ヒト、メディア、社会を考える

香取淳子のメディア日誌
このページでは、香取淳子が日常生活の中で見聞きするメディア現象やメディアコンテンツについての雑感を綴っていきます。メディアこそがヒトの感性、美意識、世界観を変え、人々の生活を変容させ、社会を変革していくと考えているからです。また、メディアに限らず、日々の出来事を通して、過去・現在・未来を深く見つめ、メディアの影響の痕跡を追っていきます。


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グローバル化時代、道化師ショコラが今、私たちに語りかけるもの。

■武蔵大學セミナー

 2018年12月19日、武蔵大学で「19世紀末フランスのサーカス世界と越境芸術家たち」というタイトルのセミナーが行われました。「19世紀末フランスのサーカス世界」という文言に引かれ、参加することにしました。講師は人文学部専任講師の舘葉月氏です。

 19世紀末フランスといえば、つい、パリを舞台に華々しく展開された絵画、舞台芸術、文学、音楽、ファッション等に焦点が当てられがちですが、このセミナーでは「フランスのサーカス世界」が取り上げられます。意外な組み合わせが面白く、関心をかき立てられました。果たしてどのようなお話が聞けるのか、興味津々、出かけてみました。

■記憶に残るサーカス

 サーカスは子どもの頃、一度見に行ったことがあるだけです。楽しかったというより、怖かったという印象の方が強かったせいでしょうか。あるいは、底知れない空間に引き込まれてしまいそうな危うさを感じたからでしょうか。不思議な魅力を覚えながらも、私は再び、親にサーカスに行きたいとは言いませんでした。

 記憶に残っているのは、ショーが始まると、次々と登場してくる異様な風体の出演者たちであり、いつ落ちるかとハラハラドキドキしながら見ていた空中ブランコや綱渡りです。どれも子どもの日常生活にはないものばかりでした。高所でブランコをしたり、綱渡りをしたりするなど、子どもの私にしてみれば、想像もできないことでした。

 そして、大人たちが拍手喝采するアクロバットも、子どもの私にしてみればとうていヒトができることとは思えず、むしろ不気味な印象を抱いていました。というのも、当時、子どもたちの間では、サーカスのヒトたちは毎日、お酢をたくさん飲んで体を柔らかくし、厳しい稽古をさせられているから、あんなことができるのだという噂が広まっていたからでした。

 そればかりではありません。当時、私は一人で外に出かけるとき、母親から、「寄り道をしないで帰ってこないと、人攫いに連れていかれて、サーカスに売られてしまうわよ」などと脅されていました。家庭と学校しか知らない私にとって、サーカスは明らかに危険に満ちた異様な世界だったのです。慣れ親しんだ平穏な日常生活とは対極にある異質の空間でした。

■F・フェリーニ監督の「道化師」

 大人になってからF・フェリーニ監督の「道化師」(1970年)をDVDで観ました。映画公開時には観ることができず、後にDVDで観たのですが、ドキュメンタリータッチの映画ですが、フェリーニならではの独特の祝祭空間はしっかりと描出されていました。

 冒頭に続く以下のシーンを見たとき、突如、子どもの頃、サーカスに抱いていた感情を思い出しました。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=-pBSBBbWkSU

 イタリアでも母親は同じようなセリフで子どもを脅しているのだと思い、おかしくなってしまったものです。この映像では冒頭のシーンはカットされていますが、私がとても切ない気持ちになってしまうのは、ロングショットで捉えられた冒頭のシーンです。

 冒頭、子どもの頃のフェリーニが夜、物音で目を覚まし、窓から外を眺めます。暗闇に浮かぶ小さな後ろ姿がいかにも頼りなげです。不安感を抱きながらも好奇心に駆られているのでしょう、窓に顔をつけてじっと外を眺めています。暗闇から聞こえてくるのは、サーカス一座がテントを張っている物音だけでした。

 この冒頭のシーンは、フェリーニにとってはおそらく、原風景とでもいえる光景だったのでしょう。サーカスの記憶はさまざまな道化師たちの記憶と結びついています。道化師たちは非合理な存在だからこそ、理性では理解できないものを炙り出して見せてくれるのでしょう。彼らが披露するパフォーマンスを含め、サーカスの空間はフェリーニがヒトを本質的に理解するためには不可欠な装置だったのかもしれません。

 当時、サーカスではさまざまな異形の者たちが、道化師として観客に笑いを提供していました。小人であれ、巨漢であれ、黒人であれ、彼らは身体的特徴がもたらす悲劇を直視し、道化師として独特の化粧をし、喜劇に転化していたのです。ですから、道化師が生み出す笑いは、観客が意識的であれ、無意識的であれ、心に潜ませている差別的な感情に応えるものでした。

 フェリーニはそのような道化師たちを限りなく慈しみ、愛おしんできました。当時、異形の者たちは道化師として可視化され、れっきとした社会の一員として存在していたのです。ところが、近代化の進行に伴い、いつの間にか、彼らは人前から姿を消してしまいました。病院か施設に隔離されてしまったのでしょうか、社会に居場所がなくなってしまったのです。そのような社会状況について後年、フェリーニが悲しみの混じった複雑な気持ちを吐露していたことを思い出します。

■19世紀末、観客が求める笑いの変質

 舘氏はパワーポイントを使って、当時のポスターや絵画を紹介しながら、19世紀末フランスで活躍した黒人道化師ショコラの栄枯盛衰をフランス社会の変化に関連付けて語ってくれました。とりわけ興味深く思ったのは、19世紀末、フランスでは笑いが変質していったということでした。

 18世紀から19世紀にかけてパリでは常設サーカスの建物が次々と建築されたといいます。そのうち、現在も残っているのが、シルク・リベール(Cirque d’hiver)です。

 当時、幅広い階層の人々にとって、娯楽の中心はサーカスでした。ポスターや絵画にサーカスをモチーフにした作品が多々見られることからもそのことがわかります。サーカスの道化師として才能を発揮したのが、ショコラでした。もちろん、本名ではありません。チョコレートのように濃い褐色の皮膚にちなんでつけられた名前でした。実際はキューバからの移民でしたが、アフリカからの移民として黒人を売り物にした芸を披露していました。

 やがて、白人の芸人とコンビを組み、物珍しさと高い身体能力に支えられたパフォーマンスが観客から喝采を浴び、一躍娯楽界の寵児となりました。セミナー会場では、道化師ショコラをモデルにしたと思われるポスターも紹介されました。

 ロートレックがカフェでダンスを披露するショコラの姿を描いたものです。脹脛といい、臀部といい、筋肉の張り具合がしっかりと捉えられており、卓越した運動能力の持ち主であることが示されていました。この姿態を見ただけで、身体能力の優れたショコラが魅力的なパフォーマンスを披露し、娯楽界の寵児であったことがわかります。

 ところが、19世紀末になると、観客の意識に変化が生じ、求める笑いの質にも変化が見られるようになったと舘氏はいいます。つまり、観客の差別的な感情に訴求する笑いが求められなくなっていったのです。これについて舘氏は、異形の者を笑いの対象にしてきたことに対する観客の贖罪の気持ちであり、そのような念を抱かせる対象そのものを忘れてしまいたいという気持ちではなかったかと指摘するのです。

 折しも、パリでは映画の撮影・上映技術を開発していたリュミエール兄弟が1895年12月28日、「工場の出口」という作品を有料公開しました。動く映像を初めて目にした人々は驚きました。日頃見なれた光景にすぎなくても、動画として映し出されることに新鮮味を覚え、興奮したのです。

 映画という新しい娯楽が普及するのに伴い、次第にサーカスの人気が衰えていきます。

 道化師が生み出す笑いは基本的に、観客の差別的な感情に訴求するものでした。ところが、近代化を経て、観客の意識が変化していくと、その種の笑いはやがて顧みられなくなっていきました。ロンドンに次いで、いち早く産業化、都市化を経たパリの街は、近代化にふさわしく大改造されました。そのようなパリの街の観客には、サーカスの道化師が生み出す笑いは受け入れられなくなっていったのです。

 興味深いことに、リュミエール兄弟はショコラとフティットのコンビを撮影していました。黒人と白人のコンビは映画の題材として価値が高いと判断したのでしょう。当時の貴重な映像がありましたので、ご紹介しておきましょう。

こちら →https://youtu.be/XjHZ_z23BZY

 最初に映画が上映されて2,3年後、リュミエール兄弟は客をつなぎとめる必要に迫られるようになっていました。移り気な観客たちは、ただ動くだけの映像に関心を失い始めていたのです。映画を続けるため、リュミエール兄弟は、人々の興味を引くようなものであれば何でも題材にし、一種のドキュメンタリー映画を制作するようになっていました。著名であった黒人と白人のコンビ(ショコラ&フティットのコンビ)は稼げる題材だったのです。

 19世紀末に映画が登場して以来、パリでは娯楽の様相が一変しました。観客は機械を媒介とした娯楽に新しい感覚を刺激され、楽しみを覚えるようになり始めていました。一方、産業化、都市化が進行していたフランスでは、観客のヒトに対する意識が変わり、求める笑いの質にも大幅な変化が起きていたのです。

 サーカスは衰退し、道化師の笑いを求める人々も減少していきました。ショコラはヌーヴォー・シルクを解雇され、コンビも解消せざるをえなくなりました。その後、病気の子どものためにセラピー道化師の活動をはじめたりもしましたが、1917年、巡業中のボルドーで亡くなり、やがて、すっかり忘れ去られてしまいました。

■映画「ショコラ」

 フランスでは近年、道化師ショコラの再発見、再評価の動きがあり、2016年にはショコラをモデルにした映画「ショコラ」が公開されました。舘氏は、この映画はフランスで200万人も動員し、大ヒットしたといいます。いったい、どんな映画だったのか、ネットで見てみました。

 2016年に公開されたフランス映画「ショコラ~君がいて、僕がいる~」は、先ほどご紹介した黒人ショコラとコンビを組んだ白人フティットをモデルにした映画です。ショコラを演じるのが「最強のふたり」で好評を博したオマール・シー、フティットを演じるのがチャップリンの孫ジェームス・ティエレ、そして、監督は俳優出身のロシュディ・ゼムです。

 映画は、子どもたちが丘を駆け下りてサーカスのテントが張られるのを見に行こうとしているシーンから始まります。このシーンを収めた映像をネットで探してみたのですが、フルバージョンの映像はスペイン語吹き替え版しか見つかりませんでした。とりあえず、冒頭だけをみていただくことにしましょう。

こちら→https://www.youtube.com/watch?v=xDq-pEP5efg

 この冒頭シーンは、フェリーニの「道化師」の冒頭シーンとイメージが重なります。子どもたちの好奇心を刺激するものがサーカスにはあることが示されています。未知の世界であり、日常とは異なる異質な空間が子どもたちの好奇心を誘うのでしょうか。オープニングに子どもを登場させることによって、映画の中で語られる世界に時間と空間の広がりを与えています。

