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1964年東京オリンピックで生み出され、普及したピクトグラム

■ブルーインパルスが描いた五輪マーク

 2019年11月3日、入間航空祭が開催されました。出かけてみると、自衛隊入間基地のある稲荷山公園駅には臨時改札口が設けられており、大勢の人々がまるで飲み込まれていくかのように、そこから次々と基地内に入っていきました。例年は20万人ほどがここを訪れますが、曇天のせいか、今年はいつもより少なめでした。それでも、翌日の新聞を見ると、入場者数は12万5千人だと報じられていました。

 雨が降りそうな気配でしたが、ブルーインパルスの展示飛行は予定通り、13:05から14:05まで行われました。例年のように、青空を背景にくっきり見えるというわけにはいきませんでしたが、大空を駆け抜ける操縦術のすばらしさ、低空飛行の迫力はいつも通りでした。

 振り返ってみれば、1964年10月10日、この入間基地から、ブルーインパルスの飛行部隊はオリンピックの祝賀飛行のために飛び立って行ったのです。戦後復興から間もない時期でした。日本が国力を総動員して臨んだのはいうまでもありません。開会式のアトラクション飛行もその一つでした。発足してまだ日の浅いブルーインパルスが、大空を舞台に華麗な飛行技術を世界中に見せつけ、驚かせたのです。機体はF-86F戦闘機でした。


(航空自衛隊HPより)

 1964年10月10日午後2時半、ブルーインパルスのメンバーたちは、入間基地から離陸し、湘南上空でいったん待機してから、国立競技場に向かいました。開会式の進行に合わせ、時間調整をしていたのです。そして、聖火ランナーが入場すると、予定通り、5機の編隊は機体の後尾から青、黄、黒、緑、赤色のスモークをはき出し、快晴の大空に鮮やかな五輪のマークを描き出しました。


(2018年3月28日、ガジェット通信より)

 この写真ではスモークが白く見えますが、実際は五輪マークに合わせ、5色のスモークが使われていました。五機がそれぞれ着色されたスモークを吐き出しながら、一定の間隔で輪を描いていくと、30秒後には、東西6㎞以上にわたって五つの輪が大きく広がっていくという仕掛けでした。

 五機が一定の間隔で円を描くという飛行は、当時、極めて難しかったそうです。ブルーインパルスの部隊は、開会式に向けて何度も練習しながら、一度も満足に円を描くことができなかったといいます。ところが、本番になると、まるで奇跡が起こったかのように大きな円が5つ、五輪マークと同じように円の一部が相互に重なり合って、大空に描き出されました。苦労が報われる、素晴らしい出来栄えでした。

 これほど壮大なアトラクションはオリンピック史上、初めてでした。しかも、この開会式は世界に向けてテレビで生中継されていましたから、ブルーインパルスによる快挙はリアルタイムで、世界中の人々に知られることになったのです。

 ブルーインパルスは1960年、浜松北基地(現在、浜松基地)の第1航空団第2飛行隊内に、「空中機動研究班」として設置されました。それが、4年目にはオリンピックという晴れ舞台で、日本人の機体操縦術の高さを国内外に見せることに成功したのです。

 青空を背景に大きく描かれた五輪マークは、国境を越え、民族を超え、人々の心に刻み込まれました。シンプルな絵柄がどれほどイメージ喚起力に優れているか、それは、1964年オリンピックの大会ロゴも同様でした。

■1964年のオリンピック大会ロゴ

 1959年5月26日、第55次IOC総会で、東京が1964年のオリンピック開催地として選出されました。開催が決定されると、すぐさま「東京オリンピック組織委員会」が設置され、国家プロジェクトとしての取組みが始まりました。

 興味深いのは、1960年春早々に、デザインプロジェクトが開始されたことでした。美術評論家の勝見勝氏を座長に、デザイン界の重鎮11名を構成メンバーとするデザイン懇談会が組織されたのです。

 そのデザイン懇談会によって、1960年6月に大会ロゴの指名コンペが行われ、約20案の中から選ばれたのが、グラフィックデザイナーの亀倉雄策氏が制作した「日の丸」でした。


(Wikipediaより)

 日の丸を大きく描き、その下に金色の五輪マーク、「TOKYO 1964」と三層構造でレイアウトしたデザインです。飾り気がなく、シンプルで明快なデザインですが、赤と金色の配色が華やかで、しかも、厳かな印象を与えます。時間を経ても古びることのない、究極の美しさが表現されています。

 亀倉雄策氏はこのデザインについて後に、「考えすぎたりしないように気をつけて作ったのが、このシンボルです。日本の清潔さ、明快さとオリンピックのスポーティな躍動感を表してみたかったのです」(「オリンピックメモリアルVOL.2」より)と語っています。

 亀倉氏の思いの詰まったこのロゴは、オリンピックに向けた国民の意思統一に大きな役割を果たしました。シンプルでわかりやすいデザインが、戦後復興を経て、新たな日本を構築しようとしていた日本人の気持ちをまとめ、力強く鼓舞していったのです。

 時を経て、国境を越えて、このデザインはヒトの心を捉えて離さない力を持っていました。

 アメリカのグラフィックデザイナーのミルトン・グレイザーは、歴代の大会ロゴの中でもとくに東京オリンピックの大会ロゴを高く評価し、100点満点中92点をつけています。

「注目すべきはそのバランスのとれた明快さだ。日本の国旗である昇る太陽を思わせる赤丸が金色の五輪の上に鎮座し、五輪の下にヘルヴェチカのボールドで「TOKYO 1964」と書かれている」と記し、このロゴの極限を追求した美しさを称賛しているのです。

こちら →

https://www.wired.com/2016/08/milton-glaser-rated-every-olympics-logo-ever-favorite/

 グレイザーは1924年のパリオリンピックから2022年の北京オリンピックまでの大会ロゴを評価しているのですが、80点から90点と評価したロゴは全体の一部でしかなく、ほとんどのロゴは酷評されています。

 初期のロゴについていえば、例えば、ベルリン大会(1936年)は「奇妙で焦点がない」、サンモリッツ大会(1948年)は「旅行パンフレットのように奇異だ」といった具合です。

 この記事を掲載した『Wired』の編集部は、グレイザーの評価内容について、「明らかに複雑すぎるものを嫌っている。彼にとって、よいオリンピックロゴの基準とは、明快さと意外性のバランスのようだ」と記しています。酷評された大会ロゴが多く、編集部としてはこのように書かざるをえなかったのでしょう。

 確かに、1964年東京大会ロゴへの高評価には、グレイザーの美意識、デザイン観が反映していたといえるでしょう。とはいえ、このロゴが長年、国内外で高い評価を得てきたことも事実です。それはおそらく、このロゴには、シンプルで明確にメッセージを伝える力が備わっているだけではなく、デザイン、レイアウト、色彩、それぞれがイメージ喚起力に優れ、ヒトの心に残るものが含まれていたからでしょう。

「日の丸」は、オリンピック大会を統一するロゴとしての条件を完璧に満たしていたのです。

■オリンピックのデザイン・ポリシー

 1960年5月7日から16日まで、世界デザイン会議が東京で開催され、27か国、二百数十名のデザイナーや建築家が参加しました。会議開催の中心メンバーは、勝見勝、亀倉雄策、丹下健三らでした。彼らは、各分野のデザイナーたちが、分野を超え、国境を越えてつながることのできる機会を設定したのです。若手デザイナーを啓発するためであり、日本のデザインを海外に知らせるためでもありました。日本の威信をかけて開催されたイベントだったのです。

 当時、デザイン界で名を馳せていたハーバート・バイヤー、ブルーノ・ムナーリ、ルイス・カーンなどもこの世界デザイン会議に参加していました。この会議を経て初めて日本で「デザイン」という言葉が市民権を得たほど、重要な会議でした。その後、分野を超えて、デザイナー相互の協調が推進され、1964年のオリンピックでそれが活かされました。

 世界デザイン会議の中心メンバーだった勝見勝氏は、1963年11月、オリンピック組織委員会の嘱託になり、正式にデザインワークの指揮を執ることになりました。1964年2月には組織委員会の総務課に「デザイン室」を設置し、実働部隊として若手デザイナー30名を招集しました。当時、『グラフィックデザイン』の編集長をしていた勝見氏は、個々のデザイナーの特性をよく把握しており、適材適所で人材を配置しました。そのおかげで、大きな成果をあげることができました。

 さらに、勝見氏は一連の仕事を進めるに際し、デザイン・ポリシーを徹底させて、統一感を図っていました。具体的にいえば、「エリア計画部会」「シンボル部会」「標識量産部会」などのプロジェクトに分け、書体、エリアカラー、ピクトグラム、標識などの基準を定めたデザインマニュアルを制定し、制作を進めていったのです。

 このデザインマニュアルは大会終了後、『デザイン・ガイド・シート』にまとめられました。

こちら →https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=7215654

 これを見ると、東京オリンピック大会に必要な種々の情報を、的確に視覚伝達できるよう、デザイン業界が一丸となって、活動を展開していたことがわかります。

■デザインの社会的効用

オリンピックは、デザインの社会的効用を可視化できる絶好の機会でした。しかも、日本はアジアで初めての開催国です。デザイナーたちがこの機を逃す手はありません。先駆者としての意気込みに支えられて、さまざまな困難を乗り越え、ピクトグラムの作成していきました。

 戦争で350万人もの若壮年層が犠牲になっており、日本社会に大きな人口の空白地帯ができていました。当時、20代後半から30代の人々は、犠牲になった世代の肩代わりをしながら、戦後の復興を支えてきたのです。デザイン業界も同様でした。

 デザインワークに携わった若手デザイナーたちにはオリンピックを契機に、デザインの力で日本を復興させるという意気込みが充満していたのではないかと思います。

 彼らは貪欲に世界の情報を把握し、キャッチアップしようとしていました。勝見勝氏らが1960年に東京で世界デザイン会議を開催したのも、若手デザイナーたちに、海外や分野を超えたデザイナーたちとの交流の場を設けるためでした。相互に情報交換し、刺激し合える機会を提供することで、日本のデザイン力を高めようとしていたのです。

 実際、この世界デザイン会議を通して、デザイン関係者の間で、専門分野を超えた共同作業の在り方、デザイン・ポリシーの徹底、デザイナーの社会的責任などが共有されるようになっていきました。

 東京国立近代美術館の木田拓也氏は、「東京オリンピックはこうした課題にこたえるための「実験場」でもあった」と指摘していますが、その指揮を執ったのが、勝見勝氏でした。(『デザイン理論』65号、2014年)

 勝見氏の指揮の下、彼らはピクトグラムの導入に成功しました。競技であれ、施設であれ、とりわけ効果が顕著だったのが、一目で意味がわかるシンプルなデザインでした。オリンピックの大会ロゴをはじめ、さまざまなピクトグラムにその精神は活かされていました。シンプルなデザインだからこそ、情報が明確に伝わることを彼らは確信していたのでしょう。

■国際ジュネーブ会議で提唱された国際交通標識

 勝見勝氏はデザインプロジェクトの座長に選ばれた当初から、ヨーロッパ方式のデザインを取り入れようと思っていたようです。ヨーロッパ方式のデザインとは、1947年8月から9月にかけて開催された国際ジュネーブ会議で提案されたサインランゲージを指します。この会議では、国際交通標識の制定が提案されていました。

 当時、ヨーロッパでは車が普及しはじめており、それに伴い、国境を越えて旅行する人々が増えていました。そこで検討課題になっていたのが、各国共通の交通標識の導入でした。

 各国共通の交通標識を導入すれば、たとえ大勢の人々が国境を越えて車で行き来するようになったとしても、道に迷うことも少なく、事故も起こりにくくなるでしょう。陸続きのヨーロッパでは、喫緊の課題として国際交通標識の導入が論議されていたのです。そして、国際ジュネーブ会議にその議案書が提出されました。

 勝見氏は、国際ジュネーブ会議で提案された国際交通標識こそ、オリンピック東京大会の標識デザインの参考になると考えていました。つまり、オリンピック大会の標識は、交通標識のように単純明快で、誰が見ても、一目で理解しやすく、その意味が正確に伝わるものでなければならないと考えていたのです。

■勝見勝氏が提唱した「絵ことば」

 勝見氏は『朝日ジャーナル』(1965年10月3日号)に「絵言葉の国際化」というタイトルの論考を寄稿しています。その文章の中で印象に残った個所を、ご紹介しておきましょう。

「地球のあらゆる地域から人々が集まり、多種多様な言語の氾濫するオリンピックのような国際行事では、たとえ公用語がきまっていても、視覚言語の役割は大きい。東京大会マークの制定と、その一貫した適用、五輪マークの五色の応用、競技場別の色彩の設定、競技シンボルや、施設シンボルの採用など、その後のデザイン計画は、すべて視覚言語の重視というポリシーにそって進められてきた」

 これを読むと、勝見氏が1964年オリンピックの競技や施設等のデザインはどうあるべきか、どのように取り組み、どう実行していくかといったことを具体的に考えていたことがよくわかります。

 さらに、勝見氏は興味深い指摘をしています。

「わが国には、<視覚言語>という生硬な訳語がはやりだす前から、ちゃんと<絵ことば>という用語があり、また、紋章という世界でも最も完成した視覚言語の一体系が存在していた。われわれの先祖は紋章のデザインに、明快で微妙な造形力を発揮すると同時に、それを建築から家具や什器や服飾にいたるまで、あらゆるものに適用して、今日の流行語をつかえば、ハウス・スタイルをととのえ、固定のイメージをうちだし、デザイン・ポリシーを貫いていたのである」

 日本の生活文化の中で、紋章という視覚言語が機能していたことを、勝見氏のこの一文は思い出させてくれます。

 現代社会では、着物を着るヒトが激減し、什器を使う機会も減ってしまっています。若いヒトの中には、「紋章」を知らないヒトがいるかもしれません。紋章は日本では長い間、世代を超えて継承されてきた家族を象徴する生活文化でした。いまでは、家族制度の崩壊とともに廃れてしまっていますが、当時はまだ、紋章は生活文化の中で視覚言語として機能していたのでしょう。

 勝見氏は、日本の生活文化に根付いた紋章のもつシンプルなデザイン性、言語といえるほどの明確性に着目しました。そして、国際交通標識の導入に動き始めたヨーロッパの動向を踏まえ、日本の生活文化の中に根付いていた紋章の機能を加味した絵ことば(ピクトグラム)を次々と開発していきました。おかげで、どれほどオリンピック大会がスムーズに運営されたことでしょう。一連のピクトグラムを通して、シンプルなデザインの社会的効用を確認することができたのです。

■コミュニケーション・バリアフリーを目指す

 敗戦から19年目、アジアで初めて開催された東京オリンピック大会は、非アルファベット圏で初めて開催されるオリンピックでもありました。参加したのは94か国、5133人の選手および関係者でした。日本語がわからないままプレーをし、観戦をし、日本に滞在する数多くの外国人を支える必要がありました。

 当時、外国人と接する日本人はごく限られた人々でした。ほとんどの日本人は外国人と接触したこともなく、大勢の外国人を迎え入れなければならない状態でした。もちろん、通訳ボランティアが大活躍しましたが、四六時中、つきっきりというわけにはいきません。

 そこで必要とされたのが、通訳がいなくても外国人が行動できるための標識でした。

 なにも外国人に限りません。大会期間中、大勢の選手や観客が会場内や周辺を行き来します。彼らがスムーズに競技を観戦できるようにするには、誰もが一目でわかる標識が必要でした。それは統一されたものでなければならず、また、文化の違いを超えてわかりやすいものでなければなりませんでした。

 武蔵野美術大学名誉教授の勝井三雄氏は、当時、競技プログラムや駐車ステッカーなどのデザインを担当していました。彼らは、シンプルでわかりやすいデザインを工夫して創り出しました。


http://u-note.me/note/47506082より)

 上記は競技のピクトグラムですが、施設案内のピクトグラムもあります。とくに重要なのが、外国人を最初に出迎える空港の案内標識でした。

 上記は、羽田空港で使われた施設案内のピクトグラムです。制作者の村越愛策氏は当時を思い起こし、以下のように述べています。

「当時の羽田空港の看板といえば、「禁煙」を示すもの一つとっても、手書きのものが乱雑に標示されていただけでした。それも文字だけのものでしたから、非常にわかりにくかったんです。「これではいかん」ということで、建設業界から東京オリンピック組織委員会に設けられた「デザイン連絡協議会」に依頼がありました。そこで日本のデザイン界の第一人者であり、東京オリンピックのデザイン専門委員会委員長を務めた勝見勝先生の出番となったのです。その勝見先生からご指名をいただいた私の作業は1962年から始まって、約1年間の期間しかありませんでした」(前掲URLより)

 これらのデザインは当時、若手11人のデザイナーたちが苦心して作り上げたものでした。ところが、勝見氏はこれらのピクトグラムを「社会に還元すべきだ」という考えから、デザインの著作権を放棄しようと提案しました。若手デザイナーたちもいさぎよくこれに同意し、著作権放棄の署名をしました。

 その結果、これらのピクトグラムは日本だけではなく、全世界で案内表示として使われるようになりました。国境を越え、文化を超え、年齢を超え、誰もがわかるピクトグラムを開発したばかりでなく、著作権放棄をしてその普及を進めた功績がどれほど素晴らしいものであったか、勝見勝氏をはじめとする当時のデザイナーたちの先進性、革新性、社会貢献への意識の高さには驚かざるをえません。

 競技のピクトグラムに携わった勝井三雄氏は、勝見氏の東京オリンピックのデザインにおける業績として、以下のように述べています。

「国際的なコミュニケーションという問題意識を国内に持ち込んだ」ことが勝見氏の何よりも大きな功績だと認識し、「ピクトグラムは今では社会のあらゆる場で使われていますが、勝見さんが「絵ことばの国際リレー」と名づけたことで、日本から世界に広がる。その起点を作ったのがオリンピックだった」と述べています。(Newsletter of the National Museum of Modern Art, Tokyo; Aug.-Sep. 2013)

 東京オリンピックの開催を機に、日本人は世界で初めての快挙を次々と成し遂げました。それらはレガシーとしてその後、世界に大きな影響を及ぼしました。その一つが、今回、ご紹介してきたピクトグラムでした。

 オリンピック終了後も、世界各地でピクトグラムは使用されるようになり、さらには人々のコミュニケーション・バリアフリーに大きく寄与することになりました。当時、オリンピックを主導した人々の先見の明、社会貢献への意識の高さに尊敬の念を覚えてしまいます。(2019/11/25 香取淳子)

2020東京オリンピック・パラリンピック:レガシーとして残せるものは何か

■マラソン・競歩開催地の変更を巡って

 2019年10月30日、都内でIOC調整委員会会議が開催されました。IOC調整委員長のコーツ氏、組織委員会の森会長、橋本五輪相、小池都知事らが出席し、マラソン・競歩の開催地を東京から札幌に変更することについての調整が行われました。

小池都知事はこの日も、「開催都市に相談されないまま提案された異例の事態」だとし、会場変更に反対の姿勢を示したままでした。


2019年10月31日、日経新聞より

 マラソンといえば、オリンピックの花形競技です。しかも、マラソンレース沿道の住民にとってはチケットを購入しなくても観戦でき、楽しむことができますし、自治体にとっては、中継に伴ってその街並みが世界に発信されれば、観光意欲を刺激する可能性もあります。札幌で開催されることになれば、そのような機会が失われてしまいますから、都も関連自治体も賛成するわけにいかないのでしょう。

 一方、IOC調整委員長のコーツ氏も、札幌への変更はIOC理事会で決定したことだとして、譲りませんでした。

フジ系ニュース映像より

 もっとも、理解してもらうための説明は尽くすとコーツ氏は言っています。冷静に説得しようとする様子からは、開催地の変更は受け入れてもらえるという自信が滲み出ていました。たしかに、選手や観客の健康への影響を考えれば、IOC側に理があるといえますし、そもそもオリンピックの競技会場自体、IOC理事会の承認事項になっていますから、森組織委員会会長のいうように、IOCが決定したのだから、受け入れざるを得ないのでしょう。

 2019年10月30日の日経新聞夕刊には、マラソンを札幌で開催する場合、チケット販売は行わず、沿道で観戦することになるとされ、東京開催で販売されたチケットは払い戻しで対応すると書かれていました。

 一連の騒ぎになる前から、私は東京の夏でオリンピックを開催するのは、選手にとっても観客にとっても大変なことになると思っていました。周囲も同じような見解で、大丈夫かしらと話し合っていました。ですから、コーツ氏の言い分はとてもよく理解できました。むしろ、IOCの方からこのような提案をしてくれたことで、ほっとしたほどでした。東京の夏の酷暑を知っている多くのヒトは同じような気持ちになったことでしょう。ようやく適切な対応をしてくれたという気持ちでした。

 マラソン・競歩の開催地の変更を巡る騒動は冷静さを欠き、選手や観客への配慮は見られません。それどころか、東京都側の面子や政治経済的利益ばかりが目につきました。なんのためにオリンピックを開催するのかと疑ってしまうほどでした。

