ヒト、メディア、社会を考える

絵画

洛中洛外図屏風:戦国武将が掘り起こした美術表現の世界

■「京を描くー洛中洛外図の時代―」展
 4月12日、久しぶりに京都に行って、「京を描くー洛中洛外図の時代―」展(2015年3月1日~4月12日)を見てきました。会場は京都文化博物館で、中京区三条高倉にあります。三条高倉といえば京都の中心市街です。そこからほど近い御池高倉に、かつて足利尊氏の邸宅がありました。

当時、武家は京内に邸宅を建てないという慣習があったようです。ところが、足利尊氏は北条氏を打ち破った功績によって後醍醐天皇から認められ、武家でありながら、京内に居を構えることができたのです。跡地には石標が残されています。日曜日だったせいか、周辺は観光客や買い物客で賑わっていました。この辺りは昔も今も京の中心、ヒトの集まる場所であることに変わりはないようです。

この展覧会では国立歴史民俗博物館所蔵のコレクションを中心に、63点の洛中洛外図屏風、関連資料として4点の参考図版が展示されていました。チラシの表面に使われていたのが歴博乙本(屏風六曲一双 紙本金地着色、国立歴史民俗博物館所蔵)の洛中洛外図屏風でした。

こちら →特別展
図をクリックすると拡大されます。

この作品は、歴博甲本(屏風六曲一双 紙本着色、国立歴史民俗博物館所蔵)、東博模本(屏風絵の写し十一幅 紙本淡彩、東京国立博物館所蔵)、上杉本(屏風六曲一双 紙本金地着色、米沢市上杉博物館所蔵)と同様、室町時代後期に描かれた洛中洛外図屏風の一つで、狩野派の画家によって描かれたといわれています。以上の4点が初期の洛中洛外図屏風で、戦国時代の諸相が捉えられているといわれています。

それでは、洛中洛外図屏風とはいったいどういう屏風なのでしょうか。

■初期の洛中洛外図屏風
 洛中洛外図屏風を見るのは今回が初めてです。よくわからないことも多いので、各種資料を参考にしながら、鑑賞することにしました。まず、洛中洛外図とはどういうものなのか、京都市の案内を見てみることにしましょう。
 
こちら →https://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/pdffile/toshi17.pdf

 この案内にあるように、「洛中洛外図屏風」は京都の市街と郊外を鳥瞰し、そこから神社仏閣、内裏や公家の御殿、町屋や農家を描くことによって、人々の生活や風俗などを表したものです。

多くは六つ折れ(六曲)の屏風二つがセットになっていて、一双と呼ばれています。一双の屏風の片方を一隻と呼び、右側を右隻、左側を左隻といいます。滋賀県立美術館によると、六曲一双の屏風は以下のような作りになっています。右隻と左隻で違う画面を描き、対の関係になっているものが一般によく見られるようです。

こちら →http://f.hatena.ne.jp/shiga-kinbi/20110303164018

洛中洛外図屏風の場合、右隻に京都の東側、左隻に京都の西側が描かれました。
Wikipediaによると、初期の洛中洛外図は、「右隻に内裏を中心にした下京の町なみや、鴨川、祇園神社、東山方面の名所が描かれ、左隻には公方御所をはじめとする武家屋敷群や、船岡山、北野天満宮などの名所が描かれている。また、初期洛中洛外図屏風を向かって見ると、右隻では、上下が東西、左右が北南となる。一方左隻では、上下が西東、左右が南北となる」とされています。
どうやら、これが一つの形式となっていたようです。さらに、「右隻に春夏、左隻に秋冬の風物や行事が描かれている」とも記されています。

こうしてみると、初期の洛中洛外図屏風には一つの形式があり、その形式の中で絵師たちが京都の四季、神社仏閣、名所や御所、人々の生活や風俗、地形を描いていたことがわかります。洛外図屏風はいってみれば、当時の総合地図であり、図鑑であり、生活事典でもあったのです。

■なぜ作られたのか 
洛中洛外図はなぜ作られたのでしょうか。
洛中洛外図屏風が出現した経緯について、カタログでは以下のように説明されています。

「応仁・文明の大乱が収束し、人々が京都再建に勤しんでいた十六世紀初頭の永正三年(1506年)十二月二十二日、越前の戦国武将、朝倉貞景の所望で「一双に京中を描く」屏風が作られたとの記録が現れる(『実隆公記』)。これが洛中洛外図に関する現存最古の記録である。幕府権力が衰微し、有力者が抗争を繰り広げたこの時期、京都を総合的に把握し絵に表そうとする最初の試みが戦国武将の下でなされたことは、この主題の生まれ持った性格を考える上で大変意義深い」

たしかに、戦後の混乱期に「京都を総合的に把握し絵に表そうとする」人物がいたことには驚かされます。しかも、それが戦国武将だったのです。一般に武士は文化知識層ではないと考えられています。それが、応仁の乱以降、戦国武士が京都に滞在するようになった結果、文芸に関わり、その保存や興隆にも貢献するようになったとされています。戦国武士と文芸に関する著書の多い米原正義氏によると、越前朝倉家はそのような文芸をたしなむ戦国武将の一人に数えられるといいます。

とりあえず、Wikipediaを見てみると、「甘露寺中納言来る、越前朝倉屏風を新調す、一双に京中を画く、土佐刑部大輔(光信)新図、尤も珍重の物なり、一見興有り」と、出典(『実隆公記』)の該当箇所が示されていました。

越前朝倉家が発注して絵師(土佐光信)に描かせた屏風を、実隆は甘露寺中納言から見せられたようです。それを見た実隆はとても珍しく貴重な屏風だと思い、興味をおぼえたと書いているのです。

屏風は元来、源氏物語絵巻のような故事、人物、事物、風景などをモチーフに描かれることが多かったようです。ですから、京都の地理や都市構造をモチーフにした屏風などそれまで見たこともなかったのでしょう、三条西実隆は意表を突かれ、大きな関心を寄せています。当時、第一級の文化人とされた彼がわざわざ「尤も珍重の物なり」と日記に書いたのです。京都を総合的に把握し、それを絵画の形式で表現したこの屏風絵はそれほど新奇で画期的なものでした。

このモチーフはやがて戦国武将の間で、大きな潜在需要を掘り起こしていきます。ですから、その後、幕末までの約350年間、洛中洛外図は描かれ続けたのです。現在、百数十点の存在が確認されているそうです。

■戦国武将による発注
注目すべきは、絵師にそのようなモチーフの屏風絵を依頼した越前朝倉家でしょう。越前朝倉家は南北朝時代に但馬朝倉家から分かれて越前に移り、後に戦国大名になりました。そして、この屏風を絵師に発注したのは9代目の朝倉貞景だといわれています(Wikipedia)。

『日本人名大辞典』によると、朝倉貞景(1473-1512)は、「越前の守護。一族の内紛を抑え、さらに加賀一向一揆の侵攻を撃退して朝倉家の越前支配を確立した」と記されています。優れた戦略家で、しかも統治能力にも長けていたようです。また、『朝日日本歴史人物事典』によると、以上の内容に加え、「『宣胤卿記』は、その画才が天皇の耳にも聞こえていたと伝えている」と記されています。朝倉貞景に画才があったというのです。画才のある武将が屏風絵を発注したというのも、また大変、興味深いことです。

この『宣胤卿記』は公家の中御門宣胤が綴った日記で、執筆期間は1480年から1522年に亘っています。戦国時代の公家の生活についての情報が豊富だといわれています。この日記からは、朝倉貞景が武将でありながら画才があると周囲に認識されており、天皇をはじめ公家たちから一目置かれていたことが示唆されているといえるでしょう。

戦国武将であった朝倉貞景はおそらく、花鳥風月を愛でるよりは統治や攻略に役立つ情報を好んだのでしょう。ですから、もともと画才のあった彼は、京の都にまつわるさまざまなモチーフをどのように取り上げ、どのように配置すべきかについても絵師に指示していた可能性があります。

そう考えると、納得がいきます。京都を総合的に把握し屏風絵を描くよう依頼されても、なんの指示もなければ、絵師は戸惑うだけで、絵筆を執ることさえ叶わなかったでしょう。これまで目にしたこともないモチーフです。描くよう命じられたとしても、絵師にしてみれば、ただ困惑するだけだったでしょう。それを一双の屏風として仕上げたのですから、絵師になんらかの助言があったと考える方が自然です。つまり、モチーフや構図のアイデアは発注者の朝倉貞景が提供し、絵師はそれを聞いて屏風絵を描く、という分業が考えられるのです。

残念ながら、この屏風は現存していません。たまたまこの屏風を見た三条西実隆が日記に発注者と絵師の名前を記録していました。1506年、16世紀初頭のことです。そして、当代一流の文化人であった実隆の感想から、このモチーフの斬新さが明らかになったのです。一方、同じく公家であった中御門宣胤の日記から、武将であった朝倉貞景に絵心があったこともわかりました。

こうしてみると、発端となった洛中洛外図は、公家とも交流のあった絵心のある戦国武将・朝倉貞景のアイデアから生み出されたといえそうです。詳細な地理、建物の配置や構造、人々の暮らし、四季折々の風俗、文化など、京都の総合的な情報を凝縮して一望できるのが、洛中洛外図屏風です。断片的に京都の佇まいを捉えた屏風はあっても、総合的に捉える試みはそれまでありませんでした。まさに戦国武将ならではの発想で、新しい美術表現の地平を切り開いたのです。

■地理情報、生活情報の宝庫
 さきほど紹介した京都市の案内によると、初期の作品は室町後期の応仁・文明の乱後の復興期の諸相が描かれていたようです。この乱で京都の町は壊滅状態になり、その後の復興過程で市街地が上京と下京に分断されました。この二つの市街地は南北に通ずる中央の道路だけでつながっており、その道路が室町通りだったと考えられています。初期の洛中洛外図はこのような都の状況を反映するかのように、一隻を上京、もう一隻を下京中心に描かれていたのです。

 この時期はおそらく、京都を総合的に把握する情報が求められていたのでしょう。とくにその必要性を感じていたのが都の統治を目指していた戦国武将だったと思われます。彼らは人々の生活、建物の配置、道路状況、等々、さまざまな情報を欲したと思いますが、もっとも手に入れたかったのは、京の都の地理情報だったと考えられます。

現存する最古の洛中洛外図屏風といわれる「歴博甲本」は、1520年代から30年代にかけて制作されたと考えられていますが、京都の地理が大変、詳しく描かれています。たとえば、歴博甲本の左隻はこのように描かれていました。

こちら →34_eCf301.ai
図をクリックすると拡大されます。

 これを見ると、まさにgoogle mapも顔負けしそうなほどの立体地図です。主要な道路、神社仏閣、公家などの邸宅の位置が詳細に描かれています。統治のための戦略を練るには不可欠の情報であり、計画立案のための恰好の資料になったことでしょう。この図の文字はわかりやすく活字に置き換えられていますが、実際の文字は草体仮名で表示されています。

地理情報ばかりではありません。四季折々の景色や祭事が活写されており、総勢1426人の生活シーンがきめ細かく描かれています。たとえば、国立歴史民俗博物館は、「歴博甲本」で描かれた人物すべてをデータベース化しています。興味があれば、それぞれの人物像を一覧することもできますし、属性で検索することもできます。

こちら →
http://www.rekihaku.ac.jp/rakuchu-rakugai/DB/kohon_research/kohon_people_DB.php

 公家であれ、武士であれ、町衆であれ、当時の人々がどのように暮らしていたか、これを見ると、一目でわかります。絵ですから、人々がどこで、どのような服装で、何をしていたのかが具体的に理解できるのです。当時の社会や生活、文化を把握するには第一級の資料といえるでしょう。

初期の洛中洛外図屏風としては、この歴博甲本以外に、東博模本、上杉本、歴博乙本の4点が現存します。いずれも戦国時代の様相が丁寧に描かれており、美術作品としてはもちろん、歴史、生活文化、社会、政治を把握する資料としても大きな価値があります。屏風絵にどのような意味が込められていたのか、興味は尽きることがありません。次回は上杉本を中心に見ていくことにしましょう。(2015/4/27 香取淳子)

「FACE展2015」で見た和田和子氏の作品

■FACE展2015
「FACE展2015」は、損保ジャパン日本興亜美術館を会場に、2月21日から3月29日まで開催されていました。「VOCA展2015」に物足りない思いをしていた私は、その帰途、「FACE展2015」に立ち寄ってみたのです。FACE展もVOCA展と同様、参加するのは今回が初めてです。こちらはVOCA展とは違って公募形式で「年齢、所属を問わず、真に力がある作品」が募集されています。出品のための条件が課せられていなかったせいか、幅広い層から作品の応募があったようです。

出品数は748点にも及びました。前年、前々年よりも減少したといいますが、それでも相当な数です。応募作品はすべて作品本位で公平厳正に審査され、70点の入選作品が選定されました。入選倍率は10.7になります。さらに、その中から合議制で9点の受賞作品が選ばれました。モチーフ、マチエールとも多種多様で、それぞれに魅力があり、見応えがありました。私が強く印象づけられたのは、グランプリの宮里紘規氏の「WALL」と、優秀賞の和田和子氏の「ガーデン(木洩れ日)」でした。

受賞作品が展示されているコーナーに入った途端、目についたのが、宮里紘規氏の「WALL」と、和田和子氏の「ガーデン(木洩れ日)」だったのです。たまたまこの二作品は並べて展示されていましたが、見た瞬間に、その場をすぐには立ち去り難い思いに捉われました。いずれも内容に深みが感じられたからです。おそらくそのせいでしょう、表現者の深層に近づいてみたいという気持ちが沸々と湧き上がってきたのです。

今回は和田和子氏の作品を見ていくことにしましょう。

■和田和子氏の「ガーデン(木洩れ日)」
「ガーデン(木洩れ日)」(2014年制作)は、162×194㎝のキャンバスに油彩で写実的に描かれた作品です。色彩にもモチーフにも派手さはありません。もちろん、奇をてらったところもなければ、気負ったところもありません。色調は柔らかく、モチーフもごく自然に配置されています。どちらかといえば、地味で目立たないように見える作品です。ところが、そんな作品に私は一目で惹き付けられてしまったのです。

