■森聡展
2016年6月18日、森聡展(2016年6月14日~19日、GALLERY KINGYOで開催)に行ってきました。
こちら →http://www.gallerykingyo.com/
土曜日の夕刻、わざわざ出かけたのは、たまたま手にした案内ハガキの絵に惹かれ、ぜひとも本物を見てみたいと思ったからでした。
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(little landscape・flower、麻紙、岩絵の具、2013年、画像をクリックすると拡大されます)
陰影のある黄土色の花々の中に、赤みがかった褐色の花が一枝、配置されています。一見、孤立したように見えるその花の葉が、花瓶の色調とみごとに調和しており、活けられた花と花瓶との一体化が図られています。
さらに、背景色がとても印象的でした。上方は黄色を含んだ暖かみのある水色ベースの色で覆われ、下方に向かうにつれ、赤系統の色が滲み出し、流れるように、縦方向で幾筋も加えられています。
私が惹きつけられたのはこの背景色であり、花と花瓶の色彩と形状でした。そこには洗練された調和があり、都会的な美しさが感じられます。見に来てよかったと思いました。この絵は展覧会への案内役をみごとに果たしたのです。
■『ある夜』
画廊に入ってすぐ正面に展示されていたのが、『ある夜』(2273×1818㎜、綿布、岩絵の具、2014年)です。
この絵を見たとき、まず、その色相に目が引きつけられました。補色関係にあるといってもいい色と色が、まるでぶつかり合うように、大胆に使われていたのです。もちろん、モチーフに固有の色とは異なっています。おそらくそのせいでしょう、ひっそりとしたモチーフの佇まいとは逆に色彩からは、自由、奔放、荒々しさが印象づけられました。
一方、モチーフの形状やタッチからは、夕刻の風景が想起させられました。どの町角でも見受けられる、寂しさと哀しさ、時には愛おしさまでも入り混じった、あの一種独特の光景です。活動的な昼が終わりを告げ、静寂に包まれた夜を迎えようとする夕刻ならではの寂寥感です。『夕焼け小焼け』の歌を聴くたびに感じてしまうペーソスが、この絵全体に漂っているように思えました。
ちょっと引き下がってこの絵をみると、黄色系をベースにした色調の空に、青い色調の和風建築物が映えているのがわかります。黄色系と青色系の色がぶつかりあって、互いに引き立て合っているからでしょうか、蔵のような建物が不思議な存在感を放っています。
この建物は一見、蔵のように見えるのですが、よく見ると、左側に呼鈴のようなものがついています。また、正面を見ると、瓦があるので日本の建物に見えますが、高いところの円窓とその下の半円形の窓は異国の雰囲気を漂わせています。
さらにいえば、壁は漆喰の土壁ではなく、レンガで作られています。日本のモチーフのように見えて、実は、そうではない。どこにでもありそうでいて、実は、どこにもない。そのような不在のリアリティのようなものがこの作品から醸し出されているのです。
ちょうど在廊されていた森氏に尋ねてみました。
蔵だと思い込んでいた建物が、実は、森氏のご自宅近くにある教会だったことがわかりました。身近なもので、しかも、さまざまな思いを仮託できるモチーフとして、この教会を選ばれたそうです。そして、呼鈴のように見えたものは教会の鐘でした。
この絵を最初に見たとき、私は黄色系と青色系のぶつかり合いに強く印象づけられました。イタリア留学時に卒業作品として制作されたものだったということを知って、ようやく、この絵から受けた不思議な感覚の謎が解けたような気がしました。
■イタリア留学
森氏は2012年から2015年にかけての2年半、イタリアのフィレンツェ国立美術学院大学院絵画学科に留学していました。大学院修了のための作品として手掛けたのがこの作品です。綿布に日本画の材料である岩絵の具、現地のフレスコ画の顔料を使い、3か月かけて仕上げたといいます。
そもそも森氏は美大で日本画を学んでいました。卒業後は羽子板の絵付けなど、日本画に関連する仕事をしていたといいます。そして、伝統的な日本画ではなく、現代ならではの日本画を目指して、イタリアに留学しました。ですから、フィレンツェで卒業制作を手がけた際、フレスコ画の画材と日本画の画材を使ったのは当然のことなのです。
森氏はいいます。
「フィレンチェは遠近法が生み出された町です。遠近法で描いた壁画が今もまだ残っていますよ」
Wikipediaで調べてみると、たしかに、1400年初、建築家のブルネレスキがフィレンツェの建築物の輪郭を写し取ることによって、幾何学的な方法で遠近法を実証することに成功したとされています。その後、フィレンツェでは遠近法を利用した芸術が急速に開花したようです。