■ドーハでの事態を踏まえ、IOCが決断

 10月16日、IOC(国際オリンピック委員会)は、マラソンと競歩は北海道で開催することを検討していると発表しました。

こちら →https://www.bbc.com/japanese/50078117

 マラソンや競歩に参加する選手の健康への影響を考えると、東京よりは気温が6℃ほど低い北海道で開催するのが妥当だというのがIOCの言い分です。東京都はこれまで暑さ対策としていろいろ検討してきたのですが、いずれも現時点の準備状況では酷暑には対応できないと判断し、IOCが出してきた提案でした。

 後で知ったのですが、IOCがこのような判断をした理由に、カタールのドーハでの不祥事がありました。

 2019年9月27日にドーハで女子マラソンが開催されたのですが、気温30℃、湿度70%を超える悪条件の下で決行されたため、68人の出場者のうち28人が途中で棄権し、完走率は過去最低の58.8%を記録することになったのです。

こちら →https://www.j-cast.com/2019/09/30368895.html?p=all

 IOCはこの件を重視し、高温多湿の日本の夏でも同様のことが起こらないかと危惧したのでしょう。どうやら、この件の後、マラソンと競歩の開催地変更の検討に入ったようです。

 ところが、札幌への変更については、小池都知事が反発し、一部の人々も反対しています。毎日新聞が10月27日、28日に実施した調査結果では、開催地の変更を「支持する」は35%、「支持しない」が47%だったといいます。サンプル数、母集団の属性がわからないのでなんともいえませんが、オリンピック東京大会なのに、これでは札幌大会ではないかというのが一般的な反対意見のようです。

 とりわけ、マラソンは人気のある競技で、観客動員数も多いことが見込まれます。ですから、開催地が変更になっては困るヒトもいるのでしょう。実際、東京でのコースにされていた沿道の自治体(千代田区、港区、新宿区、中央区、台東区、渋谷区)も反対しています。

 最終決定が下されるのは10月30日でしたが、小池都知事の強固な反対で結論はずれ込み、3日後になりました。とはいえ、反対の声がどれほど高まったとしても、選手の健康、観客の健康が第一だというIOCの主張に対抗することはできないでしょう。

 国際陸上競技連盟(IAAF)会長・セブ・コー氏も、「来年の五輪で、マラソンと競歩の最善のコースを確保するため、我々は大会組織委員会と連携していく」と表明しているそうです。最終的には、IOCが検討している方向で決着がつくのでしょう。

■暑さ対策はどうなっていたのか

 実際、東京の夏は近年、猛暑日が続いています。総務省消防庁の調べによると、2019年5月から9月の期間、熱中症で、救急車で搬送されたのは7万1317人で過去2番目に多く、そのうち死者は126人だったそうです。月別で見ると、8月が3万6755人で最も多く、前年より6345人多かったといいます。

 このような現実を知れば「暑さ対策に責任をとれるのか」と迫るIOCの提案を受け入れざるを得ないでしょう。果たして、東京の酷暑を組織委員会や東京都はどう考え、どのように対処しようとしていたのでしょうか。

 まず、オリンピック組織委員会のHPを見てみることにしましょう。

こちら →https://tokyo2020.org/jp/

 直近のニュースとして、暑さ対策に取り組むイベントが10月29日に開催されたことが取り上げられていました。

こちら →https://tokyo2020.org/jp/news/event/20191029-01.html

 若手イノベーターたちが専門家やアスリートを交え、真剣に議論を重ねている様子が報告されています。ここでの議論だけで、暑さ対策への解決策が生み出されるわけではありませんが、議論の過程を公開することによって、さらに多くの知恵を集め、練り上げていけば、真夏の東京大会に向けた最適解が得られる可能性もあるでしょう。とはいえ、もはや残された時間はわずかです。悠長に構えてはいられません。

 それでは、東京都はどうなのでしょうか。小池都知事は5月24日の記者会見で、暑さ対策として「かぶる傘」の試作品を発表しました。


2019年5月27日付朝日新聞より

 これを見たとき、まず、こんなもの誰がかぶるのかと思いました。観戦の邪魔になるだけだし、長く着用していると、蒸れてきて気持ちが悪くなるのではないかという気がしました。身に着けるものは、機能とデザインの両方を満足させるものでないと、消費者にはなかなか受け入れてもらえないでしょう。

 もちろん、暑さ対策グッズをいくつか用意しているようですが、どれも体温を超える東京の酷暑への対策として適切なものだとは思えませんでした。また、東京都はこれ以外に、道路に散水することによって気温を下げる実験をしたりしていますが、果たしてどれほどの効果があるのでしょうか。

 そこで、グッズ以外の東京都の暑さ対策の項目をみると、むしろ、熱中症で倒れた後の処置に力点を置いているように思えます。

こちら →

http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/climate/heat_island/atsusa_taisaku_suishinkaigi.files/R1_SANKOU2.pdf

 熱中症で倒れることを前提とした対策なのです。たしかに近年、東京の夏の暑さは尋常ではありません。体温を超えるほどの酷暑が続く日本の夏の実態を考えれば、炎天下で長時間競技することになるマラソンや競歩は札幌で行うべきだというIOCの主張に抗うことはできないでしょう。

■なぜ、真夏に開催するのか

 それにしても、なぜ、真夏の暑い時期に開催することになったのか、といった疑問が再び、浮上してきました。

 オリンピック東京大会が決定されたことを知ったとき、まっさきに思い浮かんだのは、なぜ、わざわざ酷暑の真夏に開催するのかということでした。おそらく、同じような思いをしたヒトは多かったでしょう。

 ところが、時間が経つにつれ、いつの間にか、酷暑という悪条件で競技をすることの危険性を忘れてしまっていました。調べてみると、1964年の東京オリンピックは10月10日から14日までの15日間、涼しく過ごしやすい時期に開催されていました。その後、1968年のメキシコ五輪も10月に開催されています。

 ただ、それ以降のオリンピックは7月か8月に開催されています。2020年の夏季オリンピック立候補都市に対しても、IOCは、「7月15日から8月31日の間」という条件を課しています。夏季オリンピックなので、それが開催条件の一つなのです。

 もちろん、その背後には夏季に開催した方が、視聴率が稼げると判断している米TV業界の事情があります。9月や10月に開催されれば、フットボールや大リーグの優勝戦といった他の大きなスポーツイベントと重なってしまいます。オリンピックは万人の関心を呼ぶコンテンツなのに、秋に開催すると、イベントが競合し合って視聴率を稼げない可能性があるのです。なんといっても米TV業界は、長年にわたって巨額の放映権料をIOCに支払っています。IOCもその意向を無視することはできないでしょう。

 ですから、2020年夏季オリンピックは、「7月15日から8月31日の間」という条件を付けての募集でした。具体的な日程は開催国のスポーツ団体が相互に調整して決めますから、夏季オリンピックの開催時期に関していえば、IOCに非はありません。

■酷暑の東京開催をIOCはなぜ、許可したのか

 IOCに非があるとすれば、酷暑の東京で開催することをなぜ、許可したのかということになります。そこで、選考過程で東京開催に対し、どのような評価がされているかを見ると、意外なことがわかりました。

「今大会の開催地選考でも東京の計画への評価は高く、2012年5月の1次選考でも総合評価のコメントで立候補都市の中で唯一「非常に質が高い」と記述され、正式立候補都市に選出された。同じアジアのドーハが1次選考で脱落したため、前回同様に一定のアジア票は確保できるとの見方が強い。課題として挙げられているのは、IOC の報告書で指摘された夏季のピーク時における電力不足と都民の低い支持率である」(Wikipediaより)

 第2次選考過程で懸念されていたのが、「夏季ピーク時における電力不足と都民の低い支持率である」だったのです。IOCの報告書には、酷暑が選手や観客に与える健康へのダメージについては何も書かれていませんでした。不思議なことです。

 選考を行ったIOCの理事会のメンバーは、ひょっとしたら、真夏の東京の暑さを知らなかったのかもしれません。

 そこで、2次選考に残った三都市の申請データの中から、開催期間と期間中の気温の項目を見ると、マドリードが「8月7日から8月23日」の期間で、気温が「24-32℃」、イスタンブールが「8月7日から8月23日」の期間で、気温が「24-29℃」、東京が「7月24日から8月9日」の期間で、気温が「26-29℃」(以上、Wikipediaより)と記されていました。

 申請データに記されていた7月下旬から8月上旬にかけての東京の気温は「26-29℃」で、体感している気温とは大きく異なっています。これでは、熱中症で倒れるヒトが続出する東京の暑さが伝わってきません。

 念のため、気象庁のデータから、2018年度の東京の年間気温を見てみました。すると、7月、8月は明らかに、年間最高の気温を記録していることがわかります。


気象庁より

 日本がIOCに申請した気温データ「26-29℃」を、上のグラフに照らし合わせてみると、一日の最低気温と平均気温に該当します。つまり、オリンピック招致委員会は、最高気温を避け、都合のいいデータだけ出して申請していたことがわかります。

 こうしてみてくると、日本のオリンピック招致委員会は、虚偽とはいわないまでも、正確とはいえないデータを提出して、開催の許可を得ていたことになります。姑息な手段を弄して、「開催地の決定」になったのですが、なぜ、それほどまでにして日本は、東京で夏季オリンピックを開催したかったのでしょうか。

■東京オリンピック・パラリンピック開催の意義はどこにあるのか

 今回、オリンピックを開催するといっても、もはや国威発揚のためでもなければ、民族意識を高めるためのものでもありません。一体なんのための開催なのでしょうか。

 Wikipediaを見ると、申請時点での東京オリンピック開催意義は、「スポーツの力によって、震災から復興した姿をみせるとともに、災害や紛争に苦しむ人々を勇気づけることを理念」に掲げられています。そこで、オリンピック組織委員会のHPを見ると、この理念に該当するページがありました。

こちら →https://tokyo2020.org/jp/games/caring/

 たしかに、「スポーツの力によって、震災から復興した姿をみせる」ことはできています。ただ、それだけではあまりにもオリンピック・パラリンピックを支える理念としては弱いと思い、トップページを見ると、今回の大会ビジョンとして3つのコンセプトが掲げられていました。

こちら →https://tokyo2020.org/jp/games/vision/

 「スポーツには世界と未来を変える力がある」とし、①「全員が自己ベスト」、②「多様性と調和」、③「未来への継承」、等々の項目が掲げられています。項目ごとにそれぞれ、具体案が示されていますが、総花的で統一性がなく、何を目指そうとしているのかが見えてきません。

 2020年に東京大会を開催することの意義はどこにあるのかと思いながら、各項を見ていくと、「成熟国家となった日本が、今度は世界にポジティブな変革を促し、それらをレガシーとして未来へ継承していく」というフレーズがありました。東京大会ならではの意義はおそらく、ここにあるのでしょう。

■レガシーとして残せるものは何か

 成熟し、超高齢社会となった日本では、いま、誰もが「老い、病、死」を身近に感じながら暮らさざるをえなくなっています。ともすればネガティブに捉えられがちなこれらの要素を、ポジティブに捉えなおし、生活の中に組み込んでいく必要に迫られているのです。

 超高齢社会だからこそ、受け入れざるをえないネガティブな要素をポジティブなものに変換していくには、技術の力を借りる必要があるでしょう。技術の力を借りながら、ポジティブな変革を進め、未来に継承していくようにできれば、今後、先進諸国で続出する超高齢社会にも大きく寄与できるようになるでしょう。

 そういえば、1964年の東京オリンピックの際、世界に向けて生中継するためのTV技術が進化しました。世界最初に五輪を世界に中継した静止衛星 はボーイング社のシンコム3号といいますが、帯域が狭いために、衛星伝送されたのは映像信号のみで、音声は海底ケーブルで送られたといいます。

 当時のTV技術者たちは別の用途で使われていた静止衛星を、世界にオリンピック競技を中継するために利用し、イノベーションを引き起こしたのです。

 そして、開会式、レスリング、バレーボール、体操、柔道などの競技がカラー放送されました。リアルにビビッドな状態で視聴者に競技内容が伝わるよう工夫されたのです。こうして世界で初めてのTV中継技術がオリンピック東京大会のレガシーとして残されました。

 それでは、2020年の東京オリンピックでは、何をレガシーとして残せるのでしょうか。

 たとえば、NHKは8Kでの東京オリンピック中継を過去最大規模で実施し、開閉会式や注目される競技で行い、スタジアムの興奮をそのまま日本全国に届けるとしています。

こちら →https://sports.nhk.or.jp/olympic/

 しかも、2019年6月7日に改正放送法が成立したので、NHKはすべての番組をインターネットで同時配信できるようになりました。現在はまだ開始されていませんが、これからはパソコンやスマホでNHKの番組を見ることができるようになります。もちろん、今回の東京オリンピックでも、臨場感あふれる映像を中継するためのTV技術が開発されています。

 一方、パラリンピックのサイトの情報も充実しています。

こちら →https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/gallery/

 写真家の越智貴雄氏は、「パラアスリートは道なき道を歩む先駆者であるからこそ、バイタリティーもすごい!」といい、パラアスリートの決定的瞬間をカメラに収めていったようです。たしかに、写真を見ると、その一つ一つにバイタリティーが感じられ、気持ちが鼓舞されていきます。

 障碍者がアスリートとして輝く場が提供されるのだとすれば、高齢者や障碍者が観客として、気楽にオリンピック競技を楽しめる場が提供されるべきだと思います。つまり、オリンピックを機に生番組への字幕の付与や解説放送の提供が進めば、これまで以上に多くの高齢者や障碍者が自宅に居ながらにして、競技を楽しめるようになるでしょう。

 先ほどもいいましたように、日本は超高齢社会に突入しており、今後もその傾向は続きます。だとすれば、TVは今後も基幹メディアとして一定の役割を果たし続けるでしょう。情報装置としてはもちろん、娯楽装置、対人代替装置としても活用できるようTVを高度化する一方で、使い勝手のいいものにしていけば、高齢者が自立して暮らしていくための一助とすることができます。

 オリンピックが国内外に向けた大きなプロバガンダの機会であることは確かです。今回のオリンピック・パラリンピックでは、オリンピック中継を通して、日本が高齢者や視聴覚障碍者、外国人にも優しい放送を提供していることを伝えることができればいいと思います。それでこそ、成熟した社会がオリンピックを通して残せるレガシーだという気がします。(2019/10/31 香取淳子)

チームラボ「森と湖の光の祭」:原始の感覚を甦らせてくれる現代アート

チームラボ:「森と湖の光の祭」の開催

 チームラボによる「森と湖の光の祭」が2018年12月1日から2019年3月3日まで、埼玉県立奥武蔵自然公園の宮沢湖とその湖畔で、開催されています。私は西武池袋線をよく利用しますので、これまで何度か駅でポスターを見かけていました。その都度、いつかは行ってみたいと思っていたのですが、2019年2月16日夜、ようやくその機会が訪れました。

こちら →

 看板には日本語表記の下に「Digitized Lakeside and Forest」の文字が見えます。湖畔とその周辺の森がデジタルテクノロジーによって、ショーアップされるということなのでしょうか。

 遠方を見ると、暗闇の中にさまざまな色彩の光が揺らぎ、幻想的な空間が創り出されています。果てしなく広がる暗闇の下で、さまざまな色が互いに競い合っているように見えますし、時に、絶妙なハーモニーを奏でているようにも見えます。これまでに見たことのないスペースが広がっていました。

 それでは、湖畔に近づいてみることにしましょう。

 軽い坂を下りていくと、まず目に入ってきたのが、メッツァヴィレッジという建物です。

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 この建物を横から見ると、物品販売のマーケット棟になっていることがわかります。その前のスペースにはテーブルセットがいくつか置かれています。一休みしたり、軽い飲食ができるようになっているのでしょう。

こちら →

 外は寒いので私はマーケット棟の中に入って、狭山茶のソフトクリームを食べました。まろやかなお茶の香りが芳しく、格別の味わいがありました。

 それにしても、広大です。しかも、暗闇なので全体像がわからず、どの方向に行けばいいのかもわかりませんでした。ただ遠方では、あちこちで着色された光が揺らいでいるのが見えます。まるで来場者に誘い掛けているようにも見えます。いったい何があり、どういう仕掛けが施されているのでしょうか。

 取り敢えず、ヒトのいる方向に向かって歩いていくと、標識がありました。

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 左方向に行くと、ムーミンバレーパークとノルディック・スクエア(イベント広場)です。ムーミンバレーパークの文字を見て、開園するのは2019年3月16日だということを思い出しました。

 そこで、ムーミンバレーパークとは逆の右方向に向かい、湖畔沿いに歩いていくと、先ほどご紹介したマーケット棟に並んでレストラン棟があり、その先には、屋外レストラン広場がありました。

 そこには面白い形のテントが設えられており、中にはテーブルとイスが置かれていました。ここで休んだり、軽食を取ったりできるスペースになっているのでしょう。子どもが喜びそうな設えです。すでに親子連れが中に入っていました。

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 暗闇の中でこのテントを見ると、まるで波間に漂うクラゲのようにも見えます。

 そこから湖畔に目を転じると、着色された光を浴びて、木の幹や枝が華麗な姿を見せていました。これもまた、ヒトを幻想的な空間にいざなうための装置なのでしょう。照らし出された美しい枝ぶりに惹かれ、しばらく見入ってしまいました。

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 それにしても、ライトアップされた木々の立ち姿のなんと美しいことでしょう。

 湖畔の一角では、木々が青味を帯びた光に照らし出され、順序よく、静かに佇んでいます。それが暗闇に映え、水面の静けさを際立たせていました。光の祭典にふさわしく、自然の木に人工的な光と彩りが添えられ、美しく変身していたのです。

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 それでは、「森と湖の光の祭」の中心に向かっていくことにしましょう。

■森と湖の光の祭

 森に向かう湖畔の道を歩いていくと、至る所に起き上がりこぼしのような形状の光のオブジェが配置されています。触ってみると、健康ボールのような手触りです。つついてみると、起き上がりこぼしのように、すぐに元の位置に戻ります。それが道に沿って次々と配置され、暗闇の中で街灯のような役割を果たしていました。

 森の中を進んでいくと、ボーリングのピンのような形状のオブジェが置かれている場所がありました。

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 これらのオブジェは、撮影したときはたまたま赤紫色と青色で構成されたピンのようなものでしたが、時間の経過とともに、この色が次々と変化していきます。色が変化する度に周囲の景観も変化し、見る者を楽しませてくれます。

 さらに、起き上がりこぼしのような形状のオブジェが多数、置かれた広場がありました。

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 人々がオブジェの周囲に集まり、触ったり、つついたりしています。成人の身長ほどもある大きなオブジェがまるで自立した存在であるかのように立ち並び、ヒトからアクティブな行為を引き出していたのです。来場者にとっては、ちょっとした遊び道具にもなっていたのでしょう。

 やや引き下がってこの光景をみると、ヒトがオブジェの光に照らしだされ、まるで影絵のように見えます。どこまでも広がる暗闇を背景に、ヒトと光のオブジェがコラボして一種のアートシーンを創り上げていたのです。

 森の中に入っていくと、また違った光景が現れてきました。着色された光に照らされた木々と、光のオブジェ、そして、その中を歩いていくヒトが一体となって、瞬間、瞬間のアートシーンを創り出していました。

こちら →

 たまたま光のオブジェに重なるようにヒトが動き、そして、光に照らし出された木々がオブジェやヒトの色彩や形状にマッチした瞬間、その現場がアートになります。暗闇を背景にした現代アートが表出されるのです。

こちら →

 左下にピンクのオブジェが見え、右に見える小さなオブジェには人影が重なっています。ここでは典型的な光のオブジェを背景にした影絵効果が表れています。画面の中景には、左から右にかけてV状に青い光で照らし出された木々が浮き彫りになり、果てしなく広がる暗闇にアクセントをつけています。

 よく見ると、ただの暗闇に見えた背景に、うっすらと木々の枝や幹が見えてきます。おぼろな光を受け、背景に沈みこんだ木々や枝や幹からもまた、自然の深淵と広がり、興趣を感じさせられます。

 光のオブジェ、ヒト、自然が奏でるハーモニーがなんと包摂的な美しさに満ちていたことでしょう。

 時間を忘れてしまうほど、自然、ヒト、光のオブジェによって創り上げられる瞬間的なアートに魅せられてしまいました。湖畔から森に向かって歩いていくだけで、自然を巻き込みさまざまなアートシーンが創り出されていたのです。

 チームラボとはいったいどういうグループなのでしょうか。

■暗闇の中の光とサウンド

 インフォ―メンションセンターに置かれていたチラシを見ると、チームラボは、「2001年に活動を開始した学際的なテクノロジスト集団で、集団的な創造によって、アート、サイエンス、テクノロジー、デザイン、自然界との交差点を模索している」と紹介されています。さらに、「チームラボは、アートによって、人と自然、そして自分と世界との新しい関係を模索したいと思っている」とも書かれています。こうしてみると、今回の企画はそのコンセプトに従って表現されたものだということがわかります。これまでにない感覚を刺激され、とても面白い企画だと思いました。

