ヒト、メディア、社会を考える

07月

Lead Initiative 2016:挑戦する若手起業家に共通するもの

■デジタルによる破壊的変革にどう立ち向かうのか
 2016年7月21日、ANAコンチネンタルホテル東京で、IIJ(インターネットイニシアティブジャパン)主催の「Lead Initiative 2016」が開催されました。午前は、IIJ専務取締役の菊池武志氏のあいさつ、一橋大学教授の楠木建氏の基調講演に続いて、パネルディスカッションが行われ、その後ランチセッションを挟んで、午後は、A会場からF会場に分かれて24のセミナーが開催されました。いずれもICTの進展動向を踏まえ、現在から未来を展望する興味深い企画でした。

こちら →http://www.iij-lead-initiative.jp/ 

 私がとくに興味を抱いたのは、11:30~12:30の時間帯で行われたパネルディスカッションでした。「デジタルによる破壊的変革にどう立ち向かうのか」というタイトルと、NHKの元キャスター国谷裕子氏による司会だという点に惹かれたのです。

 いま、デジタル化の進行はとどまるところを知らず、ヒトの適応能力を超えるほどの勢いで進んでいます。クラウドが定着したと思えば、それを基盤に、IoT、AI、ロボティックスなどが浸透し始めているのです。

 あらゆる領域でデジタル化による大変革が起こっていますが、はたして起業の面ではどうなのか、このパネルディスカッションでは若手起業家から、立ち上げの状況や展望を聞く構成になっています。今後、企業がどのような舵取りをしていけばいいのか、おおいに参考になるでしょう。

 パネリストは、ウォンテッドリー株式会社共同創業者&CEOの仲曉子氏(1984年生まれ)、株式会社FOLIO創業者&CEOの甲斐真一郎氏(1981年生まれ)、株式会社Cerevo代表取締役の岩佐琢磨氏(1978年生まれ)、Qrio株式会社代表取締役の西條晋一氏(1973年生まれ)といった方々です。いずれも30代前半から40代前半の若手起業家で、「デジタルによる破壊的変革」が進行している現在、果敢に新しいビジネスの芽を育てていこうとしているヒトたちでした。

 それでは、発言順にパネリストたちをご紹介していくことにしましょう。

■起業に至る来歴とそのコンセプト
 若手起業家たちがどのような来歴を経て、起業に至ったのか、どのようなコンセプトで事業を立ち上げたのか、会場では不十分だった情報を適宜、ネット情報で補いながら、発言順に、見ていくことにしましょう。

・株式会社Cerevo
 Cerevoの岩佐琢磨氏は、パナソニックに約5年間、勤務し、2007年12月にハードウエアベンチャーの株式会社Cerevoを設立しました。ネットとソフト、ハードを融合させたユニークな製品企画、開発、販売をする会社です。

こちら →https://www.cerevo.com/ja/

 コンセプトは、「ネットと家電で生活をもっと便利に、豊かに」というもので、グローバルニッチに着目した商品開発、多品種少量生産、販売を手掛けていきます。岩佐氏は、IoTの進展によって、高品質の商品の多品種少量生産が可能になったからこそ、このような事業に着手できたといいます。

 直近では、2016年7月20日、ニッポン放送と共同で新コンセプトのラジオ「Hint」を開発しました。Hintは、クリアな音声でラジオを聞ける「ワイドFM」に対応し、無指向性のスピーカーを搭載し、スマートフォンの音をワイヤレスで再生するBluetooth機能を備え、ラジオで流れた音声に反応し、近くのスマートフォンにURLを通知できる、などの特徴があるとされています。そのメカニズムは以下のように図示されています。

こちら →bleradio-660x372
(https://info-blog.cerevo.com/2016/07/20/2503/より。図をクリックすると拡大します)

