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生活文化

2021年、初詣の異変

■コロナ禍に見舞われた初詣
 今年の初詣は巣鴨のとげぬき地蔵に出かけました。行ってみて驚いたことは、元日なのにシャッターを下ろしている商店が7,8軒もあったことです。駅からとげぬき地蔵に向かう立地条件のいい商店街なのに、店が閉じられているのです。中には、更地になっているところが2箇所もありました。

 かつては「おばあちゃんの原宿」といわれ、賑わいを見せていただけに、寂寥感に襲われそうになります。行き交う人々の中に高齢者は少なく、外国人や家族連れが目立っています。日本の今後を象徴しているのでしょうか。

 コロナ感染を恐れ、自宅に引きこもっているのでしょう、今年は高齢者の数も少なく、参拝者は去年の半分以下でした。おかげで、押し合うこともなく、ゆっくりとお参りをすることができましたが、初詣の活気はどこにもありません。

 なにもとげぬき地蔵に限りません。ドコモ・インサイトマーケティングが2021年1月1日に実施した調査結果によると、全国各地の神社等の参拝客は去年に比べ、大幅に減っていることがわかりました。

こちら → https://www.nikkei.com/article/DGXZQODZ301LR0Q0A231C2000000

 地方都市ほど減少が目立つという結果でした。

 コロナ感染を回避するため、事前に、三が日を避けた「分散参拝」や、12月から先行して正月の縁起物を販売する「幸先詣」を呼び掛けたことも原因の一つかもしれません。

こちら → https://www.nikkei.com/article/DGXMZO66775290Y0A121C2CE0000

 現在、日本には大小さまざまな神社があります。それがコロナ禍のせいで、参拝に制約が設けられたり、さまざまな行事が中止になったりしています。

 初詣の風景は明らかに例年とは異なっていましたが、実は、大晦日の光景も同様でした。

■参列者のいない大晦日の神社
 2020年12月31日、夜12時前に近くの神社に行ってみました。このところ、大晦日のこの時刻に家を出るのが恒例になっています。

 月明かりに照らされ、神社に出かけるのが楽しみでした。冷気漂う中、神社までの道のりを歩いていると、2020年から2021年への境界を、この足で跨いでいるような気分になるからでした。

 車は滅多に走っておらず、たまに歩いている人がいたとしても、それは大抵、参拝に出かける人か、参拝を終えて帰っていく人々でした。そういう人々に出会うと、見知らぬ人なのに、どういうわけか、親しみをおぼえてしまいます。

 月明かりにしても、ピンと張りつめた清澄な空気にしても、気持ちを切り替え、日常生活から解放させてくれる効果があります。次第に日常の雑事を忘れ、まるで誘われるように、今年もまた、大晦日の神社という異空間に向かっていました。

 あと5分ほどで神社に着くといった辺りで、ふと、奇妙な感じがしてきました。

 例年なら、家を出るとすぐ、お囃子の笛の音が聞こえてくるのですが、どういうわけか、今年は何も聞こえてきません。もうすぐ神社だというのに、いつもの騒々しさがないのです。

 いつもは空気が澄みわたっているせいか、家を出ると早々に、遠方から弾んだような調子が響いてきます。近づくにつれ、その音が大きくなり、賑わいが伝わってきます。その微妙な変化が耳に快く、気持ちが浮き立ってくるのが通例でした。

 ところが、今回、なんの音も運んできません。辺り一帯の空気は、依然としてピンと張りつめたまま、まるで時間が止まったかのようです。

 不思議でした。

 ひょっとしたら、コロナのせいで神社が閉鎖されているのでは・・・? 嫌な予感がしました。

 いよいよ神社を囲む石の柵が見えてきました。近づいて見ると、明かりはついていますが、境内は閑散としています。

こちら →
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 正面に回ってみても、見えるのは氏子さんばかりで、参列者はほとんどいません。いつもなら、参拝者が長蛇の列を作っているところが、ただ、提灯が立ち並んでいるだけになっています。右側のテント付近にいる人々は氏子さんたちでした。

こちら →
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■中止になった大晦日の神事
 改めて境内を見回すと、お焚き上げもなければ、お神楽の奉納もなく、もちろん、いつもなら振舞ってもらえる甘酒もありませんでした。

 いつもはお焚き上げが行われる場所には、参拝者から持ち込まれたお守りや神札が積み上げられていました。今回、さまざまな儀式が中止になったことを知らなかったのでしょう。

 私が神社に着いたとき、若者数人が固まっていましたが、参拝者のいない境内を見て、「三蜜でもないのに、なんでやらないの?」といい合いながら、帰っていきました。彼らは一年の終わりにここで参拝することを楽しみにしていたのかもしれません。

 いつもは境内に華やかさを演出してくれるお神楽の奉納もなく、賑やかに演じられてきた舞台は、戸が閉じられ、ただの暗い空間でしかありませんでした。

 もちろん、身体を温めてくれる甘酒も準備されていません。いつもなら参拝者に振る舞うのに忙しく立ち振る舞っていた氏子さんたちは閑を持て余しているように見えました。

 神社に着いた途端、あまりにもいつもと違う光景に、私は拍子抜けしてしまいました。恒例の行事に参加できなかったというだけではなく、なにか大切なものを失ってしまったのではないかという思いにさせられたのです。

■お焚き上げの心理的効果
 このところ、一年の終わりはいつもこの神社で手を合わせ、来年の幸を願うのが習慣になっていました。

 お囃子の笛の音や、お焚き上げのメラメラと燃え盛る音が好きでした。聞いていると、知らず知らずのうちに、過ぎ去った諸々の出来事が脳裏を過ります。

 いやなこと、辛かったこと、困難をきわめたこと等、思い出すのはどちらかといえば、ネガティブなことが多いのですが、溜まっていた滓が一気に表に出てくるような感じです。

 そんな折、お焚き上げのメラメラと燃え盛る音を聞き、熱い炎に曝されていると、その滓がいつしか消え去り、不思議に気持ちが軽くなっていくような気がするのです。

 そうして炎が高く立ち上っていく様子をみているうちに、たとえどんなことがあったとしても、しっかりと受け止めていこうという気持ちになっていきます。

 神社という異空間がそう思わせるのでしょうか。

 境内にいると、背後からお囃子の音も聞こえてきます。調子よく響く音に乗って、やがて、気持ちの切り替えが進み、お焚き上げの炎とともに、ネガティブな思いは浄化されていきます。

 だからといって、なにもお焚き上げの周りにいたり、お神楽が演じられている舞台の傍にいる必要はありません。神事によって派生する音を聞いているだけで、その効果があります。

 長い参列者の列に従って、拝殿に向かって少しずつ歩んでいきます。そのうちに、いつしか気持ちが晴れていき、拝殿に着くころには、新たな一年を迎えようという前向きな気持ちになっています。境内の中で行われる神事を見聞きするだけで、そのような気持ちの変化が生まれているのです。

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 ところが、今年はそういうわけにはいきませんでした。それは、神社という空間に、いつもの装置がなかったからでした。

 一年の終わりを象徴する、長い参列者の列、お焚き上げの炎、奉納されるお神楽、氏子さんたちが振舞ってくれる甘酒・・・、そういうものがなかったせいで、今年は神社が異空間になりえませんでした。その結果、煩悩の浄化には至らず、もやもやが晴れないまま、鬱屈した気分が残りました。

■神社の機能は?
 神社の前まで来て、引き返す人が何人もいました。「なぜ、神社まで規制しないといけないの?」と怒っている若者たちもいました。確かに、密閉空間でもないのに、なぜ、参拝規制をしなければならないのか。お焚き上げ、お神楽などを中止しなければならないのか。私にもわかりません。

 今回、コロナのせいで参拝が規制されましたが、そのたおかげで、神社の機能を思い知らされました。そのことは収穫だったといえるかもしれません。これまで当たり前だったことが当たり前ではなくなったことによって、その存在意義を考えさせられる効果があったのです。

 実際、大晦日に神社に参拝に訪れていたのは、ただの習慣にすぎませんでした。ところが、今回、いつもの年末神事がなくて考えさせられたのが、私たちにとって、神社がどのような心理的機能を果たしていたかということでした。

 立ち去り際に振り向くと、神社の入り口に掲げられた提灯に、「鎮守御祭禮」と書かれているのに気づきました。

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 なんとなく、気になります。

 Wikipediaを見ると、「鎮守」とは「その土地や寺、氏などを鎮護する神をまつる社」と説明されています。この説明文からは、神社はこれまで、その地域の精神的ハブとして、機能してきたことが示唆されています。

 実際、今回、小耳にはさんだ若い参拝者たちの会話からは、神社が地元民の精神的ハブとして機能していることを垣間見ることができたような気がします。

 ちなみに、ゼネラルリサーチが実施した調査では、2021年の初詣に行くと回答した比率は20代が最も多いという結果でした。

こちら →
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 今後、コロナ禍を経て、大きなパラダイムシフトが起きるのは必至です。そんな未来社会を考えると、初詣をして参拝したくなるのも無理はありません。若者ほど不確実性の高い未来を長く生きていかなければならないのですから・・・。

■地域の精神的ハブとしての神社
 日本学術会議会員で、宗教民俗学が専門の宮家準氏は、氏人と氏神との関係について、興味深い説明をしています。

 「この森(里山)のカミは、その麓に住む氏人たちから農耕や生活を守る氏神として崇められて、氏上を中心に祭りが行われた。氏人が死亡した時には、森に葬られた。死によって肉体を離れて、森や山に行った死霊は、盆・正月・追善法要などによって子孫から供養されて、33回忌の弔いあげを終えると、カミとなって氏神と融合した。この最後の法事の際には墓地に榊などの生木の塔婆を立て、これが根付くとカミになった証として喜ばれた」
(※ 『学術の動向』2002年4月)

 とても示唆深い説明でした。ヒトと自然との関係について、氏神を媒介に、永続的に循環するシステムが組み込まれていることがわかります。

 ヒトは誰しも生きて、死んでいきますが、死後の弔いはその子孫によって行われます。

 死後の弔い方法について、宮家氏は、「33回忌の弔いあげを終えると、カミとなって氏神と融合」し、「最後の法事の際には墓地に榊などの生木の塔婆を立て、これが根付くとカミになった証として喜ばれた」と説明しています。

 この説明の中には、ヒトが生まれたところで生き、そして、死んでいき、死後も子孫をはじめ地元で見守ってもらえるというインクルーシブな考えが見られます。その中心になっているのが、鎮守のカミであり、鎮守の森(杜)なのです。

 そういう考え方を知って、改めて、神社の入り口に掲げられていた提灯に書かれていた「鎮守御祭禮」を思い返してみると、氏神と氏人との祭礼こそが、連綿と続いてきたヒトと地域社会を安定させるシステムとして機能してきたのではないかという気がしてきました。

 そこに、ヒトを安心させ、地域を安定させる思考が反映されているからこそ、神社が地域社会の人々の精神的ハブであり続けたのでしょう。

 そして、無自覚のまま神社に集ってきた若者たちもまた、無意識のうちにこのインクルーシブな考えに引き込まれ、安心感を得ていたのではないかという気がしてきたのです。

 グローバル資本主義体制下では、技術主導で社会が目まぐるしく変化していきます。AI主導で社会が運営されるようになると、これまでの仕事の多くはなくなってしまうことが予測されています。そんな中、長い未来を抱えて生きていかなければならない若者ほど不安感は強く、精神の拠り所を求めざるをえないのでしょう。

 大晦日から元旦にかけて見聞したいくつかのシーンを通し、私は、今こそ、生きていくための精神的ハブが必要とされているのではないかと思いました。そして、小さな地元の神社こそがその役割を果たすのではないかという気がしてきたのです。それは、神社を媒介とし、ヒトと自然が循環していたかつての仕組みの中に、持続する社会の根本原理があると思えたからでした。

 2021年、明けましておめでとうございます。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。(2021/01/02 香取淳子)

コロナ禍の年の瀬、発酵食品の効用について考える。

■コロナ禍に見舞われた2020年
 2020年を振り返ってみれば、コロナに振り回された一年だったとしかいいようがありません。

 思い返せば、1月下旬に開催された新年会では、まだコロナは少し話題になっただけでした。それでも、政府はなぜ中国からの渡航を禁止しないのか、あるいは、こんなに手ぬるい対応をしていたら、あっという間に感染が広がって、大変なことになると危惧する人々がいました。ちょうど、春節の時期でしたから、多くの中国人観光客が日本に来る可能性があったのです。

 とはいえ、実際は1月下旬の段階では一般の人はまだ、それほど危機感を持っていませんでした。遠い場所での出来事にすぎなかったのです。その後、次第にマスコミの報道量が増え、通っていたジムでも、トイレのハンドドライヤーが使用禁止になりました。

 「ウイルス感染予防のため、使用を中止しております」と張り紙がされていました。それを見て、なんと過剰な反応をするのかと驚いたことを思い出します。

 実際、当初はジムで感染する人が多かったのです。

こちら → https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200225/k10012300801000.html

 このケースでは、武漢から帰国した人が利用したジムで、感染者が出ました。武漢といえば、新型コロナウイルス発生の地です。政府がチャーター機で帰国させた人々の中の感染者がジムに行き、感染を広げていたのです。

 名古屋でのケースもそうでした。

こちら →
https://www.tokai-tv.com/newsone/corner/20200304-CORONA-Jimunosyosai.html
 
 仕事や旅行で海外に出かけ、現地で感染した人が日本に帰国して、国内で感染を広げていくというパターンでした。ウイルスは明らかに海外からもたらされたものでした。

 新年会の席上、このことを予見していた人がいましたが、確かに、日本政府の対応は手ぬるく、水際作戦で失敗していたのです。

■一斉休校、緊急事態宣言
 2月末、ジムから連絡がきて、当分、ジムを休業するという通知がありました。2月28日から小中高、特別支援学級など学校が一斉休校になりましたが、それに合わせた対応でした。

こちら → https://www.mext.go.jp/content/202002228-mxt_kouhou01-000004520_1.pdf

 この時も私は驚きました。何も子どもたちまで巻き添えにする必要はないのに・・・、という思いでした。当初は子どもの感染はないに等しく、感染者のほとんどが高齢者だといわれていたのです。

 取り敢えず、休校は春休み終了までということでしたが、3月13日に国会で、新型コロナウイルス対策の特別措置法が制定され、休校期間が延長されることになったのです。

 4月7日、当時の安倍首相はこの法令に基づき、緊急事態宣言を発令しました。

こちら → https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/emergency/

 まず、東京をはじめとする7都市、そして、4月16日からは、その対象を全国に広げました。それほど深刻に受け止めていなかった人々は緊急事態宣言に驚き、慌てふためき、マスク、トイレットペーパー、食料品などを買い占めるようになりました。

 店舗が閉鎖されれば、モノが手に入らず、生きていくことができません。取り敢えず、衛生用品、食糧品などを確保しておこうという行動の結果でした。当然のことながら、マスクがない、トイレットペーパーがない、…、といった状態になります。それが報道されると、さらに、買い占めが起こる・・・といった展開になっていきました。

 必要最低限の外出をと自粛を要請され、人々は自宅待機を求められました。街に出ても、ほとんどがシャッターを下ろし、スーパーなどの必要不可欠な店舗しか空いていません。図書館も映画館も美術館もなにもかも閉鎖されました。

 その一方で、「三蜜」キャンペーンが声高に叫ばれていました。

 一連の動きに私はなんとなく胡散臭いものがあると感じていました。すべての反応が大げさすぎるのです。インフルエンザでこれほど大騒ぎをするか・・・?という思いでした。なにしろ、家族、友人、知人をはじめ、身の周りで感染したという人は一人もいませんでした。それなのに、政府やマスコミの反応が大げさすぎました。何かを隠そうとしているのではないかという勘ぐりを捨てきれませんでした。

