ヒト、メディア、社会を考える

01月

アール・デコの画家 Jean Théodore Dupas (French; 1882-1964)

■ジャン・デュパ(Jean Théodore Dupas)
東京都庭園美術館の展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」でロベール・プゲオンと同じぐらい数多く作品が展示されていたのが、ジャン・デュパです。こちらはプゲオンとは違って、“1925 quand l’art déco séduit le monde”(1925年、アール・デコが世界を魅了するとき)でも作品が展示されていました。

1925年の国際博覧会で展示された”La Vigne et le Vin”(「ブドウとワイン」1925年制作)です。

こちら→visu_1-La-Vigne-et-le-Vin-d

これはボルドー館のために制作されたもので、まさに“1925 quand l’art déco séduit le monde”を象徴する作品です。入り口前のホールの壁に展示されていたそうですが、大きさが306×840という巨大な絵画ですから、人目を引いたでしょうし、観客を1925年当時の芸術世界に誘うには格好の導入部になったと思われます。

もちろん、ウィキペディアでもアール・デコの画家と記されています。
デュパは、ボルドー市立美術学校ではポール・カンザック、パリ国立美術学校ではガブリエル・フェリエの下で絵画を学び、1910年にローマ賞を受賞しました。

■国際博覧会ポスターの下絵:三美神が支える3本の柱
1925年現代装飾美術・産業美術国際博覧会のポスターの下絵として1924年に描かれたのがこの作品です。東京都庭園美術館の展覧会場で見ると、大きさが73×53の作品でありながら、特徴のある細長い顔の3人の女性と3本の柱がモチーフとして目立ち、縦長の構成が人目を引いていました。

こちら→FullSizeRender

三人の女性がそれぞれ柱のようなものを支えています。彼女たちの周囲を覆っているのはリンゴやブドウ、ナシなどの果物、あるいは色鮮やかな花々や葉です。地面には下草が生え、上方には青空が広がり、楽園を想像させます。

そして、右の柱のようなものには鮮やかな色で着彩された抽象的な文様が施され、裸体の女性が支えています。真ん中の柱には古代建築の屋根や柱などの部分がいくつかピックアップされて描かれ、肩を出した赤いドレスを着た女性が支えています。そして、左の柱には裸体をあしらったさまざまなレリーフが施され、黒いマントを羽織った女性が支えています。どうやらこの三本の柱のようなものに大きな意味が込められていそうです。

そこで、解説を見ると、この絵について以下のように記されています。
「三美神がそれぞれ柱を支えている。柱には右から、鮮やかな磯の抽象文様、中央は古代建築、左は上部にアジアの神殿のレリーフ、アフリカの彫刻のような大きな頭部の像、下部に花かごを頭に乗せるカリアティードが描かれる。これらは当時の装飾美術の源泉であるキュビスム、古典主義、オリエンタリズムを讃えているように読み取ることができる」

カリアティードとはギリシャ語で女人柱というのだそうです。古代ローマ以前から、梁や上部の水平部分を支える柱の代わりに、このような女性像が使われていました。

こちら→http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3d/Caryatid_Erechtheion_BM_Sc407.jpg/200px-Caryatid_Erechtheion_BM_Sc407.jpg

柱に描かれた三人の女性を三美神と捉えたところから、この絵の形而上学的解釈が始まっているのでしょう。三美神とはギリシャ神話に登場する三人の女神を指し、それぞれ美貌、魅力、創造力を司っているといわれています。あるいは、美、雅、芸術的霊感を司るともいわれるようです。それが、それぞれ特徴のある文様が彫り込まれた柱を持ち、ともに楽園のようなところで佇んでいる・・・。

そして、細密に描かれた柱の文様を読み解くと、さらに深い解釈が可能になるというわけです。まさに1925年国際博覧会の目的を立派に果たしたポスターの下絵といえます。アール・デコ博覧会の時代、多様な様式の美術が共存していました。そのような風潮をデュパは、自身が模索していた様式美を活かしながら見事に表現しているのです。

■寓意的解釈を迫るデュパのモチーフと様式
会場で展示されていたのが、「パリスの審判」、「国際博覧会ポスター下絵」、「イタリアの泉」、「赤い服の女」、「射手」、「エウロペの誘拐」等々でした。いずれも、古典的なモチーフを使い、様式的な表現で、観客に寓意的解釈を迫ります。モチーフや表現へのこだわりが観客にそのような思いを抱かせるのでしょう。ポスターや習作、大作の一部にその片鱗を見ることができます。

こちら→
http://www.mutualart.com/Artist/Jean-Theodore-Dupas/30D8D67A607CAE22/Artworks

一連の彼の美術作品を見てみると、見る者の気持ちを射抜く絵の力とはなんなのかと思わざるをえません。決して上手な絵だとは思わないのですが、なにか引っかかるのです。そして、記憶に残る・・・、不意に自分で物語を重ね合わせてしまう・・・、そのような力がデュパの作品にはあるのでしょう。100年も前の作品なのに不思議に気持ちが捉われてしまうのです。(2015/1/30 香取淳子)

アール・デコの画家 Eugène-Robert Pougheon (French; 1886–1955)

■展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」
東京都庭園美術館で開催されたこの展覧会に先行してフランスでは2013年10月16日から2014年2月17日まで“1925 quand l’art déco séduit le monde”(1925年、アール・デコが世界を魅了するとき)というタイトルの展覧会がパリ建築・文化財博物館で開催されました。

こちら→http://www.franceinter.fr/evenement-1925-quand-lart-deco-seduit-le-monde

どうやらフランス美術界ではアール・デコを再評価しようとする動きがみられはじめたようです。ところが、どういうわけか、ここにロベール・プゲオンの名前が見当たりません。

■ウジェーヌ・ロベール・プゲオン(Eugène-Robert Pougheon)
東京都庭園美術館の展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」ではロベール・プゲオンの絵画が多く展示されていました。たとえば、「Italian fantasy」(1928年)、「Amazon (fantasy…)」(1934年頃)、「Woman with rose, Portrait of Mrs. Culot dressed in Maggy Rouff」(1940年頃)、「The Serpent」(1930 年以前)、「Captives」(1932年)、そして、壁画の下絵である「Maquette for the community hall of the 14th arrondissement town hall of Paris」(1933年頃)、等々です。

この展覧会のポスターも、ロベール・プゲオンの絵画をベースに制作されています。一目を引く絵柄だから採用されたのかもしれませんが、彼の扱いが大きいのが印象に残りました。

