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モチーフ 蛇

絵画モチーフとしての蛇

■ロベール・プゲオン、壁画の下絵
展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」で印象に残ったのが、「パリ14区役所別館祝宴の間」の壁画の下絵でした。色鉛筆で描かれた作品で大きさは362×70、ロベール・プゲオンが制作したものです。彼の絵画作品には古典主義的な要素が随所に見受けられたのですが、この下絵はむしろ衒学的な要素が勝っているように思いました。

念のためカタログを見ると、次のように解説されています。
「パリ市が14区に新築する区役所別館のためにプゲオン、デピュジョルを含む6人の画家たちに壁画を依頼した。プゲオンはメインのホールに17世紀の天文学者カッシーニから、19世紀の物理学者フーコーまで科学者たちを天体と重ね合わせ、正確なデッサン力と絵画における「修辞学者」としての手腕を発揮した」

たしかに「蛇」にしても「イタリアの幻想」にしても「捕虜たち」にしても、プゲオンは聖書や神話、古典からモチーフを採り、色彩豊かに寓意性の強い世界を表現していました。実際、どの作品からも、古典的な画風ながら、古めかしいと思わせない一種独特の普遍性が感じられました。それはおそらく、プゲオンが時代を超えて観客に解釈を迫るような謎を周到に絵の中に潜めていたからでしょう。そういう点でプゲオンは卓越した修辞技法の持ち主だったのかもしれません。

■下絵に登場する蛇
私がこの下絵を一目見て、衒学的だと思ったのはただ、天文学者や物理学者を何人も登場させていたからだけではありません。プゲオンの修辞技法がいたるところで発揮されているように思えたからです。たとえば、モチーフの取り上げ方ひとつ見ても、実にシュールなのです。まるで当時の美術界の動向の一端を示唆しようとしているかのようです。さらに全体構想と関係があるとは思えないのですが、寓意性の強い動物をモチーフとして登場させています。

こちら→FullSizeRender (1)

上記の写真はカタログを撮影したのですが、うまく撮れませんでした。しかも、これは下絵全体の3分の1ぐらいの部分でしかありません。

私がこの下絵で興味を覚えたのが、蛇の描き方です。この写真の左側から真ん中にかけて大きくとぐろを巻いているのが蛇です。ヒトの腕に絡みつき、その頭部は真ん中あたりまで伸びています。パリ市14区の区役所別館の壁画に、プゲオンは大胆にも巨大な蛇のモチーフを登場させました。それは、彼が蛇に肯定的な意味を付与していたからでしょうし、蛇が象徴するものがこの壁画に必要だったからでしょう。

■蛇が象徴するもの
宮下規久朗氏は『モチーフで読む美術史』(2013年、ちくま文庫)の中で、蛇について次のように書いています。
「最初の人間であるアダムとイヴは蛇にそそのかされて知恵の実を食べてしまった。原罪と呼ばれるこの過ちのため、彼らは楽園を追放されて男は労働、女は出産の苦しみを受けることになり、蛇は罰として地上をはい回る姿にされたという」

▼否定的な象徴
長い間、否定的な意味を担わされてきた「蛇」は宗教改革後さらに「異端」の意味まで付与されるようになったようです。宮下氏は次のように指摘し、カラヴァッジョの「蛇の聖母」という絵を紹介しています。

「蛇の持つ負の意味性はその後、罪や異端の象徴にまで拡張し、十六世紀のカトリック改革後は、聖母が蛇を踏みつける「蛇の聖母」という図像も生まれる」

こちら→http://www7.plala.or.jp/labamba/img509.jpg

この絵の中で蛇は異端の象徴にされています。蛇を踏む聖母マリアの足に子どもであるキリストが恐る恐る足を載せている構図の絵です。宮下氏は、この場合の蛇はアダムとイヴを原罪に導いた蛇であると同時に、宗教改革によって生まれた「異端」プロテスタントを意味していると解釈しています。

聖書によって「蛇」は邪悪なものとされてきましたが、宗教改革後は「異端」の意味まで担わされてきたというのです。

▼肯定的な象徴
とはいえ、プゲオンは公共建築物の別館の壁画にモチーフとして蛇を登場させました。「蛇」に肯定的な意味があったからにほかなりません。

宮下氏は、蛇が西洋では邪悪の象徴として忌み嫌われてきたと書いていますが、一方で、キリスト教が広まる以前は蛇に肯定的な意味が付与されていたと記しています。

「蛇は賢い動物であるとされ、医術の神アルクレピオスや伝令神メルクリウスの持つカドゥケウスという杖にもからみついていた」

医術の神とされるアルクレピオスの坐像です。このように蛇がからみついた杖を持っていました。

こちら→ http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d2/Asklepios.3.jpg

そして、蛇が二匹絡まっている杖を持っていたとされるのがギリシャ神話に登場するヘルメスです。(ギリシャ神話の伝令神ヘルメスはやがてローマ神話のメルクリウスに同化します。ですから、ヘルメスとメルクリウスは同じと考えていいようです)

こちら→ 
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d2/Caduceus_large.jpg/220px-Caduceus_large.jpg

ヘルメスはアルファベットや数、天文学等々を発明した知恵者とされていますから、プゲオンはこの壁画にモチーフとして登場させたのかもしれません。

■モチーフとしての蛇
プゲオンは絵画「蛇」ではきわめて小さな蛇を登場させています。よく見ないと気付かないほど目立たず、ほとんど存在感がありません。ところが、この壁画の下絵では巨大な蛇を登場させています。それも、ヘルメスかもしれない登場人物の腕に巻きつく格好で絵柄を構成しているのです。

ギリシャ神話のヘルメスはローマ神話のメルクリウスに同化していったとされています。そして、このメルクリウスは中世およびルネッサンス期には錬金術、諸学や技芸の祖とされていたようです。ですから、修辞技法に通じていたプゲオンはこの壁画にモチーフとして蛇を取り込みたかったのでしょう。それも左前面に巨大な姿で取り込んでいますから、天文学をはじめとする科学技術こそが今後の社会を切り開くという意味を込めようとしていたのかもしれません。

もちろん、モチーフとして蛇を採用するのは、象徴的な意味合いからだけではなかったでしょう。蛇の姿形をデフォルメすれば、印象深い構図を創り出すことができますし、他のモチーフとの関連で絵に形態的な躍動感を生み出すこともできます。実際、彼は前面に巨大な胴体部分を描き、遠方に何かを探すような動きをしている頭部を描いています。それが、奥の方に描かれた絵に観客を誘い込む役割を果たしているのです。こうしてみると、プゲオンは「蛇」というモチーフに固着した象徴とその形態を巧みに操作し、作品に明確な主張を込めようとしたのだといえそうです。まさに修辞法に長けた彼ならではのモチーフの処理だという気がしました。

この下絵から、たった一枚の絵画でも、モチーフの選び方、扱い方次第で歴史を踏まえ、今後を見据えた主張を展開することが可能だということがわかりました。(2015年2月5日 香取淳子)