ヒト、メディア、社会を考える

2019年

「クリスティーナの世界」から、アンドリュー・ワイエスのエッセンスを探る。

■アンドリュー・ワイエス展の開催

 アンドリュー・ワイエス展が、東京新宿区の美術愛住館で2019年3月16日から5月19日まで、開催されています。私はこれまでワイエスの作品を見たことがなかったので、4月5日、美術愛住館に行ってきました。地下鉄四谷三丁目駅から徒歩3分ほどの住宅街にある、こじんまりした美術館でした。

美術愛住館

 この美術館は、作家の堺屋太一氏と画家池口史子氏が20年ほど居住していたビルを改装し、2018年3月に創設されました。開館一周年記念として、「アンドリュー・ワイエス展」が開催されています。

 展示されていたのはいずれも、丸沼芸術の森(http://marunuma-artpark.co.jp/)が所蔵する「オルソン・ハウス・シリーズ」コレクション238点の中から選ばれた作品でした。1939年から1969年までの作品が、1F展示室に23点、2F展示室に16点と計39点、それに加え、オルソン・ハウスの模型が1点、展示されていました。

 1F展示室では、オルソン家に関する作品が展示されており、2Fでは、その住民であるクリスティーナを描いた作品「クリスティーナの世界」の習作を中心に、関連作品が展示されていました。オルソン家をテーマに展示作品が絞り込まれており、しかも、習作が多かったので、アンドリュー・ワイエスの創作過程を考えるには恰好の展示構成になっていました。

 それでは、印象に残った作品をご紹介していくことにしましょう。

■透明感のある色調、柔らかな陽光、日常性の中の煌き

 会場に入った途端、目に飛び込んできたのが、「オルソン家の秋」(水彩、紙、55.0×75.4㎝、1941年)でした。


『丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス水彩素描展』より。

 透明感のある色調がとても印象的です。水彩画とはいいながら、滲みを活かした作風はまるで墨彩画のようにも見えます。とくに白の扱い方がきわだっていて、画面に洗練された味わいが醸し出されており、惹きつけられました。

 次に印象に残ったのが、「穀物袋」(水彩、紙57.4×36.4㎝、1961年)です。


『丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス水彩素描展』より。

 柔らかな陽光が納屋に射し込み、穀物が詰まった袋を照らし出しています。直接、光が当たっている部分、影になった部分、照り返しで明るくなっている部分、それぞれが微妙に描き分けられていて、袋の中に入っている穀物のずっしりとした重さが感じられます。

 戸口に立っている男の影が床や穀物袋に及び,半身を見せただけの姿に密やかな存在感を与えています。よく見ると、影になったところにブリキのバケツが置かれているのがわかります。縁どられたわずかな白と黒い手提げだけで、隠れていたバケツを見える存在にしているのです。

 陽光が優しく、柔らかく、そして、温かく射し込み、ありふれた日常生活の一コマを浮き彫りにしています。ヒトが暮らす生活の中で、ともすれば見落とされがちな美しさがさり気なく捉えられていて、引き込まれました。

 1F展示室ではこのように、オルソン家に関する作品が主に展示されていました。一連の作品の中で、オルソン家の情景を捉え、見事に作品化されたものがあります。それが、「オルソン家の朝食」(水彩、紙、61.0×41.8㎝、1967年)です。

美術館入口のポスターを撮影。

 煙突から煙がたなびき、窓辺には人影が見えます。朝食の準備が始まっているのでしょう。ふと左上を見ると、上階の窓の破れた部分が衣類のようなもので覆われ、雨や寒さが室内に入り込まないよう塞がれています。オルソン家の人々が、貧しくても工夫を重ねて生きている様子がうかがいしれます。

 手前の草むらには小さな白い花がいくつも咲いています。無彩色の家を背景に、くすんだ濃い緑の草むらの中で、丁寧に捉えられた小さな花の白が効いています。早朝の陽射しが射し込む中、オルソン家にささやかな幸せのひとときが訪れていました。

 この作品は、美術館入口に掲げられていたポスターに採用されていました。オルソン家の朝食時の情景が、周囲の風景と絡めて見事に表現されている作品でした。

 1F展示室で見た作品の中から、三作品をご紹介しました。透明感のある色調といい、微妙な陽光の捉え方といい、そして、情景のエッセンスを切り取って表現する描き方といい、ワイエスの繊細な感受性と画力を感じさせられました。いずれもアンドリュー・ワイエスの特質が見事に表出している作品でした。

 何気ない日常生活の中に、ワイエスは煌きを見出しました。それを、印象的な構図と繊細な色遣いの下、白をシャープにあしらって作品化していくところに、ワイエスの特徴があるといえるでしょう。

 それでは、2Fに上がってみましょう。

■クリスティーナの世界

 2Fにはオルソン家の模型が置かれ、オルソン家のクリスティーナ関連の作品が展示されていました。展示されていた絵画16点のうち、なんと6点が「クリスティーナの世界」習作、1点が「アンナ・クリスティーナ」習作、「クリスティーナの墓」でした。それ以外は、オルソンの家が3点、自画像、その他です。ほとんどがクリスティーナ関連の作品だったのです。

 ところが、どういうわけか、2F全体を見渡してみても、肝心の「クリスティーヌの世界」が展示されていません。

 気になって、受付でもらった資料を見てみました。読んでみると、美術愛住美術館館長の本江邦夫氏が、「クリスティーナの世界」について触れている箇所が見つかりました。

「この絵が終戦後間もない1948年に描かれ、翌年、モダニズムの牙城ニューヨーク近代美術館(MOMA、1929年創設)のアルフレッド・バー2世(28歳で初代館長となった)に1800ドルで購入され、同館でもっとも有名な、そして門外不出の絵になっていったことはあまりにもよく知られた事実だ」(配布資料)

 これを読んでようやく、「クリスティーナの世界」と謳われながら、展示されているのは習作ばかりで、本作が展示されていないことの理由がわかりました。「クリスティーヌの世界」は、所蔵するニューヨーク美術館から門外不出の作品だったのです。

 とはいえ、本作がないのでは、この作品を考える手掛かりがありません。

 そこで、インターネットで探してみると、ユーチューブでこの作品を取り上げた2分ほどの映像を見つけることができました。ご覧いただきましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=2FCujuesEB4

 この映像では35秒辺りで、本作が映し出されます。私は一度、この作品を新聞で見たことがありますが、その時はこの作品が若い女性を描いたものだと勝手に思っていました。ピンクの服を着ていますし、スリムな体つきからそう判断してしまったのです。

 今見ても、もし作品についての説明を聞かなければ、そのように思ってしまうでしょう。それほどこの女性の後ろ姿は若く、可憐で、心細げでした。

 それでは、作品を具体的に見てみることにしましょう。

 先ほどご紹介したユーチューブ映像を静止し、撮影したものなので、画像には線が入っていますが、ご了承ください。概略はわかると思います。

ユーチューブ映像より。

 若い女性がたった一人、広い野原で腰を下ろし、草むらに手をついて、誰かを待っている様子です。ピンクの服の肩から腰にかけて射しかかる明るい陽射しが、女性の後姿をことさらに印象付けます。

 最初、この作品を見た時、私はなぜ、この女性はこんなところで腰を下ろしているのか、なぜ奇妙に身体を捻じった姿勢を取っているのか、不思議でなりませんでした。よく見ると、腕がとても細いことがわかります。そのことも気になっていました。

 先ほどご紹介した映像を静止し、部分的に撮影した写真で見てみることにしましょう。


ユーチューブ映像より。

 この写真を見て、なにより妙だと思ったのは、手です。草むらに置いた手の甲と指が異様に太く、女性の手とは思えないほど頑健で、しかも、どの指も汚れています。それに比べ、あまりにも腕が細くて白く、バランスがとれていませんでした。

  同様にして、足元を部分的に撮影した写真がこれです。


ユーチューブ映像より。

 横座りした女性の足元を見ると、スカートからはみ出した脚も、先ほどの腕と同様、まるで骨と皮のように細く、不安定です。これではとても身体を支えることはできないでしょう。女性の腕と手、脚の形状には違和感を覚えざるをえませんでした。

 体幹部に比べて細すぎる手や腕、脚は、身体構造上、リアルな描き方とはいえません。なにより、それ以外の部分のリアリスティックな描写とは明らかに異なっているのが奇妙でした。

 一体なぜ、このような描き方をしたのでしょうか。

 再び、先ほどご紹介した映像に戻ってみましょう。ナレーションでは、この作品の制作動機について、以下のように説明されていました。

 アンドリュー・ワイエスが窓から外を見た時、クリスティーヌが這っているのに気づき、ふいに創作意欲を刺激されたというのです。

 創作意欲を刺激されると、ワイエスはすぐさま、デッサンをしています。それが、下記の図です。


『丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス水彩素描展』より。

 まさに走り書きです。ただ、これはまだクリスティーヌの姿態と地平線を画面に留めたものにすぎません。この図からは、ワイエスが、彼女が這っているところだけを意識していたことがわかります。

 その後、構図を固め、全体像がわかるように描かれたデッサンがあります。それがこちらです。

ユーチューブ映像より。

 着想段階の図に比べ、地平線が上がった反面、女性の位置が手前に下がり、遠景の家がやや中寄りにズレています。画面全体に罫線が引かれ、モチーフの位置関係が計算された上で決定されていることがわかります。完成作品に近い構図です。ただ、手や腕や脚は曖昧に処理されています。どうやら、この時はまだ、手や腕をどういう形状にするか、脚をどうするか、考えがまとまっていなかったようです。

 私が最初にこの作品を見たとき、手や腕の大きさやバランスが悪くて妙だと思いましたが、ワイエスはこれらのデッサンを残していました。


ユーチューブ映像より。

 これを見ると、腕は細いのに手の付け根の骨格は太く、手の甲と指が太く、ごつい形状に変形しています。

 さらに、右手をつき、横座りになった姿勢の女性のデッサンがあります。左上方には、袖から下の二の腕、関節、腕のデッサンが描かれています。とくに、二の腕が不自然に湾曲して描かれているのが気になります。これらを見ると、ワイエスが右手の腕と関節、二の腕の描き方について悩んでいたことが推察されます。


『丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス水彩素描展』より。

 足元を見ると、スカートから覗いた脚はか細く、腰回りも細く、スカートにはかなりのゆとりがあります。この女性の身体は相当、虚弱なのだという気がします。

 Wikipediaによると、クリスティーヌは下半身がマヒしていたと説明されています。そのことがわかると、骨と皮だけのように見えた脚の細さもマヒのせいだったのだと納得できます。手の甲や指が太く、ごつく見えたのは、手と指が足の役割を果たしていたからでしょう。

 調べてみると、彼女の病名はポリオではなく、遺伝性の進行性疾患であるCMT( Charcot-Marie-Tooth disease)だといわれています。

こちら →https://www.gizmodo.jp/2016/05/post_664594.html

 ちなみにこの作品は、ワイエスが1948年に、81.9×121.3㎝サイズの石膏ボードにテンペラで描いたものです。モデルはオルソン家のクリスティーヌですが、この時、彼女は55歳だったといわれています。

 ところが、作品の中の女性は10代か20代の若い女性にしか見えません。腰回りに贅肉が付いていませんし、姿勢に張りがあり、髪の毛もつややかです。

 そこで習作を振り返ってみると、その中の一つに、ドライブラッシュを使った水彩画があります。


ユーチューブ映像より。

 これは、6点ある「クリスティーナの世界」習作のうちの一つで、2Fに展示されていました。水彩で描かれ、透明感のある画風で若い女性の後姿が捉えられています。本作に比べ、やや立ちあがった姿勢で、腰や腿がしっかりと上半身を支えています。腰の捻じり方も不自然ではありませんし、二の腕も不自然に細くはありません。これを見ると、若い女性がごく自然に、地面に手をつき、何かを見ている姿勢に見えます。