 まさにインターネットとつなぐことによって既存ラジオの機能を拡張し、新たな商品サービスを提供しようとしているのです。

・ウォンテッドリー株式会社
 次に、ウォンテッドリーの仲曉子氏は、ゴールドマンサックス証券、Facebook日本法人を経て、2010年9月に求人サイトを立ち上げました。その後、2012年2月、Facebookを活用したビジネスSNS「Wantedly」のサービスを開始しました。2013年11月に社名をウォンテッドリー株式会社に変更しています。

こちら →http://site.wantedly.com/

 コンセプトは、「シゴトでココロオドル人を増やす」ことだといいます。仲氏は、仕事について情熱をもって語れるヒトを増やしたいという気持ちから、この事業を立ち上げたのだそうです。仕事こそ自己実現の場であり、社会貢献の場であるべきだという思いからです。弾むような仲氏の話し方には勢いが溢れていました。若さと事業へのモチベーションの高さからきているのでしょう。

 興味深かったので、ネットで調べてみました。

 仲氏はFacebook日本法人に入社後、会社の文化や習慣を理解しようとし、貪欲に吸収していった結果、「世の中をよりオープンに、コネクトし、シェアさせる」というFacebookの理念に感銘するようになったそうです。そして、「個人をエンパワーメントする」というアイデアが気に入り、自分でもやってみたくなって開設したのが、SNS「Wantedly」でした。

 設立から約4年で、Wantedly Adminは急速に認知されていき、2016年1月時点で、「Wantedly」の利用企業数は14000社を突破しました。いまでは月間100万人が利用する国内最大のビジネスSNSになっているといいます。

こちら →利用企業推移
(http://sakurabaryo.com/results/post-2553/より。図をクリックすると拡大します)

 興味深いことに、パネリストの起業家たちは皆、このWantedlyから人材を採用していました。そのことからも、この会社が現在のビジネス状況にマッチした人材採用サービスを提供していることがわかります。

・Qrio株式会社
 さて、Qrioの西條晋一氏は、伊藤忠商事、サイバーエージェントを経て、2013年キャピタルWiLを創業しました。その後、2014年12月にはWiLが6割、ソニーが4割出資するIoT関連のQrio株式会社を立ち上げました。

こちら →http://qrioinc.com/
 
Qrioは、「ものづくりとインターネットの力で、家の中をもっと便利に楽しく」をコンセプトに、スマートロック製品の開発・製造・販売等及びその運営サービスを提供しています。スマートロックの概念図をご紹介しましょう。

こちら →qrio-security-image
(http://type.jp/et/feature/163より。図をクリックすると拡大します)

 Qrioのスマートロックは上図のように、安全に鍵の受け渡しができる仕組みが構築されています。西條氏は、ソニー独自の認証技術を駆使し、「秘密鍵」と「公開鍵」とに分けて暗号をやり取りできるシステムにすることによって可能になったといいます。ソニーと技術提携することによって、設立されたばかりのQrioが、量産可能な品質の製品を市場に出すことができたのです。

 考えてみれば、スマートロックの商機は訪れつつあるように思えます。オリンピックの開催に向けて民泊が推進されていますから、その需要は今後、急速に高まっていくかもしれません。すでに同様の商品を開発している事業者も登場し、ユーザーの観点から商品比較も行われています。

こちら →http://do-gugan.com/~furuta/archives/2015/09/qrioakerun.html

 社会的ニーズに対応した商品を開発し、量産できる品質にして市場に出したとしても、次は同業他社との競争が待ち受けています。この記事を読んで、起業家は常に試練に晒されているのだということを感じました。

・株式会社FOLIO
最後に、FOLIOの甲斐真一郎氏は、ゴールドマンサックス証券、バークレイズ証券を経て、2015年12月、FOLIOを創業しました。誰もが気軽に投資できるよう、投資運用サービスを提供していこうという事業です。

こちら →https://folio-sec.com/

 FOLIOは「資産運用をバリアフリーに」をコンセプトにしています。今後さらに深刻化する高齢社会を考えると、現在の年金レベルがどれほど維持されるか心配になってしまいます。やがて誰もが資産運用し、年金を補っていかなければならなくなるのかもしれません。そのような事態が不可避だとすれば、資産運用の敷居を低くし、利用者の使いやすさを重視した投資サービスへの需要は今後さらに高くなると思います。

