■Disney実写版『アラジン』
7月12日、たまたま時間が空いたので、近くのユナイテッドシネマでDisneyの実写版『アラジン』(字幕版)を見てきました。
こちら → https://www.disney.co.jp/movie/aladdin.html
意外なことに、客席は半分も埋まっていませんでした。ちょっと驚きましたが、6月7日に公開されすでに5週目の終わりだったこと、平日だったことなどを思えば、その程度の観客数でも別段、不思議はないのかもしれません。
ところが、帰宅してネットで検索してみると、公開された6月7日以降の週間ランキングは連続1位でした。
こちら →http://www.kogyotsushin.com/archives/weekly/201906/
7月のデータを見ても、第1週はやはり1位、勢いは衰えていません。全国的な統計を見れば、実は、5週連続1位を記録していたのです。確かに、エンターテイメントとしては、とてもよく出来た映画でした。
試みに、映画の雰囲気を知ってもらうために、公式ホームページで紹介されていた60秒の映像をご覧いただきましょう。
こちら →https://youtu.be/mxL6e5vQ0RE
この映像を見てようやく、私が見た劇場で観客数が少なかった理由がわかったような気がしました。
『アラジン』は、2D(字幕版)、2D(吹替版)、IMAX(字幕版)、4DX3D(吹替版)の4種類が上映されていましたが、私が見たのは2D字幕版でした。これは1日3回上映されており、私は午後に用事があったので、午前に上映開始されるのを選びました。しかも、平日でしたから、週末の午後、吹替版なら観客数はもっと多かったのかもしれません。
さて、オリジナルの『アラジン』は1992年に制作されたアニメ作品です。それを実写にリメイクし、2019年6月7日に公開されたのがこの作品です。それでは、2019年実写版『アラジン』がどのようなものだったのか、2分20秒の予告映像(字幕版)をご覧いただきましょう。
こちら → https://youtu.be/EbsZrpwmsq0
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ほんの一部分にすぎませんが、これを見ただけでも、この映画の音楽がどれほどテンポ良く、メリハリの効いたリズムであったか、ノリのいいものであったか、そして、映像のキレがどれほど良く、臨場感に満ちたものであったかがわかろうというものです。
■2019年実写版『アラジン』
もっとよくコンテンツを知っていただくために、アメリカ版予告映像&制作スタッフのトーク映像をご紹介しましょう。先ほどご覧いただいた予告映像よりも長め(12分41秒)です。重複するシーンもありますが、ご了承ください。
こちら → https://www.youtube.com/watch?v=foyufD52aog
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冒頭のシーンは、スピード感溢れるテンポで構成されています。ところが、その後、逃げ延びたアラジンが街中で侍女に扮したジャスミンに出会うシーンになると、動きがなくなり、二人が視線を交わすだけになります。アクションを見せるシーンの後は、心理的な駆け引きを見せるシーンを用意し、メリハリをつけていることがわかります。
ハラハラドキドキするシーンがあるかと思えば、陽気にノリノリ気分になってしまうシーンもあります。アップテンポでリズミカルな音楽とメリハリの効いた映像がぴったりと絡み、観客を飽きさせることなく、気持ちを明るく弾ませてくれる作品になっていました。
ちなみに監督はイギリス人のガイ・リッチー(Guy Ritchie)、その経歴を見ると、若いころはコマーシャルやミュージックビデオを多く制作していたようです。
直近の作品の傾向を見てみると、2015年に監督したスパイアクション映画『コードネーム U.N.C.L.E.(アンクル)』は、1960年代のテレビドラマ『0011ナポレオン・ソロ』のリメイク映画ですし、2017年に監督した『キング・アーサー』は、アーサー王伝説を題材としたアクション映画です。
このような制作作品の傾向からは、ガイ・リッチーこそ、この作品に最もふさわしい監督だったといえるでしょう。
実際に、劇場の大画面でこの作品を見ると、アクションシーンや魔法のシーンなどが素晴らしく、とても印象的でした。実際にはありえないシーンも、特撮技術によって実写映像に溶け込むように編集されており、視覚的訴求力の高い画面に仕上がっていました。とくに、サルやトラ、オームといった準レギュラーの動物たちの造形や動きが見事に表現されていました。
