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26日

アール・デコの画家 Tamara de Lempicka(Polish,1898-1980)

■アール・デコとは?
今回の展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」やシンポジウムに参加し、アール・デコに興味を覚えました。これまでに聞いた覚えはありますが、具体的にどういうものか理解していたわけではありませんでした。そこで近くの図書館に行って調べてみたのですが、参考にできたのは、『世界美術大事典』と『世界美術大全集25フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』ぐらいでした。どうやら美術史での扱いはそれほど高くないといえそうです。

▼『世界美術大事典』では、「1920~30年初頭、ヨーロッパ各国で展開した建築や工芸の装飾的な様式」と概括されています。そして、1925 年パリで「現代装飾美術・工業美術国際展覧会」が開催され、そこで主流となった装飾的様式をさしてアール・デコと呼んだとその由来が記され、以下のようにその装飾の様相が具体的に説明されています。

「その装飾には当時の絵画や彫刻の影響、すなわち、キュビズム、構成主義、未来派、抽象芸術の影響を受けて単純化された立体的な形がみられる。直線的・幾何学的であり、曲線が用いられてもアール・ヌーヴォーの曲線のように自然からとられたような有機的なものではなく、人工的、無機的な曲線を見せることが多い」

▼『世界美術大全集25フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』では、この名称の由来について、千足伸行氏が「アール・デコの名称が1925年に開催された「現代装飾美術・工業美術国際展覧会」に由来していることは確かだが、定着したのは1966年のパリ装飾美術館での展覧会以後のことである」と記しています。

この箇所を読んだとき、東京都庭園美術館でのシンポジウムで、アントワーヌ・レキュイエール美術館キュレーターであるエルベ・カベザス氏が、アール・デコとは1960年代以降に画商たちが1920年代の作品を指すときに使い始めた言葉で、1920年代にはまだ使われていなかったといっていたことを思い出しました。

千足伸行氏はその様式について、
「アール・デコの源流はドイツ、オーストラリア、イギリスなどのデザイン運動にあったが、20世紀初頭、装飾芸術の刷新を計ってパリに結成された装飾芸術家協会や、フォーヴィスム、キュビスム、未来主義、抽象主義、表現主義、構成主義などのモダニズム運動、またこれに付随して注目を集めた(特にアフリカ、オセアニアの)原始美術の影響も考慮に入れる必要がある」と記しています。

シンポジウムでフランスのキュレーターたちが一様に、アール・デコには多様な様式があったといっていたことを思い出します。

彼はさらに、「アール・ヌーヴォーとの比較でいえば、アール・デコはアール・ヌーヴォーの女性的とも情緒的とも官能的ともいうべき曲線様式に対し、直線的、幾何学的な明快さと、近代の都市文明に即応した機能性および矩形、三角形、菱形、アーチ形の曲線からなる装飾モティーフを特色とし、色彩も原色系の単純明快なものが好まれた」と説明します。

たしかに朝香宮邸で見た照明器具は三角形の原色の組み合わせでした。

こちら→http://www.teien-art-museum.ne.jp/archive/museum/images/teien_image_light.jpg

■タマラ・ド・レンピッカ (Tamara de Lempicka)
千足伸行氏はアール・デコを代表する画家の一人としてタマラ・ド・レンピッカをあげています。『世界美術大全集25フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』で取り上げられていた作品は、「アダムとエヴァ」(1932年制作)、「ブカール婦人の肖像」(1931年制作)でしたが、私が好きなのは、「Autoportrait」(1925年制作)です。この作品にはアール・デコの特徴がよく表れていると思います。

こちら→ダウンロード

産業文明の象徴である車を女性が運転している姿を描いた絵です。ヘアスタイルはストレート、ハンドルを握る姿はいまにも猛スピードでダッシュしそうに見えます。視線はけだるく、そして、鋭く、冷たい・・・。ウィンドウのフレームで鋭角的に切り取った構図はまさに直線、矩形で構成されており、アール・デコの装飾様式そのものです。

「緑の服の少女」(1930年制作)も非常に魅力的です。

こちら→http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/36/0000349936/85/img180e616bzik8zj.jpeg

帽子でわざと影を作り、挑発するような強いまなざしを向ける相手はいったい誰なのか、限りなく観客の想像力を刺激します。有無を言わせず絵の世界に引き込んでしまうパワーがあるのです。緑の服のフリルや皺は直線や矩形で表現されています。白い帽子に緑色の服といった原色の色使いの中でモダンな様式が表現されているところにも惹き付けられてしまいます。

レンピッカにかかれば、花さえも観客を一種独特の世界に誘ってくれます。
たとえば、「カラーの花」

こちら→http://sekisindho2.up.seesaa.net/ftp/83J8389815B82CC89D491A9.jpg

■まなざしに込められた表現
レンピッカの作品の特徴の一つは描かれた人物のまなざしにあります。たとえば、「Autoportrait」の女性のまなざし、「緑の服の少女」の少女のまなざし、それぞれ特徴があります。特徴があるだけではなく、観客を惹きつけて離さない強さがあります。そのまなざしだけで、人物の性格、シチュエーション、人物が織りなすストーリーが浮き彫りにされているのです。まなざしをこれほど豊かに描けるのかと感嘆してしまいますが、同時に、個性的で豊かな表情だからこそ、それぞれのまなざしが描かれた対象に生命を与えていることがわかります。

こちら→
http://theculturetrip.com/europe/poland/articles/art-deco-icon-the-alluring-mystique-of-tamara-de-lempicka/

一連の作品をみると、「魚」(1958年制作)さえ、その目の表情によってもはや生きていないことがわかります。ただ、後年になると、彼女は生活の中にモチーフを求めるようになっていることがわかります。

■「芸術の中に生活を」「生活の中に芸術を」
千足伸行氏は「アール・デコが“芸術のなかに生活を”、“生活のなかに芸術を”の理想を実現し、生活と芸術の一体化、融合を促したという意味で歴史的意義はきわめて大きなもの」があると記しています。

たしかに朝香宮邸の内部を見てみると、そのことが実感されます。心の豊かさは芸術とともにあることが再認識されます。

興味深いことに、今回の東京都庭園美術館での展覧会にレンピッカの作品は展示されませんでした。フランスのアール・デコに影響されていた朝香宮邸の諸美術品とは関係しなかったからでしょうか。それとも、フランス人ではなかったからでしょうか。アール・デコを代表する女流画家といわれるレンピッカですが、彼女はポーランド人でした。

ワルシャワに生まれた彼女は第一次大戦、ロシア革命を経て、アール・デコの只中に身を置くようになり、装飾的な様式の表現活動にまい進しました。やがて第二次大戦、そして戦後の苦難の時期を迎えます。激動の時代を走り抜けるように生き、メキシコでその生涯を終えたのです。

波乱の人生を生きた女性がキャンバスに描いたモチーフは装飾的で美しく、しかも硬質の雰囲気に包まれているのですが、どれも、どこかはかなげで寂しく、悲しさが漂っているのが不思議です。

アール・デコは1929年の世界大恐慌以降、急速に凋落していきます。産業化のさらなる進展に伴う機能主義、合理主義的なデザインにとって代わられるようになるのです。それにしても、レンピッカが描く女性たちのまなざしのなんと強く、そして、脆く、悲しいのでしょうか。彼女の心の深淵を思わず想像してしまいます。だからこそ、彼女の絵が放つ深い情感的な訴求力に惹かれてしまうのでしょう。(2015/1/26 香取淳子)