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ICT

スマートコンストラクション:建機業界フロントランナー・コマツの進化

■コマツ、アフリカ市場の開拓
 2019年9月20日、日経新聞で「コマツ、アフリカに新工場」という記事が掲載されていました。見出しだけ読むと、コマツが機械の製造工場を新設するように見えるのですが、リード部分を読むと、補修工場を新設すると書かれています。一体、どういうことなのでしょうか。その背景を知りたい衝動に突き動かされて、私は一気にこの記事を読んでしまいました。

こちら →https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49991150Z10C19A9TJ2000/

 コマツは建設機械メーカーで、売り上げのほぼ9割が建設機械と鉱山機械だといいます。そのコマツがアフリカで建設する新工場が、なんと鉱山機械の補修工場だというのです。私が不思議に思うのも当然でしょう。

 建機大手のコマツが、今後の成長が見込まれるアフリカ市場に進出することに違和感はありません。でも、なぜ、補修工場なのでしょうか。

 そもそも私は建設機械業界に興味はなく、新聞記事で知る程度の知識しかありません。しかも、たいていは見出ししか読まず、中身はスルーしています。ところが、今回の記事は、見過ごすことができませんでした。どういうわけか、気になるのです。

 記事を読み進めると、アフリカ市場にはすでに欧米メーカーが大きく食い込んでいるようです。その一方で、中国メーカーが急速に追い上げてきており、コマツが対応を迫られているという構図が見えてきました。

 そこまで読んでようやく、私がこの記事に引っかかっていた理由がわかりました。似たような記事を読んだことを思い出したのです。補修工場を新設することに違和感を覚えただけではなく、なぜ、立て続けに似たような記事が掲載されたのかが気になったのです。

 さっそく、新聞の切り抜き帖を取り出してみて、記憶に引っかかっていたのは、2019年8月1日付の日経新聞の記事だということがわかりました。

 「コマツ、IoT網で主導権」という見出しの記事でした。

こちら →
https://www.nikkei.com/nkd/industry/article/?DisplayType=1&n_m_code=142&ng=DGKKZO48042280R30C19A7TJ1000

 1か月半も経たないうちに、似たような見出し、紙面構成の記事を二度みたのですから、気になったのでしょう。

 こちらのリード部分では、コマツがどのような過程を経て、データ強者になっていったのか概略が書かれていました。具体的に言えば、1999年に遠隔監視システム「コムトラックス」を発売し、2017年にデータ活用の情報基盤「ランドログ」を立ち上げ、2019年10月には「レトロフィットキット」(他社を含む建機に後付け機器)を試験導入し、2020年に本格発売するという事業展開でした。

 コマツが着手しているのは、まさにデータ・ドリブン型事業といえるものでした。「レトロフィットキット」の導入事業を進めていけば、コマツは建機業でのデータ経済圏で主導権を握ることができるという内容だったのです。

 このようなコマツの事業展開について日経新聞は、米キャタピラーや中国勢とのグローバル競争を見据えているからだと指摘していました。

■米キャタプラーや中国メーカーとのグローバル競争
 見比べて読むと、二つの記事の背後にある状況が見えてきました。それは、コマツを取り巻くグローバル競争です。先行する業界1位の米キャタプラー、そして、急速に追いついてくる中国勢、コマツが比較優位に立つにはどうすればいいのか、というのが課題であり、今回、報道された2件はいずれも、その打開のための事業戦略といえます。

 9月21日付の記事はアフリカ市場を巡るものであり、8月1日付の記事はIoT網を巡るものでした。

 まず、将来、成長が期待できるフロンティアとしてのアフリカ市場への対応から見ていくことにしましょう。

 記事によると、アフリカ市場のシェアの大半は、1920年代に進出したキャタピラーやスウェーデンのボルボなどの欧米メーカーが握っているといいます。コマツは1969年代に進出して日系企業のODA需要を取り込んできましたが、現地でのシェアはまだ低いとされています。その間隙を縫うようにしてシェアの伸ばしているのが、中国のメーカーだというのが最近の状況です。

 中国メーカーの躍進ぶりがどれほどすさまじいものか、この記事だけではよくわからないので調べてみると、韓国メディアが中国メーカーの躍進の様子を伝えているのを見つけました。中国勢の猛撃に遭っても、日本メーカーはまだ上位にいますが、韓国メーカーはたちまちのうちに追い抜かれてしまったのです。それに脅威を感じた韓国メディアが、建機メーカーの世界ランキングの結果を踏まえ、伝えています。

こちら →
(韓国経済comより。図をクリックすると、拡大します)

 上の図は2018年度の世界売上高ランキングに基づいたものですが、妙なことに、上位2位までと、中国メーカーと韓国メーカーだけが取り上げられています。うっかりすると、ランキング1位から6位までが取り上げられているように錯覚しかねないのですが、ランキングの配列が、記事内容に合わせて変えられています。

 中国メーカーと韓国メーカーを比較するためなのでしょうが、かなり変則的な表です。そこに韓国メディアの焦りが感じられます。中国勢に抜かれたことに脅威を感じ、不安感を掻き立てられた韓国勢の反応を韓国メディアは代弁していただけなのかもしれません。

 先ほどもいいましたが、業界1位のキャタピラー(米)はすでに1920年代に現地代理店を設置しており、アフリカで高いシェアを誇っています。業界2位のコマツ(日本)は、アフリカには1969年に進出していますが、シェアはそれほど多くありません。

 このようにランキング上位に大きな変動はないのですが、近年、中国勢が大きく躍進してきたのが、波紋を広げているのです。中国勢は2018年には業界6位、7位にランクアップしています。そのせいで、韓国メーカー(9位、20位)がランク落ちしたというのが韓国メディアの記事の主旨でした。

 韓国メディアは、中国勢の台頭の中でもとくに三一重工の躍進が目覚ましいことに注目しています。そしてその躍進の要因として、マーケティング活動の充実と製品のラインナップの拡大を挙げています。

 一方、日経新聞は、三一重工の躍進を、中国政府の「一帯一路」政策によるものだと分析しています。ODA案件が増えたおかげで、中国メーカーが急速にアフリカでシェアを伸ばしたというのです。私はCCTVで時々、「一帯一路」政策の現地での様子を伝える番組を見ていますが、日経新聞のこの分析は納得できます。

■ブルー・オーシャン戦略か?
 アフリカ市場はいまや唯一のフロンティアといえる貴重な市場です。ところが、その市場でコマツは、欧米メーカーの既得シェアを崩すことができず、中国勢からは猛烈な追撃を受けています。いってみれば、にっちもさっちもいかない状態に置かれているのです。

 そんな状況下でコマツが取った戦略が、鉱山機械の補修工場の新設でした。先ほどもいいましたが、コマツは建設機械と鉱山機械を主に扱っています。それがなぜ、鉱山機械に的を絞ったのでしょうか。

 日経新聞の記事によると、それは、アフリカには金やプラチナ、ダイヤモンドなどの資源が豊富で、鉱山機械の需要が多いからだといいます。鉱山機械は現地で需要が多いばかりか、その営業利益率は建機よりも1割程度高いそうです。メーカーにとっては大きなメリットがある事業なのです。

 しかも、鉱山機械の場合、鉱物を掘り起こすため摩耗が早く、月に数回、部品の交換需要が発生するといいます。補修だけではなく、新品の部品需要も期待できるのです。それを知って、なるほどと合点しました。

 コマツのHPを見ると、鉱山の中でダンプトラックとショベルカーが置かれている写真がありました。

こちら →
(コマツHPより。図をクリックすると、拡大します)

 2台のうち、小さく見えるのがダンプトラック930eと表示されています。ネットで調べてみると、これが世界最大のダンプトラックなのだそうです。どれほど大きいものか、知りたくてネットで検索すると、YouTubeに1分の43秒の映像がありました。見てみることにしましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=K5zg0z740OU

 これを見ると、ダンプトラックといいながら、まるでビルのような大きさです。それに比べると、普通の乗用車が必死で逃げ回る小動物のように見えます。鉱山で使われているのが、このダンプトラックです。HPを見ると、その隣のショベルカーはさらに大きいので、実際に見ると、想像を絶するほど巨大なのでしょう。

 これで鉱山を掘り、鉱物を掘り起こしていくのです。鉱物は硬いですから、当然、摩耗も激しいでしょうし、破損もするでしょう。人里離れた鉱山で故障すれば、業務はすぐさまストップしてしまいます。機械はできるだけ故障しないように、メインテナンスを徹底する必要があるでしょうし、故障したとしてもすぐに対応できる体制を整えておくことがなによりも重要になってくるでしょう。

 こうしてみてくると、業界2位のコマツが敢えて補修工場を新設したことの理由がよくわかります。現地の状況を見れば、高い需要が見込まれる事業内容だったのです。建機の補修をメインにしたビジネスモデルがとても新鮮に思えてきました。まさにブルー・オーシャンといえる事業でしょう。コマツの狙いは大当たりするかもしれません。

 そういえば、9月20日付日経新聞の記事の最後の方で、コマツの執行役員の見解が披露されていました。興味深いことに、「安い中国製品に最初は飛び付いたが、その後のサービスが乏しくて困っている顧客も多い」といっているのです。おそらく、それがアフリカ市場の実態なのでしょう。とすれば、中国製の建機が普及すればするほど、それに伴い、補修を提供するビジネスにも需要があるといえます。

 鉱物資源の豊富なアフリカでは、今後、さらなる建機需要が見込めることは確かですから、一見、奇妙に思えた建機の補修というビジネスは、実はとても有望な事業だという気がしてきました。

■データ・ドリブン社会に適したコマツの事業展開
 先ほどもいいましたように、私は建機業界については何も知りませんが、今後、機械が精密化すればするほど、操作できる人材の確保は難しくことは予想できます。その一方で、現場で不測の事態に対応できない事態も多々、発生するでしょう。そうなれば、メインテナンス、補修などのサービス需要が増えることは必至です。

 実は8月1日付の記事はその需要に対する事業内容でした。この記事には図が添えられていました。わかりやすく書かれていましたので、ご紹介しておきましょう。

こちら →
(2019年8月1日付日経新聞より。図をクリックすると、拡大します)

 この図を見ると、コマツはまず、遠隔監視システム「コムトラックス」を開発し、次いで、データ活用の情報基盤「ランドログ」を立ち上げ、そして、「レトロフィットキット」を試験導入し、2020年には本格発売するという行程を経ています。着実に進化しながら、事業展開していることがわかります。

 いずれも情報通信技術と建機を組み合わせたサービスです。これらのサービスによって、安全で正確に、そして、容易に仕事ができる環境を整備してきたのです。さらに、そこで派生したデータに基づき、さらなるサービスが提供できるような事業展開をしてきたことが示されています。

 それでは、コマツが提供してきたサービスを順にみていくことにしましょう。

 ネットで検索すると、コマツが開発したコムトラックス(KOMTRAX)に関する記事が見つかりました。2013年3月㏪に掲載された記事で、当時コマツの取締役会長であった坂根正弘氏の見解が記されています。

■ダントツ商品、ダントツサービス、ダントツソリューション
 坂根正弘氏は「コムトラックス」の開発当時を振り返り、油圧ショベルの盗難対策として構想した商品だったといいます。当時、盗んだ油圧ショベルでATMを壊して現金を強奪する事件が日本で多発していました。私も新聞テレビなどの報道を見た記憶があります。一連の時間をきっかけに、油圧ショベルに「GPSをつけたらどうか」ということになって、開発したのが「コムトラックス」だといいます。

 建設機械にGPSを搭載すれば、所在場所を確認することができます。さらに、通信機能を装備すれば、他のセンサー情報も取れるようになります。そうして、エンジンコントローラーやポンプコントローラーから情報を集めることができれば、その機械がいまどこにいるのか、稼働中なのか休止中なのか、燃料の残量はどのくらいなのかといった情報を取得できます。

 このように、一連の事件を奇貨として、コマツは、建設機械にGPSを搭載し、通信機能を使って、センターにデータを送信する仕組みを開発したのです。これが「コムトラックス」というシステムです。

 「コムトラックス」を開発することで何が起きたかといえば、「コマツの機械を盗んだらすぐ追跡される」と評判になったといいます。さらに、コマツは、500メートル以上車が移動したらお知らせメールが送信される、サーバーから命令するとキーを入れてもエンジンがかからないという仕組みを開発しました。

 その結果、油圧ショベルを盗んでトレーラーに乗せ、ATMの前に行ってもトレーラーから下ろせなくなりました。今度は、「コマツの機械は盗んでも使えない」ということが評判になって、盗難が劇的に減ったといいます。

 坂根正弘氏は、この「コムトラックス」をダントツ商品といいます。その後、「コムトラックス」は情報通信技術の進化とともに進化していきます。

 コマツのHPには「ダントツ商品」というコーナーがあります。

ダントツ商品

こちら →https://home.komatsu/jp/company/tech-innovation/products/

 坂根正弘氏は、ダントツ商品もいつかは競合他社に追いつかれるといいます。それでも売れ続ける仕組みをつくるには、ダントツサービス、さらには、ダントツソリューションを提供していく必要があるというのです。

