ヒト、メディア、社会を考える

11月

「蝦蟇仙人図」にみる曽我蕭白vs横山崋山

■横山崋山展の開催
「横山崋山展」が東京ステーションギャラリーで、2018年9月22日から11月11日まで開催されていました。開催期間中、私はとても忙しく、行けそうになかったのですが、たまたま手にしたチラシに掲載された祇園祭りの絵柄がおもしろく、気になっていました。最終日の午後、なんとか時間を作り、行ってきたのですが、実際に絵の前に立つと、絵柄から浮彫にされた崋山の構想力が斬新で、惹き込まれてしまいました。無理して出かけた甲斐があったと思った次第です。

 会場には関連する絵師の作品数点を含め、120点ほどの作品が展示されていました。展示リストは以下の通りです。

こちら →http://www.ejrcf.or.jp/gallery/pdf/201809_kazan.pdf

 つい渡辺崋山と間違えてしまいそうになるのですが、展覧会のタイトルをよく見ると、横山崋山でした。私には聞き覚えのない名前です。チラシの説明を見ると、崋山は「江戸時代後期に京都で活躍した人気絵師」で、「曽我蕭白に傾倒し、岸駒に入門した後、呉春に私淑して絵の幅を広げ、多くの流派の画法を身につけました。そして、諸画派に属さず、画壇の潮流に左右されない、自由な画風と筆遣いで人気を博しました」と書かれています。

 そういえば、会場の展示も「蕭白を学ぶー崋山の出発点―」から始まっていました。よほど影響を与えられたのでしょう。

 展覧会は、第1の「蕭白を学ぶー崋山の出発点―」から、第2「人物―ユーモラスな表現―」、第3「花鳥―多彩なアニマルランドー」、第4「風俗―人々の共感―」、第5「描かれた祇園祭―《祇園祭礼図巻》の世界―」、第6「山水―崋山と旅する名所―」等々のコーナーで構成されていました。

 それでは、作品を見ていくことにしましょう。

■「蝦蟇仙人図」に見る蕭白vs崋山
 会場に入るとすぐ目につくところに展示されていたのが、曽我蕭白の「蝦蟇仙人図」です。先ほど説明しましたように、崋山が傾倒していたといわれる絵師の作品です。蝦蟇仙人という奇妙なタイトルが付いています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。図録より)

 Wikipediaによると、蝦蟇仙人とは中国の仙人で、青蛙神を従えて妖術を使うとされているそうです。そういえば、この絵の下方に蛙が描かれています。これがその青蛙神なのでしょうか、大きな口を食いしばり、まるで睨みつけるように目を見開いて、仙人を見上げています。白い大きく膨らんだお腹が印象的です。よく見ると、両手を広げて上に向け、片足立ちで立っています。

 一方、仙人はといえば、まるで呪文を唱えてでもいるかのように、口を大きく開けて蛙を見つめ、押さえつけるような仕草で手を広げて下方に向けています。ひょっとしたら、蛙に対しなんらかの妖術を施そうとしているシーンなのかもしれません。

 この作品と並んで展示されていたのが、崋山の「蝦蟇仙人図」です。蛙といい、仙人といい、背景といい、同じ題材を描いたものであることは明らかです。おそらく、蕭白の作品を参考に、崋山が同じモチーフを描いたのでしょう。

 帰宅してから二人の生没年を調べてみると、横山崋山は1781あるいは84年の生まれで1837年に没していますし、一方、曽我蕭白は1730年の生まれで1781年に没しています。二人の生没年を見比べると、ちょうど崋山が生まれた頃、蕭白は亡くなっています。ですから、崋山は直接、蕭白に教えを請うたわけではなく、作品を通して私淑したということになるのでしょう。

 同じモチーフ、同じようなシチュエーションを同じ構図で扱いながら、二つの作品は微妙に異なっています。たとえば、崋山の作品は背景が単純化されているせいか、仙人と蛙の姿勢がよくわかります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。図録より)

 仙人は桃を持った右手を後ろに回し、左手を蛙の頭上に大きくかざしています。右足は折り曲げて左脹脛に引っ掛け、しかも左踵をやや上げていますから、きわめて不安定な姿勢です。そして、顔面はといえば、俯き加減に黒目を上に寄せ、いかにも念力を放っているかのような異様な形相です。蕭白の描いた仙人にはこれほどの迫力はありません。

■モチーフと背景にみる、蕭白vs崋山
 蕭白が描く仙人は、両脚はしっかりと大地につけており、安定感があります。腕の挙げ方、背中から肩、腕にかけての筋肉の付き方、背骨の盛り上がり具合やわき腹の凹み具合など、人体構造を踏まえて描かれており、不自然さはどこにもありません。奇妙な姿勢を取る仙人の身体に沿って揺れる衣の描き方も柔らかく、リアリティが感じられます。

 仙人の顔はと言えば、目は比較的小さく、口は異様に大きく開けているとはいえ、ヒトに近い人相です。腕を上げ、うつむき加減に蛙を見下ろしているポーズで描かれていますが、身体の傾き加減、両脚の位置、そして、衣の揺れ具合のバランスが絶妙です。

 背後に目を向けると、仙人のポーズは頭上の木の枝の傾き、岩肌の傾斜とも呼応しており、画面に右から左への流れが生み出されています。風を感じることができますし、一種のリズムも感じられます。こうしてみてくると、蕭白は墨の濃淡やかすれ、滲みを巧みに使って、架空の世界をリアリティ豊かに描き出していることがわかります。

