ヒト、メディア、社会を考える

「小山田二郎展」:母のイメージと愛

「小山田二郎展」:母のイメージと愛

■小山田二郎の「ピエタ」
「生誕100年小山田二郎展」でなによりも強く印象に残ったのは、さまざまな作品から透けて見える小山田二郎の冷徹な眼でした。モチーフはどれも小山田二郎らしいタッチでデフォルメされて表現されています。ですから、リアルとはいえない画風なのですが、なんといったらいいのでしょうか、モチーフの捉え方が実にリアルなのです。たとえば、1955年に制作された「ピエタ」という作品があります。

こちら →
http://blog-imgs-18.fc2.com/a/k/a/akaboshi07/d0059306_2125504b.jpg

この絵からは恐ろしいほどの憤怒、悲憤、絶望…、というようなものが伝わってきます。モチーフを三角形でまとめた直線的な構図、黒、こげ茶、白などの無彩色に近い色彩、無数のスクラッチを施した表現がそう感じさせるのでしょうか、よくある「ピエタ」とはまったく様相が異なるのです。

■モチーフとしての「ピエタ」
ピエタ(Pietà)というのはイタリア語で哀れみ、慈悲などを意味するのだそうです。一種の聖母子像として、十字架から降ろされたキリストの亡骸を抱く聖母マリアをモチーフに数多くの絵画や彫刻が制作されてきました。絵画でいえば、たとえば、アンニーバル・カラッチはこんな風に描いています。

こちら →http://art.pro.tok2.com/C/Carracci/019[1]1.jpg

また、アンゲラン・カルトン作とされる「ピエタ」はこんな風に描かれています。

こちら →http://www.cgfaonlineartmuseum.com/q/quarton4.jpg

これらの作品はいずれも聖なるキリストの死を嘆き、再生を祈る意味が込められています。カラッチの作品では嘆き悲しむ聖母マリアと二人の天使が描かれていましたし、カルトン作とされる作品では聖母マリア以外にマグダラのマリアや使徒ヨハネが描かれていました。もちろん、どちらの作品もキリストの姿は亡骸とはいえ尊厳が感じられるように描かれています。絵としては聖なるキリストの死を嘆き悲しみ、復活を願うという構図になっているのです。

彫刻作品も同様です。「ピエタ」は一種の聖母子像として制作されていますから、慈悲、慈愛の念が強く伝わってきます。たとえば、ミケランジェロはこのモチーフで4作品も制作していますが、もっとも有名なサンピエトロ大聖堂にある「ピエタ」を見てみましょう。

こちら →
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8a/Michelangelo%27s_Pieta_5450_cropncleaned.jpg/300px-Michelangelo%27s_Pieta_5450_cropncleaned.jpg

聖母マリアはあくまでも清らかで、その表情からは子を亡くした母の深い悲しみが伝わってきます。

■「ピエタ」に見る小山田二郎の冷徹な眼
これらの絵や彫刻に比べると、小山田二郎の「ピエタ」はいっぷう変わっているといわざるをえません。まず、キリストの顔は半分ミイラになりかかっているように描かれています。胴体を見ると反り返っており、足も手も硬直しているようです。まさに聖母マリアは死後硬直の始まったキリストを抱いているのです。とても、復活を望める状態ではありません。

疑いようもない死を前にして聖母マリアの顔は険しく、怒りと絶望に満ちているように見えます。この絵から果たして、「ピエタ」の意味する哀れみや慈悲をイメージすることができるでしょうか。ひしひしと伝わってくるのは、小山田二郎の冷徹なまでの観察眼です。

評論家の粟津則雄氏は14世紀中頃の木彫りの「ピエタ」を著書『美との対話』(生活の友社、2014年)の中で紹介し、以下のように書いています。

「ここに見られる聖母は、われわれが思い描く聖母像とは似ても似つかぬものだ。ここには、優美さもやさしさも、そのかけらもない。(中略)一方、抱かれているキリストにしても、聖性とか悲愴美とかいったものはいささかも感じられない。あまり血を流し過ぎたせいかどうか、その遺骸はコチコチに乾いていて、遺骸よりもミイラに似ている」

果たして、どのような「ピエタ」だったのでしょうか。図を探し出すことができました。

こちら →http://www.wpsfoto.com/items/images/b2398.jpg

これは1350年頃に制作された木彫りの「ピエタ」で、ボンにあるライン州立美術館に所蔵されているそうです。たしかにキリストの手足や胴体は細く、ほとんど厚みがありません。しかも、大量の血が流れたのでしょう、胸部と手には凝固した血痕がぶどうの粒のように表現されています。ですから、この木彫りの「ピエタ」から伝わってくるのは、キリストの無残な死であり、わが子がそのような目に遭わされたことを憤る母の姿です。いわゆる「ピエタ」とは大きく異なっていますが、これもまた聖母子像の一つであることにかわりはありません。

小山田二郎の「ピエタ」はこの系譜につながります。虚飾を剥ぎ取り、現実を直視して観察した結果、彼はこのモチーフをこのように表現したのでしょう。この絵からは小山田二郎が、冷徹にモチーフを観察する力、その眼が捉えた姿をありのままに描く勇気、さらには、評価や期待といったものに迎合しない強さを持ち合わせていたことがわかります。

ちなみに、1950年代に描かれた小山田二郎の「ピエタ」(府中市美術館所蔵)では、キリストは完全にミイラとして表現されています。ですから、この作品以前にすでに彼は死と生とをはっきりと区別して描こうとしていたことがわかります。

