ヒト、メディア、社会を考える

12月

回顧2015:パリ同時テロに見るグローバル時代の都市セキュリティ

 この一年を振り返ってみて、大きな衝撃を受けたのがパリ同時テロ事件でした。犯行グループ3チームが30分間に7カ所も襲撃するという事件に、9.11を連想してしまうほどの衝撃を受けました。襲撃されたのは、サッカー競技場、レストラン、ライブ演奏が行われていた劇場です。いずれも市民にとっては生活の場であり、楽しみの場でした。それが突如、銃撃犯に襲われたのです。

 改めてこの事件を振り返り、グローバル時代の都市セキュリティについて考えてみたいと思います。

■生活の場での惨劇
 2015年11月13日午後9時過ぎ、パリで同時テロが発生しました。私はまず、インターネットでこのニュースを知りました。その後、次々と犠牲者の数が増えていきます。テレビをつけると、タンカーで運ばれる人、座り込んでいる人、血を流している人、・・・、大変なことが起きていました。もし、私がその場にいたら・・・と、ぞっとしてしまいます。でも、ありえないことではありません。今回のような都市をターゲットにした無差別攻撃では誰もが犠牲者になりうるのです。理不尽にも命を落とされた方々、そのご家族、友人、知人の方々はどれほど悔しく、無念の思いに駆られていることでしょう。現場では大勢の人々が黙とうをささげました。

 私もこの場で犠牲になられた方々に追悼の意を表したいと思います。

 11月15日、時事通信は14日に行われたパリ検察の記者会見に基づき、犯人たちはわずか30分間に7か所を襲撃したと伝えています。被害現場は、サッカー競技場、パリ10区のレストラン、パリ11区のレストラン、そして、コンサートが開催されていたバタクラン劇場でした。実行犯は3つのチームに分かれ、競技場とレストラン、劇場をそれぞれ襲撃したようです。

 もっとも被害が大きかったのが、バタクラン劇場でした。当時、アメリカのロックバンドのライブが行われていたようです。そこに武装集団が乱入し、カラシニコフで観客をめがけて乱射したばかりか、人質を取って立てこもったそうです。パリ検察のモラン検事によると、テロによる死者は129人、負傷者は352人だということです。また事件現場で死亡した犯人は8人とされてきましたが、検事は7人だったと説明したそうです。

 現場はかなり混乱していたでしょうから、数字に多少の誤差はあるでしょうが、犠牲者は相当な数になりです。戦時下でもないのに、これほど多数の人が一度に殺されてしまうとは・・・。

 11月14日付の産経新聞によると、当時サッカー競技場ではフランスとドイツの親善試合が行われており、フランスのオランド大統領とドイツのシュタインマイヤ―外相が一緒に観戦していたといいます。13日午後9時20分、この競技場のゲート付近でも爆発があったそうです。

■その後の対応
 オランド大統領は急きょ、閣僚会議を開いて非常事態宣言をし、国境を封鎖しました。欧州諸国間の自由な移動を認めたシェンゲン協定に従って廃止していた出入国管理を復活させたのです。欧州26か国が締結するこの協定はEUを支える基盤の一つでした。ですから、この協定が崩壊すれば、単一通貨ユーロが意味をもたなくなり、EUの崩壊にもつながりかねない重大な事態です。

 AFPは11月14日、Islamic State(IS)がネット上に犯行声明を出したと報じました。ISは声明で「爆発物のベルトを身に着け、アサルトライフルを持った8人の兄弟たちが、十字軍フランスに聖なる攻撃」を実行したとネットに投稿したのだそうです。

こちら →http://www.afpbb.com/articles/-/3066679

 フランスがISの支配地域で行っている空爆を非難し、「(イスラム教徒に対する)十字軍の作戦を継続する限り」さらなる攻撃を実行すると警告しているそうです。

 ちなみにフランスは米国主導の有志連合によるISへの空爆に参加しています。2014年9月19日、フランス人男性がISによって殺害されたのを機に仏軍は空爆に参加したのです。

こちら →
http://www.newsdigest.fr/newsfr/actualites/pick-up/6705-france-launches-first-air-strikes-against-islamic-state-militants.html