 一方、崋山の描いた仙人は、背中から腕にかけての筋肉の付き方、背骨やわき腹の骨、衣からはみ出た右腕の描き方がやや不自然です。おそらく、人体構造を意識せずに描かれたのでしょう。しかも、顔と上半身が大きく、全般に身体のバランスがよくありません。不安定なのです。それだけに、仙人の片足立ちの奇妙なポーズが強く印象づけられます。

 背景の山も、白黒の濃淡でエッジが強く描かれているのが印象に残ります。エッジが強すぎるせいか、画面上にモチーフと連動した動きは見られません。背景は極力、単純化され、モチーフを際立たせるためだけに墨の濃淡や強弱が使われているように思えます。こうしてみてくると、崋山の場合、画面にアクセントをつけるために墨の濃淡を使い、架空の世界をよりドラマティックに描き出す効果を狙っていることがわかります。

■サブモチーフの描き方にみる物語性
 これまで見てきたように、蕭白の絵と崋山の絵は同じモチーフを取り上げながら、微妙に異なっていました。大きく異なっていたのが、サブモチーフである蛙の描き方です。片足立ちをし、手を大きく広げて仙人に向けるポーズはとてもよく似ているのですが、顔とその姿が大幅に異なっているのです。

 たとえば、蕭白の絵の場合、蛙は片足立ちで、仙人の手に対抗するように両手を広げています。蛙のお腹は白く大きく膨らみ、傷ひとつありません。口は大きく曲げていますが、目はしっかりと仙人を見上げています。奇妙なポーズであることは確かですが、異様なところはどこにもありません。

 仙人もまた、口こそ大きく開けていますが、目に怒りが見られるわけでもなく、むしろ、微かに優しさが感じられます。手にした大きな桃の実を蛙に差し出そうとしているように見えなくもありません。奇妙なポーズ以外に違和感を感じさせるものはありませんから、これは仙人と蛙が交わす儀式のようなものなのかもしれないと思えてきます。

 一方、崋山の作品では、蛙のお腹に何か所も傷跡が見られ、くすんだ色をして痩せこけているように見えます。目は充血しているように見え、片足立ちしている姿もか細く不安定です。描かれた蛙の姿形がとても悲惨なのです。しかも、仙人の形相が凄まじいので、蛙の悲劇性が強調されています。仙人と蛙がまるで加害者と被害者のように見えてしまうのです。そして、視線をずらすと、蛙の悲惨さを補うかのように、仙人は後ろ手に桃の実と花を持っているのに気づきます。果たして、可哀そうな蛙にこれが見えているのかどうか。

 興味深いことに、仙人が後ろ手に持っている桃の実も花もほんのりと着色されていて、生気が感じられます。淡い色調から桃の実や花の香しさや美味しさ、柔らかな触感が伝わってきます。

 ちなみに中国ではかつて、桃は単なる果物ではなく、病魔や厄災を寄せ付けない力を持つとされていたそうです。そうだとすれば、仙人が後ろ手にした桃は蛙の傷を癒すためのものなのかもしれません。

 蛙の姿を見てその悲惨さに同情していた観客は、次に桃の実と花を見て、救護・治療を連想し、気持ちの安らぎを覚えます。危機感から安心感へと気持ちが転換していく過程がこの絵柄の中に生み出されているのです。一枚の絵が何段階にも観客の感情を揺るがしていくのです。これでは観客がこの作品世界に深くコミットしてしまうのも当然のことでしょう。

 サブモチーフである蛙と桃について、このような解釈が成り立つとすれば、淡く着色された桃の実と花はこの絵で語られるストーリーの着地点だといえるでしょう。ハッピーエンドの展開です。こうしてみてくると、崋山の卓越したストーリー構想力と表現力に感嘆しないわけにはいきません。蕭白に比べれば一見、稚拙に見える崋山の絵の方が、実は物語性に富み、訴求力の強い作品だったといえます。

■画面構成に込められた物語性
 このように見て来ると、崋山は蕭白の作品からモチーフを借りて似たような絵柄を作りながらも、そこにドラマティックな仕掛けをいくつか施していることがわかります。

 まず、背景を奥行きの感じられる山岳風景にし、蛙と仙人が、誰も容易に登ってこられないような高山のわずかに開けた場所に登場させたことが、ポイントとして挙げられるでしょう。空や地面には何も描かれていませんから、観客は蛙と仙人の所作を明瞭に捉えることができます。メインモチーフとサブモチーフをくっきりと浮き彫りにする構図です。

 背景で描かれた幾重にも連なる山々がこの作品の「序」であるとするなら、蛙と仙人の関わりの部分が「破」であり、仙人が後ろ手に隠し持っている桃の花と実が「急」に相当するのでしょう。崋山は一枚の絵の中に「序」「破」「急」で展開される三部構成のストーリーを持ち込んだのです。おかげで時間の広がりと空間の奥行が生み出され、この作品世界の豊かさが醸成されました。

 崋山の作品は、蕭白の作品を参考にしながら、モチーフの背後にあるストーリーを感じさせる絵柄、部分的な着色、余白の効果的な使い方、等々の工夫がなされています。その結果、一枚の絵の中にさまざまな時間や空間を感じられる印象深い作品に仕上がっています。

