ヒト、メディア、社会を考える

2015年

文化庁メディア芸術祭:短編アニメーション

■第18回受賞作品
第18回メディア芸術祭のアニメーション部門の応募作品数は、劇場アニメーション、テレビアニメーション、オリジナルビデオアニメーションの分野で60作品、短編アニメーションで371作品でした。圧倒的多数が短編アニメーションだったのです。

そのせいか受賞作品も、大賞(ロシア)、優秀賞(アルゼンチン、フランス)、新人賞(中国、韓国)等々が短編アニメーションで占められていました。高い芸術性と創造性が評価されたようですが、残念ながら、日本の短編作品は受賞しませんでした。受賞作品以外に審査委員会推薦作品も設けられています。

審査委員会推薦作品を見ても、24作品中16作品が短編アニメーションでした。受賞作品を含めると、21作品が高い評価を得たことになります。短編アニメーションの応募総数は371作品ですから、受賞比率は約5.9%です。

一方、劇場アニメーション等の領域は応募総数が60作品で、受賞作品が3作品、審査委員会推薦が8作品でしたから、合計で11作品、受賞比率は約18.3%になります。劇場アニメーション等の領域は応募総数こそ少ないものの、受賞比率は短編アニメーションに比べ約3倍も高いということになります。このような結果からは、劇場アニメーション等の領域への応募者は実績のある制作者が多いことが示唆されています。

ちなみに過去の受賞歴を見ると、「もののけ姫」(第1回)、「千と千尋の神隠し」(第5回)、「クレヨンしんちゃん」(第6回)、「時をかける少女」(第10回)、「魔法少女まどか☆マギカ」(第15回)といったように、錚々たる作品がアニメーション部門の大賞を受賞しています。

過去日本が大賞を受賞したのは劇場アニメーションかテレビアニメーションでした。第18回も日本は劇場アニメーション領域では2作品が優秀賞、1作品が新人賞を取っていますが、大賞は逃しました。興味深いことに、第17回、第18回とも日本はアニメーション部門の大賞を逃しているのです。

第17回は韓国系ベルギー人ユン監督(ベルギー名:Jung Henin)とフランスのドキュメンタリー映画監督ローラン・ボアローの共同監督による「はちみつ色のユン」でした。75分の作品です。

こちら →http://hachimitsu-jung.com/

そして、第18回はロシアの若手アニメーター、Anna Budanovaの作品「The Wound」でした。こちらは9分21秒の短編アニメーションです。

■「The Wound」
ロシアの26歳の若手アニメーター、Anna Budanovaが今回、大賞を受賞しました。なによりもまず鉛筆画の素朴で優しい画風が印象に残ります。

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文化庁ホームページより

作品は全編、細部にまで神経の行き届いた味わい深い画風で展開されます。

こちら →https://vimeo.com/63658207

私はロシア語版でしか見ることができなかったのですが、柔らかいタッチの映像が味わい深く、その場の状況はもちろんのこと、登場人物たちの情感や主人公の深層心理までもよく理解することができたような気がしました。ワンカット、ワンカットの絵が素晴らしいのです。

まず、冒頭のシーンの映像構成に惹き付けられてしまいました。哀調を帯びたロシア音楽を背景に、壁に掛けられた写真が次々と映し出されていきます。過去、主人公と関わりのあった人々なのでしょう。髭を描き加えられたり、中には顔の上に×がつけられた写真もあります。そのヒトたちはかつて主人公に心の傷を負わせた人々なのかもしれません。

こちら →unnamed

やがて太った老女が現れ、鏡を磨きはじめます。鏡の中のわが身をじっと見入っていたかと思うと、過去にタイムスリップしていきます。これが主人公です。

クリスマスの日。子どもたちが喜んではしゃぎまわる中、サンタクロースはプレゼントを次々と渡していきます。どういうわけか最後になるまで一人だけもらえなかった少女は、遠慮がちにサンタにプレゼントをねだります。

そのとき、少女は白い耳に真っ赤な鼻先をつけてウサギの恰好をしていました。だからでしょうか、サンタクロースは袋の中から一本のニンジンを取り出し、少女に渡したのです。少女は落胆と屈辱感に打ちのめされてしまいます。

それを見ていた男の子たちがはやし立て、少女に近づき、ゴムで装着した真っ赤な鼻先を勢いよく引っ張り、極限まで引っ張ったところで放しましました。反動で少女は顔面一体に強烈な痛みを覚えます。この時少女は精神的暴力と身体的暴力を同時に受けたのです。このシーンで作者は主人公の心の傷の原風景を抒情性豊かに描きます。

少女は泣きじゃくりながら、ウサギの衣装を脱ぎ捨て、帰宅し、ベッドの下に潜り込みます。しばらくして泣き止むと、意を決したかのように、傍にあった鉛筆で床に殴り描きを始めます。その顔は激しい憤怒に駆られています。描いた線はやがて形になり、毛むくじゃらの小さな生物になっていきます。この小さな生物が現れると途端に少女の表情は明るくなります。

こちら →FullSizeRender (4)

これが主人公の生涯の友になるthe wound です。日常の風景の中で、主人公(現在は老女)とサブ主人公の登場のさせ方が実に巧みです。監督、脚本はAnna Budanova(アンナ・ブダノーヴァ)です。ここまでの1分23秒間で、物語の導入と登場人物の紹介、テーマ、等々が手際よく、しかも明確に提示されています。その後の展開は見てのお楽しみ・・・、ここで紹介するのはやめておきましょう。

■短編アニメーションの多様な可能性
第18回メディア芸術祭の短編アニメーションへの応募総数は371作品でした。そのうち受賞および審査委員会推薦作品に選ばれたのが21作品で、受賞比率は約5.9%でした。劇場アニメーション等の長編アニメーションに比べると、3分の1以下の受賞率です。この結果からは、実績の少ない人々が短編アニメーションに多数応募していることが推察されます。

廉価なパソコン、操作が簡単で高機能の編集ソフト等が出回っている現在、意欲さえあれば、以前よりはるかに容易にアニメーション制作に参入できるようになっているのです。それだけアニメーション制作をめざすクリエーターの裾野が広がっているといえるでしょう。制作環境がデジタル化するに伴い、アニメーションを見て楽しむだけではなく、自分でも作ってみようと思う層が増えてきているのです。若い世代にはとくに国境を越えて、短編アニメーションという領域が違和感なく、過不足なく自分を表現できる場として認識されつつあるのではないかという気がしています。

たとえば、今回の「The Wound」は、主人公の心の傷が毛むくじゃらの生物に変貌し、生涯それと共に生きていくというストーリーでした。おそらく作者自身の体験をベースに着想されたストーリーなのでしょう。クリスマスのシーン、スケート場でのシーンなど、細部が生き生きと描かれています。

「The Wound」では、心の傷の化身という一見、突拍子もない造形物が違和感なくストーリーに溶け込み、リアリティ豊かに表現されているのです。だからこそ、私たちは感情移入し、この作品の世界に浸ることができるのですが、それは、作者が丁寧に自分の体験を見つめ、それを昇華させてストーリーを紡ぎあげたからにほかなりません。

短編アニメーションの制作費は比較的安く、制作日数も比較的短くて済むので、制作の敷居は比較的低いといえます。実績がなくても、意欲さえあれば制作可能ですし、どのようなテーマも表現可能です。

劇場アニメーションやテレビアニメーションの場合、最初から観客動員数を視野に入れて構想を練り上げなければなりません。短編アニメーションにはその種の制約が少ないので、観客に媚びることなく、自由にテーマ設定ができますし、ストーリーにメリハリがなくても構いません。

短いので、ストーリーに起伏を持たせる必要もなければ、サブストーリーを設定する必要もありません。自分が表現しようと思ったことをそのまま素直に表現できるメリットがあると思います。それだけに、短編アニメーションには作者が抱え込んだ心の傷、あるいは忘れることのできない経験が反映されやすいといえるかもしれません。作者にとって忘れがたい心の原風景が作品として仕上げるための動機付けとして作用することもあるでしょう。

そういえば、第17回の大賞「はちみつ色のユン」は長編アニメーションでしたが、監督自身の体験に基づいたドキュメンタリータッチのアニメーションでした。短編ではありませんが、監督自身の思いのたけをぶつけたところにヒトの心を打つ作品ができあがったという気がします。商業ベースではなかなか制作できない類の作品です。

今回、短編アニメーションの受賞領域は、大賞1作品、優秀賞2作品、新人賞2作品でした。いずれも日本は受賞していません。商業ベースのアニメーションに馴染みすぎて、発想や展開がパターン化しているのではないかと懸念されます。とはいえ、審査委員会推薦作品には日本から7作品が選ばれていますから、多様な作品が生まれる土壌はまだ劣化していないのかもしれません。(2015/2/19 香取淳子)

文化庁メディア芸術祭:新たな表現の地平を拓く

■受賞作品展
2015年2月13日、国立新美術館で開催されている第18回文化庁メディア芸術祭・受賞作品展に行ってきました。開催期間は2015年2月4日から2月15日までです。平日のお昼過ぎだというのに若いヒトが大勢、参加していたので驚きました。

