ヒト、メディア、社会を考える

教育

新型コロナウイルスが露呈した日本の義務教育

■緊急事態宣言

 安倍首相は2020年4月7日、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象に緊急事態宣言を発令すると発表しました。爆発的な感染の拡大や医療崩壊を防ぐには、外出の自粛などを徹底する必要があると判断したためで、この宣言の効力は4月8日の午前0時から5月6日までといいます。

 教育に関していえば、東京都はすでに2020年4月1日、都立高校の休校措置を5月6日まで延長すると発表していました。それに伴い、小中学校を所管する市区町村に対しても、休校の延長およびITを活用した学習支援への対応を要請していました。

このように、緊急事態宣言以前に、小中高の休校期間が5月6日まで延長されていましたから、別段、驚きはしませんでしたが、果たして、子どもたちの教育はどうなっているのか、とても気になりました。というのも、3月2日に全国の小中高が一斉に臨時休校に入ってから2か月間も、子どもたちは教育を受けることができないからでした。

 2020年2月27日、安倍首相は全国の小中高に対し、3月2日から一斉に、臨時休校を要請しました。ですから、今回、非常事態宣言を発令された都市の子どもたちは、2か月間も学校に通わないことになるのです。春休みを挟んでいるとはいえ、

 それにしても、3月2日、全国一斉に出された休校要請は唐突でした。

当時、日本はそれほど感染が広がっていませんでした。高齢者や基礎疾患のある人が多く感染しており、子どもへの感染は北海道以外、報告されていなかったはずです。それだけに、なぜ、安倍首相が感染対策として真っ先に、全国一斉に小中高の休校を要請するのか、私にはまったく理解することができませんでした。

子どもたちの感染率、その感染経路を明らかにしたうえで、一斉休校の措置をとるのならまだしも、そのような事実を踏まえた措置というわけではありませんでした。しかも、事前に対応策を練り上げないまま、突如、一斉休校が要請されたのです。

受験シーズンでしたから、動揺した子どもたちもいたことでしょう。なにより、共働きの家庭、ひとり親家庭の子どもたちは休校期間中、どこで、何をして、過ごすのでしょうか。その後、休校をいいことに、盛り場に出かけたり、ゲームセンター、カラオケなどに出向く中高生もいましたから、かえって、感染の機会を与えたようなものでした。

 果たして、感染症対策本部の基本方針はどうなっていたのでしょうか。

■2月25日に決定された、感染症対策の基本方針

 新型コロナウイルス感染症対策本部が、2020年2月25日に決定した基本方針は、以下のようなものでした。

こちら → https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000599698.pdf

 これを読むと、全国一斉休校をしなければならないほど、子どもへの感染が心配されていたわけではありませんでした。

 感染症に対して現時点で本部が把握していることとして、「飛沫感染、接触感染であり、空気感染は起きていない」、感染力は様々であり、罹患しても軽症であったり、治癒する例も多いとしながらも、「高齢者、基礎疾患を有する者では重症化するリスクが高い」と記されています。対症療法が中心で、感染しても軽症が多く、多くの事例で感染力も低いことが示されています。子どもについてはなんら言及されていません。

 感染拡大防止策として、現行は、「患者クラスターに関係する施設の休業やイベントの自粛」、「高齢者施設等の施設内感染対策を徹底」、「公共交通機関等、多数の人の集まる施設における感染対策を徹底」とされています。そして、今後は、「外出の自粛、患者クラスターへの対応を継続、強化」、「学校等における感染対策の方針の提示及び学校等の臨時休業等の適切な実施に関して都道府県等から設置者等に要請」とされていました(pp.5-6)。子どもに関する事柄といえば、今後、休校もありうるという程度のものでした。

 この基本方針を読む限り、子どもへの感染が心配されるような記述は見られませんでした。ところが、基本方針決定の2日後の27日、全国の小中高の一斉休校が発表されました。この時点で一斉休校の必然性があったのかどうかわかりませんが、大きなインパクトがあったことは確かです。

 それでは、2月28日に開催された文部科学大臣の臨時記者会見の様子を見てみましょう。

こちら → https://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/mext_00039.html

 記者から次のような興味深い質問が寄せられています。

「今段階、感染経路として学校がない状況で、休業することの効果、これについていかがお考えなのかということと、優先順位として、学校が最初だったという必要があったのでしょうか。もっと別のことが普通はあったと思うんですけど、政府内の検討というのはいかがだったんでしょうか」

 これに対し、萩生田光一文部科学大臣は次のように答えています。

「現段階では、学校での集団感染などは確認をされておりません。しかしながらここ数日間、学校関係者による罹患者が確認をされております。日頃から、児童生徒あるいは先生方が集団的な活動をする学校の場合は、これはこのコロナウイルスに限らずですね、やはり一斉に拡大する可能性が極めて高い場所だということを専門家の皆さんからも常々指摘をされてまいりました。(中略)万が一、学校でこのような事態が起これば、本当に児童生徒の生命健康を守ることができない事態になりかねない、こういう判断の中で学校、まず最初学校といいますか、子供たちの集まる学校施設をまず先に、という決断に至りました」

 このやり取りをみてもわかるように、子どもたちにまだ感染者がいない段階で、予防的措置として採られたのが全国一斉休校でした。この決定に違和感を覚えた人も多かったでしょうが、国内外の人々に大きなインパクトを与えたことも確かでした。

 国外に対しては、日本政府が果敢に新型コロナウイルス対策をしているという印象を与え、国内では、過剰に思えるほどの対応で新型コロナウイルスに対する警戒を喚起しました。その結果、子どもや保護者の生活、教育現場、教育業界へのしわ寄せ等々、さまざまな影響を引き起こしています。

 長期にわたる休校で、とくに気になるのが、義務教育課程の子どもたちへの影響です。文科省は義務教育に関し、どのような対策をとっているのでしょうか。

■文科省の対策

 新型コロナウイルスに対する文科省の対策は下記のHPにまとめられています。

こちら → https://www.mext.go.jp/a_menu/coronavirus/index.html

 教育コンテンツとしては、次のようなページが設定されています。

こちら → https://www.mext.go.jp/a_menu/ikusei/gakusyushien/mext_00460.html

 経産省、NHK、徳島教育委員会、文科省などが制作したさまざまなコンテンツがありますが、学校教育の代替となるコンテンツとは言い難く、これだけでは休校中の教育を補完することはできないでしょう。提供されたコンテンツをいろいろ見ていくと、もっとも適しているのが、NHKの教育番組だということがわかります。

こちら → https://www.nhk.or.jp/school/program/

 学年ごと、教科ごとにコンテンツが用意されており、これなら自宅学習の教材にふさわしいでしょう。これらのコンテンツを使った学習方法も紹介されています。

こちら → https://www.nhk.or.jp/school/ouchi/

 学習を進めるには、①ノートを用意、②インターネットでこのサイトにアクセス、③番組タイトルをもとに内容を予測、④番組を見る、⑤どんな番組だったか内容をノートにまとめる、⑥ノートを見せながら、誰かに話す、といった学習手順が推奨されていました。

 この通り実行すれば、おそらく、学習効果もある程度、期待できるのでしょう。それには保護者がある程度、関わっていくことが条件となります。

■一定の教育効果を果たしたTV幼児番組

 思い出すのが、『セサミストリート』というアメリカの幼児教育番組です。放送開始されたのが、1969年ですから、もう50年も前の番組です。

こちら → https://www.sesameworkshop.org/

 以前、私はこの番組について調べたことがあります。ジョンソン政権時に「ヘッドスタート」計画の一環として、幼児教育のために開発されたのが、この番組でした。幼児教育、発達心理学などの学者が参加し、年代に合わせ、必要な知識や技能を習得できるような工夫がされています。その一端をご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/BNNcpAcF0GM

 ビッグバードなどのキャラクターに引き付けられ、面白がって番組を見ていれば、自然にアルファベットを覚え、数字を理解し、日常生活のモラルを身につけられるというのが、この番組のセールスポイントでした。

 多くの学者がこの番組の視聴効果について研究しています。3歳児から5歳児までの子どもを対象にした調査結果では、どの年齢層の子どもも保護者とともに視聴した場合、継続的に視聴し続けた場合に学習効果が上がったことが報告されています。

 この番組では何よりも子どもたちが積極的に番組を視聴してくれることを重視していました。ですから、子どもたちの好きそうなぬいぐるみを番組進行のキャラクターとして設定し、1分以下の身近なセグメントにまとめられたアニメーションや歌、動画などに教育目標を盛り込み、制作されていました。

 その後、このような細かくセグメント化した制作手法は子どもたちの学習能力を高めないという見解をもつ人々が批判するようになりましたが、1960年代から1980年代ぐらいまでの間、教育環境に恵まれない幼児にとって学習効果を上げてきたことも事実です。

 もっとも、先ほどもいいましたように、親か保護者がともに視聴し、番組内容について語り合うというのが条件でした。子どもにただ、見せっぱなしにしているのではそれほど効果が期待できないというのです。

 NHKが学習方法を紹介しているように、番組をただ視聴するだけではなく、その内容について子どもがノートに書き留め、番組内容について誰かと話したりすると、学習効果が期待できるということになります。

■感染回避、授業の遅れをどうするか

 ブルック・オークシャー(Brooke Auxier)は、ピュー・リサーチ・センターの調査結果に基づき、教育における格差を指摘しています。

こちら → https://www.pewresearch.org/fact-tank/2020/03/16/as-schools-close-due-to-the-coronavirus-some-u-s-students-face-a-digital-homework-gap/

 新型コロナウイルスで休校になった子どもたちは、家庭学習においてデジタルギャップに直面しているというのです。自宅学習にインターネットを毎日あるいはほぼ毎日利用する13~14歳の子どもは58%、インターネットを学習に利用したことはないという子どもは6%だったといいます。これは居住する地域特性や両親の学習レベル、人種、収入などと相関しており、子どもたちの家庭学習には明らかな差異が見られるというのです。

 休校だからそのまま家庭学習に任せておけばいいということにはならず、学校教育が行われないこの期間に、子どもたちの学習レベルに差異が拡大するということになります。日本ではまだそのような調査結果はありませんが、学校再開後、学習能力の差異は拡大しているかもしれません。

 公立の小学校に通っている子どもは、始業式にプリントを渡された程度だったようですが、私立の小学校に通っている子どもは、ほぼ毎日、学校からオンラインで教材が送られており、保護者が先生の代わりになって学習をさせているようです。

 休校期間が長引けば長引くほど、通っている学校の違い、保護者の支援などで子どもたちの学習能力に差がつくことは明白です。自分で教材を選んだり、学習予定を組んだりすることができない小学生の場合、とくに家庭環境に違いが学習環境に違いとなってくるでしょう。

 小学生の場合、まだ先生か保護者の支援が必要ですから、休校の場合はオンライン学習と気軽にいってしまえない事情があります。このことは、たとえ、オンライン教育のための技術的な環境整備ができたとしても、今後の課題として認識しておく必要があるでしょう。

■日本のICT教育の遅れ

 2020年4月17日の日経新聞に、「ICT教育、海外に後れ」というタイトルの記事が掲載されました。読むと、2019年時点でのパソコン配備は小中学生5.4人に1台にとどまるといいます。

 さらに、2018年OECDの調査によると、1週間の数学の授業で「デジタル機器を利用しない」という日本の生徒の割合は89%で、加盟国平均の55%を大きく上回っています。OECDの加盟国は36ヵ国で、メキシコやチリ、トルコといった新興国も加盟しています。その平均値よりはるかに高く、日本では89%もの生徒がデジタル機器を利用しないと回答しているのです。