■顔輝の「蝦蟇鉄拐図」vs曽我蕭白の「蝦蟇・鉄拐仙人図」
 これまでご紹介してきたのは、曽我蕭白と横山崋山による「蝦蟇仙人図」ですが、Wikipediaによると、宋代に活躍した顔輝が描いた「蝦蟇鉄拐図」の影響で、蝦蟇仙人は鉄拐仙人と対の形で描かれることが多かったそうです。崋山のように蝦蟇仙人だけを取り出して描くのではなく、鉄拐仙人とセットで描かれてきたようなのです。

 そこで、元の絵を探してみると、両者を描いた顔輝の作品、「蝦蟇鉄拐図」を見つけることができました。14世紀の作品とされています。

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(図をクリックすると、拡大します。京都国立博物館蔵)

 左側に蝦蟇仙人、右側に鉄拐仙人が描かれています。両者とも岩に腰を下ろし、旅の途中なのでしょうか、頭陀袋のようなものを携えています。描き方に奇をてらったところはどこにもなく、どちらかといえば写実的で、仙人というより普通のヒトの通常の所作のように見えます。

 曽我蕭白は、この顔輝の「蝦蟇鉄拐図」に想を得て、「蝦蟇・鉄拐仙人図」を描いています。

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(図をクリックすると、拡大します。Wikipediaより)

 「蝦蟇・鉄拐仙人図」というタイトルの作品ですが、見てすぐわかるように、顔輝の「蝦蟇鉄拐図」とは印象がまったく異なります。右は先ほどからご紹介してきた蝦蟇仙人図ですが、左が鉄拐仙人図です。顔輝の「蝦蟇鉄拐図」とは左右が逆になっています。

 蕭白の描いた鉄拐は杖をつき、立ったままぷっと鼻と頬を膨らませ、ぶ厚い唇からふっと息を吐きだしています。その吐き出した吐息の中に、微かにヒトの形をしたものが描かれています。

 改めて顔輝の描いた鉄拐を見ると、岩に腰を下ろし、鉄の杖を胸元に抱え、衰弱したようすでした。説明文には「魂を噴出した所で元の体は脱け殻となってすでに死色を帯び、硬直しはじめている」と書かれていました。

 そうすると、蕭白が描いた吐息の中に見える微かなヒトの形は、鉄拐が死に際に吹き出したといわれる魂なのでしょうか。落ち窪んだ眼は虚空を眺め、心なしか、精神が無になっているようにも見えます。前面に頑丈な鉄の杖が強い筆致で描かれていますから、中国の故事通り、鉄拐の足が不自由だったことも示されています。

 ところが、蕭白の絵は、鉄の杖によりかかりながらも、足のつま先を上に向けてしっかりと大地を踏みつけています。これはエネルギーを感じさせるポーズです。顔面の頬の膨らみ具合といい、大地をしっかり踏み込んだ足元といい、とても死に体には見えません。ただ、よく見ると、顔面は所々、土気色になっているようにも見えます。

 これはおそらく、身体エネルギーを使い果たし、死に際に差し掛かった鉄拐が、最後のエネルギーを振り絞って、自身の精神を身体から解き放ったことが示されているのでしょう。滑稽なイメージで描かれた絵柄に、死に対する深淵な観念が浮き彫りにされています。顔輝の描いたオリジナルではわからなかったメッセージが、蕭白の絵からはしっかりと伝わってくるような気がします。

 こうしてみてくると、蕭白がオリジナルを相当デフォルメして描きながら、その本質を的確に捉えていたことがわかります。桃(蝦蟇仙人)や杖(鉄拐仙人)といったキーアイテムを押さえ、それらのメッセージを構成する要素を画面の目立つ位置に配置しています。しかも、メインモチーフは戯画的にデフォルメされて描かれていますから、顔輝の「蝦蟇鉄拐図」に込められたメッセージがいっそう強く印象づけられるというわけです。

 その蕭白の絵をさらに単純化し、カリカチュアしたのが崋山の作品でした。

■崋山のエスプリの効いたセンスの良さ
 「蝦蟇仙人図」をめぐり、蕭白と崋山、蕭白と顔輝の作品を比較しながら、ご紹介してきました。これまで見てきたように、オリジナルをデフォルメして理解しやすいように描き替えたのが蕭白だったとするなら、その蕭白の画風を模倣しながら、さらにメッセージ性を強めたのが崋山だったといえるかもしれません。

 蕭白がオリジナルの絵柄を再解釈して自身の作品として構築したとすれば、崋山はそこに物語性を加えることによって、絵柄に含まれるメッセージを強化したといえるでしょう。物事の本質を見つめ、それをしっかりと表現する能力がなければ、とてもこのような芸当はできるものではありません。

 このように考えてくると、改めて、チラシに書かれた文言が思い浮かびます。チラシには「崋山は作品の画題に合わせて自由自在に筆を操り、幅広い画域を誇りました」と書かれていました。

 今回、ご紹介した「蝦蟇仙人図」のような画題についても、崋山はどのように表現すれば見る者の気持ちに届くのか、より効果的にメッセージが伝わるのか、といったようなことを考え抜いたのでしょう。だからこそ、蕭白の作品にはなかった蛙のお腹の傷跡、桃の実や花の着色といった工夫を崋山は練り上げ、取り入れたのだという気がします。見る者の視線を誘導する仕掛けを作ったのです。

