の約90%を占めるそうです。オーストラリアは世界有数のウラン輸出国だったのです。実際、2011年3月11日に爆発した福島第一原発全6基のうち5基の原子炉で、オーストラリア産ウランが使用されていたといいます。

 興味深いことに、オーストラリアは、世界有数のウラン輸出国として原発産業を支えていながら、自国内に原発を持っておらず、一方の日本は、ウラン資源もなく世界唯一の被爆国でありながら、狭い国土に福島原発事故以前は54基も稼動していました。

 福島原発以後、21基の原発の廃炉が決定され、現在稼働中の原発はわずか5発電所の9基だけでした(今回、4カ月限定で美浜原発が再稼働)。それも西日本に集中しており、いずれも「沸騰水型」の福島第1原発とはタイプの異なる「加圧型」だそうです(※ https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00967/)。

 さて、オーストラリアは原発を持っておらず、一見、クリーンなイメージがありますが、実は世界有数のウラン輸出国であり、福島原発事故でもオーストラリアからのウランが使用されていました。

 そのことを申し訳なく思う人々がいました。オーストラリアのアボリジニです。

アボリジニに伝わる緑アリのドリーミング

 福島原発を運営する東京電力は、英国系採掘会社の子会社が運営するレンジャー鉱山から採掘されたウランを購入していました。このレンジャー鉱山は、オーストラリア北部特別地域に住むアボリジニ、ミラー族が先祖代々所有してきた土地でした。

こちら →

https://www.independent.co.uk/news/world/australasia/aborigines-block-uranium-mining-after-japan-disaster-2267467.html

 福島原発事故を知ったミラー族の長老イボンヌ・マルガルラ(Yvonne Margarula)は、国連事務総長に、ミラー族の人々が日本の惨状を心配し、原子力の緊急事態について懸念しているという内容の手紙を書いて送ったといいます。

 ウランを産出して輸出し、利益を得ている鉱山企業レンジャーではなく、先祖代々の土地を奪われたミラー族が、福島原発事故で被害にあった日本に申し訳なく思っているというのです。彼らはウランの採掘についても制限を求め、新たな採掘事業に反対しています。

 米谷健+ジュリア氏は、福島原発事故後、レンジャー鉱山を訪れ、その土地に住むアボリジニから話を聞いています。

こちら → http://yonetanikenandjulia.blogspot.com/2013/11/blog-post_22.html

 アボリジニのコミュニティの中には、代々語り継がれてきた、「その大地を掘り起こせば、たちまちその地中から巨大な緑色のアリが出現し、世界を踏み潰し、破壊するだろう」というドリーミングがあることを彼らは知りました。

 実際、西ドイツで1984年に制作された、“Where the green ants dream”(緑のアリが夢見るところ)という映画(100分)があります。このドリーミングを題材に映画化された作品です。7分2秒の紹介映像を見つけましたので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/2mtouaHkSfA

 探し求めてダーウィンにまで出かけた健+ジュリア氏は、ナバレック鉱山付近にGreen Ants Hillがあり、そこに巨大な緑アリのドリーミングがあることを聞きつけます。実際に話を聞いて、現地の長老からそれを作品化する許可を得ます。

 こうした地道な取材を積み重ね、2012年に制作されたのが、《What the Birds Knew》でした。

福島原発事故に触発されて制作された作品

《What the Birds Knew》、2012年制作

アボリジニに伝わる緑アリのドリーミングにヒントを得て、制作を開始し、出来上がったのが、全長6メートルの巨大アリです。数千個のウランガラス玉で仕上げられています。

こちら → https://www.mori.art.museum/en/collection/2737/index.html

 ガラスの中にウランが含まれているので、暗闇の中では緑色に発色します。

 緑色の巨大なアリのドリーミングは、ウランが埋蔵されている地域のアボリジニの間で代々、伝えられてきました。実際にウランを浴びた巨大なアリがかつて存在していたのかもしれません。それが暗闇で緑色に発色し、恐怖にかられたアボリジニが、ドリーミングを介して、大地を掘るなと後の世代に警告を発していたのかもしれません。

 実際に現地で古老から話を聞き、米谷健+ジュリア氏はこれを作品化しました。ウランガラスを使って制作された巨大アリは、伝えられる通り、暗闇では緑色に発色しています。暗闇で光る緑色は美しくもあり、妖しくもあります。それは、得体の知れない力を感じさせられるからでしょうか。

 このように、健+ジュリア氏は巨大アリをウランガラスで制作し、暗闇の空間に配置することで、アボリジニのドリーミングを再現し、現代社会のドリーミングとして再生させたのです。

《クリスタルパレス:万原子力発電国産業製作品大博覧会》2013年制作

 福島原発事故の後、制作開始され、2013年に完成したのが、《クリスタルパレス:万原子力発電国産業製作品大博覧会》という作品です。

こちら → http://kenandjuliayonetani.com/ja/sakuhin/crystalpalace/

 ウランガラス、シャンデリアフレーム、ブラックライトなどを素材としたインスタレーションです。それぞれサイズの異なるシャンデリア31個で構成されています。 

 モチーフとなったシャンデリアは豪華で輝かしく、モダニティの象徴ともいえるものでした。形や大きさの違いこそあれ、どれも一様に、暗闇では緑色に輝きますから、壮観といえば、壮観です。

 興味深いのは、これらのシャンデリアは、それぞれ、原発保有国の国名をつけられ、その国の原発から作り出される電力の総出力規模に応じたサイズで制作されていることでした。どの国がどれぐらいの量の原子力発電を行っているかが可視化されているのです。

 一方、この作品のタイトルもまた、いかにも、いわくありげな《クリスタルパレス:万原子力発電国産業製作品大博覧会》です。クリスタルパレスとは、1851年にロンドンで開催された第1回万国博覧会の会場となったガラス張りの建物のことですが、それにちなんでこの作品のタイトルが付けられたといいます。

 調べてみると、確かに、第1回万国博覧会はこのクリスタルパレスで開催されていました。蒸気機関に端を発した産業革命は、イギリスで発祥した石炭利用によるエネルギー革命でした。その後、エネルギー源は石油、原子力、太陽光、風力、地熱、水素など多様になっていきますが、推移の方向としては、資源の枯渇、温暖化などへの懸念から、化石燃料から再生可能燃料へ変化といえるでしょう。

 いずれにしても、現代社会への大きな転換期はこのイギリスで発祥した産業革命だったのです。

 さて、タイトルのコロンの後は、「万原子力発電国産業製作品大博覧会」です。「万国博覧会」をもじり、「国」を「原子力発電国産業製作品」に置き換えています。福島原発事故が起こってもなお、原発をエネルギー源にしている原発所有国を取り上げ、その産業製作品の博覧会という体を取っているのです。

 産業製作品として、華美で豪華なイメージのあるシャンデリアを選び、インスタレーション作品のモチーフとしています。産業革命は人々を伝統社会の枠組みから徐々に解放し、産業化の進行とともに消費社会に誘導していきましたが、奢侈品であるシャンデリアはコマーシャリズムの象徴として捉えることもできます。

原発事故後10年、これからどういう世界に向かうのか

 産業革命以来、石炭から、石油、原子力、天然ガス等多様な電源利用へと推移して、現在に至っています。すでに化石燃料は温暖化の原因であり、枯渇の可能性も指摘されています。電力の安定供給という側面からは原子力利用も当面は捨てきれませんが、放射能汚染の危険が常に付きまといます。

