■NHK、ネットとTV同時配信
総務省は2020年1月14日、NHKが提出していたネットとTVの同時配信サービスを認可しました。これは、2019年5月29日に放送法の一部改正が成立したことを受けて、認可されたものです。
日経新聞は2019年5月19日付の紙面で、このニュースを記事にしました。NHKが進めるサービスの概要を紹介するとともに、受信料収入を経営基盤とするNHKが民業を圧迫するのではないかという日本民間放送連盟(民放連)の反発、あるいは、NHKのガバナンス体制の不備に対する懸念なども紹介しているのです。
(※ https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45395390Y9A520C1MM0000/)
総務省はその後、NHKから提出された変更案に対するパブリックコメントを募集しました。そして、各方面から提出された意見を踏まえ、「NHKインターネット活用業務実施基準」の変更案に対する総務省の考えを表明しています。
(※ https://www.soumu.go.jp/main_content/000654087.pdf)
注目すべきは、「ユニバーサル・サービスに関する業務」、「国際インターネット活用業務」、「東京オリンピック・パラリンピック競技大会に関する業務」の項目でしょう。いずれも将来の社会変動を見据えた取り組みで、今後、NHKが果たすべき役割として捉えられています。
NHKはこれらの項目に対し、費用の上限をそれぞれ、7億円、35億円、20億円と個別に設定しています。これらの業務内容を確実に遂行できるようにしようとしていることがわかります。もちろん、総務省もこれらを高く評価しています。
たとえば、「ユニバーサル・サービスに関する業務」について、総務省は次のようにNHK案を評価し、認可しています。
「NHK案においては、放送番組等の字幕、解説音声及び手話を、インターネットを通じて提供する業務を新規に開始することとしている。 本業務は、視覚・聴覚障害者や高齢者、訪日・在留外国人等が、協会の放送番組等を享受できるようにするためのものであり、国民・視聴者の利益にかない、協会が行うものとして適切なものであると認められる」
日本は今後、高齢化が進む一方で、訪日・在留外国人が増加していきます。当然のことながら、TV番組をユニバーサル・サービス仕様にし、ネットでも同時配信することは不可欠になります。天気予報、災害情報、ニュース、生活情報など、TVは情報インフラとして生活に定着しています。インターネットでも同時に配信することで、視聴覚障碍を持つ人々や外国人の利便性は明らかに向上しますから、これは公共放送であるNHKの責務ともいえます。
総務省はNHK案を認可したとはいいながら、いくつかの条件を設けています。このうち、「民放放送事業者との連携や協調を進める」という条件が課されているのが注目されます。パブリックコメントを踏まえたものなのでしょうが、NHKが率先して技術開発し、その結果、得られた技術やノウハウを民放が共有できれば、出遅れていた日本の放送業界も大きく変わる可能性があります。
NHKがネットとTVの同時配信ができるようになれば、視聴者にとってもメリットがあります。視聴覚障碍者や外国人にも情報保障ができるだけでなく、ネットの特質を生かしたさまざまな放送サービスが可能になるからです。
それが、今回総務省から認可された新サービスです。
■NHKプラス
新放送サービスは、「NHKプラス」と名付けられています。
実はNHKは2010年にもTVとネット同時配信の方針を表明していました。それが紆余曲折を経てようやく叶ったのが、2020年4月1日から開始される「NHKプラス」なのです。
こちら → https://www.nhk.or.jp/pr/keiei/internet/pdf/net_004.pdf
これを見ると、「NHKプラス」と命名したのは、「いつでも、どこでも、何度でも視聴できる」(生活を豊かに)、「いつでも、どこでも災害情報を入手できる」(生活に安心感を)、「ネット空間でも接触できる」(ネット時代に対応)、「新たな世界や多様な考えに触れることができる」(ネットに即した情報発信)、などの4つのプラス(メリット)があるからだとしています。
サービス概要として、次のような点が挙げられています。
2020年4月1日から、午前6時から翌日の午前0時までの18時間このサービスは開始されます。総合TVと教育TVの地上放送の番組で、著作権の権利処理が終わっているものが対象になります。音声は2チャンネルで、二か国語放送、解説放送、字幕放送も行われますから、外国人、視覚障碍者、聴覚障碍者はこれまでよりも視聴しやすくなるでしょう。
オリンピック・パラリンピックを契機に、TVの視聴覚バリアフリー化が推進されれば、未来社会に適した仕様のTV放送が実現するでしょう。
■オリンピック・パラリンピックに向けて
NHKは東京2020オリンピック大会が開幕する1年前の7月20日から24日にかけて、新しいスポーツの楽しみ方や魅力を伝えるイベント「Nスポ!2019 -SHIBUYA-」を、渋谷ヒカリエで開催しました。
こちら → https://www.nhk.or.jp/event/nspo/
ここでは、ステージイベントは、音声を字幕化してモニターに表示されたといいますから、オリンピック・パラリンピックには参加できない聴覚障碍者も、このイベントには参加することができたでしょう。バリアフリーのための第一歩です。