 この経緯を見ただけで、暴力が暴力の連鎖を生み出していることは明らかです。実際、パリ同時テロ以降、有志連合の空爆に拍車がかかっています。これ以上、暴力を行使することなく、平和な関係を築くことはできないのでしょうか。

■テロをなくすことはできるか?
 平和外交研究所代表の美根慶樹氏はテロ対策として、①対応力の強化、②若者のIS参加の歯止め、③ISへの資金流入の遮断、④ISへの武器流入の制限、等々をあげています。

こちら →http://toyokeizai.net/articles/-/93246

 ISへのヒト、武器、金の流れを断つ一方、各国がテロへの対応能力を高めるとともに、国際刑事警察機構(INTERPOL)を通した国際協力の強化が必要だというのです。

 トルコのアンタルヤで開催された主要20か国首脳会議(G20アンタルヤサミット)では、11月16日、「全人類に対する容認できない侮辱」であり、「テロはいかなる状況でも正当化されない」とし、テロ撲滅のための特別声明が採択されました。

 外務省は総論(6)の(ア)で日本の立場を説明しています。

こちら →http://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/ec/page4_001554.html

興味深いのは、若者のIS への参加について、美根氏が以下のように書いていることです。

「欧州では一般に若者の失業率が高く、移民の状況はさらに深刻だと指摘されている。しかも、最近は難民の大量流入が各国で問題となり、その排斥を叫ぶ右翼政党が議席を増やす傾向にある。そうなると移民に対する偏見や差別はますますひどくなり、社会問題が深刻化する。そこがISにとって付け目であり、不満な若者をISの戦士としてリクルートしやすくなるという構図になっている」(前掲URLより)

 こうしてみると、どうやら経済の問題がその根底にあるといえそうです。働きさえすれば、誰もが生活できる状況を生み出していくことこそが、長期的にみて暴力の連鎖に歯止めをかけることができる対策の一つといえるのかもしれません。

 いずれにしても、この問題には政治、経済、社会の歪みが凝縮して現れており、一筋縄では解決できないことは確かでしょう。犯行者側にも言い分がありますから、今後も類似事件が発生する可能性はあります。ただ、理不尽に命を絶たれてしまう悲劇を減らすために、何かいい方法はないものでしょうか。

■グローバル時代の都市セキュリティ
 グローバル化に伴い、都市空間は今後ますます見知らぬヒトのるつぼとなっていくでしょう。そうなれば、ヒトの目だけではなく、カメラの目も借りなければ安全の確保には至らない状況が生まれてくるにちがいありません。

 思い起こせば、日本が鎖国をしていた江戸時代、海外からのヒト、モノ、情報は長崎の出島で一元管理されていました。そして、江戸に至る諸街道の関所では、「入り鉄砲に出女」に注意してヒトの出入りが取り締まられていました。江戸に武器が入ることと、江戸から諸大名の妻女(いわば人質)が出ていくことがチェックされていたのです。諸大名の謀反を防ぐため、参勤交代とセットで施行されていた制度でした。為政者にとってのセキュリティはこのような形で制度化されていたのです。

 いま多くの国が民主主義体制を取るようになり、ヒト、モノ、情報が自由に流通するようになりました。ICTの進展によってそれがさらに加速しています。このような情報機器の進展に合わせるように、為政者側は産業スパイ、テロなどを警戒して情報監視を制度化しています。

■US Freedom Act
 たとえば、アメリカのNSA(National Security Agency)は電子機器を使って情報収集し、分析した結果を随時、政府に報告していました。もちろん、秘密裡に行われていたのですが、契約社員のエドワード・スノーデン氏が2013年6月、NSAの諜報活動を英米紙に暴露したのです。NSAが米通信会社の通話記録、インターネット企業の電子メールや画像などから、敵対国だけではなく同盟国の政府要人や個人の情報まで収集していたことが明らかになって、大きな議論が巻き起こりました。

 スノーデン事件を受け、2015年6月2日、米議会上院はNSAによる通話記録の大規模収集を禁じる法案(USA Freedom Act)を賛成67、反対32の大差で可決しました。すでに下院は可決していましたから、オバマ大統領は上院の可決後すぐに署名し、この法律が成立したという経緯がありました。

こちら →
http://www.usatoday.com/story/news/politics/2015/06/02/patriot-act-usa-freedom-act-senate-vote/28345747/