 コマツのHPには「ダントツサービス」というコーナーがあります。

ダントツサービス

こちら →https://home.komatsu/jp/company/tech-innovation/service/

 たとえば、「コムトラックス」を搭載した機械であれば、データを収集・分析することができます。その結果にしたがって、顧客にこうすれば燃料消費を抑えられるといったようなフィードバック・サービスを提供できるといいます。

 また、コマツのHPには「ダントツソリューション」というコーナーがあります。

ダントツソリューション

こちら →https://home.komatsu/jp/company/tech-innovation/solution/

 たとえば、チリやオーストラリアでは、すでに無人ダンプトラックが動いているといいます。鉱山会社から無人ダンプが必要とされているからです。資源開発が進めば、掘りやすい現場は次々と掘りつくされて、次第に奥地に入っていかざるをえません。決められたルートを往復するだけの単純作業を強いられるダンプの運転手は、気の緩みから転落事故を起こす危険性があります。そのような危険を回避するために、鉱山などでは、無人ダンプトラックの需要が高まっています。

 そこに、飛行場の管制塔のようなコントロールセンターを設置し、数人の監視員が鉱山の中のダンプを管理できるようにすれば、安全でしかも最適な燃料消費も実現できることになります。ICTを活用することによって、結果として、顧客にソリューションを提供できることになるのです。

 坂根正弘氏はすでに2013年、ダントツ商品、ダントツサービス、ダントツソリューションを提供することによって、「コマツでないと困る」という信用を得ることができるといっています。

 「コムトラックス」に始まる商品、サービス、ソリューションの提供ことが顧客の信頼を得る最大の武器だといっているのです。そのような取り組み姿勢はコマツで継承され、さらに進化し、共有されています。

■スマートコンストラクションに取り組むコマツ
 コマツは4年前から「スマートコンストラクション」の取り組みを始めています。スマートコンストラクション推進本部長の四家千佳史氏がこれについて述べている記事を見つけましたので、ご紹介しましょう。

こちら →https://lexus.jp/magazine/20190306/316/tec_smartconstruction_ict.html

 これを読むと、スマートコンストラクションはコマツが手掛けてきたダントツソリューションの進化したものだということがわかります。すでに日本が直面している人手不足という課題に向けて、ICTを活用したソリューション体制を構築しようとしていることがわかります。

 コマツにはスマートコンストラクション専用のHPも設定されています。

こちら →https://smartconstruction.komatsu/

 ホーム画面には、スマートコンストラクションに向けたポリシーが載せられています。見てみることにしましょう。

 「労働力不足やオペレータの高齢化、安全やコスト、工期に関わる現場の課題を、お客様とともに解決していきたい」と考え、「現場全体をICTで有機的につなぐことで生産性を大幅に向上」させ、「未来の現場」を創造していくことによって、課題を解決していくというものでした。

 四家千佳史氏は、建設業界では人手不足が深刻な問題になっているが、とくに不足しているのが、工事を実際に行う技能労働者だといいます。技能労働者の多くが高齢で次々と退職しているのに、新規就労者数が少ないというのが実態で、入管法を改正して外国人労働者を増やしても、この人手不足は解消されないと指摘しています。

 人手不足だからといって、工事を減らすことはできず、新規の工事はもちろん、老朽化したインフラの保守や再整備の工事は不可欠です。では、どうすればいいのか。四家千佳史氏は、「建設現場の労働生産性をあげること。また、建設現場をスマートで安全なものにして、多くの人が参入できるようにする。それ以外に方法はない」といいます。

 そのために、建設現場を根本的に変える必要があるといい、四家千佳史氏が先頭に立って、「スマートコンストラクション」を2015年にスタートさせました。施工計画、施工作業など、これまではベテランの技術者の技量や経験に頼る部分が大きかった建設工事のやり方を根本的に変革する仕組みです。

 スマートコンストラクションでは、ICTを活用して現場のあらゆる要素を3次元のデジタルデータ化し、工事全体を可視化します。そうすることによって、生産性を劇的に高めることができます。さらに、これは人材不足の解消だけではなく、工事の安全性の向上にも寄与できる画期的なソリューションだと四家千佳史氏はいいます。

こちら →
(スマートコンストラクション概念図 コマツより。図をクリックすると、拡大します)

 まず、ドローンを使って施工前の現場を3次元で測量しデータ化します。それとともに、2次元の完成施工図面も3次元データ化します。この二つのデータを比較することによって、施工作業が必要な範囲、作業する場所の形状、施工時に出てくる土砂の量などを正確に割り出します。これらのデータに基づいてコンピュータ上で工事のシミュレーションを行い、何通りもの施工計画案を顧客に提案する、というものです。

 また、施工作業終了後には毎回、ドローンを飛ばして現場の測量を行います。そうすることによって、スケジュールに従って、設計図通りに施工されているかどうかを正確に確認することができます。そして、工事完成後の最終的な検査も、ドローンを使ってスピーディに正確に行うことができるというのです。

こちら →
(ドローンを使った日々の管理 コマツより。図をクリックすると拡大します)

 四家千佳史氏は、スマートコンストラクションによる施工計画はすべて3次元データに基づいているので、同じものは一つもないといいます。これまでの施工実績から得られた知的財産が反映されているからこそ、より現実に即した提案が可能になるのでしょう。ICT技術によって工事の情報全体が3次元デジタル化されているから可能なのだと指摘します。

■社会的課題解決にはICTの高度活用か?
 こうしてみてくると、このシステムの素晴らしさは、3次元デジタルデータによって現場が記録され、それが集積されることによって新たな発見がうまれ、それを踏まえてシステムが洗練されることによって、より現実的な解が得られるようになっていることでしょう。

 興味深いことに、コマツのHPではスマートコンストラクションの導入事例が報告されています。

こちら →https://smartconstruction.komatsu/case/index.html

 全国各地、さまざまな現場で導入されていることがわかります。なによりも現場の声を聞くことができるのが、素晴らしいと思います。現場が異なれば、携わるヒトも異なります。それぞれに活用に仕方があっていいと思いますし、このような事例の積み重ねが新たな発見につながり、新たな課題、ソリューションに向けた取り組みのスタートになるでしょう。

 今回、畑違いの領域に首を突っ込み、書いてみました。知識がないので、いろいろと調べ、考えていくうちに、コマツの取り組みを通して、今後の社会を考える手がかりを得られたような気がします。現代社会で発生しているさまざまな課題はどれも根っこの部分で共通のものがあるからでしょう。そうだとすれば、超高齢社会による課題もこのICTを適切に活用することによって、最適の解が得られるかもしれません。(2019/9/22 香取淳子)

ビッグデータの時代、新卒採用を巡って何が起きているのか。

 2019年8月9日、リクルートホールディングスは4月―6月期の連結純利益が前年同期比25%増で過去最高だったと発表しました。「じゃらん」(旅行)、「ホットペッパービューティ」(美容)、「リクナビNEXT」(中途採用)、「リクナビ」(新卒採用)など、データを活用したサービス事業が利益を生み出していたのです。

 近年、リクルートが成長戦略として推進してきたのが、AIを使い、個人と企業とのマッチングを行う事業でした。今期はそれらが軒並み、業績を上げていたのですが、その中の一つ、「リクナビ」が手掛けていたサービスで問題が発覚しました。

■リクナビ、内定辞退率を企業に提供
 2019年8月2日、就職情報サイト「リクナビ」を運営するリクルートキャリアが、本人からの同意を得ないまま、個人情報を使って「内定辞退率」を算出し、38社に有償で提供していたことが報じられました。

 それを聞いた瞬間、私は思わず、耳を疑ってしまいました。リクナビといえば、大手の就職サイトです。それがユーザーである学生の信頼を踏みにじり、騙し討ちにするような行為で、大幅な利益を得ていたというのです。開いた口がふさがらず、私は不快感をおぼえ、不信感をつのらせてしまいました。

 この時の報道によると、リクルートキャリアは、学生の閲覧履歴をAIで分析し、選考や内定を辞退する確率を5段階で評価するサービスを開発していたといいます。「リクナビDMPフォロー」と名付けられたこのサービスがどのような仕組みになっているのか、私にはよくわかりません。

 ただ、ログインすれば、登録情報から自動的に個人が割り出されますし、その個人情報を閲覧履歴に紐づけて分析すれば、内定辞退の確率を個別に算出することができるのではないかという程度のことは推察できます。

 このサービスは2018年3月から開始され、38社が利用していまたといいます。利用料金は関連サービスと合わせて年額400万円から500万円だったそうです。内定辞退率は企業にとってそれほど高い価値を持つ情報なのでしょう。

 リクルートは人事担当者のニーズをしっかりと把握した上で、個別企業のニーズに合わせ、当該学生の内定辞退率を提供していました。学生の氏名を特定した上で、内定辞退率を算出し、企業ごとに情報を提供していたのです。

■内定辞退率の商品化
 内定辞退率が、人事担当者からのニーズが高く、価値の高い情報であることは確かでした。学生と企業とのマッチングが適切でなければ、内定者が辞退してしまうということは今後も多々、起こるでしょう。

 事前に当該学生の内定辞退率を把握することができれば、より承諾する可能性の高い学生に内定を出すことができると、企業が考えたとしても不思議はありません。企業にとって喉から手の出るほど欲しい情報なのです。ですから、内定辞退率の商品化は半ば当然のことだったといえるでしょう。

リクナビといえば、年間80万人もの学生が利用するサイトです。

こちら →https://job.rikunabi.com/2021/

 ほとんどの学生はこのサイトで企業情報を得、就職活動を展開しています。その結果、リクナビには学生の個人情報や企業の閲覧履歴が膨大なデータとして蓄積されていました。ユーザー数が多ければ多いほど精度の高い情報が得られますし、サービスを改善していくこともできます。

 ビッグデータの時代にはデータが価値を生みます。ビッグデータを処理する技術があり、インフラがあれば、内定辞退率を個別に算出し、商品化することは可能でした。最大手の就活サイト「リクナビ」だからこそできた情報サービスだといえます。

 一方、「リクナビ」は、企業側のニーズを的確に把握しやすい立場にありました。だからこそ、企業が把握している特定の個人情報に紐づけ、閲覧履歴をAIで分析し、企業が知りたい学生の内定辞退率を算出することができたのです。この仕組みを図式化すれば、以下のようになります。

こちら →
(2019年8月2日、日経新聞より。図をクリックすると、拡大します)

 そもそも学生の閲覧履歴など、これまでは単なるデータに過ぎませんでした。ところが、AIの登場によって、ただのデータを価値ある情報に転換することができるようになりました。データを利活用し、ビジネスに結び付けることができるのが、閲覧履歴などの個人情報です。

 もっとも、個人情報の利活用はビジネスに直結させることができる一方、個人の権利や利益を侵害する恐れがあります。

■本人の同意を得ず、個人情報を利用
 今回、問題になっているのは、本人の同意を得ないまま、個人情報が使われていたことでした。先ほどの図を見てもわかるように、情報のやり取りはすべてネット上で行われています。

 リクナビは学生と企業をつなぐプラットフォームですから、メインの顧客は学生だと思っていましたが、今回の一件からは、企業を重視したサービスが展開されていたことがわかります。企業のニーズに応えるために、本人の同意を得ないまま個人情報を使用していたのです。

 明らかに、個人情報保護法に違反していますが、8月2日の時点では、リクルートキャリアはこのサービスをいったん、休止するとしか表明していませんでした。個人情報の扱いに関する認識が甘かったのかもしれません。

 ところが、8月6日の報道では、このサービスを「休止する」から、「廃止する」に変更されていました。事件発覚後、リクナビに対する内部調査によって、個人情報保護法違反が明らかになったからでした。

 例えば、「2019年3月にプライバシーポリシーを変更した際、一部の画面で反映できておらず、不適切に個人情報を取得した」ことが明らかになったといいます。システム上、本人の同意を得られない状況があったことが示されており、これによって、7983人の学生に影響が及んだと説明されています。

 これはほんの一例です。これ以外の方法で、多くの個人情報が本人の同意なく、利用されていたのでしょう。正確に何人の学生の予測データが企業に販売されていたのか、この時点ではまだわかっていません。問題の根幹にかかわる情報の多くが不明だったのです。今後、このサービスの仕組みが明らかになってくれば、リクナビだけではなく、企業側の責任も問われる可能性がありました。

 案の定、調査が進むと、企業は自社が持つ学生の個人データをリクナビに提供していたことが明らかになってきました。考えてみれば、確かに、企業からのデータ提供がなければ、特定の学生のその企業に対する「内定辞退率」を予測することなどできるはずがありません。

 内部資料によると、企業はこのサービスを利用するために、リクルートから以下の作業を行うことが求められていました。すなわち、①採用のデータベースから、個人IDや選考結果、学歴など応募者情報をリクルート側に送付すること、②応募者に対して個人ID付きのURLの入ったメールを送信すること、等々です。

