ヒト、メディア、社会を考える

19日

「第17回DOMANI・明日展」で見た入江明日香氏の作品

■「第17回DOMANI・明日展」で見た入江明日香氏の『Le Petit Cardinal』
出口に近いコーナーに展示されていたのが、入江明日香氏の作品です。どれも精緻で完成度が高く、華麗な画風に惹き付けられました。しかも、展示された7作品のうち、3作品が横5メートル以上という巨大なものでした。パワフルな制作力に感嘆させられます。

なかでもその表現力、構想力に圧倒されたのが、2014年に制作された『Le Petit Cardinal』という作品です。パリでの研修が2012年度ですから、この作品には研修の成果が反映されているといえます。

どのような作品なのか、「第17回DOMANI・明日展」のホームページから見てみることにしましょう。

こちら→ http://domani-ten.com/artist/exhibition/asuka_irie.php

■入江作品に登場する少女や少年たち
入江作品には必ずといっていいほど少女や少年がモチーフとして登場します。共通しているのはその表情で、とくに、どこか遠くを見つめているようなまなざしが印象に残ります。身体はそこに存在していても、心は存在しない・・・、とでもいえばいいのでしょうか。たとえば、大作『Le Petit Cardinal』の前で私が引き付けられたのは、中央に大きく描かれた少年の姿です。ここでは、ちょっと上目使いのまなざしが気になります。

入江明日香

少年は建物の形をした紙箱のようなものを両手いっぱいに抱えています。その姿勢は、誕生日か何かで抱えきれないほどのプレゼントをもらったときの姿勢と重なります。少年にとってはうれしい、心弾むひと時のはずです。ところが、いくつもの紙箱を落とさないように注意しているからでしょうか、少年の目にはそこはかとない不安が宿っています。よく見ると、紙製の建物のいくつかは壊れかかっており、それは震災後の被災状況のようにも見えます。そして、屋根らしきものの上にはなぜか着物姿の女性が座り、下を見ています。今にも落ちそうになっている姿勢を必死で立て直そうとしているかのようにも見えます。

少年を中心に構成したこのピースひとつとってみても、入江氏の非凡な着想力、表現力がわかります。少年が紙箱を抱え持っている姿は誰もが日常的に経験する幸せの構図です。いわば見慣れた光景ですが、その中に、非日常がもたらす不安、恐怖、怯えなど、幸せとは対極にある世界を平然と、しかも華麗なタッチで入れこめているのです。

■「見る人の記憶に残るような作品づくり」を目指して
制作に対する意気込みを問われ、入江氏は「見る人の記憶に残るような作品、展示を目指しています」と答えています。このインタビュー記事を読んだ後、あらためて展示作品を観てみたのですが、どの作品も「一度、見たら忘れることができない」ほど、強い訴求力があります。それは華麗に描かれた無垢な少女や少年の中に、不安感を喚起する要素を組み込んで表現しているからかもしれません。

たとえば、『Le Petit Cardinal』の少年は、そのまなざしの特徴から、現在でありながら現在ではない時間を生きているように見えます。さらに、その姿勢と構図から、一見平和な日常生活の中にいながら、実は悲惨な被災状況の只中にいるようにも見えます。壊れかかった紙製の建物を抱えている姿はまるで被災後の難局をあますところなく抱え込んでいるかのようです。

しかも、その主体はまだ保護者の庇護の下にいるような少年なのです。まだ大きな恐怖も不安も怯えも経験したことがないような時期の少年をモチーフに、リアルではない形で悲惨な被災状況を盛り込んでいます。その結果、このピースだけ見ても、ヒトが誰しも無意識のうちに抱いている漠然とした不安感が見事に表現されているのです。

■これまでの作品
入江氏のこれまでの作品を観ると、精緻で完成度が高く、装飾的要素が強いことが共通していることがわかります。

こちら→ http://www.asuka.mimoza.jp/gallery.html

少女、少年、花、動物などが華麗なタッチで表現されているのですが、いずれの場合も漠然とした不安感が漂っています。このように現代社会の華やかな表層の背後にある暗黒の深層が鮮やかに捉えられているのが、入江氏の作品の特徴であり魅力なのだと思います。

どの作品も華麗で装飾的なのは、銅版画のコラージュという手法を採っているからかもしれません。銅版画は一種独特の色彩を生み出すようです。筆だけでは表現できない銅版画の表現効果が好きだという入江氏の作品には他の追随を許さない独自性があります。商業的にも成功しそうに思います。(2015/1/19 香取淳子)