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09月

墨・鑑 現代の水墨芸術四人展:王恬氏の作品にみる墨芸術の新領域

■「墨・鑑 現代の水墨芸術四人展」の開催

 中国文化センターで、「墨・鑑 現代の水墨芸術四人展」が開催されました。上海梧桐美術館、中国文化センター、シルクロード生態文化万博組織委員会が主催し、上海龍現代美術館、德荷当代芸術センターの共催で行われました。開催期間は2019年9月2日から6日まで、開催時間は10:30~17:30(最終日は13:00まで)でした。

 出品された4人の水墨芸術家は、王恬氏、汪東東氏、林依峰氏、呉笠帆氏です。私は開催初日に出かけたのですが、会場に入るとすぐ正面のところに、出品者の顔写真が掲示されていました。


左から順に、王恬氏、汪東東氏、林依峰氏、呉笠帆氏

 この写真の前で、関係者が勢ぞろいしたところで撮影しました。胸に赤いリボンをつけているのが、今回の四人展の画家で、左から、王恬氏、林依峰氏、汪東東氏です。

 四人展なのに、リボンを付けた方が3人です。不思議に思われたかもしれませんが、実は、この日、呉笠帆氏は、残念ながら所用があって出席されませんでした。作品はもちろん、会場に展示されていました。

 展覧会に出品された4人の作家はそれぞれ、長年にわたって墨の力、その奥深さを追求してこられました。会場をざっと一覧しただけでも、彼らがいかに墨芸術に新しい息吹を吹き込もうとし、墨芸術の幅を広げる努力をしてきたかがわかります。展示作品はいずれも現代の鑑賞者の感性を刺激し、新たな表現領域に誘ってくれるものでした。

 中国文化センターのHPに、出展作品の一部が掲載されていましたので、ご紹介しておきましょう。

 左から順に、汪東東氏の『半壁』(水墨紙本、30×30㎝、2019年制作)、呉笠帆氏の『風里的密码』(水墨紙本、70×85㎝、2019年制作)、林依峰氏の『岩幽杳冥』(紙本設色、57×25㎝、2017年制作)、王恬氏の『上海小姐』(水墨紙本、137×68㎝、2018年制作)です。

 どの作家も水墨画の伝統を踏まえ、新たな表現領域を開拓して、着想を作品化していることがわかります。墨が持つ表現の可能性、あるいは、筆が持つ表現の可能性を最大限に生かし、個性豊かな表現世界を切り拓いていたのです。

 展示作品を見ていると、この展覧会は「四人展」というより、むしろ、4人の個展が同じ会場で開催されているといった趣きでした。作家の個性が作品を通して相互に刺激し合い、墨芸術のさらなる可塑性を感じさせる空間になっていたのです。

 さて、私は4人の中で、とくに、王恬氏の作品に強く印象づけられました。なによりも、さまざまな現代女性が水墨画で描かれているのが新鮮でした。墨ならではの力強さと繊細さによって、現代女性の諸相が的確に表現されていたことに感心したのです。

 それでは、王恬氏とはいったい、どのような画家なのでしょうか。

 そういえば、入口に掲載されていた写真に、王恬氏の略歴が付けられていたことを思い出しました。その部分を拡大してみることにしましょう。

 これを見ると、王恬氏は、上海師範大学芸術学院水墨画専攻を卒業後、上海美術学院現代水墨画研究科に進み、大学院修了後、著名芸術家の張培礎氏に師事し、一貫して、水墨画を極めてこられてきたようです。

 残念ながら私は張培礎氏を知りません。いったい、どのような画家なのでしょうか。張培礎氏をネットで検索してみると、抒情的な美しさが漂う作品が多いことがわかります。

こちら →https://www.easyatm.com.tw/wiki/%E5%BC%B5%E5%9F%B9%E7%A4%8E

 王恬氏は水墨画を専門的に学び、その後もさまざまな観点から水墨画の可塑性を追求し続け、現在は、華東政法大学文伯学院芸術学部の教授をされています。「墨力」表現手法の創設者であり、中国水墨画界でかなりの影響力を持つ人物のようです。

 それでは、作品をご紹介していくことにしましょう。

■王恬氏が捉えた女性たち

 王恬氏の作品は、会場に9点、展示されていました。いずれも女性の肖像画です。まず、印象に残った作品を何点か取り上げ、紹介していこうと思ったのですが、作品を選ぶ段階で迷ってしまいました。どれも個性的で魅力があって、選ぶことができませんでした。王恬氏の表現世界を伝えようとすれば、出品作品すべてを紹介する必要がありました。

