ヒト、メディア、社会を考える

08月

102歳のクリエーター・篠田桃紅氏

■『百歳の力』
 新幹線の発車までに時間の余裕があったので、京都駅の書店に立ち寄ってみました。入ってすぐの所、カウンターの近くに新刊書が平積みにされていました。書店ではよくある配置です。そのまま通り過ぎようとして、ふと、「103歳の現役美術家、唯一の自伝!」というキャッチコピーに目が留まりました。さらに、「10万部突破!」というコピーも目に飛び込んできました。本のタイトルは『百歳の力』、著者は「篠田桃紅」です。これでは手に取らないわけにはいきません。

 奥付を見ると、初版は2014年6月22日、私が手に取っていたのは、2015年7月13日に発行された第八刷目の本でした。本が売れない今の時代に、わずか1年で八刷も版を重ねていたのです。よほどヒトの心を捉えるものがあったのでしょう。

 ざっと眼を通しただけで、気になるフレーズがいくつも見つかりました。新幹線の中で読むにはちょうどいいでしょう。私はそのまま、レジに進みました。
 
 篠田桃紅氏は1913年3月28日生まれですから、いま、102歳です。それが現役のクリエーターだというのですから、驚きです。著名人なので、ずいぶん前から名前だけは知っていました。書道家だと思っていたのですが、この本を見ると、どうやら美術家でもあるようです。その程度の認識ですから、私はこれまで篠田氏の書を見たこともなければ、画を見たこともありませんでした。

 ところが、書店でたまたまこの本を手に取り、ちらっと読んだだけで興味をかき立てられました。近来になく、心に響くものがありました。私は偶然出会ったこの書に導かれるようにして、篠田桃紅氏が築き上げてきた創作の世界に入っていくことになりました。

■無限の世界へ
 これまで私が思い込んでいたように、篠田氏はたしかに書道家でした。この本を読むと、5歳のころから父に書の手ほどきを受け、桃紅という雅号もその父から与えられたというのです。書道家として生きることを運命づけられていたかのような生い立ちでした。

 興味深いことに、篠田氏は子どものころから制約を受けることを快く思わなかったようです。当然のことながら、適齢期になると、結婚を前提としない生き方を選択するようになります。結婚に伴う制約をなによりも恐れたからでした。当時は女性が一人で生きていくことがとても難しかった時代でした。ところが、篠田氏は女学校を卒業するとまもなく家を出て、書道を教えることで生計を立てはじめます。幼いころから才能を発揮していた書道を支えに、キャリア人生をスタートさせたのです。

 第4話「人生というものをトシで決めたことはない」の冒頭に、「無限の世界へ出る」と題された文章があります。これが篠田氏の創作を知る上で大変、参考になります。

「私は好きなように書きたかった。自分のやりたいことをやりたかったから、字を書く決まりの紐をほどいて、無限の世界に出ることにした」と書き、続けて、「字を書いているということは紐つきなんですよ。範囲が決まっている。自由がない。自由がないのがいやだったのね。だから、墨で抽象画を描くようになった」と書いています。(『百歳の力』pp.106-107.)

 この文章を読んで、私は軽い衝撃を受けました。字を書くことに制約があるとは、これまで思ったこともなかったからです。でも、いわれてみれば、たしかに、文字にはいくつもの制約があります。どのような形状の文字であれ、文字は一つのマス目に収まるようなサイズで均質化され、それらは縦方向一列、あるいは、横方向一列に並べて配置されています。さらに、その文字の組み合わせで意味が伝達されるようになっています。

 ですから、たとえ、数語であっても文字である限り、一定のルールに従って書かなければなりません。それを篠田氏は「自由がない」と感じてしまうのです。そのような感性の鋭敏さがおそらく創作の原動力になっているのでしょう。

■書から画へ
 たとえば、篠田氏の作品に、平仮名と図を組み合わせた「katachi」という作品があります。

こちら →katachi
http://free-stock-illustration.com より。

 篠田氏の作品には珍しく、文字と非文字が組み合わされています。ここで書かれている文字はかなり形を崩して書かれていますが、一目で、平仮名だということがわかります。平仮名の痕跡がそれとなく残されているからでしょう。

 平仮名を全く知らないヒトが見てもおそらく、これらの線で構成された造形物が文字だということはわかるでしょう。個々の図形は均質化され、一つのラインに沿って並べられているからです。右側に縦方向に書かれた2行の黒い文字、そして、左側に、こちらも縦方向ですが、やや斜めに書かれた2行の赤い文字、いずれも和文で文字を書く場合の法則にしたがっています。

