ヒト、メディア、社会を考える

ICT

次世代医療イノベーション@Hitachi Social Innovation Forum 2018に参加し、考えてみた。

■次世代医療イノベーション
 2018年10月18日と19日、東京国際フォーラムで「Hitachi Social Innovation Forum 2018」が開催されました。さまざまな社会イノベーションにちなんだ特別講演、特別対談、ビジネスセッション、セミナーなどが開催される一方、展示会場では日立が推進する7ジャンルのイノベーションが紹介されていました。

 たとえば、「デジタルとデータが牽引するヘルスケア・イノベーション」の展示コーナーでは、参加者が群がるようにしてスタッフからの説明を聞いていました。

こちら →
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 展示コーナーを見てから、会場ホールに向かいましたが、途中、階下で参加者たちが展示コーナーを歩き回っているのが見えました。展示会場では興味深い社会イノベーションがいくつも紹介されており、それだけで未来社会の一端を窺い知ることができるような気になります。

こちら →
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 私は、19日の午後(13:30 ~15:00)開催されるビジネスセッション「データが拓く次世代医療イノベーション」を聞きたくて、このフォーラムに参加しました。

 というのも私は日頃、iPhoneを身につけていますが、それだけで、歩数、距離数、登った階段数、睡眠時間などがわかります。歩数計を持ち歩かず、自分でなんらかの作業をすることもなく、ただ身につけているだけで、それだけのことがわかるのです。ですから、ヘルスのアプリを見て、歩数が少ないときはもっと歩こうという気になります。数字の力は大きく、いつの間にか、一定量の歩数になるまで歩く習慣ができてしまいました。運動が苦手の私にとってはiPhoneが一種の健康管理の役割を果たしてくれているといってもいいでしょう。このような経験がありましたから、このビジネスセッションの「データが拓く次世代イノベーション」というタイトルに引かれたのです。

 このセッションの登壇者は、(株)インテグリティ・ヘルスケア代表取締役・医療法人団鉄祐会理事長の武藤真祐氏、順天堂大学医学部放射線診断教室準教授の隈丸加奈子氏、日立製作所ヘルスケアビジネスユニットCEOの渡部眞也氏、そして、モデレーターは日経BP総研メディカルラボ所長の藤井省吾氏でした。

こちら →
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 知らないことも多かったので、調べながら、ご紹介していくことにしましょう。

 モデレーターの藤井氏は、2018年は医療が大きく変化する年になるだろうと指摘します。というのも、診療報酬が改訂されたり、「次世代医療基盤法」が施行されたりしたからでした。まず、2018年4月1日に診療報酬が改訂され、オンライン診療報酬が新設されました。

こちら →
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000201789.pdf

 そして、2018年5月11日には「次世代医療基盤法」が施行され、取り扱い業者を規定した上で、匿名化した情報を医療ビッグデータとして扱えるようになりました。

こちら →
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/jisedai_kiban/pdf/h3005_sankou.pdf

 医療でのICT利活用に関する制度が立て続けに整備されたのです。もちろん、施行後の状況を見てガイドラインは毎年改訂されるようですが、この状況を見ると、確かに、2018年は医療変革のエポックメーキングの年になるといっていいのかもしれません。

 それでは、このような現状について、登壇者たちはどのように捉えているのでしょうか。

■ICTとの関わり
 早期にオンライン診療を手掛け、現在、オンライン診療プラットフォーム事業者インテグリティ・ヘルスケア会長でもある武藤氏は、これからの医療システムは、①患者の行動変容を主眼とした治療、②日常生活への早期介入、重症化予防、③患者が参画する医療、といった具合に変化していくといいます。

武藤真祐氏
 武藤氏は、疾病構造の変化に伴い、今後は、患者個人にフォーカスした医療が必要になってくるという立場です。ICTを活用すれば、問診、モニタリング、食事の記録、一元化されたビュー、予約・ビデオチャット、お知らせ機能を介した患者とのコミュニケーション、等々を通して個別対応が可能になり、より的確な疾病管理ができるようになるといいます。つまり、「かかりつけ医」の機能をICTで強化するわけですが、これを1年前に福岡市で実証を開始した結果、実際に治療につなげることができ、予防と治療をつなげる効果も得られたそうです。

隈丸加奈子氏
 隈丸氏は、日本は諸外国に比べ、画像検査は進んでいるが、まだ問題点は数多くあるといいます。たとえば、人口当りの検査機関の多さは世界一なのに、放射線科医は少ないのが現状で、最低でもこの2.09倍は必要なのだそうです。さらに、日本では検査はポジティブに捉えられやすく、ネガティブな側面は見逃されがちになっている。そのせいか、無駄な検査や過剰な検査が多く、身体に悪影響を及ぼしかねない上に、医療費増加の原因になっていると指摘します。

 その解決策として隈丸氏は、画像検査の領域ではAIが進んでいるので、National data baseを構築し、医療者の患者情報へのアクセスを強化することができれば、検査の重複を避け適切で有効な検査ができるようになると提案します。これを推進するには、有効な検査を行った医療者には高い報酬を支払うようにする必要があるといい、AIを介した深い診断には期待がもてると述べます。

渡部眞也氏
 渡部氏は、これからは健康寿命延伸が大きな課題になるとし、データが医療イノベーションを牽引するようになるといいます。たとえば、がんゲノムの場合、がんセンターを中心にデータを収集し、それらのがんゲノムデータを利活用すれば、個別化医療も可能になると指摘します。また、シーケンスコストの下落がゲノム解析をしやすくしたといい、いずれの場合もデータが大きな役割を果たしていることを指摘します。データは医療の安全性向上、診断や検査法の開発、治療薬の開発などさまざまな領域で貢献するようになりますが、使用に際しては、個人情報をどのように匿名化するかが重要だと指摘します。これについてはOpt-in、Opt-outを基準に取り組むようになるだろうといいます。

 さらに、AIロボットは現在、脳ドックにおいてベテラン医師と同等の結果を出しているとし、いかに質のいいデータでdeep-learningにつなげていくかが大切だといいます。ところが、メーカーは学会のデータを使うことはできないので質のデータの利用ができない、データはもっとオープンにし、利活用しやすいようにしてもらいたいといいます。そして、人口500万人のデンマークでは個人データが紐づけされて収集されており、その利活用を通して成果を上げているが、人口1億2000万人の日本でどのように実装していくかが課題だと指摘します。

■課題は何か
 オンライン診療を手掛けてきた武藤氏は、今年新設されたオンライン診療の保険点数が対面診療よりも低く、しかも制約が課せられているので、なかなか導入が進まないといいます。現場でどう使えばわからない、あるいは、誤診への懸念などから厳しい制約が課せられたのだと思われるが、ガイドラインは毎年改訂されるし、ニーズはあるので、オンライン診療は今後、広がっていくと展望します。そして、社会的ニーズの高いオンライン診療を今後、推進していくには、リアルな医療とサイバー医療とのマッチングについて社会実験をし、適切で有効な組み合わせを考えていくのが、今後の課題だといいます。

 渡部氏は、リアルな医療データは利活用によって新しい資源になるが、現実にはいろんな課題があるといいます。まず、データ収集における課題、現段階では匿名で対処しようとしているがまだ議論が必要だといいます。一方、医療現場ではデータが共有されていないことが多く、今後はデータを利活用することのメリットを提示し、現場とメーカーとの距離を縮めていく必要があるといいます。

 隈丸氏は、データ共有化の問題にはシステムの問題、ヒトとヒトとの問題があるとした上で、ビッグデータ前のデータ化の課題については、システムの改善によって解決できるのではないかと指摘します。

■医療イノベーションは健康寿命の延伸に寄与できるのか
 武藤氏は、オンライン診療は予防から治療まで対応できるとし、とくに、ビッグデータを分析すると一定の確率で疾病がどのように発症するかということを確認することができるので、患者に対して説得力のある治療方法を提示できるし、個別にアドバイスできるので適切な予防や治療ができるといいます。

 隈丸氏は、AIによる画像診断には、①検査の診断精度の向上に寄与、②画像診断をベースとした早期診断が可能、③現在は特化型AIだが、多機能型AIを開発できれば、さらに有効な診断が可能、等々のメリットがあることを指摘し、AIが果たす役割に期待できるといいます。

 渡部氏は今後、健康増進、予防、治療などに総合的に対応していく必要があるとし、地域包括ケアの重要性を指摘します。その基盤になるのが情報の共有なので、家庭でも健康づくりができるといいます。たとえば、バイタルセンサーを通して生活の中から情報が得られる仕組み、それをセンターに送信して処置がフィードバックされれば、住居が健康をつくるツールとして考えることもできます。各所から収集されたビッグデータにはヘルスキュレーターを置いて、新しい発見があれば、その都度、公開していくのが望ましく、医療ビッグデータは国民の共通財産として取り組む必要があるといいます。

 最後に、登壇者3人から医療イノベーションについてのコメントが述べられました。

 武藤氏は「既存の医学が病院の外に開放されつつあり、患者の望むケアが可能になる時代になりつつある」とし、隈丸氏は「適切な検査利用のためのデータ利活用を推進し、企業やさまざまなプレイヤーとデータを共有し、よりよい出口戦略をめざす」とし、渡部氏は「データにはステークホルダーが多いが、議論しながら実装していくこと、現場の課題を踏まえスタートすることが必要」と述べられました。

 登壇者はそれぞれ最先端で、オンライン診療、AIを活用した検査、ビッグデータを活用した包括ケアに取り組んでおられました。それだけに指摘されたポイントはなるほどと合点がいくものばかりでした。

■社会ニーズと行政
 総務省は「Society5.0に向けた戦略分野」として「健康寿命の延伸」をトップに掲げ、以下のような医療ICT政策を起案しています。

こちら →http://www.soumu.go.jp/main_content/000518773.pdf

 今回のセッションは、「技術革新を活用し、健康管理と病気・介護予防、自立支援に軸足を置いた 新しい健康・医療・介護システムの構築」を目指して実践する方々を登壇者に迎えて展開されました。医療機関、大学、メーカーの立場からそれぞれ、現状を踏まえた論点が提供されたのがよかったと思います。登壇者のお話をうかがいながら、「産学官民が一体となって健康維持・増進の取組」の一端が見えてきたような気がしました。

 ところが、10月20日の日経新聞で、「オンライン診療導入1%どまり」という見出しの記事を目にしました。4月に保険適用が始まったのに、半年を経た現在、オンライン診療の導入が進んでいないという内容の記事でした。医療機関全体の1%ほどしかオンライン診療の届け出を提出していないというのです。

 記事では、保険適用になったのに導入が進まない理由として、厚生労働省がオンライン診療の対象者として糖尿病などの慢性疾患に限定し、オンライン診療にすれば便利になると思われる病気の患者を対象から外したからだとしています。

 オンラインで保険診療が可能になる病気と、保険適用にはならないが、オンライン診療が有効だとされている病気は、以下の通りです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。日経新聞2018年10月20日付)

 2015年8月以来、事実上認められてきた病気のオンライン診療も、2018年4月のオンライン診療の保険適用新設に際して扱いが区別され、上記のような慢性疾患だけに限定されました。対象外となった疾患の患者はがっかりしていると記事には書かれています。それだけではありません。オンライン診療でも最初の診療は対面診療が義務付けられ、対象は原則として約30分以内に通院できる患者に限定されました。オンライン診療は対面診療の補完的な位置づけでしかないことが明らかになったのです。しかも、診療報酬は対面よりも安価です。これでは医療機関の意欲を削ぐのも当然でしょう。

 保険適用を新設し、オンライン診療に向けて制度整備をしたはずなのに、施行後半年を経て、すでに取り組んでいた医療機関でもオンライン診療を取りやめるケースが増えてきているそうです。運用ルールが細かく指定され、手軽に受診できることが利点のはずのオンライン診療がニーズのある人に利用してもらえないという矛盾が出てきているのです。

 シードプランニングによる市場予測では、今後2025年までに急速に伸びるのが保険適用のオンライン診療と自由診療のオンライン診療だと予測されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。
https://www.seedplanning.co.jp/press/2018/2018072501.htmlより)

 2025年には団塊の世代が後期高齢者になり、高齢人口が増えるとともに、医療費も増大します。

こちら →
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/dl/link1-1.pdf

 2025年といえば後わずか7年後、いまのままの医療体制で対応しきれるのでしょうか。この図を見ていると、シードプランニングが予測しているように、保険診療であれ、自由診療であれ、今後、オンラインが急増するのは当然だという気がしてきました。AIを活用した予防、治療をはじめ、医療現場のニーズに対応したさまざまなイノベーションが立ち上がってくる必要があるでしょう。

 行政はむしろ医療イノベーションを積極的に後押しする覚悟で臨む必要があるのでしょうが、今年4月、5月に行政によって制度整備された枠組みはそれとは逆に水を差すようなものでした。先ほどご紹介した日経新聞の記事によれば、オンライン診療を取り止めたケースもみられるといいます。

 私は日頃、スマホで健康管理ができるのを有難く思っています。それで、今回のセッションに参加したのですが、登壇者のお話を聞いて、産官学でさまざまな医療イノベーションが実践されていることを知り、頼もしく思いました。帰宅し、いろいろ調べた結果、人口構成の面でも技術革新の面でも現在、大きな変革期を迎えていることがわかりました。さまざまなデータを見ているうちに、高齢人口の増大がもたらす社会的デメリットは、きっと技術革新によって解消できるはずだと思うようになりました。

 高齢先進国日本がどのように高齢化のもたらす課題に対応していくか、その模索の過程で発見したさまざまな知見はそのまま世界のモデルになっていくでしょう。すでに大勢のヒトが医療イノベーションに取り組んでおられると思いますが、社会的課題の解決が今度の大きなビジネスにもなることを思えば、AIの活用、ICTの活用等による斬新なアイデアの芽を摘まないように、適切な制度整備をしていく必要があるのではないかという気がしました。(2018/10/22 香取淳子)

イノベーション・ジャパン2018:大学発のさまざまなモビリティ・イノベーション

■「イノベーション・ジャパン2018」の開催
 2018年8月30日~31日、東京ビッグサイト西1ホールで、「イノベーション・ジャパン2018」が開催されました。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が主催するフェアで、大学の研究成果を、企業、行政、大学、研究機関等に向けて披露する見本市です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 今回は、大学等から生み出された400シーズが展示されるとともに、大学が組織として取り組む58大型の研究成果の展示およびプレゼンテーションが行われました。イベントのサブタイトルは「大学見本市&ビジネスマッチング」でしたが、まさにその名の通り、会場は大学の研究成果を社会に還元するためのビジネスマッチングの場になっていました。

 しかも、研究成果は、分野別に一覧できるように展示されていましたから、会場を訪れた見学者は効率よく、関心のあるプレゼンテーションやブースを見て回ることができたと思います。JSTによると、会場には事業担当者が常駐し、企業向けの各種支援事業制度を紹介したり、相談に応じたりしているということでした。

 実際、このフェアを通し、これまで出展者の約4割が企業との共同研究の実施に結び付けたといいます。JSTが企画した大学と企業とのマッチングの場はそれなりの成果をあげているようです。

 2017年度の実績を見ると、来場の目的は、「新技術の情報収集」が76.4%、「共同研究開発の探索」が28.2%、「新製品の情報収集」が23.6%でした。

こちら →https://www.ij2018.jp/about.html

 未来社会を牽引する技術は一体どのようなものなのか、気になっていましたから、私も、「新技術の情報収集」を目的に会場を訪れました。会場を一巡すれば、「未来の産業創造」を企図した研究が果たしてどのようなものなのか、わかってくるかもしれません。

 会場では、58の大学が組織として取り組む大型研究のプレゼンテーションが行われる一方、その具体的な内容の紹介が58のブースで行われていました。さらに、国内の157の大学が行った400件に上る研究成果が、11分野に分けて展示されていました。会場をざっと回ってみて、私が関心を抱いたのはモビリティ・イノベーション領域の研究でした。

 ここではモビリティ・イノベーションに関する研究を3件、見学した順にご紹介していくことにしましょう。

・モビリティ イノベーションの社会応用(筑波大学、高原勇教授)
https://www.sanrenhonbu.tsukuba.ac.jp/innovationjapan2018/

・高齢者・障碍者向けパーソナルモビリティの開発(香川大学、井藤隆志教授)
https://www.ij2018.jp/exhibitor/jss20180458.html

・路面電車網から構築するICT統合型インフラSTING(長崎県立大学、森田均教授)
https://www.ij2018.jp/exhibitor/jss20180100.html

■モビリティ・イノベーションの社会応用(筑波大学、)
 8月30日10時30分から、プレゼンテーションコーナーで開始された筑波大学の研究発表を聞きました。プレゼンテーションを担当されたのは、未来社会工学開発研究センター長の高原勇氏でした。

 私はまったく知らなかったのですが、筑波大学とトヨタ自動車株式会社が大学内に「未来社会工学開発研究センター」を設立したことが2017年4月6日、発表されていました。

こちら →https://newsroom.toyota.co.jp/jp/detail/16307271

 そのセンター長が 髙原勇氏で、筑波大学の特命教授であり、トヨタ自動車未来開拓室担当部長でもあります。

こちら →
https://www.sanrenhonbu.tsukuba.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2017/11/e988e797803ff8ade91f2490d690a0ed.pdf

 未来社会工学開発研究センターのミッションは、「地域社会の社会基盤づくりに向け、次世代自動車交通技術サービスを構築する」ことだと書かれています。

 概念図を見ると、地方自治体の協力を得て実証研究を行い、国や他研究所の支援を受けて研究事業を行い、トヨタなどの企業群からは技術、資金、人材を得て、長期的、協調領域の研究を行うというものです。研究対象は、サービスとしてのモビリティ(Mobility as a Service=MaaS)ですから、今回の研究「モビリティ・イノベーションの社会応用」は、そのミッションの一環として行われたことがわかります。

