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01月

「ボヘミアン・ラプソディ」:フレディ・マーキュリーのカリスマ性を考える。

観るたびに泣いた「ボヘミアン・ラプソディ」

 2018年12月下旬、はじめて「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。評判になっていたので、取り敢えず観ておこうという軽い気持ちでした。公開から1か月半以上経っていましたが、それでも、ひょっとしたら混んでいるかもしれないと思い、開場30分前に着くように出かけました。ところが、平日だったにも関わらず、すでに最前列の席しか空いていませんでした。そして、私のすぐ後で満席になってしまったのです。こんな経験ははじめてでした。

 この映画は2018年11月9日に公開され、その後、右肩上がりで観客動員数が増えています。日本の観客人口は限られていますから、リピーターがいなければ、このような現象はあり得ません。

こちら →https://blog.foxjapan.com/movies/bohemianrhapsody/news/

 実際、リピーターらしい観客を何人か見かけました。

 ドキュメンタリータッチの映画で、感動的な作品でした。ストーリー構成がよくできていたせいか、チャリティコンサート「ライブエイド」に至る直前辺りから、私は泣きっぱなしでした。どんな思いでフレディ・マーキュリーがこのライブに臨んだのかがわかりますし、なにより、ライブで提供された楽曲がどれもすばらしく、取り上げられた曲の歌詞の一つ一つが心に響きます。いつの間にか、画面のフレディの動きに合わせ、足を踏み、リズムを取っていました。ライブシーンに完全にはまり込んでいたのです。

 いかにクィーンのステージが素晴らしいものであったか。映画では、それまで芳しくなかった募金がクィーンの登場を機にみるみる増えていくシーンが挿入されていました。当時、この中継を見ていた人々はクィーンのステージを見て感動し、争うように寄付をしていったのでしょう。募金額は飛躍的に伸びていきました。

 映画を見終えてもこのときの感興は冷めず、私はその後しばらくユーチューブでクィーンの音楽を聴きまくりました。映画館で味わった感動を得たかったのです。

 1月下旬、再び、映画館に足を運びました。今度は日曜日でしたから、席が取れないかもしれないと思い、朝、映画館が開くのを待って出向き、座席を確保しておきました。この日は公開からすでに2か月以上経っていましたが、やはり大勢の観客が詰めかけていました。今回は明らかにリピーターらしい観客が多く、中にはワインを持ち込んでいる二人連れの観客も見かけました。迫力のあるライブシーンが多いので、きっとライブに行くような感覚で映画を見に来たのでしょう。

 今回もまた、私は「ライブエイド」に至る直前から涙が止まらなくなりました。こんなことはこれまで経験したことがありません。そもそも、これまで同じ映画を2回も見ることはありませんでした。ところが、この映画は2回見ても新しい発見があり、よく知っているはずのシーンなのに、独特のサウンドに包まれ、心に響く歌詞を見ていると、自然に涙腺が緩んでしまったのです。そして、再び、言葉では表現しがたい感動に包まれてしまいました。

 この映画はいったい何故、大勢の観客の気持ちをこんなにも揺さぶってしまうのか、その理由を考えてみたいと思います。

1985年7月13日、「ライブエイド」

 イギリスのウェンブリーで1985年7月13日に開催されたチャリティコンサート「ライブエイド」の会場で、クィーンがどれほど異彩を放ち、他の出場者たちを圧倒していたか。それを報告する「クィーンはいかにライブエイドのステージの主役の座を奪ったか」というタイトルの記事をネットで見つけました。2015年7月13日に公開されたものです。日付からは「ライブエイド」の30周年記念に寄せられたものだということがわかります。ご紹介しておきましょう。

こちら →http://ultimateclassicrock.com/queen-live-aid/

 ウェンブリーの会場には有名アーティストやクィーンよりもより人気があり、当時を代表する若いグループも参加していました。ところが、クィーンはその時、80年代初に勢いを失ってしまったグループだとみなされていて、あまり期待もされていなかったようです。

 ところが、この時、ステージで何かが起こったと、その記事は書いています。期待されていなかったクィーンに大観衆が猛烈な喝采を送ったのです。

 クィーンはこれまでの新旧の楽曲の中から6曲をピックアップして繋ぎ、20分間のショーに仕立てました。通常のライブでは最後に披露していた「ボヘミアン・ラプソディ」をトップに、「We are the Champion」を最後に編成したのです。