当然、フランスでの展覧会「1925 quand l’art déco séduit le monde」でも展示されていたのではないかと思いましたが、名前がなかったのです。そこで、この展覧会の名称と彼の名前「 Robert Pougheon」をキーワードに検索しました。ところが、わずか10件しかヒットせず、このうち6件が「1925 quand l’art déco séduit le monde」のみ、1件が「l’art déco」、そして、3件が「Robert Pougheon」のみに反応したものでした。両方に反応したものは1件もありませんでした。ですから、この展覧会に彼の作品は展示されていなかったことになります。

そこで、「l’art déco en france」をキーワードに検索をかけ、フランスのウィキペディアを見たのですが、Robert Pougheonの名前はありませんでした。どうやら彼はフランスで典型的なアール・デコの画家として認知されているわけではないようです。では何故、この展覧会で彼の作品が数多く取り上げられたのでしょうか。

■ローマ賞受賞の画家
カタログを見ると、第6章で「アール・デコの画家たち」が取り上げられています。その説明文の冒頭で、以下のように記されています。

「1914年、若手芸術家の登竜門であるローマ賞を受賞した画家に、ロベール・プゲオンがいます。彼は古典主義的主題と伝統的な寓意表現を現代性と結びつけ、イマジネーション豊かな絵画を描きました」

カタログの説明文でも、数ある画家たちの中でロベール・プゲオンが筆頭に取り上げられているのです。アール・デコの画家としては、ジャン・デュバ、ジャン・デピュジョル、アンドレ・メール、ルイ・ビヨテ、等々の名前があげられています。いずれもローマ賞受賞者です。彼らの作品を見ると、ギリシャ・ローマの神話にモチーフを取りながら、背後に近代的な建物を配したり、樹木や草花を装飾的に描いたりしています。彼らはどうやら近代的であると同時に装飾的であるという条件を満たす画家たちであったようです。

千足伸行氏は『フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』(1994年小学館、p.382)の中で、以下のように記しています。

「アール・デコとはこうした大衆的な次元でのモダニズム、平たくいえば新しもの好きの精神から生まれた様式であった。ただし、新しいものとはここでは必ずしも現代を、現代の機械文明を意味しない」

モチーフが古いものであったとしても、彼らはそれに近代の光を当て、楽観的に捉え直したといえるのかもしれません。

■ロベール・プゲオンの『Le serpent = The Serpent』
展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」のポスターの絵柄に採用されていたのが、ウジェーヌ・ロベール・プゲオンの『Le serpent = The Serpent』でした。日本語訳として「蛇」が当てられています。注意深く見てみると、馬から外した鞍の間に小さな蛇が描かれています。

こちら→プゲオン

解説を見ると、以下のように記されています。
「前方に描かれているのは二人の裸体の女性と黒衣の女性、そして二頭の白馬である。二つの鞍の間に蛇がおり、聖書のアダムとイヴの原罪の物語を下敷きにしていることがわかる。しかし、男性(アダム)はたくましい二頭の白馬として描かれる。ルピナスとクロッカス、ヒナギク、アルムという美を競う花々はいずれも強い毒性を持つものばかりである。1930年に国家買い上げになった作品で、寓意的な構成や正確なリアリズムを特徴とするプゲオンの代表作」

私は最初、この絵を見たとき、絵の中に蛇が見つからなかったので、『Le serpent = The Serpent』に「蛇」という訳語を当てるより、もう一つの訳語である「悪意のある人」の方が妥当ではないかと思いました。黒衣の人物を男性だと思ったせいでもあります。この人物は黒い帽子を被り、男性用の靴を履いているように見えたのです。

男性にしては体つきが華奢なのが気になったのですが、裸体の女性に何か囁いてように見え、しかもこの人物の顔半分は黒っぽく塗られています。表情と色で、「悪意のある人」として示唆されているのではないかと思いました。「悪意のある」この人物によって女性二人は衣服を脱ぐように仕向けられ、二頭の馬も鞍を外され裸状態にされていると思ったのです。

女性の一人は視線を伏せ、誘いかけるようなポーズを取っています。その傍らで黒衣の人物は女性の肩越しに何かをささやいているようです。巨大な二頭の白馬は興奮して前足を蹴り上げており、近くの建物のバルコニーには黒服のヒトが覗いています。馬の背後にも遠くから黒服のヒトがこちらを見ています。

二頭の白馬が男性(アダム)として描かれているのだとすれば、たしかにこの絵はアダムとイヴの寓話といえます。この黒衣の人物を蛇の化身とみることができますから、蛇の化身が裸体の女性(イヴ)に何かを囁き、やがて、彼らは楽園を追われる・・・、というストーリーが素直に浮き上がってきます。このように読み解くと、「蛇」という訳語の方が絵に深みを与えることがわかります。モチーフが何を象徴しているのか、背景となる文化を知らないとわからないところがこの絵の魅力の一つなのでしょう。

それにしても何故、二頭の白馬に二人の裸体の女性なのか。構図としてみれば、この配置でぴったり収まっているのですが、白馬も女性も敢えてダブルにしたことの意味がわかりません。

ブリュノ・ゴディション氏(アンドレ・ディリジャン芸術・産業博物館館長)はカタログの中でこの絵について次のような説明をしています。

「アダムとイヴの原罪の複雑なメタファーであり、第一次大戦後に劇的に変化した男女関係を表している」

そこまで深く読み込むことができるのかどうかわかりませんが、この絵は古いモチーフを使いながら、近代的で装飾的な仕掛けが施されていることは確かなようです。こうしてみると、東京都庭園美術館の担当者が今回の展覧会でローマ賞受賞者たちの絵画を中心に取り上げた理由もわかるような気がしてきました。そして、展覧会のタイトルの下に「アール・デコと古典主義」というサブタイトルが付与されている理由も・・・。

21世紀に入って10数年も経た現在だからこそ、アール・デコの画家たちの中でもとくに、古典やイタリアルネサンス、18世紀新古典主義などへの憧憬が見られる画家たちの作品が新鮮に見えてきたのかもしれません。(2015/1/29 香取淳子)

アール・デコの画家 Tamara de Lempicka(Polish,1898-1980)

■アール・デコとは?
今回の展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」やシンポジウムに参加し、アール・デコに興味を覚えました。これまでに聞いた覚えはありますが、具体的にどういうものか理解していたわけではありませんでした。そこで近くの図書館に行って調べてみたのですが、参考にできたのは、『世界美術大事典』と『世界美術大全集25フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』ぐらいでした。どうやら美術史での扱いはそれほど高くないといえそうです。