 プレゼンテーションの中でもっとも興味深かったのが、ビデオで紹介されたIoT車両情報の持つ多大な機能と効用です。走行中の自動車からは車内外のさまざまなデータが得られます。それらがインターネットに繋がれば、それ以外の情報と関連付けることができ、それに基づいて分析すれば、さまざまな判断を行うことができます。

 ビデオでは一台の走行車の機能を見ただけですが、これが複数台となると、より精度の高い道路情報、気候情報など、さまざまな周辺情報を把握することができます。それらのデータを分析してフィードバックできるようになれば、道路の渋滞を解消し、事故をゼロにすることもできるでしょうし、より安全で快適な運転が可能になるでしょう。

 さらに、高原氏は、このようなモビリティ・イノベーションを社会に応用していけば、道路の渋滞や交通事故の発生といった社会問題を解決できるばかりか、効率のいいヒトの移動、モノの移動が可能になるといいます。

 IoT車両情報によって、ヒトやモノの移動がより適切に、より短縮して行えるようになれば、経済的なロスを省くことができるばかりか、やがてはe-commerceも可能になるといいます。そして、トヨタが提言している「e-Palette Concept」について説明してくれました。

 「e-Palette Concept」とは、トヨタが開発した次世代電気自動車です。移動、物流、物販など多目的に活用できるモビリティサービス専用車として製作されたといいます。高原氏は、これを使えば地域サービスをモバイルで提供することができ、オンデマンドを超えるサービスの提供も可能だといいます。普及すれば、移動型フリーマーケットも可能になりますから、店舗販売とe-commerceとの境界が曖昧になるだろうともいいます。

 聞いていて、私はとても興味深く思いました。未来のモビリティの一端を覘いたような気がしたのですが、なにぶんプレゼンテーションの時間が短く、会場では十分に理解することができませんでした。そこで、帰宅してから調べてみると、「e-Palette Concept」の基本性能を紹介する映像を見つけることができました。2分ほどの映像をご紹介しましょう。

こちら →https://youtu.be/ymI0aMCo11k

 ここではライド・シェアリングとロジスティックの例が紹介されています。

 まず、ライド・シェアリングの例を見ると、「e-Palette Concept」が低床なので、杖をついた高齢者が難なく乗車している様子、そして、車椅子に乗った障碍者がスムーズに車内に入っていく様子などがわかります。また、停留所に着けば、大きな荷物は勝手に下車し、目的地に向かい、停留所からは待っていた荷物が勝手に車内に乗り込んでいきます。さらに、少年が停留所まで乗ってきたスケーターのようなものは、役目を終えると勝手に戻っていきます。車が自動走行しているのです。

 いずれのシーンも、「e-Palette Concept」が普及すれば、老若男女を問わず、障碍者であるか健常者であるかを問わず、ヒトやモノがなんの支障もなく、移動できることがよくわかります。しかも、このサービスは24時間オンデマンドで提供されるのです。一連の映像を見ていると、効率よく、コストパフォーマンスよく、人々がモビリティ生活を楽しめるようになることが示されています。

 次に、ロジスティックの例を見ると、配送センターでは、積載量に合わせたサイズの車種が選択され、荷物を積み込んだ「e-Palette Concept」が自動的に目的地に向かっている様子が示されています。渋滞を避けて道路を選び、到着時間が予測できた段階で目的地に到着時刻を連絡しますから、受け渡しがスムーズです。停留所で荷物を受け取る場合は顔認証で、自動的に受け取り手を確認します。無駄が省かれ、最小の労力で最大の効果が得られるようになっています。

 この映像を見ていると、まるで「e-Palette Concept」が的確な判断力を持ったヒトのように見えてきますが、実際は、現場で刻々と収集したデータを、グローバル通信プラットフォームを介して分析し、それぞれの用途に応じて自動的に判断が下された結果にすぎないのです。

 「e-Palette Concept」の仕組みは以下のように説明されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。TOYOTA Global Newsroomより)

 車両に搭載されたDCM(Data Communication Module)が種々の情報を収集し、グローバル通信プラットフォームを介して、データセンターに蓄積されます。それらのデータは関連情報と絡めて分析され、サービスの目的に応じて判断が下されます。それが端末にフィードバックされて職務が遂行されるという仕組みです。この仕組みを使えば、高原氏がいうように、やがては「e-Palette Concept」を使ったe-commerceも実現するようになるでしょう。

 「モビリティ・イノベーションの社会応用」は、最先端の技術を社会に還元するための大型研究プロジェクトでした。産学連携で社会的課題を解決するためのプロジェクトだともいえるでしょう。ブース(小間番号U-07)には大勢のヒトが立ち寄り、研究スタッフから具体的な説明を受けていました。

こちら →
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■高齢者・障碍者向けパーソナルモビリティの開発(香川大学)
 次に立ち寄ったのが、「高齢者・障碍者向けパーソナルモビリティの開発」の展示ブースです。「超スマート社会」の展示コーナーを歩いていると、奇妙な形の車が目に止まりました。街中で時折、高齢者が乗っているのを見かける電動車椅子とは一風異なっています。どんな目的で使うのか、気になったので、このブース(小間番号S-11)に立ち寄ってみました。

こちら →
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 香川大学創造工学部造形・メディアデザインコース教授の井藤隆志氏が、株式会社キュリオと共同で開発した電動車椅子でした。すでに実用化されていて、SCOO(スクー)という商品名が付いています。歩行な困難な高齢者や障碍者が気軽に利用できる電動車椅子として開発されたものだといいます。

ハンドル部分の白、台座部分の白以外はすべて黒で色構成されており、どことなくオシャレな感じがしました。実際に触ってみると、角面がすべて滑らかで感触がよく、見た目がいいだけではなく、使い心地もよさそうでした。井藤氏はこの製品の開発に際し、プロダクトデザインを担当したということでした。

こちら →

 SCOOの特徴の一つは前部分がないことで、これには乗り降りしやすいメリットがあると井藤氏はいいます。ただ、街中で見かける電動車椅子とは形状が大きく異なっていたので、私はふと、高齢者や障碍者が安心して乗れるだろうかと思いました。前面を安定させるハンドル部分がないので不安定ではないかと思ったのです。

 尋ねてみると、操作するのにある程度、練習は必要だが、決して不安定ではないと井藤氏はいいます。

 帰宅してから調べてみると、SCOOを運転する様子を説明した映像を見つけることができました。1分47秒の映像です。

こちら →https://youtu.be/z5QFCuXvGCo
 
 この映像を見ると、女性は確かに不安げもなく乗りこなしています。前部分がないだけに乗り降りも楽そうです。ただ、右の小さなグリップに操作部分が搭載されているだけで、よく見かける電動車椅子のような前を覆うハンドル部分がないので、両手を使えません。4輪車だから安定感があるとはいえ、不安定ではないかという思いが消えませんでした。

 もっとも、慣れてしまえば、何の問題もないのかもしれません。井藤隆志氏によると、左ハンドルの製品もあれば、これまで通りの前面ハンドルの製品もあるということでした。利用者の状況によって選択できるよう、ハンドル部分の仕様が異なる製品が用意されていました。

 実際、乗り降りしやすいというSCOOの特性が好まれ、宮崎県では90歳の方が利用されているようです。ただ、段差の大きな道路などでは操作しづらく、安定性に欠ける可能性もあるそうですが、バリアフリー環境の中で使用するなら安心だということでした。病院や美術館などで利用されているそうです。

 さて、SCOOのもう一つの特徴は、折り畳みができることです。折り畳みができますから、車などに乗せて運び、長距離を移動できるメリットがあります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 短距離部分はSCOOを自分で操縦し、長距離部分はSCOOを折り畳んで、電車やバス、車、場合によっては飛行機に持ち込み、さまざまな場所に移動することができます。こうしてみると、高齢者や障碍者の移動範囲がさらに広がるのは確かですが、果たして、高齢者や障碍者がこれを自分で持ち運びできるのでしょうか。

 尋ねてみると、重さは28㎏だといいます。この重さでは高齢者や障碍者が自分で折り畳み、持ち運ぶことはできないでしょう。やはり、家族か介助者がサポートする必要があるようです。

 SCOOは従来の電動車椅子とは異なるデザインの製品でした。これまでの電動車椅子よりもはるかに目立ちます。高齢者や障碍者がちょっとオシャレな気分で、気軽に移動するには恰好の製品といえるのかもしれません。

 おそらく、高齢者人口が増え、電動車椅子の需要が高まっているのでしょう。需要が高まると、利用者はより多くの機能を求めるだけではなく、デザインにも目を向けるようになります。デザインの斬新さといい、折り畳み式の仕様といい、この製品の二つの特徴からは、電動車椅子への需要が新しい段階に入りつつあることが示唆されているように思えました。

■路面電車網から構築するICT統合型インフラSTING(長崎県立大学)
 「超スマート社会」コーナーのブース(小間番号S-13)で展示されていたのが、「路面電車網から構築するICT統合型インフラSTING」でした。長崎県立大学国際社会学部の森田均教授が、長崎電気軌道株式会社、協和機電工業株式会社の協力を得て行った研究です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 森田氏は、この研究は、<低床車両運行情報提供サービス「ドコネ」>を踏まえ、構想したといいます。「ドコネ」とは、低床車両の運行情報を提供することによって、利用者が低床車を利用しやすくなるように開発されたナビゲーションシステムを指します。

 高齢者や障碍者が乗りやすくなるよう、長崎軌道株式会社は2004年3月、3車体連結構造の超低床路面電車を導入しました。2003年に製造された3000形3001です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。Wikipediaより)

 導入以来、低床車は安定して運行され、高齢者や障碍者の利用も次第に増えてきていったといいます。高齢者や障碍者にとって低床車の運行はとても有難いサービスでした。ところが、いつ来るのか、わからなければ、せっかくのサービスも快適に利用することができません。そこで、開発されたナビゲーションシステムが、「ドコネ」です。

こちら →http://www.otter.jp/naga-den/top.html

 「ドコネ」は、利用者の携帯電話やスマートフォン等で、電停周辺のバリア情報や全ての低床車の運行状況をリアルタイムに把握できるサービスです。携帯電話やスマホを見れば、運行状況を把握することができるのですから、高齢者や障碍者が待ち望んだサービスでした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。)

 上の図を見れば、利用者は、低床車がいま、どこを走行しているのかがわかります。青、赤、緑で表示されている車両マークが、長崎市内を走行する3系統の路面電車です。10:58時点で走行しているのが、緑系2両、青系1両、赤系2両(蛍茶屋付近の車両はこの地図では見えませんが)です。

 低床車両の位置情報は10秒間隔で更新されているそうですから、利用者は、いつ来るかわからない電車の到着を待つ苛立ちから解放されます。森田氏は、「ドコネ」は低床車利用者の利便性をおおいに高めただけではなく、熊本大震災の際には、支援活動にも役立ったといいます。

 熊本大震災の後、長崎軌道は期間限定で、くまもんのステッカーを貼った車両を走らせ、募金箱を置いて支援金を募ったそうです。「がんばれ!!熊本号」の車両がいまどこを走っているか、ドコネをチェックすればすぐにわかりますから、大勢の長崎人が支援金を寄せることができたといいます。

 ヒトを運ぶ路面電車が実は、情報を運ぶ通信ネットワークとしても使えることに着目して開発したのが、上記のナビゲーションシステムでした。それはバリアフリー情報の表示、観光情報の表示、さらには期間限定で、「熊本号」の位置情報の表示などにも応用されました。高齢者や障碍者ばかりでなく、市民や旅行者、そして、地域社会に大きく貢献したのです。

 今後は、それらの実績を踏まえ、斜面地の多い長崎でさらに市民の移動を容易にするため、路面電車の電停を乗り合いタクシーの結節点にする試みを展開すると森田氏はいいます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 上の図で、赤字で書かれた部分が交通ネットワークとしての路面電車の利用(Transport)、青字で書かれた部分が情報ネットワークとしての路面電車の利用(Information Network)、そして、黒字で書かれた部分がエネルギーネットワークとしての路面電車の利用(Grid)です。

 森田氏は今後、路面電車を基盤に、上記の内容を統合した、「STING: integrated Service of Transport, Information Network & Grid」構想を展開していきたいといいます。

 興味深いのは、「ドコネ」以来の構想に、エネルギーネットワークとしての路面電車の利用が加わったことです。これまでは、ヒトの移動手段である路面電車に、通信ネットワークとの連携で利用者の利便性を図ってきましたが、今後は、エネルギーネットワークとしての路面電車の側面に着目し、災害時等の電力供給に役立てようというのです。当初は給電機能を中心に整備を進め、順次、発電・蓄電機能を備えた電力ネットワークを構築していくと森田氏はいいます。

 ところで、長崎軌道の軌間は1435mmです。新幹線と同じ標準規格ですから、長崎新幹線がフル規格で運行されるようになれば、時刻表の空き時間に路面電車を走らせることもできるようになるのではないかと森田氏は大きな夢を語ります。

■社会的課題の解決に向けたモビリティ・イノベーション
 「イノベーション・ジャパン2018」に参加し、モビリティ・イノベーション領域を中心に研究の成果発表3件をみてきました。対象とする領域は異なっていましたが、それぞれ、社会的課題の解決に向けて、真摯に取り組まれていたのが印象的でした。

 高原勇氏の研究は、企業と大学が共同で、自動運転、電動化、シェアリング等のモビリティ・イノベーションの社会実装に向けて取り組むものでした。興味深かったのは、トヨタが発表した電気自動車「e-Palette Concept」が提供できる諸機能でした。会場では映像で紹介されたので、モビリティ・イノベーションによる具体的な将来像の一端を見ることができ、イメージが鮮明になりました。

 井藤隆志氏の研究では、折り畳める電動椅子が開発され、実用化されていました。会場で展示されていた実物を見て、デザインがとても洗練されていたのが印象的でした。従来の電動車椅子とは違って、これを使えば、高齢者・障碍者がちょっとオシャレな気持ちで移動できるようになるのではないかと思いました。利用者の気持ちに沿った研究であることに意義を感じました。

 森田均氏の研究では、路面電車の特性を活かして、研究を構想されているところに独創性を感じました。交通ネットワークとしての利用にとどまっていた路面電車に、通信ネットワークの機能を融合してナビゲーションシステムを構築し、今後は、エネルギーネットワークとしての機能を利用し、災害時等の給電に活用していこうというのです。意表を突いた着想がとても興味深く思えました。

 そういえば、ナビゲーションシステムを構築する際、長崎電気軌道の全車両、上下線全停留所に設置されたBLEビーコン(Bluetoothを使った情報収集・発信装置)は市販のものでした。森田氏の研究を見て改めて、研究には、固定観念を持たず、自由にはばたける想像力がなによりも欠かせないことを思い知らされました。

■Society5.0とイノベーション
 今回、「イノベーション・ジャパン2018」に参加し、さまざまなブースでイノベーションの現状を聞きました。もっとも興味深かったのは、「中国のイノベーションがすごい。日本は追いつく立場になっている」という見解でした。中国では、欧米に留学し、最先端技術や知識、研究態度を身につけた若手研究者が次々と帰国し、切磋琢磨しながら研究レベルをあげ、イノベーションを生み出しているというのです。

 それを聞いて、ふと、『Wedge』(2018年2月号)の特集を思い出しました。ずいぶん前の雑誌ですが、「中国「創造大国」への野望」というスペシャル・レポートが気になって、手元に置いていたのです。

 読み返してみて、気になったのは、清華大学には「x-lab(Tsinghua x-lab=清華x-空間)」という、教育機能とインキュベーション機能を併せ持つプラットフォームがあるという箇所でした。調べてみると、確かに清華大学ではx-lab が2013年に設立されており、今年5周年を迎えていました。

こちら →http://www.x-lab.tsinghua.edu.cn/about.html#xlabjj

 これを見ると、日本の研究者から「中国のイノベーションはすごい」といわれるだけあって、研究開発のための環境がすでに5年も前から整備されていたことがわかります。

 李克強首相は、2014年に「大衆創業、万衆創新」(大衆による企業、万人によるイノベーション)という方針を打ち出しました。以来、中央政府や地方政府は基金を設立してベンチャーに投資し、優秀な人材がイノベーションに取り組めるようにしてきたようです。その一方で、「衆創空間」(Social Innovation Platform)の開設を奨励してきました。その結果、2016年度報告によると、全国に3155ものイノベーション・プラットフォームがあり、あらゆるイノベーション領域で激闘が繰り広げられているといいます。

 こうしてみてくると、筑波大学が産学連携プラットフォームを創設した理由がよくわかります。いまや、大学、企業、研究機関が連携して取り組まなければ、充実した資金、人材、技術、情報などが得られず、大型の研究プロジェクトを進めることができなくなっているのでしょう。

 産学連携の流れは以下のようになっています。

こちら →https://sme-univ-coop.jp/flow

 平成27年に4件のプロジェクトでスタートした大型研究が、平成30年度は20件にまで増えているといいます。さきほどご紹介した未来工学開発研究センター・高原勇氏の「モビリティ・イノベーションの社会応用」もその一つです。大型研究の場合、国内外を問わず、分野横断的に、幅広く英知を結集して取り組まなければ成果を得られない状況になっていることが示唆されています。

 一方、井藤隆志氏の研究では、既存のデバイスにデザインを工夫することによって、新たな使用法を可能にしていましたし、森田均氏の研究では、既存の交通ネットワークに情報ネットワークを融合してナビゲーションシステムを構築していました。両者とも既存のデバイスやシステムに新たな価値を加え、イノベーションを創出していたのです。

 Society5.0といわれるAI時代の到来を迎えたいま、研究開発も新たな状況を迎えているのかもしれません。大型研究に対しては産学官の連携で取り組まなければならないでしょうし、少人数で対応できる研究の場合、アイデアがなによりも重要になってくるでしょう。今回、大学発のさまざまなイノベーションを見る機会を得て、研究規模の大小を問わず、想像力豊かな発想こそが、イノベーションの源泉になるのだという気がしました。(2018/9/3 香取淳子)

ネット文学はチャイニーズ・ドリームになりうるか?

