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09月

石井柏亭《草上の小憩》は、マネ《草上の昼食》のオマージュ作品か?

■「日本の中のマネ」展の開催

 「日本の中のマネ」展が今、練馬区立美術館で開催されています。開催期間は2022年9月4日から11月3日、開催時間は10時から18時(入館は17時30分)までです。

 私はこの展覧会の開催を図書館に置いてあったチラシで知りました。「マネ」という文字に引かれ、案内チラシを手に取ってみたのですが、ちょっと違和感を覚えました。中折れチラシの表と裏に大きく掲載されていた絵は、いずれもマネの作品ではなかったのです。

 妙だと思い、絵の部分を見直してみると、小さな文字で、作品の概要が書かれています。片方の面に掲載されていたのが、石井柏亭の《草上の小憩》、もう片方の面に載せられていたのが、福田美蘭の《帽子を被った男性から見た草上の二人》でした。

 練馬区立美術館の近くで目にした看板も、この二つの絵で構成されていました。案内チラシの表と裏を拡大し、横長にしたものでした。

看板

 右側が石井柏亭の作品で、左側が福田美蘭の作品です。福田美蘭の作品は、着衣の男性のすぐ傍に裸身の女性が座っている絵柄なので、見るとすぐ、マネの有名な《草上の昼食》を思い起すことができます。

 ところが、石井柏亭の《草上の小憩》の場合、あまりにも日本的な絵柄だったので、容易にマネの影響を観て取ることはできませんでした。

 なぜ、石井の《草上の小憩》がチラシに掲載されていたのでしょうか。そもそも、石井柏亭はマネとどう関係しているのでしょうか・・・。そのようなことが気になりながらも、取り敢えず、会場の中に入ってみました。

 すると、展覧会は、「第1章 クールベと印象派のはざまで」、「第2章 日本所在のマネ作品」、「第3章 日本におけるマネ受容」、「第4章 現代のマネ解釈」という章立てで構成されていました。

 この章立てを見る限り、どうやら、マネそのものを取り上げた展覧会ではなさそうです。

■日本の中のマネ

 マネの作品は、「第2章 日本所在のマネ作品」というコーナーにまとめて展示されていました。全展示作品104点の内、マネの油彩画はわずか6点、パステル画1点、チョーク画1点、エッチング40点、リトグラフ3点、石版画1点だけでした。

 しかも、油彩画の《散歩(ガンビー婦人)》は見たことがありますが、それ以外は、知らない作品ばかりです。

 念のため、出品作品のリストを見ると、いずれも日本の美術館等が所蔵している作品でした。コロナ下の今、海外からマネの作品を借用するのが難しくなっていることが推察されます。

 こうしてみてくると、この展覧会が、「日本の中のマネ」を掬い上げることに焦点を当てた構成になっていた理由がよくわかります。

 「日本の中のマネ」を掬い上げ、「明治期の出会いから現代にいたる、日本人画家によるマネの受容過程を探る」という視点を導入して関連作品を俯瞰すれば、日本人にとっての西洋画の意味をより深く理解できるようになるかもしれません。展示作品よりも企画力が印象に残る展覧会でした。

 それにしてもなぜ、石井柏亭の《草上の小憩》が取り上げられているのでしょうか。マネとは絵柄や作風が違いすぎるので、気になって仕方がありませんでした。そこで、展覧会のチラシをよく読むと、石井柏亭は「マネの《草上の昼食》にインスピレーションを得て」、《草上の小憩》を手掛けたと書かれていました。

 だとすれば、パッと見ただけではわからない影響の痕跡を、《草上の小憩》の中に見出すことができるはずです。この石井作品から「日本の中のマネ」を掬い上げることができれば、「日本人画家によるマネの受容過程」の一例を見ることができます。

 そこで、今回は、石井柏亭の《草上の小憩》を取り上げ、マネの《草上の昼食》とどのように関わっているのかを探ってみることにしたいと思います。

 まずはマネの作品《草上の昼食》を振り返ってその特性を把握し、つぎに、石井柏亭がそれをどう解釈し、自身の作品《草上の小憩》にマネの痕跡を残していったかを見ていくことにしましょう。