 パネリスト紹介欄には甲斐氏について、「ロボアドバイザーなどの新しい投資サービスを有機的に結合した次世代証券プラットフォームを構築」と書いてありました。私は「ロボアドバイザー」のことがわからなかったので、後で、ネットで調べてみました。たまたま米国のロボアドバイザーについての記事を見つけたところ、その記事に仕組みについての概念図がありました。

こちら →
http://fis.nri.co.jp/ja-JP/publication/kinyu_itf/backnumber/2015/03/201503_5.html
 
 ちなみに、甲斐氏にはゴールドマンサックス証券などで10年ほどディーラーの経験があります。FOLIOでは上記のようなロボアドバイザーによる自動的処理に加え、顧客の個別状況に応じた提案もしてくれるようです。これが「有機的に結合したプラットフォーム」を指しているのでしょうか。いずれにしても、今後、資産運用に対する需要は高まってくるでしょうから、期待できる事業だと思いました。

■日本の課題
 若手起業家たちのスピーチを聞いているうちに、なんだかワクワクするような気分になってきました。軽やかに、スマートに、デジタル化の荒波に立ち向かっている姿がとても好ましく、日頃、日本社会に感じていた閉塞感がいつの間にか消えてしまったような気さえしました。

 西條氏が興味深い指摘をしていました。日本はアメリカや中国に比べ、人材の流動性が低すぎるというのです。ベンチャーと大企業、民間と官庁、国内中小企業とグローバル企業、等々の間で人材移動がないので、技術が浸透していかず、企業が生み出した成果物が一カ所にとどまっているのが現状だという指摘です。

 仲氏も幅広い海外での経験から、ビジネスマンはインドや中国に関心は抱いても、誰も日本を見ていないといいます。超高齢社会で新規事業を生み出す能力も疑問視されるようではなかなか関心を持たれないでしょう。それだけではなく、日本では能力に対する対価が低すぎるので、優秀な人材を引き留めておくことができず、海外から優秀な人材を呼び寄せることもできないというのです。これは西條氏の指摘とも関連しており、今後の課題として政府が抜本的な施策を講じる必要があるでしょう。

 西條氏は大企業の中では多くの若いヒトがクサっているといいます。だから、若くて優秀なヒトから順に大企業を辞めていくと指摘し、どうすれば優秀なヒトを大企業につなぎとめておけるかということを考えていく必要があるというのです。

 仲氏の意見で興味深かったのは、「イノベーション人材と大企業とのコラボが必要」だという指摘です。日本は素晴らしい技術を持っていながら、十分に活かされていない、それはマーケティングが下手だからだと分析し、イノベーションとマーケティングをうまくつなぎ、流通チャンネルを開拓していく必要があるといいます。たとえ素晴らしいイノベーションだったとしても、それを立ち上げただけでは世界では勝てないというのです。世界で勝つためには、幅広い流通ルートを持つ大企業との連携が必要だというわけです。

■第4次起業ブーム
 今、第4次起業ブームとまでいわれ、日本でもベンチャー企業を育む機運が高まってきているようです。

 すでに経産省は「グローバル・ベンチャー・エコシステム連携強化事業」を推進しており、平成27年から29年にかけての3年間で、IPO・M&Aの件数を1.5倍にするという目標を立てているほどです。ちなみにこのIPOとは株式上場のことで、株式を上場できるだけの成長企業ということを意味します。

こちら →http://www.meti.go.jp/main/yosangaisan/fy2016/pr/pdf/i02_sansei.pdf

 一方、日本ベンチャーキャピタル協会会長の仮屋薗聡一氏は、「ベンチャー企業の育成は国家の要請そのものだと認識している」とし、「現在は学生一人の優れたアイデアだけでは起業できなくなっている。(中略)起業は戦略的で、かつ高度な「大人の戦い」だ。同じ起業でもかつてとは中身がそうとう変わっている」といいます。そして、「かつてはベンチャーといえば、ICTだったが、今はベンチャーといえば、社会問題の解決だ」と指摘しています。(『週刊東洋経済』2016年7月23日号、p.74)