 AI、ICTが今、社会を激変させようとしています。多くのことが予測可能になり、可視化されつつあります。いつの間にか、知ろうとしさえすれば、自分の寿命までわかってしまいかねない時代になってしまいました。果たして、ヒトは将来に夢を抱いて生きていけるものなのでしょうか。

 そんなことをぼんやり考えているとき、ふと、「第8回コンテンツ東京」で出会った、ネット文学サイトを運営している中国企業の若い責任者の顔が思い浮かびました。混雑する展示場の一角で、熱く未来を語っていた姿がとても印象的でした。

 振り返ってみましょう。

■第8回コンテンツ東京
 「第8回コンテンツ東京」が東京ビッグサイトで開催されました。期間は2018年4月4日から6日まで、コンテンツに関連する7展が同時に開催され、1540社が出展しました。

 関連する7展とは、「クリエーターEXPO」「グラフィックデザインEXPO」「先端デジタル テクノロジー展」「映像・CG制作展」「コンテンツ マーケティングEXPO」「ライセンシング ジャパン」「コンテンツ配信・管理 ソリューション展」、等々です。

 セミナーであれ、商品やサービスの展示であれ、東展示棟を巡れば、関連事業の内容や各業界の新動向がすぐにもわかる仕組みになっていました。7展が同時に開催されていたので、効率的に激変するコンテンツ業界の動きを把握することができます。

 主催者側が撮影した初日の会場風景をみると、ヒトで溢れかえっているのがわかります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 私は5日と6日の午後に訪れたせいか、これほど混んではいませんでした。アニメの最新動向を知りたくて、最初に訪れたのが映像・CG制作展でした。印象深かったのが、台湾の制作会社が創るキャラクターです。

■コンピュータを駆使した造形
 これを見て、なによりもまず、精緻な造り込みに惹き付けられました。微妙な色彩、光の処理、質感、本物かと見まがうほどの描写力であり、造形力です。しばらく見入ってしまいました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。SHINWORKより)

 素晴らしいと思いました。モチーフの企画力といい、形にしていく技術力といい、リアリティを添える色彩感覚といい、秀逸さがきわだっていたのが印象的です。

 制作したのは、台湾の制作会社「形之遊创意科技有限公司」です。

こちら →http://www.shinwork.com/

 訪れたときはわからなかったのですが、帰宅してネットを見ると、こちらはこのブースの共同出展社でした。主な出展社はXPEC Art Center INC.です。この会社もまた、魅力的なキャラクター造形をしていました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。XACより)

 背景色の諧調はまるで絵画のようにきめ細かく、深みがあり、見事としかいいようがありません。これをすべてコンピュータで作り上げているのです。上記の図の画素数は、通常の写真の何倍にも及ぶ精緻なものでした。この会社はゲーム、アニメ、CG映像などを専門分野としており、今回初めて、東京ビッグサイトに出展したようです。

こちら →http://www.xpecartcenter.com/

 これ以外にも、さまざまなテイストのキャラクターや映像が制作されていました。このような制作力の高い会社が、全世界からゲームやアニメのキャラクター造形を請け負い、CG、VFXなどの映像製作を請け負っているのです。

 果たして、日本は大丈夫なのでしょうか。ふと、そんな思いが胸をよぎりました。

 アニメ、ゲームの日本といわれながら、若手の人材不足が続いています。そのせいか、コンピュータを駆使した造形は、日本ではいまひとつです。その一方で、周辺国は技術力、構想力を高め、日本アニメに追随してきています。展示会場では、たまたま台湾の制作会社の作品の一部を見ただけですが、これでは日本の制作会社も決してうかうかしていられないなと思ってしまいました。

 さて、そのコーナーの一角で出展していたのが、中国最大のネットコンテンツ集団、阅文集团(China Literature Ltd.)でした。ふと見た、立て看板のキャッチコピーに惹かれ、思わず、足を止めました。

■阅文集团
 立て看板には、阅文集团はアニメならトップ20のうち80%、オンラインゲームなら累計ダウンロード数でトップ20の75%、そして、国内ドラマならトップ20の75%を占めると書かれていました。アニメであれ、ゲームであれ、ドラマであれ、阅文集团はどうやら、人気作品を量産している企業のようです。

 この立て看板が謳いあげているように、阅文集团が、ジャンルを問わず、中国のネット・エンターテイメントの領域を占拠しているのだとすれば、多少は、このブースの責任者から話を聞いておく必要があるかもしれません。

 実際、中国はいま、E-コマース、ネット決済などの領域で日本よりも一歩進んでいます。ネット・エンターテイメントの領域でも中国になにか新しい動きがあるかもしれません。そう思って、責任者に話を聞いてみることにしました。

 残念ながら、私の中国語はまだ込み入った会話ができるレベルではありません。責任者と話しているうちに、よほどもどかしく思ったのでしょう、通訳を介しての話し合いとなりました。

 おかげで誤解していたことがわかったこともありました。アニメゾーンで出展されていたので、私はてっきり、阅文集团をアニメ会社だと思っていたのですが、話をしているうちに、実はそうではなく、中心はネット文学のサイト運営だということがわかってきました。その派生事業として、ネット小説を原作とし、アニメやドラマなどを制作している事業者でした。

 帰宅してから調べてみると、阅文集团はたしかに中国最大の電子書籍専門サイトで、ネット文学のパイオニアと位置付けられていました。電子書店の運営と著作権マネジメントを収益の柱としており、中国のネット文学市場で過半数のシェアを占めるほどの大手です。

■ネット小説を原作に、多メディア展開
 阅文集团は、中国国内ですでにライセンスを所有しているネット小説を原作に、ドラマ化、映画化、ゲーム化、舞台化、音声小説化を手掛けています。ネット小説を軸に、コンテンツの多メディア展開を行っているのです。

 そのような事業内容を知って、ようやく、阅文集团がアニメ、ゲーム、ドラマ、映画などで、多数のヒット作品を抱えている理由がわかってきました。

 いずれも阅文集团のネット小説に基づいて制作されたコンテンツだったのです。小説の段階で評価の高いものを、アニメ、ゲーム、ドラマなどの原案にしているのですから、ヒットするのも当然なのかもしれません。

 たとえば、「全职高手」というアニメ作品があります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。http://www.sohu.com/より)

 阅文集团のパンフレットによれば、この作品は、WEBアニメでのリリース後、たった24時間で再生回数が1億回を突破し、総再生回数は10億以上を記録したそうです。Eスポーツのプロゲーマーである葉修が、さまざまな挫折を経験した後、Eスポーツの頂点を極めていくという物語です。

 絵柄やストーリー展開などにやや日本アニメの影響が感じられますが、舞台をEスポーツにしたところ、ITの躍進著しい中国のオリジナリティが感じられます。

 原作は蝴蝶藍のネット小説で、2011年2月28日に連載を開始し、2014年9月30日に完結した作品でした。中国のウィキペディア(维基百科)によると、連載中から好評で、10点満点でなんと9.4点の高評価が付いていたそうです。

 さらに、大ヒットした作品に、WEBアニメの「头破蒼穹」があります。こちらは再生回数13億回を達成し、中国国内の3Dアニメで最高記録を更新したそうです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。http://yule.52pk.com/より)

 このアニメも原作は、天蚕土豆という作者が手掛けたネット小説です。百度百科を見ると、この作者は1989年生まれですから、まだ29歳です。作者が若ければ、読者も若いですから、ネット上で作品についてのコミュニケーションを交わします。作家と読者がネット上で相互交流を重ねながら、ストーリーを楽しみ、創り上げていくというのが、中国のネット小説の醍醐味のようです。

 ネット小説は、作者と読者の垣根が限りなく低い、というのが一つの特徴です。作者がいつでも読者になり、その反対に、読者がいつでも作者になりえます。そのような可変性、あるいは、強い相互依存性がネット民に支持されて、ネット文学の隆盛を生み出しているのかもしれません。文学の新しい地平を開く現象が中国で生まれているのです。

 そのプラットフォームを提供しているのが、阅文集团でした。中国の若者の潜在欲求に応えるように、阅文集团は、誰もが、いつでも、どこでも、小説を書き、ネットにアップロードしていくことができるプラットフォームを構築しました。実にタイムリーな措置であり、未来の動向を的確に見据えた取り組みだと思いました。

 今回、「第8回コンテンツ東京」の展示場で、私ははじめて、阅文集团のことを知りました。調べれば調べるほど、ネット文学を支えるプラットフォーム構築の意義深さを思い知らされます。

 若い世代を中心に、デジタルベースで広範囲に展開されているので、今後ますます市場規模を大きくしていく可能性があります。さらに、低額で毎日更新されるシステムなのでコピーされる恐れはなく、ユーザーには有料でコンテンツを消費する習慣が根付いていくでしょう。さまざまな観点から、阅文集团はネット時代にふさわしい文化環境づくりをしていると思いました。

 もちろん、投資家たちはこの動向を見逃してはいませんでした。

■香港市場に上場
 中国のコンテンツ業界を代表する会社として、阅文集团は2017年11月8日、香港株式取引所に上場しました。公募の際には40万人以上が殺到し、倍率は626倍で、5200億香港ドル(約7兆5600億円)集まったそうです。

 これは2017年の香港市場の取引で最高額であったばかりか、史上2番目の高額でした。このことからは、阅文集团がそれだけ多くの投資家から注目されている企業だといえるでしょう。

 それでは、阅文集团の設立経緯と事業内容をみていくことにしましょう。

 阅文集团は2015年3月、テンセントグループの子会社テンセント文学と、盛大グループの傘下にあった盛大文学が統合されて、設立されました。小説や漫画の出版、アニメ、ドラマ、映画などの制作、グッズ販売を手掛けるだけではなく、中国国内の作家を育成できるプラットフォームを持つ会社です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 卢晓明氏は2017年7月4日、『36kr』上で、中国のネット作家の約90%が阅文集团のプラットフォームに登録していると書いています。同社のHP、その他の資料から詳しくみると、2016年12月時点で、阅文集团のプラットフォームはグループ合わせて530万人の作家を抱え、中国全体でネット作家の88.3%に及びます。コンテンツの中核部分を創り出せる人材を、阅文集团が豊富に抱えていることがわかります。

 こうしてみてくると、阅文集团の事業内容がネット時代にふさわしく、今後、さらに発展する可能性があると、多くの投資家から見込まれているのも当然でしょう。

 そこで、阅文集团の業務内容を調べてみました。5分程度、コンパクトに紹介されたビデオがありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →
https://www.weibo.com/tv/v/Fuk9FdCE9?fid=1034:376650955723ad29bf6f564d363a492b

 興味深いのは、アニメであれ、漫画であれ、映画であれ、原案になるのが、ネット小説だということです。ヒットしたネット小説に基づいて、さまざまなデジタルコンテンツが開発され、さまざまなチャンネルで展開されているのですが、それらの版権は当然、阅文集团が所有しています。

 日本では漫画原作のアニメ化、ドラマ化はすでにお馴染みですが、それと似たような事業展開なのでしょう。中国では漫画ではなく、小説を原作に多メディア展開しているところが面白いと思いました。小説といってもネット小説ですから、連載の過程で、繰り返し、ユーザーの目に留まっています。露出が多いという点で、ヒットにつながりやすい側面があります。

 それでは、ネット作家はどのようにして生まれるのでしょうか。

■作家を育成するプラットフォーム
 阅文集团には作家が作品を発表するためのプラットフォームがあります。そこには作家として作品を発表するための手順が具体的に示されています。

こちら →https://write.qq.com/about/help_center.html

 ネットで作品を発表したいと思えば、①阅文の「作家传区」に作家登録をした後、「作品管理」をクリックし、「创建作品」のボタンを押す。②アップロードしたいサイトを選び、作品名称、作品ジャンル、作品概要などの関連情報を記入する。そして、最後に新しく完成させた作品を提出する。③それが終わるとすぐにも、「作家传区」(作品管理)のページで、新しく書いた文章をアップロードすることができる。

 以上のような流れに沿っていけば、誰もがいつでも、どこでも、ネット上に作品を発表できるようになります。

 もちろん、作品としてふさわしくないものを制限するため、いくつかの条項も設けられています。具体的な条項は「作家自律公约」として、上記のサイトに載せられています。誰もがいつでも、どこでも、作家登録し、作品を発表できるとはいいながら、実際には、最低限のルールは課せられているのです。

 こうしてみてくると、阅文の「作家传区」はまさに、ネット時代の作家を育むための孵化器のように思えてきます。書きたいものがあるのに、それをどのようにして、世の中に発表していけばいいのかわからない新人も、この孵化器の中に入っていけば、なんとか小説の形にしていくことができるようになるのかもしれません。

 展示会場で、阅文集团のブース責任者に、原稿は一括アップロードなのかどうか尋ねたところ、このシステムでは、すべて連載形式で取り扱うといっていました。つまり、作家は、一話ずつネットにアップロードし、それを読んだ読者とやり取りをしながら、ストーリーを展開していくという仕掛けです。

 作家は、読者と相互交流を重ねながら、ストーリーを展開していきますから、場合によっては、当初考えていたストーリーが、読者の意向によって変わってしまうこともあるでしょう。あるいは逆に、読者のコメントを踏まえて、作家がアイデアを巡らせ、当初考えていたストーリーを強化し、より豊かな作品世界を生み出す場合も考えられます。

 阅文集团が構築したプラットフォームは、潜在する作家を発掘するだけではなく、どうやら、ネットを介在させた新しい文学の表現舞台ともなりつつあるようです。

■ネット文学で生活していけるのか?
 それでは、このシステムでネットデビューした作家は、果たして、作家を本職として生活していくことはできるのでしょうか。この点についても、展示会場でブース責任者に尋ねてみました。すると彼は、低額料金なので、ほとんどの登録作家はそれだけで食べていくことはできないが、最近はそれだけで十分、生活できる作家も出てきたといいます。

 ネット作家は毎日3000字原稿を書いて、ネットにアップロードするといいます。読者は読むたびに、お金を支払いますが、1回がせいぜい7円程度なので、大勢の読者を獲得しなければ、大した収入にはなりません。しかも、最初のうちは無料で提供しますから、まったく収入にはなりません。ある程度、進んでからようやく課金システムに組み込まれますが、作品が面白くなければ読者が付かず、収入がほとんどないということにもなります。

 ですから、作家は必然的に、読者の意向に耳を傾けざるをえなくなります。読者とのコミュニケーションが少なければ、読者が離れ、収入が得られなくなりますし、反対に、多くの読者の意向に沿った内容にすれば、収入が増えるというわけです。

 読者はネットで公開された小説を、最初は無料で読めますが、ある程度になると、お金を支払わないと読めないようになっています。無料で読める段階で魅力的な設定、展開にしておかないと、有料になってからの読者を獲得できません。

 面白ければ、有料になっても読者は読み続けます。その後は、読むたびに、自動的に口座から引き落とされていきますから、作家はまさに作品の力そのもので読者を引き付け、稼いでいく仕組みになっているのです。読者からのお金は阅文集团のプラットフォームに入りますが、そこから定期的に、読書回数に応じて作家の口座に振り込まれていきます。

 ネットを検索していて、興味深い記事に出会いました。

「扬子晚报」(2015年10月19日)は以下のように、2015年時点のネット作家の収入状況を報告しています。

******
少額課金で毎日小説が読める「ネット文学」の世界で億万長者が誕生し、話題になっている。しかし、そうした「売れっ子作家」は実際には数えるほど。ひとつのサイトに数百人がひしめいているネット作家の大半は、無収入だという。(中略)
ネット作家の9割は無収入だという。収入のある作家でも、1か月に1万元(当時のレートで約19万円)の印税収入のある作家は全体の3%にも満たないとされる。
小説連載の仕事もハードだ。ある程度の収入を得ようとすれば、毎日最低でも3000字を書き続けなければならないので、ほとんどの人は途中で投げ出してしまうのが現実だ。
******

 ブース責任者に尋ねても、ネット作家の収入状況はこのようなものでした。改めて、誰もが参加できる敷居の低さは、誰にも収入に道を開いてくれるわけではないことがわかります。ネット文学は、熾烈な競争をくぐり抜けて、読者を獲得する骨法を掴んだ作家だけがようやく、食べていけるだけの収入が得られる過酷な世界なのです。

■ネット文学はチャイニーズ・ドリームになりうるか?
 ただ、いったん、多数の読者が付くようになれば、その輪が拡大して大ヒットとなり、思いもかけず、大富豪になる場合もあります。

 たとえば、先ほど、ご紹介した「头破蒼穹」の作者、天蚕土豆は、2013年には印税だけで2000万元(約3億4200万円)の収入がありました。この作品は漫画化され、映画化されていますから、そのロイヤリティも入ってきます。総計、どれほど多額の収入を得たことでしょう。

 このような現実を知ると、中国の若者がネット作家になる夢を抱くようになったとしても決して不思議ではありません。

 「KINBRICKS NOW」(2013年6月7日)は、ネット文学について、「個人が自由に創作できる、中国では数少ないジャンル」とし、「無料の海賊版ではなく、有料コンテンツを消費する習慣がユーザーに根付いている数少ないジャンル」だと書いています。つまり、ネット文学は、自由に表現することができ、正当に稼げるジャンルだというのです。しかも、「中国のネット文学は検閲的縛りもない」ようです。

 そうなると、ネット文学は検閲を気にすることなく、個人が自由に創作することができ、しかも、場合によっては巨万の富を稼ぐこともできる夢のようなジャンルだということになります。中国の若者にとって、大きな夢を託すことができる場といえるでしょう。

 もちろん、読者の評価に晒され続けるという厳しさはあります。批判に晒され鍛えられ、作家として磨き抜かれてはじめて、多くの読者に支持される作家に成長していくのです。そのことを考えれば、その種の労苦は成功のための代償として、積極的に受け入れていく必要があるでしょう。

 このようにみてくると、作家と読者がネットでダイレクトにつながるこのプラットフォームはきわめて合理的で、公平性があり、隠れた才能を発掘できる素晴らしいシステムではないかという気がしてきます。「検閲がない」ということを加味すれば、それこそ、ネット作家こそがチャイニーズ・ドリームではないでしょうか。

 このプラットフォームは、中国という膨大な人口を抱える国で開発されました。いわゆる集合知が判断基準として機能するシステムとして、今後、さらに発展していく可能性があります。

 国の力ではなく、組織の力でもなく、個々のヒトの巨大な集合体が育む知の機構として、メイン文化の在り方にも大きく作用するようになるかもしれません。個々のデータの集合体であるビッグデータがさまざまな領域を可視化していくAI時代にふさわしいプラットフォームといえるでしょう。

 このプラットフォームには資格を問わず誰もが参加できますし、そこに政府の介入、検閲も入りません。しかも、努力次第で、巨万の富を稼げますし、社会的地位も得られます。現段階で、少なくとも中国では、ネット文学こそがチャイニーズ・ドリームだといえるのではないでしょうか。(2018/4/25 香取淳子)

第2回AI・人工知能EXPO: AI・人工知能時代の事業価値とは?