こちら →和田和子

なぜ、そういう思いに捉われたのか、自分ながら不思議な気がして、しばらく絵の前に佇んでいました。

「木洩れ日」といえば、通常、木々の葉越しに陽光が差し込んでくる光景を指します。ですから、下から上を見上げる構図でなければ、その光景を捉えることはできないはずです。ところが、この絵は木の上から俯瞰する恰好で庭を捉えているのです・・・、と書いてきて、ふと、私が勝手に俯瞰だと思ってしまっただけなのではないかという気がしてきました。絵の構図が何だか変なのです。

■俯瞰とアイレベル、視点の交錯
改めてこの作品を見てみると、俯瞰にしては、木の幹が太すぎます。まるで巨木の幹のように太く描かれています。画面全体の4分の1ほどを占めているでしょうか、まさにこの絵の中心といえます。ですから、見る者の視線はまず、この幹に留まります。その太い幹から何本も枝が分かれて伸びていますが、そのうちの目立つ二本の枝はまるで女性の太腿から脛にかけての部分のように見えます。

付け根の太さといいその形態といい、とても肉感的で、シンクロナイズドスイミングの水中から浮き出た脚のようにも見えます。枝の付け根でしかないのですが、そこにかすかなエロティシズムが漂っていて、太い木の幹に表情を添えています。構図の不自然さから目を逸らす仕掛けのようにも思えます。不思議なことに、葉はまばらにしか描かれていません。

こちら →メイン幹

俯瞰すれば、垂直方向に樹木を捉えますから、木の上部の葉しか見えないはずです。ですから、葉がもっと茂っていなければならないし、幹や枝がこのようにはっきりと見えるはずはありません。さらにいえば、枝の伸びている方向が不自然です。よく見ると、幹の下には何本もの根が張り、巨木を支えています。ですから、この部分は明らかにアイレベルで捉えた構図なのです。

こちら →幹

では、なぜ私はこの絵を俯瞰の構図と思ってしまったのでしょうか。

もう一度、この絵を見てみると、太い幹はやや左よりに対角線のように配置され、画面を左右に分断しています。左側にはオベリスクに絡まる白い花と葉、右側には水連が浮かぶ水桶、植木鉢やプランターなどが配置され、それぞれのモチーフは俯瞰で捉えられています。

しかも、太い幹の下から右上方に向けて、地面には木の影らしきものが伸びています。俯瞰でなければ捉えられません。そして、影の伸びた先には柵のないウッドデッキがあり、そこで女性が椅子に座り、図鑑を見ています。その女性の背中には葉影が落ちています。陽光が左上方から射していることが示されています。ウッドデッキにもその周辺の地面にも葉影が落ちています。ですから、この部分に関しては陽光が左上方から射し込んでいることになります。つまり左上方からの俯瞰図なのです。

このように見てくると、私が木の上から庭を俯瞰した絵と思ってしまったのは、絵の中心に描かれた大きな木以外のモチーフはすべて俯瞰で捉えられていたからだということがわかります。ところが、俯瞰の方向は一様ではなく、幹の右側が左上方からの俯瞰、左側が左斜め真上からの俯瞰といった具合に異なっています。たとえば、左側に配置されたオベリスクに絡まる一群の花は左斜め真上からの俯瞰です。

こちら →左部分

こうして見てくると、この絵には複数の視点が導入されていることがわかります。ところが、一見すると、庭を写実的に再現したようにしか見えません。大きな違和感を覚えさせることがないのです。ただ、複数の視点で捉えられたモチーフが一枚のキャンバスに収められていますので、見る者は、平面の絵を見ながらも、立体を見るときのような視線の動きをしてしまうのでしょう。まさに複数視点による視線誘導です。

これと似たような発想で絵を描いていた画家がいました。セザンヌです。

■セザンヌの構図
イタリア人の美術批評家にリオネルロ・ヴェントゥーリというヒトがいます。彼はセザンヌが描いた絵とその実景写真とを比較するという手法で、セザンヌの絵の構造を明らかにしました。(リオネルロ・ヴェントゥーリ著、辻茂訳、『美術批評史』、みすず書房、1971年)

たとえば彼は、セザンヌのサント・ヴィクトワール山を描いた作品とその実景写真を比較し、絵には「造形的なダイナミズム」があるのに、写真にはそれがなく、山のボリュームは弱々しいと書いています。モチーフを写実的に再現することが必ずしもモチーフの本質を捉えることにはならないといい、セザンヌの絵には意図的な作為が施されているというのです。

絵画と写真とを比較する手法でセザンヌを研究したのはリオネルロ・ヴェントゥーリだけではありませんでした。アメリカ人の美術評論家であり大学教師でもあったアール・ローランも、同様の手法でセザンヌの描いた絵についてさらに精緻な実証研究をしています。(アール・ローラン著、内田園生訳、『セザンヌの構図』、美術出版社、1972年)

彼は風景画から静物画までさまざまなセザンヌの絵を取り上げ、実証的に研究しました。私が和田氏の作品を見て、思い出したのは果物をモチーフにした作品です。果物はセザンヌが好んで描いたモチーフの一つです。

セザンヌに「果物籠のある静物」という絵があります。和田和子氏の「ガーデン(木洩れ日)」ほど大胆ではないですが、やはり複数の視点を絵の中に持ち込んで、モチーフを配置しています。セザンヌの作品も一見、ごく自然にモチーフを写実的に再現した作品に見えます。

こちら →Paul_Cézanne_188

ローランは画家でもあったのですが、セザンヌの「果物籠のある静物」について上記の手法で実証研究を行った結果、この絵には複数の視点が導入されていると指摘しました。個々のモチーフがどの視点から捉えられたかを図示したうえで、複数の視点による効果を明らかにしたのです。

たとえば、基準になる視点を設置してこの絵を見てみると、モチーフの形態から判断してその視点で捉えられるものとそうではないものがあるとし、この絵に別の視点が導入されていると指摘しました。同様にして、さらに別の視点が取り入れられていることを実証し、この絵には複数の視点が導入されていると指摘しました。その結果、この絵を見るヒトはまるで絵の周囲を回り込みながら見ているような気になるというのです。

ローランはこのように大変、興味深い指摘をしています。たしかに、この絵を見ていると、観客は絵の周囲を回り込みながら見ているような気になるのかもしれません。複数の視点が導入されたことによる効果です。

ですが、この絵を注意深く見るヒトはなによりもまず、どこか違和感を覚えていたはずです。ちょっと不思議な感覚とでもいえばいいのでしょうか。絵の吸引力ともなる「違和感」です。

「ガーデン(木洩れ日)」の構図に違和感を覚えたとき、私はふと、セザンヌの「果物籠のある静物」を思い出してしまったのです。

■複数視点と色彩の制御による視線誘導
「ガーデン(木洩れ日)」を見る者はまず、太い木の幹を見てから枝を見、見下ろすようにして、庭やウッドデッキで本を広げている女性を見ていくことになります。後姿の女性に辿り着いたところで、何か見落としたような気がして再び、木の幹に戻り、左下に配置されたオベリスクに絡まる広い花や葉を見ます。そして、もう一度、庭を見下ろして女性の背中に目を落とすと、今度は木洩れ日の下で本を読む幸せを共有していることに気づきます。モチーフの間を回り込んで見ていくうちに、このモチーフ(後姿の女性)に感情移入できているからでしょう。俯瞰しているにもかかわらず、木洩れ日の下にいる錯覚に陥ってしまいます。葉の影から洩れる陽光と爽やかな空気が感じられるのです。

そのように感じてしまうのはおそらく、太い幹から回り込むようにしてさまざまなモチーフを見、最終的にもう一つの中心モチーフ(後姿の女性)を見ていくよう見る者の視線の動きが誘導されているからでしょう。「セザンヌの構図」を踏まえて「ガーデン(木洩れ日)」を読み解いてみると、この絵には複数の視点が盛り込まれており、それによって、見る者が自然に視点移動し、作品世界に引き込まれていくことがわかります。

不思議なことに、これだけ多くのモチーフが視点の異なる中で配置されているにもかかわらず、雑然としておらず、むしろ、秩序ある静寂さえ感じられます。それはおそらく色彩が厳密にコントロールされているからでしょう。よく見ると、すべてのモチーフに色彩のコントロールが加えられています。緑色系、寒色系で統一されているのです。

太い幹の左下でかなりのボリュームを占めるオベリスクに絡まる花や葉さえ、すべて白で表現されています。暖色系はごくわずか、植物図鑑の一部、本の一部、パラソルの一部に使われているにすぎません。このように厳密に色数が制限されているからこそ、複雑な構成であっても自然な調和が生み出されているのでしょう。さらに淡いモスグリーンの葉が画面全体にほどよく放散されています。これもまた絵全体に統一感を生む効果があります。

■知的な絵画の魅力
こうして見てくると、この絵はきわめて複雑な構造で組み立てられていることがわかります。一見、写実的に描かれているように見えて、その実、複数視点といい、色彩戦略といい、多様な仕掛けが施されています。決して自然に描いた作品ではないのです。ひょっとしたら、自然に描かれたものではないからこそ、見る者はきわめて自然にこの作品世界の中を回遊し、「木洩れ日」(自然)を感じ取ることができるのかもしれません。絵画ならではの魅力です。

構図の不思議、視点の違和感を読み解こうとしているうちに、快い木洩れ日の下、図鑑を読んでいる女性に感情移入してしまっていることに気づきます。コントロールされた色彩のせいかもしれませんが、葉影から洩れる陽光すら感じられます。しばらく見入っているうちにいつしか、爽やかな気分になっているのです。それが作者の狙いだとしたら、見事というしかありません。作品の背後から透けて見える知性に惹かれます。(2015/4/10 香取淳子)

FACE展2015:雑誌の切り抜きコラージュによる表現

■FACE展2015
VOCA展の会場に入ると、入り口近くに「FACE展2015」のチラシが置いてありました。見ると、会場は損保ジャパン日本興亜美術館で、開催期間は2015年2月21日から3月29日になっていました。閉幕がせまっています。急遽、VOCA展を見終ったら、FACE展ものぞいてみることにしました。

こちら →FACE展

VOCA展とは違って、FACE展は公募コンクール形式の展覧会です。損保ジャパン日本興亜美術財団が公益財団法人に移行したのを機に創設され、今年で第3回目になります。VOCA展と同様、こちらも新人の登竜門として位置づけられていますが、若手ではなく、新進という言葉が使われていました。募集要項を見ると、「年齢、所属を問わず、真に力がある作品」を公募するとされています。

こちら →http://www.sjnk-museum.org/program/past/2873.html

新たに活躍しそうな作家を発掘するため、年齢とは関係なく、作品本位で審査しようとしているのです。

■審査方式
審査方式もVOCA展とは異なっています。FACE展の方は、公募により全国から幅広く作品を募り、「美術評論家を中心とした審査員の公平な審査」によって選別して「将来国際的にも通用する可能性を秘めた」作品70点を入選作品とし、その中から「合議制でグランプリ、優秀賞、読売新聞社賞を選出し、各審査員が審査員特別賞を決定する」とされています。VOCA展とは違って、全審査過程で審査員による相対評価が貫かれているのです。

FACE展の審査方式は、審査員がすべての応募作品に目を通し、全作品の相対評価を何度も繰り返して最終選考に至るという仕組みです。審査員は大変でしょうが、恣意性が入り込む余地は少なく、より公平性の高い審査が行われます。審査方法および審査経過はカタログの中で開示されていますから、審査の透明性は確保されており、当然のことながら、信頼性も付随してきます。

興味深いことに、審査の際には作者名、年齢、性別、所属、題名などの情報は伏せられていたそうです。作品について審査員から質問があった場合、技法についてのみ、作品裏面に貼付された「作品票」記載の技法が審査員に対して開示されるという徹底ぶりでした。作品本位に審査することこそ、将来有望な新進作家を発掘できるという考えからでしょう。私も「国際的に通用する可能性を秘めた」新進作家を発掘するにはこの種の厳格さが不可欠だと思っています。

「FACE展2015」では、10代から80代にいたる748名が作品を出品したそうです。前回、前々回よりも出品数はかなり減少していますが、入選者数は逆に1点増えています。質の高い作品が多く寄せられたことがわかります。出品作品すべてに対して六次に亘る審査が行われ、入選作品70点が選ばれました。入選作品はすべて会場に展示されています。

入選者の性別は、男性38名、女性32名で、年齢は応募時20歳から69歳におよびました。年齢分布は、20代21名、30代22名、40代4名、50代7名、60代16名で、平均年齢は40.34歳だったそうです。20代、30代の応募が多く、年齢条件を付けなくても、若手作家を発掘できることがわかります。一方、年齢条件を付けなかったからこそ、60代からも多くの有望な作家を発掘することができました。年齢を問わないことは、エイジレス時代の新進作家の発掘に不可欠の要件かもしれません。

■受賞作品
入選作品70点の中から合議制で9点の受賞作品が選ばれました。モチーフ、マチエールとも多種多様で、それぞれに魅力があり、見応えがありました。

グランプリは宮里紘規氏の≪WALL≫(24歳、大学院生)。そして、優秀賞は、大橋麻里子氏の≪La Foret≫(23歳、大学院生)、和田和子氏の≪ガーデン(木洩れ日)≫(64歳、画家)、村上早氏の≪カフカ≫(22歳、画家)の3点でした。

読売新聞社賞は、平野淳子氏の≪記憶≫(59歳、画家)。そして、審査員特別賞は、黒木美都子氏の≪月読≫(23歳、大学院生)、大里早苗氏の≪Echoes≫(64歳、画家)、児玉麻緒氏の≪チュー≫(32歳、画家)、下野哲人氏の≪Black lines on the white White lines on the black≫(59歳、不詳)の4点でした。