 早急に再生可能性エネルギーに変換していかなければならないのですが、冒頭でもいいましたように、いまだに2割は原子力を使わざるを得ないというのが現状です。

 2021年6月30日、経産省がエネルギー基本計画に将来、原子力発電所の建て替えを盛らない方向で調整に入ったと報道されました。

こちら → https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA0176A0R00C21A6000000/

 2014年のエネルギー基本計画で原発建て替えの表現を削除して以来、建て替え、新設、増設の判断は先送りされたままです。脱炭素の方向を打ち出したにもかかわらず、原発政策に関しては空白状態が続いているのです。

 危険を承知し、災禍を予測しながら、判断を先送りすることの無責任さには言葉を失ってしまいます。いつから日本の行政はこうなってしまったのか・・・。

 はたして、どうすればいいのでしょうか。

 今回、米谷健+ジュリア氏のアーティストトークに参加して、アボリジニがドリーミングを通してウランの危険性を警告していたことを知りました。大変、興味深く思う反面、私たちは豊かさ、便利さと引き換えに何を失ってしまったのかと自問せざるをえませんでした。

 オーストラリア国立大学では学部生に対し「Socially Engaged Art」というコースを設け、アートの社会実践を行っているといいます。アート作品は、展示され、鑑賞されて完結するものではなく、参加者との対話や相互作用を通し、新たな地平を築き上げることに作品としての価値を置くというものです。

 米谷健+ジュリア氏の作品を見てきました。いずれも参加者との相互作用を目的に、社会を考え、環境を問いかける仕掛けが秀逸でした。新しい現代アートの在り方を垣間見たような気がしました。(2021年6月30日 香取淳子)

「World Exhibition 2021」:作品と作家が抱える文化

■World Exhibition 2021の開催

 2021年4月29日、豊洲シビックセンター1Fギャラリーで開催された「World Exhibition 2021」に行ってきました。豊洲駅から徒歩1分、とてもアクセスのいい展示場で、授賞式に合わせて着いてみると、すでに何人か来ておられました。

 この展覧会の主催はAsian Artists Network(代表:山田陽子氏)、共催がアートスペース銀座ワン、後援が外務省/国際機関日本アセアンセンターです。外務省やアセアンセンターが後援者になっているので、気になって、案内ハガキを見ると、出品者は56名、そのうち、アジアからの出品者は18名でした。どうやら美術を通してアジアとの交流を図る展覧会のようです。

 会場では、油彩、アクリル、水彩、切り絵、オブジェなど様々なジャンルの作品が展示されていました。画材が違えば、手法も違う多様な作品を前にして、審査も難しかったのではないかと思いますが、当日14:00から、受賞者の発表、美術評論家の清水康友氏によるギャラリートークが行われました。

 受賞者はグランプリが片岡真梨奈氏、準グランプリが如月夕子氏といちまるのり氏、そして、特別準グランプリとして、momomi sato氏が受賞されました。

 事前に展示作品を一覧していましたが、受賞作品は私が好印象を抱いた作品ばかりでした。いずれも画法や画題、視点などが新鮮で、意欲的な姿勢が感じられます。もっとも、会場には、受賞しなかったけれども、印象に残る作品がいくつかありました。

 そこで今回は、①グランプリ受賞者の作品、②受賞はしなかったけれども印象に残った作品、③アジアの作家の中で印象に残った作品を見ていくことにしたいと思います。この展覧会では、作品概要としてサイズ、制作年などは書かれていませんでしたので、ここでは作家名とタイトルだけを記します。

■グランプリ受賞者の作品

 グランプリを受賞した片岡真梨奈氏は受賞作品以外にも出品されていました。これら2作品を見ると、片岡氏のスタイルはすでに出来上がっていて、独自の表現世界が築かれているように思えました。とても印象深く、しかも、快さの残る作品でした。まず、受賞作品から見ていくことにしましょう。

●片岡真梨奈氏《待ち合わせ》

 2枚のカンヴァスが、位置をややずらして繋げられ、一つの作品として構成されています。下のカンヴァスはペールベージュを基調に、上は白を基調にした色調でまとめられています。いずれも色彩のバランスが快く、優しい落ち着きが感じられます。

 一見、別々の絵が2枚、繋ぎ合わされているかのように見えますが、実は、上と下のモチーフは繋がっており、一つの光景が描かれています。

 下の絵には女性が道路際で立っている姿が描かれています。肩をすくめ、所在なげに佇んでいます。これがメインモチーフなのでしょう。待ち合わせをしているのに、その人はまだやって来ない、そんな時のちょっと不安な心情が、ペールベージュを基調とした画面に的確に表現されています。

 女性の傍らには歪んだ郵便ポストのようなものがあります。おそらく、これを目印にして待ち合わせているのでしょう。人気のない道路にただ一人、ぽつねんと立ちすくんだ様子がなにやら寂しげです。

 女性の背後には大きな木が上に伸び、上の絵につながっています。上の絵の地色が白いので、まるで下の絵を覆っていたペールベージュのフィルムを引き剝がしたかのように見えます。

 下の絵と上の絵とは、この大きな立木と背後のマンションとでつなぎ合わされていますが、いずれも歪んで描かれています。まるで台風のときのような強風に煽られ、大きく揺れているかのように見えます。

 上の絵では、葉を落とした枝が大きく揺れ、電線のようなものが何本も空に舞い、その空の真ん中に人形のようなものが描かれています。相当強い風が吹き荒れていることがわかります。ところが、不思議なことに、同じ光景のはずなのに、下の絵はそれほどでもありません。荒れているように見える上の絵は、ひょっとしたら、待っている女性の心象風景なのかもしれません。

 やや引き下がって、全体を見てみると、画面上に直線は一つもなく、かといって整った曲線というものもありません。あらゆる線はすべて不揃いに曲がりくねり、デコボコしています。道路標識、排水溝、郵便ポスト、センターライン、建物、塀、ステイコーンなど、本来まっすぐなはずの線や円がそうではなく、不定形で捉えられているのです。

 不揃いで、デコボコの線でモチーフが形作られているのがこの作品の特徴の一つです。そのせいか、画面全体からは柔らかく、優しく、ユーモラスな印象を受けました。陰影もなく、イラストのようなフラットな描き方の中に、自然の息遣いと和らぎを感じたのです。ふと、誰か忘れましたが、自然界に直線はないと言っていたことを思い出しました。

 一方、人工的な建物、塀、道路のセンターラインなど、本来、直線であるべき箇所も同じように歪んで描かれているので、不安感、あるいは、不全感といったようなものも感じられます。いってみれば、現代人の多くが抱え持っている心情が感じられたのです。

 片岡氏独特の描き方によって、日常的な光景を画題としながら、現代社会の日常に潜む不安が浮き彫りにされています。素晴らしいと思いました。この作品はアクリルで制作されています。

 会場を見て回ると、片岡氏はもう一つ、出品されていました。《あの子の/The child》というタイトルの作品です。

●片岡真梨奈氏《あの子の/The child》

 まるでイラストのようなフラットな描き方、歪んでデコボコのある輪郭線、調和のとれた色彩など、先ほど、ご紹介した《待ち合わせ》と似た特徴を備えています。この作品もアクリルで制作されています。

 落ち着いた赤と黄土色、これは夕焼けをイメージさせる色彩です。それに、夕闇をイメージさせるやや暖色がかった黒を射し色として加え、この三色で画面は構成されていました。色数が少ないにもかかわらず、詩情豊かな世界が表現されています。

