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新型コロナウイルスが露呈した日本の義務教育

■緊急事態宣言

 安倍首相は2020年4月7日、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象に緊急事態宣言を発令すると発表しました。爆発的な感染の拡大や医療崩壊を防ぐには、外出の自粛などを徹底する必要があると判断したためで、この宣言の効力は4月8日の午前0時から5月6日までといいます。

 教育に関していえば、東京都はすでに2020年4月1日、都立高校の休校措置を5月6日まで延長すると発表していました。それに伴い、小中学校を所管する市区町村に対しても、休校の延長およびITを活用した学習支援への対応を要請していました。

このように、緊急事態宣言以前に、小中高の休校期間が5月6日まで延長されていましたから、別段、驚きはしませんでしたが、果たして、子どもたちの教育はどうなっているのか、とても気になりました。というのも、3月2日に全国の小中高が一斉に臨時休校に入ってから2か月間も、子どもたちは教育を受けることができないからでした。

 2020年2月27日、安倍首相は全国の小中高に対し、3月2日から一斉に、臨時休校を要請しました。ですから、今回、非常事態宣言を発令された都市の子どもたちは、2か月間も学校に通わないことになるのです。春休みを挟んでいるとはいえ、

 それにしても、3月2日、全国一斉に出された休校要請は唐突でした。

当時、日本はそれほど感染が広がっていませんでした。高齢者や基礎疾患のある人が多く感染しており、子どもへの感染は北海道以外、報告されていなかったはずです。それだけに、なぜ、安倍首相が感染対策として真っ先に、全国一斉に小中高の休校を要請するのか、私にはまったく理解することができませんでした。

子どもたちの感染率、その感染経路を明らかにしたうえで、一斉休校の措置をとるのならまだしも、そのような事実を踏まえた措置というわけではありませんでした。しかも、事前に対応策を練り上げないまま、突如、一斉休校が要請されたのです。

受験シーズンでしたから、動揺した子どもたちもいたことでしょう。なにより、共働きの家庭、ひとり親家庭の子どもたちは休校期間中、どこで、何をして、過ごすのでしょうか。その後、休校をいいことに、盛り場に出かけたり、ゲームセンター、カラオケなどに出向く中高生もいましたから、かえって、感染の機会を与えたようなものでした。

 果たして、感染症対策本部の基本方針はどうなっていたのでしょうか。

■2月25日に決定された、感染症対策の基本方針

 新型コロナウイルス感染症対策本部が、2020年2月25日に決定した基本方針は、以下のようなものでした。

こちら → https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000599698.pdf

 これを読むと、全国一斉休校をしなければならないほど、子どもへの感染が心配されていたわけではありませんでした。

 感染症に対して現時点で本部が把握していることとして、「飛沫感染、接触感染であり、空気感染は起きていない」、感染力は様々であり、罹患しても軽症であったり、治癒する例も多いとしながらも、「高齢者、基礎疾患を有する者では重症化するリスクが高い」と記されています。対症療法が中心で、感染しても軽症が多く、多くの事例で感染力も低いことが示されています。子どもについてはなんら言及されていません。

 感染拡大防止策として、現行は、「患者クラスターに関係する施設の休業やイベントの自粛」、「高齢者施設等の施設内感染対策を徹底」、「公共交通機関等、多数の人の集まる施設における感染対策を徹底」とされています。そして、今後は、「外出の自粛、患者クラスターへの対応を継続、強化」、「学校等における感染対策の方針の提示及び学校等の臨時休業等の適切な実施に関して都道府県等から設置者等に要請」とされていました(pp.5-6)。子どもに関する事柄といえば、今後、休校もありうるという程度のものでした。

 この基本方針を読む限り、子どもへの感染が心配されるような記述は見られませんでした。ところが、基本方針決定の2日後の27日、全国の小中高の一斉休校が発表されました。この時点で一斉休校の必然性があったのかどうかわかりませんが、大きなインパクトがあったことは確かです。

 それでは、2月28日に開催された文部科学大臣の臨時記者会見の様子を見てみましょう。

こちら → https://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/mext_00039.html

 記者から次のような興味深い質問が寄せられています。

「今段階、感染経路として学校がない状況で、休業することの効果、これについていかがお考えなのかということと、優先順位として、学校が最初だったという必要があったのでしょうか。もっと別のことが普通はあったと思うんですけど、政府内の検討というのはいかがだったんでしょうか」

 これに対し、萩生田光一文部科学大臣は次のように答えています。

「現段階では、学校での集団感染などは確認をされておりません。しかしながらここ数日間、学校関係者による罹患者が確認をされております。日頃から、児童生徒あるいは先生方が集団的な活動をする学校の場合は、これはこのコロナウイルスに限らずですね、やはり一斉に拡大する可能性が極めて高い場所だということを専門家の皆さんからも常々指摘をされてまいりました。(中略)万が一、学校でこのような事態が起これば、本当に児童生徒の生命健康を守ることができない事態になりかねない、こういう判断の中で学校、まず最初学校といいますか、子供たちの集まる学校施設をまず先に、という決断に至りました」

 このやり取りをみてもわかるように、子どもたちにまだ感染者がいない段階で、予防的措置として採られたのが全国一斉休校でした。この決定に違和感を覚えた人も多かったでしょうが、国内外の人々に大きなインパクトを与えたことも確かでした。

 国外に対しては、日本政府が果敢に新型コロナウイルス対策をしているという印象を与え、国内では、過剰に思えるほどの対応で新型コロナウイルスに対する警戒を喚起しました。その結果、子どもや保護者の生活、教育現場、教育業界へのしわ寄せ等々、さまざまな影響を引き起こしています。

 長期にわたる休校で、とくに気になるのが、義務教育課程の子どもたちへの影響です。文科省は義務教育に関し、どのような対策をとっているのでしょうか。

■文科省の対策

 新型コロナウイルスに対する文科省の対策は下記のHPにまとめられています。

こちら → https://www.mext.go.jp/a_menu/coronavirus/index.html

 教育コンテンツとしては、次のようなページが設定されています。

こちら → https://www.mext.go.jp/a_menu/ikusei/gakusyushien/mext_00460.html

 経産省、NHK、徳島教育委員会、文科省などが制作したさまざまなコンテンツがありますが、学校教育の代替となるコンテンツとは言い難く、これだけでは休校中の教育を補完することはできないでしょう。提供されたコンテンツをいろいろ見ていくと、もっとも適しているのが、NHKの教育番組だということがわかります。

こちら → https://www.nhk.or.jp/school/program/

 学年ごと、教科ごとにコンテンツが用意されており、これなら自宅学習の教材にふさわしいでしょう。これらのコンテンツを使った学習方法も紹介されています。

こちら → https://www.nhk.or.jp/school/ouchi/

 学習を進めるには、①ノートを用意、②インターネットでこのサイトにアクセス、③番組タイトルをもとに内容を予測、④番組を見る、⑤どんな番組だったか内容をノートにまとめる、⑥ノートを見せながら、誰かに話す、といった学習手順が推奨されていました。

 この通り実行すれば、おそらく、学習効果もある程度、期待できるのでしょう。それには保護者がある程度、関わっていくことが条件となります。

■一定の教育効果を果たしたTV幼児番組

 思い出すのが、『セサミストリート』というアメリカの幼児教育番組です。放送開始されたのが、1969年ですから、もう50年も前の番組です。

こちら → https://www.sesameworkshop.org/

 以前、私はこの番組について調べたことがあります。ジョンソン政権時に「ヘッドスタート」計画の一環として、幼児教育のために開発されたのが、この番組でした。幼児教育、発達心理学などの学者が参加し、年代に合わせ、必要な知識や技能を習得できるような工夫がされています。その一端をご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/BNNcpAcF0GM

 ビッグバードなどのキャラクターに引き付けられ、面白がって番組を見ていれば、自然にアルファベットを覚え、数字を理解し、日常生活のモラルを身につけられるというのが、この番組のセールスポイントでした。

 多くの学者がこの番組の視聴効果について研究しています。3歳児から5歳児までの子どもを対象にした調査結果では、どの年齢層の子どもも保護者とともに視聴した場合、継続的に視聴し続けた場合に学習効果が上がったことが報告されています。

 この番組では何よりも子どもたちが積極的に番組を視聴してくれることを重視していました。ですから、子どもたちの好きそうなぬいぐるみを番組進行のキャラクターとして設定し、1分以下の身近なセグメントにまとめられたアニメーションや歌、動画などに教育目標を盛り込み、制作されていました。

 その後、このような細かくセグメント化した制作手法は子どもたちの学習能力を高めないという見解をもつ人々が批判するようになりましたが、1960年代から1980年代ぐらいまでの間、教育環境に恵まれない幼児にとって学習効果を上げてきたことも事実です。

 もっとも、先ほどもいいましたように、親か保護者がともに視聴し、番組内容について語り合うというのが条件でした。子どもにただ、見せっぱなしにしているのではそれほど効果が期待できないというのです。

 NHKが学習方法を紹介しているように、番組をただ視聴するだけではなく、その内容について子どもがノートに書き留め、番組内容について誰かと話したりすると、学習効果が期待できるということになります。

■感染回避、授業の遅れをどうするか

 ブルック・オークシャー(Brooke Auxier)は、ピュー・リサーチ・センターの調査結果に基づき、教育における格差を指摘しています。

こちら → https://www.pewresearch.org/fact-tank/2020/03/16/as-schools-close-due-to-the-coronavirus-some-u-s-students-face-a-digital-homework-gap/

 新型コロナウイルスで休校になった子どもたちは、家庭学習においてデジタルギャップに直面しているというのです。自宅学習にインターネットを毎日あるいはほぼ毎日利用する13~14歳の子どもは58%、インターネットを学習に利用したことはないという子どもは6%だったといいます。これは居住する地域特性や両親の学習レベル、人種、収入などと相関しており、子どもたちの家庭学習には明らかな差異が見られるというのです。

 休校だからそのまま家庭学習に任せておけばいいということにはならず、学校教育が行われないこの期間に、子どもたちの学習レベルに差異が拡大するということになります。日本ではまだそのような調査結果はありませんが、学校再開後、学習能力の差異は拡大しているかもしれません。

 公立の小学校に通っている子どもは、始業式にプリントを渡された程度だったようですが、私立の小学校に通っている子どもは、ほぼ毎日、学校からオンラインで教材が送られており、保護者が先生の代わりになって学習をさせているようです。

 休校期間が長引けば長引くほど、通っている学校の違い、保護者の支援などで子どもたちの学習能力に差がつくことは明白です。自分で教材を選んだり、学習予定を組んだりすることができない小学生の場合、とくに家庭環境に違いが学習環境に違いとなってくるでしょう。

 小学生の場合、まだ先生か保護者の支援が必要ですから、休校の場合はオンライン学習と気軽にいってしまえない事情があります。このことは、たとえ、オンライン教育のための技術的な環境整備ができたとしても、今後の課題として認識しておく必要があるでしょう。

■日本のICT教育の遅れ

 2020年4月17日の日経新聞に、「ICT教育、海外に後れ」というタイトルの記事が掲載されました。読むと、2019年時点でのパソコン配備は小中学生5.4人に1台にとどまるといいます。

 さらに、2018年OECDの調査によると、1週間の数学の授業で「デジタル機器を利用しない」という日本の生徒の割合は89%で、加盟国平均の55%を大きく上回っています。OECDの加盟国は36ヵ国で、メキシコやチリ、トルコといった新興国も加盟しています。その平均値よりはるかに高く、日本では89%もの生徒がデジタル機器を利用しないと回答しているのです。

 先進国だと思っていた日本の義務教育が、なんとも嘆かわしい状況に置かれていることが露呈しました。

 てっきりインフラ整備の不備のせいだと思っていたのですが、著作権法に」阻まれて教科書のデータをインターネットに公開するのが難しいからだそうです。

 さらに、嘆かわしいことに、教員のITスキル不足が関係しているといいます。ICTを課題や学級活動で活用している日本の中学教員の割合は17.9%で、調査対象国48ヵ国・地域の中で下から2番目だというのです。


(日経新聞2019年6月19日より)

 上図を見ると、一目瞭然です。とくに中学校でICT教育がおざなりになっているのが心配です。これでも、前回より8.0ポイント上昇したというのですから、驚きです。ICT時代といわれながら、これまで日本の義務教育の現場では、なんらICTが活用されていなかったことになります。

 そればかりではありません。創造力や批判的思考力を鍛える指導でも、日本は劣っているというのです。

 「明らかな解法が存在しない課題を提示する」指導を頻繁に行っている中学教員の割合は平均37.5%に対し日本は16.1%でした。また、「批判的に考える必要がある課題を与える」指導では、加盟国平均61.0%に対し、日本は12.6%でした(※ 日経新聞2019年6月19日)。

 とくにクリティカルに考える思考力が鍛えられていないようです。今後、論理的思考能力が重要になる時代に、子どもたちは生きていきます。この子どもたちが義務教育の課程でその能力が鍛えられないとすれば、果たして、いつその能力を獲得できるのでしょうか。

 日本の義務教育では、ICTインフラ、教科書、教員、いずれをとっても、諸国に比べ、圧倒的に劣っているのです。一体、なぜ、ここまで放置されてきたのでしょうか。

 もちろん、教員や子どもばかりを責めることはできません。創造力や批判的思考力を阻む社会的圧力が日本社会に潜んでいることも影響しているでしょうし、競争を嫌う社会風潮も関係しているかもしれません。

 新型コロナウイルスを契機に今後、世界中が新たな社会に変貌していくことになるでしょう。子どもたちは、否応なく、ICTを駆使する力、創造力、批判的思考力を育てていく必要があります。

 日本の義務教育にいったい何が必要なのでしょうか。

 子どもたちの幸せのために、将来の動向を見据えたうえで、基本方針を練り直し、必要な教育を着実に実践していくことがなによりも大切だと思いました。(2020/4/21 香取淳子)

新型コロナウイルス騒動のさ中、5Gネットワークを考える。

■ソフトバンク、5Gサービス開始の発表

 2020年3月5日、ソフトバンクは3月27日から5Gサービスを開始すると発表しました。日本で初めての5Gサービス・商品の発表だったのですが、これはネット中継で行われました。観客のいない会場で行われ、ネットで公開されたのです。

 この変則的な発表は、会場でのウイルス感染を避けるための措置でした。新型コロナウイルス騒動のさ中、不特定多数のヒトが一堂に会すれば、ひょっとしたら、感染者が出るかもしれません。ソフトバンクはそのことを懸念したのです。

 中国の武漢市で見つかった新型コロナウイルスは、瞬く間に世界各地に拡散していきました。日本でも感染者が日々、報道されるようになり、人々の不安は高まる一方でした。感染対策のため、3月2日からは小中高が一斉に休校になりましたし、図書館、美術館、各種施設も休館になりました。地下鉄に乗ると、不必要な外出は避けるよう繰り返しアナウンスされ、人々はマスク、トイレットペーパー、保存食品等などを買い占めるようになっていました。

 そんな騒動のさ中、ソフトバンクの5Gサービスが発表されたのです。

 私はふと、この新型コロナウイルス騒動が、5G導入に向けた大きな契機になるかもしれないと思いました。なにしろ、まるでパンデミックさながら、瞬く間に感染者が世界に拡散していきましたから・・・。

 人々は人混みを避け、さまざまなイベントは中止になり、経済活動が停滞し始めました。このままではいずれ社会生活も成立しなくなります。テレワーク、オンライン会議、オンライン診療など、ヒトとの接触を避けられる遠隔コミュニケーションが注目されるようになりました。

 感染対応策として、まず、テレワークが奨励されるようになりました。

 さらに、厚生労働省は2月28日、慢性疾患の定期受診者に対するオンラインによる診療、処方、服薬指導等について、都道府県の関連部局に通知を出しました(※ https://www.mhlw.go.jp/content/000602230.pdf)。

 オンライン診療はこれまでその必要性が説かれながらも、診療の実施要件が難しく、なかなか普及しませんでした。ところが、今回の新型コロナウイルス騒動を受け、厚生労働省も重い腰を上げ、オンライン診療に踏み切らざるをえなくなったのです。

 もっとも、今回の通知でも、感染が疑われる患者の診療に対しては、依然として、対面診療が求められています。ところが、感染者との濃厚接触が疑われる患者等には、対面診療をせず、健康医療相談や受診勧奨を行っても差し支えないとされたのです。これまでと比べれば、一歩前進といえるでしょう。

 すでに感染が全国に拡散してしまった今、なによりもまず、感染者の行動を制限し、医療現場への感染を避ける手立てが必要でした。

■新型コロナウイルス騒動の中、優先すべきものは何か

 後手後手にまわった感染対策で、日本政府は信用を落としてしまいました。3月12日時点で、日本からの出国者には、35か国・地域から入国が制限され、76か国・地域から入国後14日間の隔離や観察処置などの行動が制限される始末です(※ https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56497330W0A300C2EA2000/)。

 日本政府が感染国からの入国を禁止せず、感染者の行動制限もしなかったせいで、いまや医療関係者が次々と感染しています。医療従事者が感染すれば、別の疾患で病院を訪れている患者も巻き添えをくいます。感染者がこのまま増え続け、制限もなく病院を訪れれば、やがては医療の崩壊といった事態も招きかねないでしょう。

 実際、イタリアでは感染者が急増し、医療崩壊に直面しているといいます。感染しているかどうか確かめるため、多数の人々がPCR検査を求めました。政府はそれに歯止めをかけることができず、無制限に応えてしまいました。その結果、医療従事者に大きな負担を強いただけではなく、医療現場を混乱させたばかりか、いたずらに感染を拡大させてしまったのです(※ https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56642800Q0A310C2910M00/)。

 日本政府はこれを他山の石とし、何を優先して取り組むべきなのかを見極め、今度こそ、適切に対処する必要があるでしょう。緊急事態だからこそ、優先順位をつけ、リーダーシップを発揮して感染対策に取り組んでほしいのですが、政府の動きを見ていると、必ずしもそうとはいえません。政府は感染力の強い新型コロナウイルスを水際で防ぐことができず、国内で感染者を出してしまった後も、感染者の行動に制限をかけていないのです。国民の生活を守ろうという姿勢が見えず、これでは将来が不安になります。

 興味深いことに、発生源の中国はすでに、今回の騒動を機に、5Gを活用したオンライン診療等を積極的に進めているといいます(“The Ecinomist” Mar. 5th 2020)。

 5Gを利用して、高精細画面でリアルタイムに患者とコミュニケーションができるようになれば、確かに、対面診療と遜色のないオンライン診療が可能になるでしょう。5Gは、ヒトが遠隔地とリアルタイムでつながり、リアルな状況下でコミュニケーションできるネットワークなのです。

■中国で進むオンライン診療

 2020年2月7日の『人民日報日本語版』によると、武漢協和病院と武漢科技大学付属天佑医院に、5Gスマート医療用ロボット2台が投入されたといいます。これらのロボットが医療スタッフをサポートし、診療のガイド、消毒、衛生管理、薬の配達などを行うのです。そうすることによって、院内での交差感染を減らし、院内隔離、管理、コントロールの水準を高めることができます。

 これらの病院にロボットを提供したのは、中国移動通信集団の湖北有限公司でした。その責任者によると、サービス用ロボットは、病院のロビーで診療のガイドを行い、予防知識を提供してスタッフの負担を軽減するとともに、院内感染を防止する役割を担うといいます。

 また、消毒・衛生管理ロボットは、感染の危険のあるゾーンで医薬品を配布したり、消毒液を適宜散布したり、床面を消毒・掃除するそうです。遠隔操作で決められたルートの消毒、衛生管理を行うことができ、人手によらず、一連の作業を行うことができるというのです(※ https://www.recordchina.co.jp/b779691-s10-c20-d0035.html)。

 驚いたことに、世界中が新型コロナウイルス騒動に手をこまねいているうちに、中国では着々と、医療現場での5Gサービスが展開されていたのです。なんとしたたかなことでしょう。

 オンライン医療に貢献しているといえば、スマホも同様です。医療アプリ「平安好医生」は、中国の大手保険会社が運営していますが、昨年9月、登録者数が3億人を超えたそうです。その勢いで、12月以降、タイにも進出しているといいます。