■第2回AI・人工知能EXPOの開催
 2018年4月4日から6日まで東京ビッグサイト東展示棟で、「第2回AI・人工知能EXPO」が開催されました。私が訪れたのは4月5日の午後でしたが、国際展示場正門駅を下車すると、人々が続々とビッグサイトに向かっているのが見えました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 展示会場に向かって進むにつれ、ますますヒトの混み具合が激しくなってきました。AI・人工知能への関心がよほど高まっているのでしょう。思い返せば、その予兆はありました。私は、「AIが変えるビジネス」というセミナーに参加したかったのですが、申し込もうとした時点ですでに満席でした。

 代わりに、「注目の海外ベンチャー企業」というタイトルのセミナーに申し込みましたが、それでも、開催日までに二度ほど「キャンセルの場合、早めにご連絡ください」というメールがきました。そういうことはこれまでに経験したことがありませんでした。なんといっても東京ビッグサイトは巨大な催事場です。キャンセル待ちが出るとは思いもしませんでした。ところが、担当者によると、このセミナーにはなんと3000名もの申し込みがあったそうです。

 もちろん、セミナーばかりではありません、展示会場もヒトで溢れかえっていました。主催者が撮影した初日の会場風景を見るだけでも、AI・人工知能に対する人々の関心の高さがわかります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)
 
 改めて周囲を見渡してみると、全国各地からさまざまな領域の人々がビッグサイトに馳せ参じていました。AIこそがこれからの社会の大きな変革要因になると多くのヒトに認識されていることがわかります。

 それでは、4月5日、15:00から始まったセミナーの一端をご紹介していくことにしましょう。

■注目の海外ベンチャー企業
 このセミナーでは、ViSenzeの共同創始者兼CEOのOliver Tan氏と、データサイエンティストでありDataRobotのCEOであるJeremy Achin氏が登壇し、講演されました。とくに私が興味を抱いたのが、Oliver Tan氏の講演内容でした。

 Oliver Tan氏の講演をかいつまんでご紹介しましょう。

 Tan氏は2012年にViSenzeを設立して以来、デジタルコンテンツ、eコマースなどの事業に取り組んできました。その間、①小売りにおける人工知能の活用、②ビジュアル・コンテンツの増進、③映像認識におけるイノベーション、等々の変化が起きているといいます。

 その背景として、Tan氏は3つの要因を挙げます。すなわち、非構造化データが大幅に増えた結果、ネット上はいま、データの洪水状態になっているということ、ハードウエアが高性能化し、演算当りの単価が安価になっているということ、利用可能なアルゴリズムがあるということ、等々です。

 非構造化データがどれほど増えたかといえば、現在、ネット上には30億以上の映像・画像が投稿されていることに示されています。なんと、ネット上の80%以上が映像や画像などのビジュアル・コンテンツだというのです。つまり、膨大な非構造化データがネットには溢れかえっているのです。ところが、タグが付いていないので、これらを利用することができません。せっかくのデータを活用できないのです。これが大きな問題となっているとTan氏はいいます。

 今、急成長しているのがビジュアル・サーチのAIなのだそうです。映像・画像などの非構造化データを利用するためのAIが注目されていますが、ネット上の情報の80%以上が映像・画像情報だということを考えれば、それも当然の成り行きでしょう。AI市場は今後、2022年までに50億規模の市場になるといわれていますが、中でも注目されているのが、非構造化データの処理に関わるAIだといえます。

 Tan氏は、ビジュアル・コンテンツの非構造化データを小売り事業に活用している先進事例の一つとして、アリババのマジックミラーを挙げました。簡単に触れられただけだったので、具体的にどういうものなのか知りたくて、帰宅してから調べてみました。

 内外のいくつかの記事から、このマジックミラーは、アリババの新たな小売り戦略とも関連する実験だったことがわかりました。

■アリババの実験
 アリババは2009年以来、毎年11月11日を独身の日とし、セールを行ってきました。売上は年々増加し、2017年11月11日は1682億元を達成しました。なんとたった一日で、日本円に換算すれば2兆87億円も売り上げたのです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。https://toyokeizai.net/より)

 「独身の日」は中国語で「光棍节」といい、ショッピングイベントとして大きな経済効果を上げています。独身者同士が集まってパーティを開いたり、プレゼントをしたりするための消費が促進されているのです。毎年決まった日にイベントセールを実施することで、独身者の潜在需要を掘り当てたのです。

 実際、この日の売上高を開始期から時系列でみていくと、年々大幅に増加していることがわかります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。Alibabaより)

 Yuyu Chen氏は「DIGIDAY」日本語版(2017年11月17日)で、これに関連し、興味深い指摘をしています。つまり、アリババにとって、独身の日はたった1日で数百億ドルの売り上げをもたらすショッピングの祭典というだけではなく、小売業界のイノベーションを誘導するさまざまな実験を行う機会でもある、というのです。

■オンラインとオフライン
 アリババについて調べているうちに、興味深い調査結果を見つけました。E-コマースで多大な実績を上げるアマゾンとアリババについて調査をした結果、人々の消費行動全体でみると、いずれも伝統的な店頭販売にははるかに劣ることが判明したのです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。https://www.cbinsights.com/より)

 アマゾンにしてもアリババにしても現在のところ、E-コマースを圧倒していますが、アメリカでは90%以上、中国も80%以上が店頭販売でモノが購入されていることがわかったのです。ですから、両社にとって、次の大きな成長機会は実店舗での販売をどのように取り込めるかということになります。

 アリババはすでにオフラインとオンラインの統合の利点を了解しており、2017年の「独身の日」で実店舗を中国国内にいくつか設置し、さまざまな実験を行いました。そのうちの一つが、先ほど言いましたマジックミラーです。

■マジックミラー
 これまでアリババはオンライン上にポップアップストア(期間限定ストア)を開設してきましたが、今回の「独身の日」セールで初めて、実店舗のポップアップストアを設置しました。

 中国国内12都市、52か所のショッピングモールでオープンし、10月31日から11月11日まで営業しました。新展開の目玉の一つがマジックミラーでした。

 「マジックミラー」と名付けられた画面では、買い物客はサングラスや化粧品、衣料品などの商品をバーチャルに試着することができます。試着してみて商品が気に入ったら、スクリーン上のQRコードをスキャンして、アリババのモバイル決済サービスAlipay(アリペイ)で購入することができるという仕組みです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。Alibabaより)

 実際に手に取ってみることのできない商品でも、この装置があれば、気軽にさまざまな商品を試してみることができます。消費者にしてみれば、これまでよりもはるかに容易に、納得した上で、意思決定をすることができるようになります。実店舗ならではの実験です。

 アリババはこのように、新しいテクノロジーを駆使して、さまざまな実験を行い、購入を決意する消費者側のデータを収集しているのです。新しい事業モデルを構築するには不可欠のデータを掘り起こしているともいっていいかもしれません。大量の消費者が集う「独身の日」はまさに、アリババにとって貴重なマーケティングの日だといえるでしょう。

 たとえば、今回、導入したマジックミラーの場合、小売における新しいアイデアが今後、投資に値するものなのか、それとも、修正が必要なものなのかを判断するための根拠として、アリババは消費者の反応と売上の結果を重視します。データ化された情報を駆使し、できるだけ精密に消費行動を把握し、事業モデルを組み立てていきます。

 大量の消費者が動く「独身の日」はアリババにとって、単に大量に商品が売れる場ではなく、大量の消費行動データが得られる場でもあります。つまり、次のステップを踏むための基盤にもなる重要なイベントなのです。

■アリババの「新小売り戦略」
 さて、今回、実店舗を設置した中国の各所で実験されたのが、マジックミラーであり、AR(拡張)ディスプレイエリアでした。いずれも、単なるオンラインイベントを超えた試みでした。Yuyu Chen氏は、これらの実験はアリババの新小売り戦略に沿ったものだと記しています。

 そこで、関連記事をネットで検索してみました。すると、下記のような記事がみつかりました。タイトルは「Jack Ma outlines new strategy to develop ‘Alibaba economy’」(ジャック・マー、「アリババ経済」を開発する新しい戦略を概説する)です。2017年10月17日付の記事ですから、「独身の日」の約1か月前の取材情報です。

こちら →
http://www.thedrum.com/news/2017/10/17/jack-ma-outlines-new-strategy-develop-alibaba-economy

 これを読むと、アリババのCEOジャック・マー氏は、「E-コマースは急速にビジネスモデルを進化させ、「ニューリテール」(新小売り)」の段階に入っているという認識を示しています。やがてはオンラインとオフラインの境界が消滅していくと彼は考えており、その対策として、各消費者の個人的なニーズに焦点を当てたサービスを展開しなければならないとしています。

 さらに彼は、中国ではアリババのニューリテール・イニシアチブ(新小売り戦略)は、5つの新しい戦略の出発点として形を成しつつあるといいます。この5つの新しい戦略とは、「ニューリテール」、ニューファイナンス」、「ニューマニュファクチュアリング」「ニューテクノロジー」「ニューエナジー」を指します。

 このような構想の下、1億の雇用を生み出し、20億の消費者にモノやサービスを提供し、1000億の収益性の高い中小企業を支援するプラットフォームになるよう計画しているとジャック・マーは宣言しています。さらに2036年までには、アリババのインフラがトランザクション価値を結びつける商業活動を支援し、世界ビッグファイブの経済としてランクされるようになるだろうとも予測しています。

 興味深いのは、ジャック・マー氏が、一般株主は我々に利益をあげることを期待しているが、我々の存在価値はお金を稼ぐことだけにあるのではないと強調していることでした。どうやら彼はアリババの事業を通して、商業活動以上の社会的活動を企図しているようです。

 ジャック・マー氏はこんなことも書いています。

「もしアリババが農村部や中国全土の貧困地域を手助けし、テクノロジーによって生活状況を改善することができるとすれば、世界のその他の地域にも大きな影響を与える機会を持てるようになる。テクノロジーは世界の富の格差を広げることの原因になるべきではない」と。

 このような考え方を知ると、アリババの存在価値がお金を稼ぐことだけにあるのではないとジャック・マー氏が強調していたことの背景がわかってきます。

 テクノロジーの力を活用して農村部や貧困地域を豊かにする一方で、この新小売り戦略は、グローバルなサプライチェーンの再構築をもたらし、グローバル化の形勢を大企業から中小企業へと変化させるだろうとジャック・マー氏はいいます。このことから、経済の合理化を進めるだけではなく、社会的公平性をも実現しようとしていることがうかがい知れます。

 三菱総合研究所の劉潇潇氏も、アリババ・グループのCEOジャック・マーク氏が2016年10月に発表した小売り戦略に注目しています。この戦略は、オンラインとオフラインをうまく使い分けることによって、より精密なターゲティングを行い、顧客により深い感動を与えることを目指す戦略だと指摘しています。(https://toyokeizai.net/)

 たしかに、この戦略は消費者の心を捉え、消費者とつながることを目指したものだと思います。とはいえ、2017年10月に取材された記事から、ジャック・マー氏の考え方を推察すると、私には、単なる顧客獲得を超えた大きな世界観に支えられた市場戦略のようにも思えてきます。

■事業が追及する価値とは?
 4月18日、日経新聞を読んでいて、興味深い記事に出会いました。価値創造リーダー育成塾で嶋口充輝氏(慶應義塾大学名誉教授)が行ったキーノート・スピーチを原稿に起こしたものでした。

「事業が追及する価値は、合理性・効率性を追求する「真」の競争から社会的責任や社会貢献を意識した「善」の競争、そして、品位や尊厳、思いやりなどの「美」を追求する競争へと移ってきました」と、まず、事業に対する現状認識を示しています。その上で、嶋口は、今後の展開として、以下のように続けます。

「これからの時代の企業は、その事業姿勢や行動を「美しさ」から発想し、「社会的有益性」を踏まえ、結果的に収益性や効率性に結び付ける「美善真」というスタイルが求められると思います」といい、「美しさ」主導の事業姿勢を「あるべき姿」と打ち出しています。

 一見、理想主義的な意見に思えたのですが、再び読み込むと、実はきわめて長期的展望に立った見解だという気がしてきました。そして、そういえば、ジャック・マー氏も似たようなことを言っていたなと、先ほどご紹介したアリババの新小売り戦略を思い出しました。思い返しているうちに、振り返って、第2回AI・人工知能EXPOの記事を書こうと思い立ったのでした。

■AI・人工知能時代の事業価値とは?
 AI・人工知能が中心になって社会を動かしていく時代に、求められる事業価値とはいったい、何なのでしょうか。今回、第2回AI・人工知能EXPOに参加してみて改めて、そのことを考えさせられました。

 もはやヒトはモノやサービスを、効率性、経済性、有益性だけで購入するわけではなくなってきています。そんな時代に事業活動を継続的に行っていくには、モノやサービスに消費者の心を動かす何かが付随していなければならないでしょう。心のつながりが生まれて初めて、事業活動が消費者から強く支えられ、継続していくことができるようになるのでしょうから・・・。

 そして、心のつながりの動機づけになるのは、なによりも、対象にたいする信頼感であり、尊敬の念であり、憧れであり、崇拝の念でしょう。

 そう考えてくると、AI・人工知能の時代には、美しさや品格といった数値化しがたい要素が価値を持ってくるような気がしてきます。

 今回、「注目の海外ベンチャー企業」というセミナーに参加し、Oliver Tan氏の講演内容から、私は、先進事例として紹介された、アリババの「独身の日」の実験に興味を抱きました。Tan氏はビジュアル・サーチAIの一例としてマジックミラーを紹介されたのですが、私はむしろ、「独身の日」に、実店舗で行われたこの実験の方に興味を覚えてしまったのです。

 種々、調べることになりましたが、その結果、いろんなことがわかってきました。セミナーが一種の触媒の役割を果たし、AI・人工知能時代の事業の意味を考えることになったのです。改めて、ヒトは選択的に話を聞くものなのだということを思い知らされました。(2018/4/20 香取淳子)

AI時代を生き抜く力を育む教育とは?