入ってすぐのコーナーにはインスタレーション作品が展示されていました。中央にコントローラーが設置され、参加者が周波数をコントロールすることができるようになっています。自分の手先の動きがどのように映像や音声に反映されるのか試してみることができるのです。電磁波を可視化、可聴化した作品で、参加型の芸術です。大勢のヒトが次々と変化する映像を食い入るように眺めていました。

制作者は坂本龍一氏と真鍋大度氏、「センシング・ストリームズ―不可視、不可聴」というタイトルで、インスタレーション部門の優秀賞を受賞しています。札幌国際芸術祭2014のために制作された作品だそうです。

こちら →http://www.rhizomatiks.com/archive/sensing_streams/

いまや生活必需品になってしまったテレビや携帯は、実は、電波を使ったメディアです。それぞれ割り当てられた周波数帯域を使っていますが、この作品はその周波数を可視化、可聴化するというもので、新たな表現領域を開拓したといえるでしょう。まさにメディア芸術祭ならではの作品です。

メディア芸術祭では、このインスタレーション作品のようなアート部門、エンターテインメント部門、アニメーション部門、マンガ部門など4部門の応募作品を対象に、それぞれ優秀賞、新人賞、審査委員会推薦作品が選ばれ、受賞展で展示されます。この展覧会は、既存の「芸術」という枠組みに入りきらない新しい領域の表現活動に対する評価と発表の場なのです。

こちら →http://j-mediaarts.jp/

■過去最高の応募総数
文化庁メディア芸術祭受賞作品展は1998年に第1回目が開催され、今年で18周年を迎えました。その推移は以下の通りです。

こちら →http://archive.j-mediaarts.jp/about/history/

今回の応募総数は3853作品だったそうです。そのうち国内は過去最高の2035作品、海外は70カ国・地域から1818作品といいますから、文化庁メディア芸術祭が国内外で幅広く知れ渡っていることが示されています。

文化庁のサイトから、応募作品数の推移を見ると、2012年に飛躍的に増えていることがわかります。現在、第16回までのデータしかありませんが、今回、第18回の応募総数は過去最高だったそうです。文化庁メディア芸術祭は回を重ねるにつれ、グローバルに認知されるようになり、果たす役割も大きくなりつつあることがわかります。

こちら →
http://archive.j-mediaarts.jp/data/about/assets/docs/jmaf_number_of_entries16ja.pdf

さて、第18回(2014年)は過去最高の応募総数だったといわれています。そこで、応募作品数データをみると、それぞれ、アート部門(1877)、エンターテインメント部門(782)、アニメ部門(431)、マンガ部門(763)でした。飛躍的に応募作品数が増えた第16回(2012年)のデータと比較すると、アート部門は約25%増、エンターテインメント部門は約5.5%増、アニメ部門は約14.2%減、マンガ部門は約66.6%増でした。メディア芸術祭が対象とする4部門のうち、3部門が増加しているのに、アニメ部門だけが減少しているのです。日本といえばアニメといわれるほど、日本アニメーションの存在は大きいと思っていただけに、ちょっと気になりました。

■アニメ部門の受賞者
アニメ部門の受賞者を見ると、大賞が短編アニメーションでロシアが1作品、優秀賞が劇場アニメーションで日本が2作品、短編アニメーションでアルゼンチン1作品とフランス1作品、新人賞が劇場アニメーションで日本1作品、短編アニメーションが中国1作品、韓国1作品という結果でした。日本は劇場アニメーションで優れた作品を制作していますが、短編ではどうやらそうでもなさそうです。

そこで、審査委員会推薦作品を見てみると、日本は短編アニメーションで7作品、テレビアニメーションで4作品、劇場アニメーションで1作品でした。推薦作品24本のうち、なんと半数を日本が占めているのです。今回短編アニメーションの応募数は371作品だったそうです。その内外比は明らかにされていませんが、受賞作品と審査委員会推薦作品の結果からは、日本は依然として一定のレベルの作品を制作する力量を保持しているといっていいのかもしれません。

推薦された短編アニメーション作品16作品のうち、7作品は日本でしたが、オランダ/米、スロベニア、米、イタリア、ラトビア、台湾、中国などがそれぞれ1作品、スペインは2作品推薦されています。さまざまな国が短編アニメーションを制作しはじめ、それぞれの文化を反映した秀逸な作品を輩出しつつあることがわかります。

一方、まだ数としては少ないですが、ブラジルは劇場アニメーション、オーストラリアは長編アニメーションで審査委員会推薦作品を出しています。短編とは違ったテクニックいが要求される領域でも海外作品に優秀なものが出てきているのです。これまで日本は劇場アニメーション、テレビアニメーションの領域で牙城を築いてきましたが、いつまでも安穏としていられなくなるかもしれません。

■新たな表現の地平を拓く
とくにオーストラリアの作品には新鮮さが感じられました。長編アニメーションでありながら、新しい表現領域に挑戦した実験性の強い作品です。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=89ot4uLkYvI

思い起こせば、モーション・キャプチャーを使って見事な3DCG作品「Happy Feet」(2006年)を仕上げたのがオーストラリア出身のジョージ・ミラー監督でした。タップダンスが得意の主人公(ペンギン)の滑らかな動きを表現するため、当時、IBMオーストラリアの協力を得て膨大な作業をパソコンで処理していました。制作に関わったアニメーターの一人にブリスベンで取材したことを思い出します。

何を表現するか、いかに表現するか。これは芸術表現に付きものの課題ですが、メディア芸術にはとくにメディアを駆使した表現の可能性を試行する必要があると思います。私がオーストラリアの作品「The Stressful Adventures of Boxhead & Roundhead」に強く関心を覚えたのはおそらくそのせいでしょう。この作品の背後にチャレンジ精神に溢れた多数の若手アニメーターたちの姿が透けて見える気がするのです。(2015/2/15 香取淳子)

「小山田二郎展」:アダムとイブ

■小山田二郎の「アダムとイブ」(水彩)
「生誕100年小山田二郎展」の会場で「アダムとイブ」(水彩、1956年制作)を見て、驚きました。これが、アダムとイブなのか・・・、という驚愕です。唖然とし、思わず、タイトルを見返したほどでした。

おそらく、闇を示しているのでしょう、暗いモスグリーンをベースとした背景に、馬のように見えるし、鳥にも見える得体のしれない頭部を持つヒトが二人立っています(立っているのだから、ヒトでしょう、という認識です)。手足、胴体は細く、ほとんど骨と皮だけのように見えます。

こちら →FullSizeRender (2)

カタログを撮影したのですが、うまく撮れませんでした。

二人は向き合い、両手を握り合っています。水彩なので色が滲み、全般に曖昧模糊としています。そこで、小山田二郎は肩から腕、腕から手にかけての骨を白ではっきりと描いています。まるで骨の標本のような二人が両手を握り合っているのです。左上の木から蛇が二人を見下ろし、右下の木の幹に巻きついた蛇も舌をだして二人に絡もうとしています。地面には青く着彩されたリンゴが落ちており、モチーフの道具立てからみれば、まさにアダムとイブなのです。

彼はなぜ、アダムとイブをこのような絵柄で描いたのでしょうか。

■モチーフとしての「アダムとイブ」
「アダムとイブ」はこれまで、聖書に出てくる重要な物語としてさまざまに描かれてきました。

たとえば、こんな作品があります。

こちら →
http://www.emimatsui.com/arthistory/north/img/cranach05.jpg

これは1533年に制作されたルーカス・クラナッハという宮廷画家の作品です。

アダムとイブを扱った多くの作品では、蛇、リンゴ(果実)、アダム、イブなどの典型的なモチーフを使って絵を構成し、聖書の中の物語を再現しています。中にはクラナッハの絵のように獰猛な動物が配されて、楽園を追われた二人が今後、地上で多難な生活を強いられることが示唆されているものもあります。

クラナッハの絵ではアダムとイブは肩を寄せ合っていますが、二人が手を取り合っている構図もよく見られます。いずれもその手にはリンゴ(知恵の果実)が握られており、知恵を出し合って困難を乗り切っていこうとするアダムとイブの姿勢を見ることができます。

小山田二郎の「アダムとイブ」もこれらのモチーフを使っているのですが、なにか本質的な部分で異なっているように思えるのです。たとえば、リンゴは彼らの手にはなく、地面に落ちています。二人は両手を握り合っていますから、リンゴを握る余裕がなかったのでしょうが、リンゴよりもむしろ二人の協同こそが重要だと言おうとしているかのように思えます。

小山田二郎は、アダムとイブが向き合って、両手を握り合っているという構図にしました。しかも、背丈と顔の大きさこそアダムとイブとで多少の差をつけていますが、身体はほぼ同じぐらい細く描いています。ですから、二人はほぼ対等の関係に見えます。また、二人は両手を握り合っていますが、彼はそれを肩から腕、腕から手のラインの骨格だけを白ではっきりと浮き彫りにする恰好で描いています。身体性を限りなく希薄化しているように見えます。

彼らは相手を直視し、なにかを言い合っているように見えます。イブは眼を見据え、口を大きく開けていますが、アダムの眼はやや垂れ下がって描かれ、口もそれほど大きく開けていません。ですから、イブが一方的に何かをまくしたてているように見えます。小山田二郎はこれまでの絵のように、アダムがイブを庇護する、あるいは、イブがアダムに嬌態を示すといったような描き方をしていないのです。ここに男女の関係についての彼の認識が示されているのかもしれません。