■エドゥアール・マネ(Édouard Manet)制作、《草上の昼食》(Le Déjeuner sur l’herbe, 1862-1863)

 《草上の昼食》はマネの有名な作品です。

 この作品は当初、《水浴》というタイトルで、1863年の公式サロンに出品されました。この時のサロンでは988人しか入選せず、落選作品は2800にも及びました。マネが出品した3点はすべて落選しています。

 落選者たちの不満の声に応えるように、ナポレオン三世は、その二週間後に、「落選展」を開催しました。初日だけで7000人もが参加したといわれるこの「落選展」で、観客の注目を一斉に集め、そして顰蹙を買ったのが、マネのこの作品(《水浴》は後に、《草上の昼食》と改題)でした。

 それでは、この作品を見てみることにしましょう。

(油彩、カンヴァス、208×265.5㎝、1862-1863年、オルセー美術館)

 西洋画で裸身を見るのは別に珍しくもないのですが、この作品では、裸の女性が恥ずかしげもなく、着衣の男性と談笑し、その背後に薄衣を着て水浴びをしている女性がモチーフとして取り上げられています。当時の人々にとっては、意表を突く光景でした。

 この作品を見た観衆は、モチーフの「不道徳」、「はしたなさ」に激しい非難を浴びせたそうです(※ 後藤茂樹編、『マネ』、集英社、1970年、p88.)。

 正装した男性の隣で、裸身の女性が脱いだ衣服の上に平然と腰を下ろしている姿を目にすれば、「はしたない」と思うのも当然の反応でしょう。

 傍らには、帽子や上着のようなものが散乱し、バスケットからは果物やパンが転がり出ています。慌てて衣服を脱いだ後の乱雑さが丁寧に描かれています。瑣末な周辺状況が詳細に描写されることによって、この光景のふしだらな印象がさらに強められています。

 古来、西洋画では数多く裸身の女性が描かれてきましたが、大抵の場合、女神か、何らかの寓意、或いは、理想的な女体を示すものとして表現されてきました。日常生活の中で描かれることはなく、一般女性とは別世界の存在として描かれてきたのです。

 だからこそ、観客は裸体画を見ても格別に違和感を覚えず、拒否することもなく、むしろその美しさを称賛した例も数多く見られます。

 たとえば、マネが出品したこの1863年のサロンに、アカデミズムの画家アレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel, 1823-1889)も出品していました。彼の作品は入選しましたが、それは《ヴィーナスの誕生》というタイトルの裸体画でした。

 興味深いことに、カバネルとマネは同時期に、裸体画をサロンに出品していたのです。ところが、カバネルの作品は入選したのに、マネの作品は落選し、その後、開催された「落選展」でも落選しました。そればかりか、以後しばらくは観衆から非難され続けたのです。

 両者の裸体画に、一体、どのような違いがあったのでしょうか。カバネルの《ヴィーナスの誕生》を見てみることにしましょう。

(油彩、カンヴァス、130×205㎝、1863年、オルセー美術館)

 これは、19世紀のアカデミック絵画としてよく知られた作品で、ナポレオン三世が購入したほどでした(※ カバネル、Wikipedia)。アカデミーからも観衆からも、そしてナポレオン三世からも称賛された作品だったのです。

 天使が描き添えられているとはいえ、《ヴィーナスの誕生》の裸身は、仰向けになって身をよじり、横たわっていて、とても官能的です。

 ところが、《草上の昼食》の裸身は、膝を立て、肘をついて座っているだけです。エロティシズムという観点から見れば、《ヴィーナスの誕生》の方がはるかに煽情的でした。それでも、観衆やアカデミーの評価は真逆だったのです。

 こうしてみてくると、裸身が描かれているからといって、マネの《草上の昼食》が非難されたわけではないことがわかります。

■カバネルとマネ、なぜ、評価が大きく分かれたのか?

