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和田淳氏の『グレートラビット』

和田淳氏の『グレートラビット』

■「第17回DOMANI・明日展」で見た和田淳氏の『グレートラビット』
「第17回DOMANI・明日展」ではアニメーションも上映されていました。7分間の映像作品です。2011年にイギリスに行って研修し、2012年に制作したのがこの『グレートラビット』なので、たしかに在外研修の成果といえるでしょう。この作品はベルリン国際映画祭銀熊賞など国内外で受賞しています。

ホームページには53秒の映像がアップされていますので、ご紹介しましょう。
作品の一端を知ることができます
 
こちら→ http://kankaku.jp/independent-jp/rabbit.html
 

登場するキャラクターはいずれもふくよかで、どこを触れてみても、そこはかとない温もりが伝わってきそうです。手書きのアニメーションだからでしょうか、ほのぼのとした暖かさが画面全体にあふれています。描かれた線は柔らかく、動きものんびりとしており、安らぎが感じられます。
 
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■気持ちいいという感覚
和田氏はインタビューに答え、次のようにいっています。
 

人間が心や体の奥底で持っている気持ちいいと思う感覚のようなものが、自分の作品で表現でき、さらに作品を観た人にそれを呼び起こさせるということを喜びとしている私にとって、もし自分がつくっているものがアートなのだとしたら、アートとはそういうことができるものなのではないかと思っています。
 
… 「第17回DOMANI・明日展」カタログ・インタビュー(p.18)より

 
たしかに彼の作品を観ていると、身体の奥底から気持ちいいという感覚が立ち上ってきそうです。丸みを帯びたキャラクターの形態、おだやかな輪郭線、淡い色彩、そして、和紙の感触の残る背景。つい見入ってしまいますが、見終えるといつの間にか、いい気持ちになってしまっているのです。おそらく、対立、葛藤、競争、等々といった鋭角的な要素が注意深く作品から排除されているからでしょう。

 
■気持ちいい動き、気持ちいい音
この作品で音声の存在はきわめて希薄です。何をいっているのかわからない小さな雑音のような音声が、時折り挿入されるだけです。ですから、私は観客の意識を映像に集中させるために敢えて音声を絞り込んでいるのかとおもっていたのですが、どうやら違うようです。彼はインタビューに答えて次のようにいっています。
 

気持ちいい動きを思い描く時には、頭で気持ちいい音も同時に鳴っているので、どのような音をどのタイミングで入れるかは、どのような動きがどのタイミングで動くのかと同じように重要なのです。両方あって初めて成立するものだと思うので。
 
… 「第17回DOMANI・明日展」カタログ・インタビュー(p.19)より

 
映像から鋭角的な要素を排除したように、音声からもその種の要素を排除しようとすると、結果として、小さな、何をいっているかわからない騒音のような音声を時折り、挿入するということになってしまうのでしょう。

 
■ストーリー
さらに、和田氏は次のようにもいいます。
 
作品を考える時に、最初にストーリーというものを考えません。まずある動きやシチュエーションを思い浮かべて、それが何故そういう動きをするのか、それがどういう展開をすれば面白いかを考えます。そしてそれらをどのようにつなげれば作品として成立するかを考えながらストーリーのようなものを紡いでいきます。
 
… 「第17回DOMANI・明日展」カタログ・インタビュー(p.19)より

 
作品づくりの端緒は動きとシチュエーションだというのです。最初に全体像を決めて、細部を掘り起こしていくというスタイルではなく、気になる動きやシチュエーションが最初にあって、それから展開を考える際にストーリーを組み立てていくというのです。「気持ちよさ」というものを動きやシチュエーションの中に見出すだけではなく、作品全体の意味として追求しようとすれば、ストーリーは欠かせませんが、それがいわば「つなぎ」の役割にとどまっているというのが和田氏の作品づくりの特性なのでしょう。だからこそ、感性優位の心に沁み込む作品が生まれるのだと思いました。

 
■「気持ちよさ」の背後にあるもの
和田氏は「気持ちいい」を手掛かりに作品を制作しているといいます。たしかに会場で7分の『グレートラビット』を見て、久しぶりに心が和らぎ、「気持ちいい」気分になったことを思い返します。この作品から映像にしても音声にしても、ヒトの感覚を鋭角的に刺激する要素が排除されていたからだと思われます。そして、意味のはっきりしないストーリーもまたそのような感覚が醸成させるのに寄与していたような気がします。
 

私たちはいま、諸感覚器官を鋭角的に刺激する映像や音声を日常的に浴びています。ひょっとしたら、そのような状況に私たちの感覚器官は疲れ切っているのかもしれません。だからこそ、和田氏の作品を観ると「気持ちいい」と思えてしまうのではないでしょうか。そのように考えてくると、和田氏の作品は刺激に溢れた現代社会という背景があるからこそ、さらに大きく価値づけられているのではないかと思います。洋の東西を問わず、現代社会の多くの人々にこの作品は快く受け入れられると思いました。(2015/1/15 香取淳子)

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