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10月

2020東京オリンピック・パラリンピック:レガシーとして残せるものは何か

■マラソン・競歩開催地の変更を巡って

 2019年10月30日、都内でIOC調整委員会会議が開催されました。IOC調整委員長のコーツ氏、組織委員会の森会長、橋本五輪相、小池都知事らが出席し、マラソン・競歩の開催地を東京から札幌に変更することについての調整が行われました。

小池都知事はこの日も、「開催都市に相談されないまま提案された異例の事態」だとし、会場変更に反対の姿勢を示したままでした。


2019年10月31日、日経新聞より

 マラソンといえば、オリンピックの花形競技です。しかも、マラソンレース沿道の住民にとってはチケットを購入しなくても観戦でき、楽しむことができますし、自治体にとっては、中継に伴ってその街並みが世界に発信されれば、観光意欲を刺激する可能性もあります。札幌で開催されることになれば、そのような機会が失われてしまいますから、都も関連自治体も賛成するわけにいかないのでしょう。

 一方、IOC調整委員長のコーツ氏も、札幌への変更はIOC理事会で決定したことだとして、譲りませんでした。

フジ系ニュース映像より

 もっとも、理解してもらうための説明は尽くすとコーツ氏は言っています。冷静に説得しようとする様子からは、開催地の変更は受け入れてもらえるという自信が滲み出ていました。たしかに、選手や観客の健康への影響を考えれば、IOC側に理があるといえますし、そもそもオリンピックの競技会場自体、IOC理事会の承認事項になっていますから、森組織委員会会長のいうように、IOCが決定したのだから、受け入れざるを得ないのでしょう。

 2019年10月30日の日経新聞夕刊には、マラソンを札幌で開催する場合、チケット販売は行わず、沿道で観戦することになるとされ、東京開催で販売されたチケットは払い戻しで対応すると書かれていました。

 一連の騒ぎになる前から、私は東京の夏でオリンピックを開催するのは、選手にとっても観客にとっても大変なことになると思っていました。周囲も同じような見解で、大丈夫かしらと話し合っていました。ですから、コーツ氏の言い分はとてもよく理解できました。むしろ、IOCの方からこのような提案をしてくれたことで、ほっとしたほどでした。東京の夏の酷暑を知っている多くのヒトは同じような気持ちになったことでしょう。ようやく適切な対応をしてくれたという気持ちでした。

 マラソン・競歩の開催地の変更を巡る騒動は冷静さを欠き、選手や観客への配慮は見られません。それどころか、東京都側の面子や政治経済的利益ばかりが目につきました。なんのためにオリンピックを開催するのかと疑ってしまうほどでした。

■ドーハでの事態を踏まえ、IOCが決断

 10月16日、IOC(国際オリンピック委員会)は、マラソンと競歩は北海道で開催することを検討していると発表しました。

こちら →https://www.bbc.com/japanese/50078117

 マラソンや競歩に参加する選手の健康への影響を考えると、東京よりは気温が6℃ほど低い北海道で開催するのが妥当だというのがIOCの言い分です。東京都はこれまで暑さ対策としていろいろ検討してきたのですが、いずれも現時点の準備状況では酷暑には対応できないと判断し、IOCが出してきた提案でした。

 後で知ったのですが、IOCがこのような判断をした理由に、カタールのドーハでの不祥事がありました。

 2019年9月27日にドーハで女子マラソンが開催されたのですが、気温30℃、湿度70%を超える悪条件の下で決行されたため、68人の出場者のうち28人が途中で棄権し、完走率は過去最低の58.8%を記録することになったのです。

こちら →https://www.j-cast.com/2019/09/30368895.html?p=all

 IOCはこの件を重視し、高温多湿の日本の夏でも同様のことが起こらないかと危惧したのでしょう。どうやら、この件の後、マラソンと競歩の開催地変更の検討に入ったようです。

 ところが、札幌への変更については、小池都知事が反発し、一部の人々も反対しています。毎日新聞が10月27日、28日に実施した調査結果では、開催地の変更を「支持する」は35%、「支持しない」が47%だったといいます。サンプル数、母集団の属性がわからないのでなんともいえませんが、オリンピック東京大会なのに、これでは札幌大会ではないかというのが一般的な反対意見のようです。

