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コロナの時代、大型企画展はどうなるのか

コロナの時代、大型企画展はどうなるのか

■美術館の休館
 思い返せば、2月27日、国立新美術館で開催されていた「五美大展」に行く予定でした。どんな若い才能と出会えるのか、毎年このころになると、美大生たちの成果を鑑賞できるのが楽しみでした。ところが、当日、都合が悪くなって、29日に予定を変更したところ、コロナのせいで、運悪く、その日から休館になってしまいました。

 東京都の場合、多くの美術館が2月29日から休館になっています。

こちら → https://www.museum.or.jp/special/korona

 緊急事態宣言が全国的に解除になったのは5月25日でしたが、東京都の場合、緊急事態措置は5月31日まで延長されています。

こちら → https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/1007617/1007817.html

 国立新美術館の場合、6月11日には再開されました。これで美術館に行くことはできるのですが、行きたくなるような展覧会もなく、以来、しばらく美術館には足を運んでいませんでした。コロナ騒動はまだ収まっておらず、出かけようという気になれなかったのです。

 重い腰をあげ、ようやく出かけたのが、7月下旬、近くの練馬区立美術館です。

 練馬区立美術館では、開館35周年企画ということで、一風変わった企画展が開催されていました。区役所でそのチラシを手にしたとき、久しぶりに展覧会に行ってみたいという気持ちになりました。チラシに掲載されている作品を見て、久しぶりに、この目で見たいという衝動に駆られたのです。

 練馬区立美術館は、自宅からは徒歩15分ほどの距離にあります。ですから、感染を気にすることなく出かけられるという気安さもありました。

■コロナで阻まれた美術鑑賞
 ここ数年、ほぼ一か月に一回は目ぼしい展覧会を探し、美術館、画廊、デパートのギャラリーなどに出かけていました。美術鑑賞は恰好の気晴らしになりますし、知的刺激を与えてくれる娯楽でもありました。いつの間にか、美術館に出かけ、作品を鑑賞することが習慣になっていたのです。

 ところが、今回のコロナ騒動で数か月のブランクが生まれました。その結果、どこでどんな展覧会が開催されているのか、まったく気にならなくなってしまったのです。美術鑑賞の習慣を取り戻すのは容易ではないことがわかりました。

 美術館に出かけるには通常、電車に乗らなければならず、密閉した車内で不特定多数と空間を共にします。会場に着いても、不特定の人々と空間を共有しなければならないことに変わりはありません。鑑賞者の中には保菌者がいないとも限りませんし、マスク着用者ばかりの中では落ち着いて鑑賞する気にもなれません。一定の距離を保って鑑賞しなければならないのも不自由です。

 美術館への道中がコロナ禍を機に、感染への懸念に置き換わってしまいました。鑑賞の楽しみよりも、電車に乗り、会場に出かけることのリスクを気にかけるようになったのです。改めて、美術館に行くことは「不要不急の外出」に相当するのだと思い知らされました。

 このような経験はおそらく、私だけではないでしょう。美術館、映画館、劇場など、観客を相手にする芸術・娯楽はすべて、このような観客の態度変容の憂き目にあっているのではないかと思います。

■美術館に入場するには
 6月に入ると、美術館も再開されるようになりました。とはいえ、事前予約制になっているところが増えており、感染対策として入場者制限が避けられなくなっていることがわかります。

こちら → https://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2020/06/tokyo_reopen.html
 
 マスクを着用していなければ、入館できず、入館時には検温され、37.5度以上あれば、入館できません。もちろん、館内ではソーシャル・ディスタンスを保って鑑賞するよう、規制されています。中には、渋谷区松濤美術館のように、入館時に氏名、連絡先を記入しなければならないところもあります。

こちら → https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/22017
 
 これまでどおり美術館や画廊、ギャラリーで鑑賞できるようになったとはいえ、観客には、事前予約、入場時の検温、マスク着用、ソーシャル・ディスタンスの確保などが強いられます。これまでのように気軽に行けなくなってしまい、敷居が高くなったような気がします。
 
 一方、美術館、画廊、ギャラリー側にしてみれば、通常業務以外に、感染予防のための作業が増え、経費がかさみます。それなのに、入場者制限をしなければならず、収入の減少は避けられません。このような状態で、果たして、美術館、画廊、ギャラリーは経営していけるのか、ふと、心配になってきました。