▼『世界美術大事典』では、「1920~30年初頭、ヨーロッパ各国で展開した建築や工芸の装飾的な様式」と概括されています。そして、1925 年パリで「現代装飾美術・工業美術国際展覧会」が開催され、そこで主流となった装飾的様式をさしてアール・デコと呼んだとその由来が記され、以下のようにその装飾の様相が具体的に説明されています。

「その装飾には当時の絵画や彫刻の影響、すなわち、キュビズム、構成主義、未来派、抽象芸術の影響を受けて単純化された立体的な形がみられる。直線的・幾何学的であり、曲線が用いられてもアール・ヌーヴォーの曲線のように自然からとられたような有機的なものではなく、人工的、無機的な曲線を見せることが多い」

▼『世界美術大全集25フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』では、この名称の由来について、千足伸行氏が「アール・デコの名称が1925年に開催された「現代装飾美術・工業美術国際展覧会」に由来していることは確かだが、定着したのは1966年のパリ装飾美術館での展覧会以後のことである」と記しています。

この箇所を読んだとき、東京都庭園美術館でのシンポジウムで、アントワーヌ・レキュイエール美術館キュレーターであるエルベ・カベザス氏が、アール・デコとは1960年代以降に画商たちが1920年代の作品を指すときに使い始めた言葉で、1920年代にはまだ使われていなかったといっていたことを思い出しました。

千足伸行氏はその様式について、
「アール・デコの源流はドイツ、オーストラリア、イギリスなどのデザイン運動にあったが、20世紀初頭、装飾芸術の刷新を計ってパリに結成された装飾芸術家協会や、フォーヴィスム、キュビスム、未来主義、抽象主義、表現主義、構成主義などのモダニズム運動、またこれに付随して注目を集めた(特にアフリカ、オセアニアの)原始美術の影響も考慮に入れる必要がある」と記しています。

シンポジウムでフランスのキュレーターたちが一様に、アール・デコには多様な様式があったといっていたことを思い出します。

彼はさらに、「アール・ヌーヴォーとの比較でいえば、アール・デコはアール・ヌーヴォーの女性的とも情緒的とも官能的ともいうべき曲線様式に対し、直線的、幾何学的な明快さと、近代の都市文明に即応した機能性および矩形、三角形、菱形、アーチ形の曲線からなる装飾モティーフを特色とし、色彩も原色系の単純明快なものが好まれた」と説明します。

たしかに朝香宮邸で見た照明器具は三角形の原色の組み合わせでした。

こちら→http://www.teien-art-museum.ne.jp/archive/museum/images/teien_image_light.jpg

■タマラ・ド・レンピッカ (Tamara de Lempicka)
千足伸行氏はアール・デコを代表する画家の一人としてタマラ・ド・レンピッカをあげています。『世界美術大全集25フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』で取り上げられていた作品は、「アダムとエヴァ」(1932年制作)、「ブカール婦人の肖像」(1931年制作)でしたが、私が好きなのは、「Autoportrait」(1925年制作)です。この作品にはアール・デコの特徴がよく表れていると思います。

こちら→ダウンロード

産業文明の象徴である車を女性が運転している姿を描いた絵です。ヘアスタイルはストレート、ハンドルを握る姿はいまにも猛スピードでダッシュしそうに見えます。視線はけだるく、そして、鋭く、冷たい・・・。ウィンドウのフレームで鋭角的に切り取った構図はまさに直線、矩形で構成されており、アール・デコの装飾様式そのものです。

「緑の服の少女」(1930年制作)も非常に魅力的です。

こちら→http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/36/0000349936/85/img180e616bzik8zj.jpeg

帽子でわざと影を作り、挑発するような強いまなざしを向ける相手はいったい誰なのか、限りなく観客の想像力を刺激します。有無を言わせず絵の世界に引き込んでしまうパワーがあるのです。緑の服のフリルや皺は直線や矩形で表現されています。白い帽子に緑色の服といった原色の色使いの中でモダンな様式が表現されているところにも惹き付けられてしまいます。

レンピッカにかかれば、花さえも観客を一種独特の世界に誘ってくれます。
たとえば、「カラーの花」

こちら→http://sekisindho2.up.seesaa.net/ftp/83J8389815B82CC89D491A9.jpg

■まなざしに込められた表現
レンピッカの作品の特徴の一つは描かれた人物のまなざしにあります。たとえば、「Autoportrait」の女性のまなざし、「緑の服の少女」の少女のまなざし、それぞれ特徴があります。特徴があるだけではなく、観客を惹きつけて離さない強さがあります。そのまなざしだけで、人物の性格、シチュエーション、人物が織りなすストーリーが浮き彫りにされているのです。まなざしをこれほど豊かに描けるのかと感嘆してしまいますが、同時に、個性的で豊かな表情だからこそ、それぞれのまなざしが描かれた対象に生命を与えていることがわかります。

こちら→
http://theculturetrip.com/europe/poland/articles/art-deco-icon-the-alluring-mystique-of-tamara-de-lempicka/

一連の作品をみると、「魚」(1958年制作)さえ、その目の表情によってもはや生きていないことがわかります。ただ、後年になると、彼女は生活の中にモチーフを求めるようになっていることがわかります。

■「芸術の中に生活を」「生活の中に芸術を」
千足伸行氏は「アール・デコが“芸術のなかに生活を”、“生活のなかに芸術を”の理想を実現し、生活と芸術の一体化、融合を促したという意味で歴史的意義はきわめて大きなもの」があると記しています。

たしかに朝香宮邸の内部を見てみると、そのことが実感されます。心の豊かさは芸術とともにあることが再認識されます。

興味深いことに、今回の東京都庭園美術館での展覧会にレンピッカの作品は展示されませんでした。フランスのアール・デコに影響されていた朝香宮邸の諸美術品とは関係しなかったからでしょうか。それとも、フランス人ではなかったからでしょうか。アール・デコを代表する女流画家といわれるレンピッカですが、彼女はポーランド人でした。

ワルシャワに生まれた彼女は第一次大戦、ロシア革命を経て、アール・デコの只中に身を置くようになり、装飾的な様式の表現活動にまい進しました。やがて第二次大戦、そして戦後の苦難の時期を迎えます。激動の時代を走り抜けるように生き、メキシコでその生涯を終えたのです。

