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VOCA展

VOCA展:若手作家をどう発掘するか

■VOCA展2015
上野の森美術館でいま、「VOCA展2015」(3月14日~30日)が開催されています。VOCAとはVision of Contemporary Artの略で、絵画や写真など平面の作品に限定した現代アートの美術展です。現代美術を展望できる展覧会だというので、今回初めて、行ってきました。

こちら →voca

今年は、VOCA賞として小野耕石氏の“Hundred Layers of Colors”、VOCA奨励賞として岸幸太氏の“BLURRED SELF-PORTRAIT”と水野里奈氏の「みてもみきれない」、佳作賞として、松岡学氏の「光の塔」と松平莉奈氏の「青」、そして、大原美術館賞として、川久保ジョイ氏の「千の太陽の光が一時に天空に輝きを放ったならば」が選ばれました。

受賞作品を含め34点の作品が展示されていましたが、なんとなく物足りない思いがしました。VOCA展を観たのは今回が初めてで、審査基準がよくわからないのですが、全般に粗削りの作品が目立つような印象を受けたからです。着想だけのもの、画力が伴っていないもの、技術はあっても何を表現しようとしているのかわからないもの、言葉の説明がないとわからないもの、等々、見る者を刺激し、作品世界にぐいと引きずり込む力を持った作品が少ないような気がしたのです。

中には透明のポリカーボネート版を置いただけのもの、封筒をいくつも展示したものといった具合に、平面作品といえるのかどうかわからないようなものも展示されていました。

VOCA展ではどのような基準で作品が出品され、選考されているのでしょうか。気になったので、調べてみました。

■選考方式
2015年1月22日に出された「VOCA展2015」のプレスリリースを見ると、「現代アートにおける“若手の登竜門”」と銘打たれて、以下のように記されています。

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「VOCA展」は、現代アートにおける平面の領域で、国際的にも通用するような将来性の ある若い作家の支援を目的に1994年より毎年開催している美術展です。日頃から公平な立場で作家たちと接している全国の美術館学芸員、研究者、ジャーナリストなどから推薦委員を選出し、それぞれ40歳以下の若い作家1名を推薦していただき、推薦された作家全員に展覧会への出品を依頼しています。こうしたシステムのため、東京のみならず全国で活躍する作家たちにスポットがあたることが同美術展の特徴の1つです。
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こちら →http://www.ueno-mori.org/mrmm/mediaorg/downloadpdf_6_0.pdf

この文面を読むと、VOCA展の出品および審査システムが他と大きく異なっていることがわかります。まず、出品できるのが、推薦委員の推薦によって「VOCA展」実行委員会から依頼された40歳以下の作家に限定されていることです。つまり、推薦委員によって推薦された40歳以下の若手画家しか出品できないのです。

その推薦委員は、全国の美術館学芸員、研究者、ジャーナリズムなどから実行委員会によって選考されます。ところが、推薦委員がどのようにして選ばれるのか、ネットで調べた限りではその選考基準は明文化されていないようでした。どのような審査過程を経て推薦委員が選ばれるのか不透明なのです。

いろいろ見ていると、どうやら私と同じような疑問を持つヒトが過去にもいたようです。2012年3月9日、VOCA展の推薦委員の選考規定に関する質問が知恵袋に寄せられていました。

こちら →http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1083140120

この質問に対する回答として、選考基準らしいものが出されていたのです。とはいえ、これは、「1996年のVOCA展推薦委員の不明瞭問題についてのレポート」(これを記載したURLはすでに削除されています)の中のVOCA展側の回答の一部を抜き出したものでしかありません。

明文化されていないのであれば、基準といえるようなものではなく、約束事のようなものだったのだろうと思います。とはいえ、仮にそれが現在も踏襲されているのだとすれば、①中央に限定することなく、地方の新人作家を発掘する意味を込めて、各地域ごとに推薦委員を配置する、②理論だけでなく、画廊廻り等、若い作家との接点を積極的にとっていると思われる学芸関係者、③推薦委員の固定化を避けるため、可能な限り各回ごとに入れ替える、等々に従って推薦委員が選ばれていることになります。