 そういえば、チームラボは、「Digitized Nature」というアートプロジェクトを行っているといいます。

こちら →https://www.teamlab.art/concept/digitizednature

 これを見ると、チームラボは各地で、自然をそのままの形でアートに変えるプロジェクトを行ってきたことがわかります。そして、いまもなお、「自然が自然のままアートになる」というコンセプトの下、一連のプロジェクトを展開しているのです。

 今回、宮沢湖の「森と湖の光の祭」に参加し、印象に残った光景を、私はスマホで撮影した画像でご紹介してきました。ご覧いただいたように、視覚的訴求力の高いプロジェクトであったことは確かです。ところが、実は、音響もまた素晴らしかったのです。木々の間から流れてくる音響が、まるで太古の感覚を呼び覚ますように、ヒトの気持ちの奥深くに働きかけてきます。私がこれまでにない感覚を刺激されたと思ったのは、おそらく、この音響のせいでもあるでしょう。

 是非とも、この音響を味わってもらいたいと思い、音源を探しました。チームラボのホームページの映像から、その一端をご紹介します。音響に留意してこの映像を見ていただきましょう。

こちら →https://www.teamlab.art/ew/autonomous-onthelakesurface/

 現地では、このような音響が至ところから静かに聞こえてくるのです。なんとも奥ゆかしく、そして、力強く、心に響きます。暗闇の中を歩き続けているせいもあって、自然に内省的な気分にさせられていきました。

 チームラボのホームページを見ると、プロジェクトを推進するためのコンセプトが掲げられていました。私が興味を抱いたのは、いくつかのコンセプトのうち、「作品の境界を破壊する」というものでした。

こちら →https://www.teamlab.art/jp/concept/digital_domain_releases/

 説明文を引用しておきましょう。


 脳内では、本来、考えや概念の境界が曖昧である。考えや概念は、いろんな他の考えや概念と影響を受け合って存在している。それが、実世界で作品として存在するために物質に媒介される。そして、物質が境界を生んできたのだ。
 デジタルテクノロジーによって物質の媒介から解放された作品の境界は曖昧になる。作品は、他の作品と互いに影響を受け合いながら、変化し続ける。作品は独立した存在のまま、作品同士の境界は失われていく。


(チームラボHPより)

 いままでそのようなことは考えてもいなかっただけに、これを読んで、とても刺激を受けました。よく考えてみれば、確かに指摘される通りだと思います。この説明文を読んではじめて、私がなぜ、湖畔で内省的な気持ちになってしまったのか、なぜ原始の感覚を取り戻したような気分になったのかがわかったような気がしました。


 それにしても奇妙な体験でした。光のオブジェに誘われるように、気づくと70分ほども湖畔や森を歩き回っていたのです。普段なら途中で放棄してしまう距離なのに、歩き続けたのですが、不思議なことに、疲れを覚えることはありませんでした。

 いったい、なぜなのか、一夜明けて、考えてみました。

 確かに、暗闇の中で、幻想的な空間に浸っていました。そのせいで、知らず知らずのうちに、日常の些末なことを忘れ、疲労を忘れ、時間をも忘れてしまったのでしょうか。あるいは、いっさいの言語情報から離れ、非言語的な情報だけに頼るしかない状況下で、原始の感覚を呼び覚まさせられていたからでしょうか。思い返してみると、不思議な感覚でした。

 ひょっとしたら、これが、デジタルテクノロジーが行き着く果てのアートの形式、あるいはエンターテイメントの形式の一つなのかもしれません。いってみれば、ヒトがテクノロジーを媒介に自然、あるいは環境とコラボし、その都度、変化するアートシーンを鑑賞し、楽しむという形式です。

 そこには境界によって区切られることのない表現の面白みと、意外な発見があります。さらには、瞬間、瞬間に、ヒト、オブジェ、自然が相互に関係し合い、影響し合った結果の美しさがあります。一連のアートシーンからは、これまでのように鑑賞者が受け手として存在するだけではなく、創造者としても存在しうることが示されたのです。

 こうしてみてくると、チームラボはデジタルテクノロジーによって、鑑賞者の心の奥底から原始の感覚を呼び覚ませてくれただけではなく、創造者と鑑賞者との間の境界はいつでも簡単に取り払えることを示してくれたことがわかります。

 「森と湖の光の祭」はまさに、ヒトと自然と光のオブジェが相互に依存し合い、影響し合いながら創造されるアート空間、あるいはエンターテイメント空間でした。しかも、太古と現在を 感覚レベルで繋げてくれたのです。 デジタルテクノロジーを媒介に、 鑑賞者の感性を限りなく広げてくれたという点で画期的なプロジェクトだといえるでしょう。(2019/2/17 香取淳子)

ネット文学はチャイニーズ・ドリームになりうるか?

 AI、ICTが今、社会を激変させようとしています。多くのことが予測可能になり、可視化されつつあります。いつの間にか、知ろうとしさえすれば、自分の寿命までわかってしまいかねない時代になってしまいました。果たして、ヒトは将来に夢を抱いて生きていけるものなのでしょうか。

 そんなことをぼんやり考えているとき、ふと、「第8回コンテンツ東京」で出会った、ネット文学サイトを運営している中国企業の若い責任者の顔が思い浮かびました。混雑する展示場の一角で、熱く未来を語っていた姿がとても印象的でした。

 振り返ってみましょう。

■第8回コンテンツ東京
 「第8回コンテンツ東京」が東京ビッグサイトで開催されました。期間は2018年4月4日から6日まで、コンテンツに関連する7展が同時に開催され、1540社が出展しました。

 関連する7展とは、「クリエーターEXPO」「グラフィックデザインEXPO」「先端デジタル テクノロジー展」「映像・CG制作展」「コンテンツ マーケティングEXPO」「ライセンシング ジャパン」「コンテンツ配信・管理 ソリューション展」、等々です。

 セミナーであれ、商品やサービスの展示であれ、東展示棟を巡れば、関連事業の内容や各業界の新動向がすぐにもわかる仕組みになっていました。7展が同時に開催されていたので、効率的に激変するコンテンツ業界の動きを把握することができます。

 主催者側が撮影した初日の会場風景をみると、ヒトで溢れかえっているのがわかります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 私は5日と6日の午後に訪れたせいか、これほど混んではいませんでした。アニメの最新動向を知りたくて、最初に訪れたのが映像・CG制作展でした。印象深かったのが、台湾の制作会社が創るキャラクターです。

■コンピュータを駆使した造形
 これを見て、なによりもまず、精緻な造り込みに惹き付けられました。微妙な色彩、光の処理、質感、本物かと見まがうほどの描写力であり、造形力です。しばらく見入ってしまいました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。SHINWORKより)

 素晴らしいと思いました。モチーフの企画力といい、形にしていく技術力といい、リアリティを添える色彩感覚といい、秀逸さがきわだっていたのが印象的です。

 制作したのは、台湾の制作会社「形之遊创意科技有限公司」です。

こちら →http://www.shinwork.com/

 訪れたときはわからなかったのですが、帰宅してネットを見ると、こちらはこのブースの共同出展社でした。主な出展社はXPEC Art Center INC.です。この会社もまた、魅力的なキャラクター造形をしていました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。XACより)

 背景色の諧調はまるで絵画のようにきめ細かく、深みがあり、見事としかいいようがありません。これをすべてコンピュータで作り上げているのです。上記の図の画素数は、通常の写真の何倍にも及ぶ精緻なものでした。この会社はゲーム、アニメ、CG映像などを専門分野としており、今回初めて、東京ビッグサイトに出展したようです。

こちら →http://www.xpecartcenter.com/

 これ以外にも、さまざまなテイストのキャラクターや映像が制作されていました。このような制作力の高い会社が、全世界からゲームやアニメのキャラクター造形を請け負い、CG、VFXなどの映像製作を請け負っているのです。

 果たして、日本は大丈夫なのでしょうか。ふと、そんな思いが胸をよぎりました。

 アニメ、ゲームの日本といわれながら、若手の人材不足が続いています。そのせいか、コンピュータを駆使した造形は、日本ではいまひとつです。その一方で、周辺国は技術力、構想力を高め、日本アニメに追随してきています。展示会場では、たまたま台湾の制作会社の作品の一部を見ただけですが、これでは日本の制作会社も決してうかうかしていられないなと思ってしまいました。

 さて、そのコーナーの一角で出展していたのが、中国最大のネットコンテンツ集団、阅文集团(China Literature Ltd.)でした。ふと見た、立て看板のキャッチコピーに惹かれ、思わず、足を止めました。

■阅文集团
 立て看板には、阅文集团はアニメならトップ20のうち80%、オンラインゲームなら累計ダウンロード数でトップ20の75%、そして、国内ドラマならトップ20の75%を占めると書かれていました。アニメであれ、ゲームであれ、ドラマであれ、阅文集团はどうやら、人気作品を量産している企業のようです。

 この立て看板が謳いあげているように、阅文集团が、ジャンルを問わず、中国のネット・エンターテイメントの領域を占拠しているのだとすれば、多少は、このブースの責任者から話を聞いておく必要があるかもしれません。

 実際、中国はいま、E-コマース、ネット決済などの領域で日本よりも一歩進んでいます。ネット・エンターテイメントの領域でも中国になにか新しい動きがあるかもしれません。そう思って、責任者に話を聞いてみることにしました。

 残念ながら、私の中国語はまだ込み入った会話ができるレベルではありません。責任者と話しているうちに、よほどもどかしく思ったのでしょう、通訳を介しての話し合いとなりました。

 おかげで誤解していたことがわかったこともありました。アニメゾーンで出展されていたので、私はてっきり、阅文集团をアニメ会社だと思っていたのですが、話をしているうちに、実はそうではなく、中心はネット文学のサイト運営だということがわかってきました。その派生事業として、ネット小説を原作とし、アニメやドラマなどを制作している事業者でした。

 帰宅してから調べてみると、阅文集团はたしかに中国最大の電子書籍専門サイトで、ネット文学のパイオニアと位置付けられていました。電子書店の運営と著作権マネジメントを収益の柱としており、中国のネット文学市場で過半数のシェアを占めるほどの大手です。

■ネット小説を原作に、多メディア展開
 阅文集团は、中国国内ですでにライセンスを所有しているネット小説を原作に、ドラマ化、映画化、ゲーム化、舞台化、音声小説化を手掛けています。ネット小説を軸に、コンテンツの多メディア展開を行っているのです。

 そのような事業内容を知って、ようやく、阅文集团がアニメ、ゲーム、ドラマ、映画などで、多数のヒット作品を抱えている理由がわかってきました。

 いずれも阅文集团のネット小説に基づいて制作されたコンテンツだったのです。小説の段階で評価の高いものを、アニメ、ゲーム、ドラマなどの原案にしているのですから、ヒットするのも当然なのかもしれません。

 たとえば、「全职高手」というアニメ作品があります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。http://www.sohu.com/より)

 阅文集团のパンフレットによれば、この作品は、WEBアニメでのリリース後、たった24時間で再生回数が1億回を突破し、総再生回数は10億以上を記録したそうです。Eスポーツのプロゲーマーである葉修が、さまざまな挫折を経験した後、Eスポーツの頂点を極めていくという物語です。

 絵柄やストーリー展開などにやや日本アニメの影響が感じられますが、舞台をEスポーツにしたところ、ITの躍進著しい中国のオリジナリティが感じられます。

 原作は蝴蝶藍のネット小説で、2011年2月28日に連載を開始し、2014年9月30日に完結した作品でした。中国のウィキペディア(维基百科)によると、連載中から好評で、10点満点でなんと9.4点の高評価が付いていたそうです。

 さらに、大ヒットした作品に、WEBアニメの「头破蒼穹」があります。こちらは再生回数13億回を達成し、中国国内の3Dアニメで最高記録を更新したそうです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。http://yule.52pk.com/より)

 このアニメも原作は、天蚕土豆という作者が手掛けたネット小説です。百度百科を見ると、この作者は1989年生まれですから、まだ29歳です。作者が若ければ、読者も若いですから、ネット上で作品についてのコミュニケーションを交わします。作家と読者がネット上で相互交流を重ねながら、ストーリーを楽しみ、創り上げていくというのが、中国のネット小説の醍醐味のようです。

 ネット小説は、作者と読者の垣根が限りなく低い、というのが一つの特徴です。作者がいつでも読者になり、その反対に、読者がいつでも作者になりえます。そのような可変性、あるいは、強い相互依存性がネット民に支持されて、ネット文学の隆盛を生み出しているのかもしれません。文学の新しい地平を開く現象が中国で生まれているのです。

 そのプラットフォームを提供しているのが、阅文集团でした。中国の若者の潜在欲求に応えるように、阅文集团は、誰もが、いつでも、どこでも、小説を書き、ネットにアップロードしていくことができるプラットフォームを構築しました。実にタイムリーな措置であり、未来の動向を的確に見据えた取り組みだと思いました。

 今回、「第8回コンテンツ東京」の展示場で、私ははじめて、阅文集团のことを知りました。調べれば調べるほど、ネット文学を支えるプラットフォーム構築の意義深さを思い知らされます。

 若い世代を中心に、デジタルベースで広範囲に展開されているので、今後ますます市場規模を大きくしていく可能性があります。さらに、低額で毎日更新されるシステムなのでコピーされる恐れはなく、ユーザーには有料でコンテンツを消費する習慣が根付いていくでしょう。さまざまな観点から、阅文集团はネット時代にふさわしい文化環境づくりをしていると思いました。

 もちろん、投資家たちはこの動向を見逃してはいませんでした。

■香港市場に上場
 中国のコンテンツ業界を代表する会社として、阅文集团は2017年11月8日、香港株式取引所に上場しました。公募の際には40万人以上が殺到し、倍率は626倍で、5200億香港ドル(約7兆5600億円)集まったそうです。

 これは2017年の香港市場の取引で最高額であったばかりか、史上2番目の高額でした。このことからは、阅文集团がそれだけ多くの投資家から注目されている企業だといえるでしょう。

 それでは、阅文集团の設立経緯と事業内容をみていくことにしましょう。

 阅文集团は2015年3月、テンセントグループの子会社テンセント文学と、盛大グループの傘下にあった盛大文学が統合されて、設立されました。小説や漫画の出版、アニメ、ドラマ、映画などの制作、グッズ販売を手掛けるだけではなく、中国国内の作家を育成できるプラットフォームを持つ会社です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 卢晓明氏は2017年7月4日、『36kr』上で、中国のネット作家の約90%が阅文集团のプラットフォームに登録していると書いています。同社のHP、その他の資料から詳しくみると、2016年12月時点で、阅文集团のプラットフォームはグループ合わせて530万人の作家を抱え、中国全体でネット作家の88.3%に及びます。コンテンツの中核部分を創り出せる人材を、阅文集团が豊富に抱えていることがわかります。

 こうしてみてくると、阅文集团の事業内容がネット時代にふさわしく、今後、さらに発展する可能性があると、多くの投資家から見込まれているのも当然でしょう。

 そこで、阅文集团の業務内容を調べてみました。5分程度、コンパクトに紹介されたビデオがありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →
https://www.weibo.com/tv/v/Fuk9FdCE9?fid=1034:376650955723ad29bf6f564d363a492b

 興味深いのは、アニメであれ、漫画であれ、映画であれ、原案になるのが、ネット小説だということです。ヒットしたネット小説に基づいて、さまざまなデジタルコンテンツが開発され、さまざまなチャンネルで展開されているのですが、それらの版権は当然、阅文集团が所有しています。

 日本では漫画原作のアニメ化、ドラマ化はすでにお馴染みですが、それと似たような事業展開なのでしょう。中国では漫画ではなく、小説を原作に多メディア展開しているところが面白いと思いました。小説といってもネット小説ですから、連載の過程で、繰り返し、ユーザーの目に留まっています。露出が多いという点で、ヒットにつながりやすい側面があります。

 それでは、ネット作家はどのようにして生まれるのでしょうか。

■作家を育成するプラットフォーム
 阅文集团には作家が作品を発表するためのプラットフォームがあります。そこには作家として作品を発表するための手順が具体的に示されています。

こちら →https://write.qq.com/about/help_center.html

 ネットで作品を発表したいと思えば、①阅文の「作家传区」に作家登録をした後、「作品管理」をクリックし、「创建作品」のボタンを押す。②アップロードしたいサイトを選び、作品名称、作品ジャンル、作品概要などの関連情報を記入する。そして、最後に新しく完成させた作品を提出する。③それが終わるとすぐにも、「作家传区」(作品管理)のページで、新しく書いた文章をアップロードすることができる。

 以上のような流れに沿っていけば、誰もがいつでも、どこでも、ネット上に作品を発表できるようになります。

 もちろん、作品としてふさわしくないものを制限するため、いくつかの条項も設けられています。具体的な条項は「作家自律公约」として、上記のサイトに載せられています。誰もがいつでも、どこでも、作家登録し、作品を発表できるとはいいながら、実際には、最低限のルールは課せられているのです。

 こうしてみてくると、阅文の「作家传区」はまさに、ネット時代の作家を育むための孵化器のように思えてきます。書きたいものがあるのに、それをどのようにして、世の中に発表していけばいいのかわからない新人も、この孵化器の中に入っていけば、なんとか小説の形にしていくことができるようになるのかもしれません。

 展示会場で、阅文集团のブース責任者に、原稿は一括アップロードなのかどうか尋ねたところ、このシステムでは、すべて連載形式で取り扱うといっていました。つまり、作家は、一話ずつネットにアップロードし、それを読んだ読者とやり取りをしながら、ストーリーを展開していくという仕掛けです。

 作家は、読者と相互交流を重ねながら、ストーリーを展開していきますから、場合によっては、当初考えていたストーリーが、読者の意向によって変わってしまうこともあるでしょう。あるいは逆に、読者のコメントを踏まえて、作家がアイデアを巡らせ、当初考えていたストーリーを強化し、より豊かな作品世界を生み出す場合も考えられます。

 阅文集团が構築したプラットフォームは、潜在する作家を発掘するだけではなく、どうやら、ネットを介在させた新しい文学の表現舞台ともなりつつあるようです。

■ネット文学で生活していけるのか?
 それでは、このシステムでネットデビューした作家は、果たして、作家を本職として生活していくことはできるのでしょうか。この点についても、展示会場でブース責任者に尋ねてみました。すると彼は、低額料金なので、ほとんどの登録作家はそれだけで食べていくことはできないが、最近はそれだけで十分、生活できる作家も出てきたといいます。

 ネット作家は毎日3000字原稿を書いて、ネットにアップロードするといいます。読者は読むたびに、お金を支払いますが、1回がせいぜい7円程度なので、大勢の読者を獲得しなければ、大した収入にはなりません。しかも、最初のうちは無料で提供しますから、まったく収入にはなりません。ある程度、進んでからようやく課金システムに組み込まれますが、作品が面白くなければ読者が付かず、収入がほとんどないということにもなります。

 ですから、作家は必然的に、読者の意向に耳を傾けざるをえなくなります。読者とのコミュニケーションが少なければ、読者が離れ、収入が得られなくなりますし、反対に、多くの読者の意向に沿った内容にすれば、収入が増えるというわけです。

 読者はネットで公開された小説を、最初は無料で読めますが、ある程度になると、お金を支払わないと読めないようになっています。無料で読める段階で魅力的な設定、展開にしておかないと、有料になってからの読者を獲得できません。

 面白ければ、有料になっても読者は読み続けます。その後は、読むたびに、自動的に口座から引き落とされていきますから、作家はまさに作品の力そのもので読者を引き付け、稼いでいく仕組みになっているのです。読者からのお金は阅文集团のプラットフォームに入りますが、そこから定期的に、読書回数に応じて作家の口座に振り込まれていきます。

 ネットを検索していて、興味深い記事に出会いました。

「扬子晚报」(2015年10月19日)は以下のように、2015年時点のネット作家の収入状況を報告しています。

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少額課金で毎日小説が読める「ネット文学」の世界で億万長者が誕生し、話題になっている。しかし、そうした「売れっ子作家」は実際には数えるほど。ひとつのサイトに数百人がひしめいているネット作家の大半は、無収入だという。(中略)
ネット作家の9割は無収入だという。収入のある作家でも、1か月に1万元(当時のレートで約19万円)の印税収入のある作家は全体の3%にも満たないとされる。
小説連載の仕事もハードだ。ある程度の収入を得ようとすれば、毎日最低でも3000字を書き続けなければならないので、ほとんどの人は途中で投げ出してしまうのが現実だ。
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 ブース責任者に尋ねても、ネット作家の収入状況はこのようなものでした。改めて、誰もが参加できる敷居の低さは、誰にも収入に道を開いてくれるわけではないことがわかります。ネット文学は、熾烈な競争をくぐり抜けて、読者を獲得する骨法を掴んだ作家だけがようやく、食べていけるだけの収入が得られる過酷な世界なのです。

■ネット文学はチャイニーズ・ドリームになりうるか?
 ただ、いったん、多数の読者が付くようになれば、その輪が拡大して大ヒットとなり、思いもかけず、大富豪になる場合もあります。

 たとえば、先ほど、ご紹介した「头破蒼穹」の作者、天蚕土豆は、2013年には印税だけで2000万元(約3億4200万円)の収入がありました。この作品は漫画化され、映画化されていますから、そのロイヤリティも入ってきます。総計、どれほど多額の収入を得たことでしょう。

 このような現実を知ると、中国の若者がネット作家になる夢を抱くようになったとしても決して不思議ではありません。

 「KINBRICKS NOW」(2013年6月7日)は、ネット文学について、「個人が自由に創作できる、中国では数少ないジャンル」とし、「無料の海賊版ではなく、有料コンテンツを消費する習慣がユーザーに根付いている数少ないジャンル」だと書いています。つまり、ネット文学は、自由に表現することができ、正当に稼げるジャンルだというのです。しかも、「中国のネット文学は検閲的縛りもない」ようです。

 そうなると、ネット文学は検閲を気にすることなく、個人が自由に創作することができ、しかも、場合によっては巨万の富を稼ぐこともできる夢のようなジャンルだということになります。中国の若者にとって、大きな夢を託すことができる場といえるでしょう。

 もちろん、読者の評価に晒され続けるという厳しさはあります。批判に晒され鍛えられ、作家として磨き抜かれてはじめて、多くの読者に支持される作家に成長していくのです。そのことを考えれば、その種の労苦は成功のための代償として、積極的に受け入れていく必要があるでしょう。

 このようにみてくると、作家と読者がネットでダイレクトにつながるこのプラットフォームはきわめて合理的で、公平性があり、隠れた才能を発掘できる素晴らしいシステムではないかという気がしてきます。「検閲がない」ということを加味すれば、それこそ、ネット作家こそがチャイニーズ・ドリームではないでしょうか。

 このプラットフォームは、中国という膨大な人口を抱える国で開発されました。いわゆる集合知が判断基準として機能するシステムとして、今後、さらに発展していく可能性があります。

 国の力ではなく、組織の力でもなく、個々のヒトの巨大な集合体が育む知の機構として、メイン文化の在り方にも大きく作用するようになるかもしれません。個々のデータの集合体であるビッグデータがさまざまな領域を可視化していくAI時代にふさわしいプラットフォームといえるでしょう。

 このプラットフォームには資格を問わず誰もが参加できますし、そこに政府の介入、検閲も入りません。しかも、努力次第で、巨万の富を稼げますし、社会的地位も得られます。現段階で、少なくとも中国では、ネット文学こそがチャイニーズ・ドリームだといえるのではないでしょうか。(2018/4/25 香取淳子)

第2回AI・人工知能EXPO: AI・人工知能時代の事業価値とは?

