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11月

佐川美術館とスイス プチ・パレ美術館展

■佐川美術館へ

 「スイス プチ・パレ美術館展」が、滋賀県の佐川美術館で開催されました。開催期間は2021年9月14日から11月7日まででしたが、私がこの展覧会の開催を知ったのが遅く、会場を訪れたのは、終了2日前の11月5日でした。

 佐川美術館は、守山市水保町北川にあり、最寄り駅はJR湖西線の堅田駅です。交通案内を見ると、美術館に行くには、琵琶湖大橋を渡らなければなりません。そこで、駅前でレンタカーを借りて、美術館に向かいました。

 地図を見ると、広い琵琶湖を横切る線で最も短いのが、堅田から守山へのラインでした。琵琶湖大橋がここに設置されたのは当然だと思いました。

堅田から守山

 金曜日でしたが、琵琶湖大橋を走行する車は少なく、視界を遮るものは何もありません。1400mほどの橋を渡る途中、車中から、壮大な景色を堪能することができました。

 巨大な雲が空を覆うように、至近距離で、いくつも浮かんでいます。重量感のある壮大な光景が目の前に広がっていました。空があまりにも近く、なんだか天界に近づいていくような気がしてきます。

琵琶湖大橋から空を見る

 下車して、橋を撮影したのが下の写真です。

琵琶湖大橋

 ややカーブを描いた橋の曲線によって、空と湖面とが優雅に切り取られていました。千切れ雲が浮かぶ空の青と、湖面のやや深い青とが調和し、見事な景観を創り出していました。

 そうこうするうちに美術館通りに入ると、街路樹がやや褐色がかってきていました。もうまもなく紅葉するのでしょう。

美術館通り

 紅葉すれば、この辺り一帯はそれこそ、美術を鑑賞するのにふさわしいプロムナードになるのでしょう。

■佐川美術館そのものが美術品?

 佐川美術館に着きました。

佐川美術館

 なんという光景でしょう。美術館の周りは水庭で囲われ、なみなみと湛えられた水面に、空や雲、木々が映っています。

 訪れた時は、このようにどんよりとした雲が空を覆っていました。晴れ渡った空の下ではおそらく、別の景観が見られるのでしょう。とはいえ、水庭が創り出す、なんともいえない風情には気持ちが引き込まれました。大きく広がった空を背景に、平屋建ての美術館が佇んでいる姿そのものが、壮大な芸術作品でした。

 場所を変えれば、このような景観もあります。

水庭に臨むアプローチに置かれた彫刻

 水面を臨むアプローチに彫刻作品が置かれています。屋根の稜線と円柱とで、空と建物、水庭が鋭角的に切り取られ、この光景もまた一幅の絵になっていました。

 そして、入口に向かうアプローチの右手奥には、水庭の中に彫刻作品が設置されていました。

入口に向かうアプローチ

 この写真だとよく見えないので、やや拡大してみました。こうすれば、なんとか、2本目の円柱の中ほど奥に、鹿の像が置かれているのが見えるでしょう。

水庭の中に立つ鹿の像

 この像は、彫刻家の佐藤忠良氏が1971年に札幌冬季オリンピックを記念して制作された《蝦夷鹿》です。野生動物がいまにも駆け出していこうとする瞬間が見事に作品化されていました。前足を上げて立っている鹿の姿がとても印象的でした。

■水庭

 建物の中にまだ入っていないというのに、外周だけでこれだけ感動させられてしまったのです。ここを訪れた人は誰しも、私と似たような気持ちになるにちがいありません。その要因は何かといえば、ひとえに、想像を超えた広さの水庭でしょう。

 美術館の周囲がなんと広い水庭で囲まれていたのです。予想もしませんでした。その水庭に、空や雲、木々が刻一刻と変化していく様子が、次々と映し出されていきます。見飽きることのない光景でした。

 ごく自然な営みの中に、どれほど心打つ美しさが潜んでいることか。変幻自在に創り出される光景が、どれほど興趣に富んでいることか。この水庭は、普段は意識することもない自然の美に気づかせてくれる仕掛けだといえるかもしれません。

 アプローチを歩いていくと、足元の水面にさざ波が立ち、目には見えない風の存在を感じさせてくれます。静かで安定した光景の中で、水面が創り出す絶え間ないささやかな動きが、まるで生命の営みのように思えてきます。

