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Painting & Essay

Painting & Essay 1:My Fair Lady

■Preface
  “Painting & Essay”シリーズを始めます。ここでは私が描いた油絵の紹介とそれにちなんだエッセイをつづっていきます。絵を描き上げるまでの試行錯誤の過程を記録することによって思索を深め、着想と表現とのズレを縮めていきたいと考えていますので、何か思いつけば、随時、追記していきますし、コメント欄も用意しました。ニックネームで結構ですので、忌憚のないご意見をお寄せいただければ幸いです。
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■Works : My Fair Lady
 第1回として、絵画教室で仕上げた油絵第2作目の「My Fair Lady」を取り上げます。

こちら →P1020073 (768x1024)
My Fair Lady ( 410×318㎝、Oil on canvas、June/2015, by Atsuko KATORI)

 この絵は絵画教室にあった人形をモデルに描きました。顔に興味があったので、腰から上の上半身をキャンバスに収めています。F6サイズに収まるように構図を決め、下塗りを終え、いよいよ描き始める段階になると、今度は、顔が気になって仕方がありません。仔細に観察すると、人形の顔がいかにも通俗的で、生気がないように思えてならないのです。人形は大量生産された人工物ですから、そう思えるのも当然といえば当然なのですが、早くも行き詰ってしまいました。

 改めて、人形を通して私は何を描きたかったのか、思い返してみました。

■Motif
 油絵2作目のモチーフとして、私は人形を選びました。ただの思い付きで選んだわけではなく、デッサンを修得中に、油絵を描く段階になれば、人形を描いてみたいという気持ちを固めていました。人形の姿を借りて、女性の諸相を描いていこうと思うようになっていたのです。

 絵画教室にある5体の人形の中から、私はこの人形を選びました。この人形にどことなく華やかさが感じられたからでした。人形の顔はどれも似ていますから、衣装とヘアスタイル、帽子のせいでそのように感じたのかもしれません。いずれにせよ、華やかさは女性美の一つの要素です。

 ところが、実際に描く段階になってよく観察すると、この人形の顔は通俗的で、それほど華やかでもなく、ヒトをぐいと引き付ける要素に欠けていることに気付いたのです。その後、人形展に行ってみたり、人形を扱った雑誌や本を読んでみたりしたのですが、私が求めるものとはマッチしません。

 参考のため、マリーアントワネットやポンパドール夫人など、私が華やかだと思っている女性の画像をネットで見てみました。いずれも華やかで美しくはありますが、どこか私が求めているものとは異なります。
 
 さらに、ネットでさまざまな女性の画像を見ているうちに、私が求めているのは、華やかさだけではなく、その背後にある野生味だということに気づきました。そして、ようやく、オードリー・ヘップバーンが演じた「My Fair Lady」のイライザを思い出したのです。

 花売り娘のイライザは言語学者のヒギンズ教授によってレディーに仕立て上げられていきます。数か月間の教育の結果、教養のないイライザが野性味を残しながらも正統派のレディーに変貌します。私が描きたかった女性美の一つの姿です。映画の「My Fair Lady」を思い出し、描きたかった顔が明確になってきました。もっとも、映画で見たイライザをこの絵の参考にするには、オードリー・ヘップバーンの印象が強すぎます。

 そこで、私が考える女性の華やかさのエッセンスだけを取り出し、人形でもなく、人間でもない顔を描くことにしました。映画の「My Fair Lady」にヒントを得ながらも、敢えてそれを参考にせず、ちょっと勝気で元気な少女のイメージで顔を創作したのです。タイトルは「My Fair Lady」です。

■Comments
 この絵がヒトからどのように見られるのかを知りたくて、第47回練馬区民美術展(開催期間:2016年1月30日から2月7日)に出品しました。講評日、審査員の方々からさまざまなご講評をいただきました。

 印象に残っているのは、①人形なのか人間なのかわからない、どちらかにしないと見る側が混乱する、②帽子の被り方がしっくり合っていない、③向かって右側の髪の毛が多すぎる、左側と合わせた方がいい、④レースはもっと丁寧に描いた方がいい、⑤全体にグレーゾーンに収まりすぎている・・・、というようなご意見です。

 いずれも納得できるご意見でした。ただ、帽子の被り方がしっくり合っていない、髪の毛が左右でアンバランス、等々は、私としては、レディーになりきれない野性味を表現した部分でもあります。肉づきのいい頬、勝気そうな目、アンバランスな髪の毛はコントロールしきれない野生味、元気のよさを表現したもので、完璧なレディーに仕立て上げられながらも、自由を放棄しきれない本性の反映といえるものです。

 この絵全体について審査員の方々からは、グレーゾーンに収まりすぎているというご意見もあれば、上品にまとまっているというご意見もありました。さらには、上手に描けているが、心に訴えかけてくるものがないというご意見もありました。

 さまざまな思いを込めて絵を描いたとしても、言葉の説明がなければ、その意図を理解してもらうのがいかに難しいか、あらためて認識させられました。(2016/2/8 香取淳子)