 子どもにとって、夕焼け時といえば、外遊びをやめて、家に帰らなければならない時刻です。それを惜しむかのように、帽子をかぶった子どもが、画面の中央右側に佇んでいます。その後ろには影が長く伸びています。やや間をおいて、左の方にももう一人、小さな子どもの姿が見えます。この子どもの背後にも影が描かれています。

 よく見ると、さまざまなモチーフすべてに長く伸びる影が描かれています。そのせいか、画面全体から寂寥感が漂ってきます。遊び疲れて陽が沈む、誰もが子どものころ経験したあの寂寥感です。何気ない日常の光景を描きながら、観客を画面に引き寄せる魅力を持った作品でした。

■受賞しなかったけれども、印象に残った作品

●ワッレン真由氏《Big Kiss》

 会場を一覧した際、真っ先に目に飛び込んできたのが、この作品でした。

 画面からはみ出しそうに見えるほど大きく、子どもの顔が描かれています。唇を大きく突き出し、甘えるように見つめる視線に引き込まれます。子どもがふとした瞬間に、親密な相手にだけ見せる表情が生き生きと捉えられていました。

 わずかに見える背景も、子どもが来ている服も、この表情を活かすかのように、顔色と同系色でまとめられています。タッチは荒く、パステルか何かでさっとスケッチしたような印象ですが、実際は油彩とアクリルで制作されていました。

 おそらく、このような描き方だからこそ、子どもの一瞬の表情が捉えられているのでしょう。素朴でありながら、訴求力が強く、絵画が持つ原初的な力を見せつけられたような気がしました。

 ワッレン真由氏はもう一つ、作品を出品されていました。《Funny Face》です。

●ワッレン真由氏《Funny Face》

 先ほどの作品と同じような手法で、子どもの表情が捉えられています。こちらも子どもの瞬間の表情がスケッチ風に描かれています。

 画面いっぱいに、子どもが目を大きく見開き、両手で頬を突いている姿が描かれています。圧迫されたせいで、頬は歪み、それに合わせて唇がとがったように突き出ています。先ほどの《Big Kiss》と同じような恰好で唇が突き出ているのですが、こちらは頬が圧迫された結果なのです。多少は痛みもあるのでしょうか、子どもの目の表情が硬いのが気になります。

 《Big Kiss》の場合、明らかに子どもが自発的に見せた表情ですが、《Funny Face》の場合、「やってごらん」といわれて、子どもが無理やり両の拳で頬を突き、その圧力で現れた歪んだ表情です。目の表情が硬くなるのも当然でしょう。この画面からは「Funny」よりむしろ、「強制」のに文字が浮き上がってきます。

 ヒトの顔のインパクトが強いのは、多くの情報がその中に含まれているからだと思います。通常、観客はなによりもまず、ヒトの顔を注視し、無意識のうちに、その表情から情報を読み取り、その結果を総合的に判断します。ですから、時に、作家の意図とは違う反応を示してしまいます。《Big Kiss》ほど、この作品に引き込まれなかったのは、この目の表情のせいでした。

 さて、この会場の約32%はアジアからの出品者でした。印象に残った作品をご紹介していくことにしましょう。

■アジアの作家の中で印象に残った作品

●Le Than Thu氏の作品《Woman》

 描き方に特徴があったので、この作品の前で足を止めました。作者のLe Than Thu氏はベトナムの出身です。

 ベトナムのホーチミン市を訪れた際、このような描き方の作品を見たことがあります。絵具を厚く塗り、ナイフで適宜、削っていく方法です。一見、荒っぽく見えますが、さまざまな色を重ね、削って陰影を出し、女性ならではの微妙な表情が表現されています。とても繊細な仕上がりの作品になっていると思いました。

 背景や顔面の要所、要所に配された青系の色調が、この女性に都会的で洗練されたイメージを付加しています。憂いを含み、儚げな美しさが印象に残ります。この作品は紙を支持体にアクリルで制作されています。

●Wai Oo Mon氏《The Corridor》

 会場を一覧した際、陽射しの描き方に惹かれ、この作品に見入ってしまいました。タイトルは《The Corridor》、作者のWai Oo Mon氏はミャンマーの出身です。

 ミャンマーには行ったことがないのですが、ベトナムに行った際、ハノイでこのような建物を見かけました。長い廊下に射しこむ陽光が的確に捉えられています。モチーフの配置と構図が素晴らしいと思いました。

 手前から画面の中ほどまで、強い陽射しを受けた木々の葉影が描かれています。そこから先は廊下に葉陰がなく、歩く女性の右肩やスタートに光が当たっている様子が白色で表現されています。廊下の突き当りには木があり、その葉が陽光に照らし出され、明るくきらめいています。

 何気ない日常の光景を捉えているだけなのに、この作品には、見飽きることのない力がありました。

 たとえば、女性が歩く幅広で天井の高い廊下には、暑さを遮断するための、現地の人々の生きる知恵と生活文化が感じられます。文化と気候、歴史が感じられる奥深い作品でした。この作品はカンヴァスに油彩で制作されています。

●Aung Thu氏《Waiting》

 透明感のある色彩の柔らかさに惹かれ、この作品の前で足を止めました。《Waiting》というタイトルの作品です。作者はAung Thu氏、ミャンマーの出身です。

 誰が大切な人を待っているのでしょう。女性が髪に花を挿し、ベンチに座っています。背後の木の幹や枝の表現が、なんと詩情豊かに、美しく描かれているのでしょう。木の幹や枝など普段、気にもとめないのですが、これほど情感たっぷりに描かれると、見入ってしまわざるをえません。まるで、この木が主人公のようです。

 右側の木の幹、正面の建物、左下の大きな影、いずれも画面の中で大きな面積を占めている箇所です。それが紫色でまとめられているのです。そのせいで、木々の葉や草、女性の衣服などが柔らかく、爽やかに見えます。

 目では捉えられない、風や気温といったものが、この作品では柔らかい色彩を組み合わせて、表現されています。うだるような暑さの中、そっと気持ちのいい風が葉陰から吹いてくるのさえ感じられます。見ていると、気持ちが和み、幸せな気分になってきます。透明水彩の特徴を活かした描き方で、清涼感が感じられます。この作品は水彩で制作されました。

●溝口赫舎里氏《満洲魂》

 会場を一覧した際、気持ちの奥深く訴えかけてくるものがあると感じられたのが、この作品でした。作者は溝口赫舎里氏、中国の出身です。

 何の花でしょうか。まるで深海の底で花開いたかのような趣があります。海をイメージさせる群青色が基調になっているせいでしょうか。

 画面上方に、群青色の泡のようなものが無数に描かれています。ダイバーが吐き出す呼気にも見えます。この無数の泡のようなものには、上方に向けての動きが見られ、そこに生命の営みが感じられます。とはいえ、画面の中に他の生命体は見当たらず、この花だけが一群となって咲いています。

 花弁の先が白で強調され、花芯が金で表現されています。一群の白い花の中央は金色の花粉のようなものが散らばり、花はぼやけています。そこを中心に、辺り一帯から沸き立つように、金色の花粉のようなものが立ち上り、上方に向かっています。

 一体何が描かれているのでしょうか。ヒントを求めて、タイトルを見ると、《満洲魂》と書かれています。

 調べてみると、満洲族は清朝を起こし、栄華をきわめた後、現在は55を数える少数民族の一つとして、中華人民共和国に属しています。国政調査によると、2010年時点で人口は1038万人だそうです。かつて支配階級として繁栄を誇っただけに、いまなお満洲魂への想いは篤いのでしょう。は脈々と受け継がれているのでしょう。