 とりわけ、マラソンは人気のある競技で、観客動員数も多いことが見込まれます。ですから、開催地が変更になっては困るヒトもいるのでしょう。実際、東京でのコースにされていた沿道の自治体(千代田区、港区、新宿区、中央区、台東区、渋谷区)も反対しています。

 最終決定が下されるのは10月30日でしたが、小池都知事の強固な反対で結論はずれ込み、3日後になりました。とはいえ、反対の声がどれほど高まったとしても、選手の健康、観客の健康が第一だというIOCの主張に対抗することはできないでしょう。

 国際陸上競技連盟(IAAF)会長・セブ・コー氏も、「来年の五輪で、マラソンと競歩の最善のコースを確保するため、我々は大会組織委員会と連携していく」と表明しているそうです。最終的には、IOCが検討している方向で決着がつくのでしょう。

■暑さ対策はどうなっていたのか

 実際、東京の夏は近年、猛暑日が続いています。総務省消防庁の調べによると、2019年5月から9月の期間、熱中症で、救急車で搬送されたのは7万1317人で過去2番目に多く、そのうち死者は126人だったそうです。月別で見ると、8月が3万6755人で最も多く、前年より6345人多かったといいます。

 このような現実を知れば「暑さ対策に責任をとれるのか」と迫るIOCの提案を受け入れざるを得ないでしょう。果たして、東京の酷暑を組織委員会や東京都はどう考え、どのように対処しようとしていたのでしょうか。

 まず、オリンピック組織委員会のHPを見てみることにしましょう。

こちら →https://tokyo2020.org/jp/

 直近のニュースとして、暑さ対策に取り組むイベントが10月29日に開催されたことが取り上げられていました。

こちら →https://tokyo2020.org/jp/news/event/20191029-01.html

 若手イノベーターたちが専門家やアスリートを交え、真剣に議論を重ねている様子が報告されています。ここでの議論だけで、暑さ対策への解決策が生み出されるわけではありませんが、議論の過程を公開することによって、さらに多くの知恵を集め、練り上げていけば、真夏の東京大会に向けた最適解が得られる可能性もあるでしょう。とはいえ、もはや残された時間はわずかです。悠長に構えてはいられません。

 それでは、東京都はどうなのでしょうか。小池都知事は5月24日の記者会見で、暑さ対策として「かぶる傘」の試作品を発表しました。


2019年5月27日付朝日新聞より

 これを見たとき、まず、こんなもの誰がかぶるのかと思いました。観戦の邪魔になるだけだし、長く着用していると、蒸れてきて気持ちが悪くなるのではないかという気がしました。身に着けるものは、機能とデザインの両方を満足させるものでないと、消費者にはなかなか受け入れてもらえないでしょう。

 もちろん、暑さ対策グッズをいくつか用意しているようですが、どれも体温を超える東京の酷暑への対策として適切なものだとは思えませんでした。また、東京都はこれ以外に、道路に散水することによって気温を下げる実験をしたりしていますが、果たしてどれほどの効果があるのでしょうか。

 そこで、グッズ以外の東京都の暑さ対策の項目をみると、むしろ、熱中症で倒れた後の処置に力点を置いているように思えます。

こちら →

http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/climate/heat_island/atsusa_taisaku_suishinkaigi.files/R1_SANKOU2.pdf

 熱中症で倒れることを前提とした対策なのです。たしかに近年、東京の夏の暑さは尋常ではありません。体温を超えるほどの酷暑が続く日本の夏の実態を考えれば、炎天下で長時間競技することになるマラソンや競歩は札幌で行うべきだというIOCの主張に抗うことはできないでしょう。

■なぜ、真夏に開催するのか

 それにしても、なぜ、真夏の暑い時期に開催することになったのか、といった疑問が再び、浮上してきました。

 オリンピック東京大会が決定されたことを知ったとき、まっさきに思い浮かんだのは、なぜ、わざわざ酷暑の真夏に開催するのかということでした。おそらく、同じような思いをしたヒトは多かったでしょう。

 ところが、時間が経つにつれ、いつの間にか、酷暑という悪条件で競技をすることの危険性を忘れてしまっていました。調べてみると、1964年の東京オリンピックは10月10日から14日までの15日間、涼しく過ごしやすい時期に開催されていました。その後、1968年のメキシコ五輪も10月に開催されています。