 それでは、この映画は何を物語っているのでしょうか。監督と主演二人に対するインタビュー、そして、概略を紹介した予告映像がありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →https://eiga.com/movie/84870/video

 この映像の最初から1分47秒までが、メーキングを含めた監督と主演者へのインタビュー映像です。

 まず、ロシュディ・ゼム監督は「100年も前に有色人種の芸人が歩んだ人生を知って、感動したと同時に悲しくなった」と映画製作の動機を語ります。そして、ショコラ役のオマール・シーは「この映画によって無名だった彼が知られるようになる。彼はアーティストだったと伝えたい」といいます。フティット役のジェームス・ティエレは「白人と黒人のコントラストにすべてがある。二つの極に電流が走る」といい、対極にある二人がコンビを組むことによって得られた芸の上の成果を語ります。

 2分4秒以降は、この作品を要領よくまとめた予告映像になります。

 二人が出会い、コンビを組むようになるプロセスを描いたシークエンスでは、個性豊かな二人の性格がそのやり取りの中で自然に表現されています。白人&黒人コンビの道化師として彼らは評判を呼ぶようになり、やがて、パリに招聘され、成功を収めます。「ふたりなら無敵」と思い込むほど順調だったのに、ある日、ショコラは逮捕され、虐待され、黒人移民であるがゆえの悲哀を味わい、次第に身を持ち崩していきます。そんなショコラをフティットは我慢強く支えていく・・・、といった展開で、メリハリの効いたストーリーです。

 この作品は友情をメインテーマに、黒人に対する社会の差別意識、コンビ仲間の心中に潜在する差別意識と嫉妬心などがエピソードに絡めて巧みに描かれています。友情の背後にある複雑な心理状況が二人を取り巻く環境と関連づけて浮き彫りにされているので、とても説得力のある映画になっていました。

■道化師ショコラのアイデンティティ

 武蔵大学で開催されたセミナーに参加し、そこで紹介された映画「ショコラ」をネットで観ました。予想以上に面白く、身につまされるものがありました。120年も前の出来事なのに、グローバル化時代に生きる私たちに語りかけるものがあったのです。

 スペイン領キューバで生まれたショコラは生年もはっきりしません。植民地で生まれたことの悲哀です。本国スペインに奴隷として売られ、家内使用人や農場で働いていました。やがて、過酷な労働に耐えかねて逃亡し、フランスのサーカス一座にアシスタントとして雇われます。ここでは、国の力が弱い場合、その国で生まれても他国で生きていかざるをえず、出生国に紐づけられたアイデンティティを獲得することが難しいことが示されています。

 それでは、ショコラはアイデンティティの基盤をどこに見つけたのでしょうか。

 フランスのサーカス一座に雇われたショコラは、アフリカから来た黒人道化師として働くようになります。客寄せのために出自を偽り、アフリカの人食い人種としての仮面を付けざるをえなかったのです。

 そんなある日、白人芸人のフティットから誘われ、黒人&白人道化師としてコンビを組むようになります。コンビの新規性とショコラの芸が評価され、人気が高まっていきます。パリの大サーカスに招聘され、活動の舞台をパリに移します。ショコラはようやくアイデンティティの基盤を見つけることができました。

 芸を磨いたショコラは上流階級の人々からも招かれるようになり、著名になっていきます。著名になれば、もちろん、大金も入ってきます。実際は、黒人ショコラが白人フティットに蹴飛ばされ、平手打ちされることで笑いを取っていたのですが、ギャラの3分の2は白人のフティットが受け取るという非合理を受け入れざるを得ませんでした。

 芸を磨くことによって評価され、芸人としてアイデンティティを獲得できたとはいえ、身体に刻印された人種的特徴から逃れることはできず、社会的扱いもそれに応じたものでした。ショコラが自暴自棄になったのも当然のことだといえるでしょう。

 ショコラは努力を重ね、芸をきわめた結果、人気を得、大金を得たのですが、社会的な評価を覆すことはできませんでした。ショコラの社会的な劣位は芸人として大成功を収めても解決するものではなかったのです。

■ショコラが今、私たちに語りかけるもの。

 道化師ショコラが生きた時代、人種的特徴あるいは身体的特徴が人々の社会的地位を決定づけてきました。ショコラは芸人として評価されながら、ポジティブなアイデンティティを獲得することもできないまま、人生を終えました。出生国を離れ、国境を越えて生きざるをえなかったからでしょう。出生国へのロイヤリティを失い、居住国でアイデンティティを獲得できることもできなかったことの悲哀を感じてしまいました。

 グローバル化時代の今、国境を超えることがきわめて容易になっています。迫害を受けたわけでもないのに、より高い賃金を求めて国を捨てる人々も増えています。移動先の国では人権に基づき、一定の労働条件、生活条件が保証されていますから、出生国へのロイヤリティは希薄になっているのが現状だといえるでしょう。

 19世紀末の社会とは違って、現在、さまざまな偏見は是正されてきています。実際にコミュニケーションを持つことによって、偏見は容易に崩れることは事実です。実際、私はメルボルンからの帰途、機上で隣り合わせた黒人女性の才気あふれゴージャスな雰囲気に圧倒された経験があります。ニューヨークに住み、仕事の関係でメルボルンから成田経由でマドリッドに行くということでした。シンガポールで出会ったベトナム人女性画家も洗練されていて思慮深く、驚いたことがあります。有色人種に対する偏見は、直接的なコミュニケーションが増えるにつれ、解消に向かうかもしれません。

 ただ、移民となると、また状況は大きく異なります。ショコラの人生を思うとき、ローカル・アイデンティティを築くことなく、出生国を離れ、文化の異なる居住地で、果たしてポジティブなアイデンティティを築き上げることができるのか、といった疑念が消えないのです。

 芸を磨き、観客の期待に応えてきたおかげで、いっとき、ショコラは富と名声を得ました。ところが、フランスでは依然として、社会的地位は低いままでした。自暴自棄になってしまったのは、アイデンティティクライシスに陥っていたからではなかったかと思うのです。

 ショコラは出生国、居住国でも文化に根差したローカル・アイデンティティを築くことができませんでした。ですから、差別的環境から抜け出せないことがわかったとき、動揺してしまったのでしょう。拠って立つべき文化を持たないまま生きざるをえなかったものの苦悩がしのばれます。 

 2018年12月21日、日経新聞で「入管法改正、人手不足解消に期待」というタイトルの記事を読みました。

こちら →https://www.nikkei.com/article/DGKKZO39204570Q8A221C1L41000/

 「ショコラ」を観た後で、このニュースを知ったので、ちょっと気になりました。ショコラが生きた時代と現代とは違うということは承知の上で、人手が足りないからといって外国人労働者を受け入れてしまって、果たして、大丈夫なのか?という思いに駆られてしまったのです。

 ショコラの人生を映画で見ているうちに、ヒトは固有の文化を基盤にローカル・アイデンティティを獲得し、それでようやく、グローバルな状況に耐えられるようになるのではないかと思うようになったからでした。(2018/12/30 香取淳子)

「蝦蟇仙人図」にみる曽我蕭白vs横山崋山

■横山崋山展の開催
「横山崋山展」が東京ステーションギャラリーで、2018年9月22日から11月11日まで開催されていました。開催期間中、私はとても忙しく、行けそうになかったのですが、たまたま手にしたチラシに掲載された祇園祭りの絵柄がおもしろく、気になっていました。最終日の午後、なんとか時間を作り、行ってきたのですが、実際に絵の前に立つと、絵柄から浮彫にされた崋山の構想力が斬新で、惹き込まれてしまいました。無理して出かけた甲斐があったと思った次第です。

 会場には関連する絵師の作品数点を含め、120点ほどの作品が展示されていました。展示リストは以下の通りです。

こちら →http://www.ejrcf.or.jp/gallery/pdf/201809_kazan.pdf

 つい渡辺崋山と間違えてしまいそうになるのですが、展覧会のタイトルをよく見ると、横山崋山でした。私には聞き覚えのない名前です。チラシの説明を見ると、崋山は「江戸時代後期に京都で活躍した人気絵師」で、「曽我蕭白に傾倒し、岸駒に入門した後、呉春に私淑して絵の幅を広げ、多くの流派の画法を身につけました。そして、諸画派に属さず、画壇の潮流に左右されない、自由な画風と筆遣いで人気を博しました」と書かれています。

 そういえば、会場の展示も「蕭白を学ぶー崋山の出発点―」から始まっていました。よほど影響を与えられたのでしょう。

 展覧会は、第1の「蕭白を学ぶー崋山の出発点―」から、第2「人物―ユーモラスな表現―」、第3「花鳥―多彩なアニマルランドー」、第4「風俗―人々の共感―」、第5「描かれた祇園祭―《祇園祭礼図巻》の世界―」、第6「山水―崋山と旅する名所―」等々のコーナーで構成されていました。

 それでは、作品を見ていくことにしましょう。

■「蝦蟇仙人図」に見る蕭白vs崋山
 会場に入るとすぐ目につくところに展示されていたのが、曽我蕭白の「蝦蟇仙人図」です。先ほど説明しましたように、崋山が傾倒していたといわれる絵師の作品です。蝦蟇仙人という奇妙なタイトルが付いています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。図録より)

 Wikipediaによると、蝦蟇仙人とは中国の仙人で、青蛙神を従えて妖術を使うとされているそうです。そういえば、この絵の下方に蛙が描かれています。これがその青蛙神なのでしょうか、大きな口を食いしばり、まるで睨みつけるように目を見開いて、仙人を見上げています。白い大きく膨らんだお腹が印象的です。よく見ると、両手を広げて上に向け、片足立ちで立っています。

 一方、仙人はといえば、まるで呪文を唱えてでもいるかのように、口を大きく開けて蛙を見つめ、押さえつけるような仕草で手を広げて下方に向けています。ひょっとしたら、蛙に対しなんらかの妖術を施そうとしているシーンなのかもしれません。

 この作品と並んで展示されていたのが、崋山の「蝦蟇仙人図」です。蛙といい、仙人といい、背景といい、同じ題材を描いたものであることは明らかです。おそらく、蕭白の作品を参考に、崋山が同じモチーフを描いたのでしょう。

 帰宅してから二人の生没年を調べてみると、横山崋山は1781あるいは84年の生まれで1837年に没していますし、一方、曽我蕭白は1730年の生まれで1781年に没しています。二人の生没年を見比べると、ちょうど崋山が生まれた頃、蕭白は亡くなっています。ですから、崋山は直接、蕭白に教えを請うたわけではなく、作品を通して私淑したということになるのでしょう。