■教育大改革が始まる
 文科省は7月10日、2020年度から開始する新テスト「大学入試共通テスト」の実施方針の最終案を公表しました。

こちら →http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10H36_Q7A710C1000000/

 「大学入試共通テスト」とは、これまでの大学入試センター試験に代わって、高校生の学力を評価するためのテストです。2020年度から実施されますから、現在の中学3年生から適用されることになります。今秋以降、プレテストを行い、それらの結果を踏まえ、制度設計を進めるとされています。2021年1月中旬の実施に向けて、待ったなしのスケジュールで入試改革が準備されているのです。

 上記の記事の中で、「大学入学共通テスト」のポイントとして6点、まとめられていました。とくに、「英語は20年度から23年度まで現行のマーク方式と民間試験を併存」、「国語と数学に記述問題を導入」、「地理歴史や理科は24年度から記述式問題の導入を検討」などが注目されます。24年度に新テストに全面移行すること、文章を読み解き、表現する力の把握に力点が置かれていること、等々に留意すべきでしょう。

 共通テストの英語に関しては、「読む・聞く・話す・書く」の4技能を評価するため、英検やTOEICなどの民間試験を活用することが新テストの大きな特徴でした。ところが、最終案では、全面移行までに4年間の併存期間が設けられています。記事では、高校や大学から準備期間の短さを懸念する声が多かったからだとされていますが、民間試験の活用にもいくつかの課題があることが示唆されています。

 共通テストの国語と数学には記述式問題が導入されます。国語は、80~120字程度で記述させる問題を含む3問程度、数学は、数式や問題解決の方法などを記述させる問題を3問程度出すとされています。思考力、表現力を把握するためのものでしょうが、知識やテクニックではなく、「言葉の力」にウェイトが置かれた取り組みであることがわかります。

 2020年度から、大学に入学するためには、この新共通テストに加え、受験する大学独自のテストが課されます。それらが総合的に判断されて、合否が決定されるという仕組みになります。これまでの大学入試に比べ、英語の場合、「聞く、話す」能力、国語や数学の場合、「思考する、表現する」能力が評価されるようになります。これまでとは明らかに選別評価の基準が変わるのです。

■中教審の答申
 中央教育審議会は平成26年12月22日、『新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた 高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について』というタイトルの答申を公表しました。

こちら →
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/__icsFiles/afieldfile/2015/01/14/1354191.pdf

 新テスト導入の基盤となる考え方が示されていますが、「はじめにー高大接続改革が目指す未来の姿ー」として、下記のような状況認識が示されています。

「生産年齢人口の急減、労働生産性の低迷、グローバル化・多極化の荒波に挟まれた厳 しい時代を迎えている我が国においても、世の中の流れは大人が予想するよりもはるか に早く、将来は職業の在り方も様変わりしている可能性が高い1。そうした変化の中で、 これまでと同じ教育を続けているだけでは、これからの時代に通用する力を子供たちに 育むことはできない。」(p.1)

 中央教育審議会が打ち出した方向に沿って、抜本的な教育改革が行われようとしていますが、これは、社会の要請であり、次代を担う子どもたちの幸せのためでもあるという入試制度改革の立脚点がよくわかります。

 この答申が公表されてすでに2年余、いま社会は、デジタル技術の進化によってさらに大きく変容しはじめています。製造現場ではもちろんのこと、医療診断などにもAIが導入されるようになりました。もはや、単なる人手不足を補う以上の働きをAIが担うようになってきているのです。

 すでに2013年、オックスフォード大学のマイケル・オズボーン准教授はAIによって今後、47%の職種がAIに代替されるようになるという論文を発表して、全世界に衝撃を与えました。野村証券はそれと同様の調査を2015年12月2日に、日本国内で実施しました。その結果、日本では今後10年から20年のうちに、国内労働人口の49%に当たる職業がAIやロボットに代替されるという推計を発表しました。そして、代替可能性の高いとされる100種の職種を列記しています。

こちら →
(https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspxより。図をクリックすると、拡大します)

 それから1年半後のいま、その傾向が現実のものになってきています。ディープラーニングを通して精度を高めていくことのできるAIは、今後さらにさまざまな領域に導入されていくことでしょう。

 一方、同調査では、下記の職種はAIやロボットなどに代替される可能性が低いとしています。

こちら →
(https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspxより。図をクリックすると、拡大します)

 このような調査結果をみると、AIが大きな役割を担う時代を生き抜くには、何が必要なのか。改めて、教育内容を見直さなければならなくなっていることがわかります。高等学校、大学にとどまらず、初等、中等教育にまで遡って教育改革が行われなければならないのはこのような時代の要請なのです。

■生きる力
 文科省は2017年3月31日、次期学習指導要領「生きる力」を公示しました。今回の学習指導要領では、第4次産業革命の時代を見据え、予測不能な変化に対して柔軟に対応できる「生き抜く力」をはぐくむために、「主体的・対話的で深い学び」の実現が大きなテーマとして設定されています。

 次期学習指導要領は下記のようなスケジュールで実施される予定です。

こちら →
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/__icsFiles/afieldfile/2017/05/12/1384662_1_1.pdf

 今年は2017年ですから、幼稚園、小学校、中学校についてはすでに周知・徹底されている時期になります。

 改訂のポイントは以下のようになります。

こちら →
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/__icsFiles/afieldfile/2017/06/16/1384662_2.pdf

 教育内容の改善事項としては6項目、「言語能力の確実な育成」、「理数教育の充実」、「伝統や文化に関する教育の充実」、「道徳教育の充実」、「体験活動の充実」、「外国語教育の充実」等々があげられています。

 たとえば、「言語能力」についてみると、語彙の習得を確実なものにしていくのはもちろんのこと、さまざまな情報から、具体を抽象を区別して理解し、根拠を踏まえて意見表明できるようにするといった内容です。その一環として、実際にレポートを書いたり、立場や根拠を明確にして議論するといった活動が奨励されています。

 「理数教育」については、日常生活から問題を見出す活動や、なんらかの見通しをもって観察や実験をする活動が奨励されています。さらに、必要なデータを収集・分析し、その傾向を踏まえて課題を解決していく統計教育を充実させると掲げられています。

 3月に公示された次期学習指導要領は、下記に示す2008年に改訂された学習指導要領を踏まえたものといえるでしょう。

こちら →
(http://www.bunkei.co.jp/school/column/1309.htmlより。図をクリックすると、拡大します)

 実は、すでに1998年から「生きる力」に力点を置いた学習指導要領が作成されていました。それを改訂したのが、2008年の学習指導要領です。上記の図に示されているように、10年前のものとは違って、確かな学力に支えられて初めて、「生きる力」が養われるという考えでした。そして、その「確かな学力」とは「言葉の力」によって育まれるという認識が示されています。

■AI時代を生き抜く力とは?
 2008年版を踏まえた次期学習指導要領(2017年3月公示)は、さらに変動の激しい社会状況に対応したものになっています。

こちら →
(http://eic.obunsha.co.jp/eic/resource/viewpoint-pdf/201504.pdf p.4より。図をクリックすると拡大します)

 上記の図は、国立教育政策研究所が刊行した24年度の報告書に基づき、作成されています。今後、求められるのは、「思考力」を中核に、それを支える「基礎学力」、その使い方を方向付ける「実践力」などの”三層構造”で構成される「21世紀型能力」だとしているのです。そして、このような21世紀型能力を身につけることによって、次世代を「生きる力」を育むことができるという考えが示されました。それが次期学習指導要領を貫く考え方の根幹となっています。

 今後、学校教育で求められるのは、上記の図で示された基礎学力、思考力ばかりではなく、各教科を横断する基礎的な「汎用的能力」も重要になるでしょう。この「汎用的能力」は上図では実践力として示されています。

 なにごとであれ、実践していく過程で、人間関係形成能力、社会への参画力、自律的、自発的な活動力、等々が培われていくでしょうし、実践活動を通して、持続可能な未来への思いも強くなっていく可能性もあります。

 デジタル技術によって進化した現代社会では、仕事の内容が変化し、求められる能力も大きく異なってきています。さらには、私たちが住む地球が一つの大きな村になってしまいました。今後、誰もが身近な活動を通して、地球社会全体を考えなければならなくなるでしょうし、それが当然の社会になってきています。

 デジタル・モバイル機器を誰もが持つようになったいま、ヒトは誰しも、他者とつながって生きていることを実感できるようになりました。一人の人間として充実した人生を生きることを目指すだけではなく、他者に支えられて生きていることにも思いを巡らせながら生きていく必要があるでしょう。それが、やがては「生きる力」にも反映されていくと思います。2020年度に開始される抜本的な入試改革を軸に、教育内容が大幅に改善され、子どもたちがAI時代を生き抜く力を身につけることができるようになれば、と願っています。(2017/7/12 香取淳子)

公開シンポジウム「デジタル社会における楽しい働き方」にみる、未来社会の光と影

■「デジタル社会における楽しい働き方」公開シンポジウム
 2017年4月27日(木)、公開シンポジウム「デジタル社会における楽しい働き方」が開催されました。主催はデジタルハリウッド会社とfreee株式会社、共催が情報通信政策フォーラム、そして、会場はデジタルハリウッド大学駿河台ホールでした。

 このシンポジウムの開催主旨は、デジタル社会で「楽しく・自由に」働ける社会環境を実現するには、どのような環境整備や人材育成が求められているのか、政治家、起業家、大学教員による議論を通して浮き彫りにしていくというものです。

こちら →http://kokucheese.com/event/index/462194/

 第1部の基調講演では、起業家の佐々木大輔氏(freee代表取締役)と杉山知之氏(デジタルハリウッド大学・大学院学長)によって、「楽しく・自由」な働き方の実例が紹介されました。

■freeeの場合
 佐々木氏の経営するfreee株式会社は、全自動のクラウド会計ソフトを提供する会社です。2012年7月に設立されたまだ若い企業ですが、3年連続で、Great Place to Work®が実施した「働きがいのある会社」(従業員100-999人)部門で上位にランクされています。

 Great Place to Work®は1991年にアメリカで設立された意識調査機関で、「働きがい」という観点から企業を調査し、ランク付けます。日本では2005年に活動が開始され、その活動はいまや世界50か国以上にも及ぶほどの起業評価機関です。当然のことながら、ここでのランキングは優良企業か否かの一つの目安となります。

こちら →https://hatarakigai.info/about/history.html

 そのGreat Place to Work®日本版で、㈱freeeは上位にランクされているのです。

こちら →https://hatarakigai.info/ranking/japan/
(従業員100‐999の項目をクリックしてください。)

 2017年度は3位でした。2015年度は5位、2016年度は4位だったそうですから、年々ランクアップしていることになります。この数字を見る限り、㈱freeeでは「楽しい」働き方が実践されているといっていいでしょう。本シンポジウムで紹介されるのにふさわしい企業だといえます。

 佐々木氏はまず、日本の中小企業の労働生産性はきわめて低く、諸外国と比較しても劣位にあること、非ルーティン作業に関わる時間がわずか27.5%しかないこと、等々の問題点を挙げました。それを打開するには、バックオフィスのプロセス全体を効率化し、創造的な活動にフォーカスできるようにする必要があると指摘します。

 バックオフィスの業務をデジタル技術によって簡素化できれば、本来の業務あるいは創造的な業務に、より多くの時間を割くことができるというわけです。さらに、バックオフィスだけではなく、全業務をクラウド化すれば、生産性の効率をより高めることができるといいます。このような発想によって生み出されたのが、全自動のクラウド会計ソフトfreeeです。

 個人事業主やフリーランサーのバックオフィス業務を支援するソフトといえるでしょう。

■デジタルハリウッドの場合
 杉山氏が学長を務めるデジタルハリウッドは、デジタルコンテンツの人材育成スクール、大学、大学院を運営する教育機関です。1993年に設立されて以来、23年間に9万人の卒業生を出しているといいます。2013年からは次世代主婦、ママデザイナー1万人育成プロジェクトを立ち上げ、子育て期の女性たちに学びと活躍の場を提供しています。

 会場では米子のケースが紹介されました。

こちら →http://www.cread.jp/studioyonago.html

 2012年12月1日に設立された米子スタジオが有能な人材を多数、輩出し、米子コンテンツ工場を立ち上げるまでに成長しているといいます。協力企業であるCREADの適切な支援を得られたことも一因でしょうが、なによりも意欲のある女性たちに学びと活躍の場を提供することができたからでしょう。

こちら →http://school.dhw.co.jp/school/yonago/ycf.html

 彼女たちは子育てをしながら、自宅でオンライン講座で学び、スクールでは学友と切磋琢磨し合い、コンテンツ制作の技術力を高めていきました。卒業後は、自宅でウェブ制作やフリーペーパーの作成などの仕事を請け負い、収入を得ています。

 学びから就労までの流れがスムーズに組み立てられており、家庭に埋もれていた人材を労働市場に引き出すことができています。彼女たちの仕事のおかげで、これまでホームページを立ち上げたくてもできなかった地元の事業者が、ネットで事業を展開できるようになったのです。

 デジタルハリウッド米子スタジオで学んだ彼女たちが、その人的ネットワークを基盤に、米子コンテンツ工場という組織を立ち上げました。そして、米子だからできることは何か、田舎の強みは何か、という観点からアイデアを練り上げ、コンテンツ制作に励んでいるそうです。デジタル技術によって彼女たちは、地域に根差し、地域のための仕事をすることができるようになったのです。

 杉山氏の基調講演では、「女性の活躍推進」という側面でのデジタル技術の効用の一端が示されており、やはり、本シンポジウムにふさわしい内容でした。

■デジタル社会での学びと仕事
 第2部は衆議院議員・IT戦略特命委員会事務局次長の小林史明氏が加わり、情報通信政策フォーラム理事長の山田肇氏の司会で、パネルディスカッションが行われました。

 まず、政治家の小林氏は起業家の佐々木氏に対し、デジタル社会での働き方の成功モデルがまだ築けていないが、㈱freeeではどのような人材評価を行っているのかと質問しました。

 これについて佐々木氏は、人材評価は一般的にわかりやすくするほど弊害が出てくるとし、組織カルチャーにどれほど貢献できるか、というのが一つの指標だといいます。さらに、定量的評価ではなく、定性的評価に時間をかけているともいいます。優秀な人材でチームを作らなければ、組織は発展しません。経営者としては、他と熾烈な競争をしてでも優秀な人材を獲得していく覚悟が必要なのでしょう。

 次に、政治家の小林氏は教育者の杉山氏に対し、教育面ではどのような課題があるのか尋ねました。これについて杉山氏は、高校までの日本の教育は実社会とはかなりズレていると指摘し、デジタルハリウッドでは、新入生にはまず、技術を教え、その後、教養や文化を教えていくという順で指導しているといいます。

 入学するとすぐ専門科目に入り、年次が進むと、教養科目を取り込んでいくというカリキュラムなのだそうです。通常の大学教育とは異なり、コンテンツ制作のための技術指導から始め、次いで、コンテンツの内容を深める教養や文化を学んでいくというのです。

■デジタル社会の実現を阻む要因、促す要因
 司会の山田氏から、MOOCは素晴らしいオンライン講座だが、作成した資料の著作権処理のため、大きなコストがかかるという問題点を指摘されました。調べてみると、たしかにテキスト作成に相当、コストがかかっていることがわかります(p.8を参照)。

こちら → 
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoki/h27_02/pdf/shiryo7.pdf

 これでは担当者の負担がきつく、頼まれたとしても引き受けたくないでしょう。教育の現場では、他人の著作物の一部をコピーして学生に配布したり、パワーポイントで引用したりして授業を行うことが多々あります。それは教室で使用する限り、著作権の適用除外になるからですが、オンラインの場合、その適応除外の対象になっていないようなのです。ですから、上記のように多大な時間をかけて使用する写真などの権利処理を行わなければならなくなっているのでしょう。

 これは明らかに政治家が対処すべき課題でしょう。私は、教育利用なら、オンラインでも認めるべきだと思いますが、デジタル化されればコンテンツが広範囲に拡散してしまいかねず、権利者の権利を大幅に侵害してしまう可能性があります。そう考えると、現時点で解決策を見つけるのは容易なことではないことがわかります。

 これに関連し佐々木氏は、起業する場合も、申請手続きに23種の文書が必要だという問題点を指摘しました。そのような煩雑な業務が起業のハードルを高くしているというのです。これも政治家が対処すべき課題でしょう。

 これについて政治家の小林氏は、マイナンバー制度が普及すれば、すぐに解決するといいます。マイナンバー制の下で、簡単に本人認証ができれば、申請手続きも簡単に処理できるからだというのです。つまり、印鑑と対面原則の商慣行を、マイナンバー制度の普及によって打破することができれば、起業のハードルも低くなるというのです。ところが、実際にはまだ普及しておらず、起業手続きに限らず、さまざまな申請業務が煩雑さから解放されていません。

 パネラーの方々のお話しを聞いていると、その原因は、本人認証の方法が旧態依然としているからだと思えてきました。旧体制や旧慣行がデジタル社会への移行を阻み、起業意欲を喪失させているのだとすれば、より適切な制度に変更していく必要があるでしょう。IT関連のさまざまな現場を経験してきた小林氏は、マイナンバー制度が普及しなければ、デジタル社会には移行できないといいます。

 4月20日、法人税や所得税の申告の電子化が義務付けられ、2019年から実施されることが決まりました。今後、マイナンバー制とセットで、さまざまな申告業務の電子化が義務付けられるようになるでしょう。デジタル社会に向けた制度整備が推進され始めたようです。

■生産年齢人口の減少と働き方改革
 2010年には8000万人以上であった生産年齢人口(15~64歳の人口)が、2030年には6700万人ほどになると推計されています。いまから、わずか13年後のことです。

こちら →
(図をクリックすると拡大します。)

 このように生産年齢人口は減少するのに、高齢人口は増えていきますから、2030年には1.8人で高齢者1人を扶養しなければならなくなります。このまま手をこまねいていては、やがて日本社会が成り立たなくなる可能性も考えられるでしょう。そこで、ちょっと調べてみました。すると、いまから4年前の2013年、厚生労働省が以下のような労働市場分析レポートを出しているのがわかりました。

こちら →
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/roudou_report/dl/20130628_03.pdf

 すでに4年前、労働生産性を高める必要性が説かれていたのです。人口動態から未来社会は比較的正確に予測できます。ですから、対策も立てやすく、想定される課題に対処することができるのです。今後、日本は、急速に生産年齢人口が減少する一方で、高齢人口が増えていきます。そのような社会状況を踏まえ、厚生労働省は労働政策を練り上げていたことがわかったのです。

 2017年3月28日、政府は「働き方改革」の実行計画を発表しました。9項目挙げられており、その詳細は以下のように設定されています。

こちら →http://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/20170328/02.pdf

 網羅的な印象がありますが、労働市場の活性化という面で重要なのは、5項目「柔軟な働き方」と6項目「女性・若者の機会拡充、氷河期世代の支援」でしょう。生産年齢人口の減少時代を迎え、重要になるのは、労働生産性の向上と労働市場の活性化だからです。

 ところが、不思議なことに、この「働き方改革」の実行計画では、労働生産性の向上についての取り組みが希薄で、4年前に比べ、トーンダウンしたように見えます。

 今回のシンポジウムで報告され、議論されたように、生産年齢人口が減少するようになれば、今後さらに、デジタル技術を使って生産性を高める一方、性別や年齢を問わず、能力を発揮できる就労環境の整備を図ることが重要になってくると思います。