 USA Freedom Actの成立によって、NSAの情報監視活動に制限が加えられたのです。

 その後、パリ同時テロが起こりました。ですから、パリ同時テロ事件に際し、スノーデン氏のせいでテロを未然に防げなかったとやり玉にあげ、USA Freedom Actの施行延期を要請するむきもあります。

こちら →https://www.rt.com/usa/322508-nsa-bill-delay-freedom-act/

 ただ、このような動きに対し、たとえば、ザ・ニューヨーカーのスタッフライター、エミー・ディヴィッドソンは、「パリ襲撃のせいでエドワード・スノーデンを責めるな」というタイトルの記事を書いています。

こちら →
http://www.newyorker.com/news/amy-davidson/dont-blame-edward-snowden-for-the-paris-attacks

 とくにCIA関係者などからスノーデン氏への批判が集中していることを踏まえ、これはCIAのブレナン長官らがスノーデン事件から何も学ばなかったことが示されているとし、今回の件で彼らが無力であったとしても、その責任は彼ら自身にあり、スノーデン氏のせいではないとの認識を彼女は示しているのです。

■都市セキュリティと監視カメラ
 このように、情報監視こそテロ対策だと考える人々がいる一方で、それはテロ対策にはならないばかりかプライバシーを侵害すると考える人々がいます。後者は、通話記録、メール等の大規模収集はプライバシーの侵害であり、成熟した民主主義国家が行うことではないという見解です。たしかに、情報監視は監視者側に多大な力を与えますし、目的外使用される可能性を考えれば、民主主義体制を破壊しかねい危うさがあります。

 実は、パリ同時テロ直前の11月12-13日、私は東京国際フォーラムで開催された「C&Cユーザーフォーラム&Iexpo2015」に参加していました。どのような先進技術が開発されているのか興味があったので行ってみたのですが、セキュリティに関してもICTを活用した機器が種々、考案されているようでとても興味深く思いました。

 監視カメラの技術も相当、高度なものになっていました。海外から多数のヒトが参加する2020年のオリンピック開催を視野に入れた技術動向なのかもしれません。駅、公共施設、広場など多数のヒトが集まる空間の安全をICTの利活用によって確保しようというのです。

 自動的に異常を検知する映像解析技術、さらには、個人ではなく群衆行動を解析する技術、等々が高度化すれば、混雑した中でもある程度、不審な動きはキャッチできるようになるでしょう。すでに群衆行動を解析する技術は開発されているようです。

こちら →http://jpn.nec.com/rd/innovation/crowd/index.html

 考えてみれば、最近の事件の多くが監視カメラによって犯人が特定され、解決に至っています。ですから、カメラによって自動的に異常を発見でき、瞬時に警戒態勢を取ることができれば、パリ同時テロなどの事件によって多くのヒトが犠牲になることを防げる可能性があります。

 グローバル化が進み、ヒトの移動が激しくなるにつれて、多様なヒトが多数集まる都市のセキュリティが重要になってくるでしょう。多様性の中では異質性が見逃されやすく、テロ等の犯行も容易になるからです。いまは国境を超えた移動も簡単になっていますから、逃亡もしやすい。しかも、大勢のヒトが犠牲になれば、グローバルに関心を集めますから、犯行グループは声高に主張をアピールすることができます。これまで以上に都市のセキュリティが脅かされていると考えた方がいいでしょう。

 監視カメラを設置すれば、犯行を抑止することができますし、事件があれば犯人特定に貢献できる確率が高くなりますが、その一方で、プライバシーが侵害されるという側面があります。それでも、安全とプライバシーとどちらを優先するかといえば、安全を選択するヒトが今後、増えていくでしょう。

 NSAが行ってきたような電話記録やメールや画像の収集は許せなくても、街頭やビル等へのカメラの設置は受け入れられやすいと思います。電話やメールはヒトの考えや意識の反映であり、プライバシーそのものですが、カメラ画像はヒトがその時間、その場にいるという記録でしかありません。プライバシーの侵害の度合いが低いという点で、安全と天秤にかけた場合、監視カメラの方が許される確率は高くなるような気がします。

 グローバル化が進む一方、ヒトとの絆が弱くなった現代社会では、社会の安全すらICTの利活用に依存しなければならなくなっているようです。

 来年こそはより平和な社会になり、人々が穏やかに生活できるような変化が起こることを祈りつつ、今年を終えたいと思います。(2015/12/31 香取淳子)