波乱の人生を生きた女性がキャンバスに描いたモチーフは装飾的で美しく、しかも硬質の雰囲気に包まれているのですが、どれも、どこかはかなげで寂しく、悲しさが漂っているのが不思議です。

アール・デコは1929年の世界大恐慌以降、急速に凋落していきます。産業化のさらなる進展に伴う機能主義、合理主義的なデザインにとって代わられるようになるのです。それにしても、レンピッカが描く女性たちのまなざしのなんと強く、そして、脆く、悲しいのでしょうか。彼女の心の深淵を思わず想像してしまいます。だからこそ、彼女の絵が放つ深い情感的な訴求力に惹かれてしまうのでしょう。(2015/1/26 香取淳子)

「第17回DOMANI・明日展」で見た入江明日香氏の作品

■「第17回DOMANI・明日展」で見た入江明日香氏の『Le Petit Cardinal』
出口に近いコーナーに展示されていたのが、入江明日香氏の作品です。どれも精緻で完成度が高く、華麗な画風に惹き付けられました。しかも、展示された7作品のうち、3作品が横5メートル以上という巨大なものでした。パワフルな制作力に感嘆させられます。

なかでもその表現力、構想力に圧倒されたのが、2014年に制作された『Le Petit Cardinal』という作品です。パリでの研修が2012年度ですから、この作品には研修の成果が反映されているといえます。

どのような作品なのか、「第17回DOMANI・明日展」のホームページから見てみることにしましょう。

こちら→ http://domani-ten.com/artist/exhibition/asuka_irie.php

■入江作品に登場する少女や少年たち
入江作品には必ずといっていいほど少女や少年がモチーフとして登場します。共通しているのはその表情で、とくに、どこか遠くを見つめているようなまなざしが印象に残ります。身体はそこに存在していても、心は存在しない・・・、とでもいえばいいのでしょうか。たとえば、大作『Le Petit Cardinal』の前で私が引き付けられたのは、中央に大きく描かれた少年の姿です。ここでは、ちょっと上目使いのまなざしが気になります。

入江明日香

少年は建物の形をした紙箱のようなものを両手いっぱいに抱えています。その姿勢は、誕生日か何かで抱えきれないほどのプレゼントをもらったときの姿勢と重なります。少年にとってはうれしい、心弾むひと時のはずです。ところが、いくつもの紙箱を落とさないように注意しているからでしょうか、少年の目にはそこはかとない不安が宿っています。よく見ると、紙製の建物のいくつかは壊れかかっており、それは震災後の被災状況のようにも見えます。そして、屋根らしきものの上にはなぜか着物姿の女性が座り、下を見ています。今にも落ちそうになっている姿勢を必死で立て直そうとしているかのようにも見えます。

少年を中心に構成したこのピースひとつとってみても、入江氏の非凡な着想力、表現力がわかります。少年が紙箱を抱え持っている姿は誰もが日常的に経験する幸せの構図です。いわば見慣れた光景ですが、その中に、非日常がもたらす不安、恐怖、怯えなど、幸せとは対極にある世界を平然と、しかも華麗なタッチで入れこめているのです。

■「見る人の記憶に残るような作品づくり」を目指して
制作に対する意気込みを問われ、入江氏は「見る人の記憶に残るような作品、展示を目指しています」と答えています。このインタビュー記事を読んだ後、あらためて展示作品を観てみたのですが、どの作品も「一度、見たら忘れることができない」ほど、強い訴求力があります。それは華麗に描かれた無垢な少女や少年の中に、不安感を喚起する要素を組み込んで表現しているからかもしれません。

たとえば、『Le Petit Cardinal』の少年は、そのまなざしの特徴から、現在でありながら現在ではない時間を生きているように見えます。さらに、その姿勢と構図から、一見平和な日常生活の中にいながら、実は悲惨な被災状況の只中にいるようにも見えます。壊れかかった紙製の建物を抱えている姿はまるで被災後の難局をあますところなく抱え込んでいるかのようです。

しかも、その主体はまだ保護者の庇護の下にいるような少年なのです。まだ大きな恐怖も不安も怯えも経験したことがないような時期の少年をモチーフに、リアルではない形で悲惨な被災状況を盛り込んでいます。その結果、このピースだけ見ても、ヒトが誰しも無意識のうちに抱いている漠然とした不安感が見事に表現されているのです。

■これまでの作品
入江氏のこれまでの作品を観ると、精緻で完成度が高く、装飾的要素が強いことが共通していることがわかります。

こちら→ http://www.asuka.mimoza.jp/gallery.html

少女、少年、花、動物などが華麗なタッチで表現されているのですが、いずれの場合も漠然とした不安感が漂っています。このように現代社会の華やかな表層の背後にある暗黒の深層が鮮やかに捉えられているのが、入江氏の作品の特徴であり魅力なのだと思います。

どの作品も華麗で装飾的なのは、銅版画のコラージュという手法を採っているからかもしれません。銅版画は一種独特の色彩を生み出すようです。筆だけでは表現できない銅版画の表現効果が好きだという入江氏の作品には他の追随を許さない独自性があります。商業的にも成功しそうに思います。(2015/1/19 香取淳子)

フランス美術界でアール・デコ再評価の動きか?

■「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」展記念シンポジウム
2015年1月17日、東京都庭園美術館で「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」展記念シンポジウムが開催されました。東京都庭園美術館は、朝香宮邸として使われていた建物を1983年10月1日に公開し、美術館として使用してきたものですが、2011年~2014年にかけてリニューアルのための大規模な改修工事が行われていました。同美術館は2014年11月22日、新館も増設されて、リニューアルオープンしました。この展覧会は同美術館の設立30周年、リニューアルオープンを記念しての企画です。

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朝香宮邸はフランス人の装飾美術家・アンリ・ラパンらの協力を得てアール・デコ様式を採り入れ、1933年に竣工されました。1922年から1925年にかけてフランスに滞在した朝香宮の意向を汲み、アール・デコ様式が随所に取り入れられました。邸内に一歩、足を踏み入れ、内部を見渡せば、まさに「絶佳」です。椅子、ソファー、テーブル、壁、床、暖房器具に至るまで、備品、具材がアール・デコなのです。たとえば、室内はこんなふうになっています。

美術館内部

朝香宮邸のアール・デコについてはこちら
http://www.teien-art-museum.ne.jp/archive/museum/asaka_artdeco.html

