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ゴダールを偲ぶ ②:『気狂いピエロ』、アウトサイダー、愛、逃避行

ゴダールを偲ぶ ②:『気狂いピエロ』、アウトサイダー、愛、逃避行

 ■ 原作

 『気狂いピエロ』は、ライオネル・ホワイト(Lionel White,1905-19859)の小説『Obsession』(1962年)を原作に、1965年5月24日から7月17日までの8週間で撮影されました。

 当時、私はこの映画に原作があったとは思いもしませんでしたが、今回、新潮文庫から『気狂いピエロ』というタイトルで訳書が出版されていることを知りました。2022年4月に出版されたばかりの本です。

 山田宏一氏は、次のような解説文を寄せています。

 「ニューヨーク郊外に暮らす38歳のシナリオライター、コンラッド。妻との仲は冷え切り、職も失い、鬱々とした生活を送っていた。ある夜、ベビーシッターの若い娘アリーを自宅へ送ったところ酔った勢いで一夜を共にしてしまい、目覚めると、隣室には見知らぬ男の死体が。どうやら男はアリーの元愛人らしい。かくして、暴力と裏切りと欲望にみちた二人の逃亡劇が幕を開けることに――。運命の女に翻弄され転落していく男の妄執を描いた犯罪ノワールの傑作。ゴダール映画永遠の名作の原作とされる幻の小説がついに本邦初紹介となる」

 私はストーリーを全く覚えていませんでしたが、今回、DVDを観ても、劇画的なストーリー展開にそれほど興味をおぼえませんでした。前回もいいましたように、私がこの映画で覚えているのは、冒頭のシーン、パーティのシーン、そして、ラストシーンだけなのです。

 これらのシーンには、意表を突かれるものがあったからこそ、しっかり覚えていたのでしょうし、感動したからこそ、心に深く刻み込まれていたのでしょう。

 今回、DVDを見返して見て、改めて、『気狂いピエロ』に夢中になっていたのは、ストーリーではなく、ゴダールが創り出したデティールそのものだったことがわかりました。

 前回、冒頭のシーンをご紹介しましたので、今回はパーティのシーン前後をご紹介していきましょう。

 このシーンでは、主人公の置かれた状況、そして、物語が展開するきっかけとなる女性との出会いが描かれています。

 原作では、「妻との仲は冷え切り、職も失い、鬱々とした生活を送っていた。ある夜、ベビーシッターの若い娘アリーを自宅へ送ったところ酔った勢いで一夜を共にしてしまい・・・」となっています。

 映画のストーリー設定は、ほぼ原作に倣っているといえるでしょう。

■ パーティ会場

 それでは、パーティに出かける前のシーンから、見ていきましょう。

●女学生との出会い

 この夜、妻の実家でパーティが開催される予定でした。それに出席しなければならないので、妻は夫を急がせていたのです。

 ところが、男は「僕は行かない」、「子供たちといる」といい出します。

 すると、妻は「フランクが連れて来る姪が、子守りをすることになっているの」といい、男の気を引くように、「女学生ですって」と付け加えます。

 男は「姪だって? どうせコールガールさ」と悪態をつきながらも、子守りを引き受けた姪に関心を示します。妻の思惑通り、男はどうやら、パーティに行く気になったようです。

 妻がその様子を見て、「パパが石油会社の社長を紹介するって」というと、夫は「クビにしたテレビ局を訴えるぞ」と虚勢を張ってみせます。

 妻は、「訴えてもいいけど、負けるだけよ」とさり気なく受け流し、「仕事を紹介されたが、おとなしく受けて」と説きます。

 ここまでのシーンで、男がテレビ局をクビになったこと、妻の実家が裕福で、今夜開催されるパーティでは男の就職先が用意されていること、男は、この妻の夫であり、父である立場にうんざりしていること、などが明らかにされていきます。