 さまざまな社会問題の解決にベンチャー企業が期待されているというのです。というのも、すでに成熟した市場で商機が見込めるのは、社会問題の解決を事業化するしかないからでしょう。そういう事業に既存企業は手を付けませんから、結局、ベンチャーが手がけることになります。

 社会問題の解決を事業化できれば、元々、ニーズが高い領域ですから、場合によってはベンチャーが手がけた事業が成長産業にもなりえます。そうすれば、効率化によって縮む一方の雇用の場をベンチャー企業が用意できるようになります。そうして雇用の場が広がっていけば、職がなく、収入が不安定なことから派生する社会不安は軽減されていくでしょう。

 そもそも経済成長がなければ雇用は生まれませんし、雇用がなければ、社会は不安定になっていきます。ところが、社会問題を事業化したベンチャー企業が成長産業になっていけば、その悪循環を絶つことができるのです。そのように考えてくると、いまや、社会問題を事業化したベンチャー企業の育成は、起業家だけではなく、国が戦略的に取り組まなければならなくなっていることがわかります。

 もちろん、銀行もこの動きに参入してきています。たとえば、三菱東京UFJ銀行はホームページに成長支援のページを設け、株式上場のグループでのサポート機能を掲げています。

こちら →http://www.bk.mufg.jp/houjin/senryaku/ipo/

 クラウドファンディングという方法もありますから、起業家にとって新規事業のための資金調達は以前より容易になっているのかもしれません。

■若手起業家に共通するもの
 わずか1時間ほどのパネルディスカッションでしたが、4人の若手起業家たちがしっかりとした戦略の下で事業展開していることを知って、おおいに元気づけられました。今後、超高齢社会になっても、このような若者がいる限り、日本はまだ大丈夫だという気がしてきたのです。

そして、この4人にはいくつか共通するものがあることに気づきました。以下、思いついたものを列記します。

① 「ゼロから1を創り出す」という気構え
② 「トップになりたい」というモチベーションの強さ
③ 有名グローバル企業での就業経験
④ 「世界で勝つ」という観点の下、「ユーザー視点でのサービスの開発」
⑤ 趣味

 興味深かったのは、仲曉子氏と甲斐真一郎氏の趣味です。仲曉子氏は漫画を描いていたことがあり、甲斐真一郎氏は一時、ボクサーでもあったようです。そういわれてみると、お二人とも誰もが羨ましがるゴールドマンサックス証券をあっさり辞め、新規事業を立ち上げています。創造性や闘争性が要求される趣味にのめり込んだ経験が、仲氏や甲斐氏を雇用される立場に満足させておかなかったのでしょう。

 いずれにしても私は、このパネルディスカッションを聞いて、どんよりした閉塞感からいっとき、解き放たれたような気がしました。若手起業家たちの果敢な挑戦にエールを送りたいと思います。(2016/7/24 香取淳子)

ロメロ・ブリット展:コマーシャリズム、陽気、楽観的世界観

■ロメロ・ブリット展
 7月1日、西武ギャラリー(西武池袋本店別館2F)で開催中(2016年6月22日-7月4日)のロメロ・ブリット(ROMEO BRITT)展に行ってきました。展示作品は、この展覧会のための新作に加え、原画、立体作品、海外有名人のポートレートなど約110点でした。

こちら →https://www.sogo-seibu.jp/pdf/seibu/010/20160622_romero-britto.pdf

 2016年夏、ブラジルのリオデジャネイロで南米発の夏季オリンピックが開催されます。今回のロメロ・ブリット展はそれにちなんだ企画でした。彼はブラジルを代表するポップアーティストで、2016年夏季ブラジルオリンピックでも、グローバルアンバサダーを務めています。