 先進国だと思っていた日本の義務教育が、なんとも嘆かわしい状況に置かれていることが露呈しました。

 てっきりインフラ整備の不備のせいだと思っていたのですが、著作権法に」阻まれて教科書のデータをインターネットに公開するのが難しいからだそうです。

 さらに、嘆かわしいことに、教員のITスキル不足が関係しているといいます。ICTを課題や学級活動で活用している日本の中学教員の割合は17.9%で、調査対象国48ヵ国・地域の中で下から2番目だというのです。


(日経新聞2019年6月19日より)

 上図を見ると、一目瞭然です。とくに中学校でICT教育がおざなりになっているのが心配です。これでも、前回より8.0ポイント上昇したというのですから、驚きです。ICT時代といわれながら、これまで日本の義務教育の現場では、なんらICTが活用されていなかったことになります。

 そればかりではありません。創造力や批判的思考力を鍛える指導でも、日本は劣っているというのです。

 「明らかな解法が存在しない課題を提示する」指導を頻繁に行っている中学教員の割合は平均37.5%に対し日本は16.1%でした。また、「批判的に考える必要がある課題を与える」指導では、加盟国平均61.0%に対し、日本は12.6%でした(※ 日経新聞2019年6月19日)。

 とくにクリティカルに考える思考力が鍛えられていないようです。今後、論理的思考能力が重要になる時代に、子どもたちは生きていきます。この子どもたちが義務教育の課程でその能力が鍛えられないとすれば、果たして、いつその能力を獲得できるのでしょうか。

 日本の義務教育では、ICTインフラ、教科書、教員、いずれをとっても、諸国に比べ、圧倒的に劣っているのです。一体、なぜ、ここまで放置されてきたのでしょうか。

 もちろん、教員や子どもばかりを責めることはできません。創造力や批判的思考力を阻む社会的圧力が日本社会に潜んでいることも影響しているでしょうし、競争を嫌う社会風潮も関係しているかもしれません。

 新型コロナウイルスを契機に今後、世界中が新たな社会に変貌していくことになるでしょう。子どもたちは、否応なく、ICTを駆使する力、創造力、批判的思考力を育てていく必要があります。

 日本の義務教育にいったい何が必要なのでしょうか。

 子どもたちの幸せのために、将来の動向を見据えたうえで、基本方針を練り直し、必要な教育を着実に実践していくことがなによりも大切だと思いました。(2020/4/21 香取淳子)

大学入試に「情報科目」導入、学びの現場はどうなるか。

■「第9回教育ITソリューションEXPO、第1回学校施設・サービス展」の開催
 2018年5月16日から18日まで、東京ビッグサイトの西ホールで、「第9回教育ITソリューションEXPO、第1回学校施設・サービス展」が開催されました。

 激変する社会状況の中で、未来の教育はどうあるべきか。喫緊の課題を巡って、教育業界、関連機器業界の人々が集い、交流する場が設けられたのです。会場では次世代の教育に向けた機器やサービスが種々、展示されており、それらについて説明を聞くこともできれば、体験することもできます。貴重な機会だと思いました。

 私は事前に、主催者からVIP招待状を送付されていました。案内リーフレットにざっと目を通し、教育を巡る最新動向を知るには、絶好のチャンスだと思いました。そこで、興味のあるセミナーに申し込みをし、16日の午後と17日の午後、セミナーと展示会に参加しました。

 16日昼頃、ゆりかもめの国際展示場正門前で下車すると、人々は続々とビッグサイトに向かっていきます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 会場に入ると、すでに受け付け前には参加者が多数、並んでいました。受付を済ませると、カテゴリー別の入場バッジを首からぶら下げます。そのバッジは所属あるいは関心領域に従って色別されており、名刺を入れられるようになっていました。

 参加者が首からぶら下げた入場バッジは、小中高、大学、事務局、各種学校、塾・予備校、自治体、教材・教育コンテンツ、ICT機器といった具合に、色別にカテゴライズされた所属や関心領域が表示されていますから、おおよその目的が一目で判別できます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 展示会場に入ると、どのブースもヒトでひしめき合っていました。確かに、いま、教育現場はどこも悩みを抱えています。子どもの人口減少に加え、教育内容の向上、未来社会に適応した人材育成、等々。さまざまな課題へのソリューションが求められています。

 人材育成という点では、学校だけではなく、さまざまな組織でも同様の悩みが発生しています。いまや、あらゆる領域で、AI主導で激変する社会に適合した、人材育成に努めなければならなくなっているのです。

 人手が足りず、資金も足りない中、AIを活用したシステムを導入していかざるをえなくなっているせいでしょうか、どのブースも、ニーズに適したICT機器、あるいは、AIを組み込んだサービスを探し求めるヒトで溢れかえっていました。

 展示会場には、学校やその他の組織が抱える課題を解決するための、さまざまなICT機器やAIを組み込んだサービスが展示されていました。主催者によれば、教育関連企業の約700社が出展したといいます。

■学びNEXTゾーン
 私が興味を覚えたのは、「学びNEXT」とネーミングされたゾーンでした。そこで見聞きしたいくつかのサービスをご紹介しましょう。

〇アーティック社
このゾーンに入ってすぐ、アーテック(ArTec)という会社のブースで、ワークショップが行われているのを目にしました。

こちら →
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 参加者たちはパソコンを前に、ブロック仕様の部品を使って、プログラミング演習をしていました。おそらく小学校の先生たちなのでしょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 講師の指示に従って、参加者たちはブロック仕様の部品を動かし、わからなくなれば随時、講師に質問をしていました。それぞれ真剣な面持ちで取り組んでいたのがとても印象的でした。

 そういえば、2020年には小学校課程でプログラミング教育が導入されます。先生たちも新たに学んだり、学び直していく必要に迫られているのでしょう。

 調べてみると、アーティックは2018年、ロボットプログラミングの推進によって、経済産業省から「ものづくり日本大賞特別賞」人材育成部門で受賞していました。

こちら →http://www.monodzukuri.meti.go.jp/backnumber/07/03_05_01.html

 若年層へのロボット教育へのハードルを下げ、小学校低学年から取り組める教材を開発したことが評価され、受賞したのです。

 すでに2万人もの生徒がこのロボットプログラミングを体験しており、来年も採用したいとする教師は98%、そして、生徒の授業への満足度は100%だったそうです。この結果からは、教師からも、生徒からも満足度の高い教育支援サービスだといえます。

こちら →http://www.artec-kk.co.jp/artecrobo/edu/
 
 ブロック型のプログラミングロボットなので、短時間で自由に組み立てられるだけではなく、子どもたちの独創性を活かせるところが、このサービスの利点といえます。しかも、アーティック社は、段階に応じた指導カリキュラムを開発し、プログラミング教室を開校しています。

 経産省は、こうした一連の業務をプログラミング教育の推進に寄与すると判断したのでしょう。「第4次産業革命を牽引する次世代人材の育成に貢献」として、アーティック社を高く評価しています。

 次に話を聞いたのが、ジンジャー・アップ社でした。

〇ジンジャー・アップ社
 このブースの前で目にした、「学びの未来の可視化」というキャッチコピーが気になって、立ち寄ってみたのが、ジンジャー・アップ社でした。「学びの可視化」とは一体、どういうことなのでしょうか。

 担当者に聞くと、「これまでのシステムとは違って、学習過程の履歴を蓄積できるので、どこで躓いたのかがわかる」、それが「学びの可視化」だということでした。

 ジンジャー社が提供する「学びの可視化」によって、学習者がこれまでの学習過程のどこで躓いたのかが具体的にわかるようになります。そうなれば、より適切に学習内容を改善することができますから、結果の向上につなげることができるというのです。すでに、いくつかの大学や官公庁、企業などで採用実績があるといいます。

こちら →http://www.gingerapp.co.jp/case/
 
 担当者から説明を聞いているときはよくわからなかったのですが、帰宅して調べてみると、ジンジャー社が提供しているサービスは、米国ADL(Advanced Distributed Learning)社が2013年4月に公開した新規格(xAPI=Experience API)に基づき、同社が開発した独自のシステムによって、運用されています。

 具体的にいえば、ジンジャー・アップ社はxAPI に基づき、LRS(Learning Record Store)を開発しました。xAPIというのは、これまでのeラーニングの世界標準規格(SCORM)の次世代規格です。新規格xAPIに基づいて、新たにジンジャー・アップ社が開発したのが、LRS(Learning Record Store)でした。

 LRSはさまざまなデバイスに対応しており、結果だけではなく学習履歴を詳細に記録することができます。トレーニングのトラッキングが可能なばかりではなく、複数のLSM間で履歴データの移行ができます。しかも、最新のwebテクノロジーが利用できるようになりますから、さまざまな教育関連の履歴を取得し、分析することができます。担当者は、データの関連づけによる新たな分析にも対応できるといいます。

こちら →https://xapi.co.jp/xapi-lrs/

 これまでの世界標準規格であるSCORMに基づくeラーニングでは、パソコンを使ってeラーニング教材の履歴管理をするぐらいのことしかできませんでした。ところが、xAPIに基づくLRSでは、さまざまなデバイスに対応していますし、複数のLRS間のデータ移行ができるようになりますから、さらにきめ細かなサービスを展開できるようになると担当者はいいます。

 こうしてみてくると、このシステムは、単に学校現場での利用に限らず、官公庁、企業での利用も可能だということがわかります。同社は、LRSを組入れたさまざまなサービスを展開しようとしていますが、導入実績が増えれば、データの蓄積もできます。分析の精度が上がりますから、さらに多様な展開も可能になるでしょう。場合によっては、人材不足が深刻になりつつある日本に必須の次世代サービスになるかもしれません。

 さて、お馴染みのペッパーを見つけ、思わず足を止めてしまったのが、ソフトバンクグループのブースでした。

〇ソフトバンク
 人型ロボット、ペッパーによるプログラミング教育を提唱しているのが、ソフトバンクでした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 ペッパーを使って、子どもたちに親しまれやすく、わかりやすく、プログラミング教育を行っていこうというのがこのブースの謳い文句でした。小中学校282校へ2000台、3年間にわたって貸出し、9.1万人が受講予定だといいます。ソフトバンクは社会貢献事業の一つとしてこのプログラムを推進しています。

こちら →https://www.softbank.jp/robot/education/social/social02/

 ペッパーは身長121㎝、ちょうど小学校低学年の子どもの背丈です。子どもたちにとっては親しみやすく、話しかければ、応えてくれます。対面でコミュニケーションができる人型ロボットだからこそ提供できる機能を、ソフトバンクは強調しています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 人型ロボットを操る面白さ、思いついたことは何でもペッパーを使ってやってみる気軽さ、そのような属性と機能は、子どもたちから主体的で積極的な学びを引き出してくれるかもしれません。しかも、このサービスでは、あらゆる科目に適合した教育内容を提供できるといいますから、どんな嗜好性を持った子どもにも対応できそうです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 文科省はプログラミング教育を通して、対話的な学び、主体的な学び、深い学びを習得させようとしています。それら一連の学習過程を、このサービスではペッパーを通して実践できると担当者はいうのです。教科横断的なカリキュラムも提示されていました。

 もちろん、ペッパーをどのように授業に組み込んでいくか、具体的に示した教師用指導書も作成されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 この教師用指導書は、World Robot Summitジュニア競技委員であり、相模女子大学小学部副校長の川原田康文氏が監修しています。