 ワイエスはおそらく、試行錯誤を重ねながら、最終的な姿に調整していったのでしょう。その調整の過程で重視されたのが、手や指、腕、脚の描き方でした。先ほどご紹介した手や指、腕、足首などのデッサンを見ると、そのことがよくわかります。下半身マヒの状態で這っていくときの手や腕の形状を把握し、修正を積み重ねていったのでしょう。

■日常性、健気さの中に潜む美の発見

 今回はまず、1Fに展示されていた「オルソン家の秋」、「穀物袋」、「オルソン家の朝食」を紹介し、その後、2Fに展示されていた「クリスティーナの世界」習作を中心にご紹介してきました。これらの作品を通して見えてきたのが、アンドリュー・ワイエスのピュアで清らかな精神世界です。

 「オルソン家の秋」では、透明感のある色調に惹かれました。手前に紅葉しはじめた草花、遠景に建物と樹木が描かれています。興味深いのは、余白に相当する部分が随所に設けられ、情感に満ちた光景になっていたことです。ピュアな印象を受けたのはそのせいでしょう。さらに、建物にあしらわれた白が印象的で、洗練された美意識が感じられました。

 「穀物袋」では、柔らかな陽光の下、膨らんだ穀物袋に健気な労働の成果が浮き彫りにされています。農家ならどこにもありそうな穀物袋が、メインモチーフとして取り上げられ、輝かしく、丁寧に描かれています。ワイエスは、日常生活のありふれた一コマに美を見出し、作品化に成功したのです。

 「オルソン家の朝食」では、一日の始まりである朝食時の光景が、屋外から一つの情景として捉えられています。窓辺に佇む人影、煙突からたなびく煙、そして、破れた窓をふさぐ布といったモチーフに、オルソン家の人々の生活行動、生活倫理の痕跡を見ることができます。

 手前の草むらに咲く小さな白い花が、ひっそりと暮らすオルソン家に彩りを添えています。朝食時の光景を屋外から捉えることによって、オルソン家の生活ぶりを俯瞰し、象徴的に表現することができています。画面を通し、貧しくても健気に生きるヒトの息遣いが感じられました。

 最後に、「クリスティーナの世界」の一連の習作からは、下半身がマヒした女性の健気さと孤独がシンボリックに、そして、美しく作品化されていく過程が示されていました。

 先ほどご紹介したように、この作品を着想した段階の走り書きが残っていました。そこには、這って進む女性の後姿とその対角線上の彼方に矩形のようなもの、そして、地平線がラフに描かれていました。

 走り書きに次いで描かれたデッサンでは、女性の姿勢は修正され、傾きの度合い、腰のひねり具合など、完成作品にほぼ近いものになっていました。ただ、この段階では、手や腕、脚の形状はまだ曖昧でした。

 興味深いのは、デッサンでは女性が曲がりくねった道の上を這っているように描かれていたのに、完成作品ではこの道は消去され、一面、草の生えた野原に変化していました。そして、デッサンにはなかった小さな小屋のようなものが一軒、遠景の中ほどに描き加えられていました。

 デッサンと完成作品を見比べてみると、ワイエスの思考のプロセスを追うことができます。二つ並べて、見比べてみることにしましょう。

デッサン
完成作品

 家に通じる道が消去されたおかげで、女性は硬くごつごつした道を這って進んでいるのではなく、野原で一休みしているように見えます。そして、遠景中央付近に小さな家が一軒、付け加えられたおかげで、構図に安定感が生まれ、孤立感が減じられました。

 デッサンの段階ではおそらく、ワイエスが窓から目にしたクリスティーヌの姿が、そのまま捉えられていたのでしょう。ところが、いざ形にしてみると、それではあまりにも悲劇性が強すぎました。そこで、曲がりくねった道を消去し、辺り一面、草が生い茂る野原に変えたのではないかと私は思います。さらに、小さな家を一軒、描き加えることによって、地平線上の孤立感をやわらげたのでしょう。

 完成作品では、ピンクの服の肩や背中、腰部分に陽光が射し込み、明るさと華やかさが演出されています。よく見ると手や足首は異様なほど細く、手や指はごつく汚れています。ところが、ぱっと見ただけでは若い女性が野原で腰を下ろしている姿にしか見えません。ここでも、色彩と光の取り入れ方によって、悲劇性が抑えられています。

 ピンクの服に背後から射し込んだ陽射しは、野原にも大きく射し込み、温かさと爽やかさ、幸せ感を醸し出しています。ワイエス独特の透明感のある色彩がなんと快く、優しく感じられるのでしょう。

 下半身マヒの女性がたった一人、野原を這って進んでいます。見ていて辛くなってしまうような光景ですが、それほど遠くない彼方に家が見えます。一歩一歩、這い進めば、やがては辿り着ける距離です。そこに希望を見出すことができる構図にしたところに、健気に生きているヒトをエンカレッジしようとするワイエスの気持ちが透けて見えてきます。

 こうして、「クリスティーヌの世界」と一連の習作を比較して見て来ると、ワイエスは目にした現実をそのまま描くのではなく、感情を徒に刺激するような要素は削除し、画面構成に必要なものは現実には存在しなくても、描き加えていることがわかります。

 一連の習作からは、単なる写生をいかに芸術作品に高めていくか、ワイエスが繰り返した試行錯誤の過程を見て取ることができます。

 今回、ご紹介した作品はいずれも、モチーフそのものは日常生活の中で発見されたものでした。ワイエスは何気ない光景の中に見出した健気さを、卓越した画力によって、美に結晶化させてきました。

 彼の創作衝動を突き動かしたものは、健気に生きていこうとするものへの愛惜の情でしょう。はじめてワイエスの諸作品を見て、芸術の美しさ、深淵さに触れたような気がしました。素晴らしい展覧会でした。(2019年4月8日 香取淳子)

「手塚雄二展」:日本美の極致を楽しむ

■手塚雄二展の開催

 2019年3月11日の日経新聞で、日本画家の手塚雄二氏の個展が2019年3月5日から18日まで、日本橋高島屋8Fで開催されることを知りました。展示作品の中には、2020年に鎮座100年を迎える明治神宮に奉納するために制作された、「明治神宮内陣御屏風(日月四季花鳥)」も含まれているといいます。記事にはこの屏風を背景に、手塚雄二氏の写真が掲載されていました。

 

 この作品は日本橋高島屋で展示された後、横浜高島屋、大坂高島屋、京都高島屋を巡回してから本殿に納められ、その後は非公開になるそうです。今、見ておかないと永遠に見られなくなってしまうと思い、3月16日、展覧会場に行ってきました。

 展覧会のタイトルは「手塚雄二展 光を聴き、風を視る」です。会場には代表作から新作まで、過去最大規模の約70点が展示されていました。


ポスター

 このポスターに掲載されている作品のタイトルは、「おぼろつくよ」(91.7×102.7㎝、2012年)です。

 繊細なタッチで描かれた木々の葉の隙間から、おぼろ月が姿を現しています。すっぽりと抜けたような空間に、月がほんのりと霞んで見えます。自己主張することなく周囲に溶け込み、ひっそりと浮かんでいるのです。奥ゆかしさとはこのようなことを指すのだろうという気がしました。

 ひそやかな月の風情を守るかのように、木々が大きく枝を伸ばし、周辺の空を覆っています。水平軸で見ると、木々の葉の色はおぼろげながらも、左から右方向に、紫系、黄緑系、ピンク系へと変化しています。微妙なグラデーションと、その背後の空の霞んだ様子とが見事にマッチし、仰ぎ見た月の美しさが強化されています。

 垂直軸で見ると、木々の葉は、上半分ほどが青紫系で色付けられ、おぼろ月を囲むように淡い黄緑系、下方と右側がピンク系、といった具合に、所々、余白部分を残しながら、場所によって葉の色を微妙に変化させて描かれていました。

 水平軸、垂直軸ともに、グラデーションを効かせた色彩の変化によって、霞みがかった大気に包まれたしっとりとした情緒が描出されていました。おそらく、そのせいでしょう、この作品からは、清澄な空気、大気の気温、木々の揺らぎ、そして、葉のそよぐ音すら感じられます。

 それにしても、なんと情感豊かな作品に仕上がっているのでしょう。おぼろ月に照らし出された空の色合いといい、木々の葉の柔らかな色調といい、描かれたものすべてが調和し、融合しているところに、日本の美の極致を感じました。

 会場を一覧したところ、手塚氏の作品には全般にこの種の美しさが見受けられました。「おぼろつくよ」では、空を見上げた状態で描かれた構図の面白さがあります。さらに、おぼろな光の捉え方の斬新さ、木々の捉え方の大胆さ、葉の捉え方の繊細さ、等々が印象的でした。

 このような特徴は、約70点に及ぶ展示作品の中で、いくつも見出すことができました。それらはおそらく、手塚氏の作品の本質に関わるものなのかもしれません。

 そこで、今回は、①構図の面白さ、②光の捉え方の斬新さ、③木々の捉え方の大胆さ、④葉の捉え方の繊細さ、などの点で、特に印象に残った作品を取り上げ、ご紹介していくことにしましょう。

 それでは順に、上記のような特徴が見られる作品を見ていくことにしましょう。

■構図の面白さ

 斜めの線を取り入れ、画面に新鮮な感覚を生み出していた作品がいくつかありました。特に印象に残ったのが、「嶺」と「裏窓」です。

●「嶺」

 構図の面白さが際立っており、しばらくこの作品の前で佇んで見入ってしまいました。「嶺」(205.6×178.0、1990年)というタイトルの作品です。


図録より。

 嶺とは山の頂上、尾根といったような意味の言葉です。ところが、作品を見ると、「嶺」といいながら、山ではなくて、万里の長城でした。一瞬、違和感を覚えましたが、万里の長城は尾根伝いに築き上げられていることを思い出し、この作品はまさに「嶺」なのだと納得しました。

 あるいは、万里の長城が北方民族の侵略を避けるために造営されたことに着目すれば、「嶺」はウチとソトを分ける分水嶺ともいえるでしょう。

 画面の大部分を占めるのが、古びたレンガで造られた通路で、その両側は、レンガでできた低い壁で覆われています。遠方には敵台が見え、沈む夕陽に照らされた通路や壁のレンガの一部が明るく輝いています。頂上付近を見上げる位置から長城の一端が捉えられ、作品化されていました。

 興味深いのは、この通路の頂上がやや右下がりの斜めの線で描かれていることです。足元のレンガも同様、すべてのレンガがやや右下がりになるよう描かれています。ですから、水平であるべき通路が傾いているように見えます。そして、右側の壁は大きく左に湾曲しているのに左側の壁はそれほどでもありません。そのせいか、この通路全体が揺らぎ、うねっているように見えてしまうのです。

 この構図が気になって、しばらく見ていました。

 斜線や曲線で構成された通路と壁は、建造物というよりも何か壮大な生き物、例えば龍のようなものを連想させます。そう思うと、遠方に見える敵台は龍の頭部に見えなくもありません。

 通路に不自然な斜線が取り入れられているので、観客は軽い違和感を覚え、想像力が刺激されてしまいます。見えるものの背後に、何があるのか見ようとするのです。その結果、観客は、ただの建造物でしかない通路や壁に、時の流れや生命体を感じ、なんともいえない情緒を感じるようになります。