回顧2015:ノーベル賞ダブル受賞に見る日本の生活文化

 今年もいよいよ残すところあと1日、悲喜こもごも、さまざまなことがありました。もっとも印象に残っているのが、大村智氏と梶田隆章氏のノーベル賞ダブル受賞です。このニュースに接したとき、近来になく、晴れやかで心豊かな気持ちになりました。十月初旬、立て続けに発表されたニュースに接したときの印象を思い起こし、お二人の業績を振り返ってみたいと思います。

■大村智氏の受賞
 2015年10月5日、北里大学特別栄誉教授の大村智氏がノーベル医学生理学賞を受賞したというニュースが飛び込んできました。スウェーデンのカロリンスカ研究所が2015年のノーベル医学生理学賞受賞者として、北里大学・大村智特別栄誉教授(80歳)、米ドリュー大学・ウィリアム・キャンベル博士(85歳)、中国中医学院・屠呦呦主席研究員(84歳)の三氏に決定したと発表したのです。

 さっそくネットで調べてみました。

 大村氏とキャンベル氏は「寄生虫によって引き起こされる感染症の治療に役立つ新薬Avermectinの発見」、屠氏は「マラリア治療に効果のある新薬Artemisininの発見」が評価され、受賞が決定されました。いずれも開発途上国で脅威となっている感染症対策に役立つ研究です。

こちら →http://www.nobelprizemedicine.org/

 カロリンスカ研究所が用意した報道用資料には、受賞対象となった三氏の研究内容が簡単に紹介されています。

こちら →
http://www.nobelprizemedicine.org/wp-content/uploads/2015/10/Press_ENG.pdf

 開発途上国では寄生虫によって引き起こされる感染症がいかに多いか、それによって人々がいかに壊滅的な打撃を受けているか。上記資料の世界地図を見ると、青色で示されている部分があります。いまだに多くの人々がこの種の感染症の脅威に晒されている地域です。

 大村氏が土壌細菌から発見してキャンベル氏が開発したアベルメクチン(Avermectin)、そして、屠氏が発見したアーテミシニン(Artemisinin)が、これらの地域でいかに多くの感染症患者を救ったか。いずれの場合も驚くほどの画期的な治療効果をあげているのです。

 報道用資料を見ると、カロリンスカ研究所はこれらの研究を「人類への計り知れない貢献」だとたたえています。まさに科学が膨大な数のヒトの命を救っているのです。今回の受賞者たちは科学の本来あるべき姿の一つを示したといえるでしょう。

■微生物の力
 5日夜、北里大学薬学部で大村智氏の記者会見が開かれました。驚いたことに、大村氏は受賞を喜びながらも、次のようにいわれたのです。

「私の仕事は微生物の力を借りているだけのもので、私自身がえらいものを考えたり難しいことをやったりしたわけじゃなくて、全て微生物がやっている仕事を勉強させていただいたりしながら、今日まで来てるというふうに思います。そういう意味で、本当に私がこのような賞をいただいていいのかなというのは感じます」
(http://thepage.jp/detail/20151007-00000001-wordleaf?page=2より)

 なんと謙虚なのでしょう、絶え間ない努力と研鑽の結果、手にしたノーベル賞であるにもかかわらず、このような反応を示されたのです。終始、穏やかな笑顔で臨まれる大村氏のテレビ会見を見て、私は驚いてしまいました。

 大村氏は、日本には微生物をうまく使いこなしてきた歴史がある一方で、人のため、世のために働くという伝統がある、そういう環境の中に生まれてきたことが今回の受賞につながったといわれました。自然と一体化した生活文化、人のために尽くすという生活規範、そのような生活環境の中で生まれ育ったことがノーベル賞受賞につながったといわれるのです。

 さらに、次のようにもいわれました。

「北里柴三郎先生、尊敬する科学者の1人なんですが、とにかく科学者というのは人のためにならなきゃ駄目だ。(中略)ですから人のために少しでもなんか役に立つことないかな、微生物の力を借りてなんかできないか、これを絶えず考えております。そういったことが今回の賞につながっているんじゃないかと思っています」(前掲URLより)