20代と30代の若手画家、そして60歳前後の画家が受賞しているのです。さきほど紹介した世代別出品数と照らし合わせると、出品数の多い世代から受賞者の出る比率が高いことがわかります。年令条件を課さなかったからこそ、高齢世代にも希望を与え、多様な画風を掬い上げることができたのでしょう。受賞作品を見ると、さすが多数の作品の中から選ばれただけのことはあります。どの作品にも見る者に強く訴えかける力があり、引き込まれました。

とくに、私は宮里紘規氏の≪WALL≫と、和田和子氏の≪ガーデン(木洩れ日)≫に強く印象づけられました。画風はまったく異なるのですが、たまたま並べて展示されていたので、しばらくそのコーナーに佇んでいたほどです。今回は宮里氏の作品を中心に見ていくことにしましょう。

■宮里紘規氏の≪WALL≫
グランプリの≪WALL≫(ミクストメディア、194×162㎝、2014年)は、巨大な壁の前に佇む小さなヒトという構図の絵ですが、不思議な魅力がありました。何か気になるメッセージが発散されているような気がしてすぐには立ち去り難く、それを読み解きたいという気持ちにさせられてしまったのです。

こちら →wall

≪WALL≫というタイトルだから、勝手に、「壁」だと思って見ているのですが、左下に描かれたヒトに比べると、あまりにも巨大です。とても、通常、「壁」と聞いてイメージするものとはいえません。しかもその色彩がいわゆる壁の色ではないのです。遠目には淡い色調に見えるのですが、近づいてみると、それがさまざまな文字が印刷されたカラフルな紙片だということがわかります。

こちら →クローズアップ

よく見ると、シュレッダーで切り裂いた無数の紙片をコラージュして、「壁」が表現されているのです。それが面白く、何度も近づいては覗き込み、遠ざかっては眺めもしました。このような手法で表現されたこと自体に興味を覚えてしまったのです。その「壁」には、ただ面積が大きいからというだけではない、なんともいえない迫力がありました。しかも、緻密に張り付けられた無数の紙片が紡ぎだす色彩のハーモニーが快く感じられるせいか、巨大であるにもかかわらず、それほど圧迫感がないのです。

手法上の面白さに引きずられ、しばらく見入っていましたが、作品として何を表現しようとしていたのか、なぜ、このような手法を取ったのか、よくわかりませんでした。気になるメッセージを解読する手掛かりを見つけられなかったのです。ネットで検索してみると、宮里氏に対するインタビュー記事を見つけることができました。

こちら →http://netallica.yahoo.co.jp/news/20150216-00003548-cinraneta

なぜ、このような手法を使っているのかとインタビュアーから問われ、宮里氏は次のように答えています。

「絵の具で描いているとウエットというか、湿度があるような絵を描いてしまうんです。(中略)自分が感じている世界はもっとドライだし、うすっぺらい。絵の具は何か違うって疑問を抱いていた頃に、トム・フリードマンの作品と出会って、「これだ!」と絵の具を捨てて、一気にコラージュの方向に行ってしまった感じです」

宮里氏にはおそらく、画材とマチエールに対するきわめて繊細な感受性があるのでしょう。だからこそ彼は、絵の具だと湿度のある絵を描いてしまうと認識していました。絵の具では、彼が描こうとしている「ドライで薄っぺらい」世界を表現することはできなかったのです。制作技法を模索をしていた時期に出会ったのが、トム・フリードマンでした。

トム・フリードマンは、紙片など日常的な素材を使って表現活動を展開しているアメリカ人の美術家です。たとえば、次のような作品があります。

こちら →http://www.luhringaugustine.com/artists/tom-friedman/#/images/23/

これは、切り抜いたさまざまな雑誌の紙片をコラージュして制作された作品です。

宮里氏はどうやらこのトム・フリードマンの影響を受けて、絵の具の代わりに紙片をコラージュするようになったようです。それ以来、絵の具に感じていた違和感が払拭されて、しっくりきたといいます。ようやく描きたいものを描ける素材と手法に辿り着いたのでしょう。

宮里氏は「壁」を作品のテーマとして制作しつづけていますが、それについては以下のように述べています。

「何か大きいものに向かっている自分」というのは、一貫したテーマとしてあります。いつも目の前に何かが立ちはだかっていると感じているんですけど、その正体がわからないとずっと思っていて、それが何なのかを知るために、実際に「壁」を作品として作ってみよう、という考えでこのシリーズは続けています」

今回受賞した≪WALL≫はまさにその集大成としての作品だったのでしょう。もっとも、「壁」を作品として描いているとはいえ、作品で「壁の厚さ、重さ」を表現しているわけではないと彼はいいます。

「別に閉じ込められているわけではないし、出ようと思えば出られる。だけど、目の前にある邪魔なもの、そんな感じです。なんとなく息苦しい、みたいな」

ひょっとしたら、彼が表現しようとしているのは現代社会の閉塞感のようなものでしょうか。だとしたら、「壁」とはいっても、物理的な遮蔽物をイメージさせるものであってはならず、それこそ、厚みがなく重さもない心理的な遮蔽をイメージさせる表現でなければなりません。絵の具ではとても表現できなかったでしょう。シュレッダーにかけた紙片のコラージュだからこそ、厚みや重さを払拭した「壁」を表現することができたのかもしれません。

■≪WALL≫に見る現代社会の閉塞性
≪WALL≫はテーマといい、モチーフ、構図、マチエールといい、出色の作品です。宮里氏が一貫して「壁」をテーマに制作し続けてきたことの成果といえます。この作品に近づいてみると、コラージュに精緻な仕掛けが施されていることがわかります。ですから、会場で見なければ、この作品の良さを完全に理解することはできないでしょう。

≪WALL≫を離れて見ていると、コラージュされた紙片の色彩が織りなすハーモニーが快く、浮き立つ気分になります。宮里氏が求めた厚みや重さのない「壁」が、華麗でバーチャルな現代社会を連想させるからでしょうか。

一方、絵に近づき、左下に小さく描かれたヒトに感情移入してこの「壁」を見ると、果てしなく広がる巨大な「壁」に息苦しく、鬱陶しい気分にさせられます。「壁」を乗り越えられないことから来る挫折感、虚脱感が呼び覚まされてしまうからでしょうか。

このように、この作品は見る者の感情をさまざまに刺激し、喚起しますが、それだけではありません。宮里氏がテーマにした「壁」には、現代社会に生きるヒトなら誰もが感じているであろう閉塞感に通じるものが内包されています。巨大な「壁」を現代社会そのものと見なすことができるのです。

ですから、いったん目にすると、ヒトはつい引き込まれて見てしまうのでしょう。まさに現代の本質を描出した絵画といえます。このように、この作品には見る者の深層心理に訴えかける力があります。それは、斬新なアイデアと緻密な構成によって可能になったと思われますが、とくに秀逸だと思ったのが、左下に小さくヒトを配したところです。このモチーフを加えるだけで作品に立体感が生まれ、感情移入しやすくなりました。

この絵を見ていると、人目を引く巨大な「壁」に惹き付けられながらも、最終的に小さなヒトに感情移入して見ていることに気づきます。だからこそ、現代社会に生きるヒトが誰しも一度は味わうであろう挫折感、虚脱感に共鳴してしまうのですが、見る者の気持ちをそうさせてしまうのは、この絵に現代社会の本質が見事に表現されているからにほかなりません。

宮里氏には今後も継続して現代社会と切り結ぶような作品世界を展開していただきたいと思います。(2015/4/6 香取淳子)

VOCA展:若手作家をどう発掘するか

■VOCA展2015
上野の森美術館でいま、「VOCA展2015」(3月14日~30日)が開催されています。VOCAとはVision of Contemporary Artの略で、絵画や写真など平面の作品に限定した現代アートの美術展です。現代美術を展望できる展覧会だというので、今回初めて、行ってきました。

こちら →voca

今年は、VOCA賞として小野耕石氏の“Hundred Layers of Colors”、VOCA奨励賞として岸幸太氏の“BLURRED SELF-PORTRAIT”と水野里奈氏の「みてもみきれない」、佳作賞として、松岡学氏の「光の塔」と松平莉奈氏の「青」、そして、大原美術館賞として、川久保ジョイ氏の「千の太陽の光が一時に天空に輝きを放ったならば」が選ばれました。

受賞作品を含め34点の作品が展示されていましたが、なんとなく物足りない思いがしました。VOCA展を観たのは今回が初めてで、審査基準がよくわからないのですが、全般に粗削りの作品が目立つような印象を受けたからです。着想だけのもの、画力が伴っていないもの、技術はあっても何を表現しようとしているのかわからないもの、言葉の説明がないとわからないもの、等々、見る者を刺激し、作品世界にぐいと引きずり込む力を持った作品が少ないような気がしたのです。

中には透明のポリカーボネート版を置いただけのもの、封筒をいくつも展示したものといった具合に、平面作品といえるのかどうかわからないようなものも展示されていました。

VOCA展ではどのような基準で作品が出品され、選考されているのでしょうか。気になったので、調べてみました。

■選考方式
2015年1月22日に出された「VOCA展2015」のプレスリリースを見ると、「現代アートにおける“若手の登竜門”」と銘打たれて、以下のように記されています。

・・・・・
「VOCA展」は、現代アートにおける平面の領域で、国際的にも通用するような将来性の ある若い作家の支援を目的に1994年より毎年開催している美術展です。日頃から公平な立場で作家たちと接している全国の美術館学芸員、研究者、ジャーナリストなどから推薦委員を選出し、それぞれ40歳以下の若い作家1名を推薦していただき、推薦された作家全員に展覧会への出品を依頼しています。こうしたシステムのため、東京のみならず全国で活躍する作家たちにスポットがあたることが同美術展の特徴の1つです。
・・・・・
こちら →http://www.ueno-mori.org/mrmm/mediaorg/downloadpdf_6_0.pdf

この文面を読むと、VOCA展の出品および審査システムが他と大きく異なっていることがわかります。まず、出品できるのが、推薦委員の推薦によって「VOCA展」実行委員会から依頼された40歳以下の作家に限定されていることです。つまり、推薦委員によって推薦された40歳以下の若手画家しか出品できないのです。

その推薦委員は、全国の美術館学芸員、研究者、ジャーナリズムなどから実行委員会によって選考されます。ところが、推薦委員がどのようにして選ばれるのか、ネットで調べた限りではその選考基準は明文化されていないようでした。どのような審査過程を経て推薦委員が選ばれるのか不透明なのです。

いろいろ見ていると、どうやら私と同じような疑問を持つヒトが過去にもいたようです。2012年3月9日、VOCA展の推薦委員の選考規定に関する質問が知恵袋に寄せられていました。

こちら →http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1083140120

この質問に対する回答として、選考基準らしいものが出されていたのです。とはいえ、これは、「1996年のVOCA展推薦委員の不明瞭問題についてのレポート」(これを記載したURLはすでに削除されています)の中のVOCA展側の回答の一部を抜き出したものでしかありません。

明文化されていないのであれば、基準といえるようなものではなく、約束事のようなものだったのだろうと思います。とはいえ、仮にそれが現在も踏襲されているのだとすれば、①中央に限定することなく、地方の新人作家を発掘する意味を込めて、各地域ごとに推薦委員を配置する、②理論だけでなく、画廊廻り等、若い作家との接点を積極的にとっていると思われる学芸関係者、③推薦委員の固定化を避けるため、可能な限り各回ごとに入れ替える、等々に従って推薦委員が選ばれていることになります。

たとえば、2015年の推薦委員は34名でした。ですから、出品された作品数はわずか34点です。丁寧な審査ができるかもしれませんが、受賞作品を選ぶ審査としては母集団が少なすぎます。最終審査(相対評価)は実行委員会が行っているとはいえ、これでは、VOCA展の審査は出品段階での審査(絶対評価)を行う推薦委員に丸投げされているといっても過言ではないかもしれません。

そこで、さきほど紹介したプレスリリースを読み直すと、「VOCA展」の目的は、「現代アートにおける平面の領域で、国際的にも通用するような将来性のある若い作家の支援」だと表明されています。さらに、独特の審査システムのため、「東京のみならず全国で活躍する作家たちにスポットがあたることが同美術展の特徴の一つ」と記述されています。

これをさきほど紹介した推薦委員の選考基準らしきものに照らし合わせてみると、矛盾が生じていることがわかります。①に見られるように、地域平等主義を標榜するなら、なぜ47都道府県から推薦委員を選出しないのか、素朴な疑問が浮かびます。しかも、②、③に見られるように、推薦委員に絵の良し悪しを判断する能力が問われているわけではありません。①、②、③のいずれも、「現代アートにおける平面の領域で、国際的にも通用するような将来性のある若い作家の支援」という目的に適った人選のための基準とは思えないのです。

結果として、平面作品とは思えないような作品、よくある公募展なら展示されることもないような作品が展示されることになったのかもしれません。VOCA展は、「推薦委員によって推薦された作家全員に出品を依頼する」システムが特徴だとされています。ところが、皮肉なことに、そのシステム自体が「平面の領域で国際的に通用するような将来性のある若い作家」の発掘を阻んでいる可能性が考えられるのです。

それでは、さまざまな観点から推薦された作品はどのような基準で審査されたのでしょうか。

■モダニズム絵画論
評論家の福住廉氏は、「VOCA展のもっとも大きな特徴は、作品の良し悪しを評価する基準がモダニズム絵画論で一貫している一方で、選考された作品はじつにヴァラエティに富んでいることにある。選考委員会の顔ぶれは毎年入れ替えられているものの、比較的継続して務めているのは、高階秀爾(大原美術館館長)、酒井忠康(世田谷美術館館長)、建畠晢(京都市立芸術大学学長)、本江邦夫(多摩美術大学教授)の4氏。それぞれの立ち位置は微妙に異なっているにせよ、彼らの批評的立場は絵画の本質を絵画によって追求するモダニズム絵画論に依拠している点では一致している」と書いています。