 仮にこの通路が水平に描かれ、不自然な傾きを見せていなかったとしたら、この作品が放っている不思議な情緒を生み出すことはできなかったでしょう。

 再び、作品に戻ってみましょう。

 残照を浴びた通路の上方が、明るく照らし出されています。沈みかかった夕陽が、最後の力を振り絞って、地平線近くから光を放っているのでしょう。画面の真ん中辺りだけが明るく、残照に照らし出されています。そのおかげで遠方の敵台が黒く浮き彫りにされ、ここが万里の長城の一角であることを改めて思い知らされます。

●「裏窓」

 建物の中から空を見上げた仰角の構図で描かれた作品です。建物を描いた作品としては、これまでに見たこともないとてもドラマティックな構図でした。

裏窓
図録より。

 タイトルは「裏窓」(217.4×166.6㎝、1992年)です。おそらくヨーロッパの街の一角なのでしょうが、このタイトルからは何の手掛かりもありません。そこで、手塚氏の年表を見ると、制作年の1992年は日本におられましたが、その前年の1991年にはフランス、イタリアを取材旅行されていました。おそらく、その時に構想された作品なのでしょう。

 この作品を見ていると、まるで地底から上空を見上げているかのような錯覚に陥り、閉塞感に襲われます。周囲の建物は堅固な石造りで、窓には鉄柵が取り付けられています。そして、外部に通じる空間としては、凸型に区切られた空だけです。

 日本人の感覚からすれば、息が詰まりそうな思いがする画面構成でした。

 もっとも、そこに西欧の生活文化の一端を見たような思いがしました。建物の壁面や屋根で区切られた矩形の空から、わずかな光が射し込んでいます。射し込む光に照らし出された箇所だけ、モノの形が見え、色が見えるのです。よく見ると、開け放たれた窓の外扉が、緑色に塗られていることに気づきます。

 ひょっとしたら、ここで暮らす人々は植物を渇望し、それに擬して、窓の外扉を緑色にしたのでしょうか。目立たないように取り入れられた緑色の中に、ここを生活空間として日々、生活を営む人々の工夫の跡を見ることができます。ヒトが描かれていなくても、ヒトの気配が感じられるのです。

 この作品は、構図に妙味があるばかりか、光の捉え方が絶妙でした。わずかな空間から射し込む光によって、建物の一角を端的に捉えたばかりか、必死で生きようとしている人々の工夫の跡を照らし出したのです。

■光の捉え方の斬新さ

 間接的な光によって、どこでも見かけるような風景を、別世界に変貌させた作品がいくつか展示されていました。特に印象に残ったのが、「こもれびの坂」と「炫」です。

●「こもれびの坂」

 会場でこの作品を見ると、左下から右上にかけての対角線によって、画面がほぼ二分割されていることに気づきます。それをベースに、上部から中央付近にかけて、木々の葉を通して、光が降ってくるという構成です。

 空から降り注ぐ光は、葉陰の形状に応じて坂道やその側面を照らし出し、まるで自由自在に模様をつけているかのようでした。大小さまざまな形状を地面や土の斜面にきらきらと浮き彫りにしているのが美しく、しばらく見惚れていました。

こもれびの坂
図録より。

 作品のタイトルは「こもれびの坂」(116.7×72.7㎝、1996年)です。

 一見、山道ならどこにでもありそうな光景ですが、葉陰からこぼれ落ちた光が、坂道を舞台に、非日常の煌びやかな空間を創り出していたのです。この場所、この瞬間でしか見ることのできない光景を、手塚氏は見事に結晶化し、印象深い作品に仕上げていました。

 左側から斜め右上方向にかけて、木々の暗さが画面を覆っています。その背後から射し込むわずかな光が、地面や土の斜面にさまざまな文様を創り出しています。人工の光と違ってピンポイントで照らし出されるわけではなく、葉が風にそよげば、それに応じて光が射し込む空間域が異なり、地面や斜面の文様もその都度、変化します。まさに自然が創り出したアート空間といえます。その瞬間を巧みに捉え、丁寧に美しく仕上げたのがこの作品です。

●「炫」

同じように、坂道を描いた作品があります。こちらも光の捉え方がすばらしく、印象的でした。



図録より。

 作品のタイトルは「炫」(170.0×215.0㎝、1988年)です。日本語ではあまり見かけない文字ですが、ゲンと読むようです。まぶしく照らす、目を眩ませるといったような意味があります。

 画面を見ると、確かに、坂を上った先は眩しい光に溢れていて、目がくらみそうです。木々の葉は黄金色に輝き、道路さえも上方は明るく浮き立って見えます。もちろん、道路の両側の岩のようなものも、光が当たっているところは輝きを増し、存在感を高めています。

 しかも、この光が光源からの直接的な光ではなく、木々の葉を通して射し込む陽光なので、眩しいとはいえ、柔らかく、優しく、見る者を浮き浮きした気持ちにさせてくれます。両側が暗く、真ん中が明るい陽光で照らされた道路なので、その先には、平安な世界が待ち受けているのではないかとも思わせてくれます。辺り一面を満遍なく包み込むような、慈愛を感じさせる色調が印象的でした。

 自然とともに生き、自然のさまざまな局面に美しさを見出してきた日本人の感性をここに見たような気がします。風景画でありながら、日本の精神文化を感じさせてくれる作品でした。

■木々の捉え方の繊細な美しさ

 樹木の豊かさ、深淵さを表現した作品がいくつか目に留まりました。中でも印象深かったのが、「静刻」と「新緑の沼」です。

●「静刻」

 実在する木々よりも水面に映った木々の方を大きく描き、意表を突く世界が描き出されていたのが、「静刻」(91.0×72.8㎝、1986年)です。これまでに見たこともないような構図でした。

静刻
図録より。

 会場でこの作品を見たとき、構図の面白さと水面を照らす柔らかい光に引き付けられました。画面の色構成にさわやかな美しさがあったのです。

 画面の上方、木が生えている辺りは輝きのあるオーカー系、そして、木の根元近くの水面は明るいイエロー系、遠ざかるにつれ、淡い黄緑系が広がり、そして、右下にごくわずかマリン系の色が置かれています。それらの色が帯状に、右から左下方向に流れるように配されているのです。まるで虹のような輝きと装飾的な美しさを感じました。

 色と色の間はグラデーションで境目を目立たせず、穏やかなトーンで処理されているところ、見ていて気持ちが和みます。切れ味の良さを感じさせながらも、さわやかな佇まいが印象的な作品でした。

●「きらめきの森」

 「静刻」と似たような色遣いで、木々が描かれている作品がありました。六曲一隻の屏風です。

きらめきの森
図録より。

 「きらめきの森」(172.6×360.0㎝、2005年)というタイトルの屏風で、横長サイズの画面に多くの木々が描かれています。こちらは「静刻」とは逆に、手前に輝きのあるオーカー系、その後ろに淡いベージュ系、そして、中ほどから上が黄緑系といった色の帯でモチーフが包み込まれていました。

 色が水平に帯状に置かれていたせいか、垂直に立つ木々の境界が曖昧になり、全体に靄がかかっているような空間が生み出されていました。その結果、モチーフはそれぞれ個として存在するのではなく、全体の雰囲気の中で存在しているように見えてきます。

 ふと見ると、画面の中央付近に黒っぽい小鳥が一羽、飛んでいるのに気づきます。悠然とした森の中で、誰からも脅かされることなく、低い位置で飛んでいるのが印象的でした。鳥や木々、そして、この空間に存在するものすべてがしっくりと調和し、生きている様子がうかがい知れます。この作品を見ていると、不意に、平和、平安という言葉が脳裏をよぎりました。

●「新緑の沼」

「きらめきの森」と似たような構図の作品が展示されていました。同じように横長の作品です。

新緑の沼
図録より。

 「新緑の沼」(175.0×355.8㎝、2017年)というタイトルの作品です。これは、チラシに掲載されていた近作です。新緑のさわやかさが余す所なく描かれており、思わず引き込まれて見てしまいました。構図は「きらめきの森」と似ていましたが、色遣いやモチーフの扱いなどは明らかに異なっており、こちらは奥行きが感じられる画面構成になっていました。

 靄がかかっているのでしょうか、全体にぼんやりとしています。手前は背後からの暗い影が地面に落ち、中ほどは草の色がやや鮮明になっていますが、その後ろはうっすらと白く霞み、幻想的な空間が広がっています。

 手前から中ほどにかけての木々は一本、一本、丁寧に描き分けられています。まるで木にも個性があるかのようです。それに反し、遠方の木々は淡い色彩とぼんやりとした形状で表現されていますから、遠近感が明確で、木立が遠くまで広がっている様子がうかがいしれます。

 地面から立ち上る湿気が、靄を作っているのでしょう。それが木立全体に広がり、ここに存在するもの全てを優しく包み込んでいるように見えます。木々がそれぞれ個性を打ち出しながらも、見事に全体と調和し、平穏な空間が創出されていました。靄を描き込むことによって、画面にしっとりした統一感が生み出されているのです。

 見ていると、次第に内省的になっていくのを感じます。とても精神性が感じられる作品でした。日本ならではの風景美が表現されているといえるでしょう。

■葉の捉え方

 葉の捉え方が面白く、印象に残る作品が何点か展示されていました。ここでは、「秋麗」と「麗糸」をご紹介しましょう。

●「秋麗」

 チラシに掲載されていた作品です。作品のサイズは78.0×111.0㎝で、2015年の制作です。

秋麗
図録より。

 緑色を残している葉もあれば、青味がかった葉、朱や黄色などに紅葉した葉、さらには色のくすんだ枯れ葉もあります。画面の左上と右下をつなぐ対角線のやや下辺りに余白を残し、それ以外はほとんど、大小さまざま、色とりどりの葉がそれぞれ向きを変え、形状を変えて画面を覆っています。このような画面構成には、色彩の競演がもたらす華やかさがあり、紅葉そのものの多様性を鑑賞できる効果がありました。

 よく見ると、紅葉した葉にはいくつもの穴が開き、落下寸前の状態だということがわかります。生命体が果てる寸前に見せる美しさだといっていいでしょう。欠けたもの(穴のあいた葉)、滅びるもの(枯れ葉)に美しさを感じる日本的な感性を感じ取ることができます。

 そして、余白部分に伸びた枝先に、小鳥が一羽、留まっています。うっかりすると見落としてしまいかねないほど小さく描かれています。この作品のメインモチーフが紅葉した葉だからなのでしょうか、まるで遠慮しているかのように描かれているところにも、日本的な感性が感じられました。

 もちろん、葉よりも小さな小鳥を余白部分に加えることによって、画面が引き締まり、紅葉したさまざまな色彩が醸し出す華麗さが強く印象づける効果はありました。

 興味深いのは、画面の上方から中ほどにかけての背景が、淡い褐色で色づけられていることでした。これによって、さまざまな色で描かれた葉にまとまりが生まれ、動的な様相を保ちながらも、一種の秩序が生み出されています。安定感のある構図になっているのです。

 この作品にも、構図の面白さとモチーフの配置のユニークさに加え、画面に統一感を与える帯状の色彩ゾーンが導入されており、印象的でした。

●「麗糸」

 葉の捉え方のユニークさに驚いたのが、「麗糸」(116.7×80.3㎝、1999年)です。

麗糸
図録より。

 蜘蛛の巣にひっかかった葉がいくつも、まるで糸でつながれた琥珀のネックレスのように優雅に描かれています。地面に落ちてしまうはずの枯れ葉が、蜘蛛の巣にひっかかって固定され、時に風に揺らぎながらも、思いもかけない美しさを見せているのです。