 さて、9点の作品を見ていると、いくつかの属性によってカテゴライズできるように思えました。すなわち、生きてきた歳月(年齢)、職業・階層、色彩、等々です。私が便宜的に設定したこのカテゴリーに従って、作品をご紹介していくことにしましょう。

【生きてきた歳月】

 年齢という観点から女性を捉えた作品が3点ありました。「静かな歳月」、「ときめく少女」「留学中の中学生」です。いずれも女性として生きてきた歳月の長短によって、その精神のあり方、佇まいの様相が異なっていることが示されています。それぞれの作品を見ていると、改めて、生きてきた歳月がいかに女性の佇まいに大きな影響を与えているか、考えさせられます。

●「静かな歳月」

 窓を背に、足を組んで、椅子に深く腰を下ろしている女性が描かれています。タイトルは「静かな歳月」です。清楚で上品な中年女性です。その容姿からは、穏やかに、誠実に、そして、賢明に生きてきた来歴を見て取ることができます。


紙本に水墨、137×66㎝、2018年制作

 眼鏡の奥からまっすぐ観客に向けられた視線が印象的です。正視は通常、相手に緊張感を与えるものですが、この女性の場合、目尻がやや垂れ下がっているせいか、視線は決して強さや冷たさを感じさせるものではなく、むしろ穏やかで、慈愛深さが感じられます。

 ノースリーブの服を着ていますが、襟元は詰まっており、ネックレスなどの装飾品も身につけていません。全体に思慮深く、聡明な印象があります。どのような立場に立たされても、この女性はおそらく、誠実に、賢明に対処してきたのでしょう。その結果、生きてきた歳月が深い味わいとなって、表情、姿勢、佇まいに色濃く反映されています。

●「ときめく少女」

 赤いスポーツウエアをラフに着込んだ若い女性が椅子に座っています。他人の目をまったく意識していないのでしょう、足を外股に大きく広げています。目を閉じて俯き、どうやら、物思いに耽っているようです。


紙本に水墨、137×68㎝、2019年制作

 前髪を垂らし、横の髪を雑に後ろに束ねた様子、あるいは、赤いスポーツウエアをちょっと着崩した姿からは、まだ取り繕うことを知らない幼さが感じられます。

 タイトルは「ときめく少女」です。そういわれてみれば、俯き加減の色白の肌に、ほんのりと朱が差しています。恋心に酔っているのでしょうか。微笑ましい若さが表現されています。

●「留学中の中学生」

 まるでランジェリーのように、露出の高い服を着た若い女性が椅子に座っています。顔や肌は黒く、髪の毛はオレンジ色で描かれています。


紙本に水墨、90×68㎝、2019年制作

 肩幅が広く、胸や太ももの肉付きもよく、身体つきからは、成熟した女性のように見えます。ところが、タイトルを見ると「留学中の中学生」とあります。驚いてしまいますが、この女性はまだ十代半ばの少女なのです。

 母国ではおそらく、このような格好が許されているのでしょう。ひょっとしたら、この女性はまだ危険な目に遭遇していないのかもしれません。あまりにも無防備な姿に、若さの持つ未熟さ、思慮のなさ、奔放さが感じられます。

【職業・階層】

 職業あるいは階層の観点から女性を捉えた作品があります。「キャリアウーマン」、「上海レディ―」、「庶民派美しい娘」の3点です。それぞれの作品を見ていると、職業あるいはその階層がいかに強く女性の佇まいに影響しているかがわかります。

 それでは、見ていくことにしましょう。

●「キャリアウーマン」

 大柄の女性が肩ひじをついて指で頬を抑え、片方の手は膝に置いて足を組んで、椅子に座っています。何か考え事をしているような風情です。


紙本に水墨、137×68㎝、2019年制作

 口元をきつく結び、何かを凝視しているかのような視線で、遠方を見つめています。その表情からは意思の強さ、果敢な行動力が感じられます。表題通り、まさに、「キャリアウーマン」です。おそらく、ビジネスの最前線で活躍している女性なのでしょう。白の衣服の上から緑色の大判のスカーフを羽織っており、この女性がオシャレにも気を配っていることがわかります。