 それでは、なぜ、《草上の昼食》が非難され、《ヴィーナスの誕生》は称賛されたのでしょうか。

 一つには、絵柄、あるいは、モチーフの構成に原因があると考えられます。

 カバネルの《ヴィーナスの誕生》では、泡立つ波の上で、伸びやかに寝そべる裸の女性が描かれています。描かれた状況を見ても、均整の取れた美しい身体を見ても、裸身をさらけ出しているのが人間の女性ではないことは明らかです。

 ヴィーナスは、海から誕生した女神アフロディテともいわれ、「ヴィーナスの誕生」は、これまで何人もの画家が手掛けてきた画題です。有名な作品として、1483年頃、ボッテイチェリによって描かれた《ヴィーナスの誕生》があります。

 まさに神話の世界であり、豊穣の寓意が美しい裸身に託して表現されてきました。カバネルの作品でも、寝そべるヴィーナスの真上を、まるで見守かのように、天使たちが飛び回っています。神話の世界、豊穣の寓意が示されているのです。

 カバネルがこの作品で表現したのは、アカデミズムの画家ならではの伝統的な画題あり、モチーフの構成でした。

 もちろん、裸身の描かれ方も、マネの作品とは異なっていました。

 《ヴィーナスの誕生》では、女性の乳白色の肌はきめ細かく、滑らかで、筆触の跡が見えないよう描かれています。アカデミズムの画家たちが踏襲してきた技法です。そして、身体は理想的なプロポーションであることがわかるように描かれており、ギリシャ以来の裸体美の観念に基づいて表現されています。

 カバネルの《ヴィーナスの誕生》はこのように、モチーフの構成であれ、描き方であれ、いわゆるアカデミズムの骨法を踏まえて表現されていたのです。

 一方、《草上の昼食》はモチーフの構成、裸身の描き方、そのいずれについても、アカデミズムのルールから逸脱しています。

 そもそも、裸身の女性が着衣の男性二人と談笑し、背後に水浴する女性が描かれている光景そのものが異様です。手前には脱ぎ捨てた衣服やバスケットから果物やパンが転がり出て、乱雑な様子が描かれています。生活秩序が破壊されているばかりか、理想的なプロポーションを見せるわけでもない普段の姿勢の裸身と相まって、猥雑な印象が強化されているのです。

 ピクニックを楽しんだりすることもある神聖な森が、このような絵柄で描かれているのを見て、観衆の多くが穢されたような気分になったとしても無理はありません。

 描かれているのは、女神でもなく、有名な歴史上の女性でもなく、一般女性なのです。描かれた対象と観客との距離が近すぎました。しかも、この女性は裸身のまま、臆することもなく正面を見据え、脱ぎ捨てた衣服の上に座っています。一見、穏やかな表情ですが、不敵な印象すらあります。

 絵柄、あるいは、モチーフの構成でいえば、神話や歴史の空間ではなく、日常の生活空間で女性の裸身が描かれていることに、この作品の特徴があります。そのこと自体、アカデミックのルールを破ることを示唆しており、一部の画家にとっては斬新で、先駆的でもあったのですが、大多数の観衆や画家には受け入れられず、不興を招いたと思われます。

 先ほども触れましたが、裸身の描かれ方も、これまでアカデミーで受け入れられてきた裸体画とは異なっていました。

 たとえば、《草上の昼食》の女性は、膝を曲げて座り、その膝頭に肘をついて頬を支えています。とても理想のプロポーションを見せる姿勢とはいえず、しかも、腹部や腿の裏側のたるみもしっかりと描かれています。

 肌はやや黄色味を帯びた白色で、首筋や腹部に大きく皺が刻み込まれ、写実的に表現されていました。

 理想のプロポーションだとわかるようにモチーフをレイアウトし、肌は乳白色で筆触の跡を残さず、滑らかに描くという、これまで受け入れられてきた裸体の描き方から、この作品は大きく逸れていたのです。

