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絵画

「小山田二郎展」: 死のイメージと生の不安

■生誕100年を迎えた小山田二郎
画家・小山田二郎(1914~1991)の生誕100年を記念し、府中市美術館で展覧会が開催されています。期間は2014年11月8日から2015年2月22日までの約4か月間、出品は油彩と水彩作品を合わせて168点、という壮大な展覧会です。

作品は第1章(前衛からの出発)、第2章(人間に棲む悪魔)、第3章(多磨霊園で生まれた幻想)、第4章(繭の中の小宇宙)と章立てて展示されています。画家・小山田二郎がいかに生きたか、いかに創造したか、章を追って作品を見ていくとそのプロセスが浮き彫りになっていくという仕掛けです。

彼は1960年に府中市紅葉丘に自宅兼アトリエを新築し、ここを拠点に制作にまい進しました。第3章がその時期に相当します。府中市美術館がこれだけ大掛かりな展覧会を開催した理由がわかります。小山田二郎は府中市にゆかりのある画家だったのです。

こちら →
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/oyamadajiro.html

彼のアトリエは多磨霊園まで徒歩数分の場所にあり、一日の大半をこの霊園で過ごすことが多かったといいます。タイトルから直接、そのことを推察させる作品としては、「納骨堂略図」(1964年)、「昇天」(1965年)、「オルガンのような墓」(1966年)などがあります。いずれも燃えるような赤が使われていて、炎を連想させます。これらの死をイメージさせる作品にはメラメラと燃え立つような炎の赤が使われているのです。火葬を彷彿させる赤です。

興味深いことに、「火」(1970年頃)という作品にはこの赤は使われていません。むしろ、青紫色で炎が描かれています。リンが燃えるときの色なのでしょうか。とすると、この「火」もまた死をイメージさせることになります。この時期の彼はおそらく、死者を想い、死を考え、そして聖者をしのんでいたのかもしれません。

■「昔の聖者」と磔刑
1956年に制作された「昔の聖者」という作品があります。

こちら →昔の聖者

鳥のような手足を持つ人物が椅子に腰かけているのですが、両手は釘を指し込まれて紐で天井に固定され、両足も釘で床に固定されています。この絵には「昔の聖者」というタイトルが付けられていますから、おそらく、はりつけになったキリストを表現しているのでしょう。ところが、この人物はギョロついた目にこけた頬、髭は伸び放題といった風体で、脛も足指も細く、鳥のように曲がっています。

「聖者」といいながら、この人物に威厳はいささかも見られず、慈愛の片鱗も見られないのです。もちろん、情感も感じ取れず、見る者の共感を拒否するかのようです。ですから、「聖者」というよりはむしろ、残虐な仕打ちを受け、ひたすらもだえ苦しむ罪人のようにも見えます。

「聖者」とはいえ、この人物に他者に救いの手を伸べる余裕はあるのでしょうか。ひょっとしたら、小山田二郎は聖者をこのように描くことによって、聖者の無残な姿を見せることこそが他者には救いになると考えていたのでしょうか。

小山田二郎はこの頃、何枚も磔刑図を描いています。

たとえば、こちら →
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSF9ywFziqu899oWqNdAxsod1IGBxyERX_jWXpx0155cNksCs8p6g

これは1959年に制作された「はりつけ」です。腕、胸部、腹部とも膨らみがあり、身体は人間らしい曲線で捉えられています。胸は厚く、上半身が大きく描かれており、頑強な身体を思わせる構図です。ところが、その全身には大小無数の穴やひっかき傷、血痕を思わせる黒い痕が描きこまれています。しかも、大きく描かれた上半身と腹部に比べ、顔は極端に小さいのです。ですから、身体に受けた無数の傷痕、血痕だけが強く印象に残ります。

ところが、前年の1958年に制作された「はりつけ」はこれと似たような構図ですが、顔を肩にめり込むほどに横に倒したポーズで描かれています。手は細く、身体は直線でかたどられ、三角形に収斂されています。このようにして身体性を希薄にして傷痕や血痕なども強く描かれていないので、逆に横向きの顔が印象に残ります。この顔でもっとも心象に残るのは眼ですが、その眼は大きくくりぬかれただけで虚ろです。ですから、この絵では心神の傷が表現されているように見えます。いずれも、「はりつけ」というタイトルでありながら十字架は描かれていません。

さらに遡ると、1956年頃に制作された「ハリツケ」は十字架を中心に構成されています。この絵では十字架の上のキリストは直線と三角形、楕円形で模られて、記号的な処理がされています。さらに、背後にいくつもの十字架が配されていますから、受難者はキリストだけではないということがこの絵から示唆されているといえるでしょう。

「昔の聖者」から始まる一連の絵を見ていると、焦点が少しずつ変化しており、その変化のプロセスはそのまま小山田二郎の心の軌跡になっているようです。

たとえば、「昔の聖者」では釘打たれた両手と両足が天井と床に固定されており、身体的な痛みだけではなく、心身ともに束縛されることの苦しみが全面に表現されています。

ところが、「ハリツケ」(1956年頃)では十字架が全面に打ち出され、その背後に複数の十字架が描かれています。ですから、受難者はキリストだけではないというメッセージを小山田二郎はこの絵に込めようとしたとも考えられます。つまり、誰もが受難者になりうるのだというメッセージです。

そして、1958年の「はりつけ」では心神の苦悩が描き出され、1959年の「はりつけ」では身体の苦痛が全面に打ち出されています。その後、1960年頃に制作された「聖骸布」では、白布に包まれたキリストの顔が大きく描かれています。この絵は小山田二郎らしいタッチで描かれているのですが、極端なデフォルメもされておらず、どこか穏やかに見えます。さまざまな心理的な葛藤を経て彼はついにキリストの聖性に辿りついたのかもしれません。

この作品はどことなくトリノの聖骸布にも似ています。ひょっとしたら、この絵の参考にしたのかもしれません。

トリノの聖骸布はこちら →
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/70/Shroud_positive_negative_compare.jpg/300px-Shroud_positive_negative_compare.jpg

■「手」を見たときの衝撃
キリストに関する一連の作品の発端は1950年代後期に制作された「手」かもしれません。この絵を見たとき、あまりにもリアルに苦痛と苦悩が表現されているので衝撃を受けました。

こちら →手

必死で何かを掴もうとするが、果たせない・・・、そのような状況下での左腕と左手が描かれています。腕も手もひどい苦痛で歪んでいるかのように見えます。この絵からは断末魔の叫びが聞こえそうです。思わず感情移入し、描かれた苦痛と苦悩を自分に置き換えてしまいました。ショックでした。リアルな表現だからこそ持ち得た訴求力だといえます。

腕の内側には無数の小さな穴があり、親指の付け根から噴き出すように流れだした血は、腕を伝っていく筋も落ちています。よく見ると、手のひらには大きな穴があけられていて、その周辺の肉が盛り上がっています。磔のときに打ち付けられた釘の痕なのでしょう。正視に耐えない苦痛を感じてしまいます。ただ、この大きな穴を「眼」とみる解釈もあるようです。

神山亮子氏はカタログの中で、この手の穴について、次のように解説しています。
「掌の上の穴が眼であると解すれば、人物像、それも小山田の自画像と捉えることができるだろう。ただ、人であれ異形の生き物であれ、顔にあたる部分に描かれた眼と、身体の一部である掌に描かれた眼は、意味が異なってくる」とし、「顔の中の眼は鏡がなければ直接、自分を見ることはできない。だが、手についた眼なら自分を見ることができる」と、その違いを説明しています。手にある眼なら、小山田の自画像と捉えることができるというのです。

