ヒト、メディア、社会を考える

05月

「World Exhibition 2021」:作品と作家が抱える文化

■World Exhibition 2021の開催

 2021年4月29日、豊洲シビックセンター1Fギャラリーで開催された「World Exhibition 2021」に行ってきました。豊洲駅から徒歩1分、とてもアクセスのいい展示場で、授賞式に合わせて着いてみると、すでに何人か来ておられました。

 この展覧会の主催はAsian Artists Network(代表:山田陽子氏)、共催がアートスペース銀座ワン、後援が外務省/国際機関日本アセアンセンターです。外務省やアセアンセンターが後援者になっているので、気になって、案内ハガキを見ると、出品者は56名、そのうち、アジアからの出品者は18名でした。どうやら美術を通してアジアとの交流を図る展覧会のようです。

 会場では、油彩、アクリル、水彩、切り絵、オブジェなど様々なジャンルの作品が展示されていました。画材が違えば、手法も違う多様な作品を前にして、審査も難しかったのではないかと思いますが、当日14:00から、受賞者の発表、美術評論家の清水康友氏によるギャラリートークが行われました。

 受賞者はグランプリが片岡真梨奈氏、準グランプリが如月夕子氏といちまるのり氏、そして、特別準グランプリとして、momomi sato氏が受賞されました。

 事前に展示作品を一覧していましたが、受賞作品は私が好印象を抱いた作品ばかりでした。いずれも画法や画題、視点などが新鮮で、意欲的な姿勢が感じられます。もっとも、会場には、受賞しなかったけれども、印象に残る作品がいくつかありました。

 そこで今回は、①グランプリ受賞者の作品、②受賞はしなかったけれども印象に残った作品、③アジアの作家の中で印象に残った作品を見ていくことにしたいと思います。この展覧会では、作品概要としてサイズ、制作年などは書かれていませんでしたので、ここでは作家名とタイトルだけを記します。

■グランプリ受賞者の作品

 グランプリを受賞した片岡真梨奈氏は受賞作品以外にも出品されていました。これら2作品を見ると、片岡氏のスタイルはすでに出来上がっていて、独自の表現世界が築かれているように思えました。とても印象深く、しかも、快さの残る作品でした。まず、受賞作品から見ていくことにしましょう。

●片岡真梨奈氏《待ち合わせ》

 2枚のカンヴァスが、位置をややずらして繋げられ、一つの作品として構成されています。下のカンヴァスはペールベージュを基調に、上は白を基調にした色調でまとめられています。いずれも色彩のバランスが快く、優しい落ち着きが感じられます。

 一見、別々の絵が2枚、繋ぎ合わされているかのように見えますが、実は、上と下のモチーフは繋がっており、一つの光景が描かれています。

 下の絵には女性が道路際で立っている姿が描かれています。肩をすくめ、所在なげに佇んでいます。これがメインモチーフなのでしょう。待ち合わせをしているのに、その人はまだやって来ない、そんな時のちょっと不安な心情が、ペールベージュを基調とした画面に的確に表現されています。

 女性の傍らには歪んだ郵便ポストのようなものがあります。おそらく、これを目印にして待ち合わせているのでしょう。人気のない道路にただ一人、ぽつねんと立ちすくんだ様子がなにやら寂しげです。

 女性の背後には大きな木が上に伸び、上の絵につながっています。上の絵の地色が白いので、まるで下の絵を覆っていたペールベージュのフィルムを引き剝がしたかのように見えます。

 下の絵と上の絵とは、この大きな立木と背後のマンションとでつなぎ合わされていますが、いずれも歪んで描かれています。まるで台風のときのような強風に煽られ、大きく揺れているかのように見えます。

 上の絵では、葉を落とした枝が大きく揺れ、電線のようなものが何本も空に舞い、その空の真ん中に人形のようなものが描かれています。相当強い風が吹き荒れていることがわかります。ところが、不思議なことに、同じ光景のはずなのに、下の絵はそれほどでもありません。荒れているように見える上の絵は、ひょっとしたら、待っている女性の心象風景なのかもしれません。

 やや引き下がって、全体を見てみると、画面上に直線は一つもなく、かといって整った曲線というものもありません。あらゆる線はすべて不揃いに曲がりくねり、デコボコしています。道路標識、排水溝、郵便ポスト、センターライン、建物、塀、ステイコーンなど、本来まっすぐなはずの線や円がそうではなく、不定形で捉えられているのです。