 やがて、フランク夫妻がやって来て、姪を紹介されると、妻は子供部屋に案内しながら、「用が出来たら、電話して」と告げています。廊下ですれ違った夫に妻は、「フランクの姪よ」と紹介し、そのまま子供部屋に入っていきます。

(※『気狂いピエロ』、2017年、KADOKAWAより)

 姪と男は見つめ合い、やがて、手を握り合います。

 男の名前はフェルディナン、姪の名前はマリアンヌです。二人は、雇い主の夫と子守りとして出会います。出会った瞬間に惹かれ合ったことがわかる場面です。

 フェルディナンは上着を着ながら、フランクに向かって、「愚かな頭に響く交響曲第5番」と言葉をかけます。まるで運命の出会いだと言っているようなものでした。そして、ベートーベンの交響曲第5番「運命」の有名な一節が流れます。

 当時、この選曲が通俗的だと思いましたが、今回、DVDを見ても同じような印象を抱きました。それまでは画面の一つ、一つに気持ちが引き込まれていたのですが、このシーンで、トーンダウンしたのです。

 さて、ここでは、主要な人物が登場し、主人公を取り巻く状況、社会状況、物語が起こるきっかけ、等々が明らかにされ、今後の展開が暗示されます。

 次に、画面は夜景になって、「妻の両親エスプレッソ邸でのパーティへ」の文字が表示され、いよいよストーリーが動き始めます。

 パーティ会場に進む前に、ちょっと触れておきたい場面があります。

 フェルディナンがまだマリアンヌに出会う前のシーンです。

●消費文化

 夫婦の部屋で、出かける準備をしている妻に向かって、バスローブ姿のフェルディナンがいきなり、「下着をつけないのか」と尋ねるシーンがありました。妻は手に下着のようなものを持っています。

 妻はすぐさま、「新製品のガードル“スキャンダル”よ」といい、広告が掲載された雑誌を見せます。

(※ 前掲)

 ヒップラインを補正する機能のあるガードルが、画面に大きく、映し出されます。

(※ 前掲)

 その画面に、「かつてはギリシャ」、「そして、ルネサンス文明、今やケツ文明の時代だ」という男のナレーションが被ります。

 当時、この場面を見て、私はとても面白いと思いましたが、今回も同じでした。これは、横行する消費文化に対するフェルディナンの反発を示しているだけではなく、ゴダールの思いでもあったのでしょう。

 映画が製作された1960年代半ばあたりから、技術進化に伴い、消費文化が加速度的に浸透していきました。

 このシーンは、浸透する消費文化への批判であり、通俗への嫌悪でした。これが、次のパーティ・シーンへの誘導にもなっているのです。

 それでは、パーティ会場に進みましょう。

●パーティ会場

 夜景に被って、「アルファロメオは、1キロ34秒で走れる」とテロップが表示されます。アルファロメオの宣伝文句ですが、観客はそれを眼にした後、パーティ・シーンに移行します。

 会場の画面全体を覆う赤い色調が斬新でした。

 フェルディナンがパーティ会場に入っていくと、壁を背にして立っている男が、椅子に座っている二人の女性に向かって、うんちくを垂れています。

(※ 前掲)

 「ディスク・ブレーキ、安定感のある走行性」、「比類のない乗り心地」、そして、「確実で速く」、「加速もよく安定している」と続けます。男が延々と話し続けているのは、アルファロメオの宣伝文句でした。

 立っている男が話し終えると、今度は、座っている女性が「若さを保つならー」、「石鹸にオーデコロン、香水もね」、「汗臭さを防ぐなら、“ブランティル”を」、「あれなら一日中、爽快」・・・、と、これまた、身に着ける商品の宣伝文句を語っています。

 男性も女性も、まるでそれしか話題がないかのように、パーティ会場で聞かれるのは、商品の宣伝文句のオンパレードでした。

 冒頭シーンで展開されていた饒舌で、シニカルで、ペダンティックな言葉の群れではなく、常套的で、浅く、表層的で、キャッチ―な言葉の羅列だったのです。それは、活字文化から視聴覚文化への移行を示すものであり、現代文化を象徴するものでもありました。