 つまり、学生の内定辞退率を算出するには、リクルート側が持っているデータだけでは不可能で、当該企業からのデータが不可欠でした。双方のデータを収集してAIが分析した結果、学生がその企業の内定を辞退する確率を予測することができる仕組みだったのです。

■新卒者の内定辞退率の推移
 企業が個人情報保護法に抵触してでも入手したかったのは、学生の内定辞退率でした。実際、手間暇かけて選考し、熟考の末、内定を出しても、辞退されてしまったのでは、元も子もありません。できることなら、確実に入社してくれる学生に内定を出したいというのが、企業の本音でしょう。

 ところが、近年、内定を辞退する確率が高止まりしているようなのです。ネットで検索すると、新卒者の内定辞退率の推移を示すグラフを見つけることができました。2013年以降、内定辞退率は以下のように推移しています。

こちら →
(日経新聞2018年12月1日付。図をクリックすると、拡大します)

 上のグラフを見ると、2014年以降、内定辞退率は急速に上昇しています。2016年から2017年にかけては一旦、下がるのですが、その後、再び上昇しています。2019年春の卒業生の場合、内定辞退率は66%にも及び、過去最高を記録していました。ちなみに、学生が内定を得た企業数は平均2.45社だったそうです。

 内定辞退率の推移をみていくと、企業の人事担当者がどれほど虚しい思いをし、徒労感を募らせていたかがわかろうというものです。しかも、内定辞退者数は60%以上で高止まりしています。このような状況が固定してくれば、企業の人事担当者が、内定を出した学生の辞退する確率を事前に把握したいと思うのも当然なのかもしれません。

 ある企業の人事担当者によれば、1名の内定承諾者のために、2名に内定を出し、2名の内定者を出すために3名を社長面接に繋ぎ、3名の社長面接に繋ぐために5名を役員面接に繋ぐといいます。そして、5名の役員面接に繋ぐために10名のマネージャー面接を設定し、10名のマネージャー面接を設定するために20名の人事面接が必要だといいます。

 さらに、20名の人事面接に繋ぐためにはイベントで300名の学生に接触しなければならないというのです。一人の内定承諾者を出すために、企業側はなんと300名の学生に接触していたのです。

 採用のための一連のプロセスを見ると、企業が新卒採用にどれほど時間とコスト、心的エネルギーをかけているかがわかります。企業側の現状がわかってくると、次第に、この種の情報サービスは必要なのかもしれないと思うようになってきました。

 とはいえ、本人の承諾を得て、個人情報を利用し、内定を得た学生の不利にならないようなシステムを構築することは可能なのでしょうか。個人情報を利用しなければ価値ある情報は得られず、本人の同意を求めれば、個人情報は得られない可能性があります。こうしてみると、現在の新卒一括採用システムそのものを考え直すことが必要になっているのかもしれません。

 せっかく内定を得ても、学生はちょっとしたきっかけで容易に辞退してしまうというのが実態だとすれば、インターン制を充実させ、就職前に就労経験を積む必要があるでしょう。学生側の就労意識に問題があるのだとすれば、大学側でキャリア教育を充実させる必要があるかもしれません。

 いずれにしても、これだけ内定辞退率が高いのは、新卒一括採用方式がもはや時代に合わなくなっているからだということも考えられるでしょう。

■新卒の通年採用の枠を拡大
 そういえば、2019年4月22日、経団連は、新卒学生の通年採用を拡大することで大学側と合意し、正式に発表しました。これまでの春季一括採用に加え、通年採用の枠を拡大すると経団連が宣言したのです。

 通年採用であれば、海外に留学した学生を採用しやすくなりますし、時期にとらわれずに優秀な学生を採用することができます。採用方式を多様化することによって、企業側は多様な人材を獲得することができるという判断から、経団連は新卒の採用方式を変更したのです。

 大学側にしてみれば、通年採用を拡大することによって、新卒一括採用に合わせたカリキュラムではなく、大学で学ぶべき教育課程を充実させることができます。インターン制度を使い、専門知識を活かして仕事をする機会を学生に提供することもできます。このような可能性を考えると、通年採用は、企業にとっても大学にとっても通年採用方式にはメリットがあるといえるでしょう。

こちら →
(日経新聞2019年4月22日付より。図をクリックすると、拡大します)

 もっとも、多様な採用方式が広がっていけば、新卒の採用時期が前倒しされる懸念があります。これについて経団連と大学側は、就職活動に多くの時間を割いて、大学4年時を浪費しないよう、「卒業要件を厳しくするよう徹底すべき」だという見解を確認し合ったと報道されています。学生にはしっかりと学んでもらい、知識、技能、見識などを習得してもらうという点で、受け入れる側と送り出す側は一致していたのです。

 デジタル競争の時代、世界に通用する人材を採用しなければ、企業を持続的に発展させることはできません。文系・理系を問わず、基本的な数学やデータ分析力を養い、語学やリベラルアーツの習得が必要だということが共通認識になっているといえます。今春、経団連が打ち出した通年採用は時代の要請でもあったのです。

 さて、日経新聞は2019年4月22日、通年採用の導入について、企業にアンケート調査を実施しました。その結果、すでに通年採用を始めていると答えた企業が24.5%、検討中が54.9%、検討していない企業は20.6%という結果でした。なんと8割弱の企業がすでに通年採用を実施しているか、検討していることがわかりました。

 そして、通年採用を評価すると回答した企業は53.8%、評価しないはわずか10.4%でした。「評価する」理由の上位は、①「就活ルール」が形骸化、②留学生や外国人材を採用しやすくなる、③優秀な人材を確保しやすくなる、④学生との「ミスマッチ」が起きにくい、⑤学生が学業に注力できる、等々でした。

 このアンケート調査の結果からは、企業が国内外を問わず、優秀な人材を求めていること、学生にはしっかりと勉強してほしいと望んでいること、等々が裏付けられました。組織内の和を重視するメンバーシップ型雇用から、能力重視のジョブ型雇用へと、明らかに変化し始めているのです。技術変化の激しいデジタルトランスフォーメーションの時代、優秀な人材の採用こそが、企業の命運を握るようになってきたからでしょう。

■ジョブ型雇用が意味するものは?
 IT関連企業は当初から、ジョブ型雇用を実施していました。今回、注目されているのは、大企業が加盟している経団連が、このような雇用方針の転換を表明したことでした。これまで組織内調和を重視し、メンバーシップ型雇用を行ってきた経団連が、組織の調和を乱しかねないジョブ型雇用を打ち出したのです。

 いったい、何故なのでしょうか。

 人材サービス企業の大手エン・ジャパンの沼山祥史執行役員が、興味深い見解を披露しています。

ご紹介することにしましょう。
(https://style.nikkei.com/article/DGXMZO44519100Y9A500C1000000/?page=2より)

 沼山氏は採用の現状について、「メンバーシップ型の採用をしている企業の給与制度は、年功序列を前提とした職能給であるため、ほしい専門人材に柔軟な条件提示ができない。結果、条件面で有利な外資やベンチャーに負けてしまう。こうした現状を何とかしないと企業として生き残れないという危機感がある」と述べています。ジョブ型採用に移行すれば、人材獲得競争の面でメリットが大きいと指摘するのです。

 沼山氏さらに、「ジョブ型採用が広がると、学生時代から専門性を磨いたり職業経験を積んだりした人が就職の際に一段と有利になるだろう。だから、大学では専門的な勉強をしっかりとすることが求められる。また、インターンをするのも一つの手だ」といい、「就職してからも自己投資を怠らず、専門性に磨きをかけることが必要になってくる。年功序列のメンバーシップ型とは違い、ジョブ型は基本的に、自分で努力しないとキャリアアップも昇給もままならない」と述べています。

 最近、『AERA』の2019年8月5日号を読んだところ、「新卒の年収も一千万円時代」というタイトルの記事が掲載されていました。これもまた、ジョブ型採用の一例といえるでしょう。

■新卒年収、1000万円時代?
 ネット関連企業のDeNAは2017年、高いAI知識を持つ学生のための採用枠「エンジニア職AIスペシャルコース」を設け、年収を「600万円以上、最高1千万円」としたそうです。

 タイトルを見たとき、あまりにも高額の年収に驚いてしまったのですが、これは、優秀な学生をつなぎとめるためのジョブ型採用の一つでした。

 DeNAのAIシステム部長は、実際に1千万円の年収を提示する学生には最低条件として、「研究者としてトップレベルであること」、「学生時代に国際学会で発表し、論文が採択されていること」、「事業やサービスの提供を先導できること」などを求めるといいます。

 破格の年収には驚いてしまいましたが、採用基準をみると、極めて高い知識や技能、経験が求められています。グローバル化し、デジタル化した社会状況の中で、十分に能力を発揮できる人材が必要とされているのでしょう。

 人材獲得競争がし烈になっている今、求める人材を獲得しようとすれば、考えられないほど多額の報酬を提示せざるをえないようになっているようです。

 さて、2017年に「エンジニア職AIスペシャルコース」で、DeNAに採用された学生は、AI専門職の採用枠を設けている企業をターゲットに就職活動をしていたといいます。結果として、大学、大学院でしっかりと研究してきたことが評価されて、採用されました。

 大学や大学院でしっかりと学び、成果を出していれば、専門職を遂行できる人材だとして評価され、企業から高い報酬で採用されるのです。入社してから、専門を活かしてモチベーション高く働くことができれば、職場でも成果を上げやすく、企業も満足するというwin-winの関係が生み出されます。新卒学生に高い報酬を支払っても、高い確率で、それに見合う成果が得られるのです。

 DeNAと同様、新卒にも高額の報酬で報いるという企業は他にもありました。

こちら →
(『AERA』の2019年8月5日号より。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、主に研究者、AIエンジニアとして力量のある人材が求められていることがわかります。デジタル技術に長けた優秀な人材を採用しなれば、企業の存続が危ぶまれる時代になっているからでしょう。

■ビッグデータの時代、何が求められているのか
 デジタル競争の時代を迎え、ビッグデータ、AIが主要な役割を果たすようになっています。企業が求める人材もそれに応じて変化しており、高度なデジタル人材の獲得競争がし烈になっているようです。

 ところが、従来の給与体系では優秀な若い人材の雇用は難しく、企業の成長を維持することはできなくなっています。既存社員よりも多額の報酬を支払ってでも、有能な新卒を採用しなければ、デジタルトランスフォーメーションへの対応が不可能になっているのです。

 そのような状況下で発覚したのが、就活サイト「リクナビ」の個人情報保護違反の案件でした。内部調査が進むにつれ、企業もまた学生の個人情報を本人の同意なく、リクルートに提供していたことが明らかになりました。就活サイトと企業が共同して学生の個人情報を勝手に利用し、個別に内定辞退率を算出し、新たな情報サービスとして企業に有償で提供していたのです。

 ビッグデータが価値を持つ時代を反映するような案件でした。

 一方、新卒に1000万円の報酬を提示する企業が出てきました。採用基準をみると、グローバルに展開するデータ経済の時代に活躍できる能力や技能、経験を備えていることが条件になっています。

 今回、ご紹介した新卒採用を巡る一連の案件はいずれも、デジタルフォーメーション時代に向けて社会が変革している過程で生み出されたものだといえるでしょう。新たな事業を創出し、企業が持続的に発展していくには、技術力、知識、経験、人間性など、きわめて高い能力を備えた人材が不可欠になっていることがわかります。

 さらに、「リクナビ」の一件では、個人情報が大量に集積すれば、新たな価値を生み出すこともわかりました。改めて、どのようにすれば個人情報を守れるのか、個人の権利や利益を侵害しないで利用するには個人情報をどのように扱うべきなのか、ルールの徹底が必要だと思いました。(2019/8/16 香取淳子)

デジタル・ガバメント:エストニア、会津若松市、デンマークから学べるものは何か

■マイナンバーカード、各種証明書と一体化へ
 2019年7月15日付け日経新聞で、政府がマイナンバーカードと各種証明書類を一体化する方針を明らかにしたことを知りました。ハローワークカードや障碍者手帳、お薬手帳などは2021年度中に統合し、マイナンバーカード1枚で、さまざまな用途に使えるようにするというのです。利便性を高めることによって、普及を促進させるというわけでしょう。

 カードの交付実績は2019年5月末の時点で約1702万枚、3年後には1億枚以上の普及を目標とするというのですが、果たして目論見通りに普及するのでしょうか。

 政府はすでに2019年6月4日、デジタル・ガバメント閣僚会議で、「マイナンバーカードの普及とマイナンバーの利活用の促進に関する方針」をまとめています。

こちら →
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/dgov/dai4/siryou1-2.pdf#search=’%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E6%99%AE%E5%8F%8A%E7%AD%96′
 
 これを読むと、上記の新聞記事もこの普及策の一環だということがわかります。今後、8月を目途に、各種証明書類との一体化を盛り込んだ詳細な工程表をまとめる予定だそうです。

 一連の流れを見ていると、政府はデジタル・ガバメントに関し、いつまでも堂々めぐりの施策立案の段階に留まっているような気がしてなりません。というのも、ほぼ同様のマイナンバーカードの普及対策は、総務省によって、3年前(平成28年7月1日)にもまとめられているからです。