■中止に追い込まれた「ボストン美術館 芸術×力」展
 2020年6月10日の日経新聞に、「3蜜回避で美術館の“大量動員至上主義”は変わるか」というタイトルの記事が掲載されていました。

 読んで、印象に残ったのは、今年予定されていた大型企画展が相次いで中止されたという箇所です。コロナ禍で憂き目に遭っているのは、国内の美術館だけではありません。海外の美術館もまた休館に追い込まれ、それが長引いて、展覧会のための作品輸送ができなくなっていたのです。

 たとえば、4月16日から7月5日までの期間、東京都美術館で開催予定だった「ボストン美術館 芸術×力」が中止に追い込まれています。

こちら → https://www.tobikan.jp/exhibition/2020_boston.html

 タイトルのすぐ下に、「日米両国の新型コロナウイルス感染拡大の影響のため、開催を中止いたしました」と書かれています。

 この展覧会は、3月半ばの時点では延期とされていました。主催者側は5月中旬の開催を目指し、関係者と調整していたようです。ところが、日米ともコロナ感染の拡大はとどまるところを知らず、結局は中止せざるをえなくなったようです。

 4月17日、開催中止のお知らせがホームページに掲載されました。

こちら → https://www.tobikan.jp/information/20200417_1.html

 主な原因は、作品輸送の目途が立たなかったことでした。今回の展覧会では、ボストン美術館が所蔵するコレクション約60点が展示される予定でした。ところが、アメリカでコロナ感染者が増大し、作品の輸送ができなくなってしまったのです。

 1876年に開館した同館は、古代エジプトから現代美術まで幅広い作品を収集しており、コレクション点数は50万点にも及ぶそうです。その中から選ばれた60点が来日する予定でした。日本で初めて鑑賞できる作品もあり、観客の期待も大きかったと思います。

「ボストン美術館 芸術×力」はいったい、どのような展覧会だったのでしょうか。

■初公開される日本の作品
 この展覧会のチラシを見ると、「チカラは、美を求めた」というキャッチコピーが、孔雀の絵の上にレイアウトされており、とてもインパクトがあります。

こちら → https://www.tobikan.jp/media/pdf/2019/boston_flier.pdf

 二羽の孔雀の隣に描かれているのは牡丹でしょうか。精緻な筆致と繊細な色遣いで豪華さと強靭さが表現されています。

 実は、これは、今回の展覧会で注目されていた作品の一つでした。江戸時代中期の大名・増山雪斎が描いた二幅一対の「孔雀図」です。チラシの表紙に使われていたのは、白と群青色の二羽の孔雀と赤と薄ピンクの牡丹が描かれているものでした。豪華絢爛という言葉がぴったりの絵柄です。

 開催されていれば、日本初公開となるはずでした。

 調べてみると、増山雪斎(1754-1819)は、三重県桑名市(現在)伊勢長島藩の第5代藩主で、48歳の時に家督を長男に譲り、その後は絵を描き、本草学の研究に邁進したとされています。

 元来、芸術家肌の為政者だったのでしょう。この作品は1801年に制作されていますから、雪斎が47歳の時に描かれたことになります。大名の余技とは思えないほど、素晴らしい出来栄えです。

 ひょっとしたら、この作品が素晴らしすぎたせいで、惜しげもなく藩主の座を捨て、絵筆を握ろうという気持ちになったのでしょうか。雪斎はこの一年後に、藩主の座を退き、絵画制作と本草学の研究に専念しています。

 日本の作品としては、この作品以外に、平安時代後期の「吉備大臣入唐絵巻」と鎌倉時代の「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」などの出品が予定されていました。いずれも日本に残っていれば国宝級といわれる絵巻です。こちらもチラシに使われており、「2020年、日本の宝里帰り」というキャッチコピーが付けられていました。

■芸術と権力者
 チラシの解説文には、「多くの権力者たちは、自らも芸術をたしなみ、またパトロンとして優れた芸術家を支援したほか、貴重な作品を収集しました」と書かれています。ちょっと気になる文言です。

 気になって調べてみると、増山雪斎は為政者でありながら、自身で絵を嗜み、絵師を超えるほどの技量で作品を制作していました。その一方で、藩士の春木南湖に絵を学ばせていました(※ http://www.photo-make.jp/hm_2/bird_tonosama_1.html)。優れた才能を見出しては支援していたのです。まさに、この展覧会のコンセプト、「チカラは、美を求めた」を例証しているといえます。