 緊急事態宣言は5月7日に解除されましたが、東京をはじめとする7大都市については5月31日まで延長されました。

こちら → https://corona.go.jp/news/pdf/kinkyujitaisengen_gaiyou0504.pdf

 実際、感染者数の推移をグラフで見ると、緊急事態宣言期間中は増え、解除後、減少しています。

こちら →
(厚生労働省資料より。図をクリックすると、拡大します)

 もっとも、このグラフを見ると、確かに1波は5月7日ごろには終わっています。ところが、その後、7月10日から9月12日ごろまで、1波よりもさらに大きな2波が訪れています。この時は緊急事態宣言を発令しておりません。健康なのか経済なのかという判断を迫られ、経済を選択したからでしょう。

 終息しかけたかと思えたころ、政府はGO-TOキャンペ-ンを展開しました。コロナ禍で多大な経済的損失を負った観光業界を救うためでした。その結果、確かに観光地は多少潤いましたが、それに付随して、感染者も激増しました。

 このグラフを見てわかるように、11月15日から現在に至るまで感染者数は増加の一途を辿っています。明らかに1波、2波よりもはるかに大きな3波が訪れているのです。ところが、政府は依然として緊急事態宣言を出していません。ただ、GO-TOキャンペ-ン第二弾を取り下げ、外出の自粛をと呼びかけるだけです。

■立憲民主党の羽田雄一郎氏のコロナ感染死
 立憲民主党の羽田雄一郎氏が12月27日に亡くなったと知って、驚きました。恰幅のいい代議士で、まだ53歳、早すぎる訃報でした。

 立民幹事長の福山哲郎氏の説明によると、羽田氏は24日夜、発熱していますが、25日から26日は自宅に滞在し、27日にPCR検査を受ける予定だったそうです。ところが、その27日に容態が急変し、都内の病院に搬送されたときにはすでに死亡していたといいます。

 28日、羽田氏の死因が新型コロナ感染によるものだったということが判明しました。さらに、羽田氏には糖尿病や高血圧などの基礎疾患があったこともわかりました。

こちら → https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE287BP0Y0A221C2000000

 報道によると、直接の死因は新型コロナ感染によるものでした。羽田氏の場合、糖尿病や高血圧症を患っていたそうですから、いったん感染すれば、重篤化しやすい状況だったのです。

 ところが、発熱後、すぐに病院に行っておらず、2日間、自宅にいたといいます。この不作為が死を招いた可能性があります

 そこで、ざっと調べてみました。すると、英キングスカレッジロンドンが、糖尿病で、血糖コントロールが不良、糖尿病合併症を発症している人の場合、新型コロナウイルスに感染すると、重症化しやすいことが明らかになっているという調査結果を得ていることがわかりました。

こちら → https://dm-net.co.jp/calendar/2020/030694.php
 
 また、米ヴァンダービルト大学医療センターでも、同様の調査結果を得ており、「糖尿病の人が、新型コロナのワクチン接種を優先的に受けられるようにするため、国の政策に求めるべきです」と主張しています(前掲。URL)

 羽田氏は糖尿病でしかも高血圧症だったといいます。いずれも多くの中高年層が罹っている生活習慣病です。私自身、コレステロール値が高く、糖尿病予備軍だといわれていますから、羽田氏のコロナ感染死は決して他人事ではありません。

 高齢者をはじめこの種の基礎疾患を持つ人は、新型コロナウイルスにどう対処すればいいのでしょうか。

 試みに、東京都の新規感染者数を見ると、9月以降、うなぎのぼりに増えています。

こちら →
(2020年12月28日付日経新聞より。図をクリックすると、拡大します)

 羽田氏が新型コロナ感染死だったことが判明した28日、東京都の新規感染者数は481人でした。

こちら → https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG283UG0Y0A221C2000000

 感染者の内訳を年代別に見ると、20代が最も多く132人、次いで、30代が107人、40代が85人と続き、重症化リスクが高いといわれていた65歳以上は50人だったそうです。

 感染リスクが高く、感染すれば重症化しやすいといわれてきた高齢者が、意外にも、若年世代に比べ、はるかに低い感染者数なのです。このような結果からは、徹底して予防すれば、感染を避けられることが示されています。

 重症化リスクが高いといわれてきた高齢者だからこそ、感染を避けるよう生活を律し、徹底した予防を心掛けてきたからでしょう。「三蜜」を避け、マスクを着用し、手洗いを心掛けて生活していれば、感染リスクを大幅に回避できることが証明されたともいえます。

 そうはいっても、さまざまな研究結果からは、高齢者、肥満した人、基礎疾患を持つ人などが重症化しやすいことが明らかにされています。

■新型コロナウイルスに負けないためには・・・?
 英ケンブリッジ大学医学部免疫学のポール・レーナ―教授は、次のように、新型コロナウイルスの特徴を説明しています。

 「COVIT-19はSARSコロナウイルスやインフルエンザとは異なり、感染して症状があらわれ体調が悪くなる1日以上前に感染力が高くなる」
(※ 「【新型コロナ】糖尿病の人は何に注意すれば良い?なぜ肥満と高齢の人は重症化しやすい?」 《糖尿病ネットワーク》、2020年10月27日)

 新型コロナウイルスにはこのような特性がありますから、感染しても本人は気づきません。その結果、知らないまま、他の人に感染させてしまう可能性がとても高いのです。ウイルス側からいえば、巧妙な拡大戦略であり、生存戦略なのです。

 一方、ヒト側からいえば、無症状という隠れ蓑の下、感染力がきわめて高い新型コロナウイルスの暴走を阻むことができません。感染者に近づかないというだけではとうてい防ぎきれないのです。感染して無症状の期間にもっとも感染力が高くなるというのですから、なんというやっかいなウイルスなのでしょう。

 さらに、新型コロナウイルスには、インターフェロン抑制活性効果があると考えられています。

 ちなみに、インターフェロンは、次のように説明されています。

「インターフェロンとは動物体内で病原体や腫瘍細胞などの異物の侵入に反応して細胞が分泌する蛋白質のこと。ウイルス増殖の阻止や細胞増殖の抑制、免疫系および炎症の調節などの働きをするサイトカインの一種である。」(Wikipedia)

 つまり、新型コロナウイルスには、異物の侵入に反応するインターフェロンを抑制したり、産生できなくする機能が備わっているというのです。人体を異物の侵入から守ってくれるインターフェロンを無効化する機能を持っているというのですから、手に負えません。

 果たして、どうすればいいのでしょうか。

■免疫機能を高めるためには?
 新型コロナウイルスへの対応手段は、ヒトが本来持っている免疫機能を高めるしかないのではないでしょうか。そう思って、ざっと調べてみたところ、乳酸キャベツに免疫力を高める効果があるということを知りました。

こちら →
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO04830350U6A710C1000000/#:~:text=%E3%82%B6%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%88%E3%82%84%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%A8,%E5%BD%B9%E7%AB%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%80%81%E5%81%A5%E5%BA%B7%E5%8A%B9%E6%9E%9C%E6%8A%9C%E7%BE%A4%E3%80%82

 さっそくキャベツを買い、レシピ通りに作ってみました。上記の説明では塩を入れることになっていますが、私は塩麹を使いました。それだけではピリッとした味にならないかと思い、唐辛子を入れてみました。食べてみたところ、意外に美味でした。

 気をよくして、さらに、糖尿病、高血圧に効く食べ物はないかと探してみたところ、酢玉ねぎがいいということを知りました。

こちら → https://cookpad.com/recipe/3150878

 さっそく、玉ねぎ、蜂蜜、リンゴ酢、リンゴを買い、作ってみました。レシピとは違い、リンゴのスライスも入れてみました。毎食、サラダ代わりに食べていますが、とても美味しく、食がはずみます。

 二つの容器を並べてみました。

こちら →
(左が麹キャベツ、右が酢リンゴ&玉ねぎ。図をクリックすると、拡大します)

 果たして説明通りの効用があるのかどうか、わかりません。とはいえ、少なくとも、身体にいいといわれるキャベツやリンゴ、玉ねぎを材料にしています。しかも、発酵食品である麹に漬け込み、酢と蜂蜜に漬け込んでいます。

 容器の中でじっくりと寝かせ、それを食べるのですから、効用がないはずがありません。見ているうちに、食材が持っているそれぞれに機能に発酵の力が加わり、さまざまな効用があるのは当然のような気がしてきました。

 発酵食品を積極的に摂取して、免疫力を高めていけば、新型コロナウイルスに対処できるのではないか・・・、そう思うと、希望が生まれてきます。

■ヒトとウイルス
 世界中に猛威を振るう新型コロナウイルスに対抗するため、ヒトは次々とワクチンを開発しました。治験を経て、あるものは承認され、また、あるものは承認されようとしているところでした。

 そんな折、新型コロナウイルスの変異種がイギリスで見つかり、急速に広がっています。

こちら → https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-55391842

 英政府はこの変異種は感染力が強いとし、該当地域の人々に自宅待機を発令しました。もちろん、イギリスからの渡航も禁止しました。

 武漢発の新型コロナウイルスは、瞬く間に世界に広がりました。もうこれ以上、広がらないのではないかとヒトが安心した瞬間、ウイルスは変異し、さらに感染力を高めながら、新たな宿主に侵入していこうとしているのです。

 ヒトがウイルスに打ち勝とうとしはじめた矢先、変異種が暴走しはじめました。いまや各地で変異種が報告されつつあります。

 さまざまな変異種が出回るようになれば、いくらワクチンを開発したとしても、それがどの種のウイルスにどれほど有効なのか、それすらわからなくなってしまいます。

 そもそも新型コロナウイルスの厄介なところは、インターフェロン応答が抑制されてしまうことにありました。体内に侵入した異物を駆除しようとするインターフェロンの機能そのものを無効化してしまうのです。

 新型コロナウイルスのこの巧妙さに立ち向かうには、ヒトはいったい、どうすればいいのでしょうか。

■免疫力を高める発酵食品こそ大切?
 グローバル資本主義体制の下、ヒトと自然は分離されてしまいました。体調を崩すと、ヒトは自然の治癒力を待たず、すぐにも、薬に頼り、ワクチン、サプリメントに依存した生活を送るようになってしまいました。

 そのような生活スタイルこそが、ヒトが本来持っていた免疫力を弱体化させ、ウイルスの侵入を容易にしてしまっているのではないかと思います。

 最近、日本でも感染者数が急増していますが、それでも日本は、世界の中では比較的感染者数は少なく、死亡者数も少ないという事実があります。

 人々の移動状況、人口規模の観点からみれば、日本の感染者数は少なく、死亡者数も決して多くはありません。その理由に私は日本の生活文化が関係しているのではないかという気がしています。

 つまり、手洗いの習慣、清潔好き、発酵食品の日常的な摂取といった生活行動こそが、ウイルスの侵入を防ぎ、仮に侵入したとしても、重症化する度合いを低下させているのではないかと思うのです。

 日本には、味噌、醤油、酢、日本酒、納豆、漬物など、さまざまな発酵食品があります。人々はご飯とともに日常的にそれらの発酵食品を食しています。洋食が浸透してきているとはいえ、まだ、人々は和食も好んでいます。

 思い返せば、新型コロナウイルスに席巻された2020年でした。年末を迎えて思うことは、日本人が長年の間、育んできた、ヒトと自然、歴史と結びついた生活文化の有難さであり、日本文化の一環として育んできた和食の恵みです。

 皆さま、どうぞ良い年をお迎えくださいますように。(2020/12/30 香取淳子)

ライトアップされた東寺の境内

■東寺の境内
 2020年10月31日から12月13日まで、京都市南区にある真言宗総本山の東寺で、「境内ライトアップ」が開催されています。

こちら → https://toji.or.jp/exhibition/2020_autumn/

 私が訪れたのは10月31日で、イベント開催の初日でした。滞在していたホテルでたまたま手にしたチラシを見た途端、興味を覚え、行ってみる気になったのです。

 これまで東寺といえば、五重塔を新幹線の窓越しに見たことがあるぐらいでした。世界文化遺産に登録されているほどの名所なのに、まだ一度も境内に入ったことはありませんでした。

 チラシには、ライトアップされた境内を鑑賞するだけでなく、金堂・講堂・立体曼荼羅なども夜間特別拝観できると書かれていました。これを見た瞬間、言ってみる価値はあると判断したのです。

 10月末の夕刻、そろそろ寒さが忍び寄ってこようとしている頃、東寺に出かけました。バスを降り、しばらく歩くと、東門が見えてきました。

こちら →
(東門の受付)

 ちょっとぼやけていますが、これが当日の受付の様子です。開催時間が夜間(17:15~21:30)なので、東門(慶賀門)だけで受付が行われていました。日が沈み始める中、人々が次々と境内に吸い込まれていきます・・・・・。

 あれからほぼ一カ月が経ってしまいました。

 関西からは11月5日に帰京しました。あの時の感動を忘れないうちに、すぐにも書こうとおもっていたのに、なにかと忙しく、つい、書きそびれてしまいました。もうこれ以上は引き延ばせません。

 それにしても、時間はなんと素早く過ぎ去っていくものなのでしょう。つい先日、関西に出かけたばかりなのに、もう師走を迎えようとしています。そして、今年もあと一か月ほどで終わってしまうのです。

 歳をとると、時間の過ぎるのが早く感じられるといいますが、今回、改めて、残された時間の短いことに気づかされました。

 実は、毎年のように、11月の終わりごろになると、そう思うのですが、今年は、10月末から11月初旬にかけて関西旅行をしただけに、とくに、日々、大切に過ごさなければならないという気持ちになりました。

 それでは、当時を思い起こしながら、ライトアップされた東寺の境内を振り返ってみましょう。

■ライトアップされた木々
 受付を経て、境内に一歩、足を踏み入れると、そこには異次元の世界が広がっていました。

こちら →
(ライトアップされた木々。図をクリックすると、拡大します)

 ライトアップされた木々が水面に反映し、まぶしいほど幻想的な光景が創り出されていました。

 夜空を背景に、明るく照らし出された木々には、それだけで吸い込まれてしまいそうな妖しさがあります。ところが、それらが水面に映し出されると、今度は、美しさが倍加された光景が生み出されるのです。

 水面を介すれば、上下対称の妙味が醸し出されます。つまり、ライトアップによる効果と水面の鏡面効果が絡み合って、得難い美しさが生み出されるのです。

 これまで、夜景を鑑賞することもなく過ごしてきただけに、私は初めて見る光景に感動し、ひたすら木々に見入っていました。

 ふと、周囲から歓声があがっているのに気づきました。おそらく、私と同じような思いに駆られた人が大勢いたのでしょう。私は見知らぬ人々の中でいっとき、不思議な一体感を覚えました。

 その後も同じような光景が続きます。私は人の流れに沿って歩いていましたが、しばらくすると、木々の背後に五重塔が見えてきました。

こちら →
(片隅に見える五重塔。図をクリックすると、拡大します)

 絶景です。

 五重塔がもう少しはっきりと見える角度で写してみましょう。

こちら →
(縦方向で見た五重塔。図をクリックすると、拡大します)

 左側にライトアップされた木々、中ほど奥に五重塔、そして、右側にライトアップされたさまざまな高さの木々が並んでいます。それらがいずれも水面に反映され、暗い夜空と水面を背景に、見事な景観が創り出されていました。