 よく見ると、その中心に黒い蜘蛛が描かれ、四方に伸びる糸をコントロールしています。蜘蛛が描かれた中ほどのゾーンの背後は、まるで光に照らし出されたかのように、淡く明るいベージュ系が配され、そこから上下に向かってグラデーションで暗みを増していき、上と下は柔らかい黒が配され、闇のようです。

 背景色に暗さが増すにつれ、蜘蛛の糸が目立ってくるという仕掛けです。

 この作品を見ていると、何気ないところに美しさを見出し、それを作品化してしまう構想力と画力に感嘆せざるをえません。

■日本の美を再発見し、楽しむことができた展覧会

 この展覧会には、「光を聴き、風を視る」というサブタイトルがついていました。手塚雄二氏の全作品を俯瞰すれば、おそらく、このように表現するのがふさわしいのでしょう。ところが、私は、多くの作品からむしろ、湿気や気温、空気、そして光の扱いの素晴らしさを感じさせられました。

 最初にいいましたように、私が展示作品を一覧して感じたのは、①構図の面白さ、②光の捉え方の斬新さ、③木々の捉え方の大胆さ、④葉の捉え方の繊細さ、等々でした。ですから、そのような観点から印象に残った作品をご紹介してきました。

 まず、構図の面白さという観点から、「嶺」、「裏窓」をご紹介しました。いずれも、外国の建造物をモチーフにした作品です。モチーフの選び方、扱い方、見せ方に意表を突く斬新さを感じました。いずれも堅固で頑丈に思えるレンガ造りの通路や壁、石造りの建物がモチーフでした。

 画面の大部分がそれに割かれているので色調も暗く、見ていると、息が詰まりそうな気持ちになってしまうのですが、そこにわずかながら陽射しを取り込むことによって、ヒトが生きる空間に変貌させられていました。歴史を感じさせ、生活文化を感じさせられたのです。全般に暗い画面の中で、イエローオーカー系の柔らかな色が効いていました。

 光の存在がいかにヒトの心を和ませるか、ヒトの生活に不可欠なものか、改めて感じさせられました。構図が面白いと思って取り上げた「嶺」、「裏窓」でしたが、いずれも光の捉え方もまた見事でした。

 光の捉え方という観点から、取り上げたのが、「こもれびの坂」と「炫」でした。いずれもどこかで見たことがあるような光景でしたが、それが、自然が織りなす美として結晶化されていました。

 光の量によって葉の色が異なり、照らし出される面積によって、土もまた微妙に色合いを変化させています。山中の坂道はこのとき、風によっても異なり、光によっても異なる動的なアート空間になっていたといえるでしょう。美しさを発見する視点の素晴らしさを感じました。

 そして、木々の捉え方の大胆さの観点からご紹介したのが、「静刻」「きらめきの森」「新緑の沼」でした。ここでは大胆な構図を取ることによって、私たちが普段、何気なく見ている木々に新たな光が当てられていました。そうして見えてきたのが、穏やかな陽光、湿り気のある空気、風の気配などです。

 最後に、葉の捉え方の斬新さという観点からご紹介したのが、「秋麗」、「麗糸」でした。穴のあいた葉や枯れ葉がこれほどまでに美しく見えるとは思いもしませんでした。

 ご紹介した作品を振り返ってみると、期せずして、いずれも日本美の極致とでもいえるものだったことに気づきます。私たち日本人は古来、風や大気、光に感応し、目にははっきりと見えないものに美しさを見出し、歌に詠んできました。手塚氏の作品にはこの種のきわめて捉えにくいものが、卓越した構想力と画力でみごとに表現されていたのです。

 私たち日本人はまた、穴のあいた葉や枯れ葉などの欠けたもの、生命を失う寸前のものにも、美を見出してきました。美は春や青春の中にあるのではなく、秋や老残の中にもあるということを古くから日本人は認識していたのでしょう。手塚氏はそのような感性で捉えた光景をさまざまに作品化してきました。

 さらに、手塚氏の作品の多くには、光によってモチーフが独特の風情で浮き彫りにされ、大気や風がそこはかとなく漂う気配が表現されていました。全般に繊細で柔らかな色調で画面が構成されていたせいでしょうか、個々のモチーフが全体と調和し、溶け込んでいるのが印象的でした。

 森羅万象、すべてのものが一つの大気の中に包み込まれていることを感じさせてくれたのです。

 手塚氏の諸作品を見ていると、ふと、日本人の感性はこうだったのかと思わせられるところが随所にありました。諸作品に気持ちの奥底で深い共感を抱いてしまったのは、おそらく、この種の感性が作品に反映されていたからでしょう。日本美の極致を楽しむことができた素晴らしい展覧会でした。

 印象に残った作品をご紹介するのに夢中になってしまい、肝心の 「明治神宮内陣御屏風(日月四季花鳥)」を忘れてしまっていました。 また機会があれば、ご紹介することにしましょう。 (2019年3月22日 香取淳子)

「運び屋」:実話の映画化に必要なものは何か。

■クリント・イーストウッドが主演・監督する「運び屋」

 3月14日、たまたま時間が空いたので、「運び屋」(2018年制作、米映画)を見てきました。現在88歳のクリント・イーストウッドが87歳の時に監督・主演を演じた作品です。イーストウッドといえば著名な俳優なので、これまでに写真は何度か雑誌等で見たことがありますが、映画はまだ見たことがありませんでした。

 ポスターに掲載された顔写真には、90歳近い高齢者ならではの味わい深さがありました。

 目深にかぶった帽子の下から見える横顔・・・、深く刻み込まれた皺、何か言いかけようとしているような口元・・・、どれ一つとって見ても老齢と深い孤独とが滲み出ていることがわかります。ふと見ると、鼻先の脂肪が光って見えます。老いたとはいえ、まだ気力が残っていることが示されています。

 画面右下には、残照の下、ピックアップトラックが一台、広大な荒野の中の道を走っているのが見えます。黄昏の光景に絡め、運び屋としてひたすら運転し続けた孤高の人生が浮き彫りにされているのです。この映画のエッセンスが見事に表現されたポスターでした。

 この映画の原題は「The Mule」、2018年12月14日に公開された米映画で、制作費は5000万ドル、興行収入は3月14日時点のデータで103,804,407ドルです。すでに米国内だけで制作費の2倍以上の興行収入を得ていることになります。

こちら →https://www.boxofficemojo.com/movies/?page=main&id=themule.htm

 今後、高齢化が進む先進諸国での上映が増えていけば、観客も大幅に増加していくでしょう。興行収入は、さらに増える可能性があります。

 「運び屋」というタイトルを見ると、誰しも条件反的に、犯罪映画を思い浮かべてしまうでしょう。私もてっきり、派手なアクションシーン満載の犯罪映画だろうと思っていました。ところが、実際は、そうではなく、味わい深い人生ドラマになっていました。運び屋が高齢者なので、華々しいアクションシーンを設定することができなかったのでしょう。

 その代わりに、高齢者ならではのエピソードが随所に組み込まれており、犯罪映画であるにもかかわらず、ほのぼのとした情感溢れる作品に仕上がっていました。人生を考え、家族を思い、ヒトとしての生き方を考えさせられる映画になっていたのです。この映画はきっと、国境を越え、幅広い観客から共感を得られるようになるでしょう。

■実話を原案に映画化

 この作品は、ニューヨークタイムズに掲載された記事(2014年7月11日付)に着想を得て制作されました。

 ハリウッド・レポーターのボリス・キット氏によると、2014年11月4日、制作会社インペラティブ・エンターテイメントはこの記事の権利を獲得し、ルーベン・フライシャーを監督として映画化に着手したといいます。ニューヨークタイムズに記事が掲載されてから三か月後のことでした。

こちら →https://www.hollywoodreporter.com/news/zombieland-director-tackling-tale-87-746038

 記事の内容は、デイ・リリー(day lily)の栽培で受賞経験もある園芸家が、メキシコを拠点とする麻薬組織の運び屋をしており、2011年、87歳の時に逮捕されたというものでした。麻薬の運び屋というだけなら、よくある犯罪記事にすぎませんが、制作陣はおそらく、運び屋が87歳だったという点に興味を抱いたのでしょう。

 制作陣が記事の段階で権利を押さえていたことからは、映画化の原案としての可能性の高さが示唆されています。確かに、麻薬の運び屋が超高齢者だったという意外性は、さまざまな側面から深く掘り下げることができます。取り上げ方によっては、年齢を問わず、訴求力の強い作品に仕上げることができます。

 晩節をどう生きるかに焦点を合わせれば、大きな社会的関心を喚起する可能性がありました。なんといっても、先進諸国では高齢化が進行しています。そのような現状を考えあわせれば、90歳近いクリント・イーストウッドが監督・主演を担うこの映画が話題作になるのは明らかでした。

 もっとも、この記事が掲載された時点では、まだ主演が誰になるか決まっていませんでした。

 この記事を書いたサム・ドルニックも、2018年12月5日付けのニューヨークタイムズ誌上で、クリント・イーストウッドがこの映画を監督し主演もするとは考えもしなかったと書いています。

こちら →https://www.nytimes.com/2018/12/05/reader-center/clint-eastwood-movie-drug-mule-sinaloa-cartel.html

 さらに彼は、上記の記事の中で、「ツイッターが暇つぶしだなんて誰が言ったんだ?」と皮肉っています。実はこの記事のネタは、サム・ドルニックがたまたまネットでツイッターをスクロールしていたとき、警察の記録簿から見つけたものでした。ですから、彼は、ツイッターは決して暇つぶしの手段などではなく、貴重な情報源なのだといいたかったのでしょう。

 先ほどいいましたように、サム・ドルニックがツイッターで見つけたのは、イリノイ州に住む89歳の園芸家が1400ポンド以上のコカインを、メキシコ系麻薬組織の運び屋として移動させていた廉で、デトロイトで刑を申告されたという情報でした。逮捕時87歳だった運び屋が2年余を経て実刑を宣告されたのです。

 その情報を見てサム・ドルニックは、これはニューズバリューがあるだけではなく、物語に仕立て上げられる内容だと判断しました。そして、老いた運び屋の人生をニューヨークタイムズの記事にしようと思いついたのです。

 この情報には、彼のジャーナリスト魂が刺激されるだけの訴求力がありました。ヒトの心を強く動かすものがあったのです。それはおそらく、90歳に近い高齢者が麻薬組織の運び屋として働いていたということでしょう。

 それまで犯罪歴もない高齢が、なぜ、晩節を汚すようなことをしたのか、私も興味津々です。そこには高齢者ならではの心理、あるいは、生活環境がなにがしか影響を及ぼしていたのかもしれません。いずれにせよ、予想もできない事件でした。だからこそ、主演・監督ともクリント・イーストウッドに変更されたのでしょう。

 当初、ルーベン・フライシャーを監督に起用し、制作体制を組んでいたはずが、どういう経過があったのかわかりませんが、いつの間にか、クリント・イーストウッドがこの映画の監督になっていました。90歳近い高齢者が運び屋であるこの物語にリアリティを持たせるには、主演・監督とも同世代である必要があったのでしょう。

 それでは、メイキング映像をみていただくことにしましょう。

こちら→ https://youtu.be/HA5z-fQKxpc

 出演者たち、そして、クリント・イーストウッドの言い分を聞いていると、彼が主演・監督を務めたからこそ、この映画が成立したことがよくわかります。

■ストーリー構成

 冒頭のシーンでは、デイ・リリー(daylily)の花がクローズアップされます。主人公アールが大切に栽培している花です。ユリ科の植物で、その名(day lily)の通り、花が咲くのは一日限りですが、アールは手間暇かけ、愛しむように栽培しています。