 大村氏は山梨大学を卒業後、定時制高校の先生をしながら東京理科大学大学院に入学し、修了後は母校の助手として研究者人生をスタートさせました。そして、その2年後、尊敬する北里柴三郎が設立した北里研究所に入所し、微生物の研究に打ち込みます。

 大村氏が山梨大学の助手時代に手掛けていたのはワインの研究でした。ワインをはじめ酒、納豆、味噌、醤油などの発行食品はヒトが微生物を有効に活用したものですが、一方で、腸チフス、赤痢、結核などヒトに悪影響を及ぼす微生物もあります。良いにしろ悪いにしろ、ヒトはこれまで微生物と深く関わり、共存して生きてきました。

 北里大学時代、大村氏は微生物が作る化合物を400種余り発見しました。その中の17種がヒトや動物の医薬品、あるいは、生化学研究用の重要な薬として実用化されているといわれます。まさに微生物の力を借りてヒトの生活向上に役立てているのです。

■日本の生活文化
 いくら効果があるといっても、開発途上国の人々に薬を飲ませるのは大変です。言語が多様で、服用する薬の適量を知るのに必要な体重計もありません。もちろん、医師や看護婦がいつも同行できるわけでもありません。そこで、大村氏は考えました。

 身長と体重とはほぼ比例するということを踏まえ、身長に応じて投与する錠数を区分するよう、集落の代表者に教えました。きわめて簡単な方法で誰にでも適切な量を投与できるようにしたというのです。大村智氏は画期的な新薬を開発したばかりか、このように、誰もが容易にその薬を使えるよう使用法にも工夫を凝らしたのです。

 大村氏は次のようにいったそうです。

「極めて安全な薬です。だから、医師でなくても、誰でも配ることができる。何回も飲むことで効果が出る薬がほとんどだが、この薬は年一回だけ飲めばよい」
(http://ghitfund.yahoo.co.jp/interview_04.htmlより)

 実際、このような方法を考案することによって、大村氏は劇的に感染症患者を減少させることに成功しました。単なる科学者ではなく、救済者としての面持ちさえ感じられます。

 大村氏の受賞記者会見からは、いまや消滅寸前の古き良き時代の日本の生活文化を感じさせられました。ヒトは目に見えないところでヒトや他の生物、自然界そのものと繋がっており、その繋がりの中で生かされています。

 私はすっかり忘れてしまっていましたが、かつて私たちは親世代から「ヒトのためになるように生きなさい」とよくいわれたものでした。そして、「情けは人の為ならず」ということも何度も聞かされました。ところが、いつの間にか、自分のために生きるのが当然のように思い、うまくいかなければ他人のせいにし、心満たされない日々を過ごすようになってしまっています。

 はたして、こんなことでいいのか・・・。

 大村氏の会見を見ていて、ふっとそんな思いに捉われてしまいました。ノーベル賞の受賞記者会見なのに、見ているうちに、思わず自分の生き方を振り返り、これでいいのかと反省させられてしまったのです。便利さと引き換えにヒトを支えてきた生活文化まで失いつつあるのではないかという気がしたのです。

 穏やかな笑顔で話される大村氏からは終始、不思議なオーラが放たれていました。

■梶田隆章氏の受賞
 翌日6日、東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章氏がノーベル物理学賞を受賞することがわかりました。この二日、立て続けにノーベル賞二部門での受賞が決まり、日本中が喜びに包まれました。今回も私はまずネットで受賞を知りました。

 6日夜、東京大学で梶田隆章氏の記者会見が開かれました。席上、梶田氏が次のようにいわれたのが強く印象に残っています。

「観測施設の『スーパーカミオカンデ』を建設したのは戸塚先生の功績であり、研究の代表者でもありました。ニュートリノに質量があることを証明したことについては、戸塚先生の功績が大きいと思います。もしも今も生きていたら共同で受賞したと思います」
(http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20151006/5485421.htmlより)

 ご自身の喜びとともに7年前にガンで亡くなった恩師の戸塚洋二氏の功績を称えられたのです。もちろん、2002年にノーベル物理賞を受賞された小柴昌俊氏の名前もあげられましたが、ノーベル賞受賞の記者会見という栄誉の場で、なによりもまず恩師戸塚氏の偉業を口にされたことに私は驚きました。偉業を我が物とせず、謙虚に先人を称える姿勢に感動したのです。

