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デジタルファースト法の成立で、何が見えてきたか。

デジタルファースト法の成立で、何が見えてきたか。

■デジタルファースト法案の成立
 2019年5月24日、デジタルファースト法案が参院本会議で可決されました。すでに衆議院では4月26日に可決していますから、これでこの法案が成立したことになります。一体デジタルファースト法案とはどのようなものなのでしょうか。

 総務省は以下のように概要を示しています。

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(総務省HPより。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、情報通信技術を活用し、行政手続きの利便性の向上を図り、行政運営の簡素化・効率化を図るための法案だということがわかります。パソコンの普及だけではなく、スマホの普及率の高さがこのような行政のデジタル化を可能にしたと思います。ほとんどの人がスマホを日常的に操作できるようになったからこそ、行政サービスのデジタル化も実現可能になってきたのです。

 さて、行政のデジタル化に関する基本原則としては、①デジタルファースト(個々の手続き・サービスをデジタルで完結させる)、②ワンスオンリー(一度提出した情報は、二度提出する必要がない)、③コネクテッド・ワンストップ(民間サービスを含め、関連手続きは一度で済ますことができる)、だとされています。2019年から実施されるようになります。

 行政手続きのオンライン化が行政側にメリットがあることは確かです。人手を省くことができますし、人為的なミスがなくなり、正確に処理できます。さらには、データを積み上げ、相互に関連づけることも可能ですし、データに基づいた行政サービスも提供できるようになるでしょう。では、利用者側にどのようなメリットがあるのでしょうか。

■利用者にとってのメリットは?
 具体的に示された例でいえば、引っ越しの際、ネットで住民票の移動手続きをすると、その情報に基づき、電気、ガス、水道等の変更手続きもできるようになるというのです。確かに、これまでは住所変更をすれば、電話、電気、ガス、水道などの生活インフラそれぞれについて変更手続きをしなければならず、面倒でした。それが一度、住民票の移動手続きをするだけで、関連手続きがすべて自動的にできてしまうのだとすれば、これほど便利なことはありません。

 さらに、死亡や相続などの手続きもネットで済ませられるといいます。かつて相続の手続きが煩雑で大変だったことを思い出します。ですから、ネットで手続きが完了できるのだとすれば、便利になることは確かです。

 もっとも、引っ越しにしても、身内の死亡や相続にしても、そう何度も経験することではありません。ですから、いま、ご紹介したような行政サービスの利便性を提示されても、どれほどの人々がそれをメリットだと感じるでしょうか。利用者がメリットを感じるのは、行政サービスにかかるコストに比べ、はるかに利便性が高かった場合です。

 実は、そのようなサービスを受けるためには、オンラインで申請をすることが原則になりますし、本人確認や手数料納入もオンラインで行われるようになります。つまり、利用者側にその前提となる条件が課せられるのです。本人確認のためのマイナンバーカードや決済のためのクレジットカードが必要となりますから、これまでそのようなものを必要としないで暮らしてきた人々は、それを大きなコストだと思うでしょう。

 実は、マイナンバーは交付から約3年たっていますが、普及は進んでおらず、約1割にとどまるといわれています。利用者にとって大きなメリットが感じられないのに、個人情報がどのように利用されるかわからないので、ほとんどの人が躊躇っているのです。ですから、マイナンバーカードを使わなければならない場合、通知カードで代用する人が圧倒的に多いというのが現状です。

■マイナンバーカード普及率
 マイナンバーカードが普及しなければ、行政手続きの電子化が進むはずもありません。そこで、政府はこのデジタルファースト法案の成立を契機に、今後、通知カードを廃止し、マイナンバーカード利用の促進を図っていこうとしています。相当、強引なやり方ですが、マイナンバーカードの普及が進まなければ、行政のデジタル化も進まないのですから仕方のないことなのかもしれません。

 NECは、「今なぜデジタル・ガバメントなのか」というレポートを発表し、その中で行政のデジタル化について下図のような概念図を示しています。行政手続きのデジタル化で省力できる仕組みが現状と比較して書かれているので、よくわかります。ご紹介しておきましょう。

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(NECのHPより。図をクリックすると、拡大します)