 ライトアップされた東寺の境内を美しく見せているのは水面でした。

 受付で手渡されたパンフレットを見ると、木々や五重塔をショーアップして見せているのは瓢箪池だということがわかりました。

こちら →
(東寺パンフレットより。図をクリックすると、拡大します)

 この池のおかげで、ライトアップされた地上の木々や五重塔の美しさが強調され、それらが反映された水面が、幻想的な世界を創り出していたのです。暗い夜空だけがライトアップ効果を高めていたわけではなかったのです。

 いま、このマップを見ると、当時、散策していたのは、緑色で塗られた箇所だということがわかります。夜間、境内の中にいると水面としか認識できなかったのですが、マップには瓢箪池以外に二つの池が記されていました。

 これまで見てきたように、水面こそが、ライトアップされた美を増幅させる装置でした。つまり、瓢箪池やその他の池は、周辺の木々や五重塔を華麗に見せる舞台装置として機能していたことがわかります。

 もちろん、境内の美しさを創り出す中心になっていたのは、ライトアップ技術です。

 木々をライトアップするだけで、これだけ華やかさを演出することができるのですから、もはや魔法の技術といっていいのかもしれません。

こちら →
(様々な木々。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、水面にその姿が反映されていなくても、ただ、下方から照らし出されるだけで、木々は妖しくその姿を変貌させることがわかります。

 こんな光景もありました。

こちら →
(整列した木々。図をクリックすると、拡大します)

 丸く刈り取られた木々が整列している背後に、ライトアップされた背の高い木々が立ち並んでいます。昼間見れば、なんの変哲もない光景なのでしょうが、ライトアップされると、途端に、木々はこれだけ豊かな表情を見せるようになります。

 もちろん、五重塔も境内の外から見たときとは違った輝きを見せていました。

■ライトアップされた五重塔
 木々の背後にライトアップされた五重塔が見えました。

こちら →
(ライトアップされた五重塔。図をクリックすると、拡大します)

 暗闇の中に浮きあがって見える姿が華麗で、しかも、優雅です。

 近づくと、五重塔の色合いまで異なって見えます。左上にぼんやりと浮かぶ月が、なんともいえず風雅な雰囲気を醸し出しています。

 さらに近づくと、精巧に構築された五重塔が視界に入り、圧倒されてしまいます。

こちら →
(五重塔近景。図をクリックすると、拡大します)

 写真を見て、気づいたのですが、五重塔の威容の背後で、月が小さく青白い光を放っています。小さくでも鋭い光を見ていると、まるでヒトの営為の背後には必ず自然の働きがあることを示唆してくれているに思えました。

■東寺の五重塔
 東寺の五重塔は木造建築としては日本で一番高く、55mにも及ぶそうです。いかに巨大な建造物であるか、今回、境内に入ってみて初めて、実感することができました。これだけ巨大だからこそ、新幹線からも見え、京都に着いたことを実感できるのでしょう。東寺が京都のシンボルであることは確かです。

さて、空海は、講堂を建設した後、五重塔の創建に着手したそうです。ところが、これまでに4度も焼失し、現在のものは寛永21年(1644年)に再建されたといいます。

こちら → https://toji.or.jp/guide/gojunoto/

 東寺のホームページで五重塔の解説を読むと、初層内部は、極彩色で彩られた密教空間が広がっているそうです。

 各層を貫いている心柱は大日如来とし、その周囲を四尊の如来と八尊の菩薩が囲み、四方の柱には金剛界曼荼羅が描かれているといいます。

 今回、金堂・講堂に入ってみて、立体曼荼羅も見たのですが、写真撮影が禁止されていましたので、ここでご紹介することはできません。ただ、仏像の顔がこれまで私が見てきたのとは違い、とても人間的な表情だったことが印象に残っています。

 超然と悟りを開いた姿ではなく、煩悩を残し、さまざまな情感を残し、哀惜を残した姿だったことに、私は親近感を覚えました。

 空海はいまなお生きているとされますが、とても人間くさい仏像の表情を見ていると、ひょっとしたら・・・?という気がしないでもありません。思わす、そんな想像をしてしまうほど、ライトアップされた東寺の境内は幻想的でした。(2020/11/30 香取淳子)
 

彼岸花が今、満開です。

■入間川遊歩道の彼岸花
 2020年10月2日、お天気がいいので入間川遊歩道を訪れてみました。つい先日、こちらに来た時はまだ道路脇に彼岸花は咲いていませんでした。ところが、今回は赤い花が満開で、眩いほどでした。

こちら 
(遊歩道脇の彼岸花、図をクリックすると、拡大します)

 ふと、道路際を見ると、桜の巨木の下に満開の赤い彼岸花が群れて咲いています。

こちら →
(満開の彼岸花、図をクリックすると、拡大します)

 豪華な花の絨毯です。その先に、入間川がゆったりと静かに流れているのが見えます。穏やかな秋の日の幸せを感じさせられます。

 再び、遊歩道に戻ると、両側に赤と白の彼岸花が咲いていました。

こちら →
(紅白の彼岸花の遊歩道、図をクリックすると、拡大します)

 まるで慶事を迎えているような気分になります。

 すっかり忘れていましたが、彼岸花は赤い花ばかりではなく、白い花もあります。紅白の花に彩られたこの遊歩道はさしずめ、慶事への道といっていいのかもしれません。

 ふと気になって、道路側に降りてみました。

■赤い彼岸花、白い彼岸花
 階段際にも白を赤の彼岸花が咲いていました。

こちら →
(階段脇の彼岸花、図をクリックすると、拡大します)

 白い彼岸花と赤い彼岸花がそれぞれ一塊になって、階段脇を華やかに彩っていました。何の変哲もない階段がひときわ輝いて見えます。

 道路側から見ると、赤い彼岸花が層をなして花開き、その間に白い彼岸花が興趣を添えています。

こちら →
(鮮やかな赤のボリューム、図をクリックすると、拡大します)

 鮮やかな赤のボリュームに圧倒されそうです。

 さらに進むと、今度は白い彼岸花が際立っているところがありました。

こちら →
(白い彼岸花、図をクリックすると、拡大します)

 白い彼岸花が三カ所でまとまって咲いており、緑色の葉の多い道路脇で存在感を放っていました。

 ふと、見上げると、桜の木の周辺に赤い彼岸花や白い彼岸花、そして、ピンク色の芙蓉の花などが咲き乱れていました。

こちら →
(巨木の下のさまざまな花、図をクリックすると、拡大します)

 まるで桜の巨木にもたれかかるように、赤や白、ピンクの花が咲いています。相互に支え合い、絡まり合って生きている姿に見えました。

■数か月で主役の交代
 道路側をさらに歩いていくと、手前に赤、少し先に白の彼岸花が群生しています。その背後には葉を落とした桜の巨木が見えました。

こちら →
(桜の木の下で、図をクリックすると、拡大します)

 つい数か月前はこの遊歩道の主役だった桜が今では、咲き誇る彼岸花の脇役となって、その鮮やかさを引き立てています。日の移ろいを感じさせられます。

 さらに歩くと、今度はアジサイの葉の下に赤い彼岸花が群れて咲いていました。つい先日、目を楽しませてくれていたアジサイの花が、いつの間にか茶色に変色し、そしてまた、いつの間にか、葉だけになっていました。

こちら →
(アジサイの葉の下の彼岸花、図をクリックすると、拡大します)

 その葉の下に陰ができており、赤い彼岸花が身を寄せ合うように咲いていたのです。その様子はまるで強い太陽の光を避けているようにも見えました。主役の座を降りたアジサイが真っ盛りの彼岸花を守っていたのです。

 このように遊歩道の主役は次々と変わっていき、その都度、さまざまな美しさを見せてくれます。

■次の主役がスタンバイ
 再び、遊歩道に戻ると、左手に芙蓉がピンク色の花を咲かせているのに気づきました。鮮やかなアジサイに気を取られ、まったく気づきませんでした。ところが、芙蓉がいつの間にか、ひっそりと優雅な姿を現していたのです。

こちら →

 次の主役として、芙蓉がスタンバイしているのでしょうか。

 川に向かって彼岸花が草むらに真っ赤な色を添えています。それを見守るかのように、道路に影を落としながら、芙蓉の花がゆったりと揺れていました。

 入間川遊歩道を歩いていると、時がうつろい、そして、循環していくのを、折々の花の姿によって知らされます。陽光を浴びながら花々を見、入間川のゆったりとした流れを見ていると、格別の味わいが感じられます。ささやかな幸せを実感できるひとときです。(2020/10/2 香取淳子)

彼岸花が咲きました。

■川辺の彼岸花
 2020年9月19日、久しぶりに入間川の遊歩道を訪れてみました。暴風雨の後だったせいか、たくさんの桜の葉は吹き飛ばされて地面に落ち、その一部が歩道脇に溜まって、落ち葉の層が出来ていました。それぞれが黄褐色に色づいており、一足早い秋の訪れを感じさせられます。

こちら →
(落ち葉の遊歩道、図をクリックすると、拡大します)

 日中はまだ30度近い気温が続いていました。歩くと汗ばみ、木陰が恋しくなるほどです。外にいると、いまだに夏だとしかいいようがありません。とはいえ、そんな中でも時折、そよ吹く風に微かな冷気が感じられます。

 そういえば、騒がしかったセミの鳴き声もひと頃よりは勢いが衰えてきました。夜になれば、虫の音が聞こえてきます。耳を澄ませ、注意深く周囲を見れば、そこかしこに秋の気配を感じることができます。これまで気づかなかっただけで、秋は着実に訪れてきているのです。

 遊歩道の脇に目を向けると、もはや夏はすっかり去っていることがわかります。

こちら →
(落ち葉の向こうに赤い花、図をクリックすると、拡大します)

 つい先日まで青々と輝いていた桜葉は、いつの間にか落ち、遊歩道沿いの土手は秋色に染め上げられていました。色変わりした落ち葉がなだらかなスロープ上に拡散し、まるで川辺に秋を運んでいるかのようです。

 近づいて見ると、スロープの先にうっすらと赤い花が咲いているのが見えました。その手前には桜木の枝があり、低く垂れています。枝先は川に向かって細く伸び、遊歩道からのヒトの視線を赤い花に誘導しようとしているかのように見えます。

こちら →
(小枝の先に赤い花、図をクリックすると、拡大します)

 さらに近づくと、ちょうどその枝先にかかるところに、赤い花がいくつか咲いています。どうやら彼岸花のようです。

こちら →
(彼岸花、図をクリックすると、拡大します)

 近づいてみると、たしかに、彼岸花でした。

■長い茎に支えられた彼岸花
 なだらかなスロープを降りていくと、また別の場所に彼岸花が群生していました。

こちら →
(群生する彼岸花、図をクリックすると、拡大します)

 どの花も長い茎に支えられ、すっくと立っている姿が印象的です。

 スロープを上っていくと、綺麗に花開いた彼岸花がありました。アップで撮影したのが次の写真です。

こちら →
(彼岸花アップ、図をクリックすると、拡大します)

 長く伸びた茎に上に、独特の形状をした花がかすかに揺れています。細く優雅な曲線がとても印象的です。大きな赤い花弁が鮮やかで、ひときわ目立っていました。とはいえ、どこかしら寂しげな風情が漂っているのが気になります。

 孤立して咲いているからでしょうか。

 そう思って周りを見渡すと、すぐ近くに、まとまって咲いている彼岸花が目に入りました。

こちら →
(すっくと立つ彼岸花、図をクリックすると拡大します)

 桜の木の傍で、数本の彼岸花が支え合うように、寄り添って咲いています。豪華な赤い花弁がことさらに際立って見えます。ところが、どういうわけか、これらの花にもそこはかとない寂寥感が漂っています。

 何故、そう思ってしまうのでしょうか。

 しげしげとみているうちに、どの花も葉がないことに気づきました。すっくと伸びた長い茎の上に、大きな赤い花が載っているだけなのです。改めて全体を見ると、何とも奇妙な姿でした。見下ろすと、川べりで咲いている数本の彼岸花にも、同じように葉がありません。

 そこはかとなく寂寥感が漂っているように思えたのは、おそらく、この花の茎にはひとつも葉が付いてなかったからでしょう。本来あるべきものがないので、欠落感、喪失感を覚え、この花自体が寂しそうに見えたのかもしれません。

 喪失感といえば、全国どこでも、毎年、お彼岸の頃になると咲くといわれています。Oxford Languagesの定義によると、彼岸には、①向こう岸、②仏道に精進して煩悩を脱し、涅槃に達した境地。この二つの意味があります。

 彼岸とは「あの世」を指し、故人がいる世界を意味します。日本人にはこの彼岸の時期にお墓参りをする風習があります。お墓参りをすることによって、故人を偲び、感謝し、日々の煩悩を振り払うことによって、安寧の心境を得ることを行事化しているのです。

 彼岸花はまさにお彼岸のための花でした。

 私が子どもの頃は、この花を「曼殊沙華」と呼んでいました。「まんじゅしゃげ」という音の響きにかすかな違和感があって、馴染めないものがありました。それは、初めてこの花を見たのがお寺だったせいか、ちょっと恐いような、不吉なイメージがあったからかもしれません。

■ちょっと不吉なイメージの彼岸花
 なんだか気になったので、調べてみると、水戸市植物公園園長の西川綾子氏は彼岸花について、次のように言っています。

「まず花が咲き、後から葉っぱが伸びるという通常の草花とは逆の生態をもっています。その葉と花を一緒に見ることがない性質から「葉見ず花見ず」と呼ばれ、昔の人は恐れをなして、死人花(しびとばな)や地獄花(じごくばな)などと呼ぶこともありました」
(※ https://horti.jp/2459)

 たしかに、土手に咲いた彼岸花を見ると、葉がありませんでした。明らかに一般の花とは異なっていました。まっすぐに伸びた茎の印象がことさらに強く、どこかしら寂しげな様子に見えたのですが、それが、西川氏の説明でわかったような気がします。

 彼岸花は一般の草花とは逆の生態を持っており、その異質性が見る者に違和感を与え、寂寥感を覚えさせていたのかもしれません。

 私はふと、子どもの頃、彼岸花を縁起のよくない花だと思い込んでいたことを思い出しました。そのような思いの源泉もまた、西川氏の説明でわかったような気がします。

 昔の人はこの花を「死人花」とか「地獄花」と呼んでいたと西川氏はいいます。この花を恐れ、不吉だと思うからこそ、そのような名前で呼んでいたのでしょう。見た目が変わっているだけではなく、この花の名称そのものが不吉なイメージを拡散していたのです。

 実際、彼岸花につけられた別名を見ると、「幽霊花」「剃刀花」「狐花」「捨子花」「毒花」「痺れ花」といった具合に、ロクなものがありません。縁起でもないものばかりです。

 これでは誰もこの花に寄り付こうとしないでしょう。

 西川氏は、「彼岸花の球根には毒があります。地中に潜むモグラやネズミは、他の植物の根はかじっても、彼岸花のものはかじらないと言われています」と説明しています(※ 前掲)

 なんと恐ろしいことでしょう。彼岸花は有毒だというのです。だからこそ、昔の人はこの花に近づかないように警告を発する意味で不吉なイメージの名前をつけていたのかもしれません。

 彼岸花には「花全体にリコリンやガラタミンなど約20種の有毒アルカロイド」が含まれています。誰もがつい手に触れてしまう、花全体に有毒アルカロイドが含まれているというのです。

 調べてみると、アルカロイドは、「“Alkali”(塩基)と“oides”(~類)を語源とした言葉」で、塩基性のものが多いが、イヌサフランに含まれるコルヒチンのように塩基性のないアルカロイドも存在する」そうです。