 「ボヘミアン・ラプソディ」は冒頭の混成パートは省かれ、いきなり、「Mama,I just killed a man」のフレーズが印象的なピアノの弾き語りから始まります。そして、ピアノの弾き語りの「We are the Champion」で会場全体を盛り上げ、大観衆を一体感の中に包み込んでから閉じます。20分間のショーはメリハリを利かせて構成されており、大観衆を引き込みながら、流れを作り、展開していく構造になっていました。フレディ・マーキュリーの計算が功を奏したことは確かです。

 意外性(「ボヘミアン・ラプソディ」)から始まるショーを,「観客との一体感」(「We are the Champion」)で締めくくった構成とメリハリをつけた編成の妙に感嘆してしまいます。ショーマンとしてのフレディ・マーキュリーの企画の才能は実演者としても発揮されました。

 クィーンが登場し、フレディ・マーキュリーがピアノの前に腰かけると、会場を埋め尽くした大観衆が沸きました。間奏の間も絶えず速いテンポでステージ上を動き回るフレディ・マーキュリーに合わせ、大観衆は一斉に高く手をあげ、足を踏み、歓声をあげました。ステージのフレディ・マーキュリーと大観衆とが一体化したのです。

 会場には7万5千人も集まったといわれます。

こちら →

(文春オンライン 2018/1/24より)

 この画像を見ると、このライブの規模の大きさがわかろうというものです。これだけ多数の人々がフレディの一言で手を高く挙げ、声を発したのです。ミュージシャンとしてのフレディ・マーキュリーはショーマンとしての企画力ばかりか、パフォーマーとして抜群の能力を持ち合わせていることを示してくれました。

切れ味のいいパフォーマンス

 映画の「ライブエイド」のシーンでは私もフレディ役のパフォーマンスに引き込まれ、知らず知らずのうちに、リズムに合わせて身体を揺らし、足を踏んでいました。フレディ・マーキュリーを正確に真似た演技に魅了されてしまったのです。

 それにしてもフレディ役のラミ・マレックの演技には驚きます。大観衆を前にしたステージで、まるでフレディが生き返ったのかと思うほどそっくりに、切れ味のいいパフォーマンスを見せてくれたのです。2019年1月28日、第50回全米映画俳優組合賞でラミ・マレックはこの演技が評価され、主演男優賞を受賞しました。実際の顔立ちは全く異なるのに、動作はもちろんのこと、表情までもフレディそっくりに演じきったところに俳優としての力量の高さを窺い知ることができます。

 この時のフレディ・マーキュリーと俳優ラミ・マレックを比較し、並べた画像がありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →

https://front-row.jp/_ct/17168728より)

 向かって左がフレディ・マーキュリーで右が俳優のラミ・マレックです。とてもよく似ています。クィーンの他のメンバーも同様、実物そっくりの俳優が起用されていました。この映画はフレディ・マーキュリーを軸にクィーンの半生(「ライブエイド」まで)を忠実に追った映画です。ですから、実物とよく似た俳優の起用もまた大ヒットの要因の一つだったといえるのかもしれません。

 それでは、実際の「ライブエイド」はどのようなものだったのか、当時の映像で見てみることにしましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=A22oy8dFjqc

 これを見ると、ステージ上のフレディの動きにはどんな場合も、切れがあることがわかります。たとえば、冒頭でピアノを弾くフレディはフレーズ毎に手を高く上げ、エッジを効かせた動きをします。そして、2分45秒ごろから始まるパフォーマンスでは膝をまっすぐに伸ばし、要所、要所で動作を止め、誇張した仕草を見せています。動作が次の動作に移る切り替えの時、動きを止めることによって、躍動感を生み出していることがわかります。

 このように連続した動きの中に静止した動きを取り込むことによって、どんなに遠くから見ていてもフレディの動きが切れ味よく、躍動感にあふれて見えます。フレディはおそらく、ストップモーションの効果を視野に入れてパフォーマンスを組み立てたのでしょう。音楽のテーマ、コンセプトに沿ったパフォーマンスだというだけではなく、どんなに遠くからでも認識できる動きを考案していたと考えられます。

ボヘミアン・ラプソディ

 1回目、最前列の席しか選べなかった私は、見上げるようにしてスクリーンを見つめていましたが、ウェールズの農園で「ボヘミアン・ラプソディ」をレコーディングする辺りから次第に引き込まれていきました。制作過程を扱ったシークエンスが興味深かったからでした。