こちら →http://artscape.jp/artword/index.php/VOCA%E5%B1%95

モダニズム絵画論に依拠した観点は選考委員会諸氏の間で一致しているというのです。これまでの経緯を知らない私はその是非について判断しきれませんが、そういう観点から展示作品を見返すと、たしかに、いったん描いた絵の上から白で塗り込めた作品や、いくつもの作品を重ねて展示した作品など、これまでのスタイルを超えた表現を試行する作品が何点か展示されていました。

研究者の星野太氏は、「広義のモダニズムの本質は、先行するスタイルの拒絶と、いまだ存在したことのない新しいスタイルの追求にこそ見出される」とし、「絶え間ない発展によってつねに「新しい」ものであることを求めるモダニズムは、いわゆる前衛の理念とほぼ重なり合うものである」と定義づけています。

こちら →
http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

この観点はブリタニカの定義とも重なります。ですから、これがモダニズムの一般的な見解と考えていいでしょう。

こちら →http://global.britannica.com/EBchecked/topic/387266/Modernism

星野氏はさらに、「批評家クレメント・グリーンバーグは、絵画におけるモダニズムを「平面性」という絵画に固有の性質の探求として位置づけ、20世紀アメリカの抽象表現主義の作品をその系譜に連なるものであるとした」とし、「モダニズムという理念そのものが、いまやある特定の歴史性を帯びたものに転じているという事実は否定できない」と書いています。

先ほど紹介した評論家の福住氏は、「モダニズム絵画論が現在の絵画にそぐわなくなっているにもかかわらず、それらを評価する基準としていまだに活用されている点については批判も多い」としています。その上で彼は、VOCA展がこれまで多くの若手作家を輩出してきたことを挙げ、「実作の面でも批評的言説の面でも、美術をめぐる功罪が凝縮したポトスとして機能している」としています。

つまり、審査基準としてのモダニズムはもはや現代絵画にマッチしなくなっているのではないかと指摘する一方で、VOCA展がこれまで多数の若手作家を輩出してきた功績を評価しているのです。

たしかに、展示作品の中には可塑性の感じられる若手作家が何人かいました。彼ら彼女たちは「VOCA展2015」を経て今後、さらに大きく羽ばたいていくことでしょう。

■水野里奈氏の作品
展示されていた作品の中で強く印象に残ったのが、水野里奈氏の「みてもみきれない」(ボールペン、油彩、227.3×363.6㎝)です。華やかで装飾性の強い画面の中に物語がいくつも塗り込められているような気がして、つい、食い入るように見入ってしまいました。

こちら →水野里奈

まず、目につくのが、キャンバスの左中ほどに描かれた太い樹木の下から流れる流麗な川の佇まいです。これは樹木の右方向にも伸びており、奔放な動きが感じられます。全体の中で一定のボリュームがありますし、白黒で悠然とした動きが表現されているからでしょう。帯が何枚も重なり合っているように見えますし、絵巻で描かれる雲のようにも見えます。時間を表しているようであり、空間を表しているようでもあります。次に眼を引くのが、左右両側に配置された木の幹です。こちらも白黒で表現されており、華やかな色彩で表現された画面全体を引き締める効果が見られます。それだけではありません。これらの白黒で表現された樹木や川のようなものは画面に動きと奥行きを生み出す一方で、見る者に解釈を促すような秩序を与えているのです。

左上には瓦屋根の屋敷があり、右上には円形屋根の宮殿のような建物があります。この二つの建物の間にさきほどの大きな川の流れが配置されています。ですから、東西文明の境界を表しているように見えるのですが、その背後は緑の草が描かれてつながっていますから、両者は分断されているわけではなく併存する恰好で表現されていることがわかります。

随所に草花が配置されていますが、これがきわめて繊細に美しく描かれているのです。写真ではよくわからないのですが、実物を見ると、花弁の先端はこんもりと盛り上がり、少し離れると光って見えます。

草花や丸屋根の下の小さな装飾が丁寧に描き込まれているので、細部にも目を引き付けられます。ふと、「神は細部に宿る」という言葉を思い出してしまいました。もともとは建築デザインの領域で使われていたらしいのですが、いまでは文学などさまざまな表現領域でも使われるようになっています。この絵を見ていると、ディテールの素晴らしさがこの作品の素晴らしさにつながっていることがわかります。小さなモチーフを繊細に丁寧に仕上げることによって、大胆に描かれた川や樹木が強調され、絵全体に見事な調和が生み出されているのです。

推薦者はこの作品についてカタログの中で、以下のように推薦の弁を寄せています

「水野が意識しているのは中東細密画の装飾表現や伊藤若冲の水墨画の筆致であるという。書籍やネットでの追求では満足せず、イスタンブールで実地検分するほどの熱意で取り組んでいる。精細な装飾文様にしても一度咀嚼して自分仕様で描きいれているようだ」

水野氏はモチーフについて現地調査をするだけではなく、制作手法についても実験を繰り返し、模索し続けているのでしょう。そのような創作のための周到な準備の痕跡が絵画の至る所に滲み出ています。私がこの絵にいくつもの物語が塗り込められているように感じたのは、細部が丁寧に描かれており、随所に解読のための手がかりが隠されているように見えたからです。見る者をぐいと引き込む強さのある秀逸な作品だと思いました。まさにVOCA展が目指す「国際的にも通用するような将来性のある若い作家」の登場といえるでしょう。

こうしてみると、問われるべきは審査方式ではなく、推薦委員の質だということがわかります。だとすると、推薦委員に対しては展覧会修了後に実行委員会が事後評価を行い、それを次年度の推薦委員選出の参考にしていくのも一案かもしれません。素晴らしい若手作家の発掘のために、審査方式等については今後、検討を重ね、問題点があれば軌道修正をしていくことが必要ではないかという気がしました。(2015/3/31 香取淳子)

金丸悠児絵画展:悠久の時を刻むモチーフとマチエール

■金丸悠児絵画展
たまたま東武デパートに行く用事があって、6階の美術画廊に立ち寄ってみると、「金丸悠児 絵画展」(3月19日~25日)が開催されていました。ふらっと足を運んだだけなのですが、たちまち惹き付けられ、釘づけになってしまいました。

作品のモチーフはマンボウや亀、古代魚、キリン、象、ライオン、タコといったさまざまな生き物です。どれも日常、目にするものではないのですが親しみやすく描かれています。そのせいでしょうか、展示されているどの作品からも、見ているだけで心の底から温もってくるような暖かさや優しさが感じられるのです。

たとえば、「マンボウ」(606×500㎜、2015年制作)という作品があります。

こちら →マンボウ

この作品を見ていると思わずほのぼのとした気持ちになってしまいます。
もともとマンボウはとぼけた顔をしていますが、この作品のマンボウにはおっとりとした表情の中にどことなく愛らしさが漂っていて、つい見入ってしまうのです。しばらく見ていると、こんな顔をしたヒトにいつかどこかで出会ったことがあるような錯覚に陥ってしまいます。こうして私の中で少しずつ、この作品への感情移入が始まっていきます。そして、いつしか、暖かい気持ちが湧き上がってきているのに気づくのです。

このように、作品「マンボウ」には見る者の気持ちを引き寄せる力があります。それはおそらく、ユーモラスなタッチでモチーフの形態がデフォルメされ、穏やかな表情で擬人化されているからでしょう。なにもこの作品に限ったことではありません。金丸悠児氏にかかっては獰猛なはずのライオンやトラさえ、どこか間が抜けていて愛らしく見えてしまいます。ひょっとしたら、そのように見えるからこそ、いったん目にすると、心の奥底から優しい気持ちが引き出されていくのかもしれません。

もちろん、色彩の影響も考えられるでしょう。遠目からは快いハーモニーのある淡い色調にしか見えませんが、近づいてみると、非常に複雑に色彩が重ねられているのがわかります。そのせいでしょうか、どの作品にも重厚感があり、力強さが感じられます。デフォルメされた形態や表情から受ける親しみや優しさとは裏腹に、モチーフに強靭な存在感が生み出されているのです。

それにしても何故、展示作品のモチーフがすべて動物なのでしょうか。たまたま来場されていた金丸氏にその理由をうかがうことができました。

■時間を司るモチーフ
金丸氏はもともと果物や女性、風景などさまざまなモチーフを描いていたといいます。ところが、どのようにしてヒトとつながっていくかということを考えたとき、動物に行きついたのだそうです。

人物は固有のインパクトが強すぎますし、風景や静物は感情移入しにくい、動物なら絵を見てくれるヒトとの接点を持てるのではないか・・・、というように考え、動物をモチーフの中心に据えるようになったようです。

そういわれてみれば、1998年から1999年の作品は花や果物、野菜から、象や駝鳥などの動物、女性など、さまざまなモチーフが写実的に描かれています。

こちら →http://kanamaru.cc/yuji/gallery/

ところが、2000年になると、カエルやカタツムリ、セミなどの小動物から、カニ、イカ、アザラシなどの海洋生物、アルマジロ、ドラゴンといった具合に、金丸氏はモチーフのバリエーションを広げていきます。興味深いのは、「小心者のアルマジロ」というタイトルからわかるように、このころから動物を擬人化し、デフォルメして表現するようになったことです。独自の方法論を探り当てたように見えます。

ようやく納得できるモチーフと表現方法に辿り着いたからでしょうか。彼はこの年、「万年」というタイトルでカメの絵を描いています。その後、繰り返し登場することになる中心モチーフの一つです。こちらも眠っているような表情のカメにヒトの寝顔を重ね合わせることができます。甲羅は装飾的に描かれ、美しい模様になっています。デフォルメと擬人化、装飾的な美しさ、色彩の深みがこの絵の特徴です。

こちら →mannen

動物をモチーフにするようになったことについて、金丸氏は次のように説明してくれました。

「カメにしてもアロワナ(古代魚)にしても、時間を司る動物です。そういうものに神秘性を感じたのがきっかけです」

確かに、カメは万年といわれるほど長く生息していますし、アロワナもそうです。時間を越えて生き続けていることに神秘と敬意の念を覚え、彼は以後、カメやアロワナ(古代魚)を中心モチーフに作品を発表していきます。

金丸氏は2015年3月、『金丸悠児作品集―時を運ぶ者たちー』という作品集を刊行しました。エピローグで詳細にその経緯を書いていますので、紹介することにしましょう。

「彼らを描く対象として意識し始めたのは、大学に入って間もない二十歳くらいの頃、スケッチをするために上野動物園を訪れた時でした。悠々と泳ぐアロワナを目の当たりにし、不思議な感覚に陥りました。それは、私は以前彼らに会ったことがあり、永い年月を経て再会できた、という感覚でした。幼少期とかそんな時間の単位ではなく、人類が誕生するより遥か昔、人でも魚でもなくもしかしたら同じ個体だったのかもしれない。進化の過程で分岐したもう一人の自分が「時を運ぶ者」として現れたんだ、と感じました。太古にロマンを抱くこと自体はありふれたことかもしれませんが、私がこの不思議な感覚を絵で表現したいと思わせるに充分なきっかけでした」

これを読んで私は、「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケルの言葉を思い出しました。金丸氏は個体と生物全般をつなぐ接点としての立ち位置を自覚し、モチーフの選択をされたようです。すでに二十歳の頃、彼は一種の天啓を受けていたといえるかもしれません。彼にとって画家になるのが当然だとしたら、永遠の時を刻むカメや古代魚をモチーフとして選択するのは必然だったのでしょう。

■二種類の制作手法
金丸氏はこの絵画展に二種類の手法で制作された絵画を出品していました。一つは重ね塗りの手法で、他方は複数の材料を重ねて表現していくという手法です。

たとえば、「マンボウ」は重ね塗りの手法で制作されています。アクリル絵具に速乾性があることを利用し、何度も塗っては乾燥させ、塗っては乾燥させるということを繰り返すのだそうです。通常は20回ほどそれを繰り返し、複雑で深みのある美しい色彩を創り出していきます。

油絵だと乾くのに時間がかかり、乾かないうちに絵具を重ねると色が濁ってしまいます。ところが、速乾性があり乾くと耐水性ができるアクリル絵具であれば、色と色がぶつかり合う状況のまま重ねていくことができます。彼の場合、通常、20層ほど重ね塗りをするそうですが、そうすることで他に類のない色彩が創り出されていくのです。

この何層にもおよぶ重ね塗りという手法が、金丸氏の絵画のオリジナリティを生み出しているのかもしれません。同じ平面を20層も重ね塗りしているからこそ、ユーモラスにデフォルメされたモチーフの可愛らしさに強靭さが加わります。だからこそ、モチーフの背後に悠久の時間を生きてきた強さと知恵を感じ取ることができるのだと思います。

さて、もう一方は、複数の材料を重ね、その上に表現していくという手法です。

たとえば、「時の都」(1167×909㎜、2015年制作)という作品があります。

こちら →

    かめ

    この作品は麻布や英字紙などの材料をキャンバスに張り付けて、制作しています。いってみれば、材料そのもののコラージュです。彼はまずキャンバスに原色を塗り、その上に麻布や英字紙などを張り付け、そこに小さなモチーフを描いていきます。そして、その上から大きなモチーフを重ねて描きます。そうすると、色の重なり、材料の重なりから独特の質感が生み出されていきます。しかも、統合感を失うことなく、多層性を表現できるのです。

    時間が経てばそれぞれの材料が変質していくかもしれませんが、そこに絵としての風合いを高める効果も期待できます。このような材料を重ねて表現するという手法にも金丸氏独自の制作姿勢を見ることができます。

    重ね塗りの手法を見ても、材料をコラージュする手法を見ても、金丸氏が複層性を重視していることがわかります。それに時間の堆積効果が加わればキャンバス上でさらに複雑な様相が醸し出されていくでしょう。それこそが画家・金丸氏の狙いかもしれません。

    ■悠久の時を刻むモチーフとマチエール
    金丸氏の作品のタイトルをざっと見ていくと、興味深いことに気づきます。時を意味するタイトルが圧倒的に多いのです。たとえば、「万年」、「Million Years」、「時を紡ぐ者」などはカメをモチーフにしており、「時を運ぶ者」、「Ancient Fish」、「古の丘」などは古代魚をモチーフにした絵のタイトルです。「時の使者」というタイトルの、カメ、古代魚、象をモチーフにした絵もあります。金丸氏が悠久の時を刻むものに大きな関心を寄せていることがわかります。