 一方、この作品には3つの非文字の造形物が描かれています。いずれも板のように見える造形物ですが、一ヵ所で接合されており、その上にさきほどの文字列が配されています。ちょっと引いてこの画を見たとき、何が見えてくるかと言えば、真っ先に目につくのが、この板のような造形物です。この造形物は画面に方向性と奥行きを与えるばかりか、力強い形態と色彩によって見る者を奥深い世界に引き込んでしまうからです。ここでは文字はちょっとした装飾にしか見えません。

 同じように文字と非文字を組み合わせた作品に、「fantasy」というタイトルの作品があります。

こちら →fantasy
米ニューメキシコ州、Glenn Green Galleries所蔵。

 こちらは4枚の石のような形状のものの上に、象形文字から漢字に進化する過程の字が書かれています。白っぽい石の上には黒の字、その下の黒の石の上には赤の字、そして、一番下の石には金の線画のようなものが書かれています。ここでは文字と非文字が拮抗する力で構成されていますが、ヒトの眼を引くのは黒、赤、金で彩色された文字です。ところが、これらはいわゆる文字ではなく、象形文字の進化形あるいは線画と言った方がふさわしいものです。

 文字と非文字を組み合わせた作品「katachi」と「fantasy」を見ていると、篠田氏が「書」を線芸術として捉え、やがて「画」に進んでいった理由がなんとなくわかるような気がしました。毛筆と墨という日本古来のメディアには、「書」に拘束されない幅広い表現の可能性があるのです。幼い頃から書に親しんできた篠田氏は、毛筆と墨のもたらす美術的深淵を熟知しておられたのでしょう。書から画へと、活動領域を広げられ、そして、現在に至っています。

■岐阜県立美術館
 日本で多数の篠田作品を所蔵しているのが、岐阜県立美術館です。1950年代から現在に至る篠田コレクションは約800点を超えるといわれています。まさにここで、篠田桃紅氏の世界を堪能することができるのです。

こちら →http://www.gi-co-ma.or.jp/collection/index.html

 今年も「篠田桃紅 静謐な白」展(2015年5月31日~7月16日)が開催されました。約30点が展示されたようです。

こちら →http://www.gi-co-ma.or.jp/exhibition/150603/index.html

 篠田氏が毛筆と墨によって、「無限の世界」へ飛翔したことはすでに述べました。この展覧会はどうやらその墨がもたらす余白の「白」に着目して構成されているようです。

 展覧会のタイトルは「静謐な白」です。篠田氏は墨の深さと勢いによってもたらされる「静謐な白」に心惹かれているといわれています。たしかに、墨の深さは余白の白を際立たせ、墨の勢いは余白の静謐感を高めます。そして、黒白は明度の差を表す一方、そのコントラストによって相互に引き立てあいます。一方、ヒトの世は明暗、禍福があざなえる縄のようにやってきます。

 篠田氏は『百歳の力』の中で、詩人の草野心平の言葉を引いて次のように書いています。

「富士が美しいのは、底に火があって、てっぺんに雪がある。その両極があること、それが富士を丈高くしている。ああいう美しいものはこの世にない」(p.148)

 篠田氏も同様に、富士山には両極があるからこそ、崇高で壮大なのだと書いています。富士山が崇高で壮大なのは決して日本一高い山だからではないのだというのです。このような対象の捉え方は、次のような見解につながります。

「感覚というものは、言葉にはなりにくいものです。はっきりしない。たとえば熱い、冷たい、という単純なものは伝えうるけど、それ以上のこまやかで複雑なものはたいへんに難しい。そうした感覚を表現しうるのが抽象で、言葉に置き換えられないものが抽象という芸術です」(ppp.170-171)

 篠田氏は、「無限の世界」を求めて、書から画に活動領域を移してきました。当然のことながら、描く世界も抽象の世界です。具象であれば、見ればすぐに何が描かれているのかがわかります。ですから、それだけで見るヒトの感覚が拘束されてしまうというのです。範囲が決まってしまうと、ヒトはそれ以上の感覚を持つのが難しい。ところが、何が描かれているのかわからなければ、無限のその感覚を押し広げることができる・・・、だからこそ、篠田氏は墨と毛筆で抽象の世界を表現してきたのです。

 このような見解を持ち続けていること自体、篠田氏が102歳でなお現役のクリエーターであることの明らかな証左といえましょう。さらに彼女は、抽象は無限の想像力を誘い出す一つの道筋なのだとも書いています。根っからの自由人であり、クリエーターなのです。この本を読んでから、私は慌てて篠田氏の作品を鑑賞し、その創造力に圧倒されるとともに、想像力を限りなく刺激されました。(2015/8/13 香取淳子)