ヒト、メディア、社会を考える

10月

次世代医療イノベーション@Hitachi Social Innovation Forum 2018に参加し、考えてみた。

■次世代医療イノベーション
 2018年10月18日と19日、東京国際フォーラムで「Hitachi Social Innovation Forum 2018」が開催されました。さまざまな社会イノベーションにちなんだ特別講演、特別対談、ビジネスセッション、セミナーなどが開催される一方、展示会場では日立が推進する7ジャンルのイノベーションが紹介されていました。

 たとえば、「デジタルとデータが牽引するヘルスケア・イノベーション」の展示コーナーでは、参加者が群がるようにしてスタッフからの説明を聞いていました。

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 展示コーナーを見てから、会場ホールに向かいましたが、途中、階下で参加者たちが展示コーナーを歩き回っているのが見えました。展示会場では興味深い社会イノベーションがいくつも紹介されており、それだけで未来社会の一端を窺い知ることができるような気になります。

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 私は、19日の午後(13:30 ~15:00)開催されるビジネスセッション「データが拓く次世代医療イノベーション」を聞きたくて、このフォーラムに参加しました。

 というのも私は日頃、iPhoneを身につけていますが、それだけで、歩数、距離数、登った階段数、睡眠時間などがわかります。歩数計を持ち歩かず、自分でなんらかの作業をすることもなく、ただ身につけているだけで、それだけのことがわかるのです。ですから、ヘルスのアプリを見て、歩数が少ないときはもっと歩こうという気になります。数字の力は大きく、いつの間にか、一定量の歩数になるまで歩く習慣ができてしまいました。運動が苦手の私にとってはiPhoneが一種の健康管理の役割を果たしてくれているといってもいいでしょう。このような経験がありましたから、このビジネスセッションの「データが拓く次世代イノベーション」というタイトルに引かれたのです。

 このセッションの登壇者は、(株)インテグリティ・ヘルスケア代表取締役・医療法人団鉄祐会理事長の武藤真祐氏、順天堂大学医学部放射線診断教室準教授の隈丸加奈子氏、日立製作所ヘルスケアビジネスユニットCEOの渡部眞也氏、そして、モデレーターは日経BP総研メディカルラボ所長の藤井省吾氏でした。

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 知らないことも多かったので、調べながら、ご紹介していくことにしましょう。

 モデレーターの藤井氏は、2018年は医療が大きく変化する年になるだろうと指摘します。というのも、診療報酬が改訂されたり、「次世代医療基盤法」が施行されたりしたからでした。まず、2018年4月1日に診療報酬が改訂され、オンライン診療報酬が新設されました。

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https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000201789.pdf

 そして、2018年5月11日には「次世代医療基盤法」が施行され、取り扱い業者を規定した上で、匿名化した情報を医療ビッグデータとして扱えるようになりました。

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https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/jisedai_kiban/pdf/h3005_sankou.pdf

 医療でのICT利活用に関する制度が立て続けに整備されたのです。もちろん、施行後の状況を見てガイドラインは毎年改訂されるようですが、この状況を見ると、確かに、2018年は医療変革のエポックメーキングの年になるといっていいのかもしれません。

 それでは、このような現状について、登壇者たちはどのように捉えているのでしょうか。

■ICTとの関わり
 早期にオンライン診療を手掛け、現在、オンライン診療プラットフォーム事業者インテグリティ・ヘルスケア会長でもある武藤氏は、これからの医療システムは、①患者の行動変容を主眼とした治療、②日常生活への早期介入、重症化予防、③患者が参画する医療、といった具合に変化していくといいます。

武藤真祐氏
 武藤氏は、疾病構造の変化に伴い、今後は、患者個人にフォーカスした医療が必要になってくるという立場です。ICTを活用すれば、問診、モニタリング、食事の記録、一元化されたビュー、予約・ビデオチャット、お知らせ機能を介した患者とのコミュニケーション、等々を通して個別対応が可能になり、より的確な疾病管理ができるようになるといいます。つまり、「かかりつけ医」の機能をICTで強化するわけですが、これを1年前に福岡市で実証を開始した結果、実際に治療につなげることができ、予防と治療をつなげる効果も得られたそうです。