 それら一切合切が、当時のパリの観衆から不謹慎、不道徳だとして非難された原因だったのでしょう。その一方で、一部の画家たちや評論家には、先駆的で斬新、革新性を感じさせる作品だったのでしょう。

 それでは、石井柏亭はこの作品にどう影響され、どのようなオマージュ作品を残したのでしょうか。

■石井柏亭《草上の小憩》(1904年)

 チラシに掲載されていたのが、石井柏亭の《草上の小憩》(1904年)です。マネの《草上の昼食》に似たタイトルですが、絵柄は全く異なっていました。一見しただけでは、この作品のどこにマネの影響の痕跡があるのかわかりません。

(油彩、カンヴァス、92×137.5㎝、1904年、東京国立近代美術館)

 はたして、この作品のどこに、《草上の昼食》へのオマージュがあるのでしょうか。詳しく見ていくことにしましょう。

 晴れた冬の日、陽だまりの中で若者たちが憩う、和やかなひと時が捉えられています。《草上の昼食》との類似性があるとすれば、若い男女が野外でリラックスしている光景が描かれているということぐらいです。

 まずは、そのあたりから見ていくことにしましょう。

 手前に描かれた少女は、前髪を下ろして首をかしげ、あどけない表情をこちらに見せています。手袋をはめた手を組んで腿に置き、足を揃えて横座りをしています。無理やり上体を起こそうとしており、不自然な姿勢ですが、大人びて見え、ややコケティッシュです。

 後ろの女性は、髪を三つ編みにし、片肘をついて横になっています。見るからに不安定な姿勢です。しかも、低い位置から見上げるようにして、正面を見据えているせいか、表情に媚びが感じられます。

 一方、男性は二人とも帽子を被っています。学帽を被った男性は、膝を立てて座っており、無理のない姿勢です。被っているのが角帽ではなく丸帽ですから、中学生か高校生なのでしょう。素朴な印象を受けます。

 その右側に座っている男性は、膝を伸ばして座っており、リラックスしている様子です。縁が柔らかく波打った形の帽子を被っていて、落ち着いた雰囲気があり、社会人に見えます。4人の中では最年長者なのでしょう。

 彼らがどういう関係なのかはわかりませんが、年齢差があって仲睦まじく、リラックスした様子で、戸外で寛いでいる様子を見ると、兄弟姉妹なのかもしれません。

 まず、これらのモチーフから、マネとの関連を見ていくことにしましょう。

■モチーフを比較して見えてきたこと

 描かれているのは、男女4人が林の中の草地で、和やかなひと時を過ごしている光景です。一見、日常的な生活風景のように見えますが、よく見ると、女性二人のポーズが不自然でした。とくに違和感を覚えたのが、三つ編みの女性です。

 なんと、この女性は草地に肘をついて、身体を横たえているのです。しかも、若い女性です。どんな事情があったにせよ、着物を着た女性が、戸外で取るような姿勢ではありません。見るからに不安定で、肘をついた手を片方の手で押さえ、辛うじて横向きの身体を支えています。不自然なまでに崩した姿勢がふしだらに見え、身持ちの悪さを感じさせられました。

 ふと、この三つ編みの女性は、《草上の昼食》の裸身の女性を日本風に焼き直したものではないかという気がしました。

 横たわって、低い位置から見上げる女性の姿勢そのものが、媚態に見えたからです。そう思うと、すぐさま、マネの作品に浴びせられた「不謹慎」、「ふしだら」といった非難が脳裏に浮かびました。

 他のモチーフも同様、マネの作品との関連性が見受けられます。

 たとえば、《草上の昼食》では、男性は後ろに房のついた帽子を被り、白シャツにネクタイを締め、黒いコート姿で描かれていました。男性二人は正装をしているのに、女性は裸身、あるいは薄衣でした。男性と女性とで、描き方の落差が際立っていました。