 さて、中小企業白書(2014年版)によれば、60歳以上がもっとも多く、32.4%を占めていました。

こちら →
(図をクリックすると拡大します。)

 このグラフからは、老いてなおアクティブに活動する高齢者像が目に浮かんできます。実感とはやや異なりますが、このデータが事実だとすれば、未来をそんなに悲観することもないでしょう。そんな気持ちにさせられるグラフでした。「働き方改革」の6項目「65歳以降の継続雇用や定年延長へ助成拡充」に関連していますが、「起業」ですから、こちらはもっとアクティブです。

 実際、㈱freeeが提供するソフトを使えば、高齢者でも、フリーランスや個人事業主として起業しやすくなるでしょう。そう簡単にチャレンジできるものではないと思っていた起業家さえ、高齢人口が増えると高齢者の割合が増えるのかと、私は感心してこのグラフを見ていました。

 ところが、ネットで「日本で企業した人の32.4%は60歳以上!?」というタイトルの記事を見つけたので、読んでみました。すると、中小企業白書(2014年版)にはこれに関連して別のグラフも載っていると指摘されていました。「起業希望者」(自分で起業したいと思っている人)の年齢構成のグラフです。

 そこで、「起業希望者」の年齢構成をみると、先ほどのグラフとはやや趣きが異なります。60歳以上は15.5%なのです。そして、こちらのグラフでは30代、40代が多いのです。日常的な感覚としてはこのグラフの方が自然で、納得がいきます。二つのグラフを並べてみると、以下のようになります。

こちら →
(https://seniorguide.jp/article/1002109.htmlより。図をクリックすると拡大します。)

 この記事では、二つのグラフの、60歳以上のカテゴリーの数字の差異について、以下の2つの解釈が可能だと考察されています。

1.シニア層は自己資金が潤沢で経験が豊富だから、起業までたどり着ける確率が高い。年を追うごとに、起業をサポートする環境が整っているので、シニア起業の割合が増えている。

2.シニア層は再就職が難しいので、仕方なく起業する人が多い。年を追うごとに、再就職への壁が高くなっているので、自営業となる人の割合は増えている。
(以上。https://seniorguide.jp/article/1002109.htmlより。)

 この二つの解釈のうちいずれか一つではなく、おそらく、二つともが妥当な解釈なのでしょう。私は、仕方なく起業する高齢者が増えているという解釈の方に、現実味が感じられます。年金だけでは暮らしていけず、かといって雇用の場も限られている、仕方なく起業するというタイプです。

■未来社会の光と影
 基調講演で紹介されたように、デジタルハリウッドが提供するオンライン講座を利用すれば、地方にいても家庭にいてもデジタルコンテンツの制作技能を習得することができ、収入を得ることができるようになることがわかりました。

 労働市場の活性化という観点からは、子育て期の女性だけではなく、高齢者もオンライン講座の対象にすればいいかもしれません。学びの機会が生まれれば、高齢者も身につけたコンテンツ制作技能を駆使して仕事をし、freeeなどのソフトを使って起業することが可能になります。そうすれば、地方にいても、家庭にいながらにして仕事をし、収入を得ることができるばかりか、地域社会に役立っているといういきがいをも得られます。

 このシンポジウムで紹介された二つの事例はいずれも、デジタル技術によってもたらされる未来社会の光の部分だといえます。だとすれば、未来社会の影の部分にも目を向けておかなければならないでしょう。

 たとえば、小林氏は、働き方改革の中で残業規制が今、話題を呼んでいるが、これはルールを決めることで生産性を上げることが目的だといいます。2050年には生産年齢人口が4000万人になり、今より4割減になるので、柔軟な働き方ができるようにならないと社会がもたないと指摘しました。

 確かに、「働き方改革」5項目の「柔軟な働き方」では、「テレワークを拡大、兼業・副業を推進」することが目指されています。有能な人材がその能力を多方面で使っていかないと、人材不足で社会が回っていかないということなのでしょう。

 佐々木氏も、副業しているヒトが増えている、今後は副業に寛容な社会にならざるをえないと指摘し、自動会計ソフトfreeeもそのために開発したといいます。

 さらに、杉山氏は、MITに在籍したころ、教授陣は4日がフルタイムでそれ以外は自由だったので、副業もできるし、新たな研究もできる、そこから自由な発想を得て、さらに研究に活かせることもできたといいます。この制度の下では、雇用者側は研究者を安く雇用できるし、研究者側は自由な時間を手にし、他から稼ぐことができるし、新たな研究経験を積むことができる、双方にメリットがあったと指摘します。

 以上、3人のパネラーの方々のお話を総合すると、労働の拘束時間を減らし、柔軟な働き方ができるよう制度整備すれば、有能な人材の能力を有効活用ができるし、雇用者、被雇用者ともにメリットがあるというものでした。

 これは一見、未来社会の光の部分に見えますが、実は、研究者であれ、企業人であれ、柔軟な働き方ができるのは、学界あるいは産業界、あるいは教育界、等々で求められる能力の保持者に限られています。

 そして、山田氏は、日本の労働人口の約49%が技術的には、人工知能やロボットで代替可能だと指摘します。

こちら →
(https://www.nri.com/~/media/PDF/jp/news/2015/151202_1.pdfより。図をクリックすると拡大します。)

 創造的な領域、あるいは、コミュニケーション領域では人工知能に代替するのは難しいといわれています。ところが、データの分析、秩序的、体系的操作が求められる仕事は、人工知能に代替できる可能性が高いというのです。

 山田氏のお話からは、労働生産性の向上を求めれば、AIやロボットに業務を代替させざるをえず、現在の約半分の労働人口が職を奪われることになります。創造的な領域、あるいはコミュニケーション領域で秀でた能力を保持するヒト以外は、AIやロボットが行う業務の補助的作業しか残されていないでしょう。デジタル技術がもたらす影の部分です。

 生産年齢人口が減少する未来社会では、さまざまな領域でデジタル技術に依存せざるをえなくなるのは事実です。デジタル技術はさまざまな不可能を可能にしてくれますし、能力の秀でたヒトにとってはさらなる活躍の舞台が待っています。

 ところが、秀でた能力を持ち合わせない普通のヒトにとって、どのような仕事が残されているのでしょうか。そもそも、食べていけるだけの収入を得られる職業に就けるのでしょうか。

 生産年齢人口の減少、介護を必要とする高齢者の増大といった社会状況はもうすぐそばまでやってきています。ですから、デジタル技術を活用することによって、対処していかなければならないのはわかっているのですが、同時に。デジタル技術によって生じるであろう社会的な歪みをどう是正していくかも視野に入れ、デジタル社会の実現に向けた制度整備を行っていく必要があるのではないかと思いました。(2017/5/1 香取淳子)

変容を迫られる国際空港:セキュリティ対策、文化情報の発信

■変容した成田空港
 久しぶりに成田空港に着いてみると、数年前とは様相が異なっていました。空港入場前の検問が廃止され、空港ターミナルの内装も洗練されており、国際空港にふさわしい雰囲気が漂っていました。このところ羽田空港を利用することが多く、成田空港から出国するのは数年ぶりだっただけに、この変化が好ましく思えました。

 さて、今回のソウル行はLCCを利用したので、第3ターミナルからの出発です。こちらのロビーは簡素ながらも、こぎれいな印象です。調べてみると、この第3ターミナルはLCC専用のターミナルで、昨年4月にオープンしたようです。以来、成田空港の総利用者数は増加し続けており、2015年度は前年比5%増となり、開港以来、初めて3700万人を超えたそうです。

こちら →http://www.naa.jp/jp/2016/01/20/docs/20160121-unyou.pdf

 成田空港の総利用者数はその後も増え続け、現在、3800万人を超えているといいます。利用者数が増えれば、それだけ、搭乗手続きや出入国の手続きを簡素化する一方、厳重な安全対策が必至となります。二つの相反する課題への取り組みが迫られるようになるのです。

 さて、出発当日の2016年12月21日、私はつい寝坊してしまい、空港に着くのが予定より1時間も遅れてしまいました。国際線の場合、通常は出発時刻の2時間前に空港に着いていなければならないのに、チェックインカウンターに着いたのが1時間弱前だったのです。それでも、なんの支障もなく搭乗できたのは、パスポートと旅程表だけで搭乗手続きができたからでした。搭乗手続きの簡素化のおかげといえるでしょう。その後の出国審査もスムーズに運び、空港での滞留時間はこれまでになく少なくて済み、快適でした。

■インチョン空港での指紋、虹彩記録
 ソウルのインチョン空港に着いて驚いたのが、セキュリティチェックの厳重さでした。入国審査の際、パスポートチェックだけではなく、両手の人差し指の指紋記録が取られ、両眼の虹彩記録が取られたのです。指紋については今後、指紋認証が導入されることは聞いていたので納得しましたが、虹彩記録まで取られ、ちょっと不愉快な気分になってしまいました。とはいえ、各国でテロが続発している現状では、安全対策上、仕方のないことなのでしょう。

 調べてみると、顔認証による搭乗手続きについてはすでに2004年、日本とインチョン空港との間で実証実験が行われていました。成田国際空港の村田憲治氏は、「一連の実証実験の結果、ICパスポートを活用して、出入国審査にまで検証範囲を広げることになった」といいます(「SPT : Simplifying Passenger Travel バイオメトリック認証を用いた新しい航空手続き」、“IPS Magazine”, Vol.47, No.6, June 2006, pp.583-588)。ですから、その後、さらに検討を重ねたうえで、現在のセキュリティ対策に至ったのでしょう。

 グローバル化に伴い、確実な本人認証ができる手法として、生体認証が注目を集めてきました。生体認証であれば、紛失や盗難の恐れもなく、本人だけが持つ特徴によって認証できます。生体認証とは、指紋の模様、虹彩の模様、手のひらや指の静脈の模様、目鼻の位置などの特徴点、声紋などによる本人確認です。

こちら →title_03
(http://next.rikunabi.com/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000647より)

 生体認証には一般的には指紋が使われるとイメージされますが、これは精度がそれほどよくないそうです。精度が高いとされているのが、虹彩であり、手のひらや指の静脈だといわれています。ところが、手のひらや指の静脈の場合、読み取りセンサー場複雑で装置が大きくなるというデメリットがあるといわれています。また、虹彩の場合も読み取り装置が大きく、システムが比較的高額だといわれていますが、今回、インチョン空港では指紋と虹彩の両方が使われました。コストよりも安全を重視した結果なのでしょう。

 インチョン空港では入国審査が厳重で、ちょっと不快感を覚えましたが、その反面、出国手続きは簡便でした。通常はパスポートに押されるスタンプもありませんでした。念のため、担当者に尋ねてみましたが、出国スタンプは要らないということでした。スタンプの省略によって、出国手続きに要する経費の節減にもなっています。

■インチョン国際空港
 インチョン空港はこれまで乗り継ぎでよく利用してきましたが、今回、訪れてみて、利用者が快適に時間を過ごせるよう、さまざまな工夫がされているように思いました。たとえば、クリスマスシーズンだったせいか、到着ロビーには下のような装置が設えられていました。

こちら →p1030064
(図をクリックすると、拡大します)

 また、出発ロビーに向かう階上からは、コンサートの準備風景が見えました。

こちら →p1030081-640x480
(図をクリックすると、拡大します)

 出発ロビーに上がると、演奏するオーケストラの音色が上まで響いてきました。まるでコンサート会場にいるかのようでした。

■文化情報発信基地としての国際空港
 これまで何度かインチョン空港を利用していたのに気づかなかったのですが、空港内の搭乗棟の4階に韓国文化博物館がありました。利用者が飛行機の出発時刻まで過ごすための文化的な計らいでした。

こちら →img_3719
(図をクリックすると、拡大します)

 落ち着いた趣向の博物館で、もちろん、無料で入館できます。展示内容としては、伝統美術、宮中文化、印刷文化、伝統音楽の4部門です。伝統美術としては、高麗銅鐘や釈迦塔、甘露図、印刷文化としてはハングル、宮中文化としては宮中の衣服や宋廟の映像などを見ることができ、伝統音楽としては、「センファン」の音が3DCGとアニメーション技法によって聞くことができます。

 もっとも印象深かったのが、「甘露図」です。添えられている説明を読むと、これは甘露を施し、餓鬼の世界で苦しむ衆生を救済するために、食べ物を供養する儀式の手順を描いた絵だそうです。この絵以外にも韓国では、この種の絵がたくさん描かれているのでしょう、展示されているのは韓国国内で現存する作品の中でもっとも古い絵だと書かれています。

こちら →img_3721
(図をクリックすると、拡大します)

 「甘露」の意味がよくわからなかったので、帰国してWikipediaを見ると、甘露とは、中国古来の伝説で、天子が仁政を施すと、天が感じて降らすという甘い露のことだと説明されています。このことから、韓国もまた中国文化の影響を受けてきたことがわかります。いつの世も弱者、貧者、困窮者をどのように救済し、穏やかな治世を実現させていくかが為政者の力量であることに変わりはありません。
 
 この絵をよく見ると、権力の座に就けば、自ずと身を正すのが為政者の在り方だと説いているように思えます。さらに仔細にこの絵を見ていくうちに、ソウルの光化門広場で見てきたばかりのデモ隊のテント群、縄で縛られた朴大統領の人形、「退陣!」と赤文字で書かれた立て札などを思い出してしまいました。教訓は活かされないからこそ、長く伝えられていく必要があるのかもしれません。

■国際空港の役割
 インチョン空港を見ていると、国際空港はまさにその国の玄関であり、訪問者を出迎え、そして、見送る場であるということを思い知らされました。グローバル化の時代、多種多様な人々が国境を越えて、入国し、出国していきます。ですから、たとえ、わずかな時間だとしても、海外からの来訪者に自国の文化を端的に知らせる恰好の場なのです。搭乗棟設えられた韓国文化博物館は簡素ながら、見事にその役割を果たしていました。20分もあれば、すべての展示品を観覧することができるのです。

 成田空港に着くと、空港内に和風の音楽を現代風にアレンジした曲が流れています。さり気なく日本文化が発信されているのです。快適だったインチョン空港と比べ、いよいよ国際空港競争の時代に入ったという印象を受けました。ブランド品、免税品のショップはどこの空港でも同じで、もはや目新しくはありません。その国の文化をどのように効果的に空港内に取り込み、簡素ながらも印象深く、海外からの訪問者にアピールしていくか、それが差別化のキーになるのだという気がしてきました。

 ちなみに、Newsweek 2016年10月11日号で「空の旅を変えるスマート空港」という特集が組まれていました。それを読むと、「ショッピングが楽しめる世界の空港ランキング」でインチョン空港は第2位、成田は10位でした。1位はロンドンのヒースロー空港です。インチョンと成田を比べると、ショップ自体はそれほど大きな違いはないと思ったのですが、利用者に対するきめ細かなサービスに違いがあったのかもしれません。いずれにせよ、すでに飛行機での大量移動の時代に入ったということが実感させられました(2016/12/25 香取淳子)

Rakuten FinTech conference 2016:ICTは超高齢社会の救世主になりうるか?