 Wikipediaによると、満州族の教育水準は高く、人口1万人当たりの大学進学者数は1652.2人、中国平均は139.0人、漢族平均は143.1人です。満州族の教育水準がいかに高いかがわかります。そのせいか、満州族は固有の文化を失いながらも、民族意識はとても高いといわれているそうです。

 このような満州族の置かれた背景を知ったうえで、この作品をみると、改めて、この作品の奥深さがわかってくるような気がします。溝口赫舎里氏は《満洲魂》というタイトルで、この作品を制作しました。まさに魂を画面に入れ込んだのです。

 画面には、ダイバーが潜行できないほど深いところで、人知れず、ひっそりと咲いている一群の花が描かれています。深い悲しみも喜びも何もかも、一切合切を内に秘め、花として結実させている様子がうかがえます。一群の花の姿がたとえようもなく儚く、そして、健気でした。そのことに胸を突かれる思いがしました。

 民族の歴史を背負い、それを昇華し、芸術作品として仕上げていることに感銘したのです。やがて闇は晴れ、一群の花が地上で咲くときが来るにちがいないと思わずにはいられません。

■絵画を通してみたアジアの過去、現在、未来

 56人の作家の展示作品ざっと見て、深く印象に残った作品をご紹介してきました。①グランプリ受賞作品、②受賞しなかったけれども印象深い作品、③アジアの作家の印象に残った作品、等々です。作家の来歴もわからないまま、作品を見てきましたが、個々の画面には、アジアの画家たちの過去、現在、未来が色濃く反映されているように思えました。

 たとえば、片岡真梨奈氏の作品は、陰影もグラデーションもなく、輪郭線とマットな色遣いでモチーフが表現されていました。平面的な描き方のせいか、イラストのような味わいがあって、すべてがフラット化している現代社会の片鱗を感じさせられました。

 このような作品は、現代社会の潮流を皮膚感覚で受け止められる若者でなければ表現できないでしょう。すべてがデジタル化し、フラット化していく現代から未来にかけての文化を、この作品から読み取ることができます。

 ワッレン真由氏の作品は、スケッチ風に子どもの顔が画面いっぱいに表現されており、インパクトがありました。一瞬のヒトの表情を捉えるにはスケッチ風の粗さがマッチしていたのです。ただ、ヒトの顔は情報量が多く、クローズアップ画面にすると、それだけアラも目立つので注意する必要があると思いました。

 Le Than Thu氏の作品もヒトの顔をモチーフにしていますが、こちらはさまざまな色を重ね、厚塗りした絵具をナイフで削るという手法で描かれています。荒削りな中に、繊細さが感じられ、現代社会特有の都会的で洗練された文化を感じさせられました。

 Wai Oo Mon氏の作品は、技法をしっかりマスターしたうえでモチーフが表現されており、安定感がありました。この作品がいつ制作されたか知りませんが、現在、ミャンマーは大変な状況に置かれています。

 これまでもおそらく、ミャンマーにはさまざまな事変があったのでしょう。そのような社会状況下では、この作品で描かれたような平穏な日常が何よりも大切なのだと思います。そう思って、改めてこの作品を見ると、廊下に射し込む陽光の柔らかさ、突き当りに置かれた木の葉の輝きが丁寧に描かれており、いまさらながら、画題の持つ深淵さに気づかされます。

 Aung Thu氏の作品も同様です。木々や葉の描き方が優しく、気持ちが和みます。強烈なはずの陽光が柔らかい光に置き換えられ、透明水彩の特徴を活かしながら、平穏な日常生活の大切さが訴えられているような気がします。

 そして、溝口赫舎里氏の作品からは、失った文化への哀惜が感じられます。群青色を基調とした画面から、深く沈潜せざるをえない文化が表現されているように思えました。一方、花の中心一体は金粉が散らされて明るく輝き、やがては復活するという願いが込められているように見えます。

 会場にはこれ以外にさまざまな作品が展示されていました。伝統的技法で表現された作品もあれば、新たな表現世界を求めて技法や色遣いに工夫を凝らしている作品もありました。

 なにしろ出品者の32%がアジアの作家だったのです。それだけに、作品の端々に作家が生きた時代や社会の文化が顔をのぞかせており、とても興味深い展覧会でした。今後も継続して、このような展覧会が企画されることを期待しています。(2021/05/02 香取淳子)

『ノマドランド』に何を見たか。

■『ノマドランド』

 2021年3月31日、久しぶりに映画でも見ようかと、近くのユナイティッドシネマに行ってきました。何を見るか決めていなかったので、館内のポスターをざっと見渡しましたが、これなら見てみたいと思える作品がなかなか見つかりません。

 今回はやめようと思い、帰りかけたとき、ふと、ホール内でデモ映像が流されているのに気づきました。32インチTVサイズのスクリーンには、外国人の少女が映し出されています。

 立ち止まって画面をみると、つぶらな瞳の少女のアップ画面の下に、「先生はホームレスなの?」という字幕が表示されています。聞かれた高齢女性は一瞬、間を置き、画面には、“ハウスレス”と字幕が表示されました。これを見た途端、ようやく、見たい映画が決まりました。

 映画のタイトルは、『ノマドランド』(Nomadland)です。

 久しぶりに見応えのある映画に出会いました。見終えてもしばらくは気持ちを整理できず、『ノマドランド』の世界に浸っていたほどです。映画館を出ると、外は別世界に見え、帰宅途上、エンドロールで流れていたウエスタン調の音楽がいつまでも耳でこだましていました。

 深く、清々しく心に響き、何か考えさせられるものがあったのです。

 見始めても、ストーリーにメリハリはなく、主人公や登場人物に魅力があるわけでもありません。もちろん、なにか事件が起こり、観客をハラハラ、ドキドキさせて画面に引き込もうとする仕掛けもありませんでした。

 人によっては、つまらないと思ったかもしれません。

 どちらかといえば、ドキュメンタリーのように、淡々と事実に沿って展開されていきます。ところが、ノマドを取り上げながら、興味本位の姿勢で追っているわけではなく、安直に社会問題化しようともしておらず、観客の興味関心を引こうとする姿勢がどこにも見当たらなかったのです。

 それなのに、私は見終えた時、この映画が創り上げた世界に引きずり込まれていました。いったい、何故なのでしょうか。

 帰宅後、ネットで調べてみると、監督は北京生まれでアメリカ在住のクロエ・ジャオ(Chloe Zhao)氏でした。この映画は、2017年に出版されたノンフィクション『ノマド:漂流する高齢労働者たち』(著者:Jessica Bruder)を原作に、2020年にアメリカで製作された108分の作品でした。

 再び、ネットで調べてみると、映画館のデモ映像で見たあのシーンを含む予告映像が見つかりました。2分15秒ほどの映像ですが、この映画を端的に知ることが出来ます。さっそく、ご紹介しましょう。

こちら → https://searchlightpictures.jp/movie/nomadland/video.html

(開始後38秒目ぐらいで、あのシーンになります)

 日本では3月26日に公開されたばかりでしたが、この映画は2020年にアメリカで製作されており、冒頭の字幕で紹介されているように、すでに欧米で数々の賞を受賞しているようです。

