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アール・デコ

フランス美術界でアール・デコ再評価の動きか?

■「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」展記念シンポジウム
2015年1月17日、東京都庭園美術館で「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」展記念シンポジウムが開催されました。東京都庭園美術館は、朝香宮邸として使われていた建物を1983年10月1日に公開し、美術館として使用してきたものですが、2011年~2014年にかけてリニューアルのための大規模な改修工事が行われていました。同美術館は2014年11月22日、新館も増設されて、リニューアルオープンしました。この展覧会は同美術館の設立30周年、リニューアルオープンを記念しての企画です。

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朝香宮邸はフランス人の装飾美術家・アンリ・ラパンらの協力を得てアール・デコ様式を採り入れ、1933年に竣工されました。1922年から1925年にかけてフランスに滞在した朝香宮の意向を汲み、アール・デコ様式が随所に取り入れられました。邸内に一歩、足を踏み入れ、内部を見渡せば、まさに「絶佳」です。椅子、ソファー、テーブル、壁、床、暖房器具に至るまで、備品、具材がアール・デコなのです。たとえば、室内はこんなふうになっています。

美術館内部

朝香宮邸のアール・デコについてはこちら
http://www.teien-art-museum.ne.jp/archive/museum/asaka_artdeco.html

この展覧会のタイトルが「幻想絶佳」と銘打たれているのも納得できます。邸内そのものがアール・デコの美術品なのです。歩き回るだけでアール・デコ様式が生み出す美しい幻想を体現することになります。そして、新館への通路からは深い緑に包まれた庭園が広がっており、気持ちが落ち着きます。新館に入ると、新館ギャラリー1で絵画が展示されており、新館ギャラリー2でシンポジウムが行われました。

■登壇者はフランス美術館のキュレーターたち
登壇者はドミニク・ガニュー氏(パリ市立美術館チーフ・キュレーター)、エルベ・カベザス氏(アントワーヌ・レキュイエール美術館キュレーター)、クレール・ポワリオン氏(30年代美術館キュレーター)で、いずれも今回の展示にかかわる美術館のキュレーターです。各登壇者のプレゼンテーションの時間が延びてしまい、予定されていたディスカッションの時間がとれなくなってしまいました。とはいえ、登壇者がご自身の専門領域で話された内容はいずれも興味深く、アール・デコに関わる美術館のキュレーターたちを中心に組み立てられた今回のシンポジウムはとても意義深いものになっていました。

登壇者 (640x480)

■アール・デコとは?
最初に登壇されたエルベ・カベザス氏によると、アール・デコとは1960年代以降に画商たちが1920年代の作品を指すときに使い始めた言葉で、1920年代にはまだ使われていなかったそうです。そもそもアール・デコは、1925年4月から11月にかけてパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels modernes)の略称に基づく名称だといわれています。また、1910年から1930年代にかけてフランスを中心にヨーロッパ全体に広まっていた工芸、建築、絵画、ファッションなどの分野に波及した様式の総称ともいわれます。ですから、おそらく当時、それまでとは異なる表現上、あるいは様式上の傾向が見受けられるようになったのでしょう。それを命名する必要が生じてアール・デコと総称されるようになったのかもしれません。

カベザス氏は、アール・デコと言っても決して一様ではなく、さまざまな様式があったといいます。異なる様式のさまざまな作品が同じ空間に存在したのが、1925年の博覧会だったというのです。この博覧会が「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」命名されていたことを思えば、単なる美術作品ではなく、産業と結びついた製品も対象としていたことがわかります。ですから、さまざまな様式が混在していたのは当然だといえます。

彼はアール・デコの作品に共通するのは、表現の装飾性であり、滑らかな仕上がりであり、細部へのこだわりだったといい、モチーフとしては奇妙なもの、突飛なものが選択されることが多く、構図に奇妙さがあったのも共通していたといいます。

■モチーフの広がり
クレール・ポワリオン氏は、1930年代のフランスでは余暇生活を楽しむ層が増え、スポーツ、釣り、海、植民地、旅行などがモチーフに選ばれることが多くなったといいます。生活圏が拡大することによって人々の関心領域が広がり、多様なモチーフが選択されるようになったのだと思われます。その背後に見え隠れしているのが産業化の進展です。

ドミニク・ガニュー氏は、1925年の万博の目的は産業の進歩であり、人々の生活を安楽にするための製品開発を展示する国際競争の場でもあったと指摘します。各国は威信をかけて技術を競い、アイデアを競っていたのだというのです。参加者にとって万博は新奇な展示品を見る場であり、学びの場であり、娯楽の場でもあったのですが、国家にとっては国力あるいは国家権力を示す場だったのです。

ですから、当時のフランス商務省は装飾技術を時代のニーズに合わせたものにすることに尽力し、後にアール・デコと呼ばれるものを作り上げることに成功したのだとガニュー氏いうのです。異国趣味、人目を引く大がかりなものへの関心も高まり、人間の可能性だけではなく、芸術の可能性も追求されたといいます。たとえば、朝香宮邸のエントランスの扉はガラスのレリーフになっていて、大広間からの明かりを受けて女性像が浮かび上がってきます。

ガラスレリーフの扉

■フランス美術界でのアール・デコ再評価の動き
こうして邸内を見てくると、フランス美術界で現在、アール・デコ再評価の動きがみられるという理由もなんとなくわかるような気がします。現代社会に生きる私たちが一様に、機能優先で無味乾燥な生活を強いられているとすれば、アール・デコは機能性以外に豊かな装飾性を持ち合わせていて、それが心の奥底に沈んでいる優しい気持ちを呼び覚ますからではないでしょうか。

庭園美術館事業企画係長で学芸員の関昭郎氏はカタログで次のように書いています。

「私たちは当時の美術家たちが空間と様々な美術品を併せた総体として表現しようとした時代の美意識に、より注意深く、目を向ける必要がある。おそらくそこに見た目の豪華さだけではない、アールデコにおける「古典主義」の本質的な意味、今日でも古びることのない普遍的なメッセージが隠されているのである」
… p.15

新館ギャラリー1で展示されていた多くの絵画もどことなく懐かしく、愛らしく、つい惹きこまれて見入ってしまいました。次回は、興味を覚えた絵画をピックアップして、見ていくことにしましょう。(2015/1/18 香取淳子)