■小山田二郎の「アダムとイブ」(油彩)
今回の展覧会で展示されていませんでしたが、実は小山田二郎は1956年に油彩でも「アダムをイブ」(162×112㎝)を制作しています。この絵は水彩の「アダムとイブ」と違って、身体部分はよりリアルに描かれています。

こちら →http://search.artmuseums.go.jp/gazou.php?id=173603&edaban=1

この絵は、二人の間に樹木を配し、アダムとイブは向き合う恰好で描かれています。蛇は見当たらないのですが、アダムが真っ赤なリンゴを手にしています。そして、アダムの腰には葉っぱではなく布が巻き付けられており、イブも布のようなもので前を覆っています。楽園を追われたばかりの二人ですが、すでに羞恥心はあったようです。文明の痕跡をさりげなく描かき込んでいるのです。

二人の姿勢を見ると、向き合っているように見えるのですが、顔がどこを向いているのかわからないので、落ち着きません。そもそもこれが顔といえるのかどうか、判断がつかないのです。首の上に載せられているのでおそらく顔でしょう、という程度の認識です。顔に必須の眼鼻口が描かれていませんから、どちらを向いているのかわかりませんし、二人の関係を示唆するメッセージが見つからないのです。

人体の中で顔や頭部が示す要素を彼が敢えて否定していたのだとすれば、リアルに描かれた身体に注目すべきなのかもしれません。

アダムの上半身やふくらはぎにはしっかりと筋肉が描きこまれ、頑健な身体であることが示されています。イブもまた、胸と腹部が肉付きよく描かれ、「産む性」としての役割が強調されています。

■油彩と水彩の「アダムとイブ」が示すもの
小山田二郎はなぜ1956年に、「アダムとイブ」を油彩と水彩で二作品も制作したのでしょうか。いずれの作品も1956年制作としか記されていないので、どちらが先に描かれたのかわからないのですが、小山田二郎にとってはなんらかの必然性があったことは確かでしょう。

あらためて油彩で描かれた作品を見ると、アダムにしてもイブにしても身体性が強調されて描かれているのが印象に残ります。そして、知恵の果実とされるリンゴはアダムが持っており、イブの身体には「産む性」としての要素が刻印されています。二人は手を握り合っているわけではなく、寄り添っているわけでもなく、ただ、向き合って立っているだけです。何らかの関係があるというよりはただの性の対象として存在しているように描かれています。さらに、顔や頭部を示す部位からは意味が読み取れませんから、二人の関係から精神性がすっぽりと否定されているように見えます。

一方、水彩で描かれた作品を見ると、身体性は限りなく希薄化されており、精神性が強調されています。イブの口は大きく開けて描かれ、アダムも口を開けています。つまり、言葉でのやり取りが二人の間にはあることが示唆されています。ここでは知恵の実であるリンゴは地上に落ちており、二人は両手を握り合っています。言葉という知性の道具を駆使して二人が協同すれば、楽園を追われたからといって生きていけないわけがないとでもいっているように思えます。

水彩で描かれた「アダムとイブ」の方に、私は好ましい印象を抱きました。水彩という方法がこれほど柔らかく、深く、そして洗練された表現が可能なのか・・・、新しい発見をしたような気がします。白を巧みに配した色使いといい、斬新な構図といい、小山田二郎の繊細さが随所に活きているように思えます。

表現の巧みさはもちろんのこと、この絵に込められたメッセージが素晴らしいと思いました。この絵のモチーフは聖書由来のものですから当然、古いのですが、実に新しい男女関係を示唆しているのです。楽園を追われた二人ですが、知性を携え、協同すれば、どのような苦難も乗り越えられるというポジティブなメッセージがこの絵でしっかりと謳い上げられているのです。(2015/2/14 香取淳子)

「小山田二郎展」:母のイメージと愛

■小山田二郎の「ピエタ」
「生誕100年小山田二郎展」でなによりも強く印象に残ったのは、さまざまな作品から透けて見える小山田二郎の冷徹な眼でした。モチーフはどれも小山田二郎らしいタッチでデフォルメされて表現されています。ですから、リアルとはいえない画風なのですが、なんといったらいいのでしょうか、モチーフの捉え方が実にリアルなのです。たとえば、1955年に制作された「ピエタ」という作品があります。

こちら →
http://blog-imgs-18.fc2.com/a/k/a/akaboshi07/d0059306_2125504b.jpg

この絵からは恐ろしいほどの憤怒、悲憤、絶望…、というようなものが伝わってきます。モチーフを三角形でまとめた直線的な構図、黒、こげ茶、白などの無彩色に近い色彩、無数のスクラッチを施した表現がそう感じさせるのでしょうか、よくある「ピエタ」とはまったく様相が異なるのです。

■モチーフとしての「ピエタ」
ピエタ(Pietà)というのはイタリア語で哀れみ、慈悲などを意味するのだそうです。一種の聖母子像として、十字架から降ろされたキリストの亡骸を抱く聖母マリアをモチーフに数多くの絵画や彫刻が制作されてきました。絵画でいえば、たとえば、アンニーバル・カラッチはこんな風に描いています。

こちら →http://art.pro.tok2.com/C/Carracci/019[1]1.jpg

また、アンゲラン・カルトン作とされる「ピエタ」はこんな風に描かれています。

こちら →http://www.cgfaonlineartmuseum.com/q/quarton4.jpg

これらの作品はいずれも聖なるキリストの死を嘆き、再生を祈る意味が込められています。カラッチの作品では嘆き悲しむ聖母マリアと二人の天使が描かれていましたし、カルトン作とされる作品では聖母マリア以外にマグダラのマリアや使徒ヨハネが描かれていました。もちろん、どちらの作品もキリストの姿は亡骸とはいえ尊厳が感じられるように描かれています。絵としては聖なるキリストの死を嘆き悲しみ、復活を願うという構図になっているのです。

彫刻作品も同様です。「ピエタ」は一種の聖母子像として制作されていますから、慈悲、慈愛の念が強く伝わってきます。たとえば、ミケランジェロはこのモチーフで4作品も制作していますが、もっとも有名なサンピエトロ大聖堂にある「ピエタ」を見てみましょう。

こちら →
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8a/Michelangelo%27s_Pieta_5450_cropncleaned.jpg/300px-Michelangelo%27s_Pieta_5450_cropncleaned.jpg

聖母マリアはあくまでも清らかで、その表情からは子を亡くした母の深い悲しみが伝わってきます。

■「ピエタ」に見る小山田二郎の冷徹な眼
これらの絵や彫刻に比べると、小山田二郎の「ピエタ」はいっぷう変わっているといわざるをえません。まず、キリストの顔は半分ミイラになりかかっているように描かれています。胴体を見ると反り返っており、足も手も硬直しているようです。まさに聖母マリアは死後硬直の始まったキリストを抱いているのです。とても、復活を望める状態ではありません。

疑いようもない死を前にして聖母マリアの顔は険しく、怒りと絶望に満ちているように見えます。この絵から果たして、「ピエタ」の意味する哀れみや慈悲をイメージすることができるでしょうか。ひしひしと伝わってくるのは、小山田二郎の冷徹なまでの観察眼です。

評論家の粟津則雄氏は14世紀中頃の木彫りの「ピエタ」を著書『美との対話』(生活の友社、2014年)の中で紹介し、以下のように書いています。

「ここに見られる聖母は、われわれが思い描く聖母像とは似ても似つかぬものだ。ここには、優美さもやさしさも、そのかけらもない。(中略)一方、抱かれているキリストにしても、聖性とか悲愴美とかいったものはいささかも感じられない。あまり血を流し過ぎたせいかどうか、その遺骸はコチコチに乾いていて、遺骸よりもミイラに似ている」

果たして、どのような「ピエタ」だったのでしょうか。図を探し出すことができました。

こちら →http://www.wpsfoto.com/items/images/b2398.jpg

これは1350年頃に制作された木彫りの「ピエタ」で、ボンにあるライン州立美術館に所蔵されているそうです。たしかにキリストの手足や胴体は細く、ほとんど厚みがありません。しかも、大量の血が流れたのでしょう、胸部と手には凝固した血痕がぶどうの粒のように表現されています。ですから、この木彫りの「ピエタ」から伝わってくるのは、キリストの無残な死であり、わが子がそのような目に遭わされたことを憤る母の姿です。いわゆる「ピエタ」とは大きく異なっていますが、これもまた聖母子像の一つであることにかわりはありません。

小山田二郎の「ピエタ」はこの系譜につながります。虚飾を剥ぎ取り、現実を直視して観察した結果、彼はこのモチーフをこのように表現したのでしょう。この絵からは小山田二郎が、冷徹にモチーフを観察する力、その眼が捉えた姿をありのままに描く勇気、さらには、評価や期待といったものに迎合しない強さを持ち合わせていたことがわかります。

ちなみに、1950年代に描かれた小山田二郎の「ピエタ」(府中市美術館所蔵)では、キリストは完全にミイラとして表現されています。ですから、この作品以前にすでに彼は死と生とをはっきりと区別して描こうとしていたことがわかります。