こちら →
http://www.nga.gr.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/2/04%20160701jyouhouka.pdf#search=’%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E6%99%AE%E5%8F%8A%E7%AD%96′

 これをみると、マイナンバーカードを導入することによって、さまざまな行政サービスが可能になると謳われています。ところが、あれもできる、これもできる、といった盛り沢山な内容になっており、総花的で訴求力に乏しく、いまひとつ現実味が感じられません。

 何にポイントを置いて進めていくのか、早急に実現すべきものは何なのか、特段、ウエイト付けがされていないので、マイナンバーカードの普及策だといわれても、机上の空論に過ぎないように思えてしまいます。

 そう思っているときに、たまたま読んだのが下記の記事でした。

こちら →https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1906/19/news029.html
 
 「日本のデジタルトランスフォーメーションは「ディスラプション」に?今こそ欧州の中堅国に学べ!」というタイトルに引かれて読んでみたのです。なるほどと思わせられるところがありましたので、ご紹介することにしましょう。

■迷走する日本のデジタルトランスフォーメーション
 筆者の西野弘氏(HIイニシアティブ代表取締役)は、デジタルトランスフォーメーションにおける日本の凋落ぶりを、各種データから次々と明らかにします。

 たとえば、世界経済フォーラムで発表された2018年度の世界競争力レポートで日本は5位だったというのに、2019年度のIMD国際競争力ランキングで日本はなんと30位です。さらに、2018年度の世界デジタル競争力ランキングでも日本は22位でしかなく、全般に北欧を中心とした国が上位を占めています。

 もちろん、何を指標にするかによってランキングは異なってきます。そこで、評価方法をみると、IMD国際競争力ランキングでは、経済の規模だけではなく競争力の源泉となる行政の効率性や生産性、ヘルスケア、教育などが評価指標になっています。競争力が単なる経済規模から、科学研究や金融、生産性、ヘルスケアなどを重視した指標にシフトしているのです。

 国際デジタル競争力ランキングでは、ビジネスモデルや行政実務に留まらず、デジタル技術が一般社会での活用にためにどれだけ開発、適用されているかといったようなことが評価指標になっています。

 日本の場合、通信インフラの技術は優れているのですが、それ以外の分野は他国に比べ優位性があるわけでもありません。デジタル化について総合的な進化状況が問われるようになっている現在、ランキング結果が低くなってしまうのも仕方のないことなのかもしれません。

 ちなみに日本が22位であった、「デジタル競争力ランキング2018」では、1位のアメリカに次いで、シンガポール(2位)、スウェーデン(3位)、デンマーク(4位)、スイス(5位)、ノルウェー(6位)、フィンランド(7位)、カナダ(8位)、オランダ(9位)、イギリス(10位)という順になっています。欧州の中堅国、とくに北欧を中心とした国が上位を占めているのが印象的でした。いったい何故なのか、注目する必要があると思いました。

 この記事を書いた西野弘氏は、日本のデジタルトランスフォーメーションは迷走しているのではないかと指摘します。というのも、日本のIT投資額は年間10兆円を超えているのに、大した成果を挙げていないからです。先進国のはずなのに、日本のデジタル競争力が低いことには私も驚きました。

 欧州の状況に詳しい西野氏にしてみれば、日本の状況は奇妙に思えるほど進展していないのでしょう。だから、「日本がやろうとしているのはデジタルトランスフォーメーションの推進ではなく、自らの手でその可能性を破壊しようとしているのではないか」と危惧するのです。それほど日本は、巨額の資金を投与しながら、果々しい成果を挙げていなかったのです。

 そこで、西野氏は、このような現状を打開するため、日本は欧州から学ぶべきではないかと提案します。

 先ほどのランキングを見ても、欧州の中堅国が上位を占めていました。そもそも、欧州は産業革命の発祥地であり、伝統的な大企業が数多く存在します。その欧州でデジタルトランスフォーメーションがスムーズに進んでいるのですから、なにか社会文化的な要因が潜んでいるのかもしれません。

 日本がデジタルトランスフォーメーションに際し、西野氏が取り組むべきだとするのは、以下の4点です。

 すなわち、①欧州の中堅国やシンガポールのデジタルトランスフォーメーション・モデルを研究すべきである、②実証実験の段階で止まってしまうプロジェクトが多いが、社会実装にまで持ち込むべきである、③挑戦力を醸成するようにすべきである、④デジタルトランスフォーメーションは、大きな収益と社会的影響を生むと確信し、プロジェクトを実行すべきである、等々。

 そこで、思い出したのが、6月12日に開催された「日本・エストニア、デジタルガバメントフォーラム」でした。

■日本・エストニア、デジタルガバメントフォーラム
 前回(2019年6月14日)、「日本・エストニア、デジタルガバメントフォーラム」について、ご紹介しましたが、当日、私は午後から別用があって、残念ながら午後の部は出席できず、ごく一部分しか、ご紹介できませんでした。

 幸い、7月12日付日経新聞に、このフォーラムの特集記事が掲載されていました。早速、ネットで検索すると、当時の様子が日経チャンネルで提供されていることがわかりました。そこで、この映像を視聴し、何が議論されたのかを把握した上で、関連情報を加えながら、日本のデジタル・ガバメントの推進に必要なものは何なのかを考えてみることにしたいと思います。

 このフォーラムでは3つの分科会で議論を重ねた後、パネルディスカッションで分科会での議論を深め、提言を行うという段取りになっていました。ですから、パネルディスカッションの映像を視聴すれば、このフォーラムの全体像を把握できるのではないかと思います。

 それでは、まず、パネルディスカッションの映像を視聴し、日本のデジタル・ガバメントに必要なものは何なのかという観点から、印象に残ったところを中心に、ご紹介していくことにしましょう。

■パネルディスカッション
 パネルディスカッションの登壇者は、モデレーターの南雲岳彦氏(三菱UFJリサーチ&コンサルティング常務執行役員)、第1分科会から山口功作氏(エストニア投資庁 元日本支局長)とアルヴォ・オット氏(e-Government Academy会長)、第2分科会から安井秀行氏(アスコエパートナーズ代表取締役社長)と石黒不二代氏(ネットイヤーグループ代表取締役社長)、第3分科会から中村彰二朗氏(オープンガバメント・コンソーシアム代表理事)、三輪昭尚氏(内閣官房 情報通信政策監)の7人です。

 それでは、パネルディスカッションの映像を視聴していただきましょう。

こちら →https://channel.nikkei.co.jp/d/?p=190612estonia&s=1628

 ここで印象に残ったのは、第1分科会のモデレーターを務めた山口功作氏(エストニア投資庁・元日本支局長)のご発言でした。

 昨年まで10年間、山口氏はエストニア大使館でIDカードをはじめ、行政のデジタル化に関わってこられました。その山口氏が最初に言われたのは、日本では技術に関する議論は活発だが、概念についてはないがしろにされているように思えるということでした。

 日本ではデジタル・ガバメントに対する概念について、徹底的に議論されないまま計画が進められるので、途中まで進んでもまた最初に立ち返らなければならないことが多いと指摘されたのです。

 これを聞いて、私はなんとなく納得できるような気がしました。先ほど、いいましたように、マイナンバーカードの普及策一つとってみても、私には、いつまでも堂々巡りの段階にとどまっているようにしか思えませんでした。山口氏のお話しを聞いていて、会いナンバーカードの件も、最初の段階で議論を尽くし、市民・国民の観点から合意形成をしてこなかったからではないかと思えてきました。

■論議を尽くして、概念形成を
 さて、実際にエストニアのデジタル・ガバメントの構築に関わってきた山口氏は、以下の4点が肝要だと言われました。すなわち、①デジタル・ガバメントの概念について議論を尽くし、IDを使って何をするのか目標を定める、②必要なインフラを整備する、③システムに対する信頼を構築する、④それぞれの自治体がアプリケーションを創る、等々です。

こちら →
(パネルディスカッション、図をクリックすると、拡大します。日経映像より)

 デジタル・ガバメントの構築には行政ばかりではなく、市民、企業、教育機関、研究機関、医療機関等々、さまざまな個人や組織が関わってきます。それだけに、最初に議論を尽くし、デジタル・ガバメントの概念形成を確かなものにしておく必要があるのでしょう。

 そのような過程を踏まえてようやく、インフラの整備に向かうことができます。インフラの整備ができれば、システムに対する信頼の醸成、その後は、各自治体の必要に応じたアプリケーションの構築、といった具合に、段階的に計画を進めていくことができるのです。

 山口氏の見解に照らし合わせて考えてみると、これまで日本で行われてきたのは、行政主導のデジタル・ガバメント構想でしかなかったのではないかという気がしてきます。つまり、トップダウンで決定された施策には市民・国民の視点が欠けているからこそ、実用化段階でさまざまな不具合が生じるのではないかと思えてきたのです。

 マイナンバーカードに置き換えていえば、仮に制度自体はすばらしいものであったとしても、市民・国民の視点を欠くものであれば、受けいれられにくく、普及も進まないのは当然のことだといえます。

 日本でなぜデジタル化の推進が難しいのかといえば、明らかに、官主導、テクノロジー主導で展開されているプロジェクトだからだといえるでしょう。市民・国民の立場からデジタル・ガバメントの概念が議論され、目標が設定されていれば、その後の展開はよりスムーズだったのかもしれません。いまだにマイナンバーカードの普及で行き詰っているというようなことは起こりえなかったでしょう。

 日経チャンネルで、パネルディスカッションを視聴していると、恰好の事例が紹介されていることに気づきました。会津若松市が行っているスマートシティです。

■会津若松市の事例
 第3部会のコーディネーターを務めた中村彰二朗氏(オープンガバメント・コンソーシアム代表理事)は、「会津若松スマートシティプロジェクト」を進めています。その取組みスタンスがとても興味深いものだったのです。

 中村氏は、このプロジェクトについてまず、どうすれば、そして、何をすれば、市民が幸せを感じることができるのかということについて何度も議論を積み重ね、合意形成を経てから、地域の人々がプラットフォームを立ち上げたといいます。

 印象に残ったのは、行政、企業、大学、研究所、どこに所属していようと、全てのヒトが市民という立場からこのプロジェクトに参加し、課題に取り組んでいると言われたことでした。市長であっても、研究者であっても、皆、市民という立場でこのプロジェクトに参画し、課題に取り組んできたというのです。

 共通項は、生活基盤を会津若松エリアに置く人々です。その共通の立場で、自分たちの生活を豊かで、安心、安全なものにするために、デジタル技術をどう活用していくか、ということを考えてきたと中村氏はいいます。

 山口氏が最初に問題提起された概念形成の段階で、会津若松のプロジェクトの場合、「市民の視点、市民の立場」という基盤がしっかりと確立されていたのです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。第3部会で提示された画像の一部より)

 上の図を見ると、会津若松市のプラットファームは2層で構成されていることがわかります。上段の「市民」と表示された層は、エネルギー、観光、予防医療、教育、農業、ものづくり、金融、交通など8つの領域が設定されており、このプラットフォームを基盤に市民、観光客、移住者、事業者などが情報の出し入れを行います。ここではマイナンバーカードを活用し、ワンストップで情報のインプット、アウトプットができるようになっているのです。

 その下の段が、「学」、「産」、「官」表示された層です。「学」ではIT人材の育成、「産」ではデジタル産業の集積機能移転と地元からの採用を目指し、「官」では先端プロジェクトを誘致・推進する役割を担います。まさに、デジタルトランスフォーメーションを準備し、継続させていくための層です。

 幸い、会津若松市にはIT人材の育成に定評のある会津大学があります。

こちら →https://www.u-aizu.ac.jp/intro/

 実際のデータを使って教育されたIT人材は、地域産業、街づくりの活性化、さらには行政の効率化に貢献できるでしょう。優秀なIT人材はデジタル産業を呼び込み、会津若松市に集積するようになるかもしれません。

 「市民・観光客・移住者・事業者」と表示された層は、多種多様なデータを集積したデータプラットフォームとAPI(Application Programming Interface)でつながった「学」・「産」・「官」と表示された層から、必要に応じた情報の提供を受けます。多種多様なデータが多様な媒体から自動的に収集され、それが「学」・「産」・「官」と表示された層を経由して、市民・観光客・移住者・事業者にとって有益な情報として還元されていく仕組みになっているのです。

こちら →https://aizuwakamatsu.mylocal.jp/detail?wid=44320118&cid=22534&pf=r
 
 このプロジェクトでは、市民・観光客・移住者・事業者などのエンドユーザーが情報の出し入れを行う際に使うのが、マイナンバーカードになっています。

■マイナンバーカードへの懸念は払拭できるか 
 会津若松市の事例でも、マイナンバーカードの普及が前提となっていました。スマートシティ、あるいは、デジタル・ガバメントを推進していくにはマイナンバーカードの普及が不可欠なのです。

 政府は、下記のような普及策を推進しています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。2019年6月4日付日経新聞より)