 そして、「モルヒネなどを含むアヘンや、ツボクラリンなどを含むクラーレのように、強い生理作用をもち、古くから薬や毒として使われてきた」と説明されています
(※ https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89)。

 花全体が有毒だというのですから、近づかないよう注意喚起する必要があります。一連の不吉な名前はそのための昔の人の知恵といえるでしょう。

 しかも、毒があるのは花ばかりではありませんでした。

 花が咲かない時期の彼岸花は、「ノビルやアサツキに似ている植物で、誤って食べてしまい体調を崩す」ことがよくあるそうです。しかも、「誤って食べた場合、特別な解毒剤などはないため、催吐薬や下剤を投与しての対症療法を行う必要がある」といわれています(※ https://horti.jp/3233)。

 さらに毒性の強いのが球根だそうです。「毒は特に球根に多く含まれ、毒抜きせずに食すと30分以内に激しい下痢や嘔吐に見舞われ、ひどい場合は呼吸不全や痙攣、中枢神経麻痺といった深刻な症状を引き起こす」といわれています。

 彼岸花には、「球根1gあたりに約0.15mgのリコリン、0.019gのガラタミンを含んでいる」とされていますが、「リコリンの致死量は10gなので、球根を1個食べても重篤な症状に至ることは基本的に少ない」そうです。とはいえ、「乳幼児が摂取して中毒症状が起こった場合、嘔吐物が気管内に吸い込まれて窒息してしまう場合がある」そうです(※ 前掲)。

 花にも茎にも、そして、球根にも毒があるなんて・・・、なんと危険な植物なのでしょう。想像もしませんでした。

 とくに球根に毒をもつ植物として、彼岸花は古くから知られていたようです。「球根に毒があるので、地中の動物にも効果があると信じられており、そのため、彼岸花は昔からお墓の近くに植えられてきた」そうです。それは、「もぐらやネズミ、土中の生き物から土葬した遺体を守り、傷つけられないようにするため」でした(※ 前掲)。

 調べれば調べるほどいろんなことがわかり、ますます彼岸花が不吉な花に思えてきます。

■曼殊沙華
 彼岸花には「曼殊沙華」という別名があります。私は子どもの頃、この花を曼殊沙華と呼んでいました。お寺で見かけ、そのとき一緒にいた祖母から「まんじゅしゃげ」だと教えてもらったからです。そのせいか、この花からお寺やお経を連想していたのですが、今回、調べてみて、そのことを確認することになりました。

 「曼殊沙華」という言葉を調べていると、「法華経」に行きつきました。

 『法華経』第一序品に、「是時天雨曼陀羅華。摩訶曼陀羅華。曼殊沙華。摩訶曼殊沙華。而散仏上。及諸大衆。」という文言があります。この文言の中に、「曼殊沙華」という言葉が出てきます。曼殊沙華については、「柔らかく白い天界の花」のことで、「この花を見るものを悪業から離れさせるという意味がある」と説明されています。
(※ https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/1/01-2.htm)

 この中では、「曼陀羅華」という言葉と対のようになって出てきますが、こちらは「色が美しく芳香を放ち、見るものの心を悦ばせるという天界の花」という意味だそうです。(※ 前掲)。

 このような説明を総合すると、この文言は、「この時、天から曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、曼殊沙華、摩訶曼殊沙華といった天界の花がふってきて、仏と人々の上に降りそそいだ」というような意味になるのでしょうか。

 また、「曼殊沙華」には「この花を見るものを悪業から離れさせる意味がある」と説明されていました。ですから、この花には人を防衛したり、守護する機能があるといえます。

 先ほど、彼岸花には花も葉も茎も根もすべて毒があると説明しました。曼殊沙華の説明に従えば、有毒なので、他のものから受ける被害を食い止める効果があるといえます。

 そういわれて思い出すのは、次のような説明でした。

 精製された彼岸花の球根は、「石蒜(セキサン)」や「ヒガンバナ根」の名で漢方薬として利用されることがあります。消炎作用や利尿作用があり、茎を刻んで搾取した汁で患部を流すとよいとされているほか、根をすりつぶしたものを張り薬にすると、むくみやあかぎれ、関節痛を改善する効果が期待されます。また、最近では彼岸花に含まれるガランタミンが記憶機能を回復させるとして、アルツハイマー型認知症の薬に利用されるようになりました。(※ https://horti.jp/3233)

 まさに、毒と薬は表裏一体なのです。

 この花にはさまざまな不吉なイメージの名前がありました。それが今、ほぼ彼岸花、あるいは曼殊沙華で統一されています。この二つの名前には、毒性を持ったこの花のポジティブな側面とネガティブな側面とが表現されており、昔の人々の知恵を引き継ぎ、名称が定着してきたプロセスが感じられます。

■俳句に詠まれた彼岸花(曼殊沙華)
 彼岸花はその独特の花の形状や不吉なイメージから、古来、数々の和歌や俳句に詠まれてきました。俳句では秋の季語になっていますから、数多くの秋にちなんだ句が詠まれています。
(※ http://www5c.biglobe.ne.jp/~n32e131/aki/higanbana.html)

 ここでは正岡子規と夏目漱石の句を取り上げ、見ていくことにしましょう。

 たとえば、正岡子規に次ぎのような句があります。

 「秋風に枝も葉もなし曼殊沙花」

 見たままを詠み込んだ、とてもシンプルな句です。とはいえ、彼岸花(曼殊沙華)の花の特徴がしっかりと押さえられており、ありのままの自然を見つめようとする子規の作家としての姿勢を見て取ることができます。

 「葉見ず花見ず」として知られた彼岸花(曼殊沙華)には、花が咲く時期には葉がなく、花が枯れた後に葉がでるという特徴がありました。そこからさまざまな言い伝えが生まれ、さまざまな印象形成がされてきました。

 また、子規には次のような句があります。

 「ひしひしと立つや墓場のまん珠さげ」

 先ほどの句は「曼殊沙花」と表現されていましたが、この句は「まん珠さげ」と表現されています。ですから、この「珠」はおそらく、数珠を表現しているのでしょう。数珠を手にさげ、お墓の前で先祖の安寧を祈っている人の姿が浮かびます。

 一方、「まん珠さげ」を「曼殊沙華」と読み替えれば、この句は、花と茎しかない曼殊沙華が墓場でまっすぐ立っているという、見たままをスケッチ風に表現された句になります。

 茎だけでまっすぐ立っている曼殊沙華の姿には、「ひしひしと」としか表現できない緊張感が込められています。そこに正岡子規の鋭敏な感性と知性が感じられます。

 先ほどいいましたように、曼殊沙華は球根に強い毒性を持っています。だからこそ、曼殊沙華は墓場に植えられることが多く、収められた遺体を動物から守る使命を帯びていたのです。正岡子規が生きた明治の頃はまだその名残があったのでしょう。スケッチ風にシンプルに表現しながら、曼殊沙華の特性を踏まえ、本質を突いた句になっています。

 一方、夏目漱石に次のような句があります。

 「曼珠沙花あつけらかんと道の端」

 この句には、いかにも漱石らしいユーモアがあります。「あっけらかんと」という語には諧謔性があり、「道の端」という表現には庶民性があります。そして、「あっけらかんと道の端」になると、道端や川辺など卑近な場所に咲くことに、権力に阿らない自由、高邁な理想主義に馴染まない庶民性強調されます。漱石は共感を込めてこの句を創ったのでしょう。

 また、漱石には次のような句もあります。

 「仏より痩せて哀れや曼珠沙華」

 この句もまた、いかにも漱石らしいシニカルな表現が印象的です。仏には断食などの修行を重ねて悟りを開くというイメージがあります。ですから、仏は「痩せて」いるというイメージが一般的です。

 ところが、漱石はその「仏より痩せて哀れや」という印象を曼殊沙華に抱いているのです。法華経によれば、曼殊沙華は天から降ってくる吉祥の花です。ところが、茎だけで葉のない曼殊沙華は「痩せて」貧相に見えます。果たして、天の花の御利益があるのかという皮肉が「哀れや」という語に込められています。

 漱石は、「痩せて」という語に植物としての曼殊沙華の特性を詠む一方、過酷な修行をして悟りを開くということに疑問を投げかけています。権威に阿らず、自身の観察力を信じた漱石ならではの皮肉が込められているのです。

 正岡子規と夏目漱石の彼岸花(曼殊沙華)を詠んだ句を見比べてみると、両者とも彼岸花(曼殊沙華)の特性に着目し、自身の持ち味を生かしながら、句を創っていることがわかります。

■彼岸花の両義性
 埼玉県日高市には巾着田曼殊沙華公園という彼岸花の名所があります。ここには彼岸花約500万本が自生しており、毎年9月中旬から咲き始めます。例年、全国から20万人以上の観光客が訪れていましたが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、花が咲き始める前に芽が刈り取られたようです。

こちら →
https://news.yahoo.co.jp/articles/dae271111698e95983150d55741e553fb9e16cfa

 そこまでする必要があるかと思いますが、コロナ感染予防のために、罪のない彼岸花が花の咲く前に刈り取られてしまったというのです。コロナによってまた一つ、人々の楽しみが奪われました。

 いつも通りなら、次のような華麗な光景を見ることができるはずでした。

こちら →
(tabi channelより)

 彼岸花が群生すると、この世のものとも思えない艶やかで豪華な世界が創り出されます。

 毎年、数多くの観光客が訪れていたのも、このような滅多にみることのできない美の世界が生み出されていたからでしょう。赤く染め上げられたこの辺り一体は、自然の力が生み出す魔界といってもいいかもしれません。

 ふと、彼岸花の英語名が「red magic lily」だということを思い出しました。興味深いことに、その名称に「magic」という語が使われているのです。洋の東西を問わず、人々は彼岸花の異質性に魔力を感じていたのでしょうか。

 先ほどもいいましたが、彼岸花には毒性がある一方で、薬効もあります。少し補足しておきましょう。

 熊本大学薬学部・薬草園・植物データベースでは、以下のような薬効がまとめて紹介されています。

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 鎮痛作用があり,肩こり,膝の痛みに,すりおろした鱗茎をガーゼや布に包んで足の土踏まずに貼る.体のむくみにも同様に利用する.全草に強い毒性があるため口にしてはいけない.鱗茎にはデンプンを多く含むため,砕いた鱗茎を水にさらして毒性を除いて食用にされた.鱗茎をすりつぶし糊状にしたものは,屏風やふすまの下張り使うと虫が付かないとされ,昔利用されていた.
**********
(http://www.pharm.kumamoto-u.ac.jp/yakusodb/detail/003655.php)

 こうしてみると、彼岸花はまさに両義性の植物だといえるでしょう。

 再び、遊歩道に戻ってみると、桜の木の大きく垂れた枝の下に、彼岸花がそっと寄り添うように咲いているのが見えました。

こちら →
(大きく垂れた枝の下の彼岸花、図をクリックすると、拡大します)

 おそらく、ここでも毒性の強い彼岸花の球根が、川辺の土中の植物の根などを動物による被害から守っているのでしょう。桜の木がこれほど大きく」枝を伸ばせるのも、そのような影の力があるからだと思うと、急に、彼岸花が可憐でいとおしく思えてきました。
(2020/9/23 香取淳子)

続 雨上がりの午後、アジサイを鑑賞する。

 このたび、アジサイの色が、土壌のせいだけではなく、時の経過によっても変化することを知りました。それからというもの、はたして実際にそうなのか、この目で確認したくて仕方がありませんでした。ところが、その後、雨が続き、なかなか出かけることができません。

2020年6月21日、ようやく雨が上がりましたので、さっそく、入間川遊歩道に行ってきました。

■色変わりしていたアジサイ
 着いてみると、数日前とは様相が大きく異なっていました。まず、前回、ご紹介した場所のアジサイを見てみましょう。


(図をクリックすると、拡大します)

 6月14日の午後、この辺りのアジサイは白に近い薄紫色でした。ところが、その一週間後、訪れてみると、花の色はほとんどが赤く変色していました。

 念のため、道路側に降りてみましたが、やはり、薄い紫色だったアジサイが赤くなっていました。一斉に色づき、しかも、どの花も一回り大きくなっています。


(図をクリックすると、拡大します)

 赤くなったアジサイの一つに近づいて見ると、気のせいか、やや萎れているように見えました。さらに目を近づけると、褪せたような色の花びらには筋が縦にいくつも入っています。

 ふと、幼いころに見た祖母の手の爪を思い出しました。

 ある日、祖母は手を広げて爪を見つめながら、しみじみとした口調で小学生の私に、「年を取ると、爪に筋が入るようになる」といったのです。見ると、祖母の爪には縦に筋がたくさん入っていました。どのような脈絡でそのような話になったのか、すっかり忘れてしまいましたが、祖母の爪としみじみとした口調だけは記憶に残っています。

 祖母によれば、爪に縦筋が入るようになるのが老化のシグナルの一つでした。だとすれば、この花びらもまた、老化が進行しているといえるでしょう。

 それでは、アップしてみましょう。


(図をクリックすると、拡大します)

 見ると、確かに、花びらには勢いがありません。ところが、花びらの色に差異はなく、ほぼ均等に変化しています。ですから、この花の場合、どの部位も一様に老いているといえるでしょう。青から赤への変化が完了し、やがて枯れていく(死)ための準備段階に入ったように見えます。

■老化現象のタイムラグ
 何気なく周辺を見渡してみると、すべての花びらが完全に赤くなっているわけではなく、わずかに青い部分が残ったアジサイもありました。見てみましょう。


(図をクリックすると、拡大します)

 手前の花を見ると、多くの花びらが赤く変色している中で、微妙に青色が残っている箇所があります。その後ろの花は逆に、青い花びらが多い中、赤に変化しかかっている箇所が見えます。

 興味深いことに、どちらも花びらの色が一様ではなく、場所によって微妙に異なっています。改めて、同じ株の花でも、同じ土壌の花でも、色の変化にはタイムラグがあることがわかります。

 見ているうちに、ふと、ヒトの老化も同じようなものではないかという思いが胸を過ぎりました。一定の年齢になると、ヒトには、膝の痛み、ぎっくり腰、歯の痛みやぐらつき、内臓疾患、高血圧などの老化現象が、さまざまな身体部位に現れます。

 同じ年齢の人でも老化現象は一様ではないと思った途端、アジサイの色の変化、そして、その微妙な差異が、なんだかとても人間臭く思えてきました。目の前のアジサイはそれぞれ、バリエーションに富んだ色合いで、その存在を誇示しているようにも見えます。


(図をクリックすると、拡大します)

 微妙に異なる色の組み合わせが、それぞれのアジサイの個体識別になっていました。老化による色の変化が、個体ごとにその個性を引き出していたのです。遠目からはそれが一種の華やぎに見えました。

■成熟するということ
 再び、遊歩道に戻って、歩いていくと、先日見たガクアジサイが一段と大きくなっていました。


(図をクリックすると、拡大します)

 中心部が大きくなりすぎていて、白い周辺花がそれほど目立ちません。成熟することによって、白の占める割合が相対的に少なくなってしまったからでしょう。そのせいか、先日、このガクアジサイに感じたきらきらした印象がすっかり消え失せていました。

 一週間ぶりに見たガクアジサイは、中心部も周辺花も大きく成熟する一方で、花全体からは生硬さ、初々しさが失われていたのです。このガクアジサイに、時の経過による色の変化は見られませんでしたが、時の経過による成熟は見られました。

 成熟は明らかに、成長期の輝きを花から奪っていました。

■老化にどう向き合えばいいのか
 一週間ぶりに遊歩道のアジサイを見て、まず、花の色が赤く変色していることを確認しました。さらに、花が大きく成熟していることも確認しました。いずれも時の経過(老化)による作用です。