    絵画展でもっとも目立つ場所に展示されていたのが、先ほど紹介した「時の都」という作品です。これは大きなカメの上に都市や近郊の生活空間が乗っている構図の絵です。絵画展のチラシの絵にも採用されていました。作家一押しの作品だと思ったので、作品の前に立ってもらい、金丸氏をカメラに収めました。

    こちら →自作の前金丸氏

    寝ぼけたような表情のカメの上に学校や住宅、ビル、畑など、ヒトが暮らす生活空間がまるごと乗っています。さぞかし重いでしょうと思ってしまうのですが、カメは泰然として歩みを進めています。まるで自転する地球のようです。

    そういえば、金丸氏には「ガイア」(727×606㎜、2007年制作)という作品があります。これは、カメが両足で下の地層を踏みつけ、両手で上の地層を支えている不思議な構図の絵です。大きなカメの上には子ガメが乗っており、周辺に古代魚が遊泳しています。

    この絵とそのタイトルからは、金丸氏がカメを地母神(Gaia)として捉えていることがわかります。つまり、かつて彼はカメを母なる大地として表現していたのです。ということは、この「時の都」のカメは大地の象徴であり、そして、悠久の時の象徴でもあるといえます。

    地球を俯瞰してデフォルメすれば、このようになるのでしょうか。この絵を見ていると、地球が動いていることも意識せずにヒトは狭い空間に密集して暮らしていることを思い知らされます。

    そんなノーテンキなヒトをあざ笑うこともなく、叱咤することもなく、カメは悠然とした構えで歩いています。まさにすべてを受け入れ、そして、暖かく包み込もうとする母の姿です。

    金丸氏はユーモラスにデフォルメした動物をモチーフに、独自に編み出したマチエールで悠久の時を表現してきました。どの作品も一見、親しみやすく、実は非常に深い世界を表現していることがわかります。だからこそ私は、何気なく足を踏み入れたこの絵画展で出会った作品に深く引き込まれてしまったのです。今後、金丸氏がどのような作品世界を切り拓いてくれるのか、とても楽しみです。(2015/3/25 香取淳子)

新印象派:科学的アプローチを求めて

■新印象派:光と色のドラマ
東京都美術館でいま、「新印象派」展(2015/1/24~3/29)が開催されています。印象派から新印象派、フォーヴィスムに至る画家たちの作品109点が展示されています。

新印象派の代表的な画家スーラには関心がありました。いまでは色あせてしまいましたが、複製画も持っています。現物を見たいという思いから、この展覧会を見に行ってきました。

こちら →2014_neoimpressionism

興味深いのは、その展示構成です。「1880年代の印象派」で始まり、第1章で「1886年:新印象派の誕生」が設定されているのは当然の流れといっていいでしょう。ところが、第2章で「科学との出会いー色彩理論と点描技法」というコーナーが設けられ、関連資料が展示されていたのです。絵画の展覧会で絵画以外の展示物を見るのは初めてでした。

■色彩理論を参考に
関連資料として展示されていたのは、『色彩の同時対照の法則』、『近代色彩論:芸術および工業への応用』、『デッサン諸芸術の文法』など当時の理論書、そして、画家シニャックや評論家フェリックス・フェリオンによる新印象派に関する書物、さらには、スーラとシニャックのパレット、ルイ・アイエが作成した「視覚混合のための色彩図解」(厚紙に貼られた紙片)、やはりルイ・アイエが作成した「色彩球の8つの断面図」(厚紙)などでした。

これらの中でとくに興味深かったのは、新印象派の画家たちの色彩に対する科学的な探究心であり、理想に向けた実践でした。その一端を画家たちのパレットに見ることができます。

たとえば、スーラのパレットはこんなふうでした。

こちら →Palette_GeorgesSeurat
カタログより

純色を混ぜ合わせた独自の色がまるでスケールのように順序よく並べられています。シニャックのパレットも同様です。新印象派の画家たちは色彩理論に基づき、試行錯誤しながら絵を描いていったのですが、パレットからその痕跡を見ることができるのです。

これらの関連資料によって、新印象派がなぜ誕生したのか、それはどのようなものであり、何をきっかけに認知されるようになったのか、等々がわかるようになっています。

新印象派の代表的な画家としては、スーラ(Georges Seurat: French, 1859-1891)があげられます。

こちら →http://www.nationalgallery.org.uk/artists/georges-seurat

スーラは32歳で夭逝してしまいましたが、彼とともに新印象派の活動を展開していたのが、シニャック(Paul Victor Jules Signac:French, 1863-1935)でした。

こちら →http://www.paul-signac.org/

カミーユ・ピサロ美術館館長のクリストフ・デュヴィヴィエ氏はカタログに寄せた文の中で、印象派と新印象派の違いを以下のように書いています。

「印象派によって初めて陰影を示すために補色が使用された。彼らはパレットの上で顔料を物質的に混ぜ合わせることをやめて、それよりもカンヴァスの上で組み合わされた純色による筆触が生み出す視覚混合を好むようになる。新印象派は、この発見を理論的な方法を用いて急速に推し進めていく。その方法とは、周囲の光と対象固有の光との間の対立を体系化させながら、彼らの美学の基礎である視覚上の混合を行うというものである。視覚混合を実現するために、彼らは次第に小さなタッチ(筆触)を用いるようになり、その傾向は1986年から加速していった」

印象派が試行していた筆触分割を新印象派の創始者スーラ―は色彩理論を踏まえてさらに推し進め、次第に小さなタッチ、すなわち点描に移行していったというのです。

■スーラの筆触分割技法
展覧会のチラシの表紙に使われていたのが、1885年に制作されたスーラの「セーヌ川、クールブヴォワにて」(81×65.2㎝)です。スーラは新印象派の創始者ですから、この絵が使われるのは当然と言えば当然なのですが、私にはやや違和感がありました。というのも、この作品は点描画というには筆さばきが荒く、むしろ印象派の筆触分割技法による作品に見えたのです。

この絵では、セーヌの川面はキラキラと輝き、パラソルを持って散歩する女性は優雅な動きを見せています。まばゆいばかりの陽光の下、躍動感が満ち溢れているように見えるのです。遠目から見て、光と色が鮮やかに反応し合っているのが感じられます。そのような視覚反応を引き起こすような描き方がされているからでしょう。

並置された色の合わせ方が整然とし、秩序だっているところを見ると、このときのスーラは筆触分割法を踏まえた上で新たな表現を試行しているようにも見えます。タッチも荒いですから、新印象派の技法として有名な点描技法をこの時、彼はまだ確立していなかったのだと思いました。クリストフ・デュヴィヴィエ氏も1986年以降、筆触を小さくするようになったと書いています。

ところが、ロンドン国立美術館のHPで、1884年に制作された「アニエールの水浴」を見るとちょっと違った印象を受けます。

こちら →seurat-bathers-asnieres-NG3908-ft

そこで、点描画の代表作とされる「グランド・ジャット島の日曜日の午後」をWikipediaで見てみました。二つの絵は実によく似ています。

こちら →Georges_Seurat_-_Un_dimanche_après-midi_à_l'Île_de_la_Grande_Jatte

展示されていた他の作品に比べ、この二つの絵は画風もよく似ているように見えたのですが、それはひょっとしたら、テーマやモチーフの捉え方が似ていたからかもしれません。

ロンドン国立美術館の解説によると、「アニエールの水浴」が描かれたとき、スーラはまだ点描画の技法を開発していなかったそうです。ですから、私がこの二つの絵が似ていると思ったのは、どうやら川べりで憩う人々をモチーフにしたところ、その構図、などが似ているからにすぎなかったようです。

ただ、彼は後年、鮮やかさと光の効果を生み出すために、対比色を使って、この絵を描き直しています。たとえば、男の子の帽子にオレンジとブルーの点を加えたといったような具合に修正を施しているのです。スーラにとって修正の余地のある作品だったということでしょう。

この絵はスーラにとって最初のスケールの大きな構図の作品だそうですが、あらかじめ何枚もの習作を描き、それらを再構成して作り上げているという点で、代表作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の制作手法と似ています。

このように見てくると、スーラは川べりで憩う群像をモチーフに、賑わいとさんさんと降り注ぐ陽光を描き込みながらも画面全体に漂う静謐感・・・、といったようなものを表現したかったのではないかという気がしてきます。多くの人々が幸せそうに集う光景を距離を置いて眺めるという構図で切り取られた世界です。

■「グランド・ジャット島の日曜日の午後」
若いころ、私はスーラの複製画「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を買いました。大勢の人物を描きながら、不思議な秩序と距離感があり、賑わいの中に静けさが漂っているのが気に入ったからでした。

残念ながら、この展覧会にこの絵は展示されていませんでしたが、そのための習作が4点、展示されていました。1984年に制作されたのが2点、1984-1985年に制作されたのが1点、1984-1986年に制作されたのが1点です。

いずれも、この展覧会のチラシに使われた「セーヌ川、クールブヴォワにて」(1985年制作)を思わせる画風です。点描技法というより筆触分割技法が目立ちます。タッチが荒いのです。ただ、習作として描かれたモチーフは「グランド・ジャット島の日曜日の午後」に使われていますから、スーラがこれらの習作をつなぎ合わせて一枚の絵に構成し直し、制作していたことがわかります。

■科学的アプローチと大衆の台頭
新印象派の作品を見ていくと、19世紀末から20世紀初頭にかけての激動の時代、画家たちが何を求め、どのように新たな表現技法を切り拓こうとしていたのかがわかるような気がします。

スーラの場合、代表作はこの展覧会に展示されていませんでしたが、習作が4点展示されていたので、制作過程を推察することができました。1984年まら1986年にかけて描いた4点の習作からはスーラが距離感をどう表現するか模索していたように思えます。タッチや色彩の組み合わせには逡巡の痕跡がみられるような気がします。そして、習作で見られた光や色彩のナマの輝きが本作では消滅しています。そのような変化のプロセスを見ていくと、スーラが求めていたのはこの微妙な距離感だったのではないかという気がしてきます。

「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の現物はシカゴ美術館にあるそうです。そのサイズは207.5×308.1㎝という大きな作品です。川べりで憩う大勢の人々を描くにはそのぐらいのサイズが必要だったのでしょう。

こちら →http://www.webexhibits.org/colorart/jatte.html

スーラはこの絵を点描技法で描きました。この絵には、さまざまなポーズのモチーフがいくつも描かれ、それらが寄せ集められ、違和感なく一つの絵に収められています。雑多で複雑な形態、色彩、光と影、それらを一枚のキャンヴァスに描くのは大変な作業です。しかも、見る者に一つの絵として違和感なく受け取ってもらわなければなりません。スーラはなんらかの法則によって絵全体を統制する必要に迫られていたのでしょう。習作では点描の気配はなかったのに、本作では点描技法が駆使されているのを見ると、点描技法によって彼がその難題を解決したように思えます。多様なモチーフと複雑な構図を活かしながら一枚の絵をして成立させるにはタッチを極端に小さくして描くしかなかったのでしょう。見事な秩序の体系の中で、スーラはそれぞれのモチーフを静かに、そして、華やかに表現することに成功しました。

「アニエールの水浴」と構図やモチーフなどは似ていながらも、この「グランド・ジャット島の日曜日の午後」が抜きんでて見えるのは、点描技法を使うことによって、雑多な要素が盛り込まれた全体に統一感と秩序を生み出したからではないでしょうか。キャンバスには大勢の人物が描かれていますが、不思議な調和と静けさがあります。私がこの絵に惹かれるのはその点なのです。

新印象派の画家たちが活躍した19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパでは科学技術領域で新しい発見や発明が相次ぎました。ですから、画家たちが科学的アプローチを試行したのも当然かもしれません。絵の重要な構成要素である色彩と光を科学的に突き詰め、理論的に体系化し、点描技法を開拓したのが若い画家スーラでした。

興味深いことに、そのスーラが点描技法で描いたのが川べりで憩う群像でした。さまざまなポーズ、さまざまなシーンの群像を彼はこの絵で表現しました。これらの群像は20世紀後半に大きな社会的役割を担うことになる大衆の姿に重なります。科学技術がやがて大衆を生み出し、台頭させていくことを彼は予期していたのでしょうか。だとしたら、優れた時代感覚、嗅覚の持ち主だったといわざるをえません。

戸外の輝かしい光と色でモチーフを表現しようとしたのが印象派だとすれば、同じように輝く陽光と色彩の下でモチーフを捉えながらも距離を置いて見つめ、表現しようとしたのが新印象派といえるかもしれません。その距離感こそ科学的アプローチによってもたらされたものであり、この絵を見る者に快い調和と静謐感を与えているのでしょう。(2015/3/12 香取淳子)

「新鋭美術家2015」:アーティストトークから見えてくるもの

■2月28日、東京都美術館では「都美セレクション新鋭美術家2015」展の一環として、出品作家によるアーティストトーク第2弾が行われました。スピーカーは田丸稔氏(彫刻)、高松和樹氏(洋画)、山田彩加氏(版画)です。それでは、「公募団体ベストセレクション美術2014」で選ばれた作品を中心に見ていくことにしましょう。

■田丸稔氏の「抒情詩の男と馬」
田丸氏の作品5点は瀬島氏と高島氏のコーナーを横断する形で配置されていました。「公募団体ベストセレクション美術2014」で選ばれたのが、「抒情詩の男と馬」(2012年制作)です。この彫像の材質はFRP(繊維強化プラスティック)、漆で着色されています。サイズは110×100×60㎝です。

こちら →田丸稔

初めてこの作品を見たとき、意表を突かれる思いがしました。馬の頭部は男の上半身ほど大きく表現されているのですが、男の顔は馬の頭部にめり込んでしまって見えません。人馬一体という言葉はありますが、このような構図は想像もできませんでした。