 映画ではこの冒頭のシーンに続き、アールが品評会で金賞を受賞するシーンになります。晴れやかなアールの笑顔がとても印象的です。ところが、周囲から次々と浴びせられる称賛に応じているうちに、うっかり一人娘の結婚式に出るのを忘れてしまいます。栽培家としては高い評価を得ても、家族を顧みることがなかったことの象徴として、このエピソードが組み込まれています。仕事を優先し、他人にかまけて家族をないがしろにしてきたせいで、アールはその後、一人娘や妻から見放されていきます。

 12年後、老いたアールは家族から見放され、家は差し押さえられて、お金も底をついてしまっていました。インターネット時代にアールの仕事が追い付かなくなっていたのです。孫娘だけは心配してくれていましたが、お金がなく、祖父としての役目を果たすこともできません。そんな折、お金になるといわれ、何を運ぶか知らされないまま、目的地まで届ける仕事を引き受けます。

 いわれるままに運転するだけで、予想もしなかった大金を手にして、アールは驚きます。

予告CMより。

 いまにも壊れそうなピックアップトラックに乗っていたアールは、大金を手にしたので新車を購入し、再び、運び屋の仕事を引き受けます。

 途中、ふと気になってトランクを開けると、バッグがたくさん積み込まれています。中を開けると、白い袋がたくさん入っていました。明らかに麻薬です。唖然としていると、背後から近づいてきた警官に、「どうしたんですか?」と声をかけられます。

予告CMより。

 警官とやり取りをしているうちに、警察犬が激しく吠え出しました。それを聞いて警官は車に戻りますが、アールは危険を察知し、自分の方から犬に近づき、痛み止めの薬を嗅がせます。麻薬犬の嗅覚を混乱させることによって、麻薬が車から発見されることを回避します。とっさに知恵を巡らせ、危機をやり過ごしたのです。

 機転の利くアールは、その後、厳重な警察の取り締まりの目をかいくぐって何度も、大量の麻薬を運びます。麻薬組織のボスは喜び、アールの仕事はさらに増えていきます。

予告CMより。

 豪腕の運び屋がいると判断した警察は、敏腕警官を担当に抜擢し、取り締まりを強化します。担当警官はまさか90歳近い高齢者が運び屋だとは思いもしません。ですから、取り締まりの最中にアールと直接会話する機会があったのに、彼こそが当人だと気づくこともありませんでした。むしろ共通の話題に話を弾ませ、いっとき、心を通わせていたほどでした。

予告CMより。

 食堂で隣り合わせた担当警官が、忙しさにかまけ、家族の記念日を忘れていたことを知ると、アールは、さっそく自身の経験を話し始めます。記念日を忘れることがいかに大きなダメージを家族に与えるか、自身の辛い過去を話しました。一人娘からはその後12年半も口をきいてもらえない、悲しい体験を吐露したのです。

 それを聞いて、警官の気持ちは一気にアールに引き寄せられていきます。同じ悩みをかかえた人生の先輩として、アールに親しみを感じてしまいます。追う者と追われる者がいっとき、家族の話題で心を通い合わせるシーンでした。この時の警官が後にアールを逮捕することになります。

 さて、回を重ねるたびに運ぶコカインの量が増え、手にするお金も増えていきます。それに伴い、組織からの監視は厳しくなっていきます。車に監視カメラが取り付けられ、見張り役によってアールの行動は逐一、監視されるようになります。

 それでも、アールは好きなところで車を停め、好きな食堂に立ち寄り、好きなものを食べ、自由自在に動き回っています。そんなある日、孫娘から電話があり、祖母(アールの妻)が危篤だという知らせを受けます。

 いったんは仕事だからと断りますが、思い直し、病床に伏せる妻のところに駆けつけます。思いもかけないアールの帰宅に家族は戸惑い、娘は拒否反応を示します。

予告CMより。

 それでもアールは強引に、病床の妻メアリーに寄り添います。死に瀕したメアリーは、ひどい夫でひどい父親だったけど、最愛のヒトだったといい、アールを許してくれます。そんなアールと母メアリーを見て、娘もついにアールを許すようになります。

 メアリーの死を契機に、アールは娘と和解しました。メアリーのおかげでアールは家族に受け入れられたといっていいでしょう。人生の終わりになってようやく、アールに安堵の時が訪れたのです。

 ところが、安堵の時を得たのも、つかの間、黒のピックアップカーを追跡していた警察にアールは捕まってしまいます。

 それにしても、法廷でのアールの態度がなんといさぎよく、見事だったことでしょう。麻薬組織の運び屋として晩節を汚したアールが、まるで汚名を返上するかのように、弁護士を制し、いさぎよく罪を認めたのです。

 弁護人が、軍人として国のために果敢に戦ってきたこと、人の良さや高齢であることを麻薬組織から利用されただけだということ、等々を主張してアールを弁護したのに、アールは「全てにおいて有罪」だと主張し、自ら刑を受けることを望んだのです。

 エンディングでは、刑務所の中で花栽培に従事するアールの姿が映し出されます。そして、下記のようなフレーズの歌が流れます。

 「老いを迎え入れるな、

  もう少し、生きたいから、

  老いに身をゆだねるな、

  ドアをノックされたら、

  いつか、終わりが来るとわかっていたから、

  立ち上がって、外に出よう」

 歌詞といい、声のトーンといい、しみじみとした味わいがあり、胸に沁み込みます。トビー・キースが歌う「Don’t Let the Old Man In」をご紹介しておきましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=RLp9pkWicdo

 これを聞いていると、次第に、90歳近い年齢で主演・監督を務めたクリント・イーストウッドからのメッセージのように聞こえてきます。

■実話の映画化に不可欠な要素は何か。

 この映画のメインプロットは、ニューヨークタイムズに掲載された記事を踏まえて、作成されています。それを支えるサブプロットとして、家族との関係、老いていく者の矜持、などが組み込まれ、ストーリーが立体的に構成されていました。だからこそ、犯罪映画でありながら、味わい深い作品に仕上がっていたのでしょう。

 つまり、実話にフィクションを加えることによって、大勢のヒトの気持ちを打つ、情感豊かな映画に仕上がったのだと思います。それでは、フィクションに不可欠な要素は何だったのか、考えてみることにしましょう。

 2014年にニューヨークタイムズに記事を書いたサム・ドルニックは、先ほどご紹介した2018年12月5日付けの記事の中で、興味深いことを書いています。この記事を書くに際し、彼は記事の骨組みになるようないくつかの疑問を、数か月にわたって調べたというのです。

 たとえば、なぜ、そのようなことをしたのか? 騙されやすい人だったのか? 詐欺師だったのか? 天才的な犯罪者だったのか? ・・・、といったような疑問です。いろいろ調べた結果、サム・ドルニックはそれらの疑問についてはそれぞれ見解を得ることができたといいます。それでも、ジャーナリストとしての彼にできるのはせいぜいそこまでだというのです。

 サム・ドルニックは、ジャーナリストとしては、調べて知りえたことしか書くことはできないといいます。事実を書くことこそがジャーナリストの仕事の鉄則だというのです。ところが、記事に書く実在の人物は、複雑で、矛盾し、謎めいていて、しかも驚くべき経歴を持つ人々なのです。

 ですから、たとえば、最初にコカインをトラックに運び入れたとき、どう思ったのか、と尋ねても、実際には決して答えてもらえなかっただろうとサム・ドルニックは書いています。そして、仮に調査しつくしたとしても、なぜ運び屋をやったのかわからないし、おそらく当人ですら、わからなかったに違いないといいます。つまり、事実をいくら積み上げても、きめ細かな心理などを浮き彫りにすることはできなかっただろうというのです。

 サム・ドルニックの記事を読み、映画制作者は閃きを感じました。だからこそ、この記事を脚本家のニック・シェンクに送付したのです。そして、シェンクは脚本家としての発案で、高齢の麻薬運び屋に手の込んだバックストーリーを創りました。すなわち、父親に憤慨している娘、家族への罪の意識、ピーカンパイへの好みといったような要素を加え、バックストーリーを創ったのです。

 まさにこの点に、実話からの映画化に際し、フィクションを創り出す専門陣営・ハリウッドが介入する余地があったといえるでしょう。ジャーナリストが紡ぎだした記事では埋めることのできない溝をフィクションで補い、ストーリーを完璧なものにしたのです。

 警察情報から実話として記事を作成したのはジャーナリストのサム・ドルニックでした。ところが、それだけでは映画化することはできず、脚本家ニック・シェンクは新たにフィクショナルな要素をいくつか付け加えました。複雑で矛盾した現実社会を生きてきた実在の人物をリアリティ豊かに再現するための装置ともいえるものです。

 確かに、父親を拒否し続ける娘を登場人物に設定しなければ、アールの深い孤独を浮き彫りにすることはできず、家族に対する罪の意識も観客に深く伝わってこなかったでしょう。そして、出来心で一回だけ運び屋をやったというのではなく、その後何度も麻薬組織の片棒を担いでいたことの理由もわからなかったでしょう。

 老いさらばえて、家族から見放されていたアールは、どこかでヒトから認められたかったのだと思います。大金を手にしたアールが、まるで家族に対する罪の意識を振り払うかのように人助けをしていたのも、その種の承認欲求の現れでしょう。退役軍人クラブの再建に尽力したときに見せたアールの表情のなんと晴れやかなことか・・・。ヒトは何歳になっても、家族や他人から認められたいのだということがわかります。

 さらに、アールはピーカンパイが大好きだという設定でした。ピーカンパイというのは、ナッツを上に載せたパイのような焼き菓子です。子どもが大好きなお菓子ですから、ピーカンパイが好きだというだけで、老いたアールに子どもらしさ、可愛らしさのイメージを加えることができます。映画の中ではトランクを開けていたとき、近づいてきた警官に、アールはとっさの知恵を働かせて、ピーカンパイを話題にし、煙に巻いていました。

 このように脚本家ニック・シェックが新たに付け加えた要素は、ストーリーを強化し、キャラクター像を立体的なものにする効果がありました。なにより大きな効果は、父親を拒否し続ける娘を設定することによって、単なる運び屋のストーリーを情感豊かな人生ドラマに変貌させたことでしょう。

 その結果、観客の心を打つ素晴らしい映画に仕上がりました。実話にフィクショナルな要素を加えてはじめて、ストーリーが強化され、登場人物それぞれにリアリティが感じられ、感情移入も可能な作品世界が生み出されたのです。

 この映画の作品化過程をストーリー構成の観点から読み解いてみて、さまざまなことがわかってきました。

 同じストーリーを扱うとはいっても、ジャーナリストの領分と脚本家の領分とは異なるということ、映画にはフィクショナルな要素が、事実の隙間を埋めるために必要だということ、などを思い知ったのです。

 もちろん、映画の構成要素はストーリーだけではありません。映像や音楽・音響もまた重要な役割を担っています。ただ、今回は、実話からの映画化という点で、「運び屋」に興味を抱いたので、ストーリー構成の観点からこの映画について考えてみました。総合芸術としての映画はこのように複雑多岐で多様、多義的で融通無碍、だからこそ、面白いのだと思いました。(2019/3/17 香取淳子)