隈丸加奈子氏
 隈丸氏は、日本は諸外国に比べ、画像検査は進んでいるが、まだ問題点は数多くあるといいます。たとえば、人口当りの検査機関の多さは世界一なのに、放射線科医は少ないのが現状で、最低でもこの2.09倍は必要なのだそうです。さらに、日本では検査はポジティブに捉えられやすく、ネガティブな側面は見逃されがちになっている。そのせいか、無駄な検査や過剰な検査が多く、身体に悪影響を及ぼしかねない上に、医療費増加の原因になっていると指摘します。

 その解決策として隈丸氏は、画像検査の領域ではAIが進んでいるので、National data baseを構築し、医療者の患者情報へのアクセスを強化することができれば、検査の重複を避け適切で有効な検査ができるようになると提案します。これを推進するには、有効な検査を行った医療者には高い報酬を支払うようにする必要があるといい、AIを介した深い診断には期待がもてると述べます。

渡部眞也氏
 渡部氏は、これからは健康寿命延伸が大きな課題になるとし、データが医療イノベーションを牽引するようになるといいます。たとえば、がんゲノムの場合、がんセンターを中心にデータを収集し、それらのがんゲノムデータを利活用すれば、個別化医療も可能になると指摘します。また、シーケンスコストの下落がゲノム解析をしやすくしたといい、いずれの場合もデータが大きな役割を果たしていることを指摘します。データは医療の安全性向上、診断や検査法の開発、治療薬の開発などさまざまな領域で貢献するようになりますが、使用に際しては、個人情報をどのように匿名化するかが重要だと指摘します。これについてはOpt-in、Opt-outを基準に取り組むようになるだろうといいます。

 さらに、AIロボットは現在、脳ドックにおいてベテラン医師と同等の結果を出しているとし、いかに質のいいデータでdeep-learningにつなげていくかが大切だといいます。ところが、メーカーは学会のデータを使うことはできないので質のデータの利用ができない、データはもっとオープンにし、利活用しやすいようにしてもらいたいといいます。そして、人口500万人のデンマークでは個人データが紐づけされて収集されており、その利活用を通して成果を上げているが、人口1億2000万人の日本でどのように実装していくかが課題だと指摘します。

■課題は何か
 オンライン診療を手掛けてきた武藤氏は、今年新設されたオンライン診療の保険点数が対面診療よりも低く、しかも制約が課せられているので、なかなか導入が進まないといいます。現場でどう使えばわからない、あるいは、誤診への懸念などから厳しい制約が課せられたのだと思われるが、ガイドラインは毎年改訂されるし、ニーズはあるので、オンライン診療は今後、広がっていくと展望します。そして、社会的ニーズの高いオンライン診療を今後、推進していくには、リアルな医療とサイバー医療とのマッチングについて社会実験をし、適切で有効な組み合わせを考えていくのが、今後の課題だといいます。

 渡部氏は、リアルな医療データは利活用によって新しい資源になるが、現実にはいろんな課題があるといいます。まず、データ収集における課題、現段階では匿名で対処しようとしているがまだ議論が必要だといいます。一方、医療現場ではデータが共有されていないことが多く、今後はデータを利活用することのメリットを提示し、現場とメーカーとの距離を縮めていく必要があるといいます。

 隈丸氏は、データ共有化の問題にはシステムの問題、ヒトとヒトとの問題があるとした上で、ビッグデータ前のデータ化の課題については、システムの改善によって解決できるのではないかと指摘します。

■医療イノベーションは健康寿命の延伸に寄与できるのか
 武藤氏は、オンライン診療は予防から治療まで対応できるとし、とくに、ビッグデータを分析すると一定の確率で疾病がどのように発症するかということを確認することができるので、患者に対して説得力のある治療方法を提示できるし、個別にアドバイスできるので適切な予防や治療ができるといいます。

 隈丸氏は、AIによる画像診断には、①検査の診断精度の向上に寄与、②画像診断をベースとした早期診断が可能、③現在は特化型AIだが、多機能型AIを開発できれば、さらに有効な診断が可能、等々のメリットがあることを指摘し、AIが果たす役割に期待できるといいます。

 渡部氏は今後、健康増進、予防、治療などに総合的に対応していく必要があるとし、地域包括ケアの重要性を指摘します。その基盤になるのが情報の共有なので、家庭でも健康づくりができるといいます。たとえば、バイタルセンサーを通して生活の中から情報が得られる仕組み、それをセンターに送信して処置がフィードバックされれば、住居が健康をつくるツールとして考えることもできます。各所から収集されたビッグデータにはヘルスキュレーターを置いて、新しい発見があれば、その都度、公開していくのが望ましく、医療ビッグデータは国民の共通財産として取り組む必要があるといいます。