 アジサイを遠目で見れば、ただ色が赤く変わっただけのように見えます。ところが、近づいてみると、その花びらには筋がいくつも入り、萎れていました。それを見たとき、自然は残酷に時を刻んでいくものだということを感じさせられました。

 梅雨の季節、人々の目を楽しませてくれたアジサイも、やがては萎びて枯れ、大地に戻っていくのでしょう。それが自然のサイクルなのです。その観点からいえば、この数日間のアジサイの色の変化は、滅びの前の華やかさといえるものなのかもしれません。

 ヒトも同様、老化が進み、やがては大地に還っていく定めに抗うことはできません。老化現象をどう受け入れ、身体のさまざまな機能不全と共に生きていくか、それは、超高齢化社会の日本に課せられた大きな課題です。

 アジサイのように、たとえ遠目からだけでも、そして、一瞬だけでも、成熟期の輝きを得ることができれば、その後に訪れる衰退、あるいは衰弱を潔く受け入れることができるようになるかもしれません・・・。ふっとそんな気がしました。(2020/6/22 香取淳子)

雨上がりの午後、アジサイを鑑賞する。

■雨上がりの遊歩道
 2020年6月14日の午後、雨が上がったので、入間川遊歩道に出かけてみました。着いてみると、道路際には大小さまざまなアジサイが咲き誇っていました。つい先日、見たときはまだ薄色だったのに、わずか数日で花弁はすっかり濃くなっていたのです。いかにもアジサイといった色合いの花々が、雨で濡れた遊歩道を華やかに彩っていました。


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 遊歩道に沿って、空色、紫、赤紫、青紫など、藍色を基調としたアジサイの花が群生しています。先の方には、かすかに赤味がかった色の花も咲いているようにみえます。色や形、大きさが異なる花々が、それぞれ存在を誇示しながらも、全体として調和しており、情緒豊かな空間が形成されていました。

 雨上がりの午後、この遊歩道を歩きながら、アジサイを鑑賞することにしましょう。

■アジサイ
 アジサイは漢字で紫陽花と書きます。アジサイの代表的な色が紫だからなのでしょうか。ここで見られる色も、淡い色調のもの、赤味がかったもの、ピンク系のものとさまざまですが、藍を含んだ紫色が基調になっているところに統一感が感じられます。

 もう少し、近づいてみましょう。


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 これを見ると、小さな花弁が多数、重なり合うように寄り集まって、半球形を形作っています。雨が上がったばかりなので、葉にはまだしずくが残っています。そこに憂愁が感じられ、アジサイが梅雨時の花だということを思い知らされます。

 雨に打たれ、風に倒されそうになりながらも、持ちこたえ、いったん風雨が収まれば、まるで何事もなかったかのように、しっかりと頭をもたげ、健気に咲いているところが印象的でした。

 それにしても、なんと微妙な色合いなのでしょう。薄青の花弁の中心には淡い黄色が広がっており、両者の境目がはっきりしません。色と色とが溶け合っているかのようです。薄水色が中心の花もあれば、薄黄色が中心の花もあります。それぞれの色彩バランスが微妙で、なんともいえない上品な趣があります。


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 この半球形のものが、いわゆる「アジサイ」と呼ばれる品種です。この季節になると、道路際や庭先でよく見かけるのが、この形状の花でした。これはごく一般的なアジサイなのでしょう。

■ガクアジサイ
 そんな見慣れた形のアジサイの隣に、形状の異なる花が群生していました。近づいてみましょう。


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 これらの花はどれも、真ん中がこんもりと盛り上がり、周囲は4枚一組の花弁のようなもので構成されています。ガクアジサイです。学生の頃、お茶の先生に教えてもらったことがあるので、名前は知っていました。

一風変わった形状の花ですが、群生しているのを見ると、白の花弁のようなものが濃い緑の葉に映え、遠目からはきらきらと輝いているように見えます。

 それでは、クローズアップして、このガクアジサイを見てみることにしましょう。


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 近づいて見てみると、中心部が大きく盛り上がっているのに対し、白い花のようなものは下方に垂れているのがわかります。盛り上がった部分には薄青と白の小さな実のような粒粒がぎっしりと詰まり、その上にさらに小さな胞子のようなものまでついています。そのせいでしょうか、中心部分にはこの花の生命が宿っているように思えます。

 一方、白い花弁のようなものは周辺に分散し、しかも、垂れています。見た目は華やかなのですが、近づいてみると、中心部に比べ、生命体としての存在感は希薄でした。

 花弁は通常、重なりあって花芯を守る構造になっていると思っていたのですが、ガクアジサイの場合、包み込む形状ではなく、隅の方で分散して広がっているだけでした。まるで守ろうとするものが何もないかのようにただ開いているだけなのです。何とも不思議な花でした。

 さっそく立ち止まり、スマホで調べてみると、粒粒に見えていたものが、実は花と花芯で、花弁だと思っていたものが、実際は、蕚片だということがわかりました(※『あじさい』2008年7月)。

 先ほどいいましたが、この花に近づくと、無数の粒粒で盛り上がった中心部に存在感があり、生命の営みが感じられました。目に見えない生命力が、この中心部分から発散されているのを感じたのです。

 説明によれば、実のように見えた粒粒は、花芯と花弁の寄り集まったものでした。そして、白い花に見えた部分は、蕚(ガク)が大きくなった周辺花でした。花ではないのに、花に見える飾り花として機能しているのです。周辺花は飾り花ですから、当然のことながら、雄蕊も雌蕊もありません。

 実際、上の写真をよく見てみると、周辺花は花弁状のガクが4枚付いているだけで、その中心部は平たく、薄く、空虚に見えます。

 私はガクアジサイの花の形状とその名前は知っていましたが、花の構造まで走りませんでした。今回、調べてみて驚きました。なんと花のように見えていた部分が、実は、蕚(ガク)だったのです。

 本来、花を支える裏方のはずが、美しい花として成長し、鑑賞者の目を引き付けていたのです。ガクが変形した周辺花でありながら、実際の花よりも鑑賞者を引き付ける魅力を放っていました。だからこそ、この花は、ガクアジサイと名付けられたのでしょう。

花弁ではないので、雄蕊、雌蕊を守り支える必要はなく、その機能もないガクが、装飾性だけを追求した結果、得られた美しさだといえるかもしれません。

■日本が原産地
 ガクアジサイは日本が原産地だといいます。

 Wikipediaでアジサイを調べると、原種は日本に自生するガクアジサイだと書かれています。最初にご紹介した、いわゆるアジサイは、ガクアジサイを改良して園芸品種にしたものだそうです。ガクアジサイの周辺花を多数重ね、球形になるように改良されたのが、この季節によく見かける、ごく一般的なアジサイだというわけでした。

 典型的な青紫のアジサイが、この遊歩道脇にも咲いていました。小さな花びらが凝集し、ボールのように丸い形をしています。

この花をクローズアップして見ることにしましょう。


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 近づいてみると、重なりあった多くの花びらのようなものは、花芯を持たず、中心部は薄黄色で、色彩で識別できるようになっているだけでした。生命につながるものは見られず、当然、その機能もなく、まさに飾り花の名にふさわしいものでした。

 こうしてみると、確かに、この花が、ガクアジサイの周辺花を多数寄せ集め、球形になるよう改良された品種であることがわかります。

 かつての日本人は、湿地に自生していたガクアジサイをこのように改良し、園芸種として普及させてきました。その結果、いまやガクアジサイよりも、アジサイの方が一般的に知れ渡っています。色といい、形といい、アジサイは日本の6月になくてはならない花になっているのです。

■コントラストが創り出す美しさ
 アジサイの陰に隠れてしまっていますが、ガクアジサイもまた、独特の美しさを備え、限りなくヒトを魅了します。

 少し歩くと、青と黄のコンビネーションの美しいガクアジサイが咲いていました。


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 色彩のコントラストが鮮やかで、目立ちます。この花を見ていると、あらためて、青と黄色が補色関係にあることを思い知らされます。色彩のコントラストの強さが装飾性を高め、人工的な美しさを引き出しています。大小、それぞれの花を見ていくと、周辺花の青色とその中心部の薄黄色とのバランスが微妙で、浮き立つような存在感があります。

 さらに歩いていくと、紫と薄黄のガクアジサイが咲いていました。淡い色合いでありながら、しっかりとした個性が感じられ、しかも、上品な趣があります。アップして見ていくことにしましょう。


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 こちらは中心部も淡い紫色と薄黄色で構成されています。花弁に見えるガクには濃い紫と薄黄が配され、中心部の丸い実のようなものには淡い紫と薄黄が配されています。色彩の微妙なコントラストに、濃淡によるアクセントが加味されて、計算されつくしたかのような美しさです。

■カシワバアジサイ
 遊歩道を降りて、さらに、歩いていくと、奇妙な花に出会いました。


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 一般に、花は上を向いて咲くものなのに、この花は首を垂れ、下を向いています。花を支える茎が折れてしまったのかと思い、近づいてみましたが、そんなことはありませんでした。花弁部分が異様に大きく、しかも、垂れていたので、折れているように見えていただけでした。

 こんなふうに下を向いて咲く花もあるのかと興味をそそられ、周囲を見回してみましたら、他にも似たような花がいくつかありました。桜木の下には、これと似たような花がいくつか咲いていました。横向きになっているものがあれば、いまにも首が折れてしまいそうなものもあります。いずれも花がまっすぐに立っていないのです。不思議な光景でした。


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 再び、立ち止まって、スマホで調べてみると、この形状の花は、カシワバアジサイというのだそうです。花は八重で、長い穂になって咲くといいます。葉の形が柏の葉に似ているから、この名前が付いたようです(※ 『あじさい』2008年7月)。

 もう一度、上記の写真を見てみましょう。

 確かに、説明されたように、葉は柏の葉に似ています。花は八重で、長い穂にもなっています。ところが、なぜ、このように垂れて咲いているのか、その説明がないので、腑に落ちませんでした。なぜ、このような形状になってしまったのでしょうか。ちなみにこの品種の原産地は北米東部だそうです。

 釈然としないまま、遊歩道を歩いていると、陽が射してきました。雨上がり後、木々の間隙を縫って、突如、陽光が射しこんできたのです。その陽射しを受けて、アジサイの発色が良くなったような気がします。

 色とりどりのアジサイがことさらに輝いて見えました。


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 アジサイといえば紫色というのが一般的なイメージですが、ここでは、赤味の強いピンク、水色、薄紫、薄黄色など、それこそ色とりどりの花弁が豪華絢爛、見応えがありました。

 不思議なのは、同じところに咲いているのに、なぜ、これだけバラエティ豊かな色彩をしているのか、ということです。中には同じ株のものもあるでしょう。それなのに、なぜ、これだけ多様な色彩のアジサイが一か所に群れて、咲いているのでしょうか。

■アジサイの花の色
 Wikipediaで調べてみました。すると、アジサイの花の色については次のように書かれていました。とても詳しく説明されているので、関連部分だけ抜き出して、引用しておきましょう。

「アジサイは土壌のpH(酸性度)によって花の色が変わり、一般に「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」になると言われている(リトマス試験紙と逆なので注意されたい)。これは、アルミニウムが根から吸収されやすいイオンの形になるかどうかに、pHが影響するためである。
すなわち、土壌が酸性だとアルミニウムがイオンとなって土中に溶け出し、アジサイに吸収されて花のアントシアニンと結合し青色を呈する。逆に土壌が中性やアルカリ性であればアルミニウムは溶け出さずアジサイに吸収されないため、花は赤色となる。したがって、花を青色にしたい場合は、酸性の肥料や、アルミニウムを含むミョウバンを与えればよい。

 同じ株でも部分によって花の色が違うのは、根から送られてくるアルミニウムの量に差があるためである。花色は花(萼)1グラムあたりに含まれるアルミニウムの量がおよそ40マイクログラム以上の場合に青色になると見積もられている。ただし品種によっては遺伝的な要素で花が青色にならないものもある。これは補助色素が原因であり、もともとその量が少ない品種や、効果を阻害する成分を持つ品種は、アルミニウムを吸収しても青色にはなりにくい。

 また、花色は開花から日を経るに従って徐々に変化する。最初は花に含まれる葉緑素のため薄い黄緑色を帯びており、それが分解されていくとともにアントシアニンや補助色素が生合成され、赤や青に色づいていく。さらに日が経つと有機酸が蓄積されてゆくため、青色の花も赤味を帯びるようになる。これは花の老化によるものであり、土壌の変化とは関係なく起こる」
(※ 詳細はhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%B5%E3%82%A4)

 これを読むと、まず、アジサイの花の色は、土壌のpH(酸性度)によって変化し、一般に、酸性なら青、アルカリ性なら赤になるようです。それは、土壌が酸性だとアルミニウムがイオンとなって土中に溶け出し、アジサイに吸収され、花のアントシアニンと結合して青色になります。反対に、土壌が中性かアルカリ性なら、アルミニウムは溶け出さず、アジサイに吸収されないので、赤色になるといった具合です。

 さらに、同じ株でも部分によって花の色が違うのは、根から送られてくるアルミニウムの量に差があるからだそうです。こうしてみると、アジサイの花の色はどうやら、土壌の酸性度、アルミニウム、個別株の遺伝的な要素などに影響されるといえそうです。

 そればかりではありません。開花からの経過時間によっても、花の色は変化するようです。

 そういえば、確かに、数日前に遊歩道で見かけたアジサイの色が、今回、濃い青色に変化していました。時間が経過すると、赤味を帯びるようになると説明されていますが、以前に見たときにはなかった赤味がかったアジサイを、今回は多数、見かけました。

 このような変化は、アルカリ性の強い土壌だからではなく、花の老化による色の変化だという説明です。土壌の酸性度ばかりではなく、時間の経過によっても、その色が変化していくという点にアジサイの大きな特徴があるようです。

 それでは、時と場所によって色が変化するアジサイを、人々はどう捉えてきたのでしょうか。

■色の変化をヒトはどうみたか
 アジサイはさまざまな種類がありますが、アジサイ全般に共通する花言葉とは、「移り気」「浮気」「変節」というものだそうです(※ https://www.creema.jp/blog/532/detail)。

 実際、アジサイの色は青から赤まで多様です。しかも、咲いたときから一貫して同じ色であり続けることもありません。このようなアジサイの色の変化は、誰もが日常的に認識できる大きな特徴です。つまり、同じアジサイでも、同じ株のアジサイでも、場所(土壌の酸性度)と時間(老化)によって、色が次々と変化していくのです。

 古来、ヒトは、アジサイの本質は、「変化」にあると見てきました。だからこそ、アジサイの花言葉として、「移り気」「浮気」「変節」を割り当てたのです。西洋アジサイの花言をみると、「移り気」「浮気」「高慢」「無常」でした。人々は洋の東西を問わず、次々と変化するアジサイの色に注目し、その特性を掬い取って、ヒトの人格に適用してきたのです。

「気持ちが変わりやすい」、「不実」、「一貫性がない」、というようなアジサイに重ね合わせた人格イメージは、万葉の時代にも見られます。

■大伴家持の和歌
 先ほど、アジサイの原産地が日本であるといいましたが、その割には、和歌に詠まれていないのが気になりました。万葉集に収録されているのはわずか2首です。そのうちの一つが、大伴家持の歌でした。

 言問はぬ 木すら紫陽花 諸弟らが 練りの村戸に あざむかえけり(第四巻 七七三)
(※ https://art-tags.net/manyo/poet/yakamochi.html)