 平屋建てのシンプルな建物と水庭、そして、自然とのマッチングが素晴らしく、圧巻でした。

 建物の概要を示したページがありましたので、ご紹介しておきましょう。

こちら → https://www.sagawa-artmuseum.or.jp/outline/

 ここで記されているように、佐川美術館は、佐川急便株式会社が創業40年の記念事業の一環として1998年3月、設立されました。

■コレクション

 日本画家の平山郁夫氏、彫刻家の佐藤忠良氏の作品が常設展示されています。

 平山郁夫氏の所蔵作品は次の通りです。

こちら → https://www.sagawa-artmuseum.or.jp/plan/hirayama/collection.html

 佐藤忠良氏の所蔵作品は次の通りです。

こちら → https://www.sagawa-artmuseum.or.jp/plan/sato/collection.html

 また、2007年9月には、陶芸家の樂吉左衛門氏の作品を展示する「樂吉左衛門館」が新設され、展示作品の幅が広がりました。

 樂吉左衛門氏の所蔵作品は次の通りです。

こちら → https://www.sagawa-artmuseum.or.jp/plan/raku/collection.html

 その一方で、今回のような特別企画展を随時、開催し、美術館として充実した活動を展開しています。

 受付を経て、会場に向かいます。入口を入ると、正面に大きなポスターが掲示されていました。

スイス プチ・パレ美術館展

 このポスターで使用されているのは、ルノワール(Renoir, Auguste,1841-1919)の作品、《詩人アリス・ヴァリエール=メルツバッハの肖像》です。

■印象派を代表するルノワールの作品

 強いライトに照らされているせいか、この写真では、衣装の光沢ばかりが強調されて見えます。

 会場に入ると、印象派を代表する作品として展示されていました。実際の作品は次のような色調の画面でした。

(油彩、カンヴァス、92×73㎝、1913年、プチ・パレ美術館所蔵)

 どちらかといえば、地味な色合いの衣装をモチーフの女性はまとっています。ところが、白のハイライトが巧みに使われているせいか、輝くような光沢が際立ち、ゴージャスな印象を与えます。もちろん、このハイライトによって、布の皺、衣装の質感、滑らかさ、柔らかさなどが的確に表現されており、身体の曲線もよくわかります。

 いかにもルノワールの作品らしい豊満な女性の身体が、光沢のある衣装に包まれています。落ち着きのある色彩にもかかわらず、随所にハイライトを効かせた光沢のせいで、華やかさが強調されていました。

 ボリューム感のある身体に比べ、頭部は小さく、ややアンバランスに見えます。ところが、華やかな色彩を使わず、画面構成されているので、静かに笑みを湛えた女性の知的な表情が、逆に強く印象に残ります。

 傍らに花が置かれ、肘掛け椅子に片手を置き、静かにほほ笑む女性・・・、と、モチーフに注意しながら、画面を眺めているうちに、ふと、同じような構図の作品を見たことがあるという気がしてきました。

 記憶を辿りながら、ネットで確認してみると、ルノワールが1915-1917年頃に制作した《バラのある金髪の女性》というタイトルの作品でした。

 この展覧会では展示されていませんでしたので、念のため、《バラのある金髪の女性》をご紹介しておきましょう。

(油彩、カンヴァス、64×54㎝、1915-1917年頃、オランジュリー美術館所蔵)

 豊満な身体つきの女性が椅子の肘に片方の手をかけ、座っています。傍らには花が生けられた花瓶が置かれ、微かな笑みを浮かべ、夢見るような視線を投げかけています。

 そのポーズ、艶のある肌など、この二つの作品には共通している部分があります。

 両者に違いがあるとすれば、それは年齢による女性美の違いでしょう。髪の毛の色、衣装、表情、肌の艶などで描き分けられています。

■晩年に近づいたルノワールの女性観

 《詩人アリス・ヴァリエール=メルツバッハの肖像》は、黒いひっつめ髪で、光沢のあるドレスをまとっています。ドレスの布地やデザイン、ネックレス、指輪からは、正装した女性がパーティで一休みしているように見えます。

 椅子の片肘をついて座っているだけなのに、この女性からは威厳と自信、安定感が感じられます。微かに笑みを湛えた顔は知的で聡明、とても落ち着いています。

 一方、《バラのある金髪の女性》は、カールした赤毛の耳近くに花を挿し、普段着のような服装で、その肌に若さが感じられます。胸元が大きくあいた服の縁は刺繍のようなものがほどこされ、軽くはおったベストは赤褐色で、赤毛と背後の壁色とマッチしています。女性の口元からは笑みがこぼれ、あどけなさの残る表情が印象的です。

 両作品ともモチーフ、構図が似ているばかりでなく、筆遣いも似通っています。とりわけ、腕や胸の肌の艶の出し方、衣装に施したハイライトの効かせ方などに共通の技法が感じられます。

 制作年を見ると、《詩人アリス・ヴァリエール=メルツバッハの肖像》はルノワール、72歳の時の作品で、《バラのある金髪の女性》は74歳から76歳の時の作品です。ルノワールは78歳でなくなっていますから、いずれも晩年に近い時の作品でした。