 最後に、登壇者3人から医療イノベーションについてのコメントが述べられました。

 武藤氏は「既存の医学が病院の外に開放されつつあり、患者の望むケアが可能になる時代になりつつある」とし、隈丸氏は「適切な検査利用のためのデータ利活用を推進し、企業やさまざまなプレイヤーとデータを共有し、よりよい出口戦略をめざす」とし、渡部氏は「データにはステークホルダーが多いが、議論しながら実装していくこと、現場の課題を踏まえスタートすることが必要」と述べられました。

 登壇者はそれぞれ最先端で、オンライン診療、AIを活用した検査、ビッグデータを活用した包括ケアに取り組んでおられました。それだけに指摘されたポイントはなるほどと合点がいくものばかりでした。

■社会ニーズと行政
 総務省は「Society5.0に向けた戦略分野」として「健康寿命の延伸」をトップに掲げ、以下のような医療ICT政策を起案しています。

こちら →http://www.soumu.go.jp/main_content/000518773.pdf

 今回のセッションは、「技術革新を活用し、健康管理と病気・介護予防、自立支援に軸足を置いた 新しい健康・医療・介護システムの構築」を目指して実践する方々を登壇者に迎えて展開されました。医療機関、大学、メーカーの立場からそれぞれ、現状を踏まえた論点が提供されたのがよかったと思います。登壇者のお話をうかがいながら、「産学官民が一体となって健康維持・増進の取組」の一端が見えてきたような気がしました。

 ところが、10月20日の日経新聞で、「オンライン診療導入1%どまり」という見出しの記事を目にしました。4月に保険適用が始まったのに、半年を経た現在、オンライン診療の導入が進んでいないという内容の記事でした。医療機関全体の1%ほどしかオンライン診療の届け出を提出していないというのです。

 記事では、保険適用になったのに導入が進まない理由として、厚生労働省がオンライン診療の対象者として糖尿病などの慢性疾患に限定し、オンライン診療にすれば便利になると思われる病気の患者を対象から外したからだとしています。

 オンラインで保険診療が可能になる病気と、保険適用にはならないが、オンライン診療が有効だとされている病気は、以下の通りです。

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(図をクリックすると、拡大します。日経新聞2018年10月20日付)

 2015年8月以来、事実上認められてきた病気のオンライン診療も、2018年4月のオンライン診療の保険適用新設に際して扱いが区別され、上記のような慢性疾患だけに限定されました。対象外となった疾患の患者はがっかりしていると記事には書かれています。それだけではありません。オンライン診療でも最初の診療は対面診療が義務付けられ、対象は原則として約30分以内に通院できる患者に限定されました。オンライン診療は対面診療の補完的な位置づけでしかないことが明らかになったのです。しかも、診療報酬は対面よりも安価です。これでは医療機関の意欲を削ぐのも当然でしょう。

 保険適用を新設し、オンライン診療に向けて制度整備をしたはずなのに、施行後半年を経て、すでに取り組んでいた医療機関でもオンライン診療を取りやめるケースが増えてきているそうです。運用ルールが細かく指定され、手軽に受診できることが利点のはずのオンライン診療がニーズのある人に利用してもらえないという矛盾が出てきているのです。

 シードプランニングによる市場予測では、今後2025年までに急速に伸びるのが保険適用のオンライン診療と自由診療のオンライン診療だと予測されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。
https://www.seedplanning.co.jp/press/2018/2018072501.htmlより)

 2025年には団塊の世代が後期高齢者になり、高齢人口が増えるとともに、医療費も増大します。

こちら →
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/dl/link1-1.pdf

 2025年といえば後わずか7年後、いまのままの医療体制で対応しきれるのでしょうか。この図を見ていると、シードプランニングが予測しているように、保険診療であれ、自由診療であれ、今後、オンラインが急増するのは当然だという気がしてきました。AIを活用した予防、治療をはじめ、医療現場のニーズに対応したさまざまなイノベーションが立ち上がってくる必要があるでしょう。

 行政はむしろ医療イノベーションを積極的に後押しする覚悟で臨む必要があるのでしょうが、今年4月、5月に行政によって制度整備された枠組みはそれとは逆に水を差すようなものでした。先ほどご紹介した日経新聞の記事によれば、オンライン診療を取り止めたケースもみられるといいます。