■Fin Tech conference 2016
 2016年9月28日、「楽天Fin Tech conference 2016」がホテルニューオータニ東京で、開催されました。最近、AI、ディープラーニング、ロボテック、ビッグデータなどという言葉をよく聞きます。これらのICT主導によって社会インフラの高度化が急速に進み、どうやら今、第4次産業革命とまでいわれているようです。はたして、今後、どのような社会、経済状況になっていくのでしょうか。私は興味津々、このカンファレンスに参加することにしました。

こちら →http://corp.rakuten.co.jp/event/rfc2016/

 当日、ちょっと寝坊してしまったので、プログラム最初のセッションには間に合いませんでした。仕方なく、基調講演はネット中継で見ましたが、全体を俯瞰する内容でわかりやすく、高度なICTを社会インフラに取り込む必要があることを、なんとなく理解できたような気がしました。そこで、今回はこの基調講演を中心にご紹介していくことにしましょう。

 ただ、私は経済にあまり詳しくありません。ひょっとしたら、話の流れがとても論理的だったので、理屈の上でわかったような気になっているだけかもしれません。ですから、ご紹介する際、わからないところは随時、調べながら、進めていくことにします。

 基調講演をされたのは、コロンビア大学教授・政策研究大学院特別教授の伊藤隆敏氏で、講演のタイトルは「Fin Techが切り開く日本経済」です。

■Fin Techが切り開く日本経済
 伊藤氏は冒頭、日本経済が抱える大きな課題として、①労働年齢人口の減少、②労働生産性の低さ、この2点を挙げられました。超高齢社会を迎えた日本で労働人口が減少し、経済が失速していくだろうということは、これまでいろんなところで見聞きしていましたので、課題として伊藤氏がご指摘されたことに納得しました。

 ところが、労働生産性が低いというご指摘に私はやや違和感をおぼえました。これだけ経済力のある日本が農業以外の領域で、労働生産性が低いとは思ってもみなかったのです。そこで、調べてみると、たしかに日本の労働生産性は低く、OECD加盟34カ国のうち21位で、先進諸国の中では最も低いという結果でした。

こちら →0c7efbc4
(http://www.jpc-net.jp/annual_trend/images/intl_comparison_graph.gifより。図をクリックすると拡大します)

 でも、この図をよく見ると、経済破綻しているはずのギリシャが日本よりも上位にあります。いったい、どういうことなのか、腑に落ちません。これが事実だとすると、労働生産性と経済破綻とはなんら関係なさそうに思えます。そこで、労働生産性とは何かを調べてみました。

 労働生産性とは、投入した労働量に対してどのぐらいの生産量が得られたかを表す指標で、GDP(国内総生産)÷就業者数(または就業者数×労働時間)という数式ではじきだされることがわかりました。労働生産性は二つの変数で機械的に処理し、算出しますから、ギリシャのように、GDPが低くても就業者数が少なければ、労働生産性の値は高くなります。その結果、ギリシャが日本よりも上位ランクになってしまったのでしょう。

 とはいえ、日本の労働生産性が低いことに変わりはありません。少子高齢化に伴い、今後さらに労働人口が減っていくことを思えば、GDPが大きく減少することは避けられないことがわかります。このような状況を踏まえ、伊藤氏は、労働生産性の低いことを日本経済の課題とし、なによりもまず生産性を高めることの必要性を説かれたのでしょう。先ほどの数式に照らし合わせれば、労働生産性を上げれば、ヒトの労働力(あるいは労働時間)の減少を補うことができます。つまり、マクロ経済的には労働人口の減少という日本社会の抱えた弱点を補うことができるのです。

■FinTechの活用
 伊藤氏は日本経済の課題を二つ挙げたうえで、FinTechの活用によって、これらの課題を解決できると指摘されました。このFinTechという語も最近、よく使われる言葉です。なんとなくわかりますが、Wikipediaで確認してみました。Fin Techとは金融(Finance)と技術(Technology)を合成させた造語で、金融におけるICT(Information Communication Technology)の活用を意味するようです。

 さて、伊藤氏はこのFin Techの活用によって、日本の金融業に見られる生産性の低さは解消されると指摘されました。ところが、私にはFin Techが具体的にどのようなサービスを指すのかよくわかりませんでした。ただ、プログラムを見ると、「ロボアドバイザリー」「ブロックチェーン」「ビットコイン」など聞きなれない言葉が並んでいます。おそらく、これらがFin Techを活用したサービス例なのでしょう。

 私は午前のセッションをネット中継で視聴し、会場にはお昼ごろ出向き、13:00-13:30に開催されたセッション「データレンディングー資金調達に革命が起きる?」に参加しました。タイトルの「(ビッグ)データレンディング」もまたFin Techを活用したサービスの一つのようです。

■データレンディング
 このセッションの登壇者は海外から4人、日本から1人という構成で、スピーチはすべて英語でした。もちろん、希望すれば、同時通訳のレシーバを借りることができます。これもまた近未来の様相を示すものといえるでしょう。それなりに興味深く思いましたが、このセッションで印象的だったのは、ビッグデータを活用すれば、きめ細かな利用者サービスができるということでした。

 ICTが高度化すると、利用者の日常の利用行動がデータとして積み上げられ、それがビッグデータに基づいて分析されるようになります。たとえば、クレジット会社がカードを発行する際、ビッグデータに基づき、会社独自の基準で与信審査をすれば、これまでなら審査に通らなかったようなヒトにも、カード発行ができるようになります。その仕組みを図示したものが下図です。

こちら →transaction-lending-7
(https://ginkou.jp/business/transaction-lending/より。図をクリックすると拡大します)

 ここには、さまざまなFinTechサービスが活用されていることがわかります。
ビッグデータを参照すれば、利用者利用歴に応じたきめ細かな審査が可能になります。変数にウェイトをつけることによって、勤勉ではあっても収入が低いヒトにも安全を担保しながら、迅速にサービスを提供することができるようになるのです。これが金融機関にとっての与信審査の代替になるとすれば、まさに利用者の側に立って開発されたサービスといえるでしょう。しかも、金融機関にとって、コスト削減と利用者拡大を期待できるメリットもあります。これも、金融の生産性を上げるFinTechサービスの一例です。

■ネットバンキング
 さて、伊藤氏がスピーチの中で取り上げられたFinTechサービスの例はこれよりもはるかにわかりやすく、馴染みのあるものでした。たとえば、アメリカではほとんどがネットバンキングになっており、銀行の支店はなくATMになっているそうですし、途上国でもスマホでバンキングするのが普通で、日本のような支店ネットワークは作らないといいます。いずれもICT主導のバンキングシステムが機能しており、その点で金融の生産性は高いと指摘されました。

 たしかに、海外に行くと、ATMはどこでも見ますが、支店を見ることはほとんどありません。駅やデパート、スーパーなどヒトが集まる場所には必ずいくつものATMがあって、利用者にとってはとても便利です。今後、オリンピックに向けて海外からの観光客がさらに増えるとすれば、海外の諸都市にならって、ヒトの集まる場所には複数のATMを設置するようにするといいかもしれません。これは、利用者にとっても金融機関にとってもメリットのあるFinTechサービスで、金融の労働生産性を高めるものの一つといえるでしょう。

 さて、上記以外にもFinTechをベースにさまざまなサービスが考えられます。これまでとは違い、FinTechを活用すれば、利用者側に立ったきめ細かなサービスが可能になりますから、認知されれば、普及も早いでしょう。NTTデータ経営研究所は下記のようにFinTechが提供するサービス例を挙げています。

こちら →fig01
(https://www.keieiken.co.jp/pub/articles/2016/kinjor04/index.htmlより。図をクリックすると拡大します)

 これは2015年のデータですが、今後、利用者のニーズに応じてさまざまなサービスが開発されていくことでしょう。そこに新たなビジネスチャンスが生まれるでしょうし、さまざまなアイデアの中からはやがて、超高齢社会の課題解決につながるようなサービスも生み出されるかもしれません。今後が期待されます。

■拡大が予測されるFinTech市場
 さまざまなFinTechサービスの例を見てきました。もちろん、それらが日常のものになるには相当時間がかかるでしょう。容易に普及するわけではないこともわかります。Fin Techサービスを取り入れ、最大限の効果をあげていくには、金融機関の意識改革はもちろんのこと、利用者の意識改革、さらには、政府の意識改革が必要になるでしょう。

 そこで、試みに、関連省庁である金融庁のHPを見てみました。すると、2015年12月14日にようやく、FinTechに対する取り組み指針が出されたようです。

こちら →http://www.fsa.go.jp/news/27/sonota/20151214-2/01.pdf

 このような状況をみると、伊藤氏が日本の金融業の労働生産性は低く、FinTechの取り組みも立ち遅れていると指摘された理由がよくわかります。ちなみに、矢野経済研究所は2015年7月から2016年1月にかけて「国内FinTech市場に関する調査」を実施し、2016年3月10日に調査結果を報告しています。民間の研究所はしっかりとFinTech市場に目配りした動きを見せているのです。

 たとえば、FinTechの市場規模については下図のように、見込み値と予測値の推移をグラフ化しています。

こちら →7813_01
(http://www.yano.co.jp/press/pdf/1505.pdfより。クリックすると図が拡大します)

 興味深いことに、上のグラフを見ると、右肩上がりで市場規模が急速に拡大していくことが示されています。最近、滅多に見ることのないほどの大幅な伸びが予測されているのです。これを見ると、FinTech市場が期待できる成長分野だということがわかります。

 まず、2015年の国内FinTechの市場規模を見ると、33億9400万円と見込まれています。矢野経済研究所はこれについて、クラウド型会計ソフトとソーシャルレンディングが市場をけん引したからだと分析しています。そして今後、2020年の東京オリンピック開催に向けて不動産市場が活性化すれば、ソーシャルレンディングにはさらに伸びることが期待できると予測しています。

 このようなFinTech市場の発展の背後には、領域を超えたベンチャー企業同士の連携、ベンチャー企業への投資の拡大、行政施策の整備などが介在していることが示唆されています。つまり、社会的ニーズの高い事業の場合、ある程度普及すれば、その後は行政支援等も含めた好循環の環境が生み出され、飛躍的に広がっていきます。おそらくFinTech市場もそのような展開になると予測されたのでしょう。その結果、2020年には567億8700万円規模に拡大すると試算されています。場合によってはさらなる発展の可能性も考えられます。

■FinTechは超高齢社会の救世主になりうるか?
 伊藤氏はスピーチの終りに近づくと、確認するかのように、日本経済の長所として、「高度な技術力」と「質の高いインフラ」を挙げる一方、短所として、「人口減少」による労働力人口の減少と国内市場の縮小、投資意欲の減退、「金融業の生産性の停滞」による稼ぐ力の脆さ、「財政破綻リスク」だと要約しました。

 このような伊藤氏のスピーチを聞いていると、日本の取るべき道は、FinTechを迅速に取り込むしかないという気がしてきます。たしかに、そうすれば、労働生産性は上がりますから、超高齢社会でもGDPの減少を阻むことができるでしょう。さらに、FinTechを適切に活用すれば、金融、税制面での透明化が進み、より合理的で公正な金融取引、税の徴収が可能になるかもしれません。そうなれば、危惧される日本の財政破綻リスクも回避できるでしょう。

 一方、伊藤氏は、世界経済も日本と同様、低成長、低金利が続くことによって、資産の運用難を引き起こし、停滞しているとしたうえで、今後、さまざまなイノベーションを生み出し、安全に稼ぐ力につなげていく必要があると指摘しました。

 たしかに、OECD最新号のEconomic Outlookに掲載されたグラフを見ると、世界の中でもっとも深刻なのは日本です。日本の成長率は2016年が0.7%、2017年が0.4%、OECD加盟34か国全体は、2016年が1.8%、2017年が2.1%ですから、世界全体も低成長ですが、
日本がいかに低成長にあえいでいるかがわかります。

こちら →eo-chart-2016
(http://www.oecd.org/tokyo/newsroom/global-economyより。図をクリックすると拡大します)

 このような現状を踏まえ、OECDのチーフエコノミスト、キャサリン・マン氏は「生産性と潜在的成長率を高めるために行動を起こさなければ、若い世代と高齢者双方の暮らしが悪くなる。世界経済がこの低成長の罠に陥った状態が長くなればなるほど、各国政府が基本的な公約を達成することは難しくなる。何の政策も講じなければ、すでに経済危機で不利益を被った現在の若者のキャリア見通しは悪化し、将来年金受給者となったときの所得がさらに低くなる」と述べています。
(http://www.oecd.org/tokyo/newsroom/global-economyより)

 日本をはじめ低迷する経済にあえぐ国はやがて、FinTechを導入して既存事業の生産性をあげる一方、イノベーションによって新たな事業を開拓する必要に迫られるでしょう。

 幸い、日本には長所として挙げられた高い技術力とインフラがあります。しかも、短所として挙げられた課題は、FinTech移行への動機づけとして活用することができます。つまり、労働人口が減少し、生産性が低いからこそ、FinTechの活用で生産性を高めて労働力不足を補う必要があるという意識を涵養する契機にできるのです。逆説的ですが、超高齢社会という弱点をこのようにして、プラスに転化できる可能性もあります。

 究極の選択の結果、日本がFinTech活用を極め、そのノウハウを蓄積することができれば、ひょっとしたら、高齢化に伴う社会経済的課題は難なく解決できるようになっているかもしれません。とすれば、今度は日本が、そのノウハウを持って、低迷する世界経済を牽引できるようになることも期待できます。

 興味半分でこのカンファレンスに参加してみたのですが、ICTに基づくさまざまなイノベーションの可能性が感じられました。そのせいか、ホテルニューオータニを出るころには少し、気持ちが軽やかになっていました。(2016/10/10 香取淳子)

Lead Initiative 2016:挑戦する若手起業家に共通するもの

■デジタルによる破壊的変革にどう立ち向かうのか
 2016年7月21日、ANAコンチネンタルホテル東京で、IIJ(インターネットイニシアティブジャパン)主催の「Lead Initiative 2016」が開催されました。午前は、IIJ専務取締役の菊池武志氏のあいさつ、一橋大学教授の楠木建氏の基調講演に続いて、パネルディスカッションが行われ、その後ランチセッションを挟んで、午後は、A会場からF会場に分かれて24のセミナーが開催されました。いずれもICTの進展動向を踏まえ、現在から未来を展望する興味深い企画でした。

こちら →http://www.iij-lead-initiative.jp/ 

 私がとくに興味を抱いたのは、11:30~12:30の時間帯で行われたパネルディスカッションでした。「デジタルによる破壊的変革にどう立ち向かうのか」というタイトルと、NHKの元キャスター国谷裕子氏による司会だという点に惹かれたのです。

 いま、デジタル化の進行はとどまるところを知らず、ヒトの適応能力を超えるほどの勢いで進んでいます。クラウドが定着したと思えば、それを基盤に、IoT、AI、ロボティックスなどが浸透し始めているのです。

 あらゆる領域でデジタル化による大変革が起こっていますが、はたして起業の面ではどうなのか、このパネルディスカッションでは若手起業家から、立ち上げの状況や展望を聞く構成になっています。今後、企業がどのような舵取りをしていけばいいのか、おおいに参考になるでしょう。

 パネリストは、ウォンテッドリー株式会社共同創業者&CEOの仲曉子氏(1984年生まれ)、株式会社FOLIO創業者&CEOの甲斐真一郎氏(1981年生まれ)、株式会社Cerevo代表取締役の岩佐琢磨氏(1978年生まれ)、Qrio株式会社代表取締役の西條晋一氏(1973年生まれ)といった方々です。いずれも30代前半から40代前半の若手起業家で、「デジタルによる破壊的変革」が進行している現在、果敢に新しいビジネスの芽を育てていこうとしているヒトたちでした。

 それでは、発言順にパネリストたちをご紹介していくことにしましょう。

■起業に至る来歴とそのコンセプト
 若手起業家たちがどのような来歴を経て、起業に至ったのか、どのようなコンセプトで事業を立ち上げたのか、会場では不十分だった情報を適宜、ネット情報で補いながら、発言順に、見ていくことにしましょう。

・株式会社Cerevo
 Cerevoの岩佐琢磨氏は、パナソニックに約5年間、勤務し、2007年12月にハードウエアベンチャーの株式会社Cerevoを設立しました。ネットとソフト、ハードを融合させたユニークな製品企画、開発、販売をする会社です。

こちら →https://www.cerevo.com/ja/

 コンセプトは、「ネットと家電で生活をもっと便利に、豊かに」というもので、グローバルニッチに着目した商品開発、多品種少量生産、販売を手掛けていきます。岩佐氏は、IoTの進展によって、高品質の商品の多品種少量生産が可能になったからこそ、このような事業に着手できたといいます。

 直近では、2016年7月20日、ニッポン放送と共同で新コンセプトのラジオ「Hint」を開発しました。Hintは、クリアな音声でラジオを聞ける「ワイドFM」に対応し、無指向性のスピーカーを搭載し、スマートフォンの音をワイヤレスで再生するBluetooth機能を備え、ラジオで流れた音声に反応し、近くのスマートフォンにURLを通知できる、などの特徴があるとされています。そのメカニズムは以下のように図示されています。

こちら →bleradio-660x372
(https://info-blog.cerevo.com/2016/07/20/2503/より。図をクリックすると拡大します)

 まさにインターネットとつなぐことによって既存ラジオの機能を拡張し、新たな商品サービスを提供しようとしているのです。

・ウォンテッドリー株式会社
 次に、ウォンテッドリーの仲曉子氏は、ゴールドマンサックス証券、Facebook日本法人を経て、2010年9月に求人サイトを立ち上げました。その後、2012年2月、Facebookを活用したビジネスSNS「Wantedly」のサービスを開始しました。2013年11月に社名をウォンテッドリー株式会社に変更しています。

こちら →http://site.wantedly.com/

 コンセプトは、「シゴトでココロオドル人を増やす」ことだといいます。仲氏は、仕事について情熱をもって語れるヒトを増やしたいという気持ちから、この事業を立ち上げたのだそうです。仕事こそ自己実現の場であり、社会貢献の場であるべきだという思いからです。弾むような仲氏の話し方には勢いが溢れていました。若さと事業へのモチベーションの高さからきているのでしょう。

 興味深かったので、ネットで調べてみました。

 仲氏はFacebook日本法人に入社後、会社の文化や習慣を理解しようとし、貪欲に吸収していった結果、「世の中をよりオープンに、コネクトし、シェアさせる」というFacebookの理念に感銘するようになったそうです。そして、「個人をエンパワーメントする」というアイデアが気に入り、自分でもやってみたくなって開設したのが、SNS「Wantedly」でした。

 設立から約4年で、Wantedly Adminは急速に認知されていき、2016年1月時点で、「Wantedly」の利用企業数は14000社を突破しました。いまでは月間100万人が利用する国内最大のビジネスSNSになっているといいます。

こちら →利用企業推移
(http://sakurabaryo.com/results/post-2553/より。図をクリックすると拡大します)

 興味深いことに、パネリストの起業家たちは皆、このWantedlyから人材を採用していました。そのことからも、この会社が現在のビジネス状況にマッチした人材採用サービスを提供していることがわかります。

・Qrio株式会社
 さて、Qrioの西條晋一氏は、伊藤忠商事、サイバーエージェントを経て、2013年キャピタルWiLを創業しました。その後、2014年12月にはWiLが6割、ソニーが4割出資するIoT関連のQrio株式会社を立ち上げました。

こちら →http://qrioinc.com/
 
Qrioは、「ものづくりとインターネットの力で、家の中をもっと便利に楽しく」をコンセプトに、スマートロック製品の開発・製造・販売等及びその運営サービスを提供しています。スマートロックの概念図をご紹介しましょう。

こちら →qrio-security-image
(http://type.jp/et/feature/163より。図をクリックすると拡大します)

 Qrioのスマートロックは上図のように、安全に鍵の受け渡しができる仕組みが構築されています。西條氏は、ソニー独自の認証技術を駆使し、「秘密鍵」と「公開鍵」とに分けて暗号をやり取りできるシステムにすることによって可能になったといいます。ソニーと技術提携することによって、設立されたばかりのQrioが、量産可能な品質の製品を市場に出すことができたのです。