この展覧会のタイトルが「幻想絶佳」と銘打たれているのも納得できます。邸内そのものがアール・デコの美術品なのです。歩き回るだけでアール・デコ様式が生み出す美しい幻想を体現することになります。そして、新館への通路からは深い緑に包まれた庭園が広がっており、気持ちが落ち着きます。新館に入ると、新館ギャラリー1で絵画が展示されており、新館ギャラリー2でシンポジウムが行われました。

■登壇者はフランス美術館のキュレーターたち
登壇者はドミニク・ガニュー氏(パリ市立美術館チーフ・キュレーター)、エルベ・カベザス氏(アントワーヌ・レキュイエール美術館キュレーター)、クレール・ポワリオン氏(30年代美術館キュレーター)で、いずれも今回の展示にかかわる美術館のキュレーターです。各登壇者のプレゼンテーションの時間が延びてしまい、予定されていたディスカッションの時間がとれなくなってしまいました。とはいえ、登壇者がご自身の専門領域で話された内容はいずれも興味深く、アール・デコに関わる美術館のキュレーターたちを中心に組み立てられた今回のシンポジウムはとても意義深いものになっていました。

登壇者 (640x480)

■アール・デコとは?
最初に登壇されたエルベ・カベザス氏によると、アール・デコとは1960年代以降に画商たちが1920年代の作品を指すときに使い始めた言葉で、1920年代にはまだ使われていなかったそうです。そもそもアール・デコは、1925年4月から11月にかけてパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels modernes)の略称に基づく名称だといわれています。また、1910年から1930年代にかけてフランスを中心にヨーロッパ全体に広まっていた工芸、建築、絵画、ファッションなどの分野に波及した様式の総称ともいわれます。ですから、おそらく当時、それまでとは異なる表現上、あるいは様式上の傾向が見受けられるようになったのでしょう。それを命名する必要が生じてアール・デコと総称されるようになったのかもしれません。

カベザス氏は、アール・デコと言っても決して一様ではなく、さまざまな様式があったといいます。異なる様式のさまざまな作品が同じ空間に存在したのが、1925年の博覧会だったというのです。この博覧会が「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」命名されていたことを思えば、単なる美術作品ではなく、産業と結びついた製品も対象としていたことがわかります。ですから、さまざまな様式が混在していたのは当然だといえます。

彼はアール・デコの作品に共通するのは、表現の装飾性であり、滑らかな仕上がりであり、細部へのこだわりだったといい、モチーフとしては奇妙なもの、突飛なものが選択されることが多く、構図に奇妙さがあったのも共通していたといいます。

■モチーフの広がり
クレール・ポワリオン氏は、1930年代のフランスでは余暇生活を楽しむ層が増え、スポーツ、釣り、海、植民地、旅行などがモチーフに選ばれることが多くなったといいます。生活圏が拡大することによって人々の関心領域が広がり、多様なモチーフが選択されるようになったのだと思われます。その背後に見え隠れしているのが産業化の進展です。

ドミニク・ガニュー氏は、1925年の万博の目的は産業の進歩であり、人々の生活を安楽にするための製品開発を展示する国際競争の場でもあったと指摘します。各国は威信をかけて技術を競い、アイデアを競っていたのだというのです。参加者にとって万博は新奇な展示品を見る場であり、学びの場であり、娯楽の場でもあったのですが、国家にとっては国力あるいは国家権力を示す場だったのです。

ですから、当時のフランス商務省は装飾技術を時代のニーズに合わせたものにすることに尽力し、後にアール・デコと呼ばれるものを作り上げることに成功したのだとガニュー氏いうのです。異国趣味、人目を引く大がかりなものへの関心も高まり、人間の可能性だけではなく、芸術の可能性も追求されたといいます。たとえば、朝香宮邸のエントランスの扉はガラスのレリーフになっていて、大広間からの明かりを受けて女性像が浮かび上がってきます。

ガラスレリーフの扉

■フランス美術界でのアール・デコ再評価の動き
こうして邸内を見てくると、フランス美術界で現在、アール・デコ再評価の動きがみられるという理由もなんとなくわかるような気がします。現代社会に生きる私たちが一様に、機能優先で無味乾燥な生活を強いられているとすれば、アール・デコは機能性以外に豊かな装飾性を持ち合わせていて、それが心の奥底に沈んでいる優しい気持ちを呼び覚ますからではないでしょうか。

庭園美術館事業企画係長で学芸員の関昭郎氏はカタログで次のように書いています。

「私たちは当時の美術家たちが空間と様々な美術品を併せた総体として表現しようとした時代の美意識に、より注意深く、目を向ける必要がある。おそらくそこに見た目の豪華さだけではない、アールデコにおける「古典主義」の本質的な意味、今日でも古びることのない普遍的なメッセージが隠されているのである」
… p.15

新館ギャラリー1で展示されていた多くの絵画もどことなく懐かしく、愛らしく、つい惹きこまれて見入ってしまいました。次回は、興味を覚えた絵画をピックアップして、見ていくことにしましょう。(2015/1/18 香取淳子)

和田淳氏の『グレートラビット』

■「第17回DOMANI・明日展」で見た和田淳氏の『グレートラビット』
「第17回DOMANI・明日展」ではアニメーションも上映されていました。7分間の映像作品です。2011年にイギリスに行って研修し、2012年に制作したのがこの『グレートラビット』なので、たしかに在外研修の成果といえるでしょう。この作品はベルリン国際映画祭銀熊賞など国内外で受賞しています。

ホームページには53秒の映像がアップされていますので、ご紹介しましょう。
作品の一端を知ることができます
 
こちら→ http://kankaku.jp/independent-jp/rabbit.html
 

登場するキャラクターはいずれもふくよかで、どこを触れてみても、そこはかとない温もりが伝わってきそうです。手書きのアニメーションだからでしょうか、ほのぼのとした暖かさが画面全体にあふれています。描かれた線は柔らかく、動きものんびりとしており、安らぎが感じられます。
 
014_usagi
 

■気持ちいいという感覚
和田氏はインタビューに答え、次のようにいっています。
 

人間が心や体の奥底で持っている気持ちいいと思う感覚のようなものが、自分の作品で表現でき、さらに作品を観た人にそれを呼び起こさせるということを喜びとしている私にとって、もし自分がつくっているものがアートなのだとしたら、アートとはそういうことができるものなのではないかと思っています。
 
… 「第17回DOMANI・明日展」カタログ・インタビュー(p.18)より

 
たしかに彼の作品を観ていると、身体の奥底から気持ちいいという感覚が立ち上ってきそうです。丸みを帯びたキャラクターの形態、おだやかな輪郭線、淡い色彩、そして、和紙の感触の残る背景。つい見入ってしまいますが、見終えるといつの間にか、いい気持ちになってしまっているのです。おそらく、対立、葛藤、競争、等々といった鋭角的な要素が注意深く作品から排除されているからでしょう。