さて、総務省はNHK案の「東京オリンピック・パラリンピック競技大会に関する業務」について、次のように評価していました。
「NHK案においては、大会に際し、専用ウェブサイト等を通じて、競技等のライ ブストリーミングやハイライト動画を提供するものである。 大会は我が国で開催されるナショナルイベントであり、本業務は、国民・視聴者 と大会期間中の訪日外国人の期待に応えるものであることから、一定の社会的 意義が認められる」
これを見ると、総務省は、NHKが専用ウェブサイトを通して競技等のライブ映像やハイライト動画を提供することを奨励していることがわかります。それは、オリンピック・パラリンピック大会が世界に向けての晴れ舞台であり、日本の存在感をアピールできる場でもあるからでしょう。オリンピック・パラリンピックはまさにグローバルなメディアイベントなのです。
実際、NHKは「2020東京オリンピック」というサイトを立ち上げています。
こちら → https://sports.nhk.or.jp/olympic/
ここでは、さまざまな観点からオリンピック競技が取り上げられており、見応えがあります。
■CG手話
興味深いのは、CGで作成した手話動画がこのサイトに掲載されていることでした。
こちら →
https://sports.nhk.or.jp/olympic/video/all/?tags=%e6%89%8b%e8%a9%b1CG%e3%81%a7%e8%a6%8b%e3%81%a9%e3%81%93%e3%82%8d%e7%b4%b9%e4%bb%8b%ef%bc%81
卓球、ボクシング、アーチェリーなど、各種オリンピック競技の見どころについて、CG手話で簡略化して紹介されています。手話を理解できる聴覚障碍者ならすぐにも理解できるでしょう。
たとえば、卓球はこのように解説されています。
こちら → https://sports.nhk.or.jp/olympic/video/table-tennis-sign/
26秒の短い動画ですが、画面に字幕も付与されており、さまざまなレベルの聴覚障碍者が理解できるよう工夫されています。
パラリンピックサイトを見ると、さらに、障碍者にとって充実した内容になっています。
こちら → https://sports.nhk.or.jp/paralympic/
ここでも、オリンピックの場合と同様、CG手話で競技の見どころを紹介されています。オリンピック競技よりはやや長尺で、字幕も付与されています。
こちら → https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/wheelchair-tennis-sign/
一体、どのようにしてこのようなCG手話が作成されているのでしょうか。
興味深く思っていると、それを説明したページが目に入りましたので、ご紹介しておきましょう。
こちら → https://sports.nhk.or.jp/dream/universal/signlanguage/
これを見ると、NHKはすでに約7000語の手話単語をCG化しているそうです。手話通訳者の指の動きをモーションキャプチャーで取り込み、CG手話を自動的に生成できるようにしているのです。
モーションキャプチャーで動きを取り込む写真を見ていると、ふと、かつて『Happy Feet』を制作したジョージ・ミラー監督がこの技術を使っていたことを思い出しました。ペンギンのマンブルが見事なタップダンスを披露するのを見て、衝撃を受けたのです。パソコンで作り出されたキャラクターなのに、まるで本物のペンギンのように見えるのに驚き、そして、華麗な足さばきで音楽に合わせてタップダンスをするのを見て驚きました。
制作を担当したオーストラリア人アニメーターのダミアン・グレイが、ブリスベンで講演をするというので、わざわざ出かけたこともありました。2007年9月9日のことです。会場では映像表現の最前線に関心を抱く大学生やクリエーターが詰め掛け、熱心に耳を傾けていました。
あれから12年後、すでにCG手話が実用段階に入っているのです。技術の進歩の速さ、応用の多様さに感無量です。モーションキャプチャーを使えば、人が行う手話と同等以上のCG手話が可能でしょう。現在は約7000語の手話単語がCG化されているそうですが、その数が増えていけば、TV番組にCG手話をつけることは近い将来実現するでしょう。
■パラリンピックの価値
JPCのHPには、国際パラリンピック委員会(IPC)が設定したパラリンピックの価値として、以下の4つの項目を掲げています。
(※ https://www.jsad.or.jp/paralympic/what/index.html)
「勇気」(マイナスの感情に向き合い、乗り越えようとする精神力)、「強い意志」(困難があっても、諦めず、限界を突破しようとする力)、「インスピレーション」(人の心を揺さぶり、駆り立てる力)、「公平」(多様性を認め、創意工夫をすれば、誰もが同じスタートラインに立てることを気づかせる力)、等々。IPCが設定した目標を日本語に翻訳し、図式化したものです。
原文( IPCのHPに記載)と照らし合わせてみると、日本語訳とは異なっているのが「Equality」でした。
Equality: Paralympic Sport acts as an agent for change to break down social barriers of discrimination for persons with an impairment.