 そして、この冒頭シーンとパーティ・シーンの言葉の対比の中に、主人公フェルディナンの居場所のなさ、疎外感が巧に表現されていました。

 馴染めないまま、会場をさまよう中、フェルディナンは、なんとか、話し合える人物に出会うことができました。

●サミュエル・フラー監督

 うんざりしていたフェルディナンが目を止めたのが、壁にもたれて、所在なさそうにしているサングラスをかけた男性でした。この場面では、それまで画面を覆っていた赤のカバーははずれ、現実色になります。

(※ 前掲)

 フェルディナンがフランス語で話しかけてみても、通じません。近くの女性が通訳をしてくれて、ようやく、この男性がアメリカ人映画監督のサミュエル・フラーだということがわかりました。撮影のためにパリに来ているというのです。

 サミュエル・フラー(Samuel Fuller、1912 – 1997)は、アメリカの映画監督で、アメリカではB級映画監督と見なされていたようです。ところが、フランスなどでは高く評価され、後に米国本土でも再評価されたといわれています(※ Wikipedia)

 裏社会での取材経験や戦争体験、さらには米国南部での人種差別への取材経験を通し、サミュエル・フラーならではの人間観、世界観が培われたのでしょう。彼の映画は独特のエキセントリックな作風だとされています。

 そのサミュエル・フラー監督が、この場面に登場しているのです。

 彼が『悪の華』を撮っているというと、フェルディナンはすぐさま、「ボードレールはいい」と応じます。

 このやり取りの中に、ゴダールもまた、ボードレールを好んでいることがわかります。

 そういえば、『悪の華』も『気狂いピエロ』も、人間のダークサイドや疎外感、孤独などに焦点を当てて作品化されているところに、共通性があるように思えます。

 それでは、サミュエル・フラー監督はどうでしょうか。

 サミュエル・フラーがこの映画に出演した頃、どのような作品を製作していたかを調べると、該当するのは、『裸のキッス』(The Naked Kiss, 1964年10月29日公開、米国)ぐらいでした。

 この作品は、ネオ・ノワール(フィルム・ノワールの復活版)であり、メロドラマだと分類されています(※ https://en.wikipedia.org/wiki/Neo-noir)。

 暴力、アクション、恋愛のジャンルに位置づけられている作品なのです。

 果たして、どのような作品なのでしょうか。探して見ると、Youtubeにありましたので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/qGV90a3YHiI

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 確かに、ノワール系の作品です。

 ゴダールは当時、ライオネル・ホワイトの小説『Obsession』を原作に、『気狂いピエロ』を製作していましたから、フラー監督は誰よりも話したい相手だったにちがいありません。

 それを反映するかのように、画面では、フェルディナンが勢い込んで、「いつも映画とは何かを知りたかった」と尋ねています。

 すると、監督は、「映画とは戦場のようなものだ」といい、さらに、「愛」、「暴力」と続け、「つまりは感動だ」と答えています。

 サミュエル・フラー監督ならではの回答です。暴力、非情なアクションがあってこそ、愛が輝き、感動があるというのです。

 『気狂いピエロ』の原作もノワール・フィクションと分類されていました。ゴダールはパーティのシーンでサミュエル・フラー監督を登場させることによって、その後のストーリー展開の伏線を張っていたのかもしれません。

 主人公のフェルディナンは、冒頭のシーン、パーティのシーンでは、インテリの印象でした。ところが、その後の展開では、まるで『俺たちに明日はない』(Bonnie and Clyde, 1967年制作、米国)のような破天荒なロードムービーの主人公に変貌してしまうのです。

 なんらかの伏線を張っておく必要があったでしょう。

 そういえば、『気狂いピエロ』は編集後、しばらく、検閲機関との間でいざこざが続いたようです。というのも、原作の『Obsession』がNoir fictionと位置付けられており、検閲の対象になっていたからでした。