いったいどうなっているのかと考えながら、上から見たり、横から眺めたりしているうちに、やがて、男の肩から背面、肩から腕、そして、腿から脹脛にかけての筋肉がよく発達しているのに気が付いていきます。この作品ではとくに肩から腕にかけての盛り上がった筋肉が印象的でした。逞しく鍛え抜かれた身体が持つ美しさといっていいでしょう。意表を突く構図の下で、マッチョな男性美が表現されていたのです。

他の作品も同様です。2013年の作品は、馬の頭部に男がうつ伏せになっている構図で、男の背面から臀部、肩から腕にかけての筋肉が印象的です。2014年の作品は、馬の頭部を男が抱きかかえている構図で、男の背面から臀部、肩から腕、臀部から腿にかけての筋肉が眼に焼き付けられます。そして、2015年の作品は、馬の上で男が仰向けになっている構図です。顔はつぶされ、腕ももぎ取られていますから、贅肉のない筋肉質の上半身だけが印象に残ります。興味深いことに、これらの作品のタイトルはすべて「叙事詩の男と馬」でした。

■「項羽」の最期に対する思い
なぜ、2012年以降の4作品はどれも男と馬をモチーフにし、そのタイトルは「叙事詩の男と馬」だったのでしょうか。田丸氏には深い思い入れがあったはずです。

こんなふうに説明してくれました。

田丸氏は子どものころから歴史好きで、抒情的なものよりも叙事的なものを好む傾向があったといいます。「三国志」もよく読んだ歴史書の一つだそうです。男と馬のモチーフは、その三国志に登場する「項羽」の悲惨な最期からイメージを膨らませ、作品にしたのだそうです。

さっそく、項羽の最期を調べてみました。

秦の末期、劉邦軍に安徽省の烏江にまで追い詰められた項羽は自害します。ところが、この戦いに先立って劉邦は項羽を殺した者には領土を与えると宣言していました。ですから、褒賞を求めた兵士たちが争って項羽の死体を奪い合います。その結果、項羽の身体は5つに引き裂かれてしまったというのです。

田丸氏はこのような項羽の悲惨な最期を知り、深く感じるところがあったといいます。それが動機づけとなって後年、「男」(項羽)と「馬」(項羽の愛馬)をモチーフに一連の作品を手掛けるようになったようです。改めてこの4作品を見てみると、たしかに、2012年の作品には顔だけがなく、2013年、2014年の作品には顔と脚がなく、2015年の作品は胴体だけになっていることに気がつきます。

もっとも田丸氏は、観客にはこの作品からもっと自由に想像してもらいたいと考えているようです。だからこそ、項羽という名を出さず、一連の作品に「叙事詩の男と馬」というタイトルを付けたのだそうです。そして、「男と馬」というモチーフは、「人間と馬」あるいは、「人類と道具」と読み替えることもできるといいます。

作家は大なり小なり創作の契機となるようなエピソードを抱えています。でも観客はそれに捉われず、もっと自由に想像し、より普遍的な解釈をしてほしいというのが田丸氏の願いでした。たしかに個別の経験を越え、作品を通してそれが普遍化していくことに芸術の醍醐味があるのかもしれませんし、作家もそれを願っているのでしょう。

ただ、私は、田丸氏の「男と馬」に込める思いを知ったからこそ、この作品の理解が深まったような気がしています。

筋骨隆々とした身体部位で、栄耀栄華を極めた英雄の姿が表現されているとするなら、手足顔をもぎ取られた姿に無残な最期が表現されています。そこにヒトの世の無常を読み取ることができますし、その無残な姿に馬を絡めることによって、滅びを見つめる美学とでもいえばいいようなものを感じるのです。叙事的なものが好きという田丸氏ですが、興味深いことに、作品からはリリシズムが漂ってきます。

だからこそ私は、語り継がれてきた項羽の悲惨な最期をリアルな事実として受け入れ、そこに作品を通して語るべき物語を見出した田丸氏に、作家としての冷徹な眼差しとセンスを感じたのです。

■高松和樹氏の「何ダカ意味ガ解ラナイ事ノ為ニ」
高松氏が出品した7作品(そのうち1作品は3連作)は、照明を暗くしたコーナーの壁面いっぱいに展示されていました。「公募団体ベストセレクション美術2014」で選ばれたのが、「何ダカ意味ガ解ラナイ事ノ為ニ」(2014年)です。

この絵はターポリン(テント生地)にジグレー版画(野外用顔料溶剤)でデータを出力して印刷したものにアクリルガッシュ・メディウムを吹き付け、アクリル絵具で塗ったものだそうです。194×259㎝サイズの作品で、有無を言わせず観客を異空間に誘い込む不思議な迫力がありました。

こちら →高松和樹

少女の頭上から背面にかけては鮮やかな花々で覆われ、右手上方に華やかな一角が構成されています。ところが、その裏にはひっそりと骸骨が潜ませてあるのです。膝を抱え込んで顔を伏せている少女の下には花に紛れてライトのようなものが見え隠れし、たなびく雲の下にはビル群が広がり、地下にも同様の空間が広がっています。

その地下空間の下にもやはり巨大なライトのようなものがあります。天上、地上、地下という三層の空間に巨大なライトのようなものが配されているのです。ひょっとしたら、現代社会のエネルギー源である電気を表しているのかもしれません。気になるモチーフです。

画面は対角線で区切られ、その右側に多くのモチーフが収められています。対角線の交点から左上に向けて銃のようなもの、その近くにスピーカーのようなものが配されています。そして、その先の対角線左側は深い闇です。不思議な空間です。さまざまなモチーフが雑多に賑やかに配置されているのですが、全体として静かで、恐いような透明感が漂っているのです。

■モノトーンとグラデーションによる表現
この絵でまず目につくのは、少女の腿です。画面の中心付近に大きく、輝かしく描かれています。それだけに等高線のような模様が目立ちます。眼を転じると、少女の脚、腕、手、衣服、花、骸骨など、この絵のさまざまなモチーフが等高線のようにも樹木の年輪のようにも見える同心円状の模様で形作られていることに気づきます。

しかもすべてがモノトーンで、光や影は描かれていません。ですから、この絵全体からは人工的で無機質な印象を受けてしまうのですが、少女の手足や腕は柔らかく、そっと触れれば体温さえ感じられそうな気配です。無機質な空間の中に確かな生命が息づいているように見えます。

モチーフは手前を明るく、奥に行くにつれ暗く、表現されています。等高線の模様を崩さずにグラデーションをかけていくやり方が実に繊細で微妙なのです。この微妙なグラデーションによる効果で、無彩色でありながら、観客はこの絵に奥行を感じ、立体を感じることができるのでしょう。

そもそも等高線は高さのある地形を平面で表すための記号です。それを高松氏は立体を表現する模様として取り入れたのです。非凡な着眼だといわざるをえません。等高線のような同心円状の模様もまた、モノトーンでありながら立体を表現するための技法です。このような高松氏ならではの表現技法が他の追随を許さない独特の世界を生み出しているのでしょう。

■ネットの世界とリアルな世界
高松氏はネット社会の匿名性をモノトーンで表現しているといい、カタログには次ぎのように書いています。

「自身を表すものは実名ではなくハンドルネーム、プロフィールアイコンにはアニメのキャラクターやイラストなどが使われることが多く年齢も性別も事実か解らない。それゆえ書き込む者の人間性や本音が出やすくアイコンのイメージとは裏腹に生々しさを感じる」

そして、作家としてのスタンスを次のように表明しているのです。

「大人になりきれない純粋な感情の中にこそ、この世の中の矛盾を浮き彫りにする研ぎ澄まされた鏡が存在し、そこに現代を象徴する美があると考える」

これを読んで、ようやく現代社会を表現しようとする作家が登場してきたという気がしました。

現代社会はメディア主導で動いているといってもいいと思いますが、それに対峙するような絵画作品をこれまで見たことがありませんでした。もちろん、私が知らなかっただけかもしれません。ですが、高松氏のようにメディアの消費者側から現代社会について考え、最新のメディア技術を駆使して表現できる作家は稀です。今後もぜひ、このスタンスで頑張ってもらいたいと思います。

■山田彩加氏の「生命の変容と融合―0への回帰―」
高松氏の隣のコーナーで展示されていたのが山田彩加氏の作品11点です。どの作品も緻密で細密に仕上げられており、その表現力に圧倒されてしまいました。生と死を見つめ続けてきた山田氏が切り拓いてきた独自の世界がありました。「公募団体ベストセレクション美術2014」で選ばれたのが、「生命の変容と融合―0への回帰―」です。バロンケント紙に刷られたリトグラフです。2012年から13年にかけて制作されました。サイズは150×215㎝、東京芸術大学大学院での博士審査展に出品した作品だそうです。

こちら →生命の変容融合

この絵を見てまず目につくのは、赤ちゃん、若い女性、老女、いずれも目を閉じています。その次に、左上と右下に配置された時計と鎖、そして、赤ちゃんに顔を向けている横顔の女性に気づきます。おそらく母親なのでしょう、こちらは眼を開けています。なおも見ていくと、老女の下にタヌキかキツネのような顔をした動物、若い女性の周辺に描きこまれた花や植物・・・、等々が見えてきます。

非常に複雑な絵です。すべてのモチーフがきわめて細密に描き込まれており、それぞれがなんらかの点でつながっています。克明に描き込まれているだけに、絵全体が暗く、ヒトはつい、白い余白の多い箇所から見てしまうことがわかります。

大きな円が二つ、層を成して設定されています。上になっている右の円上に描かれているのが赤ちゃんと母親、そして、その下の円との境界領域に老女が横向きに描かれ、下の若い女性とつながっています。ヒトが生まれ、成長し、やがては老い、死んでいくプロセスが凝縮して表現されています。

ヒトについては性別と大雑把な年齢がわかるよう顔部分だけが描かれ、その周辺に動物の顔や植物が密集して描き込まれています。動物や植物がヒトと同列同等に配置されているのです。

ちなみに、この絵のタイトルは「生命の変容と融合―0への回帰―」です。ですから作者は、命がヒトの中で循環するだけではなく、動物や植物を含めた生物全体で循環していることを伝えようとしていたのでしょう。とても哲学的な内容ですが、非常に美しい絵なので引き込まれて見てしまい、メッセージが明確に伝わってきます。

■命の繋がり
山田彩加氏はカタログの中で「命の繋がり」を制作コンセプトにしていると書き、次ぎのように述べています。

「命の繋がりとは、森羅万象に共通する粒子(生命の根源)から細胞が誕生し、多種多様な生物へと進化を経る中で、生と死を通じて生物から再び粒子へと還元される一連の過程であり、更にその生成と分解を全ての生物が同様に繰り返すことです」

まさに、「生命の変容と融合―0への回帰―」で表現されている世界観です。そして、それを表現する方法として、次のように記しています。

「このようなコンセプトを基に私は、形而上的繋がりを紐上に描写し、物質的繋がりを表すモチーフの描写と混在させることによって、本質を探求していきます」

この一文を読んでから、改めて「生命の変容と融合―0への回帰―」を見てみると、たしかに上の円からも下の円からも紐のようなものがいくつも放射状に外に向かって延びています。

上の円上やその境界領域にはヒトや動物の身体部位、植物が密集して描かれていますし、下の円には毛細血管のようなものがあります。そして、左上に配置された時計は逆さまに描かれ、右下に描かれた時計は反転して描かれています。それぞれチェーンでつながっており、時間が過去、現在、未来へと連綿と続いていることが示されています。まさに、一枚の絵の中に世の中の森羅万象の繋がりが完ぺきなまでに表現されているのです。

山田氏の作品を見て、美術は哲学的内容を視覚的に表現できるのだということを知りました。奥の深い芸術だということを再認識しました。

■アーティストトークから見えてくるもの
田丸稔氏(彫刻)、高松和樹氏(洋画)、山田彩加氏(版画)など、旬の美術家たちのトークを聞く機会を得て、とても有意義なひとときを過ごすことができました。

たとえば、田丸氏の作品について高松氏が、「1トン以上の重みを感じた」といい、「物質を変えてしまう錬金術師では?」とジョークめかしていったところ、田丸氏は「FRP(繊維強化プラスティック)は保存にも移動にも便利だが、足りないのは眼で見てわかる重量感」だといい、そのための制作上の工夫を説明してくれました。こういうやり取りは専門家同士でないとなかなかできません。

こちら →高松田丸

高松和樹氏は、自作についてのトークの最中、会場の中に彼自身が制作したデザインのTシャツを着たヒトを見つけました。高松氏が驚いたのはいうまでもありませんが、会場も沸きました。彼はかつてTシャツのデザインを手がけたこともあったようですし、いまも企業からさまざまなコラボの提案があるようです。現代社会にフィットした高松氏の画風のせいでもあるのでしょう。このようなハプニングも作家に対する理解を深めてくれます。いつの日か高松氏は街中を舞台に動くアートを見せてくれるようになるかもしれません。

山田氏は大学1年のときの解剖学の授業で、手の毛細血管が細かくて美しいことに感動したそうです。以来、細かい描写が楽しくなったといいます。気の遠くなるような作業ですが、それでも完成度を高めるために、仕上がってからも空白とモチーフとの調和をチェックし、納得のいくまで手直しをするそうです。どの作品からも繊細でかつ豪胆な表現力が伝わってきましたが、実際にお目にかかってお話を聞き、その理由がわかるような気がしました。

いずれもアーティストトークに参加してはじめて知ることのできたエピソードです。創作活動にまつわるエピソードから創作の背景をうかがい知ることができ、作品理解が深まったような気がします。とても興味深い企画でした。

今回、3人の美術家のトークイベントに参加し、新しい表現領域が次々と切り拓かれつつあることを感じました。何を表現するか、どのように表現するか、この二つの側面はセットで考えなければならないということを改めて感じさせられました。素晴らしい作品を制作されたお三人には今後も画期的な創作活動を展開されることを期待したいと思います。(2015/3/2 香取淳子)