 これをみると、行政側の利便性だけではなく、利用者にとっての簡便性や利点なども考慮されていることがわかります。今後、さらに普及することは確かでしょう。ただ、最終的にネックになるのは、個人情報を行政側に提供することへの漠然とした不安でしょう。

 前回の報告(2019年6月14日)でもご紹介しましたが、エストニアではX-Roadというデータ交換基盤を整備することによって、安全性を担保し、利用者に安心してもらえるようにしています。その後、スマホの普及によって、mobile ID、smart IDといった具合に、技術の進展に応じてカードを進化させており、安全性を確保しながら利便性を高めているのです。

 これに関し、第3分科会で登壇された安岡美佳氏(北欧研究所代表)が、興味深い体験談を披露してくださいました。

 安岡氏は2005年にデンマークに赴き、大型ITシステムの研究に加わってこられたそうです。以後、デンマークに滞在されていますが、当初は自分に番号が振られ、政府に個人情報が筒抜けになっていることがとても嫌だったそうです。ところが、次第にそのような気持ちはなくなっていったといいます。

 というのも、IDカードがあることで便利なことの方が多く、ネガティブなことは何も経験しなかったからだというのです。そのような経験から、安岡氏は、日本でも利用者に利点の方が多いと感じてもらえれば、不安は解消されていくのではないかといいます。

 安岡氏は、「より健康に、より幸せに、IoTがもたらすデンマーク医療・福祉のミライ」という記事を書いています。

こちら →
https://www.huawei.com/jp/about-huawei/publications/huawave/23/HW23_Better%20Connected%20Healthcare%20in%20Denmark

 高齢化率の高いデンマークでは、1968年には個人番号制度が導入され、1970年に納税記録、1977年に個人医療記録と紐づけられた結果、今ではIoTを活用して、税収を確保し、さまざまな医療サービスを提供できるようになっているというのです。

 安岡氏は、このような取組みを通して、デンマークはやがて医療福祉の分野で世界をリードしていくだろうと予測しています。

 超高齢社会の日本がデンマークの取組みから学ぶべき点は多そうです。

■超高齢社会の日本が学ぶべきことは何か?
 中村氏は、「会津若松スマートシティプロジェクト」を進めてきた経験から、プロジェクトを主導する組織はさまざまでも、皆、市民という立場から発想しなければならないと言います。それは、病院や学校、自治体、企業といった組織はいずれも市民が構成メンバーだからです。

 さらに興味深かったのが、都市OSの標準化が必要だと言われたことでした。全国に1800もある自治体がそれぞれ独自のOSを開発していては費用もかかるし、効率も悪い、エストニアやEUを参考にしながら、あるべきOSを構築する必要があるのではないか提案されたのです。

 技術のことはわかりませんが、仕様が異なれば、自治体間、あるいは国との間のデータ流通に支障があるかもしれません。お話しを聞いていて、共通のOSは必要だという気がしました。

 さて、エストニアでは現在、94%の国民がIDカードを所有し、活用しているといいますが、普及率50%に達するのに5年以上かかったといいます。普及させる過程で尽力された課題が、いかに安全性を担保するかということでした。

 試行錯誤の上、エストニアが安全なデータ交換基盤を開発したのが15年前です。分散システムの中で作動するX-Roadというデータ交換基盤を開発して以来、国民に安心してもらえるようになったそうです。

 エストニアはいまやサイバーセキュリティ領域の先進国です。セキュリティに関する知が集積されてきたからでしょう。サイバー空間で行われる戦争への既存の国際法の適用を分析した文書には、「タリン・マニュアル」というエストニアの首都名が付けられています。

 安岡氏は、デンマークでは高齢化率が23%に及び、労働者不足、国庫のひっ迫が懸念されており、その解決策として、大きな期待が寄せられているのがIoT関連機器とサービスだといいます。IoTを活用して個人情報と連結し、個々人に適切な医療・福祉サービスができるようになったというのです。そして、自助努力を基盤とした在宅介護を進めていくには、デジタル技術によるサービスが欠かせないといいます。

 超高齢社会の日本では尚のこと、デジタル・ガバメントにシフトしなければ、いずれ立ち行かなくなってしまうでしょう。

 今回のフォーラムの中では、セキュリティの面ではエストニア、市民・国民を視点にした取組みでは会津若松市、IoTを活用した医療・福祉サービスではデンマーク、それぞれの実践事例が日本の参考になると思いました。成功した先行事例から多くを学び、日本の社会状況に合ったデジタル・ガバメントへの取組みを急ぐべきでしょう。

 考えて見れば、日本の高齢化率は2018年時点で、27.7%です。できるだけ早くデジタル・ガバメントにシフトし、IoTを活用した医療・福祉サービスを提供していくのが、喫緊の課題になっています。

 今回のフォーラムは、登壇者の人選が適切で、しかも、プログラムの構成がよかったので、議論を深めた上で提言に至ることができていました。開催当日、私は午前の部しか出席できませんでしたが、その後、日経チャンネルで映像が提供されましたので、内容をフォローすることができました。参加し甲斐のあるフォーラムだったと思います。(2019/7/21 香取淳子)

超高齢社会の日本、デジタルガバメントへの移行は可能なのか。

■日本・エストニア、デジタルガバメントフォーラムの開催
 2019年6月12日、日経ホールで「日本・エストニア;デジタルガバメントフォーラム」が開催されました。最近、デジタルファースト法案が成立しましたが、果たして、日本はデジタルガバメントに移行できるのかと思っていました。ですから、新聞でこのフォーラム開催を知ったとき、タイトルに引かれ、参加することにしたのです。

 行ってみると、参加者の圧倒的多数は中壮年の男性で、女性はちらほらと見かける程度でした。

こちら →
(フォーラム開始前の会場風景。図をクリックすると、拡大します)

 おそらく、行政、企業、研究者なのでしょう、ダークスーツにノートパソコンにスマホといった典型的なスタイルの男性たちが次々と入場し、開始直前にほぼ満席になりました。タイムリーなテーマだったし、今後の日本社会を決定づける重要なテーマだったからかもしれません。

 このフォーラムは、①講演を通しての情報提供、②分科会での討議、③提言につなげるパネルディスカッションといった具合に、朝10時から夕方5時50分まで、全体が三部構成で組み立てられていました。登壇者と参加者が情報を共有しながら、討議を行い、最終的にデジタルガバメントに向けた提言を行うという流れになっていました。

 分科会は、①「エストニアでデジタル化ができて、なぜ日本にできないのか?」、②「どうすれば進む!日本社会のデジタル化!」、③「世界へ発信していく日本のデジタル社会の姿とは?」など、三つ設定されていました。

 私は分科会①に出席したかったのですが、どうしても避けられない用事があって、残念ながら午後の部からは退席せざるをえませんでした。

 当日の様子は後日、日経新聞で報道されるということでしたので、紙面で内容を捕捉したいと思いますが、私が見聞きした限りでいえば、とても充実した内容だったので、印象に残ったところを中心にご紹介していくことにしましょう。

■digitizationからdigitalizationへ
 最初に、印象に残ったのが、情報通信技術政策担当、内閣府特命担当大臣であり、日本エストニア友好議員連盟の平井卓也氏のお話しでした。

 平井氏はまず、10歳の女の子がクラウドファンディングで資金を集め、エストニアに行ってロボティックの研究をしたいという事例を紹介されました。そして、多くの子どもたちが今、デジタル化に大きな関心を寄せるようになっており、いわゆるデジタル・ネイティブ世代のポテンシャルが想像以上に高いと報告されたのです。子どもの頃からスマホとともに生きてきた世代にとっては当然のことなのかもしれませんが、私もこれを聞いて驚きました。

 次に、令和(beautiful harmony)の時代を生きる日本の次世代は、高齢世代とうまく調和しながらSociety5.0 を作り上げていくことが大切だと述べられました。それこそが、beautiful harmonyの精神だというのです。実際、少子高齢化が今後も続く日本では、人口の4割が65歳以上、50歳以上が6割という状態がしばらく続きます。したがって、次世代が高齢世代を取り込みながら、デジタル化を進めていく必要があるのです。

 世界でも突出して高齢化率の高い日本は、このままではデジタル後進国になりかねません。まさにピンチとしかいいようのないのが現状ですが、だからこそ、それをチャンスに変えていく必要があるというのが平井氏の主張でした。

 まずは行政のデジタル化を進め、イノベーションを起こし、さまざまな社会的課題を対処していくことが肝要で、そのためには、マインドセットを変えていく必要があるというのです。

 マインドセットという聞き慣れない言葉を聞いて、調べて見ると、どうやら、ベストセラーになった“MIND SET”(『マインドセット』、キャロル・S・ドゥェック著、今西康子訳、2016年)から来ているようでした。その意味は思考様式といったようなものですから、これまでとは考え方を変えて、行政改革に取り組まなければならないということでした。つまり、行政のデジタル化を進めるといっても、今の行政組織をそのままデジタル化するのではなく、新しいインフラを構築する覚悟で臨まなければならないということなのです。

 平井氏はさらに、エストニア政府関係者が2013年頃に言われた言葉として、digitizationが重要なのではなく、digitalizationが重要だということを紹介されました。digitizationとdigitalizationとは似たような言葉ですが、その意味が異なります。今、必要なのは、digitalizationなのだという指摘でした。digitalizationは単なるデジタル化ではなく、デジタル化されたデータを利活用し新たな価値を創り出すことまで含まれているのです。

 聞いていて、ふと、2000年頃、globalizationとglobalizationとの違いが議論されたいたことを思い出しました。あの頃は“global”という言葉を軸に世界が動いていたのです。翻って今、“digitalization”という流れの中で世界が大きくうねり始めています。改めて、“digital”をキーワードに、新たな時代に突入しつつあることを実感させられました。

 さて、マイナンバーカードのお手本にしたのはエストニアのIDカードだったそうです。さらに、サイバーセキュリティに関しても、日本はタリン協定に参加し、防衛省からエストニアに人材を派遣し、digitalization下の安全対策を進めているそうです。調べて見ると、『防衛研究紀要21』に河野桂子氏が<「タリン・マニュアル 2」の有効性考察の試み>というタイトルの論文を書いていました。

「タリン・マニュアル 2」とは、サイバー活動に適用される国際法に関する文書のことで、2017年2月5日、NATOのサイバー防衛センターによって発表されました。これに関しては、発表後、ワシントンDC、デン・ハーグ、タリンなどで評議会が開催され、国際的に立ち上げられたといいます。

こちら →https://the01.jp/p0004346/

 この「タリン・マニュアル 2」は、2013年に発表された「タリン・マニュアル1.0」に続くものだそうですが、この「タリン・マニュアル1.0」は当時、サイバー空間で行われる戦争に既存の国際法をどのように適用できるのかを最も包括的に分析した文書だといわれていたようです。

こちら →
https://www.securityweek.com/security-think-tank-analyzes-how-international-law-applies-cyber-war

 核攻撃ばかりではなく、サイバー攻撃の脅威が現実のものになっている今、新たな手段の攻撃に対しどう対処するか、国際的な指針が必要になってきているのです。行政のデジタル化を進めてきたエストニアはいち早く、その指針作成にも取組んできたようです。私たちが知らないところで着々とデジタル化に対応して国家戦略が展開されていることがわかります。

 さて、このフォーラムにはエストニアから13名が参加されていましたが、最初に登壇されたのが、経済通信副大臣のヴィルヤ・ルビ氏でした。ルビ氏は世界がデジタル化によって再編成されるにつれ、国境がなくなっていくとともにサイバー攻撃の恐怖も増大しているといいます。そんな中、エストニアが提供するe-government academyは世界130ヵ国と協業しており、日本とエストニアの関係は近年、とても緊密なものになっているといいます。Society5.0の下では、常に学び続けること、共に学び合うことが基本だといいます。

 それでは、e-Government Academyとはどういうものなのでしょうか。

■e-Government Academy
 まず、e-Government Academy戦略・開発担当副ディレクターのHannes Astok氏、続いて会長のArvo Ott氏のお話しがありましたが、両氏を含むチームメンバーについては下記に紹介記事がありました。

こちら → https://ega.ee/team/

 さて、Hannes Astok氏は講演の中でまず、45年前のエストニア人夫婦の写真を提示し、続いて、これを加工し、彼らの前にパソコンとケーブルを置いた写真を提示し、これが今の状況だと説明しました。

こちら →
(“Estonian e-government ecosystem: analogue and digital elements”より。図をクリックすると、拡大します)

 9世紀の写真を加工し、2016年の技術環境に変更したのが上の写真ですが、今や普通の人々がパソコンを操作し、調べものをし、スカイプで話し、ユーチューブの映像を見て楽しむようになっているのです。

 このように国民がさまざまなデジタルデバイスを使っているのなら、行政もまたデジタル化し、生活改善に寄与できる方向に変えていく必要があると考え、エストニアは行政のデジタル化に着手したといいます。もっとも行政にはアナログの要素とデジタルの要素がありますから、それを見極めながら、国民がいつでもどこでも行政サービスを受ける環境を創り出すことが大切だと指摘します。

 これについてはHannes Astok氏が作成した、“Estonian e-government ecosystem: analogue and digital elements”と題するパワーポイントの資料がありましたので、ご紹介しておきましょう。