 現状では甲と乙が印紙を貼った契約書を交わし、契約が成立することになるのですが、それでは手間暇がかかります。そこで、将来は甲と乙がマイナンバーカードあるいは生体認証で本人確認を行い電子化された契約書を交わすと、クラウド上で契約書の有効性が確認され、認証局による認証を受けたうえで契約が完了となり、電子署名とタイムスタンプの入った電子文書が発行されるという仕組みです。

 利用者はパソコン画面で操作するだけで済みます。印紙代や郵送料等もかからず、コストが低減されます。

 対面での交付手続きもパソコン上で処理し、マイナンバーカードあるいは顔認証等で本人確認をし、オンラインで申請すると、行政機関によってマイナンバーに資格付与されるか、あるいは、本人限定郵便等で通知されるという仕組みです。

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(NECのHPより。図をクリックすると、拡大します)

 対面手続きの場合もオンライン上で処理すれば、やはり大幅に時間や関連経費が節約できることがわかります。ただ、行政のデジタル化には、本人確認のためにマイナンバーカードがとても重要な役割を果たすということを把握しておく必要があります。政府が半ば強制的にマイナンバーカード利用を推進しようとする背景をここにみることができます。

 ところが、2019年3月18日朝刊の東京新聞によると、3月13日時点でマイナンバーカードの普及率はまだ12.8%だといいます。発行日から5回目の誕生日に「電子証明書」の有効期限が切れますが、このままではカードを更新しない人が続出する可能性があります。

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(東京新聞2019年3月18日朝刊より。図をクリックすると、拡大します)

 マイナンバーカードは2016年に始まりましたが、約4年経過してもまだ1640万2088人しか利用していないのです。

■なぜ、普及しないのか
 一言でいってしまえば、利用者にとってメリットが感じられないからでしょう。東京新聞の記者は、政府は2020年度末には健康保険証の代わりにカードを使える仕組みを導入し、さらなる利便性をアピールするする方針だと書いています。健康保険証を廃止してマイナンバーカードに一元化してしまうのならともかく、代替として使えるという程度では普及は進まないでしょう。

 ニッセイ基礎研究所の清水仁志氏は「マイナンバーカード普及の課題」と題する論考の中で、マイナンバーカードにはセキュリティ面でのデメリットがあるとし、カードの紛失等によるマイナンバーの流失、カードの不正利用、さらに、パスワードを知られると、オンライン上の個人情報まで抜き取られてしまう恐れがあると指摘しています(『研究員の眼』2018年12月4日)。

 清水氏はさらに、内閣府が実施した調査データを紹介しています。

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(内閣府「マイナンバー制度に関する世論調査」2018年11月より)

 左側の図を見ると、取得した理由の第1が、「身分証明書として使えるから」であり、第2は、「将来利用できる場面が増えると思ったから」です。一方、右側の図を見ると、取得しない理由の第1が、「取得する必要がかんじられないから」で、第2が、「身分証明書になるものは他にあるから」でした。

 こうしてみると、取得理由からも、取得しない理由からも結局、特に早急にマイナンバーカードを持つ必要がないという実状がわかってきます。

 筆者の清水氏は、「現在、マイナンバーカードは任意取得であり、カード普及のためには、カード取得のデメリットよりもメリットを強く感じてもらうことが必要だ」と結論づけています(前掲)。

■セキュリティへの不安
 いろいろ調べているうちに、調査時期はやや古いのですが、興味深いデータを見つけることができましたので、ご紹介しましょう。『内閣府マイナンバー制度に関する世論調査』(調査実施2015年1月/n=1,680)を参考に、マイナンバーに対する懸念のデータをZDNet Japan編集部が作成したものです。

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(ZDNet Japan編集部(https://japan.zdnet.com/)作成。図をクリックすると、拡大します)

 これを見ると、第1が、「個人情報漏洩によりプライバシーが侵害される」(32.6%)、第2が、「マイナンバーや個人情報の不正利用による被害」、第3が、「国により個人情報が監視・監督される」(18.2%)でした。

 上記に挙げた懸念の内容は、行政のセキュリティ体制の甘さを考えると当然のことです。私もセキュリティの観点からこれ以上、カード類を増やさないようにしています。

 そういえば、2018年の調査でも、「マイナンバーを取得しない理由」として第3に「個人情報の漏洩が心配だから」、第4に「紛失や盗難が心配だから」が挙げられていました。