●「上海レディ」

 やや小柄の女性がサングラスをかけ、足を横に流して組んで、座っています。目の表情はわからないのですが、プライドの高そうな表情が印象的です。


紙本に水墨、137×68㎝、2019年制作

 最初にご紹介したHPの写真では、この作品のタイトルは「上海小姐」と書かれていましたが、会場では「上海レディ」になっていました。日本人向けに翻訳されたのでしょう。ちょっと気取ったポーズの取り方がまさに、大都会上海に住む誇り高い「上海レディ」を連想させます。

 この女性は、これまで「上海っ子」としての矜持を持って生きてきたのでしょう。サングラスの下から、ちょっとヒトを見下したような表情が見えます。厚底の靴を履き、ショートカットのヘアスタイルからは流行に敏感な女性であることもわかります。その容姿からは誇り高く生きてきた歳月が読み取れます。

 年齢はおそらく、「静かな歳月」で描かれた女性と同世代なのでしょう。眼鏡をかけ、足を組み、ノースリーブで襟元の詰まった服を着ているという点で、両者は共通しています。ところが、その雰囲気は明らかに異なります。この二つの作品からは、どのように生き、何を気持ちの拠り所にして歳月を重ねてきたのか、一定の年齢になれば、それがそのまま容姿に現れてしまうことが示唆されています。

●「庶民派美しい娘」

 若い女性が手をだらりと下げ、足を揃えることもせず、だらしなく椅子に座っています。


紙本に水墨、137×68㎝、2019年制作

 目は大きく、眉も揃えられ、唇は赤く塗られています。しっかりとメイクされた顔は現代的な小顔の美人に見えます。きっとオシャレな女性なのでしょう。黒い服の上から、唇の色に合わせた赤いスカーフを軽く首に巻き付けています。いかにも現代的なファッションセンスを感じさせる格好なのですが、姿勢に締まりがなく、ストイックな精神性が感じられません。

 そういえば、タイトルは「庶民派美しい娘」でした。改めてこの作品を見ると、しっかりとメイクしており、外面的に美しいことは確かなのですが、この女性に精神性は見受けられず、ただ流行を追っているだけという印象を拭えません。大都会でよく見かける若い女性の典型だといえるでしょう。

【色彩】

 タイトルに色彩の名前が入った作品がありました。「白衣のおんな」、「紫色のおんな」、「青色の女の子」の3点です。色彩と関連づけて、女性が捉えられています。

●「白衣のおんな」

 大柄の女性が両手を重ね、足を組んで座っています。組んだ片足のふくらはぎから膝までがスカートの下から見えています。


紙本に水墨、137×66㎝、2018年制作

 白衣といわれてイメージするのは看護師、医者、研究者などですが、この女性はどうやらそのどれでもなく、白い服を着た作業員のように見えます。とろんとした目つきであらぬ方向を眺め、だらしない口元を見ると、どこか捨て鉢で、虚無的なイメージがあります。

 仕事に満足しているわけではなく、かといって、家庭があるようにも思えません。もはや若くもなく、自分の居場所を見つけられないでいる不安感が、このような虚無的な表情を生み出しているのかもしれません。

●「紫色のおんな」

 長い髪を巻き毛にした女性が足を組み、椅子に座っています。都会的なセンスで外見を整えていますが、顔の表情からはやや投げやりな雰囲気が感じられます。


紙本に水墨、137×68㎝、2019年制作

 赤い唇を半開きにした女性の表情からは、物憂く、気だるい気分が漂ってきます。何事も卒なくこなせる女性なのでしょう。濃い赤紫色の服に、同系統のスカーフをまとい、腕には黄土色の時計をつけています。ファッションセンスの良さが感じられます。

 おそらく大都会で働く女性なのでしょう。慌ただしく過ぎていく日常生活の中で、ふと我に返ったとき、すべてがおっくうで、投げやりな気持ちになってしまった・・・、というような瞬間が捉えられているように思えます。目を伏せた表情からは疲れを読み取ることができます。若さはとっくに去ってしまい、時折、老いを感じるようにもなっているのでしょう、この女性の容姿からはどことなく厭世気分が感じられます。

●「青色の女の子」

 若い女性が、足を揃え、背筋をまっすぐ伸ばして座っています。緊張しているのでしょうか。片方の肘をつき、もう一方の手を長く伸ばして、椅子の脚部を抑えています。その姿勢は、まるで必死になって身体を支えているかのように見えます。


紙本に水墨、90×68㎝、2018年制作

 おそらく他人の視線を意識しているのでしょう、ことさらに首筋を伸ばし、強張った表情を見せています。よく見ると、目が大きく、鼻筋の通った美人顔ですが、その表情にはどこか無理をしているような硬さがあります。そして、表情や所作全体からは、生硬な若さが感じられます。