こちら → 
https://www.itu.int/en/ITU-D/Regional-Presence/AsiaPacific/Documents/Events/2017/Sep-SCEG2017/SESSION-1_Estonia_Mr_Hannes_Astok.pdf#search=’eestonia+ecosystem’
 
 さらに、e-GovernmentについてはHannes Astok氏による紹介冊子がありました。

こちら → https://ega.ee/publication/introduction-to-e-government/
 
 さて、日本のマイナンバーカードはエストニアのIDカードを参考にして作成されたといいます。どのようなコンセプトを参考にしたのでしょうか。

 このIDカードについてもHannes Astok氏が説明してくれました。

■Estonian ID card
Hannes Astok氏は、行政のデジタル化を進めるに際し、想定されるボトルネックに対処するには、ワンストップサービスを提供することだといいます。そのためには、すべての行政サービスに関する情報をデジタルフォーマットに変換する必要があり、その一方で、国民を確認し承認するためのIDカードが必要だというのです。

 エストニアでは2002年からエストニア国民ID(国民識別番号)カードが発行されました。対象者はエストニア国民とエストニアへの移住者です。

 カードの表側には、所有者の写真、所有者の自筆署名、所有者の氏名、所有者の国民ID番号、所有者の生年月日、所有者の性別、所有者の市民権、カード番号、カードの有効期限が記載されています。

 そして、裏側には、所有者の出生地、カードの発効日、その他、居住許可に関する項目等々、表裏の印刷データを機械的に読み取り可能なフォーマットに変換した文字列が記載されています。
 
 個人を特定する重要な情報が入っているわけですから、このカードは技術的、法的、サイバーセキュリティその他の面で安全なものにしなければなりません。そこで15年前に開発されたのが、X-Roadです。分散システムの中で作動するX-Roadというデータ交換基盤が整備されたので、安全なのだそうです。

 それがスマホの普及によって、mobile ID、smart IDといった具合に、技術の進展に応じてカードも進化してきました。それに伴い、国民のアクセスも大幅に向上したといいます。それによって行政手続きのコストが大幅にカットされ、1720億円が節約されたといいます。人口125万7000人のエストニアでそうなのですから、1億2000万人余のにほんではさらに大きな節約が可能になるでしょう。

 もちろん、税の申告も電子申請になっていますから、いまではほとんどの国民がオンラインで税申告をするようになっているようです。

■tax declaration online
 e-Government Academy会長のArvo Ott氏は、2000年以降、税の申告もオンラインで行っており、2011年以降はほぼ100%が電子申請を行っているといいます。申請については下記のような手続きをするようです。

こちら → https://thisestonianlife.com/taxes-online-estonia/
 
 ただし、これをスムーズに進めるためには、国民が不安を抱かないように、プライバシー、セキュリティについて保証して進めることが必要だといいます。

 エストニアでは税の申告だけではなく、金銭取引、事業登録などもすべてオンラインで処理できるようになっているようです。

こちら → https://e-estonia.com/solutions/business-and-finance/e-tax/

 これを見ると、会社設立の98%、銀行取引の99%、税申告の98%がオンラインで行われていることがわかります。このことからは、行政サービスのオンライン化と合わせて民間サービスのオンライン化を行い、相互にやり取りができるようになっていることがわかります。

 エストニアではこのように事業や財政のオンライン化によって一貫したサービスが可能になっています。人々にとっては利便性が図られ、行政や民間事業主にとっては利便性ばかりか、無駄な経費がかからなくなりますから、大幅な節約ができます。

 こうしてみてくると、日本がエストニアに倣ってマイナンバーカードを創設した理由もわかってきます。行政サービスのオンライン化のために、個人認証手段としてのマイナンバーカードは不可避なのです。

 少子高齢化がさらに進み、医療負担、年金負担が今後さらに高まっていくことを考えれば、手続きにかかる無駄な経費は省いていくのが当然だということはわかりますが、果たして、日本で行政サービスのオンライン化は可能なのでしょう。

■超高齢社会の日本、デジタルガバメントへの移行は可能なのか。
 2019年5月、デジタルファースト法案が成立しました。さらに、2019年6月4日、政府はデジタルガバメント閣僚会議でマイナンバーカードの普及促進のための総合対策をまとめました。その中で興味深いと思ったのは、健康保険証として使えるようにし、2022年度中にほぼすべての住民にカードを交付するというものです。

 私は超高齢社会の日本で行政サービスのオンライン化は難しいのではないかと思っていますが、マイナンバーカードを健康保険証として使えるようにすれば、普及が進む可能性が高くなると思います。というのも、高齢者がもっともよく使うのは健康保険証なので、そこにマイナンバーカードを紐づけることによって、普及が進むことは明らかです。

 さらにはお薬手帳としても使えるようにすれば、マイナンバーカードによって治療の透明性を高めることも期待できるでしょう。無駄な投薬は回避されるようになるでしょうし、当然、膨張し続ける医療費の削減にもつながるでしょう。

 もちろん、医療機関がそれに対応できるよう整備しなければなりませんが、2022年度中には全国ほぼすべての医療機関が対応できるようにするということです。今度こそは、政府の本気度がわかります。

 もっとも、2019年6月11日の日経新聞夕刊の記事によると、2018年度中に個人番号を含む情報が漏洩するなどのマイナンバー法違反または違反の恐れのある事案が、134機関で279件あったと政府の個人情報保護委員会で発表されたそうです。134機関の内訳は、地方自治体が80、国の行政機関が9、民間事業者が45でした。その原因としては、電子メールの誤送信、書類の紛失、不正アクセス、等々のよるものでした。

 このような状態を見ると、まだ安心して個人情報を行政機関によって一元管理されたくないという気持ちになってしまいます。エストニアの場合、個人情報を安全に管理するための仕組みを同時に開発して進めていました。日本の場合、どうなっているのでしょうか。

 今後の社会状況を考えれば、日本こそ、デジタルガバメントへの移行は不可欠だと思いながらも、このような情報管理の甘い実態を知ると、まだ難しいのではないかと思えてなりません。なにしろ、超高齢社会の日本です。高齢者がカードを紛失してしまった場合、悪用されないための手段はあるのでしょうか。個人情報を保護するにはどうすればいいのか、高度なセキュリティシステムを導入するにはどうすればいいのか、安全に活用するための論議の過程をその都度、公開しながら進めてもらいたいという気がしています。

 神戸市長や会津若松での事例なども報告されましたが、今回のフォーラムで印象に残ったのは、これまでご紹介してきた事柄です。私が出席できなかった分科会等の情報については、後日、日経新聞で報道されてから、考えてみることにしましょう。(2019/6/14 香取淳子)

デジタルファースト法の成立で、何が見えてきたか。

■デジタルファースト法案の成立
 2019年5月24日、デジタルファースト法案が参院本会議で可決されました。すでに衆議院では4月26日に可決していますから、これでこの法案が成立したことになります。一体デジタルファースト法案とはどのようなものなのでしょうか。

 総務省は以下のように概要を示しています。

こちら →
(総務省HPより。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、情報通信技術を活用し、行政手続きの利便性の向上を図り、行政運営の簡素化・効率化を図るための法案だということがわかります。パソコンの普及だけではなく、スマホの普及率の高さがこのような行政のデジタル化を可能にしたと思います。ほとんどの人がスマホを日常的に操作できるようになったからこそ、行政サービスのデジタル化も実現可能になってきたのです。

 さて、行政のデジタル化に関する基本原則としては、①デジタルファースト(個々の手続き・サービスをデジタルで完結させる)、②ワンスオンリー(一度提出した情報は、二度提出する必要がない)、③コネクテッド・ワンストップ(民間サービスを含め、関連手続きは一度で済ますことができる)、だとされています。2019年から実施されるようになります。

 行政手続きのオンライン化が行政側にメリットがあることは確かです。人手を省くことができますし、人為的なミスがなくなり、正確に処理できます。さらには、データを積み上げ、相互に関連づけることも可能ですし、データに基づいた行政サービスも提供できるようになるでしょう。では、利用者側にどのようなメリットがあるのでしょうか。

■利用者にとってのメリットは?
 具体的に示された例でいえば、引っ越しの際、ネットで住民票の移動手続きをすると、その情報に基づき、電気、ガス、水道等の変更手続きもできるようになるというのです。確かに、これまでは住所変更をすれば、電話、電気、ガス、水道などの生活インフラそれぞれについて変更手続きをしなければならず、面倒でした。それが一度、住民票の移動手続きをするだけで、関連手続きがすべて自動的にできてしまうのだとすれば、これほど便利なことはありません。

 さらに、死亡や相続などの手続きもネットで済ませられるといいます。かつて相続の手続きが煩雑で大変だったことを思い出します。ですから、ネットで手続きが完了できるのだとすれば、便利になることは確かです。

 もっとも、引っ越しにしても、身内の死亡や相続にしても、そう何度も経験することではありません。ですから、いま、ご紹介したような行政サービスの利便性を提示されても、どれほどの人々がそれをメリットだと感じるでしょうか。利用者がメリットを感じるのは、行政サービスにかかるコストに比べ、はるかに利便性が高かった場合です。

 実は、そのようなサービスを受けるためには、オンラインで申請をすることが原則になりますし、本人確認や手数料納入もオンラインで行われるようになります。つまり、利用者側にその前提となる条件が課せられるのです。本人確認のためのマイナンバーカードや決済のためのクレジットカードが必要となりますから、これまでそのようなものを必要としないで暮らしてきた人々は、それを大きなコストだと思うでしょう。

 実は、マイナンバーは交付から約3年たっていますが、普及は進んでおらず、約1割にとどまるといわれています。利用者にとって大きなメリットが感じられないのに、個人情報がどのように利用されるかわからないので、ほとんどの人が躊躇っているのです。ですから、マイナンバーカードを使わなければならない場合、通知カードで代用する人が圧倒的に多いというのが現状です。

■マイナンバーカード普及率
 マイナンバーカードが普及しなければ、行政手続きの電子化が進むはずもありません。そこで、政府はこのデジタルファースト法案の成立を契機に、今後、通知カードを廃止し、マイナンバーカード利用の促進を図っていこうとしています。相当、強引なやり方ですが、マイナンバーカードの普及が進まなければ、行政のデジタル化も進まないのですから仕方のないことなのかもしれません。

 NECは、「今なぜデジタル・ガバメントなのか」というレポートを発表し、その中で行政のデジタル化について下図のような概念図を示しています。行政手続きのデジタル化で省力できる仕組みが現状と比較して書かれているので、よくわかります。ご紹介しておきましょう。

こちら →
(NECのHPより。図をクリックすると、拡大します)

 現状では甲と乙が印紙を貼った契約書を交わし、契約が成立することになるのですが、それでは手間暇がかかります。そこで、将来は甲と乙がマイナンバーカードあるいは生体認証で本人確認を行い電子化された契約書を交わすと、クラウド上で契約書の有効性が確認され、認証局による認証を受けたうえで契約が完了となり、電子署名とタイムスタンプの入った電子文書が発行されるという仕組みです。

 利用者はパソコン画面で操作するだけで済みます。印紙代や郵送料等もかからず、コストが低減されます。

 対面での交付手続きもパソコン上で処理し、マイナンバーカードあるいは顔認証等で本人確認をし、オンラインで申請すると、行政機関によってマイナンバーに資格付与されるか、あるいは、本人限定郵便等で通知されるという仕組みです。

こちら →
(NECのHPより。図をクリックすると、拡大します)

 対面手続きの場合もオンライン上で処理すれば、やはり大幅に時間や関連経費が節約できることがわかります。ただ、行政のデジタル化には、本人確認のためにマイナンバーカードがとても重要な役割を果たすということを把握しておく必要があります。政府が半ば強制的にマイナンバーカード利用を推進しようとする背景をここにみることができます。

 ところが、2019年3月18日朝刊の東京新聞によると、3月13日時点でマイナンバーカードの普及率はまだ12.8%だといいます。発行日から5回目の誕生日に「電子証明書」の有効期限が切れますが、このままではカードを更新しない人が続出する可能性があります。

こちら →
(東京新聞2019年3月18日朝刊より。図をクリックすると、拡大します)

 マイナンバーカードは2016年に始まりましたが、約4年経過してもまだ1640万2088人しか利用していないのです。

■なぜ、普及しないのか
 一言でいってしまえば、利用者にとってメリットが感じられないからでしょう。東京新聞の記者は、政府は2020年度末には健康保険証の代わりにカードを使える仕組みを導入し、さらなる利便性をアピールするする方針だと書いています。健康保険証を廃止してマイナンバーカードに一元化してしまうのならともかく、代替として使えるという程度では普及は進まないでしょう。

 ニッセイ基礎研究所の清水仁志氏は「マイナンバーカード普及の課題」と題する論考の中で、マイナンバーカードにはセキュリティ面でのデメリットがあるとし、カードの紛失等によるマイナンバーの流失、カードの不正利用、さらに、パスワードを知られると、オンライン上の個人情報まで抜き取られてしまう恐れがあると指摘しています(『研究員の眼』2018年12月4日)。