 
■気持ちいい動き、気持ちいい音
この作品で音声の存在はきわめて希薄です。何をいっているのかわからない小さな雑音のような音声が、時折り挿入されるだけです。ですから、私は観客の意識を映像に集中させるために敢えて音声を絞り込んでいるのかとおもっていたのですが、どうやら違うようです。彼はインタビューに答えて次のようにいっています。
 

気持ちいい動きを思い描く時には、頭で気持ちいい音も同時に鳴っているので、どのような音をどのタイミングで入れるかは、どのような動きがどのタイミングで動くのかと同じように重要なのです。両方あって初めて成立するものだと思うので。
 
… 「第17回DOMANI・明日展」カタログ・インタビュー(p.19)より

 
映像から鋭角的な要素を排除したように、音声からもその種の要素を排除しようとすると、結果として、小さな、何をいっているかわからない騒音のような音声を時折り、挿入するということになってしまうのでしょう。

 
■ストーリー
さらに、和田氏は次のようにもいいます。
 
作品を考える時に、最初にストーリーというものを考えません。まずある動きやシチュエーションを思い浮かべて、それが何故そういう動きをするのか、それがどういう展開をすれば面白いかを考えます。そしてそれらをどのようにつなげれば作品として成立するかを考えながらストーリーのようなものを紡いでいきます。
 
… 「第17回DOMANI・明日展」カタログ・インタビュー(p.19)より

 
作品づくりの端緒は動きとシチュエーションだというのです。最初に全体像を決めて、細部を掘り起こしていくというスタイルではなく、気になる動きやシチュエーションが最初にあって、それから展開を考える際にストーリーを組み立てていくというのです。「気持ちよさ」というものを動きやシチュエーションの中に見出すだけではなく、作品全体の意味として追求しようとすれば、ストーリーは欠かせませんが、それがいわば「つなぎ」の役割にとどまっているというのが和田氏の作品づくりの特性なのでしょう。だからこそ、感性優位の心に沁み込む作品が生まれるのだと思いました。

 
■「気持ちよさ」の背後にあるもの
和田氏は「気持ちいい」を手掛かりに作品を制作しているといいます。たしかに会場で7分の『グレートラビット』を見て、久しぶりに心が和らぎ、「気持ちいい」気分になったことを思い返します。この作品から映像にしても音声にしても、ヒトの感覚を鋭角的に刺激する要素が排除されていたからだと思われます。そして、意味のはっきりしないストーリーもまたそのような感覚が醸成させるのに寄与していたような気がします。
 

私たちはいま、諸感覚器官を鋭角的に刺激する映像や音声を日常的に浴びています。ひょっとしたら、そのような状況に私たちの感覚器官は疲れ切っているのかもしれません。だからこそ、和田氏の作品を観ると「気持ちいい」と思えてしまうのではないでしょうか。そのように考えてくると、和田氏の作品は刺激に溢れた現代社会という背景があるからこそ、さらに大きく価値づけられているのではないかと思います。洋の東西を問わず、現代社会の多くの人々にこの作品は快く受け入れられると思いました。(2015/1/15 香取淳子)

「第17回DOMANI・明日展」で見た奥谷太一氏の作品

■第17回DOMANI・明日展の開催
2015年1月12日、文化庁芸術家在外研修の成果展である「第17回DOMANI・明日展」に行ってきました。文化庁の海外派遣制度によって研修してきた新進芸術家たちの成果発表が国立新美術館で開催されていることを偶然、知ったからです。開催期間は2014年12月13日から2015年1月25日までです。この日、たまたまに六本木方面に行く用事もあったので立ち寄ってみたのですが、大変、興味深い展覧会でした。

■造形の密度と純度をテーマに
今回のテーマは「造形の密度と純度」です。これまでに海外派遣された研修生の中から「造形的に緻密で高い完成度を持ち、表現の純度を高めている作家」として評価された12人が選ばれ、成果発表が行われました。

入口を入ってすぐのコーナーに奥谷太一氏の作品が展示されていました。人物はいずれもまるで写真撮影したかのように精緻なタッチで描かれています。卓越したデッサン力の持ち主なのでしょう、造形的に緻密で完成度の高い作品であることが一目でわかります。

■色彩
ただ、緻密で完成度の高い作品はともすれば観客に息苦しさを感じさせかねません。その種の息苦しさを振り払うかのように、奥谷氏は人物の顔や手を青色や緑がかった色で彩色しています。私が引き付けられた作品「帰路」(2007年制作、162×194)も同様です。このように彩色することによって、誰もが見慣れている光景に違和感を演出するとともに、観客の注意を引くことができます。さらには、ビジネスマンたちの疲れ、未来への不安、やるせなさを表現することもできますから、この彩色だけで現代ビジネス社会の風刺にもなっています。

帰路

もっとも、ビジネスマンたちの顔や手を青や緑系で彩色すると、それだけで絵全体が暗くなり、陰鬱で沈滞した印象を与えてしまいます。しかも彼らはまるで制服のように一様に、ダークスーツを着用しています。ですから、いっそう疲れ切った、個性のない集団といった印象を与えがちなのですが、実際は、彼らこそが日本経済を力強く支え、社会の活力源にもなっているのです。

彼らが着用しているダークスーツにしても、寒色系の顔色や手にしても、それだけでは色彩に付着するイメージによって、実際に彼らが生み出している巨大な生産のエネルギーは封じ込められ、観客には伝わってきません。改めて見ると、寒色系の色がもたらす暗鬱さを拭い去るかのように、ビジネスマンが持つブリーフケースやバッグは黄色やオレンジなどの暖色系の色で彩色されています。小物に着色した色彩で端的にビジネスマンの生み出すエネルギーを表現しているのです。さりげなく配されたこの二つの色が見事に効いています。

■構図
ビジネスマンたちは右方向に向かって歩いています。右端と左端の人物はキャンバス内に収まりきれず、はみ出していますから、この人群れが右にも左にも続々とつながっていることがわかります。それも、左方向からの圧力で右方向に向かって押し流されているというイメージです。しかも、彼らの視線は下方か前方か上方に向けられており、観客の方には向けられていません。周囲を見渡す余裕もないことが示されています。