こちら →
http://www.britto.com/downloads/newsandevents/pressreleases/Romero_Britto_Named_Ambassador_to_2016_Olympic_Games_in_Rio.pdf

 この展覧会に行くまで、私はロメロ・ブリットのことを知りませんでした。招待券をもらったので、ネットで調べてみると、彼は1963年にブラジルのレシフェで生まれたポップアーティストで、現在、53歳です。西武デパートに出かけたついでに立ち寄ってみたのですが、世界的に著名なポップアーティストのようで、彼の作品はブラジル国内にとどまらず、世界100カ国以上の美術館、ギャラリーで展示されているようです。

こちら →http://www.britto.com/front/biography

 会場に入った途端に、陽気で楽しく、遊び心に富んだ独特の世界に引き込まれてしまいます。どの作品も、子どもはもちろん、大人でさえ、浮き浮きとさせられてしまう活力に満ち溢れているのです。おそらく、そのせいでしょう、ロメロ・ブリットは、アウディ、ベントレー、コカ・コーラ、ディズニー、エヴィアンなど、さまざまな有名ブランド企業と提携しています。

 たとえば、ディズニーのミッキーマウスも、ブリットの手にかかれば、次のようになります。

こちら →ミッキーマウス
(MICKEY’S NEW DAY, 2013、図をクリックすると拡大します)

 空にはハートマークが飛び交い、地面には文字のような、子どものいたずら描きのようにも見えるものが描かれています。ミッキーマウスとミニーマウスの背景に、ブリットならではの遊び心が加えられていることがわかります。こうして、ちょっとしたアイデアを加えるだけで、見慣れたディズニーのキャラクターが新鮮に見えてきます。

 これはほんの一例ですが、これを見ていると、さまざまなブランド企業がロメロ・ブリットと提携したがるのもわかるような気がします。既存のキャラクターやロゴに、ロメロ・ブリット風味を加えるだけで、企業のブランドイメージを刷新し、甦らせることができているのですから・・・。

 ロメロ・ブリットもまた、これらの提携事業によって、ポップなセンスにさらに磨きをかけ、現代社会での吸引力を増しています。グローバル社会に有効なブランド戦略を通して、両者にwin-win関係が築かれているように思えました。

■マティス風、ピカソ風の作品
 近年の作品には予想を超えて興味深いものがいくつかありました。ある時期のマティスやピカソの作品に影響されたと思われる作品です。ご紹介していくことにしましょう。

 たとえば、会場の入口近くに展示されていたのが、『Le Monde』(1016×648㎜、2014)です。

こちら →IMG_2328

 顔から首、そして、肩から下にかけて、真ん中で二つに分割され、色分けして描かれています。目と乳房は色も形態も異なって描かれ、アンバランスで不安定な雰囲気が醸し出されています。さらに、首から肩にかけての右半分、左の乳房を新聞の切り抜きで構成されており、斬新な現代性が感じられます。

 この作品のルーツを辿れば、マティスに行きつくのかもしれません。顔を真ん中で二つに分割し、左右で色分けしたところなど、マティス(1869-1954年)の作品、『マティス夫人(緑の筋のある肖像』(1905年)に似たところがあります。

 大胆に単純化し、平面的に構成し、色彩を強調したところは、マティスのさらに後年の作品、『PORTRAIT OF LYNDA DELEGTORSKAYA』(1947年)によく似ています。

こちら →tr
(http://www.henri-matisse.net/paintings/eh.htmlより)
(図をクリックすると拡大します)

 ピカソ(1881-1973年)には、さらによく似た作品があります。シュールレアリズムの時期に描かれた作品で、『本を持つ女性』(1932年制作)です。

こちら →woman-with-book-1932
(http://www.wikiart.org/en/pablo-picasso/woman-with-book-1932より)
(図をクリックすると拡大します)

 単純化され、図案化された顔や胸の描き方、鮮やかで洗練された色彩の配置など、この作品にも、最近のブリットの作品に通じるものがあります。ポップアーテイストのロメロ・ブリットはおそらく、シュールレアリズム期のマティスやピカソの影響を受けていたのでしょう。