 同じモチーフ、同じようなシチュエーションを同じ構図で扱いながら、二つの作品は微妙に異なっています。たとえば、崋山の作品は背景が単純化されているせいか、仙人と蛙の姿勢がよくわかります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。図録より)

 仙人は桃を持った右手を後ろに回し、左手を蛙の頭上に大きくかざしています。右足は折り曲げて左脹脛に引っ掛け、しかも左踵をやや上げていますから、きわめて不安定な姿勢です。そして、顔面はといえば、俯き加減に黒目を上に寄せ、いかにも念力を放っているかのような異様な形相です。蕭白の描いた仙人にはこれほどの迫力はありません。

■モチーフと背景にみる、蕭白vs崋山
 蕭白が描く仙人は、両脚はしっかりと大地につけており、安定感があります。腕の挙げ方、背中から肩、腕にかけての筋肉の付き方、背骨の盛り上がり具合やわき腹の凹み具合など、人体構造を踏まえて描かれており、不自然さはどこにもありません。奇妙な姿勢を取る仙人の身体に沿って揺れる衣の描き方も柔らかく、リアリティが感じられます。

 仙人の顔はと言えば、目は比較的小さく、口は異様に大きく開けているとはいえ、ヒトに近い人相です。腕を上げ、うつむき加減に蛙を見下ろしているポーズで描かれていますが、身体の傾き加減、両脚の位置、そして、衣の揺れ具合のバランスが絶妙です。

 背後に目を向けると、仙人のポーズは頭上の木の枝の傾き、岩肌の傾斜とも呼応しており、画面に右から左への流れが生み出されています。風を感じることができますし、一種のリズムも感じられます。こうしてみてくると、蕭白は墨の濃淡やかすれ、滲みを巧みに使って、架空の世界をリアリティ豊かに描き出していることがわかります。

 一方、崋山の描いた仙人は、背中から腕にかけての筋肉の付き方、背骨やわき腹の骨、衣からはみ出た右腕の描き方がやや不自然です。おそらく、人体構造を意識せずに描かれたのでしょう。しかも、顔と上半身が大きく、全般に身体のバランスがよくありません。不安定なのです。それだけに、仙人の片足立ちの奇妙なポーズが強く印象づけられます。

 背景の山も、白黒の濃淡でエッジが強く描かれているのが印象に残ります。エッジが強すぎるせいか、画面上にモチーフと連動した動きは見られません。背景は極力、単純化され、モチーフを際立たせるためだけに墨の濃淡や強弱が使われているように思えます。こうしてみてくると、崋山の場合、画面にアクセントをつけるために墨の濃淡を使い、架空の世界をよりドラマティックに描き出す効果を狙っていることがわかります。

■サブモチーフの描き方にみる物語性
 これまで見てきたように、蕭白の絵と崋山の絵は同じモチーフを取り上げながら、微妙に異なっていました。大きく異なっていたのが、サブモチーフである蛙の描き方です。片足立ちをし、手を大きく広げて仙人に向けるポーズはとてもよく似ているのですが、顔とその姿が大幅に異なっているのです。

 たとえば、蕭白の絵の場合、蛙は片足立ちで、仙人の手に対抗するように両手を広げています。蛙のお腹は白く大きく膨らみ、傷ひとつありません。口は大きく曲げていますが、目はしっかりと仙人を見上げています。奇妙なポーズであることは確かですが、異様なところはどこにもありません。

 仙人もまた、口こそ大きく開けていますが、目に怒りが見られるわけでもなく、むしろ、微かに優しさが感じられます。手にした大きな桃の実を蛙に差し出そうとしているように見えなくもありません。奇妙なポーズ以外に違和感を感じさせるものはありませんから、これは仙人と蛙が交わす儀式のようなものなのかもしれないと思えてきます。

 一方、崋山の作品では、蛙のお腹に何か所も傷跡が見られ、くすんだ色をして痩せこけているように見えます。目は充血しているように見え、片足立ちしている姿もか細く不安定です。描かれた蛙の姿形がとても悲惨なのです。しかも、仙人の形相が凄まじいので、蛙の悲劇性が強調されています。仙人と蛙がまるで加害者と被害者のように見えてしまうのです。そして、視線をずらすと、蛙の悲惨さを補うかのように、仙人は後ろ手に桃の実と花を持っているのに気づきます。果たして、可哀そうな蛙にこれが見えているのかどうか。

 興味深いことに、仙人が後ろ手に持っている桃の実も花もほんのりと着色されていて、生気が感じられます。淡い色調から桃の実や花の香しさや美味しさ、柔らかな触感が伝わってきます。

 ちなみに中国ではかつて、桃は単なる果物ではなく、病魔や厄災を寄せ付けない力を持つとされていたそうです。そうだとすれば、仙人が後ろ手にした桃は蛙の傷を癒すためのものなのかもしれません。

 蛙の姿を見てその悲惨さに同情していた観客は、次に桃の実と花を見て、救護・治療を連想し、気持ちの安らぎを覚えます。危機感から安心感へと気持ちが転換していく過程がこの絵柄の中に生み出されているのです。一枚の絵が何段階にも観客の感情を揺るがしていくのです。これでは観客がこの作品世界に深くコミットしてしまうのも当然のことでしょう。

 サブモチーフである蛙と桃について、このような解釈が成り立つとすれば、淡く着色された桃の実と花はこの絵で語られるストーリーの着地点だといえるでしょう。ハッピーエンドの展開です。こうしてみてくると、崋山の卓越したストーリー構想力と表現力に感嘆しないわけにはいきません。蕭白に比べれば一見、稚拙に見える崋山の絵の方が、実は物語性に富み、訴求力の強い作品だったといえます。

■画面構成に込められた物語性
 このように見て来ると、崋山は蕭白の作品からモチーフを借りて似たような絵柄を作りながらも、そこにドラマティックな仕掛けをいくつか施していることがわかります。

 まず、背景を奥行きの感じられる山岳風景にし、蛙と仙人が、誰も容易に登ってこられないような高山のわずかに開けた場所に登場させたことが、ポイントとして挙げられるでしょう。空や地面には何も描かれていませんから、観客は蛙と仙人の所作を明瞭に捉えることができます。メインモチーフとサブモチーフをくっきりと浮き彫りにする構図です。

 背景で描かれた幾重にも連なる山々がこの作品の「序」であるとするなら、蛙と仙人の関わりの部分が「破」であり、仙人が後ろ手に隠し持っている桃の花と実が「急」に相当するのでしょう。崋山は一枚の絵の中に「序」「破」「急」で展開される三部構成のストーリーを持ち込んだのです。おかげで時間の広がりと空間の奥行が生み出され、この作品世界の豊かさが醸成されました。

 崋山の作品は、蕭白の作品を参考にしながら、モチーフの背後にあるストーリーを感じさせる絵柄、部分的な着色、余白の効果的な使い方、等々の工夫がなされています。その結果、一枚の絵の中にさまざまな時間や空間を感じられる印象深い作品に仕上がっています。

■顔輝の「蝦蟇鉄拐図」vs曽我蕭白の「蝦蟇・鉄拐仙人図」
 これまでご紹介してきたのは、曽我蕭白と横山崋山による「蝦蟇仙人図」ですが、Wikipediaによると、宋代に活躍した顔輝が描いた「蝦蟇鉄拐図」の影響で、蝦蟇仙人は鉄拐仙人と対の形で描かれることが多かったそうです。崋山のように蝦蟇仙人だけを取り出して描くのではなく、鉄拐仙人とセットで描かれてきたようなのです。

 そこで、元の絵を探してみると、両者を描いた顔輝の作品、「蝦蟇鉄拐図」を見つけることができました。14世紀の作品とされています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。京都国立博物館蔵)

 左側に蝦蟇仙人、右側に鉄拐仙人が描かれています。両者とも岩に腰を下ろし、旅の途中なのでしょうか、頭陀袋のようなものを携えています。描き方に奇をてらったところはどこにもなく、どちらかといえば写実的で、仙人というより普通のヒトの通常の所作のように見えます。

 曽我蕭白は、この顔輝の「蝦蟇鉄拐図」に想を得て、「蝦蟇・鉄拐仙人図」を描いています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。Wikipediaより)

 「蝦蟇・鉄拐仙人図」というタイトルの作品ですが、見てすぐわかるように、顔輝の「蝦蟇鉄拐図」とは印象がまったく異なります。右は先ほどからご紹介してきた蝦蟇仙人図ですが、左が鉄拐仙人図です。顔輝の「蝦蟇鉄拐図」とは左右が逆になっています。

 蕭白の描いた鉄拐は杖をつき、立ったままぷっと鼻と頬を膨らませ、ぶ厚い唇からふっと息を吐きだしています。その吐き出した吐息の中に、微かにヒトの形をしたものが描かれています。

 改めて顔輝の描いた鉄拐を見ると、岩に腰を下ろし、鉄の杖を胸元に抱え、衰弱したようすでした。説明文には「魂を噴出した所で元の体は脱け殻となってすでに死色を帯び、硬直しはじめている」と書かれていました。

 そうすると、蕭白が描いた吐息の中に見える微かなヒトの形は、鉄拐が死に際に吹き出したといわれる魂なのでしょうか。落ち窪んだ眼は虚空を眺め、心なしか、精神が無になっているようにも見えます。前面に頑丈な鉄の杖が強い筆致で描かれていますから、中国の故事通り、鉄拐の足が不自由だったことも示されています。

 ところが、蕭白の絵は、鉄の杖によりかかりながらも、足のつま先を上に向けてしっかりと大地を踏みつけています。これはエネルギーを感じさせるポーズです。顔面の頬の膨らみ具合といい、大地をしっかり踏み込んだ足元といい、とても死に体には見えません。ただ、よく見ると、顔面は所々、土気色になっているようにも見えます。

 これはおそらく、身体エネルギーを使い果たし、死に際に差し掛かった鉄拐が、最後のエネルギーを振り絞って、自身の精神を身体から解き放ったことが示されているのでしょう。滑稽なイメージで描かれた絵柄に、死に対する深淵な観念が浮き彫りにされています。顔輝の描いたオリジナルではわからなかったメッセージが、蕭白の絵からはしっかりと伝わってくるような気がします。

 こうしてみてくると、蕭白がオリジナルを相当デフォルメして描きながら、その本質を的確に捉えていたことがわかります。桃(蝦蟇仙人)や杖(鉄拐仙人)といったキーアイテムを押さえ、それらのメッセージを構成する要素を画面の目立つ位置に配置しています。しかも、メインモチーフは戯画的にデフォルメされて描かれていますから、顔輝の「蝦蟇鉄拐図」に込められたメッセージがいっそう強く印象づけられるというわけです。

