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31日

第20回日本・フランス現代美術展2019:河瀬陽子氏の油彩画にみる日本の伝統と感性

■第20回日本・フランス現代美術展の開催

 2019年8月8日、六本木に用事があって出かけたついでに、国立新美術館に立ち寄ってみました。1Fで当日の展覧会プログラムを見ると、ちょうど第20回日本・フランス現代美術展が開催されていることがわかりました。

 この展覧会は、3年ほど前に一度、鑑賞したことがあります。なかなか見応えのある展覧会だったことを思い出し、さっそく、3Fの会場を訪れてみました。予想外に観客が多く、ちょっと驚きましたが、開催2日目だったからでしょうか。開催期間は2019年8月7日から8月18日でした。

 さて、会場に入ってすぐのコーナーには書と工芸品が展示されていました。ざっと見渡したところ、どの作品もレベルが高く、コーナー全体が力強く、引き締まって見えました。

 次のコーナーには油彩画が展示されていました。このコーナーに足を踏み入れた途端、引き付けられたしまった作品があります。藍色を基調とした女性肖像画4点です。女性と花をモチーフにした一見、ありふれた題材の作品ですが、観客を立ち止まらせる力がありました。油彩画なのに、どの作品からもしっとりとした情感が滲み出ていたのです。

 一目で引き付けられた女性肖像画4点は、河瀬陽子氏の作品でした。

■河瀬陽子氏の作品

 それではまず、展示されていた順に、作品をご紹介していくことにしましょう。

●グラジオラス

 左端に展示されていたのが、「グラジオラス」という作品です。


(キャンバスに油彩、アクリル、72.8×60.6㎝)

 色取り豊かな大判のスカーフが印象的です。女性の肩をゆったりと包み込んだスカーフには柔らかく肌になじむ心地いい風合いが感じられます。このスカーフに穏やかな優しさが表現されているとすれば、女性の背後に描かれたグラジオラスには、花でありながら、鋭角的な堅固さが感じられます。まっすぐ聳えるように咲いていたからでしょう。

 さまざまな色が組み込まれたスカーフに優しい柔らかさを感じたのに、グラジオラスの花には揺るぎない強さを感じてしまいました。それは、おそらく、大きな白い花弁が垂直方向に油絵具を厚く塗られ、粗削りに大胆に描かれていたからでしょう。

 ネットで調べてみると、グラジオラスの名の由来はラテン語の「剣」(グラディウス、Gradius)で、葉の形が剣を連想させるから名付けられたのだそうです。原産地はアフリカですが、ヨーロッパで品種改良が進み、日本には明治になって輸入されたといわれています。

 グラジオラスの花には様々な色がありますが、この作品では白い花が選ばれています。しかも、油絵具で花弁が大きく、厚く塗られていますから、白さがことさらに強調されています。全体に暗い色調の中で、観客の視線はごく自然に、グラジオラスの花に誘導されてしまうのです。

 メインモチーフの女性は、横顔が逆光の中で描き出されています。ですから、沈み込んでいるようであり、物思いに耽っているようにも見えます。ひっそりとした風情で佇んでいる女性に、そこはかとない哀愁を感じさせられました。

●賛歌

 その隣に展示されていたのが、「賛歌」です。


(キャンバスに油彩、アクリル、60.6×72.8㎝)

 若い女性が、やや俯き加減になって、両手を重ね合わせて膝に置き、咲き乱れる花々の中で腰を下ろしています。その姿はポーズを取っているようであり、何か考えごとをしているようでもあります。表情ははっきりとしないのですが、そこはかとない憂いが漂っているように見えます。

 逆光の中で捉えられているせいでしょうか、それとも、濃い藍色で表現されているせいでしょうか。画面全体に物静かな哀愁が漂っており、気持ちが引き付けられます。心の奥底で何か響き合うものがあるように感じられます。

 不思議なことに、見ていると、ひっそりともの静かに座っている女性の存在そのものに、鮮やかな華やかさが感じられてきます。一体、何故なのでしょうか。

 それは、おそらく、女性の周囲に散りばめられた色使いが卓越しているからでしょう。

 色とりどりの小さな花が、画面の右半分を占めるほど、咲き乱れています。その花々の色が、女性の髪の毛や顔に乱反射し、華やかさを添えています。赤や青が大胆に、そして、粗削りなまま前髪や頭頂部に置かれており、女性の若さが表現されています。