たしかによく見ると、この穴は「眼」のようにも見えます。これが「眼」であるとするなら、この手によって苦痛にもがく自分を見ることもできるでしょう。もちろん、顔にある眼によって傷つけられた手を見ることもできる・・・、つまり、見ることは見られていることでもあり、そこには常に不安がつきまとっているという認識です。神山氏は小山田二郎の「自画像についてのノート」を引用しながら、「この作品は、そのような複雑な関係性を、掌に穿った眼によってきわめてストレートに示した、自画像であるともいえよう」と解釈しています。

手の穴を「眼」と見なすことで、小山田二郎の心性をより深く理解できるのかもしれません。対象を凝視するからこそ、その対象から逆に凝視されるという感覚をもたざるをえなかった小山田二郎が不安感にさいなまれていたとするなら、この絵は彼の心性を如実に表現しているといえるのでしょう。

小山田二郎の絵はどれも一見、不可解ですが、その場をすぐには立ち去り難い魅力があります。それは、彼が死のイメージや存在することへの不安感をモチーフにすることが多かったからではないでしょうか。しかも彼はそのモチーフを徹底的に追い詰め、究極の姿を晒す格好で描いています。だからこそ彼が描く絵は時を経てもなお、強い訴求力を持ち得ているのかもしれません。(2015/2/9 香取淳子)

絵画モチーフとしての蛇

■ロベール・プゲオン、壁画の下絵
展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」で印象に残ったのが、「パリ14区役所別館祝宴の間」の壁画の下絵でした。色鉛筆で描かれた作品で大きさは362×70、ロベール・プゲオンが制作したものです。彼の絵画作品には古典主義的な要素が随所に見受けられたのですが、この下絵はむしろ衒学的な要素が勝っているように思いました。

念のためカタログを見ると、次のように解説されています。
「パリ市が14区に新築する区役所別館のためにプゲオン、デピュジョルを含む6人の画家たちに壁画を依頼した。プゲオンはメインのホールに17世紀の天文学者カッシーニから、19世紀の物理学者フーコーまで科学者たちを天体と重ね合わせ、正確なデッサン力と絵画における「修辞学者」としての手腕を発揮した」

たしかに「蛇」にしても「イタリアの幻想」にしても「捕虜たち」にしても、プゲオンは聖書や神話、古典からモチーフを採り、色彩豊かに寓意性の強い世界を表現していました。実際、どの作品からも、古典的な画風ながら、古めかしいと思わせない一種独特の普遍性が感じられました。それはおそらく、プゲオンが時代を超えて観客に解釈を迫るような謎を周到に絵の中に潜めていたからでしょう。そういう点でプゲオンは卓越した修辞技法の持ち主だったのかもしれません。

■下絵に登場する蛇
私がこの下絵を一目見て、衒学的だと思ったのはただ、天文学者や物理学者を何人も登場させていたからだけではありません。プゲオンの修辞技法がいたるところで発揮されているように思えたからです。たとえば、モチーフの取り上げ方ひとつ見ても、実にシュールなのです。まるで当時の美術界の動向の一端を示唆しようとしているかのようです。さらに全体構想と関係があるとは思えないのですが、寓意性の強い動物をモチーフとして登場させています。

こちら→FullSizeRender (1)

上記の写真はカタログを撮影したのですが、うまく撮れませんでした。しかも、これは下絵全体の3分の1ぐらいの部分でしかありません。

私がこの下絵で興味を覚えたのが、蛇の描き方です。この写真の左側から真ん中にかけて大きくとぐろを巻いているのが蛇です。ヒトの腕に絡みつき、その頭部は真ん中あたりまで伸びています。パリ市14区の区役所別館の壁画に、プゲオンは大胆にも巨大な蛇のモチーフを登場させました。それは、彼が蛇に肯定的な意味を付与していたからでしょうし、蛇が象徴するものがこの壁画に必要だったからでしょう。

■蛇が象徴するもの
宮下規久朗氏は『モチーフで読む美術史』(2013年、ちくま文庫)の中で、蛇について次のように書いています。
「最初の人間であるアダムとイヴは蛇にそそのかされて知恵の実を食べてしまった。原罪と呼ばれるこの過ちのため、彼らは楽園を追放されて男は労働、女は出産の苦しみを受けることになり、蛇は罰として地上をはい回る姿にされたという」

▼否定的な象徴
長い間、否定的な意味を担わされてきた「蛇」は宗教改革後さらに「異端」の意味まで付与されるようになったようです。宮下氏は次のように指摘し、カラヴァッジョの「蛇の聖母」という絵を紹介しています。

「蛇の持つ負の意味性はその後、罪や異端の象徴にまで拡張し、十六世紀のカトリック改革後は、聖母が蛇を踏みつける「蛇の聖母」という図像も生まれる」

こちら→http://www7.plala.or.jp/labamba/img509.jpg

この絵の中で蛇は異端の象徴にされています。蛇を踏む聖母マリアの足に子どもであるキリストが恐る恐る足を載せている構図の絵です。宮下氏は、この場合の蛇はアダムとイヴを原罪に導いた蛇であると同時に、宗教改革によって生まれた「異端」プロテスタントを意味していると解釈しています。

聖書によって「蛇」は邪悪なものとされてきましたが、宗教改革後は「異端」の意味まで担わされてきたというのです。

▼肯定的な象徴
とはいえ、プゲオンは公共建築物の別館の壁画にモチーフとして蛇を登場させました。「蛇」に肯定的な意味があったからにほかなりません。

宮下氏は、蛇が西洋では邪悪の象徴として忌み嫌われてきたと書いていますが、一方で、キリスト教が広まる以前は蛇に肯定的な意味が付与されていたと記しています。

「蛇は賢い動物であるとされ、医術の神アルクレピオスや伝令神メルクリウスの持つカドゥケウスという杖にもからみついていた」

医術の神とされるアルクレピオスの坐像です。このように蛇がからみついた杖を持っていました。

こちら→ http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d2/Asklepios.3.jpg

そして、蛇が二匹絡まっている杖を持っていたとされるのがギリシャ神話に登場するヘルメスです。(ギリシャ神話の伝令神ヘルメスはやがてローマ神話のメルクリウスに同化します。ですから、ヘルメスとメルクリウスは同じと考えていいようです)

こちら→ 
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d2/Caduceus_large.jpg/220px-Caduceus_large.jpg

ヘルメスはアルファベットや数、天文学等々を発明した知恵者とされていますから、プゲオンはこの壁画にモチーフとして登場させたのかもしれません。

■モチーフとしての蛇
プゲオンは絵画「蛇」ではきわめて小さな蛇を登場させています。よく見ないと気付かないほど目立たず、ほとんど存在感がありません。ところが、この壁画の下絵では巨大な蛇を登場させています。それも、ヘルメスかもしれない登場人物の腕に巻きつく格好で絵柄を構成しているのです。

ギリシャ神話のヘルメスはローマ神話のメルクリウスに同化していったとされています。そして、このメルクリウスは中世およびルネッサンス期には錬金術、諸学や技芸の祖とされていたようです。ですから、修辞技法に通じていたプゲオンはこの壁画にモチーフとして蛇を取り込みたかったのでしょう。それも左前面に巨大な姿で取り込んでいますから、天文学をはじめとする科学技術こそが今後の社会を切り開くという意味を込めようとしていたのかもしれません。