こちら → https://baike.baidu.com/item/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E5%A5%BD%E5%8C%BB%E7%94%9F

 「平安好医生」は、専門医を紹介し、スマホで予約を取るサービスが好評で、登録者数を伸ばして来ました。今回の新型コロナウィルス対策に関しては、全国に無料でマスクを配布するため、「ウイルス対策司令室」を開設し、対処しているそうです。

 なにも「平安好医生」に限りません。中国で今、大きく躍進しているのが、対面コミュニケーションを必要としないオンライン診療、あるいは、ドローンや自動走行車を活用した無人の小口配送などでした。

 感染報道を見ていて気になるのは、中国が新しいテクノロジーを積極的に、感染対策や治療等に利用していることです。データ収集を兼ねているのでしょうが、今回の騒動を奇貨として、医療現場でさまざまな5Gサービスを展開することによって、5G時代の優位性を目指しているように思えます。

 たとえば、武漢の新型コロナウイルスの専門病院・火神山病院と北京の解放軍病院の専門家たちは、5Gネットワークを使って相互に意見を交わしながら、オンライン診療をしています。

こちら → https://www.afpbb.com/articles/-/3267783

 感染者を多数、受け入れている医療現場が、リアルタイムで感染症の専門家とやり取りをすれば、より適切な処置が可能です。専門家にとっても、これまでの知見を深化させることができ、洗練させていくことができます。さらに、膨大な感染者データを解析して、ワクチンや新薬を開発し、治験を行っていけば、やがては効果的な治療法も見いだせるようになるでしょう。

 武漢市の新型コロナウイルス医療の最前線では、最新のテクノロジーを活かした治療や感染対策が取られていました。事前の備えがあったからこそ、5Gを利用したオンライン会議、オンライン診療を行うことができたのでしょう。

■すでに始まっていた武漢市の5Gサービス

 今回、新型コロナウイルス騒動で一躍、世界的に有名になった武漢市ですが、調べてみると、なんと5Gの実験都市でもありました。

 2019年11月には、5Gを利用した無人の自動運転移動販売車が稼動しています。この自動販売車は、全周をカメラで監視しており、ヒトが手招きをすると近づき、飲み物と菓子のメニューを表示します。購入後の決済はQRコードのスキャンで行い、購入者に課金されるというシステムで動いているといいます。

 中国で初めての路線バスの自動運転も、実は、武漢市の深蘭科技が、東風汽車製の電動バスを使って、運行を開始しました。営業免許はやはり、2019年11月に交付されたそうです。車両には乗客の安全を見守る車内監視モニターが設置され、乗客が手ぶらで乗っても利用できるよう、料金収受のための指静脈認証システムなどが装備されているといいます。

 さらに、百度やアリババ集団などのIT系企業が、武漢市でさまざまな実証実験を行っているといいます(※ https://diamond.jp/articles/-/230317?page=2)。5Gを活用して、各種社会サービスを展開しようとしているのです。

 それにしても、なぜ中国がいち早く、新型コロナウイルスの感染対策として、5Gを適切に活用できたのでしょうか。私には不思議でなりませんでした。

 調べてみると、それは、中国がすでに2019年に実証実験を終了させていたからだということがわかりました。

 ジェトロは2018年5月29日、武漢市が中国移動通信と協力して、5Gの整備を進めていることを報告しています。武漢東湖新技術産業開発区に20基の5G基地局を設置し、実証実験を始めていたのです。

 2018年4月に武漢市政府が発表したロードマップによると、2020年には市内全体をカバーする5Gネットワークが完成し、以後、全面的な商用化を始めるということでした(※ https://www.jetro.go.jp/biznews/2018/05/bb238269c526dd56.html)。

 確かに、武漢市人民政府は2018年4月3日、5G基地局を設置することについて、通知を出していました。

 この通知で示された全体概念は、①指導理念、②作業目標、です。ご紹介しておきましょう。

 まず、指導理念として、5Gの情報インフラは戦略的で公共的なインフラであると位置づけています。そして、この情報インフラは、企業ニーズにも十分応えることができ、市の公共リソースを合理的に利用しながら、5Gのネットワーク展開と産業の刷新を加速させる基盤になるとしています。5Gネットワークによって、全国に先駆けて武漢市をスマート化し、産業との融合を推進し、武漢市全体の開発レベルを全国トップクラスにするとしているのです。

 次に、作業目標として、武漢市のさまざまな公共リソースを全面的に開放し、3,000基のマクロ基地局と27,000基以上のマイクロ基地局を構築し、5Gネットワ​​ークの実質的な実証実験を2018年末に開始するとしています。そして、2019年には武漢市で開催される第7回世界軍人スポーツ大会に向けて、商用利用のための5Gネットワ​​ークを提供し、2020年には都市全域をカバーする5Gネットワ​​ークを完成させ、それを完全に商用化するとしています(※ 《市人民政府办公厅关于印发武汉市5G基站规划建设实施方案的通知》、武汉办 [2018] 36号、2018年4月3日)。

 このロードマップを見ると、武漢市は中国の5Gネットワークの実験都市でもあることがわかります。2019年には武漢市全域にマクロ基地局、マイクロ基地局が設置され、さまざまな社会サービスに対応できるように計画されていたのです。

■武漢軍人スポーツ大会で示された、5Gとスポーツ融合の魅力

 2019年10月18日から27日までの10日間、武漢市スポーツセンターで第7回世界軍人スポーツ大会が開催されました。世界109か国から9308人の兵士が参加し、射撃、水泳、陸上競技など、さまざまな競技が行われました(※ 「2019年武汉军运会」、百科)。

 この競技大会では、各所に設置された5Gネットワークを活かし、高精細映像で捉えられた競技シーンが現場からリアルタイムで中継され、躍動感あふれるシーンを人々に届けました。

 たとえば、人民日報は、《经济日报》の記事を踏まえ、10月23日、海軍工科大学武漢ムーラン湖キャンパスで、海軍の5つの大会が行われたことを報告しています。競技シーンは5Gネットワークと4Kテクノロジーを利用して高精細画像で伝えられたといいます。

 実際にこの生中継を担当した、湖北モバイル・5G事務所の刘树为氏は、「5Gと4KパノラマHD画像での生中継は、スポーツの魅力とすばらしさを完璧に伝えることができます」と述べています(※ http://it.people.com.cn/n1/2019/1025/c1009-31419546.html)。

 会場には、新華社と中国移動が共同で設立した5Gコミュニケーションイノベーションラボが設置されており、リリースされたばかりの軍事ゲーム《兵兵突击》も展示されていたようです(※ http://www.xinhuanet.com/politics/2019-10/17/c_1125118991.htm)。

 ゲームの開発担当者は、このゲームには5Gならではの「高速、大容量」、「低遅延」という技術的特徴が活かされているので、ユーザーは没頭して楽しめると述べています。

 第7回世界軍人スポーツ大会では、さまざまな競技シーンが5Gならではの迫力ある画面で伝えられ、5Gで楽しめるゲームをリリースされました。スポーツ、ゲーム領域での5Gのデモンストレーションが行われていたのです。国際スポーツ大会が、5Gをアピールする 格好の 場として利用されていたのです。

 いずれにしても、武漢市が全国に先駆けて、5Gネットワークを実装し、公共的な目的は当然のこと、商用的な目的にも対応できるよう計画され、実行されていたことは明らかです。

 そういえば、日本でも、2020年開催のオリンピックを目途に、5Gネットワークの開始が計画されてきました。

 国際スポーツ大会は、国内外の老若男女を巻き込むことができるビッグイベントです。言葉を介さず、誰もが見て、楽しめるスポーツ大会ですから、内外に向けた宣伝装置として、これほどふさわしいものはないでしょう。だからこそ、東京オリンピック大会でも、5Gを駆使した臨場感あふれる映像の活用が企画されていたのです。

 2020年は日本にとって、5Gお披露目の年なのです。その先駆けとなったのが、ソフトバンクの5Gサービスの発表でした。ですから、今回はそのことを取り上げるつもりで、書き進めてきました。

 ところが、ソフトバンクのネット発表について書きはじめると、新型コロナウイルス騒動に触れずにいられなくなり、 つい、横道に逸れてしまったのです。中国の5Gサービスやロボットを活用した感染対策は、それほど興味深いものでした。

 さて、すっかり遅くなってしまいました。それでは、ネット中継で行われたソフトバンクの5Gサービスの発表に戻ることにしましょう。

■ソフトバンクの5Gサービスの内容

 3月5日、ネット中継されたソフトバンクの5Gサービス内容は、次のようなものでした。

こちら → https://youtu.be/XNeDglI_mPQ

 まず、エンタメとしての魅力については、AKB48のメンバーを起用し、①FR(多視点:多様な視点でアイドルを見ることができる)、②AR(拡張現実:アイドルとのつながりをシェアできる)、③VR(仮想現実:アイドルが目の前にいるかのように感じられる)等々をアピールしています。

 スポーツとしての魅力についても同様、野球選手、バスケットボール選手を起用し、FR、AR、VRの観点から訴求しています。これらのエンタメ、スポーツはいずれも独自のコンテンツとして配信するそうです。

 さらに、2020年6月からは、クラウドゲーミングサービスが開始されます。クラウド技術によって、いつでもどこでも、迫力ある映像のゲームを堪能できるとアピールしていました。400タイトル以上を提供するといいますが、これはエンタメやスポーツの倍以上になります。おそらく、ゲームこそが、5Gのスマホ初期ユーザーに訴求力があるコンテンツだという認識なのでしょう。

 ソフトバンクの発表内容からはどうやら、エンタメ、スポーツ、ゲーム中心の5Gサービスになるようです。初期ユーザーを若年層に設定して、サービス内容を考えたからでしょうか。

 確かに、ARやVRの開発者900人に対するXRDCの調査結果によると、AR、VR業界をけん引しているのは依然としてゲームだといいます(※ “WIRED”2019/08/27)。

 それを確認するため、“AR/VR Innovation Report”(XRDC, October 14-15, 2019)をダウンロードして見ました。すると、ARやVRの開発者が手掛けているプロジェクトはゲームが圧倒的に多くて59%、次いで、ゲーム以外のエンタメ(38%)、教育(33%)、トレーニング(27%)といった順でした(※ http://reg.xrdconf.com/AR-VR-Innovation-Report-2019)。

 ソフトバンクが初期ユーザー向けに設定したサービスは、エンタメ、スポーツ、ゲームでした。 XRDCの調査結果と照らし合わせれば、 高精細映像で5Gの魅力を堪能できる領域に集約されていることがわかります。

■日本では当面、対応エリアが限定

 3月27日のネットワーク開始に合わせ、ソフトバンクのデバイスが4機種、販売されます。価格別、機能別にさまざまなユーザーを想定して用意されていますが、留意しなければならないのは、全国どこでも利用できるわけではなく、当面、対応エリアが7都道府県の一部に限定されていることです。(※ 3月31日時点でのエリア https://cdn.softbank.jp/mobile/set/common/pdf/network/area/map/5g-area.pdf)。

 ネットを見ると、対応エリアが限定されていることに不満が高まっているようですが、なにもソフトバンクに限りません。先行するアメリカでも同様、エリアが限定されていることへの不満がありました。

 なぜ、対応エリアが限定されているのかといえば、それは、5Gの電波特性が原因です。5Gは確かに高速で大容量なのですが、届く範囲は狭く、それをカバーするには多数の基地局を設置しなければならないからなのです。

 電波特性をわかりやすく説明した図がありますので、ご紹介しましょう。


2020年3月7日付日経新聞より

 5Gを構成するミリ波は高速で、直進性があり、電波は数百メートルしか飛びません。しかも、建物や樹木ばかりか、雨が降ったりしても電波が遮られてしまうそうです。ですから、5Gネットワークの機能を活かすには、基地局を増やすしかないのですが、現時点ではまだ基地局が十分に設置されておらず、対応エリアが限定されるという現象が起きてくるのです。

 5Gは速度がこれまでの100倍で、タイムラグもほとんどありませんから、これからの産業や人々の生活を大きく変えると期待されています。ところが、5Gを開始しても当面は、対応エリアを限定しなければなりません。通信各社にとっては難題です。

 上図は、「5G、弱点克服へ「脱・自前」というタイトルの記事に添えられたものですが、その内容をみると、携帯大手各社は、通信設備の共用でコスト削減を図り、この弱点を克服しようとしているというものでした。

 基地局を設置する鉄塔や設備などを各社が共用することで、3~4割のコストが抑えられるというのです。ここに、民間で5Gを敷設していくことの難題が見えてきます。

 5Gを導入しなければ、世界に伍していくことができないのが現状です。それなのに、各社が競い合っているのでは競争力が削がれてしまいます。そこで、協同できるところは手を組むという判断に至ったのでしょう。どうやら、日本の通信各社は究極の策として、共用でコストダウンを図り、必要な基地局を設置していく方向に動いているようです。

 さて、この記事には、「5Gは3ステップで進化する」というタイトルの図が添えられていました。今後の展開の様子がわかりやすく図示されていましたので、ご紹介しておきましょう。


2020年3月7日付日経新聞より

 これを見ると、2020年は対応エリアが限定されており、5Gといってもまだ、ゲーム、エンタメ、スポーツなどのAR、VRサービスが主流のようです。これを見て、ようやく、ソフトバンクが提示した5Gサービスが、エンタメ、スポーツ、ゲームに偏っていた理由がわかりました。電波の特性から商用化できるサービスが限られていたのです。

 この図を見ると、5Gの機能を全面的に活用したサービスが可能になるのは、日本の場合、早くても2023年になるようです。

■5Gの取組みに見る日本と中国

 『平成29年版情報通信白書』には、「5Gは、ICT時代のIoT基盤として早期実現が期待されている」と書かれています。日本でも対応が急がれたのは、「世界各国で5Gの早期実現に向けた取組が進められて」いるからでした。

 日本でも2014年9月、 「第5世代モバイル推進フォーラム(5GMF)」 が設立され、5Gの導入に取り組んでいます。

こちら → https://5gmf.jp/

 5GMF は、2020年2月19から20日にかけて、「5G国際シンポジウム2020~5Gが創る未来~」をテーマとした、国際シンポジウムを開催しました。これについての報告は、2020年3月11日、5GMFのHPにアップされました。

こちら → https://5gmf.jp/event/20200311173135/

 第2部で、携帯電話事業各社による今後の事業展開の方向性、アプリ等についてのデモンストレーション、業界内外の連携等についてのパネルディスカッション等が行われたようです。実際に参加していませんので、具体的にどのような内容であったのか、よくわかりませんし、実証実験の展示やデモなども見ていないので、実状はよくわかりません。ですが、シンポジウムの概要や実証実験の写真等を見て、全般にもどかしさを感じました。5Gに関して日本は相当、出遅れているのではないかという印象を抱かざるをえなかったのです。

 このシンポジウムが開催されたのが2月でしたから、新型コロナウィルス騒動のせいかもしれませんが、海外からの参加者がきわめて少ないのです。わずか3か国(トルコ、インドネシア、韓国)からしか参加していません。5Gを先行開始した韓国はまだしも、5G先進国のアメリカや中国から一人も参加していないのが気になりました。

 一方、中国では、今回の新型コロナウィルスの感染対策として、5Gサービスを活用していました。医療現場では、オンライン診療をはじめ、院内感染を防ぐためのロボットによる診療ガイド、清掃、衛生管理が行われていました。また、物資輸送のため、ドローンや自動走行車が利用され、小口配送なども行われていました。実際に5Gによるサービスが稼動していたのです。

 日本が大幅に遅れているのは明らかでした。

 かつては技術立国日本とまでいわれたのに、なぜ、日本が5G領域で遅れを取っているのか、不思議でなりません。調べてみると、5Gの標準必須特許(standard-essential patent:SEP)の出願件数は中国が突出しており、34.02%を占めています(※ 2019年3月、独IPリテイックス調査による)。


2019年5月3日付 日経新聞 より

 企業別シェアをみると、トップがファーウェィで(中国、15.05%)、5位が中興通訊(ZTE)(中国、11.7%)、9位が中国電子科学技術研究院(CATT)(中国、7.27%)とトップテンの中に3社も入っています。中国は圧倒的な存在感を見せているのです。

 日経新聞はその理由について、「3G、4G通信技術で後塵を拝した中国は欧米のライバル企業に多くの特許料を支払わなければならなかった」ため、「次世代通信技術を『中国製造2025』の重点項目に位置づけ、国を挙げて5G関連技術の研究開発を支援してきた」からだと分析しています(※ 2019年5月3日付日経新聞)。

 たとえば、トップにランクされたファーウエイは2018年度、5Gを含む研究開発費に153億ドル(約1兆7100億円)を投じました。2014年度に比べ、2倍以上にも上ったそうです(※ 2019年4月30日付日刊工業新聞)。

 一方、日本企業はトップテンに入っておらず、富士通(日本、4%)がようやく12位にランクされた程度でした。中国に比べ、日本企業は圧倒的に資金力、研究環境、マンパワーなどが不足しています。そんな中、富士通はよく頑張ったといえるのかもしれません。

■5Gサービスの展開、新コロナウイルスの発生

 5Gサービスを2019年に先行開始したのが、アメリカ、韓国、中国でした。中国は11月1日に、国内50都市で5G商用サービスを開始しました。開始時点で1000万人の事前登録者がいたそうです。

 実証実験を経て、さまざまな社会サービス、商用サービスがちょうど実用化段階に達した頃、新型コロナウィルス騒動が発生しました。

 2020年1月23日、中国政府は武漢を封鎖し、周囲から遮断しました。それでも、新型コロナウィルスは瞬く間に世界中に拡散し、2020年3月17日時点で、感染者数は17万7421人、死者数は7044人に達しました。同時点で中国の感染者数は8万881人、死者数は3226人、感染者数、死者数とも中国以外の国の方が多くなりました。

 WHOが「パンデミック宣言」を出したのが、3月11日、遅すぎるといわれましたが、いまや感染の中心は欧米に移動しています。

 2020年3月10日、WHOのパンデミック宣言の前日、習近平主席は武漢市を訪問し、医療従事者や軍兵士、警官、ボランティアらを慰労しました。9日時点で、湖北省での感染者は17人、それ以外では2人と報じられました。おそらく、新型コロナウイルス騒動の終息をアピールするための訪問だったのでしょう。

 さて、中国では感染者がどのように分布しているのか、色分けして示された地図があります。見てみることにしましょう。

 上の図で、こげ茶色(2000人以上)で示されているのが、湖北省です。次いで多いのが、茶色(1500~1999人)で示されている河南省、湖南省です。この二つの省は湖北省に隣接しています。そして、沿岸部の広東省、浙江省です。

 それにしてもなぜ、感染者数、死者数とも湖北省(武漢市)の住民が、他地域に比べ、圧倒的に多いのか、私には不思議でした。そこで、数値で確認してみようと思います。

 CNNは、習氏が武漢を訪問した3月10日時点で、感染者8万754人のうち6万7760人、死者3136人のうち3024人が湖北省の住民だと報じていました。この数字に従えば、なんと、感染者のうち83.9%、死者のうち96.4%が湖北省の住民になります。

 感染者が発見されてまもなく、武漢市は封鎖され、外部との接触を断たれました。そのことが多少は影響しているのかもしれませんが、湖北省(武漢)の感染者の致死率は4.46%です。湖北省以外の中国の感染者の致死率は0.86%でしたから、湖北省(武漢)の致死率はなんと、その5倍以上にもなります。

 新型コロナウイルスは一般に、感染力は強いが、致死率は低いといわれています。それだけに、武漢市での致死率の高さはなんとも不気味です。今後、研究が進み、ウイルスの正体や感染経路が明らかになると、このような疑問も解明されるのでしょうが、いまはまだ腑に落ちません。

 そういえば、武漢市では5Gサービスが開始されていました。感染対策として、ロボットを使って医療現場の作業を軽減し、自動走行車を使って物資を配送していたのです。まだ実証実験段階にとどまっている日本からみれば、まるでデモンストレーション映像のように見えました。

 大勢のヒトの生命を奪い、行動を制限し、経済活動、社会活動を停滞させた新型コロナウイルスは、世界中に感染者を生み出しながら、5Gで駆動されるデータドリブン時代に誘導しているように、私には思えました。

 5Gは今後、さまざまな非接触、非対面作業への需要に応えることができるでしょう。中国は今回、感染対策、オンライン診療、自動走行などを通して大量のデータを収集していますから、そのビッグデータをAIで分析し、より適切な医療サービスに仕上げていくこともできるでしょう・・・。

 そんなことを思っているとき、何の脈絡もなく、ふっと、5Gが影響しているのではないかという思いが脳裏をかすめました。妄想かもしれません。

■ひょっとしたら・・・・?