 その蕭白の絵をさらに単純化し、カリカチュアしたのが崋山の作品でした。

■崋山のエスプリの効いたセンスの良さ
 「蝦蟇仙人図」をめぐり、蕭白と崋山、蕭白と顔輝の作品を比較しながら、ご紹介してきました。これまで見てきたように、オリジナルをデフォルメして理解しやすいように描き替えたのが蕭白だったとするなら、その蕭白の画風を模倣しながら、さらにメッセージ性を強めたのが崋山だったといえるかもしれません。

 蕭白がオリジナルの絵柄を再解釈して自身の作品として構築したとすれば、崋山はそこに物語性を加えることによって、絵柄に含まれるメッセージを強化したといえるでしょう。物事の本質を見つめ、それをしっかりと表現する能力がなければ、とてもこのような芸当はできるものではありません。

 このように考えてくると、改めて、チラシに書かれた文言が思い浮かびます。チラシには「崋山は作品の画題に合わせて自由自在に筆を操り、幅広い画域を誇りました」と書かれていました。

 今回、ご紹介した「蝦蟇仙人図」のような画題についても、崋山はどのように表現すれば見る者の気持ちに届くのか、より効果的にメッセージが伝わるのか、といったようなことを考え抜いたのでしょう。だからこそ、蕭白の作品にはなかった蛙のお腹の傷跡、桃の実や花の着色といった工夫を崋山は練り上げ、取り入れたのだという気がします。見る者の視線を誘導する仕掛けを作ったのです。

 さて、この時期、忙しかった私が時間を作ってわざわざ最終日に出かけたのは、チラシに掲載された祇園祭りの絵柄が面白かったからでした。どのような絵なのか見て見たくて展覧会場を訪れたのですが、残念ながら今回、ご紹介することができませんでした。会場に入って最初に見た絵(蝦蟇仙人図)に引っ掛かってしまったからでした。知的な刺激を受け、この作品にこだわってしまった結果、他の作品を紹介しきれませんでした。

 会場では、エスプリの効いたセンスのよさが光る作品にいくつも出会いました。いずれも崋山の柔軟な発想、そして確かな表現力に支えられたものでした。いつか機会があれば、ご紹介したいと思います。(2018/11/22 香取淳子)

溝口墨道&赫舎里暁文展:民族文化を踏まえ、新たな表現の時空への誘い

■「溝口墨道・赫舎里暁文夫婦 日・満興亜絵画展」の開催
 銀座6丁目の創英ギャラリーで今、「溝口墨道・赫舎里暁文夫婦 日・満興亜絵画展」が開催されています。開催期間は2018年11月1日から6日まで、開催時間は10:30~18:30(土曜、日曜は17:00まで)です。案内メールをいただいたので、開催初日の11月1日、訪れてみました。

 ディム銀座8Fにある会場には、溝口墨道氏の作品20点と赫舎里暁文氏の作品18点が展示されていました。ざっと見て、溝口氏の作品は水墨画をベースに生み出された独特の画風が印象的でしたし、暁文氏の作品は満洲文字を組み込んだ情緒豊かな作品が心に残りました。

 まず、暁文氏の作品から、印象に残った作品について、ご紹介していくことにしましょう。ここでご紹介する作品は、私が会場で作家の許可を得て撮影したものですが、照明が写り込み、作品の素晴らしさを損ねてしまっているものもありますことをご了承くださいますように。

■満洲の魂と日本の風情
 暁文氏は満洲で生まれ育ち、溝口氏と結婚して日本に来られました。展示作品を一覧すると、満洲文化に根付いた作品と日本文化を踏まえた作品とがあり、それらは題材別にカテゴライズされるように思えました。そこで、似たような題材の作品を二点、あるいは、三点取り上げ、類別してご紹介していくことにしましょう。

〇「心のサマン」(2014年)と「満洲之夢」(2013年)
 満洲の魂とでもいえるような心情がしなやかに作品化されていたのが、「心のサマン」と「満洲之夢」というタイトルの作品でした。どちらも画面に満洲文字が描き込まれており、それが画面に奥行きを与え、微妙な陰影を醸し出していました。そのせいでしょうか、心の奥深いところで画面に引き付けられ、気持ちが揺さぶられました。

 たとえば、「心のサマン」を見てみましょう。私がもっとも惹かれた作品です。

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 真ん中に壺に入れられた蓮の葉が描かれ、その周囲には無数のヒトといわず、動物といわず、この世のさまざまなものが判然としない形態で描かれています。中には仏像のように見えるものがあったので、暁文氏に尋ねると、仏像ではなくヒトだといいます。満洲文化には仏像はなく、満洲人はあらゆるものに神が宿り、至る所に神がいると考えるのだそうです。

 それを聞いて、再び作品を見ると、蓮の葉を取り巻くように描かれた無数のヒトや動物、モノ、文字のひとつひとつに、尊い命が宿っているように思えてきます。実際、それらのいくつかには部分的に金が使われ、光り輝いて見えます。精霊が宿っているのでしょうか。光に照らされた部分が神々しく見えます。ちなみに背後に描かれている数多くの文字は満洲文字で、祈りの言葉が書かれているそうです。

 そういえば、「心の中のサマン」というのがこの作品のタイトルでした。サマン(薩満)は英語でいえばシャーマンですから、作者の心の中のシャーマンが、記憶の底に眠る満洲のヒトやモノ、土地、文化を呼び起こそうとしているのでしょう。作者の思いがひしひしと伝わってきて、観客の心を強く打ちます。

 同じように植物をメインの題材にし、祈る心を表現したのが「満洲之夢」です。

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 画面中央に大きな花が二つ、上下で描かれています。この花の名前を知りたくて暁文氏に尋ねたのですが、私が「サボン」と聞き間違えてしまったせいで、帰宅してからネットで調べてみても、描かれた花の形状と合うものは見つかりませんでした。ただ、「夜、綺麗に咲く」と言われたことを思い出し、それを手掛かりに検索してみると、この花がサボテンの花だということがわかりました。満洲蘭ともいうそうです。

 作品に戻ってみましょう。

 海のように深い暗緑色に所々、濃い紫色を交えた背景に、白いサボテンの花が二つ、周囲から浮き上がって見えます。夜花開くという妖艶な美しさが際立っていましたが、根が失われているかのように勢いがなく、うなだれているようにも見えました。満洲蘭といえば満洲の国章でもあります。ひょっとしたら、暁文氏は、この花に満洲文化の現状を重ね合わせて描いたのかもしれません。

 中央の二つの花を取り巻くようにして、短い満洲文字がいくつも、垂直に書かれています。暁文氏に尋ねると、どれも祈りの言葉なのだそうです。そうだとすれば、いまにも消えかかりそうなサボテンの花(満洲文化)の蘇生を願い、祈る気持ちを表現しようとしたのでしょうか。

 一目で満洲文化由来だとわかる作品もありました。

〇「奉霊図」(1990年)と「満州人の太鼓踊」(1990年)
 切り絵風にデザインされた作品として興味深く思ったのが、「奉霊図」と「満州人の太鼓踊」でした。残念ながら、この二つの作品の来歴についてはうっかり暁文氏に聞きそびれてしまいました。感じたことを中心に綴っていくことにしましょう。

 まず、「奉霊図」から見ていくことにしましょう。

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 暁文氏に尋ねることができませんでしたので、この作品にどのような意味が込められているのかはわかりません。ただ、切り絵風にデザインされていますし、満洲文字が周囲に散りばめられていますから、この作品にもきっと、祈りの気持ちが込められているのでしょう。

 中国の伝統的な民間芸術といわれるのが切り絵です。その切り絵風にデザインされ、構成されたモチーフは装飾的で、工芸品の絵柄のようにも見えます。色彩に注目すると、真ん中の模様部分が白く明るく、左右、下方に黄色が散っています。そのせいか、この部分が膨らんで見え、まるで心臓のように、周囲に血液を送っているように見えます。所々、明るい黄色で着色された部分は血流に見えなくもありません。そのように見てくると、満洲文化はまだ生きていることが表現されているように思えてきます。

 そういえば、この作品のタイトルは「奉霊図」でした。「奉霊」という言葉には祖霊を祀る気持ちが込められています。そのことを考え合わせると、この作品には、消えかかっている満洲文化がまだ生き長らえており、いつかはきっと再生させるという暁文氏の思いが投影されているように見えます。

 さて、具体的に満洲の民族文化が描かれているのが、「満州人の太鼓踊」でした。

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 満洲人の民間芸能が描かれています。切り絵の手法で描かれているせいか、装飾的な美しさ、色彩のバランスの良さが印象的です。二人の女性が笑顔をこちらに向けて、小さな太鼓を叩きながら、踊っています。その背後の画面にはさり気なく、さまざまな満洲文字が書き込まれています。「奉霊図」とは違って、漢字も書かれているのが興味深く思えました。中国が実は多民族社会で、かつて満州族が支配した時期もあったことに気づかされます。

〇「故郷の山茶花」(2005年)と「雪つばき」(2017年)
 細密に描かれた工筆画として印象深かったのが、「故郷の山茶花」と「雪つばき」でした。いずれも、精密な描写の中に花弁と葉の嫋やかな優雅さが表現されています。

 優雅さと上品さが際立っていて印象的だったのが、「故郷の山茶花」でした。

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 左下から右上にかけての対角線上に、山茶花の花弁、葉、枝が伸びやかに描かれています。上に伸びる葉は画面を突き抜けるように描かれ、勢いの良さが表現されています。その一方で、左下には小さく伸びた枝に小さな葉と蕾がしっかりと描かれ、安定感が示されています。画面の対角線上に絶妙なバランスで花、葉、枝が配置され、山茶花の華やぎが感じられます。

 この絵を見たとき、私はまず、この構図に引かれました。山茶花の美しさがさまざまな局面から余すところなく捉えられていると思ったからでした。さらに、微妙なグラデーションで表現された花弁の色調、葉の形状とその表裏に刻まれた陰影、花芯の雄しべ、雌しべの繊細で細かな表情、それぞれの表現が精密で、嫋やかな風情が醸し出されており、引き込まれました。

 よく見ると、モチーフの背景には、色調を抑えた山茶花の花がいくつも描かれています。淡い色調で描かれた花々が背景の中に持ち込まれることによって、モチーフの山茶花が浮き上がって見えます。さり気なく、複層的にモチーフを強調する効果がもたらされているのです。そのせいか、画面全体から、余韻のある美しさとしっとりとした味わいを感じさせられました。

 日本的情緒が感じられたのが、「雪つばき」でした。

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 雪の重みで垂れ下がった葉や小枝に、雪がなおも降り続いています。冬の日、誰もがいつかは目にしたことのある光景です。そぼ降る雪の描き方が丁寧で、まるで目の前で雪が降っているような錯覚すら覚えます。ちらつく雪片の影でひっそりと花開いた椿の花が、なんと鮮やかで、華やかなことでしょう。日本の冬の日の光景が詩情を込めて捉えられています。