こちら →https://www.softbank.jp/robot/education/social/curriculum/

 川原田氏は、人型ロボットのペッパーを使ったプログラミング教育では、子どもたちが対面でコミュニケーションをしているつもりで授業に臨むことができるといいます。おそらく、そのことが利点になっているのでしょう。実際にペッパーを使ってプログラミング教育をしている中学校では、「授業が楽しい」と回答した生徒が87%にも上ったそうです。

 今回、展示会場に来てみて、改めて、2020年から小学校で始まるプログラミング教育に向けて、さまざまな取り組みが考えられ、実践されていることがわかりました。

 それでは、その背景となる社会的課題とは一体、何なのでしょうか。同時開催されたセミナーの一端をご紹介することにしましょう。

■セミナー
 関連セミナーに私は、16日午後に二つ、17日午後に一つ参加しました。いずれも会議棟7階で行われました。順にご紹介していきましょう。

〇「人工知能で教育はどう変わるのか?」
 5月16日13:00~14:00まで、国立情報学研究所コンテンツ科学研究系の山田誠二教授による、「人工知能で教育はどう変わるのか? ~教育xAIの現状と今後の展望~」というタイトルの講演が行われました。

 山田氏はAIについて全般的なお話をされましたが、私が興味を抱いたのは、最初にスクリーンに映し出された図でした。会場では文字が小さく、よく見えませんでしたので、帰宅してから、「2017年 日本のハイプサイクル」という言葉を手掛かりに調べてみたところ、会場で見たのと同じ図を見つけることができました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。https://gartner.co.jp/press/html/pr20171003-01.htmlより)

 会場でこの図を見ただけでは、なんのことかわかりませんでしたが、ネットで調べてみたようやく理解することができました。ハイプサイクルとは、市場に新しく登場した技術が成長し、成熟し、衰退、あるいは市場に定着するまでの過程を、横軸に「時間経過」、縦軸に「市場からの期待」を置いて各種デジタル・テクノロジーを図示したものでした。

 そもそも、ガートナーのハイプサイクルは、企業があるテクノロジーを採用するか否かを判断する際の参考指標として開発されたものだといいます。

 かつてガートナーは、2012年には「モバイル」「ソーシャル」「クラウド」「インフォーメーション(アナリティクス)」の4つを緊密でかつ複合的に連携することが、デジタル・ビジネスの推進力になると指摘してきました。時を経てみれば、実際、その通りになっていますから、ガートナーの将来予測についてはある程度信頼してもいいのでしょう。

 さて、上図のハイプサイクルから今後のデジタル・テクノロジーを予測すると、いま騒がれているブロックチェーンや人工知能は5年から10年で成熟期に入っていきます。そして、ビッグデータは10年以上先には幻滅期に入るとされていますから、その後はあまり騒がれずに定着に向かっていくのでしょう。

 山田氏は、いまはデジタル・テクノロジーの端境期にあるといわれましたが、この図をみると、たしかにそうなのだということがわかります。

 さらに調べてみると、ガートナーは2018年3月27日、「2020年までに企業の75%はI&Oのスキル・ギャップにより目に見える形でビジネスの破壊的変化を経験する」という見解を発表していました。(https://www.gartner.com/newsroom/id/3869879

 最新のデジタル・テクノロジーに基づくI&O(Infrastructure Operations)を採用しなければ、大多数の企業がビジネス・チャンスを失ってしまうというわけです。当然のことながら、今後はビジネスの態様も変容していかざるをえず、AIに取って代わられる職域もでてくるでしょう。

 オックスフォード大学の准教授マイケル・A・オズボーン氏らは2014年、今後、現在の職業の約半分が消滅してしまうという内容の論文を発表して、大きな反響を呼びました。ところが、ガートナーは最近、最新のインフラを導入し運用していかなければ、企業の75%は大きなダメージを受けるという報告を発表したのです。

 さて、山田氏の講演でもっとも興味を喚起させられたのが、ハイプサイクルというデジタル・テクノロジーの捉え方でした。各デジタル・テクノロジーには固有のライフサイクルがあるのだとすれば、事業体はそれを見極めて導入する姿勢が必要になってくるのでしょう。

 もう一つ、興味深かったのが、人間にとって簡単なことがAIには難しく、AIには常識的な社会性を持たせることが難しいと述べられたことでした。AIの導入に際しては、ヒトが行う認識と機械が行う認識とは異なるということに留意し、対処しなければならないことがわかりました。

 最後に、ITS(Intelligent Tutoring Systems)については、研究レベルではまだこれからだということでした。今後の可能性としては、学生モデルを導入し、学習者より少しレベルの高いAIを導入し、「一緒に勉強したら、楽しいな」という学習者のポジティブな感情を喚起しながら進めるのがいいといわれました。

 今後は、ヒトにできること、できないこと、AIにできること、できないこと、この見極めが大切になってくるのでしょう。
 
 次に行政からの見解をご紹介しましょう。

〇「情報活用能力におけるプログラミング教育」
 5月16日15:00~16:00まで、文科省 生涯学習制作局 情報教育課 情報教育振興室 室長の安彦広斉氏による「情報活用能力におけるプログラミング教育」というタイトルの講演が行われました。

 ここではまず、平成28年12月の中教審答申で決定された教科書改訂の背景について、説明されました。

 2011年に小学校に入学した子どもにとって、将来、現在の職業の65%が存在しない、あるいは、今後10年から20年で半数近くの仕事が自動化される、さらには、2045年には人工知能が人類を超えるシンギュラリティに達する、そういった未来予測に基づけば、自ずと教育内容を変えていかなければならない、という理由からでした。

 安彦氏は、第4次産業革命といわれる今、IT人材の需要が高まっているにもかかわらず、質量ともに足りないといいます。特にデータサイエンティストが足りないのが深刻で、Society5.0に向けた人材育成を推進していくことが喫緊の課題になっていると指摘します。つまり、2020年から小学校で導入されるプログラミング教育は必須なのです。

 いま、世界的に教育改革が推進されています。知識や情報を活用する能力、テクノロジーを活用する能力、言語・シンボル・テキストを活用する能力、等々が重要になってきているからでしょう。

 AIやICT主導で激変する社会環境に適応していこうとすれば、情報教育の質の向上を目指さざるをえず、情報活用能力の育成、教科指導におけるICT活用、校務の情報化、といった教育現場全体の改革が必要になっているのです。

 安彦氏によれば、学習指導要領に「情報活用能力」が規定されたのは今回が初めてだそうですし、小学校の指導要領に「プログラミング」が盛り込まれたにも初めてだそうです。初めて尽くしの中で、小学校では文字入力などの基本的操作を習得し、プログラミング的思考を育成していくことを目的とし、情報基礎力を養っていこうとしています。

 安彦氏はさらに、小学校で導入されるプログラミング教育については、どの教科で、どのような取り組みをしていくか、先生たちの不安をなくす必要があるといいます。そのため、文科省等は下記のサイトを設け、プログラミング教育の狙いと位置づけについて説明するとともに、さまざまな事例を紹介しています。

こちら →https://miraino-manabi.jp/

 最後に、教育現場からの見解をご紹介することにしましょう。

〇「灘校が実践する、個々の能力を引き出す教育 ~アクティブラーニングってなんだろう~」
 5月17日13:00~14:00まで、灘中学校・高等学校校長の和田孫博氏による「灘校が実践する、個々の能力を引き出す教育 ~アクティブラーニングってなんだろう~」というタイトルの講演が行われました。

 和田氏は、ITネイティブの時代には、スマホ、タブレットを使いこなし、ロボットやAIを駆使できる人材が必要だといいます。

 それには、①課題にいち早く気づくこと、これには好奇心、発想力が大切、②普遍的知識や技能を習得し活用すること、これには初等・中等教育が大切、③皆で力を合わせて課題に対処すること、これには協働性が大切、④解決法を編み出すこと、これには応用力、粘り強さが大切、といった具合に、AI時代に必要とされる課題と対応能力、そして、それらを涵養する時期や精神について述べられたのが印象的でした。

 いずれも納得できるものでしたが、とくに、初等・中等教育では、「普遍的知識や技能を習得し活用すること」を課題として挙げられたのが興味深く思えました。和田氏は言葉を継いで、専門化細分化された特殊な知識や技能は汎用性が少ないといい、ITネイティブの時代だからこそ、初等、中等教育が大切だと述べられたのです。

 言われてみれば確かに、専門化細分化されすぎた知識や技能は汎用性が少ないといえるかもしれません。次々と新しい技術が開発されては消えていく現状をみていると、多様な展開を期待できる確かな基礎力こそ重要なのだという気がしてきます。

 さて、AIが進化すると、さらにグローバル化が進みますが、そうなると、異文化コミュニケーション力が大切になってきます。それには他国の社会や文化はもちろんのこと、自国の社会や文化に対する認識を深めていかなければなりません。その基本となるのが、中等教育での教養です。

 こうしてみてくると、和田氏が指摘するように、ともすれば高等教育への通過点として捉えられがちな初等・中等教育の充実を図ることこそ、ITネイティブの時代には重要なことなのかもしれません。

 そして、灘校での事例を紹介してくださいました。その中で印象に残っているのが、中勘助の自伝的小説『銀の匙』を題材にした教育法です。ある教員はこの小説を教材に、生徒たちに3年かけて、言葉を調べさせ、文化や生活を徹底的に調べさせ、学習を自発的に深化させていきました。具体的にいえば、「銀の匙研究ノート」を使って、生徒たちに予習を促し、その積み重ねとして、アクティブに学習に取り組む姿勢を養うことができたのです。教員が編み出した独自の教育法でした。

 このようなユニークな指導ができるのは、灘校が教員の自由や独自性を尊重し、教材や指導法一切が自由だからでしょう。誰もが模倣できるものではありませんが、ITネイティブの時代だからこそ必要な教育法なのかもしれないと思いました。

■大学入試に「情報科目」導入、学びの現場はどうなるか。
 2018年5月18日、政府が大学入試にプログラミングなどの情報科目を導入する検討に入ったと新聞で報じられました(産経新聞)

こちら →https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180518-00000070-san-bus_all

 17日に開催された未来投資会議で、安倍首相は「人工知能、ビッグデータなどIT技術、情報処理の素養はこれからの時代の”読み書きそろばん”だ」と述べたというのです。

 これまでみてきたように、2020年から小学校課程にプログラミング教育が導入されることはすでに決まっています。

 ですから、この記事の力点は、高等教育での情報教育の必要性に置かれており、それには、大学入試に「情報科目」を導入するのが一番だということにあります。すでに米中など、世界の主要諸国では情報教育の高度化に取り組んでいます。この流れに出遅れては、AI主導で進むSociety5.0に取り残されてしまうという危機感から示された見解だとみるべきでしょう。

 いずれにしても小学校でのプログラミング教育の導入は決定されていますので、今後はいかに現場で混乱なくスムーズに展開できるか、生徒が着実に習得できるか、工夫していく必要があるでしょう。

 今回、私は3つのセミナーに参加しましたが、立場の違う演者の3人とも、冒頭で、AIやICTの進化による社会変化に触れられました。未来社会についての認識が共通だったのです。

 たしかに、今後20年~30年後の日本を概観すると、少子高齢化によって減少した労働人口を補うために、外国人、AI、ロボットに依存するようになっているでしょう。そして、そのころ世界は、人工知能が人類の頭脳を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)に達しているに違いありません。