 清水氏はさらに、内閣府が実施した調査データを紹介しています。

こちら →
(内閣府「マイナンバー制度に関する世論調査」2018年11月より)

 左側の図を見ると、取得した理由の第1が、「身分証明書として使えるから」であり、第2は、「将来利用できる場面が増えると思ったから」です。一方、右側の図を見ると、取得しない理由の第1が、「取得する必要がかんじられないから」で、第2が、「身分証明書になるものは他にあるから」でした。

 こうしてみると、取得理由からも、取得しない理由からも結局、特に早急にマイナンバーカードを持つ必要がないという実状がわかってきます。

 筆者の清水氏は、「現在、マイナンバーカードは任意取得であり、カード普及のためには、カード取得のデメリットよりもメリットを強く感じてもらうことが必要だ」と結論づけています(前掲)。

■セキュリティへの不安
 いろいろ調べているうちに、調査時期はやや古いのですが、興味深いデータを見つけることができましたので、ご紹介しましょう。『内閣府マイナンバー制度に関する世論調査』(調査実施2015年1月/n=1,680)を参考に、マイナンバーに対する懸念のデータをZDNet Japan編集部が作成したものです。

こちら →
(ZDNet Japan編集部(https://japan.zdnet.com/)作成。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、第1が、「個人情報漏洩によりプライバシーが侵害される」(32.6%)、第2が、「マイナンバーや個人情報の不正利用による被害」、第3が、「国により個人情報が監視・監督される」(18.2%)でした。

 上記に挙げた懸念の内容は、行政のセキュリティ体制の甘さを考えると当然のことです。私もセキュリティの観点からこれ以上、カード類を増やさないようにしています。

 そういえば、2018年の調査でも、「マイナンバーを取得しない理由」として第3に「個人情報の漏洩が心配だから」、第4に「紛失や盗難が心配だから」が挙げられていました。

 こうしてみてくると、マイナンバーカードの普及を促進させようとすれば、なによりもまず、①取得する必要性を感じさせること、②セキュリティ体制を万全なものにすること、等々が不可欠だという気がします。

 それではデジタルファースト法成立後、政府はどのような全体構想の下、行政のデジタル化、すなわち、デジタル・ガバメントに誘導していこうとしているのでしょうか。
 
■デジタル・ガバメント構想
 デジタル・ガバメント構想自体は20年ほど前からありましたが、現在は「デジタル・ガバメント推進方針」(2017年)に基づき、デジタル・ガバメントの実現に向けて取り組んでいるところです。そんな中、2019年3月30日、官邸は「世界最先端のデジタル・ガバメントの実現に向けて」という構想を発表しました。

こちら →
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/dai14/siryou5.pdf
 まず世界的にデジタルトランスフォーメーションが進む中で、取り残されているのが日本の行政部門だという認識が示されます。国民生活やビジネスを取り巻く環境が大幅に変化する中、デジタルを前提とするビジネスへの転換、組織改革が世界的なうねりとなって展開されているのに、日本の行政部門は旧態依然としてアナログ型行政から抜け出せていない、このままでは日本がやがて隘路に陥るのは必至だという認識です。

 ニッセイ基礎研究所の清水仁志氏は「デジタル・ガバメントに向けた取組み」という論考の中で、デジタル・ガバメントの目的を要領よく整理していますので、ご紹介しておきましょう(下図)。

こちら →
(『研究員の眼』2019年5月13日より。図をクリックすると拡大します)

 この図でいえば、日本は現在ようやく①と②に達しようとしているところですが、やがては③に至ります。そうなると、行政が所有するデータを利活用したさまざまなイノベーションが可能になるという政府の将来構想を見て取ることができます。

 逆にいえば、現段階を首尾よく通過しなければ、デジタル・ガバメントは成り立たず、ICTを踏まえたさまざまな社会的課題の解決も達成できなくなるということになります。マイナンバーカードの普及率の低さからは、日本の行政デジタル化は相当、遅れているといわざるをえません。

■海外の評価は実態に即しているのか
 ところが、清水氏は、日本のデジタル・ガバメントへの評価は意外にも高いといいます。その根拠となるデータとして、国連と早稲田大学のデータを挙げていますので、ご紹介しましょう(下図)。

こちら →
(『研究員の眼』2019年5月13日より。図をクリックすると拡大します)

 これを見ると、国連のデータでは日本は10位、早稲田大学のデータでは7位にランクされています。確かに予想よりも高い評価です。何を指標にしてランキングしたかによって順位は決まりますが、清水氏は、日本の場合、デジタル・ガバメントに向けた取組み計画の策定や、政府C10制度などが評価されたからではないか。すなわち、情報システムの最適化に加え、組織や部門を超えて企業グループを俯瞰し、経営の変革を推進する主導的役割を果たせるように、各府庁が横断的に推進している点が高く評価されたからだとみています。

 おそらく、その通りなのでしょう。最先端の知識と技術を組み合わせ、民間の力を借りながら、政府の省庁横断的に果敢に取組む姿勢が評価されたのだろうと思います。計画は素晴らしく、ロードマップも過不足なく組み立てられていたのでしょう。

 ところが、実際はデジタル・ガバメントの基盤であるマイナンバーカードすら、笛吹けども踊らずの状態で、ほとんど普及していないのです。生活者としての実感をいえば、トップレベルの構想は素晴らしいのかもしれませんが、生活者レベルではそれがうまく展開していないような気がします。ですから、日本ではそれほどデジタル化が進んでいるとは思えないのです。

 たとえば、ソウルやバンコク、シンガポールに旅行すると、ほとんどの買い物はカードで決済できましたが、日本の場合、東京でもいまだに現金しか扱わないところがあって不便だなと思うこともしばしばです。

■デジタル・ガバメントは日本で機能しうるのか
 行政のデジタル化に対する私の実感は、電通の調査結果によって裏付けられました。ロンドンの電通が英オックスフォード大学の研究機関と共同で、デジタル経済の充足度について実施した調査があります。その結果を見ると、日本はなんと24か国中最下位の24位なのです。

 たまたまタイの英字紙バンコクポストの2019年4月10日の記事にこの図が掲載されていましたので、ご紹介しましょう。

こちら →
(資料:Dentsu Aegis Network Digital Society Index Survey 2018, BANGKOG POST 2019/Apr/10)

 これはタイの英字紙の記事に掲載されていた図なので、タイの項にマーカーが引かれています。見ると、タイではデジタル経済に対し、心理的ニーズこそ低いものの、基本ニーズ、自己実現ニーズ、社会的承認ニーズ、いずれもきわめて高いのが特徴です。この傾向は中国やインドと似通っています。いずれも、デジタルに対する基本ニーズ、自己実現ニーズ、社会的ニーズが高く、それはすなわち、彼らのデジタル化に向けたモチベーションが高いということになります。

 一方、日本はといえば、心理的ニーズ(シンガポールに次いで低い)以外のすべての項目で諸国に比べ、最も低いという結果でした。一般に、調査結果を見る場合、どのような人々を対象に、どのような項目を設定して調査したのかによって、結果は影響を受けますが、それを割り引いたとしても、日本の結果の低さには驚かざるをえません。すべての項目で平均をはるかに下回っているのです。つまり、日本の人々の間では諸国に比べ、デジタル化に向けたモチベーションがきわめて低いということになります。

 この図を見ているうちに、やがて、このランキングの結果には、マイナンバーカードの普及の低さに通底するものがあるのではないかと思えてきました。つまり、その国の人口構成やデジタル社会への変革のモチベーションの多寡などが、介在しているのではないかと思えたのです。

 たとえば、人口構成が比較的若い、経済的に比較的に豊かではない、社会が比較的に安定しない、等々の諸国では、人々の間でデジタル化に向けた種々のニーズが発生するのではないでしょうか。いってみれば、満たされないが故のニーズ、あるいは上昇志向故のニーズです。

 現状に不満感を抱いている人々にとって、今よりも豊かで安定した生活をするには、世界の潮流であるデジタル化の波に乗るしかありません。それには、旧態依然とした制度を壊そうとするぐらいのチャレンジ精神がなければ対応しきれないことはわかっています。もっとも、チャレンジしさえすれば、大化けするかもしれませんから、モチベーション高く頑張る人が次々と登場してくることでしょう。

■高齢社会を踏まえた取組みを
 超高齢社会の日本では、新しいことにチャレンジしようとする人が年々、減ってきているような気がします。それは、変化を好まず、新しいことに興味を示さなくなる高齢者の人口が増えてきているからだと思います。高齢になると大抵の場合、身の回りのことか、健康や生活の安定にしか興味を示さなくなりますし、現状を肯定し、変革を求めなくなります。ですから、デジタル化へのニーズが低いのも当然ですが、その高齢者が人口のボリュームゾーンを占め、今後も増え続けるのが日本の現状です。人口動態の側面からみれば、半ば必然的に、高齢者の生活価値観や生活意識が社会全体の潮流を方向づけ、牽引していくようになります。・・・、このままでは、とても行政のデジタル化は進まないでしょう。

 そのような社会状況の中で行政のデジタル化を進めるとすれば、どうすればいいのか・・・、と考え、思いつくのは、今回デジタルファースト法案で示されたサービス以外に、高齢者がもっと身近に感じられる行政サービスを提供できないかということです。たとえば、医療サービスなどの利便性、効率性を図ることとセットで行政のデジタル化を推進すると、より多くの高齢者がそのメリットを感じ、デジタル化を受け入れるようになるかもしれません。

 もちろん、それに合わせて、高齢者に対するIT教育を行政が無料で推進する必要があります。基本的なパソコンの扱い方、スマホの扱い方などを伝える場が必要になってくるでしょう。民間や市民団体などの力を借りながら、高齢者に負担の少ない方法で、基本なIT教育の場を提供することが大切だと思います。

 科学技術の大国であったはずの日本がいつの間にか、世界的なデジタル化の潮流の中で大国の座から退き、遅れを取りつつあります。そこに介在するのは、高齢者の比重の高い社会構造、それに呼応するかのようなチャレンジ精神の喪失、低く安定した社会状況、等々です。次世代のために、どうすれば行政のデジタル化を適切に推進することができるのか、まずは大きな人口ゾーンである高齢者の不安を取り除きながら、高齢者を包摂する形で取組む必要があるのではないかと思います。(2019/5/31 香取淳子)

5G時代の到来:社会的課題の最適解をサービスとして提供しうるか。

■通信4社に5Gの電波割り当て
 2019年4月10日、総務省は通信4社に対し、次世代通信規格5Gに必要な電波を割り当てました。各社に割り当てられた帯域は以下の通りです。

こちら →
(総務省より。図をクリックすると、拡大します)

上図で示されているように、NTTドコモ(以下、ドコモ)、KDDIと沖縄セルラー電話(以下、KDDI)、ソフトバンク、楽天モバイルの4社に5Gの電波が割り当てられました。これまで5G絡みで、未来社会の夢がさまざまに語られてきましたが、これでようやく各社は2020年内に商用サービスを開始できるようになりました。5G時代の幕が開かれたのです。

 興味深いのは、割り当てられた帯域の枠数が、社によって異なることです。28GHz帯は各社1枠ですが、3.75 GHz帯及び4.5 GHz帯はドコモとKDDIが2枠でソフトバンクと楽天が1枠でした。これは一体、どういうことなのでしょうか。

 調べてみると、総務省は電波の割り当てに際し、申込者に条件を課していたことがわかりました。すなわち、全国を10㎞四方の4500区画に分け、その50%以上に、5年以内に基地局を設置することを最低基準にしていたのです。

 この条件からは、総務省が、全国津々浦々、人々が5Gの電波の恩恵を受けられるよう、配慮していたことがわかります。その結果、先ほどの図で明らかにされたように、3.75 GHz帯及び4.5 GHz帯で、ドコモとKDDIに2枠の電波が割り当てられました。

 019年4月11日の産経新聞は、各社の全国カバー率、基地局数、サービス開始時期、設備投資額を整理し、表にまとめています。

こちら →
(産経新聞2019年4月11日より。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、全国カバー率は、ドコモが97%、KDDIが93.2%、ソフトバンクが64%、楽天モバイルが56.1%でした。ドコモとKDDIが90%以上を占めています。全国満遍なく5Gのサービスを早期に開始できるか、多様なサービスを提供できるか、等々を考えれば、カバー率の高い申込者であるドコモとKDDIが3.75 GHz帯及び4.5 GHz帯で2枠を割り当てられたのは当然です。

■5Gサービスとは?
 先ほどの表を見ると、カバー率の高さに比例し、設備等への投資額も高額になっています。もっとも多額を出資するのがドコモですが、一体、どのようなサービスが予定されているのでしょうか。

 ドコモが総務省に提出した5Gサービスの展開イメージを見ると、以下のように示されています。

こちら →http://www.soumu.go.jp/main_content/000549664.pdf

 ここではまず、5Gの導入意義について、①増加するパケットトラフィックへの対応、②5Gの特徴を活かし、様々な業界とのコラボレーションによる新産業の創出、などの2点が挙げられ、説明されています。