左下に描かれた人物はおそらく作者なのでしょう(実際、会場でご本人をお見かけしたのですが、そっくりでした)。この人物もやはり青い顔色をしているのですが、立ち止って観客の方を見ています。そして、ビジネスマンの群れとは逆の方向に身体を向けていますから、時代の風潮に掉さすことができるクリティカルな視点を持った自由人だということが示唆されています。

この絵の中には、人の流れに二つの方向性が持ち込まれています。一方は黙々と流れに従う方向であり、他方は流れが作り出されていない、停止という方向です。このように対立軸を設定することで、この絵の深さが増しました。流れに従う方向(群衆、多数の人々)は、多数が同じ方向で動くために中にいれば安心感はありますが、自由度は少なく、個性の発揮しようがありません。流れに乗らない方向(個人)は、風当たりは厳しく、あらゆることを自分で開発し、獲得していかなければなりません。ただ、自由度は高く、好奇心を保持したまま生きることができます。奥谷氏はこの位置に自分を描くことによって、クリティカルな視点を失わない画家として生きることの決意表明をしたようにも思えます。とても興味深い構図です。

さて、右から3分の1あたりで、この人群れに空白が置かれています。空白のすぐ後に、一人だけ白いワイシャツ姿の人物が描かれています。ダークスーツの群れに白いワイシャツ姿の人物を配置することによって、観客に空白を明確に認識させる効果がありますが、どうやらそれだけではないようです。

キャンバス全体からみれば、このポジションはとても重要です。中央に近い位置であり、その前に空白が置かれているからです。しかも、ダークな色調の中で白という対立色が施されています。ポジションの面でも色彩の面でも強調されていることがわかります。観客の目を自然に集める位置に配されていますから、この人物が中心なのです。いわば主人公なのですが、それが前かがみになってうなだれた姿で描かれています。描かれた人物たちの中でもっとも生気が乏しいのです。ここに奥谷氏の現代社会を捉える視点が浮き彫りにされているといえるでしょう。

さて、空白は区切りを作るだけではなく、リズムを生み出します。実際、この空白を作ることによって人群れに区切りを生み出し、観客の中に、日本経済にひたすら奉仕する無名のビジネスマンたちが実はそれぞれ個性をもつ人々なのではないかという認識を呼び覚ませます。と同時に、世代から世代へと一定のリズムでこの種のビジネスマンたちが生み出されていく様子も示されています。奥谷氏は精緻なタッチでビジネスマンたちを描き、色彩と構図を巧みに配することによって、現代のビジネス社会そのものの構造をみごとに掬いだしているのです。

この絵を見ていて不意に、リースマンの『孤独な群衆』を思い出してしまいました。ビジネスや情報機器によって、それまでは相互に緊密につながりあっていた人々が切り離され、孤立状態に置かれるようになると、ヒトは操作されやすくなり、時代の風潮に対するクリティカルな視点を失いがちになってしまいます。そのことが精緻な描写力と構図、着色の工夫によって的確に表現されています。現代社会を見事に描いた作品だといわざるをえません。奥谷氏の作品には、ケータイやカメラ、ビデオカメラなどの情報機器を操作しているモチーフが多いのも納得できます。

■背景
背景に具体的なモノや風景は描かれておらず、ただ、グレーの濃淡で塗り込められているだけです。その上に人物がそれぞれハサミできれいに切り抜かれたように個別に配されているのです。ですから、大勢の人物を描きながら、それぞれが孤立して見えるのです。その彼らの表情や髪型、姿勢は誰もが街中でいつでも見かることができるものです。まさに現代の人々の典型が描かれているのです。

後の作品になると、この特徴がさらに強化されます。たとえば、「シャッターの刻」(2011年制作、194×259)は人物4人がそれぞれ独立して描かれており、背景はやはり、グレーの濃淡で着色されているだけです。ここでもバッグやフードの裏側、帽子などに暖色が配されています。

シャッターの刻

■現代社会での絵画の役割
一連の奥谷氏の作品をみてくると、一枚の絵がいかに多くのことを表現できるかということに思い至ります。様々な段階で表現に工夫さえすれば、リアルな実態とその背後にある真相を同時に捉えることができるのです。しかも言語の障壁がありません。国境を越えて訴える力をもつ媒体だということを改めて感じさせられました。

さらに絵画は、このコピーの蔓延したデジタル社会の中で唯一といってもいい一回性のメディアです。時間と空間が固着した中で表現されたこの作品にはベンヤミンのいうアウラがほとばしっていました。

ここで取り上げた奥谷氏に限りません。「第17回DOMANI・明日展」では挑戦を厭わない若手画家たちの作品を多数、目にしました。ここに展示されなかった多数の若手画家たちもまた現在、しのぎを削って制作に励んでいるのでしょう。絵画という一回性の媒体を選んだからこそ、対象に鋭く迫り、表現の地平を開拓し、はばたいてもらいたいと思っています。(2015/01/14 香取淳子)

創作人形展とビスクドール展

■東武アートフェスタ2014
2014年12月27日、東武デパートで開催された「東武アートフェスタ2014」(12月25日~31日開催)に行ってきました。興味を覚えたのが、ブース5で展示されていた「憂国の少女たち」(笹本正明作品、恋月姫作品、蒼野甘夏作品)と、ブース3で展示されていた「谷井真由美ビスクドール展」です。

いずれも人形をテーマにした絵画作品、制作あるいは創作された人形そのものです。これらを見ていると、平面と立体との違いはあっても、作家たちが永遠の時を生きる人形の魅力を個性豊かに捉えようとしていることがわかります。

笹本正明氏の「月無き国の独裁者」(8号S)では独特のタッチと色彩で、少女のもつ不可思議で怪しげな魅力が表現されていました。上部中央に大きく描かれているのが謎めいた雰囲気を湛えた少女の顔です。そして、その背後にはまるで被り物のように大きな蝶の羽らしきものが配され、胸から下にはさまざまな人形や動物、生物が重なり合うように描かれています。画面いっぱいに広がる不思議な雰囲気の世界に惹きこまれ、しばらく見入ってしまいました。

笹本正明氏にはこれ以外にもさまざまな作品があります。

こちら →http://www.chiyoharu.com/sp/topics.htm

■恋月姫の創作人形
同じように幻想的な世界を現出させていたのが、恋月姫の人形たちです。こちらは立体でしかも身体が大きいので迫力があります。一歩、展示室に足を踏み入れた途端、現実世界から引き離され、異空間に迷い込んでしまったような気分になってしまいます。人形たちの見事なまでに美しく、そして、けだるく、物憂い表情がそのような気持ちにさせてしまうのでしょう。あまりにも人間に近すぎたからかもしれません。