 題名を『気狂いピエロ』に変え、セリフを二か所削除することによって、なんとか上映が認められましたが、当時はまだ18歳未満の入場は禁止されていました(※ Alain Bergala著、奥村昭夫訳『60年代ゴダール』、pp.490-491. 原著2006年、翻訳版2012年、筑摩書房)。

 それでは、再び、パーティのシーンに戻りましょう。

●募る疎外感

 フェルディナンはフラー監督の返答を聞いて、納得したようにその場を去り、再び、会場内をあちこち歩きまわります。

 妻が男とキスしているのを横目で見ながら、そのまま通り過ぎると、画面は再びブルーで覆われ、人々の会話はコマーシャリズムに彩られたものになります。

 ようやくフランクを見つけると、「疲れた」といって、フェルディナンは座り込んでしまいます。

 そして、口を突いて出た言葉が次のようなものでした。

 「見るための目はある」、「聞くための耳も」、「話すための口も」といい、ところが、「全部がバラバラで統一を欠いている気がする」、「一つであるべきなのに」「いくつかに分かれている」といいだします。

 これらのシーンは青で覆われています。

(※ 前掲)

 フェルディナンは周囲に溶け込めず、アウェー感は限度に達しています。このパーティ会場では、統合した自分を維持することができなくなってしまっているのです。どうしていいかわからず、フェルディナンはひたすら、しゃべり続けています。

 聞いていた女性がとうとう、「しゃべりすぎよ、あんたの話は疲れる」といい出すと、フランクもそれに同意して「しゃべりすぎだ」といい、フェルディナンを見ます。

 身近な人からも突き放されてしまいます。

 フェルディナンは「孤独な男はそうなる」と反応し、「家で待っている」と疲れ切ったように、伝えます。

 身の置き所のなくなったフェルディナンにとって、この場から抜け出すしか自分を維持する方法はありませんでした。「孤独」という言葉で逃げ道を作りながら、「家で待っている」とフランクを安心させます。かろうじで社交性を忘れずに、パーティ会場を去ろうとするのです。

 なんの疑いもなく、フランクは素直に車の鍵を渡します。

 この場面は後のシーンの伏線になっています。

■ 現実からの逃避行

●マリアンヌとの再会

 家に帰ると、子供たちを寝かしつけたマリアンヌが、廊下の椅子に座って、うたた寝をしていました。

 ここにも孤独な人がいたのです。

 パーティから抜け出してきたことを訝しがられると、フェルディナンは、「そんな日もある、バカばかり会うと」と答えます。ようやく自分を理解してもらえる人に会った安堵感が、顔からこぼれています。

(※ 前掲)

 夜も遅いので、フェルディナンはマリアンヌを車で送っていくことにします。

 運転席と助手席で交わす二人の姿が映し出され、意外なことが次々と明らかになっていきます。

  「再会なんて、不思議」とマリアンヌがいうと、「ああ、4年ぶりだな」とフェルディナンが応じますが、すぐさま、「違うわ、5年半よ。あれは10月だったから」とすぐに否定されてしまいます。

 このシーンで、フェルディナンは妻と結婚する前に、マリアンヌと付き合っていたことがわかります。

 「結婚したの?」と聞かれ、「金持ちのイタリア女だ。面白い女じゃない」とフェルディナンが答えると、「離婚すれば?」とマリアンヌがけしかけます。

 ごく簡単に妻を説明し、妻との関係も明らかにします。それに乗じて、マリアンヌが思い切った提案をします。

 「そう望んだが、ひどく不精で」といい、「”望む”の中に”人生“がある」とフェルディナンははぐらかすように、自分の生活信条に切り替えて、答えます。

 このシーンで、マリアンヌと知り合った頃、フェルディナンはスペイン語の先生、その後はテレビ局で勤務し、今は無職の状態だということがわかってきます。これは先ほどの妻との会話内容とも呼応しており、フェルディナンが望むようにしか生きていけない人物だということが示されています。

