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12月

ゴッホ展:短い線を単位とした筆触分割法の魅力

■12月下旬の上野界隈
 お天気がよく、風もなかったので、久しぶりに上野に出かけてみました。JR上野駅を出て、公園に入ってすぐ右手には、国立西洋美術館があります。そこではいま、「北斎とジャポニズム」が開催されています。開催期間は2017年10月21日から2018年1月28日までですが、12月14日時点ですでに来場者が20万人を超えたそうです。

 実際、チケット売り場には大勢のヒトが並んでいましたから、人気抜群の展覧会だということがわかります。そうはいっても、展覧会のタイトルからは、作品を鑑賞するというより、企画者側の解釈を見せつけられるだけではないかという気がしてきます。そこで、ここはスルーすることにしました。

 そして、たどり着いたのが、東京都美術館です。ここでは「ゴッホ展」が開催されていました。ゴッホの作品は写真でしか見たことがありません。迷うことなく、この展覧会を見ることにしましたが、ふと、掲示されているポスターに「花魁」の絵が採用されているのが気になりました。

 ひょっとしたら、西洋美術館と似たような企画ではないかと思い、改めてタイトルを見ると、副題として「めぐりゆく日本の夢」と書かれています。どうやら、こちらもジャポニズムと関連づけて、企画された展覧会のようです。とはいえ、「ゴッホ展」と名付けられているからには、ゴッホの作品を中心に構成されているはずです。そう思って、東京都美術館に入場することにしました。

 入口に置いてあったチラシを見ると、表にゴッホの「花魁」、裏には絵筆を持ったゴッホの自画像が掲載されています。

こちら →http://www.tobikan.jp/media/pdf/2017/goghandjapan_flier2.pdf

 ゴッホが絵を構想し、制作していく過程で、日本の浮世絵がいかに影響を及ぼしたのか、それが端的に表現されているチラシでした。おそらく、これが、この展覧会のコンセプトなのでしょう。

 展覧会は、第1章「パリ 浮世絵との出会い」から、第5章「日本人のファン・ゴッホ巡礼」で構成されており、全体で181点の作品が展示されていました。そのうち、ゴッホの作品はわずか39点で、著名な作品はほとんどありません。私が知っている作品としては、「自画像」、「種まく人」、「寝室」ぐらいでした。ゴッホのように有名な画家になると、作品の借り受けも相当難しくなるのでしょうか。そんなことが気になりました。

 所蔵先の内訳を見ると、ファン・ゴッホ美術館所蔵が14点、クレラー=ミュラー美術館所蔵が9点、個人所蔵が6点、プーシキン美術館が2点、デ・ブール財団(アムステルダム)所蔵が2点でした。ファン・ゴッホ美術館からの提供が多いと思いましたが、それもそのはず、カタログを読むと、この企画はファン・ゴッホ美術館との共同プロジェクトによって実現したものでした。

■国際共同企画:ゴッホ展
 カタログの冒頭には、ファン・ゴッホ美術館・館長のアクセル・ルーガー氏のメッセージが紹介されていました。

***
 ファン・ゴッホを真に魅了したのは、浮世絵ならではの澄んだ明るい色彩と、自然に対する生き生きとした洞察力でした。こうしたものを、ファン・ゴッホはアルルの地で、自らの芸術と、自らがおかれる環境に求めました。ただそれは、単なる美術史や文化史的な説明を超えて解釈しなければなりません。
鬱に苦しんでいたファン・ゴッホは浮世絵の明るい性質を自身の作品に取り入れることで、心身の回復を図り、己よりも「はるかに幸福で、ずっと快活な」存在を夢想することができました」
*** (『Van Gogh & Japan』p.8より)

 ゴッホの魂がいかに日本の浮世絵によって救われたのか、その作品世界に浮世絵がいかに影響を及ぼしたのか、興味津々です。

 カタログによると、ゴッホは1886年2月末、パリにやってきました。その後、2年間のパリ滞在期間中、大きな影響を受けたのが、印象派と日本の浮世絵でした。印象派からは明るい色調を学び、浮世絵からは平板な色面の構成を学んだようです。この二つの要素がゴッホの絵を読み解く大きなカギになるといっていいでしょう。

 まず、チラシに掲載されていた「画家としての自画像」から、見ていくことにしましょう。

こちら →
(Self-portrait as Painter, 油彩、カンヴァス、65×50㎝、1888年。カタログより。図をクリックすると拡大します)

 これは、ゴッホがアルルに旅立つ直前に描かれた作品です。ゴッホはパリ時代に自画像を28点も制作していたそうですから、ここでの最後の自画像といっていいでしょう。この作品からは、ゴッホが印象派の影響を受けていたことが一目でわかります。

 自画像として描かれた顔には生気がなく、暗い表情であるにもかかわらず、この絵からは精神の躍動が感じられます。興味深いことに、創作者だけが持つ精神の煌きといえるものが明るい色調の中で表現されていたのです。

 そんな印象を受けてしまったのは、ひょっとしたら、筆触分割法による色彩の効果のせいなのでしょうか。

■筆触分割法
 この作品で気になったのは、点ではなく、短い線が色彩の単位になっていることでした。この作品では、点描ではなく、面でもなく、独立した色彩を帯びた短い線で、モチーフの各面が構成されています。短い線を単位として絵を構成する基本原理が適用されており、ゴッホならではの独自世界が築き上げられています。どこから見ても、ゴッホの作品だとわかる画風です。