もちろん、モチーフとして蛇を採用するのは、象徴的な意味合いからだけではなかったでしょう。蛇の姿形をデフォルメすれば、印象深い構図を創り出すことができますし、他のモチーフとの関連で絵に形態的な躍動感を生み出すこともできます。実際、彼は前面に巨大な胴体部分を描き、遠方に何かを探すような動きをしている頭部を描いています。それが、奥の方に描かれた絵に観客を誘い込む役割を果たしているのです。こうしてみると、プゲオンは「蛇」というモチーフに固着した象徴とその形態を巧みに操作し、作品に明確な主張を込めようとしたのだといえそうです。まさに修辞法に長けた彼ならではのモチーフの処理だという気がしました。

この下絵から、たった一枚の絵画でも、モチーフの選び方、扱い方次第で歴史を踏まえ、今後を見据えた主張を展開することが可能だということがわかりました。(2015年2月5日 香取淳子)

アール・デコの彫刻家 Alfred Auguste Janniot(French, 1889–1969)

■アルフレッド・ジャニオ(Alfred Auguste Janniot)
東京都庭園美術館の展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」でちょっと気になったのが、彫刻家アルフレッド・ジャニオです。彼はカタログの7章「アール・デコの彫刻家たち」でも筆頭に取り上げられています。ローマ賞は1919年に受賞しており、1925年のアール・デコ博にも「ジャン・グージョンへのオマージュ」を出品しています。

こちら→http://41.media.tumblr.com/tumblr_m5g9grntw91rrzeubo1_1280.jpg

当然のことながら、2013年から2014年にかけて開催された“1925 quand l’art déco séduit le monde”(1925年、アール・デコが世界を魅了するとき)でも2作品が展示されていました。そのうち「フォンテンブローのニンフ」は、1925年に展示された「ジャン・グージョンへのオマージュ」を思い起こさせます。

こちら→http://m.t-sd.info/public/expos/artdeco/.artdeco09_m.jpg

腕を高くかかげて長い髪を持ち上げているポーズは、「ジャン・グージョンへのオマージュ」の3人のニンフのうち、左のニンフの仕草と重なります。

庭園美術館に展示されていたのは、「ジャン・グージョンへのオマージュ」のニンフたちの頭部と同じ型で制作された3点の胸像です。カタログでは以下のように説明されています。

「主題や構図は古典主義に基づいているものの、ジャニオの彫刻作品に特徴的な、曲線の強調や、小ぶりな胸と長い首、突き出した卵型の額などに、イタリアのマニエリスムあるいはフォンテンブロー派からの引用を見ることができる。左側のニンフのポーズはジャン・グージャンの「無垢なる人々の泉」(1549年、パリ)の壺を抱えるニンフを彷彿とさせる」

おそらくこれが彼のお気に入りのモチーフであり、ポーズなのでしょう。 “1925 quand l’art déco séduit le monde”(1925年、アール・デコが世界を魅了するとき)でも似たようなモチーフ、ポーズの「フォンテンブローのニンフ」が出品されていました。

■ジャニオが捉えた「イヴ」
私が気になったのは実は彫刻作品ではなく、ドライポイントで描かれた版画「イヴ」(1923年頃制作、50×36.5)でした。

こちら→イヴ

作品のサイズは決して大きくはないのですが、泥臭く原始的で、生と死のエネルギーに満ち溢れているのです。見た瞬間に圧倒されてしまいました。

ジャニオはこの二つのモチーフを劇的に配置しました。人間ほど大きな蛇をイヴに絡ませただけではなく、蛇の頭部とイヴの頭部を同じ高さに置いたのです。通常であれば、これは蛇が狙った対象に襲い掛かり、確実にし止めることができる構図です。この距離でこの大きさの蛇に狙われたら最後、命はありません。ところが、イヴの太い両足は蛇を踏みしだき、押さえつけ、自在にコントロールしているかのように見えます。

一方、蛇はイヴを鋭く見つめ、イヴはそれを避けるかのように両手で顔半分を覆い、視線を下方に投げています。よく見ると、蛇はイヴに何か囁き、イヴはそれについて逡巡しているかのようです。イヴの妖しげな両手の仕草が欲望に負けてしまう寸前の状況を物語っています。

「アダムとイヴ」のエピソードは古典的な絵のモチーフとしてよく使われますが、このような構図と絵柄の作品ははじめて見ました。「死」と欲望が支える「生」とが拮抗しているのです。それはおそらく、蛇をイヴと同じぐらいの大きさで描いたからだと思いますが、調べてみると、イヴと蛇を同じぐらいの大きさで描いた聖書の挿絵がありました。

こちら→http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/41/BibliaPauperum.jpg

これを見ると、イヴと蛇が同じぐらいの大きさで描かれているからといって、迫力があるわけではないことがわかります。ですから、この作品の迫力は、二つのモチーフの関係、ポーズとその構図にあるのではないかと思いました。

この絵について、カタログの説明文では以下のように記されています。

「ジャニオの作品の中では唯一聖書から着想を得た作品。1928年に同じモチーフでフレスコ画を制作しており、ほぼ同一の構図だが、背景に植物や鳥が隙間なく描き込まれていた(現在所在不明)。ジャニオの解釈では「失楽園」の道徳性よりも、官能的な側面が強調されている。1920年代ローマ滞在時に親交を深めたジャン・デュパの絵画との共通点から、両者が互いに影響を与え合っていたことがわかる」

どのように影響し合っていたのか、展示されていた作品からだけではよくわかりませんが、デュパはもっと様式美を追求していたように見えます。ジャニオにしてもおそらく、これほど原始的なエネルギーを感じさせる作品はこの作品以外になかったでしょう。

彼はそもそもアール・デコの彫刻家として知られた人です。ですから、建築物に調和させるためのデフォルメや錯綜した構図を採用することはあっても、強烈な創作衝動に駆られて、装飾性を排除してしまうというようなことはなかったでしょう。ところが、この作品は彫刻ではなく、ドライポイントによる版画です。彼にとってはいわば主戦場ではありませんでした。だからこそ、無意識のうちに縛られていた制約を逃れ、原始的なエネルギーに溢れた作品を制作できたのかもしれません。

原始的に見える構図の中に、生と性と死の本質が凝縮されて表現されています。それが、人工的な生活環境に封じ込められている私には印象深いのです。はるか昔、どこかに置き忘れてしまったものをこの絵はふっと思い起こさせてくれますから…。(2015/2/1 香取淳子)

アール・デコの画家 Jean Théodore Dupas (French; 1882-1964)

■ジャン・デュパ(Jean Théodore Dupas)
東京都庭園美術館の展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」でロベール・プゲオンと同じぐらい数多く作品が展示されていたのが、ジャン・デュパです。こちらはプゲオンとは違って、“1925 quand l’art déco séduit le monde”(1925年、アール・デコが世界を魅了するとき)でも作品が展示されていました。

1925年の国際博覧会で展示された”La Vigne et le Vin”(「ブドウとワイン」1925年制作)です。

こちら→visu_1-La-Vigne-et-le-Vin-d

これはボルドー館のために制作されたもので、まさに“1925 quand l’art déco séduit le monde”を象徴する作品です。入り口前のホールの壁に展示されていたそうですが、大きさが306×840という巨大な絵画ですから、人目を引いたでしょうし、観客を1925年当時の芸術世界に誘うには格好の導入部になったと思われます。

もちろん、ウィキペディアでもアール・デコの画家と記されています。
デュパは、ボルドー市立美術学校ではポール・カンザック、パリ国立美術学校ではガブリエル・フェリエの下で絵画を学び、1910年にローマ賞を受賞しました。