 2008年にアップされた当時のクィーンのデモ映像を見てみることにしましょう

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=fJ9rUzIMcZQ

(クィーン公式ビデオより)

 1985年の「ライブエイド」では省かれていた混成パートがこのデモ映像には収められています。ハーモニーが美しく清らかで引き込まれます。若いころのクィーンが知性と熱情と冒険心を結晶化させて創り出したのが、この「ボヘミアン」でした。当然、デモ映像もそのコンセプトに沿うものでなければならず、フレディ・マーキュリーが考案したといいます。

 さて、映画ではこの混成パートを収録する時のフレディの姿がとても印象的でした。高音パートを担当するロジャー・テイラーにさらに高音を出すよう、フレディ・マーキュリーは何度もダメ押しをするのです。ロジャーが怒ってしまっても、妥協を許さず、完璧を求めるフレディ・マーキュリーにクリエーターとしての真摯な姿を見たような気がしました。

 そればかりではありません。フレディはテープが擦り切れそうになるほど音を重ね、終に新しいサウンドを創り出しました。こうして、オペラからバラード、ロックなどさまざまな音楽の要素を取り入れ、機材を使ってアレンジし、高い知性が感じられる楽曲を創作したのです。メンバーにさまざまなジャンルの音楽についての素養がなければできることではありません。

 基調となるフレーズを作ったのはフレディ・マーキュリーでした。

 歌詞が何とも魅力的です。映画の中で、「Mama, just killed a man」で始まるフレーズに出会ったとき、私は軽い違和感を覚えました。「今日、ママンが死んだ」で始まるカミュの小説を連想し、不条理な世界を描いているのかと思ったからでしたが、実際はまったく違っていました。

 続いて、「Mama, oh-,don’t mean to you cry. If I’m not back again this time tomorrow. Carry on, carry on, as if nothing really matters.」というフレーズを聞いたとき、不条理とは逆に、母親に詫びて真摯に自分の人生を歩んでいこうとするフレディの思いを強く感じました。

 実は、映画の中では伏線として、最初の部分でフレディが名前を変えたことを示すシーンが設定されていました。フレディ・マーキュリーは当時、イギリス領だったタンザニアのザンジバル島で生まれ、名付けられた名前はファルーク・バルサラでした。故郷で革命が起こった1964年にフレディの一家はイギリスに移住します。

 イギリスで活動するには名前を変えなければならないと考えていたのでしょう。バンドを結成するとすぐ、彼はフレディ・マーキュリーに名前を変えます。唖然とする家族やバンド仲間を前に、決然とした態度でこれからはフレディ・マーキュリーとして生きていくと宣言したのです。

 こうしてみてくると、「Mama, just killed a man」というフレーズは、彼が勝手にフレディ・マーキュリーというイギリス風の名前に変更することによって、ファルーク・バルサラを消してしまったことを指すのでしょう。ですから、その後に、「Mama, oh-,don’t mean to make you cry. 」という歌詞をつないで、生んでくれた母親に詫びたのだと私は思いました。

不安定なアイデンティティの基盤

 18歳で母国を離れ、イギリスに移住せざるをえなかったフレディ・マーキュリーのアイデンティティの基盤がいかに不安定なものであったか、想像を絶するものがあります。

 映画の最初の方で、空港でアルバイトをしていたフレディが、「パキ野郎」とののしられるシーンがありました。パキスタンからの移民と思われたからでしょうが、フレディが実際にどれほど多くの差別的な待遇を受けてきたか、このシーンを見ただけで容易に想像できます。

 移民としてイギリスに移住したフレディはイギリス人風に名前を変え、やがて有名になってお金を稼ぎ、次々とコンプレックスの原因となるようなものを除去していきます。ただ、どうしても取り除けなかったものが、性的指向性でした。7年間も同棲していたメアリーに、自分が同性愛者だとフレディは告白します。当時はまだ同性愛者に対する社会の目が厳しかっただけに、このシーンで私はフレディの誠実さを感じさせられました。ところが、当然のことながら、メアリーは指輪を外し、離れていきます。

 メアリーと別れてから、フレディは同性愛者と行動を共にするようになり、自堕落な生活に陥ってしまいます。日夜パーティを開き、放蕩三昧の生活を送るようになるのです。

こちら →

https://torukuma.com/freddie-gay/より)