キャラクターの造形といい、アクションシーン、魔法のシーン、アップテンポのダンスシーンなど、エンターテイメントとして必要な要素はすべてカバーされていたのです。5週連続でランキング1位というのも納得できます。
それでは、1992年に制作されたアニメ版と比較するとどうなのでしょうか。
■実写版『アラジン』vs アニメ版『アラジン』
まず、興行収入を比較することから始めましょう。
1992年に制作されたアニメ版『アラジン』は制作費2800万ドルに対し、世界から得た興行収入は5億405万ドルでした。
こちら → https://www.boxofficemojo.com/movies/?id=aladdin.htm
なんと制作費の約18倍にも達しています。
一方、2019年に制作された実写版『アラジン』は制作費1億8300万ドルに対し、チェックした時点で(2019年7月14日)、世界から得た興行収入は9億6153万9269ドルです。
こちら → https://www.boxofficemojo.com/movies/?id=disneyfairytale22019.htm
米国での公開が5月24日、日本での公開は6月7日ですから、今後、さらに数字は伸びると思いますが、現時点での興行収入は制作費の約5.25倍です。
同じ条件で比較するため、オープニング1週間の興行収入で両者を比較すると、1992年のアニメ版は1928万9073ドル(1131劇場)で、2019年の実写版は9150万929ドル(4476劇場)でした。上映劇場が約4倍なので、それに応じた興行収入になっています。
上映劇場数がオリジナルの4倍になっているのは、実写版にリメイクすることによって、観客のターゲット層を、子ども向け家族だけでなく、青年層にまで広げることができたからだと推察できます。
次に、二つの作品のポスターを比較してみることにしましょう。
左が実写版(2019年)、右がアニメ版(1992年)です。
いずれも、三日月を背景に、魔法のジュータンに乗ったアラジンと王女ジャスミンの姿が中心に置かれています。モチーフ、背景、構図、いずれをとっても似かよっています。2019年版はおそらく、1992年版を意識して制作されたのでしょう。
もっとも、よく見ると、両者には微妙な違いが見られます。
実写版はアラジンとジャスミンが互いに顔を見つめ合っているのに対し、アニメ版は身を寄せ合って、愛を語らうシーンが捉えられています。意思を確認し合うシーンに力点が置かれているのが2019年版だとするなら、身体的な触れ合いに力点が置かれているのが1992年版といえるでしょう。
一方、実写版には「その願いは、心をつなぐ。そしてー世界は輝きはじめる」というコピーが添えられ、アニメ版には「愛は冒険を生む。冒険が愛を育てる」というコピーが添えられています。
これらのコピーからは、実写版ではアラジンとジャスミンの生き方や世界とのつながり方にウエイトが置かれているのに対し、アニメ版では二人の愛と冒険に力点が置かれていることが示されています。
こうしてみてくると、アニメと実写といった形式の違い以外に、1992年と2019年という制作年の違い、すなわち、時代精神の違いといったようなものがみられるのです。
さらに、実写版には魔法のランプの精ジーニーの姿が左下に大きく描かれているのに対し、アニメ版にジーニーの姿はありません。つまり、実写版ではジーニーを含めた主要登場人物を三人とみなし、その生き方、世界観が描かれているのに、アニメ版ではアラジンとジャスミン二人の愛の物語で完結しているのです。
アニメ映画であれ、実写映画であれ、それぞれの作品には時代の風潮や価値観、世界観が反映されざるをえないことを感じさせられます。
さて、ストーリーの展開の観点からみると、2019年の実写版は1992年に制作されたアニメ映画をリメイクしたものだとはいえ、いささか異なる面があるようです。
こちら →
この記事の筆者は、登場人物の生き方や世界観に21世紀の現在にマッチするよう修正されていたると考えています。そのような側面での改変によって、21世紀の観客を大きく魅了するエンターテイメントになりえたのかもしれません。
それでは、アメリカ版ポスターを通して、作品の構造を見てみることにしましょう。
■アメリカ版ポスターが示す作品の構造