 武漢市ではいち早く、全市に5Gネットワークが張り巡らされました。武漢市は自動車メーカー各社の集積地でもあります。

 すでに自動走行車が稼働していました。自動走行を可能にするには、5Gネットワークが機能していなければなりません。大量のデータが高速で送信され、受信され、解析され、フィードバックされて無人運転ができるのです。自動運転を可能にする強い電磁波が、身体に何らかの作用をしていたのではないかという疑いが思い浮かんできたのです。というのも、最近、「武漢で眼科医が相次いで新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなっている」という内容の記事を読んだばかりだからでした(※ https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200317-00000017-nkgendai-hlth)。

 思い返せば、いち早く新型肺炎の発生に警鐘を鳴らし、やがて命を落とすことになってしまったのは、まだ30代の武漢市の眼科医でした。

 なぜ、まだ30代の眼科医が感染し、重症化し、死に至ってしまったのか、気になっていました。そこで、調べてみると、「眼球は体表に位置しており、電磁界曝露の影響を受けやすい」とし、家兎に対するマイクロ波とミリ波による曝露の影響を調べた研究がありました。

 報告書を読んでみましたが、専門家ではないので、実験方法やその内容についてよく理解することはできませんでした。とはいえ、「曝露2日の前眼部所見は、角膜混濁がさらに増強され、眼球結膜(眼の白目部分)に充血が見られたことより、眼部の炎症が続いていることが伺えた」と書かれ、最後に、「40GHzと75GHz の周波数で比較した場合、同じ入射電力密度では、角膜および水晶体の温度上昇は75GHzの方が高くなることがわかった」という記述が見られました。

(※ https://www.tele.soumu.go.jp/resource/j/ele/body/report/pdf/h26_01.pdf)素人の私でも、電波の速度が速くなるにつれ、曝露されると眼球に負荷がかかり、発熱しやすいことは理解することができました。

 この結果は、調査のために武漢の病院を訪れた中国人医師がマスクをしていたのに感染し、発症前の数日間、目が充血していたと述べていた(前掲URL)ことと合致します。ひょっとしたら、5Gの強い電波を浴びた結果、眼球に負荷がかかって充血し、ウイルスに感染しやすい状況になっていたのかもしれません。あくまでも素人の推測にすぎませんが・・・。

■日本が、5Gの安全性の確認を

 総務省は、電磁波の影響に関する研究を支援し、人々の不安に対する取り組みを行っているようです。


総務省東海総合通信局より

 先ほどご紹介した眼球への影響に関する研究以外にも、神経作用、遺伝子、脳腫瘍、免疫システムなど、電磁波の影響については多数の関連研究が行われていました(※ https://www.tele.soumu.go.jp/j/sys/ele/seitai/protect/index.htm)。

 さまざまな研究成果を踏まえ、総務省は、現段階ではまだ実施例が少ない研究領域、近年報告が増えているが日本では行われていない研究領域、今後も留意していかなければならない研究領域などがあることを指摘しています。

(※ https://www.soumu.go.jp/main_content/000525626.pdf

 テクノロジー主導で社会が激変していく時代に、突如、新型コロナウィルスが登場し、瞬く間に世界中を混乱に陥れました。今や、各国で出入国の制限や行動制限が加えられるようになり、社会活動、経済活動は停滞してしまいました。この騒動を機に、非接触、非対面のコミュニケーションへの需要は高まり、世界は一挙に、5Gの時代に突入していくことでしょう。

 確かに、このような社会状況だからこそ、5Gの導入を急ぎたくなる気持ちもわかります。とはいえ、ヒトの身体や生物への悪影響を示す知見を無視することはできません。5Gの導入に出遅れた日本こそ、5G先進国にはできない、生命体への影響を調査し、その検証を徹底的に行ってみてはどうでしょうか。それもまた、大きな社会貢献になると思うのですが・・・。(2020/03/18 香取淳子)

次世代医療イノベーション@Hitachi Social Innovation Forum 2018に参加し、考えてみた。

■次世代医療イノベーション
 2018年10月18日と19日、東京国際フォーラムで「Hitachi Social Innovation Forum 2018」が開催されました。さまざまな社会イノベーションにちなんだ特別講演、特別対談、ビジネスセッション、セミナーなどが開催される一方、展示会場では日立が推進する7ジャンルのイノベーションが紹介されていました。

 たとえば、「デジタルとデータが牽引するヘルスケア・イノベーション」の展示コーナーでは、参加者が群がるようにしてスタッフからの説明を聞いていました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 展示コーナーを見てから、会場ホールに向かいましたが、途中、階下で参加者たちが展示コーナーを歩き回っているのが見えました。展示会場では興味深い社会イノベーションがいくつも紹介されており、それだけで未来社会の一端を窺い知ることができるような気になります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 私は、19日の午後(13:30 ~15:00)開催されるビジネスセッション「データが拓く次世代医療イノベーション」を聞きたくて、このフォーラムに参加しました。

 というのも私は日頃、iPhoneを身につけていますが、それだけで、歩数、距離数、登った階段数、睡眠時間などがわかります。歩数計を持ち歩かず、自分でなんらかの作業をすることもなく、ただ身につけているだけで、それだけのことがわかるのです。ですから、ヘルスのアプリを見て、歩数が少ないときはもっと歩こうという気になります。数字の力は大きく、いつの間にか、一定量の歩数になるまで歩く習慣ができてしまいました。運動が苦手の私にとってはiPhoneが一種の健康管理の役割を果たしてくれているといってもいいでしょう。このような経験がありましたから、このビジネスセッションの「データが拓く次世代イノベーション」というタイトルに引かれたのです。

 このセッションの登壇者は、(株)インテグリティ・ヘルスケア代表取締役・医療法人団鉄祐会理事長の武藤真祐氏、順天堂大学医学部放射線診断教室準教授の隈丸加奈子氏、日立製作所ヘルスケアビジネスユニットCEOの渡部眞也氏、そして、モデレーターは日経BP総研メディカルラボ所長の藤井省吾氏でした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 知らないことも多かったので、調べながら、ご紹介していくことにしましょう。

 モデレーターの藤井氏は、2018年は医療が大きく変化する年になるだろうと指摘します。というのも、診療報酬が改訂されたり、「次世代医療基盤法」が施行されたりしたからでした。まず、2018年4月1日に診療報酬が改訂され、オンライン診療報酬が新設されました。

こちら →
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000201789.pdf

 そして、2018年5月11日には「次世代医療基盤法」が施行され、取り扱い業者を規定した上で、匿名化した情報を医療ビッグデータとして扱えるようになりました。

こちら →
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/jisedai_kiban/pdf/h3005_sankou.pdf

 医療でのICT利活用に関する制度が立て続けに整備されたのです。もちろん、施行後の状況を見てガイドラインは毎年改訂されるようですが、この状況を見ると、確かに、2018年は医療変革のエポックメーキングの年になるといっていいのかもしれません。

 それでは、このような現状について、登壇者たちはどのように捉えているのでしょうか。

■ICTとの関わり
 早期にオンライン診療を手掛け、現在、オンライン診療プラットフォーム事業者インテグリティ・ヘルスケア会長でもある武藤氏は、これからの医療システムは、①患者の行動変容を主眼とした治療、②日常生活への早期介入、重症化予防、③患者が参画する医療、といった具合に変化していくといいます。

武藤真祐氏
 武藤氏は、疾病構造の変化に伴い、今後は、患者個人にフォーカスした医療が必要になってくるという立場です。ICTを活用すれば、問診、モニタリング、食事の記録、一元化されたビュー、予約・ビデオチャット、お知らせ機能を介した患者とのコミュニケーション、等々を通して個別対応が可能になり、より的確な疾病管理ができるようになるといいます。つまり、「かかりつけ医」の機能をICTで強化するわけですが、これを1年前に福岡市で実証を開始した結果、実際に治療につなげることができ、予防と治療をつなげる効果も得られたそうです。

隈丸加奈子氏
 隈丸氏は、日本は諸外国に比べ、画像検査は進んでいるが、まだ問題点は数多くあるといいます。たとえば、人口当りの検査機関の多さは世界一なのに、放射線科医は少ないのが現状で、最低でもこの2.09倍は必要なのだそうです。さらに、日本では検査はポジティブに捉えられやすく、ネガティブな側面は見逃されがちになっている。そのせいか、無駄な検査や過剰な検査が多く、身体に悪影響を及ぼしかねない上に、医療費増加の原因になっていると指摘します。

 その解決策として隈丸氏は、画像検査の領域ではAIが進んでいるので、National data baseを構築し、医療者の患者情報へのアクセスを強化することができれば、検査の重複を避け適切で有効な検査ができるようになると提案します。これを推進するには、有効な検査を行った医療者には高い報酬を支払うようにする必要があるといい、AIを介した深い診断には期待がもてると述べます。

渡部眞也氏
 渡部氏は、これからは健康寿命延伸が大きな課題になるとし、データが医療イノベーションを牽引するようになるといいます。たとえば、がんゲノムの場合、がんセンターを中心にデータを収集し、それらのがんゲノムデータを利活用すれば、個別化医療も可能になると指摘します。また、シーケンスコストの下落がゲノム解析をしやすくしたといい、いずれの場合もデータが大きな役割を果たしていることを指摘します。データは医療の安全性向上、診断や検査法の開発、治療薬の開発などさまざまな領域で貢献するようになりますが、使用に際しては、個人情報をどのように匿名化するかが重要だと指摘します。これについてはOpt-in、Opt-outを基準に取り組むようになるだろうといいます。

 さらに、AIロボットは現在、脳ドックにおいてベテラン医師と同等の結果を出しているとし、いかに質のいいデータでdeep-learningにつなげていくかが大切だといいます。ところが、メーカーは学会のデータを使うことはできないので質のデータの利用ができない、データはもっとオープンにし、利活用しやすいようにしてもらいたいといいます。そして、人口500万人のデンマークでは個人データが紐づけされて収集されており、その利活用を通して成果を上げているが、人口1億2000万人の日本でどのように実装していくかが課題だと指摘します。

■課題は何か
 オンライン診療を手掛けてきた武藤氏は、今年新設されたオンライン診療の保険点数が対面診療よりも低く、しかも制約が課せられているので、なかなか導入が進まないといいます。現場でどう使えばわからない、あるいは、誤診への懸念などから厳しい制約が課せられたのだと思われるが、ガイドラインは毎年改訂されるし、ニーズはあるので、オンライン診療は今後、広がっていくと展望します。そして、社会的ニーズの高いオンライン診療を今後、推進していくには、リアルな医療とサイバー医療とのマッチングについて社会実験をし、適切で有効な組み合わせを考えていくのが、今後の課題だといいます。

 渡部氏は、リアルな医療データは利活用によって新しい資源になるが、現実にはいろんな課題があるといいます。まず、データ収集における課題、現段階では匿名で対処しようとしているがまだ議論が必要だといいます。一方、医療現場ではデータが共有されていないことが多く、今後はデータを利活用することのメリットを提示し、現場とメーカーとの距離を縮めていく必要があるといいます。

 隈丸氏は、データ共有化の問題にはシステムの問題、ヒトとヒトとの問題があるとした上で、ビッグデータ前のデータ化の課題については、システムの改善によって解決できるのではないかと指摘します。

■医療イノベーションは健康寿命の延伸に寄与できるのか
 武藤氏は、オンライン診療は予防から治療まで対応できるとし、とくに、ビッグデータを分析すると一定の確率で疾病がどのように発症するかということを確認することができるので、患者に対して説得力のある治療方法を提示できるし、個別にアドバイスできるので適切な予防や治療ができるといいます。

 隈丸氏は、AIによる画像診断には、①検査の診断精度の向上に寄与、②画像診断をベースとした早期診断が可能、③現在は特化型AIだが、多機能型AIを開発できれば、さらに有効な診断が可能、等々のメリットがあることを指摘し、AIが果たす役割に期待できるといいます。

 渡部氏は今後、健康増進、予防、治療などに総合的に対応していく必要があるとし、地域包括ケアの重要性を指摘します。その基盤になるのが情報の共有なので、家庭でも健康づくりができるといいます。たとえば、バイタルセンサーを通して生活の中から情報が得られる仕組み、それをセンターに送信して処置がフィードバックされれば、住居が健康をつくるツールとして考えることもできます。各所から収集されたビッグデータにはヘルスキュレーターを置いて、新しい発見があれば、その都度、公開していくのが望ましく、医療ビッグデータは国民の共通財産として取り組む必要があるといいます。

 最後に、登壇者3人から医療イノベーションについてのコメントが述べられました。

 武藤氏は「既存の医学が病院の外に開放されつつあり、患者の望むケアが可能になる時代になりつつある」とし、隈丸氏は「適切な検査利用のためのデータ利活用を推進し、企業やさまざまなプレイヤーとデータを共有し、よりよい出口戦略をめざす」とし、渡部氏は「データにはステークホルダーが多いが、議論しながら実装していくこと、現場の課題を踏まえスタートすることが必要」と述べられました。

 登壇者はそれぞれ最先端で、オンライン診療、AIを活用した検査、ビッグデータを活用した包括ケアに取り組んでおられました。それだけに指摘されたポイントはなるほどと合点がいくものばかりでした。

■社会ニーズと行政
 総務省は「Society5.0に向けた戦略分野」として「健康寿命の延伸」をトップに掲げ、以下のような医療ICT政策を起案しています。

こちら →http://www.soumu.go.jp/main_content/000518773.pdf

 今回のセッションは、「技術革新を活用し、健康管理と病気・介護予防、自立支援に軸足を置いた 新しい健康・医療・介護システムの構築」を目指して実践する方々を登壇者に迎えて展開されました。医療機関、大学、メーカーの立場からそれぞれ、現状を踏まえた論点が提供されたのがよかったと思います。登壇者のお話をうかがいながら、「産学官民が一体となって健康維持・増進の取組」の一端が見えてきたような気がしました。

 ところが、10月20日の日経新聞で、「オンライン診療導入1%どまり」という見出しの記事を目にしました。4月に保険適用が始まったのに、半年を経た現在、オンライン診療の導入が進んでいないという内容の記事でした。医療機関全体の1%ほどしかオンライン診療の届け出を提出していないというのです。

 記事では、保険適用になったのに導入が進まない理由として、厚生労働省がオンライン診療の対象者として糖尿病などの慢性疾患に限定し、オンライン診療にすれば便利になると思われる病気の患者を対象から外したからだとしています。

 オンラインで保険診療が可能になる病気と、保険適用にはならないが、オンライン診療が有効だとされている病気は、以下の通りです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。日経新聞2018年10月20日付)

 2015年8月以来、事実上認められてきた病気のオンライン診療も、2018年4月のオンライン診療の保険適用新設に際して扱いが区別され、上記のような慢性疾患だけに限定されました。対象外となった疾患の患者はがっかりしていると記事には書かれています。それだけではありません。オンライン診療でも最初の診療は対面診療が義務付けられ、対象は原則として約30分以内に通院できる患者に限定されました。オンライン診療は対面診療の補完的な位置づけでしかないことが明らかになったのです。しかも、診療報酬は対面よりも安価です。これでは医療機関の意欲を削ぐのも当然でしょう。

 保険適用を新設し、オンライン診療に向けて制度整備をしたはずなのに、施行後半年を経て、すでに取り組んでいた医療機関でもオンライン診療を取りやめるケースが増えてきているそうです。運用ルールが細かく指定され、手軽に受診できることが利点のはずのオンライン診療がニーズのある人に利用してもらえないという矛盾が出てきているのです。

 シードプランニングによる市場予測では、今後2025年までに急速に伸びるのが保険適用のオンライン診療と自由診療のオンライン診療だと予測されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。
https://www.seedplanning.co.jp/press/2018/2018072501.htmlより)

 2025年には団塊の世代が後期高齢者になり、高齢人口が増えるとともに、医療費も増大します。

こちら →
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/dl/link1-1.pdf

 2025年といえば後わずか7年後、いまのままの医療体制で対応しきれるのでしょうか。この図を見ていると、シードプランニングが予測しているように、保険診療であれ、自由診療であれ、今後、オンラインが急増するのは当然だという気がしてきました。AIを活用した予防、治療をはじめ、医療現場のニーズに対応したさまざまなイノベーションが立ち上がってくる必要があるでしょう。

 行政はむしろ医療イノベーションを積極的に後押しする覚悟で臨む必要があるのでしょうが、今年4月、5月に行政によって制度整備された枠組みはそれとは逆に水を差すようなものでした。先ほどご紹介した日経新聞の記事によれば、オンライン診療を取り止めたケースもみられるといいます。

 私は日頃、スマホで健康管理ができるのを有難く思っています。それで、今回のセッションに参加したのですが、登壇者のお話を聞いて、産官学でさまざまな医療イノベーションが実践されていることを知り、頼もしく思いました。帰宅し、いろいろ調べた結果、人口構成の面でも技術革新の面でも現在、大きな変革期を迎えていることがわかりました。さまざまなデータを見ているうちに、高齢人口の増大がもたらす社会的デメリットは、きっと技術革新によって解消できるはずだと思うようになりました。

 高齢先進国日本がどのように高齢化のもたらす課題に対応していくか、その模索の過程で発見したさまざまな知見はそのまま世界のモデルになっていくでしょう。すでに大勢のヒトが医療イノベーションに取り組んでおられると思いますが、社会的課題の解決が今度の大きなビジネスにもなることを思えば、AIの活用、ICTの活用等による斬新なアイデアの芽を摘まないように、適切な制度整備をしていく必要があるのではないかという気がしました。(2018/10/22 香取淳子)

イノベーション・ジャパン2018:大学発のさまざまなモビリティ・イノベーション

■「イノベーション・ジャパン2018」の開催
 2018年8月30日~31日、東京ビッグサイト西1ホールで、「イノベーション・ジャパン2018」が開催されました。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が主催するフェアで、大学の研究成果を、企業、行政、大学、研究機関等に向けて披露する見本市です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 今回は、大学等から生み出された400シーズが展示されるとともに、大学が組織として取り組む58大型の研究成果の展示およびプレゼンテーションが行われました。イベントのサブタイトルは「大学見本市&ビジネスマッチング」でしたが、まさにその名の通り、会場は大学の研究成果を社会に還元するためのビジネスマッチングの場になっていました。

 しかも、研究成果は、分野別に一覧できるように展示されていましたから、会場を訪れた見学者は効率よく、関心のあるプレゼンテーションやブースを見て回ることができたと思います。JSTによると、会場には事業担当者が常駐し、企業向けの各種支援事業制度を紹介したり、相談に応じたりしているということでした。

 実際、このフェアを通し、これまで出展者の約4割が企業との共同研究の実施に結び付けたといいます。JSTが企画した大学と企業とのマッチングの場はそれなりの成果をあげているようです。

 2017年度の実績を見ると、来場の目的は、「新技術の情報収集」が76.4%、「共同研究開発の探索」が28.2%、「新製品の情報収集」が23.6%でした。

こちら →https://www.ij2018.jp/about.html

 未来社会を牽引する技術は一体どのようなものなのか、気になっていましたから、私も、「新技術の情報収集」を目的に会場を訪れました。会場を一巡すれば、「未来の産業創造」を企図した研究が果たしてどのようなものなのか、わかってくるかもしれません。

 会場では、58の大学が組織として取り組む大型研究のプレゼンテーションが行われる一方、その具体的な内容の紹介が58のブースで行われていました。さらに、国内の157の大学が行った400件に上る研究成果が、11分野に分けて展示されていました。会場をざっと回ってみて、私が関心を抱いたのはモビリティ・イノベーション領域の研究でした。

 ここではモビリティ・イノベーションに関する研究を3件、見学した順にご紹介していくことにしましょう。

・モビリティ イノベーションの社会応用(筑波大学、高原勇教授)
https://www.sanrenhonbu.tsukuba.ac.jp/innovationjapan2018/