 これまでは2045年といわれていましたが、最近は16年も早まり2029年にはシンギュラリティに達しているといわれています。

こちら →http://tocana.jp/2017/03/post_12665_entry.html

 グーグル者の技術ディレクターでもある未来学者のレイ・カーツワイル(Ray Kurzweil)氏は、「機械のおかげで我々はより賢くなる」とし、「2030年には思考を司る大脳新皮質をクラウドネットワークに接続するつもり」だといっています。シンギュラリティを迎えた暁には機械を人間の脳に取り込むことによって「超人」が誕生するというのです。

 いずれにしても、情報技術は進化し続け、社会が今後さらに、ドラスティックな変容を迫られるのは必至でしょう。これまで繰り返しいってきたように、やがて、これまでのヒトの仕事の半数が無くなり、ビジネスの様態も大幅に変化してしまうのです。そうなれば、どのような人材が必要なのか、どのような教育体制を取るべきなのか、といったことが喫緊の課題になってきます。あらゆる人々がこの問題に目を向け、考えを巡らせていく必要があるでしょう。

 展示会場を訪れてみて、AI、あるいはICTを活用したさまざまなサービスが考案されているのを知りました。今回、ご紹介したのは3つの事業者のサービスでしたが、いずれもAIやICTを高度に活用した技術が使われていました。気になるのは、AIにはヒトが持っているものが欠けている、ということです。今後はおそらく、両者の欠けた領域を補い合った新技術が出てくるでしょう。

 展示会のブースで、丁寧に説明してくれた人々には、切磋琢磨して情報技術を高めていこうとする気概が感じられました。知識と技能を武器に戦っている人々が開発した新しいデジタル・テクノロジーやサービスを目にすることができ、とても刺激的で興味深い展示会でした。(2018/5/20 香取淳子)

AI時代を生き抜く力を育む教育とは?

■教育大改革が始まる
 文科省は7月10日、2020年度から開始する新テスト「大学入試共通テスト」の実施方針の最終案を公表しました。

こちら →http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10H36_Q7A710C1000000/

 「大学入試共通テスト」とは、これまでの大学入試センター試験に代わって、高校生の学力を評価するためのテストです。2020年度から実施されますから、現在の中学3年生から適用されることになります。今秋以降、プレテストを行い、それらの結果を踏まえ、制度設計を進めるとされています。2021年1月中旬の実施に向けて、待ったなしのスケジュールで入試改革が準備されているのです。

 上記の記事の中で、「大学入学共通テスト」のポイントとして6点、まとめられていました。とくに、「英語は20年度から23年度まで現行のマーク方式と民間試験を併存」、「国語と数学に記述問題を導入」、「地理歴史や理科は24年度から記述式問題の導入を検討」などが注目されます。24年度に新テストに全面移行すること、文章を読み解き、表現する力の把握に力点が置かれていること、等々に留意すべきでしょう。

 共通テストの英語に関しては、「読む・聞く・話す・書く」の4技能を評価するため、英検やTOEICなどの民間試験を活用することが新テストの大きな特徴でした。ところが、最終案では、全面移行までに4年間の併存期間が設けられています。記事では、高校や大学から準備期間の短さを懸念する声が多かったからだとされていますが、民間試験の活用にもいくつかの課題があることが示唆されています。

 共通テストの国語と数学には記述式問題が導入されます。国語は、80~120字程度で記述させる問題を含む3問程度、数学は、数式や問題解決の方法などを記述させる問題を3問程度出すとされています。思考力、表現力を把握するためのものでしょうが、知識やテクニックではなく、「言葉の力」にウェイトが置かれた取り組みであることがわかります。

 2020年度から、大学に入学するためには、この新共通テストに加え、受験する大学独自のテストが課されます。それらが総合的に判断されて、合否が決定されるという仕組みになります。これまでの大学入試に比べ、英語の場合、「聞く、話す」能力、国語や数学の場合、「思考する、表現する」能力が評価されるようになります。これまでとは明らかに選別評価の基準が変わるのです。

■中教審の答申
 中央教育審議会は平成26年12月22日、『新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた 高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について』というタイトルの答申を公表しました。

こちら →
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/__icsFiles/afieldfile/2015/01/14/1354191.pdf

 新テスト導入の基盤となる考え方が示されていますが、「はじめにー高大接続改革が目指す未来の姿ー」として、下記のような状況認識が示されています。

「生産年齢人口の急減、労働生産性の低迷、グローバル化・多極化の荒波に挟まれた厳 しい時代を迎えている我が国においても、世の中の流れは大人が予想するよりもはるか に早く、将来は職業の在り方も様変わりしている可能性が高い1。そうした変化の中で、 これまでと同じ教育を続けているだけでは、これからの時代に通用する力を子供たちに 育むことはできない。」(p.1)

 中央教育審議会が打ち出した方向に沿って、抜本的な教育改革が行われようとしていますが、これは、社会の要請であり、次代を担う子どもたちの幸せのためでもあるという入試制度改革の立脚点がよくわかります。

 この答申が公表されてすでに2年余、いま社会は、デジタル技術の進化によってさらに大きく変容しはじめています。製造現場ではもちろんのこと、医療診断などにもAIが導入されるようになりました。もはや、単なる人手不足を補う以上の働きをAIが担うようになってきているのです。

 すでに2013年、オックスフォード大学のマイケル・オズボーン准教授はAIによって今後、47%の職種がAIに代替されるようになるという論文を発表して、全世界に衝撃を与えました。野村証券はそれと同様の調査を2015年12月2日に、日本国内で実施しました。その結果、日本では今後10年から20年のうちに、国内労働人口の49%に当たる職業がAIやロボットに代替されるという推計を発表しました。そして、代替可能性の高いとされる100種の職種を列記しています。

こちら →
(https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspxより。図をクリックすると、拡大します)

 それから1年半後のいま、その傾向が現実のものになってきています。ディープラーニングを通して精度を高めていくことのできるAIは、今後さらにさまざまな領域に導入されていくことでしょう。

 一方、同調査では、下記の職種はAIやロボットなどに代替される可能性が低いとしています。

こちら →
(https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspxより。図をクリックすると、拡大します)

 このような調査結果をみると、AIが大きな役割を担う時代を生き抜くには、何が必要なのか。改めて、教育内容を見直さなければならなくなっていることがわかります。高等学校、大学にとどまらず、初等、中等教育にまで遡って教育改革が行われなければならないのはこのような時代の要請なのです。

■生きる力
 文科省は2017年3月31日、次期学習指導要領「生きる力」を公示しました。今回の学習指導要領では、第4次産業革命の時代を見据え、予測不能な変化に対して柔軟に対応できる「生き抜く力」をはぐくむために、「主体的・対話的で深い学び」の実現が大きなテーマとして設定されています。

 次期学習指導要領は下記のようなスケジュールで実施される予定です。

こちら →
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/__icsFiles/afieldfile/2017/05/12/1384662_1_1.pdf

 今年は2017年ですから、幼稚園、小学校、中学校についてはすでに周知・徹底されている時期になります。

 改訂のポイントは以下のようになります。

こちら →
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/__icsFiles/afieldfile/2017/06/16/1384662_2.pdf

 教育内容の改善事項としては6項目、「言語能力の確実な育成」、「理数教育の充実」、「伝統や文化に関する教育の充実」、「道徳教育の充実」、「体験活動の充実」、「外国語教育の充実」等々があげられています。

 たとえば、「言語能力」についてみると、語彙の習得を確実なものにしていくのはもちろんのこと、さまざまな情報から、具体を抽象を区別して理解し、根拠を踏まえて意見表明できるようにするといった内容です。その一環として、実際にレポートを書いたり、立場や根拠を明確にして議論するといった活動が奨励されています。

 「理数教育」については、日常生活から問題を見出す活動や、なんらかの見通しをもって観察や実験をする活動が奨励されています。さらに、必要なデータを収集・分析し、その傾向を踏まえて課題を解決していく統計教育を充実させると掲げられています。

 3月に公示された次期学習指導要領は、下記に示す2008年に改訂された学習指導要領を踏まえたものといえるでしょう。

こちら →
(http://www.bunkei.co.jp/school/column/1309.htmlより。図をクリックすると、拡大します)

 実は、すでに1998年から「生きる力」に力点を置いた学習指導要領が作成されていました。それを改訂したのが、2008年の学習指導要領です。上記の図に示されているように、10年前のものとは違って、確かな学力に支えられて初めて、「生きる力」が養われるという考えでした。そして、その「確かな学力」とは「言葉の力」によって育まれるという認識が示されています。

■AI時代を生き抜く力とは?
 2008年版を踏まえた次期学習指導要領(2017年3月公示)は、さらに変動の激しい社会状況に対応したものになっています。

こちら →
(http://eic.obunsha.co.jp/eic/resource/viewpoint-pdf/201504.pdf p.4より。図をクリックすると拡大します)

 上記の図は、国立教育政策研究所が刊行した24年度の報告書に基づき、作成されています。今後、求められるのは、「思考力」を中核に、それを支える「基礎学力」、その使い方を方向付ける「実践力」などの”三層構造”で構成される「21世紀型能力」だとしているのです。そして、このような21世紀型能力を身につけることによって、次世代を「生きる力」を育むことができるという考えが示されました。それが次期学習指導要領を貫く考え方の根幹となっています。

 今後、学校教育で求められるのは、上記の図で示された基礎学力、思考力ばかりではなく、各教科を横断する基礎的な「汎用的能力」も重要になるでしょう。この「汎用的能力」は上図では実践力として示されています。

 なにごとであれ、実践していく過程で、人間関係形成能力、社会への参画力、自律的、自発的な活動力、等々が培われていくでしょうし、実践活動を通して、持続可能な未来への思いも強くなっていく可能性もあります。

 デジタル技術によって進化した現代社会では、仕事の内容が変化し、求められる能力も大きく異なってきています。さらには、私たちが住む地球が一つの大きな村になってしまいました。今後、誰もが身近な活動を通して、地球社会全体を考えなければならなくなるでしょうし、それが当然の社会になってきています。

 デジタル・モバイル機器を誰もが持つようになったいま、ヒトは誰しも、他者とつながって生きていることを実感できるようになりました。一人の人間として充実した人生を生きることを目指すだけではなく、他者に支えられて生きていることにも思いを巡らせながら生きていく必要があるでしょう。それが、やがては「生きる力」にも反映されていくと思います。2020年度に開始される抜本的な入試改革を軸に、教育内容が大幅に改善され、子どもたちがAI時代を生き抜く力を身につけることができるようになれば、と願っています。(2017/7/12 香取淳子)

世界の大学ランキング、増加する日本の子どもの「学びからの逃走」

■世界の大学ランキングの結果
 今年もまた世界大学ランキングが発表されました。昨年23位だった東京大学は今年43位と大きくランク落ちしました。京都大学も同様、昨年は59位だったのが今年は88位です。

こちら →http://www.huffingtonpost.jp/2015/10/01/tokyo-university_n_8230366.html

 アジアのトップはシンガポール国立大学、2位はランク42位の北京大学、そして、東京大学はアジアで3位という順です。上位10校のうち9校が英米の大学でした。

 興味深いのは、英米の難関校が上位を争う中、スイスのスイス連邦工科大チューリヒ校が9位に入っていることです。スイスのチューリッヒにある自然科学と工学を対象とした単科大学が奮闘しているのです。ウィキペディアによると、この大学は1855年に創設され、これまでにノーベル賞受賞者を21名も排出しているそうです。それだけ業績をあげている大学がランキング9位なのです。上位に食い込むのがいかに難しいかがわかります。