 さて、この時期、忙しかった私が時間を作ってわざわざ最終日に出かけたのは、チラシに掲載された祇園祭りの絵柄が面白かったからでした。どのような絵なのか見て見たくて展覧会場を訪れたのですが、残念ながら今回、ご紹介することができませんでした。会場に入って最初に見た絵(蝦蟇仙人図)に引っ掛かってしまったからでした。知的な刺激を受け、この作品にこだわってしまった結果、他の作品を紹介しきれませんでした。

 会場では、エスプリの効いたセンスのよさが光る作品にいくつも出会いました。いずれも崋山の柔軟な発想、そして確かな表現力に支えられたものでした。いつか機会があれば、ご紹介したいと思います。(2018/11/22 香取淳子)

溝口墨道&赫舎里暁文展:民族文化を踏まえ、新たな表現の時空への誘い

■「溝口墨道・赫舎里暁文夫婦 日・満興亜絵画展」の開催
 銀座6丁目の創英ギャラリーで今、「溝口墨道・赫舎里暁文夫婦 日・満興亜絵画展」が開催されています。開催期間は2018年11月1日から6日まで、開催時間は10:30~18:30(土曜、日曜は17:00まで)です。案内メールをいただいたので、開催初日の11月1日、訪れてみました。

 ディム銀座8Fにある会場には、溝口墨道氏の作品20点と赫舎里暁文氏の作品18点が展示されていました。ざっと見て、溝口氏の作品は水墨画をベースに生み出された独特の画風が印象的でしたし、暁文氏の作品は満洲文字を組み込んだ情緒豊かな作品が心に残りました。

 まず、暁文氏の作品から、印象に残った作品について、ご紹介していくことにしましょう。ここでご紹介する作品は、私が会場で作家の許可を得て撮影したものですが、照明が写り込み、作品の素晴らしさを損ねてしまっているものもありますことをご了承くださいますように。

■満洲の魂と日本の風情
 暁文氏は満洲で生まれ育ち、溝口氏と結婚して日本に来られました。展示作品を一覧すると、満洲文化に根付いた作品と日本文化を踏まえた作品とがあり、それらは題材別にカテゴライズされるように思えました。そこで、似たような題材の作品を二点、あるいは、三点取り上げ、類別してご紹介していくことにしましょう。

〇「心のサマン」(2014年)と「満洲之夢」(2013年)
 満洲の魂とでもいえるような心情がしなやかに作品化されていたのが、「心のサマン」と「満洲之夢」というタイトルの作品でした。どちらも画面に満洲文字が描き込まれており、それが画面に奥行きを与え、微妙な陰影を醸し出していました。そのせいでしょうか、心の奥深いところで画面に引き付けられ、気持ちが揺さぶられました。

 たとえば、「心のサマン」を見てみましょう。私がもっとも惹かれた作品です。

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 真ん中に壺に入れられた蓮の葉が描かれ、その周囲には無数のヒトといわず、動物といわず、この世のさまざまなものが判然としない形態で描かれています。中には仏像のように見えるものがあったので、暁文氏に尋ねると、仏像ではなくヒトだといいます。満洲文化には仏像はなく、満洲人はあらゆるものに神が宿り、至る所に神がいると考えるのだそうです。

 それを聞いて、再び作品を見ると、蓮の葉を取り巻くように描かれた無数のヒトや動物、モノ、文字のひとつひとつに、尊い命が宿っているように思えてきます。実際、それらのいくつかには部分的に金が使われ、光り輝いて見えます。精霊が宿っているのでしょうか。光に照らされた部分が神々しく見えます。ちなみに背後に描かれている数多くの文字は満洲文字で、祈りの言葉が書かれているそうです。

 そういえば、「心の中のサマン」というのがこの作品のタイトルでした。サマン(薩満)は英語でいえばシャーマンですから、作者の心の中のシャーマンが、記憶の底に眠る満洲のヒトやモノ、土地、文化を呼び起こそうとしているのでしょう。作者の思いがひしひしと伝わってきて、観客の心を強く打ちます。

 同じように植物をメインの題材にし、祈る心を表現したのが「満洲之夢」です。

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 画面中央に大きな花が二つ、上下で描かれています。この花の名前を知りたくて暁文氏に尋ねたのですが、私が「サボン」と聞き間違えてしまったせいで、帰宅してからネットで調べてみても、描かれた花の形状と合うものは見つかりませんでした。ただ、「夜、綺麗に咲く」と言われたことを思い出し、それを手掛かりに検索してみると、この花がサボテンの花だということがわかりました。満洲蘭ともいうそうです。

 作品に戻ってみましょう。

 海のように深い暗緑色に所々、濃い紫色を交えた背景に、白いサボテンの花が二つ、周囲から浮き上がって見えます。夜花開くという妖艶な美しさが際立っていましたが、根が失われているかのように勢いがなく、うなだれているようにも見えました。満洲蘭といえば満洲の国章でもあります。ひょっとしたら、暁文氏は、この花に満洲文化の現状を重ね合わせて描いたのかもしれません。

 中央の二つの花を取り巻くようにして、短い満洲文字がいくつも、垂直に書かれています。暁文氏に尋ねると、どれも祈りの言葉なのだそうです。そうだとすれば、いまにも消えかかりそうなサボテンの花(満洲文化)の蘇生を願い、祈る気持ちを表現しようとしたのでしょうか。