・高齢者・障碍者向けパーソナルモビリティの開発(香川大学、井藤隆志教授)
https://www.ij2018.jp/exhibitor/jss20180458.html

・路面電車網から構築するICT統合型インフラSTING(長崎県立大学、森田均教授)
https://www.ij2018.jp/exhibitor/jss20180100.html

■モビリティ・イノベーションの社会応用(筑波大学、)
 8月30日10時30分から、プレゼンテーションコーナーで開始された筑波大学の研究発表を聞きました。プレゼンテーションを担当されたのは、未来社会工学開発研究センター長の高原勇氏でした。

 私はまったく知らなかったのですが、筑波大学とトヨタ自動車株式会社が大学内に「未来社会工学開発研究センター」を設立したことが2017年4月6日、発表されていました。

こちら →https://newsroom.toyota.co.jp/jp/detail/16307271

 そのセンター長が 髙原勇氏で、筑波大学の特命教授であり、トヨタ自動車未来開拓室担当部長でもあります。

こちら →
https://www.sanrenhonbu.tsukuba.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2017/11/e988e797803ff8ade91f2490d690a0ed.pdf

 未来社会工学開発研究センターのミッションは、「地域社会の社会基盤づくりに向け、次世代自動車交通技術サービスを構築する」ことだと書かれています。

 概念図を見ると、地方自治体の協力を得て実証研究を行い、国や他研究所の支援を受けて研究事業を行い、トヨタなどの企業群からは技術、資金、人材を得て、長期的、協調領域の研究を行うというものです。研究対象は、サービスとしてのモビリティ(Mobility as a Service=MaaS)ですから、今回の研究「モビリティ・イノベーションの社会応用」は、そのミッションの一環として行われたことがわかります。

 プレゼンテーションの中でもっとも興味深かったのが、ビデオで紹介されたIoT車両情報の持つ多大な機能と効用です。走行中の自動車からは車内外のさまざまなデータが得られます。それらがインターネットに繋がれば、それ以外の情報と関連付けることができ、それに基づいて分析すれば、さまざまな判断を行うことができます。

 ビデオでは一台の走行車の機能を見ただけですが、これが複数台となると、より精度の高い道路情報、気候情報など、さまざまな周辺情報を把握することができます。それらのデータを分析してフィードバックできるようになれば、道路の渋滞を解消し、事故をゼロにすることもできるでしょうし、より安全で快適な運転が可能になるでしょう。

 さらに、高原氏は、このようなモビリティ・イノベーションを社会に応用していけば、道路の渋滞や交通事故の発生といった社会問題を解決できるばかりか、効率のいいヒトの移動、モノの移動が可能になるといいます。

 IoT車両情報によって、ヒトやモノの移動がより適切に、より短縮して行えるようになれば、経済的なロスを省くことができるばかりか、やがてはe-commerceも可能になるといいます。そして、トヨタが提言している「e-Palette Concept」について説明してくれました。

 「e-Palette Concept」とは、トヨタが開発した次世代電気自動車です。移動、物流、物販など多目的に活用できるモビリティサービス専用車として製作されたといいます。高原氏は、これを使えば地域サービスをモバイルで提供することができ、オンデマンドを超えるサービスの提供も可能だといいます。普及すれば、移動型フリーマーケットも可能になりますから、店舗販売とe-commerceとの境界が曖昧になるだろうともいいます。

 聞いていて、私はとても興味深く思いました。未来のモビリティの一端を覘いたような気がしたのですが、なにぶんプレゼンテーションの時間が短く、会場では十分に理解することができませんでした。そこで、帰宅してから調べてみると、「e-Palette Concept」の基本性能を紹介する映像を見つけることができました。2分ほどの映像をご紹介しましょう。

こちら →https://youtu.be/ymI0aMCo11k

 ここではライド・シェアリングとロジスティックの例が紹介されています。

 まず、ライド・シェアリングの例を見ると、「e-Palette Concept」が低床なので、杖をついた高齢者が難なく乗車している様子、そして、車椅子に乗った障碍者がスムーズに車内に入っていく様子などがわかります。また、停留所に着けば、大きな荷物は勝手に下車し、目的地に向かい、停留所からは待っていた荷物が勝手に車内に乗り込んでいきます。さらに、少年が停留所まで乗ってきたスケーターのようなものは、役目を終えると勝手に戻っていきます。車が自動走行しているのです。

 いずれのシーンも、「e-Palette Concept」が普及すれば、老若男女を問わず、障碍者であるか健常者であるかを問わず、ヒトやモノがなんの支障もなく、移動できることがよくわかります。しかも、このサービスは24時間オンデマンドで提供されるのです。一連の映像を見ていると、効率よく、コストパフォーマンスよく、人々がモビリティ生活を楽しめるようになることが示されています。

 次に、ロジスティックの例を見ると、配送センターでは、積載量に合わせたサイズの車種が選択され、荷物を積み込んだ「e-Palette Concept」が自動的に目的地に向かっている様子が示されています。渋滞を避けて道路を選び、到着時間が予測できた段階で目的地に到着時刻を連絡しますから、受け渡しがスムーズです。停留所で荷物を受け取る場合は顔認証で、自動的に受け取り手を確認します。無駄が省かれ、最小の労力で最大の効果が得られるようになっています。

 この映像を見ていると、まるで「e-Palette Concept」が的確な判断力を持ったヒトのように見えてきますが、実際は、現場で刻々と収集したデータを、グローバル通信プラットフォームを介して分析し、それぞれの用途に応じて自動的に判断が下された結果にすぎないのです。

 「e-Palette Concept」の仕組みは以下のように説明されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。TOYOTA Global Newsroomより)

 車両に搭載されたDCM(Data Communication Module)が種々の情報を収集し、グローバル通信プラットフォームを介して、データセンターに蓄積されます。それらのデータは関連情報と絡めて分析され、サービスの目的に応じて判断が下されます。それが端末にフィードバックされて職務が遂行されるという仕組みです。この仕組みを使えば、高原氏がいうように、やがては「e-Palette Concept」を使ったe-commerceも実現するようになるでしょう。

 「モビリティ・イノベーションの社会応用」は、最先端の技術を社会に還元するための大型研究プロジェクトでした。産学連携で社会的課題を解決するためのプロジェクトだともいえるでしょう。ブース(小間番号U-07)には大勢のヒトが立ち寄り、研究スタッフから具体的な説明を受けていました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

■高齢者・障碍者向けパーソナルモビリティの開発(香川大学)
 次に立ち寄ったのが、「高齢者・障碍者向けパーソナルモビリティの開発」の展示ブースです。「超スマート社会」の展示コーナーを歩いていると、奇妙な形の車が目に止まりました。街中で時折、高齢者が乗っているのを見かける電動車椅子とは一風異なっています。どんな目的で使うのか、気になったので、このブース(小間番号S-11)に立ち寄ってみました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 香川大学創造工学部造形・メディアデザインコース教授の井藤隆志氏が、株式会社キュリオと共同で開発した電動車椅子でした。すでに実用化されていて、SCOO(スクー)という商品名が付いています。歩行な困難な高齢者や障碍者が気軽に利用できる電動車椅子として開発されたものだといいます。

ハンドル部分の白、台座部分の白以外はすべて黒で色構成されており、どことなくオシャレな感じがしました。実際に触ってみると、角面がすべて滑らかで感触がよく、見た目がいいだけではなく、使い心地もよさそうでした。井藤氏はこの製品の開発に際し、プロダクトデザインを担当したということでした。

こちら →

 SCOOの特徴の一つは前部分がないことで、これには乗り降りしやすいメリットがあると井藤氏はいいます。ただ、街中で見かける電動車椅子とは形状が大きく異なっていたので、私はふと、高齢者や障碍者が安心して乗れるだろうかと思いました。前面を安定させるハンドル部分がないので不安定ではないかと思ったのです。

 尋ねてみると、操作するのにある程度、練習は必要だが、決して不安定ではないと井藤氏はいいます。

 帰宅してから調べてみると、SCOOを運転する様子を説明した映像を見つけることができました。1分47秒の映像です。

こちら →https://youtu.be/z5QFCuXvGCo
 
 この映像を見ると、女性は確かに不安げもなく乗りこなしています。前部分がないだけに乗り降りも楽そうです。ただ、右の小さなグリップに操作部分が搭載されているだけで、よく見かける電動車椅子のような前を覆うハンドル部分がないので、両手を使えません。4輪車だから安定感があるとはいえ、不安定ではないかという思いが消えませんでした。

 もっとも、慣れてしまえば、何の問題もないのかもしれません。井藤隆志氏によると、左ハンドルの製品もあれば、これまで通りの前面ハンドルの製品もあるということでした。利用者の状況によって選択できるよう、ハンドル部分の仕様が異なる製品が用意されていました。

 実際、乗り降りしやすいというSCOOの特性が好まれ、宮崎県では90歳の方が利用されているようです。ただ、段差の大きな道路などでは操作しづらく、安定性に欠ける可能性もあるそうですが、バリアフリー環境の中で使用するなら安心だということでした。病院や美術館などで利用されているそうです。

 さて、SCOOのもう一つの特徴は、折り畳みができることです。折り畳みができますから、車などに乗せて運び、長距離を移動できるメリットがあります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 短距離部分はSCOOを自分で操縦し、長距離部分はSCOOを折り畳んで、電車やバス、車、場合によっては飛行機に持ち込み、さまざまな場所に移動することができます。こうしてみると、高齢者や障碍者の移動範囲がさらに広がるのは確かですが、果たして、高齢者や障碍者がこれを自分で持ち運びできるのでしょうか。

 尋ねてみると、重さは28㎏だといいます。この重さでは高齢者や障碍者が自分で折り畳み、持ち運ぶことはできないでしょう。やはり、家族か介助者がサポートする必要があるようです。

 SCOOは従来の電動車椅子とは異なるデザインの製品でした。これまでの電動車椅子よりもはるかに目立ちます。高齢者や障碍者がちょっとオシャレな気分で、気軽に移動するには恰好の製品といえるのかもしれません。

 おそらく、高齢者人口が増え、電動車椅子の需要が高まっているのでしょう。需要が高まると、利用者はより多くの機能を求めるだけではなく、デザインにも目を向けるようになります。デザインの斬新さといい、折り畳み式の仕様といい、この製品の二つの特徴からは、電動車椅子への需要が新しい段階に入りつつあることが示唆されているように思えました。

■路面電車網から構築するICT統合型インフラSTING(長崎県立大学)
 「超スマート社会」コーナーのブース(小間番号S-13)で展示されていたのが、「路面電車網から構築するICT統合型インフラSTING」でした。長崎県立大学国際社会学部の森田均教授が、長崎電気軌道株式会社、協和機電工業株式会社の協力を得て行った研究です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 森田氏は、この研究は、<低床車両運行情報提供サービス「ドコネ」>を踏まえ、構想したといいます。「ドコネ」とは、低床車両の運行情報を提供することによって、利用者が低床車を利用しやすくなるように開発されたナビゲーションシステムを指します。

 高齢者や障碍者が乗りやすくなるよう、長崎軌道株式会社は2004年3月、3車体連結構造の超低床路面電車を導入しました。2003年に製造された3000形3001です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。Wikipediaより)

 導入以来、低床車は安定して運行され、高齢者や障碍者の利用も次第に増えてきていったといいます。高齢者や障碍者にとって低床車の運行はとても有難いサービスでした。ところが、いつ来るのか、わからなければ、せっかくのサービスも快適に利用することができません。そこで、開発されたナビゲーションシステムが、「ドコネ」です。

こちら →http://www.otter.jp/naga-den/top.html

 「ドコネ」は、利用者の携帯電話やスマートフォン等で、電停周辺のバリア情報や全ての低床車の運行状況をリアルタイムに把握できるサービスです。携帯電話やスマホを見れば、運行状況を把握することができるのですから、高齢者や障碍者が待ち望んだサービスでした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。)

 上の図を見れば、利用者は、低床車がいま、どこを走行しているのかがわかります。青、赤、緑で表示されている車両マークが、長崎市内を走行する3系統の路面電車です。10:58時点で走行しているのが、緑系2両、青系1両、赤系2両(蛍茶屋付近の車両はこの地図では見えませんが)です。

 低床車両の位置情報は10秒間隔で更新されているそうですから、利用者は、いつ来るかわからない電車の到着を待つ苛立ちから解放されます。森田氏は、「ドコネ」は低床車利用者の利便性をおおいに高めただけではなく、熊本大震災の際には、支援活動にも役立ったといいます。

 熊本大震災の後、長崎軌道は期間限定で、くまもんのステッカーを貼った車両を走らせ、募金箱を置いて支援金を募ったそうです。「がんばれ!!熊本号」の車両がいまどこを走っているか、ドコネをチェックすればすぐにわかりますから、大勢の長崎人が支援金を寄せることができたといいます。

 ヒトを運ぶ路面電車が実は、情報を運ぶ通信ネットワークとしても使えることに着目して開発したのが、上記のナビゲーションシステムでした。それはバリアフリー情報の表示、観光情報の表示、さらには期間限定で、「熊本号」の位置情報の表示などにも応用されました。高齢者や障碍者ばかりでなく、市民や旅行者、そして、地域社会に大きく貢献したのです。

 今後は、それらの実績を踏まえ、斜面地の多い長崎でさらに市民の移動を容易にするため、路面電車の電停を乗り合いタクシーの結節点にする試みを展開すると森田氏はいいます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 上の図で、赤字で書かれた部分が交通ネットワークとしての路面電車の利用(Transport)、青字で書かれた部分が情報ネットワークとしての路面電車の利用(Information Network)、そして、黒字で書かれた部分がエネルギーネットワークとしての路面電車の利用(Grid)です。

 森田氏は今後、路面電車を基盤に、上記の内容を統合した、「STING: integrated Service of Transport, Information Network & Grid」構想を展開していきたいといいます。

 興味深いのは、「ドコネ」以来の構想に、エネルギーネットワークとしての路面電車の利用が加わったことです。これまでは、ヒトの移動手段である路面電車に、通信ネットワークとの連携で利用者の利便性を図ってきましたが、今後は、エネルギーネットワークとしての路面電車の側面に着目し、災害時等の電力供給に役立てようというのです。当初は給電機能を中心に整備を進め、順次、発電・蓄電機能を備えた電力ネットワークを構築していくと森田氏はいいます。

 ところで、長崎軌道の軌間は1435mmです。新幹線と同じ標準規格ですから、長崎新幹線がフル規格で運行されるようになれば、時刻表の空き時間に路面電車を走らせることもできるようになるのではないかと森田氏は大きな夢を語ります。

■社会的課題の解決に向けたモビリティ・イノベーション
 「イノベーション・ジャパン2018」に参加し、モビリティ・イノベーション領域を中心に研究の成果発表3件をみてきました。対象とする領域は異なっていましたが、それぞれ、社会的課題の解決に向けて、真摯に取り組まれていたのが印象的でした。

 高原勇氏の研究は、企業と大学が共同で、自動運転、電動化、シェアリング等のモビリティ・イノベーションの社会実装に向けて取り組むものでした。興味深かったのは、トヨタが発表した電気自動車「e-Palette Concept」が提供できる諸機能でした。会場では映像で紹介されたので、モビリティ・イノベーションによる具体的な将来像の一端を見ることができ、イメージが鮮明になりました。

 井藤隆志氏の研究では、折り畳める電動椅子が開発され、実用化されていました。会場で展示されていた実物を見て、デザインがとても洗練されていたのが印象的でした。従来の電動車椅子とは違って、これを使えば、高齢者・障碍者がちょっとオシャレな気持ちで移動できるようになるのではないかと思いました。利用者の気持ちに沿った研究であることに意義を感じました。

 森田均氏の研究では、路面電車の特性を活かして、研究を構想されているところに独創性を感じました。交通ネットワークとしての利用にとどまっていた路面電車に、通信ネットワークの機能を融合してナビゲーションシステムを構築し、今後は、エネルギーネットワークとしての機能を利用し、災害時等の給電に活用していこうというのです。意表を突いた着想がとても興味深く思えました。

 そういえば、ナビゲーションシステムを構築する際、長崎電気軌道の全車両、上下線全停留所に設置されたBLEビーコン(Bluetoothを使った情報収集・発信装置)は市販のものでした。森田氏の研究を見て改めて、研究には、固定観念を持たず、自由にはばたける想像力がなによりも欠かせないことを思い知らされました。

■Society5.0とイノベーション
 今回、「イノベーション・ジャパン2018」に参加し、さまざまなブースでイノベーションの現状を聞きました。もっとも興味深かったのは、「中国のイノベーションがすごい。日本は追いつく立場になっている」という見解でした。中国では、欧米に留学し、最先端技術や知識、研究態度を身につけた若手研究者が次々と帰国し、切磋琢磨しながら研究レベルをあげ、イノベーションを生み出しているというのです。

 それを聞いて、ふと、『Wedge』(2018年2月号)の特集を思い出しました。ずいぶん前の雑誌ですが、「中国「創造大国」への野望」というスペシャル・レポートが気になって、手元に置いていたのです。

 読み返してみて、気になったのは、清華大学には「x-lab(Tsinghua x-lab=清華x-空間)」という、教育機能とインキュベーション機能を併せ持つプラットフォームがあるという箇所でした。調べてみると、確かに清華大学ではx-lab が2013年に設立されており、今年5周年を迎えていました。

こちら →http://www.x-lab.tsinghua.edu.cn/about.html#xlabjj

 これを見ると、日本の研究者から「中国のイノベーションはすごい」といわれるだけあって、研究開発のための環境がすでに5年も前から整備されていたことがわかります。

 李克強首相は、2014年に「大衆創業、万衆創新」(大衆による企業、万人によるイノベーション)という方針を打ち出しました。以来、中央政府や地方政府は基金を設立してベンチャーに投資し、優秀な人材がイノベーションに取り組めるようにしてきたようです。その一方で、「衆創空間」(Social Innovation Platform)の開設を奨励してきました。その結果、2016年度報告によると、全国に3155ものイノベーション・プラットフォームがあり、あらゆるイノベーション領域で激闘が繰り広げられているといいます。

 こうしてみてくると、筑波大学が産学連携プラットフォームを創設した理由がよくわかります。いまや、大学、企業、研究機関が連携して取り組まなければ、充実した資金、人材、技術、情報などが得られず、大型の研究プロジェクトを進めることができなくなっているのでしょう。

 産学連携の流れは以下のようになっています。

こちら →https://sme-univ-coop.jp/flow

 平成27年に4件のプロジェクトでスタートした大型研究が、平成30年度は20件にまで増えているといいます。さきほどご紹介した未来工学開発研究センター・高原勇氏の「モビリティ・イノベーションの社会応用」もその一つです。大型研究の場合、国内外を問わず、分野横断的に、幅広く英知を結集して取り組まなければ成果を得られない状況になっていることが示唆されています。

 一方、井藤隆志氏の研究では、既存のデバイスにデザインを工夫することによって、新たな使用法を可能にしていましたし、森田均氏の研究では、既存の交通ネットワークに情報ネットワークを融合してナビゲーションシステムを構築していました。両者とも既存のデバイスやシステムに新たな価値を加え、イノベーションを創出していたのです。

 Society5.0といわれるAI時代の到来を迎えたいま、研究開発も新たな状況を迎えているのかもしれません。大型研究に対しては産学官の連携で取り組まなければならないでしょうし、少人数で対応できる研究の場合、アイデアがなによりも重要になってくるでしょう。今回、大学発のさまざまなイノベーションを見る機会を得て、研究規模の大小を問わず、想像力豊かな発想こそが、イノベーションの源泉になるのだという気がしました。(2018/9/3 香取淳子)

ネット文学はチャイニーズ・ドリームになりうるか?

