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新印象派:科学的アプローチを求めて

新印象派:科学的アプローチを求めて

■新印象派:光と色のドラマ
東京都美術館でいま、「新印象派」展(2015/1/24~3/29)が開催されています。印象派から新印象派、フォーヴィスムに至る画家たちの作品109点が展示されています。

新印象派の代表的な画家スーラには関心がありました。いまでは色あせてしまいましたが、複製画も持っています。現物を見たいという思いから、この展覧会を見に行ってきました。

こちら →2014_neoimpressionism

興味深いのは、その展示構成です。「1880年代の印象派」で始まり、第1章で「1886年:新印象派の誕生」が設定されているのは当然の流れといっていいでしょう。ところが、第2章で「科学との出会いー色彩理論と点描技法」というコーナーが設けられ、関連資料が展示されていたのです。絵画の展覧会で絵画以外の展示物を見るのは初めてでした。

■色彩理論を参考に
関連資料として展示されていたのは、『色彩の同時対照の法則』、『近代色彩論:芸術および工業への応用』、『デッサン諸芸術の文法』など当時の理論書、そして、画家シニャックや評論家フェリックス・フェリオンによる新印象派に関する書物、さらには、スーラとシニャックのパレット、ルイ・アイエが作成した「視覚混合のための色彩図解」(厚紙に貼られた紙片)、やはりルイ・アイエが作成した「色彩球の8つの断面図」(厚紙)などでした。

これらの中でとくに興味深かったのは、新印象派の画家たちの色彩に対する科学的な探究心であり、理想に向けた実践でした。その一端を画家たちのパレットに見ることができます。

たとえば、スーラのパレットはこんなふうでした。

こちら →Palette_GeorgesSeurat
カタログより

純色を混ぜ合わせた独自の色がまるでスケールのように順序よく並べられています。シニャックのパレットも同様です。新印象派の画家たちは色彩理論に基づき、試行錯誤しながら絵を描いていったのですが、パレットからその痕跡を見ることができるのです。

これらの関連資料によって、新印象派がなぜ誕生したのか、それはどのようなものであり、何をきっかけに認知されるようになったのか、等々がわかるようになっています。

新印象派の代表的な画家としては、スーラ(Georges Seurat: French, 1859-1891)があげられます。

こちら →http://www.nationalgallery.org.uk/artists/georges-seurat

スーラは32歳で夭逝してしまいましたが、彼とともに新印象派の活動を展開していたのが、シニャック(Paul Victor Jules Signac:French, 1863-1935)でした。

こちら →http://www.paul-signac.org/

カミーユ・ピサロ美術館館長のクリストフ・デュヴィヴィエ氏はカタログに寄せた文の中で、印象派と新印象派の違いを以下のように書いています。

「印象派によって初めて陰影を示すために補色が使用された。彼らはパレットの上で顔料を物質的に混ぜ合わせることをやめて、それよりもカンヴァスの上で組み合わされた純色による筆触が生み出す視覚混合を好むようになる。新印象派は、この発見を理論的な方法を用いて急速に推し進めていく。その方法とは、周囲の光と対象固有の光との間の対立を体系化させながら、彼らの美学の基礎である視覚上の混合を行うというものである。視覚混合を実現するために、彼らは次第に小さなタッチ(筆触)を用いるようになり、その傾向は1986年から加速していった」

印象派が試行していた筆触分割を新印象派の創始者スーラ―は色彩理論を踏まえてさらに推し進め、次第に小さなタッチ、すなわち点描に移行していったというのです。

■スーラの筆触分割技法
展覧会のチラシの表紙に使われていたのが、1885年に制作されたスーラの「セーヌ川、クールブヴォワにて」(81×65.2㎝)です。スーラは新印象派の創始者ですから、この絵が使われるのは当然と言えば当然なのですが、私にはやや違和感がありました。というのも、この作品は点描画というには筆さばきが荒く、むしろ印象派の筆触分割技法による作品に見えたのです。

この絵では、セーヌの川面はキラキラと輝き、パラソルを持って散歩する女性は優雅な動きを見せています。まばゆいばかりの陽光の下、躍動感が満ち溢れているように見えるのです。遠目から見て、光と色が鮮やかに反応し合っているのが感じられます。そのような視覚反応を引き起こすような描き方がされているからでしょう。

並置された色の合わせ方が整然とし、秩序だっているところを見ると、このときのスーラは筆触分割法を踏まえた上で新たな表現を試行しているようにも見えます。タッチも荒いですから、新印象派の技法として有名な点描技法をこの時、彼はまだ確立していなかったのだと思いました。クリストフ・デュヴィヴィエ氏も1986年以降、筆触を小さくするようになったと書いています。

ところが、ロンドン国立美術館のHPで、1884年に制作された「アニエールの水浴」を見るとちょっと違った印象を受けます。

こちら →seurat-bathers-asnieres-NG3908-ft

そこで、点描画の代表作とされる「グランド・ジャット島の日曜日の午後」をWikipediaで見てみました。二つの絵は実によく似ています。

こちら →Georges_Seurat_-_Un_dimanche_après-midi_à_l'Île_de_la_Grande_Jatte

展示されていた他の作品に比べ、この二つの絵は画風もよく似ているように見えたのですが、それはひょっとしたら、テーマやモチーフの捉え方が似ていたからかもしれません。

ロンドン国立美術館の解説によると、「アニエールの水浴」が描かれたとき、スーラはまだ点描画の技法を開発していなかったそうです。ですから、私がこの二つの絵が似ていると思ったのは、どうやら川べりで憩う人々をモチーフにしたところ、その構図、などが似ているからにすぎなかったようです。