■第2回AI・人工知能EXPOの開催
 2018年4月4日から6日まで東京ビッグサイト東展示棟で、「第2回AI・人工知能EXPO」が開催されました。私が訪れたのは4月5日の午後でしたが、国際展示場正門駅を下車すると、人々が続々とビッグサイトに向かっているのが見えました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 展示会場に向かって進むにつれ、ますますヒトの混み具合が激しくなってきました。AI・人工知能への関心がよほど高まっているのでしょう。思い返せば、その予兆はありました。私は、「AIが変えるビジネス」というセミナーに参加したかったのですが、申し込もうとした時点ですでに満席でした。

 代わりに、「注目の海外ベンチャー企業」というタイトルのセミナーに申し込みましたが、それでも、開催日までに二度ほど「キャンセルの場合、早めにご連絡ください」というメールがきました。そういうことはこれまでに経験したことがありませんでした。なんといっても東京ビッグサイトは巨大な催事場です。キャンセル待ちが出るとは思いもしませんでした。ところが、担当者によると、このセミナーにはなんと3000名もの申し込みがあったそうです。

 もちろん、セミナーばかりではありません、展示会場もヒトで溢れかえっていました。主催者が撮影した初日の会場風景を見るだけでも、AI・人工知能に対する人々の関心の高さがわかります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)
 
 改めて周囲を見渡してみると、全国各地からさまざまな領域の人々がビッグサイトに馳せ参じていました。AIこそがこれからの社会の大きな変革要因になると多くのヒトに認識されていることがわかります。

 それでは、4月5日、15:00から始まったセミナーの一端をご紹介していくことにしましょう。

■注目の海外ベンチャー企業
 このセミナーでは、ViSenzeの共同創始者兼CEOのOliver Tan氏と、データサイエンティストでありDataRobotのCEOであるJeremy Achin氏が登壇し、講演されました。とくに私が興味を抱いたのが、Oliver Tan氏の講演内容でした。

 Oliver Tan氏の講演をかいつまんでご紹介しましょう。

 Tan氏は2012年にViSenzeを設立して以来、デジタルコンテンツ、eコマースなどの事業に取り組んできました。その間、①小売りにおける人工知能の活用、②ビジュアル・コンテンツの増進、③映像認識におけるイノベーション、等々の変化が起きているといいます。

 その背景として、Tan氏は3つの要因を挙げます。すなわち、非構造化データが大幅に増えた結果、ネット上はいま、データの洪水状態になっているということ、ハードウエアが高性能化し、演算当りの単価が安価になっているということ、利用可能なアルゴリズムがあるということ、等々です。

 非構造化データがどれほど増えたかといえば、現在、ネット上には30億以上の映像・画像が投稿されていることに示されています。なんと、ネット上の80%以上が映像や画像などのビジュアル・コンテンツだというのです。つまり、膨大な非構造化データがネットには溢れかえっているのです。ところが、タグが付いていないので、これらを利用することができません。せっかくのデータを活用できないのです。これが大きな問題となっているとTan氏はいいます。

 今、急成長しているのがビジュアル・サーチのAIなのだそうです。映像・画像などの非構造化データを利用するためのAIが注目されていますが、ネット上の情報の80%以上が映像・画像情報だということを考えれば、それも当然の成り行きでしょう。AI市場は今後、2022年までに50億規模の市場になるといわれていますが、中でも注目されているのが、非構造化データの処理に関わるAIだといえます。

 Tan氏は、ビジュアル・コンテンツの非構造化データを小売り事業に活用している先進事例の一つとして、アリババのマジックミラーを挙げました。簡単に触れられただけだったので、具体的にどういうものなのか知りたくて、帰宅してから調べてみました。

 内外のいくつかの記事から、このマジックミラーは、アリババの新たな小売り戦略とも関連する実験だったことがわかりました。

■アリババの実験
 アリババは2009年以来、毎年11月11日を独身の日とし、セールを行ってきました。売上は年々増加し、2017年11月11日は1682億元を達成しました。なんとたった一日で、日本円に換算すれば2兆87億円も売り上げたのです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。https://toyokeizai.net/より)

 「独身の日」は中国語で「光棍节」といい、ショッピングイベントとして大きな経済効果を上げています。独身者同士が集まってパーティを開いたり、プレゼントをしたりするための消費が促進されているのです。毎年決まった日にイベントセールを実施することで、独身者の潜在需要を掘り当てたのです。

 実際、この日の売上高を開始期から時系列でみていくと、年々大幅に増加していることがわかります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。Alibabaより)

 Yuyu Chen氏は「DIGIDAY」日本語版(2017年11月17日)で、これに関連し、興味深い指摘をしています。つまり、アリババにとって、独身の日はたった1日で数百億ドルの売り上げをもたらすショッピングの祭典というだけではなく、小売業界のイノベーションを誘導するさまざまな実験を行う機会でもある、というのです。

■オンラインとオフライン
 アリババについて調べているうちに、興味深い調査結果を見つけました。E-コマースで多大な実績を上げるアマゾンとアリババについて調査をした結果、人々の消費行動全体でみると、いずれも伝統的な店頭販売にははるかに劣ることが判明したのです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。https://www.cbinsights.com/より)

 アマゾンにしてもアリババにしても現在のところ、E-コマースを圧倒していますが、アメリカでは90%以上、中国も80%以上が店頭販売でモノが購入されていることがわかったのです。ですから、両社にとって、次の大きな成長機会は実店舗での販売をどのように取り込めるかということになります。

 アリババはすでにオフラインとオンラインの統合の利点を了解しており、2017年の「独身の日」で実店舗を中国国内にいくつか設置し、さまざまな実験を行いました。そのうちの一つが、先ほど言いましたマジックミラーです。

■マジックミラー
 これまでアリババはオンライン上にポップアップストア(期間限定ストア)を開設してきましたが、今回の「独身の日」セールで初めて、実店舗のポップアップストアを設置しました。

 中国国内12都市、52か所のショッピングモールでオープンし、10月31日から11月11日まで営業しました。新展開の目玉の一つがマジックミラーでした。

 「マジックミラー」と名付けられた画面では、買い物客はサングラスや化粧品、衣料品などの商品をバーチャルに試着することができます。試着してみて商品が気に入ったら、スクリーン上のQRコードをスキャンして、アリババのモバイル決済サービスAlipay(アリペイ)で購入することができるという仕組みです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。Alibabaより)

 実際に手に取ってみることのできない商品でも、この装置があれば、気軽にさまざまな商品を試してみることができます。消費者にしてみれば、これまでよりもはるかに容易に、納得した上で、意思決定をすることができるようになります。実店舗ならではの実験です。

 アリババはこのように、新しいテクノロジーを駆使して、さまざまな実験を行い、購入を決意する消費者側のデータを収集しているのです。新しい事業モデルを構築するには不可欠のデータを掘り起こしているともいっていいかもしれません。大量の消費者が集う「独身の日」はまさに、アリババにとって貴重なマーケティングの日だといえるでしょう。

 たとえば、今回、導入したマジックミラーの場合、小売における新しいアイデアが今後、投資に値するものなのか、それとも、修正が必要なものなのかを判断するための根拠として、アリババは消費者の反応と売上の結果を重視します。データ化された情報を駆使し、できるだけ精密に消費行動を把握し、事業モデルを組み立てていきます。

 大量の消費者が動く「独身の日」はアリババにとって、単に大量に商品が売れる場ではなく、大量の消費行動データが得られる場でもあります。つまり、次のステップを踏むための基盤にもなる重要なイベントなのです。

■アリババの「新小売り戦略」
 さて、今回、実店舗を設置した中国の各所で実験されたのが、マジックミラーであり、AR(拡張)ディスプレイエリアでした。いずれも、単なるオンラインイベントを超えた試みでした。Yuyu Chen氏は、これらの実験はアリババの新小売り戦略に沿ったものだと記しています。

 そこで、関連記事をネットで検索してみました。すると、下記のような記事がみつかりました。タイトルは「Jack Ma outlines new strategy to develop ‘Alibaba economy’」(ジャック・マー、「アリババ経済」を開発する新しい戦略を概説する)です。2017年10月17日付の記事ですから、「独身の日」の約1か月前の取材情報です。

こちら →
http://www.thedrum.com/news/2017/10/17/jack-ma-outlines-new-strategy-develop-alibaba-economy

 これを読むと、アリババのCEOジャック・マー氏は、「E-コマースは急速にビジネスモデルを進化させ、「ニューリテール」(新小売り)」の段階に入っているという認識を示しています。やがてはオンラインとオフラインの境界が消滅していくと彼は考えており、その対策として、各消費者の個人的なニーズに焦点を当てたサービスを展開しなければならないとしています。

 さらに彼は、中国ではアリババのニューリテール・イニシアチブ(新小売り戦略)は、5つの新しい戦略の出発点として形を成しつつあるといいます。この5つの新しい戦略とは、「ニューリテール」、ニューファイナンス」、「ニューマニュファクチュアリング」「ニューテクノロジー」「ニューエナジー」を指します。

 このような構想の下、1億の雇用を生み出し、20億の消費者にモノやサービスを提供し、1000億の収益性の高い中小企業を支援するプラットフォームになるよう計画しているとジャック・マーは宣言しています。さらに2036年までには、アリババのインフラがトランザクション価値を結びつける商業活動を支援し、世界ビッグファイブの経済としてランクされるようになるだろうとも予測しています。

 興味深いのは、ジャック・マー氏が、一般株主は我々に利益をあげることを期待しているが、我々の存在価値はお金を稼ぐことだけにあるのではないと強調していることでした。どうやら彼はアリババの事業を通して、商業活動以上の社会的活動を企図しているようです。

 ジャック・マー氏はこんなことも書いています。

「もしアリババが農村部や中国全土の貧困地域を手助けし、テクノロジーによって生活状況を改善することができるとすれば、世界のその他の地域にも大きな影響を与える機会を持てるようになる。テクノロジーは世界の富の格差を広げることの原因になるべきではない」と。

 このような考え方を知ると、アリババの存在価値がお金を稼ぐことだけにあるのではないとジャック・マー氏が強調していたことの背景がわかってきます。

 テクノロジーの力を活用して農村部や貧困地域を豊かにする一方で、この新小売り戦略は、グローバルなサプライチェーンの再構築をもたらし、グローバル化の形勢を大企業から中小企業へと変化させるだろうとジャック・マー氏はいいます。このことから、経済の合理化を進めるだけではなく、社会的公平性をも実現しようとしていることがうかがい知れます。

 三菱総合研究所の劉潇潇氏も、アリババ・グループのCEOジャック・マーク氏が2016年10月に発表した小売り戦略に注目しています。この戦略は、オンラインとオフラインをうまく使い分けることによって、より精密なターゲティングを行い、顧客により深い感動を与えることを目指す戦略だと指摘しています。(https://toyokeizai.net/)

 たしかに、この戦略は消費者の心を捉え、消費者とつながることを目指したものだと思います。とはいえ、2017年10月に取材された記事から、ジャック・マー氏の考え方を推察すると、私には、単なる顧客獲得を超えた大きな世界観に支えられた市場戦略のようにも思えてきます。

■事業が追及する価値とは?
 4月18日、日経新聞を読んでいて、興味深い記事に出会いました。価値創造リーダー育成塾で嶋口充輝氏(慶應義塾大学名誉教授)が行ったキーノート・スピーチを原稿に起こしたものでした。

「事業が追及する価値は、合理性・効率性を追求する「真」の競争から社会的責任や社会貢献を意識した「善」の競争、そして、品位や尊厳、思いやりなどの「美」を追求する競争へと移ってきました」と、まず、事業に対する現状認識を示しています。その上で、嶋口は、今後の展開として、以下のように続けます。

「これからの時代の企業は、その事業姿勢や行動を「美しさ」から発想し、「社会的有益性」を踏まえ、結果的に収益性や効率性に結び付ける「美善真」というスタイルが求められると思います」といい、「美しさ」主導の事業姿勢を「あるべき姿」と打ち出しています。

 一見、理想主義的な意見に思えたのですが、再び読み込むと、実はきわめて長期的展望に立った見解だという気がしてきました。そして、そういえば、ジャック・マー氏も似たようなことを言っていたなと、先ほどご紹介したアリババの新小売り戦略を思い出しました。思い返しているうちに、振り返って、第2回AI・人工知能EXPOの記事を書こうと思い立ったのでした。

■AI・人工知能時代の事業価値とは?
 AI・人工知能が中心になって社会を動かしていく時代に、求められる事業価値とはいったい、何なのでしょうか。今回、第2回AI・人工知能EXPOに参加してみて改めて、そのことを考えさせられました。

 もはやヒトはモノやサービスを、効率性、経済性、有益性だけで購入するわけではなくなってきています。そんな時代に事業活動を継続的に行っていくには、モノやサービスに消費者の心を動かす何かが付随していなければならないでしょう。心のつながりが生まれて初めて、事業活動が消費者から強く支えられ、継続していくことができるようになるのでしょうから・・・。

 そして、心のつながりの動機づけになるのは、なによりも、対象にたいする信頼感であり、尊敬の念であり、憧れであり、崇拝の念でしょう。

 そう考えてくると、AI・人工知能の時代には、美しさや品格といった数値化しがたい要素が価値を持ってくるような気がしてきます。

 今回、「注目の海外ベンチャー企業」というセミナーに参加し、Oliver Tan氏の講演内容から、私は、先進事例として紹介された、アリババの「独身の日」の実験に興味を抱きました。Tan氏はビジュアル・サーチAIの一例としてマジックミラーを紹介されたのですが、私はむしろ、「独身の日」に、実店舗で行われたこの実験の方に興味を覚えてしまったのです。

 種々、調べることになりましたが、その結果、いろんなことがわかってきました。セミナーが一種の触媒の役割を果たし、AI・人工知能時代の事業の意味を考えることになったのです。改めて、ヒトは選択的に話を聞くものなのだということを思い知らされました。(2018/4/20 香取淳子)

NHK文研フォーラム2018:「メディアの新地図」に何を見たか。

■NHK文研フォーラム2018の開催
 3月7日から9日にかけて、NHK放送文化研究所主催のシンポジウムが開催されました。

こちら →http://www.nhk.or.jp/bunken/forum/2018/pdf/bunken_forum_2018.pdf

 私は時間の都合で、3月7日のセクションA「欧米メディアのマルチプラットフォーム展開」にしか出席できませんでしたが、総じて、充実した内容だったと思います。

 このセクションでは、アメリカから招聘した二人のゲストによるメディアの現状報告、そして、NHK研究員によるイギリスメディアの現状報告が行われました。とくに、アメリカメディアの担当者、お二人のスピーチが、私には興味深く思われました。

 一人はメレディス・アートリー氏(CNNデジタルワールドワイド上席副社長兼編集長)で、もう一人は、エリック・ウォルフ氏(PBSテクノロジー戦略担当副社長)です。民間のメディア組織(CNN)と公共のメディア組織(PBS)をパネリストとして選ばれたのはとても良かったと思います。しかも、お二人には、テクノロジーの変化を重視し、組織改編を行ってきたという点で共通性がありました。

 今回は、お二人のスピーチに触発されて、私も帰宅してからいろいろ調べてみました。その結果、激動する「メディアの新地図」の中になにかしら見えてくるものがありました。まだぼんやりとしているのですが、そのことについて書いてみようと思います。

■マルチプラットフォーム展開は不可避か?
 2017年3月29日、コロンビアジャーナリズムレビューに、「The Platform Press: How Silicon Valley reengineered journalism」というタイトルの論文が発表されました。

こちら →
https://www.cjr.org/tow_center_reports/platform-press-how-silicon-valley-reengineered-journalism.php

 これは、コロンビア大学大学院ジャーナリズム学教授のEmily Bell氏とブリティッシュコロンビア大学デジタルメディア学准教授のTaylor Owen氏による共同執筆の論考です。

 冒頭、ソーシャルメディアのプラットフォームとIT企業が、アメリカのジャーナリズムにかつてないほどの影響力を行使するようになっていると記述されています。2016年の米大統領選でSNSの威力を見せつけられましたが、どうやら、その後さらに、FacebookやSnapchat、Google、Twitterなどのソーシャルメディアが勢いを増しているようです。

 いまや、コンテンツを配信するという役割を超えて、視聴者が何を見るか、誰を登場させれば彼らの注意を引くのか、どんな様式、形態のジャーナリズムが勢いを持つのか、といったようなことまで、SNSのプラットフォームがコントロールするようになっているというのです。

 まさに、論文のタイトル「The Platform Press」通り、プラットフォームこそがメディアになってしまっているのが現状だといえそうです。だとすれば、既存メディアがマルチプラットフォーム対策を取らざるをえなくなっているのも当然のことでしょう。14のニュース組織を調査したところ、それぞれ、多様なプラットフォームを活用していることが判明しました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。https://www.cjr.org/tow_center_reports/platform-press-how-silicon-valley-reengineered-journalism.php より)

 今回、パネリストとして登壇されたCNNの場合、上記の表にあるように、21のプラットフォームを活用しています。そして、PBSは、この表にはありませんが、9のプラットフォームを展開しています。

 このような現状について論文では、視聴者が情報入手手段として、モバイルメディアやソーシャルメディアにシフトしてしまったため、ニュース組織は選択の余地もなく、これに従わざるをえないと指摘しています。

 この表を見ると、一見、多様で競争的なマルチプラットフォームの選択肢が示されているように見えます。ところが、実は、Facebook、Instagram、WhatsAppなどはすべてFacebookが所有する会社なのです。

 たとえば、Facebookは2012年4月9日、Instagramを買収しています。

こちら →https://japan.cnet.com/print/35016064/

 また、Facebookは2014年2月、WhatsAppも買収しています。

こちら →http://gigazine.net/news/20140220-facebook-buy-whatsapp/

 当然のことながら、FacebookやGoogleはニュースのアクセスにもっとも影響力を行使するようになります。

 視聴者モニター会社Parse.lyによる2016年末の調査では、Facebook経由でニュースサイトを閲覧したものは45%にのぼり、Googleは31%だったと報告されています。マルチプラットフォーム主導でニュースが閲覧される状況が現実のものになっているのです。