■「母」
1956年に制作された作品に「母」があります。これもまた、いっぷう変わった作風で、一般的な「母」のイメージとは大きくかけ離れています。

こちら →母

この絵からは通常、「母」のイメージに付随している暖かさというものが伝わってきません。顔は極端なまでに細長く、青白く生気がありません。眼はどこか虚ろで、悲しみとも絶望ともつかない表情です。直線的な構図で無彩色、全体にスクラッチが施されて描かれています。しかも、背後には無数の髑髏のようなものが配置され、手に数珠のようなものをつけていますから、愛というよりはむしろ死のイメージが濃厚に伝わってきます。

小山田二郎の「母」は子どもとともに描かれているわけではありませんが、数珠をした右手でお腹を押さえています。ですから、「生む存在としての母」が示されているように見えます。このお腹から出てきたわが子が無残にも亡き者にされたとでも言おうとしているのでしょうか。とすれば、この顔の表情も理解できます。

この「母」は小山田二郎の母ではなく、あるいは一般的な母でもなく、キリストの母、聖母マリアを描いていると考えた方がいいのかもしれません。とすれば、背後に累々と重なる髑髏はいったい何を意味しているのでしょうか。お腹を痛めて生んだわが子がやがては死に至ってしまう・・・、命あるものには付き物の「無常」を表現しようとしていたのでしょうか。

1950年代に描かれた小山田二郎の「ピエタ」(府中市美術館所蔵)では、聖母マリアは骸骨になってしまったキリストの顔を抱き寄せています。その顔は壮絶な表情を示しながら、眼はしっかりと見開いています。現実を直視しているのです。ここには、わが子の無残な死さえも、受け入れなければならない母の苦しみが表現されていますが、それと同時に、どんなに辛くても現実を見なければならないという小山田二郎の冷徹な制作姿勢を見ることができます。

このように死と生をはっきりと区別して描くことによって、母と子の別離がさらに深い悲しみとなって見る者に伝わってくるのです。1955年制作の「ピエタ」はこれをさらに洗練させ、抽象化させています。構図といい、色彩といい、きわめて完成度の高い作品になっています。このモチーフについて小山田二郎が長年考え続けた結果が反映されているといえるでしょう。

■「愛」
小山田二郎が描く「愛」(1956年制作)もまたどこか変わっています。

こちら →ai

黒い服を着た人物が全体の3分の2を占めるほど大きく描かれています。その顔は「ピエタ」の聖母マリアに似ています。両手は横一直線に大きく伸ばし、巨大な足は地面を力強く踏みしめています。まるで大きく伸ばした両手と巨大な足とで、地上のヒトを守っているかのようです。ここでも累々とした髑髏が描かれ、遠くに十字架も見えます。折り重なるように描かれた髑髏の大部分は囲いの中に配置されています。ここでも死と生ははっきりと区別されて描かれているようです。

手前にヒトが描かれていますが、真ん中の2人の手足は細く、腹部は膨れ上がっていますから、おそらく栄養失調なのでしょう。右手の3人は何らかの刑に処せられているのでしょうか、顔を布で隠し、四つん這いになって歩いています。式台のようなものを持つ左手の3人は髪を長く垂らし、顔を天に向けて歌っているように見えます。何かを祈っているのかもしれません。

この絵の下絵が府中市美術館に保存されています。それを見ると、聖母マリアの足は同じ位置にあるのですが、それほど大きくはなく、すぐ傍の式台には果物のような捧げものが載っています。聖母マリアの黒いマントの下には髑髏とヒトは区別されることなく描かれ、大きく包み込まれている格好です。

下絵とこの絵の違いは何かといえば、足を巨大にしたこと、式台から捧げものを無くしたこと、ヒトと髑髏をはっきりと区別して配置したこと、十字架を描いたこと、等々です。つまり、小山田二郎は聖母マリアがその愛で包み込む範囲をより明確に示そうとする一方で、死と生ははっきりと区別して描いているのです。

式台から捧げものを撤去したことで、この絵の抽象度が高められました。また、十字架を描き加え、栄養失調状態であることを強調することでメッセージ性を高めています。髑髏を囲いの中に配置し、ヒトを手前に配することによって、より洗練された構図になりました。祈りをささげる女性たちの長い髪を金髪に彩色したのも効いています。

■母のイメージと愛
一連の作品を見てくると、小山田二郎にとって母とは一体なんだったのか、考えさせられてしまいます。「母」を見ても「愛」を見ても、彼にとっての母とは聖母マリアといわざるをえないのですが、そこには通常の、優しく慈悲深い聖母マリアというイメージはありません。「愛」を見ていると、むしろ、ユングのいう「グレートマザー」というイメージが思い浮かびます。母には、子どもを慈しみ育てる優しい母というイメージの一方で、時には子どもをのみ込み、破滅させかねない恐ろしい母というイメージがありますが、後者の方を思い浮かべてしまうのです。

彼はこれらの作品を無彩色に近い色を使い、直線的な構図で表現しています。だからいっそう、そう思ってしまうのかもしれませんが、「母」や「愛」を見ても、愛情や暖かさの片鱗も伝わってこないのです。小山田二郎が描く「母」にしても「愛」にしても、そこから伝わってくるのは、虚飾を排したむき出しの姿です。極限状況では母も慈愛深くはなく、愛もまた成立しないのかもしれません。そう考えると、小山田二郎の冷徹なまでのモチーフの観察力や洞察力、観察したことをそのまま描く誠実さに感服しないわけにはいきません。(2015/2/12 香取淳子)

「小山田二郎展」: 死のイメージと生の不安

■生誕100年を迎えた小山田二郎
画家・小山田二郎(1914~1991)の生誕100年を記念し、府中市美術館で展覧会が開催されています。期間は2014年11月8日から2015年2月22日までの約4か月間、出品は油彩と水彩作品を合わせて168点、という壮大な展覧会です。

作品は第1章(前衛からの出発)、第2章(人間に棲む悪魔)、第3章(多磨霊園で生まれた幻想)、第4章(繭の中の小宇宙)と章立てて展示されています。画家・小山田二郎がいかに生きたか、いかに創造したか、章を追って作品を見ていくとそのプロセスが浮き彫りになっていくという仕掛けです。

彼は1960年に府中市紅葉丘に自宅兼アトリエを新築し、ここを拠点に制作にまい進しました。第3章がその時期に相当します。府中市美術館がこれだけ大掛かりな展覧会を開催した理由がわかります。小山田二郎は府中市にゆかりのある画家だったのです。

こちら →
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/oyamadajiro.html

彼のアトリエは多磨霊園まで徒歩数分の場所にあり、一日の大半をこの霊園で過ごすことが多かったといいます。タイトルから直接、そのことを推察させる作品としては、「納骨堂略図」(1964年)、「昇天」(1965年)、「オルガンのような墓」(1966年)などがあります。いずれも燃えるような赤が使われていて、炎を連想させます。これらの死をイメージさせる作品にはメラメラと燃え立つような炎の赤が使われているのです。火葬を彷彿させる赤です。

興味深いことに、「火」(1970年頃)という作品にはこの赤は使われていません。むしろ、青紫色で炎が描かれています。リンが燃えるときの色なのでしょうか。とすると、この「火」もまた死をイメージさせることになります。この時期の彼はおそらく、死者を想い、死を考え、そして聖者をしのんでいたのかもしれません。

■「昔の聖者」と磔刑
1956年に制作された「昔の聖者」という作品があります。

こちら →昔の聖者

鳥のような手足を持つ人物が椅子に腰かけているのですが、両手は釘を指し込まれて紐で天井に固定され、両足も釘で床に固定されています。この絵には「昔の聖者」というタイトルが付けられていますから、おそらく、はりつけになったキリストを表現しているのでしょう。ところが、この人物はギョロついた目にこけた頬、髭は伸び放題といった風体で、脛も足指も細く、鳥のように曲がっています。

「聖者」といいながら、この人物に威厳はいささかも見られず、慈愛の片鱗も見られないのです。もちろん、情感も感じ取れず、見る者の共感を拒否するかのようです。ですから、「聖者」というよりはむしろ、残虐な仕打ちを受け、ひたすらもだえ苦しむ罪人のようにも見えます。

「聖者」とはいえ、この人物に他者に救いの手を伸べる余裕はあるのでしょうか。ひょっとしたら、小山田二郎は聖者をこのように描くことによって、聖者の無残な姿を見せることこそが他者には救いになると考えていたのでしょうか。

小山田二郎はこの頃、何枚も磔刑図を描いています。

たとえば、こちら →
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSF9ywFziqu899oWqNdAxsod1IGBxyERX_jWXpx0155cNksCs8p6g

これは1959年に制作された「はりつけ」です。腕、胸部、腹部とも膨らみがあり、身体は人間らしい曲線で捉えられています。胸は厚く、上半身が大きく描かれており、頑強な身体を思わせる構図です。ところが、その全身には大小無数の穴やひっかき傷、血痕を思わせる黒い痕が描きこまれています。しかも、大きく描かれた上半身と腹部に比べ、顔は極端に小さいのです。ですから、身体に受けた無数の傷痕、血痕だけが強く印象に残ります。