 AI、ICTが今、社会を激変させようとしています。多くのことが予測可能になり、可視化されつつあります。いつの間にか、知ろうとしさえすれば、自分の寿命までわかってしまいかねない時代になってしまいました。果たして、ヒトは将来に夢を抱いて生きていけるものなのでしょうか。

 そんなことをぼんやり考えているとき、ふと、「第8回コンテンツ東京」で出会った、ネット文学サイトを運営している中国企業の若い責任者の顔が思い浮かびました。混雑する展示場の一角で、熱く未来を語っていた姿がとても印象的でした。

 振り返ってみましょう。

■第8回コンテンツ東京
 「第8回コンテンツ東京」が東京ビッグサイトで開催されました。期間は2018年4月4日から6日まで、コンテンツに関連する7展が同時に開催され、1540社が出展しました。

 関連する7展とは、「クリエーターEXPO」「グラフィックデザインEXPO」「先端デジタル テクノロジー展」「映像・CG制作展」「コンテンツ マーケティングEXPO」「ライセンシング ジャパン」「コンテンツ配信・管理 ソリューション展」、等々です。

 セミナーであれ、商品やサービスの展示であれ、東展示棟を巡れば、関連事業の内容や各業界の新動向がすぐにもわかる仕組みになっていました。7展が同時に開催されていたので、効率的に激変するコンテンツ業界の動きを把握することができます。

 主催者側が撮影した初日の会場風景をみると、ヒトで溢れかえっているのがわかります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 私は5日と6日の午後に訪れたせいか、これほど混んではいませんでした。アニメの最新動向を知りたくて、最初に訪れたのが映像・CG制作展でした。印象深かったのが、台湾の制作会社が創るキャラクターです。

■コンピュータを駆使した造形
 これを見て、なによりもまず、精緻な造り込みに惹き付けられました。微妙な色彩、光の処理、質感、本物かと見まがうほどの描写力であり、造形力です。しばらく見入ってしまいました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。SHINWORKより)

 素晴らしいと思いました。モチーフの企画力といい、形にしていく技術力といい、リアリティを添える色彩感覚といい、秀逸さがきわだっていたのが印象的です。

 制作したのは、台湾の制作会社「形之遊创意科技有限公司」です。

こちら →http://www.shinwork.com/

 訪れたときはわからなかったのですが、帰宅してネットを見ると、こちらはこのブースの共同出展社でした。主な出展社はXPEC Art Center INC.です。この会社もまた、魅力的なキャラクター造形をしていました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。XACより)

 背景色の諧調はまるで絵画のようにきめ細かく、深みがあり、見事としかいいようがありません。これをすべてコンピュータで作り上げているのです。上記の図の画素数は、通常の写真の何倍にも及ぶ精緻なものでした。この会社はゲーム、アニメ、CG映像などを専門分野としており、今回初めて、東京ビッグサイトに出展したようです。

こちら →http://www.xpecartcenter.com/

 これ以外にも、さまざまなテイストのキャラクターや映像が制作されていました。このような制作力の高い会社が、全世界からゲームやアニメのキャラクター造形を請け負い、CG、VFXなどの映像製作を請け負っているのです。

 果たして、日本は大丈夫なのでしょうか。ふと、そんな思いが胸をよぎりました。

 アニメ、ゲームの日本といわれながら、若手の人材不足が続いています。そのせいか、コンピュータを駆使した造形は、日本ではいまひとつです。その一方で、周辺国は技術力、構想力を高め、日本アニメに追随してきています。展示会場では、たまたま台湾の制作会社の作品の一部を見ただけですが、これでは日本の制作会社も決してうかうかしていられないなと思ってしまいました。

 さて、そのコーナーの一角で出展していたのが、中国最大のネットコンテンツ集団、阅文集团(China Literature Ltd.)でした。ふと見た、立て看板のキャッチコピーに惹かれ、思わず、足を止めました。

■阅文集团
 立て看板には、阅文集团はアニメならトップ20のうち80%、オンラインゲームなら累計ダウンロード数でトップ20の75%、そして、国内ドラマならトップ20の75%を占めると書かれていました。アニメであれ、ゲームであれ、ドラマであれ、阅文集团はどうやら、人気作品を量産している企業のようです。

 この立て看板が謳いあげているように、阅文集团が、ジャンルを問わず、中国のネット・エンターテイメントの領域を占拠しているのだとすれば、多少は、このブースの責任者から話を聞いておく必要があるかもしれません。

 実際、中国はいま、E-コマース、ネット決済などの領域で日本よりも一歩進んでいます。ネット・エンターテイメントの領域でも中国になにか新しい動きがあるかもしれません。そう思って、責任者に話を聞いてみることにしました。

 残念ながら、私の中国語はまだ込み入った会話ができるレベルではありません。責任者と話しているうちに、よほどもどかしく思ったのでしょう、通訳を介しての話し合いとなりました。

 おかげで誤解していたことがわかったこともありました。アニメゾーンで出展されていたので、私はてっきり、阅文集团をアニメ会社だと思っていたのですが、話をしているうちに、実はそうではなく、中心はネット文学のサイト運営だということがわかってきました。その派生事業として、ネット小説を原作とし、アニメやドラマなどを制作している事業者でした。

 帰宅してから調べてみると、阅文集团はたしかに中国最大の電子書籍専門サイトで、ネット文学のパイオニアと位置付けられていました。電子書店の運営と著作権マネジメントを収益の柱としており、中国のネット文学市場で過半数のシェアを占めるほどの大手です。

■ネット小説を原作に、多メディア展開
 阅文集团は、中国国内ですでにライセンスを所有しているネット小説を原作に、ドラマ化、映画化、ゲーム化、舞台化、音声小説化を手掛けています。ネット小説を軸に、コンテンツの多メディア展開を行っているのです。

 そのような事業内容を知って、ようやく、阅文集团がアニメ、ゲーム、ドラマ、映画などで、多数のヒット作品を抱えている理由がわかってきました。

 いずれも阅文集团のネット小説に基づいて制作されたコンテンツだったのです。小説の段階で評価の高いものを、アニメ、ゲーム、ドラマなどの原案にしているのですから、ヒットするのも当然なのかもしれません。

 たとえば、「全职高手」というアニメ作品があります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。http://www.sohu.com/より)

 阅文集团のパンフレットによれば、この作品は、WEBアニメでのリリース後、たった24時間で再生回数が1億回を突破し、総再生回数は10億以上を記録したそうです。Eスポーツのプロゲーマーである葉修が、さまざまな挫折を経験した後、Eスポーツの頂点を極めていくという物語です。

 絵柄やストーリー展開などにやや日本アニメの影響が感じられますが、舞台をEスポーツにしたところ、ITの躍進著しい中国のオリジナリティが感じられます。

 原作は蝴蝶藍のネット小説で、2011年2月28日に連載を開始し、2014年9月30日に完結した作品でした。中国のウィキペディア(维基百科)によると、連載中から好評で、10点満点でなんと9.4点の高評価が付いていたそうです。

 さらに、大ヒットした作品に、WEBアニメの「头破蒼穹」があります。こちらは再生回数13億回を達成し、中国国内の3Dアニメで最高記録を更新したそうです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。http://yule.52pk.com/より)

 このアニメも原作は、天蚕土豆という作者が手掛けたネット小説です。百度百科を見ると、この作者は1989年生まれですから、まだ29歳です。作者が若ければ、読者も若いですから、ネット上で作品についてのコミュニケーションを交わします。作家と読者がネット上で相互交流を重ねながら、ストーリーを楽しみ、創り上げていくというのが、中国のネット小説の醍醐味のようです。

 ネット小説は、作者と読者の垣根が限りなく低い、というのが一つの特徴です。作者がいつでも読者になり、その反対に、読者がいつでも作者になりえます。そのような可変性、あるいは、強い相互依存性がネット民に支持されて、ネット文学の隆盛を生み出しているのかもしれません。文学の新しい地平を開く現象が中国で生まれているのです。

 そのプラットフォームを提供しているのが、阅文集团でした。中国の若者の潜在欲求に応えるように、阅文集团は、誰もが、いつでも、どこでも、小説を書き、ネットにアップロードしていくことができるプラットフォームを構築しました。実にタイムリーな措置であり、未来の動向を的確に見据えた取り組みだと思いました。

 今回、「第8回コンテンツ東京」の展示場で、私ははじめて、阅文集团のことを知りました。調べれば調べるほど、ネット文学を支えるプラットフォーム構築の意義深さを思い知らされます。

 若い世代を中心に、デジタルベースで広範囲に展開されているので、今後ますます市場規模を大きくしていく可能性があります。さらに、低額で毎日更新されるシステムなのでコピーされる恐れはなく、ユーザーには有料でコンテンツを消費する習慣が根付いていくでしょう。さまざまな観点から、阅文集团はネット時代にふさわしい文化環境づくりをしていると思いました。

 もちろん、投資家たちはこの動向を見逃してはいませんでした。

■香港市場に上場
 中国のコンテンツ業界を代表する会社として、阅文集团は2017年11月8日、香港株式取引所に上場しました。公募の際には40万人以上が殺到し、倍率は626倍で、5200億香港ドル(約7兆5600億円)集まったそうです。

 これは2017年の香港市場の取引で最高額であったばかりか、史上2番目の高額でした。このことからは、阅文集团がそれだけ多くの投資家から注目されている企業だといえるでしょう。

 それでは、阅文集团の設立経緯と事業内容をみていくことにしましょう。

 阅文集团は2015年3月、テンセントグループの子会社テンセント文学と、盛大グループの傘下にあった盛大文学が統合されて、設立されました。小説や漫画の出版、アニメ、ドラマ、映画などの制作、グッズ販売を手掛けるだけではなく、中国国内の作家を育成できるプラットフォームを持つ会社です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 卢晓明氏は2017年7月4日、『36kr』上で、中国のネット作家の約90%が阅文集团のプラットフォームに登録していると書いています。同社のHP、その他の資料から詳しくみると、2016年12月時点で、阅文集团のプラットフォームはグループ合わせて530万人の作家を抱え、中国全体でネット作家の88.3%に及びます。コンテンツの中核部分を創り出せる人材を、阅文集团が豊富に抱えていることがわかります。

 こうしてみてくると、阅文集团の事業内容がネット時代にふさわしく、今後、さらに発展する可能性があると、多くの投資家から見込まれているのも当然でしょう。

 そこで、阅文集团の業務内容を調べてみました。5分程度、コンパクトに紹介されたビデオがありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →
https://www.weibo.com/tv/v/Fuk9FdCE9?fid=1034:376650955723ad29bf6f564d363a492b

 興味深いのは、アニメであれ、漫画であれ、映画であれ、原案になるのが、ネット小説だということです。ヒットしたネット小説に基づいて、さまざまなデジタルコンテンツが開発され、さまざまなチャンネルで展開されているのですが、それらの版権は当然、阅文集团が所有しています。

 日本では漫画原作のアニメ化、ドラマ化はすでにお馴染みですが、それと似たような事業展開なのでしょう。中国では漫画ではなく、小説を原作に多メディア展開しているところが面白いと思いました。小説といってもネット小説ですから、連載の過程で、繰り返し、ユーザーの目に留まっています。露出が多いという点で、ヒットにつながりやすい側面があります。

 それでは、ネット作家はどのようにして生まれるのでしょうか。

■作家を育成するプラットフォーム
 阅文集团には作家が作品を発表するためのプラットフォームがあります。そこには作家として作品を発表するための手順が具体的に示されています。

こちら →https://write.qq.com/about/help_center.html

 ネットで作品を発表したいと思えば、①阅文の「作家传区」に作家登録をした後、「作品管理」をクリックし、「创建作品」のボタンを押す。②アップロードしたいサイトを選び、作品名称、作品ジャンル、作品概要などの関連情報を記入する。そして、最後に新しく完成させた作品を提出する。③それが終わるとすぐにも、「作家传区」(作品管理)のページで、新しく書いた文章をアップロードすることができる。

 以上のような流れに沿っていけば、誰もがいつでも、どこでも、ネット上に作品を発表できるようになります。

 もちろん、作品としてふさわしくないものを制限するため、いくつかの条項も設けられています。具体的な条項は「作家自律公约」として、上記のサイトに載せられています。誰もがいつでも、どこでも、作家登録し、作品を発表できるとはいいながら、実際には、最低限のルールは課せられているのです。

 こうしてみてくると、阅文の「作家传区」はまさに、ネット時代の作家を育むための孵化器のように思えてきます。書きたいものがあるのに、それをどのようにして、世の中に発表していけばいいのかわからない新人も、この孵化器の中に入っていけば、なんとか小説の形にしていくことができるようになるのかもしれません。

 展示会場で、阅文集团のブース責任者に、原稿は一括アップロードなのかどうか尋ねたところ、このシステムでは、すべて連載形式で取り扱うといっていました。つまり、作家は、一話ずつネットにアップロードし、それを読んだ読者とやり取りをしながら、ストーリーを展開していくという仕掛けです。

 作家は、読者と相互交流を重ねながら、ストーリーを展開していきますから、場合によっては、当初考えていたストーリーが、読者の意向によって変わってしまうこともあるでしょう。あるいは逆に、読者のコメントを踏まえて、作家がアイデアを巡らせ、当初考えていたストーリーを強化し、より豊かな作品世界を生み出す場合も考えられます。

 阅文集团が構築したプラットフォームは、潜在する作家を発掘するだけではなく、どうやら、ネットを介在させた新しい文学の表現舞台ともなりつつあるようです。

■ネット文学で生活していけるのか?
 それでは、このシステムでネットデビューした作家は、果たして、作家を本職として生活していくことはできるのでしょうか。この点についても、展示会場でブース責任者に尋ねてみました。すると彼は、低額料金なので、ほとんどの登録作家はそれだけで食べていくことはできないが、最近はそれだけで十分、生活できる作家も出てきたといいます。

 ネット作家は毎日3000字原稿を書いて、ネットにアップロードするといいます。読者は読むたびに、お金を支払いますが、1回がせいぜい7円程度なので、大勢の読者を獲得しなければ、大した収入にはなりません。しかも、最初のうちは無料で提供しますから、まったく収入にはなりません。ある程度、進んでからようやく課金システムに組み込まれますが、作品が面白くなければ読者が付かず、収入がほとんどないということにもなります。

 ですから、作家は必然的に、読者の意向に耳を傾けざるをえなくなります。読者とのコミュニケーションが少なければ、読者が離れ、収入が得られなくなりますし、反対に、多くの読者の意向に沿った内容にすれば、収入が増えるというわけです。

 読者はネットで公開された小説を、最初は無料で読めますが、ある程度になると、お金を支払わないと読めないようになっています。無料で読める段階で魅力的な設定、展開にしておかないと、有料になってからの読者を獲得できません。

 面白ければ、有料になっても読者は読み続けます。その後は、読むたびに、自動的に口座から引き落とされていきますから、作家はまさに作品の力そのもので読者を引き付け、稼いでいく仕組みになっているのです。読者からのお金は阅文集团のプラットフォームに入りますが、そこから定期的に、読書回数に応じて作家の口座に振り込まれていきます。

 ネットを検索していて、興味深い記事に出会いました。

「扬子晚报」(2015年10月19日)は以下のように、2015年時点のネット作家の収入状況を報告しています。

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少額課金で毎日小説が読める「ネット文学」の世界で億万長者が誕生し、話題になっている。しかし、そうした「売れっ子作家」は実際には数えるほど。ひとつのサイトに数百人がひしめいているネット作家の大半は、無収入だという。(中略)
ネット作家の9割は無収入だという。収入のある作家でも、1か月に1万元(当時のレートで約19万円)の印税収入のある作家は全体の3%にも満たないとされる。
小説連載の仕事もハードだ。ある程度の収入を得ようとすれば、毎日最低でも3000字を書き続けなければならないので、ほとんどの人は途中で投げ出してしまうのが現実だ。
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 ブース責任者に尋ねても、ネット作家の収入状況はこのようなものでした。改めて、誰もが参加できる敷居の低さは、誰にも収入に道を開いてくれるわけではないことがわかります。ネット文学は、熾烈な競争をくぐり抜けて、読者を獲得する骨法を掴んだ作家だけがようやく、食べていけるだけの収入が得られる過酷な世界なのです。

■ネット文学はチャイニーズ・ドリームになりうるか?
 ただ、いったん、多数の読者が付くようになれば、その輪が拡大して大ヒットとなり、思いもかけず、大富豪になる場合もあります。

 たとえば、先ほど、ご紹介した「头破蒼穹」の作者、天蚕土豆は、2013年には印税だけで2000万元(約3億4200万円)の収入がありました。この作品は漫画化され、映画化されていますから、そのロイヤリティも入ってきます。総計、どれほど多額の収入を得たことでしょう。

 このような現実を知ると、中国の若者がネット作家になる夢を抱くようになったとしても決して不思議ではありません。

 「KINBRICKS NOW」(2013年6月7日)は、ネット文学について、「個人が自由に創作できる、中国では数少ないジャンル」とし、「無料の海賊版ではなく、有料コンテンツを消費する習慣がユーザーに根付いている数少ないジャンル」だと書いています。つまり、ネット文学は、自由に表現することができ、正当に稼げるジャンルだというのです。しかも、「中国のネット文学は検閲的縛りもない」ようです。

 そうなると、ネット文学は検閲を気にすることなく、個人が自由に創作することができ、しかも、場合によっては巨万の富を稼ぐこともできる夢のようなジャンルだということになります。中国の若者にとって、大きな夢を託すことができる場といえるでしょう。

 もちろん、読者の評価に晒され続けるという厳しさはあります。批判に晒され鍛えられ、作家として磨き抜かれてはじめて、多くの読者に支持される作家に成長していくのです。そのことを考えれば、その種の労苦は成功のための代償として、積極的に受け入れていく必要があるでしょう。

 このようにみてくると、作家と読者がネットでダイレクトにつながるこのプラットフォームはきわめて合理的で、公平性があり、隠れた才能を発掘できる素晴らしいシステムではないかという気がしてきます。「検閲がない」ということを加味すれば、それこそ、ネット作家こそがチャイニーズ・ドリームではないでしょうか。

 このプラットフォームは、中国という膨大な人口を抱える国で開発されました。いわゆる集合知が判断基準として機能するシステムとして、今後、さらに発展していく可能性があります。

 国の力ではなく、組織の力でもなく、個々のヒトの巨大な集合体が育む知の機構として、メイン文化の在り方にも大きく作用するようになるかもしれません。個々のデータの集合体であるビッグデータがさまざまな領域を可視化していくAI時代にふさわしいプラットフォームといえるでしょう。

 このプラットフォームには資格を問わず誰もが参加できますし、そこに政府の介入、検閲も入りません。しかも、努力次第で、巨万の富を稼げますし、社会的地位も得られます。現段階で、少なくとも中国では、ネット文学こそがチャイニーズ・ドリームだといえるのではないでしょうか。(2018/4/25 香取淳子)

第2回AI・人工知能EXPO: AI・人工知能時代の事業価値とは?