 評価項目は、以下の5分野から設定されています。

こちら →https://www.timeshighereducation.com/news/ranking-methodology-2016

• Teaching (the learning environment)
• Research (volume, income and reputation)
• Citations (research influence)
• International outlook (staff, students and research)
• Industry income (knowledge transfer)

①教育(教育環境)、②研究(量、収入、高い評価)、③引用(研究の影響)、④国際観(スタッフ、学生および研究)、⑤産業収入(知の移転)等々の5項目でした。それぞれの項目の配分比率は順に、30%、30%、30%、7.5%、2.5%でした。

 それぞれの項目について綿密な調査が行われ、各項ごとに集計して配分比率を加味し、結論が導き出されたのです。

■世界の大学学術ランキング
 大学ランキングを出しているのはいま紹介した「TIMES HIGHER EDUCATION」だけではありません。 「ACADEMIC RANKING OF WORLD UNIVERSITIES」も同様に世界の大学のランキングを出しています。

こちら →http://www.shanghairanking.com/ja/ARWU2015.html

 このランキングでは18位までが英米の大学で占められており、さきほどのスイス連邦工科大チューリヒ校は20位でした。そして、東京大学は21位、京都大学は26位といずれも上位にランクしています。日本のトップ校はアジアでもトップでした。

 一方、さきほどのランキングでアジア1位だったシンガポール国立大学はここでは101-150位で、北京大学、ソウル大学、復旦大学など50校と同順位でした。評価項目、評価手法等によってランキング順位が大きく異なってくることがわかります。

 世界の大学学術ランキングの評価手法は以下の通りです。

こちら →http://www.shanghairanking.com/ja/ARWU-Methodology-2015.html

 評価項目は4分野から6項目が設定されており、それぞれの配分比率は以下のようになっています。

教育質量    ノーベル賞やフィールズ賞を受ける卒業生の換算数 10%
教師質量    ノーベル賞やフィールズ賞を受ける教師の換算数  20%
        高被引用科学者数 20%
科学研究成果 《Nature》や《Science》で発表された論文数* N&S 20%
   (SCIE)と(SSCI)に収録された論文の換算数 20%
教師の平均表現 上述の五項の指標から得た教師の平均表現 10%
* 純粋な文系大学に対して、N&Sの指標ではなく、その比重に比例して、他の指標を使用。

 さきほどいいましたように、評価項目が異なればランキングも変わってしまうのですが、いずれのランキング結果でも英米の大学が上位を占めていることに変わりはありません。21世紀はアジアの時代といわれながら、学術方面ではまだまだ欧米に追い付いていないことがわかります。

 興味深いことに、こちらのランキングでは東京大学も京都大学もランキング順位は昨年と変わりません。もっとも5年前と比較すると、上位にランクされているとはいえ、それぞれ1位、2位程度、順位は下がっています。日本のトップ校が一定の評価を得ていることはわかりますが、やや下降傾向がみられることに留意する必要があるかもしれません。

 いずれにしても、二種類の大学ランキング調査からは程度の差はあれ、日本の大学の評価が落ちてきていることが示されています。知的能力こそ大きな価値を生み出す時代にこれでいいのかという気持ちになってしまいます。はたして子どもたちの学力はいまどうなっているのでしょうか。

■子どもたちの学力
 OECDが実施した「学習到達度調査」(PISA)の2012年度の結果を見ると、日本は数学的リテラシーが7位、科学的リテラシーが4位、読解力が4位という結果でした。この3分野で日本はいずれも前回を上回っており、2000年に同調査が始まって以来、高い順位を得たのです。

 さらに2014年4月、学校のカリキュラムにはない問題の解決に取り組む「問題解決能力」の結果が公表されました。これも日本は参加44か国・地域の中で3位という高い順位を収めています。

こちら →http://mainichi.jp/ronten/news/20140611dyo00m010013000c.html

 確かに喜ばしい結果ですが、ひょっとしたら、一時的なものかもしれません。そこで、PISAトップテンの推移を見ると、2006年は読解力が15位、科学的リテラシーが6位、数学的リテラシーが10位でした。とても喜べる順位ではありませんでした。

こちら →002
毎日新聞2014年6月11日より。図をクリックすると拡大されます。

 当時、この結果を見て、「PISAショック」が起きたといわれています。このままでいいのかと教育改革が叫ばれ、いわゆる「ゆとり教育」の見直しが行われました。新しい学習指導要領が2011年度から本格的に実施されたのです。それが2012年の調査結果に反映されたのでしょう。

 2012年のPISAでは数学的応用力に関する意識調査も行われました。その結果、日本の子どもはすべての項目で平均以下だったことが判明しました。とくに興味深いのが、「将来の仕事の可能性を広げてくれるから数学は学びがいがある」と回答した子どもの割合は52%でした。平均の77%を大きく下回っていたのです。

 この年、子どもたちの成績自体は確かに伸びています。ところが、学ぶことの意義や社会との関連付けについての意識を見ると、他国の子どもたちに比べ有意に低いことが判明したのです。このときの意識調査によって、日本の子どもたちの勉強に取り組む姿勢や心理的側面に大きな問題があることが示唆されたといえるでしょう。

■学びから逃走する子どもたち?
 思想家の内田樹氏が書いた『下流志向』という本があります。「学ばない子どもたち、働かない若者たち」という」サブタイトルがつけられています。私はこのサブタイトルに興味を覚えて購入しました。初版は2009年7月15日ですが、私が手にしているのが2015年3月18日刊行のものですから、28刷も版を重ねていることがわかります。この本には私と同様、大勢のヒトの興味関心を引く要素があったのでしょう。

 内田氏の次のような文章が印象に残りました。

 「教育機会から、主体的決意をもって、決然と逃走するということは、当然にも遠からず「下流社会」への階層効果を意味するわけですが、そういう下降志向の社会集団が登場してきた。これを日本社会における教育危機の重要な指標として、佐藤さんは分析したのですが、そのキーワードが「学びからの逃走」です」(『下流志向』、p.14)

 私は昔、『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム著)という本に引かれた時期がありました。個としてのヒトの気持ち、それらがまとまって生み出されていく大衆心理、そして、大衆心理によって突き動かされていく社会の動き、これらを総合的に分析していった手腕に引かれたのです。フロムはナチズムに傾倒していった当時のドイツ人を分析し、そのような社会心理のメカニズムの根底にあるのが「自由」だということを見出しました。

 自由には責任が伴い、ときに孤独が付随します。それに耐えきれなくなったヒトが自由を手放してしまったのです。自由を求めてヒトはこれまで様々な戦いを繰り返してきたはずなのに、せっかく手に入れた自由から逃げ出そうとする人々の存在を知り、フロムはナチズム旋風の巻き起こっていた当時の社会心理のメカニズムを分析しました。かつての私はこの鮮やかなロジックの立て方に感心し、引かれたのです。

 内田氏もこの本の「まえがき」でエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』に触れています。

 さらに、内田氏はいいます。

 「僕はこの「学びからの逃走」は単独の現象ではなく、同時に、「労働からの逃走」でもあると考えています。この二つは同一の社会的な地殻変動の中で起きている。「学ぶこと」、「労働すること」は、これまでの日本社会においてその有用性を疑う人間はおりませんでした。(中略)学ばないこと、労働しないことを「誇らしく思う」とか、それが「自己評価の高さに結びつく」というようなことは近代日本社会においてはありえないことでした。しかし、今、その常識が覆りつつある。教育関係者たちの証言を信じればそういうことが起きています」(『下流志向』、p.15)

 「学びからの逃走」は容易に「労働からの逃走」に移行するというのです。たしかにメディアで報道される若者の事件、あるいは若者の意識調査などを見ていると、そうかもしれないと思わせられます。勉強する、努力する、頑張る、といった言葉が以前ほど使われなくなっていることを思えば、日本社会を根底から揺るがす風潮がじわじわと広がり始めているとも考えられます。

 憲法第26条には「国民の教育を受ける権利」が保障されています。教育を受ける権利は先人が獲得してきた権利で、子どもが人生の多様な選択肢を確保するための権利といえます。受けた教育のレベルによって人生の豊かさが左右されるからです。先人が苦労してつかみ取った生存権の一つといえるでしょう。

■女子教育を訴えたマララ・ユスフザイさん
 世界にはまだ教育機会を十分に与えられない国の子どもたちがたくさんいます。

 2014年12月10日、ノルウェーのオスロでノーベル平和賞受賞式が開催されました。受賞者の一人は17歳のパキスタン人、マララ・ユスフザイさんでした。このマララ・ユスフザイさんは2012年10月、女子が教育を受ける権利をと訴えてきたため武装勢力に頭を撃たれました。それにもめげず、教育を受けられない子どもたちのための活動を続けていることが評価され、平和賞を受賞することになったのです。

 このとき、マララ・ユスフザイさんが行ったスピーチをご紹介しましょう。

こちら →
http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/10/nobel-lecture-by-malala-yousafzai_n_6302682.html
 
 マララ・ユスフザイさんは女子教育の必要性を体験を踏まえ、生き生きと訴えました。

「私たちは教育を渇望していました。なぜならば、私たちの未来はまさに教室の中にあったのですから。ともに座り、学び、読みました。格好良くて清楚な制服が大好きでしたし、大きな夢を抱きながら教室に座っていました。両親に誇らしく思ってもらいたかったし、優れた成績をあげたり何かを成し遂げるといった、一部の人からは男子にしかできないと思われていることを、女子でもできるのだと証明したかったのです」

 さらに、世界の指導者に向けて次のように訴えます。

「世界は、基本教育だけで満足していいわけではありません。世界の指導者たちは、発展途上国の子供たちが初等教育だけで十分だと思わないでください。自分たちの子供には、数学や科学、物理などをやらせていますよね。指導者たちは、全ての子供に対し、無料で、質の高い初等・中等教育を約束できるように、この機会を逃してはなりません」

 そして、なぜ教育の普及が進まないのか、反語の形で力強く訴えています。

「なぜ、銃を与えることはとても簡単なのに、本を与えることはとても難しいのでしょうか。なぜ戦車をつくることはとても簡単で、学校を建てることはとても難しいのでしょうか」

 感動的なスピーチでした。必死に教育を求める気持ちがひしひしと伝わってきます。
日本ユニセフは2013年春号の『ユニセフT•NET通信』で、マララ・ユスフザイさんの事件にちなみ、女子教育の厳しい現状を取り上げています。

こちら →http://www.unicef.or.jp/kodomo/teacher/pdf/sp/sp_54.pdf

 各地の現状や教育効果の個別事例が紹介されています。こうしてみると、たしかに教育の普及やその波及効果には時間がかかりますが、教育は確実に社会を改善できることがわかります。教育はなによりもまず貧困をなくし、平等で安定した社会をつくるための要件なのです。

■大学ランキングと子どもたちの「学びからの逃走」
 さきほど紹介した『下流志向』によれば、日本では教育の権利を自分から放棄する子どもたちが増えているといいます。教育を耐え難い労苦としか感じない子どもたちが増えているからでしょう。その結果、せっかく与えられた教育機会を放棄して、人生の多様な選択肢を狭めてしまい、犯罪に走らざるをえない子どもたちがなんと多いことか。メディアで報道されている事件を教育レベルと関連づけて分析すれば、なんらかの傾向が明らかになるのではないかと思うほどです。

 内田氏は次のようにも書いています。

「上層家庭の子どもは「勉強して高い学歴を得た場合には、そうでない場合よりも多くの利益を回収できる」ということを信じていられるが、下層家庭の子どもは学歴の効用をもう信じることができなくなっているということです。ここにあるのは「学力の差」ではなく、「学力についての信憑の差」です。「努力の差」ではなく、「努力についての動機づけの差」です」(『下流志向』、pp.97-98.)