 完成作品を見ただけでは、ゴッホの特徴的な画風を支える基本原理がよくわからないのですが、今回の展覧会では、下書きのような作品が展示されていましたから、制作原理を把握することができます。たとえば、アルルに移ってからの作品で、「麦畑と太陽」というのがあります。

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(黒チョーク、葦ペン、黒インク・白の不透明水彩、紙、47.5×56.6㎝、1889年。カタログより。図をクリックすると拡大します)

 これを見ると、太陽の光、雲のたなびき、遠景の山並み、木々のそよぎ、草のうねりなど、すべてのモチーフが短い線で描かれています。色彩を載せる前の段階で、ゴッホが短い線を単位として絵を構成していたことがわかります。

 この絵を見ていると、点ではなく、面でもなく、短い線に色を載せるからこそ、表現できる独自の世界があることに気づきます。短い線だからこそ表現できる方向性であり、動きであり、可動空間です。ゴッホの作品にしか見られない要素です。このことからは、ゴッホは印象派あるいは新印象派から筆触分割法を学び、それを独特の感性で組み立て直していたことがわかります。

 この時期、人物画もまたこのような技法で描かれており、平面的な表情には独特の雰囲気が醸し出されています。「アルルの女」(ジヌー婦人)という作品です。

こちら →
(油彩、カンヴァス、61×50㎝、1890年、カタログより。図をクリックすると拡大します)

 ゴッホは短い線を軸にした独特の筆触分割法を用いることによって、モチーフの何気ない仕草と表情に奥行きを生み出し、この女性(ジヌー婦人)の内面を見事に表現しています。平板に描かれているところに日本の影響が感じられますが、その一方で、淡々として穏やかな日常への哀惜が感じられます。

■色彩の持つ印象効果
 日本の影響を感じさせられる作品をいくつも目にしていくうちに、第4章「自然の中へ、遠ざかる日本の夢」で、気になって立ち止まってしまった作品がありました。「下草とキヅタのある木の幹」です。

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(油彩、カンヴァス、73×92.3㎝、1889年。カタログより。図をクリックすると、拡大します)

 この作品も、短い線をベースとした筆触分割法で描かれていますが、これまでの作品とは違って、どういうわけか、日本の影響が感じられないのです。モチーフの構成からは遠近法が感じられますし、明暗の表現技法からは光に意識が向けられていることがわかります。そのせいでしょうか、モチーフの木や草が太陽の光によって生命活動を営んでいることが立体的に示されているのです。これまでの平板な作品とは明らかに異なっています。

 光と影のバランスが絶妙で、リアリティ豊かな世界が表現されており、つい、引き込まれてしまいます。ここでは距離と光に焦点を当てて、モチーフが構成されています。そのせいか、遠近感、立体感が明確になっています。平板な浮世絵の世界から脱し、立体感のある西洋画の世界に復帰したかのように見えるのです。

 その1年後に制作された「草むらの中の幹」では、さらに、大胆な色彩表現が試みられています。

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(油彩、カンヴァス、72.5×91.5㎝、1890年。カタログより。図をクリックすると、拡大します)

 この作品では、モチーフの色彩を写実的に再現するのではなく、イメージで色彩を選択し、組み合わせて表現されています。おそらく、そのせいでしょう。これまで通りの筆触分割法でありながら、木の幹の表情が輝いてみえます。木の根元に生える小さな花、その先に広がる無数の野生の花々、自然界にはない異色の華やぎが画面一体に生み出されているのです。

 不思議な作品です。構成単位に載せられる色彩が、この作品では、明度、彩度の高いものを中心に選ばれています。ですから、画面の隅々まで太陽の光が射し込み、その光の下で生命が生き生きと躍動している様子が伝わってきます。その結果、この作品には、生きることへの賛歌とでもいえるものが横溢している印象が残るのです。

■ゴッホ作品の独自性
 写真でしか見たことはありませんが、私は、ゴッホの作品の中では、「星月夜」(1889年)、「糸杉と星の見える道」(1890年)、「オーヴェールの教会」(1890年)といった作品が好きでした。今回の展覧会ではそのどれもが展示されていませんでしたが、これらの作品に共通する要素を会場で見受けることができたように思います。

 それは、短い線を使った筆触分割法による色面構成であり、画面構成でした。完成作品を見ただけではわかりませんでしたが、会場で下絵のような作品「麦畑と太陽」を見て、気づいたことでした。

 たとえば、「星月夜」(1889年)には不安感が漂っています。

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(油彩、カンヴァス、73.7×92.1㎝、1889年。Google Arts & Cultureより。図をクリックすると拡大します)

 そして、「オーヴェールの教会」(1890年)にも不安感を感じ取ることができます。

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(油彩、カンヴァス、74×94㎝、1890年。Google Arts & Cultureより。図をクリックすると拡大します)

 ヒトの気持ちを根源から揺さぶる力がこれらの作品にはあります。いずれもほぼ同時期に制作されており、その技法上の共通項が、短い線による筆触分割法でした。今回の展覧会は、ゴッホ自身の作品が少なく、物足りない思いがしましたが、これまで見る機会のなかった下絵のような作品も展示されていたので、作品の制作過程に思いを巡らすことができました。

 その結果、ゴッホの作品の独自性が何によってもたらされているのか、その一端を垣間見ることができたような気がします。そして、なぜ、私がこれらの作品に引き込まれていたのかも理解することができたように思います。改めて、描かれる作品世界はモチーフと制作意図、そして技法とが密接に関連し合っており、全体としての印象を形成するのだということがわかりました。(2017/12/29 香取淳子)