■「母」
1956年に制作された作品に「母」があります。これもまた、いっぷう変わった作風で、一般的な「母」のイメージとは大きくかけ離れています。

こちら →母

この絵からは通常、「母」のイメージに付随している暖かさというものが伝わってきません。顔は極端なまでに細長く、青白く生気がありません。眼はどこか虚ろで、悲しみとも絶望ともつかない表情です。直線的な構図で無彩色、全体にスクラッチが施されて描かれています。しかも、背後には無数の髑髏のようなものが配置され、手に数珠のようなものをつけていますから、愛というよりはむしろ死のイメージが濃厚に伝わってきます。

小山田二郎の「母」は子どもとともに描かれているわけではありませんが、数珠をした右手でお腹を押さえています。ですから、「生む存在としての母」が示されているように見えます。このお腹から出てきたわが子が無残にも亡き者にされたとでも言おうとしているのでしょうか。とすれば、この顔の表情も理解できます。

この「母」は小山田二郎の母ではなく、あるいは一般的な母でもなく、キリストの母、聖母マリアを描いていると考えた方がいいのかもしれません。とすれば、背後に累々と重なる髑髏はいったい何を意味しているのでしょうか。お腹を痛めて生んだわが子がやがては死に至ってしまう・・・、命あるものには付き物の「無常」を表現しようとしていたのでしょうか。

1950年代に描かれた小山田二郎の「ピエタ」(府中市美術館所蔵)では、聖母マリアは骸骨になってしまったキリストの顔を抱き寄せています。その顔は壮絶な表情を示しながら、眼はしっかりと見開いています。現実を直視しているのです。ここには、わが子の無残な死さえも、受け入れなければならない母の苦しみが表現されていますが、それと同時に、どんなに辛くても現実を見なければならないという小山田二郎の冷徹な制作姿勢を見ることができます。

このように死と生をはっきりと区別して描くことによって、母と子の別離がさらに深い悲しみとなって見る者に伝わってくるのです。1955年制作の「ピエタ」はこれをさらに洗練させ、抽象化させています。構図といい、色彩といい、きわめて完成度の高い作品になっています。このモチーフについて小山田二郎が長年考え続けた結果が反映されているといえるでしょう。

■「愛」
小山田二郎が描く「愛」(1956年制作)もまたどこか変わっています。

こちら →ai

黒い服を着た人物が全体の3分の2を占めるほど大きく描かれています。その顔は「ピエタ」の聖母マリアに似ています。両手は横一直線に大きく伸ばし、巨大な足は地面を力強く踏みしめています。まるで大きく伸ばした両手と巨大な足とで、地上のヒトを守っているかのようです。ここでも累々とした髑髏が描かれ、遠くに十字架も見えます。折り重なるように描かれた髑髏の大部分は囲いの中に配置されています。ここでも死と生ははっきりと区別されて描かれているようです。

手前にヒトが描かれていますが、真ん中の2人の手足は細く、腹部は膨れ上がっていますから、おそらく栄養失調なのでしょう。右手の3人は何らかの刑に処せられているのでしょうか、顔を布で隠し、四つん這いになって歩いています。式台のようなものを持つ左手の3人は髪を長く垂らし、顔を天に向けて歌っているように見えます。何かを祈っているのかもしれません。

この絵の下絵が府中市美術館に保存されています。それを見ると、聖母マリアの足は同じ位置にあるのですが、それほど大きくはなく、すぐ傍の式台には果物のような捧げものが載っています。聖母マリアの黒いマントの下には髑髏とヒトは区別されることなく描かれ、大きく包み込まれている格好です。

下絵とこの絵の違いは何かといえば、足を巨大にしたこと、式台から捧げものを無くしたこと、ヒトと髑髏をはっきりと区別して配置したこと、十字架を描いたこと、等々です。つまり、小山田二郎は聖母マリアがその愛で包み込む範囲をより明確に示そうとする一方で、死と生ははっきりと区別して描いているのです。

式台から捧げものを撤去したことで、この絵の抽象度が高められました。また、十字架を描き加え、栄養失調状態であることを強調することでメッセージ性を高めています。髑髏を囲いの中に配置し、ヒトを手前に配することによって、より洗練された構図になりました。祈りをささげる女性たちの長い髪を金髪に彩色したのも効いています。

■母のイメージと愛
一連の作品を見てくると、小山田二郎にとって母とは一体なんだったのか、考えさせられてしまいます。「母」を見ても「愛」を見ても、彼にとっての母とは聖母マリアといわざるをえないのですが、そこには通常の、優しく慈悲深い聖母マリアというイメージはありません。「愛」を見ていると、むしろ、ユングのいう「グレートマザー」というイメージが思い浮かびます。母には、子どもを慈しみ育てる優しい母というイメージの一方で、時には子どもをのみ込み、破滅させかねない恐ろしい母というイメージがありますが、後者の方を思い浮かべてしまうのです。

彼はこれらの作品を無彩色に近い色を使い、直線的な構図で表現しています。だからいっそう、そう思ってしまうのかもしれませんが、「母」や「愛」を見ても、愛情や暖かさの片鱗も伝わってこないのです。小山田二郎が描く「母」にしても「愛」にしても、そこから伝わってくるのは、虚飾を排したむき出しの姿です。極限状況では母も慈愛深くはなく、愛もまた成立しないのかもしれません。そう考えると、小山田二郎の冷徹なまでのモチーフの観察力や洞察力、観察したことをそのまま描く誠実さに感服しないわけにはいきません。(2015/2/12 香取淳子)

« »