 さまざまなニュース報道を見ていると、最近はその傾向が加速化されているような気がします。

 子どものころからの教育の差、学習に対する態度の差が、その後の出会いの差、機会の差、職業選択肢の差、そして、収入の差、生活レベルの差につながっていくのでしょう。こうしてみると、ヒトの幸せのためにも、社会の安定のためにも初期教育がいかに大切かということに思い至ります。大学はその最終ラウンドです。ところが、その大学の世界ランキングで日本の大学の順位が下がりつつあります。

 世界の大学ランキングで日本の順位を見て、ふと子どもたちの教育に思い及んだとき、私は図らずも現代日本社会をむしばみつつある「学び」と「労働」からの「逃走」という深刻な現象を知ることになってしまいました。

 初等教育を裾野とする教育体系の中で、なによりもまず、「学力についての信憑」そして、「努力についての動機づけ」を高める仕掛けを作っていく必要があるのではないかという気がしています。そうでもしなければ、「学びから逃走」する子どもたちがますます増え、結果として「労働からの逃走」を引き起こしかねません。「学び」を放棄した子どもたちは人生の多様な選択肢を失うことになるでしょうから、犯罪に手を染める可能性も高くなるかもしれません。そうなれば、社会の不安定化を引き起こすことになるのは必至です。早急になんらかの手を打つ必要があると思います。(2015/10/4 香取淳子)

大学に押し寄せるグローバル化の波

■文科省の動き

2014年4月8日、文科省は平成26年度のスーパーグローバル大学創成支援事業を募集しました。この事業は平成24年度に始まったグローバル人材育成推進事業をフォローアップするものだそうです。

詳細はこちら。http://www.jsps.go.jp/j-gjinzai/follow-up.html

この事業のタイトルには、「経済社会の発展を牽引する グローバル人材の育成」という但し書きが付されています。ですから、これは日本の経済発展に資するための人材育成ということになります。

今回、発表された「スーパーグローバル大学創成支援事業」では、その目的について、以下のように書かれています。

********

我が国の高等教育の国際競争力の向上を目的に、海外の卓越した大学との連携や大学改革により徹底した国際化を進める、世界レベルの教育研究を行うトップ大学や国際化を牽引するグローバル大学に対し、制度改革と組み合わせ重点支援を行うことを目的としています。

******** 詳細はこちら。http://www.jsps.go.jp/j-sgu/index.html

日本の高等教育の「国際競争力」を高めるために、「海外の卓越した大学との連携」や「大学改革」によって国際化を徹底させることを具体的な目的としています。その目的を効果的に実践に移すために、それを実践できる大学に対しては制度改革を組み合わせて重点支援を行うとしているのです。

この支援政策からは、政府がトップレベルの大学、国際化を牽引できる大学等を重視し、制度改革とセットで重点的に支援していこうとしていることがわかります。つまり、エリート層の抽出とその育成に向けての支援を推進しようとしているのです。

一方、この支援政策からは、日本の大学全体の研究レベル、学生の学力レベルが低下し、結果として高等教育における国際競争力が低下しつつあることが示唆されているといえるでしょう。政府が大学の制度改革とセットで、強烈なてこ入れをしなければならないほど、日本の大学教育がひどいものになっているのかもしれません。

■高校生の頭脳流出が始まっている?

5月21日、日経産業新聞で興味深い記事を読みました。東京大学への合格者数が33年連続トップの東京の開成高校で、生徒の志望校に変化がみられるというのです。学力の高い生徒は東大を目指すのが当たり前だったのが、最近、トップ層で海外の有名大学を目指すものが出始めたというのです。開成高校で開催されたカレッジフェアには海外の有名大学10校も参加したといいます。高校生の頭脳流出の兆しが見え始めているのです。日本のエリート校に進学することが必ずしも輝かしい未来を保障してくれるわけではなくなりつつあるからでしょう。時代の流れを敏感に察知したトップレベルの学生が日本の大学で学ぶことに限界を感じ始めているのかもしれません。

もちろん、まだ、ごく一部の動きにすぎません。わずかな動きでしかないとはいえ、若くて多感な時期に海外の著名大学で学ぶという選択肢が浮上してきているのです。それも、日本の大学のレベルを問題視しているからではなく、記事を読むと、どうやら高校生や保護者が日本で学ぶことに意義を見い出しにくくなってきているようなのです。それだけ現実社会がグローバル化していることの反映でもあるのでしょう。

もちろん、海外の有名校で学んだからといって、輝かしい未来が保障されているわけではありません。日本の大学で安穏な学生生活を送るよりは海外でさまざまな経験をして、語学力や問題解決能力、人脈を身につけた方がはるかに価値があるという判断なのでしょう。

■日本人の海外留学は減少

一方で、日本人の海外留学は年々減少しているといわれます。

詳細はこちら。http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/25/02/__icsFiles/afieldfile/2013/02/08/1330698_01.pdf

たしかに数字を見ると、年々、減少しています。ですから、今の若者は内向き志向だといわれたりもするのですが、実際には様々な要因が複合的に作用しているようです。

たとえば、これまでの留学先として選択されることの多かった米国については、授業料の高騰、危険、英語力のなさ、米国イメージの低下、企業が留学経験をあまり評価しない、等々があげられています。つまり、米国留学について情報を収集して検討した結果、メリットがなさそうなので選択しなかったという可能性があるのです。

詳細はこちら。http://matome.naver.jp/odai/2137245671555590701

サターホワイト氏による調査結果で、留学しない理由の上位にあげられていたのが、「少子化」、「日本国内の大学が増えた」、「日本国内の大学の国際化」、「ネットを使えば世界中の情報が手に入る」、「日本は豊かで居心地がいい」「就職活動が前倒しになり、留学すると不利になる」、「企業は留学経験をあまり評価しない」、「家計に余裕がなくなった」等々。

こうしてみると、どうやら若くて多感な時期に海外の大学で学び、多様な経験を積みたいという高校生がいる一方で、留学することのメリット、デメリットを比較対照し、日本で学ぶ学生もいるということなのでしょう。その判断の基準には家計や就職状況といった要素も絡んでいます。

■日本のトップ校の対応は?

東大の浜田純一総長は、「1点を争う入試も大切。それに勝ってきた東大生だからこそ別の力も必要だ」(2014/5/21 日経産業新聞)と述べています。受験競争を勝ち抜いてきた東大生の優秀さを評価しながらも、回答のない世界で困難を乗り切って活躍するタフネスの重要性も指摘しています。東大生にその要素が培われれば、さらにパワーアップできるというわけです。そのために東大では「体験活動プログラム」を2012年に開始し、24の海外活動に2013年度は160人の学生が参加したといいます。

4月からは「東京大学グローバルリーダー養成プログラム(GLP)」が始まったようです。これは東大生の中でもとくに英語力に秀でた人材を選び、リーダーを養成しようというものです。1学年3000人の中から英語成績上位者10%を対象に英語の集中講義をし、3年生に進む段階で、語学力だけではなく、リーダーシップや将来ビジョンなども見極め、さらに100人に絞りこむといいます。きわめて実践的な内容のプログラムになっています。

日本のトップ校がこれほどまでに実践的な教育プログラムを組み始めたのです。いつまでも象牙の塔として社会と隔絶して研究を行うだけでは存在しえなくなってきたのでしょう。グローバル人材育成のための実践教育はどうあるべきかを模索し始めたように見えます。

■海外で見かけた日本人学生

10年から15年ほど前に海外で何度か、日本人学生を見かけたことがありました。ロシア、オーストラリアなどの大学で、東アジア系の顔をしている学生を見かけることがありましたが、遠くからでも日本人か、そうでないかがすぐにわかりました。近づいてみると、日本語を話しているので、「やっぱり」と思ったものです。

中国人や韓国人の学生は、日本人と同じような顔、似たような体型をしているのですが、どこか違うのです。当時、海外に出る中国人や韓国人はまだそれほど多くなかったせいかもしれませんが、彼らは堂々していたのです。それに引き替え、日本人の方は姿勢が悪く、だいたいが連れ立って行動しているので、すぐわかってしまいます。

せっかく海外の大学に来たというのに、日本人同士で固まって行動していることが多いように見えました。海外赴任の大人もそうだといわれていますから、学生だけを責めることはできないのですが、閉鎖的だという点で彼らが目立っていたことを思い出します。

いま思えば、当時の日本はすでに大学の大衆化の時代を迎えていて留学はエリートのものではなくなっていたからかもしれません。せっかく留学しているのに、気概とかミッションというようなものが感じられず、仲間と付和雷同的に行動しているだけのように見えたのは彼らがエリートではなかったからかもしれません。

一方、当時、中国人や韓国人の留学生はエリートでした。その気概があり、それなりのミッションを抱いていたからこそ、毅然とした態度だったのではないかといま、思います。

■変化してきた大学の社会的役割

文科省はグローバル人材育成のための支援事業を強化しようとしています。それは、グローバル化の波が大学にまで押し寄せているからなのでしょうし、なによりも、知識経済の時代になって、大学の知的活力が経済の源泉であり、推進力にもなることがはっきりしてきたからでしょう。大学こそが国際競争力をもち、新たな発見、メカニズムの解明を推進できる能力を発揮しなければ、社会が沈潜してしまいかねなくなっているのです。それほど大学の果たす役割が大きなものになってきています。

大学はもはや若者のレジャーランドではなくなってるのです。知的交流の場であり、知的実践の場であり、さらには知的競争の場でもなければならなくなっています。もちろん、知的蓄積の場でもあります。とはいえ、すべての大学がそのような役割を担うことは困難です。

■大学に押し寄せるグローバル化の波

大学全入の時代になって以来、学力もない学生を大学生として受け入れている大学は多数あります。そのような学生を教育し、一人前の社会人として就職できるようにしていくのも大学の役割です。基礎学力、コミュニケーション能力、英語力、ICT技能を大学教育の中で確実に身につけさせてから、学生を社会に送り出していくのです。実はこれこそ、大学の重要な役割なのかもしれません。

このように考えると、高等教育機関として大学をひとまとめにしてしまうのではなく、いくつかに分類する必要があるのではないかという気がします。一つはトップ校として世界的競争力を持つ大学、もう一つは社会に出て仕事をするのに必要な基礎学力、等々を学生に徹底的に身につけさせる大学、そして、クリエイティブな領域、あるいはスポーツなどで能力を培い、世界的競争力を持つ大学、等々です。エリート教育と大衆教育、そして、クリエイティブな能力を涵養し、マネジメントし、世界に流通させる力を持つ大学、等々です。

グローバル化の波が中間層をなくし、二極化を進めているといわれています。大学に押し寄せたグローバル化の波もまた、どこにでもあるようなメニューを並べた4年制大学の衰退を生み出していくでしょう。

大学が社会に存続していこうとするなら、①科学技術、社会文化など専門に特化し、それで国際競争力を持つような大学、あるいは、ごく少数の、クリエイティブな領域やスポーツなどで能力を発揮し、世界的競争力を持つような大学、②社会に必要なスキルを身につけさせる義務教育を高度化したような大学、この二種類に再編されていくのではないかという気がします。

つまり、ひたひたと押し寄せるグローバル化の波によって、大学もまた、二極化の方向で再編を迫られていくことになるのではないでしょうか。(2014/5/21 香取淳子)

 

日本発 新教育モデルとは?