 不揃いで、デコボコの線でモチーフが形作られているのがこの作品の特徴の一つです。そのせいか、画面全体からは柔らかく、優しく、ユーモラスな印象を受けました。陰影もなく、イラストのようなフラットな描き方の中に、自然の息遣いと和らぎを感じたのです。ふと、誰か忘れましたが、自然界に直線はないと言っていたことを思い出しました。

 一方、人工的な建物、塀、道路のセンターラインなど、本来、直線であるべき箇所も同じように歪んで描かれているので、不安感、あるいは、不全感といったようなものも感じられます。いってみれば、現代人の多くが抱え持っている心情が感じられたのです。

 片岡氏独特の描き方によって、日常的な光景を画題としながら、現代社会の日常に潜む不安が浮き彫りにされています。素晴らしいと思いました。この作品はアクリルで制作されています。

 会場を見て回ると、片岡氏はもう一つ、出品されていました。《あの子の/The child》というタイトルの作品です。

●片岡真梨奈氏《あの子の/The child》

 まるでイラストのようなフラットな描き方、歪んでデコボコのある輪郭線、調和のとれた色彩など、先ほど、ご紹介した《待ち合わせ》と似た特徴を備えています。この作品もアクリルで制作されています。

 落ち着いた赤と黄土色、これは夕焼けをイメージさせる色彩です。それに、夕闇をイメージさせるやや暖色がかった黒を射し色として加え、この三色で画面は構成されていました。色数が少ないにもかかわらず、詩情豊かな世界が表現されています。

 子どもにとって、夕焼け時といえば、外遊びをやめて、家に帰らなければならない時刻です。それを惜しむかのように、帽子をかぶった子どもが、画面の中央右側に佇んでいます。その後ろには影が長く伸びています。やや間をおいて、左の方にももう一人、小さな子どもの姿が見えます。この子どもの背後にも影が描かれています。

 よく見ると、さまざまなモチーフすべてに長く伸びる影が描かれています。そのせいか、画面全体から寂寥感が漂ってきます。遊び疲れて陽が沈む、誰もが子どものころ経験したあの寂寥感です。何気ない日常の光景を描きながら、観客を画面に引き寄せる魅力を持った作品でした。

■受賞しなかったけれども、印象に残った作品

●ワッレン真由氏《Big Kiss》

 会場を一覧した際、真っ先に目に飛び込んできたのが、この作品でした。

 画面からはみ出しそうに見えるほど大きく、子どもの顔が描かれています。唇を大きく突き出し、甘えるように見つめる視線に引き込まれます。子どもがふとした瞬間に、親密な相手にだけ見せる表情が生き生きと捉えられていました。

 わずかに見える背景も、子どもが来ている服も、この表情を活かすかのように、顔色と同系色でまとめられています。タッチは荒く、パステルか何かでさっとスケッチしたような印象ですが、実際は油彩とアクリルで制作されていました。

 おそらく、このような描き方だからこそ、子どもの一瞬の表情が捉えられているのでしょう。素朴でありながら、訴求力が強く、絵画が持つ原初的な力を見せつけられたような気がしました。

 ワッレン真由氏はもう一つ、作品を出品されていました。《Funny Face》です。

●ワッレン真由氏《Funny Face》

 先ほどの作品と同じような手法で、子どもの表情が捉えられています。こちらも子どもの瞬間の表情がスケッチ風に描かれています。

 画面いっぱいに、子どもが目を大きく見開き、両手で頬を突いている姿が描かれています。圧迫されたせいで、頬は歪み、それに合わせて唇がとがったように突き出ています。先ほどの《Big Kiss》と同じような恰好で唇が突き出ているのですが、こちらは頬が圧迫された結果なのです。多少は痛みもあるのでしょうか、子どもの目の表情が硬いのが気になります。

 《Big Kiss》の場合、明らかに子どもが自発的に見せた表情ですが、《Funny Face》の場合、「やってごらん」といわれて、子どもが無理やり両の拳で頬を突き、その圧力で現れた歪んだ表情です。目の表情が硬くなるのも当然でしょう。この画面からは「Funny」よりむしろ、「強制」のに文字が浮き上がってきます。

 ヒトの顔のインパクトが強いのは、多くの情報がその中に含まれているからだと思います。通常、観客はなによりもまず、ヒトの顔を注視し、無意識のうちに、その表情から情報を読み取り、その結果を総合的に判断します。ですから、時に、作家の意図とは違う反応を示してしまいます。《Big Kiss》ほど、この作品に引き込まれなかったのは、この目の表情のせいでした。