 ただ、それ以降のオリンピックは7月か8月に開催されています。2020年の夏季オリンピック立候補都市に対しても、IOCは、「7月15日から8月31日の間」という条件を課しています。夏季オリンピックなので、それが開催条件の一つなのです。

 もちろん、その背後には夏季に開催した方が、視聴率が稼げると判断している米TV業界の事情があります。9月や10月に開催されれば、フットボールや大リーグの優勝戦といった他の大きなスポーツイベントと重なってしまいます。オリンピックは万人の関心を呼ぶコンテンツなのに、秋に開催すると、イベントが競合し合って視聴率を稼げない可能性があるのです。なんといっても米TV業界は、長年にわたって巨額の放映権料をIOCに支払っています。IOCもその意向を無視することはできないでしょう。

 ですから、2020年夏季オリンピックは、「7月15日から8月31日の間」という条件を付けての募集でした。具体的な日程は開催国のスポーツ団体が相互に調整して決めますから、夏季オリンピックの開催時期に関していえば、IOCに非はありません。

■酷暑の東京開催をIOCはなぜ、許可したのか

 IOCに非があるとすれば、酷暑の東京で開催することをなぜ、許可したのかということになります。そこで、選考過程で東京開催に対し、どのような評価がされているかを見ると、意外なことがわかりました。

「今大会の開催地選考でも東京の計画への評価は高く、2012年5月の1次選考でも総合評価のコメントで立候補都市の中で唯一「非常に質が高い」と記述され、正式立候補都市に選出された。同じアジアのドーハが1次選考で脱落したため、前回同様に一定のアジア票は確保できるとの見方が強い。課題として挙げられているのは、IOC の報告書で指摘された夏季のピーク時における電力不足と都民の低い支持率である」(Wikipediaより)

 第2次選考過程で懸念されていたのが、「夏季ピーク時における電力不足と都民の低い支持率である」だったのです。IOCの報告書には、酷暑が選手や観客に与える健康へのダメージについては何も書かれていませんでした。不思議なことです。

 選考を行ったIOCの理事会のメンバーは、ひょっとしたら、真夏の東京の暑さを知らなかったのかもしれません。

 そこで、2次選考に残った三都市の申請データの中から、開催期間と期間中の気温の項目を見ると、マドリードが「8月7日から8月23日」の期間で、気温が「24-32℃」、イスタンブールが「8月7日から8月23日」の期間で、気温が「24-29℃」、東京が「7月24日から8月9日」の期間で、気温が「26-29℃」(以上、Wikipediaより)と記されていました。

 申請データに記されていた7月下旬から8月上旬にかけての東京の気温は「26-29℃」で、体感している気温とは大きく異なっています。これでは、熱中症で倒れるヒトが続出する東京の暑さが伝わってきません。

 念のため、気象庁のデータから、2018年度の東京の年間気温を見てみました。すると、7月、8月は明らかに、年間最高の気温を記録していることがわかります。


気象庁より

 日本がIOCに申請した気温データ「26-29℃」を、上のグラフに照らし合わせてみると、一日の最低気温と平均気温に該当します。つまり、オリンピック招致委員会は、最高気温を避け、都合のいいデータだけ出して申請していたことがわかります。

 こうしてみてくると、日本のオリンピック招致委員会は、虚偽とはいわないまでも、正確とはいえないデータを提出して、開催の許可を得ていたことになります。姑息な手段を弄して、「開催地の決定」になったのですが、なぜ、それほどまでにして日本は、東京で夏季オリンピックを開催したかったのでしょうか。

■東京オリンピック・パラリンピック開催の意義はどこにあるのか

 今回、オリンピックを開催するといっても、もはや国威発揚のためでもなければ、民族意識を高めるためのものでもありません。一体なんのための開催なのでしょうか。

 Wikipediaを見ると、申請時点での東京オリンピック開催意義は、「スポーツの力によって、震災から復興した姿をみせるとともに、災害や紛争に苦しむ人々を勇気づけることを理念」に掲げられています。そこで、オリンピック組織委員会のHPを見ると、この理念に該当するページがありました。

こちら →https://tokyo2020.org/jp/games/caring/

 たしかに、「スポーツの力によって、震災から復興した姿をみせる」ことはできています。ただ、それだけではあまりにもオリンピック・パラリンピックを支える理念としては弱いと思い、トップページを見ると、今回の大会ビジョンとして3つのコンセプトが掲げられていました。