■国際博覧会ポスターの下絵:三美神が支える3本の柱
1925年現代装飾美術・産業美術国際博覧会のポスターの下絵として1924年に描かれたのがこの作品です。東京都庭園美術館の展覧会場で見ると、大きさが73×53の作品でありながら、特徴のある細長い顔の3人の女性と3本の柱がモチーフとして目立ち、縦長の構成が人目を引いていました。

こちら→FullSizeRender

三人の女性がそれぞれ柱のようなものを支えています。彼女たちの周囲を覆っているのはリンゴやブドウ、ナシなどの果物、あるいは色鮮やかな花々や葉です。地面には下草が生え、上方には青空が広がり、楽園を想像させます。

そして、右の柱のようなものには鮮やかな色で着彩された抽象的な文様が施され、裸体の女性が支えています。真ん中の柱には古代建築の屋根や柱などの部分がいくつかピックアップされて描かれ、肩を出した赤いドレスを着た女性が支えています。そして、左の柱には裸体をあしらったさまざまなレリーフが施され、黒いマントを羽織った女性が支えています。どうやらこの三本の柱のようなものに大きな意味が込められていそうです。

そこで、解説を見ると、この絵について以下のように記されています。
「三美神がそれぞれ柱を支えている。柱には右から、鮮やかな磯の抽象文様、中央は古代建築、左は上部にアジアの神殿のレリーフ、アフリカの彫刻のような大きな頭部の像、下部に花かごを頭に乗せるカリアティードが描かれる。これらは当時の装飾美術の源泉であるキュビスム、古典主義、オリエンタリズムを讃えているように読み取ることができる」

カリアティードとはギリシャ語で女人柱というのだそうです。古代ローマ以前から、梁や上部の水平部分を支える柱の代わりに、このような女性像が使われていました。

こちら→http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3d/Caryatid_Erechtheion_BM_Sc407.jpg/200px-Caryatid_Erechtheion_BM_Sc407.jpg

柱に描かれた三人の女性を三美神と捉えたところから、この絵の形而上学的解釈が始まっているのでしょう。三美神とはギリシャ神話に登場する三人の女神を指し、それぞれ美貌、魅力、創造力を司っているといわれています。あるいは、美、雅、芸術的霊感を司るともいわれるようです。それが、それぞれ特徴のある文様が彫り込まれた柱を持ち、ともに楽園のようなところで佇んでいる・・・。

そして、細密に描かれた柱の文様を読み解くと、さらに深い解釈が可能になるというわけです。まさに1925年国際博覧会の目的を立派に果たしたポスターの下絵といえます。アール・デコ博覧会の時代、多様な様式の美術が共存していました。そのような風潮をデュパは、自身が模索していた様式美を活かしながら見事に表現しているのです。

■寓意的解釈を迫るデュパのモチーフと様式
会場で展示されていたのが、「パリスの審判」、「国際博覧会ポスター下絵」、「イタリアの泉」、「赤い服の女」、「射手」、「エウロペの誘拐」等々でした。いずれも、古典的なモチーフを使い、様式的な表現で、観客に寓意的解釈を迫ります。モチーフや表現へのこだわりが観客にそのような思いを抱かせるのでしょう。ポスターや習作、大作の一部にその片鱗を見ることができます。

こちら→
http://www.mutualart.com/Artist/Jean-Theodore-Dupas/30D8D67A607CAE22/Artworks

一連の彼の美術作品を見てみると、見る者の気持ちを射抜く絵の力とはなんなのかと思わざるをえません。決して上手な絵だとは思わないのですが、なにか引っかかるのです。そして、記憶に残る・・・、不意に自分で物語を重ね合わせてしまう・・・、そのような力がデュパの作品にはあるのでしょう。100年も前の作品なのに不思議に気持ちが捉われてしまうのです。(2015/1/30 香取淳子)

アール・デコの画家 Eugène-Robert Pougheon (French; 1886–1955)

■展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」
東京都庭園美術館で開催されたこの展覧会に先行してフランスでは2013年10月16日から2014年2月17日まで“1925 quand l’art déco séduit le monde”(1925年、アール・デコが世界を魅了するとき)というタイトルの展覧会がパリ建築・文化財博物館で開催されました。

こちら→http://www.franceinter.fr/evenement-1925-quand-lart-deco-seduit-le-monde

どうやらフランス美術界ではアール・デコを再評価しようとする動きがみられはじめたようです。ところが、どういうわけか、ここにロベール・プゲオンの名前が見当たりません。

■ウジェーヌ・ロベール・プゲオン(Eugène-Robert Pougheon)
東京都庭園美術館の展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」ではロベール・プゲオンの絵画が多く展示されていました。たとえば、「Italian fantasy」(1928年)、「Amazon (fantasy…)」(1934年頃)、「Woman with rose, Portrait of Mrs. Culot dressed in Maggy Rouff」(1940年頃)、「The Serpent」(1930 年以前)、「Captives」(1932年)、そして、壁画の下絵である「Maquette for the community hall of the 14th arrondissement town hall of Paris」(1933年頃)、等々です。

この展覧会のポスターも、ロベール・プゲオンの絵画をベースに制作されています。一目を引く絵柄だから採用されたのかもしれませんが、彼の扱いが大きいのが印象に残りました。

当然、フランスでの展覧会「1925 quand l’art déco séduit le monde」でも展示されていたのではないかと思いましたが、名前がなかったのです。そこで、この展覧会の名称と彼の名前「 Robert Pougheon」をキーワードに検索しました。ところが、わずか10件しかヒットせず、このうち6件が「1925 quand l’art déco séduit le monde」のみ、1件が「l’art déco」、そして、3件が「Robert Pougheon」のみに反応したものでした。両方に反応したものは1件もありませんでした。ですから、この展覧会に彼の作品は展示されていなかったことになります。

そこで、「l’art déco en france」をキーワードに検索をかけ、フランスのウィキペディアを見たのですが、Robert Pougheonの名前はありませんでした。どうやら彼はフランスで典型的なアール・デコの画家として認知されているわけではないようです。では何故、この展覧会で彼の作品が数多く取り上げられたのでしょうか。

■ローマ賞受賞の画家
カタログを見ると、第6章で「アール・デコの画家たち」が取り上げられています。その説明文の冒頭で、以下のように記されています。

「1914年、若手芸術家の登竜門であるローマ賞を受賞した画家に、ロベール・プゲオンがいます。彼は古典主義的主題と伝統的な寓意表現を現代性と結びつけ、イマジネーション豊かな絵画を描きました」

カタログの説明文でも、数ある画家たちの中でロベール・プゲオンが筆頭に取り上げられているのです。アール・デコの画家としては、ジャン・デュバ、ジャン・デピュジョル、アンドレ・メール、ルイ・ビヨテ、等々の名前があげられています。いずれもローマ賞受賞者です。彼らの作品を見ると、ギリシャ・ローマの神話にモチーフを取りながら、背後に近代的な建物を配したり、樹木や草花を装飾的に描いたりしています。彼らはどうやら近代的であると同時に装飾的であるという条件を満たす画家たちであったようです。

千足伸行氏は『フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』(1994年小学館、p.382)の中で、以下のように記しています。

「アール・デコとはこうした大衆的な次元でのモダニズム、平たくいえば新しもの好きの精神から生まれた様式であった。ただし、新しいものとはここでは必ずしも現代を、現代の機械文明を意味しない」