 一目で満洲文化由来だとわかる作品もありました。

〇「奉霊図」(1990年)と「満州人の太鼓踊」(1990年)
 切り絵風にデザインされた作品として興味深く思ったのが、「奉霊図」と「満州人の太鼓踊」でした。残念ながら、この二つの作品の来歴についてはうっかり暁文氏に聞きそびれてしまいました。感じたことを中心に綴っていくことにしましょう。

 まず、「奉霊図」から見ていくことにしましょう。

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 暁文氏に尋ねることができませんでしたので、この作品にどのような意味が込められているのかはわかりません。ただ、切り絵風にデザインされていますし、満洲文字が周囲に散りばめられていますから、この作品にもきっと、祈りの気持ちが込められているのでしょう。

 中国の伝統的な民間芸術といわれるのが切り絵です。その切り絵風にデザインされ、構成されたモチーフは装飾的で、工芸品の絵柄のようにも見えます。色彩に注目すると、真ん中の模様部分が白く明るく、左右、下方に黄色が散っています。そのせいか、この部分が膨らんで見え、まるで心臓のように、周囲に血液を送っているように見えます。所々、明るい黄色で着色された部分は血流に見えなくもありません。そのように見てくると、満洲文化はまだ生きていることが表現されているように思えてきます。

 そういえば、この作品のタイトルは「奉霊図」でした。「奉霊」という言葉には祖霊を祀る気持ちが込められています。そのことを考え合わせると、この作品には、消えかかっている満洲文化がまだ生き長らえており、いつかはきっと再生させるという暁文氏の思いが投影されているように見えます。

 さて、具体的に満洲の民族文化が描かれているのが、「満州人の太鼓踊」でした。

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 満洲人の民間芸能が描かれています。切り絵の手法で描かれているせいか、装飾的な美しさ、色彩のバランスの良さが印象的です。二人の女性が笑顔をこちらに向けて、小さな太鼓を叩きながら、踊っています。その背後の画面にはさり気なく、さまざまな満洲文字が書き込まれています。「奉霊図」とは違って、漢字も書かれているのが興味深く思えました。中国が実は多民族社会で、かつて満州族が支配した時期もあったことに気づかされます。

〇「故郷の山茶花」(2005年)と「雪つばき」(2017年)
 細密に描かれた工筆画として印象深かったのが、「故郷の山茶花」と「雪つばき」でした。いずれも、精密な描写の中に花弁と葉の嫋やかな優雅さが表現されています。

 優雅さと上品さが際立っていて印象的だったのが、「故郷の山茶花」でした。

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 左下から右上にかけての対角線上に、山茶花の花弁、葉、枝が伸びやかに描かれています。上に伸びる葉は画面を突き抜けるように描かれ、勢いの良さが表現されています。その一方で、左下には小さく伸びた枝に小さな葉と蕾がしっかりと描かれ、安定感が示されています。画面の対角線上に絶妙なバランスで花、葉、枝が配置され、山茶花の華やぎが感じられます。

 この絵を見たとき、私はまず、この構図に引かれました。山茶花の美しさがさまざまな局面から余すところなく捉えられていると思ったからでした。さらに、微妙なグラデーションで表現された花弁の色調、葉の形状とその表裏に刻まれた陰影、花芯の雄しべ、雌しべの繊細で細かな表情、それぞれの表現が精密で、嫋やかな風情が醸し出されており、引き込まれました。

 よく見ると、モチーフの背景には、色調を抑えた山茶花の花がいくつも描かれています。淡い色調で描かれた花々が背景の中に持ち込まれることによって、モチーフの山茶花が浮き上がって見えます。さり気なく、複層的にモチーフを強調する効果がもたらされているのです。そのせいか、画面全体から、余韻のある美しさとしっとりとした味わいを感じさせられました。

 日本的情緒が感じられたのが、「雪つばき」でした。

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 雪の重みで垂れ下がった葉や小枝に、雪がなおも降り続いています。冬の日、誰もがいつかは目にしたことのある光景です。そぼ降る雪の描き方が丁寧で、まるで目の前で雪が降っているような錯覚すら覚えます。ちらつく雪片の影でひっそりと花開いた椿の花が、なんと鮮やかで、華やかなことでしょう。日本の冬の日の光景が詩情を込めて捉えられています。

〇「秋韵二」(2017年)、「秋韵五」(2017年)、「秋韵四」(2018年)
 日本の自然を捉え、季節の叙情が見事に表現されているのが、「秋韵」シリーズの作品です。「秋韵」がどういう意味がよくわからなかったので百科で調べてみると、「秋韵犹秋声」と説明されていました。そこで、中国語の辞書でこの文章の意味を調べると、「秋の自然界の音声を指す。たとえば、風の音、落ち葉の音、虫の声」となります。結局、「秋韵」は風雅な秋の音色全般を指す言葉なのでしょう。

 まず、「秋韵二」から見ていくことにしましょう。

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 紅葉したもみじの葉が画面いっぱいに描かれており、その左側の背後には太陽が淡い色調で描かれています。その対極にある右側は幅広く、やや暗い色調で覆われているので、ぼんやりとした太陽が印象づけられます。

 何枚も重なりあった紅葉したもみじの葉陰から、遠慮がちに姿を現している太陽がいかにも秋らしい、静かな奥ゆかしさを感じさせます。微妙な濃淡を創り、色調を変え、形状を変え、それぞれの葉を描き分けることによって、何枚ものもみじの葉がささやいているようにも見えます。まるで秋の日に奏でられたシンフォニーのようです。