 一方、《草上の小憩》でも、男性二人は帽子を被っており、佇まいに乱れはありません。学帽に制服、縁のある帽子に上着とズボンという格好です。これは、《草上の昼食》の男性たちの正装に相当します。帽子によって身分や所属が示され、男性が社会階層という秩序原理の中に位置づけられていることが踏まえられているのです。

 もう一人の女性モチーフ、《草上の昼食》の水浴をしている薄衣の女性は、《草上の小憩》では、手前に描かれたあどけない表情をした少女に相当します。両手を組んで腿に置き、足を揃えて横座りした姿勢が、幼いながらややコケティッシュでした。三つ編みの女性よりも挑発の度合いが低いという点で、裸身の女性よりも挑発の度合いの低い水浴びをする女性の置き換えに思えます。

 こうしてみてくると、石井柏亭は女性モチーフを、コケティッシュの度合いによって描き分け、マネの作品の女性モチーフに対応させていたように思えます。裸身の女性を、大胆なポーズを取っている三つ編みの女性に置き換え、背後で水浴する女性を、ポーズのせいでややコケティッシュに見える少女に置き換えたと思われるのです。

 それでは、構図についてはどうでしょうか。

■構図、明暗のコントラスト、画面の透明感について

 《草上の小憩》を見ると、4人が座っている草地の周囲は踏み固められ、手前の少女を頂点に、背後の一直線に並んだ木々を底辺とした逆三角形になっています。該当部分を黄色のマーカーで図示してみました。

(前掲。黄色マーカーで表示)

 遠景に広がりが感じられる構図です。陽だまりの中、4人は思い思いのポーズで、草地に腰を下ろしています。木々の背後に空が大きく広がり、その合間に人家も見えており、人里近い林の中の草地だということがわかります。

 枯れた草地には、所々に緑の草が見え、冬とはいえ、春の気配が感じられます。冬から春への移行期ならではの穏やかな温もりが画面から浮かび出ています。

 よく見ると、画面全体に万遍なく、黄土色の短い線がランダムに散らされています。空といわず、制服や着物といわず、色彩を主張するようなモチーフの上には全般に、黄土色の短い線が散らされていたのです。まるで強い色彩を弱めるかのように見えます。

 その結果、画面全体に明暗のコントラストが弱められる一方、統一感が生まれ、陽光は優しく柔らかく、和やかな雰囲気が醸し出されていました。若者たちの日常生活の一端が、ほのぼのとした感触を残しながら、描かれていたのです。

 それでは、マネの《草上の昼食》はどうだったのでしょうか。

 《草上の昼食》では、男女3人が手前で寛ぎ、その背後で女性が1人、水浴びをしている光景が描かれています。4人のモチーフは、遠景でわずかに見える空を頂点とし、手前の男女を底辺とする三角形の中にすっぽりと収まっています。とても安定した構図です。該当部分を黄色のマーカーで図示してみました。

(前掲。黄色でマーク)

 この安定感のある構図が、不謹慎に見える光景に、清澄で泰然自若の趣を添えているように思えます。木々の合間から射し込む陽光と二人の女性の肌の明るさが、鬱蒼とした森に活力を与え、明暗のコントラストの強さが、一種の清涼感を添えていたからかもしれません。

 モチーフの構成こそ、スキャンダラスで猥雑に見えますが、その背後から、まるで高精細度の画面を見ているような、透明感のある清澄な雰囲気が醸し出されていたのです。

 暗緑色の森の中で、女性の裸身がひときわ明るく周囲を照らし出し、その明るさはややトーンを下げて、水浴する女性から遠景の空へとつながっています。光と影、明るさと暗さのバランスが絶妙でした。

 明暗のコントラストが強く、事物の境界がはっきりと描かれているせいか、画面からは不思議な透明感が感じられます。世俗を超えた透明感のようなもの、あるいは、清澄な雰囲気のようなものが画面全体から感じられたのです。光と影、明暗のコントラストを意識した色遣いとモチーフの配置の効果なのでしょう。