 さらに、メディア会社が利用者とつながるには利用者を深く理解することが必要になりますが、そのためには刻々と入手できるデータこそ何よりも重要だとParse.lyのCEOはいいます。(下記URLをクリックし、ホーム画面の「Watch our CEO talk data」をクリックするとCEOのトークページに移動します。)

こちら →https://www.parse.ly/

 利用者がコンテンツの何にどれだけ注目しているか、どの段階で、そのコンテンツから離れたのか、等々について分刻みの情報を得ることができます。その仕組みの一端はParse.ly社のHPのビデオで紹介されています。


(図をクリックすると、拡大します)

 驚きました。コンテンツは、利用者が密接なつながりを感じられるように各種、詳細なデータに基づき、制作されているのです。

 以上が、上記の論文に基づいて関連情報をチェックし、概観してみたアメリカメディアの現状です。

 それでは、お二人の見解をみていくことにしましょう。

■エリック・ウォルフ氏(PBSテクノロジー戦略担当副社長)の見解
 PBSでIT領域を担当してきたウォルフ氏は、まず、デジタル・ファースト時代の放送はコンピュータサイエンスを基盤に展開せざるを得ないという見解を示します。当初、データ主導でコンテンツ制作をするというウォルフ氏にはやや違和感を覚えましたが、さきほどの論文で明らかにされたようなメディア状況下では、当然のことなのかもしれないと思うようになりました。

 SNSやIT会社を通して上がってくる膨大なデータを前にすれば、利用者についての各種データに基づいてコンテンツ制作を展開せざるをえないでしょう。コンテンツ制作にサイエンスが不可欠の状況が訪れているのです。

 ウォルフ氏はこのような現状を踏まえ、2019年に創立50周年を迎えるPBSは、マルチプラットフォームに向けてメディア組織自体を変革し、企業風土そのものも変えていく必要があるといいます。

 さて、2017年5月1日に開催されたNAB(National Association of Broadcasters)大会でウォルフ氏は、2017年1月にPBSはマルチプラットフォームを開始し、24時間放送のPBS KidsをOTT準拠のデジタルマルチ放送で提供していることを報告しています。

さらに、デジタルチャンネルにはHTML5で構築されたインタラクティブゲームも用意し、若年層の取り込みに尽力していることを報告しています。

こちら →
http://www.etcentric.org/nab-2017-nextgen-tv-will-bring-innovation-new-revenues/

 新たに立ち上げたというPBS Kidsをチェックしてみました。

こちら →http://pbskids.org/

 これは、アメリカ国内でしか見ることはできませんが、いつでも、どこでも、利用できるデバイスによって、コンテンツを享受できるヒトが増えるとすれば、公共放送であるPBSの使命を果たしたことになります。

■メレディス・アートリー氏(CNNデジタルワールドワイド上席副社長兼編集長)の見解
 CNNに入社以来8年、デジタルワールドワイドの運営、そして、編集長として400人ものデジタルジャーナリストを抱えるアートリー氏は、メディア会社にとってマルチプラットフォーム戦略は不可欠だという見解を示します。そして、図を示しながら、CNNがどのようなマルチプラットフォーム戦略を展開しているかを説明してくれました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。
https://www.cjr.org/tow_center_reports/platform-press-how-silicon-valley-reengineered-journalism.php より)

 アートリー氏は、メディア会社にとって利用できる選択肢がいまや、きわめて複合的になっている現状を指摘します。

 CNNを基盤に見た場合、そのもっとも内側の円に、CNN Desktop(Sept 1995)、CNN Mobile Web(Feb 1999)、CNN Mobile Apps(Sept 2009)、CNNgo(Jun 2014)など、CNNが所有するプラットフォームを配しています。これらがCNNのメディア組織のコアを形成しています。

 その次のレイヤーには、YouTube、Android TV、Apple TV、Amazon Fire TV、Rokuなど、映像プラットフォームを配しています(この図にはありませんが、2017年7月にSamsungが加わりました)。

 そして、その次のレイヤーにSNSを配しています。Facebook Live、Facebook Instant Articles、Facebook Messenger、Facebook News Feed、Instagram、Instagram Stories、Twitter、Twitter Moments、LINE、Snapchat、Snapchat Discover、Kikなど。これを見て、気づくのは、Facebook関連企業が多いことです。

 外周を形成しているのが、新規サービスおよび既存プラットフォームにはないサービスを提供するプラットフォームです。これは、Samsungが提供するWatch、Edge、VR、Bixbyの4サービス、Appleが提供するWatch、Newsの2サービス、Googleが提供するAMP、Newstand、VR Day Dream、Home、AMP Storiesの5サービス、Amazonが提供するEcho、Showの2サービスで構成されています。

 現時点では、上図にあったOculus Riftがなくなり、新たに、SamsungのBixby(2017年8月)、GoogleのAMP Stories(2018年2月)、AmazonのShow(2017年6月)が加わっています。このようにサービス内容によって適宜、プラットフォームを入れ替えしているようですが、ここで気づくのは、Googleが提供するサービス利用の多さです。

■マルチプラットフォーム展開で重要なのは何なのか
 さて、上図で示した各プラットフォームはレイヤーごとに色分けされています。それぞれ、どのコンテンツをいつ、どのように提供するかを決定するのが重要だとアートレイ氏はいいます。決定に際しては、たった一人で行う場合もあれば、チームで決定することもあるようです。内容と状況によってこれも適宜、迅速に判断されているのでしょう。

 CNNのマルチプラットフォーム展開をざっとみてきました。コントロールしやすいか否か、機能が有効か否か、拡張性があるか否か、等々で弁別されているように思えました。ます、コア部分をCNNが所有する陣営で運営し、それ以外はレイヤーごとに機能分担させていること、コアの次に、映像プラットフォーム、その次に、SNSプラットフォーム、そして、外周に新規プラットフォームを配するという戦略でした。

 これについてアートレイ氏は、視聴者がさまざまなら、プラットフォームもさまざまCNNとしては、幅広く着実にコンテンツ配信ができるようにしていると説明しています。コア部分を取り巻くように、レイヤーで区分けしたマルチプラットフォームを周到に張り巡らし、視聴者をくまなくつなぎとめていく戦略に新たな時代の到来を感じさせられます。

 それでは、マルチプラットフォームの展開に際し、何が重要になってくるのでしょうか。

 アートレイ氏は、5つの教訓を教えてくれました。すなわち、①コントロールできることとできないことを知る、②薄く、手広くやりすぎない、③有能なスタッフを雇用し、育成し、迅速に対応する、④新しいパートナーやプラットフォームに対する成功戦略を決める、⑤最初にやる必要はない、等々。

 とくに印象深かったのが、①自社がコントロールできることとできないことをしっかりと把握する、という教訓でした。この教訓は、Facebookがアルゴリズムを変えたことから得たものだとアートレイ氏はいいます。

 Facebookにとってはアルゴリズムを変えなければならなかったのでしょうが、CNNにとってはそうではありません。この一件から、自社がコントロールできるプラットフォームを持つことが重要だと悟ったというのです。プラットフォームに対するアートレイ氏の考えがよくわかる教訓でした。

■メディアの新地図に向けて
 帰宅してから、ネットをみていると、興味深い記事がみつかりました。2018年1月17日付け「DIGIDAY」の記事で、アートレイ氏に対するインタビューが載っていました。タイトルは「CNN’s Meredith Artley : ‘We don’t put all of our eggs in the Facebook basket’」というものでした。

こちら →
https://digiday.com/podcast/cnns-meredith-artley-dont-put-eggs-facebook-basket/

 ここでアートレイ氏は、「バランスの取れたポートフォリオを持つことが必要だ」と述べています。まさにタイトル通り、いくら有益だといってもFacebookに依存しすぎないよう、プラットフォームの構成にはバランスを考慮する必要があるというのです。

 さきほどの図を見てもわかるように、CNNはニュース配信に際し、さまざまなプラットフォームと提携していることが明らかです。とくに、気になったのが、Facebookとの結びつきの強さでした。

 アートレイ氏はこれについて、「Facebookはとても重要だ。Facebook Watchと提携すると、4分以上CNNを視聴する人が200万人から300万人に増えた。我々はこのことに重大な関心を寄せているが、かといって、Facebookというバスケットに我々の卵をすべて入れるようなことはしない」といっています。ユビキタス環境を提供し、視聴者増加に寄与してくれるFacebookはとても重要だが、それに頼り切ることは危険だというのです。

 一方、PBSのウォルフ氏も、マルチプラットフォームは重要だという認識を示します。2019年には設立50周年を迎えるので、マルチプラットフォームの充実に向けてメディア組織の改革を図らないといけないともいいます。

 ただ、PBSはオンラインでコンテンツを提供しながらも、軸足は放送に置いているようです。ウォルフ氏は、あらゆるヒトにコンテンツを届けるのがPBSの使命なので、まずは、ヒトが繋がりたいと思うコンテンツを制作し、次に、配信チャンネルを考えるというのです。そして、何よりも重視するのが、人々からの信頼だといいます。

 帰宅してから、ネットで調べてみると、PBSは2018年2月5日、「TechConAgenda 2018」という報告書を刊行していました。

こちら →
http://pbs.bento.storage.s3.amazonaws.com/hostedbento-prod/filer_public/TechCon%202018/Agenda%20items%20-%202018/TechConAgenda2018.pdf

 興味深いことに、目次に「closed captioning」の項目がありました。公共放送だからでしょうか、アクセシビリティへの目配りが感じられます。

 ここで議論のポイントとして提示されたのが、コンテンツに字幕をつけることのメリットは何か、ウェブにどう対応させるのか、あらゆるチームサイズ、あらゆる価格帯でのツールとオプションはどのようなものか、FCC規制の変更に先んじることができるのか、アーカイブは急速な変化への対応に寄与するのか、小規模なチームとして働きやすい組織システムはどのようなものか、等々でした。

 マルチプラットフォーム展開を考えていくなら、この点も考えていく必要があるでしょう。ありとあらゆる視聴者に向けてコンテンツを配信するのが使命だというなら、なおのこと、デバイスの違いを超えて、字幕をどうするのかも考えていく必要があるでしょう。

 テクノロジー主導でいま、テレビを見るということ自体に大きな揺らぎが見られるようになっています。電車の中でもイヤホンをつけ、スマホでテレビを見ているヒトを多く見かけるようになりました。いつでも、どこでも、デバイスを超えてコンテンツが配信されるようになっていることが実感されます。

 CNNとPBSのお二人を招いてのシンポジウムは充実しており、現在のメディア状況を考える上で、大変、有意義でした。お二人の話を聞いていると、ユビキタス環境が一段と整備されてきたように思えます。アメリカのメディア状況を通して「メディアの新地図」を見た思いがします。

 コンテンツの配信が、いつでも、どこでも、誰にでも、届けることができるようになった環境下でいったい何が重要になるのか、視聴者の側も改めて、考えていく必要がありそうです。(2018/3/10 香取淳子)

AI時代のジャーナリズムに何が必要なのか

■「これからのジャーナリズムを考えよう」シンポの開催
 2018年1月29日、東京大学安田講堂で「これからのジャーナリズムを考えよう」というタイトルのシンポジウムが開催されました。日本経済新聞社、米コロンビア大学ジャーナリズム大学院、東京大学大学院情報学環の主催によるもので、学生を含め、約580人が参加しました。

こちら →https://events.nikkei.co.jp/894/

 日経新聞社社長のあいさつに続き、米コロンビア大学ジャーナリズム大学院長のスティーブ・コル氏による基調講演が行われました。タイトルは、「フェイクユース時代における報道の自由」というものです。

 コル氏は昨今のメディア状況について、フェイクニュース、ポピュリズムが横行し、ジャーナリズムやジャーナリスト、編集者が脅威にさらされているという現状認識を示しました。そのうえで、ジャーナリズムを守ることは市民を守ることであり、すべてのヒトにメリットがあると述べました。

 次いで、英ファイナンシャル・タイムズ編集長のライオネル・バーバー氏による特別講演がありました。タイトルは、「2018年のFT:デジタル時代をダイナミックに、豊かに、かつ適切に」というものです。

 バーバー氏は、FTではいま、静かな変革が起こっているといいます。「digital first」をモットーに再スタートして以来、「守りに入ってはいけない、チャンスを捉え、戦いに挑む」という姿勢で組織を改編してきた結果、持続可能なプラットフォームができつつあるといいます。

 FTでは、言葉や画像だけではなく、動画、データなど新しいデジタルツールを取り込み、内容を深く掘り下げたニュースを提供しています。その結果、91万人もの有料読者を獲得できるようになりました。この数値は2008年と比べると2倍にも及び、過去最高だといいます。

 興味を覚え、ネットで検索してみると、2016年4月4日、東洋経済オンラインに、「FTの有料読者数、実は過去最大になっていた」というタイトルの記事が掲載されていました。

こちら →http://toyokeizai.net/articles/-/112270?page=2

 この記事では、有料読者数が増加したことの原因として、ニュースの提供方法、課金システムなどデジタル時代に適したものに改変したことの効果に力点が置かれています。グーグル、フェイスブック、ツイッターなどのユーザーがFTの記事にたどり着いた場合、その後も、FTの記事に触れる習慣ができるよう、課金方法に工夫が見られます。ですから、それも大きな要素だといえるでしょう。

 ソーシャルメディアからの効果的な誘導が有料読者数の増加につながったことは確かでしょうが、コンテンツの魅力も影響していることは当然です。FTは読者の傾向を分析し、適切なタイミングで適切なコンテンツを配信するよう工夫もしています。

 バーバー氏は読者が記事にどれだけ「engage」したかがもっとも重要だとし、どの記事をどれだけ時間をかけて読んでいるか、その記事を他人とシェアしているかを解析しているといいます。読者にとって価値ある内容を提供することで、FTを読む習慣を読者の生活スタイルの中に取り込めると考えているからです。

■デジタル時代におけるジャーナリズムの役割
 パネル討論の第一部は、「デジタル時代におけるジャーナリズムの役割」というタイトルの下で行われました。ここからは、パネリストとして、日経新聞専務取締役編集局長の長谷部剛氏、司会者として、東京大学情報学環教授の林香里氏が加わりました。

 長谷部氏はまず、メディア状況が日本と欧米とは大きく異なると指摘します。そして、部数が減っているとはいえ、日本ではまだ全世帯の7割が新聞を読んでおり、フェイクニュースもそれほど深刻ではないという認識を示しました。

とはいえ、デジタル化への対応は不可欠で、メディアとして読者に責任を果たすうえでも、digital firstにならざるをえないといいます。5Gになれば、さまざまなコンテンツを流せるようになります。そのための表現方法を開発しており、平昌オリンピックでVRコンテンツを公開予定だそうです。

そういえば、1月29日付の日経電子版で、カーリングのVRコンテンツを公開するという記事が載っていました。

こちら →http://dsquare.nikkei.com/concierge/service-campaign/vrvr.html

 これは、平昌オリンピックでのVRコンテンツ公開に向けた予行演習とでもいえるものなのでしょうか。スポーツ中継では臨場感のある映像こそ、オーディエンスを惹きつけ、虜にします。VR技術を使った映像を提供すれば、読者はさらに深く「engage」され、日経が提供するコンテンツを好むようになるでしょう。

 一方、コル氏は情報の構造が変化し、アルゴリズムがその源泉になっているという認識を示します。そして、ジャーナリズム教育に関わる者として何をすべきかと模索した結果、コンピューターサイエンスとセットでジャーナリズム教育を行うべきだという結論に達したといいます。

 実際、コル氏はフェイクニュースが横行するようになった社会状況下では、深く調査し、データの積み重ねによって事実に迫るデータジャーナリズムが重要だと指摘しています。

こちら →https://dc.alumni.columbia.edu/data_journalism_deancoll_20171018

 コル氏は大学に移籍するまでは著名な各紙で記者として活躍し、二度もピューリッツア賞を受賞しました。そのコル氏が、データを調査報道に生かすべきだというのです。そして、コロンビア大学大学院にデータジャーナリズムの修士課程を作りました。

こちら →https://journalism.columbia.edu/ms-data-journalism

 ジャーナリストを教育する機関もまた時代の動きに合わせ、デジタル対応を始めているのです。2027年、ジャーナリストはどのような生活を送っているのかを予想したドキュメントが発表されました。これを見ると、米コロンビア大学ジャーナリズム大学院がどれほどAI技術の影響を深刻に考えているかがわかります。

こちら →https://www.cjr.org/innovations/artificial-intelligence-journalism.php

 ここではAIとVRが同時に普及している社会状況下で取材するジャーナリストの生活シーンが紹介されています。10年後、どのような技術を身につけていないとジャーナリストとして生き残れないかが如実に示されています。

 さて、バーバー氏は、かつてジャーナリズムはソフトウエアを支配する側だったが、いまは、ソフトウエアがジャーナリズムを支配する側になっているという認識を示します。だからこそ、ジャーナリストにはこれまでと違うことをしてほしいといいます。

 SNSを通してジャーナリストではない人々が情報を自由に発信できるようになっています。バーバー氏はソーシャルメディアがいまは重要なニュース源になっており、ニュース配信をゆがんだものにしていると指摘しています。

 2017年11月14日、編集者会議に出席したバーバー氏は、フェイスブックとグーグルに広告市場が席巻されている一方で、新たな動きもあることに触れています。

こちら →
http://www.pressgazette.co.uk/ft-editor-lionel-barber-calls-on-deeply-flawed-social-media-networks-to-drop-the-pretence-they-are-not-media-companies/

 さて、バーバー氏は、FTではどのような記事も二つの独立した情報源がなければ記事として公開しないといいます。それは、有料でニュースを提供している組織としての責任があるからですが、信頼に足るジャーナリズムがあってこそ、民主主義が機能します。だからこそ、社会を守るためにも、我々のようなメディア組織が必要なのだというのです。

 林氏は、ニュースをSNSで読んでいる若者が多いという現状を踏まえ、SNSではパーソナルな出来事と同じラインでニュースが切り売りで入ってくる、これはジャーナリズムにとって危険ではないか、という質問を日英米のパネリストにぶつけました。

 長谷部氏は、昨秋の衆院選について調査したところ、安倍首相よりもリツィートの多かった一般人がいたことを明らかにしました。そのメッセージが「投票に行こう」というものだったことを踏まえ、ジャーナリズムの補完としてSNSをうまく仕込むことができるのではないかといいます。

 バーバー氏は、SNSについてジャーナリズム側は明確な態度を取る必要があるといいます。というのも、ジャーナリストはSNSのアカウントを持っており、ポスティングもしています。ですから、そこでの不用意な発言がFTと関連づけられ、FTの信頼を損ねる危険性があると指摘するのです。

 コル氏も同様、情報のスピードが速くなり、SNSが普及した現在、これまでよりはるかに過ちが大きく拡散する危険性があると指摘します。だから、自分でファクトチェックをし、誤りを発見するよう努めなければならないといいます。

■AI/デジタル技術をジャーナリズムの未来
 パネル討論第二部では、技術領域のパネリストが加わって、行われました。このセッションは、上記のコル氏、林氏の他に、東京大学情報学環教授の苗村健氏、日経新聞社常務執行役員の渡辺洋之氏、司会を担当した東京大学情報学環長の佐倉統氏によって展開されました。

 渡辺氏は日経新聞社では、「決算サマリー」、「日経Deep Ocean」「日経自動翻訳」「文章校正」「見出しの自動構成」「レコメンド」などにAIを使って対応していると現状を報告されました。知らないことばかりでしたので、大変、興味深く聞きました。

 まず、「決算サマリー」は、日経のAI記事プロジェクトチームが最初の応用分野として開発し実用化したもので、企業の決算発表です。日本国内の上場企業は約3600社ありますが、AIを活用した「決算サマリー」を使うことで、より早く、より多くの企業動向を伝えることができるといいます。

こちら →http://pr.nikkei.com/qreports-ai/

 これはAIによって自動生成できるシステムで、上場企業のほとんどに対応しているといいます。このシステムは東京大学の松尾研究室との共同開発です。

こちら →http://weblab.t.u-tokyo.ac.jp/project/nikkei/

 上記に示されているように、上場企業が定期的に発行する決算短信から、速報記事を自動で生成するアルゴリズムを日経の担当グループと東大の松尾研究室とが共同で研究・開発したものです。このようなAIによる自動生成システムがすでに実用化されていることを知って、私は驚きました。

 「日経Deep Ocean」も、渡辺氏の報告で初めて知りました。調べてみると、これは日経新聞社が2016年12月に発表した対話型応答エンジンでした。AIを活用し、経済や金融分野の質問に対して自動応答する機能があります。

こちら →http://deepocean.jp/

 顧客からの質問に答えることができますから、たとえば、証券会社の営業を支えるツールとして利用できるでしょう。仕組みとしては以下のようになります。

こちら →
(http://deepocean.jp/より。図をクリックすると、拡大します)