まず、アメリカ版ポスターに表現されている主要な登場人物と、ターニング・ポイントとなる主要なシーンをご紹介しておきましょう。
このポスターは、とても興味深い画面構成になっています。
中央に、魔法のランプを見つめる主人公のアラジンが大きく描かれています。これを全体の中心線だとすると、左半分にやや引いて、ジャスミン王女、そして、右半分にはランプの精であるジーニーの顔が大きく、まるで観客をのぞき込むような恰好で描かれています。
左右にレイアウトされたこの二人は物語の主要なキャラクターです。
色調の観点からいえば、ポスターの左半分は黄金をイメージさせる黄土色、右半分はその補色である濃いブルーをベースカラーに設定されており、アラジンを挟んで二つの領域に分けられています。
左側が宮殿を舞台に、権力闘争が展開されるリアルな世界が描かれているとするなら、右側は魔法のランプが隠されていた洞窟を舞台に、夢を実現するファンタジックな世界が描かれているといえるでしょう。
まず、左側から見てみましょう。
王女の衣装を着たジャスミンが毅然とした姿を見せており、その背後には、黄金で輝く宮殿の内部が描かれています。細部に装飾が施され、何もかもが黄金色で輝いており、それが奥深くどこまでも続いているのです。宮殿がいかに広大で、豪華なものかが示されています。
王女のボディガードの虎(ラジャー)は黄金色に輝いていますし、その隣に描かれた王女の父、アグラバー国王もまた輝く光の中で、威厳のある立ち姿で描かれています。その下には彼らが支配するアグラバーの城下が描かれています。ですから、左側は富と権力が示されているといえるでしょう。
それでは、右側はどうでしょうか。
アラジンの右肩の背後からランプの精ジーニーが大きな顔を覗かせています。このポスターの中で最も大きく描かれているばかりか、ジーニーだけが観客と視線を交差できるような描かれ方をしています。眉を軽く上げ、おどけた表情を見せながらも、視線はダイレクトに観客に向けているのです。
ご説明したのは、先ほどのポスターの上半分です。切り取ると、このようになります。
改めて、この三人の視線の向きをチェックしてみると、主人公のアラジンは視線を伏せ、ジャスミンは視線を遠方に投げています。つまり、この二人は観客と目を合わせないように描かれているのです。つまり、二人はあくまでも物語の登場人物であって、語り手ではないということが示されています。
一方、ジーニーは笑みを浮かべ、視線をダイレクトに観客に向けています。ですから、このジーニーこそ、物語の全容を把握し、観客に向かって面白おかしく語りかける語り部のように見えます。そういえば、『アラジン』はアラビアンナイトの一話でした。この映画のオープニングは、行商人が子どもたちを前にお話をして聞かせるシーンだったことを思い出します。
それでは、何がこの物語のキーポイントになるのでしょうか。それは、魔法のランプの精が叶えてくれる「願い事」すなわち、欲望です。
主要な登場人物の欲望がどんなものだったのか、見ていくことにしましょう。
■ランプの精が叶えてくれる願い事
物語は、侍女に扮して城外に出た王女ジャスミンがアラジンと出会うことからはじまします。宮殿に閉じ込められるようにして暮らしている王女ジャスミンにとって、城外に出ることは、まだ見ぬ世界を知ることであり、夢でした。
ところが、一歩、城外に足を踏み入れると、そこは秩序もなく、雑多なものが混在している空間でした。物売りの声が聞こえるかと思えば、盗人が追われる騒動もありました。喧騒に満ちた街中は興味が尽きず、キョロキョロと見回っている間に、ジャスミンは露店の立ち並ぶ一角にやってきていました。
そこに突如、現れたのがアラジンでした。
アラジンは盗みを咎められ、追われていました。階段を駆け上り、屋上伝いに追手をかわしながら、華々しいアクションシークエンスを繰り広げた後、ようやく人混みに紛れ込み、ほっとしたときに出会ったのが、ジャスミンでした。
挨拶代わりに、アラジンはジャスミンから母の形見の腕輪を盗みます。驚くジャスミンを見て満足し、すぐさま腕輪を返却します。ところが、相棒の小ザル(アブー)がいつの間にか、また盗んでしまいました。これでは信用を失ってしまうとばかりに、アラジンは返却のために宮殿に忍び込みます。このとき、アラジンはジャスミンを侍女だと思い込んでいました。
首尾よくジャスミンに会うことができ、腕輪を返すことはできたのはいいのですが、アラジンは衛兵に捉えられてしまいます。その処遇を担当したのが国務大臣のジャファーでした。彼は、ジャスミンが実は王女だということをアラジンに教え、洞窟に入って魔法のランプを取ってくれば、チャンスを与えるといい、大金持ちになれるぞと唆します。