 この作品のタイトルは、「青色の女の子」です。ところが、どういうわけか、この女性は淡いピンクの服を着ています。タイトルにある青色は大きな椅子カバーに使われているだけです。不思議に思って、よく見ると、女性の肌が薄い青色で描かれています。それも、透明感のある薄い青色が、顔や首、腕や足など、部位によって濃淡をつけながら使われていました。

 これで、ようやく、この女性が淡いピンクの服を着ている理由がわかりました。若い女性の青味がかった、透明感のある肌を際立たせるには、淡いピンクの服が必要だったのでしょう。確かに、淡いピンクによって、薄い青色で表現された肌の透明感、ハリの良さが引き立てられていました。

 一方、左腕や肘、スカートからはみ出た両腿と膝は、やや濃い青色で描かれ、椅子カバーの青色と溶け合っています。このように、濃淡を効かせて青色を使うことによって、画面全体から若い女性の持つ生硬さ、清潔感、透明感といったものが巧みに描出されていました。

■墨で描かれた現代女性の諸相

 一連の作品を見ていくと、王恬氏は、若い女性であれ、中年女性であれ、すべての対象を椅子に座った状態で描いていることに気づきます。いわば制限された条件の下で女性を描いているのですが、作品は9人9様、個性豊かに表現されています。彼女たちが見せた表情、所作、態度の中から、王恬氏はその本質を的確に抽出し、瞬間的に、表現していたからでしょう。

 それぞれの作品には、独特の流れがあり、勢いがあり、動きがありました。それこそ水墨画の真髄が存分に発揮されていたのです。ふとした瞬間に見せる女性たちの表情が、筆の大胆なタッチや繊細なタッチ、あるいは、勢いによって見事に捉えられていました。しかも、描き方がとても自然でした。

 そのせいか、写実的に描かれたのではないのに、描かれた女性たちは皆、どこかで見かけたような気がするほど、生き生きとしたリアリティがありました。そして、どの作品にも普遍性が感じられました。現代社会に生きる女性たちの生態が的確に捉えられていたのです。描かれたのは上海の女性たちですが、東京でも見かけそうな女性ばかりでした。

 王恬氏は、大都会で生きる女性たちの本質を見抜き、筆と墨の力で見事に、その生態を描き切っていました。見れば見るほど、王恬氏の観察力の鋭さ、表現力の的確さに感心せざるをえません。対象を捉える鋭さに加え、大胆で洒脱な墨表現が作品を興趣に富んだものにしていました。現代社会で生きる女性たちを、水墨画の技術で描き、それぞれを典型にまで高めて表現していたのです。

■ぼかし表現が浮き彫りにする現代社会の疲弊

 大都会だからこそ、留学生という形で異文化が入り込んできます。「留学中の中学生」にはそれが反映されていました。明らかに東洋人ではない体格、肌色、髪の毛の色、そして、中学生とは思えない所作、服装などに異文化が表現されていたのです。

 顔面にはぼかしが入れられ、表情は判然としませんが、疲れているように見えました。海外からの留学生は、たとえ夢を抱いてやってきたとしても、やがて文化の違いが気になり始め、意思の疎通が十分ではない状況に疲れてくる時期を迎えます。描かれた中学生はおそらく、その時期にさしかかっていたのでしょう。中学生なのに、全身からどことなく、疲弊が感じられました。

 この作品には、異文化との共存が強いられる現代社会の一端が表現されていました。

 顔面にぼかしが入れられていた作品は他にもありました。「庶民派美しい娘」「紫色のおんな」などの作品です。いずれも顔面にぼかしが入れられているので、表情はよくわかりませんが、態度や姿勢、所作などには疲弊している様子が感じられます。流行を追いかけ、見た目は華やかに装っていても、実は疲れ切っている女性たちが描かれていました。

 誰もが競争を強いられて生きていかざるをえない現代社会の一端が、このような形で表現されているといえます。

■墨の線が浮き彫りにする内面世界

 その一方で、顔の表情がはっきりわかる作品もあります。「キャリアウーマン」、「白衣のおんな」、「静かな歳月」、「青色の女の子」、「ときめく少女」などです。

 仕事のことが頭から離れない女性(「キャリアウーマン」)がいるかと思えば、ふとした瞬間に、来し方行く末を考え、虚無的になってしまう女性(「白衣のおんな」)、さらには、紆余曲折を経て、いまは平穏な日々を送る女性(「静かな歳月」)、あるいは、若さゆえの生硬さが抜けきらない女性(「青色の女の子」)、恋心を隠すことができない女性(「ときめく少女」)、等々。