 それでは、この予告映像を見ながら、キーとなる映像を紹介し、私がなぜ、108分もの長い間、この映画の世界に引き込まれてしまったのかを考えてみたいと思います。

■キーとなる映像

 冒頭のシーンです。もうすぐ闇に包み込まれていこうとする夕刻が、荒涼とした風景の中で、「引き」の構図で捉えられています。左にうっすらと白いバンが見えます。ドアが開き、その先の方に人がいるようですが、はっきりしません。圧倒される荒野の夕刻が、どこまでも広がっているだけです。

(予告映像より。)

 やがて、カメラは、女性が一人で佇んでいる姿を、バストショットで捉えます。

(予告映像より。顔がぼやけていますが、ご了承を。)

 背後には白い車があり、風のふぶく音がずっと聞こえてきます。その間、セリフはなく、観客はひたすら、この広大な荒野の映像と風のふぶく音が創り上げる世界に曝されます。言葉ではなく、聴覚と視覚だけが刺激され、観客に感覚的な理解を促しているかのようでした。

■聴覚と視覚への刺激

 このシーンで感じさせられるのは、広大な荒野がもたらす寂寥感と、ヒトの孤独です。暮れなずむ夕刻の寂寥感と一人佇む女性の孤独とが重なり合って、観客の中の原初的な感覚が呼び覚まされていきます。

 まだ言葉にはならない情感がふつふつとかき立てられていきます。その情感を踏まえ、画面からなんらかのメッセージを読み取り、そこに詩情すら感じられるようになると、観客はすでにこの映画に感情移入して見ていることになります。

 セリフに依存せず、映像と音声だけで観客を力強く、画面に引き付けていくのです。セリフがないだけに、意識レベルよりも深いところが刺激されます。やがて、呼び覚まされた原初的感覚が記憶され、蓄積されていきます。

 なにもこのシーンに限りません。

 この種のシーンが随所に挿入されており、その都度、観客はヒトとしての原初的な感覚が呼び覚まされていきます。つまり、一種のキー映像となって、この映画全体の基調を創っているのです。

 もう一つ、ご紹介しておきましょう。

(公式サイトより)

 やはり、夕刻です。まだ明るさが残り、ピンク色の雲がすーっと長く尾を引いて、広がっています。どこまでも広がる大空の下、ファーンがランタンを持って歩いています。ファーンの姿はシルエットになって、ランタンから放たれる光が、スカートの腰下をぼんやりと照らし出しています。

 幾筋も広がるピンク色の雲とランタンの光とが見事に呼応し、画面を引き締めています。この瞬間でしか見られない、美しい光景が捉えられていました。

 映画を見ている最中は気づきませんでしたが、こうして静止してみると、改めてその美しさがわかります。自然の美しさと同時に、ヒトの美しさも捉えられていたのです。

 このようなキー映像が要所、要所に挿入されていました。観客はそれを見るたび、深く、静かに気持ちが揺さぶられます。すでに冒頭のシーンから、観客は意識下で感覚をわしづかみにされていたのです。

 人の心の奥深く、入り込んでしまうこの種の映像が作用し、観客は画面に引き込まれて見ていたのではないかという気がします。

 セリフによって意識に訴えるのではなく、自然の光景と音声とによって意識下に訴えられたからこそ、深いところで観客の気持ちを捉えることができたのでしょう。外在的要素(セリフ)ではなく、内在的要素(感覚)に訴えかける手法が功を奏したといえます。

 もちろん、言葉も大きな役割を果たしていました。この作品のキーとなるセリフを、予告映像の中からいくつか拾ってみましょう。

■キーとなるセリフ

 先ほど、ご紹介した予告映像に、この作品を組み立てているいくつかのキーとなるセリフがありました。予告映像には含まれていないシーンもいくつかありましたので、実際の映画の展開とは多少、異なります。とりあえず、ご紹介していきましょう。

●ノマド

 ファーンは、同世代に見える女性から、「あなたはどこへでも行ける、あなたみたいな人は放浪の民(ノマド)と呼ばれる」といわれます。

(予告映像より)

 眼鏡をかけたこの女性は定住し、安心と安全を手に入れて暮らしているのでしょう。その言葉には、半ば嫉みに近い感情と侮りのようなものが感じられます。ファーンは、「そうね」と答え、その見解を静かに受け入れているようでした。

 ノマドの生き方をもう少し、肯定的に捉えているのが、ファーンの姉でした。彼女は、「ノマドの生き方って、昔の開拓者みたいじゃない? ある意味、アメリカの伝統よ」といいます。

(予告映像より)

 久しぶりに戻って来たファーンを迎えたパーティの席上、彼女はノマドの生き方を肯定するような発言をし、ファーンを擁護します。もはやファーンの生き方を変えることはできないと諦めていたからかもしれません。

 いずれにせよ、定住していないか、そうでないか、家があるのか、ないのか、多くの人々にとって、重要な判断材料になります。多くの場合、それは差別にもつながりかねないのですが、実は、生き方の問題なのです。

●ホームレスではなく、ただのハウスレス

 スーパーで出会ったかつての教え子から、「先生はホームレスになったの」と聞かれ、ファーンは「ホームレスではなく、ハウスレス」と強調します。

(予告映像より)

 さらに、ホームレスとハウスレスとは「別物よ」と念を押し、「わかった?」と確認します。

 家がないことと家庭がないこととは違うのだとかつての教え子に言い含めるのです。このシーンでは、家がなく、定住できない人々を低く見る風潮に対するファーンの反発が感じられます。

 このシーンの後、ファーンの来歴がナレーションと字幕によって、明らかにされます。

 夫はUSジプサム社の社員で、ファーンは代用教員でした。それがリーマンショックで会社が倒産して社宅を追い出され、夫も亡くなってしまいました。住む場を失ったファーンは、それでもその地を離れず、バンに住み、ノマドとして生きることを選んだのです。

 ファーンにしてみれば、ノマドはホームレスではなく、家がなくて定住しない生き方なのだと教え子に言いたかったのでしょう。家はなくても、家庭は心の中にあり、それを大切にするため、定住しないことを選択したのだということを・・・。

●働きたい、仕事をしたい

 ファーンの生活が苦しいのは事実でした。福祉スタッフから、「今は厳しいわ。年金の早期受給の申請をしてみたら・・・?」と薦められるほどです。

(予告映像より)

 そう言われたファーンは即座に断り、「働きたいの、仕事がしたいの」といいます。

 まず、自助を優先するところに、ノマドとしての気概が感じられます。もちろん、働けば、生活費が得られるだけではなく、そこで友達もできます。

 アマゾン発送センターで働いていた時、出会ったのが、リンダでした。その後も季節労働者として共に働き、時にはともにフェイスケアをしたりします。

(予告映像より)

 フェイスシートを顔に載せ、寝椅子でくつろぐファーンとリンダです。過酷な労働の合間のリラックスシーンといえます。彼女たちは生き方としてノマドを選びながらも、定住していた時の身だしなみやエチケットを決して忘れていないことが強く印象づけられます。見ていて、歩っとさせられるシーンでした。

 このシーンが挿入されることによって、この映画が社会派ドキュメンタリーになることが回避されています。

 ある時、リンダはRTR(ノマドたちの非営利組織)の集会に参加しないかと誘います。最初は渋っていたファーンですが、決意して行ってみて、ファーンはさまざまなノマドと出会います。

●思い出は生き続ける

 映画が終わりに近づいたころ、「昔、父が言っていた。思い出は生き続けるって。でも、私の場合、思い出を引きずり過ぎたかも」とファーンは言います。それまで明らかにしなかったノマドとして生きる理由を、ファーンはボブ(RTRのリーダー)に明かすのです。