〇「秋韵二」(2017年)、「秋韵五」(2017年)、「秋韵四」(2018年)
 日本の自然を捉え、季節の叙情が見事に表現されているのが、「秋韵」シリーズの作品です。「秋韵」がどういう意味がよくわからなかったので百科で調べてみると、「秋韵犹秋声」と説明されていました。そこで、中国語の辞書でこの文章の意味を調べると、「秋の自然界の音声を指す。たとえば、風の音、落ち葉の音、虫の声」となります。結局、「秋韵」は風雅な秋の音色全般を指す言葉なのでしょう。

 まず、「秋韵二」から見ていくことにしましょう。

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 紅葉したもみじの葉が画面いっぱいに描かれており、その左側の背後には太陽が淡い色調で描かれています。その対極にある右側は幅広く、やや暗い色調で覆われているので、ぼんやりとした太陽が印象づけられます。

 何枚も重なりあった紅葉したもみじの葉陰から、遠慮がちに姿を現している太陽がいかにも秋らしい、静かな奥ゆかしさを感じさせます。微妙な濃淡を創り、色調を変え、形状を変え、それぞれの葉を描き分けることによって、何枚ものもみじの葉がささやいているようにも見えます。まるで秋の日に奏でられたシンフォニーのようです。

 「秋韵五」では木に登る猫が描かれています。

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 この作品は工筆画法で描かれており、猫の毛並み、枝、そして、画面からはみ出してしまうほどの太い幹の描き方が秀逸です。左側には一部紅葉した葉をつけた枝が、垂れ下がっているせいか、風にそよいでいるような動きが感じられます。右側からも同じような葉と小枝が姿をのぞかせています。とてもバランスのいい構成で、植物と動物、静と動の組み合わせの妙が感じられます。

 尻尾を立て、下を見下ろす猫の表情、姿態はまるで生きているようです。揺れ動いているように見える垂れ下がった小枝と伸びた葉、そして、下を見下ろしている猫が「動」を表現しているとするなら、猫が乗っている中ぐらいの太さの枝と、右側の太い枝は「静」を表しています。中ぐらいの枝も太い幹も細部まで描き込まれてはいません。静と動、そして、疎と密のバランスよく、画面に安定感があります。動物と植物が共に生き生きと表現されており、秋の日の光景が詩情豊かに捉えられています。

 「秋韵四」でも、猫が描かれています。

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 先ほどご紹介した作品と同じように、猫を克明に描きながらも、こちらはやや抽象的な作風です。興味深いことに暁文氏は、紅葉したもみじは葉だけをあしらい、猫もまた本体だけを取り上げ、描いています。モチーフはリアルに描きながら、そのリアリティを支える背景は描いていないのです。

 とはいえ、もみじを見つめる猫の表情のなんと可愛いことでしょう。この作品はモチーフをリアルに描きながらも、リアリティを生み出す要素を切り離したために、現実感が希薄です。その結果、もみじの葉をまるでお手玉のようにして遊ぶ猫の可愛らしさを引き出すことに成功しています。この作品には、背景的要素を切り離して描く日本画の特徴がみられるといっていいのかもしれません。

 ここでは取り上げませんでしたが、「秋韵一」「秋韵三」は、紅葉したもみじの木を前面に大きく打ち出した構図の作品でした。一連の「秋韵」シリーズでは、もみじの木、紅葉したもみじの木と太陽、あるいは、もみじの葉と猫、などが題材として扱われ、日本の秋の光景がやさしく、詩情豊かに表現されていました。

 こうしてみてくると、暁文氏はまず、さまざまな題材の中に、満洲人が積み上げてきた精神の歴史、心の遍歴を表現しようとしていることがわかります。その一方で、季節との関わりの中で日本の光景を取り上げ、自然を愛しんできた日本人の心情をしっとりと謳いあげます。

 満洲人であれ、日本人であれ、心の奥底でつながりあえるベースとなる自然、その自然の背後にある精霊、あるいは、それら一切合切を包み込む時空、その種の目に見えない世界が表現されているようでした。心の奥深いところで気持ちが揺すぶられるような思いがします。

 一方、溝口墨道氏の作品は、中国で見かけたさまざまな光景を墨人画の技法で描かれていました。

■中国百態シリーズ
 中国百態シリーズとして展示されていた墨人画のうち、印象に残った作品をご紹介していくことにしましょう。一連の作品には作品にまつわる文章がそれぞれ別途、絵の下に掲示されていました。

〇「上海航路の客船で、海が荒れたら日本人と中国人が二通りの様子になった」
 まず、「上海航路の客船で、海が荒れたら日本人と中国人が二通りの様子になった」というタイトルの作品を見てみましょう。

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 この作品では二十数年前、墨道氏が上海航路の客船で遭遇した出来事が描かれています。まず、この絵の下に掲示された説明文には以下のように書かれていました。

****
 ある時私は中国の研修生とおもわれる大勢の若い女性の団体と日本行きの船で一緒になった。彼女らは恥じえての日本行きで興奮気味でにぎやかに船のあちこちで話す風景が見られ、存在感では日本人を圧倒していた。
 翌日になると海が少し荒れ歩く時も右に左に揺られながら壁を伝うような有様だった。彼女らの様子を見て驚いた。全員が横になりまるでこの世の終わりかのように呻きながら船酔いで苦しんでいる。一方日本人はと言うと笑いながら「揺れますね」などと挨拶し食事もしている。
****   (該当箇所を引用)

 このような説明を読んでから改めて作品を見ると、なるほどそういうことかと思わせられます。

 画面中ほどの右側には、壁を伝い、ガニ股になってバランスを取りながら歩いている二人の人物が描かれています。同じライン上の左側には、仰向けになったり、横向きになったり、膝を抱えて座り込んでいる女性たちの姿が描かれています。荒れる上海航路の船上で見かけた中国人女性たちの反応がさまざまに捉えられているのです。

 絵は一般的には写真と同様、時間と場所を特定した出来事しか表現できません。ですから、画面で描かれた時空以外の情報を、説明文から得ることによって、解釈に厚みと深みが出てきます。

 たとえば、説明文では「彼女らは初めての日本行で興奮気味に賑やかに船のあちこちで話す風景が見られ、存在感では(同乗した)日本人を圧倒していた」と書かれています。海が荒れる以前、若い中国女性の一団がいかに元気よく賑やかだったか、この文面から容易に想像することができます。

 ところが、いったん海が荒れると一転して、絵で表現されたような有様になってしまいます。それが墨画で端的に表現されています。墨道氏はこれについて、「この時日本人には遺伝的に海洋民族の祖先を持っており、中国の内陸部から来た彼女らの祖先は海に出たことがないからその遺伝がないのだと直感した」と結論づけています。

 墨道氏がかつて目にした光景が墨人画で表現され、それに説明文が加えられることによって、時間空間の広がりが生み出されました。その結果、抽象化された一枚の絵から日中文化論を引き出すことができているといえます。

 そういえば、東北大震災の際、日本にいた中国人は恐怖におののき我先に逃げ出したという報道を読んだことがあります。一方、日本人は大震災、それに継いで大津波にも襲われながら、秩序を乱すことなく平然と救援を待っていたという報道を思い出しました。

 墨道氏が経験したことと同様、危機に際した日本人の行動は日本文化の一環として捉えることができるのかもしれません。

〇「大学生が大学の外の人々を下に見る」
 さて、「大学生が大学の外の人々を下に見る」というタイトルの絵も興味深い作品でした。

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 まず、絵の下に掲示された説明文を読んでみましょう。

****
 中国は、科挙に受かった筆を武器とする文人官僚が国を運営してきたので、刀を差した武士が国を運営してきた日本とは、社会が全く違う。現在でも画家・書家の社会的地位は、日本のそれとは比較にならないほど高い。(中略)
私が留学した芸大は、専攻分野では全国トップで千倍以上の倍率を勝ち抜いて入ったから、私から見れば普通の若い画学生に見えた彼らは正真正銘のエリートだった。
 そんな彼らの一人が、ある日校門の外を忙しく行き来する庶民を見ながら私に「彼らはずうっとああなんだよな」と少し笑いながら言った。私は少年のような彼が、悪気なく、一般大衆を一まとめにして自己とは違った階層とすることに少し驚いた。
****  (該当箇所を引用)

 説明を読んでから、上の作品を改めて見ると、状況がよくわかります。
画面の遠景には、開いた校門前を荷車を引く者、人力車をこぐ者、荷物を持ち俯き加減に歩く者など、いわゆる生活に追われた庶民が歩いています。生きるために労働力を提供せざるを得ない人々でしょう。そして、近景では、校門前を行き来する人々を見て何やら話し合う二人の人物が描かれています。

 画面を三等分し、上からほぼ三分の一のラインに小さく、コマネズミのように働かないと生きていけない人々を描き、そして近景にはエリート層の大学生を配置し、社会を構成する二つの階級を描き分けています。校門を一つの境界として、社会には二つの階層が存在していることを示唆しているのです。そして、支配する者の側に立つ学生の言葉として、「彼らはずっとああなんだよな」という言葉を添えています。つまり、支配層、被支配層に二分化された社会構造は今後も続くことが示唆されているのです。

 墨道氏は「日本では大学の外にいる人を別の階層と感じる学生はいないと思う。支配者と非支配者が厳然と分かれる体制の根は深くなかなか変わらないだろう」と記しています。

 中国の階層化された社会構造はかつての科挙制度の遺産でもあり、今後もなくなることはないのかもしれません。校門の外が大勢なの対し、内側はたった二人です。この作品は、少数の優秀な人々が大多数の無知な人々を支配する社会構造を可視化したといっていいでしょう。

 この作品を見て私は、中国の知識人がよく「读书人」と言ったり、「书面语」あるいは「口语」と言ったりするのを思い出しました。科挙制度の痕跡なのでしょうか、読書階級(知識人)とそうではない人々をはっきりと二分し、使用言語についても微妙な線引きがあることを思い出したのです。

〇「公平」を唱えるのはダメ人間
 そういえば、「「公平」を唱えるのはダメ人間」というタイトルの作品がありました。

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 まず、説明文を読んでみましょう。

****
 留学時代、住宅地に住んでいたが、近くの卵屋には沢山の卵が積まれていた。
 日本のように生産日、消費期限が管理されていないので、どの様に売っていたのであろうか。
 私は通りすがりの一見には古いものを高く、地域住民には普通のものを定価で、近所の常連客には新鮮なものを安く、友人家族には新鮮なものを無料で、というようにしているのではないかと見ていた。
**** (該当箇所を引用)