 「秋韵五」では木に登る猫が描かれています。

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 この作品は工筆画法で描かれており、猫の毛並み、枝、そして、画面からはみ出してしまうほどの太い幹の描き方が秀逸です。左側には一部紅葉した葉をつけた枝が、垂れ下がっているせいか、風にそよいでいるような動きが感じられます。右側からも同じような葉と小枝が姿をのぞかせています。とてもバランスのいい構成で、植物と動物、静と動の組み合わせの妙が感じられます。

 尻尾を立て、下を見下ろす猫の表情、姿態はまるで生きているようです。揺れ動いているように見える垂れ下がった小枝と伸びた葉、そして、下を見下ろしている猫が「動」を表現しているとするなら、猫が乗っている中ぐらいの太さの枝と、右側の太い枝は「静」を表しています。中ぐらいの枝も太い幹も細部まで描き込まれてはいません。静と動、そして、疎と密のバランスよく、画面に安定感があります。動物と植物が共に生き生きと表現されており、秋の日の光景が詩情豊かに捉えられています。

 「秋韵四」でも、猫が描かれています。

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 先ほどご紹介した作品と同じように、猫を克明に描きながらも、こちらはやや抽象的な作風です。興味深いことに暁文氏は、紅葉したもみじは葉だけをあしらい、猫もまた本体だけを取り上げ、描いています。モチーフはリアルに描きながら、そのリアリティを支える背景は描いていないのです。

 とはいえ、もみじを見つめる猫の表情のなんと可愛いことでしょう。この作品はモチーフをリアルに描きながらも、リアリティを生み出す要素を切り離したために、現実感が希薄です。その結果、もみじの葉をまるでお手玉のようにして遊ぶ猫の可愛らしさを引き出すことに成功しています。この作品には、背景的要素を切り離して描く日本画の特徴がみられるといっていいのかもしれません。

 ここでは取り上げませんでしたが、「秋韵一」「秋韵三」は、紅葉したもみじの木を前面に大きく打ち出した構図の作品でした。一連の「秋韵」シリーズでは、もみじの木、紅葉したもみじの木と太陽、あるいは、もみじの葉と猫、などが題材として扱われ、日本の秋の光景がやさしく、詩情豊かに表現されていました。

 こうしてみてくると、暁文氏はまず、さまざまな題材の中に、満洲人が積み上げてきた精神の歴史、心の遍歴を表現しようとしていることがわかります。その一方で、季節との関わりの中で日本の光景を取り上げ、自然を愛しんできた日本人の心情をしっとりと謳いあげます。

 満洲人であれ、日本人であれ、心の奥底でつながりあえるベースとなる自然、その自然の背後にある精霊、あるいは、それら一切合切を包み込む時空、その種の目に見えない世界が表現されているようでした。心の奥深いところで気持ちが揺すぶられるような思いがします。

 一方、溝口墨道氏の作品は、中国で見かけたさまざまな光景を墨人画の技法で描かれていました。

■中国百態シリーズ
 中国百態シリーズとして展示されていた墨人画のうち、印象に残った作品をご紹介していくことにしましょう。一連の作品には作品にまつわる文章がそれぞれ別途、絵の下に掲示されていました。

〇「上海航路の客船で、海が荒れたら日本人と中国人が二通りの様子になった」
 まず、「上海航路の客船で、海が荒れたら日本人と中国人が二通りの様子になった」というタイトルの作品を見てみましょう。

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(図をクリックすると、拡大します)

 この作品では二十数年前、墨道氏が上海航路の客船で遭遇した出来事が描かれています。まず、この絵の下に掲示された説明文には以下のように書かれていました。

****
 ある時私は中国の研修生とおもわれる大勢の若い女性の団体と日本行きの船で一緒になった。彼女らは恥じえての日本行きで興奮気味でにぎやかに船のあちこちで話す風景が見られ、存在感では日本人を圧倒していた。
 翌日になると海が少し荒れ歩く時も右に左に揺られながら壁を伝うような有様だった。彼女らの様子を見て驚いた。全員が横になりまるでこの世の終わりかのように呻きながら船酔いで苦しんでいる。一方日本人はと言うと笑いながら「揺れますね」などと挨拶し食事もしている。
****   (該当箇所を引用)

 このような説明を読んでから改めて作品を見ると、なるほどそういうことかと思わせられます。

 画面中ほどの右側には、壁を伝い、ガニ股になってバランスを取りながら歩いている二人の人物が描かれています。同じライン上の左側には、仰向けになったり、横向きになったり、膝を抱えて座り込んでいる女性たちの姿が描かれています。荒れる上海航路の船上で見かけた中国人女性たちの反応がさまざまに捉えられているのです。

 絵は一般的には写真と同様、時間と場所を特定した出来事しか表現できません。ですから、画面で描かれた時空以外の情報を、説明文から得ることによって、解釈に厚みと深みが出てきます。

 たとえば、説明文では「彼女らは初めての日本行で興奮気味に賑やかに船のあちこちで話す風景が見られ、存在感では(同乗した)日本人を圧倒していた」と書かれています。海が荒れる以前、若い中国女性の一団がいかに元気よく賑やかだったか、この文面から容易に想像することができます。

 ところが、いったん海が荒れると一転して、絵で表現されたような有様になってしまいます。それが墨画で端的に表現されています。墨道氏はこれについて、「この時日本人には遺伝的に海洋民族の祖先を持っており、中国の内陸部から来た彼女らの祖先は海に出たことがないからその遺伝がないのだと直感した」と結論づけています。

