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21日

大学に押し寄せるグローバル化の波

■文科省の動き

2014年4月8日、文科省は平成26年度のスーパーグローバル大学創成支援事業を募集しました。この事業は平成24年度に始まったグローバル人材育成推進事業をフォローアップするものだそうです。

詳細はこちら。http://www.jsps.go.jp/j-gjinzai/follow-up.html

この事業のタイトルには、「経済社会の発展を牽引する グローバル人材の育成」という但し書きが付されています。ですから、これは日本の経済発展に資するための人材育成ということになります。

今回、発表された「スーパーグローバル大学創成支援事業」では、その目的について、以下のように書かれています。

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我が国の高等教育の国際競争力の向上を目的に、海外の卓越した大学との連携や大学改革により徹底した国際化を進める、世界レベルの教育研究を行うトップ大学や国際化を牽引するグローバル大学に対し、制度改革と組み合わせ重点支援を行うことを目的としています。

******** 詳細はこちら。http://www.jsps.go.jp/j-sgu/index.html

日本の高等教育の「国際競争力」を高めるために、「海外の卓越した大学との連携」や「大学改革」によって国際化を徹底させることを具体的な目的としています。その目的を効果的に実践に移すために、それを実践できる大学に対しては制度改革を組み合わせて重点支援を行うとしているのです。

この支援政策からは、政府がトップレベルの大学、国際化を牽引できる大学等を重視し、制度改革とセットで重点的に支援していこうとしていることがわかります。つまり、エリート層の抽出とその育成に向けての支援を推進しようとしているのです。

一方、この支援政策からは、日本の大学全体の研究レベル、学生の学力レベルが低下し、結果として高等教育における国際競争力が低下しつつあることが示唆されているといえるでしょう。政府が大学の制度改革とセットで、強烈なてこ入れをしなければならないほど、日本の大学教育がひどいものになっているのかもしれません。

■高校生の頭脳流出が始まっている?

5月21日、日経産業新聞で興味深い記事を読みました。東京大学への合格者数が33年連続トップの東京の開成高校で、生徒の志望校に変化がみられるというのです。学力の高い生徒は東大を目指すのが当たり前だったのが、最近、トップ層で海外の有名大学を目指すものが出始めたというのです。開成高校で開催されたカレッジフェアには海外の有名大学10校も参加したといいます。高校生の頭脳流出の兆しが見え始めているのです。日本のエリート校に進学することが必ずしも輝かしい未来を保障してくれるわけではなくなりつつあるからでしょう。時代の流れを敏感に察知したトップレベルの学生が日本の大学で学ぶことに限界を感じ始めているのかもしれません。

もちろん、まだ、ごく一部の動きにすぎません。わずかな動きでしかないとはいえ、若くて多感な時期に海外の著名大学で学ぶという選択肢が浮上してきているのです。それも、日本の大学のレベルを問題視しているからではなく、記事を読むと、どうやら高校生や保護者が日本で学ぶことに意義を見い出しにくくなってきているようなのです。それだけ現実社会がグローバル化していることの反映でもあるのでしょう。

もちろん、海外の有名校で学んだからといって、輝かしい未来が保障されているわけではありません。日本の大学で安穏な学生生活を送るよりは海外でさまざまな経験をして、語学力や問題解決能力、人脈を身につけた方がはるかに価値があるという判断なのでしょう。

■日本人の海外留学は減少

一方で、日本人の海外留学は年々減少しているといわれます。

詳細はこちら。http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/25/02/__icsFiles/afieldfile/2013/02/08/1330698_01.pdf

たしかに数字を見ると、年々、減少しています。ですから、今の若者は内向き志向だといわれたりもするのですが、実際には様々な要因が複合的に作用しているようです。

たとえば、これまでの留学先として選択されることの多かった米国については、授業料の高騰、危険、英語力のなさ、米国イメージの低下、企業が留学経験をあまり評価しない、等々があげられています。つまり、米国留学について情報を収集して検討した結果、メリットがなさそうなので選択しなかったという可能性があるのです。

詳細はこちら。http://matome.naver.jp/odai/2137245671555590701

サターホワイト氏による調査結果で、留学しない理由の上位にあげられていたのが、「少子化」、「日本国内の大学が増えた」、「日本国内の大学の国際化」、「ネットを使えば世界中の情報が手に入る」、「日本は豊かで居心地がいい」「就職活動が前倒しになり、留学すると不利になる」、「企業は留学経験をあまり評価しない」、「家計に余裕がなくなった」等々。

こうしてみると、どうやら若くて多感な時期に海外の大学で学び、多様な経験を積みたいという高校生がいる一方で、留学することのメリット、デメリットを比較対照し、日本で学ぶ学生もいるということなのでしょう。その判断の基準には家計や就職状況といった要素も絡んでいます。

■日本のトップ校の対応は?