 こうしてみてくると、マイナンバーカードの普及を促進させようとすれば、なによりもまず、①取得する必要性を感じさせること、②セキュリティ体制を万全なものにすること、等々が不可欠だという気がします。

 それではデジタルファースト法成立後、政府はどのような全体構想の下、行政のデジタル化、すなわち、デジタル・ガバメントに誘導していこうとしているのでしょうか。
 
■デジタル・ガバメント構想
 デジタル・ガバメント構想自体は20年ほど前からありましたが、現在は「デジタル・ガバメント推進方針」(2017年)に基づき、デジタル・ガバメントの実現に向けて取り組んでいるところです。そんな中、2019年3月30日、官邸は「世界最先端のデジタル・ガバメントの実現に向けて」という構想を発表しました。

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https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/dai14/siryou5.pdf
 まず世界的にデジタルトランスフォーメーションが進む中で、取り残されているのが日本の行政部門だという認識が示されます。国民生活やビジネスを取り巻く環境が大幅に変化する中、デジタルを前提とするビジネスへの転換、組織改革が世界的なうねりとなって展開されているのに、日本の行政部門は旧態依然としてアナログ型行政から抜け出せていない、このままでは日本がやがて隘路に陥るのは必至だという認識です。

 ニッセイ基礎研究所の清水仁志氏は「デジタル・ガバメントに向けた取組み」という論考の中で、デジタル・ガバメントの目的を要領よく整理していますので、ご紹介しておきましょう(下図)。

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(『研究員の眼』2019年5月13日より。図をクリックすると拡大します)

 この図でいえば、日本は現在ようやく①と②に達しようとしているところですが、やがては③に至ります。そうなると、行政が所有するデータを利活用したさまざまなイノベーションが可能になるという政府の将来構想を見て取ることができます。

 逆にいえば、現段階を首尾よく通過しなければ、デジタル・ガバメントは成り立たず、ICTを踏まえたさまざまな社会的課題の解決も達成できなくなるということになります。マイナンバーカードの普及率の低さからは、日本の行政デジタル化は相当、遅れているといわざるをえません。

■海外の評価は実態に即しているのか
 ところが、清水氏は、日本のデジタル・ガバメントへの評価は意外にも高いといいます。その根拠となるデータとして、国連と早稲田大学のデータを挙げていますので、ご紹介しましょう(下図)。

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(『研究員の眼』2019年5月13日より。図をクリックすると拡大します)

 これを見ると、国連のデータでは日本は10位、早稲田大学のデータでは7位にランクされています。確かに予想よりも高い評価です。何を指標にしてランキングしたかによって順位は決まりますが、清水氏は、日本の場合、デジタル・ガバメントに向けた取組み計画の策定や、政府C10制度などが評価されたからではないか。すなわち、情報システムの最適化に加え、組織や部門を超えて企業グループを俯瞰し、経営の変革を推進する主導的役割を果たせるように、各府庁が横断的に推進している点が高く評価されたからだとみています。

 おそらく、その通りなのでしょう。最先端の知識と技術を組み合わせ、民間の力を借りながら、政府の省庁横断的に果敢に取組む姿勢が評価されたのだろうと思います。計画は素晴らしく、ロードマップも過不足なく組み立てられていたのでしょう。

 ところが、実際はデジタル・ガバメントの基盤であるマイナンバーカードすら、笛吹けども踊らずの状態で、ほとんど普及していないのです。生活者としての実感をいえば、トップレベルの構想は素晴らしいのかもしれませんが、生活者レベルではそれがうまく展開していないような気がします。ですから、日本ではそれほどデジタル化が進んでいるとは思えないのです。

 たとえば、ソウルやバンコク、シンガポールに旅行すると、ほとんどの買い物はカードで決済できましたが、日本の場合、東京でもいまだに現金しか扱わないところがあって不便だなと思うこともしばしばです。

■デジタル・ガバメントは日本で機能しうるのか
 行政のデジタル化に対する私の実感は、電通の調査結果によって裏付けられました。ロンドンの電通が英オックスフォード大学の研究機関と共同で、デジタル経済の充足度について実施した調査があります。その結果を見ると、日本はなんと24か国中最下位の24位なのです。