■コラージュの力
 入口近くに展示されていた三点の女性像はいずれも新聞の切り抜きを多用したコラージュ作品です。その中で、モチーフを単純化し、歪曲化し、平面的に構成した画面の中で色彩の力を際立たせることによって、都会的で洗練された美しさが感じられる作品もあります。

 たとえば、『Marilete』(1016×597,2015)です。

こちら →IMG_2329
(図をクリックすると拡大します)

 髪の毛の部分はすべて新聞の切り抜きで構成されており、とくに向かって右半分の顔下から首にかけては新聞の写真です。顔と首は真ん中で二つに分割され、右半分が白、左半分が灰色で着色されています。目も菱形である点で左右、共通しているのですが、虹彩部分の色は左右で逆になっています。

 興味深いのは首の部分で、荒いタッチがまるで子どものいたずら描きのようです。紫色の背景の下からはみ出すように、新聞の文字が見えています。そのような背景処理の中に野性味が感じられる一方、この女性の物憂い表情からは、都会的で、知的な印象を受けます。この絵は現代社会の不確実性、非現実性、非身体性が巧みに描出されており、展示作品の中でもっとも心惹かれた作品でした。

 次のような作品もあります。

こちら →IMG_2330
(Pernambucan, 1016×648, 2014)
(図をクリックすると拡大します)

 この作品では顔の右半分に新聞の切り抜きが使われ、その上部は写真で構成されています。よく見ると、首から胸、右上腕部など肌が見えているところは新聞の切り抜きが透けて見えます。新聞の切り抜きの占める割合が画面全体から減っているのに反し、三角や台形など、直線で構成された図形が多用されています。しかも、補色関係にある原色が相互に引き立つように配置されているので、ポップな印象が強化されています。

 極端に単純化したモチーフに文字や図形を配置し、多様で多元的な世界を生み出しています。このような表現から、ブリットがきわめて繊細で洗練されたセンスの持ち主だということがわかります。だからこそ、複雑で人工的な現代社会を的確に掬い上げ、優しく浮き彫りにしていくことができたのでしょう。

■フリーダ・カーロのポートレート作品
 たまにはポップアートを見るのも悪くはないと軽い気持ちで、書店に出かけたついでに会場を訪れたのですが、さらに興味深い発見がありました。

 マリリン・モンローやエリザベス女王など有名人のポートレート作品が展示されているコーナーに、メキシコの女流画家フリーダ・カーロを描いた作品があったのです。ブリットが描いたフリーダ・カーロは、私が彼女に対して抱いていたイメージとはまったく異なるものでした。

 フリーダ・カーロについてご存じない方のために、簡単に説明しておきましょう。

 ドイツ人の父とメキシコ人の母との間に生まれたフリーダ・カーロ(1907-1954年)は、子どものころに患った急性灰白髄炎のせいで、足の成長が止まり、以後、やせ細ってしまったそうです。さらに、18歳のとき、バス事故に遭遇し、その後も後遺症で悩まされ続けたといいます。絵に目覚めたのはそのころで、以後、彼女は画家としての道を歩むようになります。

こちら →フリーダ・カーロ
(Wikipediaより)

 見栄えのしない体躯を隠すためか、フリーダ・カーロはメキシコの民族衣装を着ることが多かったといわれています。事故の後遺症に悩まされ続け、さらに、当時のメキシコ社会の政治状況にも翻弄されながら、フリーダ・カーロは力強く生きてきました。メキシコの現代絵画を代表する画家であり、インディヘニスモの画家としても知られています。

 苛酷な運命に立ち向かい、強く生きてきたフリーダ・カーロに、多くの女性たちは気持ちを通わせ、深く共感したのでしょう、彼女の一生を描いた映画、『フリーダ』が2002年にアメリカで制作されました。日本でも2003年に公開されています。