 AIを使えば、情報の収集量が格段に増えますし、それを整理するスピードも抜群に速くなります。膨大な量のデータを数理的に解析することによって、これまで気づかなかった発見があるかもしれません。その結果として、最終的にヒトが行う意思決定がこれまでに比べ、はるかに精緻なものになることは明らかでしょう。

 コル氏は、AIをツールとして調査報道に生かすとすれば、大量のデータから異常値を発見できることだといいます。たしかに、異常値があれば、そこになんらかの利害の相克がありそうだとヒトが判断することができます。取材し、調査するポイントを的確に発見できるというわけです。

 いま、世の中にはデジタル情報があふれかえっており、もはやヒトの手には負えませんが、このようなAIのサポートがあれば、問題の所在を探り当てることができるでしょう。社会に有益な調査報道のためのツールとして画期的なものになることは確かです。

■AI時代のジャーナリズムに何が必要なのか
 それでは、AI時代にジャーナリストに要求されるものは何なのでしょうか。

 渡辺氏は、これからのジャーナリストにはジャーナリズム教育を受け、その関連のテクノロジーを身につけた人材が必要だといいます。コル氏も苗村氏も林氏も同様です。AI時代のジャーナリストにはAIを使いこなすことが必須条件になってくるでしょう。

 一方、統計分析などの数理的素養だけではなく、幅広い素養もまた必要になってくるでしょう。データを数理的に分析し、細分化された情報を適切に読み解くための素養、つまり、社会、哲学、文学といった教養から育まれる全体観が欠かせなくなるからです。

 コル氏は、ジャーナリストには、AIを使いこなす力に加え、人間的な経験知、ジャーナリストとしての理解力が必要だといいます。そして、AIをどのように使うか、どのような局面で使うのか、倫理面で大きな課題があるといいます。

 これについて渡辺氏は、AIを個人情報がかかわる領域、あるいは、AIが暴走する可能性のある領域では使うべきではないといいます。あくまでもツールとして使うべきだといいます。大変、興味深い指摘でした。

 今回のシンポジウムに参加して、改めていま、大きな時代の変革期にいるのだと感じました。AIがジャーナリズムの領域にまで浸透しつつある現状を知って、従来のジャーナリズムにAIのどのような要素を補完的に取り込むことができるのか、考えざるを得ない状況にきていると思いました。先行する米コロンビア大学では大学院にデータジャーナリズムの修士課程を作りました。AI時代のニーズに応えた動きです。日経新聞のデジタルグループはさまざまな実験を試行し、次々とAIを駆使したシステムを構築しています。

 パネリストのお話を聞いていて、技術が急速に進歩しているいまだからこそ、全体観を養う上でも、歴史、哲学、文学、社会学といった文系の学問を連動させていく必要があると思いました。(2018/1/31 香取淳子)

2017入間航空祭:広報メディアとしてのブルーインパルス

■ブルーインパルス
 2017年11月3日、航空自衛隊入間基地で、入間航空祭が開催されました。航空祭についてはまったく知らなかったのですが、阪急交通社がバスツアーを企画していることを知って、参加することにしました。ツアーの内容は、ブルーインパルスによるアクロバット飛行、基地内でのさまざまな展示などを楽しむというものでした。

 ブルーインパルスとは、アクロバット飛行を披露する専門チームの名称です。実は、この言葉を聞いて、私は熊本で見た光景を思い出し、突然、参加してみたくなったのです。

 今春、熊本市内のバス停でたまたま、ブルーインパルスを見ました。長崎行の高速バスを待っているとき、青空に繰り広げられるブルーインパルスの妙技をみたのです。

 当時、私は熊本大震災で被災した友だちを見舞うために、熊本を訪れていました。震源地や城壁の落ちた熊本城などを見てまわり、ホテルに一泊してから、長崎に向かおうとしていました。

 渋滞のため、バスは大幅に遅れていました。スマホをチェックしながら、いつ来るとも知れないバスを待っていると、急に、周囲の人々が騒ぎ始めたので、見上げると、青空に見事な円がいくつも描かれています。慌てて、スマホで撮影したのが下の写真です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 青空一面に、白い円がいくつも鮮明に、飛行機雲で描かれています。見るとたちまち、不鮮明になって、形が崩れていきましたが、このとき、円が5つ重なって創り出されていることがわかりました。まるで五輪マークのようです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 2017年4月23日、11時21分のことでした。この時はじめて、私は「ブルーインパルス」という言葉を知りました。これが、今回のバスツアーに参加しようと思ったきっかけになったのです。

■入間航空祭
 2017年11月3日、ガイドの説明によると、今年は特に参加者が多かったそうで、阪急交通社だけで38台もの大型バスを用意したそうです。

下は、午前9時17分時点で撮影した写真です。すでに基地内には大勢の人々が集まってきていました。いっせいに同じ方向に向かっていますが、向かう先は航空機展示場です。機体が展示され、アクロバット飛行の発着場所になります。航空祭メインの会場です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 航空機展示場に着くと、大勢の人々が地面に座って、展示機体を眺めていました。人混みをかきわけて最前列に出て撮影したのが、下の写真です。機体がいくつか展示されていましたが、いかにも戦闘機らしいと思い、撮影したのが、この機体でした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 「風の谷のナウシカ」で見た、ナウシカが乗っていた機体にとてもよく似ています。名前がよくわからなかったので、ネットで調べてみると、どうやら、F-2A戦闘機といわれるもののようでした。F-2はF-1の後継機として製造された戦闘機です。この機体はF-2Aですから、操縦者一人、操縦席一つの単座型の戦闘機です。

 見渡す限り青空が広がり、絶好の飛行日和です。飛行場には次々とヒトが集まってきます。すでに到着した人々は、まるでピクニックに来てでもいるかのように、地面に座ってバッグを広げ、ソフトドリンクを飲んだり、お菓子をつまんだりしています。基地内の飛行場でありながら、和気あいあいとした光景が広がっていました。

 調べてみると、入間航空祭は1962年11月18日に第一回が開催されていました。航空自衛隊が発足したのが、1954年7月、入間基地が発足したのが1958年8月、そして、入間基地日米共同使用協定が成立したのが1961年6月でした。ですから、その翌年にこの航空祭は開催されたことになります。

こちら →http://www.mod.go.jp/asdf/iruma/about/history/index.html

 以後、毎年11月に開催されており、多くの来場者が押し寄せているようです。昨年は13万人が訪れたそうですが、ガイドによると、今年はそれ以上だということでした。

 気になって、航空祭の翌日、新聞を見ると、今年は21万人もが参加したそうです。

こちら →http://www.sankei.com/life/news/171104/lif1711040026-n1.html

 たしかに、広い基地内はもちろんのこと、隣接する彩の森公園なども、来場者で埋め尽くされていました。

■ブルーインパルス
 航空祭メインの出し物は、ブルーインパルスのアクロバット飛行です。プログラムによると、その実演時間は13時5分から14時10分まででした。帰りのバス集合時刻は14時50分と指定されていましたから、移動可能時間は40分です。十分に時間はあるとはいっても、この混み具合です。最後まで飛行展示場で見ていたら、集合時刻に間に合うかどうかわかりません。

 そこで、早めに会場を出て、集合場所に近い彩の森公園に行き、そこで、ブルーインパルスを見ることにしました。後になって思えば、そう決めて、正解でした。集合時刻に間に合っただけではなく、なにより、木陰でブルーインパルスのアクロバット飛行を見ることができたのが幸いでした。

■ブルーインパルスのアクロバット飛行
 すでに大勢の人々が木陰にシートを敷き、青空を見上げていました。カメラを空に向けているヒトもいれば、まるでピクニックさながら、お菓子を食べておしゃべりをし、待ち時間を楽しんでいるヒトもいました。これまでに何度も航空祭に来たことのある人々なのでしょうか、今思えば、そこは絶好の鑑賞場所でした。

 突然、青空に轟音が響き渡りました。慌てて、空を見上げましたが、飛行機の姿はありません。白い飛行機雲が残っているだけです。いよいよ、ブルーインパルスの登場です。

 轟音がするのに機体が見えません。気づいたときには飛行機雲だけが残されていました。あまりにも早く駆け抜けてしまうので、何度も撮影に失敗しましたが、ようやくまともに捉えられたのが、ハート形を描いたアクロバット飛行です。

 私がスマホで撮影した映像を順に、ご紹介していきましょう。

 木の向こう側に2機の機体が見えます。上空に向かう途上で、2機は左右、二手に分かれます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 あれっと、思っているうちに、今度は、2機とも弧を描くように、下降していきました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 残ったのが、ハート形の飛行機雲です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 見事な飛行です。あちこちで歓声があがっていました。

 同じようなパターンの飛行をご紹介しましょう。今度は5機で演じられた飛行です。どこまでも広がる青空の下、5機が突然、大木の上に姿を現し、そのまま微妙な角度で、5方向に分かれ、上空に向かっていきます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 5機はそのまま弧を描くように下降し、5方向に散っていっていきました。後は、ご覧のように、木の枝のような飛行機雲が残り、青空に興を添えていました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 いっせいに同じ方向に飛行することによって、力強い飛行機雲が生み出されます。この飛行には、複雑な技巧は感じさせられませんでしたが、味わい深いものがありました。左方向に急下降していく5機がそれぞれ、青空に鮮やかな白の弧を残していきます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 そうかと思えば、6機がいっせいに左方向から上空に向けて急上昇していく飛行もありました。こちらも単純ですが、力強く、迫力がありました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 さらに複雑な図形が、青空に描かれたこともありました。アクロバット飛行も回を重ね、人々が飽き始めたと思われるころ、登場した出し物です。

 ヒトデ型の飛行機雲が残っている間に、別機が飛び立ち、三角形を重ねて、星形を創り出します。このように複雑な図形を創り出すアクロバット飛行には相当、技術力とチームワークが必要になるのでしょう。澄み渡った空にこの複雑な図形が創り出されると、あちこちで大きな歓声があがっていました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)
 
 ネットで調べてみると、このアクロバット飛行は「スタークロス」といわれるもので、とても人気が高いそうです。

 入間航空祭で見た飛行ショーで使われたのは、T-4といわれる機体でした。ブルーインパルスの三代目の機種なのだそうです。

こちら →http://www.mod.go.jp/asdf/equipment/renshuuki/T-4/index.html

 このT-4という機体は、優秀なパイロットを育成するための機種で、基本操縦課程のすべてを担える練習機なのだそうです。海外の練習機の場合、戦争になれば、武装もできるようになっているそうですが、T-4はそれができないとも書かれていました。
(http://ja.uncyclopedia.info/wiki/T-4_(%E7%B7%B4%E7%BF%92%E6%A9%9F))

 さて、私は彩の森公園でブルーインパルスを撮影したので、残念ながら、発進状況などは写せませんでした。ところが、ネットで検索してみると、当日、飛行展示場でブルーインパルスを撮影した映像を見つけることができました。ご紹介しましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=vCFyUnY1QeY

 これを見ると、アクロバット飛行の全容がよくわかります。

■パネル展示から見た、日本の防空
 入間航空祭では、飛行展示をはじめ、警備犬訓練展示、美術展、演奏会などさまざまな企画が催されていました。なかでも中部航空音楽隊による演奏は素晴らしく、思わず引き込まれ、聞き入ってしまいました。周囲を見回すと、観客は思い思いに手をたたいてリズムを取って、音楽隊と一体化し、盛り上がっていました。

 その音楽会場の壁面には、航空自衛隊の活動を紹介するパネルが多数、展示されていました。順に見ていくうちに、普段は考えたことのない国防について考えさせられるようになりました。日本の安全は?と思ったとき、連想してしまったのが、北朝鮮によるミサイル発射でした。日本はいま大変な状況に置かれていることに気づかされます。

 国際社会からなんといわれようと、北朝鮮は核とミサイルの開発を止めませんし、中国は国際法を無視し、海洋進出を進めています。いずれも、国際ルールに従うこともなく、武力を増強しているのです。うっかりしているうちに、日本の安全保障環境が大きく脅かされる事態に陥っていました。

 気になって、帰宅してからネットで調べました。すると、中国の軍用機が近年、日本の領空を頻繁に侵犯しており、航空自衛隊機の緊急発進回数が急増していることがわかりました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 2017年版防衛白書では、「平成28年度は南西航空混成団による緊急発進が803回にものぼり最多となった」と書かれています。実際、緊急発進回数の推移をみると、昨今の領空侵犯の多さは異様です。

 防衛白書は、」緊急発進数の急増について、「南西方面での安全保障環境が厳しさを増している」からだと指摘し、その原因を、中国軍用機が「東シナ海から徐々に東南方向に活動範囲を拡大してきている」と説明しています。その結果、南西航空混成団の緊急発進が「全国の6割にも」及ぶようになったと記しています。
(http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2017/html/nc023000.htmlより)

 昨今の中国軍用機の活動範囲を示したのが、下図です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、かなりの頻度で中国軍用機が日本の領空を侵犯していることがわかります。私は日本に危機が押し寄せてきていることなど、なにも意識しないで暮らしていたのですが、実は、日本の安全を脅かす不穏な状況がいまなお、続いているのです。

 それでは、このような事態に対し、航空自衛隊はどのように対処しようとしているのでしょうか。防衛白書には下記のような防空作戦が対策の一例として提示されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2010/2010/html/m3131000.htmlより。)

 上図に示されているように、防空のための作戦としては、4つの段階が想定されています。①領空、領海を侵犯する機体等を発見したら、即、②敵か味方かを識別し、その結果、的であれば、③早期警戒管制機から要撃指令を出し、即、④撃破するという流れです。

 このような対策で重要なのは、操縦技術の高度化、熟練化、そして、機体の高度化、高性能化です。ですから、性能の高い機体を装備するのはもちろんのこと、航空祭で見たようなアクロバット的な高度に訓練された飛行技術も、防空活動に欠くことのできないものだということがわかってきます。

■広報メディアとしてのブルーインパルス
 そもそも、私がこの航空祭に参加したのは、ブルーインパルスを見るためでした。おそらく、ほとんどの参加者がそうだったでしょう。ところが、たまたま入った音楽演奏会の会場で、壁に展示されたパネルを見たのがきっかけで、日本の防空に思いを巡らすようになりました。

 知らないことが多く、ネットでいろいろ調べていくうちに、日々、何気なく聞き流しているニュースも、注意深く読むだけで、日本の安全保障についての大切な情報源になることに気づきました。

 直近のニュースを整理すると、政府関係者がそれぞれ、安全保障の観点から見解を表明し、対応を進めていることがわかります。不穏な東アジア情勢に対し早急に、適切な対応が求められているのです。

こちら →http://www.ssri-j.com/MediaReport/JPN/japan_2017.html

 ここでピックアップされた情報だけでも、日本の未来を大きく左右する事態が進行しることがわかります。これを見ると、先ごろ、安部首相が「国難突破解散」をし、第48回衆院選を決行した理由も理解できるような気がします。日本はいま、今後どういう事態に発展するかわからない状況下に置かれているのです。だからこそ、安部政権に対する国民の信を問うておく必要があると判断されたのでしょう。

 戦後70年が過ぎ、戦争の悲惨さを知っている人はごくわずかになってしまいました。多少の不満はあっても、日本国内では、一見平和で穏やかな時間が流れています。ちょっとした兆候から戦争を想起する人もほとんどいませんし、防衛に関心を持つ人もそう多くはないでしょう。

 ところが、いつの間にか、日本を取り巻く環境はきわめて厳しいものになっていました。有事のための備えは大丈夫なのか、日本の防衛体制はどうなっているのか、等々。次々と、不安な思いが脳裏を過っていきます。

 さて、今回、入間航空基地内で、ブルーインパルスを楽しむ人々を多数、目にしました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 青空の下、老若男女、誰もがピクニック気分で楽しめる航空ショーとして、ブルーインパルスは抜群の魅力がありました。大空のどこからともなく轟音が聞こえてくると、人々は歓声をあげ、いっせいに青空を見上げて音がした方向を探り、スマホあるいはカメラを向けます。

 機体はあっという間に姿を消し、見えなくなってしまいますが、飛行後は、華麗な飛行機雲が残されます。青空を舞台に描かれたアートといっていいでしょう。操縦士たちはまるでアーティストのように、卓越した操縦技能でさまざまな飛行機雲を創り出し、観客を楽しませてくれたのです。

 澄み渡った青空の下で人々が、ショーアップされた飛行を楽しんでいたことを、私は改めて、思い出します。熟練のパイロットが操縦するのですから、他では見ることができない貴重なショーでした。だからこそ、ブルーインパルスのアクロバット飛行には、大勢の人々を引き付ける大きなパワーがあることも再認識できました。

 航空自衛隊にとって、ブルーインパルスがどれほど大きな広報効果を持っているのか、はかり知れません。当然のことながら、これを宣伝に使うことは可能でしょう。航空自衛隊の存在をできるだけ多くの人々に知ってもらい、日本の防空体制の現状を知ってもらう契機になることは確かです。

 そうして、人々の防衛意識が高まってくれば、民意に沿う防衛体制を構築していくこともできるのではないかと思います。のほほんと暮らす人々の防衛意識を喚起するために、ブルーインパルスをもっと効果的に活用できるのではないでしょうか。ハート形の飛行機雲を思い起こしながら、私はふと、そんなことを思ってしまいました。(2017/11/10 香取淳子)

第48回衆院選:自民圧勝、小泉進次郎氏スピーチの威力

■第48回衆院選の結果
 2017年10月22日、第48回衆院選の投開票が行われました。午後8時を過ぎると各局いっせいに開票速報を伝え始めました。早々と当確を出した候補者もいれば、なかなか当確が出ない候補者もいます。候補者の事務所から中継される悲喜こもごもの当落風景は、いつもながらの開票速報でした。

 開票が始まると早々に、自民党の優勢が明らかになっていきました。最終的に自民党と公明党を合わせた議席数は313議席にも及び、全465人のうち、3分の2以上を占める安定多数となりました。予想を大きく上回る与党の圧勝でした。

 さて、今回の衆院選挙には、「1票の格差」是正のための改正公選法が適用されました。小選挙区では「0増6減」、比例代表では「0増4減」、計10名の議席数が削減されました。つまり、小選挙区が青森、岩手、三重、奈良、熊本、鹿児島の6県、平井代表は東北、北陸信越、近畿、九州の各ブロックが1減の対象となったのです。その結果、全体で465議席を争う選挙となりました。

こちら →
(2016年3月15日、日経新聞より。図をクリックすると、拡大します)

■自民圧勝
 今回の選挙は新たな区割りの下で行われたので、ほとんどの既存政党は議席数を減らしました。定数が削減されたのですから、当然といえば当然の結果です。ところが、既存政党の中で唯一、公示前と同数の議席数を獲得したのが自民党でした。実質的な増加です。

 今回の選挙では、希望の党や立憲民主党といった新党の立ち上げが話題を呼び、関心を集めてきました。一時は、与党が大きく敗退することも予想されました。それなのに、開票してみれば与党の圧勝でした。なぜ、このような結果になったのでしょうか。

 選挙ドットコムを見ると、衆議院の獲得議席数は政党別に整理され、公示前の議席数と比較して、以下のように図示されています。

こちら →
(http://go2senkyo.com/articles/2017/10/23/33197.htmlより。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、公示前と比べ、議席数を大きく伸ばしたのが「立憲民主党」だということが一目でわかります。解散以前にはなかった政党です。野党2位にランクされた「希望の党」も同様、今回の衆院選で新たに設立された新党です。投開票日、全国各地を襲った大型台風よろしく、今回の衆院選を襲ったもう一つの台風の目は、この「希望の党」と「立憲民主党」でした。

 再び、選挙ドットコムを見て見ましょう。興味深いグラフがありました。

こちら →
(http://go2senkyo.com/articles/2017/10/24/33251.htmlより。図をクリックすると、拡大します)

 これは政党別に当選率を図示したものです。自民党は332人の候補者のうち当選者は281人で、当選率は84.6%です。このグラフでトップにランクされています。次位が立憲民主党で78人中54人が当選しており、69.2%の当選率です。以下、公明党、希望の党、維新の党、社民党、共産党といった順で続きます。

■希望の党の惨敗
 興味深いのは、希望の党からは235人中わずか50人しか当選しておらず、21.3%の当選率でしかなかったことです。政権交代を目指すといって、過半数の235人もの候補者を立てたにもかかわらず、この惨状です。しかも、希望の党の代表、小池百合子氏の地盤である東京選挙区では、側近と目されていた候補者は落選し、民進党から移籍した候補者一人しか当選しませんでした。

 いったい、何が起きたのか。

 9月25日、安倍首相が衆院の解散を告げる記者会見の直前に、小池東京都知事が単独で記者会見を行いました。そこで、「希望の党」の設立を表明し、自分が代表になると宣言したのです。いってみれば、政権への奇襲攻撃でした。