JOSHIBISION展覧会:チャレンジする新しい才能との出会い

■「JOSHIBISION2018-アタシの明日―」の開催

 「JOSHIBISION2018-アタシの明日―」が2019年3月1日から6日まで、東京都美術館で開催されました。ここでは、女子美術大学の大学院・大学・短期大学部の学生及び卒業生の中から厳選された作品が展示されています。2018年度女子美術大学の成果を一望できる貴重な展覧会でした。私は最終日の3月6日、訪れました。

会場入り口

 展示作品はどれもさまざまな工夫が凝らされていて、見応えがありました。今回は、とくに印象に残った三人の作家の作品を取り上げ、ご紹介していくことにしましょう。

 会場に入ってすぐ、目に飛び込んできたのが、中村萌氏(2012年、大学院修士課程修了)の作品でした。

■中村萌氏の三作品

 造形された子どもたちの表情がなんともいえず可愛らしく、思わず、立ち止まってしまいました。見た瞬間に気持ちが引き込まれてしまったのです。きわめて訴求力の高い作品でした。

中村萌氏の作品

 向かって右の作品を展示した台の下に、これら三作品のタイトルがまとめて書かれていました。向かって右が「Hello darkness」(油彩、楠)、向かって左が「waiting for spring」(油彩、楠)、そして真ん中が「cloud child」(油彩、楠)です。

 奇妙なタイトルだと思って、しばらく作品を見ているうちに、それぞれ、一日の時間帯、季節、天候を示すタイトルだということがわかってきました。

 「Hello darkness」では、子どもが右手を高く掲げ、「夜さん、こんにちは」(Hello darkness)といっている様子が表現されています。そして、「waiting for spring」では、ひたすら「春を待ちわびて」(waiting for spring)、寒さで縮こまっている様子の子どもが造形されています。さらに、「cloud child」では、「どんよりとした雲の中で佇む子ども」が創り出されています。子どもの姿を借りて、夜、冬、雲が擬人化されているのです。

 いずれの作品も、ともすれば、気持ちが暗くなってしまいがちな環境下で、子どもが健気に生きている様子がしっかりと、しかもユーモアを込めて表現されていました。一見、奇妙だと思ったタイトルが、実は、造形された作品の趣とぴったりと合っていることがわかります。

 どの作品にも、素朴な中に愛らしさがあるばかりか、力強い生命力が感じられました。木材(楠)にくすんだ色の油絵具で着色されているせいでしょうか。土着の強さ、揺るぎのなさ、そして、子どもたちの健気さまでもが巧みに表現されていたのです。

 観察力が鋭く、造形力が確かだからこそ、これだけの作品を制作することができたのでしょう。これらの作品を見ていると、次第に気持ちが和んでいくのを感じました。そればかりではありません、現代社会に生きる私たちが見失ってしまったものが何なのか、作品が教えてくれているような気がしてきたのです。作者が卓越した抽象化能力の持ち主だったからでしょう。表現されたものの背後にある真髄まで堪能することができました。しっかりとした概念の下で、これらの作品が制作されていたことがわかります。

 次のコーナーで目を奪われたのが、村野万奈氏(大学3年、美術学科洋画専攻)の作品です。

■村野万奈氏の「shelter」

 まず、作品が大きな布に描かれているのに驚いてしまいました。しかも、3つの作品が展示されていたのに、タイトルは一つ、「shelter」(アクリル、油彩、色鉛筆、綿布)でした。

 取り敢えず、展示順に三作品をご紹介していきましょう。便宜的に番号を振りました。


「shelter」 1

 木々の陰に子どもたちが隠れています。半身を隠しながら、どの目もじっと観客側を見ています。いったい、何があるのでしょうか。とても気になる絵柄です。

 次に展示されていた作品では、囲われた中を若者たちが俯き加減で、同じ方向に向かって歩いています。ところが、どういうわけか、一人だけ観客の方に顔を向けている若者がいます。なぜなのでしょうか。この作品も気になります。


「shelter」 2

 そして、最後の作品です。


「shelter」 3

 多数のヒトが描かれていますが、観客側を見ている者は一人もいません。ここでは観客への問いかけはなく、作品が画面の中で完結しています。何か異常事態が発生したのでしょうか。男女さまざまなヒトが輪になって集っているシーンです。手前に草木、そして、背後に山のようなものが描かれていますから、ここで集っている人々はコミュニティのメンバーのようにも見えます。

 幸い、タイトルの下に説明文のようなものが書かれていました。

「もういいや、隠れよう。

 きっと見つけてくれるよ。

 その時まで、バイバイ。また会おうね。」

 おそらく、これらのフレーズの一つ一つがそれぞれの絵の概念になっているのでしょう。一連の作品に、観客の注意を喚起し、興味を呼び起こし・・・、という流れを見ることができます。ストーリー性のある作品でした。

 この作品で興味深かったのは綿布を支持体としていたことでした。しかも、大きな綿布の上にアクリル、油彩、色鉛筆で着色されていたのです。その布が吊り下げられているのですから、当然のことながら、絵具の重みで画面には皺ができ、弛みができます。上部の弛みはとくに印象的でした。それらの微妙な弛みや揺らぎが恰好の空気感となって、画面を一種の生命体のように息づかせていたのです。新しい表現手法に工夫の跡が感じられ、素晴らしいと思いました。

 最後のコーナーで、斬新な感覚に溢れていたのが、サ・ブンティ氏(大学院1年、美術研究科前期課程、洋画研究領域)の作品です。

■サ・ブンティ(ZHA Wenting)氏の「八駿猫」

 大きな平台に置かれていたのが、サ・ブンティ氏の「八駿猫」(アクリル、色鉛筆、インク、水彩紙)でした。なによりもまず、作品の大きさとモチーフの斬新さに驚いてしまいました。


サ・ブンティ氏 の作品

 会場におられたサ・ブンティ氏に尋ねてみると、作品自体の大きさは3m×1mで、表装した状態では3.6m×1.3mにもなるそうです。平置きなので俯瞰することができず、全体像がよく見えませんでした。そこで、壁に掛けた状態で撮影した写真を、サ・ブンティ氏から見せてもらいました。

 この写真を見ると、8頭の馬が水面を激しく蹴散らしながら疾走している様子がよくわかります。縦にして見ると、馬に蹴散らされた波が荒々しく立っている様子がくっきりと見えてきました。そして、水面の色と背景のピンク系の淡い色の濃淡がよく調和し、モチーフを柔らかく包み込んでいることに気づきます。

●「八駿猫」

 画面の右上に「八駿猫」と書かれています。この作品のタイトルですが、聞いたことのない言葉です。そこで、タイトルの下に書かれている説明文を読むと、以下のように書かれていました。

「動物も人間社会のような環境を持っていると仮定すれば、動物の目から見たこの世界は全く異なる物なのではないだろうか。今この思想に基づいて、連作を創作している。
この作品は、ネコの頭と馬の身体が融合して生まれた新しい神獣をイメージして出来上がったものだ。構図は中国水墨画「八駿馬」に基づいている。」

会場での説明文より。

 どうやら、「八駿馬」、「ネコの頭と馬の身体が融合した新しい神獣」というのがこの作品のキーワードのようです。そう考えると、「八駿馬」に基づき、「八駿猫」というタイトルのこの作品が生み出された経緯を理解することができます。

 それでは、具体的に作品を見ていくことにしましょう。

 白、グレー、茶、卵黄、さまざまな色の馬が重なり合って、水しぶきを上げながら疾走しています。宙に浮かんだ脚、水面を蹴散らす脚、駿馬たちが目にも止まらない速さで描けていく様子が、躍動感に溢れた構図で描かれています。どの馬も脚、胴体、臀部などの筋肉の付き方が見事です。この部分が「八駿馬」に相当するのでしょう。

 頭部を見ると、大小さまざまな猫がさまざまな表情を浮かべています。左端の猫は大きく目を見開いてきょとんとした顔をしていますし、その右の白い猫は顔を上に向け、愛らしい横顔を見せています。そして、グレーの猫は恥じらう様子を見せながら、顔をそっと観客側に向けています。その右の茶色の猫は観客側を見つめ、右端の猫は大きく口を開けて顔を上に向け、怒ったような表情を見せています。

 画面が大きすぎて、5匹の猫の顔を収める写真しか撮影できませんでしたが、これが「八駿猫」に相当するのでしょう。さまざまに描き分けられているところに、卓越した画力を感じさせられました。毛の一本一本が色鉛筆で描かれているのです。

 これを見ていると、一口に猫といっても実体はさまざまだということがわかります。色や毛並みが異なれば、顔付きも異なっています。それぞれの性格を反映するかのように表情もさまざまに表現されていました。人間社会と同様、猫もまたそれぞれ、個性をもつ存在であることが示されています。そして、それらが全て逆さまに描かれているところに、メッセージ性が感じられます。

●「八駿馬」vs「八駿猫」

 調べてみると、「八駿馬」は紀元前11世紀ごろ、周王朝の穆王が所有していたという8頭の駿馬を指すことがわかりました。「絶地」(土を踏まないほど速く走れる)、「翻羽」(鳥を追い越せる)、「奔霄」(一夜で5000㎞走る)、「越影」(自分の影を追い越すことができる)、「踰輝」と「超光」、(いずれも、光よりも速く走れる)、「騰霧」(雲に乗って走れる)、「挟翼」(翼のある馬)、といった具合に、8頭の駿馬がいかに速く走るかがさまざまに形容され、説明されていました。

 ただ、それだけでは具体的なイメージを思い浮かべることができません。そこで、画像を検索してみると、さまざまな画像が見つかりました。その中で最もわかりやすいものを一つご紹介しておきましょう。

 こちらは水墨画のように抽象化されていないので、わかりやすく、イメージしやすいと思います。水面を蹴散らすように駆け抜ける8頭の駿馬の様子が克明に描かれています。野を駆け、川を駆け、海までも駆け抜ける勢いが伝わってきます。とてもリアルな画像です。

 再び、サ・ブンティ氏の作品に戻りましょう。

 具象画の「八駿馬」とサ・ブンティ氏の「八駿猫」を見比べてみると、「八駿猫」で描かれた世界がいかに可愛らしく、ファンタジックに仕上げられているかがわかります。

 「八駿馬」に基づいて書かれていますから、「八駿猫」でも8頭の馬が水面を駆けている様子が描かれています。水しぶきが激しく散っていますから、駿馬の速さを容易に想像することもできます。

 「八駿馬」と決定的に異なっているのが、頭部の表現とピンク系の背景色、そして、波間に漂う魚のようなモチーフです。これらの要素こそ、この作品の独自性であり、伝統に持ち込まれた革新性であり、さらには、観客が「八駿猫」にファンタジックなものを感じる要因になっているのでしょう。

●構想と構成

 駿馬が疾走する足元の水面に、何やら妙なものが見えます。よく見ると、この奇妙なものは波間に漂うように、随所で浮遊しています。

 尾ヒレ、背ヒレが描かれていますから、きっと魚なのでしょう。ところが魚の顔に相当する部分には眉や鼻、口が描かれており、明らかに人間の顔をしています。まるで人面魚のようなものが波間に浮かんでは消えていくように描かれているのです。

 サ・ブンティ氏に尋ねてみると、もし私がこの水面下にいる魚だったら、何が見えてくるだろうかと思って描き込んだといいます。そして、これも作品コンセプトに基づくものだと説明してくれました。

 そういわれてみると、猫の顔を逆さまにする、魚の顔を人間にする・・・。一見、奇妙に思えたモチーフの描写も、実は、ヒト中心で動いている現代社会への問いかけではなかったかと思えてきます。