 一方、頬や肘に軽く置かれた淡い朱色には、血行の良さが感じられます。画面全体を覆う、濃い藍色が醸し出す深淵さの中に、自由闊達に明るい色彩が飛び散っている様子からは、華やかさが演出されているように思えましたし、粗削りな若さが表現されているようにも思えました。

●スターチス

 その隣が「スターチス」という作品です。


(キャンバスに油彩、アクリル、72.8×60.6㎝)

 斜め横顔の女性の立ち姿が描かれています。この作品もまた、女性が逆光の中で捉えられているせいか、表情は判然とせず、シルエットだけが浮き彫りにされています。

 画面の下半分に群生している紫色の小花が、表題のスターチスなのでしょうか。緑色の茎と紫色の小花の群れが点在する中で、女性がすっくと佇む女性の姿は、孤高であり、そこには気高さすら感じられます。

 画面は藍色の濃淡とスターチスの茎の緑といった具合に、色数が限りなく抑えられて表現されています。そのせいか、全体に影絵のような印象があります。白く描かれた背景には所々、濃い藍色で描かれた痕跡が見えます。それが遠景に淡く浮彫にされた山並みのようにも見えたりします。

 地平がなく、画面の下まで白い絵具がランダムに塗られているので、まるでスターチスが雲の合間に群生しているように見えます。空間の多い背景は水墨画の構図のようにも見えます。

 スターチスは乾燥しても色褪せることがないといわれています。そのスターチスに取り囲まれるように、女性はまっすぐに視線をかなたに向けて佇んでいます。斜め横から捉えられた女性の立ち姿からは毅然とした優雅さが感じられます。

●セイタカアワダチ草

 その隣に展示されていたのが、「セイタカアワダチ草」です。


(キャンバスに油彩、アクリル、60.6×72.8㎝)

 ソファーの背に左肘をつき、その近くに右手を配し、やや身をよじった姿勢で、女性が座っています。ちょっと気取ってポーズをとっているような姿勢が印象的です。視線を伏せ、横顔を見せていますが、女性の表情ははっきりしません。

 女性は逆光で捉えられ、影の中でひそやかにその姿が浮き彫りにされています。背後から光が射しているのでしょう、女性の後ろ髪や背や肩、上腕の後ろ側が明るく描かれているのが印象的です。

 画面に明るさを添えるように、黄色の小花が背後に散らばって描かれています。雑草のように見えますが、これが表題のセイタカアワダチソウなのでしょう。小さいせいか、群生していても、存在感は希薄です。この作品では花よりも、縞の入った幅広のソファーカバーの方が目立っています。

 このソファーカバーは、青系統の色をベースに白い線で縞模様が織り込まれ、その上に赤系統の色がランダムに添えられています。柔らかく、手触りのいい布の触感が伝わってくるようです。しかも、その赤系統の色はソファーカバーばかりか、女性の手や頬、髪の毛にまで飛んで描かれており、画面全体にちょっとした華やぎが生み出されています。

 以上、河瀬陽子氏の4作品を見てきました。これらの作品には、連作といっていいような共通項がありました。いずれも花と女性をモチーフに描かれていること、逆光の中で女性が捉えられていること、背後に陽の落ちた曇天が選ばれていること、ベースカラーに濃い藍色が使われていること、等々でした。

 そして、どの作品からも、そこはかとない哀愁が感じられました。

■河瀬氏が語る混色の魅力

「グラジオラス」、「賛歌」、「スターチス」、「セイタカアワダチ草」、いずれの作品も、逆光の中で描かれた女性をメインモチーフに、花と色彩豊かな布製品(スカーフ、レースの襟元、柔らかいシフォンの襟飾り、ソファーカバー)をサブモチーフに、画面が構成されていました。

 女性は濃い藍色をベースに描かれ、背景にはどんよりと沈み込むような空が設定されており、なんともいえず深い情感に満ちた世界が表現されていました。花や布に配された赤や黄色、黄緑色などの明るい色に、華やぎを感じさせられます。油彩画でありながら、日本的情緒が巧みに掬い上げられています。

 食い入るように見つめていると、背後から突然、「その絵、お好きですか?」と声をかけられました。振り向くと、白髪の女性が笑みを浮かべ、そっと立っていました。即座に、「とても、好きです」と答えると、「私が描きました」とおっしゃいます。

 まさか、作家がこの場に居合わせるとは・・・。

 驚いてしまいました。意表を突かれ、すぐには、言葉を継ぐこともできませんでした。ようやく事態を認識してからは、まず、一連の作品のモデルについて聞いてみようと思いました。想像上の女性なのか、実在の女性なのか気になっていたからでした。