 両作品とも、カラフルな筆遣いの中にハイライトを効かせ、年齢に応じた女性の美しさが描き分けられていました。若さ、清楚、可憐、深さ、落ち着き、知性、理性、といったような年齢に深く関連した要素、あるいは、概念が、巧みに表現されているのです。

 晩年に近づいてからの、この二作品を見ていると、老いてなお、深化しつづけているルノワールの観察力、画力に驚嘆させられます。女性の内面をしっかりと観察して捉え、それを画面に定着させる方法にさらに磨きがかかっていることがわかります。

 ルノワールは幼女から老女まで、数多くの女性を描いてきましたが、晩年に近づくにつれ、彼なりの女性観が確立されてきたのかもしれません。

 そうそう、ルノワールにこだわり過ぎて、入口のところで手間取ってしまいました。そろそろ会場に入っていくことにしましょう。

■スイス プチ・パレ美術館

 この展覧会では、スイスのプチ・パレ美術館が所蔵する作品65点が展示されていました。同館のコレクションが日本で紹介されるのは約30年ぶりなのだそうです。

 さらに興味深いことに、この美術館は個人が設立した美術館でした。

 スイス プチ・パレ美術館はジュネーブにある私設美術館です。なぜわざわざ「スイス プチ・パレ」と名付けているかといえば、プチ・パレ美術館そのものはすでにパリ8区に存在しているからです。

 パリ8区にあるプチ・パレ美術館は、1900年のパリ万国博覧会のために建てられました。万博後の1902年に、常設展示と特別展のあるパリ市立美術館になりました。

こちら → https://www.petitpalais.paris.fr/

 パリ市立美術館は、館内をヴァーチャルに見ることができるようになっています。

こちら → https://client.paris-gigapixels.fr/petit-palais/

 画面上の「↑」は進む方向を指し、「i」は作品情報を示しています。クリックすると、それぞれが表示されます。

 これを見てわかるように、パリ市立美術館のコレクションの質、規模は相当なものですし、丁寧な作品情報も提供されています。

 今回、佐川美術館でその所蔵作品が展示されているのは、上記のパリ市立美術館の「プチ・パレ美術館」ではなく、ジュネーブにある「スイス プチ・パレ美術館」です。

 スイス プチ・パレ美術館は、チュニジア生まれの実業家オスカー・ゲーズ(Oscar Ghez, 1905-19981)が1968年に創設した美術館です。ホームページを探してみたのですが、見つかりませんでした。それでもなんとか、建物の入り口付近の写真だけは見つけることができましたので、ご紹介しておきましょう。

スイス プチ・パレ美術館入口

 息子のクロード・ゲーズ(Claude Ghez)氏によると、1950年代に次々と家族を失ったオスカー・ゲーズは、悲嘆にくれる気持ちを慰めるように絵画のコレクションにのめり込むようになったそうです。当初は、ユトリロなどのモンマルトルとベル・エポックの画家たちの作品を集め、次いで、新印象派、ポスト印象派、そして、フォーヴィスム、エコール・ド・パリの画家たちの作品を集めていったといいます。

 コレクション熱が高じたオスカー・ゲーズは、1960年には経営していたゴム事業を売却し、すべてのエネルギーを絵画コレクションに注ぎ込むようになります。ちょうどその頃、手に入れたのが、先ほどご紹介した、ルノワールの《詩人アリス・ヴァリエール=メルツバッハの肖像》でした。

 これは、ゲーズが収集したコレクションの中の代表作品の一つです。

 1965年、オスカー・ゲーズは、スイスのジュネーブ旧市街に建てられた優雅な邸宅を購入しました。第二帝政時代の新古典主義様式の建築物です。

 先ほどの写真だけでは外観がよくわかりません。そこで、ネットで探してみると、全景がわかる写真を見つけることができました。

スイス プチ・パレ美術館全景

 ちょっと小ぶりですが、たしかに、見るからに優美な建物です。外壁のコーナーに設えられた上下階、4本の円柱はマドレーヌ寺院のファサードを彷彿させます。この建物を改装し、1968年に開館したのがスイス プチ・パレ美術館です。

 創設者であるオスカー・ゲーズは、コレクターとして自身の審美眼に、絶大な自信を持っていたようです。専門家がほめた作品の購入を嫌い、どちらかといえば、世間の評価が得られない画家、あるいは、美術史で顧みられないような画家の作品を好んで収集したそうです。

 購入資金の問題もあったのかもしれません。いずれにせよ、不当に過小評価されている画家たちの作品に着目して収集し、この美術館で公開して、光を当てていったのです。

 今回、佐川美術館で展示されていたのは、そのようなコンセプトで収集された作品65点で、以下のように分類されます。

1.印象派、2.新印象派、3.ナビ派とポン=タヴァン派、4.新印象派からフォーヴィスムまで、5.フォーヴィスムからキュビスムまで、6.ポスト印象派とエコール・ド・パリ、などに分類され、展示されていました。