 ヒト中心に組み立てられた世界は、動物から見れば、どう見えるのか。ヒトが劣位に置かれた場合、世界はどう見えてくるのか。さらには、ネガティブなイメージはポジティブなものに変換できるのか、といった具合に、この作品にはいくつものテーマが含まれており、知的な刺激を受けました。

 この作品を見ていると、絵画は非言語的な媒体だといいながら、実は、明確なコンセプトに基づいた論理的な画面構成がいかに重要かを思い知らされます。つまり、構想を作品化する過程で、言語的な処理が必要なのです。論理的に作品化を考えたからこそ、作者は画面上の全てのモチーフを、整合性を保って配置することができたのでしょう。

■チャレンジする新しい才能との出会い

 この展覧会に参加し、素晴らしい作品に出会うことができました。ここでは特に強く印象づけられた三人の作家をご紹介してきました。三者三様、チャレンジ精神にあふれており、新しい才能の出現を感じさせられました。

 中村萌氏は、木材(楠)に油絵具で着色するという技法で、独自の作品世界を構築していました。作品はどれも一見、可愛らしく、微笑ましく、ほのぼのとした印象が強いのですが、実はとても力強く、観客の気持ちを本源的なところで強く揺り動かす力がありました。

 そして、村野万奈氏は、綿布にアクリル、油彩、色鉛筆で着色するという技法で、独特の世界を創造していました。三つの展示作品にタイトルは一つでしたから、三幕構成で制作された作品だといえるでしょう。一幕目と二幕目は謎を残すような画面構成でした。ストーリー性のある作品構成に新鮮さをおぼえました。

 最後に、サ・ブンティ氏は、水彩紙に、色鉛筆、アクリル、インクで着色し、伝統を踏まえながらも、見たこともない斬新な作品世界を生み出していました。コンセプトが明確で、しかも、きわめて論理的に作品化されているところに豊かな知性を感じさせられました。

 ご紹介した三人の作家の作品を見ていると、新しい才能が次々と誕生しつつあることを感じさせられます。いずれもモチーフや表現技法、素材の可能性に挑戦し、独特の世界を創り上げようとする熱意が感じられました。そこに、芸術家に必要なチャレンジ精神を見たような思いがしました。今後、彼女たちがどのような表現世界を展開してくれるのか、おおいに期待したいと思います。(0219/3/8 香取淳子)

アジア創造美術展2019 ②:多様な墨芸術の胎動

■多様な国、文化を踏まえた作品

 前々回のブログでお伝えしたように、「アジア創造美術展2019」は、明確なコンセプトの下、多様な作品が展示されており、とても見応えがありました。先回、ご紹介しきれなかった作品をピックアップし、今回、取り上げてみたいと思います。

 振り返ってみると、改めて、なんと国際色豊かな展覧会だったのかと思います。水墨画でありながら、中国、ロシア、スイス、イギリス、ポーランド、バングラデシュ、モルドバ共和国など、海外から多数、出品されていました。出品者の国や文化が多様なら、年齢もさまざまでしたし、作品様式も多彩でした。

 絵画形式の作品はもちろんのこと、伝統的な軸があるかと思えば屏風があり、灯籠があるかと思えばオブジェがあるといった具合です。いずれも墨だからこそ表現できる特性が際立つ作品ばかりでした。墨芸術が国境を越え、いかに幅広くさまざまな地域に浸透し、享受されているかがわかります。

 会場の一端をご紹介しましょう。

会場風景

 

 今回は、多数の作品の中から印象に残った作品をいくつか、ご紹介していくことにしましょう。

 全体をざっと見て、その中から、①民族文化の滲み出た作品、②新奇性、先進性、テクノロジーを取り込んだ作品、③実在感、ニュアンスの表現に優れた作品、という観点から、それぞれ2,3点ずつ取り上げてみました。作者にお話しを聞く機会がなかったので、誤解しているところがあるかもしれませんが、その点はご了承いただければと思います。

■民族文化が滲み出た墨芸術

 モチーフの背後から民族文化が色濃く滲み出ている作品がいくつかありました。張暁文氏の「湧」と久山一枝氏の「菊花」です。いずれも民族文化を踏まえながらも、現代的要素が取り入れられており、印象的でした。

 それでは、順に、ご紹介していきましょう。

●張暁文氏の作品

 入口近くに展示されていたのが、張暁文氏の「湧」という作品です。4枚の絵が段差をつけて、右から左に下がっていくようにレイアウトされていました。賛助出品として展示されていた作品です。

 

 4枚の絵に共通するのは、墨の濃淡で表現された拡散性のある図柄です。作者の制作意図がどういうものだったのかわかりませんが、取り敢えず、観客の目から見た解釈を試みてみましょう。説明しやすくするため、4枚の絵に左下から順に番号をふってみました。

 まず、左下の作品(①)から見ていくことにしましょう。

 画面の下半分に、墨の濃淡で表現された洞窟のようなものが見えます。中央左付近には深い窪みがあり、上半分は淡い黄色や紫色の痕跡がごくわずかに残る乳白色が広がっています。そのせいか、この部分は洞窟の中の鍾乳石に見えます。

 その鍾乳石に見える岩盤状のものに所々、丸い穴が見えます。波の浸食作用によって形成されてきた石灰石のようなものの中に、大小さまざまな穴が開いているのです。所々、白い突起物のようなものも見えます。何千年もの時を経て、創り出されてきた洞窟の中の形状が独特で、とても印象的でした。

 興味深いことに、白い突起物のようなものは拡散性を持ちながらも、画面の内側に向いています。精巧に作られた文様のように見えなくもありません。ですから、この洞窟のようなものは、長い年月を経て形成された基層となる文化が象徴されているように見えます。

 次に、その隣の作品(②)を見てみることにしましょう。

 この絵は全般に明るく、暖かな印象があります。背景にごく淡い赤、黄色などが取り入れられているせいでしょう。淡いグレー地のあちこちに、淡い赤や黄色が境界も曖昧なまま、滲みが広がった状態で配されているのです。

 線や円が多用されており、どちらかといえば、わかりやすい図柄です。左下から放射線状に多数の線が伸び、その上に大小さまざまな円が拡散するように描かれています。グレー地に淡い赤や黄色が散った背景の上に描かれているせいか、

 大小さまざまな墨の円がパっと咲いた花のようにも見えます。これらの円は多様な形で結実した文化の結晶と見ていいのかもしれません。

 それでは、その右隣の作品(③)を見てみましょう。

 この作品からは、荒れ狂う海が連想されます。タッチの強弱や明暗を軸に、墨のさまざま表現技法を駆使して描かれています。そのせいか、激しさ、荒々しさが際立って見えます。画面の下半分は波が大きく打っては返す様子が描かれています。白く描かれているとことは波頭が立っているところなのでしょうし、黒く見えるところは沈み込んだ海面なのでしょう。

 上半分に見える小さな黒点や白点は、激しく飛び散る波しぶきなのでしょう。高くそそり立った波しぶきのせいで周囲が曇り、空も見えなくなっています。この作品で表現されているのは、これまで蓄積されてきたものすべてが破壊されるほどの異変、まさに、天変地異ともいえるほどの激変です。

 最後に、右端の作品(④)を見てみることにしましょう。

 この作品には②と同様、部分的に着色されています。墨が基調であることに変わりはないのですが、画面の下半分から上方に向けて黄色の濃淡が同心円上を中心に向かっていくように形取られています。

 左下方から右にかけて、墨のかすれや濃淡を使いながら、大きな弧が3つ描かれています。求心的な構造になっていると思ったのはこの弧のラインの一端が同心円状になっていたからでしょう。そこから先は淡い墨のグラデーションで処理され、やがて、淡い黄色の混じった白に収斂されていきます。まるで、暗い過去から明るい未来へというメッセージが込められているかのようでした。

 よく見ると、この作品には満洲文字が書かれています。何が書かれているのか、意味はわかりませんが、文字の書かれた場所やその大きさを見る限り、書と画が一つの画面の中で調和していることがわかります。おそらく、4枚の絵のコンセプトが総合して④の作品に示されているのでしょう。ふと、「書画」という言葉は中国では、「美術」を指すことを思い出しました。

 このように見て来ると、①から④で示されたものはいわゆる「起承転結」に相当するもので、「湧」という作品全体の概念構成になっていると考えられます。

 そこで、引きさがって全体を見ると、作品の右下に、《赫舍里・暁文の「満洲画」》と題する文章が掲げられていました。ご紹介しておきましょう。


 満洲民族は、中国の歴史書では2000年前から記載され、かれらが建てた清王朝は300年間中国全土を治め、更に初めてチベット、ウィグル、モンゴルの全地域を版図に組み込んだ大帝国であった。
 赫舍里・暁文の「赫舍里」は彼女の満洲氏族名「赫舍里氏」のことである。
 氏は、既に中国に於いて、成績を残した中国画家であるが、来日25年の日本画研鑽、満洲の歴史研究により、「満洲画」の試作を開始した。
 そして、「満洲画」シリーズを発表し、満洲文字と中国画、日本画、北方民族の感性を合わせた、新しい絵画様式の感性に成功している。


説明文より。

 この説明文を読んでから、改めてこの作品を見ると、①から④の作品にはそれぞれ、満洲文化が辿ってきた過程が表現されており、最後の④の作品には満洲文字を添え、伝統を引き継いだ張暁文氏の心意気が表現されているのではないかという気がしてきました。

 そういえば、この作品のタイトルは「湧」です。「湧」には「水が湧き出る」、「盛んにおこる」といった意味合いがあります。上記の説明文を踏まえ、①から④の作品を重ね合わせて考えてみると、張暁文氏はおそらく、水が湧き出るように、自然発生的に育まれてきた満洲文化(①)を踏まえ、墨芸術が開花し(②)、時を経て、怒涛の荒波に曝されながらも(③)、息を吹き返し、勢いを増して発展していく(④)ことを願って、この作品を制作されたのではないかと思いました。

 満洲文化を踏まえ、4つに分けて概念構成を明示した展示方法に新鮮さを感じました。

●久山一枝氏の作品

 同じコーナーに展示されていたのが、久山一枝氏の「菊花」です。大きな菊の花弁がとても豪華だったのが印象的でした。モノクロ表現でありながら、パっとした華やぎが感じられ、思わず、足を止めて見入ってしまいました。この作品は賛助出品として展示されていました。

菊花

 

 花弁の先が巻き上がるような形状で、大輪の花がいくつも咲き誇っています。形状からいえば、きっと大菊なのでしょう。大菊の直径は20㎝ほどにもなるといいます。その大輪の花が画面いっぱいに、さまざまな方向を向いて咲き誇っているのですから、まさに豪華絢爛としかいいようがありません。

 一般にこの形状の菊花は、一枝にいくつもの花弁を咲かせるものではないそうです。ところが、この作品ではいくつもの花が描かれています。「く」の字の形をした窪みのようなものを背景に、小さな葉がいくつも描かれ、菊花の周辺には丸くて白い円形のものが拡散するように描かれています。伝統的なモチーフを扱いながら、現代的なテイストが感じられる装飾的な作品でした。

 中心部分をクローズアップして見てみることにしましょう。

 窪みの部分には、小さな葉のような形態のものが多数、濃淡で奥行きを表現しながら描かれています。見ていると、まるで暗い穴底に落ち込んでいくような錯覚すら覚えます。大輪の菊花が醸し出す華やかさの背後に、得体のしれない闇が広がっているようにも見えてきます。