東大の浜田純一総長は、「1点を争う入試も大切。それに勝ってきた東大生だからこそ別の力も必要だ」(2014/5/21 日経産業新聞)と述べています。受験競争を勝ち抜いてきた東大生の優秀さを評価しながらも、回答のない世界で困難を乗り切って活躍するタフネスの重要性も指摘しています。東大生にその要素が培われれば、さらにパワーアップできるというわけです。そのために東大では「体験活動プログラム」を2012年に開始し、24の海外活動に2013年度は160人の学生が参加したといいます。

4月からは「東京大学グローバルリーダー養成プログラム(GLP)」が始まったようです。これは東大生の中でもとくに英語力に秀でた人材を選び、リーダーを養成しようというものです。1学年3000人の中から英語成績上位者10%を対象に英語の集中講義をし、3年生に進む段階で、語学力だけではなく、リーダーシップや将来ビジョンなども見極め、さらに100人に絞りこむといいます。きわめて実践的な内容のプログラムになっています。

日本のトップ校がこれほどまでに実践的な教育プログラムを組み始めたのです。いつまでも象牙の塔として社会と隔絶して研究を行うだけでは存在しえなくなってきたのでしょう。グローバル人材育成のための実践教育はどうあるべきかを模索し始めたように見えます。

■海外で見かけた日本人学生

10年から15年ほど前に海外で何度か、日本人学生を見かけたことがありました。ロシア、オーストラリアなどの大学で、東アジア系の顔をしている学生を見かけることがありましたが、遠くからでも日本人か、そうでないかがすぐにわかりました。近づいてみると、日本語を話しているので、「やっぱり」と思ったものです。

中国人や韓国人の学生は、日本人と同じような顔、似たような体型をしているのですが、どこか違うのです。当時、海外に出る中国人や韓国人はまだそれほど多くなかったせいかもしれませんが、彼らは堂々していたのです。それに引き替え、日本人の方は姿勢が悪く、だいたいが連れ立って行動しているので、すぐわかってしまいます。

せっかく海外の大学に来たというのに、日本人同士で固まって行動していることが多いように見えました。海外赴任の大人もそうだといわれていますから、学生だけを責めることはできないのですが、閉鎖的だという点で彼らが目立っていたことを思い出します。

いま思えば、当時の日本はすでに大学の大衆化の時代を迎えていて留学はエリートのものではなくなっていたからかもしれません。せっかく留学しているのに、気概とかミッションというようなものが感じられず、仲間と付和雷同的に行動しているだけのように見えたのは彼らがエリートではなかったからかもしれません。

一方、当時、中国人や韓国人の留学生はエリートでした。その気概があり、それなりのミッションを抱いていたからこそ、毅然とした態度だったのではないかといま、思います。

■変化してきた大学の社会的役割

文科省はグローバル人材育成のための支援事業を強化しようとしています。それは、グローバル化の波が大学にまで押し寄せているからなのでしょうし、なによりも、知識経済の時代になって、大学の知的活力が経済の源泉であり、推進力にもなることがはっきりしてきたからでしょう。大学こそが国際競争力をもち、新たな発見、メカニズムの解明を推進できる能力を発揮しなければ、社会が沈潜してしまいかねなくなっているのです。それほど大学の果たす役割が大きなものになってきています。

大学はもはや若者のレジャーランドではなくなってるのです。知的交流の場であり、知的実践の場であり、さらには知的競争の場でもなければならなくなっています。もちろん、知的蓄積の場でもあります。とはいえ、すべての大学がそのような役割を担うことは困難です。

■大学に押し寄せるグローバル化の波

大学全入の時代になって以来、学力もない学生を大学生として受け入れている大学は多数あります。そのような学生を教育し、一人前の社会人として就職できるようにしていくのも大学の役割です。基礎学力、コミュニケーション能力、英語力、ICT技能を大学教育の中で確実に身につけさせてから、学生を社会に送り出していくのです。実はこれこそ、大学の重要な役割なのかもしれません。

このように考えると、高等教育機関として大学をひとまとめにしてしまうのではなく、いくつかに分類する必要があるのではないかという気がします。一つはトップ校として世界的競争力を持つ大学、もう一つは社会に出て仕事をするのに必要な基礎学力、等々を学生に徹底的に身につけさせる大学、そして、クリエイティブな領域、あるいはスポーツなどで能力を培い、世界的競争力を持つ大学、等々です。エリート教育と大衆教育、そして、クリエイティブな能力を涵養し、マネジメントし、世界に流通させる力を持つ大学、等々です。

グローバル化の波が中間層をなくし、二極化を進めているといわれています。大学に押し寄せたグローバル化の波もまた、どこにでもあるようなメニューを並べた4年制大学の衰退を生み出していくでしょう。

大学が社会に存続していこうとするなら、①科学技術、社会文化など専門に特化し、それで国際競争力を持つような大学、あるいは、ごく少数の、クリエイティブな領域やスポーツなどで能力を発揮し、世界的競争力を持つような大学、②社会に必要なスキルを身につけさせる義務教育を高度化したような大学、この二種類に再編されていくのではないかという気がします。

つまり、ひたひたと押し寄せるグローバル化の波によって、大学もまた、二極化の方向で再編を迫られていくことになるのではないでしょうか。(2014/5/21 香取淳子)