 これまで見たこともない作品がほとんどでした。コレクターのオスカー・ゲーズが自身の審美眼の従い、不当に過小評価されている作品を中心に収集したからでしょう。個人が創設した美術館ならではのユニークなコレクションでした。

 興味深いのは、佐川美術館もスイス プチ・パレ美術館もともに、個人が収集したコレクションを元に設立された美術館でした。

 佐川美術館は佐川急便株式会社の総業40周年事業の一環として設立されています。一方、スイス プチ・パレ美術館は、ゴム事業を手掛けるオスカー・ゲーズによって創設されました。個人の審美眼、意向が反映されたユニークな美術館といえます。

 今回、19世紀末から20世紀初頭にかけての評価の定まっていない画家たちの作品を見る機会を得ました。展示作品の中で私が最も印象づけられたのは、新印象派の作品です。どの作品もはじめて見るものばかりでした。

 作品内容については次回、ご紹介していくことにします。

 その前に、琵琶湖について少し、触れておきましょう。

■琵琶湖を臨む

 今回、宿泊したのは琵琶湖マリオットホテルです。

マリオットホテル

 白亜の建物のすぐ傍から林が広がっています。

ホテル傍らの木々

 木々の背後に見える空が限りなく青く、吸い込まれていきそうです。眺めているうちに、いつの間にか、気分が開放され、さわやかな気分になっていきました。

 道路を隔てた先の浜辺では、松林が広がっています。

ホテル前の浜辺

 松林の背後には青空が広がり、所々、たなびく雲がなんとも優雅です。

 浜辺を少し歩くと、砂が堆積して広がったところに、「BIWAKO」の文字が一つずつ、オブジェのように建てられていました。

標識

 どんよりした厚い雲が立ち込める一方、木々の合間から、強い陽射しが射し込み、松林の影を浜辺に濃く焼き付けていました。

 さらに歩いていくと、打ち寄せられた枯れ木が転がっていました。

打ち寄せられた枯れ木

 これを見ると、まるで海辺に打ち上げられた枯れ木のように見えます。それほど琵琶湖は大きく、広く、まるで海のようでした。枯れ木はすでに風化し、砂の色と交じり合っています。

 どこまでも広がる浜辺には、小さな波が打ち寄せていました。この小さな波がどこからか、枯れ木を運んできたのでしょう。

打ち寄せるさざ波

 海と違って、琵琶湖の波は波頭も小さく、とても繊細です。そのまま空を見上げると、波打ち際まで広がっている松林の中で、ひときわ高い木と並行して雲が立ち上っていました。不思議な光景でした。

青空の広がる松林

 目を転じると、松林の奥にマリオットホテルが見えます。

松林から見るマリオットホテル

 青空に雲がたなびく中、松林に守られるように、ホテルが立っていました。なんとも風雅な光景です。

 夜、ホテルの部屋から、素晴らしい夜景を堪能することができました。

ホテルから見た夜景

 そして、朝景色もまた興趣あふれる光景でした。

ホテルから見た朝景色

 大きく広がる青空の下、早朝の清冽な空気が感じられます。琵琶湖を臨んでいるからでしょうか、人々が活動する前の清涼感が、辺り一面にたちこめていたのです。

■美術館とコレクション

 今回はじめて、滋賀県守山市の佐川美術館を訪れ、「スイス プチ・パレ美術館展」を鑑賞してきました。興味深かったのは、佐川美術館もスイス プチ・パレ美術館もともに、事業家が創設した美術館だということでした。

 佐川美術館の建物と外周は、それ自体が芸術作品のように素晴らしいものでした。写真で見る限り、スイス プチ・パレ美術館の建物と外周もまた、第二帝政時代の新古典主義様式を踏襲し、シンプルな優雅さを備えていました。

 新古典主義様式のコンセプトを簡単にいえば、ギリシャ・ローマの古典主義に倣う一方、写実性を重視し、市民的自由を反映させたものといえるでしょう。スイス プチ・パレ美術館のコレクションには、このコンセプトが反映されているように思いました。

 創設者のオスカー・ゲール氏の審美眼が反映されたコレクション内容はユニークで、これまでに見たことのない作品をいくつも見ることができました。

「スイス プチ・パレ美術館展」は、いってみれば、私設美術館のコレクション展でした。美術史から抜け落ちたような作品を見ることができ、新たな発見がありました。一連の作品を通し、芸術家と作品、コレクター、コレクションと美術館、相互の関係について考えさせられました。(2021/11/14 香取淳子)