 墨道氏がかつて目にした光景が墨人画で表現され、それに説明文が加えられることによって、時間空間の広がりが生み出されました。その結果、抽象化された一枚の絵から日中文化論を引き出すことができているといえます。

 そういえば、東北大震災の際、日本にいた中国人は恐怖におののき我先に逃げ出したという報道を読んだことがあります。一方、日本人は大震災、それに継いで大津波にも襲われながら、秩序を乱すことなく平然と救援を待っていたという報道を思い出しました。

 墨道氏が経験したことと同様、危機に際した日本人の行動は日本文化の一環として捉えることができるのかもしれません。

〇「大学生が大学の外の人々を下に見る」
 さて、「大学生が大学の外の人々を下に見る」というタイトルの絵も興味深い作品でした。

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(図をクリックすると、拡大します)

 まず、絵の下に掲示された説明文を読んでみましょう。

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 中国は、科挙に受かった筆を武器とする文人官僚が国を運営してきたので、刀を差した武士が国を運営してきた日本とは、社会が全く違う。現在でも画家・書家の社会的地位は、日本のそれとは比較にならないほど高い。(中略)
私が留学した芸大は、専攻分野では全国トップで千倍以上の倍率を勝ち抜いて入ったから、私から見れば普通の若い画学生に見えた彼らは正真正銘のエリートだった。
 そんな彼らの一人が、ある日校門の外を忙しく行き来する庶民を見ながら私に「彼らはずうっとああなんだよな」と少し笑いながら言った。私は少年のような彼が、悪気なく、一般大衆を一まとめにして自己とは違った階層とすることに少し驚いた。
****  (該当箇所を引用)

 説明を読んでから、上の作品を改めて見ると、状況がよくわかります。
画面の遠景には、開いた校門前を荷車を引く者、人力車をこぐ者、荷物を持ち俯き加減に歩く者など、いわゆる生活に追われた庶民が歩いています。生きるために労働力を提供せざるを得ない人々でしょう。そして、近景では、校門前を行き来する人々を見て何やら話し合う二人の人物が描かれています。

 画面を三等分し、上からほぼ三分の一のラインに小さく、コマネズミのように働かないと生きていけない人々を描き、そして近景にはエリート層の大学生を配置し、社会を構成する二つの階級を描き分けています。校門を一つの境界として、社会には二つの階層が存在していることを示唆しているのです。そして、支配する者の側に立つ学生の言葉として、「彼らはずっとああなんだよな」という言葉を添えています。つまり、支配層、被支配層に二分化された社会構造は今後も続くことが示唆されているのです。

 墨道氏は「日本では大学の外にいる人を別の階層と感じる学生はいないと思う。支配者と非支配者が厳然と分かれる体制の根は深くなかなか変わらないだろう」と記しています。

 中国の階層化された社会構造はかつての科挙制度の遺産でもあり、今後もなくなることはないのかもしれません。校門の外が大勢なの対し、内側はたった二人です。この作品は、少数の優秀な人々が大多数の無知な人々を支配する社会構造を可視化したといっていいでしょう。

 この作品を見て私は、中国の知識人がよく「读书人」と言ったり、「书面语」あるいは「口语」と言ったりするのを思い出しました。科挙制度の痕跡なのでしょうか、読書階級(知識人)とそうではない人々をはっきりと二分し、使用言語についても微妙な線引きがあることを思い出したのです。

〇「公平」を唱えるのはダメ人間
 そういえば、「「公平」を唱えるのはダメ人間」というタイトルの作品がありました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 まず、説明文を読んでみましょう。

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 留学時代、住宅地に住んでいたが、近くの卵屋には沢山の卵が積まれていた。
 日本のように生産日、消費期限が管理されていないので、どの様に売っていたのであろうか。
 私は通りすがりの一見には古いものを高く、地域住民には普通のものを定価で、近所の常連客には新鮮なものを安く、友人家族には新鮮なものを無料で、というようにしているのではないかと見ていた。
**** (該当箇所を引用)

 この説明文を読んでから、改めてこの絵を見ると、卵がいっぱい詰まった箱を両側に置いて、男が首をかしげた様子が気になります。同じ商品なら誰に対しても同じ値段で売るのなら悩むこともないのでしょうが、卵の新鮮度という変数、そして、買い手との関係性という変数を考え合わせた上で、値段を設定するのはどれほど大変なことでしょう。男は首をかしげ悩んでいるように見えますが、それも無理はありません。買い手にはすべて定価で売る場合より、損をする可能性もあるのでは・・・、とも思ってしまいます。

 墨道氏はこれについて、「中国では「平等・公平」に慣れた我々日本人には理解しがたい状況が日々進行している。全てが個人の交渉力、情報力、財力、地位、友人の多さ等で流動的に決まっていく。(中略)「何々すべき」「こうあるべき」などは最も用をなさないのが中国社会である」と結論づけています。

 これを読んで、私はふと、かつて読んだ『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー)を思い出しました。簡単にいうと、プロテスタンティズムが生み出した勤勉の精神や合理主義は、近代的、合理的な資本主義の精神に適合し、近代資本主義を誕生させたというのです。

 このような見方を敷衍すれば、なぜアジアで日本だけが近代資本主義を発達させることができたかということの説明がつきます。近代化以前に節約、勤勉を重視する生活価値観が育まれ、一部合理的精神も芽生えていた日本社会は、近代的資本主義が必要とする精神をすでに持ち合わせていたということになるからです。