 考えてみれば、スマートロックの商機は訪れつつあるように思えます。オリンピックの開催に向けて民泊が推進されていますから、その需要は今後、急速に高まっていくかもしれません。すでに同様の商品を開発している事業者も登場し、ユーザーの観点から商品比較も行われています。

こちら →http://do-gugan.com/~furuta/archives/2015/09/qrioakerun.html

 社会的ニーズに対応した商品を開発し、量産できる品質にして市場に出したとしても、次は同業他社との競争が待ち受けています。この記事を読んで、起業家は常に試練に晒されているのだということを感じました。

・株式会社FOLIO
最後に、FOLIOの甲斐真一郎氏は、ゴールドマンサックス証券、バークレイズ証券を経て、2015年12月、FOLIOを創業しました。誰もが気軽に投資できるよう、投資運用サービスを提供していこうという事業です。

こちら →https://folio-sec.com/

 FOLIOは「資産運用をバリアフリーに」をコンセプトにしています。今後さらに深刻化する高齢社会を考えると、現在の年金レベルがどれほど維持されるか心配になってしまいます。やがて誰もが資産運用し、年金を補っていかなければならなくなるのかもしれません。そのような事態が不可避だとすれば、資産運用の敷居を低くし、利用者の使いやすさを重視した投資サービスへの需要は今後さらに高くなると思います。

 パネリスト紹介欄には甲斐氏について、「ロボアドバイザーなどの新しい投資サービスを有機的に結合した次世代証券プラットフォームを構築」と書いてありました。私は「ロボアドバイザー」のことがわからなかったので、後で、ネットで調べてみました。たまたま米国のロボアドバイザーについての記事を見つけたところ、その記事に仕組みについての概念図がありました。

こちら →
http://fis.nri.co.jp/ja-JP/publication/kinyu_itf/backnumber/2015/03/201503_5.html
 
 ちなみに、甲斐氏にはゴールドマンサックス証券などで10年ほどディーラーの経験があります。FOLIOでは上記のようなロボアドバイザーによる自動的処理に加え、顧客の個別状況に応じた提案もしてくれるようです。これが「有機的に結合したプラットフォーム」を指しているのでしょうか。いずれにしても、今後、資産運用に対する需要は高まってくるでしょうから、期待できる事業だと思いました。

■日本の課題
 若手起業家たちのスピーチを聞いているうちに、なんだかワクワクするような気分になってきました。軽やかに、スマートに、デジタル化の荒波に立ち向かっている姿がとても好ましく、日頃、日本社会に感じていた閉塞感がいつの間にか消えてしまったような気さえしました。

 西條氏が興味深い指摘をしていました。日本はアメリカや中国に比べ、人材の流動性が低すぎるというのです。ベンチャーと大企業、民間と官庁、国内中小企業とグローバル企業、等々の間で人材移動がないので、技術が浸透していかず、企業が生み出した成果物が一カ所にとどまっているのが現状だという指摘です。

 仲氏も幅広い海外での経験から、ビジネスマンはインドや中国に関心は抱いても、誰も日本を見ていないといいます。超高齢社会で新規事業を生み出す能力も疑問視されるようではなかなか関心を持たれないでしょう。それだけではなく、日本では能力に対する対価が低すぎるので、優秀な人材を引き留めておくことができず、海外から優秀な人材を呼び寄せることもできないというのです。これは西條氏の指摘とも関連しており、今後の課題として政府が抜本的な施策を講じる必要があるでしょう。

 西條氏は大企業の中では多くの若いヒトがクサっているといいます。だから、若くて優秀なヒトから順に大企業を辞めていくと指摘し、どうすれば優秀なヒトを大企業につなぎとめておけるかということを考えていく必要があるというのです。

 仲氏の意見で興味深かったのは、「イノベーション人材と大企業とのコラボが必要」だという指摘です。日本は素晴らしい技術を持っていながら、十分に活かされていない、それはマーケティングが下手だからだと分析し、イノベーションとマーケティングをうまくつなぎ、流通チャンネルを開拓していく必要があるといいます。たとえ素晴らしいイノベーションだったとしても、それを立ち上げただけでは世界では勝てないというのです。世界で勝つためには、幅広い流通ルートを持つ大企業との連携が必要だというわけです。

■第4次起業ブーム
 今、第4次起業ブームとまでいわれ、日本でもベンチャー企業を育む機運が高まってきているようです。

 すでに経産省は「グローバル・ベンチャー・エコシステム連携強化事業」を推進しており、平成27年から29年にかけての3年間で、IPO・M&Aの件数を1.5倍にするという目標を立てているほどです。ちなみにこのIPOとは株式上場のことで、株式を上場できるだけの成長企業ということを意味します。

こちら →http://www.meti.go.jp/main/yosangaisan/fy2016/pr/pdf/i02_sansei.pdf

 一方、日本ベンチャーキャピタル協会会長の仮屋薗聡一氏は、「ベンチャー企業の育成は国家の要請そのものだと認識している」とし、「現在は学生一人の優れたアイデアだけでは起業できなくなっている。(中略)起業は戦略的で、かつ高度な「大人の戦い」だ。同じ起業でもかつてとは中身がそうとう変わっている」といいます。そして、「かつてはベンチャーといえば、ICTだったが、今はベンチャーといえば、社会問題の解決だ」と指摘しています。(『週刊東洋経済』2016年7月23日号、p.74)

 さまざまな社会問題の解決にベンチャー企業が期待されているというのです。というのも、すでに成熟した市場で商機が見込めるのは、社会問題の解決を事業化するしかないからでしょう。そういう事業に既存企業は手を付けませんから、結局、ベンチャーが手がけることになります。

 社会問題の解決を事業化できれば、元々、ニーズが高い領域ですから、場合によってはベンチャーが手がけた事業が成長産業にもなりえます。そうすれば、効率化によって縮む一方の雇用の場をベンチャー企業が用意できるようになります。そうして雇用の場が広がっていけば、職がなく、収入が不安定なことから派生する社会不安は軽減されていくでしょう。

 そもそも経済成長がなければ雇用は生まれませんし、雇用がなければ、社会は不安定になっていきます。ところが、社会問題を事業化したベンチャー企業が成長産業になっていけば、その悪循環を絶つことができるのです。そのように考えてくると、いまや、社会問題を事業化したベンチャー企業の育成は、起業家だけではなく、国が戦略的に取り組まなければならなくなっていることがわかります。

 もちろん、銀行もこの動きに参入してきています。たとえば、三菱東京UFJ銀行はホームページに成長支援のページを設け、株式上場のグループでのサポート機能を掲げています。

こちら →http://www.bk.mufg.jp/houjin/senryaku/ipo/

 クラウドファンディングという方法もありますから、起業家にとって新規事業のための資金調達は以前より容易になっているのかもしれません。

■若手起業家に共通するもの
 わずか1時間ほどのパネルディスカッションでしたが、4人の若手起業家たちがしっかりとした戦略の下で事業展開していることを知って、おおいに元気づけられました。今後、超高齢社会になっても、このような若者がいる限り、日本はまだ大丈夫だという気がしてきたのです。

そして、この4人にはいくつか共通するものがあることに気づきました。以下、思いついたものを列記します。

① 「ゼロから1を創り出す」という気構え
② 「トップになりたい」というモチベーションの強さ
③ 有名グローバル企業での就業経験
④ 「世界で勝つ」という観点の下、「ユーザー視点でのサービスの開発」
⑤ 趣味

 興味深かったのは、仲曉子氏と甲斐真一郎氏の趣味です。仲曉子氏は漫画を描いていたことがあり、甲斐真一郎氏は一時、ボクサーでもあったようです。そういわれてみると、お二人とも誰もが羨ましがるゴールドマンサックス証券をあっさり辞め、新規事業を立ち上げています。創造性や闘争性が要求される趣味にのめり込んだ経験が、仲氏や甲斐氏を雇用される立場に満足させておかなかったのでしょう。

 いずれにしても私は、このパネルディスカッションを聞いて、どんよりした閉塞感からいっとき、解き放たれたような気がしました。若手起業家たちの果敢な挑戦にエールを送りたいと思います。(2016/7/24 香取淳子)

第2回フォーラム:超高齢社会の中で、有効に機能するmHealthを考える。

■ウェルネスライフサポート・フォーラムの開催
 2016年2月18日、東京・お茶の水のソラシティで「超高齢社会の中で、有効に機能するmHealthを考える」をテーマにフォーラムが開催されました。かつて私は高齢者とメディアについて研究していたことがあります。mHealthという語に興味をおぼえ、このフォーラムに参加することにしました。mはメディアかと早とちりしたからですが、調べてみると、mはモバイルでした。mHealthとは、モバイル技術を活用した医療・ヘルスケアサービスを指すのだそうです。
 第1回フォーラムは2015年10月26日に開催されています。

こちら →http://www.yakuji.co.jp/entry46747.html
 
 今回の第2回フォーラムでは、第1部にNPO法人高齢者健康コミュニティ・CCRC研究所代表の窪田昌行氏によるキーノートスピーチ、第2部で、4人の登壇者によるパネルディスカッションが行われました。いずれも興味深いものでしたが、ここでは、「超高齢社会の中で、有効に機能するmHealthを考える」をテーマに展開されたパネルディスカッションを取り上げたいと思います。

■超高齢社会とゼロ成長経済
 まず、東京医科歯科大名誉教授で現在、東北大学メディカル・メガバンク機構長特別補佐の田中博氏が、施設医療から生活圏中心ケアに移行せざるをえなくなった背景について説明されました。田中氏は1991年以降、経済は停滞しゼロ経済成長に、そして奇しくも、1991年以降、それまでとは2倍の速度で高齢化が進んでいるとし、1991年を機に日本社会は新しいステージに入ったと指摘されます。

 たしかに、経済成長率の推移を調べてみると、1991年以降、多少の変動はありますが、成長率の低下が続いています。

こちら →経済成長率
世界経済のネタ帳より。
図をクリックすると拡大されます。

 一方、厚生労働省のレポートを見ると、1995年以降、すでに高齢化が急速に進んでいることがわかっています。

こちら →高齢化率
厚生労働省政策レポート(2009年刊)より。
図をクリックすると拡大されます。

 このレポートでは、要介護認定された高齢者数が年々、増加していることが報告されています。

 田中氏は、経済成長期の「病院完結型医療」が日本型医療体制だったといいます。ところが、日本人の平均寿命が世界一を達成した1985年以降、その体制が崩壊の兆しを見せ始めました。高齢人口の増加に伴い、医療費が拡大する一方で、日本経済が停滞してしまったからです。もはやこれまでのように施設医療で対応するのは難しく、地域で連携して医療を行っていくシステムに変換する必要があると田中氏は指摘します。

■治療医療から予測医療へ
 統計データを見ると明らかなように、今後、人口の集中する東京圏で高齢者が大幅に増加しますから、事態は深刻です。団塊の世代がいっせいに後期高齢者になる2025年をめどに、医療体制を変換する必要が生じているのです。田中氏はそのためのパラダイムを3つ提案されました。

 ①地域医療情報の連携。これは全国展開をし、どこでも継続した医療サービスを受けられるようにするというものです。②地域包括ケア。これは地域コミュニティを創設し、生活圏を中心に医療・ヘルスケアサービスを提供していくというものです。③生涯にわたる健康医療自己マネジメント。これはICTのサポートによって人々が健康のための自己管理を行うというものです。

 以上のパラダイムいずれにもICTが大きく関与していることがわかります。超高齢社会とゼロ成長経済という日本の社会状況を考えると、今後、治療医療から予測医療へと医療体制そのものを変えていかざるをえないことがわかります。

■都市部の在宅医療
 次に報告されたのが、東京大学・高齢社会総合研究機構の山本拓真氏です。山本氏は現在、千葉県柏市をフィールドに地域社会の在り方を研究されています。柏市と都市再生機構、東京大学等の産学官民、異分野連携の共同事業で、団地の建て替えに合わせて企画された研究プロジェクトのメンバーです。

 この研究プロジェクトのキーワードは「Aging in Place」だそうです。高齢者が住み慣れた地域でいつまでも自分らしく、安心して暮らすための地域社会はどうあるべきか、研究を積み重ね、まちづくりのモデルを見出そうというものです。残念ながら、ここでお見せすることはできませんが、研究成果が集約されて示された図があります。

 それを見て興味深く思ったのは、柏モデルによる超高齢社会のまちづくりに、①高齢者のQOL(Quality of Life)、②家族のQOL(Quality of Life)、③コスト、等々の観点が導入されていることです。

 山本氏の報告では、このモデルに地域コミュニティの質(Quality of Community)が加えられていました。たしかに高齢になれば、地域コミュニティが生活の中心になっていきますし、家族がいない高齢者もいますから、地域コミュニティの質がとても重要になります。Quality of Communityは現実的で適切な概念だと思いました。

 高齢者や家族のQuality of Life、地域社会のQuality of Communityを高め、維持していくため、このプロジェクトでは、①多分野多職種連携の包括ケアシステム、②住民主導の地域交流、社会参加の場づくり、③引きこもらず人と集い楽しむコミュニティ、等々が具体的な達成目標として掲げられています。超高齢社会の課題への総合的な取り組みです。

■IBM Watson
 日本IBMビジネス開発部長の西野均氏は、「Watson」のヘルスクラウドへの取り組みについて報告されました。私はこのWatsonの存在を知りませんでした。そこで調べてみると、IBM Watsonは、自然言語処理と機械学習を通して、大量の非構造化データから洞察するためのテクノロジー・プラットフォームだということがわかりました。これについては2分14分の紹介ビデオがありますので、ご紹介しましょう。

こちら →https://youtu.be/L5QJs6byoaI

 Watsonを医療に適用し、レセプト、クレーム、検査データなどの大量の医療データから法則性を見出し、適切なケアを行っていこうとする動きがいま、アメリカで広がっているようです。IBM Watson Health Cloudによって大量のデータから疾患の進行を予測し、患者に最適の医療サービスを提供するというものです。

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 2016年2月18日、Watson日本語版が提供開始されました。

こちら →http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1602/19/news060.html

 医療の分野ではがん研究など、臨床への応用をめざした実証実験が行われているようです。

こちら →http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1601/02/news007.html

 記事をアップした後、以上のようなことを知りましたので、追記します。(2016/2/23)
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■ ヘルスケア向けウェアラブルデバイス
 東芝デジタルヘルス事業開発部の大内一成氏は、ウェアラブルデバイスの取り組みについて報告されました。環境因子、生活因子、遺伝的因子等を把握することによって、疾病の予測の精度をあげることができるとされます。

 とくに生活因子についてはウェアラブルセンサによって把握することができます。大内氏はリストバンド型のセンサを装着しておられました。東芝はすでにいくつかのウェアラブルセンサを商品化しているようです。
 
 たとえば、2014年8月に東芝が販売開始したリストバンド型活動量計「Actiband™」があります。装着しているだけで自動的にライフログが記録されるという装置です。

こちら  →ttlimg-lifelog
http://www.toshiba.co.jp/healthcare/actmonitor/より。
図をクリックすると拡大されます。

 このようなウェアラブルセンサが利用者には個人の記録として健康維持に活用され、ビッグデータとして集積されて分析されれば、生活習慣の傾向を把握することができます。この「Actiband™」利用者のデータから下記のような生活習慣が明らかになりました。

こちら →http://www.toshiba.co.jp/healthcare/actmonitor/info/report201506a.html

 これはほんの一例です。利用者の日常的な身体データが個々人のバイタルサインとして機能するだけではなく、大量の利用者データが分析されれば、日常生活のあり方と健康との関係に何らかの法則性が見いだされるかもしれません。そうなれば、生活のあり方を見直すことによって、将来の疾病予防に役立つ可能性があります。

■mHealthは有効に機能するか?
 登壇者はそれぞれの立場から現状を報告されました。いずれも大変、興味深いものでした。超高齢社会、ゼロ成長経済下ではICTを活用したヘルスケア対策は不可欠だと思いました。身体に装着して自動的に記録されたデータの利活用は想像以上に多様な成果を生む可能性があります。ライフログのビッグデータからはヘルスケアにつながる発見を期待できます。今後、mHealthを積極的に推進していく必要があるでしょう。

 とはいえ、はたしてmHealthは有効に機能するのでしょうか。

 パネルディスカッション終了後、会場から興味深い質問がありました。それは「ウェアラブルのデータを医者側は信用していないのではないか」というものでした。

 これについて大内氏は、「ウェアラブルデータと医療データの突き合わせを行い、データの信頼度を検証をしている」と回答されました。技術開発者側としては、センサの精度を高めるだけではなく、データの信頼度検証も行っているというのです。このような作業を積み重ねれば、やがて、ウェアラブルセンサによるデータを医療現場で利活用できるようにもなるでしょう。

 さらに、利用者側のmHealthへのインセンティブをどう高めていくかということも今後の課題です。利用者が継続的にデータを取ることによってはじめてビッグデータに価値が生まれるのですから、使い続けてもらうためのインセンティブ喚起のための工夫が必要でしょう。

 このフォーラムに参加して、超高齢社会の課題に向けたさまざまな取り組みを知りました。健康で長寿の社会を構築するには、医者、介護者、技術者が連携して様々な取り組みをするだけではなく、当事者である高齢者自身の意識改革が必要だと思いました。健康を維持するための食、運動、生きがい等々については、メディア研究者を含めた連携が必要になってくるかもしれません。

 かつてアメリカの研究者が、幼児に『セサミストリート』が提供されているように、高齢者にも高齢期の課題を取り扱ったテレビ番組が必要だと記していたことを思い出します。誰もが接触できるメディアを通して高齢者の健康長寿のための意識変容を図っていく必要があるかもしれません。(2016/2/23 香取淳子)