 この歌は、大伴家持が坂上大嬢に贈った歌の一つとされています。坂上大嬢は、後に大伴家持が妻にする女性です。

 この歌の意味は次のように解釈されています。

「ものを言わない木でさえ、紫陽花のように移りやすいものがあります。(言葉をあやつる)諸弟(もろえ)たちの言葉にすっかりだまされてしまいました」
(※ https://art-tags.net/manyo/four/m0773.html)

 諸弟が何を指すのか、誰を指すのか、まだ解釈が定まっているわけではなさそうですが、大筋は理解できます。

 言葉を操るわけではない花の中にも、紫陽花のように変節しやすいものがあります。まして、言葉を操る諸弟(もろえ)ならなおのこと、変節を疑ってかかるべきなのに、騙されてしまいました・・・、というような意味なのでしょうか。

 いずれにしても、大伴家持が生きた時代にはすでに、紫陽花に「移り気」「変節」といったイメージがついていたことがわかります。

 ただ、私はこの歌をみて、「あざむかえけり」という箇所が気になりました。アジサイの色が変化していくだけで、「あざむく」という言葉を使うかしらと疑問に思ったのです。

 もっとも、アジサイの花に見えるものが実はガクで、実に見えるものが実際は花と花芯だということを、大伴家持が知っていたとすれば、話は違ってきます。花でもないものを花と思わせてきたアジサイは、ヒトを欺く花ともいえます。ですから、的を射た表現だということになります。

 このように解釈すると、この歌は「紫陽花」を取り入れることによって、季節と情感、人となり、人間関係、そして、人間観を余すところなく捉えることができているといえるでしょう。

 鬱陶しい梅雨の時期、随所で見かけるのがアジサイです。そのアジサイが、植物の通常システムから多少、逸脱していることを知って、私は大変、興味深く思いました。

 花に見えるものが花ではなくガクで、実に見えるものが実際は花と花芯であるというパラドックス、そして、場所(土壌の酸性度)と時(老化)によって、その都度、色を変えていくという変幻性、いずれも想像力を強く刺激してくれます。

 ヒトは場所と時間によって不在証明をすることができます。ところが、アジサイは場所と時間によって色を変え、見た目を次々と変貌させていきます。ですから、もしアジサイが自由に移動できるとすれば、場所と時間は不在証明にはなりません。植物なので、移動ということはありえませんが、雨の日の憂さ晴らしに、そのような想像力を働かせてみても、案外と面白いかもしれません・・・。(2020/6/18 香取淳子)

子どもの日:ショウブは私たちに何をもたらせてくれていたのか。

■子どもの日の入間川
 ゴールデンウィークだというのに、街角は人影もまばらで、閑散としています。ちょっと前まではスーパーでよく見かけていた子どもの姿も、入店規制されるようになったせいか、最近はほとんど見かけなくなりました。誰もが家に引きこもっているのでしょうか。

 それでも、スーパーではショウブが売られていました。子どもの日が近づくと、必ず、店頭に並ぶ季節商品です。入口付近に置かれているのを見かけると、わたしは、半ば条件反射的に、手を伸ばしてしまいます。

 手にした途端に、鼻を衝くのが、ちょっとクセのあるショウブの匂いです。他では経験したことのない、あの独特の香りに誘われるように、私の脳裏に、実家のヒノキの浴槽に浮かべられたショウブの葉が蘇ります。

 毎年、子どもの日になると、母はショウブを湯船に入れ、子どもたちを入浴させていました。ショウブ湯に浸かると、年中、健康でいられると言いながら、長いショウブの葉を湯に浮かべるのです。

 子どものころの私は、ショウブの匂いがあまり好きではありませんでした。ところが、母が毎年、子どもの日になると、決まってショウブ湯を使わせるので、いつしか、当然と思うようになってしまいました。

 母は年中行事を大切にする人でした。子どもの日に、ショウブ湯や粽、柏餅を欠かすことはありませんでした。ショウブにしても、粽や柏の葉にしても、どれも香りの強い植物です。とくに独特の香りを放つのがショウブでした。

 スーパーでショウブを見かけると、つい、買い求めてしまうのは、おそらく、ショウブが放つあの独特の香りのせいでしょう。あの香りがトリガーとなって、過ぎ去った子どもの日を再び、甦らせ、息づかせてくれるのです。

 5月5日、入間川遊歩道を訪れてみました。

 並木の緑は、わずか数日のうちに、いっそう濃くなっていました。時が駆け足で過ぎ去っていったのをこの目で確認しているようでした。この季節は葉の色や形、大きさが激しく変化します。可視化されているだけに、いっそう、時の過ぎるのが速いように思えるのでしょう。

■シャガ
 入間川遊歩道を歩いていると、路辺に小さな菓子箱が置いてありました。


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 菓子箱の中には、引き抜いたばかりの草のようなものがいくつも入っています。そういえば、以前、ここには、スイセンの球根が置かれていたような気がします。

 足を止めて、改めて見てみると、「どうぞご自由に シャガ」と書かれた紙札が添えられています。この草のようなものは、おそらく、「シャガ」という植物なのでしょう。

 すぐさま、スマホで検索してみると、アヤメ科の植物で、多年草だと説明されており、花弁の写真が掲載されていました。


(Wikipediaより。図をクリックすると、拡大します)

 模様入りの見事な花弁です。ただの草がこんなに綺麗な花を咲かせるようになるのでしょうか・・・。だとすれば、きっと、この辺に生えているはずだと思い、周辺を探してみました。

 道路に降りてみると、土手にスマホで見たのと似たような花が咲いているのを見つけました。


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 こちらは白ではなく、青紫ですが、ひらひらした花弁の形状が似ています。近づいてみることにしましょう。


(図をクリックすると、拡大します)

 こうしてみると、遠目には似ているように見えましたが、近づいて見比べてみると、なんだか少し違うような気がします。花の形状や模様が明らかに異なっています。シャガは模様入りと白の花弁が交互に組み合わされていましたが、こちらはそうではなく、縦に繋がって花が咲いています。しかも、シャガにはあった黄色と後の細かい斑点模様が、こちらにはないのです。

 ひょっとしたら、別の花かもしれません。気にしないで歩き進めることにしました。

■川辺で遊ぶ子ども
 川の方から子どもの声が聞こえてきました。見ると、河川敷には子どもや大人が数人、何やらのぞき込んでいます。川面に彼らの影が映り込み、のどかな光景が見られました。

 その近くに、青い小さなテントのようなものが見えます。どうやら、傍らで大人が座り込んでいるようです。ひょっとしたら、テントの中で子どもが休んでいるのかもしれません。


(図をクリックすると、拡大します)

 新型コロナウイルスのせいで、外出自粛が続いています。学校は休校になり、図書館、遊園地、公園も閉鎖です。いま、子どもたちの行き場はどこにもないのです。だからといって、いつまでも家に閉じ困っているわけにもいきません。親は思案の末、子どもの日ぐらいは・・・、という思いで、河原に家族で繰り出してきたのでしょう。

 河川敷には、のびやかな子どもたちの声に交じって、大人の声が響いていました。

 少し歩くと、川の中に入っている子どもがいました。周囲に保護者のような大人はいませんから、おそらく、地元の子どもたちなのでしょう。


(図をクリックすると、拡大します)

 それぞれ網のようなものを持ち、夢中になって、川面を覗いています。小魚でも獲っているのでしょうか。

 しばらく佇んで、子どもたちの姿を見ていると、桜木の葉を通して快い風がさぁーと吹いてきます。それがなんともいえず爽やかで、久しぶりに、気持ちが和んでいくような気がしました。

 のどかな光景が目の前に広がっており、気持ちが癒されました。

■ショウブの葉が連想させる刀身
 遊歩道に目を転じると、柔らかな陽光が、桜木の幹や枝の陰影を、路面にくっきりと刻み込んでいるのに気づきました。


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 木々の隙間から漏れた陽射しはそのまま伸びて、道路脇の草むらを柔らかく照らし出しています。まるでそこだけスポットライトを浴びたかのように、すらっと伸びた葉の形状が鮮やかに、浮き彫りにされていました。

 普段なら、きっと見過ごしてしまっていたでしょう。ところが、この時ばかりは、足を止めずにはいられませんでした。何の変哲もない草むらが陽光を浴びて、ひときわ輝いていたのです。まるで見てほしいといわんばかりでした。

 長く伸びた陽射しが、ありふれた光景を非日常の世界に変貌させていました。際立っていたのが、手前に群生している草です。一本、一本、根本から明るく照らし出されており、まるで剣のような鋭利さを見せています。

 周囲の草むらに沈み込み、存在感もなく群生していた葉が、陽光に照らされた途端に、主役になりました。まるでスポットライトを浴びているかのように、その葉の長さと形状がくっきりと浮き立ち、刀身のようでした。

 近づいてみると、先日、スーパーで買い求めたショウブとそっくりでした。背が高く、葉が剣のような形状をしています。手で触れてみると、しっかりとした厚みがあり、まさしく、先日、浴槽に浮かべたショウブと同じ感触でした。


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 刀身のような葉を見ていると、なぜ5月の節句を男の子の節句としたのかがわかるような気がしてきました。

 ショウブ(菖蒲)の形状は刀身を連想させるばかりか、ショウブは「尚武」(武道)と発音が同じです。

 慶應大学教授の許曼麗氏は、「菖蒲」の読み方について、次のように説明しています。

「萬葉集には菖蒲を詠んだ歌が十三首ある。ところが、この菖蒲について、古代の歌人たちは「あやめ」と混同していたようである。萬葉歌においては、表記は「昌蒲」、「菖蒲」、「安世女(売)具佐(左)」など様々であるが、いずれも、アヤメ、又はアヤメグサと読ませている。菖蒲(草)を詠んだ歌も、すべてアヤメ(グサ)と読ませている」(※ 「和歌が語る端午の様相」『慶應義塾大学商学部創立五十周年記念日吉論文集』、pp.97-108. 2007年)

 古来、菖蒲はアヤメと呼ばれてきたと許氏はいいます。それが、鎌倉時代になって、ショウブと呼ばれるようになったそうなのです。次のように記しています。

「鎌倉時代になり、菖蒲は「アヤメ」ではなく、「ショウブ」すなわち、尚武という意味が加えられ、伝来の歳時行事と渾然一体となり、現代生活の中、我々もよく知っている単語の節句の形を成したのである」

 古来、「アヤメ」と呼ばれてきた菖蒲が、鎌倉時代になってから、尚武という意味を付加するため、「ショウブ」になったと指摘しています。武家社会の価値観を反映し、「菖蒲」の呼称に変化が生じたというのです。5月5日を男の子の節句として武者人形を飾る風習もこれで理解できました。

 そもそも端午の節句は、中国から伝来した生活行事でした。

 許氏は、「五月は悪い月である。そのため、禁忌が多い」とし、「五色の糸で香袋を縫っては体に付けたり、粽を食べたり、雄黄酒を額に塗ったりする。または艾草で人形(艾人)を、菖蒲で蒲剣を作って家の扉に飾る」と記しています(※ 前掲)。

 日本では五月の節句は子どもの日、あるいは男の子の節句とされていますが、中国では五月は忌月とされており、端午節には避邪除災の行事が集中しているようです。中国から伝来してきた生活文化も、長い年月を経るうちに、日本社会に合うようアレンジされてきたのでしょう。

 ショウブは古来、薬効があるとされてきた植物の一つでした。そのせいか、ショウブ湯に入るという風習はいまなお、続いています。中国から伝来してきた行事のうち、健康志向のものは日本の生活文化として根付いているといえるのかもしれません。
 
■マムシに注意!
 遊歩道をさらに歩いていくと、巨大な桜木の下に、妙な立て看板がありました。


(図をクリックすると、拡大します)

 「マムシに注意!」と大きな赤い字で書かれています。これを見た途端、こんなところにマムシが出るのかと驚いてしまいました。マムシの名前は知っていますが、私はこれまで、一度も見たことはありません。

 それだけにこの看板にはちょっとした違和感を覚えてしまったのですが、桜木の下で生い茂る草むらを見ているうちに、ひょっとしたら、本当にマムシが出るのかもしれないと思えてきました。

 というのも、江戸東京博物館で開催された「江戸と北京~18世紀の都市と暮らし~」という展覧会で見た、子どもの腹かけに蛇の絵が描かれていたことを思い出したからでした。

 この展覧会を鑑賞したのは2017年4月8日でしたが、いまだに印象に残っています。特に印象に残っているのが、子どもの腹かけでした。(※ http://katori-atsuko.com/?s=%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%80%80%E5%8C%97%E4%BA%AC)

 中国では端午の節句になると、「五毒肚兜」といわれる腹かけを子どもたちに着用させ、健康を祈願するといいます。腹かけには「五毒」とされる「ヘビ、サソリ、クモ、ヤモリ、蛙」が図案化され、刺繍されています。

「五毒」がわかりやすくデザインされた腹かけをネットで見つけましたので、ご紹介しておきましょう。


(図をクリックすると、拡大します)

 なぜ、端午の節句にこのような図案の腹かけを子どもに着用させるのか、私は不思議でなりませんでした。さっそく、百度で調べてみました。すると、概略、次のような説明が出ていました。

 5月になると、ヘビ、サソリをはじめとする害虫が草むらから出てきます。子どもたちもまた、陽気になった戸外で遊ぶようになります。ですから、子どもたちが害虫から危害を加えられる危険性が高くなります。そこで、中国では、子どもや親に害虫に気をつけるよう、警告するために、あのような図案の腹かけをさせる風習が生まれたというのです。

「マムシに注意!」という立て看板を見て、ふと、江戸博物館で見た腹かけを思い出し、中国の生活文化の実用性、実利性を感じました。

 中国では端午の節句になると、子どもに「五毒肚兜」の腹かけを着用させる一方で、ショウブ湯に入れて、健康を祈願してきました。日本では端午の節句には武者人形を飾り、鯉のぼりを立て、ショウブ湯に入ります。中国の年中行事のうち、ショウブ湯を今に残る生活文化として取り入れてきたのです。ショウブには薬効があることが知られていたからでしょう。

 ショウブが薬草として重宝されていたことは、和歌にも表現されています。

■歌に詠まれた薬猟
 許曼麗氏は、「端午」という言葉の初出は、『続日本紀』の仁明天皇承和6年(839年)5月5日の項で、「是端午之節也、天皇御武徳殿、観騎射」と書かれていることを紹介しています。また、それより228年も前の推古天皇19年(611年)5月5日に、「十九年夏五月五日薬猟於菟田野、取鶏鳴時集于藤原池上以会明乃往之・・・」(『日本書紀』)の記述があるとし、端午にまつわる行事はそれ以前に中国から日本に伝わっていたと指摘しています(※ 前掲)。

 端午の節句はすでに万葉の時代には中国から伝来しており、関連行事も行われていたそうです。興味深いのは、5月5日に薬猟という行事が行われ、鹿茸や薬草を採っていたということです。時代が下るにつれ、形式的なものになり、騎射や競走馬に変わっていったようですが、薬草を採ることが宮中の行事になっていたとは、私には驚きでした。

 薬猟に関し、許氏は、次のような大友家持の歌を紹介しています。

 「かきつはた 衣に摺り付け ますらおの きそひ狩りする 月は来にけり」
(杜若 衣に摺り付け 丈夫の競い狩りする 月は来にけり)