こちら →http://frida.asmik-ace.co.jp/about_frida.html

 国境を越えて多くの女性を捉えて離さない魅力が、フリーダ・カーロの生き方にはあるのでしょう。2004年、死後50年を経て、写真家・石内都氏は彼女の遺品の撮影を依頼されました。映画監督・小谷忠典氏は3週間にわたる撮影過程を密着取材し、ドキュメンタリー映画に仕上げました。

こちら →http://legacy-frida.info/

 フリーダ・カーロの遺品の背後に、メキシコの風土や伝統、生活文化などが見えてきます。まさに写真という記録媒体を通して、日本の土着文化にも通じる記憶が甦ってきます。

 さて、フリーダ・カーロには数多くの自画像が残されていますが、ロメロ・ブリットが参考にしたのは、頭に花束を載せた、この作品ではないかと思います。

こちら →フリーダ・カーロ自画像
(Wikipediaより。図をクリックすると拡大します)

 着飾ってはいますが、現代の美的基準からはほど遠く、お世辞にも美しいとはいえません。口の下にはひげがあり、眉も濃く太く、横眼で投げかける視線はとても強く、ちょっと恐いほどです。この風貌だけで、自立を求めて奮闘してきた女性だということがわかりますし、いかにも無骨で、意固地で、不器用で、しかも、激情の持ち主のようにも見えました。

 彼女は民族衣装を好んで着用していたといわれていますが、それも納得できるような気がします。ただ、この絵をしばらく見ているといつしか、花や木々の香りがし、鳥のささやきが聞こえ、風のそよぎが感じられるようになります。不思議なことに、描かれたフリーダ・カーロさえ、とても美しく感じられるようになってくるのです。大地に根を下ろし、連綿と受け継がれてきた土着文化の美しさは時間をかけないとわからないものなのかもしれません。

 どういうわけかフリーダ・カーロは、花や動物に囲まれた自画像をたくさん描いています。生涯にわたって200点を超える作品を残しているといわれていますが、その大半が自画像だったといいます。そして、自画像として彼女自身が捉えた姿はいずれも、この絵のように無骨で力強く、現代社会のいわゆる「愛される」女性像とはほど遠いものでした。

 ところが、ロメオ・ブリットがフリーダ・カーロを描くと、次のように変貌します。

こちら →IMG_2331
(図をクリックすると拡大します)

 なんと無邪気で可愛く、愛らしいのでしょう。もちろん、太い眉、黒い大きな目などの特徴はしっかりと描かれています。ですから、この絵がフリーダ・カーロのポートレートだということはすぐにわかるのですが、一目でわかる特徴を備えていながら、このポートレートのフリーダ・カーロはまるで別人に見えます。

■ロメロ・ブリットの陽気な楽観的世界
 自画像に見られた荒々しい野性味は消失し、幼い愛らしさだけが際立っているのです。二つの作品を見比べてみて、同じモチーフを扱いながら、作者の文化的基盤の違いが色濃く反映されていると思いました。

 フリーダ・カーロの自画像から見えてくるのが、生まれ育った土地や生活文化にこだわる土着文化の世界だとすれば、ロメロ・ブリットが描いたポートレート作品から見えてくるのは、国境を越えて、老若男女、誰にも幅広く受け入れられるグローバル文化の世界といえます。その幅広い流通を可能にするのが、敷居の低さであり、あらゆるものを肯定しようとする楽観的世界といえるかもしれません。

 フリーダ・カーロの自画像とブリットのポートレート作品を見比べてみると、ロメオ・ブリットの物事の捉え方、気持ちのありようがわかってくるような気がします。ロメオ・ブリットの作品はヒトを快くさせる楽観性と柔軟性に満ち溢れているのです。おそらく、この点にブリットが数多くの有名ブランド企業から提携話が持ち込まれている要因があるのでしょう。会場でさまざまな作品を見ていくうちに、グローバルに展開されるコマーシャリズムには、ロメロ・ブリットの作品のように、陽気で他愛なく、楽観的な世界観が不可欠なのだという気がしてきました。(2016/7/18 香取淳子)