モチーフが古いものであったとしても、彼らはそれに近代の光を当て、楽観的に捉え直したといえるのかもしれません。

■ロベール・プゲオンの『Le serpent = The Serpent』
展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」のポスターの絵柄に採用されていたのが、ウジェーヌ・ロベール・プゲオンの『Le serpent = The Serpent』でした。日本語訳として「蛇」が当てられています。注意深く見てみると、馬から外した鞍の間に小さな蛇が描かれています。

こちら→プゲオン

解説を見ると、以下のように記されています。
「前方に描かれているのは二人の裸体の女性と黒衣の女性、そして二頭の白馬である。二つの鞍の間に蛇がおり、聖書のアダムとイヴの原罪の物語を下敷きにしていることがわかる。しかし、男性(アダム)はたくましい二頭の白馬として描かれる。ルピナスとクロッカス、ヒナギク、アルムという美を競う花々はいずれも強い毒性を持つものばかりである。1930年に国家買い上げになった作品で、寓意的な構成や正確なリアリズムを特徴とするプゲオンの代表作」

私は最初、この絵を見たとき、絵の中に蛇が見つからなかったので、『Le serpent = The Serpent』に「蛇」という訳語を当てるより、もう一つの訳語である「悪意のある人」の方が妥当ではないかと思いました。黒衣の人物を男性だと思ったせいでもあります。この人物は黒い帽子を被り、男性用の靴を履いているように見えたのです。

男性にしては体つきが華奢なのが気になったのですが、裸体の女性に何か囁いてように見え、しかもこの人物の顔半分は黒っぽく塗られています。表情と色で、「悪意のある人」として示唆されているのではないかと思いました。「悪意のある」この人物によって女性二人は衣服を脱ぐように仕向けられ、二頭の馬も鞍を外され裸状態にされていると思ったのです。

女性の一人は視線を伏せ、誘いかけるようなポーズを取っています。その傍らで黒衣の人物は女性の肩越しに何かをささやいているようです。巨大な二頭の白馬は興奮して前足を蹴り上げており、近くの建物のバルコニーには黒服のヒトが覗いています。馬の背後にも遠くから黒服のヒトがこちらを見ています。

二頭の白馬が男性(アダム)として描かれているのだとすれば、たしかにこの絵はアダムとイヴの寓話といえます。この黒衣の人物を蛇の化身とみることができますから、蛇の化身が裸体の女性(イヴ)に何かを囁き、やがて、彼らは楽園を追われる・・・、というストーリーが素直に浮き上がってきます。このように読み解くと、「蛇」という訳語の方が絵に深みを与えることがわかります。モチーフが何を象徴しているのか、背景となる文化を知らないとわからないところがこの絵の魅力の一つなのでしょう。

それにしても何故、二頭の白馬に二人の裸体の女性なのか。構図としてみれば、この配置でぴったり収まっているのですが、白馬も女性も敢えてダブルにしたことの意味がわかりません。

ブリュノ・ゴディション氏(アンドレ・ディリジャン芸術・産業博物館館長)はカタログの中でこの絵について次のような説明をしています。

「アダムとイヴの原罪の複雑なメタファーであり、第一次大戦後に劇的に変化した男女関係を表している」

そこまで深く読み込むことができるのかどうかわかりませんが、この絵は古いモチーフを使いながら、近代的で装飾的な仕掛けが施されていることは確かなようです。こうしてみると、東京都庭園美術館の担当者が今回の展覧会でローマ賞受賞者たちの絵画を中心に取り上げた理由もわかるような気がしてきました。そして、展覧会のタイトルの下に「アール・デコと古典主義」というサブタイトルが付与されている理由も・・・。

21世紀に入って10数年も経た現在だからこそ、アール・デコの画家たちの中でもとくに、古典やイタリアルネサンス、18世紀新古典主義などへの憧憬が見られる画家たちの作品が新鮮に見えてきたのかもしれません。(2015/1/29 香取淳子)

アール・デコの画家 Tamara de Lempicka(Polish,1898-1980)

■アール・デコとは?
今回の展覧会「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」やシンポジウムに参加し、アール・デコに興味を覚えました。これまでに聞いた覚えはありますが、具体的にどういうものか理解していたわけではありませんでした。そこで近くの図書館に行って調べてみたのですが、参考にできたのは、『世界美術大事典』と『世界美術大全集25フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』ぐらいでした。どうやら美術史での扱いはそれほど高くないといえそうです。

▼『世界美術大事典』では、「1920~30年初頭、ヨーロッパ各国で展開した建築や工芸の装飾的な様式」と概括されています。そして、1925 年パリで「現代装飾美術・工業美術国際展覧会」が開催され、そこで主流となった装飾的様式をさしてアール・デコと呼んだとその由来が記され、以下のようにその装飾の様相が具体的に説明されています。

「その装飾には当時の絵画や彫刻の影響、すなわち、キュビズム、構成主義、未来派、抽象芸術の影響を受けて単純化された立体的な形がみられる。直線的・幾何学的であり、曲線が用いられてもアール・ヌーヴォーの曲線のように自然からとられたような有機的なものではなく、人工的、無機的な曲線を見せることが多い」

▼『世界美術大全集25フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』では、この名称の由来について、千足伸行氏が「アール・デコの名称が1925年に開催された「現代装飾美術・工業美術国際展覧会」に由来していることは確かだが、定着したのは1966年のパリ装飾美術館での展覧会以後のことである」と記しています。

この箇所を読んだとき、東京都庭園美術館でのシンポジウムで、アントワーヌ・レキュイエール美術館キュレーターであるエルベ・カベザス氏が、アール・デコとは1960年代以降に画商たちが1920年代の作品を指すときに使い始めた言葉で、1920年代にはまだ使われていなかったといっていたことを思い出しました。

千足伸行氏はその様式について、
「アール・デコの源流はドイツ、オーストラリア、イギリスなどのデザイン運動にあったが、20世紀初頭、装飾芸術の刷新を計ってパリに結成された装飾芸術家協会や、フォーヴィスム、キュビスム、未来主義、抽象主義、表現主義、構成主義などのモダニズム運動、またこれに付随して注目を集めた(特にアフリカ、オセアニアの)原始美術の影響も考慮に入れる必要がある」と記しています。

シンポジウムでフランスのキュレーターたちが一様に、アール・デコには多様な様式があったといっていたことを思い出します。

彼はさらに、「アール・ヌーヴォーとの比較でいえば、アール・デコはアール・ヌーヴォーの女性的とも情緒的とも官能的ともいうべき曲線様式に対し、直線的、幾何学的な明快さと、近代の都市文明に即応した機能性および矩形、三角形、菱形、アーチ形の曲線からなる装飾モティーフを特色とし、色彩も原色系の単純明快なものが好まれた」と説明します。

たしかに朝香宮邸で見た照明器具は三角形の原色の組み合わせでした。

こちら→http://www.teien-art-museum.ne.jp/archive/museum/images/teien_image_light.jpg

■タマラ・ド・レンピッカ (Tamara de Lempicka)
千足伸行氏はアール・デコを代表する画家の一人としてタマラ・ド・レンピッカをあげています。『世界美術大全集25フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』で取り上げられていた作品は、「アダムとエヴァ」(1932年制作)、「ブカール婦人の肖像」(1931年制作)でしたが、私が好きなのは、「Autoportrait」(1925年制作)です。この作品にはアール・デコの特徴がよく表れていると思います。