■文科省、OECDと共同で新教育モデルを開発か?

読売新聞(2014/5/6付)は、文部科学省が新しい学力を育成する教育モデルをOECD(経済協力開発機構)と共同で開発すると報じています。新しい学力とは、思考力、創造力、提案力、運営管理力などを総合し、複雑で正解のない問題を解決できる力だと定義づけており、開発には約2年をかけるそうです。その成果は2016年度をめどに全面改定される新学習指導要領にも反映されると書かれています。

この記事の見出しとリード部分を読んで、私はとても唐突な印象を受けました。というのも、ここ数年、ゆとり教育のせいで日本の子どもたちの学力が低下したと報道されてきましたから、私は、文科省が主導したゆとり教育モデルが子どもたちの学力低下を招いてきたと思っていました。それが今日の読売新聞では、「日本発 新教育モデル」という大きな見出しの下、一面トップ記事として報じられているのです。OECDはなぜ、子どもたちの学力を育成するのに失敗しているはずの日本の文科省と共同で、新教育モデルを開発しようとしているのでしょうか。違和感は去りません。

■安倍首相とOECD事務総長

本文を読んでみると、当初抱いた違和感は次第に薄れていきました。この共同開発案はOECD事務総長が安倍首相に提案したものだったようです。そこで、OECDのHPを見ると、たしかに、アンヘル・グリアOECD事務総長は4月9日に安倍首相を表敬訪問しています。グリア事務総長は官邸を訪れた際、アベノミクスの最初の成果はすばらしいものであるが、第三の矢である構造改革への取り組みが必要であり、支援したいと述べています。詳細はこちら。http://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/oecd/page18_000269.html

実はその前日の8日、グリア事務総長は都内で記者会見をしています。時事通信によると、安倍政権が6月に打ち出す成長戦略の改訂版について彼は注文を付けたといいます。たとえば、教育や労働市場などの個々の改革はパッケージとして相互に補完し合うものでなければならず、日本経済の改革を促す中長期的な政策でなければならないというようなものです。詳細はこちら。http://www.jiji.com/jc/zc?k=201404/2014040800900&g=eco

そして、今日5月6日、安倍首相はOECDフォーラムで基調講演を行いました。首相は最後の方で、「OECD東北スクール」の活動に触れていました。これは、OECDと文科省、福島大学が東日本大震災の復興の担い手とグローバル人材育成を目的に行っている活動を指します。カメラがパンすると、傍らでグリア事務総長がにこやかに聞いている姿が捉えられていました。演説が終わると盛大な拍手が起こっていました。安倍首相の演説はこちら。http://webcastcdn.viewontv.com/client/oecd/forum2014/video_d9b94450563470bf5efa59d423e03a79.html

■日本の子どもたちの学力、数年で復調

OECD加盟国と参加希望国・地域に居住する15歳の子どもを対象に3年に一度実施される国際学習到達度調査(PISA)があります。2012年度のこの調査で日本は読解力と科学で4位、数学で7位となりました。OECD加盟国の中では、読解と科学は1位、数学は2位でした。PISA結果の推移を示したのが下のグラフです。これを見ると、科学と数学は2000年度に及びませんが、読解力は2000年度を抜き、飛躍的な向上を示しています。低迷していた2003年度、2006年度に比べると、わずか6年で学力向上に大きな成果を果たしていたことがよくわかります。

日本は「脱ゆとり教育」で学力回復軌道に(筆者作成)

出所:http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20131203-00030318/

■日本発 新教育モデルとは?

読売新聞がなぜ、今日、この記事をトップニュースとして扱ったのかがわかりました。安倍首相のOECD基調演説と連動した記事だったのです。そして、この演説は6月に改訂版が出されるといわれる安倍政権の成長戦略とも関連しています。深刻化する少子高齢化という状況を踏まえながら、日本が今後も成長していくためには、ICTによってグローバル化した社会に対応していける人材育成であり、女性の活用です。安倍首相はOECD基調演説の中で女性の活用にも触れていました。

グリア事務総長が安倍首相を表敬訪問した際、成長戦略の改訂版について注文をつけたように、それぞれの領域毎の改革を関連づけて行わなければ成果を出すことはできません。とりわけ重要なのが、人材育成(教育)であり、女性の活用(労働市場)ではないかと私は思っています。

新教育モデルの開発には、「OECD東北スクール」の活動が参考にされるとされています。福島の中高生が農家を支援し、ゼリーの開発を提案、実際に販売されるようになった活動を参考にしながら、新教育モデルの開発に臨むというのです。その過程で現在、未来の社会に役立つ能力を涵養できると考えられるからでしょう。実際、「OECD東北スクール」活動の結果、子どもたちの課題解決能力、発想力、チームワーク力などが向上したそうです。

そのような実績があるのなら、2年後の新教育モデルに期待しようではありませんか。教育改革にはとかく異論反論が続出しやすく、せっかくのアイデアも頓挫しがちです。とはいえ、子どもが社会で自立して生きていける能力を身につけさせるのが教育の本質であるなら、そろそろ時代に見合った新しい教育モデルが登場してきてもいい頃だと思います。急速に変化する時代に教育システムがマッチしない状況があまりにも長く続いてきましたから。

もちろん、OECDと共同で開発される教育モデルですから、経済成長を目的としたものになるでしょう。その種の限界があることは常に念頭に置きながら、時代の変化に合ったよりよい教育モデルを模索することは大切だと思います。(2014/5/6 香取淳子)

 

Google :日本の大学教育に参入

Google :日本の大学教育に参入

このブログでは今月に入ってから、次々とGoogleが様々なレベルで日本の教育に参入していることを報告してきました。就学前児童に対するもの、義務教育レベルの子どもたちに対するもの、通信制高校レベルの生徒に対するもの、いずれも、クラウド・コンピューティングシステムを使って、オンライン教育を実施するものでした。

「iPadとアプリゼミ」(4月11日)、「学びのイノベーション」(4月14日)、「Google:日本のICT教育支援」(4月15日)、「Google Appsで全面ネット制高校」(4月16日)、等々。

まだ始まったばかりなので、どのような結果を生むのかはわかりませんが、子どもについて実証研究を行ったところ、子どもたちが自発的に授業に参加している、楽しみながら学習に取り組んでいる、等々のpositiveな反応、国語については施行後の成績が上昇したという結果が得られています。

この流れでいえば、大学教育に取り込まれるのは時間の問題でしたが、案の定、今年の4月から京都大学でGoogleが関与するedXを使ったシステムでオンライン教育が行われました。

■MOOC と大学教育

いわゆるMOOC (Massive Open Online Courses) と呼ばれるオンライン教育システムの中で大学教育を対象にしたものとしては、Coursera や edX があります。大学講義系のMOOCは、大学としてプラットフォームに参加し、プログラムを提供しているので、基本的に教授が自分でコースを開設することは難しいといわれています。

日本の大学でMOOCに最初に参画したのは東京大学で、Courseraのプラットフォームで行いました。2013年9月に第一弾として「From the Big Bang to Dark Energy」、その後、第二弾として「Conditions of War and Peace」が提供されました。

東京大学によると、このオンライン授業は、「世界150ヵ国以上から8万人以上が登録し、約5400人が修了」したということでした。2014年度はさらに、経済学分野、情報学分野の2講座を新規に設定し、Courseraで開講する予定なのだそうです。

この記者発表ではさらに、東大では、このMOOC提供の取り組みを進展させるために、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(以下MIT)が出資して設立されたMOOCプラットフォームのedXと配信協定を締結し、2014年秋から提供することを伝えています。

詳細はこちら。 http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_260218_j.html

この記者発表では東大が2014年からedXでオンライン授業を開始することが明らかになりました。2013年に東大はCourseraでオンライン授業を開始したにもかかわらず、2014年からはedXでも始めるというのです。

■京都大学で始まったMOOC:edX

2014年4月10日から京都大学で生命科学のオンライン講義が開始されました。edXをプラットフォームにしたオンライン講義は日本ではこれが初めてです。提供されるのは、京大の上杉志成教授による「生命の科学」という授業でした。

講義の詳細はこちら。

https://www.edx.org/course/kyotoux/kyotoux-001x-chemistry-life-858#.U1D2rSyKDuh

英語を聞き取りにくい学生のために字幕付き、速度調節といった補助機能も装備されていたようです。そのせいか、受講学生の反応もよく、「How exciting!」 とツィッターで書いているほどです。

このedXは、米ハーバード大学、米マサチューセッツ工科大学が設立した非営利組織が運営するものです。米カリフォルニア大学バークレー校、米ジョージタウン大学がすでに講義を提供していますが、アジアでは京都大学、北京大学、精華大学、ソウル大学などが参加しています。

大学教育に向けたMOOCのプラットファームとしては、Coursera と edX があります。これらがどのように違うのか、見てみることにしましょう。

■Coursera と edX

北海道大学の重田准教授によると、Courseraの受講者が400万人以上、 edXの受講生は120万人だそうです。設立されて間もないにもかかわらず、大規模な人数の参加がみられます。なぜ、急激に普及してきたのでしょうか。

Kisobiファウンダーの浦部洋一氏はその原因を以下のように考察しています。

*********

・大学の授業内容を、誰でも受講可能にしている。

・基本的いん、無料で受講できる(修了認定証などは有料の場合がある)

・講義画面を公開するだけではなく、レポートを提出したり、コミュニティで議論したり、実際のクラスに近い仕組みを提供している。

・多くの大学が参加しており、講義の種類と量が増えている。

・インターネットの高速通信や、ノートPC、タブレット端末の普及、などオンライン学習に適したインフラが整ってきた。

・クラウドなどのIT技術の進化により、動画の配信やWebサイト運営のコストが大幅に下がった。

・MOOCsベンチャーをVCが支援しており、各社サービスが充実している。

*********  以上。 詳細はこちら。 http://kisobi.jp/online-learning/3604

このように利点は多いのですが、浦部氏は次のようにMOOCsの課題を指摘しています。

********

①ビジネスとして成立するのか?

②MOOCsの授業の学習効果は低いのではないか?

******* 以上。   詳細はこちら。 http://kisobi.jp/online-learning/3604

まだまだ始まったばかりのMOOCsであるが、世界の著名大学がこの方向で動いているので、日本の大学もこの流れに乗らざるをえなくなると思います。日本でもまずは東大、京大といったトップ校から開始されています。

京都大学の授業に対する学生の反応から明らかになったように、字幕や速度調節など、英語を聞き取りにくい学生のための補助装置が装備されているようです。ですから、今後、この流れは加速していく可能性があります。

デジタル教材の無料公開、デジタル教材を使った教育環境、等々が教育の機会均等に大きく貢献することは確かです。しかも、これはグローバルな展開が可能です。環境整備が整えば、意欲の有無が学習機会の多寡にこれまで以上に大きく影響してくるでしょう。いよいよ大学教育のグローバル化の時代を迎えたのです。(2014/4/18 香取淳子)

 

Google Apps で全面ネット制高校

Google: 全面ネット制高校

■全面ネット制高校の誕生

産経新聞(2014年4月15日付)は、クラウド・コンピューティングなど最新のインターネット環境を全面導入した初の通信制高校が4月下旬に授業を開始すると報じています。今月開校した通信制のコードアカデミー高等学校が、米グーグルのアプリを使ってほぼすべての学習を行うというのです。

「大好きなインターネットで未来を開く」というキャッチフレーズで生徒募集をしているコードアカデミーは、長野市にある学校法人信学会が、企業向け教育ベンチャーの協力を得て設立した広域通信制・単位制課程普通高校です。この高校では、ソフトのプログラミングが必須科目になっているといいます。

コードアカデミー高等学校の詳細はこちら。 http://www.code.ac.jp/

■Google Apps とは?