 ボブもまた自身を語り、「この生き方が好きなのは、最後の“さよなら”がないんだ」と言います。このセリフに、ファーンが亡くなった夫の写真を手に持つシーンが被ります。

(予告映像より)

 二人のやり取りの中から、ファーンがいつまでも夫の思い出を引きずり、寒冷地でノマドとして生きる道を選んだことが明らかになります。

●また路上で会おう

 ボブもまた自身を語り、「何百人ものノマドと出会ったが、一度も“さよなら”とはいわなかった」といいます。このセリフに、亡くなったスワンキーとファーンが、ゆっくりと歩くシーンが挿入されます。やはり、暗闇になる直前の夕刻でした。

(予告映像より)

 それにしても、なんと象徴的な映像なのでしょう。シルエットになったファーンの背後の空はオレンジ系の色で、スワンキーの背後の空は濃いブルーでした。自然界の移ろいを巧みに捉え、生きている者、亡くなった者をシンボリックに表現しているのです。

 ボブが出会ってきた何百人もの中に、ファーンやスワンキーがいます。そのうちスワンキーはすでにこの世の人ではありません。でも、別れ際に「さよなら」とはいっていないので、また、いつかどこかで会えるでしょうというのが、ボブの生き方です。

 ボブはどのノマドに対しても、「私はただ、また路上で会おう」と言ってきたといいます。そして、ボブの顔がアップになり、「実際、そうなる。また会える」と確信に満ちた表情で言うシーンに変わります。

(予告映像より)

 別れても、路上でまた会えるということを確信できるからこそ、ボブは人を信じて生きてこられたといいます。確かに、たとえ、亡くなったとしても、思い出の中ではまた会えるのです。

 ボブは、「だから、私は信じていられる」と言葉を続けます。

 そして、画面は、ファーンが生まれたばかりの赤ちゃんを抱くシーンになります。ノマド仲間のデイブの孫です。

(予告映像より)

 デイブは息子の家族と同居することを決めた時、ファーンに一緒に来ないかと誘います。このまま一人でノマドとして生きていこうとしているファーンを心配していたのです。だから、別れ際に、是非、遊びに来てと伝えていたのです。

 訪れてきたファーンに、デイブはわざと赤ん坊を押し付け、部屋を出ていきます。ファーンに抱かれて無心に眠る赤ん坊の姿を映し出した映像に、ボブの「だから、私は信じていられる」というセリフが表示されるのです。

 見ず知らずのファーンに抱かれているのに、安心しきって眠る赤ん坊の姿は、生きることは他人への信頼から始まることということを示唆しています。そのシーンにボブのセリフが被り、「信頼」という言葉が、時間空間の広がりの中で捉えられているのです。さり気ない日常のシーンでありながら、哲学的なインプリケーションがあります。

 観客としては、このとき、ファーンは自分の生き方について考えてみたのではないかと思わずにはいられませんでした。

 それでは、映画の骨格を形成しているストーリー構造をみていくことにしましょう。

■ストーリー構成

 この映画は三幕構成で組み立てられていました。順に見ていくことにしましょう。

●第1幕

 冒頭からRTRの集会までが、第1幕に相当します。

 冒頭、荒涼とした風景の中で、一人佇む高齢の女性が登場します。片隅に小さなバンが見えます。その車が雪の残る荒野を縫う道路を進んでいきます。運転する女性が大写しになり、「あなたはどこへでも移動できる」という字幕が表示されます。この映画を象徴するシーンの一つです。ノマドとして生きることを選択した60代の女性ファーンがこの映画の主人公です。

 荒野を駆けるバンを後ろから撮影したシーンはいくつか出てきます。いずれも荒涼とした風景を背景に、一台だけ走る姿が、背後から捉えられているのが印象的でした。たとえば、次のようなシーンがあります。

(公式サイトより)

 緑のない砂山のような丘陵が眼前に迫っています。周囲は草木のない荒野が広がり、ヒトが生きていく場としての過酷さが感じられます。さらに、横長の大画面がこの風景に寂寥感を添えています。

 冒頭の数シーンで表現されているように、ノマドにはどこへでも移動できて、何者にも束縛されない自由があります。その反面、安全を保障されているわけではなく、不便で、過酷な生活を強いられます。そして、定住している人々からは「放浪の民(ノマド)」といわれ、ともすれば、差別的に見られがちです。

 つぶらな瞳の少女が登場し、そのアップ画面の下に、「先生はホームレスになったの?」という字幕が表示されます。

(予告映像より)

 ファーンはスーパーでかつての教え子に出会いました。

 一瞬、間をおいて、「No, I’m just houseless」とファーンは答え、画面には、“ハウスレス”と字幕が表示されます。ファーンは言葉を継いで、少女に、「Are they the same thing, right?」と尋ね、少女が「No」と答えると、満足したような表情でうなずきます。

 この映画の主人公ファーンは、USジプサム社の社員だった夫がリーマンショックで会社が倒産後に死亡して家を失い、バンで暮らしながら生活している60代の女性です。

 かつては代用教員をしていたのに、いまでは、アマゾンの発送センターの作業、ビルの清掃、ファミレスでの皿洗いなどの賃仕事クをして、日銭を稼ぎ、出費を切り詰めて生活しています。

 ノマドとして生きることがいかに大変か。たとえば、アマゾンの仕事がなくなれば、生活費が途絶えるだけではなく、駐車場も使えなくなります。仕事探しはもちろんのこと、まずはバンを駐車できる場所から探さなければなりません。

 あまりに厳しい生活ぶりを知った福祉スタッフはファーンに、年金の早期受給申請を勧めます。ところが、彼女はそれを断り、「私は働きたい、仕事をしたいの」と訴えます。このシーンでは、できる限り、自立して生きていきたいというファーンの心根が示されています。

 他人に頼ることを拒み、あくまでも自立して生きていこうとするファーンに、アマゾンでの仕事仲間のリンダは、ノマドの集会に参加してみないかと誘いかけます。

 ここまでが第1幕です。主人公の置かれた環境、来歴、そして、ノマドとして生きることがいかに大変なことか、さまざまなエピソードを通して、的確に示されています。

 ところが、なぜ、ファーンがノマドとして生きているのか、その内面については、この段階ではまだ触れられていません。

●第2幕

 RTRの集会からスワンキーの死までが第2幕です。

 リンダから誘われても、渋っていたファーンは、思い切って、世界最大のノマドたちの集会“RTR(Rubber Tramp Rendezvous)”に参加してみることにしました。すると、そこには様々な理由で、ノマドとしての生活を選んだ人々がいました。

 そのときのシーンがコンパクトに編集され、RTR編として解禁されていました。さっそく、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/u0E7hmyUbUs

 どんよりと曇った大空の下、ファーンは不安そうな表情でRTRの集会に出かけます。リンダを探し当てると、ほっとした表情で彼女の肩を叩きます。振り返ったリンダは「よく、きたわね」と声をかけ、「あれがボブよ」とRTRのリーダー、ボブを指さします。

 そんな二人の様子を見ていた後ろの男性がファーンに椅子を差し出します。さり気ないやり取りの中に、ノマドたちの他人を思いやる心持が見えてきます。そんなちょっとした気持ちのやり取りは、やがて、RTRのリーダー、ボブの演説内容とリンクしていきます。