権力志向の強いジャファーは、国務大臣であることに不満を持ち、ひたすら王になることを願っていたのです。通常手段では不可能なこの願いも、魔法のランプを使えば叶えることができるのではないかと思い、アラジンに命じたのでした。
アラジンはサルのアブーを伴って、洞窟の中に入っていきます。
洞窟の中に入ったアラジンは崖の上に置かれているランプを見つけ、なんとか手に取り、下に降りた途端に、ランプの精であるジーニーが突如、現れます。アラジンは何も知らずに、ランプをこすってしまったのです。
ジャファーの命令に従ってようやく手にした魔法のランプから、思いもしないランプの精霊が現れ、三つの願いをかなえてあげるというのです。
これがこの物語の第一のターニング・ポイントになります。
■アラジン、アリ王子として宮殿へ
ジーニーはさっそく、ランプの使い方や願い事のルールなどをアラジンに教えます。
こちら → https://youtu.be/DuPUlLXiTQQ
どんな願いも聞き入れてくれるというので、アラジンはジャスミンに会いたいといいます。王座を求めるジャファーと違って、アラジンの願い事はなんとささやかなものなのでしょう。ただ、ジャスミンに会いたいというだけのものでした。
ところが、相手は王女です。会うには、宮殿に入るという大きなハードルを乗り越えなければなりません。正々堂々と、誰にも邪魔されることなく宮殿に入り、しかも、歓待されるという状況を創り出さなければなりません。
それには、どこかの国の王子になり、表敬訪問をするという体裁を取らなければならないのです。
ジーニーはいろいろなアイデアを出しながら、最終的にアラジンを架空の国「アバブワ」のアリ王子に仕立て上げます。もちろん、ジーニーが魔法を使って変身させられるのは外見だけですが、いろいろな衣装を試着させてみて、最終的に、白いターバンにいかにも王族らしい衣装に決定します。
砂漠を背景に、次々とアラジンを変貌させていくシークエンスは、ジーニー主導のコメディタッチで表現されています。魔法使いならではの面白さが、特撮技術とジーニー役の俳優ウィル・スミスのコミカルな演技で組み立てられており、笑いを誘う部分です。
こうしてアラジンは、ランプの精ジーニーの魔法によってアリ王子に変身し、ジャスミンのいる宮殿に向かいます。
こちら →https://youtu.be/2URgeV4ilcU
ジーニーが踊りながら先導する行進がなんとも陽気で、華やかです。華麗な衣装のダンシングチームが踊りながら行進した後は、ダチョウが突進していきます。そして、アブーが変身させられた象に乗って、アリ王子に変身したアラジンが現れます。大勢の人々が見ている沿道から、歓声が沸いています。
宮殿のバルコニーからは王やジャスミンが、何事が起こったのかとアラジンの一行を見守っています。
そうそう、うっかりして、大切な登場人物を紹介し忘れていました。アラジンの相棒、小ザルのアブーです。
アラジンの肩に乗って、威嚇するように大きく口を開け、こちらを睨みつけています。時にいたずらもしますが、アラジンにはとても頼りになる相棒です。宮殿に向かう際はジーニーによって巨大な象に変身させられ、アラジンを乗せて行進しています。
派手で豪華な行進で入城するというジーニーの作戦は成功しました。
得体の知れないアリ王子ですが、ジーニーが先導する行進があまりにも豪華で派手だったので、財力の豊かな国から表敬にきた王子だと勘違いされたのでしょう、つゆほども警戒されることなく、アラジンの一行は宮殿に迎え入れられたのです。
■王座を狙うジャファー
アリ王子の顔を見るなり、国務大臣のジャファーはアラジンだと気づきます。そして、その華麗な変身ぶりを見て、アラジンが魔法のランプを手に入れたと察知します。
そもそも、この物語の発端の一つはアラジンとジャスミンの出会いであり、もう一つの発端はジャファーの王座狙いでした。国の重鎮である国務大臣を務めていたとはいえ、いつまでも二番手でいることに安住できないジャファーの欲望が、この物語のもう一つの発端だったのです。
ジャファーは、宮殿に忍び込んだアラジンを捉え、ジャスミンが王女であるkとを教え、さらに、洞窟にある魔法のランプを取り出して来いと命令しました。魔法の力で王座を得たいというのが彼の狙いだったからです。
それなのに、アラジンは今、魔法のランプを使ってアリ王子となり、宮殿に現れています。ジャファーが怒るのも当然でした。アラジンは魔法のランプを横取りしたばかりか、大胆にも宮殿に赴き、王や王女ジャスミンに表敬訪問をしているのです。