 この説明文を読んでから、改めてこの絵を見ると、卵がいっぱい詰まった箱を両側に置いて、男が首をかしげた様子が気になります。同じ商品なら誰に対しても同じ値段で売るのなら悩むこともないのでしょうが、卵の新鮮度という変数、そして、買い手との関係性という変数を考え合わせた上で、値段を設定するのはどれほど大変なことでしょう。男は首をかしげ悩んでいるように見えますが、それも無理はありません。買い手にはすべて定価で売る場合より、損をする可能性もあるのでは・・・、とも思ってしまいます。

 墨道氏はこれについて、「中国では「平等・公平」に慣れた我々日本人には理解しがたい状況が日々進行している。全てが個人の交渉力、情報力、財力、地位、友人の多さ等で流動的に決まっていく。(中略)「何々すべき」「こうあるべき」などは最も用をなさないのが中国社会である」と結論づけています。

 これを読んで、私はふと、かつて読んだ『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー)を思い出しました。簡単にいうと、プロテスタンティズムが生み出した勤勉の精神や合理主義は、近代的、合理的な資本主義の精神に適合し、近代資本主義を誕生させたというのです。

 このような見方を敷衍すれば、なぜアジアで日本だけが近代資本主義を発達させることができたかということの説明がつきます。近代化以前に節約、勤勉を重視する生活価値観が育まれ、一部合理的精神も芽生えていた日本社会は、近代的資本主義が必要とする精神をすでに持ち合わせていたということになるからです。

 一方でこの見方は、利にさとく、商売上手に見える中国でなぜ近代資本主義が発達しなかったのかという疑問への回答にもなります。誰に対しても同じ値段で同じ品質のものを販売することのない中国社会では、信頼をベースとする経済活動が成立しないからです。

 以上、展示されていた作品のうち、ご紹介できたのはわずか3作品ですが、いずれも墨道氏が留学時代に日常生活で経験した光景を描いたものでした。ちょっとした生活の断片にも中国文化の一端がしっかりと捉えられており、興味深いものがありました。

■墨人画
 墨道氏は2004年にこの墨人画法を開発したといいます。1990年に水墨画を極めるために中国に留学した墨道氏は、本科生から大学院まで中国美術学院で学び、研究しました。帰国してさらに水墨画を極めた結果、開発したのが今回、展示されていた墨人画です。水墨画の歴史、技法を踏まえ、独自の世界を創り上げるために開発したのが、この墨人画技法だったのです。

 墨道氏は水墨画の真髄は美学にあるといいます。それは構図の妙であり、下描きをせず一気に描くという瞬発力によって生み出されます。たしかに墨道氏の手掛けた墨人画は構図の妙が際立っていました。モチーフに何を選び、どのようなサイズで、どの位置に配置するか、あらかじめ頭の中で練り上げられていたからでしょう。

 たとえば、先ほどご紹介した「大学生が大学の外の人々を下に見る」の場合、遠景に小さく校門とその前を行きかう人々(労働者)、そして、近景には二人の人物の立ち姿(大学生)がやや大きく描かれていました。いってみれば遠近法によって、あちら側とこちら側が明確に区別されているといえるでしょう。

 大きな白い余白の中に、モチーフだけが影絵のように黒く描かれています。それも濃淡のない黒のベタ塗りですから、ヒトやモノの形状は明確になります。荷車を引く者、人力車をこぐ者、荷物を抱えて運ぶ者、それぞれの労働の形態が端的に表現されています。一方、手前の二人はズボンのポケットに手を入れて立ち、校門辺りを指さしながら、余裕のある姿勢を見せています。いずれも黒一色で描かれ、余分な情報が削ぎ取られているせいか、モチーフの所作、振舞いがダイレクトに伝わってきます。一見して、余裕なく働く人々と知識階級に属する人々との差異が明らかで、メッセージ性の強い画面構成になっているのです。

 興味深いことに、背景には何も描かれず、モチーフに付随するはずの影すらありません。ところが、観客は大きな余白に地面を感じ、空を感じ、空気を感じ、話し声すら感じて、描かれたモチーフの実在を感じ取ります。さらに見続けていると、やがて、それら一切が消失し、モチーフが放つエッセンスだけが残っていきます。大きな余白と黒一色で描かれたモチーフがもたらす効果でしょうか。

 墨道氏は『墨人画』という小冊子の中で、以下のように書いています。

****
 東洋絵画では、西欧絵画で単なる「描き残し」とされる「余白」が重視され、絵の重要な構成要部として積極的に扱われてきた。「余白」とは主題を際立たせる為とか、画家の稚拙さのための失敗ということでは決してなく、何かが描かれている部分と同等で、知覚・知識では捉えられないものを正しい方法(何も手を加えず心でしっかりと感じる)で絵の構成要素とする行為なのである。そこでは絵の具の厚みや遠近法に依らない二次元、三次元以上の高次元の豊富な内容が存在している。
****

 これを読んで、私が最近、ぼんやりと感じていたことが明確になってきたような気がしました。絵画の世界ではリアルに見えるための技法がこれまで積み重ねられてきましたが、カメラが登場して以来、写実的に描くことに意味が感じられなくなりました。どのようなフィルターを通してモチーフを表現するかにエネルギーが注がれてきましたが、それもまた意味をなさなくなりつつあります。

 墨道氏の墨人画を見ていて、何か新しい表現の地平が切り拓かれているような気がしたのは、おそらく、余白、すなわち、無の中にこそ存在するものに目を向ける試みが新鮮に感じられたからかもしれません。
 
■民族文化を踏まえ、新たな表現の時空への誘い
 暁文氏の展示作品は、これまでご紹介してきたように、満洲文化、満洲民族文化に属するもの、日本文化を感じさせるものに類別されるでしょう。満洲で生まれ育ち、結婚を機に日本で暮らし始めた来歴が諸作品にそのまま反映されていたといえます。満洲人の精神、満洲を具体的に表象する文化、そして、日本文化が自然との関わりの中で奏でる情緒、それぞれが卓越した技法の下、見事に作品化されており、感心しました。

 一方、墨道氏の展示作品は、中国で学んだ水墨画を発展させて独自の画法である墨人画を開発し、中国の日常生活で垣間見えた光景の数々を捉えたものでした。抽象化され、洗練された技法だからこそ表現できる中国文化の一端が見事に捉えられていました。情報が氾濫する現代社会だからこそ、黒一色と余白で構成される墨人画の魅力が引き立つように思います。

 今回、溝口墨道氏と暁文氏ご夫妻の展覧会に参加させていただき、絵画が表現できる世界の広がりを感じさせられました。満洲、中国、日本の文化を踏まえ、新たな表現の時空に誘われているような気になりました。お二人の今後のご活躍を期待したいと思います。(2018/11/4 香取淳子)

次世代医療イノベーション@Hitachi Social Innovation Forum 2018に参加し、考えてみた。

■次世代医療イノベーション
 2018年10月18日と19日、東京国際フォーラムで「Hitachi Social Innovation Forum 2018」が開催されました。さまざまな社会イノベーションにちなんだ特別講演、特別対談、ビジネスセッション、セミナーなどが開催される一方、展示会場では日立が推進する7ジャンルのイノベーションが紹介されていました。

 たとえば、「デジタルとデータが牽引するヘルスケア・イノベーション」の展示コーナーでは、参加者が群がるようにしてスタッフからの説明を聞いていました。

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 展示コーナーを見てから、会場ホールに向かいましたが、途中、階下で参加者たちが展示コーナーを歩き回っているのが見えました。展示会場では興味深い社会イノベーションがいくつも紹介されており、それだけで未来社会の一端を窺い知ることができるような気になります。

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 私は、19日の午後(13:30 ~15:00)開催されるビジネスセッション「データが拓く次世代医療イノベーション」を聞きたくて、このフォーラムに参加しました。

 というのも私は日頃、iPhoneを身につけていますが、それだけで、歩数、距離数、登った階段数、睡眠時間などがわかります。歩数計を持ち歩かず、自分でなんらかの作業をすることもなく、ただ身につけているだけで、それだけのことがわかるのです。ですから、ヘルスのアプリを見て、歩数が少ないときはもっと歩こうという気になります。数字の力は大きく、いつの間にか、一定量の歩数になるまで歩く習慣ができてしまいました。運動が苦手の私にとってはiPhoneが一種の健康管理の役割を果たしてくれているといってもいいでしょう。このような経験がありましたから、このビジネスセッションの「データが拓く次世代イノベーション」というタイトルに引かれたのです。

 このセッションの登壇者は、(株)インテグリティ・ヘルスケア代表取締役・医療法人団鉄祐会理事長の武藤真祐氏、順天堂大学医学部放射線診断教室準教授の隈丸加奈子氏、日立製作所ヘルスケアビジネスユニットCEOの渡部眞也氏、そして、モデレーターは日経BP総研メディカルラボ所長の藤井省吾氏でした。

こちら →
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 知らないことも多かったので、調べながら、ご紹介していくことにしましょう。

 モデレーターの藤井氏は、2018年は医療が大きく変化する年になるだろうと指摘します。というのも、診療報酬が改訂されたり、「次世代医療基盤法」が施行されたりしたからでした。まず、2018年4月1日に診療報酬が改訂され、オンライン診療報酬が新設されました。

こちら →
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000201789.pdf

 そして、2018年5月11日には「次世代医療基盤法」が施行され、取り扱い業者を規定した上で、匿名化した情報を医療ビッグデータとして扱えるようになりました。

こちら →
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/jisedai_kiban/pdf/h3005_sankou.pdf

 医療でのICT利活用に関する制度が立て続けに整備されたのです。もちろん、施行後の状況を見てガイドラインは毎年改訂されるようですが、この状況を見ると、確かに、2018年は医療変革のエポックメーキングの年になるといっていいのかもしれません。

 それでは、このような現状について、登壇者たちはどのように捉えているのでしょうか。

■ICTとの関わり
 早期にオンライン診療を手掛け、現在、オンライン診療プラットフォーム事業者インテグリティ・ヘルスケア会長でもある武藤氏は、これからの医療システムは、①患者の行動変容を主眼とした治療、②日常生活への早期介入、重症化予防、③患者が参画する医療、といった具合に変化していくといいます。

武藤真祐氏
 武藤氏は、疾病構造の変化に伴い、今後は、患者個人にフォーカスした医療が必要になってくるという立場です。ICTを活用すれば、問診、モニタリング、食事の記録、一元化されたビュー、予約・ビデオチャット、お知らせ機能を介した患者とのコミュニケーション、等々を通して個別対応が可能になり、より的確な疾病管理ができるようになるといいます。つまり、「かかりつけ医」の機能をICTで強化するわけですが、これを1年前に福岡市で実証を開始した結果、実際に治療につなげることができ、予防と治療をつなげる効果も得られたそうです。