 これは、『万葉集』に収録された歌ですが、許氏は、「杜若で染め上がった艶やかな服を着て、五月の競狩りに赴く古代人の姿が浮き出ている」と解釈しています。

 堂々とした立派な男性が端午の節句には杜若で染めた服を着て、薬猟に出かける時季が来たと詠っているのですが、私はこの句の中で、なぜ、「杜若」が使われているのかが気になりました。薬猟を歌に詠むとすれば、「杜若」ではなく、薬草の「菖蒲」ではないのかと思ったからでした。

「菖蒲」には薬効があるとされ、端午の節句に薬猟をするのはそのためだといわれていました。

 そこで、杜若と菖蒲の関係がどうなのか、調べてみることにしました。

■杜若か、菖蒲か、アヤメか
 語源由来辞典を引いてみると、杜若は、「花汁を摺って衣に染めるための染料にしていたところから、カキツケハナ(掻付花)カキツケバタ(書付花)の説が通説になっている」と説明されています。

 杜若は語源からいっても、染料としての役割が重視されていたといっていいでしょう。

 念のため、Wikipediaを見ると、杜若はアヤメ科の植物で、湿地に群生すると説明されています。写真が掲載されていましたので、ご紹介しておきましょう。


(Wikipediaより。図をクリックすると、拡大します)

 これが杜若です。中心の花弁は直立し、周辺の花弁は垂れています。その組み合わせが興味深く、独特の美しさを生み出していました。

 入間川の土手にも、これと似たような形状と色彩の花が群生していました。


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 近づいてみると、遠目には似ているように見えましたが、こうして見比べてみると、直立している花弁の形状が異っているように思えます。

 Wikipediaで調べてみると、これと似たような花が見つかりました。


(Wikipediaより。図をクリックすると、拡大します)

 花菖蒲と書かれています。

 確かに、よく似ています。入間川の土手で咲いていたのは盛りを過ぎていますが、直立した花弁の丸みや花弁のひらひらした様子が、この花菖蒲にそっくりです。

 そういえば、花菖蒲はアヤメともいわれます。

 そこで、Wikipediaを見ると、次のように説明されていました。

 アヤメの多くが山野の草地に自生しており、他のアヤメ属の種であるハナショウブやカキツバタのように湿地に生えることは、まれである。葉は直立し、高さ40-60cm程度。5月頃に径8cmほどの紺色の花を1-3個付ける。外花被片(前面に垂れ下がった花びら)には網目模様があるのが特徴で、本種の和名の元になる。花茎は分岐しない。北海道から九州まで分布する。

 また、次のようにも説明されています。

 古くは「あやめ」の名はサトイモ科のショウブ(アヤメグサ)を指した語で、現在のアヤメは「はなあやめ」と呼ばれた。アヤメ類の総称として、厳密なアヤメ以外の種別にあたる、ハナショウブやカキツバタを、アヤメと呼称する習慣が一般的に広まっている(※ Wikipediaより)

 こうしてみると、アヤメ、杜若、花菖蒲はいずれも、アヤメと呼称されていることがわかります。似たような葉や花の形状から、遠目には見分けがつきにくいからでしょう。

 Wikipediaのアヤメの項に、その見かけ方が表にまとめられています(※ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%83%A1)。

 これを見ると、大きな違いといえば、アヤメや杜若は、花の色数が少ないのに対し、花菖蒲はさまざまな色があるということです。

 土手にはさまざまな色の花が咲いていましたが、おそらく花菖蒲なのでしょう。

■種類の豊富な花菖蒲
 再び、道路に降りて、土手を見てみましょう。遊歩道からやや下がったところにピンク系の花が群生しています。


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 背後に桜の巨木が見えます。桜の木を中心に、辺り一帯の草花が集落を形成しているかのようでした。

 中でも気になるのは、彩り豊かな花菖蒲です。入間川沿いの土手には、複雑な形状をしたさまざまな花菖蒲が咲いていました。いずれも背は高く、葉は先ほど見たショウブのように、刀身のような形状をしています。

 印象に残ったものをいくつかご紹介していきましょう。

 まず、直立しているピンクの花弁に赤紫の垂れた花弁、この色合わせが面白く、見とれてしまいました。群生しています。


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 近づいてみると、こんなふうです。


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 まるでアヤメのように斑紋があります。何度見ても、やはり、花菖蒲かアヤメか、見分けが付きません。黄色の斑紋があるせいか、この花からは豪華な印象を受けます。

 白と濃い赤紫の取り合わせが素晴らしい花も群生していました。


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 どこかしら気高さがあります。

 近づいてみると、ここにもやはり、黄色の斑紋が見えます。


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 背が高く、草むらにすっくと立った姿が際立っています。
 
 見渡すと、直立した青の花弁に垂れた紫の花弁という取り合わせの花もありました。


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 こちらも群生しています。

 近づいてみると、華麗な佇まいが印象的です。


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 黄色というより黄土色の斑紋が大きく、そこだけまるで金色の文様が付いているかのようでした。これもやはり成熟しており、豪華な雰囲気を漂わせています。

 花菖蒲はなんと種類が豊富なのでしょう。

 これまでご紹介したのは主に、二色で構成された花でした。クリーム色、一色で存在感を放っている花もありました。


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 直立した花弁が丸みを帯びており、遠目からはバラのように見えました。柔らかな色合いが優しさを感じさせます。手前に見える葉も背が高く、形を崩さず、刀身のようにしっかりと立っていました。

 さまざまな花菖蒲が咲き乱れている土手は、まるで個性を競う展示場のようでした。どの花も背が高く、花弁の色や形状に存在感があって、惹きつけられます。花菖蒲の形状や色彩や文様は多様で、魅力に満ち溢れていました。

■5月の節句に、ショウブの薬効を思う
 許氏は、「杜若は菖蒲(あやめ)と非常に類似した植物である。しかし、菖蒲と同じように辟邪(悪魔を追い払う)の効果があると思われたのか否かは定かではない」と記しています(※ 前掲)。

 古来、ショウブは薬草として認知され、生活に取り入れられてきました。その後、時代が下るにつれ、美しい花を咲かせる花菖蒲に人々の関心が移っていきました。隠れた薬効よりも、見た目の美しさが価値を持つようになったからでしょう。

 ショウブはサトイモ科の多年草の植物で、滅多に花を咲かせることはなく、「アヤメ」や「花菖蒲」とは明らかに異なるといわれています。特に地下茎には芳香があり、薬効があるとされています。中国ではその芳香が邪気を払い、長寿の源泉になると考えられてきたそうです。

 日本に伝わってきた当初はそのようなところに価値が置かれ、薬猟といった行事にも取り入れられていたようです。ところが、そのような行事はやがて形骸化し、今ではせいぜい、子どもの日にショウブ湯に入るぐらいになってしまっています。

 いつごろからか、薬草を生活に取り入れ、健康を維持していく生活習慣が廃れてしまったように思えます。縦断的な生活文化を伝える担い手がいなくなり、横断的なマスメディア主導の生活文化が中心になっていったせいでしょう。

 そんな今、新型コロナウイルスに世界中が翻弄されています。

 食糧の確保、防疫対策がどれほど大切なことか。様々に行動を規制され、経済的に追い詰められたいま、ようやく、縦断的に生成されてきた生活文化の価値を思い知らされているような気がします。(2020/5/12 香取淳子)

桜が散り、ツツジが咲きました。

■早緑色に染まった遊歩道
 4月16日、入間川の遊歩道に出かけると、桜の花は散り、葉桜として道の両側を覆っていました。あれほど華麗だった川辺から華やかさがすっかり失われ、まったく別の場所に来たような気分にさせられました。

 いつの間にか、遊歩道を取り囲む桜の木々が、華やかさから若さへと、アピールポイントを変貌させていたのです。

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 可憐な淡いピンクの花は、早緑色の葉桜となっていました。もちろん、ピンクであろうが、早緑であろうが、桜花(葉)の可憐さに変わりはありません。小さく群生した葉桜は、風にそよそよと揺らぎながら、太くて黒い幹や枝を引き立てていました。軽やかに揺れる桜葉は、雄々しく伸びる幹や枝の堅固さをことさらに強調し、見事な明と暗、動と静のコントラストを見せています。

 早緑(さみどり)という表現がぴったりの光景が、目の前に開けていました。

 見上げると、小枝の先に群生する葉が風にそよいでいました。葉の一つ一つがなんと小さく、そして、なんと繊細な動きを見せているのでしょう。薄く、柔らかく、まるでその先に見える空に溶け込んでいるかのようでした。

 よく見ると、周囲と溶け合っているようでいながら、一枚一枚、その形状は意外に明瞭で、空を背景に、しっかりと自らの存在を誇示していました。

 今、何気なく、早緑という言葉を使ってしまいましたが、これほど見事に春の訪れを示す言葉はないでしょう。

 桜の花が散ったかと思えば、そっとやって来て、その葉を淡く柔らかな色合いに染め上げます。そして、いつの間にか、誰も気づかないうちに去ってしまう・・・、そんなところに、「早緑(さみどり)」の妙味があります。

 ほんのひととき、自らを輝かせるところに、なんともいえず微笑ましい謙虚さが感じられるのです。まるで春の訪れを伝えるためだけに色づくのが「早緑」です。主張しているわけではないのに、不思議な存在感があって、心惹かれます。

 5月5日、再び、訪れてみると、桜の葉はすでに、「早緑」から「緑」に変貌しつつありました。

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 これを見ると、葉が大きくなり、色合いもやや濃くなりはじめているのがわかります。群生している葉が大きくなったせいか、桜並木はうっそうとした趣をみせはじめていました。

■母が教えてくれた「さみどり」
 どういうわけか、私はこの言葉が好きで、この季節になると使ってみたくなります。使う場がなければ、ひそかに、「さ・み・ど・り」と、一語一語区切って発音してみることもあるぐらいです。

 口に出してみると、言葉の響きが優しく、柔らかく、次第に、安らぎに満ちた気持ちになっていきます。ひょっとしたら、この言葉がきっかけで、若い頃の母を思い出すからかもしれません。

 小学校に入る直前の春、母と一緒に庭にいたことがあります。ちょうど木々が芽吹き始めたばかりで、そこかしこに柔らかい新芽が小枝から顔を出していました。黄緑色に光る葉の様子を見つめていると、母はその一つを指さし、「これは、さみどり、っていうのよ」と教えてくれました。

 聞きなれない言葉だったので、不思議に思い、「きみどり?」と聞き返すと、「さみどり、よ」と、はっきりと口調で母はいいました。そして、若葉に手を触れ、「小さな緑だから、さみどりっていうのよ」と説明してくれました。

 私は「きみどり」は知っていましたが、「さみどり」はそれまで聞いたことがありません。この時、はじめて聞いた言葉でした。

 母の説明を聞いて、緑にも小さいのがあることを知って、なんだか、とても嬉しくなってしまいました。途端に、「みどりいろ」をした葉や草がとても身近に思えるようになったことを思い出します。

 どんなものでも、小さなものが好きだった私は、「小さな、みどり」という母の説明に惹きつけられました。そして、ヒトと同じように「みどり」にも、赤ちゃんや子ども、大人、老人といったものがあるのだと思うと、急に親近感を覚え、世界が広がったような気がしたものでした。

 この時期の葉の色を表現するのに、黄緑という言葉があります。ところが、「さみどり」という言葉を知ってからというもの、私にとって「きみどり」は、単に色を表現した色彩語にすぎなくなりました。音の響きが強く、しかも、「さみどり」に含まれている馥郁とした味わいも感じられず、ただ色彩情報を伝えるだけの記号でした。

 母は「さみどり」を、「小さいみどり」と説明してくれました。ところが、いま、パソコンで「さみどり」と入力すると、「早緑」と漢字に変換されて、「小緑」にはなりません。また、辞書には「さみどり」は「早緑」と登録され、「若葉や若草の緑色」と説明されています。ひょっとしたら、母は、小さな私が理解できるように、「さみどり」を「小さな、みどり」と説明してくれたのかもしれません。

 当時、母は30歳前後でした。優しく、穏やかな中に、どこか毅然としたところがありました。ちょうどこの時期の「さみどり」のような人だったといえるかもしれません。自己主張することなく、周囲と調和して暮らしていました。それでいて、決して流されることなく、そこかしこに母らしさを貫いていました。そんなところを見て、私は子ども心に、母には毅然としたものがあると感じていたのでしょう。

■桜木の間に咲くツツジ
 4月26日、木々の間にツツジが咲いていました。遊歩道には一定の間隔で、桜木の間にツツジが植えられています。そのツツジが花開くと、葉桜になっていた並木道が一転して、新たな景観を見せていました。

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 明るい陽射しを浴びて、木々や枝が遊歩道にくっきりとした陰影を落としています。ピンクがかった鮮やかな赤が、桜木の緑に華を添え、どことなく浮き立つ気分にさせてくれます。

 それにしても、なんと目に鮮やかな光景なのでしょう。

 大きく太い桜木の下に、そっと寄り添うように、灌木のツツジが咲いています。

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 つい一週間ほど前までは可憐な風情を漂わせていた桜が、いつの間にか、葉桜になり、緑が濃くなってくると、今度は、雄々しい威容を見せ始めていました。太くがっしりとした幹や枝には、時を経て、風雪に耐えてきた強さが表れています。改めて、桜には可憐さと雄々しさが共存していることがわかります。

 巨木の根元に蹲るように花を咲かせたツツジが、いま、この遊歩道の主人公です。遠くを見ると、白いツツジ、そして、その先には赤いツツジが見えます。

 まず、赤系ピンク色の花にズームインしてみましょう。

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 近づいてみると、存在を強く主張するかのように大きく開いた5枚の花弁が、ことさらに印象的です。この季節になると、どこでも見かけるツツジですが、じっと見ると、平凡ななかにも生活に根付いた美しさが感じられます。

 白い花も見事です。

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 花は大きく、花芯が数本、優雅な弧を描いています。ありふれた花なのに、こうして近づいてみると、典雅な美しさがあり、意外な存在感があります。

 中には、赤と白の花を咲かせる木を交えて植えられているところもありました。

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 こちらの花弁は開花しきっていないせいか、まだ小さく、量では圧倒されますが、花そのものの存在感はそれほどでもありません。むしろ、その後方に見える桜木の早緑色の葉が、さわやかに背後の空を染め上げているのが目につきます。

 枝先を見れば、早緑色の葉がさらに淡く、柔らかさを湛えたまま、まるで空に溶け込んでしまいそうです。枝先の辺り一帯は霞みがかったようにぼんやりとし、エッジがきわだっていないせいか、気持ちが緩み、思わずまどろんでしまいそうです。

 ふと、「みどりの空」という表現が思い浮かびました。

■みどりの空
 かつて、日本には「みどりの空」という表現があったそうです。

 国文学者の森田直美氏は、色彩語としての「みどり」の色相領域を古典文学の様々な表現を踏まえ、考察しています。結論として、古典文学の「みどり」にはブルーが含まれていた可能性があると指摘しています(※ 「古代における「みどり」の色相領域を再考する」、『中古文学』第78号、2006年12月)。

 古典文学から様々な表現が紹介されていました。その中で、興味をひかれたのが、次の句です。

 かすみはれ みどりの空ものどけくて あるかなきかにあそぶ糸遊
(霞晴れ 緑の空ものどけくて あるかなきかに 遊ぶ糸遊)

 この歌は『和漢朗詠集』415の「読み人知らず」の作品です。この歌については、うっすらと記憶に残っていますから、きっと、高校の時に学習したのでしょう。うららかな春の日の情感がとてもよく表現されています。

 糸遊というのは、陽炎(かげろう)を指します。

 霞が晴れ、天気のいい春の日には、温度が上がった地面から空気が立ち上り、ゆらゆら揺れているように見えることがあります。それを、作者は、「あるかなきかにあそぶ糸遊」と表現し、愛で、楽しんでいるのです。