 私は日頃、スマホで健康管理ができるのを有難く思っています。それで、今回のセッションに参加したのですが、登壇者のお話を聞いて、産官学でさまざまな医療イノベーションが実践されていることを知り、頼もしく思いました。帰宅し、いろいろ調べた結果、人口構成の面でも技術革新の面でも現在、大きな変革期を迎えていることがわかりました。さまざまなデータを見ているうちに、高齢人口の増大がもたらす社会的デメリットは、きっと技術革新によって解消できるはずだと思うようになりました。

 高齢先進国日本がどのように高齢化のもたらす課題に対応していくか、その模索の過程で発見したさまざまな知見はそのまま世界のモデルになっていくでしょう。すでに大勢のヒトが医療イノベーションに取り組んでおられると思いますが、社会的課題の解決が今度の大きなビジネスにもなることを思えば、AIの活用、ICTの活用等による斬新なアイデアの芽を摘まないように、適切な制度整備をしていく必要があるのではないかという気がしました。(2018/10/22 香取淳子)

「ルーベンス展」に見る、生、老、死

■ルーベンス展の開催
 国立西洋美術館でいま、ルーベンス展が開催されています。開催期間は2018年10月16日から2019年1月20日までですが、友達に誘われ、10月18日に行ってきました。会場には第1から第7までのコーナーが設けられ、ベルギー生まれのルーベンスがいかにイタリアの美術作品から着想を得たのか、あるいは影響を与えたのか、といった観点から展覧会が構成されていました。

こちら →http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2018rubens.html

 ルーベンス(Peter Paul Rubens、1577-1640)は、ベルギーのアントウェルペンという町で工房を持ち、制作活動をしていましたが、若いころ数年間イタリアに滞在し、古代彫刻やルネッサンス期の美術、カラバッジョらの美術の影響を受けて、自身の表現技法を確立したといわれています。ですから、この会場にはルーベンスの作品や古代美術、イタリアの画家たちの作品など、計70点が展示されていましたが、必ずしも年代順に展示されていたわけではありません。

 さて、「ルーベンスの世界」と題された第1コーナーでは、「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」(1615-16年)、「眠るふたりの子供」(1612-13年)といった見覚えのある作品が展示されていました。どちらも国立西洋美術館の常設展で見たように記憶していたのですが、どういうわけか、「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」の方はリヒテンシュタイン侯爵家のコレクションになっていました。

■子供の顔
 常設展ではじめて、この「眠るふたりの子供」を見たとき、そのあどけなさに引き込まれ、しばらく見入ってしまったことを思い出します。今回、改めて見て、子供の情景が的確に捉えられ、その本質が完璧なまでに表現されていることに感心しました。

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(図をクリックすると、拡大します。国立西洋美術館蔵)

 赤味のある頬からは温かな体温が感じられますし、半開きの口からは微かな寝息すら聞こえてきそうです。無心に眠る二人の子供たちの表情はいずれも、誰もがいつか、どこかで見たことがあるような子供の寝姿です。この作品には、子供だからこそ放つことができる生の豊かな一側面が捉えられているといえます。

 子供がふとした瞬間に見せる微妙な表情を見事に捉えているのが、「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。リヒテンシュタイン侯爵家蔵)

 赤味のある頬と柔らかくきめ細かな肌からは、生き生きとした子供の生命力が感じられます。正面を見据えた目、きりっと結んだ口元が印象的です。聡明で、明朗快活な子供なのでしょう。いまにも画面から話しかけてきそうです。

 第一コーナー「ルーベンスの世界」で取り上げられていた作品は7点、そのうち5点がルーベンスの作品で、3点が子供を描いた作品でした。上記2点と「幼児イエスと洗礼者聖ヨハネ」(1625-28年)です。いずれも子供の生き生きとした表情が余すところなく捉えられ、輝くような色彩で表現されているのが共通しています。

 生命の輝きが豊かな色彩、動きのある構図で描かれており、生を讃える情感が溢れています。ルーベンスが描いた多数の作品の中でもとくにこれらの作品は、「バロックの誕生」にふさわしいといえるでしょう。

■高齢者の顔
 第2コーナーで印象に残ったのが、「老人の頭部」(1609年頃)です。63.5×50.2㎝の比較的小さな作品だとはいえ、有名人でもない一般の高齢者の横顔を題材としています。それが珍しく、印象に残りました。