 一方、マリアンヌは自分のことは多く語りません。「フランクとは長いのか?」と聞かれると、「なんとなく・・・、偶然から」と曖昧に答えるだけです。

 フェルディナンが「相変わらず謎めく女」というと、「自分のことを話したくないだけ」といって、気を逸らせるように、ラジオを付けます。

●数値化の進行

 ラジオから「米軍の戦死者は数多いが、ベトコン側にも115名の死者が出た」というニュースが流れてきます。それに対し、マリアンヌは鋭く反応します。

 南北対立が続いていたベトナムで、1964年8月2日、アメリカがトンキン湾事件を起こし、参戦しました。その結果、全面戦争に突入してしまったのです。以後、1975年にアメリカ軍が撤退するまで、北ベトナムと南ベトナムの間で米ソ代理戦争が続きました。

 映画が制作された1965年はその初期段階でしたが、戦況は日々、世界中に報告されていました。戦争被害を聞いても人々は何もすることはできず、ただ、死傷した人々を悼み、悲しむだけでした。

 そのニュースにマリアンヌは鋭く反応したのです。

 マリアンヌは、「無名だなんて、恐ろしい」、「115名のゲリラだけじゃ、何も分からない」、「一人ひとりが人間なのに、誰だかわからない」と怒ります。

 「妻や子供がいたのか」、「芝居より映画が好きなのか」、「何も分からない、戦死者115名というだけ」とつぶやき、無名の人間は数として報道されるだけで、一人の人格を持つ人間として伝えられないことに不満を漏らしています。

 おそらく、ゴダールの思いでもあるのでしょう。

 一人の人間として生きてきた歴史があるのに、ニュースでは死者も、ただ数としてカウントされるだけです。尊厳もなく、ただ無機的に扱われることへの怒りが、マリアンヌの口を通して伝えられます。

 ニュース報道への怒りは、すべてが数値化されてマッピングされる現代社会への反発でもあったといえるでしょう。

●人の尊厳はどこに?

 人はそれぞれ、さまざまな思いを抱き、さまざまに考えを巡らせながら、日々、生きています。そのことを無視し、戦禍の犠牲者すら、単なる数としてカウントされ、報じられることに、マリアンヌは憤っているのです。

 フェルディナンに何を聞かれても曖昧に答え、自分を顕わにしようとしなかったマリアンヌが初めて、素をさらけ出した瞬間でした。

 勢いづいたマリアンヌは、更に続けます。

 そのような報道姿勢は、写真についてもいえることだとし、男が写っている下に添えられたキャプションに言及します。

 「“卑怯者”とか、“粋な男”・・・」、「でも、それが撮られた瞬間」、「彼が何者で、何を考えていたか」、「妻のことか、愛人のことか」、「過去、未来、バスケの試合?」、「誰もわからない」と、日頃、気になっていることを漏らします。

 人を具体的に捉え、伝達できるはずの写真ですら、キャプションとしてステレオタイプなレッテルを貼られ、類別して処理されてしまうことへの不快感が示されています。

 一瞬を切り取って見せる写真も、ニュース報道と同様、対象の内面や来歴に触れることなく、伝えられます。テレビであれラジオであれ、新聞であれ雑誌であれ、マスコミでは全般に、物事が表層的に捉えられ、伝達されます。そのことがやがて、人間性の喪失につながることを懸念しているのでしょう。

 どのような人にも、これまで生きてきた過去があり、いま生きている現在があり、これから生きる未来があります。そのようなことに考えが及んでいないことへの不満は、まさに、数値化され、効率を優先させる現代社会への不満でもあります。

 自分について多くを語らなかったマリアンヌの性格、生活信条などが、このシーンで透けて見えます。

 おそらく、マリアンヌにも、当時のゴダールが投影されているのでしょう。

 「人生も物語のように」、「明晰で論理的で整然としていればいいのに」とマリアンヌはつぶやきます。

(※ 前掲)

 まるでゴダールが乗り移ったかのようです。

■ 映画は、アウトサイダーの居場所か?