■第2回AI・人工知能EXPOの開催
 2018年4月4日から6日まで東京ビッグサイト東展示棟で、「第2回AI・人工知能EXPO」が開催されました。私が訪れたのは4月5日の午後でしたが、国際展示場正門駅を下車すると、人々が続々とビッグサイトに向かっているのが見えました。

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(図をクリックすると、拡大します)

 展示会場に向かって進むにつれ、ますますヒトの混み具合が激しくなってきました。AI・人工知能への関心がよほど高まっているのでしょう。思い返せば、その予兆はありました。私は、「AIが変えるビジネス」というセミナーに参加したかったのですが、申し込もうとした時点ですでに満席でした。

 代わりに、「注目の海外ベンチャー企業」というタイトルのセミナーに申し込みましたが、それでも、開催日までに二度ほど「キャンセルの場合、早めにご連絡ください」というメールがきました。そういうことはこれまでに経験したことがありませんでした。なんといっても東京ビッグサイトは巨大な催事場です。キャンセル待ちが出るとは思いもしませんでした。ところが、担当者によると、このセミナーにはなんと3000名もの申し込みがあったそうです。

 もちろん、セミナーばかりではありません、展示会場もヒトで溢れかえっていました。主催者が撮影した初日の会場風景を見るだけでも、AI・人工知能に対する人々の関心の高さがわかります。

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(図をクリックすると、拡大します)
 
 改めて周囲を見渡してみると、全国各地からさまざまな領域の人々がビッグサイトに馳せ参じていました。AIこそがこれからの社会の大きな変革要因になると多くのヒトに認識されていることがわかります。

 それでは、4月5日、15:00から始まったセミナーの一端をご紹介していくことにしましょう。

■注目の海外ベンチャー企業
 このセミナーでは、ViSenzeの共同創始者兼CEOのOliver Tan氏と、データサイエンティストでありDataRobotのCEOであるJeremy Achin氏が登壇し、講演されました。とくに私が興味を抱いたのが、Oliver Tan氏の講演内容でした。

 Oliver Tan氏の講演をかいつまんでご紹介しましょう。

 Tan氏は2012年にViSenzeを設立して以来、デジタルコンテンツ、eコマースなどの事業に取り組んできました。その間、①小売りにおける人工知能の活用、②ビジュアル・コンテンツの増進、③映像認識におけるイノベーション、等々の変化が起きているといいます。

 その背景として、Tan氏は3つの要因を挙げます。すなわち、非構造化データが大幅に増えた結果、ネット上はいま、データの洪水状態になっているということ、ハードウエアが高性能化し、演算当りの単価が安価になっているということ、利用可能なアルゴリズムがあるということ、等々です。

 非構造化データがどれほど増えたかといえば、現在、ネット上には30億以上の映像・画像が投稿されていることに示されています。なんと、ネット上の80%以上が映像や画像などのビジュアル・コンテンツだというのです。つまり、膨大な非構造化データがネットには溢れかえっているのです。ところが、タグが付いていないので、これらを利用することができません。せっかくのデータを活用できないのです。これが大きな問題となっているとTan氏はいいます。

 今、急成長しているのがビジュアル・サーチのAIなのだそうです。映像・画像などの非構造化データを利用するためのAIが注目されていますが、ネット上の情報の80%以上が映像・画像情報だということを考えれば、それも当然の成り行きでしょう。AI市場は今後、2022年までに50億規模の市場になるといわれていますが、中でも注目されているのが、非構造化データの処理に関わるAIだといえます。

 Tan氏は、ビジュアル・コンテンツの非構造化データを小売り事業に活用している先進事例の一つとして、アリババのマジックミラーを挙げました。簡単に触れられただけだったので、具体的にどういうものなのか知りたくて、帰宅してから調べてみました。

 内外のいくつかの記事から、このマジックミラーは、アリババの新たな小売り戦略とも関連する実験だったことがわかりました。

■アリババの実験
 アリババは2009年以来、毎年11月11日を独身の日とし、セールを行ってきました。売上は年々増加し、2017年11月11日は1682億元を達成しました。なんとたった一日で、日本円に換算すれば2兆87億円も売り上げたのです。

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(図をクリックすると、拡大します。https://toyokeizai.net/より)

 「独身の日」は中国語で「光棍节」といい、ショッピングイベントとして大きな経済効果を上げています。独身者同士が集まってパーティを開いたり、プレゼントをしたりするための消費が促進されているのです。毎年決まった日にイベントセールを実施することで、独身者の潜在需要を掘り当てたのです。

 実際、この日の売上高を開始期から時系列でみていくと、年々大幅に増加していることがわかります。

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(図をクリックすると、拡大します。Alibabaより)

 Yuyu Chen氏は「DIGIDAY」日本語版(2017年11月17日)で、これに関連し、興味深い指摘をしています。つまり、アリババにとって、独身の日はたった1日で数百億ドルの売り上げをもたらすショッピングの祭典というだけではなく、小売業界のイノベーションを誘導するさまざまな実験を行う機会でもある、というのです。

■オンラインとオフライン
 アリババについて調べているうちに、興味深い調査結果を見つけました。E-コマースで多大な実績を上げるアマゾンとアリババについて調査をした結果、人々の消費行動全体でみると、いずれも伝統的な店頭販売にははるかに劣ることが判明したのです。

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(図をクリックすると、拡大します。https://www.cbinsights.com/より)

 アマゾンにしてもアリババにしても現在のところ、E-コマースを圧倒していますが、アメリカでは90%以上、中国も80%以上が店頭販売でモノが購入されていることがわかったのです。ですから、両社にとって、次の大きな成長機会は実店舗での販売をどのように取り込めるかということになります。

 アリババはすでにオフラインとオンラインの統合の利点を了解しており、2017年の「独身の日」で実店舗を中国国内にいくつか設置し、さまざまな実験を行いました。そのうちの一つが、先ほど言いましたマジックミラーです。

■マジックミラー
 これまでアリババはオンライン上にポップアップストア(期間限定ストア)を開設してきましたが、今回の「独身の日」セールで初めて、実店舗のポップアップストアを設置しました。

 中国国内12都市、52か所のショッピングモールでオープンし、10月31日から11月11日まで営業しました。新展開の目玉の一つがマジックミラーでした。

 「マジックミラー」と名付けられた画面では、買い物客はサングラスや化粧品、衣料品などの商品をバーチャルに試着することができます。試着してみて商品が気に入ったら、スクリーン上のQRコードをスキャンして、アリババのモバイル決済サービスAlipay(アリペイ)で購入することができるという仕組みです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。Alibabaより)

 実際に手に取ってみることのできない商品でも、この装置があれば、気軽にさまざまな商品を試してみることができます。消費者にしてみれば、これまでよりもはるかに容易に、納得した上で、意思決定をすることができるようになります。実店舗ならではの実験です。

 アリババはこのように、新しいテクノロジーを駆使して、さまざまな実験を行い、購入を決意する消費者側のデータを収集しているのです。新しい事業モデルを構築するには不可欠のデータを掘り起こしているともいっていいかもしれません。大量の消費者が集う「独身の日」はまさに、アリババにとって貴重なマーケティングの日だといえるでしょう。

 たとえば、今回、導入したマジックミラーの場合、小売における新しいアイデアが今後、投資に値するものなのか、それとも、修正が必要なものなのかを判断するための根拠として、アリババは消費者の反応と売上の結果を重視します。データ化された情報を駆使し、できるだけ精密に消費行動を把握し、事業モデルを組み立てていきます。

 大量の消費者が動く「独身の日」はアリババにとって、単に大量に商品が売れる場ではなく、大量の消費行動データが得られる場でもあります。つまり、次のステップを踏むための基盤にもなる重要なイベントなのです。

■アリババの「新小売り戦略」
 さて、今回、実店舗を設置した中国の各所で実験されたのが、マジックミラーであり、AR(拡張)ディスプレイエリアでした。いずれも、単なるオンラインイベントを超えた試みでした。Yuyu Chen氏は、これらの実験はアリババの新小売り戦略に沿ったものだと記しています。

 そこで、関連記事をネットで検索してみました。すると、下記のような記事がみつかりました。タイトルは「Jack Ma outlines new strategy to develop ‘Alibaba economy’」(ジャック・マー、「アリババ経済」を開発する新しい戦略を概説する)です。2017年10月17日付の記事ですから、「独身の日」の約1か月前の取材情報です。

こちら →
http://www.thedrum.com/news/2017/10/17/jack-ma-outlines-new-strategy-develop-alibaba-economy

 これを読むと、アリババのCEOジャック・マー氏は、「E-コマースは急速にビジネスモデルを進化させ、「ニューリテール」(新小売り)」の段階に入っているという認識を示しています。やがてはオンラインとオフラインの境界が消滅していくと彼は考えており、その対策として、各消費者の個人的なニーズに焦点を当てたサービスを展開しなければならないとしています。

 さらに彼は、中国ではアリババのニューリテール・イニシアチブ(新小売り戦略)は、5つの新しい戦略の出発点として形を成しつつあるといいます。この5つの新しい戦略とは、「ニューリテール」、ニューファイナンス」、「ニューマニュファクチュアリング」「ニューテクノロジー」「ニューエナジー」を指します。

 このような構想の下、1億の雇用を生み出し、20億の消費者にモノやサービスを提供し、1000億の収益性の高い中小企業を支援するプラットフォームになるよう計画しているとジャック・マーは宣言しています。さらに2036年までには、アリババのインフラがトランザクション価値を結びつける商業活動を支援し、世界ビッグファイブの経済としてランクされるようになるだろうとも予測しています。

 興味深いのは、ジャック・マー氏が、一般株主は我々に利益をあげることを期待しているが、我々の存在価値はお金を稼ぐことだけにあるのではないと強調していることでした。どうやら彼はアリババの事業を通して、商業活動以上の社会的活動を企図しているようです。

 ジャック・マー氏はこんなことも書いています。

「もしアリババが農村部や中国全土の貧困地域を手助けし、テクノロジーによって生活状況を改善することができるとすれば、世界のその他の地域にも大きな影響を与える機会を持てるようになる。テクノロジーは世界の富の格差を広げることの原因になるべきではない」と。

 このような考え方を知ると、アリババの存在価値がお金を稼ぐことだけにあるのではないとジャック・マー氏が強調していたことの背景がわかってきます。

 テクノロジーの力を活用して農村部や貧困地域を豊かにする一方で、この新小売り戦略は、グローバルなサプライチェーンの再構築をもたらし、グローバル化の形勢を大企業から中小企業へと変化させるだろうとジャック・マー氏はいいます。このことから、経済の合理化を進めるだけではなく、社会的公平性をも実現しようとしていることがうかがい知れます。

 三菱総合研究所の劉潇潇氏も、アリババ・グループのCEOジャック・マーク氏が2016年10月に発表した小売り戦略に注目しています。この戦略は、オンラインとオフラインをうまく使い分けることによって、より精密なターゲティングを行い、顧客により深い感動を与えることを目指す戦略だと指摘しています。(https://toyokeizai.net/)

 たしかに、この戦略は消費者の心を捉え、消費者とつながることを目指したものだと思います。とはいえ、2017年10月に取材された記事から、ジャック・マー氏の考え方を推察すると、私には、単なる顧客獲得を超えた大きな世界観に支えられた市場戦略のようにも思えてきます。

■事業が追及する価値とは?
 4月18日、日経新聞を読んでいて、興味深い記事に出会いました。価値創造リーダー育成塾で嶋口充輝氏(慶應義塾大学名誉教授)が行ったキーノート・スピーチを原稿に起こしたものでした。

「事業が追及する価値は、合理性・効率性を追求する「真」の競争から社会的責任や社会貢献を意識した「善」の競争、そして、品位や尊厳、思いやりなどの「美」を追求する競争へと移ってきました」と、まず、事業に対する現状認識を示しています。その上で、嶋口は、今後の展開として、以下のように続けます。

「これからの時代の企業は、その事業姿勢や行動を「美しさ」から発想し、「社会的有益性」を踏まえ、結果的に収益性や効率性に結び付ける「美善真」というスタイルが求められると思います」といい、「美しさ」主導の事業姿勢を「あるべき姿」と打ち出しています。

 一見、理想主義的な意見に思えたのですが、再び読み込むと、実はきわめて長期的展望に立った見解だという気がしてきました。そして、そういえば、ジャック・マー氏も似たようなことを言っていたなと、先ほどご紹介したアリババの新小売り戦略を思い出しました。思い返しているうちに、振り返って、第2回AI・人工知能EXPOの記事を書こうと思い立ったのでした。

■AI・人工知能時代の事業価値とは?
 AI・人工知能が中心になって社会を動かしていく時代に、求められる事業価値とはいったい、何なのでしょうか。今回、第2回AI・人工知能EXPOに参加してみて改めて、そのことを考えさせられました。

 もはやヒトはモノやサービスを、効率性、経済性、有益性だけで購入するわけではなくなってきています。そんな時代に事業活動を継続的に行っていくには、モノやサービスに消費者の心を動かす何かが付随していなければならないでしょう。心のつながりが生まれて初めて、事業活動が消費者から強く支えられ、継続していくことができるようになるのでしょうから・・・。

 そして、心のつながりの動機づけになるのは、なによりも、対象にたいする信頼感であり、尊敬の念であり、憧れであり、崇拝の念でしょう。

 そう考えてくると、AI・人工知能の時代には、美しさや品格といった数値化しがたい要素が価値を持ってくるような気がしてきます。

 今回、「注目の海外ベンチャー企業」というセミナーに参加し、Oliver Tan氏の講演内容から、私は、先進事例として紹介された、アリババの「独身の日」の実験に興味を抱きました。Tan氏はビジュアル・サーチAIの一例としてマジックミラーを紹介されたのですが、私はむしろ、「独身の日」に、実店舗で行われたこの実験の方に興味を覚えてしまったのです。

 種々、調べることになりましたが、その結果、いろんなことがわかってきました。セミナーが一種の触媒の役割を果たし、AI・人工知能時代の事業の意味を考えることになったのです。改めて、ヒトは選択的に話を聞くものなのだということを思い知らされました。(2018/4/20 香取淳子)

AI時代を生き抜く力を育む教育とは?

■教育大改革が始まる
 文科省は7月10日、2020年度から開始する新テスト「大学入試共通テスト」の実施方針の最終案を公表しました。

こちら →http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10H36_Q7A710C1000000/

 「大学入試共通テスト」とは、これまでの大学入試センター試験に代わって、高校生の学力を評価するためのテストです。2020年度から実施されますから、現在の中学3年生から適用されることになります。今秋以降、プレテストを行い、それらの結果を踏まえ、制度設計を進めるとされています。2021年1月中旬の実施に向けて、待ったなしのスケジュールで入試改革が準備されているのです。

 上記の記事の中で、「大学入学共通テスト」のポイントとして6点、まとめられていました。とくに、「英語は20年度から23年度まで現行のマーク方式と民間試験を併存」、「国語と数学に記述問題を導入」、「地理歴史や理科は24年度から記述式問題の導入を検討」などが注目されます。24年度に新テストに全面移行すること、文章を読み解き、表現する力の把握に力点が置かれていること、等々に留意すべきでしょう。

 共通テストの英語に関しては、「読む・聞く・話す・書く」の4技能を評価するため、英検やTOEICなどの民間試験を活用することが新テストの大きな特徴でした。ところが、最終案では、全面移行までに4年間の併存期間が設けられています。記事では、高校や大学から準備期間の短さを懸念する声が多かったからだとされていますが、民間試験の活用にもいくつかの課題があることが示唆されています。

 共通テストの国語と数学には記述式問題が導入されます。国語は、80~120字程度で記述させる問題を含む3問程度、数学は、数式や問題解決の方法などを記述させる問題を3問程度出すとされています。思考力、表現力を把握するためのものでしょうが、知識やテクニックではなく、「言葉の力」にウェイトが置かれた取り組みであることがわかります。

 2020年度から、大学に入学するためには、この新共通テストに加え、受験する大学独自のテストが課されます。それらが総合的に判断されて、合否が決定されるという仕組みになります。これまでの大学入試に比べ、英語の場合、「聞く、話す」能力、国語や数学の場合、「思考する、表現する」能力が評価されるようになります。これまでとは明らかに選別評価の基準が変わるのです。

■中教審の答申
 中央教育審議会は平成26年12月22日、『新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた 高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について』というタイトルの答申を公表しました。

こちら →
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/__icsFiles/afieldfile/2015/01/14/1354191.pdf

 新テスト導入の基盤となる考え方が示されていますが、「はじめにー高大接続改革が目指す未来の姿ー」として、下記のような状況認識が示されています。

「生産年齢人口の急減、労働生産性の低迷、グローバル化・多極化の荒波に挟まれた厳 しい時代を迎えている我が国においても、世の中の流れは大人が予想するよりもはるか に早く、将来は職業の在り方も様変わりしている可能性が高い1。そうした変化の中で、 これまでと同じ教育を続けているだけでは、これからの時代に通用する力を子供たちに 育むことはできない。」(p.1)

 中央教育審議会が打ち出した方向に沿って、抜本的な教育改革が行われようとしていますが、これは、社会の要請であり、次代を担う子どもたちの幸せのためでもあるという入試制度改革の立脚点がよくわかります。

 この答申が公表されてすでに2年余、いま社会は、デジタル技術の進化によってさらに大きく変容しはじめています。製造現場ではもちろんのこと、医療診断などにもAIが導入されるようになりました。もはや、単なる人手不足を補う以上の働きをAIが担うようになってきているのです。

 すでに2013年、オックスフォード大学のマイケル・オズボーン准教授はAIによって今後、47%の職種がAIに代替されるようになるという論文を発表して、全世界に衝撃を与えました。野村証券はそれと同様の調査を2015年12月2日に、日本国内で実施しました。その結果、日本では今後10年から20年のうちに、国内労働人口の49%に当たる職業がAIやロボットに代替されるという推計を発表しました。そして、代替可能性の高いとされる100種の職種を列記しています。

こちら →
(https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspxより。図をクリックすると、拡大します)

 それから1年半後のいま、その傾向が現実のものになってきています。ディープラーニングを通して精度を高めていくことのできるAIは、今後さらにさまざまな領域に導入されていくことでしょう。

 一方、同調査では、下記の職種はAIやロボットなどに代替される可能性が低いとしています。

こちら →
(https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspxより。図をクリックすると、拡大します)

 このような調査結果をみると、AIが大きな役割を担う時代を生き抜くには、何が必要なのか。改めて、教育内容を見直さなければならなくなっていることがわかります。高等学校、大学にとどまらず、初等、中等教育にまで遡って教育改革が行われなければならないのはこのような時代の要請なのです。

■生きる力
 文科省は2017年3月31日、次期学習指導要領「生きる力」を公示しました。今回の学習指導要領では、第4次産業革命の時代を見据え、予測不能な変化に対して柔軟に対応できる「生き抜く力」をはぐくむために、「主体的・対話的で深い学び」の実現が大きなテーマとして設定されています。

 次期学習指導要領は下記のようなスケジュールで実施される予定です。

こちら →
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/__icsFiles/afieldfile/2017/05/12/1384662_1_1.pdf

 今年は2017年ですから、幼稚園、小学校、中学校についてはすでに周知・徹底されている時期になります。

 改訂のポイントは以下のようになります。

こちら →
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/__icsFiles/afieldfile/2017/06/16/1384662_2.pdf

 教育内容の改善事項としては6項目、「言語能力の確実な育成」、「理数教育の充実」、「伝統や文化に関する教育の充実」、「道徳教育の充実」、「体験活動の充実」、「外国語教育の充実」等々があげられています。

 たとえば、「言語能力」についてみると、語彙の習得を確実なものにしていくのはもちろんのこと、さまざまな情報から、具体を抽象を区別して理解し、根拠を踏まえて意見表明できるようにするといった内容です。その一環として、実際にレポートを書いたり、立場や根拠を明確にして議論するといった活動が奨励されています。

 「理数教育」については、日常生活から問題を見出す活動や、なんらかの見通しをもって観察や実験をする活動が奨励されています。さらに、必要なデータを収集・分析し、その傾向を踏まえて課題を解決していく統計教育を充実させると掲げられています。

 3月に公示された次期学習指導要領は、下記に示す2008年に改訂された学習指導要領を踏まえたものといえるでしょう。

こちら →
(http://www.bunkei.co.jp/school/column/1309.htmlより。図をクリックすると、拡大します)

 実は、すでに1998年から「生きる力」に力点を置いた学習指導要領が作成されていました。それを改訂したのが、2008年の学習指導要領です。上記の図に示されているように、10年前のものとは違って、確かな学力に支えられて初めて、「生きる力」が養われるという考えでした。そして、その「確かな学力」とは「言葉の力」によって育まれるという認識が示されています。

■AI時代を生き抜く力とは?
 2008年版を踏まえた次期学習指導要領(2017年3月公示)は、さらに変動の激しい社会状況に対応したものになっています。

こちら →
(http://eic.obunsha.co.jp/eic/resource/viewpoint-pdf/201504.pdf p.4より。図をクリックすると拡大します)

 上記の図は、国立教育政策研究所が刊行した24年度の報告書に基づき、作成されています。今後、求められるのは、「思考力」を中核に、それを支える「基礎学力」、その使い方を方向付ける「実践力」などの”三層構造”で構成される「21世紀型能力」だとしているのです。そして、このような21世紀型能力を身につけることによって、次世代を「生きる力」を育むことができるという考えが示されました。それが次期学習指導要領を貫く考え方の根幹となっています。

 今後、学校教育で求められるのは、上記の図で示された基礎学力、思考力ばかりではなく、各教科を横断する基礎的な「汎用的能力」も重要になるでしょう。この「汎用的能力」は上図では実践力として示されています。