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(図をクリックすると、拡大します。エルミタージュ美術館蔵)

 精密に高齢者の横顔が描かれています。髭と頭髪に覆われていますが、目の周辺の描き方から、顔面の物憂げな表情を容易に想像することができます。

 おそらく同じ人物なのでしょう、正面を向いた「髭をはやした男の頭部」(1609年頃)というタイトルの作品も展示されていました。こちらも髭や髪の毛が丁寧に描かれており、正面を向いた男は横顔から予想された通り、哀感が漂っていました。取り立ててドラマティックなわけではないのですが、顔面の表情を克明に描くことによってその内面が深く描出されており、心打たれます。

 このコーナーでは「毛皮を着た若い女性」(1629-30年頃)など女性を描いた作品も展示されていましたが、生き生きとした躍動感は感じられませんでした。丁寧に描かれてはいるのですが、類型的な描き方に終始しているように思えたのです。

 圧倒的な存在感を感じさせられたのが、「セネカの死」(1615-1616年)でした。

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(図をクリックすると、拡大します。プラド美術館蔵)

 調べてみると、ネロから自殺を強要されたセネカはドクニンジンを飲んでも死にきれず、終には、静脈を切り、血を流れやすくするために湯を張った盥に身を沈めたといわれています。この作品は、今まさに身を沈めようとしているシーンを描いたものです。天を見上げる視線や半開きになった口元には、死に際の苦悩が表現されている一方、死に臨んでも哲学者らしく冷静沈着に振舞おうとするセネカの精神力が見事に描かれています。

 目の表情、口元、皺、肌のたるみ具合など、年齢を重ね、知性を醸成してきた顔が精緻に描かれています。さらに、身体は筋肉隆々の頑健さが強調して描かれており、強靭な生命力が宿っていることが示されています。それにもかかわらず、暴君ネロによって無残にもその生命が終わらせられようとしているのです。セネカの無念さがひしひしと伝わってきます。

 会場でルーベンスの作品を次々と見ていくうちに、脇役ですら高齢者の顔が表情豊かに捉えられていることに気づきます。

 たとえば、「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」(1615-1616年)という作品があります。

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(図をクリックすると、拡大します。リヒテンシュタイン侯爵家蔵)

 この作品で私が強く印象付けられたのが、老婆の顔です。若く美しい裸身の女性たちの中にいて、一人だけ暗い色調の衣服をまとい、顔を正面に向けています。裸体で描かれた娘たちや子供は輝くような肌色で描かれ、弾けるような若さが表現されています。一見、華やかなのですが、女性や子供はどちらかといえば類型的に描かれ、ポーズも固まっています。

 ところが、背後からぬっと顔を出すようにして描かれたこの老婆は奇妙な存在感を放っています。若くもなければ美しくもない、歯牙にもかけられない存在のように見えるのに、この作品でもっとも存在感を感じるのがこの老婆でした。それはおそらく、この顔がリアルに表情豊かに描かれているからでしょう。老婆の表情からは先ほどご紹介した、死に臨んだセネカのような崇高な知性すら感じさせられました。

■キリスト哀悼
 第3コーナーには「英雄としての聖人たち」とタイトルが付けられており、関連する諸作品が展示されていました。その中で印象に残ったのが、「キリスト哀悼」(1601-02年)という作品でした。

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(図をクリックすると、拡大します。ボルゲーゼ美術館蔵)

 会場でこの作品を見たとき、よくある宗教画だという印象しかありませんでした。人体の骨格の描き方はリアリティに欠け、キリストの周りを取り巻く人々の表情もバラバラでぎこちなく、統一感がありません。ですから、さっと見ただけでスルーしたのですが、次に、同じタイトルの作品(1612年頃)を見た瞬間、強い衝撃を受けました。

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(図をクリックすると、拡大します。リヒテンシュタイン侯爵家蔵)

 まず視線を引き付けられるのが、血の気を失ったキリストの顔色です。そのまま視線を下方にずらすと、足もまた同じように青味がかった色で表現されています。息絶えて血が通わなくなって、少しずつ身体が変化し、すでに硬直し始めているのでしょうか。ただ、上半身にはまだやや赤味が残っています。おそらく、死後それほど時間が経っていないときの状況なのでしょう。人体を生物学的に理解し、構造学的な視点も取り込みながら描かれているせいか、ぞっとするほどのリアリティがありました。