 いずれも、5Gの特徴である、①高速・大容量、②低遅延、③多数の端末との接続などを活かしたサービスによって、対応が可能になるということです。具体的には、下図をイメージするとわかりやすいかもしれません。

こちら →
(「5Gサービス展開イメージ」(NTT dokomo、平成30年4月27日)より。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、大都市中心部、都市圏、地方など、トラフィック量が大幅に異なる地域でも5Gで対応できることが示されています。それだけではありません。電波の遅延が低く、多数のデバイスと同時に接続できるので、さまざまなサービスを利用できるようになるようです。

 たとえば、ドローンによる配送、自動運転、遠隔医療をはじめ、工場や農業での安全で効率のいい生産などが、5Gのサービスによって可能になります。さらには、効率がよく、利便性が高く、ヒトとヒトがつながりあえる環境も整備されやすくなりますから、人々のニーズにマッチしたサービスが可能になることが示されています。

 それでは、海外ではどうなのでしょうか。

■海外の動向
 すでにアメリカと韓国は2019年4月3日、5Gのスマホ向けサービスを始めています。日本では4月10日にようやく5G電波の割り当てが発表されたばかりだというのに、米韓はすでにスマホ向け5Gのサービスを始めているのです。ですから、日本は出遅れたと一部から指摘されているようです。

 興味深い記事がありました。

 佐藤ゆかり総務副大臣は、ロイターのインタビューを受けた際、「開始時期よりも5Gサービスを受けられるネットワークの整備が重要だ」とし、「出遅れとは感じていない」と強調し、その一方で、「運用面で世界トップを目指していく」(ロイター、2019年4月10日)と語ったというのです。

 佐藤副大臣はなぜ、そのような返答をしたのでしょうか。確かに、私も「開始時期よりも5Gサービスを受けられるネットワークの整備が重要だ」と思います。とはいえ、実際、米韓は日本よりも早く5Gサービスを開始していますから、私は、「出遅れとは感じていない」という返答に、いささか違和感を持ちました。

 ただ、NHKのWebニュースを読んで、その理由がわかり、納得しました。

 実は、4月3日、米韓の事業者が競い合うように、相次いでスマホ向け5Gサービスを開始していたというのです。

 2018年10月1日から5Gサービスを開始した米ベライゾンは、2019年4月11日に予定していたスマホ向け5Gサービスを前倒しし、2019年4月3日に開始しました。その一方、韓国のSK、LGU+、KTの大手3社は4月3日午後11時、5Gサービスを開始しました。こちらは5日に開始予定だったものを2日前倒しし、芸能人やスポーツ選手など一部を対象にしたといいます。一般向けのサービスは当初の予定通り、4月5日に開始されました(NHK NEWS WEB、2019年4月4日)。

 双方とも当初の予定を変更し、開始時期を巡って争っていたのです。おそらく、このことを念頭に置いていたのでしょう。佐藤副大臣は「出遅れとは感じていない」と強調し、開始時期よりも5Gサービスを受けられるネットワークの整備が重要だ」と語りました。

 米国ではモトローラ、韓国ではサムソンのスマホで5Gサービスが開始されましたが、サムソンでは不備が出ているといわれています。このような状況を見ると、改めて、開始時期よりも、5Gサービスを受けられるネットワークの整備こそ、肝要だということがわかります。

 そもそも5Gサービスは世界各国で、2020年の実現を目指し、取り組まれています。世界の動向からいえば、一部で主導権争いをしていますが、全体でいえば、まだ緒についていないのです。

 世界の携帯電話事業者による業界団体(GSM Association、以下、GSMA)が実施した調査結果があります。5Gの動向を把握するため、それを見てみることにしましょう。

■GSMAによる調査
 GSMAは、調査の結果を踏まえ、2020年以降の世界の5G回線数は、約5年で11億回線、世界人口に対するカバー率は約3割に達すると予測しています。開始後の予測カバー率推移を図示したのが、以下のグラフです。

こちら →
(総務省より。図をクリックすると、拡大します)

 驚いたことに、わずか5年弱で人口カバー率30%近くまで達することが予想されています。技術力、基地局設置等への投資など、数々の課題を抱えながらも、多くの国は5Gの利用に向けて優先的に取り組んでいることがわかります。カバー率の推移を示すこの図を見ていると、5Gのサービスが社会インフラとして機能し始めることが容易に理解できます。

 あらゆるモノが繋がる社会になれば、その基盤となる通信ネットワークの重要性はさらに高まります。これをインフラとして整備できない国はそれこそ、社会の進展から出遅れてしまうでしょう。

 興味深い資料を見つけました。ロシア及び独立国家共同体諸国の最新市場動向レポート「The Mobile Economy: Russia & CIS 2018」(2018年10月30日発表)です。これによると、ロシアでは2020年に開始予定の5Gサービスは、2025年には国内人口の81%をカバーすると報告されています。

こちら →
(「日経×TECH」、2018年11月7日より。図をクリックすると、拡大します)

そこで、原著を見てみると、ロシアがまず取り組みたいのはeMBB(enhanced mobile broadband)だと書かれています。なぜかといえば、ロシアでは、固定ブロードバンドはすでに成熟し競争力のある市場になっているのに、IoTとエンタープライズソリューションは出遅れているからです。ですから、5Gを導入しても、2020年以降の初期段階では、都市部と既存のホットスポットに集中することになり、5Gは主に、ネットワークの輻輳を緩和し、高速で大容量の通信を提供するためのオフロードソリューションになるというのです。

 こうしてみてくると、これまでのインフラの延長線上に、5Gのインフラが構築されることがわかります。それぞれの国情を踏まえた展開をせざるをえないのです。開始時期争いをすることにそれほど意味はないといえるでしょう。

 ちなみに、先ほどご紹介したロシアの報告では、5Gの主導権争いが中国、米国、韓国で展開されていると指摘されていました。そこに日本という文字はなく、トップグループに日本が入っていないことは明らかでした。

■5Gが牽引するIoT時代
 モバイル無線技術はこれまで1Gから4Gまで、もっぱら高速と大容量を求めて技術が進化してきました。単なる電話機能からメールやネット接続、写真や音楽配信、動画配信やSNS、といった具合に、技術の進化に伴い、サービス内容も多様化していました。今回の5Gには「高速で大容量」に加え、「超低遅延」、「多数同時接続」、といった特徴があるといわれています。それでは、どのようなサービスが可能になるのでしょうか。

 総務省は、平成30年版『情報通信白書』の中で、4Gまでが人と人とのコミュニケーションを行うためのツールとして発展してきたのに対し、5Gはあらゆるモノ、人などが繋がるIoT時代の新たなコミュニケーションツールとしての役割を果たすことになると説明しています。

こちら →
(総務省、平成30年版『情報通信白書』より)

 上図では3段階に分けて、5Gの特徴と機能が示されています。まず、1Gから4Gまでの高速・大容量技術があり、それに加え、超低遅延の技術、多数同時接続の技術が統合されたのが5Gとなります。そして、その5G全般の特徴を活かしたさまざまなサービスが具体的に示されています。

 まず、これまでの技術を拡張した「高速・大容量」を活用したサービスで、エンターテイメント領域が大幅に変化します。5Gになれば、2時間の映画も3秒でダウンロードできるようになるといいますし、スポーツ観戦の楽しみ方も大幅に変わってくるでしょう。

 さらに、これまでのモバイル無線技術にはなかった「超低遅延」と「多数同時接続」を活かしたサービスが示されています。これらが、今後の社会に大きなインパクトを与えるようになることは確かです。

 たとえば、自動運転のように、リアルタイムで安全性の高い通信状況が求められる場合、遅延が極めて低い「超低遅延」技術は不可欠です。ロボット遠隔制御についても、遠隔医療についてもこの技術は欠かせません。

 さらに、倉庫に保管された多数の物品の位置や中身の把握する場合、多数のデバイスを同時に接続して利用できる「多数同時接続」の技術が効力を発揮します。この技術は医療にもエンターテイメントにも行政にも活用することができ、これまで以上にきめ細かなサービスが可能になります。

 総務省等の情報に基づき、5Gの機能とそのサービス内容を見てきました。現時点ではまだ構想にすぎないとはいえ、これまで以上に多様なニーズにマッチしたサービスが可能になることがわかります。すでにいくつものプロジェクトが実用に向けて、実装実験を繰り返しているようです。

 サービスを享受する側としては、果たして、5Gが牽引するIoT時代に必要な人材がどれほどいるのか、気になります。

■人材育成はどうなっているのか。
 さまざまなニーズを発掘するヒト、ニーズに沿ったサービスを考案するヒト、5Gの電波を利用してサービスを提供できる仕組みを創り出すヒト、5Gのサービスを展開するにはさまざまな過程に対応できる人材が必要です。そのような人材が今、果たしてどれほどいるのでしょうか。

 総務省のHPを見ると、5Gの利活用については、アイデアコンテストを実施し、その結果も2019年1月11日に発表されていました。

こちら →http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban14_02000369.html

 これを見ると、さまざまな地域、組織から、多様なアイデアが寄せられていることがわかります。いずれも、人々の生活向上に寄与しうるサービスといえるでしょう。

 2019年1月29日‐30日、東京国際交流館プラザ平成で、「5G国際シンポジウム2019」が開催されていたようです。私は全く知りませんでしたが、展示概要は以下の通りです。

こちら →
https://5gmf.jp/wp/wp-content/uploads/2018/12/5g-international-symposium-2019-3.pdf

 そして、2019年4月10日の日経新聞には、総務省が電波利用の専門人材の育成に乗り出すという記事が出ていました。2019年度に初めて中核拠点(COE)を公募し、大学や高等専門学校と企業の若手が共同研究に取り組む体制を構築するというのです。

 この「電波COE」は全国から1機関選出し、総務省が所管する競争的研究資金から年間最大4億円を最長4年間にわたって拠出するといいます。電波のより効率的な利用法、周波数を共同利用する技術などを研究テーマとし、30歳代までの若手を中心に、大学や企業が連携して取り組むことが前提になっています。

こちら →
http://www.soumu.go.jp/main_content/000603070.pdf#search=’%E9%9B%BB%E6%B3%A2COE’

 日経新聞の記事を読み、そして、総務省の資料を見ると、行政側の取り組みの一端がわかります。ただ、素人ながら、果たして、これだけで5Gに向けた人材を育成できるのかという不安が胸をよぎります。

 先ほどご紹介したロシアの報告書では、アメリカ、中国、韓国は5Gで主導権争いをしていると書かれていました。そこに日本という文字はなく、主導権争いをするトップグループに入っていないことを思い出しました。

 政府主導で5Gの整備に動く中国、これまでの実績を踏まえ、民間の力と力を合わせ5Gの推進を重視するアメリカ・・・、米中とも人材も資金も豊富です。一方の日本は果たしてどうなのか、民間企業の力が推進力になっていくとすれば、5Gをめぐる米中の争いの狭間でなんとか日本なりの立ち位置を確保できるのかもしれませんが・・・。

■少子高齢社会のニーズに対応した5Gサービスは?
 これまで見てきたように、ヒトがこれまで経験したことのない社会が5Gによって生み出されようとしています。現在はまだ、可能性の段階のサービスです。ですから、実際にサービスが導入される過程でいろいろと問題が出てくるでしょうが、様々な問題点をその都度、克服していけば、やがては現実のものになっていくでしょう。まずは課題を発見し、それに対応できるサービスを考えていくことでしょう。

 少子高齢化に伴う課題、過疎化に伴う課題をはじめ、現在、日本社会には緊急に取り組まなければならない社会的課題がいくつかあります。

 たとえば、『平成30年版高齢社会白書』によると、現在、日本の高齢化率は27.7%(総人口に占める65歳以上の人口)ですが、その比率は今後さらに伸びると推計されています(下図)。

こちら →
(『平成30年版高齢社会白書』より。図をクリックすると、拡大します)

 上図を見ると、75歳以上の人口も増え続けますから、介護を必要とする人、生活行動全般に援助を必要とする人が増えてきます。しかも、独居世帯が増えており、これまでのように家族が高齢者を支えていくことが難しくなってきています。できるだけ自立して生きられる期間を長くすることが大切になってきているのです。

 モバイル端末が、その他のデバイスと同時に多数、接続できるようになると、それこそ、独居高齢者の運動状況、摂食状況、健康状態のチェックなどができ、最適の予防措置を取ることができます。そして、高速大容量、超低遅延の通信が可能になると、それこそ遠隔医療も身近なものになっていくでしょう。

 このように、健康寿命を延ばすための多様な5Gサービスが創案され、実用化されていけば、超高齢社会の日本が、後続する高齢社会に最適のサービスを提供することもできます。これはほんの一例です。社会的課題を5Gサービスによって解決していくことができれば、5Gが普及していく時代の世界に通用するサービスモデルとして機能するようになるかもしれません。このようにみてくると、今回の5G電波の割当は、社会的課題が通信技術によって解決されていく社会の幕開けだといえるでしょう。(2019年4月15日 香取淳子)