こちら→ダウンロード

産業文明の象徴である車を女性が運転している姿を描いた絵です。ヘアスタイルはストレート、ハンドルを握る姿はいまにも猛スピードでダッシュしそうに見えます。視線はけだるく、そして、鋭く、冷たい・・・。ウィンドウのフレームで鋭角的に切り取った構図はまさに直線、矩形で構成されており、アール・デコの装飾様式そのものです。

「緑の服の少女」(1930年制作)も非常に魅力的です。

こちら→http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/36/0000349936/85/img180e616bzik8zj.jpeg

帽子でわざと影を作り、挑発するような強いまなざしを向ける相手はいったい誰なのか、限りなく観客の想像力を刺激します。有無を言わせず絵の世界に引き込んでしまうパワーがあるのです。緑の服のフリルや皺は直線や矩形で表現されています。白い帽子に緑色の服といった原色の色使いの中でモダンな様式が表現されているところにも惹き付けられてしまいます。

レンピッカにかかれば、花さえも観客を一種独特の世界に誘ってくれます。
たとえば、「カラーの花」

こちら→http://sekisindho2.up.seesaa.net/ftp/83J8389815B82CC89D491A9.jpg

■まなざしに込められた表現
レンピッカの作品の特徴の一つは描かれた人物のまなざしにあります。たとえば、「Autoportrait」の女性のまなざし、「緑の服の少女」の少女のまなざし、それぞれ特徴があります。特徴があるだけではなく、観客を惹きつけて離さない強さがあります。そのまなざしだけで、人物の性格、シチュエーション、人物が織りなすストーリーが浮き彫りにされているのです。まなざしをこれほど豊かに描けるのかと感嘆してしまいますが、同時に、個性的で豊かな表情だからこそ、それぞれのまなざしが描かれた対象に生命を与えていることがわかります。

こちら→
http://theculturetrip.com/europe/poland/articles/art-deco-icon-the-alluring-mystique-of-tamara-de-lempicka/

一連の作品をみると、「魚」(1958年制作)さえ、その目の表情によってもはや生きていないことがわかります。ただ、後年になると、彼女は生活の中にモチーフを求めるようになっていることがわかります。

■「芸術の中に生活を」「生活の中に芸術を」
千足伸行氏は「アール・デコが“芸術のなかに生活を”、“生活のなかに芸術を”の理想を実現し、生活と芸術の一体化、融合を促したという意味で歴史的意義はきわめて大きなもの」があると記しています。

たしかに朝香宮邸の内部を見てみると、そのことが実感されます。心の豊かさは芸術とともにあることが再認識されます。

興味深いことに、今回の東京都庭園美術館での展覧会にレンピッカの作品は展示されませんでした。フランスのアール・デコに影響されていた朝香宮邸の諸美術品とは関係しなかったからでしょうか。それとも、フランス人ではなかったからでしょうか。アール・デコを代表する女流画家といわれるレンピッカですが、彼女はポーランド人でした。

ワルシャワに生まれた彼女は第一次大戦、ロシア革命を経て、アール・デコの只中に身を置くようになり、装飾的な様式の表現活動にまい進しました。やがて第二次大戦、そして戦後の苦難の時期を迎えます。激動の時代を走り抜けるように生き、メキシコでその生涯を終えたのです。

波乱の人生を生きた女性がキャンバスに描いたモチーフは装飾的で美しく、しかも硬質の雰囲気に包まれているのですが、どれも、どこかはかなげで寂しく、悲しさが漂っているのが不思議です。

アール・デコは1929年の世界大恐慌以降、急速に凋落していきます。産業化のさらなる進展に伴う機能主義、合理主義的なデザインにとって代わられるようになるのです。それにしても、レンピッカが描く女性たちのまなざしのなんと強く、そして、脆く、悲しいのでしょうか。彼女の心の深淵を思わず想像してしまいます。だからこそ、彼女の絵が放つ深い情感的な訴求力に惹かれてしまうのでしょう。(2015/1/26 香取淳子)

「第17回DOMANI・明日展」で見た入江明日香氏の作品

■「第17回DOMANI・明日展」で見た入江明日香氏の『Le Petit Cardinal』
出口に近いコーナーに展示されていたのが、入江明日香氏の作品です。どれも精緻で完成度が高く、華麗な画風に惹き付けられました。しかも、展示された7作品のうち、3作品が横5メートル以上という巨大なものでした。パワフルな制作力に感嘆させられます。

なかでもその表現力、構想力に圧倒されたのが、2014年に制作された『Le Petit Cardinal』という作品です。パリでの研修が2012年度ですから、この作品には研修の成果が反映されているといえます。

どのような作品なのか、「第17回DOMANI・明日展」のホームページから見てみることにしましょう。

こちら→ http://domani-ten.com/artist/exhibition/asuka_irie.php

■入江作品に登場する少女や少年たち
入江作品には必ずといっていいほど少女や少年がモチーフとして登場します。共通しているのはその表情で、とくに、どこか遠くを見つめているようなまなざしが印象に残ります。身体はそこに存在していても、心は存在しない・・・、とでもいえばいいのでしょうか。たとえば、大作『Le Petit Cardinal』の前で私が引き付けられたのは、中央に大きく描かれた少年の姿です。ここでは、ちょっと上目使いのまなざしが気になります。

入江明日香

少年は建物の形をした紙箱のようなものを両手いっぱいに抱えています。その姿勢は、誕生日か何かで抱えきれないほどのプレゼントをもらったときの姿勢と重なります。少年にとってはうれしい、心弾むひと時のはずです。ところが、いくつもの紙箱を落とさないように注意しているからでしょうか、少年の目にはそこはかとない不安が宿っています。よく見ると、紙製の建物のいくつかは壊れかかっており、それは震災後の被災状況のようにも見えます。そして、屋根らしきものの上にはなぜか着物姿の女性が座り、下を見ています。今にも落ちそうになっている姿勢を必死で立て直そうとしているかのようにも見えます。

少年を中心に構成したこのピースひとつとってみても、入江氏の非凡な着想力、表現力がわかります。少年が紙箱を抱え持っている姿は誰もが日常的に経験する幸せの構図です。いわば見慣れた光景ですが、その中に、非日常がもたらす不安、恐怖、怯えなど、幸せとは対極にある世界を平然と、しかも華麗なタッチで入れこめているのです。

■「見る人の記憶に残るような作品づくり」を目指して
制作に対する意気込みを問われ、入江氏は「見る人の記憶に残るような作品、展示を目指しています」と答えています。このインタビュー記事を読んだ後、あらためて展示作品を観てみたのですが、どの作品も「一度、見たら忘れることができない」ほど、強い訴求力があります。それは華麗に描かれた無垢な少女や少年の中に、不安感を喚起する要素を組み込んで表現しているからかもしれません。

たとえば、『Le Petit Cardinal』の少年は、そのまなざしの特徴から、現在でありながら現在ではない時間を生きているように見えます。さらに、その姿勢と構図から、一見平和な日常生活の中にいながら、実は悲惨な被災状況の只中にいるようにも見えます。壊れかかった紙製の建物を抱えている姿はまるで被災後の難局をあますところなく抱え込んでいるかのようです。

しかも、その主体はまだ保護者の庇護の下にいるような少年なのです。まだ大きな恐怖も不安も怯えも経験したことがないような時期の少年をモチーフに、リアルではない形で悲惨な被災状況を盛り込んでいます。その結果、このピースだけ見ても、ヒトが誰しも無意識のうちに抱いている漠然とした不安感が見事に表現されているのです。

■これまでの作品
入江氏のこれまでの作品を観ると、精緻で完成度が高く、装飾的要素が強いことが共通していることがわかります。

こちら→ http://www.asuka.mimoza.jp/gallery.html

少女、少年、花、動物などが華麗なタッチで表現されているのですが、いずれの場合も漠然とした不安感が漂っています。このように現代社会の華やかな表層の背後にある暗黒の深層が鮮やかに捉えられているのが、入江氏の作品の特徴であり魅力なのだと思います。

どの作品も華麗で装飾的なのは、銅版画のコラージュという手法を採っているからかもしれません。銅版画は一種独特の色彩を生み出すようです。筆だけでは表現できない銅版画の表現効果が好きだという入江氏の作品には他の追随を許さない独自性があります。商業的にも成功しそうに思います。(2015/1/19 香取淳子)

フランス美術界でアール・デコ再評価の動きか?