(※https://www.paralympic.org/feature/what-are-paralympic-values)
なぜ、原文とは異なる訳語になっているのでしょうか。 気になったのですが、よく見ると、先ほどの図の下に小さく、次のような注釈がつけられていました。
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※IPC発表の英語表記は「Equality」でありその一般的な和訳は「平等」ですが、「平等」な状況を生むには、多様な価値感や個性に即した「公平」な機会の担保が不可欠です。そしてそのことを気づかせてくれるのがパラリンピックやパラアスリートの力である、という点を強調するため、IPC承認の下、あえて「公平」としています。
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「Equality」を「公平」と訳し、その意図を注釈で書き記しているところに、JPCの意気込みが感じられます。東京で開催されるパラリンピック大会をきっかけに共生社会に向けて動き出そうとしているのでしょう。
考えてみれば、異質な存在が異質なままに生きられる社会を可視化するには、パラリンピック大会は絶好の機会なのです。
ところが、そのパラリンピックに出場できないのが聴覚障碍者です。
出場できないとしても、観戦はできます。そこで必要になるのが、字幕です。聴覚に問題のない人の中には、画面に字幕が付与されると、映像の良さが半減するという人もいますが、先ほどもいいましたが、誰もが場内やTVで観戦を楽しめるようにするには、字幕は不可欠なのです。
■字幕放送
NHK案では、ユニバーサル・サービスとして放送番組等の字幕、解説音声、手話などを、ネットを通して提供していくとしています。このうち、聴覚障碍者にとって有益なのは字幕放送です。
日本語音声の画面に日本語の字幕を付与することは、聴覚障碍者にとって利便性が高いだけではなく、日本語を学習しようとしている外国人にもメリットが高いのです。さらに、空港や電車内で流される画面には音声よりも字幕の方が適しています。
大勢の人が集まる場所や混雑した場所では、音声は雑音にかき消されて聞き取れません。電車内などではうるさいと人を不快な気分にさせてしまいます。健聴者にとっても、字幕の方がはるかに効率よくメッセージを伝える場合も少なくないのです。
それでは、字幕付与の領域ではどのような技術が生まれているのでしょうか。
2019年5月30日から6月2日にかけて、NHK放送技術研究所で「生放送番組における自動字幕制作」の様子が展示されていました。
これは、AIを利用した音声認識によって、生放送の音声から自動的に字幕を制作し、インターネット配信をするお試しサービスを、福島、静岡、熊本で実施しているところを示したものです。
通常は音声認識の誤りを人手で修正して正確な字幕を放送しているが、地方ではそのような専門性の高いスタッフを抱えることが容易ではないという事情があります。そこで、AIを使って音声認識した結果をそのまま字幕としてインターネットで配信するという試行サービスを行っているというのです。
字幕付与に関して最も難しい領域の研究が行われているのです。これまで生放送番組への字幕付与は難しいといわれてきました。それも音声認識の精度が上がってくるにつれ、より修正の少ない字幕を付与することができるようになっています。
もっとも難しいのが、図で示された地方局が制作した番組への字幕付与でした。AIの認識はデータが増えれば増えるほど精度が上がっていきますから、このような試行サービスが繰り返されていけば、字幕付与可能な番組については、近々、自動でできるようになるのかもしれません。
ちなみに、NHKでは次のような方法によって、字幕が制作されています。
歌謡番組や情報番組、報道番組の場合、高速キーボードを使って、人手で入力し字幕を起こしていく方式(キーボードリレー方式;左上)、スポーツ中継や情報番組の場合、実際に放送されている音声を別室でアナウンサーが読み上げなおし、それを自動認識させる方式(リスピーク方式;右上)、ニュース番組等の場合、番組音声を直接認識するシステムと人手での作業を併用する方式(ハイブリッド方式;左下)、ニュース番組等の場合(地方局で運用)、ニュースなど元原稿がある番組の場合、音声認識の結果からどの原稿を読み上げているのか推定して字幕化する方式(セレクト方式;右下)など4つの方式があるといわれています。
番組のタイプによって、音声の自動認識の難易度に差があることがわかります。実証実験を繰り返し、より現実に適した方法が採用されていくのでしょう。