 この歌からは、平安時代の人々が自然現象の中に、愛おしさや美しさを見出し、それを言葉にして楽しんでいたことがわかります。そこには自然を観察し、なんらかの価値を発見し、作品化する過程が介在します。つまり、歌を詠むという行為には、美を堪能するセンスと表現欲、高度な言語処理能力が必要なのです。平安時代の人々は、それを一種の娯楽として楽しんでいました。なんと素晴らしい文化を日本人は育んでいたのでしょう。

 入間川遊歩道の葉桜やツツジを見れば、平安人はどのような歌を詠むでしょうか。

■「さみどり」の下で感じた、小さな幸せ
 早緑の季節に、遊歩道を歩いていると、わけもなく若い頃の母が思い出され、記憶に残る平安時代の歌が脳裏を横切りました。

 暖かい陽光を背に受けてゆっくり歩き、時に立ち止まって、歩を進めているうちに、幸せな気分が満ち溢れてきました。それはきっと、「さみどり」を教えてくれた若い頃の母や、「みどりの空」を詠み込んだ平安時代の歌人が、忘れかけていた大切なものを思い出させてくれたからでしょう。

 機能性、合理性が優先され、あらゆるものが尺度化された生活空間の中で暮らしていると、色彩ですら、カラーチャートに従って認識するようになってしまいます。

 あれほど気持ちを動かされた「さみどり」は、小学校に入ると、たちまち、無いも同然になってしまいました。母が教えてくれた「さみどり」は、カラーチャートのどこにも見当たらなかったのです。

 いつしか、草や葉を表現する色は、「黄緑」「緑」「深緑」に限定されてしまいました。クレパスやクレヨンの色彩のバリエーションがこのぐらいだったからです。気持ちを揺り動かされることなく、選択し、組み合わせて表現するしかありませんでした。そのことに、子どもの頃から、なんとなく違和感を覚えていました。それはおそらく、これらの言葉が色彩を即物的に表現する語でしかなかったからでしょう。

 草や葉にもライフサイクルがあり、生きてきた時間は着実にその色に反映されます。ところが、機能的に尺度化されたカラーチャートの色彩には、その種の情報が含まれていません。幼かった私が、「さみどり」という言葉から感じ取った葉の生命を、「きみどり」という語からは感じられないのです。「きみどり」は、機能的に色彩を識別する記号でしかありません。

 そんなことを思いながら、ふと、路辺を見下ろすと、下草に埋もれるように、小さな段ボール箱が置かれていました。

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 近づいてみると、水仙の球根が多数、入っていました。それらの球根の間に、「ご自由にお持ち帰りください」と書かれた札が添えられています。

 立ち止まって、見ているうちに、再び、幸せな気分になっていきました。(2020/5/7 香取淳子)

桜を見て、新型コロナウイルス由来のパラダイムシフトを思う。

■新型コロナウイルスが一変させた街の光景
 新型コロナウイルスがいま、世界を大きく変貌させています。メディアは日々、感染者数、死者数を報道し、人々の危機感を煽っています。一方、政府や都府県などの行政は人々に外出の自粛を求め、対面接触の自粛を要請しています。おかげで街の光景は一変してしまいました。

 通りを歩いても、道を行きかう人々はみなマスクをし、誰とも語らうことなく、足早に歩いています。見渡せば、ほとんどのお店はシャッターを下ろし、開店しているのはわずか、スーパー、コンビニ、ドラッグストアなどです。

 スーパーで買い物をして、清算しようとすると、いつもと違ってレジ前には透明のシールが設置されています。飛沫感染を防ぐためですが、キャッシュカードも自分で操作して支払う仕組みに変わっていました。店内では間隔を空けて並ぶよう何度もアナウンスがあり、レジ前にはラインが引かれ、待つ位置が決められています。いつの間にか、さまざまなところで非対面、非接触が徹底されていました。

 ほんの一か月ほど前は、街もこれほど閑散としていませんでした。まだお店は開いており、人々は明るく言葉を交わしながら、街を歩いていました。ところが、いまはそれが遠い昔の光景のように思えます。

 3月、4月といえば、例年、卒業式、入学式の季節です。これまでは晴れ姿の親子連れを度々、目にしたものですが、今年はそのような光景を目にすることもありませんでした。入園式、入学式、入社式など、桜とセットで行われてきた晴れの儀式も今年は行われず、ただ、桜だけが咲いて、散っていきました。

 2020年春、新型コロナウイルスが猛威を振るい、激動の様相を見せ始めています。その余波を受けて、桜が咲いて、散っていくプロセスを楽しむこともできないまま、春が過ぎていこうとしているのです。そこで、今回は、桜の開花から散るまでの様子を振り返ってみたいと思います。

 そういえば、3月29日、桜が咲いたというのに、季節外れの雪が降りました。ひょっとしたら、なんらかの予兆だったのでしょうか。

■季節外れの雪
 2020年3月29日、朝起きると、雪が降っていました。窓を開けると、辺り一面が少しずつ雪で白く覆われていくのが見えます。じっと見ているうちに、入間川の桜がどうなっているのか、気になってきました。

気になり始めると、もう居ても立っても居られません。雪が降りしきる中、西武線に乗り、桜並木を見に出かけました。酔狂だといわれるかもしれませんが、桜の季節に雪が降るなど、滅多に経験できるものではありません。出かけなければ、きっと後悔すると思い、出かけてみたのですが、決断して正解でした。

 着いてみると、入間川の遊歩道はこれまでとは違った趣を見せていました。

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 花も木も遊歩道も、いたるところ、雪に覆われていました。中には、雪の重みで枝がいまにもスロープについてしまいそうな木もありました。

 花弁もまた雪の重みで、大きくしな垂れています。見上げてみると、桜の花びらに雪が積もり、大きく膨らんで見えました。ボリューム感たっぷりで、前回見た、可憐な風情はすっかり消え失せていました。

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 路面をみると、一面に桜の花が散り、淡いピンクの道がどこまでも続いていました。風が吹き、雪が吹雪いて、花びらが散り、遊歩道を優雅な模様で飾り立てていたのです。

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 ただのアスファルトの遊歩道が、桜の花のおかげで、見違えるように変身していました。季節外れの雪と桜の花によって、辺り一帯が幻想的で、風雅な様相に変貌していたのです。

 もちろん、雪が降ったからと言って、これでもう今年の桜が終わったというわけではありません。まだ4月に入っていないのです。

■最後の輝きを見せる桜
 2020年4月6日、再び、入間川沿いの桜並木を訪れました。澄み渡った青空の下、桜の花は眩いばかりの美しさを見せていました。

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 黒く太い幹から四方八方に伸びた枝には、可憐な風情の花弁が群れたまま、軽やかに風にそよいでいます。淡いピンクの桜花は、黒く太い幹に引き立てられるように、辺り一面を明るく輝かせています。

 思わず、見惚れてしまいました。花と幹の色彩が絶妙なコントラストを見せていただけではありません。動と静、軽と重、儚さと堅固さといった具合に、想念をさまざまに刺激するコントラストが、桜の花と幹のモティーフには含まれていたのです。

 桜の花は鮮やかでありながら、清らかで、潔く、そして、可憐な風情を漂わせています。一方、黒く太い幹や枝に小さな花びらが群生する様子は妖しく、なんともいえない美しさをたたえています。

 見ているうちに、ふと、梶井基次郎の「桜の樹の下には死体が埋まっている!」というフレーズが脳裏をよぎりました。高校生のときに読んだままですが、美しさを表現するにはあまりにも衝撃的なので印象深く、いまだにこのフレーズを覚えていたのです。

 梶井は桜の花を見て、その美しさに打たれます。その部分を原作から引用してみましょう。

「いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽が完全な静止を澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心を撲たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ」(※青空文庫より)

 梶井は桜の花を、「どんな樹の花でも」と一般化しながら、生命の盛りを迎えると、それは周囲に神秘的な雰囲気を発散させるというのです。ちょうど燃え盛る生への欲求が放つ後光のようなものであり、そのオーラが見る者の心を打つといいます。桜の花には、そのような得体の知れない、輝くような美しさがあるというのです。

 梶井は、桜の花を美しいと思い、それが得体の知れなさに根差していると思うだけに、やがて不安になっていきます。

 そして、次のように解釈します。

 「おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう」(※ 青空文庫より)

 梶井は、その得体の知れない美しさの起源を、「一つ一つ屍体が埋まっている」と想像することで納得するのです。この世のものとも思えないほどの美しさには、「死」のイメージが作用しているからだと考え、理解したといっていいでしょう。

 ところが、そう解釈して納得できるようになってみれば、今度は、不安に襲われてしまうのです。ここに、梶井の美に対する複雑な心理的反応を読み取ることができます。

 梶井は、桜の花の背後に、成熟と死を想像することで、その美しさを観念的に完結させています。そして、成熟し、いま、まさに枯れようとするとき、桜は最後の美しさを見せると総括するのです。

■多義性を孕む美しさ、そして、哀れの情感
 古来、日本を代表する花として、桜は多くの人々から好まれてきました。それは、桜にこのような多義性が含まれているからかもしれません。とくに、生と死といったアンビバレントな要素を合わせもつところに、多くの日本人は哀れを感じ、美しさを感じるようになっていたのでしょう。

 さて、桜並木は所々、木々の陰を路面に落としながら、どこまでも伸びています。路面を見ていると、まるで、どこか別世界に誘われでもするかのような錯覚に襲われます。

 ふと我に返り、頭上を見上げると、すでに花は落ち、葉だけをのぞかせている枝がいくつもあります。桜の花はもはや峠を越し、華やかさを失いつつあるということなのでしょう。とはいえ、下の写真を見ると、左上の枝にはまだ多くの花弁が陽光を受け、白く光って見えます。まさに、最後の輝きを見せているのです。

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 見ていると、ふと、「花の色は 移りにけりな・・・」というフレーズが頭の中で響き渡りました。子どもの頃、百人一首で親しんだ歌で、すぐにも暗唱することができます。

 「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」

 これは、古今集に収録された小野小町の歌です。

 毎年、お正月を迎えると、家族で百人一首を楽しんでいました。子どもながら、「花の色は 移りにけりな」というところが気になって、すぐに覚えてしまいました。意味もはっきりとわからないまま、この歌は私の十八番でした。

 この写真の桜の木には、花が散って葉だけになった枝もあれば、まだ華麗な花弁を残している枝もあります。それを見て、脳裏をかすめたのが、この歌でした。桜を見るたび、反射的に思い出してしまいます。それは、時の経過がモノの姿を変え、存在意義すら大きく変えてしまう現実が詠み込まれているからでしょう。

 小野小町はたいそう美人だったといいます。だからこそ、時が移ろうにつれ、衰えていく容色に耐えられない悲しみを抱いたのかもしれません。

 鮮やかに開花してはすぐさま散ってしまう桜の花には、確かに、時の経過が凝縮して示されています。生(咲く)から死(散る)へのプロセスがとても短いのです。小野小町が桜にわが身を重ね合わせ、歌を詠んだのも、このドラマティックなプロセスに歌心を刺激された可能性があります。

 子どもの頃はわからなかったこの歌の意味がいま、手に取るようにわかるようになりました。大したこともできないまま、歳を重ねていくうちに、いつの間にか、容色が衰え、身体の自由も効かなくなってしまったという思い・・・。悔いてもはじまらないのですが、この歌には、高齢になれば誰しも味わうに違いない感情がとてもよく表されていると思います。

 それでは、桜並木に戻ってみましょう。

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 この写真を見ると、上の方の枝にはまだ淡いピンクの花がついていますが、下の方の枝はすでに葉桜になっています。そして、桜花や葉桜をつけた枝がやさしく風にそよいでいます。花が散った後の新芽と、散らずに残った花とが一本の樹の中でみごとに共存しているのです。

 ヒトとは違って桜は、花が散れば、すぐさま若葉が出て、早緑の輝きを見せ始めます。死(散る)と誕生(新芽)がほぼ同時に発生します。死と生が密接に結びついているのです。桜ならではの情感といえるでしょう。

 さまざまな表情を見せてくれる桜の木をみてくると、古来、ヒトが桜にさまざまな思いを託して来た理由がわかったような気がします。

 さて、桜にはソメイヨシノと八重桜があります。これまでご紹介してきたのはソメイヨシノでした。3月中旬から下旬にかけて開花します。

 入間川遊歩道には、それよりも遅く開花する八重桜も植えてありました。

■葉桜から八重桜へ
 4月15日、性懲りもなく、また、入間川遊歩道を訪れました。

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 予想通り、ソメイヨシノは完全に葉桜になっていました。よく見ると、その先に赤紫色の花が見えます。

 近づいてみると、見事な八重桜でした。向きを変えて撮影したのがこの写真です。

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 ソメイヨシノとは違って、このボリューム感に圧倒されます。花の下から撮影すると、さらに、どっしりとした重厚感が感じられます。

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 桜といいながら、この花には可憐という表現は似合いません。楚々とした風情はなく、どちらかといえば、豪華なボタンのような印象です。

 新型コロナウイルスのせいで、桜見会は中止され、さまざまなイベントも次々と中止になりました。その代わりといってはなんですが、今回、入間川の桜並木をご紹介しました。人の往来も少なく、ゆっくりと桜の様相を見ることができたような気がします。

■新型コロナウイルスはパラダイムシフトの予兆か?
 桜の花が咲き、散って葉桜になってもなお、新型コロナウイルスの猛威はとどまりません。いまや世界中に拡散し、日々、感染者数、死者数が増えています。それに合わせ、各国政府は一様に、都市封鎖、外出禁止、外出自粛などの対策をとっています。新しいウイルスに対する治療方法はまだ確定されておらず、確たる治療薬もまだ開発されていません。ですから、感染源を物理的にシャットダウンするしか方法がないのが現状です。

 その結果、さまざまな社会活動に対する影響が出ており、経済活動が停滞しています。あっという間に、世界中が貧困化し、生命を絶とうとする人さえ出かねない状況に陥ってしまったのです。感染して死ぬか、経済的に行き詰って死ぬかの二択がささやかれるほど、死が身近なものになってきました。

 どうやら、このまま感染が終息しなければ、好むと好まざるとにかかわらず、人々は行動を制限された生活を強いられることになりそうです。仮に終息したように見えたとしても、ウイルスがヒトの体内で息を潜めているかもしれません。いずれにせよ、感染を避けるために、非対面、非接触のコミュニケーションに移行せざるをえなくなっています。

 テレワーク、オンライン授業、オンライン会議などは、新型コロナウイルス騒動によって、大きく推進されるでしょう。折しも先進諸国では5Gネットワークが開始されています。5G、AI、ビッグデータを活用した社会変革もまた当然、推進されるでしょう。

 このまま年内に終息するのか、あるいは、ウイルスが常態化してしまうのか、それはわかりません。仮に年内に終息したとしても、おそらく、新型コロナウイルス発生以前の社会にはもはや戻ることはできないのではないかと思います。

 世界が歩調を合わせて、感染者数、死者数を逐一報道し、一斉に都市封鎖、外出制限などの対策をとっています。感染力は弱いといわれ、死者数はインフルエンザの方が多いといわれながらも、各国とも過剰に思えるほどの対策をとっています。時間差で似たような政策を展開しているのをみると、世界各国が一斉に、新型コロナウイルスの発生を契機に、パラダイムシフトに取り組んでいるようにみえるのです。

 今年、桜が咲いてから、季節外れの雪が降りました。大きな社会変動の予兆でなければいいのですが・・・。(2020/4/20 香取淳子)