たとえば、フィレンツェのサンタ・マリア・デルフィオーレ大聖堂の『最後の審判』がそうです。
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(Wikipediaより、画像をクリックすると拡大されます)
大聖堂の天蓋を見上げると、遠近法を使うことによって見事な三次元空間が描出されていることがわかります。
フィレンツェに留学した森氏は、伝統的な西洋画を現地で見たいだけ見ることができたといいます。多くの西洋画を見ることによって、画家としてこれから進むべき方向性を探ることができたようです。
■イタリアで得たもの
伝統的な日本画を超えた作品を目指し、敢えて西洋画の本場フィレンツェに学びにきた森氏は、そこでいったい、何を得たのでしょうか。
森氏はいいます。
「画力を鍛錬するには伝統を模倣するのも必要ですが、それだけで満足することはできません。現代の絵画なら、現代的要素を持ち込む必要があります」
そして、自分の作品を創り出そうとすれば、自分なりの視点、画法を持たなければならないことをフィレンツェで再確認したというのです。
イタリアの美術界を見渡すと、伝統に圧倒されて、若いヒトが新しい作品を出しにくい状況だと森氏はいいます。それでも現地の若い芸術家たちはオリジナルな表現を求めて模索し、さまざまな実験を試行していました。そのような若い芸術家たちと交流する中で、森氏もまた、創作に臨む姿勢を再考させられていったようです。
なぜ、このモチーフでなければならないのか、この表現でなければならないのか、そして、この構図でなければならないのか・・・、等々。制作姿勢をしっかりとしておかなければならないと思うようになったと森氏はいいます。描くという行為の背後にある観念的、思想的基盤を堅固なものにしておくことの重要性に気づかされたのでしょう。
留学生は中国人が多く、フランス人、リトアニア人、イラン人などもいたそうです。彼らが描く絵を見ると、ヨーロッパは文化の基本が共通しているせいか、国が違ってもヨーロッパ人はどこか似たような作品を制作していたといいます。ところが、文化の基本が異なるイラン人などは、同じモチーフを描いてもオリジナルカラーが作品ににじみ出ていたと森氏は振り返ります。
日本を離れ、数多くの西洋画を見、さまざまな海外のアーティストと交流して初めて、画家としての文化的基盤の重要性に森氏は思い至ったのでしょう。イタリア留学後、絵に変化が生じています。
試みに、2013年に制作された作品を見てみることにしましょう。
こちら →http://www.satoshi-mori.com/works2013.html
2013年の作品は、モチーフが木になりますが、いずれもシルエットとして描かれています。前半は鮮やかな色彩で彩色されていますが、後半はその色彩すら消し去ろうとする気配がみえます。
たとえば、2013年後半の作品、”view trees”は色彩の要素が除かれ、ベージュと白、黒で表現された作品になっています。その後の”white shade”になると、さらに黒が取り除かれ、白とベージュで表現されています。これは、いったん描いた作品の上から白を塗り、色彩を消すことによって、下からシルエットが浮き彫りになって見える作品です。
このように、2013年の絵の変遷過程を見ていくと、森氏がイタリアで何を学び、どのような影響を受けたのかを推察することができます。
モチーフとして「樹」(ありふれたもの)を選び、まるで日本文化を象徴するかのようにシルエット表現を取り入れ、色合いにイタリア文化を反映させています。これらは、日本文化とイタリア文化のハイブリッド作品であり、普遍化を目指した作品ともいえるでしょう。
この時期、シンプルな表現に向かっていることから、森氏が描くことの本質、絵画の本質に迫ろうと苦闘していたことがわかります。一連の作品は、本質を見極めようとする意欲の反映であり、イタリアに行ってはじめて掴み得た創作の極みともいえます。
■ゲーム、デザイン、水彩画を経て日本画へ
森氏がめざすのは伝統的な日本画ではなく、西洋画の影響を受け、その骨法を踏まえたうえで表現される日本画です。ハイブリッドな日本画をめざそうとしているからこそ、森氏は、西洋画の本場ヨーロッパに行って学ぶ必要があると一念発起したのでしょう。
それでは、なぜ、日本画を軸にして、普遍的でハイブリッドな作品を志向するようになったのでしょうか。森氏に尋ねてみました。
森氏は子どものころからの美術への関わりを語ってくれました。