前回、取り上げたのは義務教育課程の小中学校に対するICT支援でしたが、今回取り上げるのは、通信制高校に対する支援です。

授業では、情報共有のためにグーグルのソフト「Google Apps」の教育機関版を採用するのだそうです。このソフトを使い、テキストや動画を含む教材や課題、レポート提出はもちろん、複数の生徒との質疑応答もネット上で行うといいます。テレビ会議システムを使って、ライブ授業や面接指導も行いますから、一般的な通信制高校では難しかった対面指導も可能だといわれています。

GoogleAppsはGoogleのオンラインアプリケーションパックです

上の図はGoogle Appsの概念図です。メール、カレンダー、ドライブ、ドキュメント、サイト、グループ、トークなどこれまでにグーグルが進化させてきたソフトを組み込んだ統合システムだということがわかります。クラウド・コンピューティングシステムを使って、きわめて生産性の高い仕事ができるシステムを構築しているのです。

Google Appsについての詳細はこちら。 http://www.appsupport.jp/googleapps/

■反転授業とは?

具体的な進め方としては、生徒がパソコンやタブレット端末、スマートフォンで年8回の課題を受け取り、必要に応じて教師とやり取りしながら、解答を送信します。その際、いま注目されている「反転授業」が試行されるといいます。

反転授業とは、これまでのような説明型の授業をオンライン教材にして事前学習の宿題にし、説明型の授業では授業の後で宿題にされていた演習や応用課題を教室で、対面で行う学習形態のことをいうようです。

実際の授業時間では、対面であることを活かし、個々の生徒に教師が説明をしたり、普段解けないような難しい問題に挑戦する時間にしたり、グループ学習やアクティブラーニングを行ったりするといいます。

反転授業についての詳細はこちら。http://flit.iii.u-tokyo.ac.jp/seminar/001.html

■新しい試みは常に周縁から

このような形態の授業を通信制高校で4月下旬から実施するというのです。画期的なことだといわざるをえません。新しいことは周縁から生まれるといいますが、この試みも長野県の学校法人が通信制高校の場で試行されるようです。チャレンジ精神のあふれた高校生が新しい形態の授業を通して、次代を担う情報技術をしっかりと身につけ、社会をリードしていってもらいたいと思います。(2014/4/16 香取淳子)

 

Google : 日本のICT教育支援

Google : 日本のICT教育支援

情報機器の進化に合わせ、社会が大きく変化しています。それに対応して、教育内容、方法、教材も変えていこうというのが、最近の文科省をはじめとする一連の動きです。今回はNPO法人CANVASのプログラムを紹介することにしましょう。

■PEG、東京大学でキックオフイベント開催

2014年2月8日、東京大学でPEGのキックオフイベントが開催されました。PEGとは、Programming Education Gatheringの略で、6歳から15歳の子どもを対象にプログラミング学習を普及させていくことを目的にしたプロジェクトです。その主体は子ども向け参加型創造・表現活動の全国普及・国際交流を 推進するNPO法人CANVAS です。CANVASがGoogleと連携し、「コンピュータに親しもうプログラム」を立ち上げたのです。

詳細はこちら。 http://www.canvas.ws/programming/event.html

ちなみにGoogle はこの2013年10月29日、日本のICT教育を支援するため、「コンピュータに親しもう」プロジェクトを開始すると発表しています。GoogleがRaspberry Piを5000台提供し、CANVASと協力して1年で2万5000人以上の児童・生徒の参加を目指すというのです。

詳細はこちら。http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20131029/514542/

■Raspberry Pi

ここでは、Raspberry Pi や Scratch を使ったワークショップが中心になっています。義務教育の場である小中学校にはパソコンが配備されているというのに、なぜ、パソコンではなく、小型のPCボードであるRaspberry Pi を使うのでしょうか。

Raspberry Pi - Wikipedia

上の写真がRaspberry Piです。非常にシンプルなカード・サイズのコンピューターで、誰でも簡単にプログラムすることができるといわれています。それにしてもなぜ、すでにパソコンが配備されているのに、Raspberry Piなのでしょうか。

■なぜ、Raspberry Pi なのか

このPEGのワークショップを監修している阿部和弘氏に対するインタビューをみてみることにしましょう。

阿部氏はこれまでにRaspberry Pi 上でScratchを動かすワークショップを数多く実施してきたそうです。その阿部氏が経験を踏まえ、子どもたちがプログラミングを継続して学習するには、現状ではRaspberry Pi が最も適していると判断しているというのです。

彼はその理由として以下の5点を挙げています。

**********

①コスト:Raspberry Pi は他のデジタル機器に比べ非常に安価。高機能版でも3000円代から入手可能。

②基盤むき出しで提供されている:基盤がむき出しになっているので、教育向き。

③地デジ対応TVに接続して使用可能:家庭の地デジに接続可能なので、学校だけではなく、家庭でも使用できる。

④Raspberry Pi にはGPIO(汎用入出力)があること:GPIOはきわめて原始的な入出力端子なので、LED(発光ダイオード)、センサー、スイッチなどをつないで電子工作が容易にできる。

⑤自らプログラムを書けること:Raspberry Pi では子ども自身がプログラムを書いて何かを作り出す環境が整っている。Scratchなどが用意されており、それらを使ってモノ作りを体験できる。

****** 以上。

詳細はこちら。http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20140304/541114/

■主体的に学ぶとは?

たしかに、これまでの情報機器は与えられたアプリケーションを消費するだけでした。義務教育の段階で、自分でプログラムを作る機会が与えられれば、子どもたちは能動的に情報機器を活用するようになるでしょう。それこそが情報社会に適応していくための教育といえます。

阿部氏はこうも述べています。

**********

Raspberry Pi のように子どもたちが主体的に扱えるデバイスを使えることが大事だと考えている。

理想的には一人一台ということが重要だ。自分のものになれば、だれにもじゃまされずに使えるし、愛着もわく。自分のRaspberry Pi を使って何かを作ろうというモチベーションになる。

子どもにRaspberry Pi を与えるというのはLinuxワークステーションを与えることと同じであり、スキルさえあれば何でもできる。

ネットにつながってなんでもできるRaspberry Pi をもらうということは、自由を得るだけではなく相応の責任を負うことにもなる。

だからこそ、はじめは保護者やファシリテーターの目の届くところで使ってもらう必要がある。危険なものを子どもから取り上げるのではなく、その扱い方をきちんと身につけてもらおうとしている。

********* 以上。

詳細はこちら。http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20140304/541114/

このように阿部氏は、Raspberry Pi を教育で活用することの意義を説明したうえで、これを提供する先は、「Raspberry Pi を使って何かできないだろうか」という意欲を持った組織だと言明しています。

■情報(情報機器等)を生産することを学ぶ

21世紀に入って早14年目になってしまいました。この間の情報革命は驚くほどの勢いです。使い勝手がいい状況で消費者の前に登場してくるので、その仕組みがわからないまま、日々、私たちはスマホやタブレットに接触しています。

いまや仕組みがわからないまま使っていることにさほど危機感を覚えず、新しい機器の操作に慣れようとしています。はたして、それでいいのでしょうか。それこそ、情報(情報機器等を含む)を生産できる側と、ただ消費するだけの側とに分離してしまっているように思えます。

それがおそらく新たな格差の根源になっていくのでしょう。だとすれば、それこそ義務教育の段階から情報(情報機器等を含む)を生産できる能力を養うことが重要なのではないかと思います。(2014/4/15 香取淳子)

学びのイノベーション:授業の電子化

学びのイノベーション:授業の電子化

知らない間に教育現場のICT化が進んでいるようです。日経新聞(2014年4月12日付)は、「タブレットや電子黒板活用」「授業分かった、9割」との見出しをつけて文科省が出した報告書の内容を紹介しています。はたしてどのような内容だったのか、文科省のホームページを参照しながら、概観してみることにしましょう。

■実証研究の報告書

4月11日、文部科学省は電子教材を使って授業する実証研究についての報告書を出しました。今回の実証研究は教育のICT化に関するもので、2011~2013年度に、小中学校の児童・生徒約5700人を対象に実施されました。この3年間に文科省は、ICTを活用した教育の効果・影響についての検証、指導方法の開発、デジタル教科書・教材の開発などを行ってきましたが、その結果についての報告です。

たとえば、ICTを活用した指導方法の開発についてはどうなのか、報告書の概要からその一端を紹介しましょう。

■ICTを活用した指導方法の開発

これについては学習場面ごとにICTの活用を類型化し、実証実験を行っているようです。

①従来型の一斉学習については、教材、教具の電子化により、わかりやすい授業が試行されています。

②個別学習については、ⅰ習熟度に応じた個別学習、ⅱ調査活動を通し、ネットでの情報収集、写真や動画による記録、ⅲシミュレーションなどのデジタル教材を活用し、思考を深める学習、ⅳマルチメディアを活用し、資料や作品の制作、ⅴ情報端末の持ち帰りによる家庭学習、などが試行されています。

③協働学習については、ⅰグループや学級全体での発表や話し合い、ⅱ複数の意見や考えを議論して、意見を整理、ⅲグループでの分担、協働による作品の制作、ⅳ遠隔地や海外の学校等との交流授業、などが試行されています。

これはほんの一端ですが、文科省は、以上のように授業のイノベーションを通して教育改革を行い、次世代を担う人材を育成しようとしているのです。内容を見ると、これまでにいわれてきたこととそれほど大きく変わることはありませんが、「思考を深める学習」が取り上げられているのは興味深いことです。

産業化社会としてくくられることの多かった20世紀とは明らかに社会の在り方が異なってきています。学びの多様性を実現するために、教育改革、とくに、指導方法の開発は重要です。

子どもたちが今後どのような社会で生きるようになるのか、それを踏まえた上での基礎学力、教養、処理能力の育成が行われなければなりません。下図は先導的な教育ICTシステムです。

■先導的な教育ICTシステム

 

上の図は、http://www.japet.or.jp/Top/Cabinet/?action=cabinet_action_main_download&block_id=12&room_id=66&cabinet_id=1&file_id=287&upload_id=1270

図にしっかりとクラウドが示されているように、このような教育システムはクラウド・コンピューティングの技術によって支えられています。クラウドなど最先端技術によって、学校間、学校と家庭などで情報を共有し、垣根の障壁を超え、シームレスに交流できるような教育体制が構想されています。

3年間にわたる実証研究の結果、授業のICT化によりとくに国語の成績の悪い層の割合が10ポイント減少されたと報告されています。子どもたちに関心をもってもられるような授業内容にすることによって、とくに国語で効果が見られたというのです。

情報技術やメディアの発達によって、今後ますます複雑で多様な社会になっていくのだろうと思われます。それだけに、社会変容に見合った教育が必要です。教育現場では実証実験をし、その結果の検証作業を繰り返しながら、より適切な内容のものに組み替えられていくのでしょう。

どうすれば、子どもたちが社会の中で自分の居場所を見つけ、自分の能力を存分に発揮して生きていくことができるようになるのか、その基盤となる能力を養成する教育システムの重要性はますます高まってくると思います。慎重で積極的、かつ的確な教育改革を望みます。(2014/4/14 香取淳子)