 なにごとであれ、実践していく過程で、人間関係形成能力、社会への参画力、自律的、自発的な活動力、等々が培われていくでしょうし、実践活動を通して、持続可能な未来への思いも強くなっていく可能性もあります。

 デジタル技術によって進化した現代社会では、仕事の内容が変化し、求められる能力も大きく異なってきています。さらには、私たちが住む地球が一つの大きな村になってしまいました。今後、誰もが身近な活動を通して、地球社会全体を考えなければならなくなるでしょうし、それが当然の社会になってきています。

 デジタル・モバイル機器を誰もが持つようになったいま、ヒトは誰しも、他者とつながって生きていることを実感できるようになりました。一人の人間として充実した人生を生きることを目指すだけではなく、他者に支えられて生きていることにも思いを巡らせながら生きていく必要があるでしょう。それが、やがては「生きる力」にも反映されていくと思います。2020年度に開始される抜本的な入試改革を軸に、教育内容が大幅に改善され、子どもたちがAI時代を生き抜く力を身につけることができるようになれば、と願っています。(2017/7/12 香取淳子)

公開シンポジウム「デジタル社会における楽しい働き方」にみる、未来社会の光と影

■「デジタル社会における楽しい働き方」公開シンポジウム
 2017年4月27日(木)、公開シンポジウム「デジタル社会における楽しい働き方」が開催されました。主催はデジタルハリウッド会社とfreee株式会社、共催が情報通信政策フォーラム、そして、会場はデジタルハリウッド大学駿河台ホールでした。

 このシンポジウムの開催主旨は、デジタル社会で「楽しく・自由に」働ける社会環境を実現するには、どのような環境整備や人材育成が求められているのか、政治家、起業家、大学教員による議論を通して浮き彫りにしていくというものです。

こちら →http://kokucheese.com/event/index/462194/

 第1部の基調講演では、起業家の佐々木大輔氏(freee代表取締役)と杉山知之氏(デジタルハリウッド大学・大学院学長)によって、「楽しく・自由」な働き方の実例が紹介されました。

■freeeの場合
 佐々木氏の経営するfreee株式会社は、全自動のクラウド会計ソフトを提供する会社です。2012年7月に設立されたまだ若い企業ですが、3年連続で、Great Place to Work®が実施した「働きがいのある会社」(従業員100-999人)部門で上位にランクされています。

 Great Place to Work®は1991年にアメリカで設立された意識調査機関で、「働きがい」という観点から企業を調査し、ランク付けます。日本では2005年に活動が開始され、その活動はいまや世界50か国以上にも及ぶほどの起業評価機関です。当然のことながら、ここでのランキングは優良企業か否かの一つの目安となります。

こちら →https://hatarakigai.info/about/history.html

 そのGreat Place to Work®日本版で、㈱freeeは上位にランクされているのです。

こちら →https://hatarakigai.info/ranking/japan/
(従業員100‐999の項目をクリックしてください。)

 2017年度は3位でした。2015年度は5位、2016年度は4位だったそうですから、年々ランクアップしていることになります。この数字を見る限り、㈱freeeでは「楽しい」働き方が実践されているといっていいでしょう。本シンポジウムで紹介されるのにふさわしい企業だといえます。

 佐々木氏はまず、日本の中小企業の労働生産性はきわめて低く、諸外国と比較しても劣位にあること、非ルーティン作業に関わる時間がわずか27.5%しかないこと、等々の問題点を挙げました。それを打開するには、バックオフィスのプロセス全体を効率化し、創造的な活動にフォーカスできるようにする必要があると指摘します。

 バックオフィスの業務をデジタル技術によって簡素化できれば、本来の業務あるいは創造的な業務に、より多くの時間を割くことができるというわけです。さらに、バックオフィスだけではなく、全業務をクラウド化すれば、生産性の効率をより高めることができるといいます。このような発想によって生み出されたのが、全自動のクラウド会計ソフトfreeeです。

 個人事業主やフリーランサーのバックオフィス業務を支援するソフトといえるでしょう。

■デジタルハリウッドの場合
 杉山氏が学長を務めるデジタルハリウッドは、デジタルコンテンツの人材育成スクール、大学、大学院を運営する教育機関です。1993年に設立されて以来、23年間に9万人の卒業生を出しているといいます。2013年からは次世代主婦、ママデザイナー1万人育成プロジェクトを立ち上げ、子育て期の女性たちに学びと活躍の場を提供しています。

 会場では米子のケースが紹介されました。

こちら →http://www.cread.jp/studioyonago.html

 2012年12月1日に設立された米子スタジオが有能な人材を多数、輩出し、米子コンテンツ工場を立ち上げるまでに成長しているといいます。協力企業であるCREADの適切な支援を得られたことも一因でしょうが、なによりも意欲のある女性たちに学びと活躍の場を提供することができたからでしょう。

こちら →http://school.dhw.co.jp/school/yonago/ycf.html

 彼女たちは子育てをしながら、自宅でオンライン講座で学び、スクールでは学友と切磋琢磨し合い、コンテンツ制作の技術力を高めていきました。卒業後は、自宅でウェブ制作やフリーペーパーの作成などの仕事を請け負い、収入を得ています。

 学びから就労までの流れがスムーズに組み立てられており、家庭に埋もれていた人材を労働市場に引き出すことができています。彼女たちの仕事のおかげで、これまでホームページを立ち上げたくてもできなかった地元の事業者が、ネットで事業を展開できるようになったのです。

 デジタルハリウッド米子スタジオで学んだ彼女たちが、その人的ネットワークを基盤に、米子コンテンツ工場という組織を立ち上げました。そして、米子だからできることは何か、田舎の強みは何か、という観点からアイデアを練り上げ、コンテンツ制作に励んでいるそうです。デジタル技術によって彼女たちは、地域に根差し、地域のための仕事をすることができるようになったのです。

 杉山氏の基調講演では、「女性の活躍推進」という側面でのデジタル技術の効用の一端が示されており、やはり、本シンポジウムにふさわしい内容でした。

■デジタル社会での学びと仕事
 第2部は衆議院議員・IT戦略特命委員会事務局次長の小林史明氏が加わり、情報通信政策フォーラム理事長の山田肇氏の司会で、パネルディスカッションが行われました。

 まず、政治家の小林氏は起業家の佐々木氏に対し、デジタル社会での働き方の成功モデルがまだ築けていないが、㈱freeeではどのような人材評価を行っているのかと質問しました。

 これについて佐々木氏は、人材評価は一般的にわかりやすくするほど弊害が出てくるとし、組織カルチャーにどれほど貢献できるか、というのが一つの指標だといいます。さらに、定量的評価ではなく、定性的評価に時間をかけているともいいます。優秀な人材でチームを作らなければ、組織は発展しません。経営者としては、他と熾烈な競争をしてでも優秀な人材を獲得していく覚悟が必要なのでしょう。

 次に、政治家の小林氏は教育者の杉山氏に対し、教育面ではどのような課題があるのか尋ねました。これについて杉山氏は、高校までの日本の教育は実社会とはかなりズレていると指摘し、デジタルハリウッドでは、新入生にはまず、技術を教え、その後、教養や文化を教えていくという順で指導しているといいます。

 入学するとすぐ専門科目に入り、年次が進むと、教養科目を取り込んでいくというカリキュラムなのだそうです。通常の大学教育とは異なり、コンテンツ制作のための技術指導から始め、次いで、コンテンツの内容を深める教養や文化を学んでいくというのです。

■デジタル社会の実現を阻む要因、促す要因
 司会の山田氏から、MOOCは素晴らしいオンライン講座だが、作成した資料の著作権処理のため、大きなコストがかかるという問題点を指摘されました。調べてみると、たしかにテキスト作成に相当、コストがかかっていることがわかります(p.8を参照)。

こちら → 
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoki/h27_02/pdf/shiryo7.pdf

 これでは担当者の負担がきつく、頼まれたとしても引き受けたくないでしょう。教育の現場では、他人の著作物の一部をコピーして学生に配布したり、パワーポイントで引用したりして授業を行うことが多々あります。それは教室で使用する限り、著作権の適用除外になるからですが、オンラインの場合、その適応除外の対象になっていないようなのです。ですから、上記のように多大な時間をかけて使用する写真などの権利処理を行わなければならなくなっているのでしょう。

 これは明らかに政治家が対処すべき課題でしょう。私は、教育利用なら、オンラインでも認めるべきだと思いますが、デジタル化されればコンテンツが広範囲に拡散してしまいかねず、権利者の権利を大幅に侵害してしまう可能性があります。そう考えると、現時点で解決策を見つけるのは容易なことではないことがわかります。

 これに関連し佐々木氏は、起業する場合も、申請手続きに23種の文書が必要だという問題点を指摘しました。そのような煩雑な業務が起業のハードルを高くしているというのです。これも政治家が対処すべき課題でしょう。

 これについて政治家の小林氏は、マイナンバー制度が普及すれば、すぐに解決するといいます。マイナンバー制の下で、簡単に本人認証ができれば、申請手続きも簡単に処理できるからだというのです。つまり、印鑑と対面原則の商慣行を、マイナンバー制度の普及によって打破することができれば、起業のハードルも低くなるというのです。ところが、実際にはまだ普及しておらず、起業手続きに限らず、さまざまな申請業務が煩雑さから解放されていません。

 パネラーの方々のお話しを聞いていると、その原因は、本人認証の方法が旧態依然としているからだと思えてきました。旧体制や旧慣行がデジタル社会への移行を阻み、起業意欲を喪失させているのだとすれば、より適切な制度に変更していく必要があるでしょう。IT関連のさまざまな現場を経験してきた小林氏は、マイナンバー制度が普及しなければ、デジタル社会には移行できないといいます。

 4月20日、法人税や所得税の申告の電子化が義務付けられ、2019年から実施されることが決まりました。今後、マイナンバー制とセットで、さまざまな申告業務の電子化が義務付けられるようになるでしょう。デジタル社会に向けた制度整備が推進され始めたようです。

■生産年齢人口の減少と働き方改革
 2010年には8000万人以上であった生産年齢人口(15~64歳の人口)が、2030年には6700万人ほどになると推計されています。いまから、わずか13年後のことです。

こちら →
(図をクリックすると拡大します。)

 このように生産年齢人口は減少するのに、高齢人口は増えていきますから、2030年には1.8人で高齢者1人を扶養しなければならなくなります。このまま手をこまねいていては、やがて日本社会が成り立たなくなる可能性も考えられるでしょう。そこで、ちょっと調べてみました。すると、いまから4年前の2013年、厚生労働省が以下のような労働市場分析レポートを出しているのがわかりました。

こちら →
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/roudou_report/dl/20130628_03.pdf

 すでに4年前、労働生産性を高める必要性が説かれていたのです。人口動態から未来社会は比較的正確に予測できます。ですから、対策も立てやすく、想定される課題に対処することができるのです。今後、日本は、急速に生産年齢人口が減少する一方で、高齢人口が増えていきます。そのような社会状況を踏まえ、厚生労働省は労働政策を練り上げていたことがわかったのです。

 2017年3月28日、政府は「働き方改革」の実行計画を発表しました。9項目挙げられており、その詳細は以下のように設定されています。

こちら →http://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/20170328/02.pdf

 網羅的な印象がありますが、労働市場の活性化という面で重要なのは、5項目「柔軟な働き方」と6項目「女性・若者の機会拡充、氷河期世代の支援」でしょう。生産年齢人口の減少時代を迎え、重要になるのは、労働生産性の向上と労働市場の活性化だからです。

 ところが、不思議なことに、この「働き方改革」の実行計画では、労働生産性の向上についての取り組みが希薄で、4年前に比べ、トーンダウンしたように見えます。

 今回のシンポジウムで報告され、議論されたように、生産年齢人口が減少するようになれば、今後さらに、デジタル技術を使って生産性を高める一方、性別や年齢を問わず、能力を発揮できる就労環境の整備を図ることが重要になってくると思います。

 さて、中小企業白書(2014年版)によれば、60歳以上がもっとも多く、32.4%を占めていました。

こちら →
(図をクリックすると拡大します。)

 このグラフからは、老いてなおアクティブに活動する高齢者像が目に浮かんできます。実感とはやや異なりますが、このデータが事実だとすれば、未来をそんなに悲観することもないでしょう。そんな気持ちにさせられるグラフでした。「働き方改革」の6項目「65歳以降の継続雇用や定年延長へ助成拡充」に関連していますが、「起業」ですから、こちらはもっとアクティブです。

 実際、㈱freeeが提供するソフトを使えば、高齢者でも、フリーランスや個人事業主として起業しやすくなるでしょう。そう簡単にチャレンジできるものではないと思っていた起業家さえ、高齢人口が増えると高齢者の割合が増えるのかと、私は感心してこのグラフを見ていました。

 ところが、ネットで「日本で企業した人の32.4%は60歳以上!?」というタイトルの記事を見つけたので、読んでみました。すると、中小企業白書(2014年版)にはこれに関連して別のグラフも載っていると指摘されていました。「起業希望者」(自分で起業したいと思っている人)の年齢構成のグラフです。

 そこで、「起業希望者」の年齢構成をみると、先ほどのグラフとはやや趣きが異なります。60歳以上は15.5%なのです。そして、こちらのグラフでは30代、40代が多いのです。日常的な感覚としてはこのグラフの方が自然で、納得がいきます。二つのグラフを並べてみると、以下のようになります。

こちら →
(https://seniorguide.jp/article/1002109.htmlより。図をクリックすると拡大します。)

 この記事では、二つのグラフの、60歳以上のカテゴリーの数字の差異について、以下の2つの解釈が可能だと考察されています。

1.シニア層は自己資金が潤沢で経験が豊富だから、起業までたどり着ける確率が高い。年を追うごとに、起業をサポートする環境が整っているので、シニア起業の割合が増えている。

2.シニア層は再就職が難しいので、仕方なく起業する人が多い。年を追うごとに、再就職への壁が高くなっているので、自営業となる人の割合は増えている。
(以上。https://seniorguide.jp/article/1002109.htmlより。)

 この二つの解釈のうちいずれか一つではなく、おそらく、二つともが妥当な解釈なのでしょう。私は、仕方なく起業する高齢者が増えているという解釈の方に、現実味が感じられます。年金だけでは暮らしていけず、かといって雇用の場も限られている、仕方なく起業するというタイプです。

■未来社会の光と影
 基調講演で紹介されたように、デジタルハリウッドが提供するオンライン講座を利用すれば、地方にいても家庭にいてもデジタルコンテンツの制作技能を習得することができ、収入を得ることができるようになることがわかりました。

 労働市場の活性化という観点からは、子育て期の女性だけではなく、高齢者もオンライン講座の対象にすればいいかもしれません。学びの機会が生まれれば、高齢者も身につけたコンテンツ制作技能を駆使して仕事をし、freeeなどのソフトを使って起業することが可能になります。そうすれば、地方にいても、家庭にいながらにして仕事をし、収入を得ることができるばかりか、地域社会に役立っているといういきがいをも得られます。

 このシンポジウムで紹介された二つの事例はいずれも、デジタル技術によってもたらされる未来社会の光の部分だといえます。だとすれば、未来社会の影の部分にも目を向けておかなければならないでしょう。

 たとえば、小林氏は、働き方改革の中で残業規制が今、話題を呼んでいるが、これはルールを決めることで生産性を上げることが目的だといいます。2050年には生産年齢人口が4000万人になり、今より4割減になるので、柔軟な働き方ができるようにならないと社会がもたないと指摘しました。

 確かに、「働き方改革」5項目の「柔軟な働き方」では、「テレワークを拡大、兼業・副業を推進」することが目指されています。有能な人材がその能力を多方面で使っていかないと、人材不足で社会が回っていかないということなのでしょう。

 佐々木氏も、副業しているヒトが増えている、今後は副業に寛容な社会にならざるをえないと指摘し、自動会計ソフトfreeeもそのために開発したといいます。

 さらに、杉山氏は、MITに在籍したころ、教授陣は4日がフルタイムでそれ以外は自由だったので、副業もできるし、新たな研究もできる、そこから自由な発想を得て、さらに研究に活かせることもできたといいます。この制度の下では、雇用者側は研究者を安く雇用できるし、研究者側は自由な時間を手にし、他から稼ぐことができるし、新たな研究経験を積むことができる、双方にメリットがあったと指摘します。

 以上、3人のパネラーの方々のお話を総合すると、労働の拘束時間を減らし、柔軟な働き方ができるよう制度整備すれば、有能な人材の能力を有効活用ができるし、雇用者、被雇用者ともにメリットがあるというものでした。

 これは一見、未来社会の光の部分に見えますが、実は、研究者であれ、企業人であれ、柔軟な働き方ができるのは、学界あるいは産業界、あるいは教育界、等々で求められる能力の保持者に限られています。

 そして、山田氏は、日本の労働人口の約49%が技術的には、人工知能やロボットで代替可能だと指摘します。

こちら →
(https://www.nri.com/~/media/PDF/jp/news/2015/151202_1.pdfより。図をクリックすると拡大します。)

 創造的な領域、あるいは、コミュニケーション領域では人工知能に代替するのは難しいといわれています。ところが、データの分析、秩序的、体系的操作が求められる仕事は、人工知能に代替できる可能性が高いというのです。

 山田氏のお話からは、労働生産性の向上を求めれば、AIやロボットに業務を代替させざるをえず、現在の約半分の労働人口が職を奪われることになります。創造的な領域、あるいはコミュニケーション領域で秀でた能力を保持するヒト以外は、AIやロボットが行う業務の補助的作業しか残されていないでしょう。デジタル技術がもたらす影の部分です。

 生産年齢人口が減少する未来社会では、さまざまな領域でデジタル技術に依存せざるをえなくなるのは事実です。デジタル技術はさまざまな不可能を可能にしてくれますし、能力の秀でたヒトにとってはさらなる活躍の舞台が待っています。

 ところが、秀でた能力を持ち合わせない普通のヒトにとって、どのような仕事が残されているのでしょうか。そもそも、食べていけるだけの収入を得られる職業に就けるのでしょうか。

 生産年齢人口の減少、介護を必要とする高齢者の増大といった社会状況はもうすぐそばまでやってきています。ですから、デジタル技術を活用することによって、対処していかなければならないのはわかっているのですが、同時に。デジタル技術によって生じるであろう社会的な歪みをどう是正していくかも視野に入れ、デジタル社会の実現に向けた制度整備を行っていく必要があるのではないかと思いました。(2017/5/1 香取淳子)

変容を迫られる国際空港:セキュリティ対策、文化情報の発信

■変容した成田空港
 久しぶりに成田空港に着いてみると、数年前とは様相が異なっていました。空港入場前の検問が廃止され、空港ターミナルの内装も洗練されており、国際空港にふさわしい雰囲気が漂っていました。このところ羽田空港を利用することが多く、成田空港から出国するのは数年ぶりだっただけに、この変化が好ましく思えました。

 さて、今回のソウル行はLCCを利用したので、第3ターミナルからの出発です。こちらのロビーは簡素ながらも、こぎれいな印象です。調べてみると、この第3ターミナルはLCC専用のターミナルで、昨年4月にオープンしたようです。以来、成田空港の総利用者数は増加し続けており、2015年度は前年比5%増となり、開港以来、初めて3700万人を超えたそうです。

こちら →http://www.naa.jp/jp/2016/01/20/docs/20160121-unyou.pdf

 成田空港の総利用者数はその後も増え続け、現在、3800万人を超えているといいます。利用者数が増えれば、それだけ、搭乗手続きや出入国の手続きを簡素化する一方、厳重な安全対策が必至となります。二つの相反する課題への取り組みが迫られるようになるのです。

 さて、出発当日の2016年12月21日、私はつい寝坊してしまい、空港に着くのが予定より1時間も遅れてしまいました。国際線の場合、通常は出発時刻の2時間前に空港に着いていなければならないのに、チェックインカウンターに着いたのが1時間弱前だったのです。それでも、なんの支障もなく搭乗できたのは、パスポートと旅程表だけで搭乗手続きができたからでした。搭乗手続きの簡素化のおかげといえるでしょう。その後の出国審査もスムーズに運び、空港での滞留時間はこれまでになく少なくて済み、快適でした。