隈丸加奈子氏
 隈丸氏は、日本は諸外国に比べ、画像検査は進んでいるが、まだ問題点は数多くあるといいます。たとえば、人口当りの検査機関の多さは世界一なのに、放射線科医は少ないのが現状で、最低でもこの2.09倍は必要なのだそうです。さらに、日本では検査はポジティブに捉えられやすく、ネガティブな側面は見逃されがちになっている。そのせいか、無駄な検査や過剰な検査が多く、身体に悪影響を及ぼしかねない上に、医療費増加の原因になっていると指摘します。

 その解決策として隈丸氏は、画像検査の領域ではAIが進んでいるので、National data baseを構築し、医療者の患者情報へのアクセスを強化することができれば、検査の重複を避け適切で有効な検査ができるようになると提案します。これを推進するには、有効な検査を行った医療者には高い報酬を支払うようにする必要があるといい、AIを介した深い診断には期待がもてると述べます。

渡部眞也氏
 渡部氏は、これからは健康寿命延伸が大きな課題になるとし、データが医療イノベーションを牽引するようになるといいます。たとえば、がんゲノムの場合、がんセンターを中心にデータを収集し、それらのがんゲノムデータを利活用すれば、個別化医療も可能になると指摘します。また、シーケンスコストの下落がゲノム解析をしやすくしたといい、いずれの場合もデータが大きな役割を果たしていることを指摘します。データは医療の安全性向上、診断や検査法の開発、治療薬の開発などさまざまな領域で貢献するようになりますが、使用に際しては、個人情報をどのように匿名化するかが重要だと指摘します。これについてはOpt-in、Opt-outを基準に取り組むようになるだろうといいます。

 さらに、AIロボットは現在、脳ドックにおいてベテラン医師と同等の結果を出しているとし、いかに質のいいデータでdeep-learningにつなげていくかが大切だといいます。ところが、メーカーは学会のデータを使うことはできないので質のデータの利用ができない、データはもっとオープンにし、利活用しやすいようにしてもらいたいといいます。そして、人口500万人のデンマークでは個人データが紐づけされて収集されており、その利活用を通して成果を上げているが、人口1億2000万人の日本でどのように実装していくかが課題だと指摘します。

■課題は何か
 オンライン診療を手掛けてきた武藤氏は、今年新設されたオンライン診療の保険点数が対面診療よりも低く、しかも制約が課せられているので、なかなか導入が進まないといいます。現場でどう使えばわからない、あるいは、誤診への懸念などから厳しい制約が課せられたのだと思われるが、ガイドラインは毎年改訂されるし、ニーズはあるので、オンライン診療は今後、広がっていくと展望します。そして、社会的ニーズの高いオンライン診療を今後、推進していくには、リアルな医療とサイバー医療とのマッチングについて社会実験をし、適切で有効な組み合わせを考えていくのが、今後の課題だといいます。

 渡部氏は、リアルな医療データは利活用によって新しい資源になるが、現実にはいろんな課題があるといいます。まず、データ収集における課題、現段階では匿名で対処しようとしているがまだ議論が必要だといいます。一方、医療現場ではデータが共有されていないことが多く、今後はデータを利活用することのメリットを提示し、現場とメーカーとの距離を縮めていく必要があるといいます。

 隈丸氏は、データ共有化の問題にはシステムの問題、ヒトとヒトとの問題があるとした上で、ビッグデータ前のデータ化の課題については、システムの改善によって解決できるのではないかと指摘します。

■医療イノベーションは健康寿命の延伸に寄与できるのか
 武藤氏は、オンライン診療は予防から治療まで対応できるとし、とくに、ビッグデータを分析すると一定の確率で疾病がどのように発症するかということを確認することができるので、患者に対して説得力のある治療方法を提示できるし、個別にアドバイスできるので適切な予防や治療ができるといいます。

 隈丸氏は、AIによる画像診断には、①検査の診断精度の向上に寄与、②画像診断をベースとした早期診断が可能、③現在は特化型AIだが、多機能型AIを開発できれば、さらに有効な診断が可能、等々のメリットがあることを指摘し、AIが果たす役割に期待できるといいます。

 渡部氏は今後、健康増進、予防、治療などに総合的に対応していく必要があるとし、地域包括ケアの重要性を指摘します。その基盤になるのが情報の共有なので、家庭でも健康づくりができるといいます。たとえば、バイタルセンサーを通して生活の中から情報が得られる仕組み、それをセンターに送信して処置がフィードバックされれば、住居が健康をつくるツールとして考えることもできます。各所から収集されたビッグデータにはヘルスキュレーターを置いて、新しい発見があれば、その都度、公開していくのが望ましく、医療ビッグデータは国民の共通財産として取り組む必要があるといいます。

 最後に、登壇者3人から医療イノベーションについてのコメントが述べられました。

 武藤氏は「既存の医学が病院の外に開放されつつあり、患者の望むケアが可能になる時代になりつつある」とし、隈丸氏は「適切な検査利用のためのデータ利活用を推進し、企業やさまざまなプレイヤーとデータを共有し、よりよい出口戦略をめざす」とし、渡部氏は「データにはステークホルダーが多いが、議論しながら実装していくこと、現場の課題を踏まえスタートすることが必要」と述べられました。

 登壇者はそれぞれ最先端で、オンライン診療、AIを活用した検査、ビッグデータを活用した包括ケアに取り組んでおられました。それだけに指摘されたポイントはなるほどと合点がいくものばかりでした。

■社会ニーズと行政
 総務省は「Society5.0に向けた戦略分野」として「健康寿命の延伸」をトップに掲げ、以下のような医療ICT政策を起案しています。

こちら →http://www.soumu.go.jp/main_content/000518773.pdf

 今回のセッションは、「技術革新を活用し、健康管理と病気・介護予防、自立支援に軸足を置いた 新しい健康・医療・介護システムの構築」を目指して実践する方々を登壇者に迎えて展開されました。医療機関、大学、メーカーの立場からそれぞれ、現状を踏まえた論点が提供されたのがよかったと思います。登壇者のお話をうかがいながら、「産学官民が一体となって健康維持・増進の取組」の一端が見えてきたような気がしました。

 ところが、10月20日の日経新聞で、「オンライン診療導入1%どまり」という見出しの記事を目にしました。4月に保険適用が始まったのに、半年を経た現在、オンライン診療の導入が進んでいないという内容の記事でした。医療機関全体の1%ほどしかオンライン診療の届け出を提出していないというのです。

 記事では、保険適用になったのに導入が進まない理由として、厚生労働省がオンライン診療の対象者として糖尿病などの慢性疾患に限定し、オンライン診療にすれば便利になると思われる病気の患者を対象から外したからだとしています。

 オンラインで保険診療が可能になる病気と、保険適用にはならないが、オンライン診療が有効だとされている病気は、以下の通りです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。日経新聞2018年10月20日付)

 2015年8月以来、事実上認められてきた病気のオンライン診療も、2018年4月のオンライン診療の保険適用新設に際して扱いが区別され、上記のような慢性疾患だけに限定されました。対象外となった疾患の患者はがっかりしていると記事には書かれています。それだけではありません。オンライン診療でも最初の診療は対面診療が義務付けられ、対象は原則として約30分以内に通院できる患者に限定されました。オンライン診療は対面診療の補完的な位置づけでしかないことが明らかになったのです。しかも、診療報酬は対面よりも安価です。これでは医療機関の意欲を削ぐのも当然でしょう。

 保険適用を新設し、オンライン診療に向けて制度整備をしたはずなのに、施行後半年を経て、すでに取り組んでいた医療機関でもオンライン診療を取りやめるケースが増えてきているそうです。運用ルールが細かく指定され、手軽に受診できることが利点のはずのオンライン診療がニーズのある人に利用してもらえないという矛盾が出てきているのです。

 シードプランニングによる市場予測では、今後2025年までに急速に伸びるのが保険適用のオンライン診療と自由診療のオンライン診療だと予測されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。
https://www.seedplanning.co.jp/press/2018/2018072501.htmlより)

 2025年には団塊の世代が後期高齢者になり、高齢人口が増えるとともに、医療費も増大します。

こちら →
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/dl/link1-1.pdf

 2025年といえば後わずか7年後、いまのままの医療体制で対応しきれるのでしょうか。この図を見ていると、シードプランニングが予測しているように、保険診療であれ、自由診療であれ、今後、オンラインが急増するのは当然だという気がしてきました。AIを活用した予防、治療をはじめ、医療現場のニーズに対応したさまざまなイノベーションが立ち上がってくる必要があるでしょう。

 行政はむしろ医療イノベーションを積極的に後押しする覚悟で臨む必要があるのでしょうが、今年4月、5月に行政によって制度整備された枠組みはそれとは逆に水を差すようなものでした。先ほどご紹介した日経新聞の記事によれば、オンライン診療を取り止めたケースもみられるといいます。

 私は日頃、スマホで健康管理ができるのを有難く思っています。それで、今回のセッションに参加したのですが、登壇者のお話を聞いて、産官学でさまざまな医療イノベーションが実践されていることを知り、頼もしく思いました。帰宅し、いろいろ調べた結果、人口構成の面でも技術革新の面でも現在、大きな変革期を迎えていることがわかりました。さまざまなデータを見ているうちに、高齢人口の増大がもたらす社会的デメリットは、きっと技術革新によって解消できるはずだと思うようになりました。

 高齢先進国日本がどのように高齢化のもたらす課題に対応していくか、その模索の過程で発見したさまざまな知見はそのまま世界のモデルになっていくでしょう。すでに大勢のヒトが医療イノベーションに取り組んでおられると思いますが、社会的課題の解決が今度の大きなビジネスにもなることを思えば、AIの活用、ICTの活用等による斬新なアイデアの芽を摘まないように、適切な制度整備をしていく必要があるのではないかという気がしました。(2018/10/22 香取淳子)

「ルーベンス展」に見る、生、老、死

■ルーベンス展の開催
 国立西洋美術館でいま、ルーベンス展が開催されています。開催期間は2018年10月16日から2019年1月20日までですが、友達に誘われ、10月18日に行ってきました。会場には第1から第7までのコーナーが設けられ、ベルギー生まれのルーベンスがいかにイタリアの美術作品から着想を得たのか、あるいは影響を与えたのか、といった観点から展覧会が構成されていました。

こちら →http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2018rubens.html

 ルーベンス(Peter Paul Rubens、1577-1640)は、ベルギーのアントウェルペンという町で工房を持ち、制作活動をしていましたが、若いころ数年間イタリアに滞在し、古代彫刻やルネッサンス期の美術、カラバッジョらの美術の影響を受けて、自身の表現技法を確立したといわれています。ですから、この会場にはルーベンスの作品や古代美術、イタリアの画家たちの作品など、計70点が展示されていましたが、必ずしも年代順に展示されていたわけではありません。