ところが、前年の1958年に制作された「はりつけ」はこれと似たような構図ですが、顔を肩にめり込むほどに横に倒したポーズで描かれています。手は細く、身体は直線でかたどられ、三角形に収斂されています。このようにして身体性を希薄にして傷痕や血痕なども強く描かれていないので、逆に横向きの顔が印象に残ります。この顔でもっとも心象に残るのは眼ですが、その眼は大きくくりぬかれただけで虚ろです。ですから、この絵では心神の傷が表現されているように見えます。いずれも、「はりつけ」というタイトルでありながら十字架は描かれていません。

さらに遡ると、1956年頃に制作された「ハリツケ」は十字架を中心に構成されています。この絵では十字架の上のキリストは直線と三角形、楕円形で模られて、記号的な処理がされています。さらに、背後にいくつもの十字架が配されていますから、受難者はキリストだけではないということがこの絵から示唆されているといえるでしょう。

「昔の聖者」から始まる一連の絵を見ていると、焦点が少しずつ変化しており、その変化のプロセスはそのまま小山田二郎の心の軌跡になっているようです。

たとえば、「昔の聖者」では釘打たれた両手と両足が天井と床に固定されており、身体的な痛みだけではなく、心身ともに束縛されることの苦しみが全面に表現されています。

ところが、「ハリツケ」(1956年頃)では十字架が全面に打ち出され、その背後に複数の十字架が描かれています。ですから、受難者はキリストだけではないというメッセージを小山田二郎はこの絵に込めようとしたとも考えられます。つまり、誰もが受難者になりうるのだというメッセージです。

そして、1958年の「はりつけ」では心神の苦悩が描き出され、1959年の「はりつけ」では身体の苦痛が全面に打ち出されています。その後、1960年頃に制作された「聖骸布」では、白布に包まれたキリストの顔が大きく描かれています。この絵は小山田二郎らしいタッチで描かれているのですが、極端なデフォルメもされておらず、どこか穏やかに見えます。さまざまな心理的な葛藤を経て彼はついにキリストの聖性に辿りついたのかもしれません。

この作品はどことなくトリノの聖骸布にも似ています。ひょっとしたら、この絵の参考にしたのかもしれません。

トリノの聖骸布はこちら →
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/70/Shroud_positive_negative_compare.jpg/300px-Shroud_positive_negative_compare.jpg

■「手」を見たときの衝撃
キリストに関する一連の作品の発端は1950年代後期に制作された「手」かもしれません。この絵を見たとき、あまりにもリアルに苦痛と苦悩が表現されているので衝撃を受けました。

こちら →手

必死で何かを掴もうとするが、果たせない・・・、そのような状況下での左腕と左手が描かれています。腕も手もひどい苦痛で歪んでいるかのように見えます。この絵からは断末魔の叫びが聞こえそうです。思わず感情移入し、描かれた苦痛と苦悩を自分に置き換えてしまいました。ショックでした。リアルな表現だからこそ持ち得た訴求力だといえます。

腕の内側には無数の小さな穴があり、親指の付け根から噴き出すように流れだした血は、腕を伝っていく筋も落ちています。よく見ると、手のひらには大きな穴があけられていて、その周辺の肉が盛り上がっています。磔のときに打ち付けられた釘の痕なのでしょう。正視に耐えない苦痛を感じてしまいます。ただ、この大きな穴を「眼」とみる解釈もあるようです。

神山亮子氏はカタログの中で、この手の穴について、次のように解説しています。
「掌の上の穴が眼であると解すれば、人物像、それも小山田の自画像と捉えることができるだろう。ただ、人であれ異形の生き物であれ、顔にあたる部分に描かれた眼と、身体の一部である掌に描かれた眼は、意味が異なってくる」とし、「顔の中の眼は鏡がなければ直接、自分を見ることはできない。だが、手についた眼なら自分を見ることができる」と、その違いを説明しています。手にある眼なら、小山田の自画像と捉えることができるというのです。

たしかによく見ると、この穴は「眼」のようにも見えます。これが「眼」であるとするなら、この手によって苦痛にもがく自分を見ることもできるでしょう。もちろん、顔にある眼によって傷つけられた手を見ることもできる・・・、つまり、見ることは見られていることでもあり、そこには常に不安がつきまとっているという認識です。神山氏は小山田二郎の「自画像についてのノート」を引用しながら、「この作品は、そのような複雑な関係性を、掌に穿った眼によってきわめてストレートに示した、自画像であるともいえよう」と解釈しています。

手の穴を「眼」と見なすことで、小山田二郎の心性をより深く理解できるのかもしれません。対象を凝視するからこそ、その対象から逆に凝視されるという感覚をもたざるをえなかった小山田二郎が不安感にさいなまれていたとするなら、この絵は彼の心性を如実に表現しているといえるのでしょう。

小山田二郎の絵はどれも一見、不可解ですが、その場をすぐには立ち去り難い魅力があります。それは、彼が死のイメージや存在することへの不安感をモチーフにすることが多かったからではないでしょうか。しかも彼はそのモチーフを徹底的に追い詰め、究極の姿を晒す格好で描いています。だからこそ彼が描く絵は時を経てもなお、強い訴求力を持ち得ているのかもしれません。(2015/2/9 香取淳子)

中国安徽省“新徽派”の版画

■時に刻む木痕
中国安徽省“新徽派”を代表する版画家たちの作品約50点が日中友好会館美術館で展示されています。主催は日中友好会館と安徽省美術家協会、開催期間は1月22日~2月25日までです。私は2月5日、日中友好会館美術館に行ってきました。人民網日本語版によると、この展覧会は2004年にフランスに招聘されて行った版画展に続き、2回目の海外版画展になるそうです。選りすぐりの版画作品が展示されているといえます。

こちら→http://www.jcfc.or.jp/blog/archives/5910

安徽省で生まれた“徽派”の版画には唐代からの歴史があるといわれています。明、清の時代に“徽派”の版画は隆盛し、中国版画芸術の中で大きな一派を形成するようになったそうです。

チラシの説明によりますと、その後、20世紀の中ごろから、頼少其など安徽省の版画家たちが、魯迅が提唱した“新興木刻”を導入しながら、安徽省の自然や時代を反映した版画を創作するようになったそうです。彼らはやがて“新徽派”と呼ばれるようになり、今回はその“新徽派”を代表する1980年代から現代までの版画家たちの作品50点が展示されています。たしかに、これが版画なのかと思えるほど多彩な世界が表現されていました。ここでは風景画として印象に残った作品を2点、ご紹介することにしましょう。

■版画家・師晶氏が制作した「花径雨香」
入ってすぐのところに展示されていたのが、この作品です。一目で心惹かれ、しばらくその前で立ち尽くしてしまいました。

こちら→ images

これは、師晶(师晶)という版画家の「花径雨香(花径雨香)」(70×77㎝、木版、2014年)という作品です。しっとりとした情感が豊かに表現されています。だからでしょうか、目の前に広がる光景に心奪われ、私は思わず立ち尽くしてしまいました。

絵柄として特異なわけではありません。日本でも地方に行けばどこでも見られる光景です。ところが、この光景を一目みただけで、どういうわけか、心の奥底が深く揺さぶられるような郷愁を感じてしまったのです。

それは、見る者を誘い込む構図のせいだったのかもしれません。手前に灌木と村につながる小道を配し、手前から全体の3分の2に相当する部分までを黄色い小花で埋め尽くし、遠方に家並み、その背後に霧にけぶる小高い丘を配した構図です。

もし、手前に灌木がなく、小道だけを配した構図だったとしたら、黄色の分量が多すぎて圧迫感が生まれていたでしょうし、人工的すぎてリアルさに欠けるでしょう。色彩の構成から見る者に不快感を覚えさせる可能性もあります。さらには、単純なT字型の構図になってしまえば、見る者の想像力を喚起する力が弱くなります。こうしてみると、構図とモチーフの配置、色彩の配分等々がきわめて適切だということがわかります。

タイトルの下の説明文には以下のように記されていました。

「4月初旬の清明節に安徽省にスケッチに行った作者は、「ある村へと続く湿った道に点々と野の花が咲き、霧が立ち込める風景を見た。とても美しく、心に深く残った。作品には、その霧の湿度や陽光の温度、時の流れ、ふるさとへの深い情を描こうと思った」と語っている」

清明節とは祖先の墓参りをし、草むしりをして墓の周辺を掃除する日で、日本のお盆に相当する年中行事だそうです。作者はおそらく墓参りのために帰郷した際、霧のかかったこの光景を目にしたのでしょう。

村につながる小道の両側には、黄色の小花が辺り一面に咲き乱れています。亡くなった者であれ、生きている者であれ、故郷に戻ってくる者はみな大歓迎するといわんばかりに、可憐な花々が村に続く小道に華やぎを添えています。遠方には村の家並みが連なって見えますが、それが霧にけぶってぼんやりしています。

一見すると、冬から春にかけて季節が移ろうときの風情が巧みに表現されているとしか見えません。ところが、この版画からは、リアルであってリアルでない・・・、過去であって現在でもある・・・、いってみればさまざまな境界線の喪失してしまった異空間を垣間見ることができるのです。ひょっとしたら、それがこの版画に時空を超えた魅力を添え、見る者を惹きつけるのかもしれません。

