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70歳:「働く人」の定義拡大

70歳:「働く人」の定義拡大

■70歳までが働く人

経済財政諮問会議の有識者会議で、人口減と超高齢化への対策が検討され、提言案がまとめられました。高齢者と女性の活躍を支援し、出生率の上昇を図るための政策が明らかになったのです。とくに気になったのが、70歳までを働く人と定義づけたことです。

これまで生産年齢人口は15~65歳とされてきました。それを15~70歳に変更し、「新生産年齢人口」とするのだそうです。人口が減っても労働人口は約400万人多くなるという算段なのでしょう。しかも、こうすることによって、年金支給開始年齢を遅らせることもできます。まさに一挙両得、労働人口の確保と公的資金の出費を抑えることができるのです。

■生産年齢人口

なぜこれまでの定義を変更せざるをえなくなったのかといえば、人口が減少しているにもかかわらず、高齢人口だけは増加し続けているからです。ちなみに年齢区分別に将来の人口予測を見ると、以下のようになります。

 

高齢化の推移と将来推計

出所:国立社会保障・人口問題研究所

人口動態はきわめて的確に将来を予測できる指標です。上のグラフを見ると、日本社会の高齢化の推移を見ると、65歳以上の人口は1950年は4.9%だったのが、2060年には39.9%と予測されており、高齢者の占める比率が急上昇していることがわかります。日本が世界に類を見ないほど短期間に高齢化した社会だといわれるゆえんです。高齢化率が高まっているのは、高齢人口の増加と少子化の結果ですが、それがいま、多方面に影響をあたえはじめているのです。

■見えざる革命

P.F.ドラッカーは1976年に『見えざる革命ー来るべき高齢化社会の衝撃』という本を出しています。原著名も”The Unseen Revolution: How Pension Fund Socialism Came to America ”で、翻訳版、原著とも「見えない革命」が強調されたタイトルになっています。サブタイトルを見ると、日本語翻訳版は「来るべき高齢化社会の衝撃」となっていますが、原書は「年金基金社会主義」となっています。ドラッカーは、高齢者の老後の資産として積み立てられた年金基金が株式を保有し、投資することによって、労働者がいわば資本家にもなっていくことに着目します。つまり、年金基金が株式を所有することによって労働者が企業を支配下におくことになりますから、アメリカは一般的な見方とは違って、社会主義的な国の一つだといえるというわけです

ドラッカーは、労働者が資本家の役割をも担うことになる年金基金システムによって、アメリカの高齢者は諸外国の高齢者に比べ、豊かな年金を手にする可能性を得たことを指摘しています。老後のための資産形成が蓄積され大きなパワーになって企業に影響を与えていくことに注目しているのです。

見えざる衝撃

高齢化による社会変革は、暴動が起きたり大きな異変が起きて、社会が変革していくのではありません。高齢人口の増大自体がさまざまな領域に浸透して、変革を促すようになって社会が変革していくのです。一見、変革が起きているように見えないまま、大きな変革がじわじわと進んでいくところに特徴があります。ドラッカーがいうように、まさに「見えない革命」が起こるのです。

■定年制はどうなるのか?

有識者会議は70歳までは働くヒトと定義づけました。読売新聞(2014/5/6 付)はこの件について、「定年後の再雇用などで70歳まで働ける機会を増やす」と報じています。どうやら定年を70歳にするということではないようです。ということは、定年後、仕事が見つからないヒトは70歳になるまで年金支給もされないまま、生活費を切り詰めて暮らしていかなければならないということになるのでしょうか。現在の状況が5年延長されるだけと見た方がいいのかもしれません。

21世紀初の数年、毎年のようにオーストラリアに出かけていたことがありました。現地のヒトに尋ねると、オーストラリアでは定年制は廃止されているといっていました。高齢になっても有能で働けるヒトを定年制によって強制的に仕事を奪うのではなく、働く意思と能力があればいつまでも働いてもらえるよう、年齢要件を外したということでした。それを聞いて、いい仕組みだと感心したことを覚えています。もちろん、老後をのんびり過ごしたいヒトは若いうちから資金をためて、早めに退職するという選択をしています。

日本が定年制で有為のヒトから仕事を奪った結果、彼らが持っていた秀逸な技術が中国や韓国に流れたことがありました。国内でも優秀なヒトが定年で辞めたせいで、組織が停滞したケースもあります。それでも日本は頑なに定年制を守っています。今回の提言にしても、労働条件から年齢を外すのではなく、70歳という新たな区切りを設定しています。

高齢になればなるほど、年齢で一様に対処するのは難しくなります。ですから、定年制によって一律に対処するのは高齢社会にはふさわしくないのかもしれません。とはいえ、定年制の枠組みから日本はなかなか抜け出すことができません。それは日本人の好きな’平等主義’のせいなのでしょうか。それとも、年齢要件で一律に対処する方が、年金、健康保険、等々と連携させやすいからでしょうか。あるいは、日本の高齢人口規模は、意志や能力等の個別要件を考慮して対処するには膨大すぎるからでしょうか。

■10億人もの高齢者の陰

今後20年を見ると、世界の高齢人口は6億人から11億人に増えるといいます。ですから、先進諸国をはじめ多くの国にとって、高齢化による社会変動への対策が必要になってきているのです。

英エコノミスト誌は2014年4月26日号でこの問題を取り上げていました。ヨーロッパの多くの国々はすでに早期に退職を奨励する政策を取りやめているといいます。また、平均余命が長くなるにつれ、年金が確定給付型から確定拠出型に置き換えられるようになり、裕福なヒトでさえ、快適な老後生活を送ろうと思えばより長く働かなければならなくなったと指摘しています。

一方、より高学歴のヒトはこれまで報酬のいい仕事をしてきていたが、高齢になってもそのまま高収入を得ているといいます。というのも、現在、高学歴の高齢者は以前の高齢者よりもより生産性が高いからです。そして、技術的な変化がこの傾向を強化しているといいます。というのも、コンピュータを使いこなして専門的知識を管理し、創造する技術は年齢とともに衰えるわけではないからです。

頭脳労働が主流になると、労働生産性の高さは年齢ではなく、学歴によって左右されるようになります。そして、肉体労働の生産性は年齢に応じますが、知能労働の生産性はそうではありません。これまで何を学んできたのか、どのような技術があるのか、とくに、ICT技術を駆使して何ができるのか、といったようなことが問題になってくるからです。こうなると、いよいよエイジレスの時代の到来と考えた方がいいでしょう。(2012/5/7 香取淳子)

 

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