 「国難突破解散」というネーミングもかすんでしまうほど、「希望の党」は各政党に衝撃を与えました。その後、希望の党は次々と話題を提供し、いっとき、政権交代もありうるかと思わせるだけの勢いがありました。

 ところが、大きく膨らんだ風船もちょっと一突きするだけで、あっという間にしぼんでしまうように、投票前には希望の党の勢いは陰りを見せ、開票結果は無残なものでした。言葉の力によって、新党への期待が冷え込んでしまったのです。今回ほど、言葉の威力を感じさせられた選挙はありません。

 大きく膨らんだように見えた希望の風船を一突きしたものはいったい、何だったのか。そして、自民圧勝をもたらしたものは何だったのか。政治家のキーフレーズを追いながら、その効果、あるいは作用を考えてみたいと思います。

■希望の党の立ち上げ
 9月25日、小池都知事が単独で記者会見を行い、「希望の党」の設立を表明しました。安倍首相が会見するといわれた予定時刻の3時間半前、まるで首相の機先を制するかのように、奇襲攻撃をかけたのです。希望の党が一気に人々の注目を浴びたのはいうまでもありません。

こちら →http://www.huffingtonpost.jp/2017/09/25/kibou-party_a_23221556/

 驚いたのは、都知事である小池氏が新党の代表になると単独会見で宣言したことでした。しかも、この新党設立にむけて案を練り上げてきた若狭勝氏、細野豪志氏らの案をリセットするというのです。これを聞いた時、私はもやもやとした違和感を覚えました。

 新党設立のため奮闘してきたメンバーの努力をいとも簡単にリセットたこと、設立メンバーを同席させず、自身が代表になると単独会見で表明したことなどに、なんともいえない違和感を覚えたのです。

 果たして設立メンバーと相談した結果だったのでしょうか。気になって、後で調べてみると、細野氏らが、小池氏の党首就任を知らされたのは、この記者会見のわずか1時間前だったそうです。

 小池氏の会見を見てから、その政策にざっと目を通してみました。それだけで私は、「希望の党」が胡散臭い政党ではないかと思うようになりました。たとえば、「消費増税の凍結」「原発ゼロ」など、俗受けのする言葉が並んでいます。さらには、「12のゼロ」と名付けられた、「花粉症ゼロ」「待機児童ゼロ」「満員電車ゼロ」等々。

 これを読んでいるうちに、希望の党は、実績がないだけではなく、ひょっとしたら、実体もなく、ただイメージを喚起するだけの政党ではないのかと不安になってきたのです。会見を見て感じたなんともいえない違和感は、うわべだけの実体のなさを感じ取ったからかもしれません。

■希望の党への合流を決めた民進党
 9月28日、代表に選ばれたばかりの民進党の前原誠司氏が、衆院選を巡って奇妙な方針を打ち出しました。新進党所属の衆院議員らに向かって、党籍を残したまま「希望の党」の公認候補として立候補させるというのです。それも、「民進党からの立候補は認めず、現在の公認は取り消す」という、かなり強引なものでした。

こちら →
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2017/09/28/kiji/20170927s00042000453000c.html

 おそらく多くの人々がそう思ったにちがいないのですが、不思議なことに、民進党の議員たちはこの方針を呑みました。彼らは動揺して思考停止状態に陥っていたのかもしれません。あるいは、都知事選、都議選で圧勝した小池人気にあやかって、この衆院選を乗り切ろうと思っていただけなのかもしれません。

 たしかに民進党は、選挙直前に不祥事が次々と明らかになっていました。この時期に選挙を戦っても、とても勝てる状況ではなかったのです。すぐには理解しがたい奇妙な方針は、民進党議員たちの動揺した心理に付け込んだ奇策だったといえるでしょう。

 28日に開催された党両院議員総会で、前原氏は、「1強多弱といわれる状況にじくじたる思いを持っている」とし、「政権交代を実現する大きなプラットフォームをつくる」ために決断したといっています。

こちら →http://www.asahi.com/articles/ASK9X67HDK9XUTFK023.html

 「国難突破解散」とネーミングされたほど、緊迫した状況下で実施される今回の衆院選であったにもかかわらず、民進党代表の前原氏には、半島情勢や日本をめぐる世界情勢は視野に入っておらず、「政権交代」しかなかったことがわかります。

 希望の党にしてみれば、民進党代表の前原氏に勇気ある決断によって、野党勢力を結集し、その中心になることができます。願ってもない支援に思えたことでしょう。なによりも、経験のある候補者を多数確保できるうえに、政府からの交付金も手にすることができます。過半数の233名以上の候補者を立てることができれば、一気に大政党になりうるのです。

 設立されたばかりの希望の党には人材、資金が不足していました。人気はあっても、実績もなければ、実体もなかったのです。一方、人気のない民進党には人材はあり、資金もありました。ですから、傍目には両党の合体は申し分ないように思えました。

 民進党が加われば、立ち上げたばかりの希望の党が一気に野党第一党になる可能性があります。政権を左右できる勢力になりうるだけではなく、場合によっては政権交代の可能性もありました。まさに民進党代表の前原氏が望む「政権交代」を実現できるかもしれませんでした。

 これで、一気に風向きが変わりました。希望の党には、民進党を巻き込む大きな流れができ、いっとき、保守を基盤とした大きな野党ができるのではないかと思わせるほどの勢いがありました。

 選挙の構図に異変が起きていました。ニッポンドットコム編集部はこの時点での希望の党と各党との関係を以下のように図示しています。

こちら →
(http://www.nippon.com/ja/genre/politics/l00195/より。図をクリックすると、拡大します)

 もちろん、希望の党にとって民進党との合流はメリットばかりではありません。民進党色の強い議員が入ってくれば、せっかく立ち上げた新党のイメージが崩れてしまいます。この時点では、まだ希望の党の「寛容な保守」というキャッチフレーズは損なわれていませんでした。

 ところが、左派色の強い民進党議員が大量に参加してくれば、小池氏が希望の党の立ち上げの際に表明した「保守改革政党」のイメージは崩れます。そうなれば、希望の党は、民進党の単なる衣替えに過ぎなくなる恐れも懸念されました。次第に、小池氏の決断が迫られるようになっていきました。

■「排除いたします」
 9月29日、小池氏は都庁で定例記者会見を行いました。報告を終え、質疑応答に入ると、記者から「国政代表と都知事、二足のわらじの弊害はないか」と問われ、小池氏は、「安倍首相も総裁と総理を兼ねている、何ら問題はないと思っている」と答えました。

 さらに、フリーの記者から「前原代表が希望の党に公認申請すれば排除されないという説明をしたが、知事はこれまで安保、改憲を考慮して一致しない人は公認しないと言っている。お二人の言っていることが違うが、どうなのか」と問われました。小池氏は、「都知事としての会見だから別の場所で」といい、その質問には答えませんでした。都庁のホームページに載せられている会見ビデオにはその後の記録はありません。

こちら →
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/governor/governor/kishakaiken/2017/09/29.html

 そこで、YouTubeをチェックしてみると、その場面が収録されたビデオがアップされていました。その映像を見ると、先ほどのフリーの記者の質問に答え、小池氏は、「排除されないということはございませんで、排除いたします」とにこやかに答えています。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=w89Jxtf86q0
(該当シーンは30:45ごろからの映像です)

 これは、定例記者会見から席を移し、希望の党代表として臨んだ記者会見の席上でした。気持ちが緩んだのか、小池氏はポロッと本音を出してしまいました。おそらく、民進党全員を受け入れる気持ちは最初からなかったのでしょう。人材や選挙資金がどれほど欲しかったとしても、民進党を丸抱えしてしまっては、希望の党の存在意義がなくなってしまいます。そういう気持ちがつい、出てしまったのでしょう。

 この発言についてはその後、批判は出ましたし、希望の党の勢いが減速した原因ともいわれました。でも、私は、新党を立ち上げた小池氏にしてみれば、当然の発言だったと思います。

 この発言に続き、民進党からの移籍希望者に対し、安保、改憲などでの同意が選別基準にされていると報じられました。政党として一緒に行動していくにはこれも必要な作業でしたが、それらの選別条件は「踏み絵」といわれ、これもまた、テレビで何度も放送されました。

 希望の党にとって不幸なことは、党にとって必要な作業であったにもかかわらず、選別作業が「排除」、「踏み絵」といった言葉でレッテル張りされるようになっていったことでした。いずれもネガティブなイメージを喚起する言葉です。

 日本社会ではとくに、この種の言葉は拒否的な感情で人々に受け止められがちです。つまり、ネガティブな訴求力が強い言葉なのです。訴求力が強いからこそ、マスメディアはこれらの言葉を繰り返し、使いました。テレビでいえば、そうすれば、視聴率があがるからでした。その結果、希望の党の勢いが急速にしぼんでいきました。

■小泉進次郎氏と駅前対話@としまえん
「都民の日に、小泉進次郎氏と駅前対話@としまえん」というタイトルで、街頭演説会が行われました。10月1日、自民党の東京第9区支部主催の企画でした。

 9時45分から市民からの質問を受け付け、一定数になれば締め切って、16時30分から回答が行われるという企画でした。市民からの質問に回答するのは、自民党筆頭幹事長の小泉進次郎氏、菅原一秀氏(前衆院議員、9区)、鈴木隼人氏(前衆院議員、10区)の3人でした。

 都民の日、天高く晴れ上がった豊島園駅には、約1500人もの市民が集まりました。こんなに大勢のヒトが豊島園に集まったのを、私は見たことがありません。進次郎氏が到着すると、拍手が起こり、人々は握手を求めてやみませんでした。

 10区の鈴木隼人氏、9区の菅原一秀氏の挨拶の後、進次郎氏の演説が始まりました。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=rlirM4VPPoA

 司会者が進次郎氏の登壇を告げると、観衆から、「いよ!待ってました!」の声がかかります。進次郎氏はまさにアイドルさながら、広場を埋め尽くした観衆に熱狂的に迎え入れられました。進次郎氏もまた、それに応えるように、にこやかに観衆に声掛けしながら、集まった人々を巻き込んでいきます。次第に、穏やかで、和やかな雰囲気が生まれていきました。

 進次郎氏はまず、豊島園で開催されていたコスプレに話題を振って、「希望の党は民進党のコスプレ」と声を張り上げます。待ってましたとばかりに、観衆から、「その通り!」という掛け声があがりました。

 そういえば、小池氏はかつてコスプレで魔法使いのサリーに扮したり、リボンの騎士に扮したことがありました。若者有権者へのアピールのつもりだったのでしょうが、そのイメージ戦略に浅薄なものを感じたことをふと、思い出しました。

■出ても無責任、出なくても無責任
 続けて、進次郎氏は、「今回の選挙は責任対無責任の戦い」だと声をあげます。

「1つ目の無責任は、(小池氏が)出ても出なくても、無責任」といいます。その心は、衆院選に出れば、都政放棄の無責任、出なければ、党をなくして希望の党に集まってきたのに、その代表が出ないことに対する無責任」と、二つの側面から小池氏の政治的無責任を揶揄したのです。見事な言い回しで、進次郎氏は希望の党の弱点を突きました。

 次いで、小池氏を支えてきた若狭勝氏について、話題を向けます。

 若狭氏は当時、民進党から希望の党への移籍希望者の選別作業を行っていました。選別基準の一つは安保法制に賛成かどうかです。ところが、選別作業を行っている若狭氏自身、自民党在籍時には安保法制を否定し、国会を欠席しています。

 若狭氏は自民党員であった当時、安保法制に賛成しなかったのです。細野氏も同様、民進党員であった当時、激しく反対しています。ですから、条件を満たしていないヒトが希望の党の選別作業を担当していることになります。進次郎氏は希望の党が行っている矛盾を的確に指摘し、これを「二つ目の無責任」だと分類したのです。

 三つ目の無責任として、民進党から希望の党に移籍しようとしている人々を指し、「選挙目当てに、いままで言ってきたことと逆のことをいう無責任」と進次郎氏は非難しました。安保法制に反対し、プラカードを掲げて国会で暴れた人々が、安保法制に賛成という条件を呑み、希望の党に入ったことの矛盾を指摘したのです。たしかに、政治家として無責任極まりない行為だということを思い知らされます。

 観衆からは「そうだ!そうだ!」という声があがり、「その通り!」という声も響き渡ります。熱狂の渦に巻き込んだスピーチが終わると、進次郎氏は、市民からの質問に丁寧に答え、政治家として何をしているのか、自民党はどういう姿勢でさまざまな課題に臨んでいるのか、などを説明し、徐々に人々の信頼感を高めていきます。そして最後に、9区の菅原氏、10区の鈴木氏の応援を観衆に訴え、演説会を終えました。

■責任と無責任の戦い
 2017年9月30日~10月1日に実施されたJX調査によると、小池氏への支持率は前回(9月23日から24日実施)に比べ、10%も下がりました。ところが、比例東京ブロックの投票意向先を見ると、希望の党がトップで29%、次いで自民党が28%になっています。この時点ではまだ希望の党への期待が高かったことが示されています。

 希望の党にはまだ勢いがありました。ですから、小泉進次郎氏がスピーチのネタに希望の党を取り上げたのは正解でした。進次郎氏は、今回の衆院選を「責任対無責任の戦い」とネーミングし、希望の党の本質を明らかにし、その矛盾を突いたのです。タイムリーで的確、しかも卓越した語り口のスピーチに、どれほど多くの人々が心打たれたでしょうか。

 街頭演説会の開催場所は、豊島園でした。ここは東京9区の菅原氏の地盤ですが、10区とは隣接しています。その東京10区こそ、かつては希望の党代表の小池氏の地盤であり、今は若狭氏の地盤でもある選挙区でした。いわば希望の党にとっての聖地です。

 自民党にしてみれば、10区を制すれば、希望の党代表の側近を落とすことになりますから、希望の党に相当ダメージを与えることができます。その10区に隣接する9区で、進次郎氏は都民の日、希望の党の本質を突くスピーチを展開しました。10区の鈴木隼人氏も臨席し、挨拶をしました。もちろん、進次郎氏は9区の菅原氏、10区の鈴木への応援を観衆に強く訴えたのです。

 どこまでも広がる青空の下、快い音域の進次郎氏の声が広がって、やがて吸い込まれていきます。

 小池氏とその側近であった若狭氏、そして、希望への移籍を望む民進党議員たちの矛盾とその欺瞞を暴き、それぞれ、無責任だと進次郎氏は指摘しました。そして、今回の衆院選は「責任と無責任との戦い」だと言い放ちました。暗に、責任を持って政権運営をする自民党と、無責任なまま野合したにすぎない希望の党を比較し、どちらを選ぶかを観衆に問うていました。

 そのような暗黙のメッセージを理解したのかどうかわかりませんが、集まった観衆からは「そうだ! そうだ!」の声があがりました。駅前広場には熱気があふれ、人々の間に一体感が広がっていきました。進次郎氏の鋭い一撃が観衆の心を射抜いたのです。

 一方、進次郎氏は、当日寄せられた市民から国政への質問を受け付け、ひとつひとつ丁寧に答えていきました。まるで、責任ある政党はこのように、市民一人一人の声に耳を傾け、政策に反映させていく努力をするものだといわんばかりでした。

 ここでもさり気なく、責任ある政党としての自民党をアピールし、実績もなく選挙目当てで結成された希望の党を比較し、その是非を観衆に問うているかのようでした。

 観衆は進次郎氏の絶妙なスピーチに酔い、一体感をかき立てられていました。晴れ上がった青空の下、魅力的な政治家とともに、日本の今を考え、そして、未来を想像したのです。集まった人々の気持ちがどれほど満たされたことか。画面に映る市民の顔それぞれに満足感が浮かんでいるのを見れば、スピーチの効果がわかります。

 最後に進次郎氏は、並みいる観衆に向かって、ふたたび、9区の菅原氏、10区の鈴木氏の応援を訴えました。絶妙なタイミングで開催された自民党の街頭演説会でした。

■立憲民主党の立ち上げ
 希望の党は各方面にさまざまな波紋を広げていきました。最も深刻な影響を受けたのが、民進党です。民進党代表の前原氏の説明を聞いて、全員、希望の党に移籍できると思っていたのに、希望の党から選別されることが判明しました。彼らが動揺したのは当然のことです。結党の動きが加速していきました。

 10月2日、民進党の枝野幸男氏は都内で記者会見し、新党「立憲民主党」の結成を表明しました。設立メンバーは、行き場を失った民進党の前職、元職、新人で30人前後になると見積もられました。

こちら →
(川上智世氏撮影、2017年10月3日、中日新聞。図をクリックすると、拡大します)

 枝野氏は立憲民主党の基本理念について、「立憲主義、民主主義、自由な社会を守っていく」と述べました。希望の党については、「理念や政策が異なる」とし、希望の党に入れなかった民進党出身者とは「排除せず、共に闘う」と述べました。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=73zkhuPMBHI

 希望党から排除された人々が、いずれは結党して新党を作るだろうとは思っていました。案の定、小池氏の排除発言から3日後、民進党から新たに結党宣言が表明されましたが、いかにもそれらしい党名がすぐに決まったことに私は驚きました。

 東京新聞はこのような一連の動きを整理し、解散表明前の状況と10月3日時点での状況を下図のように整理しています。

こちら →
(2017年10月3日、東京新聞より。図をクリックすると、拡大します)

 民進党が、希望の党、立憲民主党、無所属と3つの勢力に分かれて戦うことが明確になりました。公示日1週間前になってようやく、第48回衆院選の構図が明らかになってきたのです。

■出馬を促される小池氏
 衆院選に出馬するのか、しないのか、明らかにしようとしない小池氏の態度に、批判が集まるようになっていました。小泉進次郎氏がいうように、小池氏は、「出ても無責任、出なくても無責任のジレンマ」に陥っていたのでしょう。まさに、「どちらかの無責任を選択」せざるを得ない状況に追い込まれていたのだと思います。

 こんな記事がありました。

こちら →https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21788920S7A001C1PP8000/

 10月2日夜、政権交代を目指すかと問われ、小池氏は、「基本的にチャレンジャーなので、そこは目指すということ」と答えたというのです。ようやく小池氏は、衆院選に出ることをほのめかしました。

 自民党の菅官房長官は、2日の記者会見で、「国を想うのであれば、(小池氏は)堂々と出馬宣言をして、真正面から政策論争をやっていくことが必要だ」と述べていました。同日夜の発言でしたから、小池氏は菅氏のこの発言を意識していたと思われます。だとすれば、とりあえず、出馬の含みを残した発言をしただけなのかもしれません。

 一方、立憲民主党は活発な動きを見せ始めていました。それなのに実際は、小池氏の出馬はまだ確定したものではありませんでした。民進党の前原氏は強い不安に駆られたのでしょう、小池氏に会見を求めました。

 10月5日、民進党代表の前原誠司氏と会談した小池氏は、改めて、「国政に出ません」と宣言しました。希望の党の代表であるにもかかわらず、小池氏は出馬しないと表明したのです。小池氏は、「二つの無責任」のうち、希望の党に参集した人々に対する無責任の方を選択したことになります。

こちら →
(2017年10月5日、中日新聞より。図をクリックすると、拡大します)

 前原氏の表情が虚ろです。考えもしなかった結果だったのでしょう。

■世論調査の結果
 そもそも、小池氏が希望の党の代表に就くこと自体、世論の賛意は得られていませんでした。

 たとえば、9月30日に明らかにされた緊急全国世論調査(読売新聞実施)の結果によると、「都知事の仕事に専念すべきだ」(62%)がトップで、「党の代表と都知事の兼務を続けるべき」(21%)、「都知事を辞職して、衆院選に立候補すべきだ」(12%)でした。

 このような結果を知ると、小池氏はとても出馬するわけにはいかなかったことがわかります。一方、衆院選で公認候補者を立てず、希望の党から出馬させるとした民進党の方針もまた、世論から評価は得られていませんでした。

 先ほどの世論調査の結果を見ると、前原氏が採った方針を「評価しない」(63%)、「評価する」(24%)でした。さらに、希望の党は「理念や政策が一致できる人だけ受け入れるべき」(79%)、「すべて受け入れるべき」(9%)でした。

 こうしてみると、衆院選を控えて右往左往する前議員たちの動きに踊らされることなく、人々は冷静な判断を下していたことがわかります。そして、公示日前には、一連の政治ショーも、収斂しつつありました。

 マスメディアの興味本位の報道にもかかわらず、有権者はむしろ、日ごろから地道に民意を探り、勉強を重ね、丁寧に政策を説いてきた政党を評価するようになっていったのではないかという気がします。選挙戦が始まり、選挙戦終盤あたりから、与党の優勢が伝えられるようになっていました。結果は自民党の圧勝でした。

こちら →https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22561010S7A021C1MM8000/

 この記事で興味深いのは、「安部政権への批判を強めていた希望は、小池氏が基盤とする東京を含め選挙区で伸び悩んだ。比例でも苦戦し、公示前の57議席に届かなかった」と解説されていることです。