アイ・ドラゴン4(聴覚障碍者用情報受信装置)を使った実証実験も始まったようです。
総務省が「聴覚障害者放送視聴支援緊急対策事業」として行うもので、ローカル局の番組に音声認識で生字幕をつけるための実証実験です。全国のローカル局のうち、20局が参加するといいます。人手をかけずに自動的に精度の高い字幕を付与する仕組みが様々に試行されている様子を知ることができます。
■障碍者はパラリンピックをどう捉えているのか
IPCはパラリンピックの価値として4つ掲げていました。それでは、障碍者はパラリンピックをどう捉えているのでしょうか。
『放送研究と調査』(2018年11月号)を読んでいると、調査結果に添えて、パラリンピックに対する障碍者たちの意見が掲載されていました。興味深いと思ったのは、聴覚障碍者の次のような意見でした。
「パラリンピックは、いろんな障碍者がいると周知できる唯一の大きな機会。また、苦労しているのは私だけじゃないと、障碍者本人や家族、支援者の勇気や感動にもつながると期待している」(p.70)
前回のブログ(「聴覚障碍者はパラリンピックに出場できない……?」)に書いたように、聴覚障碍者はパラリンピックに出場できません。それでも、この人は、パラリンピックは「いろんな障碍者がいると周知できる唯一の機会」と捉えているのです。
私はそこに打たれました。
自分たちは参加できないのに、「いろんな障碍者がいると周知できる唯一の機会」と、この人はパラリンピックをポジティブに捉えています。その姿勢に私は感銘しました。そして、このような反応が得られたところに、JPCが「Equality」を平等と訳さず、敢えて「公平」と訳したことの意図が理解されている痕跡を見たような気がしました。
もちろん、この人がそのような見解を持てたのは、障碍を持つアスリートたちの姿に感動したからにほかなりません。彼らが懸命に努力し、渾身の力を込めて競技を展開する姿に尊さと美しさを発見したからこそ得られた感動なのでしょう。
障碍にくじけず、生き抜こうとするアスリートの姿に勇気と強い力を見出し、感銘したのでしょう。あるいは、そこに学ぶべきものを感じ取ったのかもしれません。そして、アスリートの姿は、本人はもちろんのこと、家族や支援者に勇気を与え、感動を呼ぶことになるだろうと述べています。
この聴覚障碍者の見解の中に、IPCが重視する4つの価値がすべて含まれています。
私がこの人の自由回答に注目したのは、異質なものの中に多様性を認め、それぞれが創意工夫をすれば、誰もが同じスタートラインに立てることが的確に表現されていたからでした。 (2020//1/31 香取淳子)
このブログを書いた後、興味深い報道がありましたので、追加します。
■民放キー局、今秋以降、TVとネット同時配信開始
2020年2月2日、新聞各社は一斉に、民放キー局が今秋以降、TVとネット同時配信を開始すると報道しました。冒頭でご紹介したNHKに追従する対応です。こうなることは予想していましたが、意外に早くて驚きました。それほど、若者世代を中心にTV離れが進んでいるのでしょう。
各局は7月開催(7月24日~8月9日)のオリンピック中継、8月開催(8月25日~9月6日)のパラリンピック中継はネットと同時配信するようです。これに関し、あるキー局社員は「五輪で視聴者に認知してもらい、その流れでレギュラー番組の同時配信を利用してもらえば理想的」と語っているようです。(※ 東京新聞2020年2月2日付朝刊)
実際にネットと同時配信できるのは今秋以降ですから、本来ならオリパラの中継は該当しません。ところが、この二つのビッグイベントを外せば、NHKに視聴者をもっていかれてしまいます。民放キー局はなんとしてもこの時期に同時配信しなければならないと決意したのでしょう。NHKが4月1日開始と発表してからわずか三週間ほどで、民放キー局は同時配信の今秋開始を発表しました。
これでようやく放送と通信の融合が本格化します。視聴覚障碍者、高齢者にとっては喜ばしいニュースといえるでしょう。
民放5社は共同で視聴データを活用し、実証実験を進めています。(※ https://www.tv-viewing-log.info/2019/)
目的の中には、「視聴者の皆様の安全・安心を確保するため、さらに必要な事項の検討」とか「災害対策など公共性が高いサービスへの視聴データ利活用の検討」といった項目も入っていますから、視聴覚障碍者や高齢者がより見やすい、聞きやすいTVが実現するでしょう。
世界を対象としたビッグイベントであるオリンピック、パラリンピックは、どうやら、TV革新の大きなきっかけになりそうです。
(以上は、2月2日に追記しました)