■「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」展記念シンポジウム
2015年1月17日、東京都庭園美術館で「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」展記念シンポジウムが開催されました。東京都庭園美術館は、朝香宮邸として使われていた建物を1983年10月1日に公開し、美術館として使用してきたものですが、2011年~2014年にかけてリニューアルのための大規模な改修工事が行われていました。同美術館は2014年11月22日、新館も増設されて、リニューアルオープンしました。この展覧会は同美術館の設立30周年、リニューアルオープンを記念しての企画です。

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朝香宮邸はフランス人の装飾美術家・アンリ・ラパンらの協力を得てアール・デコ様式を採り入れ、1933年に竣工されました。1922年から1925年にかけてフランスに滞在した朝香宮の意向を汲み、アール・デコ様式が随所に取り入れられました。邸内に一歩、足を踏み入れ、内部を見渡せば、まさに「絶佳」です。椅子、ソファー、テーブル、壁、床、暖房器具に至るまで、備品、具材がアール・デコなのです。たとえば、室内はこんなふうになっています。

美術館内部

朝香宮邸のアール・デコについてはこちら
http://www.teien-art-museum.ne.jp/archive/museum/asaka_artdeco.html

この展覧会のタイトルが「幻想絶佳」と銘打たれているのも納得できます。邸内そのものがアール・デコの美術品なのです。歩き回るだけでアール・デコ様式が生み出す美しい幻想を体現することになります。そして、新館への通路からは深い緑に包まれた庭園が広がっており、気持ちが落ち着きます。新館に入ると、新館ギャラリー1で絵画が展示されており、新館ギャラリー2でシンポジウムが行われました。

■登壇者はフランス美術館のキュレーターたち
登壇者はドミニク・ガニュー氏(パリ市立美術館チーフ・キュレーター)、エルベ・カベザス氏(アントワーヌ・レキュイエール美術館キュレーター)、クレール・ポワリオン氏(30年代美術館キュレーター)で、いずれも今回の展示にかかわる美術館のキュレーターです。各登壇者のプレゼンテーションの時間が延びてしまい、予定されていたディスカッションの時間がとれなくなってしまいました。とはいえ、登壇者がご自身の専門領域で話された内容はいずれも興味深く、アール・デコに関わる美術館のキュレーターたちを中心に組み立てられた今回のシンポジウムはとても意義深いものになっていました。

登壇者 (640x480)

■アール・デコとは?
最初に登壇されたエルベ・カベザス氏によると、アール・デコとは1960年代以降に画商たちが1920年代の作品を指すときに使い始めた言葉で、1920年代にはまだ使われていなかったそうです。そもそもアール・デコは、1925年4月から11月にかけてパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels modernes)の略称に基づく名称だといわれています。また、1910年から1930年代にかけてフランスを中心にヨーロッパ全体に広まっていた工芸、建築、絵画、ファッションなどの分野に波及した様式の総称ともいわれます。ですから、おそらく当時、それまでとは異なる表現上、あるいは様式上の傾向が見受けられるようになったのでしょう。それを命名する必要が生じてアール・デコと総称されるようになったのかもしれません。

カベザス氏は、アール・デコと言っても決して一様ではなく、さまざまな様式があったといいます。異なる様式のさまざまな作品が同じ空間に存在したのが、1925年の博覧会だったというのです。この博覧会が「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」命名されていたことを思えば、単なる美術作品ではなく、産業と結びついた製品も対象としていたことがわかります。ですから、さまざまな様式が混在していたのは当然だといえます。

彼はアール・デコの作品に共通するのは、表現の装飾性であり、滑らかな仕上がりであり、細部へのこだわりだったといい、モチーフとしては奇妙なもの、突飛なものが選択されることが多く、構図に奇妙さがあったのも共通していたといいます。

■モチーフの広がり
クレール・ポワリオン氏は、1930年代のフランスでは余暇生活を楽しむ層が増え、スポーツ、釣り、海、植民地、旅行などがモチーフに選ばれることが多くなったといいます。生活圏が拡大することによって人々の関心領域が広がり、多様なモチーフが選択されるようになったのだと思われます。その背後に見え隠れしているのが産業化の進展です。

ドミニク・ガニュー氏は、1925年の万博の目的は産業の進歩であり、人々の生活を安楽にするための製品開発を展示する国際競争の場でもあったと指摘します。各国は威信をかけて技術を競い、アイデアを競っていたのだというのです。参加者にとって万博は新奇な展示品を見る場であり、学びの場であり、娯楽の場でもあったのですが、国家にとっては国力あるいは国家権力を示す場だったのです。

ですから、当時のフランス商務省は装飾技術を時代のニーズに合わせたものにすることに尽力し、後にアール・デコと呼ばれるものを作り上げることに成功したのだとガニュー氏いうのです。異国趣味、人目を引く大がかりなものへの関心も高まり、人間の可能性だけではなく、芸術の可能性も追求されたといいます。たとえば、朝香宮邸のエントランスの扉はガラスのレリーフになっていて、大広間からの明かりを受けて女性像が浮かび上がってきます。

ガラスレリーフの扉

■フランス美術界でのアール・デコ再評価の動き
こうして邸内を見てくると、フランス美術界で現在、アール・デコ再評価の動きがみられるという理由もなんとなくわかるような気がします。現代社会に生きる私たちが一様に、機能優先で無味乾燥な生活を強いられているとすれば、アール・デコは機能性以外に豊かな装飾性を持ち合わせていて、それが心の奥底に沈んでいる優しい気持ちを呼び覚ますからではないでしょうか。

庭園美術館事業企画係長で学芸員の関昭郎氏はカタログで次のように書いています。

「私たちは当時の美術家たちが空間と様々な美術品を併せた総体として表現しようとした時代の美意識に、より注意深く、目を向ける必要がある。おそらくそこに見た目の豪華さだけではない、アールデコにおける「古典主義」の本質的な意味、今日でも古びることのない普遍的なメッセージが隠されているのである」
… p.15

新館ギャラリー1で展示されていた多くの絵画もどことなく懐かしく、愛らしく、つい惹きこまれて見入ってしまいました。次回は、興味を覚えた絵画をピックアップして、見ていくことにしましょう。(2015/1/18 香取淳子)

「第17回DOMANI・明日展」で見た奥谷太一氏の作品

■第17回DOMANI・明日展の開催
2015年1月12日、文化庁芸術家在外研修の成果展である「第17回DOMANI・明日展」に行ってきました。文化庁の海外派遣制度によって研修してきた新進芸術家たちの成果発表が国立新美術館で開催されていることを偶然、知ったからです。開催期間は2014年12月13日から2015年1月25日までです。この日、たまたまに六本木方面に行く用事もあったので立ち寄ってみたのですが、大変、興味深い展覧会でした。