この版画には、このときの光景だけではなく、ここで暮らしている人々の過去、現在、そして、未来を彷彿させるところがあります。連綿と営まれてきた生活が積み重なり、やがてその土地の文化を醸成していく・・・、それがこの一枚の木版画に情感たっぷりに表現されているのです、

■版画家・鄭震氏が制作した「夕暮れ時(薄暮时分)」
夕陽の光景を捉えた作品はよく見かけるのですが、この作品にはどことなく心に響くものがあって、しばらく見入っていました。

こちら →20140824011620220

これは、版画家・鄭震氏が制作した「夕暮れ時(薄暮时分)」(34×53㎝、木版、1979年)という作品です。鄭震氏は“新徽派”の第一世代の版画家で、創始者の一人なのだそうです。たしかな表現力の持ち主のようで、これはいまから35年も前の作品ですが、少しも色あせていません。むしろ、構図の斬新さが印象に残ります。

タイトルの横につけられた説明文では以下のように記されています。
「江南地方の風情を落ち着いた表現で描いている。夕暮れ時の陽射しによって森は寂しげに影を落とし、その向こうには、その地に暮らす人々と民家が描かれている」

それにしても、私はなぜ、この作品に惹き付けられてしまったのでしょうか。

考えて見れば、夕陽そのものを捉えた作品は数多くあるのですが、夕陽が反射した光景を捉えた作品はそれほどないのではないでしょうか。ですから、夕陽に照らされた対象を捉えることによって、夕陽を浮き彫りにしていくという発想に惹かれたのかもしれません。
あるいは、木々をメインに捉えた構図かもしれません。

この作品は、全体の4分の3ほどが木々で占められ、残り4分の1ほどが家並みで占められています。構図の面からいえば、夕陽に照らされた木々が主人公なのです。たしかに、それらは美しく彩色され、その背後に広がる青い空が木々をさらに輝かせて見せていることは事実です。ところが、私たちの視線は目の前の木々で止まるのではなく、その背後の家並みに移ってしまいます。たとえヒトの姿は見えなくても、そこにヒトの気配を感じるからだと思います。

■風景作品とヒトの気配
今回の展覧会で惹き付けられたのは、第一世代に属する版画家の作品(1979年制作)と現代の版画家(2014年制作)の2作品でした。いずれも風景作品で、その背後に家並みが配されているところが共通していました。これらの作品の前に立つと、郷愁を誘われるような、描かれた風景と一体となってしまうような不思議な感覚を覚えてしまったのですが、それは描かれた風景にヒトの生活が反映されていたからかもしれません。

ヒトが生活するところには物語があり、時を経て、やがて文化が醸成されていきます。だからこそ、作品の中にヒトの気配を感じさせるものがあると、ヒトはそちらの方に関心を示してしまうのでしょう。今回、私が魅力を感じた二つの版画作品をご紹介しましたが、いずれも単なる風景画ではなく、ヒトの気配を感じさせ、想像力を刺激する要素が込められていました。そのような要素こそが風景画の魅力を増すのかもしれません。(2015/2/6 香取淳子)

絵画モチーフとしての蛇

■ロベール・プゲオン、壁画の下絵
展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」で印象に残ったのが、「パリ14区役所別館祝宴の間」の壁画の下絵でした。色鉛筆で描かれた作品で大きさは362×70、ロベール・プゲオンが制作したものです。彼の絵画作品には古典主義的な要素が随所に見受けられたのですが、この下絵はむしろ衒学的な要素が勝っているように思いました。

念のためカタログを見ると、次のように解説されています。
「パリ市が14区に新築する区役所別館のためにプゲオン、デピュジョルを含む6人の画家たちに壁画を依頼した。プゲオンはメインのホールに17世紀の天文学者カッシーニから、19世紀の物理学者フーコーまで科学者たちを天体と重ね合わせ、正確なデッサン力と絵画における「修辞学者」としての手腕を発揮した」

たしかに「蛇」にしても「イタリアの幻想」にしても「捕虜たち」にしても、プゲオンは聖書や神話、古典からモチーフを採り、色彩豊かに寓意性の強い世界を表現していました。実際、どの作品からも、古典的な画風ながら、古めかしいと思わせない一種独特の普遍性が感じられました。それはおそらく、プゲオンが時代を超えて観客に解釈を迫るような謎を周到に絵の中に潜めていたからでしょう。そういう点でプゲオンは卓越した修辞技法の持ち主だったのかもしれません。

■下絵に登場する蛇
私がこの下絵を一目見て、衒学的だと思ったのはただ、天文学者や物理学者を何人も登場させていたからだけではありません。プゲオンの修辞技法がいたるところで発揮されているように思えたからです。たとえば、モチーフの取り上げ方ひとつ見ても、実にシュールなのです。まるで当時の美術界の動向の一端を示唆しようとしているかのようです。さらに全体構想と関係があるとは思えないのですが、寓意性の強い動物をモチーフとして登場させています。

こちら→FullSizeRender (1)

上記の写真はカタログを撮影したのですが、うまく撮れませんでした。しかも、これは下絵全体の3分の1ぐらいの部分でしかありません。

私がこの下絵で興味を覚えたのが、蛇の描き方です。この写真の左側から真ん中にかけて大きくとぐろを巻いているのが蛇です。ヒトの腕に絡みつき、その頭部は真ん中あたりまで伸びています。パリ市14区の区役所別館の壁画に、プゲオンは大胆にも巨大な蛇のモチーフを登場させました。それは、彼が蛇に肯定的な意味を付与していたからでしょうし、蛇が象徴するものがこの壁画に必要だったからでしょう。

■蛇が象徴するもの
宮下規久朗氏は『モチーフで読む美術史』(2013年、ちくま文庫)の中で、蛇について次のように書いています。
「最初の人間であるアダムとイヴは蛇にそそのかされて知恵の実を食べてしまった。原罪と呼ばれるこの過ちのため、彼らは楽園を追放されて男は労働、女は出産の苦しみを受けることになり、蛇は罰として地上をはい回る姿にされたという」

▼否定的な象徴
長い間、否定的な意味を担わされてきた「蛇」は宗教改革後さらに「異端」の意味まで付与されるようになったようです。宮下氏は次のように指摘し、カラヴァッジョの「蛇の聖母」という絵を紹介しています。

「蛇の持つ負の意味性はその後、罪や異端の象徴にまで拡張し、十六世紀のカトリック改革後は、聖母が蛇を踏みつける「蛇の聖母」という図像も生まれる」

こちら→http://www7.plala.or.jp/labamba/img509.jpg

この絵の中で蛇は異端の象徴にされています。蛇を踏む聖母マリアの足に子どもであるキリストが恐る恐る足を載せている構図の絵です。宮下氏は、この場合の蛇はアダムとイヴを原罪に導いた蛇であると同時に、宗教改革によって生まれた「異端」プロテスタントを意味していると解釈しています。

聖書によって「蛇」は邪悪なものとされてきましたが、宗教改革後は「異端」の意味まで担わされてきたというのです。

▼肯定的な象徴
とはいえ、プゲオンは公共建築物の別館の壁画にモチーフとして蛇を登場させました。「蛇」に肯定的な意味があったからにほかなりません。

宮下氏は、蛇が西洋では邪悪の象徴として忌み嫌われてきたと書いていますが、一方で、キリスト教が広まる以前は蛇に肯定的な意味が付与されていたと記しています。

「蛇は賢い動物であるとされ、医術の神アルクレピオスや伝令神メルクリウスの持つカドゥケウスという杖にもからみついていた」

医術の神とされるアルクレピオスの坐像です。このように蛇がからみついた杖を持っていました。

こちら→ http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d2/Asklepios.3.jpg

そして、蛇が二匹絡まっている杖を持っていたとされるのがギリシャ神話に登場するヘルメスです。(ギリシャ神話の伝令神ヘルメスはやがてローマ神話のメルクリウスに同化します。ですから、ヘルメスとメルクリウスは同じと考えていいようです)

こちら→ 
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d2/Caduceus_large.jpg/220px-Caduceus_large.jpg

ヘルメスはアルファベットや数、天文学等々を発明した知恵者とされていますから、プゲオンはこの壁画にモチーフとして登場させたのかもしれません。

■モチーフとしての蛇
プゲオンは絵画「蛇」ではきわめて小さな蛇を登場させています。よく見ないと気付かないほど目立たず、ほとんど存在感がありません。ところが、この壁画の下絵では巨大な蛇を登場させています。それも、ヘルメスかもしれない登場人物の腕に巻きつく格好で絵柄を構成しているのです。

ギリシャ神話のヘルメスはローマ神話のメルクリウスに同化していったとされています。そして、このメルクリウスは中世およびルネッサンス期には錬金術、諸学や技芸の祖とされていたようです。ですから、修辞技法に通じていたプゲオンはこの壁画にモチーフとして蛇を取り込みたかったのでしょう。それも左前面に巨大な姿で取り込んでいますから、天文学をはじめとする科学技術こそが今後の社会を切り開くという意味を込めようとしていたのかもしれません。