■谷井真由美のビスクドール
一方、同じ人形でありながら、あくまでも人形として鑑賞することができるのが、谷井真由美氏が制作したビスクドールたちです。サイズが手頃だということもありますが、もとはと言えば、子どもたちのおもちゃとして使われていたからでしょう。

谷井真由美氏の展示作品を見ると、ジュモー(Jumeau)、ブリュ(Bru Jeune)、A.T.(A. Thuillier)、等々の作家の個性が滲み出た人形たちが所狭しとばかりに並べられ、いずれも当時の素材やデザインに拘ったドレスや装飾品を身にまとっていました。

■ビスクドールとは
ビスクドール(bisque doll)のビスク(bisque 英)は、フランス語のbiscuit(二度焼き)が語源なのだそうです。この人形の頭部や手、全身の材料が二度焼きされた素焼きの磁器製であったことを思えば、ビスクドール(bisque doll、 poupée en biscuit)と名付けられた理由もわかります。

“ビスクドール”は19世紀のヨーロッパ・ブルジョア階級の女性たちの間でまずはファッションドールとして流行し、19世紀末のフランスで黄金時代を迎えました。この時期、ジュモー(Jumeau)、ブリュ(Bru Jeune)、A.T.(A. Thuillier)などの人形作家たちが活躍していました。やがて、需要に合わせて人形の形態が変化していきました。手足が動くコンポジションドールが開発され、子どもたちの玩具として量産されるようになったのです。さらに、ゴム製やセルロイド製の安価な人形が量産されるようになった1930年ごろ、ビスクドールは製造されなくなってしまったようです。

それでは、なぜ、現在、私たちは多くのビスクドールを手にすることができるようになったのか。それは、ビスクドール工房で大量生産されていたときの型が残っていて、それに基づいて型取りをし、制作できるからだそうです。

それにしても、なぜ、私たちは「人形」を求めるのでしょうか。会場でさまざまな人形たちを眼にし、あらためて、その思いに捉われてしまいました。今後、この問いに対する答えを考え続けていきたいと思います(2015/01/07, 香取淳子)

アニー賞にノミネートされた「食物連鎖」が示すもの

■「食物連鎖」がアニー賞にノミネート
湯浅政明氏とチェ・ウニョン氏が監督する「食物連鎖-Food Chain-」がアニー賞にノミネートされました。アニー賞は1972年に国際アニメーション協会によって開始され、映画部門とテレビ部門が設けられています。2013年の映画部門では世界各国で大量動員を誇ったあの『アナと雪の女王』が受賞しました。アニメのアカデミー賞といわれるだけあって、ノミネートされただけで大きな話題となる権威ある賞なのです。

「食物連鎖-Food Chain-」は、米テレビアニメ『アドベンチャー・タイム』の第80話として制作された作品で、湯浅政明氏は監督、脚本、絵コンテを担当したそうです。

■1月3日に日本で初放送
日本では1月3日にCSのCartoon Networkで初めて放送されました。私はオンタイムで視聴することができなかったので、インターネットで見ました。

こちら→ http://matome.naver.jp/odai/2139694387605609901/2141162540722627803

 子どもには難しいかな?と思われるテーマですが、食物連鎖の仕組みがひとつずつ丁寧に描かれています。しかも、二人の主人公がそれを体験するという展開になっています。絵柄もとても素直で見ていて快さが残ります。日本のテレビアニメと違って、視聴者に媚びるところがないのです。ちょっと驚きでした。

アメリカにはこのような作品が評価される文化的土壌があるのでしょう。だからこそ、子どもに媚びることなく、子どもに見せたいと思える作品を制作する環境が保持されているのかもしれません。

■子ども向けアニメに要求されるものは?
 興味深かったのは、湯浅政明氏へのインタビュー記事でした。彼は『クレヨンしんちゃん』の制作にも関わった経験があるようです。それを踏まえ、インタビュアーが「子どもをターゲットとしたアニメで気をつけていることはありますか」と質問したところ、湯浅氏は以下のように答えているのです。

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日本よりも海外のほうが子どもに見せてはいけないものはハッキリと決まっていて、「食物連鎖」というテーマで「宇宙人のうんちを食べなければ生き残れない」みたいな話にしようかと思ったら「うんちはダメ」だと(笑) あとは、ものを噛んだ時にニョロッと虫が出てくるシーンがあって、それが内臓に見えてダメだから色を変えようとか、そういうことはありましたね。

こちら→http://animeanime.jp/article/2015/01/01/21440.html

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 日本のアニメであれば子どもに受けるために要求される下ネタが、アメリカではむしろカットされるというのです。それは制作者としての倫理観から生まれた基準があるからなのでしょうし、そのような目に見えない基準を制作者に堅持させる社会風土があるからなのでしょう。

■子どもを巡る情報環境
いま、子どもたちは生まれたときから、さまざまなメディアからの情報の渦に巻き込まれて育ちます。善悪の基準も美醜の基準もまだ培われていない段階から、いまの日本の子どもたちは「ウケ狙い」の情報に曝されています。それはよくないと誰もが思っていたとしても、テレビは視聴率が取れなければオンエアを許されず、出版物は販売部数が伸びなければ廃刊の憂き目にあってしまいます。素晴らしい企画が持ち込まれたとしても、視聴者へのキャッチの部分がなければ、作品として世に出ることはないでしょう。

社会全体が「ウケ狙い」を当然視している風潮をどうすれば、変えることができるのでしょうか。ひょっとしたら、保護者が、子どもたちを情報環境から保護する姿勢で臨まない限り、変えることができないのかもしれません。そう考えると暗澹たる気持ちになってしまいます。

■アニメ「食物連鎖-Food Chain-」が示す、子どもとの向き合い方
 「食物連鎖-Food Chain-」を視聴した上で、湯浅監督のインタビュー記事を読み、とても考えさせられました。アメリカの子どもたちもおそらくは下ネタが好きでしょう。でも、制作者がそれに乗らないのです。子どもたちを手っ取り早く引き付けることができるとわかっていても、あえて、そうしない・・・。そのような凛とした姿勢を日本の制作者に望みたいと思います。

一方、制作者が凛とした姿勢を取るためには、良心的な作品に対しては社会で支援し、積極的に推進していくようなシステムを教育の一環として作っていく必要があるのかもしれません。(2015/01/04 香取淳子)