 画面はRTRのリーダー、ボブ・ウェルズのショルダー・ショットに切り替わり、演説する顔面の表情が映し出されると、その内容が次々と字幕に表示されていきます。

 「我々はドルや市場という独裁者を崇めてきた」

 「貨幣というくびきを自らに巻き付け、それを頼みにして、生きてきた。馬車馬と同じだ」

 「身を粉にして働き、老いたら、野に放たれる。それが今の我々だ」

 「もし、社会が我々を野に放り出すなら、放り出された者たちで助け合うしかない」

 この字幕が表示されたとき、画面は、真剣に聞き入っているファーンのショルダー・ショットに切り替わります。

 その画面のまま、ボブの言葉は続きます。

 そして、「“経済”というタイタニックが沈みかけている」というフレーズが字幕表示された後、カメラはボブの顔を映し出し、「私の目的は、救命ボートを出して、多くの人を救うことだ」と締めくくります。

 演説するボブの言葉を紹介してきましたが、おそらく、それがアメリカ社会の現実なのでしょう。グローバル資本主義経済下では、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなって、格差が広がっています。労働者は、低賃金で働けるだけ働かされて、高齢になると、切って捨てられるというのが実状なのです。

 RTRのリーダー、ボブが言うように、高齢になれば、社会保障も十分ではないまま、職を失い、家を失ってしまいます。そうなれば、バンに住んで、ギグワークを探し、生きていくしか方法はないのです。

 ボブの語る一つ、一つのフレーズが、心に刺さるものでした。自己責任という名の下に搾取され続け、高齢になれば、放り出されるといった現実の中で、ノマドたちは、生きていくために、助け合うしかないのです。

 ボブの演説が終わると、炊き出しのシーンになります。ファーンはリンダと一緒に配給の列に並びますが、そこで出会ったのが、スワンキーでした。

 彼女は腕を怪我しており、食べ物を取り分けることができません。ファーンがそのお手伝いをしています。こうして出会ったその時から、彼女たちの中に、お手伝いをする、されるという関係が生まれていきます。

 パブリカをもっと入れてとか、コリアンダーはダメといったような会話には、家庭の雰囲気を感じさせられます。列を作って順番を待つノマドたちの表情も明るく、なんともいえず穏やかなに見えました。一人ではなく、集っているからこそ、気持ちが安定し、穏やかな表情になるのでしょう。

 路上生活をしていると、一人では解決できない不便なことがいろいろあります。

 たとえば、ファーンに気持ちを許したスワンキーはさっそく、車体の塗装を頼みます。ファーンは快く引き受け、なんとか塗り終えると、スワンキーは「残ったペイントはあげるわ」といい、感謝の気持ちを伝えます。

 こうして、貨幣を介在させない互酬関係が成立するのです。

 個人的な助け合いばかりではありません。RTRの集会に参加すると、ノマドたち共通の課題として、救助の呼び方、タイヤの交換、さらには、車にはGPSを搭載した方がいいといったような生活の知恵を教えてもらえます。

 第2幕では、RTR集会に参加することによって、孤立していたノマドたちも一人ではなく助け合って、共に生きていけるということが示されています。社会から切り離され、絆を断ち切られたとしても、ここに来れば、メンバーの一人だということを確認できるのです。

 さらに、この集会を経て、スワンキーやデイブを絡めたノマドと知り合い、それぞれのサブストーリーが誕生し、第3幕へと誘導されます。

●第3幕

 親しい人が亡くなり、バンが故障するというクライマックスを経て、それでもファーンがノマドとして生きることを選択するまでが描かれます。

 ファーンはRTRの集会で、さまざまなノマドと出会います。たとえば、スワンキーの場合、車体の塗装を頼まれ、やがて、二人の間に友情が生まれていきます。

 ある日、スワンキーは不用品の提供をfacebookで告知し、身の周りを整理しはじめました。このシーンで私はなによりも、高齢のスワンキーがSNSで社会とつながっていることに驚きました。

 定住していなくても、スマホの契約ができるのか、さらには、カード決済ができるのか、日本に住んでいると、そんなことがちょっと気になりましたが、現代のノマドには車とスマホ、パソコンは不可欠なのだと、このシーンを見て納得しました。

 さて、75歳のスワンキーがなぜ身の周りの整理を始めたかといえば、医者から余命7,8カ月だと診断されたからでした。ノマドとして生きてきた彼女ですが、いよいよ、死をどう迎えるかという段階に入っていたのです。

 このまま病院で死を待つのはお断りだと彼女はファンシーにいい、安楽死の方法をいろいろ考えているともいいます。そして、ノマドらしく、さよならといわず、明るくバンに乗って、去っていきました。

 その後、ファーンはスワンキーが亡くなったことを知ります。ノマドの仲間たちは集い、焚火をし、彼女が好きだった石を一人ずつ、投げ込んでいきます。石が好きだったスワンキーが望んだ弔いの儀式でした。

(公式サイトより)

 真ん中にいるのがRTRのリーダーであるボブ・ウェルズ、そして、その隣がデイブです。二人とも両手を組み、沈んだ顔をしています。スワンキーの死によって、誰もが、いつかは迎えなければならない死を考えさせられたのです。

 車とスマホがあり、健康であれば、ノマドとして生活していくことはできます。ところが、その一つでも欠けると、もはやノマドであり続けることはできなくなります。自立して生きることはできず、家族か公的扶助に頼らざるを得なくなります。

 ファーンにもそのような時が訪れました。車が故障したのです。

 ファーンは整備工場に車を持ち込みます。その時のシーンが本編整備工場編として公開されていました。ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/LVR9A7YLsqQ

 車を点検する整備士の様子をファーンは不安そうに見つめています。まるでわが子の回復を願うまなざしでした。

 点検を終えた整備員は、修理代の見積もりとして、2300ドル+税だといいます。そして、この車は走行距離が長くて、市場価格も安い。修理するより、車を買ったらどうかと提案します。

 言われたファーンは「それはできない」と即答します。そして、慌てたように、「時間もお金もかけて改装したから、他人かれ見ればボロ車でも、私には…」と言いかけて、「車に住んでいるのよ、私の家(home)なの」と言い直します。

 ファーンにとってこの車は、壊れたからと言って取り換えることのできない家庭なのです。

 当然のことながら、修理を選択しますが、そのお金がありません。仕方なく、姉に電話し、修理代金を貸してもらうことにしました。姉は久しぶりに会う妹を快く受け入れ、歓迎のパーティを開いてくれます。

 パーティの席上、姉は、「ノマドの生活って、昔の開拓者みたいじゃない。ある意味、アメリカの伝統よ」といい、ファーンの生き方を擁護します。姉の言葉を、ファーンはどれほど複雑な思いで聞いていたのでしょう。

 さて、姉に修理代金を借りることができ、ファーンは再び、ノマドとして路上生活に戻ります。

 ある日、ファーンは息子家族の家で暮らすデイブを訪れました。デイブの家族は総出で歓待してくれました。そして、息子の妻から、デイブが一緒に暮らしたがっていることも聞きます。ひょっとしたら、少しは気持ちが動いたのかもしれません。

 ところが、ファーンはやはりノマドとして生きることを選択します。

 第1幕、第2幕、第3幕とみてくると、この映画のストーリーがきわめて構造的に組み立てられていることがわかります。

 いかにもドキュメンタリー映画のように見えながら、実は、緻密なストーリーによってドラマティックに創り上げられていたのです。だかこそ、一見、つまらないように見えながら、一度も退屈することなく、画面に引き込まれて見ていたのだということがわかります。