もちろん、モチーフとして蛇を採用するのは、象徴的な意味合いからだけではなかったでしょう。蛇の姿形をデフォルメすれば、印象深い構図を創り出すことができますし、他のモチーフとの関連で絵に形態的な躍動感を生み出すこともできます。実際、彼は前面に巨大な胴体部分を描き、遠方に何かを探すような動きをしている頭部を描いています。それが、奥の方に描かれた絵に観客を誘い込む役割を果たしているのです。こうしてみると、プゲオンは「蛇」というモチーフに固着した象徴とその形態を巧みに操作し、作品に明確な主張を込めようとしたのだといえそうです。まさに修辞法に長けた彼ならではのモチーフの処理だという気がしました。

この下絵から、たった一枚の絵画でも、モチーフの選び方、扱い方次第で歴史を踏まえ、今後を見据えた主張を展開することが可能だということがわかりました。(2015年2月5日 香取淳子)

アール・デコの彫刻家 Alfred Auguste Janniot(French, 1889–1969)

■アルフレッド・ジャニオ(Alfred Auguste Janniot)
東京都庭園美術館の展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」でちょっと気になったのが、彫刻家アルフレッド・ジャニオです。彼はカタログの7章「アール・デコの彫刻家たち」でも筆頭に取り上げられています。ローマ賞は1919年に受賞しており、1925年のアール・デコ博にも「ジャン・グージョンへのオマージュ」を出品しています。

こちら→http://41.media.tumblr.com/tumblr_m5g9grntw91rrzeubo1_1280.jpg

当然のことながら、2013年から2014年にかけて開催された“1925 quand l’art déco séduit le monde”(1925年、アール・デコが世界を魅了するとき)でも2作品が展示されていました。そのうち「フォンテンブローのニンフ」は、1925年に展示された「ジャン・グージョンへのオマージュ」を思い起こさせます。

こちら→http://m.t-sd.info/public/expos/artdeco/.artdeco09_m.jpg

腕を高くかかげて長い髪を持ち上げているポーズは、「ジャン・グージョンへのオマージュ」の3人のニンフのうち、左のニンフの仕草と重なります。

庭園美術館に展示されていたのは、「ジャン・グージョンへのオマージュ」のニンフたちの頭部と同じ型で制作された3点の胸像です。カタログでは以下のように説明されています。

「主題や構図は古典主義に基づいているものの、ジャニオの彫刻作品に特徴的な、曲線の強調や、小ぶりな胸と長い首、突き出した卵型の額などに、イタリアのマニエリスムあるいはフォンテンブロー派からの引用を見ることができる。左側のニンフのポーズはジャン・グージャンの「無垢なる人々の泉」(1549年、パリ)の壺を抱えるニンフを彷彿とさせる」

おそらくこれが彼のお気に入りのモチーフであり、ポーズなのでしょう。 “1925 quand l’art déco séduit le monde”(1925年、アール・デコが世界を魅了するとき)でも似たようなモチーフ、ポーズの「フォンテンブローのニンフ」が出品されていました。

■ジャニオが捉えた「イヴ」
私が気になったのは実は彫刻作品ではなく、ドライポイントで描かれた版画「イヴ」(1923年頃制作、50×36.5)でした。

こちら→イヴ

作品のサイズは決して大きくはないのですが、泥臭く原始的で、生と死のエネルギーに満ち溢れているのです。見た瞬間に圧倒されてしまいました。

ジャニオはこの二つのモチーフを劇的に配置しました。人間ほど大きな蛇をイヴに絡ませただけではなく、蛇の頭部とイヴの頭部を同じ高さに置いたのです。通常であれば、これは蛇が狙った対象に襲い掛かり、確実にし止めることができる構図です。この距離でこの大きさの蛇に狙われたら最後、命はありません。ところが、イヴの太い両足は蛇を踏みしだき、押さえつけ、自在にコントロールしているかのように見えます。

一方、蛇はイヴを鋭く見つめ、イヴはそれを避けるかのように両手で顔半分を覆い、視線を下方に投げています。よく見ると、蛇はイヴに何か囁き、イヴはそれについて逡巡しているかのようです。イヴの妖しげな両手の仕草が欲望に負けてしまう寸前の状況を物語っています。

「アダムとイヴ」のエピソードは古典的な絵のモチーフとしてよく使われますが、このような構図と絵柄の作品ははじめて見ました。「死」と欲望が支える「生」とが拮抗しているのです。それはおそらく、蛇をイヴと同じぐらいの大きさで描いたからだと思いますが、調べてみると、イヴと蛇を同じぐらいの大きさで描いた聖書の挿絵がありました。

こちら→http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/41/BibliaPauperum.jpg

これを見ると、イヴと蛇が同じぐらいの大きさで描かれているからといって、迫力があるわけではないことがわかります。ですから、この作品の迫力は、二つのモチーフの関係、ポーズとその構図にあるのではないかと思いました。

この絵について、カタログの説明文では以下のように記されています。

「ジャニオの作品の中では唯一聖書から着想を得た作品。1928年に同じモチーフでフレスコ画を制作しており、ほぼ同一の構図だが、背景に植物や鳥が隙間なく描き込まれていた(現在所在不明)。ジャニオの解釈では「失楽園」の道徳性よりも、官能的な側面が強調されている。1920年代ローマ滞在時に親交を深めたジャン・デュパの絵画との共通点から、両者が互いに影響を与え合っていたことがわかる」

どのように影響し合っていたのか、展示されていた作品からだけではよくわかりませんが、デュパはもっと様式美を追求していたように見えます。ジャニオにしてもおそらく、これほど原始的なエネルギーを感じさせる作品はこの作品以外になかったでしょう。

彼はそもそもアール・デコの彫刻家として知られた人です。ですから、建築物に調和させるためのデフォルメや錯綜した構図を採用することはあっても、強烈な創作衝動に駆られて、装飾性を排除してしまうというようなことはなかったでしょう。ところが、この作品は彫刻ではなく、ドライポイントによる版画です。彼にとってはいわば主戦場ではありませんでした。だからこそ、無意識のうちに縛られていた制約を逃れ、原始的なエネルギーに溢れた作品を制作できたのかもしれません。

原始的に見える構図の中に、生と性と死の本質が凝縮されて表現されています。それが、人工的な生活環境に封じ込められている私には印象深いのです。はるか昔、どこかに置き忘れてしまったものをこの絵はふっと思い起こさせてくれますから…。(2015/2/1 香取淳子)

アール・デコの画家 Jean Théodore Dupas (French; 1882-1964)

■ジャン・デュパ(Jean Théodore Dupas)
東京都庭園美術館の展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」でロベール・プゲオンと同じぐらい数多く作品が展示されていたのが、ジャン・デュパです。こちらはプゲオンとは違って、“1925 quand l’art déco séduit le monde”(1925年、アール・デコが世界を魅了するとき)でも作品が展示されていました。

1925年の国際博覧会で展示された”La Vigne et le Vin”(「ブドウとワイン」1925年制作)です。

こちら→visu_1-La-Vigne-et-le-Vin-d

これはボルドー館のために制作されたもので、まさに“1925 quand l’art déco séduit le monde”を象徴する作品です。入り口前のホールの壁に展示されていたそうですが、大きさが306×840という巨大な絵画ですから、人目を引いたでしょうし、観客を1925年当時の芸術世界に誘うには格好の導入部になったと思われます。

もちろん、ウィキペディアでもアール・デコの画家と記されています。
デュパは、ボルドー市立美術学校ではポール・カンザック、パリ国立美術学校ではガブリエル・フェリエの下で絵画を学び、1910年にローマ賞を受賞しました。

■国際博覧会ポスターの下絵:三美神が支える3本の柱
1925年現代装飾美術・産業美術国際博覧会のポスターの下絵として1924年に描かれたのがこの作品です。東京都庭園美術館の展覧会場で見ると、大きさが73×53の作品でありながら、特徴のある細長い顔の3人の女性と3本の柱がモチーフとして目立ち、縦長の構成が人目を引いていました。

こちら→FullSizeRender

三人の女性がそれぞれ柱のようなものを支えています。彼女たちの周囲を覆っているのはリンゴやブドウ、ナシなどの果物、あるいは色鮮やかな花々や葉です。地面には下草が生え、上方には青空が広がり、楽園を想像させます。

そして、右の柱のようなものには鮮やかな色で着彩された抽象的な文様が施され、裸体の女性が支えています。真ん中の柱には古代建築の屋根や柱などの部分がいくつかピックアップされて描かれ、肩を出した赤いドレスを着た女性が支えています。そして、左の柱には裸体をあしらったさまざまなレリーフが施され、黒いマントを羽織った女性が支えています。どうやらこの三本の柱のようなものに大きな意味が込められていそうです。

そこで、解説を見ると、この絵について以下のように記されています。
「三美神がそれぞれ柱を支えている。柱には右から、鮮やかな磯の抽象文様、中央は古代建築、左は上部にアジアの神殿のレリーフ、アフリカの彫刻のような大きな頭部の像、下部に花かごを頭に乗せるカリアティードが描かれる。これらは当時の装飾美術の源泉であるキュビスム、古典主義、オリエンタリズムを讃えているように読み取ることができる」

カリアティードとはギリシャ語で女人柱というのだそうです。古代ローマ以前から、梁や上部の水平部分を支える柱の代わりに、このような女性像が使われていました。

こちら→http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3d/Caryatid_Erechtheion_BM_Sc407.jpg/200px-Caryatid_Erechtheion_BM_Sc407.jpg