こちら →https://tokyo2020.org/jp/games/vision/

 「スポーツには世界と未来を変える力がある」とし、①「全員が自己ベスト」、②「多様性と調和」、③「未来への継承」、等々の項目が掲げられています。項目ごとにそれぞれ、具体案が示されていますが、総花的で統一性がなく、何を目指そうとしているのかが見えてきません。

 2020年に東京大会を開催することの意義はどこにあるのかと思いながら、各項を見ていくと、「成熟国家となった日本が、今度は世界にポジティブな変革を促し、それらをレガシーとして未来へ継承していく」というフレーズがありました。東京大会ならではの意義はおそらく、ここにあるのでしょう。

■レガシーとして残せるものは何か

 成熟し、超高齢社会となった日本では、いま、誰もが「老い、病、死」を身近に感じながら暮らさざるをえなくなっています。ともすればネガティブに捉えられがちなこれらの要素を、ポジティブに捉えなおし、生活の中に組み込んでいく必要に迫られているのです。

 超高齢社会だからこそ、受け入れざるをえないネガティブな要素をポジティブなものに変換していくには、技術の力を借りる必要があるでしょう。技術の力を借りながら、ポジティブな変革を進め、未来に継承していくようにできれば、今後、先進諸国で続出する超高齢社会にも大きく寄与できるようになるでしょう。

 そういえば、1964年の東京オリンピックの際、世界に向けて生中継するためのTV技術が進化しました。世界最初に五輪を世界に中継した静止衛星 はボーイング社のシンコム3号といいますが、帯域が狭いために、衛星伝送されたのは映像信号のみで、音声は海底ケーブルで送られたといいます。

 当時のTV技術者たちは別の用途で使われていた静止衛星を、世界にオリンピック競技を中継するために利用し、イノベーションを引き起こしたのです。

 そして、開会式、レスリング、バレーボール、体操、柔道などの競技がカラー放送されました。リアルにビビッドな状態で視聴者に競技内容が伝わるよう工夫されたのです。こうして世界で初めてのTV中継技術がオリンピック東京大会のレガシーとして残されました。

 それでは、2020年の東京オリンピックでは、何をレガシーとして残せるのでしょうか。

 たとえば、NHKは8Kでの東京オリンピック中継を過去最大規模で実施し、開閉会式や注目される競技で行い、スタジアムの興奮をそのまま日本全国に届けるとしています。

こちら →https://sports.nhk.or.jp/olympic/

 しかも、2019年6月7日に改正放送法が成立したので、NHKはすべての番組をインターネットで同時配信できるようになりました。現在はまだ開始されていませんが、これからはパソコンやスマホでNHKの番組を見ることができるようになります。もちろん、今回の東京オリンピックでも、臨場感あふれる映像を中継するためのTV技術が開発されています。

 一方、パラリンピックのサイトの情報も充実しています。

こちら →https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/gallery/

 写真家の越智貴雄氏は、「パラアスリートは道なき道を歩む先駆者であるからこそ、バイタリティーもすごい!」といい、パラアスリートの決定的瞬間をカメラに収めていったようです。たしかに、写真を見ると、その一つ一つにバイタリティーが感じられ、気持ちが鼓舞されていきます。

 障碍者がアスリートとして輝く場が提供されるのだとすれば、高齢者や障碍者が観客として、気楽にオリンピック競技を楽しめる場が提供されるべきだと思います。つまり、オリンピックを機に生番組への字幕の付与や解説放送の提供が進めば、これまで以上に多くの高齢者や障碍者が自宅に居ながらにして、競技を楽しめるようになるでしょう。

 先ほどもいいましたように、日本は超高齢社会に突入しており、今後もその傾向は続きます。だとすれば、TVは今後も基幹メディアとして一定の役割を果たし続けるでしょう。情報装置としてはもちろん、娯楽装置、対人代替装置としても活用できるようTVを高度化する一方で、使い勝手のいいものにしていけば、高齢者が自立して暮らしていくための一助とすることができます。

 オリンピックが国内外に向けた大きなプロバガンダの機会であることは確かです。今回のオリンピック・パラリンピックでは、オリンピック中継を通して、日本が高齢者や視聴覚障碍者、外国人にも優しい放送を提供していることを伝えることができればいいと思います。それでこそ、成熟した社会がオリンピックを通して残せるレガシーだという気がします。(2019/10/31 香取淳子)