 尋ねてみると、河瀬氏は微笑みながら、「どの絵も同じモデルですよ」といいます。さらに、「プロのモデルではないけど、美人なので、同じモデルをもう何十年も描き続けています」と説明してくれました。

 年を重ねても、創作意欲を刺激するような風情のある女性なのでしょう。モデル本人にもっとも似ているのが、「スターチス」に描かれた女性だそうです。

 ただ、せっかくモデルを使っても、描いているうちにどんどん自分の好きな姿形に変わっていくと河瀬氏はいいます。モデルによってイメージが喚起され、描いているうちに、河瀬氏の理想像に結晶化させていくからでしょう。どの作品も具象画でありながら、モチーフが抽象化され、実在を超えた普遍性があると感じさせられたのはそのせいかもしれません。

 もう一つ、作品に制作年が書かれていなかったのが気になっていました。そこで、河瀬氏に聞いてみると、何年にもわたって描いているので、制作年として特定できないということでした。ただ、作品が描かれた順番としては、「スターチス」の後、「セイタカアワダチ草」、そして、「グラジオラス」、「賛歌」だそうです。

 穏やかな笑みを絶やさないまま、河瀬氏はふと、「私は混色が好きなんですよ」とつぶやくように教えてくれました。とっさに意味を理解できずにいた私に気づくと、すぐさま、「いろんな色を混ぜ合わせ、偶然、思いもかけない色が出てきたときが、とても好きなんです」と説明してくれました。

 そして、河瀬氏は一息ついて言葉を継ぎ、「これから、講評が始まりますよ」と教えてくれました。

■フランス人が評した河瀬作品の「美しさ」

 作品の前でしばらく待っていると、講評が始まりました。評者は欧美JIAS代表の馬郡文平氏と、フランス人彫刻家でサロン・ドトーヌ会長のシルヴィ・ケクラン氏でした。


(左から順に、河瀬陽子氏、馬郡文平氏、通訳、シルヴィ・ケクラン氏)

 聞いていて、もっとも印象に残ったのが、シルヴィ・ケクラン氏のコメントでした。

 河瀬氏の4作品について、彼女は、どの作品も目にした途端に、色が目に飛び込んでくるといいます。作品それぞれにテーマカラーが設定されており、それが女性や周辺のモチーフに組み入れられ、見事に全体と調和しているというのです。

 そういわれてみれば、確かに、「グラジオラス」は白、「賛歌」はオレンジがかった赤、「スターチス」は紫、そして、「セイタカアワダチ草」は黄土色といった具合に、それぞれの作品にふさわしい色が選択され、シンボルカラーとして使われていました。

 ケクラン氏はさらに、どの作品も女性が逆光の中で描かれていることに着目します。逆光なので暗く描かれているのは当然なのですが、濃淡のコントラストがつけられているので、そこに重苦しさはなく、むしろ繊細で、柔らかな透明感が演出されているように見えるというのです。

 4作品それぞれに、女性と花を通して伝わってくる奥深さが感じられるとケクラン氏は言葉を重ね、総じて、「綺麗」というより、「美しい」作品だと結論づけられました。画面に内包された精神性を深く読み取られたのです。最高の称賛といえるでしょう。

 河瀬氏を見ると、時折、頷きながら、とても満足そうな表情でした。

 講評が終わったので、河瀬氏に経歴について聞こうとすると、ネットに出ているのでそれを見てといわれました。ひょっとしたら、河瀬氏は知る人ぞ知る人なのかもしれないと思い、帰宅してから調べてみると、なんと、会場で見た「グラジオラス」は、第19回日本・フランス現代美術展2018で大賞を受賞した作品でした。

こちら →https://www.obijias.co.jp/report/?id=1552616809-683939

 上の記事を読むと、「スターチス」は第47回ベルギー・オランダ美術展に出品されており、「セイタカアワダチ草」は準大賞を受賞しています。私が知らなかっただけで、実は、河瀬氏は各方面ですでに評価されている画家だったようです。

■油彩画に取り入れられた藍色

 それにしても、シルヴィ・ケクラン氏はなぜ、河瀬氏の作品を繰り返し、「美しい」と評したのでしょうか。私が聞いた限り、彼女は講評の中で、4回も「美しい」という言葉を使っていました。よほど強く印象づけられたのでしょう。

 私も、河瀬氏の一連の作品に強く引き付けられました。それはケクラン氏のいうように、「美しい」からではなく、画面全体から漂ってくる哀愁のようなものによって、しみじみとした情感をかき立てられたからでした。