たとえば、2015年の推薦委員は34名でした。ですから、出品された作品数はわずか34点です。丁寧な審査ができるかもしれませんが、受賞作品を選ぶ審査としては母集団が少なすぎます。最終審査(相対評価)は実行委員会が行っているとはいえ、これでは、VOCA展の審査は出品段階での審査(絶対評価)を行う推薦委員に丸投げされているといっても過言ではないかもしれません。

そこで、さきほど紹介したプレスリリースを読み直すと、「VOCA展」の目的は、「現代アートにおける平面の領域で、国際的にも通用するような将来性のある若い作家の支援」だと表明されています。さらに、独特の審査システムのため、「東京のみならず全国で活躍する作家たちにスポットがあたることが同美術展の特徴の一つ」と記述されています。

これをさきほど紹介した推薦委員の選考基準らしきものに照らし合わせてみると、矛盾が生じていることがわかります。①に見られるように、地域平等主義を標榜するなら、なぜ47都道府県から推薦委員を選出しないのか、素朴な疑問が浮かびます。しかも、②、③に見られるように、推薦委員に絵の良し悪しを判断する能力が問われているわけではありません。①、②、③のいずれも、「現代アートにおける平面の領域で、国際的にも通用するような将来性のある若い作家の支援」という目的に適った人選のための基準とは思えないのです。

結果として、平面作品とは思えないような作品、よくある公募展なら展示されることもないような作品が展示されることになったのかもしれません。VOCA展は、「推薦委員によって推薦された作家全員に出品を依頼する」システムが特徴だとされています。ところが、皮肉なことに、そのシステム自体が「平面の領域で国際的に通用するような将来性のある若い作家」の発掘を阻んでいる可能性が考えられるのです。

それでは、さまざまな観点から推薦された作品はどのような基準で審査されたのでしょうか。

■モダニズム絵画論
評論家の福住廉氏は、「VOCA展のもっとも大きな特徴は、作品の良し悪しを評価する基準がモダニズム絵画論で一貫している一方で、選考された作品はじつにヴァラエティに富んでいることにある。選考委員会の顔ぶれは毎年入れ替えられているものの、比較的継続して務めているのは、高階秀爾(大原美術館館長)、酒井忠康(世田谷美術館館長)、建畠晢(京都市立芸術大学学長)、本江邦夫(多摩美術大学教授)の4氏。それぞれの立ち位置は微妙に異なっているにせよ、彼らの批評的立場は絵画の本質を絵画によって追求するモダニズム絵画論に依拠している点では一致している」と書いています。

こちら →http://artscape.jp/artword/index.php/VOCA%E5%B1%95

モダニズム絵画論に依拠した観点は選考委員会諸氏の間で一致しているというのです。これまでの経緯を知らない私はその是非について判断しきれませんが、そういう観点から展示作品を見返すと、たしかに、いったん描いた絵の上から白で塗り込めた作品や、いくつもの作品を重ねて展示した作品など、これまでのスタイルを超えた表現を試行する作品が何点か展示されていました。

研究者の星野太氏は、「広義のモダニズムの本質は、先行するスタイルの拒絶と、いまだ存在したことのない新しいスタイルの追求にこそ見出される」とし、「絶え間ない発展によってつねに「新しい」ものであることを求めるモダニズムは、いわゆる前衛の理念とほぼ重なり合うものである」と定義づけています。

こちら →
http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

この観点はブリタニカの定義とも重なります。ですから、これがモダニズムの一般的な見解と考えていいでしょう。

こちら →http://global.britannica.com/EBchecked/topic/387266/Modernism

星野氏はさらに、「批評家クレメント・グリーンバーグは、絵画におけるモダニズムを「平面性」という絵画に固有の性質の探求として位置づけ、20世紀アメリカの抽象表現主義の作品をその系譜に連なるものであるとした」とし、「モダニズムという理念そのものが、いまやある特定の歴史性を帯びたものに転じているという事実は否定できない」と書いています。

先ほど紹介した評論家の福住氏は、「モダニズム絵画論が現在の絵画にそぐわなくなっているにもかかわらず、それらを評価する基準としていまだに活用されている点については批判も多い」としています。その上で彼は、VOCA展がこれまで多くの若手作家を輩出してきたことを挙げ、「実作の面でも批評的言説の面でも、美術をめぐる功罪が凝縮したポトスとして機能している」としています。

