ヒト、メディア、社会を考える

新徽派の版画

中国安徽省“新徽派”の版画

■時に刻む木痕
中国安徽省“新徽派”を代表する版画家たちの作品約50点が日中友好会館美術館で展示されています。主催は日中友好会館と安徽省美術家協会、開催期間は1月22日~2月25日までです。私は2月5日、日中友好会館美術館に行ってきました。人民網日本語版によると、この展覧会は2004年にフランスに招聘されて行った版画展に続き、2回目の海外版画展になるそうです。選りすぐりの版画作品が展示されているといえます。

こちら→http://www.jcfc.or.jp/blog/archives/5910

安徽省で生まれた“徽派”の版画には唐代からの歴史があるといわれています。明、清の時代に“徽派”の版画は隆盛し、中国版画芸術の中で大きな一派を形成するようになったそうです。

チラシの説明によりますと、その後、20世紀の中ごろから、頼少其など安徽省の版画家たちが、魯迅が提唱した“新興木刻”を導入しながら、安徽省の自然や時代を反映した版画を創作するようになったそうです。彼らはやがて“新徽派”と呼ばれるようになり、今回はその“新徽派”を代表する1980年代から現代までの版画家たちの作品50点が展示されています。たしかに、これが版画なのかと思えるほど多彩な世界が表現されていました。ここでは風景画として印象に残った作品を2点、ご紹介することにしましょう。

■版画家・師晶氏が制作した「花径雨香」
入ってすぐのところに展示されていたのが、この作品です。一目で心惹かれ、しばらくその前で立ち尽くしてしまいました。

こちら→ images

これは、師晶(师晶)という版画家の「花径雨香(花径雨香)」(70×77㎝、木版、2014年)という作品です。しっとりとした情感が豊かに表現されています。だからでしょうか、目の前に広がる光景に心奪われ、私は思わず立ち尽くしてしまいました。

絵柄として特異なわけではありません。日本でも地方に行けばどこでも見られる光景です。ところが、この光景を一目みただけで、どういうわけか、心の奥底が深く揺さぶられるような郷愁を感じてしまったのです。

それは、見る者を誘い込む構図のせいだったのかもしれません。手前に灌木と村につながる小道を配し、手前から全体の3分の2に相当する部分までを黄色い小花で埋め尽くし、遠方に家並み、その背後に霧にけぶる小高い丘を配した構図です。

もし、手前に灌木がなく、小道だけを配した構図だったとしたら、黄色の分量が多すぎて圧迫感が生まれていたでしょうし、人工的すぎてリアルさに欠けるでしょう。色彩の構成から見る者に不快感を覚えさせる可能性もあります。さらには、単純なT字型の構図になってしまえば、見る者の想像力を喚起する力が弱くなります。こうしてみると、構図とモチーフの配置、色彩の配分等々がきわめて適切だということがわかります。

タイトルの下の説明文には以下のように記されていました。

「4月初旬の清明節に安徽省にスケッチに行った作者は、「ある村へと続く湿った道に点々と野の花が咲き、霧が立ち込める風景を見た。とても美しく、心に深く残った。作品には、その霧の湿度や陽光の温度、時の流れ、ふるさとへの深い情を描こうと思った」と語っている」

清明節とは祖先の墓参りをし、草むしりをして墓の周辺を掃除する日で、日本のお盆に相当する年中行事だそうです。作者はおそらく墓参りのために帰郷した際、霧のかかったこの光景を目にしたのでしょう。

村につながる小道の両側には、黄色の小花が辺り一面に咲き乱れています。亡くなった者であれ、生きている者であれ、故郷に戻ってくる者はみな大歓迎するといわんばかりに、可憐な花々が村に続く小道に華やぎを添えています。遠方には村の家並みが連なって見えますが、それが霧にけぶってぼんやりしています。

一見すると、冬から春にかけて季節が移ろうときの風情が巧みに表現されているとしか見えません。ところが、この版画からは、リアルであってリアルでない・・・、過去であって現在でもある・・・、いってみればさまざまな境界線の喪失してしまった異空間を垣間見ることができるのです。ひょっとしたら、それがこの版画に時空を超えた魅力を添え、見る者を惹きつけるのかもしれません。

この版画には、このときの光景だけではなく、ここで暮らしている人々の過去、現在、そして、未来を彷彿させるところがあります。連綿と営まれてきた生活が積み重なり、やがてその土地の文化を醸成していく・・・、それがこの一枚の木版画に情感たっぷりに表現されているのです、

■版画家・鄭震氏が制作した「夕暮れ時(薄暮时分)」
夕陽の光景を捉えた作品はよく見かけるのですが、この作品にはどことなく心に響くものがあって、しばらく見入っていました。

こちら →20140824011620220

これは、版画家・鄭震氏が制作した「夕暮れ時(薄暮时分)」(34×53㎝、木版、1979年)という作品です。鄭震氏は“新徽派”の第一世代の版画家で、創始者の一人なのだそうです。たしかな表現力の持ち主のようで、これはいまから35年も前の作品ですが、少しも色あせていません。むしろ、構図の斬新さが印象に残ります。

タイトルの横につけられた説明文では以下のように記されています。
「江南地方の風情を落ち着いた表現で描いている。夕暮れ時の陽射しによって森は寂しげに影を落とし、その向こうには、その地に暮らす人々と民家が描かれている」

それにしても、私はなぜ、この作品に惹き付けられてしまったのでしょうか。

考えて見れば、夕陽そのものを捉えた作品は数多くあるのですが、夕陽が反射した光景を捉えた作品はそれほどないのではないでしょうか。ですから、夕陽に照らされた対象を捉えることによって、夕陽を浮き彫りにしていくという発想に惹かれたのかもしれません。
あるいは、木々をメインに捉えた構図かもしれません。

この作品は、全体の4分の3ほどが木々で占められ、残り4分の1ほどが家並みで占められています。構図の面からいえば、夕陽に照らされた木々が主人公なのです。たしかに、それらは美しく彩色され、その背後に広がる青い空が木々をさらに輝かせて見せていることは事実です。ところが、私たちの視線は目の前の木々で止まるのではなく、その背後の家並みに移ってしまいます。たとえヒトの姿は見えなくても、そこにヒトの気配を感じるからだと思います。

■風景作品とヒトの気配
今回の展覧会で惹き付けられたのは、第一世代に属する版画家の作品(1979年制作)と現代の版画家(2014年制作)の2作品でした。いずれも風景作品で、その背後に家並みが配されているところが共通していました。これらの作品の前に立つと、郷愁を誘われるような、描かれた風景と一体となってしまうような不思議な感覚を覚えてしまったのですが、それは描かれた風景にヒトの生活が反映されていたからかもしれません。

ヒトが生活するところには物語があり、時を経て、やがて文化が醸成されていきます。だからこそ、作品の中にヒトの気配を感じさせるものがあると、ヒトはそちらの方に関心を示してしまうのでしょう。今回、私が魅力を感じた二つの版画作品をご紹介しましたが、いずれも単なる風景画ではなく、ヒトの気配を感じさせ、想像力を刺激する要素が込められていました。そのような要素こそが風景画の魅力を増すのかもしれません。(2015/2/6 香取淳子)