 一方でこの見方は、利にさとく、商売上手に見える中国でなぜ近代資本主義が発達しなかったのかという疑問への回答にもなります。誰に対しても同じ値段で同じ品質のものを販売することのない中国社会では、信頼をベースとする経済活動が成立しないからです。

 以上、展示されていた作品のうち、ご紹介できたのはわずか3作品ですが、いずれも墨道氏が留学時代に日常生活で経験した光景を描いたものでした。ちょっとした生活の断片にも中国文化の一端がしっかりと捉えられており、興味深いものがありました。

■墨人画
 墨道氏は2004年にこの墨人画法を開発したといいます。1990年に水墨画を極めるために中国に留学した墨道氏は、本科生から大学院まで中国美術学院で学び、研究しました。帰国してさらに水墨画を極めた結果、開発したのが今回、展示されていた墨人画です。水墨画の歴史、技法を踏まえ、独自の世界を創り上げるために開発したのが、この墨人画技法だったのです。

 墨道氏は水墨画の真髄は美学にあるといいます。それは構図の妙であり、下描きをせず一気に描くという瞬発力によって生み出されます。たしかに墨道氏の手掛けた墨人画は構図の妙が際立っていました。モチーフに何を選び、どのようなサイズで、どの位置に配置するか、あらかじめ頭の中で練り上げられていたからでしょう。

 たとえば、先ほどご紹介した「大学生が大学の外の人々を下に見る」の場合、遠景に小さく校門とその前を行きかう人々(労働者)、そして、近景には二人の人物の立ち姿(大学生)がやや大きく描かれていました。いってみれば遠近法によって、あちら側とこちら側が明確に区別されているといえるでしょう。

 大きな白い余白の中に、モチーフだけが影絵のように黒く描かれています。それも濃淡のない黒のベタ塗りですから、ヒトやモノの形状は明確になります。荷車を引く者、人力車をこぐ者、荷物を抱えて運ぶ者、それぞれの労働の形態が端的に表現されています。一方、手前の二人はズボンのポケットに手を入れて立ち、校門辺りを指さしながら、余裕のある姿勢を見せています。いずれも黒一色で描かれ、余分な情報が削ぎ取られているせいか、モチーフの所作、振舞いがダイレクトに伝わってきます。一見して、余裕なく働く人々と知識階級に属する人々との差異が明らかで、メッセージ性の強い画面構成になっているのです。

 興味深いことに、背景には何も描かれず、モチーフに付随するはずの影すらありません。ところが、観客は大きな余白に地面を感じ、空を感じ、空気を感じ、話し声すら感じて、描かれたモチーフの実在を感じ取ります。さらに見続けていると、やがて、それら一切が消失し、モチーフが放つエッセンスだけが残っていきます。大きな余白と黒一色で描かれたモチーフがもたらす効果でしょうか。

 墨道氏は『墨人画』という小冊子の中で、以下のように書いています。

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 東洋絵画では、西欧絵画で単なる「描き残し」とされる「余白」が重視され、絵の重要な構成要部として積極的に扱われてきた。「余白」とは主題を際立たせる為とか、画家の稚拙さのための失敗ということでは決してなく、何かが描かれている部分と同等で、知覚・知識では捉えられないものを正しい方法(何も手を加えず心でしっかりと感じる)で絵の構成要素とする行為なのである。そこでは絵の具の厚みや遠近法に依らない二次元、三次元以上の高次元の豊富な内容が存在している。
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 これを読んで、私が最近、ぼんやりと感じていたことが明確になってきたような気がしました。絵画の世界ではリアルに見えるための技法がこれまで積み重ねられてきましたが、カメラが登場して以来、写実的に描くことに意味が感じられなくなりました。どのようなフィルターを通してモチーフを表現するかにエネルギーが注がれてきましたが、それもまた意味をなさなくなりつつあります。

 墨道氏の墨人画を見ていて、何か新しい表現の地平が切り拓かれているような気がしたのは、おそらく、余白、すなわち、無の中にこそ存在するものに目を向ける試みが新鮮に感じられたからかもしれません。
 
■民族文化を踏まえ、新たな表現の時空への誘い
 暁文氏の展示作品は、これまでご紹介してきたように、満洲文化、満洲民族文化に属するもの、日本文化を感じさせるものに類別されるでしょう。満洲で生まれ育ち、結婚を機に日本で暮らし始めた来歴が諸作品にそのまま反映されていたといえます。満洲人の精神、満洲を具体的に表象する文化、そして、日本文化が自然との関わりの中で奏でる情緒、それぞれが卓越した技法の下、見事に作品化されており、感心しました。

 一方、墨道氏の展示作品は、中国で学んだ水墨画を発展させて独自の画法である墨人画を開発し、中国の日常生活で垣間見えた光景の数々を捉えたものでした。抽象化され、洗練された技法だからこそ表現できる中国文化の一端が見事に捉えられていました。情報が氾濫する現代社会だからこそ、黒一色と余白で構成される墨人画の魅力が引き立つように思います。

 今回、溝口墨道氏と暁文氏ご夫妻の展覧会に参加させていただき、絵画が表現できる世界の広がりを感じさせられました。満洲、中国、日本の文化を踏まえ、新たな表現の時空に誘われているような気になりました。お二人の今後のご活躍を期待したいと思います。(2018/11/4 香取淳子)