 描かれているのは若い女性と花です。いってみれば、哀愁や哀感とは無縁のモチーフなのですが、どういうわけか、私はどの作品からも哀切の情感を喚起させられ、その虜になってしまっていたのです。

 河瀬氏の作品に強く引き付けられたという点では、私もケクラン氏と同様でした。ただ、私の場合、画面から放たれる、切なく、もの悲しく感じられるものに引き付けられ、作品の前から離れられなくなっていました。私の心の奥底に潜んでいた何かと響き合い、しみじみとした情感が掻き立てられていたのでしょう。

 改めて河瀬氏の4作品を見直してみると、どの作品も濃い藍色をベースに仕上げられており、どんよりとした曇り空が背景に使われています。明度も彩度も抑制された色調の中で、作品ごとに設定されたテーマカラーが程よく画面上に置かれ、画面全体に絶妙な調和が保たれていました。

 一方、日本人である私は、濃い藍色と曇り空を基調にして描かれた画面から、哀愁を感じさせられました。とくに、濃い藍色で捉えられた女性像に、深い哀切の情が喚起され、心に沁みました。

 そもそも、日本では古くから藍染が行われてきました。江戸時代、幕府の奢侈禁止令によって、紫色や紅梅色が禁止されて以来、とくに、藍染めが盛んになったようです。濃い藍色には奢侈が抑制されていた時代を彷彿させる要素があったといえるでしょう。

 河瀬作品にベースカラーとして使われていた濃い藍色が日本人である私に哀愁を感じさせたのは、そのような文化的背景が画面を通して伝わってきたからではないかという気がします。

■ラフなタッチに潜む、自然体

 こうしてみてくると、ケクラン氏が繊細で透明感があると評した要因と、私が哀愁を感じた要因とは同じものではなかったかという気がしてきます。つまり、濃い藍色をベースに曇り空を配した画面構成こそが、一連の作品を強く印象づける要因ではなかったかと思えてくるのです。

 もう一つ、気になるところがありました。

 それは、どの作品もラフなタッチで描かれていたことです。色の重ね方、絵具の厚み、形の取り方など、描き方が粗削りでした。具象画でありながら、細部まで丁寧に描かれておらず、雑とも思えるタッチでモチーフの要点が抑えられていたのです。

 それが、画面のあちこちに「抜け感」を生み出す働きをしていました。そのせいか、油彩画でありながら、くどさがなく、すっきりとした透明感が感じられました。フランス人であるケクラン氏は、おそらく、この点に着目し、河瀬氏の作品には繊細で透明感があると評されたのでしょう。

 さっと流すような筆のタッチ、境界線が曖昧なようでいて、実は、確かな筆運び、ランダムなようでいて、実は、要点を抑えた色の差し方、等々が、いわゆる油彩画らしくなく、画面の中に空気の流れや風のそよぐ音を感じさせます。

 私が河瀬氏の作品に懐かしさを感じたのはおそらく、油彩画なのに、どこかしら日本的な感性を思わせるものがあったからでしょう。どの作品も自然体でモチーフが捉えられており、奇抜だと思えるほど大胆に差し色を使いながら、不思議なほど、画面に調和と安定感がありました。

 会場で撮影した写真を何度も見ているうちに、いつの間にか、私もケクラン氏と同様、一連の作品を「美しい」と思うようになっていました。ベースカラーの濃い藍色に哀愁を感じる一方、ラフな筆さばきと一部、繊細な筆のタッチに日本的な感性を感じるようになったからでした。そして、ベースカラーの藍色と硬軟取り混ぜた筆さばきといった、二つの要素は見事に絡み合い、日本の美を感じさせる画面に仕上げていました。

 第20回日本・フランス現代美術展で、河瀬陽子氏の作品4点に出会いました。どの作品も、ベースカラーに濃い藍色が使われており、日本の伝統を連想させられました。一方、油彩画でありながら、硬軟取り混ぜた筆さばきには日本の感性が感じられました。斑なく緻密に塗り固めるのではなく、「抜け感」が感じられるタッチで描かれていた画面に、豊かな情感を感じさせられたのです。

 河瀬陽子氏は、油彩画の中に日本の伝統と感性を結実させ、ハイブリッドな美を創り出していたのです。素晴らしいと思いました。(2019/8/30)

◆ 河瀬氏の作品を鑑賞したのは8月8日でしたが、その後、忙しくて手をつけられず、ようやく8月31日にアップすることができました。