 ゴダールは、『ゴダール全評論・全発言Ⅱ』(Jean-Luc Godard、奥村昭夫訳、筑摩書房、1998年)の中で、次のように語っています。

 「映画は人生なんだ。そしてぼくがしたいのは、映画を生きるのとおなじように人生を生きるということなんだ。映画づくりの中でぼくが最も楽しい思いをするのはどういうときかと言えば(中略)、なにかをつくり出していると感じられるときや資金を調達する時だ。映画をつくるという行為が、人生のなかでより臆病ではないやり方でふるまうことを可能にしてくれるときだ」(※ 前掲。p.225.)

 ここでは、ゴダールが映画製作に、自身を確認し、拡張する機能を託していることが示されています。

 「でも、違うのよ」とマリアンヌは言葉を継ぎます。

 実際はそうではなかったということを、ゴダールはいいたかったのでしょうか。

 フェルディナンが、「いや、思う以上にずっと似てる」と返答すると、マリアンヌはどういうわけか、「違うわ、ピエロ」といいます。

(※ 前掲)

 ここで初めて、タイトルの中の「ピエロ」という言葉が出てきます。

 当時、映画のタイトルが、なぜ「気狂いピエロ」なのかわかりませんでした。今回、DVDを見た時も、このシーンでなぜ、マリアンヌが突然、「ピエロ」といったのか、わかりませんでした。

 ところが、しばらく考えてみて、マリアンヌがこの場面で、フェルディナンを「ピエロ」と呼んだことで、「気狂いピエロ」(Pierrot Le Fou)の意味がわかってきたような気がしてきました。

 「気狂いピエロ」とは、おそらく、マリアンヌに無我夢中のお馬鹿なフェルディナンというほどの意味なのでしょう。

 この時、画面の中では、フェルディナンが、「僕は、フェルディナンだ」と言い返しています。ところが、マリアンヌの気持ちの中で、フェルディナンは、自分にぞっこんの「気狂いピエロ」でしかありませんでした。

 というのも、しばらく互いの気持ちを確認しあうような会話が続いた後、やがてフェルディナンはマリアンヌに向かって、「君は美しい、僕のお人形」というようになるからです。愛情の力学の下、二人の関係は、ここで明らかに、支配vs被支配の関係に陥ったのです。

 物語はその後、マリアンヌ主導で展開していくことになります。

 アウトサイダーとしての居場所を見つけるために、二人は現実から逃避し、あてどのない旅に出るのです。

 ゴダールは、『ゴダール映画史(全)』(Jean-Luc Godard、奥村昭夫訳、筑摩書房、2012年)の中で、次のように述べています。

 「私はいつも二つの国(フランスとスイス)の間で生きてきました。(中略)その結果、(中略)辺境というものに関心を持ち、むしろ辺境に自分の位置をとるようになりました。『気狂いピエロ』は私にとって、ひとつの時代の終わりではなく、ひとつの時代の真の始まりだったのです」(前掲。p.299.)

 先ほどご紹介しましたように、ゴダールは「映画は人生だ」といい、最も楽しいのは、「映画をつくるという行為が、人生の中でより臆病ではないやり方でふるまうことを可能にしてくれるときだ」と述べています。

 これらを総合すると、ゴダールは、自分を拡張した人物を登場人物に設定し、彼等の中に自分を投影しながら映画を製作し、自身の人生を試行していたのではないかという気がしてきます。

 そもそも、ゴダールはフランスとスイスを行き来しながら生活し、いつしか、アウトサイダーとしてアイデンティティを確立するようになっていました。そのようなアイデンティティ確立のきっかけになったのが、映画『気狂いピエロ』だったことは注目に値するでしょう。

 今回、ご紹介したいくつかのシーンには、そのようなゴダールの心情が随所で、吐露されていたように思います。(2023/1/30 香取淳子)

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