アラジンはそれほど見事にアリ王子に変身していました。これを見たジャファーは、改めて、魔法のランプの力の凄さを認識したことでしょう。なんとしてでも、ランプを取り戻そうと画策します。
さて、アリ王子(アラジン)は表敬の挨拶の際、ジャスミンに贈り物を申し出ます。最初の申し出(ジャムなどの贈り物)には関心を示さなかったジャスミンですが、二度目に申し出た、行きたいと思ったところにはどこへでも、魔法のジュータンに載せて連れて行ってあげるという提案には喜びました。
この時、ジャスミンもまた、アリ王子が実はアグラバーの街で出会ったアラジンだということに気づきます。ただ、ジャファーとは違って、アリ王子が扮装して街に出ていた仮の姿がアラジンだったと解釈したのです。
見かけは王子でも中身はアラジンなので、宮殿のお偉方とのやり取りにはボロが出ます。その隙を狙ったジャファーは、ランプがどこにあるか言わなければ、お前の正体をばらすぞとアラジンを脅し、縛り上げて海に投げ込んでしまいます。
危機一髪のところ、機転を利かせたジーニーが変則的に第2の願いを使って、アラジンを助けます。ところが、その間に、ジャファーにランプを奪われてしまいます。
サルタンの衣装を着たジャファーの姿です。向かって左手の人差し指を突き出し、左手にはランプを持っています。まるで勝利宣言をしているかのようです。魔法の力で仮に、国王になりたかったジャファーの夢が叶った瞬間でした。
これが第二ターニング・ポイントのシーンです。
その後、魔法の力を失ったアラジンは追い詰められていきます。ジャファーはジーニーに命じ、アラジンとアブーを氷に閉ざされた荒地に追いやってしまいます。これもまた、危機一髪のところで、魔法のジュータンに乗って宮殿に戻ってくることができました。
アラジンがいない間に、ジャファーはジャスミンに、結婚を承諾しなければ、父である王と侍女ダリアを殺すと脅します。ジャスミンは仕方なく応じ、結婚式を迎えたその日、魔法のジュータンによって救い出されたアラジンとアブーが駆けつけます。
■最後のお願い
ジャファーはイアーゴを獰猛な肉食鳥に変身させ、彼らを追いかけさせます。魔法のランプを手にしても、こすらなければ効力はありませんから、ジャファーはそれを阻止しようとしたのです。壮絶なチェイスが繰り広げられます。
これが第三のターニング・ポイント、そして、クライマックスシーンです。
アラジンはジャファーを挑発するように、お前はまだジーニーに及ばない、宇宙で一番パワフルな存在になるには最後のお願いをするしかないよ、とけしかけます。挑発に乗ったジャファーは、宇宙で一番パワフルな存在にしてくれとジーニーに願います。
ジャファーの願いを聞いたジーニーはその意味がよくわからず、魔法の力が強大なランプの精になりたいのかと思い、ジャファーを精霊に変えて、ランプに閉じ込めてしまいます。おまけに、ランプにつながれたジャファーは、道連れにイアーゴを引きずり込みました。これで敵は全て、ランプの中に閉じ込められてしまったことになります。
一切を見届けたジーニーは、ジャファーとイアーゴが入ったランプを魔法の洞窟に投げ戻します。ようやく恐怖から解き放たれたアラジンは約束を守って、最後のお願いでジーニーをランプの精から解き放って人間に変え、自由にします。
そして、ジャスミンに対しては、魔法のジュータンに乗って、行きたいところにはどこへでも連れていくという約束を果たしました。
一方、王はジャスミンを次期王にすることを宣言します。
ジャスミンをどこかの国の王子と結婚させて国を譲りたいと思っていた王でしたが、ジャスミンの自分でこの国を治めたいという希望を聞きいれたのです。宮殿内の不祥事にもうろたえることなく、問題解決できる能力を認めたからでしょう。
人間になったジーニーはジャスミンの侍女ダリアを結婚し、ジャスミンもまたアラジンと結婚します。こうして登場人物たちはハッピーエンドを迎えるのです。
最後を締めくくるように、最初に登場した行商人の家族が再び、登場します。子どもたちにお話を聞かせるという体で始まった物語がこうして幕を閉じたのです。語り部はジーニー、そして、聞いているのは、ジーニーとダリア夫婦の子どもたちでした。
■欲望の連鎖が紡ぐストーリー
この作品はアニメ版の実写化です。アニメ版は『アラジンと魔法のランプ』を原作にしたファンタジックな異国のラブロマンスですが、実写版の場合、それだけでは訴求力が足りません。子ども向けのアニメ作品を実写化するには、大人が見ても楽しめる要素が必要だったでしょう。