 さて、この会場の約32%はアジアからの出品者でした。印象に残った作品をご紹介していくことにしましょう。

■アジアの作家の中で印象に残った作品

●Le Than Thu氏の作品《Woman》

 描き方に特徴があったので、この作品の前で足を止めました。作者のLe Than Thu氏はベトナムの出身です。

 ベトナムのホーチミン市を訪れた際、このような描き方の作品を見たことがあります。絵具を厚く塗り、ナイフで適宜、削っていく方法です。一見、荒っぽく見えますが、さまざまな色を重ね、削って陰影を出し、女性ならではの微妙な表情が表現されています。とても繊細な仕上がりの作品になっていると思いました。

 背景や顔面の要所、要所に配された青系の色調が、この女性に都会的で洗練されたイメージを付加しています。憂いを含み、儚げな美しさが印象に残ります。この作品は紙を支持体にアクリルで制作されています。

●Wai Oo Mon氏《The Corridor》

 会場を一覧した際、陽射しの描き方に惹かれ、この作品に見入ってしまいました。タイトルは《The Corridor》、作者のWai Oo Mon氏はミャンマーの出身です。

 ミャンマーには行ったことがないのですが、ベトナムに行った際、ハノイでこのような建物を見かけました。長い廊下に射しこむ陽光が的確に捉えられています。モチーフの配置と構図が素晴らしいと思いました。

 手前から画面の中ほどまで、強い陽射しを受けた木々の葉影が描かれています。そこから先は廊下に葉陰がなく、歩く女性の右肩やスタートに光が当たっている様子が白色で表現されています。廊下の突き当りには木があり、その葉が陽光に照らし出され、明るくきらめいています。

 何気ない日常の光景を捉えているだけなのに、この作品には、見飽きることのない力がありました。

 たとえば、女性が歩く幅広で天井の高い廊下には、暑さを遮断するための、現地の人々の生きる知恵と生活文化が感じられます。文化と気候、歴史が感じられる奥深い作品でした。この作品はカンヴァスに油彩で制作されています。

●Aung Thu氏《Waiting》

 透明感のある色彩の柔らかさに惹かれ、この作品の前で足を止めました。《Waiting》というタイトルの作品です。作者はAung Thu氏、ミャンマーの出身です。

 誰が大切な人を待っているのでしょう。女性が髪に花を挿し、ベンチに座っています。背後の木の幹や枝の表現が、なんと詩情豊かに、美しく描かれているのでしょう。木の幹や枝など普段、気にもとめないのですが、これほど情感たっぷりに描かれると、見入ってしまわざるをえません。まるで、この木が主人公のようです。

 右側の木の幹、正面の建物、左下の大きな影、いずれも画面の中で大きな面積を占めている箇所です。それが紫色でまとめられているのです。そのせいで、木々の葉や草、女性の衣服などが柔らかく、爽やかに見えます。

 目では捉えられない、風や気温といったものが、この作品では柔らかい色彩を組み合わせて、表現されています。うだるような暑さの中、そっと気持ちのいい風が葉陰から吹いてくるのさえ感じられます。見ていると、気持ちが和み、幸せな気分になってきます。透明水彩の特徴を活かした描き方で、清涼感が感じられます。この作品は水彩で制作されました。

●溝口赫舎里氏《満洲魂》

 会場を一覧した際、気持ちの奥深く訴えかけてくるものがあると感じられたのが、この作品でした。作者は溝口赫舎里氏、中国の出身です。

 何の花でしょうか。まるで深海の底で花開いたかのような趣があります。海をイメージさせる群青色が基調になっているせいでしょうか。

 画面上方に、群青色の泡のようなものが無数に描かれています。ダイバーが吐き出す呼気にも見えます。この無数の泡のようなものには、上方に向けての動きが見られ、そこに生命の営みが感じられます。とはいえ、画面の中に他の生命体は見当たらず、この花だけが一群となって咲いています。

 花弁の先が白で強調され、花芯が金で表現されています。一群の白い花の中央は金色の花粉のようなものが散らばり、花はぼやけています。そこを中心に、辺り一帯から沸き立つように、金色の花粉のようなものが立ち上り、上方に向かっています。

 一体何が描かれているのでしょうか。ヒントを求めて、タイトルを見ると、《満洲魂》と書かれています。

 調べてみると、満洲族は清朝を起こし、栄華をきわめた後、現在は55を数える少数民族の一つとして、中華人民共和国に属しています。国政調査によると、2010年時点で人口は1038万人だそうです。かつて支配階級として繁栄を誇っただけに、いまなお満洲魂への想いは篤いのでしょう。は脈々と受け継がれているのでしょう。