 次に気になったのが、キリストの頭部を抱きかかえるようにして、右手で額に刺さった棘のようなものを抜き、左手で片方の目を閉じさせようとしているマリアの姿です。キリストと同じように土気色の肌をしていますが、こちらの肌色には深い悲しみが表現されています。キリストを見つめる視線、そして、軽く閉じられた口元からは慈しみの情が溢れており、見る者の気持ちを打ちます。
 
 キリストの身体は画面の対角線上に置かれ、上部と右上半分に悲しみに浸る人々が配置されています。頭部周辺にはマリアと使徒、周辺には信徒といった具合にレイアウトされており、それぞれのキリストとの関係性が示されています。

 キリストの身体に寄り添う人々の輪の外側に、一人の若い女性が泣きはらした顔を天に向けています。半開きの口、茫然とした表情をのぞかせています。あまりにも強い悲しみで、彼女は一時、感情を失っているようにも見えます。キリストの傍らにいて、気丈にもキリストの苦しみを取り除こうとしているマリアの姿とは対比的に描かれています。

 キリストが昇天しようとしているとき、取り巻く人々はそれぞれ独特の姿勢で、その死に際に向き合い、深い悲しみを表現しています。各人各様の祈りのスタイルが丁寧に描き分けられており、キリストの死を巡る哀悼の刻が見事に表現されています。人々の感情が凝縮された濃密な時間が、リアリティ豊かに画面から伝わってきます。

■ローマの慈愛(キモンとペロ)
 第7コーナーで展示されていた衝撃的な作品があります。「ローマの慈愛(キモンとペロ)」(1610-12年)です。

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(図をクリックすると、拡大します。エルミタージュ美術館蔵)

 まず題材とその構図に驚いてしまいました。見た瞬間、エロティックなピンナップに見えてしまったからでした。これまで美術館でこのような絵柄は見たことがないと思いながらも、よく見てみると、若い女性の顔は慈愛に溢れ、老いた男性は瀕死の状態で判断力も失っているようでした。これではとてもピンナップとはいえません。

 そうはいっても気になったので、帰宅してから調べてみました。すると、この作品は歴史家ワレリウス・マキシムの著『忘れざる行為の9冊の書とローマ人の言葉』に書かれた物語に基づいて描かれ、父親に対する娘の献身的な愛が象徴的に表現されているといわれているようでした。

こちら →http://mementmori-art.com/archives/24650902.html
 
 上記の記事には、同じ物語を題材に描かれた15の作品が紹介されていますが、諸作品の中ではルーベンスのこの作品がもっとも美しく、説得力が感じられます。

 心配そうな表情で父親を見守る娘の表情がなんともいえず穏やかで、まるで母親が子供を包み込むような深い愛情がひしひしと伝わってきます。一方、衰弱しきった父親はすでに判断力を失っているのか、虚ろな目をして乳首に口を寄せています。娘と父親という立場がこの場面では救おうとする者と救われようとする者とに逆転しているのです。

 この作品からは、死線を彷徨っているときはもはや娘でも父親でもなく、ヒトとしての根源的な愛が表出してくるのだということが示されています。一見、エロティックに見える絵柄から、家族愛を超えた深い愛がほのかに見えて、実に感動的でした。

■ルーベンスの作品に見る、生、老い、死
 会場で70点ほどのルーベンスの作品を鑑賞しましたが、私が強く印象付けられたのは、上記でご紹介した諸作品でした。無心のあどけなさでヒトを魅了する子供の顔。老いが刻印されながらも知性が滲み出ている高齢者の顔。そして、愛する者、尊敬する者の死を前にした人々の顔。いずれも単なる顔付きや態度が描かれているだけではなく、その背後に潜む気持ちや精神のありようまでもが表現されており、気持ちを揺さぶられました。

 会場には、『人間観相学について』という書物なども展示されており、ルーベンスがヒトを観相学の観点から捉えていたこともわかりました。顔や人体を的確に描くには、骨相学、観相学の知識が必要なのでしょう。ルーベンスを展覧会で見るのは今回が初めてでしたが、ヒトを身心の観点から捉えようとしている姿勢が明確で、とても考えさせられました。時代を超えて生き続ける画家の作品には、ヒトに対する理解が深いのだということが実感されました。(2018/10/19 香取淳子)