つまり、審査基準としてのモダニズムはもはや現代絵画にマッチしなくなっているのではないかと指摘する一方で、VOCA展がこれまで多数の若手作家を輩出してきた功績を評価しているのです。

たしかに、展示作品の中には可塑性の感じられる若手作家が何人かいました。彼ら彼女たちは「VOCA展2015」を経て今後、さらに大きく羽ばたいていくことでしょう。

■水野里奈氏の作品
展示されていた作品の中で強く印象に残ったのが、水野里奈氏の「みてもみきれない」(ボールペン、油彩、227.3×363.6㎝)です。華やかで装飾性の強い画面の中に物語がいくつも塗り込められているような気がして、つい、食い入るように見入ってしまいました。

こちら →水野里奈

まず、目につくのが、キャンバスの左中ほどに描かれた太い樹木の下から流れる流麗な川の佇まいです。これは樹木の右方向にも伸びており、奔放な動きが感じられます。全体の中で一定のボリュームがありますし、白黒で悠然とした動きが表現されているからでしょう。帯が何枚も重なり合っているように見えますし、絵巻で描かれる雲のようにも見えます。時間を表しているようであり、空間を表しているようでもあります。次に眼を引くのが、左右両側に配置された木の幹です。こちらも白黒で表現されており、華やかな色彩で表現された画面全体を引き締める効果が見られます。それだけではありません。これらの白黒で表現された樹木や川のようなものは画面に動きと奥行きを生み出す一方で、見る者に解釈を促すような秩序を与えているのです。

左上には瓦屋根の屋敷があり、右上には円形屋根の宮殿のような建物があります。この二つの建物の間にさきほどの大きな川の流れが配置されています。ですから、東西文明の境界を表しているように見えるのですが、その背後は緑の草が描かれてつながっていますから、両者は分断されているわけではなく併存する恰好で表現されていることがわかります。

随所に草花が配置されていますが、これがきわめて繊細に美しく描かれているのです。写真ではよくわからないのですが、実物を見ると、花弁の先端はこんもりと盛り上がり、少し離れると光って見えます。

草花や丸屋根の下の小さな装飾が丁寧に描き込まれているので、細部にも目を引き付けられます。ふと、「神は細部に宿る」という言葉を思い出してしまいました。もともとは建築デザインの領域で使われていたらしいのですが、いまでは文学などさまざまな表現領域でも使われるようになっています。この絵を見ていると、ディテールの素晴らしさがこの作品の素晴らしさにつながっていることがわかります。小さなモチーフを繊細に丁寧に仕上げることによって、大胆に描かれた川や樹木が強調され、絵全体に見事な調和が生み出されているのです。

推薦者はこの作品についてカタログの中で、以下のように推薦の弁を寄せています

「水野が意識しているのは中東細密画の装飾表現や伊藤若冲の水墨画の筆致であるという。書籍やネットでの追求では満足せず、イスタンブールで実地検分するほどの熱意で取り組んでいる。精細な装飾文様にしても一度咀嚼して自分仕様で描きいれているようだ」

水野氏はモチーフについて現地調査をするだけではなく、制作手法についても実験を繰り返し、模索し続けているのでしょう。そのような創作のための周到な準備の痕跡が絵画の至る所に滲み出ています。私がこの絵にいくつもの物語が塗り込められているように感じたのは、細部が丁寧に描かれており、随所に解読のための手がかりが隠されているように見えたからです。見る者をぐいと引き込む強さのある秀逸な作品だと思いました。まさにVOCA展が目指す「国際的にも通用するような将来性のある若い作家」の登場といえるでしょう。

こうしてみると、問われるべきは審査方式ではなく、推薦委員の質だということがわかります。だとすると、推薦委員に対しては展覧会修了後に実行委員会が事後評価を行い、それを次年度の推薦委員選出の参考にしていくのも一案かもしれません。素晴らしい若手作家の発掘のために、審査方式等については今後、検討を重ね、問題点があれば軌道修正をしていくことが必要ではないかという気がしました。(2015/3/31 香取淳子)