子どものころはゲーム好きだったので、グラフィックデザイナーになりたいと思い、美術系予備校では最初、デザイン科に属していたそうです。ところが、その隣に日本画科があり、そこでたまたま見かけたアメリカ人画家 Winslow Homerの作品に惹きつけられ、美大は日本画を志望したといいます。
美大に入ってからは日本画の画材や顔料に興味を覚え、制作にのめりこんでいたようです。日本画は薄塗りができるし厚塗りもできる、おまけに箔もつけられるので表現の幅が広いのです。岩絵の具は重ね塗りの変化を楽しめますし、色の空気感を醸し出すことができます。さらに、色の滲みで多様な表現をすることができます。だから、好きだと森氏はいいます。
しかも、日本画は、油絵ほど明暗や遠近、空間表現が厳密ではありません。そのような点も、森氏には馴染みがよかったようです。
■小さなランドスケープ
そういえば、この展覧会のタイトルは「小さなランドスケープ」です。メインの展示作品も2016年に制作された、いくつかの「little landscape」でした。いくつか印象に残った作品を見ていくことにしましょう。
たとえば、こんな作品があります。
見上げるような巨木が画面いっぱいに描かれています。葉と幹、そして、幹を覆う別の植物などがきめ細かく描かれており、森の生態系が凝縮されて表現されているかのようです。森氏に尋ねると、実際に山に出かけてスケッチをし、その場の空気感を大切にしながら、描いていくのだそうです。
こんな作品もあります。
下の白いのは切り株だそうです。二本の大きな樹の下に、ひっそりと佇むような恰好で白い切り株を配置した構図が面白いと思いました。成長と衰退とが比喩的に表現されているように思えたからです。
さらに、こんな作品もあります。
紅葉した樹なのでしょうか、抑えた色合いでありながら、燃えるような印象を与える黄色系の色彩とその描き方に惹かれます。
一連の「little landscape」を見ていると、森氏は同じようなモチーフを取り上げ、色彩を抑えたなかで繰り返し、木の表現を追求しているように思えます。まるで求道者のような制作活動の中から、森氏はやがて何らかの境地に到達していくことでしょう。こうしてみていくと、今回の個展に際し、森氏が書かれていることがよく理解できるような気がします。
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絵に描かれた形象が何であるのか、というより、描かれた形象によってどのように絵画が成り立つのか、というところに興味があります。
最近は、いくつかの身近な、ありふれた風景を対象にして描いています。同じような対象を反復することによって、ありふれた眺めの中に、ありふれてはいない、そのときにしか立ち現れないものを画面に定着できるように意識しています。(森 聡)
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(http://www.gallerykingyo.com/index.htmlより)
■「ありふれたもの」「なにがないもの」に潜む煌き
森氏の作品歴を見ると、2010年から2011年にかけてはペンギンをモチーフとした作品が多くみられます。
こちら →http://www.satoshi-mori.com/works2010-2011.html
引き続き、2012年前半にかけてもペンギンがモチーフとして取り上げられていますが、後半には『ありふれたこと』『なにげないこと』といったタイトルの作品が手がけられるようになります。
こちら →http://www.satoshi-mori.com/works2012.html
これはちょうどイタリア留学の時期に相当します。この時期がおそらく森氏にとっての転機だったのでしょう。これ以後、「ありふれたもの」、「なにげないもの」の中に潜む存在の本質、あるいは存在の意義、あるいは存在の煌き、といったようなものへの関心が芽生えていったような気がします。
そういえば、大好きだったゲームも平面から3Dに移行した途端に興味を失い、やはり平面がいいと思うようになったと森氏が言っていたことを思い出します。比較の対象を得たことで評価基準が生まれたからでしょう。
これを敷衍すれば、帰国後の創作活動を経て、森氏は描くことの本質につながるなにかをすでに見出しているかもしれません。実際、今回の個展で帰国後の一連の作品を見ると、その傾向はさらに深化されています。おそらく、そう遠くない将来、森氏はなんらかの発見をし、新たな境地を切り拓いていくことでしょう。
「ありふれたもの」「なにげないもの」に潜む煌きを求めて、模索しておられる若手画家・森聡氏の今後に期待したいと思います。(2016/6/21 香取淳子)