 選挙に強いと思ったからこそ、小池氏の下に馳せ参じた人々は、その希望を無残にも打ち砕かれたのです。「保守改革」の野党として出発した希望の党が、終盤には左派野党と同様のロジックで安部政権の批判を繰り返しました。さまざまなところでブレが目立ちました。民意を得るにはそもそも無理があったのかもしれません。

■投票前日、小泉進次郎氏の街頭演説
 10月21日、15時30分から、小泉進次郎氏の街頭演説が開催されるというので、行ってみることにしました。投票日の前日です。

こちら →

 当日になると、雨が強く降ってきました。一瞬、どうしようかと迷いましたが、投票日前日に進次郎氏の街頭演説を聞くなど、滅多に経験できることではないと思い直し、出かけることにしました。15時ちょっと過ぎぐらいに開催場所に着きましたが、雨の中、すでに大勢の人々が集まっていました。

 駅前の歩道橋には傘をさした人々が並んでいました。

こちら →

 このあたりは、進次郎氏が演説するであろう場所を見るにはちょうどいい場所でした。時間が経つにつれ、混み始め、立錐の余地もないほどになっていきました。

こちら →

 開催時刻に遅れて、進次郎氏が到着しました。アナウンスが聞こえると、まるでアイドルの到着を待ちかねていたように、雨の中、人々の中からざわめきが起こります。進次郎氏も車窓から身を乗り出すようにして、手を振っています。

こちら →

 練馬駅前は東京9区、菅原一秀氏の地盤です。豊島園のときと同様、今回も10区の鈴木隼人氏とともに、まずこの二人が車上で挨拶しました。鈴木氏や菅原氏が演説をしている最中、進次郎氏は観衆に向かってずっと手を振っていました。

こちら →

 いよいよ、進次郎氏の出番です。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=zKgyZtWcXec
(16:36秒ごろから小泉進次郎氏の演説が始まります)

 豊島園の時と同様、まず、観衆への感謝から始まりました。そして、集まった人々を見渡し、具体的に指しながら、感謝していきます。いってみれば、進次郎氏の街頭演説のイントロです。観衆はこのイントロの間に、進次郎氏がちゃんと自分たちをみてくれているという気分になっていきます。進次郎氏は観衆の中から何人かピックアップして話しかけます。そうしていくうちに、しだいに和やかな雰囲気が生まれてきます。

■真の豊かさとは何か
 進次郎氏はこの選挙期間中、北海道から沖縄まで20都道府県、70か所で応援演説をしてきたといいます。各地を回っている間に、真の豊かさとは何か、自民党はどういう政党を目指すべきかを考えさせられたといいます。

 今日は山形からやってきたといい、山形では見渡すかぎり田園が広がり、果物がたわわに実り、そして、川べりでは人々がイモ煮を楽しんでいると語りかけます。一方、東京に帰ってくれば、ビルが林立する中、人々が暮らしをしている。果たして、豊かさとは何かということを考えさせられてしまったというのです。

 経済を担っているのは東京ですが、その食を支えているのは地方です。そして、秋田で有権者から言われたという話を、進次郎氏はしみじみと語ります。

■国民政党への道
 希望の党が「満員電車ゼロ」にする公約を掲げているが、秋田では「満員電車をみてみたい」といわれたというのです。そして、東京では待機児童の解消が問題になっているが、地方では待機する子どもがいないと続けます。具体例をあげながら、人口が減少している地方の実態をなまなましく伝えているのです。

 だから、都会のことだけを考えて国造りをすると、誤るし、地方だけ見ていても、誤る。さまざまな立場の人々の日々の暮らしを支える国造りをしていくことが大切だといい、それには、東京で求められていることは何か、地方で求められていることは何か、両方を考えながら、国造りをしていく必要があると指摘するのです。

 そして、進次郎氏は、自民党が目指すべきはそのような都会と地方の課題を考え、解決していく国民政党への道だと言い切ります。さらに、いまはまだ国造りの道半ばだが、いまのままの自民党でいいとは決して思っていないといい、人々が応援したくなる自民党を作っていきたいと続けます。

 最後に、信頼される国民政党を作っていくには、菅原一秀さんのような兄貴分と、鈴木隼人さんのような同世代の人と連携していく必要があると声をあげます。そして、ぜひ、この二人を応援してほしいと訴え、演説を終えました。惚れ惚れとするほど、見事な演説でした。

 これから池袋に向かうと進次郎氏はいいます。進次郎氏が向かう先は東京10区。希望の党代表の小池氏のかつての地盤であり、いまは側近の若狭氏が継いでいる選挙区です。最後に止めを刺すつもりなのでしょうか。

■東京10区を制した小泉進次郎氏
 10月21日、進次郎氏が練馬駅北口広場から次に向かった先は池袋西口でした。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=OlO–T4NjGU
(2:20ごろから進次郎氏の演説が始まります)

 選挙期間中、進次郎氏は応援演説の最初を池袋で始め、そして、最後も池袋でした。すでに日は落ち、暗闇の中でライトに照らされた進次郎氏は、「感謝に始まり、感謝で終わりたい」といいます。池袋が地盤の小池氏にも感謝をしたいといいました。敵対する相手を非難するのではなく、糾弾するのでもなく、感謝したいというのです。聞いていて、とてもさわやかな気持ちになりました。

 実は進次郎氏は自身、この選挙戦を戦わなければならない身でした。ところが、全国各地の自民党候補者に請われ、その応援に回りました。その中でも突出しているのが、東京10区の鈴木隼人氏でした。初日に始まり、最終日に至るまで、合計4回も、超過密スケジュールを縫って進次郎氏は応援にかけつけました。

 その結果、鈴木隼人氏(40歳)は、希望の党の聖地である東京10区で、小池氏の側近、若狭勝氏(60歳)を破って、当選しました。知名度の低い鈴木隼人氏が小池氏のお膝元で当選したのです。その背景には、本人の努力はもちろんのこと、進次郎氏が4回も応援演説に駆け付けてくれていたことが大きく貢献していたのではないかと思います。

 小泉進次郎氏の応援演説を実際に見てきました。どれも、向かうところ敵なしの強力な応援演説でした。ネット時代のいま、優れた演説はすぐにもネットにアップされ、いつでも見ることができます。改めて政治家にはスピーチ力が不可欠だと感じさせられました。

 第48回衆院選で自民党が圧勝しました。その背後には進次郎氏の政局に合わせたタイミングのいいスピーチ力が大きく貢献していたのではないかと思います。(2017/10/31 香取淳子)

トヨタ社長、中国版SNS“微博”開始:海図なき戦いに向けて

■トヨタとマツダが資本提携へ
 2017年8月4日、トヨタとマツダの両社長が会見し、資本提携すると発表しました。この資本提携を機に、米国に共同で新工場を建設し、世界規模で進むEV(電気自動車)シフトにも対応していくそうです。

こちら →https://jp.reuters.com/article/toyota-mazda-press-conference-idJPKBN1AK1C2

 会見の席上、豊田章男社長は現在の自動車業界について、「海図なき戦いが始まっている」と表現し、注目を集めました。そして、新しい競争相手に対抗するには、「とことん車づくりにこだわらなければならない」といい、そのためにもマツダとの提携に期待していると述べています。

 たしかに、ざっと調べてみただけで、大きな変化が日本のクルマ業界に押し寄せてきていることがわかります。トランプ政権の保護主義的な政策への対応、出遅れたEVシフトへの対応、環境規制への対応、さらには、グーグルなど他業種からの参入への対応、等々。トヨタとマツダが提携せざるをえないほど、自動車業界を取り巻く環境が激変しているのです。

 環境負荷への配慮から、多くの国でEV優遇策が推進されています。仏、英はガソリン車の販売を禁止する方針を打ち出していますし、中国では2018年からさらに規制が厳しくなり、メーカーには一定の割合でEVの販売が義務付けられるようになります。そして、アメリカではEV時代の到来に備え、ガソリン税に代わるマイル税(走行距離に応じて課される)が検討されているといいます。EVへの流れは急速で、すでにEVに舵を切った欧米中のメーカーが、自動運転とEVの組み合わせで日本車のシェアを奪おうとしているのではないかともいわれているほどです。

 もちろん、EVの普及には電力不足を招くリスクも伴います。ですから、効率のいい蓄電池の開発も含めた対応が必要になってくるでしょう。さらに、人工知能との組み合わせを考えれば、所有だけではなく、シェアを含めた利用方法も合わせて考えていく必要があるかもしれません。いずれにせよ、これまでにない対応が迫られているのです。

 日本の自動車業界は圧倒的な優位を維持し続けていると私は思っていましたが、いつの間にか潮流が大きく変わってきているようです。とても個々のメーカだけで対応できるものではなく、日本の基幹産業としての地位を維持するには当然、しっかりとした国家戦略も必要になってくるでしょう。

 世耕経済産業相は4日、閣議後の記者会見で両社の資本提携について問われ、「自動車業界は大きな曲がり角にあり、日本メーカーも戦略を練って具体的行動をとっているのだろう」といい「経産省としても政策に磨きをかけていく必要がある」と述べています(2017年8月4日、日経新聞夕刊)。

 実は、私が豊田章男氏に注目するようになったのは、「中国版SNS“微博”を開始した」というニュースを見たからでした。大企業のトップがなぜ?と不思議な印象を受けたのです。しかも、決して若くはありません。元記事に添付されていたレーサー姿の写真に、奇妙な違和感を抱いたことを覚えています。

ネットで簡単に自動車業界の現状を調べてみて、その背景がわかってきました。発想を大きく変え、可能性のあることにはなんでも挑戦しなければ、その存続が危ぶまれかねないほど、自動車業界はいま、大きな潮流に巻き込まれているのです。

■トヨタ社長、中国版SNS“微博”開始
 8月3日、ヤフーニュースのヘッドラインで「豊田社長、中国でSNSデビュー」というタイトルを見て、驚きました。早速、元記事に当たってみると、2017年8月2日、中国の澎湃新聞がトヨタの章男社長が中国版SNSの“微博”にアカウントを開設したと報じています。

 世界トップメーカーの社長が“微博”デビューをしたのです。これには驚きました。

 記事を読むと、「みなさん、こんにちは。豊田章男です。今日から微博を始めました。みなさんと友達になりたいと思っています」というメッセージとともに、ヘルメットを被ったレーサー姿で笑顔の写真が掲載されています。

 自己紹介の欄には「トヨタ自動車社長、レクサス主席テストドライバー」と書かれています。クルマ好きの中国消費者をメイン・ターゲットにしていることは明らかです。

こちら 
http://finance.sina.com.cn/chanjing/gsnews/2017-08-02/doc-ifyinwmp1485401.shtml

 澎湃新聞の記者はトヨタ中国の広報からのリリース情報として、「今後、中国メディアや皆さんの声に耳を傾けながら、輝かしいときを共有していけることを期待しています」というメッセージを紹介しています。当面は、豊田章男社長がインスタグラムに発表した内容を中国語訳し、微博に掲載していくようです。まずはレクサスのブランド力を高め、中国市場をレクサスの最大市場にしていくため、“微博”の内容もレクサスに特化したものにしていくとしています。

 さて、豊田章男社長が“微博”に投稿したのが2日の午前11時でした。ところが、その日の午後6時にはフォロワーが1万9000人にも達したといいます。そのうち3600人あまりがコメントを寄せていますが、興味深いのは、大多数が「中国でレクサスは作らないで。しっかりとした車を作って」という豊田章男社長へのお願いでした。

 担当記者にもネット民の反応がよほど印象深かったのでしょう、この記事のタイトルは、「豊田章男、微博開始、ネット民はレクサスを国産(中国産)にしないでと要求」でした。中国消費者の自国産への不信感と、その裏返しとしてのレクサス品質に対する絶大な信頼がうかがえます。

■トヨタの「モノづくり」精神への敬愛
 中国市場では、レクサスは一貫して輸入方式で販売されていますから、販売価格には関税が上乗せされています。ですから、中国で生産している他社の車に比べ、明らかに価格面でハンディを負っているのです。高品質であることは確かですが、価格も高いのです。

こちら →http://www.lexus.com.cn/

 レクサスを中国で生産(国産)し、国産車といて販売すれば、はるかに安い価格を設定できます。中国の消費者にとってはその方が明らかに有利になるのですが、それに対して中国のネット民から反対の声があがっているのです。信じられないような不思議な反応でした。そう思って、ネットで調べてみると、興味深い記事を見つけました。

 2017年2月4日付けのサーチナが、「愛国者もひれ伏す日本の匠・・・」というタイトルの記事を発表していました。

 「中国メディア《今天头条》は2日、レクサスの販売台数が4年連続で過去最高を更新、特に中国市場で根強い人気を誇っていると伝えた」というリードに続き、後段の文中で、「国産化(中国で生産)によって現在の高水準の品質コントロールが保てるかどうかが大きな問題だ」と指摘しています。

 そして、レクサスについて《今天头条》は、「”匠の精神”を強調し続けており、日本国内の生産工場で経験豊富な”匠”たちが逐次ハンマーや手を使って欠陥がないかをチェックするという昔ながらの手法を採用し、1台1台完璧な品質を確保している」と説明しているのです。

 こちら →http://news.livedoor.com/article/detail/12631220/

 さらに、Record chinaが発表した記事も見つけました。「<中国人観光客が見た日本>トヨタの工場に驚きの世界!見学ツアーでため息が出た」というタイトルの記事です。

 日本を訪れた中国人観光客はトヨタの工場を見学し、生産現場の物流と混流生産(1本の生産ラインで多車種、少量の車両製造を行う)に驚き、その感想を綴っています。

こちら →http://www.recordchina.co.jp/b159130-s0-c30.html

 このような経験をした中国人が次々と、ネットで紹介していきますから、レクサスの高度な品質については広く知れ渡っているのでしょう。豊田章男社長が微博デビューをした途端に、多数のネット民がアクセスし、「レクサスの国産化(中国で生産)を止めて欲しい」と訴えたことの理由がわかりました。中国の消費者は徹底した品質管理の下で製造される日本製品を敬愛しているのです。
 
■EV市場、中国がシェアトップに
 中国では大気汚染が深刻で、その対策として政府はEVの普及に力を入れています。2011年にはわずか7000台だったのが、2014年以降、急速にEVの販売台数が拡大し、2016年には米国を抜いて中国がEVシェアトップに躍り出ました。中国政府は2020年までEV支援策を継続する方針だそうですから、今後も中国市場での普及拡大は続きそうです。

 富士経済が環境対応車の世界市場について、以下のような結果をまとめました。これを見ると、現在は電気とガソリンのハイブリッド車(HV)が主流ですが、今後はより環境負荷の低いプラグインハイブリッド(PHV)や電気自動車(EV)の市場が拡大すると見込まれています。

こちら →
(http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1706/27/news021.htmlより。図をクリックすると、拡大します)

 このグラフを見ると、EVは2025年以降、急速に拡大し、2035年には現在の13.4倍の630万台になると予測されています。それに反し、現在は主流のHVは2016年比2.5倍の458万台に過ぎません。高速充電への対応、航続距離の延伸など、まだ課題は残っていますが、世界的に見れば、今後、EVが主流になることは明らかなのです。

 もっとも、富士経済によると、日本での2035年のEV市場は36万台にとどまると予測されています。とはいえ、グローバル企業であるトヨタやマツダが手をこまねいているはずがありません。

 実際、2018年以降、中国市場ではEVやPHVなどの環境対応車を一定の割合で販売することを義務付けられるようになります。トヨタが得意としるHVはこれに該当しませんから、なんとしてもEVシフトに着手する必要がありました。ですから、今回のトヨタとマツダの資本提携、業務提携はEV市場への本格的な参入を見据えた対応なのです。

■EV市場ランキング
 三菱自動車がまとめたEV、PHEVの2015年の販売ランキングデータがあります。これを見ると、テスラ(米)がトップでした。さらに、2017年7月の発表を見ても、テスラは2年連続でEVシェア首位でした。このような数字からは、EVへの流れが加速していることがわかります。テスラは、2018年は現在の5倍に当たる年産50万台という拡大計画を掲げているそうです。

 それでは、ランキングに戻りましょう。

 テスラに続いて、日産のリーフ、三菱のアウトランダー、BYD(中)、BMW(独)・・・、となっていますが、このグラフの20位までにトヨタもマツダも入っていません。

こちら →
(https://www.hyogo-mitsubishi.com/news/data20160217153000.htmlより。図をクリックすると拡大します)

 興味深いのは、この20位までのランキングに中国車が8種も入っていることです。これはさきほどもいいましたように、中国では大気汚染がひどく、主な原因が車の排気ガスだとされています。ですから、環境規制がとても厳しく、しかも、EVについては優遇策が採られていますから、必然的に普及が促進されているのです。

 もっとも、中国製のEVが8種もランクインしているからといって、なにも驚くことはありません。海外で評価されて中国製EVの販売数量が多いのではなく、中国で販売された数量だけで、20位内に8種もランクインしているのです。中国では年間、約2500万台もの新車が販売されていますから、販売数でランキングすると、上位にランクされるという結果になるのです。いかに中国での販売量が膨大かがわかるというものでしょう。つまり、トヨタなどEVに出遅れた日本車メーカーも中国市場なら参入余地があるということになります。

 中国政府は2018年以降、新規制を施行し、EVなどの環境対応車の一定割合の販売を義務付けるといわれています。それに備え、トヨタは2019年、規制内容や優遇策を見極めたうえで、中国でEVの量産を始める方針を固めた(2017年7月22日、朝日新聞)と報じられています。

 こうした一連の流れを見てくると、今回、唐突な印象を受けた豊田章男氏の”微博”デビューですが、実は、中国市場でのEV量産化を踏まえた広報活動の一環なのかもしれません。

 はたして中国版SNSの影響力をどの程度、期待できるのでしょうか。

■中国市場を開拓ツールとしてのSNS
 中国における消費者心理について複数回、調査を実施した”accenture”は、中国ではインターネットで商品やサービスの情報を得ることが多いとしながらも、意思決定には職場の同僚や友人、家族などの影響が大きいと結論づけています(accenture『中国の消費者心理をつかむ』より)。とても興味深い知見です。

 同僚、友人、家族などからの情報が意思決定に大きく影響するという特性からは、中国の消費者にはSNSの影響力が大きいのではないかと推察されます。そこでSNSに関する調査結果をみると、「消費者の90%が商品やサービスなどの情報を得るため、微博などのSNSを利用しており、それらの情報を共有することにも積極的だ」とaccentureは指摘しています。このような調査結果からは、中国市場にスムーズに参入し、それなりの効果を挙げるにはSNSを活用するのが最も有効な手段だということがわかります。

 ところで、中国ではネット規制されており、FacebookやTwitterなどは使えません。その代わり、似たような機能を持つものとして、「QQ」、「微信」、「微博」、「人人網」などのSNSがあります。なかでも「微博」の普及は目覚ましく、2017年3月末の時点でアクティブユーザーが3億4000万人に達し、3億2800万人のTwitterを上回りました。

こちら →https://www.bloomberg.co.jp/news/videos/2017-05-31/OQUBAP6JTSF601

 このビデオでレポーターが指摘しているように、微博では必要なときにニュースを見ることもできるし、その他の生活関連の情報を見ることもできます。SNSでありながら、同時にメディアとしての機能も兼ね備えているのです。

 しかも、このレポーターによれば、微博はサービスを中国国内に特化し、海外に出ていくつもりはないといっています。だとすれば、中国市場に向けた情報発信装置としては最も期待できるSNSといえるのかもしれません。

■海図なき戦いに向けて
 8月4日、共同記者会見の席上で豊田章男社長が「海図なき戦い」と表現したように、いま、自動車業界を取り巻く環境が激変しています。環境規制、あるいは、グーグルやマイクロソフト、ソフトバンクといった他業界からの参入が業態を大きく変えようとしています。自動車業界内での提携だけでは対応しきれなくなっているのが、どうやら現状のようです。

こちら →
(日経新聞2017年8月5日、朝刊より。図をクリックすると拡大します)

 上の図を見てもわかるように、自動車業界はいま、同業他社や海外企業だけではなく、他業種とも連携しなければ問題に対応しきてなくなっているのです。

 この共同記者会見で興味深かったのは、トヨタの豊田章男社長の「グーグルなど新しいプレーヤーが現れている。車をコモディティにしたくない」という発言と、マツダの戸外雅道社長の「EVでは将来の予測が難しい。変動にフレキシブルに対応できる体制が必要だ」という発言でした。

 トヨタの社長の発言からは、車への熱い思い、そして、マツダの社長の発言からは、激変する未来に向けた用意周到な思いが見えてきます。両者の発言を見る限り、海図なき戦いにも十分、立ち向かっていけそうな気がします。

 自動車業界が迎えた潮流にはAIによる構造変化が大きく影響しています。ですから、この潮流はおそらく、さまざまな領域にも及んでいくことでしょう。今回の両社の提携が、さまざまな領域での変化への対応に、なんらかの示唆を与えてくれるものであればと思います。(2017/8/6 香取淳子)