「新鋭美術家2015」:色と光の諸相

■「都美セレクション新鋭美術家2015」
東京都美術館でいま、「都美セレクション新鋭美術家2015」(2015年2月19日~3月15日)が開催されています。これは、2014年5月に開催された「公募団体ベストセレクション美術2014」展から審査を経て新鋭美術家5名を選抜し、連立個展の形式で行われる展覧会です。

2015年2月21日、この展覧会に行ってきました。

こちら →http://www.tobikan.jp/exhibition/h26_newwave.html

「新鋭美術家2015」に作品が展示されたのは、瀬島匠(洋画)、高島圭史(日本画)、高松和樹(洋画)、田丸稔(彫刻)、山田彩加(版画)の5人です。2014年5月に開催された「公募団体ベストセレクション美術2014」展での審査を経て、選抜されました。まさに旬の作家たちです。

東京都美術館では、芸術活動の活性化と鑑賞体験の深化の場としての機能を果たすため、全国の公募団体と連携した展覧会を2012年から開始しています。第3回目の2014年は全国の美術公募団体の中から選抜した27団体から151人の作品163点が展示されました。

まことに贅沢な展覧会といわざるをえませんが、この中から選抜された5名の作品が「新鋭美術家2015」で展示されているのです。いま、表現の極致に挑んでいる作家たちの仕事ぶりを見ることができる最高の展覧会だといえるでしょう。実際に会場に出向いてみると、どの作品にもすぐには立ち去り難い魅力を覚えてしまいましたが、今回は瀬島匠氏と高島圭史氏の作品を取り上げることにしましょう。

■瀬島匠氏の作品
チラシの表紙を飾っているのが瀬島氏の「RUNNER2014」です。無彩色ですが、圧倒的な迫力を持つ作品です。

こちら →2014runner

これが、今回の展示のきっかけとなった「公募団体ベストセレクション美術2014」で選抜された作品です。会場でこの絵を見ると、荒々しい海の前に立って、そびえ立つ黒い頑強な構造物を見ているような気になってしまいます。重く垂れ込めた曇天の下、海が荒れ始めています。黒い構造物の下、岸壁の手前で波が白い波頭を際立たせています。嵐が来る寸前の不穏な空気がひしひしと伝わってくるのです。

実際、左下の突起物はまるで本物の鉄を張り付けたように、赤く錆びていて浮き上がって見えました。そして、上空は木炭か鉛筆で描かれているのでしょうか、重くどんよりとしているのですが、重力は感じません。それに反し、波頭は強く、荒々しく、いまにも大きく波立ってこちらに襲い掛かってきそうです。重力があり、波の力がすべてこの波頭に結集されているような力が表現されているのです。

近づいてみると、白い絵の具が極端に厚く塗り込められていました。だから、波がますます荒くなっていくと感じてしまうのでしょう、人間などはるかに及ばない自然の猛威がしっかりと表現されていたのです。

■無彩色の七色
瀬島氏はほとんど無彩色で自然の力と巨大な構造物を描いていきます。海さえも無彩色で表現されていますが、そこには波頭の立つ荒々しい海が眼前に迫ってくるような迫力があります。おそらく見る側が色を感じているからでしょう。これを瀬島氏は「無彩色の七色」という表現をします。無彩色で描かれていても、眼をつぶったときに色が出てくるというのです。そして、想像する色味に共鳴できるかどうかが大切だといいます。

この絵は300×300のサイズで、油彩、透明水彩、GLボンド、錆び止め油性塗料、コールタール、木炭、鉛筆が使われています。

■RUNNER
新作も同様です。モチーフは変わりません。今回、瀬島氏は作品を4点出品していますが、タイトルはいずれも「RUNNER」です。それにそれぞれ制作年の2013、2014、2015が付けられているだけです。

こちら →2015runner

これが最新作の「RUNNER 2015」です。2015年2月10日に制作が完了したそうですから、展示の9日前にようやく形になったというわけです。スケールの大きな作品を手掛けるだけあって、この一件からも瀬島氏の豪放磊落さを垣間見ることができそうです。絵の前に立っているのが作者の瀬島氏です。これを見ると、どれほどこの絵が大きいか、一目でわかると思いますが、320×600サイズの作品です。やはり、油彩、透明水彩、GLボンド、錆び止め油性塗料、コールタール、木炭、鉛筆が使われています。

1988年以降、瀬島氏は「RUNNER」というタイトルで海と構造物を描いた作品を制作し続けています。瀬戸内海育ちだと聞くとなんとなく納得してしまいます。画家だった父が造船所で働いていたせいで、幼い頃の彼の持ち物には必ずロゴを入れてくれていたそうです。だから、瀬島氏は作品にロゴが入っていないと締りがないと感じるそうです。そういえば、どの作品にも一番目立つところにさり気なく、「RUNNER」というロゴが入っています。荒々しい自然と人工の構造物をモチーフに表現活動を展開する彼はまさに美術界の新進気鋭のランナーなのです。

■高島圭史氏の作品
瀬島匠氏の隣のコーナーで展示されていたのが高島圭史氏の作品です。ふっと誘い込まれるように見入ってしまったのが、「旅に出た庭師」です。今回、展示されるきっかけとなった「公募団体ベストセレクション美術2014」で選抜された作品です。

こちら →tabi

不思議な絵でした。さまざまなものが描かれているのですが、どこから見ていいのか、迷ってしまうのです。ちょうど一人旅に出て初めての駅に降り立ったときの気分です。周囲のものすべてに神経を張り巡らせ、行くべき先を決めるための情報を収集しようとする、あのときの好奇心と不安に満ちた不思議な感覚がこの絵を見ていると覚醒されるのです。

通常は光が当たっているところが中心で、そこにヒトは眼を向けてしまいます。ところが、この絵には光が当たっていないところにもさまざまな情報が込められているので、落ち着かないのです。一方、色調は柔らかく穏やかで、見れば見るほど深い味わいがあります。多様な緑色につい引き込まれ、見入ってしまいます。この絵は和紙に岩絵の具を使って描かれました。サイズは100×100です。

■光の諸相
高島氏のこの種の絵の構造がよくわかるのが、2013年に制作された「つぎはぎの製図」でしょう。これは描かれているモチーフがそれぞれ具体的なものなので「旅に出た庭師」よりもわかりやすいです。この絵も和紙に岩絵の具を使って描かれており、サイズは170×215です。

こちら →seizu

この絵の場合も光が当たっているところにすぐ眼が向いてしまうのですが、そこに配置されているのは製図台の脚やイスのようなものであまり意味があるように思えません。手前に配置されたものも同様、雑多な文房具類です。

よく見ていくと、左奥に眼鏡をかけた人物がいることに気づきます。ようやく尋ね人を探し当てたときのように、観客はその人物を手掛かりに絵を読み解こうとします。そうすると、不思議なことに、これまで意味がないように見えていた文房具や地球儀、模型、ポットなどが途端に生き生きとその存在を主張しはじめるのです。

高島氏はカタログに寄せた文章の中で以下のように書いています。

「光やそれによって生まれる明るさは、私たちが物を見ることに欠かすことができません。同じように絵を描く時も、画面の中の形や色、表面の質感などを十分に観るためには、部屋が明るくないといけません」

そして、次のように結論づけます。

「現在の私にとって、絵と光は密接に関係しています。その関係を基にして、絵の中で光を重要な要素として扱いながら、モチーフの構成によって、光のいろいろな様相を表わすことが、私の制作上の課題です」

高島氏は、観客が絵を見ていく動線を光によって誘導しようとしているのです。改めて彼の作品を見てみると、たしかに光の当たっているところにまず目を向けてしまいます。それが意味もないようなものであれば、次に、他に意味のありそうなものを無意識のうちに探し出そうとします。

高島氏は会場で、「一番見てもらいたいところは最後か最後から2番目ぐらいに見てもらえるように設定している」といい、「主人公に辿り着くまで時間がかかるようにしたい」とも説明しています。

一枚の絵を観客がどう見ていくか、弧を描くようにその動線を考えるのだそうです。そして、文房具であれ地球儀であれ、絵に取り上げるモチーフはどんなものでも一つ一つドローイングし、それを大きな下絵に当てはめ、モチーフの配置に留意しながら、光をどう当てると良く見えるようになるか、光を当てないところをどうするかをよく考え、パズルのように組み合わせていくのだそうです。当然のことながら、絵を描く前の準備に時間がかかります。そのような地道な作業が堆積し、絵の深みになっているのではないかと思います。高島氏の作品にはどれもすぐには立ち去り難い、不思議な魅力がありました。

■色と光の諸相
今回は「新鋭美術家2015」展で見た瀬島匠氏と高島圭史氏の作品を取り上げ、気鋭の美術家たちがいま何を試行し、模索しているのかを見てきました。瀬島氏は無彩色で描いた絵から観客に色味を想像してもらうプロセスを重視していました。観客が眼を閉じたときに思い浮かべる色、それはおそらく瀬島氏の制作技法に誘導され、見えてく色なのでしょう。一口に黒といっても、瀬島氏は重く垂れ込める雲は鉛筆や木炭で描いていましたし、巨大な構造物にはコールタールを塗りつけていました。材料の違いによって質感の違いが生み出され、グラデーションが生み出され、そういうものが一体となって、観客が眼を閉じたときに、着色されているように見えてくるのではないかと思います。

一方、高島氏はモチーフの構成によって光のさまざまな様相を表現しようとしていました。モチーフをどのように配置するか、さらには、それぞれのモチーフにどのように光を当てるか、あるいは、光から遮断するか、巨大な下絵の上で模索するときがおそらく高島氏の創造的行為のもっとも重要な段階なのでしょう。高島氏が工夫して編み出したのは、もっとも見てもらいたいところに観客が辿り着くまでの距離をできるだけ長くしていくという技法でした。光に着目して個々のモチーフが配置され、全体が構造的に構成されているのですが、微妙な光の効果を最大限にするため、着色にも細心の工夫が凝らされていました。

お二人とも色と光の諸相を見つめ、表現の幅と深みを積極果敢に追求しておられました。創造者としてのその挑戦的な姿勢に心打たれてしまいます。お二人の創作活動には今後も注目していきたいと思います。(2015/2/22 香取淳子)

「小山田二郎展」:アダムとイブ

■小山田二郎の「アダムとイブ」(水彩)
「生誕100年小山田二郎展」の会場で「アダムとイブ」(水彩、1956年制作)を見て、驚きました。これが、アダムとイブなのか・・・、という驚愕です。唖然とし、思わず、タイトルを見返したほどでした。

おそらく、闇を示しているのでしょう、暗いモスグリーンをベースとした背景に、馬のように見えるし、鳥にも見える得体のしれない頭部を持つヒトが二人立っています(立っているのだから、ヒトでしょう、という認識です)。手足、胴体は細く、ほとんど骨と皮だけのように見えます。

こちら →FullSizeRender (2)

カタログを撮影したのですが、うまく撮れませんでした。

二人は向き合い、両手を握り合っています。水彩なので色が滲み、全般に曖昧模糊としています。そこで、小山田二郎は肩から腕、腕から手にかけての骨を白ではっきりと描いています。まるで骨の標本のような二人が両手を握り合っているのです。左上の木から蛇が二人を見下ろし、右下の木の幹に巻きついた蛇も舌をだして二人に絡もうとしています。地面には青く着彩されたリンゴが落ちており、モチーフの道具立てからみれば、まさにアダムとイブなのです。

彼はなぜ、アダムとイブをこのような絵柄で描いたのでしょうか。

■モチーフとしての「アダムとイブ」
「アダムとイブ」はこれまで、聖書に出てくる重要な物語としてさまざまに描かれてきました。

たとえば、こんな作品があります。

こちら →
http://www.emimatsui.com/arthistory/north/img/cranach05.jpg

これは1533年に制作されたルーカス・クラナッハという宮廷画家の作品です。

アダムとイブを扱った多くの作品では、蛇、リンゴ(果実)、アダム、イブなどの典型的なモチーフを使って絵を構成し、聖書の中の物語を再現しています。中にはクラナッハの絵のように獰猛な動物が配されて、楽園を追われた二人が今後、地上で多難な生活を強いられることが示唆されているものもあります。

クラナッハの絵ではアダムとイブは肩を寄せ合っていますが、二人が手を取り合っている構図もよく見られます。いずれもその手にはリンゴ(知恵の果実)が握られており、知恵を出し合って困難を乗り切っていこうとするアダムとイブの姿勢を見ることができます。

小山田二郎の「アダムとイブ」もこれらのモチーフを使っているのですが、なにか本質的な部分で異なっているように思えるのです。たとえば、リンゴは彼らの手にはなく、地面に落ちています。二人は両手を握り合っていますから、リンゴを握る余裕がなかったのでしょうが、リンゴよりもむしろ二人の協同こそが重要だと言おうとしているかのように思えます。

小山田二郎は、アダムとイブが向き合って、両手を握り合っているという構図にしました。しかも、背丈と顔の大きさこそアダムとイブとで多少の差をつけていますが、身体はほぼ同じぐらい細く描いています。ですから、二人はほぼ対等の関係に見えます。また、二人は両手を握り合っていますが、彼はそれを肩から腕、腕から手のラインの骨格だけを白ではっきりと浮き彫りにする恰好で描いています。身体性を限りなく希薄化しているように見えます。

彼らは相手を直視し、なにかを言い合っているように見えます。イブは眼を見据え、口を大きく開けていますが、アダムの眼はやや垂れ下がって描かれ、口もそれほど大きく開けていません。ですから、イブが一方的に何かをまくしたてているように見えます。小山田二郎はこれまでの絵のように、アダムがイブを庇護する、あるいは、イブがアダムに嬌態を示すといったような描き方をしていないのです。ここに男女の関係についての彼の認識が示されているのかもしれません。

■小山田二郎の「アダムとイブ」(油彩)
今回の展覧会で展示されていませんでしたが、実は小山田二郎は1956年に油彩でも「アダムをイブ」(162×112㎝)を制作しています。この絵は水彩の「アダムとイブ」と違って、身体部分はよりリアルに描かれています。