21世紀の大人が見ても楽しめる要素として、特撮技術による躍動的なアクションシーン、意表をつく魔法シーン、さらには、ダンスシーン、コミカルなシーンなどが次々と、弾力的に叩き込むように加えられました。観客は誰しも、スピード感あふれる画面展開にくぎ付けになってしまったことでしょう。よく出来たエンターテイメントでした。
興味深いのは、実写化に際し、「願い事」(欲望)の連鎖に力点を置いて、ストーリーが展開されていたことでした。21世紀の観客は1992年の観客とは違って、単なるラブロマンスには引き込まれません。時代精神と絡ませた世界観、あるいは人生観を組み込まなければ、観客を夢中にさせることはできないでしょう。
脚本を担当したのはジョン・オーガスト(John August)ですが、監督のガイ・リッチー(Guy Ritchie)も加わっています。
ストーリー構成を見ると、登場人物たちの欲望が連鎖し、プロットを展開していくような仕組みになっていることがわかります。登場人物たちの欲望が問題を発生させ、解決したかと思えば、さらにその別の問題が発生するといった格好で、ストーリーが展開されるという構造になっているのです。
この作品の主要な登場人物は五人います。
いずれもが、それぞれの人生観、世界観に基づく欲望を抱いています。
たとえば、王女ジャスミンは城外の世界を見て見識を深めたいという欲望、アラジンはたまたま街で出会ったジャスミンにもう一度会いたいという欲望、ジャファーは王座に就きたいという欲望、ジーニーは人間になりたいという欲望、ジャスミンの侍女ダリアは結婚して家庭を持ちたいという欲望、といった具合です。
■欲望の中空構造を象徴するアラジン
この五人の中でただ一人、欲望が変化している人物がいます。それは、アラジンです。「ジャスミンに再び会いたい」という素朴な欲望から、やがて、(ジャスミンに会うため)、「王子になりたい」になり、(ジャスミンの希望を叶えたいため)、「ジャスミンが望むところはどこへでも魔法のジュータンに乗って行きたい」になっていきます。
なぜ、このように変化するのかといえば、アラジンの究極の欲望が、他人の欲望の実現でしかないからでしょう。いってみれば、アラジンには自身の欲望というものがないのです。
たとえば、ジャファーとジャスミンの欲望は国の支配に関わっています。自身の権力志向を満足させるために王座を狙うのがジャファーだとすれば、ジャスミンは女性もまた支配者になりうるという立場から王権を手にすることを願っています。
「スピーチレス~心の声」という新曲の中で、ジャスミンの思いは存分に表現されています。
こちら →https://youtu.be/b8z9l9kqGCs
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このようなジャスミンの思いは現代女性を代表するものであり、ここに21世紀ならではの時代精神が表現されています。
そして、ジーニーとダリアの欲望は、「人間として」あるいは、「家庭人として」生きていきたいというものです。ヒトを繋ぎとめてきたさまざまな絆から解き放たれた現代人の一部は再び、ヒトとは何かを問い、家庭に拠り所を求めようとしています。そのような現代潮流の一端がかれらの欲望に反映されています。
このように、アラジン以外の登場人物はそれぞれ、自己実現のための欲望を持っており、それを実現させるために行動しています。
ところが、アラジンは違います。物欲はなく、権力欲もなく、自己実現のための欲望もなく、ただひたすら他人の欲望を実現させるために、「願い事」をします。まるでランプの中のように、アラジンには欲望が空洞になっているのです。
考えて見れば、だからこそ、個性的な登場人物たちが、アラジンを中心に、調和を保ちながら、存在できているように見えるのでしょう。自身の欲望を持たないアラジンが、一種の中空構造の役割を果たすことによって、欲望の衝突がもたらす悲劇を回避することができているように思えるのです。
このような観点から実写版『アラジン』を読み解くと、この映画から現代社会に有益な示唆を得たような気がします。
自己実現、自己利益のための欲望が巨大なエンジンとして、社会を動かしているのが現代社会です。だとするなら、どこかに空っぽの空間を作らなければ、社会そのものがやがて、欲望の衝突によって自己崩壊を招きかねないでしょう。現代社会の歪を考えると、中空構造の機能を捉えなおしてもいいのではないかという気がしました。(2019/7/16 香取淳子)