 Wikipediaによると、満州族の教育水準は高く、人口1万人当たりの大学進学者数は1652.2人、中国平均は139.0人、漢族平均は143.1人です。満州族の教育水準がいかに高いかがわかります。そのせいか、満州族は固有の文化を失いながらも、民族意識はとても高いといわれているそうです。

 このような満州族の置かれた背景を知ったうえで、この作品をみると、改めて、この作品の奥深さがわかってくるような気がします。溝口赫舎里氏は《満洲魂》というタイトルで、この作品を制作しました。まさに魂を画面に入れ込んだのです。

 画面には、ダイバーが潜行できないほど深いところで、人知れず、ひっそりと咲いている一群の花が描かれています。深い悲しみも喜びも何もかも、一切合切を内に秘め、花として結実させている様子がうかがえます。一群の花の姿がたとえようもなく儚く、そして、健気でした。そのことに胸を突かれる思いがしました。

 民族の歴史を背負い、それを昇華し、芸術作品として仕上げていることに感銘したのです。やがて闇は晴れ、一群の花が地上で咲くときが来るにちがいないと思わずにはいられません。

■絵画を通してみたアジアの過去、現在、未来

 56人の作家の展示作品ざっと見て、深く印象に残った作品をご紹介してきました。①グランプリ受賞作品、②受賞しなかったけれども印象深い作品、③アジアの作家の印象に残った作品、等々です。作家の来歴もわからないまま、作品を見てきましたが、個々の画面には、アジアの画家たちの過去、現在、未来が色濃く反映されているように思えました。

 たとえば、片岡真梨奈氏の作品は、陰影もグラデーションもなく、輪郭線とマットな色遣いでモチーフが表現されていました。平面的な描き方のせいか、イラストのような味わいがあって、すべてがフラット化している現代社会の片鱗を感じさせられました。

 このような作品は、現代社会の潮流を皮膚感覚で受け止められる若者でなければ表現できないでしょう。すべてがデジタル化し、フラット化していく現代から未来にかけての文化を、この作品から読み取ることができます。

 ワッレン真由氏の作品は、スケッチ風に子どもの顔が画面いっぱいに表現されており、インパクトがありました。一瞬のヒトの表情を捉えるにはスケッチ風の粗さがマッチしていたのです。ただ、ヒトの顔は情報量が多く、クローズアップ画面にすると、それだけアラも目立つので注意する必要があると思いました。

 Le Than Thu氏の作品もヒトの顔をモチーフにしていますが、こちらはさまざまな色を重ね、厚塗りした絵具をナイフで削るという手法で描かれています。荒削りな中に、繊細さが感じられ、現代社会特有の都会的で洗練された文化を感じさせられました。

 Wai Oo Mon氏の作品は、技法をしっかりマスターしたうえでモチーフが表現されており、安定感がありました。この作品がいつ制作されたか知りませんが、現在、ミャンマーは大変な状況に置かれています。

 これまでもおそらく、ミャンマーにはさまざまな事変があったのでしょう。そのような社会状況下では、この作品で描かれたような平穏な日常が何よりも大切なのだと思います。そう思って、改めてこの作品を見ると、廊下に射し込む陽光の柔らかさ、突き当りに置かれた木の葉の輝きが丁寧に描かれており、いまさらながら、画題の持つ深淵さに気づかされます。

 Aung Thu氏の作品も同様です。木々や葉の描き方が優しく、気持ちが和みます。強烈なはずの陽光が柔らかい光に置き換えられ、透明水彩の特徴を活かしながら、平穏な日常生活の大切さが訴えられているような気がします。

 そして、溝口赫舎里氏の作品からは、失った文化への哀惜が感じられます。群青色を基調とした画面から、深く沈潜せざるをえない文化が表現されているように思えました。一方、花の中心一体は金粉が散らされて明るく輝き、やがては復活するという願いが込められているように見えます。

 会場にはこれ以外にさまざまな作品が展示されていました。伝統的技法で表現された作品もあれば、新たな表現世界を求めて技法や色遣いに工夫を凝らしている作品もありました。

 なにしろ出品者の32%がアジアの作家だったのです。それだけに、作品の端々に作家が生きた時代や社会の文化が顔をのぞかせており、とても興味深い展覧会でした。今後も継続して、このような展覧会が企画されることを期待しています。(2021/05/02 香取淳子)