 興味深いのは、手前左にバスケットからパンや果物が乱雑に転がっている様子が丁寧に描かれていることでした。マネはなぜ、そうしたのかと考え、ふと、気づきました。雑多で混乱した状況を丁寧に描き出すことによって、安定した画面の硬直化を崩そうとしていたように思えてきたのです。

 着衣の男性の傍らに裸身の女性を配置したのと同様、敢えて破調を創り出そうとするところに、既存の描き方に満足できないマネの感性を見ることができます。調和を乱そうとすえば、軋轢が生じ、エネルギーが生まれます。斬新で革新的な志向性はそのような心持の中にこそ存在するような気がします。

 観衆やアカデミーからの激しい非難とは別に、この作品に斬新な力が漲っていることは確かでした。

■《草上の昼食》の斬新さ、革新性

 マネのこの作品には暴力的なまでの斬新さがありました。当時の観衆の激しい非難がそれを証明しています。

 マネの場合、裸身の女性と着衣の男性2人が談笑している光景が非難されました。裸身に対する非難というより、日常の生活空間の中で、裸の女性が正装した男性とともに過ごす光景への非難でした。そのような光景が当時の人々に「不謹慎」、「不道徳」という印象を植え付け、嫌悪の感情を喚起させていたからでした。

 こうしてみると、《草上の昼食》のエッセンスは、「不謹慎」、「不道徳」、「ふしだら」の可視化にあったと考えられます。

 実際、着衣の男性の隣にマネは裸身の女性を描くだけではなく、そのすぐ傍らに、脱ぎ捨てられた衣服や帽子、バスケットから転がり出たパンや果物を丁寧に描かれており、「ふしだら」が強調されていました。

(前掲作品の一部)

 脱いだ衣服の上に座った裸体のすぐ傍に、リボンのついた帽子や衣服が散乱しています。バスケットは傾き、中から果物やパンが転がり出ています。倒れた酒瓶もあります。まさに生活秩序の破壊であり、既存の価値体系の転覆の象徴ともいえる光景です。

■オマージュ作品

 《草上の昼食》は当時、一大センセーションを巻き起こし、マネは観衆やアカデミーの画家たちから一斉に非難されました。当時の観衆やアカデミーの画家たちはひょっとしたら、この作品に潜む寓意に気づいたからこそ、激しく非難したのかもしれません。

 一方、一部の画家たちは作品に込められたこの寓意を称賛し、オマージュ作品を手掛けました。モネ、セザンヌ、ピカソといった画家たちはこの作品に刺激され、次々とオマージュ作品を制作していったのです。

 エドゥアール・マネ(Édouard Manet, 1832-1883)は、伝統的な絵画の約束事に囚われず、アカデミーからの解放を先導した旗手だといわれていますが、《草上の昼食》を見ると、なるほどと納得せざるをえません。

 そのオマージュ作品を、日本で初めて手掛けたのが、石井柏亭でした。

 私は初めて石井柏亭の《草上の小憩》を見た時、なぜ、この作品が《草上の昼食》のオマージュといえるのかわかりませんでした。いかにも日本的な生活風景が描かれていたからです。

 ところが、両作品をモチーフの側面から比較してみると、男女4人のモチーフはそれぞれ、《草上の昼食》から見事に翻案されていることがわかりました。そして、構図や明暗のコントラスト等については、マネの作品を真逆に置き換え、日本の情景や社会状況に適合させていました。

 そうすることができたのは、石井柏亭が、《草上の昼食》のエッセンスを的確に汲み取っていたからにほかなりません。西洋絵画に込められた寓意を読み取り、咀嚼し、日本文化に適合させて表現できる能力を備えていたからこそ、石井は、モチーフを的確に日本風に翻案することができたのです。

 《草上の小憩》は、西洋絵画や西洋文化を充分理解していなければ、制作不可能でした。また、日本文化や当時の日本社会を充分に理解していなければ、適切に翻案することもできなかったでしょう。見事なオマージュ作品といえます。(2022/9/28 香取淳子)