 おそらくこのような時期に、エイズに感染したのでしょう。フレディは次第に身体に不調を覚えるようになっていきます。そんな折、連絡の取れなくなっていたフレディを探しに来たメアリーから、「ライブエイド」のオファーがあったことを聞きますが、フレディは知りません。重要なオファーを知らされないまま、享楽的な生活に誘導されていたフレディは、同性愛者のマネージャーに怒り、疎遠になっていたクィーンの仲間に和解を求めます。

 これを契機に、さまざまな個性の4人が相互に尊敬し合い、啓発し合える関係であったことを確認し合います。そして、クィーンとして「ライブエイド」に参加することを決定しますが、しばらく活動をしていなかったせいで、思うように声が出ず、満足のいく演奏もできません。フレディはエイズ感染による体調不良が次第に顕著になってきました。

 クィーンに復帰することで、フレディはようやくアイデンティティの基盤を見つけたように思います。それはミュージシャンとして、パフォーマーとして、そして、クリエーターとしてのアイデンティティです。

 一方でフレディは以前から目をかけていた同性愛者を探し出し、生活を共にするようになります。家族にも引き合わせて承認を取り、創作に専念できる環境を整えていくのですが、身体の方は深刻な状況になっていきます。ライブエイドに向けた練習の際も、以前なら容易に出た声がでず、戸惑う場面も出てきます。クィーンのメンバーは焦らず静かにフレディの体調に合わせ、練習を積み上げていきます。

 そして、クィーンは「ライブエイド」を見事なステージに仕上げました。とくにフレディ・マーキュリーのパフォーマンスは素晴らしく、大観衆をたちまちのうちに虜にしてしまいました。類まれなカリスマ性のおかげでしょう。こうしてクィーンは「ライブエイド」のステージで一挙に自信を回復し、高い評価を得ました。

クリエーター、ミュージシャン、パフォーマーならではのカリスマ性

 それにしても私は何故、この映画に感動し、何度も泣いてしまったのでしょうか。それも悲しくて涙したわけではありません。感動のあまり、泣いてしまったのです。では、何故、感動したのでしょうか。それはおそらく、フレディ・マーキュリーのクリエーターとしての真摯な態度、そして、ヒトを強烈に引き込むカリスマ性ではなかったかと思います。

 いってみれば、私もまた1985年に「ライブエイド」に参加した大観衆のように、フレディのパフォーマンスに惹きつけられ、一種の催眠術をかけられたような状態になっていたのではないかという気がしています。

 たとえば、実際の「ライブエイド」の映像を見て、興味深かったのが、「Radio Ga Ga」とその後で即興的に付け加えられた観客との掛け合いのシーンです。

こちら →https://www.youtube.com/watch?time_continue=89&v=0omja1ivpx0

 これを見ると、7万5千人といわれた会場の大観衆が一斉にフレディの指示にしたがって動いています。フレディが「エーオー」といえば、会場も「エーオー」と呼応し、「リラリラリラ…」と言えば、会場も同じように発声します。まるで催眠術にかかったかのように、意のままに動く大観衆を前にし、フレディはいかにも満足気に見えます。

 このときのフレディ・マーキュリーはまさにカリスマでした。

 たった一人の男がステージの上からパフォーマンスと声だけで7万5千人の観衆を操っているのです。「エーオー」という意味をなさない音を媒介に、フレディと大観衆が掛け合い、コミュニケーションを交わし、互いの存在を認め合っているのです。きわめて原初的なヒトとヒトとの関係、ヒトと集団との関係を見たような気がしました。フレディは非言語的なものを媒介にコミュニケーションを交わせることのできる異能のヒトだったといわざるをえません。

 そういえば、フレディが描いたというデッサンやデザイン画をネットで見たことがありますが、素晴らしい出来栄えでした。優れた美意識を持つ才能豊かな人物だったということがわかります。音楽ばかりでなく美術、身体表現など非言語的能力の卓越したヒトだったのかもしれません。

 こうして見て来ると、移民の子であり、同性愛者であったことが、フレディを超人にしたのではなかったかと思えてきます。ネガティブな立場に身を置くしかなかった状況下で、社会をさまざまな側面から見つめる目が養われたのでしょうし、異文化体験の中から、非言語的メッセージの読み取り能力や発信能力も培われてきたのではなかったのかと思うのです。

 この映画を2回も見て、感動し、涙した結果、総合芸術としての映画の持つ力の凄さを思い知らされました。改めて、映画は言語的要素と非言語的要素との相乗効果でヒトを感動させることができる媒体だという気がしています。(2019/1/31 香取淳子)