■造形の密度と純度をテーマに
今回のテーマは「造形の密度と純度」です。これまでに海外派遣された研修生の中から「造形的に緻密で高い完成度を持ち、表現の純度を高めている作家」として評価された12人が選ばれ、成果発表が行われました。

入口を入ってすぐのコーナーに奥谷太一氏の作品が展示されていました。人物はいずれもまるで写真撮影したかのように精緻なタッチで描かれています。卓越したデッサン力の持ち主なのでしょう、造形的に緻密で完成度の高い作品であることが一目でわかります。

■色彩
ただ、緻密で完成度の高い作品はともすれば観客に息苦しさを感じさせかねません。その種の息苦しさを振り払うかのように、奥谷氏は人物の顔や手を青色や緑がかった色で彩色しています。私が引き付けられた作品「帰路」(2007年制作、162×194)も同様です。このように彩色することによって、誰もが見慣れている光景に違和感を演出するとともに、観客の注意を引くことができます。さらには、ビジネスマンたちの疲れ、未来への不安、やるせなさを表現することもできますから、この彩色だけで現代ビジネス社会の風刺にもなっています。

帰路

もっとも、ビジネスマンたちの顔や手を青や緑系で彩色すると、それだけで絵全体が暗くなり、陰鬱で沈滞した印象を与えてしまいます。しかも彼らはまるで制服のように一様に、ダークスーツを着用しています。ですから、いっそう疲れ切った、個性のない集団といった印象を与えがちなのですが、実際は、彼らこそが日本経済を力強く支え、社会の活力源にもなっているのです。

彼らが着用しているダークスーツにしても、寒色系の顔色や手にしても、それだけでは色彩に付着するイメージによって、実際に彼らが生み出している巨大な生産のエネルギーは封じ込められ、観客には伝わってきません。改めて見ると、寒色系の色がもたらす暗鬱さを拭い去るかのように、ビジネスマンが持つブリーフケースやバッグは黄色やオレンジなどの暖色系の色で彩色されています。小物に着色した色彩で端的にビジネスマンの生み出すエネルギーを表現しているのです。さりげなく配されたこの二つの色が見事に効いています。

■構図
ビジネスマンたちは右方向に向かって歩いています。右端と左端の人物はキャンバス内に収まりきれず、はみ出していますから、この人群れが右にも左にも続々とつながっていることがわかります。それも、左方向からの圧力で右方向に向かって押し流されているというイメージです。しかも、彼らの視線は下方か前方か上方に向けられており、観客の方には向けられていません。周囲を見渡す余裕もないことが示されています。

左下に描かれた人物はおそらく作者なのでしょう(実際、会場でご本人をお見かけしたのですが、そっくりでした)。この人物もやはり青い顔色をしているのですが、立ち止って観客の方を見ています。そして、ビジネスマンの群れとは逆の方向に身体を向けていますから、時代の風潮に掉さすことができるクリティカルな視点を持った自由人だということが示唆されています。

この絵の中には、人の流れに二つの方向性が持ち込まれています。一方は黙々と流れに従う方向であり、他方は流れが作り出されていない、停止という方向です。このように対立軸を設定することで、この絵の深さが増しました。流れに従う方向(群衆、多数の人々)は、多数が同じ方向で動くために中にいれば安心感はありますが、自由度は少なく、個性の発揮しようがありません。流れに乗らない方向(個人)は、風当たりは厳しく、あらゆることを自分で開発し、獲得していかなければなりません。ただ、自由度は高く、好奇心を保持したまま生きることができます。奥谷氏はこの位置に自分を描くことによって、クリティカルな視点を失わない画家として生きることの決意表明をしたようにも思えます。とても興味深い構図です。

さて、右から3分の1あたりで、この人群れに空白が置かれています。空白のすぐ後に、一人だけ白いワイシャツ姿の人物が描かれています。ダークスーツの群れに白いワイシャツ姿の人物を配置することによって、観客に空白を明確に認識させる効果がありますが、どうやらそれだけではないようです。

キャンバス全体からみれば、このポジションはとても重要です。中央に近い位置であり、その前に空白が置かれているからです。しかも、ダークな色調の中で白という対立色が施されています。ポジションの面でも色彩の面でも強調されていることがわかります。観客の目を自然に集める位置に配されていますから、この人物が中心なのです。いわば主人公なのですが、それが前かがみになってうなだれた姿で描かれています。描かれた人物たちの中でもっとも生気が乏しいのです。ここに奥谷氏の現代社会を捉える視点が浮き彫りにされているといえるでしょう。

さて、空白は区切りを作るだけではなく、リズムを生み出します。実際、この空白を作ることによって人群れに区切りを生み出し、観客の中に、日本経済にひたすら奉仕する無名のビジネスマンたちが実はそれぞれ個性をもつ人々なのではないかという認識を呼び覚ませます。と同時に、世代から世代へと一定のリズムでこの種のビジネスマンたちが生み出されていく様子も示されています。奥谷氏は精緻なタッチでビジネスマンたちを描き、色彩と構図を巧みに配することによって、現代のビジネス社会そのものの構造をみごとに掬いだしているのです。

この絵を見ていて不意に、リースマンの『孤独な群衆』を思い出してしまいました。ビジネスや情報機器によって、それまでは相互に緊密につながりあっていた人々が切り離され、孤立状態に置かれるようになると、ヒトは操作されやすくなり、時代の風潮に対するクリティカルな視点を失いがちになってしまいます。そのことが精緻な描写力と構図、着色の工夫によって的確に表現されています。現代社会を見事に描いた作品だといわざるをえません。奥谷氏の作品には、ケータイやカメラ、ビデオカメラなどの情報機器を操作しているモチーフが多いのも納得できます。

■背景
背景に具体的なモノや風景は描かれておらず、ただ、グレーの濃淡で塗り込められているだけです。その上に人物がそれぞれハサミできれいに切り抜かれたように個別に配されているのです。ですから、大勢の人物を描きながら、それぞれが孤立して見えるのです。その彼らの表情や髪型、姿勢は誰もが街中でいつでも見かることができるものです。まさに現代の人々の典型が描かれているのです。

後の作品になると、この特徴がさらに強化されます。たとえば、「シャッターの刻」(2011年制作、194×259)は人物4人がそれぞれ独立して描かれており、背景はやはり、グレーの濃淡で着色されているだけです。ここでもバッグやフードの裏側、帽子などに暖色が配されています。

シャッターの刻

■現代社会での絵画の役割
一連の奥谷氏の作品をみてくると、一枚の絵がいかに多くのことを表現できるかということに思い至ります。様々な段階で表現に工夫さえすれば、リアルな実態とその背後にある真相を同時に捉えることができるのです。しかも言語の障壁がありません。国境を越えて訴える力をもつ媒体だということを改めて感じさせられました。

さらに絵画は、このコピーの蔓延したデジタル社会の中で唯一といってもいい一回性のメディアです。時間と空間が固着した中で表現されたこの作品にはベンヤミンのいうアウラがほとばしっていました。

ここで取り上げた奥谷氏に限りません。「第17回DOMANI・明日展」では挑戦を厭わない若手画家たちの作品を多数、目にしました。ここに展示されなかった多数の若手画家たちもまた現在、しのぎを削って制作に励んでいるのでしょう。絵画という一回性の媒体を選んだからこそ、対象に鋭く迫り、表現の地平を開拓し、はばたいてもらいたいと思っています。(2015/01/14 香取淳子)