こちら →http://search.artmuseums.go.jp/gazou.php?id=173603&edaban=1

この絵は、二人の間に樹木を配し、アダムとイブは向き合う恰好で描かれています。蛇は見当たらないのですが、アダムが真っ赤なリンゴを手にしています。そして、アダムの腰には葉っぱではなく布が巻き付けられており、イブも布のようなもので前を覆っています。楽園を追われたばかりの二人ですが、すでに羞恥心はあったようです。文明の痕跡をさりげなく描かき込んでいるのです。

二人の姿勢を見ると、向き合っているように見えるのですが、顔がどこを向いているのかわからないので、落ち着きません。そもそもこれが顔といえるのかどうか、判断がつかないのです。首の上に載せられているのでおそらく顔でしょう、という程度の認識です。顔に必須の眼鼻口が描かれていませんから、どちらを向いているのかわかりませんし、二人の関係を示唆するメッセージが見つからないのです。

人体の中で顔や頭部が示す要素を彼が敢えて否定していたのだとすれば、リアルに描かれた身体に注目すべきなのかもしれません。

アダムの上半身やふくらはぎにはしっかりと筋肉が描きこまれ、頑健な身体であることが示されています。イブもまた、胸と腹部が肉付きよく描かれ、「産む性」としての役割が強調されています。

■油彩と水彩の「アダムとイブ」が示すもの
小山田二郎はなぜ1956年に、「アダムとイブ」を油彩と水彩で二作品も制作したのでしょうか。いずれの作品も1956年制作としか記されていないので、どちらが先に描かれたのかわからないのですが、小山田二郎にとってはなんらかの必然性があったことは確かでしょう。

あらためて油彩で描かれた作品を見ると、アダムにしてもイブにしても身体性が強調されて描かれているのが印象に残ります。そして、知恵の果実とされるリンゴはアダムが持っており、イブの身体には「産む性」としての要素が刻印されています。二人は手を握り合っているわけではなく、寄り添っているわけでもなく、ただ、向き合って立っているだけです。何らかの関係があるというよりはただの性の対象として存在しているように描かれています。さらに、顔や頭部を示す部位からは意味が読み取れませんから、二人の関係から精神性がすっぽりと否定されているように見えます。

一方、水彩で描かれた作品を見ると、身体性は限りなく希薄化されており、精神性が強調されています。イブの口は大きく開けて描かれ、アダムも口を開けています。つまり、言葉でのやり取りが二人の間にはあることが示唆されています。ここでは知恵の実であるリンゴは地上に落ちており、二人は両手を握り合っています。言葉という知性の道具を駆使して二人が協同すれば、楽園を追われたからといって生きていけないわけがないとでもいっているように思えます。

水彩で描かれた「アダムとイブ」の方に、私は好ましい印象を抱きました。水彩という方法がこれほど柔らかく、深く、そして洗練された表現が可能なのか・・・、新しい発見をしたような気がします。白を巧みに配した色使いといい、斬新な構図といい、小山田二郎の繊細さが随所に活きているように思えます。

表現の巧みさはもちろんのこと、この絵に込められたメッセージが素晴らしいと思いました。この絵のモチーフは聖書由来のものですから当然、古いのですが、実に新しい男女関係を示唆しているのです。楽園を追われた二人ですが、知性を携え、協同すれば、どのような苦難も乗り越えられるというポジティブなメッセージがこの絵でしっかりと謳い上げられているのです。(2015/2/14 香取淳子)

「小山田二郎展」:母のイメージと愛

■小山田二郎の「ピエタ」
「生誕100年小山田二郎展」でなによりも強く印象に残ったのは、さまざまな作品から透けて見える小山田二郎の冷徹な眼でした。モチーフはどれも小山田二郎らしいタッチでデフォルメされて表現されています。ですから、リアルとはいえない画風なのですが、なんといったらいいのでしょうか、モチーフの捉え方が実にリアルなのです。たとえば、1955年に制作された「ピエタ」という作品があります。

こちら →
http://blog-imgs-18.fc2.com/a/k/a/akaboshi07/d0059306_2125504b.jpg

この絵からは恐ろしいほどの憤怒、悲憤、絶望…、というようなものが伝わってきます。モチーフを三角形でまとめた直線的な構図、黒、こげ茶、白などの無彩色に近い色彩、無数のスクラッチを施した表現がそう感じさせるのでしょうか、よくある「ピエタ」とはまったく様相が異なるのです。

■モチーフとしての「ピエタ」
ピエタ(Pietà)というのはイタリア語で哀れみ、慈悲などを意味するのだそうです。一種の聖母子像として、十字架から降ろされたキリストの亡骸を抱く聖母マリアをモチーフに数多くの絵画や彫刻が制作されてきました。絵画でいえば、たとえば、アンニーバル・カラッチはこんな風に描いています。

こちら →http://art.pro.tok2.com/C/Carracci/019[1]1.jpg

また、アンゲラン・カルトン作とされる「ピエタ」はこんな風に描かれています。

こちら →http://www.cgfaonlineartmuseum.com/q/quarton4.jpg

これらの作品はいずれも聖なるキリストの死を嘆き、再生を祈る意味が込められています。カラッチの作品では嘆き悲しむ聖母マリアと二人の天使が描かれていましたし、カルトン作とされる作品では聖母マリア以外にマグダラのマリアや使徒ヨハネが描かれていました。もちろん、どちらの作品もキリストの姿は亡骸とはいえ尊厳が感じられるように描かれています。絵としては聖なるキリストの死を嘆き悲しみ、復活を願うという構図になっているのです。

彫刻作品も同様です。「ピエタ」は一種の聖母子像として制作されていますから、慈悲、慈愛の念が強く伝わってきます。たとえば、ミケランジェロはこのモチーフで4作品も制作していますが、もっとも有名なサンピエトロ大聖堂にある「ピエタ」を見てみましょう。

こちら →
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8a/Michelangelo%27s_Pieta_5450_cropncleaned.jpg/300px-Michelangelo%27s_Pieta_5450_cropncleaned.jpg

聖母マリアはあくまでも清らかで、その表情からは子を亡くした母の深い悲しみが伝わってきます。

■「ピエタ」に見る小山田二郎の冷徹な眼
これらの絵や彫刻に比べると、小山田二郎の「ピエタ」はいっぷう変わっているといわざるをえません。まず、キリストの顔は半分ミイラになりかかっているように描かれています。胴体を見ると反り返っており、足も手も硬直しているようです。まさに聖母マリアは死後硬直の始まったキリストを抱いているのです。とても、復活を望める状態ではありません。

疑いようもない死を前にして聖母マリアの顔は険しく、怒りと絶望に満ちているように見えます。この絵から果たして、「ピエタ」の意味する哀れみや慈悲をイメージすることができるでしょうか。ひしひしと伝わってくるのは、小山田二郎の冷徹なまでの観察眼です。

評論家の粟津則雄氏は14世紀中頃の木彫りの「ピエタ」を著書『美との対話』(生活の友社、2014年)の中で紹介し、以下のように書いています。

「ここに見られる聖母は、われわれが思い描く聖母像とは似ても似つかぬものだ。ここには、優美さもやさしさも、そのかけらもない。(中略)一方、抱かれているキリストにしても、聖性とか悲愴美とかいったものはいささかも感じられない。あまり血を流し過ぎたせいかどうか、その遺骸はコチコチに乾いていて、遺骸よりもミイラに似ている」

果たして、どのような「ピエタ」だったのでしょうか。図を探し出すことができました。

こちら →http://www.wpsfoto.com/items/images/b2398.jpg

これは1350年頃に制作された木彫りの「ピエタ」で、ボンにあるライン州立美術館に所蔵されているそうです。たしかにキリストの手足や胴体は細く、ほとんど厚みがありません。しかも、大量の血が流れたのでしょう、胸部と手には凝固した血痕がぶどうの粒のように表現されています。ですから、この木彫りの「ピエタ」から伝わってくるのは、キリストの無残な死であり、わが子がそのような目に遭わされたことを憤る母の姿です。いわゆる「ピエタ」とは大きく異なっていますが、これもまた聖母子像の一つであることにかわりはありません。

小山田二郎の「ピエタ」はこの系譜につながります。虚飾を剥ぎ取り、現実を直視して観察した結果、彼はこのモチーフをこのように表現したのでしょう。この絵からは小山田二郎が、冷徹にモチーフを観察する力、その眼が捉えた姿をありのままに描く勇気、さらには、評価や期待といったものに迎合しない強さを持ち合わせていたことがわかります。

ちなみに、1950年代に描かれた小山田二郎の「ピエタ」(府中市美術館所蔵)では、キリストは完全にミイラとして表現されています。ですから、この作品以前にすでに彼は死と生とをはっきりと区別して描こうとしていたことがわかります。

■「母」
1956年に制作された作品に「母」があります。これもまた、いっぷう変わった作風で、一般的な「母」のイメージとは大きくかけ離れています。

こちら →母

この絵からは通常、「母」のイメージに付随している暖かさというものが伝わってきません。顔は極端なまでに細長く、青白く生気がありません。眼はどこか虚ろで、悲しみとも絶望ともつかない表情です。直線的な構図で無彩色、全体にスクラッチが施されて描かれています。しかも、背後には無数の髑髏のようなものが配置され、手に数珠のようなものをつけていますから、愛というよりはむしろ死のイメージが濃厚に伝わってきます。

小山田二郎の「母」は子どもとともに描かれているわけではありませんが、数珠をした右手でお腹を押さえています。ですから、「生む存在としての母」が示されているように見えます。このお腹から出てきたわが子が無残にも亡き者にされたとでも言おうとしているのでしょうか。とすれば、この顔の表情も理解できます。

この「母」は小山田二郎の母ではなく、あるいは一般的な母でもなく、キリストの母、聖母マリアを描いていると考えた方がいいのかもしれません。とすれば、背後に累々と重なる髑髏はいったい何を意味しているのでしょうか。お腹を痛めて生んだわが子がやがては死に至ってしまう・・・、命あるものには付き物の「無常」を表現しようとしていたのでしょうか。

1950年代に描かれた小山田二郎の「ピエタ」(府中市美術館所蔵)では、聖母マリアは骸骨になってしまったキリストの顔を抱き寄せています。その顔は壮絶な表情を示しながら、眼はしっかりと見開いています。現実を直視しているのです。ここには、わが子の無残な死さえも、受け入れなければならない母の苦しみが表現されていますが、それと同時に、どんなに辛くても現実を見なければならないという小山田二郎の冷徹な制作姿勢を見ることができます。

このように死と生をはっきりと区別して描くことによって、母と子の別離がさらに深い悲しみとなって見る者に伝わってくるのです。1955年制作の「ピエタ」はこれをさらに洗練させ、抽象化させています。構図といい、色彩といい、きわめて完成度の高い作品になっています。このモチーフについて小山田二郎が長年考え続けた結果が反映されているといえるでしょう。

■「愛」
小山田二郎が描く「愛」(1956年制作)もまたどこか変わっています。

こちら →ai

黒い服を着た人物が全体の3分の2を占めるほど大きく描かれています。その顔は「ピエタ」の聖母マリアに似ています。両手は横一直線に大きく伸ばし、巨大な足は地面を力強く踏みしめています。まるで大きく伸ばした両手と巨大な足とで、地上のヒトを守っているかのようです。ここでも累々とした髑髏が描かれ、遠くに十字架も見えます。折り重なるように描かれた髑髏の大部分は囲いの中に配置されています。ここでも死と生ははっきりと区別されて描かれているようです。

手前にヒトが描かれていますが、真ん中の2人の手足は細く、腹部は膨れ上がっていますから、おそらく栄養失調なのでしょう。右手の3人は何らかの刑に処せられているのでしょうか、顔を布で隠し、四つん這いになって歩いています。式台のようなものを持つ左手の3人は髪を長く垂らし、顔を天に向けて歌っているように見えます。何かを祈っているのかもしれません。

この絵の下絵が府中市美術館に保存されています。それを見ると、聖母マリアの足は同じ位置にあるのですが、それほど大きくはなく、すぐ傍の式台には果物のような捧げものが載っています。聖母マリアの黒いマントの下には髑髏とヒトは区別されることなく描かれ、大きく包み込まれている格好です。

下絵とこの絵の違いは何かといえば、足を巨大にしたこと、式台から捧げものを無くしたこと、ヒトと髑髏をはっきりと区別して配置したこと、十字架を描いたこと、等々です。つまり、小山田二郎は聖母マリアがその愛で包み込む範囲をより明確に示そうとする一方で、死と生ははっきりと区別して描いているのです。

式台から捧げものを撤去したことで、この絵の抽象度が高められました。また、十字架を描き加え、栄養失調状態であることを強調することでメッセージ性を高めています。髑髏を囲いの中に配置し、ヒトを手前に配することによって、より洗練された構図になりました。祈りをささげる女性たちの長い髪を金髪に彩色したのも効いています。

■母のイメージと愛
一連の作品を見てくると、小山田二郎にとって母とは一体なんだったのか、考えさせられてしまいます。「母」を見ても「愛」を見ても、彼にとっての母とは聖母マリアといわざるをえないのですが、そこには通常の、優しく慈悲深い聖母マリアというイメージはありません。「愛」を見ていると、むしろ、ユングのいう「グレートマザー」というイメージが思い浮かびます。母には、子どもを慈しみ育てる優しい母というイメージの一方で、時には子どもをのみ込み、破滅させかねない恐ろしい母というイメージがありますが、後者の方を思い浮かべてしまうのです。

彼はこれらの作品を無彩色に近い色を使い、直線的な構図で表現しています。だからいっそう、そう思ってしまうのかもしれませんが、「母」や「愛」を見ても、愛情や暖かさの片鱗も伝わってこないのです。小山田二郎が描く「母」にしても「愛」にしても、そこから伝わってくるのは、虚飾を排したむき出しの姿です。極限状況では母も慈愛深くはなく、愛もまた成立しないのかもしれません。そう考えると、小山田二郎の冷徹なまでのモチーフの観察力や洞察力、観察したことをそのまま描く誠実さに感服しないわけにはいきません。(2015/2/12 香取淳子)