 さて、「ボストン美術館 芸術×力」展では、日本以外に、エジプト、ヨーロッパ、インド、中国などで制作された作品、約60点が展示される予定でした。

 具体的にどのような作品が選ばれていたのかわかりませんが、権力者と芸術作品との関係にスポットライトを当てて企画され、機能の面からその相互関係を読み取れるように組み立てられた展覧会だったのです。

 雪斎のように、為政者でありながら芸術を愛し、自ら創作に励んだばかりか、才能のある者を支援していた権力者もいるでしょうし、優れた作品のコレクションをし、自身の権力の正統性を傍証しようとしていた権力者がいたかもしれません。権力と芸術という観点からは想像力がさまざまに刺激され、物語をいくつも思い浮かべることができます。

 チラシを見ていると、あらためてこの展覧会が、これまでにない観点からの企画だったことを思い知らされます。芸術作品は、権力者が権力を誇示し、その正統性を視覚化する役割を担っていたというのです。展覧会のコンセプトが興味深く、観客の期待感を高めていたことでしょう。

 残念ながら、コロナのせいで、権力者と芸術作品との関係について考える機会が失われてしまいました。

■マスメディアと美術館連携の大型企画展
 何もこの展覧会に限りません。コロナのせいで開催中止、あるいは開催未定になった展覧会は数多くあります。

こちら → https://bijutsutecho.com/magazine/insight/21472

 「ボストン美術館 芸術×力」展は、東京都歴史文化財団、東京都美術館、ボストン美術館、日本テレビ放送網、BS日テレ、読売新聞社などが主催者として名を連ねています。きわめて大掛かりな展覧会だったことがわかります。

 4月20日から7月31日までの期間、チケットの払い戻しをしましたし、すでに制作してしまった図録やオリジナルグッズなどは、通信販売サイトで販売しています。

こちら → https://twitter.com/boston_2020/status/1280106850793295872

 図録は当然として、いったいどれだけのグッズが制作されていたのでしょうか。日テレポシュレのサイトから、オリジナルグッズを一覧してみましょう。

こちら → https://www.ntvshop.jp/shop/c/cboston/

 ノート、便箋、ポチ袋、シール等、37点(図録を含む)ものオリジナルグッズが開発され、販売されていました。展覧会が中止にならなければ数十万人が訪れ、会場で購入していたに違いない商品群です。

 美術館とマスメディアが連携して行う大型企画展が、いかに多数の観客を動員し、それに合わせたグッズ販売してきたかがわかります。

 大型企画展はもはや美術鑑賞の場というより、数十万規模を動員できるイベント会場になっていたといった方がいいでしょう。展覧会を成功させるには、話題先行でアクセスを増やし、グッズ販売につなげるには、マスメディアの協力が不可欠でした。

■企画から開幕までの道程
 産経新聞社事業本部・藤本聡エグゼクティブディレクターは、「怖い絵展」、「フェルメール展」、「ゴッホ展」などに関わった経験から、「美術展の企画から実施までの道程は極めて長い」といいます。

 「美術館の学芸員と企画コンセプトを練り、国内外の美術館と出品交渉を重ねて構成を固めていく」。その一方で、「作品の輸送計画・PR計画の策定、図録・音声ガイド・グッズの制作」などの準備に「短くて3~4年、長くて5年以上の歳月が必要だ」といいます。そのような作業を一つ一つ積み上げ、ようやく開幕を迎えるというのです。(※ 『芸術新潮』2020年8月号)

 藤本氏の場合、手掛けていた「ゴッホ展」(2020年1月25日~3月29日)が、コロナ禍で開催中の3月4日から臨時休館になりました。その後、厳重な感染対策をして、3月17日から再開しましたが、3月20日には再び、休館せざるをえず、そのまま会期を終えたという経験があります。

こちら → https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_2001/index.html

 そんな中、経験した大きな問題は、海外10ヵ国27カ所から借りたゴッホや印象派の作品をいつ、どのように返却するかということだったと藤本氏はいいます。コロナ感染拡大のため、4月3日に日本政府が入国拒否の対象を73ヵ国・地域に拡げたことで、国際貨物輸送もストップし、返却作業が滞ってしまったというのです。