柱に描かれた三人の女性を三美神と捉えたところから、この絵の形而上学的解釈が始まっているのでしょう。三美神とはギリシャ神話に登場する三人の女神を指し、それぞれ美貌、魅力、創造力を司っているといわれています。あるいは、美、雅、芸術的霊感を司るともいわれるようです。それが、それぞれ特徴のある文様が彫り込まれた柱を持ち、ともに楽園のようなところで佇んでいる・・・。

そして、細密に描かれた柱の文様を読み解くと、さらに深い解釈が可能になるというわけです。まさに1925年国際博覧会の目的を立派に果たしたポスターの下絵といえます。アール・デコ博覧会の時代、多様な様式の美術が共存していました。そのような風潮をデュパは、自身が模索していた様式美を活かしながら見事に表現しているのです。

■寓意的解釈を迫るデュパのモチーフと様式
会場で展示されていたのが、「パリスの審判」、「国際博覧会ポスター下絵」、「イタリアの泉」、「赤い服の女」、「射手」、「エウロペの誘拐」等々でした。いずれも、古典的なモチーフを使い、様式的な表現で、観客に寓意的解釈を迫ります。モチーフや表現へのこだわりが観客にそのような思いを抱かせるのでしょう。ポスターや習作、大作の一部にその片鱗を見ることができます。

こちら→
http://www.mutualart.com/Artist/Jean-Theodore-Dupas/30D8D67A607CAE22/Artworks

一連の彼の美術作品を見てみると、見る者の気持ちを射抜く絵の力とはなんなのかと思わざるをえません。決して上手な絵だとは思わないのですが、なにか引っかかるのです。そして、記憶に残る・・・、不意に自分で物語を重ね合わせてしまう・・・、そのような力がデュパの作品にはあるのでしょう。100年も前の作品なのに不思議に気持ちが捉われてしまうのです。(2015/1/30 香取淳子)

アール・デコの画家 Eugène-Robert Pougheon (French; 1886–1955)

■展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」
東京都庭園美術館で開催されたこの展覧会に先行してフランスでは2013年10月16日から2014年2月17日まで“1925 quand l’art déco séduit le monde”(1925年、アール・デコが世界を魅了するとき)というタイトルの展覧会がパリ建築・文化財博物館で開催されました。

こちら→http://www.franceinter.fr/evenement-1925-quand-lart-deco-seduit-le-monde

どうやらフランス美術界ではアール・デコを再評価しようとする動きがみられはじめたようです。ところが、どういうわけか、ここにロベール・プゲオンの名前が見当たりません。

■ウジェーヌ・ロベール・プゲオン(Eugène-Robert Pougheon)
東京都庭園美術館の展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」ではロベール・プゲオンの絵画が多く展示されていました。たとえば、「Italian fantasy」(1928年)、「Amazon (fantasy…)」(1934年頃)、「Woman with rose, Portrait of Mrs. Culot dressed in Maggy Rouff」(1940年頃)、「The Serpent」(1930 年以前)、「Captives」(1932年)、そして、壁画の下絵である「Maquette for the community hall of the 14th arrondissement town hall of Paris」(1933年頃)、等々です。

この展覧会のポスターも、ロベール・プゲオンの絵画をベースに制作されています。一目を引く絵柄だから採用されたのかもしれませんが、彼の扱いが大きいのが印象に残りました。

当然、フランスでの展覧会「1925 quand l’art déco séduit le monde」でも展示されていたのではないかと思いましたが、名前がなかったのです。そこで、この展覧会の名称と彼の名前「 Robert Pougheon」をキーワードに検索しました。ところが、わずか10件しかヒットせず、このうち6件が「1925 quand l’art déco séduit le monde」のみ、1件が「l’art déco」、そして、3件が「Robert Pougheon」のみに反応したものでした。両方に反応したものは1件もありませんでした。ですから、この展覧会に彼の作品は展示されていなかったことになります。

そこで、「l’art déco en france」をキーワードに検索をかけ、フランスのウィキペディアを見たのですが、Robert Pougheonの名前はありませんでした。どうやら彼はフランスで典型的なアール・デコの画家として認知されているわけではないようです。では何故、この展覧会で彼の作品が数多く取り上げられたのでしょうか。

■ローマ賞受賞の画家
カタログを見ると、第6章で「アール・デコの画家たち」が取り上げられています。その説明文の冒頭で、以下のように記されています。

「1914年、若手芸術家の登竜門であるローマ賞を受賞した画家に、ロベール・プゲオンがいます。彼は古典主義的主題と伝統的な寓意表現を現代性と結びつけ、イマジネーション豊かな絵画を描きました」

カタログの説明文でも、数ある画家たちの中でロベール・プゲオンが筆頭に取り上げられているのです。アール・デコの画家としては、ジャン・デュバ、ジャン・デピュジョル、アンドレ・メール、ルイ・ビヨテ、等々の名前があげられています。いずれもローマ賞受賞者です。彼らの作品を見ると、ギリシャ・ローマの神話にモチーフを取りながら、背後に近代的な建物を配したり、樹木や草花を装飾的に描いたりしています。彼らはどうやら近代的であると同時に装飾的であるという条件を満たす画家たちであったようです。

千足伸行氏は『フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』(1994年小学館、p.382)の中で、以下のように記しています。

「アール・デコとはこうした大衆的な次元でのモダニズム、平たくいえば新しもの好きの精神から生まれた様式であった。ただし、新しいものとはここでは必ずしも現代を、現代の機械文明を意味しない」

モチーフが古いものであったとしても、彼らはそれに近代の光を当て、楽観的に捉え直したといえるのかもしれません。

■ロベール・プゲオンの『Le serpent = The Serpent』
展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」のポスターの絵柄に採用されていたのが、ウジェーヌ・ロベール・プゲオンの『Le serpent = The Serpent』でした。日本語訳として「蛇」が当てられています。注意深く見てみると、馬から外した鞍の間に小さな蛇が描かれています。

こちら→プゲオン

解説を見ると、以下のように記されています。
「前方に描かれているのは二人の裸体の女性と黒衣の女性、そして二頭の白馬である。二つの鞍の間に蛇がおり、聖書のアダムとイヴの原罪の物語を下敷きにしていることがわかる。しかし、男性(アダム)はたくましい二頭の白馬として描かれる。ルピナスとクロッカス、ヒナギク、アルムという美を競う花々はいずれも強い毒性を持つものばかりである。1930年に国家買い上げになった作品で、寓意的な構成や正確なリアリズムを特徴とするプゲオンの代表作」

私は最初、この絵を見たとき、絵の中に蛇が見つからなかったので、『Le serpent = The Serpent』に「蛇」という訳語を当てるより、もう一つの訳語である「悪意のある人」の方が妥当ではないかと思いました。黒衣の人物を男性だと思ったせいでもあります。この人物は黒い帽子を被り、男性用の靴を履いているように見えたのです。

男性にしては体つきが華奢なのが気になったのですが、裸体の女性に何か囁いてように見え、しかもこの人物の顔半分は黒っぽく塗られています。表情と色で、「悪意のある人」として示唆されているのではないかと思いました。「悪意のある」この人物によって女性二人は衣服を脱ぐように仕向けられ、二頭の馬も鞍を外され裸状態にされていると思ったのです。

女性の一人は視線を伏せ、誘いかけるようなポーズを取っています。その傍らで黒衣の人物は女性の肩越しに何かをささやいているようです。巨大な二頭の白馬は興奮して前足を蹴り上げており、近くの建物のバルコニーには黒服のヒトが覗いています。馬の背後にも遠くから黒服のヒトがこちらを見ています。

二頭の白馬が男性(アダム)として描かれているのだとすれば、たしかにこの絵はアダムとイヴの寓話といえます。この黒衣の人物を蛇の化身とみることができますから、蛇の化身が裸体の女性(イヴ)に何かを囁き、やがて、彼らは楽園を追われる・・・、というストーリーが素直に浮き上がってきます。このように読み解くと、「蛇」という訳語の方が絵に深みを与えることがわかります。モチーフが何を象徴しているのか、背景となる文化を知らないとわからないところがこの絵の魅力の一つなのでしょう。

それにしても何故、二頭の白馬に二人の裸体の女性なのか。構図としてみれば、この配置でぴったり収まっているのですが、白馬も女性も敢えてダブルにしたことの意味がわかりません。

ブリュノ・ゴディション氏(アンドレ・ディリジャン芸術・産業博物館館長)はカタログの中でこの絵について次のような説明をしています。

「アダムとイヴの原罪の複雑なメタファーであり、第一次大戦後に劇的に変化した男女関係を表している」

そこまで深く読み込むことができるのかどうかわかりませんが、この絵は古いモチーフを使いながら、近代的で装飾的な仕掛けが施されていることは確かなようです。こうしてみると、東京都庭園美術館の担当者が今回の展覧会でローマ賞受賞者たちの絵画を中心に取り上げた理由もわかるような気がしてきました。そして、展覧会のタイトルの下に「アール・デコと古典主義」というサブタイトルが付与されている理由も・・・。

21世紀に入って10数年も経た現在だからこそ、アール・デコの画家たちの中でもとくに、古典やイタリアルネサンス、18世紀新古典主義などへの憧憬が見られる画家たちの作品が新鮮に見えてきたのかもしれません。(2015/1/29 香取淳子)