■インチョン空港での指紋、虹彩記録
 ソウルのインチョン空港に着いて驚いたのが、セキュリティチェックの厳重さでした。入国審査の際、パスポートチェックだけではなく、両手の人差し指の指紋記録が取られ、両眼の虹彩記録が取られたのです。指紋については今後、指紋認証が導入されることは聞いていたので納得しましたが、虹彩記録まで取られ、ちょっと不愉快な気分になってしまいました。とはいえ、各国でテロが続発している現状では、安全対策上、仕方のないことなのでしょう。

 調べてみると、顔認証による搭乗手続きについてはすでに2004年、日本とインチョン空港との間で実証実験が行われていました。成田国際空港の村田憲治氏は、「一連の実証実験の結果、ICパスポートを活用して、出入国審査にまで検証範囲を広げることになった」といいます(「SPT : Simplifying Passenger Travel バイオメトリック認証を用いた新しい航空手続き」、“IPS Magazine”, Vol.47, No.6, June 2006, pp.583-588)。ですから、その後、さらに検討を重ねたうえで、現在のセキュリティ対策に至ったのでしょう。

 グローバル化に伴い、確実な本人認証ができる手法として、生体認証が注目を集めてきました。生体認証であれば、紛失や盗難の恐れもなく、本人だけが持つ特徴によって認証できます。生体認証とは、指紋の模様、虹彩の模様、手のひらや指の静脈の模様、目鼻の位置などの特徴点、声紋などによる本人確認です。

こちら →title_03
(http://next.rikunabi.com/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000647より)

 生体認証には一般的には指紋が使われるとイメージされますが、これは精度がそれほどよくないそうです。精度が高いとされているのが、虹彩であり、手のひらや指の静脈だといわれています。ところが、手のひらや指の静脈の場合、読み取りセンサー場複雑で装置が大きくなるというデメリットがあるといわれています。また、虹彩の場合も読み取り装置が大きく、システムが比較的高額だといわれていますが、今回、インチョン空港では指紋と虹彩の両方が使われました。コストよりも安全を重視した結果なのでしょう。

 インチョン空港では入国審査が厳重で、ちょっと不快感を覚えましたが、その反面、出国手続きは簡便でした。通常はパスポートに押されるスタンプもありませんでした。念のため、担当者に尋ねてみましたが、出国スタンプは要らないということでした。スタンプの省略によって、出国手続きに要する経費の節減にもなっています。

■インチョン国際空港
 インチョン空港はこれまで乗り継ぎでよく利用してきましたが、今回、訪れてみて、利用者が快適に時間を過ごせるよう、さまざまな工夫がされているように思いました。たとえば、クリスマスシーズンだったせいか、到着ロビーには下のような装置が設えられていました。

こちら →p1030064
(図をクリックすると、拡大します)

 また、出発ロビーに向かう階上からは、コンサートの準備風景が見えました。

こちら →p1030081-640x480
(図をクリックすると、拡大します)

 出発ロビーに上がると、演奏するオーケストラの音色が上まで響いてきました。まるでコンサート会場にいるかのようでした。

■文化情報発信基地としての国際空港
 これまで何度かインチョン空港を利用していたのに気づかなかったのですが、空港内の搭乗棟の4階に韓国文化博物館がありました。利用者が飛行機の出発時刻まで過ごすための文化的な計らいでした。

こちら →img_3719
(図をクリックすると、拡大します)

 落ち着いた趣向の博物館で、もちろん、無料で入館できます。展示内容としては、伝統美術、宮中文化、印刷文化、伝統音楽の4部門です。伝統美術としては、高麗銅鐘や釈迦塔、甘露図、印刷文化としてはハングル、宮中文化としては宮中の衣服や宋廟の映像などを見ることができ、伝統音楽としては、「センファン」の音が3DCGとアニメーション技法によって聞くことができます。

 もっとも印象深かったのが、「甘露図」です。添えられている説明を読むと、これは甘露を施し、餓鬼の世界で苦しむ衆生を救済するために、食べ物を供養する儀式の手順を描いた絵だそうです。この絵以外にも韓国では、この種の絵がたくさん描かれているのでしょう、展示されているのは韓国国内で現存する作品の中でもっとも古い絵だと書かれています。

こちら →img_3721
(図をクリックすると、拡大します)

 「甘露」の意味がよくわからなかったので、帰国してWikipediaを見ると、甘露とは、中国古来の伝説で、天子が仁政を施すと、天が感じて降らすという甘い露のことだと説明されています。このことから、韓国もまた中国文化の影響を受けてきたことがわかります。いつの世も弱者、貧者、困窮者をどのように救済し、穏やかな治世を実現させていくかが為政者の力量であることに変わりはありません。
 
 この絵をよく見ると、権力の座に就けば、自ずと身を正すのが為政者の在り方だと説いているように思えます。さらに仔細にこの絵を見ていくうちに、ソウルの光化門広場で見てきたばかりのデモ隊のテント群、縄で縛られた朴大統領の人形、「退陣!」と赤文字で書かれた立て札などを思い出してしまいました。教訓は活かされないからこそ、長く伝えられていく必要があるのかもしれません。

■国際空港の役割
 インチョン空港を見ていると、国際空港はまさにその国の玄関であり、訪問者を出迎え、そして、見送る場であるということを思い知らされました。グローバル化の時代、多種多様な人々が国境を越えて、入国し、出国していきます。ですから、たとえ、わずかな時間だとしても、海外からの来訪者に自国の文化を端的に知らせる恰好の場なのです。搭乗棟設えられた韓国文化博物館は簡素ながら、見事にその役割を果たしていました。20分もあれば、すべての展示品を観覧することができるのです。

 成田空港に着くと、空港内に和風の音楽を現代風にアレンジした曲が流れています。さり気なく日本文化が発信されているのです。快適だったインチョン空港と比べ、いよいよ国際空港競争の時代に入ったという印象を受けました。ブランド品、免税品のショップはどこの空港でも同じで、もはや目新しくはありません。その国の文化をどのように効果的に空港内に取り込み、簡素ながらも印象深く、海外からの訪問者にアピールしていくか、それが差別化のキーになるのだという気がしてきました。

 ちなみに、Newsweek 2016年10月11日号で「空の旅を変えるスマート空港」という特集が組まれていました。それを読むと、「ショッピングが楽しめる世界の空港ランキング」でインチョン空港は第2位、成田は10位でした。1位はロンドンのヒースロー空港です。インチョンと成田を比べると、ショップ自体はそれほど大きな違いはないと思ったのですが、利用者に対するきめ細かなサービスに違いがあったのかもしれません。いずれにせよ、すでに飛行機での大量移動の時代に入ったということが実感させられました(2016/12/25 香取淳子)

Rakuten FinTech conference 2016:ICTは超高齢社会の救世主になりうるか?

■Fin Tech conference 2016
 2016年9月28日、「楽天Fin Tech conference 2016」がホテルニューオータニ東京で、開催されました。最近、AI、ディープラーニング、ロボテック、ビッグデータなどという言葉をよく聞きます。これらのICT主導によって社会インフラの高度化が急速に進み、どうやら今、第4次産業革命とまでいわれているようです。はたして、今後、どのような社会、経済状況になっていくのでしょうか。私は興味津々、このカンファレンスに参加することにしました。

こちら →http://corp.rakuten.co.jp/event/rfc2016/

 当日、ちょっと寝坊してしまったので、プログラム最初のセッションには間に合いませんでした。仕方なく、基調講演はネット中継で見ましたが、全体を俯瞰する内容でわかりやすく、高度なICTを社会インフラに取り込む必要があることを、なんとなく理解できたような気がしました。そこで、今回はこの基調講演を中心にご紹介していくことにしましょう。

 ただ、私は経済にあまり詳しくありません。ひょっとしたら、話の流れがとても論理的だったので、理屈の上でわかったような気になっているだけかもしれません。ですから、ご紹介する際、わからないところは随時、調べながら、進めていくことにします。

 基調講演をされたのは、コロンビア大学教授・政策研究大学院特別教授の伊藤隆敏氏で、講演のタイトルは「Fin Techが切り開く日本経済」です。

■Fin Techが切り開く日本経済
 伊藤氏は冒頭、日本経済が抱える大きな課題として、①労働年齢人口の減少、②労働生産性の低さ、この2点を挙げられました。超高齢社会を迎えた日本で労働人口が減少し、経済が失速していくだろうということは、これまでいろんなところで見聞きしていましたので、課題として伊藤氏がご指摘されたことに納得しました。

 ところが、労働生産性が低いというご指摘に私はやや違和感をおぼえました。これだけ経済力のある日本が農業以外の領域で、労働生産性が低いとは思ってもみなかったのです。そこで、調べてみると、たしかに日本の労働生産性は低く、OECD加盟34カ国のうち21位で、先進諸国の中では最も低いという結果でした。

こちら →0c7efbc4
(http://www.jpc-net.jp/annual_trend/images/intl_comparison_graph.gifより。図をクリックすると拡大します)

 でも、この図をよく見ると、経済破綻しているはずのギリシャが日本よりも上位にあります。いったい、どういうことなのか、腑に落ちません。これが事実だとすると、労働生産性と経済破綻とはなんら関係なさそうに思えます。そこで、労働生産性とは何かを調べてみました。

 労働生産性とは、投入した労働量に対してどのぐらいの生産量が得られたかを表す指標で、GDP(国内総生産)÷就業者数(または就業者数×労働時間)という数式ではじきだされることがわかりました。労働生産性は二つの変数で機械的に処理し、算出しますから、ギリシャのように、GDPが低くても就業者数が少なければ、労働生産性の値は高くなります。その結果、ギリシャが日本よりも上位ランクになってしまったのでしょう。

 とはいえ、日本の労働生産性が低いことに変わりはありません。少子高齢化に伴い、今後さらに労働人口が減っていくことを思えば、GDPが大きく減少することは避けられないことがわかります。このような状況を踏まえ、伊藤氏は、労働生産性の低いことを日本経済の課題とし、なによりもまず生産性を高めることの必要性を説かれたのでしょう。先ほどの数式に照らし合わせれば、労働生産性を上げれば、ヒトの労働力(あるいは労働時間)の減少を補うことができます。つまり、マクロ経済的には労働人口の減少という日本社会の抱えた弱点を補うことができるのです。

■FinTechの活用
 伊藤氏は日本経済の課題を二つ挙げたうえで、FinTechの活用によって、これらの課題を解決できると指摘されました。このFinTechという語も最近、よく使われる言葉です。なんとなくわかりますが、Wikipediaで確認してみました。Fin Techとは金融(Finance)と技術(Technology)を合成させた造語で、金融におけるICT(Information Communication Technology)の活用を意味するようです。

 さて、伊藤氏はこのFin Techの活用によって、日本の金融業に見られる生産性の低さは解消されると指摘されました。ところが、私にはFin Techが具体的にどのようなサービスを指すのかよくわかりませんでした。ただ、プログラムを見ると、「ロボアドバイザリー」「ブロックチェーン」「ビットコイン」など聞きなれない言葉が並んでいます。おそらく、これらがFin Techを活用したサービス例なのでしょう。

 私は午前のセッションをネット中継で視聴し、会場にはお昼ごろ出向き、13:00-13:30に開催されたセッション「データレンディングー資金調達に革命が起きる?」に参加しました。タイトルの「(ビッグ)データレンディング」もまたFin Techを活用したサービスの一つのようです。

■データレンディング
 このセッションの登壇者は海外から4人、日本から1人という構成で、スピーチはすべて英語でした。もちろん、希望すれば、同時通訳のレシーバを借りることができます。これもまた近未来の様相を示すものといえるでしょう。それなりに興味深く思いましたが、このセッションで印象的だったのは、ビッグデータを活用すれば、きめ細かな利用者サービスができるということでした。

 ICTが高度化すると、利用者の日常の利用行動がデータとして積み上げられ、それがビッグデータに基づいて分析されるようになります。たとえば、クレジット会社がカードを発行する際、ビッグデータに基づき、会社独自の基準で与信審査をすれば、これまでなら審査に通らなかったようなヒトにも、カード発行ができるようになります。その仕組みを図示したものが下図です。

こちら →transaction-lending-7
(https://ginkou.jp/business/transaction-lending/より。図をクリックすると拡大します)

 ここには、さまざまなFinTechサービスが活用されていることがわかります。
ビッグデータを参照すれば、利用者利用歴に応じたきめ細かな審査が可能になります。変数にウェイトをつけることによって、勤勉ではあっても収入が低いヒトにも安全を担保しながら、迅速にサービスを提供することができるようになるのです。これが金融機関にとっての与信審査の代替になるとすれば、まさに利用者の側に立って開発されたサービスといえるでしょう。しかも、金融機関にとって、コスト削減と利用者拡大を期待できるメリットもあります。これも、金融の生産性を上げるFinTechサービスの一例です。

■ネットバンキング
 さて、伊藤氏がスピーチの中で取り上げられたFinTechサービスの例はこれよりもはるかにわかりやすく、馴染みのあるものでした。たとえば、アメリカではほとんどがネットバンキングになっており、銀行の支店はなくATMになっているそうですし、途上国でもスマホでバンキングするのが普通で、日本のような支店ネットワークは作らないといいます。いずれもICT主導のバンキングシステムが機能しており、その点で金融の生産性は高いと指摘されました。

 たしかに、海外に行くと、ATMはどこでも見ますが、支店を見ることはほとんどありません。駅やデパート、スーパーなどヒトが集まる場所には必ずいくつものATMがあって、利用者にとってはとても便利です。今後、オリンピックに向けて海外からの観光客がさらに増えるとすれば、海外の諸都市にならって、ヒトの集まる場所には複数のATMを設置するようにするといいかもしれません。これは、利用者にとっても金融機関にとってもメリットのあるFinTechサービスで、金融の労働生産性を高めるものの一つといえるでしょう。

 さて、上記以外にもFinTechをベースにさまざまなサービスが考えられます。これまでとは違い、FinTechを活用すれば、利用者側に立ったきめ細かなサービスが可能になりますから、認知されれば、普及も早いでしょう。NTTデータ経営研究所は下記のようにFinTechが提供するサービス例を挙げています。

こちら →fig01
(https://www.keieiken.co.jp/pub/articles/2016/kinjor04/index.htmlより。図をクリックすると拡大します)

 これは2015年のデータですが、今後、利用者のニーズに応じてさまざまなサービスが開発されていくことでしょう。そこに新たなビジネスチャンスが生まれるでしょうし、さまざまなアイデアの中からはやがて、超高齢社会の課題解決につながるようなサービスも生み出されるかもしれません。今後が期待されます。

■拡大が予測されるFinTech市場
 さまざまなFinTechサービスの例を見てきました。もちろん、それらが日常のものになるには相当時間がかかるでしょう。容易に普及するわけではないこともわかります。Fin Techサービスを取り入れ、最大限の効果をあげていくには、金融機関の意識改革はもちろんのこと、利用者の意識改革、さらには、政府の意識改革が必要になるでしょう。

 そこで、試みに、関連省庁である金融庁のHPを見てみました。すると、2015年12月14日にようやく、FinTechに対する取り組み指針が出されたようです。

こちら →http://www.fsa.go.jp/news/27/sonota/20151214-2/01.pdf

 このような状況をみると、伊藤氏が日本の金融業の労働生産性は低く、FinTechの取り組みも立ち遅れていると指摘された理由がよくわかります。ちなみに、矢野経済研究所は2015年7月から2016年1月にかけて「国内FinTech市場に関する調査」を実施し、2016年3月10日に調査結果を報告しています。民間の研究所はしっかりとFinTech市場に目配りした動きを見せているのです。

 たとえば、FinTechの市場規模については下図のように、見込み値と予測値の推移をグラフ化しています。

こちら →7813_01
(http://www.yano.co.jp/press/pdf/1505.pdfより。クリックすると図が拡大します)

 興味深いことに、上のグラフを見ると、右肩上がりで市場規模が急速に拡大していくことが示されています。最近、滅多に見ることのないほどの大幅な伸びが予測されているのです。これを見ると、FinTech市場が期待できる成長分野だということがわかります。

 まず、2015年の国内FinTechの市場規模を見ると、33億9400万円と見込まれています。矢野経済研究所はこれについて、クラウド型会計ソフトとソーシャルレンディングが市場をけん引したからだと分析しています。そして今後、2020年の東京オリンピック開催に向けて不動産市場が活性化すれば、ソーシャルレンディングにはさらに伸びることが期待できると予測しています。

 このようなFinTech市場の発展の背後には、領域を超えたベンチャー企業同士の連携、ベンチャー企業への投資の拡大、行政施策の整備などが介在していることが示唆されています。つまり、社会的ニーズの高い事業の場合、ある程度普及すれば、その後は行政支援等も含めた好循環の環境が生み出され、飛躍的に広がっていきます。おそらくFinTech市場もそのような展開になると予測されたのでしょう。その結果、2020年には567億8700万円規模に拡大すると試算されています。場合によってはさらなる発展の可能性も考えられます。

■FinTechは超高齢社会の救世主になりうるか?
 伊藤氏はスピーチの終りに近づくと、確認するかのように、日本経済の長所として、「高度な技術力」と「質の高いインフラ」を挙げる一方、短所として、「人口減少」による労働力人口の減少と国内市場の縮小、投資意欲の減退、「金融業の生産性の停滞」による稼ぐ力の脆さ、「財政破綻リスク」だと要約しました。

 このような伊藤氏のスピーチを聞いていると、日本の取るべき道は、FinTechを迅速に取り込むしかないという気がしてきます。たしかに、そうすれば、労働生産性は上がりますから、超高齢社会でもGDPの減少を阻むことができるでしょう。さらに、FinTechを適切に活用すれば、金融、税制面での透明化が進み、より合理的で公正な金融取引、税の徴収が可能になるかもしれません。そうなれば、危惧される日本の財政破綻リスクも回避できるでしょう。

 一方、伊藤氏は、世界経済も日本と同様、低成長、低金利が続くことによって、資産の運用難を引き起こし、停滞しているとしたうえで、今後、さまざまなイノベーションを生み出し、安全に稼ぐ力につなげていく必要があると指摘しました。

 たしかに、OECD最新号のEconomic Outlookに掲載されたグラフを見ると、世界の中でもっとも深刻なのは日本です。日本の成長率は2016年が0.7%、2017年が0.4%、OECD加盟34か国全体は、2016年が1.8%、2017年が2.1%ですから、世界全体も低成長ですが、
日本がいかに低成長にあえいでいるかがわかります。

こちら →eo-chart-2016
(http://www.oecd.org/tokyo/newsroom/global-economyより。図をクリックすると拡大します)

 このような現状を踏まえ、OECDのチーフエコノミスト、キャサリン・マン氏は「生産性と潜在的成長率を高めるために行動を起こさなければ、若い世代と高齢者双方の暮らしが悪くなる。世界経済がこの低成長の罠に陥った状態が長くなればなるほど、各国政府が基本的な公約を達成することは難しくなる。何の政策も講じなければ、すでに経済危機で不利益を被った現在の若者のキャリア見通しは悪化し、将来年金受給者となったときの所得がさらに低くなる」と述べています。
(http://www.oecd.org/tokyo/newsroom/global-economyより)

 日本をはじめ低迷する経済にあえぐ国はやがて、FinTechを導入して既存事業の生産性をあげる一方、イノベーションによって新たな事業を開拓する必要に迫られるでしょう。

 幸い、日本には長所として挙げられた高い技術力とインフラがあります。しかも、短所として挙げられた課題は、FinTech移行への動機づけとして活用することができます。つまり、労働人口が減少し、生産性が低いからこそ、FinTechの活用で生産性を高めて労働力不足を補う必要があるという意識を涵養する契機にできるのです。逆説的ですが、超高齢社会という弱点をこのようにして、プラスに転化できる可能性もあります。

 究極の選択の結果、日本がFinTech活用を極め、そのノウハウを蓄積することができれば、ひょっとしたら、高齢化に伴う社会経済的課題は難なく解決できるようになっているかもしれません。とすれば、今度は日本が、そのノウハウを持って、低迷する世界経済を牽引できるようになることも期待できます。

 興味半分でこのカンファレンスに参加してみたのですが、ICTに基づくさまざまなイノベーションの可能性が感じられました。そのせいか、ホテルニューオータニを出るころには少し、気持ちが軽やかになっていました。(2016/10/10 香取淳子)