 いずれの作品も、表情や所作から、女性の心の内を推し量ることができます。繊細で大胆な墨の線によって簡略化され、誇張化された描法が、女性たちの本質を浮彫にしているからでしょう。対象を写実的に描いたのでは、ここまで深く、内面世界を描き出すことはできなかったと思います。

 たとえば、「ときめく少女」の場合、目も鼻も墨で線がさっと引かれているだけです。きわめて単純化された造形ですが、そこにほんのりと桜色を差すことによって、この女性の初々しさを強調する効果が見られました。

 口元を見れば、上下の唇の間に太い横線が粗く引かれており、一見、口を半開きにしているように見えます。下唇は分厚くて大きく、とても無骨に見えます。ところが、厚い下唇の上方のラインに沿って、少しだけ朱を差すころによって、女性らしさを滲ませることに成功しています。「ときめく少女」の心理状態を、このように、墨の線に朱を添えるだけで表現しているのです。

 髪の毛の描き方も絶妙です。前髪をバラっと垂らしたところに、墨の線で太く、勢いをつけて流れを作り出しています。耳上、耳下の髪の毛もやはり、太く勢いよく、流れるように墨の線を濃く引いています。髪の毛を後ろに束ねている様子を、大胆なタッチで描いているのです。

 王恬氏は、強い墨の力で、少女のストレートな髪の毛を端的に表現する一方、誇張された筆遣いで、ストレートな心情を描き出していました。墨の濃淡、線の太さ、勢い、流れといったもので、造形されたものに生命を与えていることがわかります。

 全身に目を移すと、女性は上半身を傾け、腰が引けたような恰好で椅子に座っています。脚を大きく広げている様子が、墨の太い線を使って、両太ももの内側をしっかりと固定するように描かれています。この姿勢には、羞恥心の欠片も見られません。外面を気にする余裕もないほど、恋煩いをしていることが示されています。足元でのぞく白い運動靴が、この女性が少女であることを思い起こさせてくれます。

 「キャリアウーマン」、「白衣のおんな」、「静かな歳月」、「青色の女の子」なども同様、墨の力で表情と所作を柔軟に描き出すことによって、それぞれの女性たちの内面世界が巧みに表現されていました。

■日本的感性に響く墨芸術

 「四人展」で見た作品のうち、墨で描かれた女性肖像画9点を紹介してきました。王恬氏が描いた女性像からは、墨だからこそ、可能になった表現がいくつか見受けられました。

 墨汁を浸した筆を紙の上で走らせるので、油彩画とは違って、筆に勢いが出ます。筆を寝かせれば太い線を引くこともできますし、筆先だけで緻密な線を引くこともできます。墨汁の量によって、「ぼかし」や「かすれ」を表現することができます。筆遣いひとつで大胆にも緻密にも、強くも弱くも表現できるのです。

 大都会では、ヒトは常に競争に晒され、強さを強いられて生きています。ともすれば、疲弊し、虚無的になってしまいがちます。王恬氏の作品には、そのような現代社会の様相が女性たちの姿を通して表現されていました。水墨画という伝統を踏まえ、現代社会の諸相が見事に描き出されていたのです。

 複雑で捉えがたい現代社会でも、工夫すれば、水墨画の形式の中でその諸相を表現することができることがわかります。描かれた女性たちには普遍性があり、それぞれが現代社会の典型とみなすことができました。モチーフの取り上げ方、画面構成、色の使い方などに工夫が凝らされていたからでしょう。

 私はそこに、引き込まれました。上海の女性たちが描かれているにもかかわらず、まるで東京で暮らしている女性たちを見るように、感情移入して鑑賞していたのです。水墨画という表現形式が日本人の感性にマッチしているからでしょうか。

 一連の作品を見ていると、軽やかに、現代社会の空気を漂わせながら、その諸相を抉り出すなど、油彩画では表現しきれないという気がしてきました。誇張表現、省力表現、抽象表現などが可能な水墨画技術は、ひょっとしたら、現代社会を描き出す手法としてふさわしいのかもしれません。墨芸術の新しい領域を見た思いがしました。素晴らしいと思います。(2019/9/8 香取淳子)