 この記事を読んで、「ボストン美術館 芸術×力」展が、作品輸送の目途がつかずに中止になった経緯がわかりました。

 藤本氏はさらに、ロックダウンによる海外美術館の休館や輸送体制の不備等により、いまだに返却できず、日本に残されたままの作品もあるといいます。国内外でから作品を借用し、返却する過程でいかにリスクが多く、困難をきわめるか、展覧会の裏方作業が見えてきたような気がします。

 今回のコロナに限らず、事故、地震、テロ、盗難など輸送に伴うリスクは多々あります。それらを乗り越え、これまで大型企画展は開催されてきました。ところが、コロナを経験した今後はどうなるのでしょうか。海外の美術館からの借用に影響してくるのではないかという気がします。

 藤本氏は、ここ十数年で、人件費、輸送費、保険料など展覧会に関わる経費が膨れ上がっているといいます。以前はなかったテロ保険や地震保険などもかかるようになり、数十万規模の入場者数を見込めない企画は開催が難しくなっていると指摘しています(※ 『芸術新潮』前掲。)

 このような状況下では今後、海外の著名な画家を取り上げた大型企画展の開催は難しくなるかもしれません。

■大型企画展の事業モデル
 展覧会に関する記事をいくつか読んでみると、新聞社やTV局が実質的な事業主体となって運営しているのが、大型企画展の事業モデルだといえそうです。数十万人の動員を見込める大型企画展を、最初から最後まで仕切るのがマスメディア側です。

 具体的には、マスメディア側が企画から作品借り受け交渉、図録等グッズ制作などの関連作業を進め、実施まで4~5年かけて展覧会の開催にこぎつけます。しかも、その収支まで、マスメディア側が責任をもつ仕組みになっているようです。

 たとえば、入場者60万人規模の大型企画展の場合、典型的な収支モデルは次のようなものになります(※ 『週刊ダイヤモンド』2020年8月22日号、pp.50-51)。

 支出の部として、①作品借用料(3億~5億円)、②保険料(1億~1.5億円)、③輸送費(0.5億~1.5億円)、④展示・会場施工費(0.5億円)、広告宣伝費(0.5億~1億円)、その他運営コスト(0.5億~1億円)で、支出合計が6億~10億円前後になります。

 一方、収入の部としては、①入場料(約8割)、②グッズ販売(約2割)といった構成になっています。興味深いのは、この収支に責任を負うのはメディア側で、美術館側はいっさい負わないということです。そればかりではなく、入場料収入のうち20%強は美術館側に入る仕組みになっているといいます(※ 『週刊ダイヤモンド』前掲)。

 このモデルだと、入場者数が増えれば増えるほど、美術館側にもメディア側にも利益があるということになります。観客がすし詰め状況で作品鑑賞をしなければならない反面、メディア側と美術館側にはwin-winの関係を築くことができていたのです。

 実際、これまでの大型企画展では、当初予算で一日5000人から7000人もの入場者を想定するケースが多かったそうです。

■コロナ下で再考、美術館はどうあるべきか。
 私も美術館に行きながら、長蛇の列には嫌気がさし、入場しないで帰ってしまったことが何度かあります。とくに最近の有名な美術展はどれもたいてい混み合っており、鑑賞したいという気持ちが削がれてしまっていました。

 コロナ下のいま、感染予防対策の面から、入場者数は制限されています。その上限は、主な国立美術館で一日1600人程度、国立西洋美術館で一日3000人程度とされているようです。つまり、入場者数はこれまでの大型展覧会の半分以下に制限されているのです。観客にとっては好都合ですが、果たして主催者側にとってはどうなのでしょうか。

 多数の入場者数を想定した大型企画展の開催が今後、難しくなるとすれば、世界的に著名な画家を取り上げた企画展は開催しにくくなるのでしょうか。入場料を上げるわけにいかず、他の収入源も考えられないとすれば、やはり、大型展覧会の開催は困難になるといわざるをえなくなるでしょう。

 美術関係者からは、「大型企画展頼みからコレクション・常設展重視の流れが定着するといい」という声があがっているようです(※ 『週刊ダイヤモンド』前掲)。そうなると、コレクションの内容によって、美術館の個性が表出してきますから、美術館の存在価値が高まるでしょう。

 コロナ禍を機に、美術館もまたパラダイムシフトの時期を迎えているのかもしれません。(2020/8/31 香取淳子)

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