 ちなみに、スーパーカミオカンデとは、世界最大の水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置のことで、1991年に建設が始まり、5年間にわたる建設期間を経たのち、1996年4月より観測が開始されました。(http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/より)

 梶田氏は次のようにもいわれました。

「自然現象が、非常にわれわれが観測しやすいようになっていてくれたおかげで発見できたので、本当にラッキーだと思っています」(前掲URLより)

 先人が素晴らしい研究環境を構築してくれたことに謝意を表明され、ご自身のことを梶田氏は「ラッキー」と表現されたのです。

 私はニュートリノのことも、スーパーカミオカンデのことも知りません。物理学のことはまったくわからないのですが、梶田氏の記者会見を見ていると、寝食を忘れるほどの努力を積み上げた結果、成し遂げることができた偉業であるにもかかわらず、自分を誇ることなく、あくまでも謙虚な姿勢で会見に臨まれたことに深く印象づけられました。

 もっとも、東京大学物理学科を卒業し、現在、東京大学大学院情報学環准教授の伊東乾氏は次のように書いています。

「今回の業績は、何千人という物理学徒の献身的な労苦によって達成されたものですが、もしその代表を選ぶなら、第一に名が挙がらねばならない人はノーベル賞を受けることができませんでした」
「戸塚洋二さん、この人こそ、ニュートリノ振動の観測で本当に汗を流し、足を棒にして働いた中心人物であり、同じ労苦を膨大な数の物理屋、技術者、協力者が惜しみなく提供して、宇宙の構造にとって最も本質的な成果の1つは得られました」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/44956より)

 東京大学、そして、物理学の事情をよく知る人物からすれば、梶田氏の謙虚な姿勢は当然だったのかもしれません。

 会見中、梶田氏の謙虚な姿勢は終始一貫、崩れませんでした。日ごろからそのようなお人柄だからなのでしょうか、あるいは、戸塚氏をはじめ先人の苦労を忘れることができないという思いからなのでしょうか。いずれにしても、穏やかな笑顔の背後に謙譲を美徳としたかつての日本文化を重ね合わせることができます。

■偉業の背後にある日本の生活文化
 大村氏といい梶田氏といい、歴史に残る偉業を成し遂げたというのに、この謙虚さはいったいどこから来るのでしょうか。

 受賞発表後の記者会見をそれぞれテレビで見たのですが、いずれの場合も見終えて心の底から嬉しく、なんともいえないさわやかな気分に満たされました。テレビ中継された大村氏、梶田氏の笑顔が実に素晴らしいのです。

 ヒトは年齢を重ねると、その来歴が顔に出るといわれます。お二人の笑顔にはなんの外連味もなく、ヒトの気持ちを和ませる優しさと温かさがにじみ出ていました。テレビ会見を見ていて、ノーベル賞を受賞されるほどの偉業に打たれたのはもちろんのこと、画面を通して伝わってくる笑顔の背後に垣間見えるお二人のお人柄にも感激したことを思い出します。

 そして、12月8日、ノーベル賞受賞式に臨まれるお二人はストックホルムの宿泊先で会見に臨まれ、ここでも素晴らしい笑顔を見せられました。

こちら →201512080013_001_m
西日本新聞2015年12月8日より。

 2015年、さまざまなことがありました。もっとも印象に残ったのが、ノーベル賞受賞者お二人の背後に見受けられた日本の生活文化でした。

 思い起こせば、かつて私たちは親世代から繰り返し、「ヒトのために」、「出しゃばらず、威張らず」、「地道にコツコツと」、というようなことを言われて育ってきました。それがいつの間にか、「ヒトを出し抜き」、「自分を強くアピール」、「機を見るに敏」であることが求められるようになってしまっています。その結果、ヒトは気持ちの安らぎを得にくくなり、心身の病に罹りやすくなっています。はたしてこれでいいのかという思いがつのります。

 一年を振り返ったとき、まず、思い出されたのが、ノーベル賞受賞者お二人の爽やかな印象でした。お二人の記者会見からはかつては全国津々浦々、いきわたっていた日本の生活文化が浮き彫りにされていました。今回のノーベル賞受賞者から垣間見える日本の生活文化を改めて、見直す必要があるのではないかと思いました。(2015/12/30 香取淳子)