 果たして、どのようなスタッフが製作していたのでしょうか。

■製作スタッフ

 最初にいいましたが、この映画の監督はクロエ・ジャオ(Chloe Zhao)氏です。『ザ・ライダー』(2017年、アメリカ製作)で高く評価されています。1982年の北京生まれでアメリカ在住の気鋭の監督です。

こちら → https://eiga.com/person/315968/

『ノマドランド』では、監督・製作はもちろん、脚本・編集も担当しています。

 この映画では、深淵で情感豊かな映像が強く印象に残りましたが、撮影を担当したのは、ジョシュア・ジェームズ・リチャード(Joshua James Richard) 氏 でした。

(公式サイトより)

 主人公のファーンを撮影するジョシュア・リチャーズ氏とクロエ・ジャオ監督です。『Vogue』2021年2月18日号によると、クロエ・ジャオ監督は彼とは私生活でもパートナーで、息の合った仕事ができているそうです。

 さらに、クロエ・ジャオ監督はインタビューに答え、「必ず私がファーストカットを手がけて、それを観て彼は私の編集の方向性を理解してくれるんです。彼は私がどこをカットするかを把握しているので、いちいち彼に伝えなくていいんです」と語っています。

 おそらく、この写真はファーストシーンを撮影していたときのものなのでしょう。

 何をどういう観点で撮るか、どのような光量、ライティングの下で撮るか、映像に美意識が重要なことは言うまでもありませんが、さらに、作品のコンセプトが関わってきます。

 上記のインタビュー内容を考え合わせると、『ノマドランド』で素晴らしい映像を度々、目にすることができたのは、監督と撮影者とが作品コンセプトや視点、美意識を共にしていたからこそ、可能だったといえるでしょう。

 もちろん、俳優にとっても、監督との一体感は必要です。

 『Vanity Fair』(2020年11月11日)の記事によると、ファーンを演じたフランシス・マクドーマンド氏は、2017年に製作された『ライダー』を見て、クロエ・ジャオ監督が完璧だと思ったそうです。

 クロエ・ジャオ監督に惹かれた彼女は、2017年に出版された“Nomadland: Surviving America in the 21st Century” (邦題:『ノマド:漂流する高齢労働者』)の映画化権を購入し、クロエ・ジャオ監督に製作依頼をしたのです。

  主演のフランシス・マクドーマンド氏主導で、この映画が誕生したともいえますが、果たして、フランシス・マクドーマンド(Frances McDormand)氏とはどういう人物なのでしょうか。

 調べてみると、『ファーゴ』、『スリー・ビルボード』などでアカデミー主演女優賞に輝いた、実力派の俳優でした。

こちら → https://eiga.com/person/63036/

 そして、ファーンに心を寄せ、一緒に住まないかと誘いかけたデイブを演じたのが、デヴィッド・ストラザーン(David Strathairn)氏でした。

こちら → https://eiga.com/person/50572/

 驚いたことに、『ノマドランド』の出演者は、ファーンとデイブ以外はすべて俳優ではなく、ノマドをはじめとする協力者たちでした。

 確かに、Wikipediaで、『ノマド:漂流する高齢労働者たち』をチェックしてみると、映画に出演していた俳優以外の人々は、この本で取り上げられた人々でした。リンダ・メイ、シャーリン・スワンスキー、ボブ・ウェルズなど、まるで本物のノマドのように、俳優が迫真の演技をしているのかと思っていましたが、実は、当人たちが画面に登場していたのです。

 彼らは主演のファーンに打ち解けて、すっかり気を許し、素のままでカメラの前に立ち、その生活ぶりを再現していたのです。登場人物が本物なのですから、画面に迫力がでないわけがありません。

■なぜ、『ノマドランド』に引き付けられたのか。

 なんの予備知識もなく、見た映画でした。最初は風景画のような、深淵で詩的な映像に引き付けられただけでした。登場人物に華がなく、ストーリーにもメリハリがなく、漂流して生きざるをえない高齢労働者の日常が描かれているだけのように見えました。

 ファーンという架空の人物が設定されていなければ、ただのドキュメンタリー映画で終わったでしょう。

 どこから、この映画に引き付けられていったかといえば、スーパーでかつての教え子に出会い「先生はホームレスになったの?」と問われたシーンからです。「ホームレスではなく、ハウスレス」ときっぱり言い切るファーンの表情に引き込まれたのです。そして、考えさせられました。

 ホームレスとハウスレスとはどう違うのか?と頭の中で問いかけていたのです。この時、私の脳裡にしっかりと 楔が打ち込まれたといえるでしょう。このシーン以降、セリフに注意して見るようになり、次第に、この映画の奥深さに引き込まれていったのです。

 当初、キーになったのは、このような映像であり、そして、セリフでした。

 やがて、ストーリーが展開していくにつれ、ただの高齢労働者にしか見えなかった登場人物たちが、それぞれの価値観を持ってノマドという生き方を選択し、自立して生きている人々だということに気づいていきます。

 スワンキーの死を知り、バンの故障というクライマックスに至ったとき、さすがのファーンも今度こそは、ノマドとしての生き方を放棄するのかと思いました。ですから、同居の提案があったデイブの元に行くシーンになったとき、それを受け入れるのかと思いました。

 生まれたばかりの赤ん坊を抱いたとき、ファーンには感慨深いものがあったはずです。信頼されていること、未来が感じられること、いずれも生きていく上で欠かせないものです。

 実際、ファーンはデイブの息子家族からも歓待されており、同居しても居心地よく暮らせることは予想できていました。老いて、身寄りのない女性にとって、同居はもっとも望ましい選択でしたから、その可能性は十分、ありました。

 ところが、ファーンはノマドとして一人、路上で生きる道を選択したのです。夫との思い出から抜け出ることができなかったからでした。

■『ノマドランド』に何を見たか。

 最後のシーンが秀逸でした。


(公式サイトより)

 

 岩に砕け散る大波を背景に、ファーンが一人、佇んでいます。その姿に悲壮感はなく、気負いもなく、ただ、貧しくても自由に生きてきたことからくる自負心と落ち着き、そして、悟りのようなものが感じられました。

 このときのファーンの顔には、気高さすら感じられます。自己責任を条件に選択を迫られたのではなく、自らの意思でノマドという生き方を選択した者の潔さがあったのです。

 さて、この映画は、ノマドのエピソードを積み重ねて観客を誘導し、クライマックスに達したかと思うと、さまざまな可能性を示して期待させ、逡巡させ、最終的に、主人公はノマドの生き方を選択するという展開でした。

 ハラハラ・ドキドキの要素はありませんでしたが、事実を踏まえ、構造化されたストーリーに支えられていました。そのおかげで、ノマドの生き方を通して、折々のシーンで、「生きる」ということを考えさせられました。

 アマゾン発送センターやファイスブックなど、現代的要素を巧みに取り入れながら、建物としての家、家族の交流の場としての家庭、そういうものを失った者が辿り着いたノマドという生き方が深刻ぶらずに描かれていたのです。

 グローバル資本主義経済下で生きるということの意味を深く問いかけ、哲学的内容を含んだ見応えのある作品でした。

 とくに、最後のシーンでは、孤高の人、ファーンが最後まで矜持を保って生きてきた姿勢に圧倒されました。このシーンを何回も反芻しながら、これまで自分はどう生きてきて、今度、どう生きようとしているのか、いまなお、問い続けています。観客に内省を迫る映画だといえるでしょう。(2021/04/11 香取淳子)