 さて、「ルーベンスの世界」と題された第1コーナーでは、「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」(1615-16年)、「眠るふたりの子供」(1612-13年)といった見覚えのある作品が展示されていました。どちらも国立西洋美術館の常設展で見たように記憶していたのですが、どういうわけか、「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」の方はリヒテンシュタイン侯爵家のコレクションになっていました。

■子供の顔
 常設展ではじめて、この「眠るふたりの子供」を見たとき、そのあどけなさに引き込まれ、しばらく見入ってしまったことを思い出します。今回、改めて見て、子供の情景が的確に捉えられ、その本質が完璧なまでに表現されていることに感心しました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。国立西洋美術館蔵)

 赤味のある頬からは温かな体温が感じられますし、半開きの口からは微かな寝息すら聞こえてきそうです。無心に眠る二人の子供たちの表情はいずれも、誰もがいつか、どこかで見たことがあるような子供の寝姿です。この作品には、子供だからこそ放つことができる生の豊かな一側面が捉えられているといえます。

 子供がふとした瞬間に見せる微妙な表情を見事に捉えているのが、「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。リヒテンシュタイン侯爵家蔵)

 赤味のある頬と柔らかくきめ細かな肌からは、生き生きとした子供の生命力が感じられます。正面を見据えた目、きりっと結んだ口元が印象的です。聡明で、明朗快活な子供なのでしょう。いまにも画面から話しかけてきそうです。

 第一コーナー「ルーベンスの世界」で取り上げられていた作品は7点、そのうち5点がルーベンスの作品で、3点が子供を描いた作品でした。上記2点と「幼児イエスと洗礼者聖ヨハネ」(1625-28年)です。いずれも子供の生き生きとした表情が余すところなく捉えられ、輝くような色彩で表現されているのが共通しています。

 生命の輝きが豊かな色彩、動きのある構図で描かれており、生を讃える情感が溢れています。ルーベンスが描いた多数の作品の中でもとくにこれらの作品は、「バロックの誕生」にふさわしいといえるでしょう。

■高齢者の顔
 第2コーナーで印象に残ったのが、「老人の頭部」(1609年頃)です。63.5×50.2㎝の比較的小さな作品だとはいえ、有名人でもない一般の高齢者の横顔を題材としています。それが珍しく、印象に残りました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。エルミタージュ美術館蔵)

 精密に高齢者の横顔が描かれています。髭と頭髪に覆われていますが、目の周辺の描き方から、顔面の物憂げな表情を容易に想像することができます。

 おそらく同じ人物なのでしょう、正面を向いた「髭をはやした男の頭部」(1609年頃)というタイトルの作品も展示されていました。こちらも髭や髪の毛が丁寧に描かれており、正面を向いた男は横顔から予想された通り、哀感が漂っていました。取り立ててドラマティックなわけではないのですが、顔面の表情を克明に描くことによってその内面が深く描出されており、心打たれます。

 このコーナーでは「毛皮を着た若い女性」(1629-30年頃)など女性を描いた作品も展示されていましたが、生き生きとした躍動感は感じられませんでした。丁寧に描かれてはいるのですが、類型的な描き方に終始しているように思えたのです。

 圧倒的な存在感を感じさせられたのが、「セネカの死」(1615-1616年)でした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。プラド美術館蔵)

 調べてみると、ネロから自殺を強要されたセネカはドクニンジンを飲んでも死にきれず、終には、静脈を切り、血を流れやすくするために湯を張った盥に身を沈めたといわれています。この作品は、今まさに身を沈めようとしているシーンを描いたものです。天を見上げる視線や半開きになった口元には、死に際の苦悩が表現されている一方、死に臨んでも哲学者らしく冷静沈着に振舞おうとするセネカの精神力が見事に描かれています。

 目の表情、口元、皺、肌のたるみ具合など、年齢を重ね、知性を醸成してきた顔が精緻に描かれています。さらに、身体は筋肉隆々の頑健さが強調して描かれており、強靭な生命力が宿っていることが示されています。それにもかかわらず、暴君ネロによって無残にもその生命が終わらせられようとしているのです。セネカの無念さがひしひしと伝わってきます。

 会場でルーベンスの作品を次々と見ていくうちに、脇役ですら高齢者の顔が表情豊かに捉えられていることに気づきます。

 たとえば、「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」(1615-1616年)という作品があります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。リヒテンシュタイン侯爵家蔵)

 この作品で私が強く印象付けられたのが、老婆の顔です。若く美しい裸身の女性たちの中にいて、一人だけ暗い色調の衣服をまとい、顔を正面に向けています。裸体で描かれた娘たちや子供は輝くような肌色で描かれ、弾けるような若さが表現されています。一見、華やかなのですが、女性や子供はどちらかといえば類型的に描かれ、ポーズも固まっています。

 ところが、背後からぬっと顔を出すようにして描かれたこの老婆は奇妙な存在感を放っています。若くもなければ美しくもない、歯牙にもかけられない存在のように見えるのに、この作品でもっとも存在感を感じるのがこの老婆でした。それはおそらく、この顔がリアルに表情豊かに描かれているからでしょう。老婆の表情からは先ほどご紹介した、死に臨んだセネカのような崇高な知性すら感じさせられました。

■キリスト哀悼
 第3コーナーには「英雄としての聖人たち」とタイトルが付けられており、関連する諸作品が展示されていました。その中で印象に残ったのが、「キリスト哀悼」(1601-02年)という作品でした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。ボルゲーゼ美術館蔵)

 会場でこの作品を見たとき、よくある宗教画だという印象しかありませんでした。人体の骨格の描き方はリアリティに欠け、キリストの周りを取り巻く人々の表情もバラバラでぎこちなく、統一感がありません。ですから、さっと見ただけでスルーしたのですが、次に、同じタイトルの作品(1612年頃)を見た瞬間、強い衝撃を受けました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。リヒテンシュタイン侯爵家蔵)

 まず視線を引き付けられるのが、血の気を失ったキリストの顔色です。そのまま視線を下方にずらすと、足もまた同じように青味がかった色で表現されています。息絶えて血が通わなくなって、少しずつ身体が変化し、すでに硬直し始めているのでしょうか。ただ、上半身にはまだやや赤味が残っています。おそらく、死後それほど時間が経っていないときの状況なのでしょう。人体を生物学的に理解し、構造学的な視点も取り込みながら描かれているせいか、ぞっとするほどのリアリティがありました。

 次に気になったのが、キリストの頭部を抱きかかえるようにして、右手で額に刺さった棘のようなものを抜き、左手で片方の目を閉じさせようとしているマリアの姿です。キリストと同じように土気色の肌をしていますが、こちらの肌色には深い悲しみが表現されています。キリストを見つめる視線、そして、軽く閉じられた口元からは慈しみの情が溢れており、見る者の気持ちを打ちます。
 
 キリストの身体は画面の対角線上に置かれ、上部と右上半分に悲しみに浸る人々が配置されています。頭部周辺にはマリアと使徒、周辺には信徒といった具合にレイアウトされており、それぞれのキリストとの関係性が示されています。

 キリストの身体に寄り添う人々の輪の外側に、一人の若い女性が泣きはらした顔を天に向けています。半開きの口、茫然とした表情をのぞかせています。あまりにも強い悲しみで、彼女は一時、感情を失っているようにも見えます。キリストの傍らにいて、気丈にもキリストの苦しみを取り除こうとしているマリアの姿とは対比的に描かれています。

 キリストが昇天しようとしているとき、取り巻く人々はそれぞれ独特の姿勢で、その死に際に向き合い、深い悲しみを表現しています。各人各様の祈りのスタイルが丁寧に描き分けられており、キリストの死を巡る哀悼の刻が見事に表現されています。人々の感情が凝縮された濃密な時間が、リアリティ豊かに画面から伝わってきます。

■ローマの慈愛(キモンとペロ)
 第7コーナーで展示されていた衝撃的な作品があります。「ローマの慈愛(キモンとペロ)」(1610-12年)です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。エルミタージュ美術館蔵)

 まず題材とその構図に驚いてしまいました。見た瞬間、エロティックなピンナップに見えてしまったからでした。これまで美術館でこのような絵柄は見たことがないと思いながらも、よく見てみると、若い女性の顔は慈愛に溢れ、老いた男性は瀕死の状態で判断力も失っているようでした。これではとてもピンナップとはいえません。

 そうはいっても気になったので、帰宅してから調べてみました。すると、この作品は歴史家ワレリウス・マキシムの著『忘れざる行為の9冊の書とローマ人の言葉』に書かれた物語に基づいて描かれ、父親に対する娘の献身的な愛が象徴的に表現されているといわれているようでした。

こちら →http://mementmori-art.com/archives/24650902.html
 
 上記の記事には、同じ物語を題材に描かれた15の作品が紹介されていますが、諸作品の中ではルーベンスのこの作品がもっとも美しく、説得力が感じられます。

 心配そうな表情で父親を見守る娘の表情がなんともいえず穏やかで、まるで母親が子供を包み込むような深い愛情がひしひしと伝わってきます。一方、衰弱しきった父親はすでに判断力を失っているのか、虚ろな目をして乳首に口を寄せています。娘と父親という立場がこの場面では救おうとする者と救われようとする者とに逆転しているのです。

 この作品からは、死線を彷徨っているときはもはや娘でも父親でもなく、ヒトとしての根源的な愛が表出してくるのだということが示されています。一見、エロティックに見える絵柄から、家族愛を超えた深い愛がほのかに見えて、実に感動的でした。

■ルーベンスの作品に見る、生、老い、死
 会場で70点ほどのルーベンスの作品を鑑賞しましたが、私が強く印象付けられたのは、上記でご紹介した諸作品でした。無心のあどけなさでヒトを魅了する子供の顔。老いが刻印されながらも知性が滲み出ている高齢者の顔。そして、愛する者、尊敬する者の死を前にした人々の顔。いずれも単なる顔付きや態度が描かれているだけではなく、その背後に潜む気持ちや精神のありようまでもが表現されており、気持ちを揺さぶられました。

 会場には、『人間観相学について』という書物なども展示されており、ルーベンスがヒトを観相学の観点から捉えていたこともわかりました。顔や人体を的確に描くには、骨相学、観相学の知識が必要なのでしょう。ルーベンスを展覧会で見るのは今回が初めてでしたが、ヒトを身心の観点から捉えようとしている姿勢が明確で、とても考えさせられました。時代を超えて生き続ける画家の作品には、ヒトに対する理解が深いのだということが実感されました。(2018/10/19 香取淳子)