ただ、彼は後年、鮮やかさと光の効果を生み出すために、対比色を使って、この絵を描き直しています。たとえば、男の子の帽子にオレンジとブルーの点を加えたといったような具合に修正を施しているのです。スーラにとって修正の余地のある作品だったということでしょう。

この絵はスーラにとって最初のスケールの大きな構図の作品だそうですが、あらかじめ何枚もの習作を描き、それらを再構成して作り上げているという点で、代表作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の制作手法と似ています。

このように見てくると、スーラは川べりで憩う群像をモチーフに、賑わいとさんさんと降り注ぐ陽光を描き込みながらも画面全体に漂う静謐感・・・、といったようなものを表現したかったのではないかという気がしてきます。多くの人々が幸せそうに集う光景を距離を置いて眺めるという構図で切り取られた世界です。

■「グランド・ジャット島の日曜日の午後」
若いころ、私はスーラの複製画「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を買いました。大勢の人物を描きながら、不思議な秩序と距離感があり、賑わいの中に静けさが漂っているのが気に入ったからでした。

残念ながら、この展覧会にこの絵は展示されていませんでしたが、そのための習作が4点、展示されていました。1984年に制作されたのが2点、1984-1985年に制作されたのが1点、1984-1986年に制作されたのが1点です。

いずれも、この展覧会のチラシに使われた「セーヌ川、クールブヴォワにて」(1985年制作)を思わせる画風です。点描技法というより筆触分割技法が目立ちます。タッチが荒いのです。ただ、習作として描かれたモチーフは「グランド・ジャット島の日曜日の午後」に使われていますから、スーラがこれらの習作をつなぎ合わせて一枚の絵に構成し直し、制作していたことがわかります。

■科学的アプローチと大衆の台頭
新印象派の作品を見ていくと、19世紀末から20世紀初頭にかけての激動の時代、画家たちが何を求め、どのように新たな表現技法を切り拓こうとしていたのかがわかるような気がします。

スーラの場合、代表作はこの展覧会に展示されていませんでしたが、習作が4点展示されていたので、制作過程を推察することができました。1984年まら1986年にかけて描いた4点の習作からはスーラが距離感をどう表現するか模索していたように思えます。タッチや色彩の組み合わせには逡巡の痕跡がみられるような気がします。そして、習作で見られた光や色彩のナマの輝きが本作では消滅しています。そのような変化のプロセスを見ていくと、スーラが求めていたのはこの微妙な距離感だったのではないかという気がしてきます。

「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の現物はシカゴ美術館にあるそうです。そのサイズは207.5×308.1㎝という大きな作品です。川べりで憩う大勢の人々を描くにはそのぐらいのサイズが必要だったのでしょう。

こちら →http://www.webexhibits.org/colorart/jatte.html

スーラはこの絵を点描技法で描きました。この絵には、さまざまなポーズのモチーフがいくつも描かれ、それらが寄せ集められ、違和感なく一つの絵に収められています。雑多で複雑な形態、色彩、光と影、それらを一枚のキャンヴァスに描くのは大変な作業です。しかも、見る者に一つの絵として違和感なく受け取ってもらわなければなりません。スーラはなんらかの法則によって絵全体を統制する必要に迫られていたのでしょう。習作では点描の気配はなかったのに、本作では点描技法が駆使されているのを見ると、点描技法によって彼がその難題を解決したように思えます。多様なモチーフと複雑な構図を活かしながら一枚の絵をして成立させるにはタッチを極端に小さくして描くしかなかったのでしょう。見事な秩序の体系の中で、スーラはそれぞれのモチーフを静かに、そして、華やかに表現することに成功しました。

「アニエールの水浴」と構図やモチーフなどは似ていながらも、この「グランド・ジャット島の日曜日の午後」が抜きんでて見えるのは、点描技法を使うことによって、雑多な要素が盛り込まれた全体に統一感と秩序を生み出したからではないでしょうか。キャンバスには大勢の人物が描かれていますが、不思議な調和と静けさがあります。私がこの絵に惹かれるのはその点なのです。

新印象派の画家たちが活躍した19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパでは科学技術領域で新しい発見や発明が相次ぎました。ですから、画家たちが科学的アプローチを試行したのも当然かもしれません。絵の重要な構成要素である色彩と光を科学的に突き詰め、理論的に体系化し、点描技法を開拓したのが若い画家スーラでした。

興味深いことに、そのスーラが点描技法で描いたのが川べりで憩う群像でした。さまざまなポーズ、さまざまなシーンの群像を彼はこの絵で表現しました。これらの群像は20世紀後半に大きな社会的役割を担うことになる大衆の姿に重なります。科学技術がやがて大衆を生み出し、台頭させていくことを彼は予期していたのでしょうか。だとしたら、優れた時代感覚、嗅覚の持ち主だったといわざるをえません。

戸外の輝かしい光と色でモチーフを表現しようとしたのが印象派だとすれば、同じように輝く陽光と色彩の下でモチーフを捉えながらも距離を置いて見つめ、表現しようとしたのが新印象派といえるかもしれません。その距離感こそ科学的アプローチによってもたらされたものであり、この絵を見る者に快い調和と静謐感を与えているのでしょう。(2015/3/12 香取淳子)

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