 たまたまタイの英字紙バンコクポストの2019年4月10日の記事にこの図が掲載されていましたので、ご紹介しましょう。

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(資料:Dentsu Aegis Network Digital Society Index Survey 2018, BANGKOG POST 2019/Apr/10)

 これはタイの英字紙の記事に掲載されていた図なので、タイの項にマーカーが引かれています。見ると、タイではデジタル経済に対し、心理的ニーズこそ低いものの、基本ニーズ、自己実現ニーズ、社会的承認ニーズ、いずれもきわめて高いのが特徴です。この傾向は中国やインドと似通っています。いずれも、デジタルに対する基本ニーズ、自己実現ニーズ、社会的ニーズが高く、それはすなわち、彼らのデジタル化に向けたモチベーションが高いということになります。

 一方、日本はといえば、心理的ニーズ(シンガポールに次いで低い)以外のすべての項目で諸国に比べ、最も低いという結果でした。一般に、調査結果を見る場合、どのような人々を対象に、どのような項目を設定して調査したのかによって、結果は影響を受けますが、それを割り引いたとしても、日本の結果の低さには驚かざるをえません。すべての項目で平均をはるかに下回っているのです。つまり、日本の人々の間では諸国に比べ、デジタル化に向けたモチベーションがきわめて低いということになります。

 この図を見ているうちに、やがて、このランキングの結果には、マイナンバーカードの普及の低さに通底するものがあるのではないかと思えてきました。つまり、その国の人口構成やデジタル社会への変革のモチベーションの多寡などが、介在しているのではないかと思えたのです。

 たとえば、人口構成が比較的若い、経済的に比較的に豊かではない、社会が比較的に安定しない、等々の諸国では、人々の間でデジタル化に向けた種々のニーズが発生するのではないでしょうか。いってみれば、満たされないが故のニーズ、あるいは上昇志向故のニーズです。

 現状に不満感を抱いている人々にとって、今よりも豊かで安定した生活をするには、世界の潮流であるデジタル化の波に乗るしかありません。それには、旧態依然とした制度を壊そうとするぐらいのチャレンジ精神がなければ対応しきれないことはわかっています。もっとも、チャレンジしさえすれば、大化けするかもしれませんから、モチベーション高く頑張る人が次々と登場してくることでしょう。

■高齢社会を踏まえた取組みを
 超高齢社会の日本では、新しいことにチャレンジしようとする人が年々、減ってきているような気がします。それは、変化を好まず、新しいことに興味を示さなくなる高齢者の人口が増えてきているからだと思います。高齢になると大抵の場合、身の回りのことか、健康や生活の安定にしか興味を示さなくなりますし、現状を肯定し、変革を求めなくなります。ですから、デジタル化へのニーズが低いのも当然ですが、その高齢者が人口のボリュームゾーンを占め、今後も増え続けるのが日本の現状です。人口動態の側面からみれば、半ば必然的に、高齢者の生活価値観や生活意識が社会全体の潮流を方向づけ、牽引していくようになります。・・・、このままでは、とても行政のデジタル化は進まないでしょう。

 そのような社会状況の中で行政のデジタル化を進めるとすれば、どうすればいいのか・・・、と考え、思いつくのは、今回デジタルファースト法案で示されたサービス以外に、高齢者がもっと身近に感じられる行政サービスを提供できないかということです。たとえば、医療サービスなどの利便性、効率性を図ることとセットで行政のデジタル化を推進すると、より多くの高齢者がそのメリットを感じ、デジタル化を受け入れるようになるかもしれません。

 もちろん、それに合わせて、高齢者に対するIT教育を行政が無料で推進する必要があります。基本的なパソコンの扱い方、スマホの扱い方などを伝える場が必要になってくるでしょう。民間や市民団体などの力を借りながら、高齢者に負担の少ない方法で、基本なIT教育の場を提供することが大切だと思います。

 科学技術の大国であったはずの日本がいつの間にか、世界的なデジタル化の潮流の中で大国の座から退き、遅れを取りつつあります。そこに介在するのは、高齢者の比重の高い社会構造、それに呼応するかのようなチャレンジ精神の喪失、低く安定した社会状況、等々です。次世代のために、どうすれば行政のデジタル化を適切に推進することができるのか、まずは大きな人口ゾーンである高齢者の不安を取り除きながら、高齢者を包摂する形で取組む必要があるのではないかと思います。(2019/5/31 香取淳子)

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