 暗闇を適宜、配した画面構成だからこそ、この作品で描かれた大輪の菊の花がことさらに高貴で美しく、豪華に見えたのかもしれません。

 そもそも、菊花を図案化した紋章は武家の家紋として使われてきましたし、八重菊を図案化した菊紋のうち、十六八重表菊は皇室を表す紋章でもあります。さらには毎年、秋になれば、菊花展が全国至る所で開催されており、人々の生活文化の中にしっかりと根付いています。したがって、菊花はまさに日本文化そのものといえるでしょう。

 この作品のモチーフは、日本文化を象徴するものであり、伝統を踏まえたものといえます。ところが、構図や画面構成には現代的な装飾性が取り入れられ、伝統と現代とが一枚の画面の中で巧みに融合していたという点で、新鮮さが感じられました。

■墨芸術が拓く新たな地平

 会場をゆっくり歩いていくと、伝統を踏まえながらも、墨芸術の地平を切り拓こうとする意欲を感じさせられた作品が何点か目に留まりました。林明俊氏の「鳴秋」、鎌田明風氏の「松鼠在秋天」、岡島英号氏の「UNUS」です。

 順にご紹介していくことにしましょう。

●林明俊氏の作品

 最初、ざっと見たときは、色遣いが変わっていると思っただけで、見過ごしてしまいました。なんとなく気になったので引き返し、改めて見てみると、色遣いと筆致が斬新で、新鮮な印象がありました。滲みの表現に先進性を感じさせられたのです。それが、中国から一般作品として出品されていた林明俊氏の「鳴秋」という作品でした。

鳴秋

 

 最初、見過ごしてしまったのは、おそらく、色遣いに違和感を覚えたからでしょう。ところが、改めて見返してみると、違和感を覚えた箇所には、一定の流れと動き、有機的な繋がりが感じられ、画面構成上、重要な役割を果たしていることに気づきました。

 よく見ると、左上から右下へという流れの中で大胆に着色された黄色や赤の色遣いには、違和感よりもむしろ、紅葉した木々の葉が風に吹かれて落ちていくダイナミックな様態が感じられます。黄色や赤が、滲んだ点になったかと思えば、濃いシャープな線になって下方に流れ、紅葉した葉が見せる華やかでランダムな動きとして表現されているのです。

 一方、右端の黄色や赤は墨と交じり、黒ずんでいます。おそらく、紅葉した葉がやがて枯れ葉に変貌していく様子が抽象的に表現されているのでしょう。一枚の画面の中でさり気なく、華やかな紅葉シーンと、枯れ葉となって散っていく変容過程が収められていました。滲みと濃淡が巧みに組み合わされて、秋のひとときが詩情豊かに表現されていたのです。

 さて、この作品のタイトルは「鳴秋」です。それは、ハラハラと落ちていく紅葉した葉の音を表しているのでしょうし、実際に、小鳥の鳴き声を指してもいるのかもしれません。

 見ると、左中ほどに緑色の小鳥が幹に止まっています。紅葉した木の幹にそっと立ち、小鳥もまた秋の風情を楽しんでいるように見えます。画面の中で小鳥だけが色濃く、強い筆遣いで描かれていますから、小さいながらも目立ちます。太い木の幹は淡い墨の滲みで表現されており、墨で小さく散らされた樹皮の模様がはっきりと見えますから、まるで木が呼吸しているかのようです。

 この作品ではメインモチーフを小さくても濃く、強く描き、それ以外は淡い墨の滲みを多用し、画面全体が重くならないような工夫がされています。そのせいか、抽象画のような画面構成でありながら、水墨画ならではの優しさ、柔らかさ、そして、穏やかな流れや動きが見事に表現されていると思いました。

●鎌田明風氏の作品

 意表を突かれたのが、鎌田明風氏の「松鼠在秋天」(秋のリス)で、タイトルが中国語で書かれています。作家部門で出品されていた作品です。


松鼠在秋天

 

 一見、軸装された水墨画に見えますが、どういうわけか、画面は背後からプロジェクターの光で照らし出されています。不思議に思って近づいてみると、描かれたリスが驚いて木に駆け登り、あっという間に逃げてしまいました。

 今度は私の方が驚いて、少し引き下がって床を見ると、ラインが引かれており、ここから近づくと栗鼠が逃げますと書かれています。見上げると、吊るされた作品の周囲には、ポールで組み立てられた矩形の装置が見えます。おそらく、この装置のどこかにセンサーが仕組まれており、観客が作品に近づくのをキャッチし、アニメーションが作動するよう設計されているのでしょう。

 

 実際、作品に近づくと、リスがアニメーションで動き、素早く木を駆け上っていきます。まるで本物のリスが絵の中に隠れているのかと思ってしまうほどでした。水墨画で描かれた画面の中にアニメーションが組み込まれていたのです。しかも、このアニメーションの駆動は観客の行為(作品に近づく)によってスイッチが入る仕掛けになっていました。観客が作品との相互作用を楽しめるようにもなっていたのです。

 画面を見ると、対角線上に左下から右に伸びる形状で木の幹が描かれており、その左下に一匹のリス、中ほどやや上の枝にまた一匹のリス、そして、右上方部に一匹のリスが描かれています。いずれもリスの周辺は黄色く照らし出されていますから、素早い動きでも観客は容易にキャッチできます。

 構図といい、複数のモチーフの色彩バランスといい、安定した画面構成が印象的でした。安定感のある画面構成だからこそ、観客はごく自然に、リスの動きを受け止めることができたのでしょう。作品として素晴らしいだけではなく、プロジェクションマッピング技術を使った見せ方にも工夫が凝らされており、先進性が感じられました。

●岡島英号氏の作品

 なんとも奇妙な作品です。気になって近づいて見ると、岡島英号氏の「UNUS」というタイトルの作品でした。作家部門での出品です。


UNUS

 

 天井から墨の滲んだ布が水平に広げて何枚か、吊り下げられています。墨の広がりや形状がそれぞれ違いますから、おそらく、そこになんらかの意味が込められているのでしょう。その下には組み立てられたポールに、墨の滲んだ布が垂直に吊るされています。ポールを囲うように吊るされた布は、傍らを観客が行きかう度に、連動して微かに揺れ動いています。まるでそこだけ微風が吹いているかのようでした。

 ポールの下を見ると、床に何やら置かれています。どうやらこの作品の設計図のようです。左側に置かれているのが展示で使用された布の図案、構成図、組立図で、右に置かれているのが完成図で、これが最終的な作品の形です。いずれも墨で描かれていました。

 右側にはさり気なく小さな用紙が置かれ、そこには作品タイトルと作者名、制作意図、作者の来歴が書かれていました。作品内容を説明する重要な情報です。それが小さな紙にまとめられ、床に置かれていたのです。うっかりすると、見落としてしまいかねません。あまりにも無造作な展示方法を見て、作者はこれで観客を試しているのかもしれないと思ってしまったほどでした。

 さて、この作品のタイトルは、「UNUS」です。聞き慣れない言葉なので、タイトルだけでは何もイメージすることができません。作者はいったい、この作品で何を表現しようとしたのでしょうか。

 手掛かりを求めて、床に置かれた小さな紙に近づいてみました。すると、以下のような説明文が目に入りました。


UNUSはラテン語で1や全を意味する言葉。

16枚重ねた不織布の上に点、円、線の流れを1筆で描き、浸透させて16分割して再配置。
1つのきっかけからなんらかの環境が生じ、そこに様々な人々も生まれた(含まれた)過程を再体験している。
4つの垂直面に色の濃い、薄い、大きい、小さい、人のような形。
水平軸に黒くて大きな渦、薄く淡い月、領土のような形。
元々は1筆、その違いにどんな意味があるのか、ないのか。
遠ざかって見えるもの、見失うもの、
近くに寄って見えるもの、見えてしまうもの、
立場や視点の違いにどんな意味があるのか、ないのか。


説明文より。

 この説明文を読んでようやく、作品鑑賞の手掛かりを得ることができました。

 まず、タイトルは「1、あるいは全を示すラテン語」だということでした。これを敷衍させ、両者を結合させれば、「UNUS」を1(要素)と全(全体)と読み直すこともできます。

 再び、文面を読むと、「1つのきっかけからなんらかの環境が生じ、そこに様々な人々も生まれた(含まれた)過程を再体験している」と書かれています。これがおそらく制作意図なのでしょう。この文面からは、ヒトはさまざまな連鎖体系の中で生きているという考え方が示されています。「再体験している」というフレーズからは、個体発生は系統発生を踏襲するという概念まで読み取ることができるかもしれません。

 作品様式としては、「4つの垂直面に色の濃い、薄い、大きい、小さい、人のような形。水平軸に黒くて大きな渦、薄く淡い月、領土のような形」を表現したということでした。確かに、天井近くの水平面には、渦(海)、月(空)、領土のような形(大地)を表す布が吊り下げられ、垂直面には、墨の濃淡や大小でヒトを表す布が張られていました。

 こうして見て来ると、この作品には作者のホリスティックな考え方が浮き彫りにされているように思えてきます。

 ヒトは、自然を含むさまざまな環境の下で生きているだけではなく、代々の祖先を継承した存在であり、さまざまな連鎖体系の中で繋がり合っている存在だというが示されているといえるでしょう。まさに日本文化に内包された概念です。

■墨ならではの実在感、ニュアンスの表現

 墨だからこそ表現できる実在感、あるいは微妙な表現が際立つ作品がいくつかありました。矢形嵐酔氏の「欧州夕刻街路」、王羽氏の「秘境梵音」、宮本信代氏の「ナニ?」です。

 それでは順に、見ていくことにしましょう。

●矢形嵐酔氏の作品

 入口近くに展示されていた作品の中で異彩を放っていたのが、矢形嵐酔氏の「欧州夕刻街路」です。水墨画なのに油彩画を思わせる雰囲気があり、立体的な奥行きと重量感が印象的でした。賛助出品として展示されていた作品です。


欧州夕刻街路

 

 両側に石造りの建物が並び、その間の狭い道路にはヒトや車が多数、描かれています。

 両側に石造りの建物…‥、と書きましたが、実際は左側の建物ははっきりと描かれているわけではありません。左端に窓のようなものが部分的に描かれているだけなのに、観客は、左側にも右側と同じようにどっしりとした建物が建っているように想像してしまいます。

 なぜ、そう思ってしまうのでしょうか。

 改めて作品を見てみると、画面の左上方から真ん中にかけて、かなりの面積が白、あるいは淡い墨の濃淡で処理されています。そして、中央辺りから下、斜め右方向に描かれた道路もまた、白、あるいは淡い墨の濃淡で表現されています。明るく見える箇所に観客の視線が誘導されていく仕組みです。

 ですから、右上方向から射しこむ陽光によって建物や道路が、明るく照らし出されているように見えてしまいます。建物の形状をはっきりと描かなくても、観客は建物の実在を感じ、街並みを想像します。モチーフの形状よりも、淡い墨の濃淡によって表現された陽光の存在が、画面に奥行きを感じさせ、石造りの建物の堅牢さを際立たせる効果をもたらしていたのです。

 興味深いのは、墨の滲みの濃淡と白の使い方が素晴らしく、画面に、墨ならではの空気感と陰影がごく自然に付与されていたことでした。おかげで、この街の佇まいに、油彩画では表現できない風格と情緒が漂い、しっとりとした情感が醸し出されていたように思います。

 たとえば、遠景の中央からやや左寄りに淡い墨の途切れた箇所があり、そこに配された白が、まるで雲間から射し込む光のような役割を果たしていました。その陽光はちぎれたような形状を残しながら、下に降り、地上近くにひときわ明るい箇所を生み出しています。それが弧状の橋のようなものをくっきりと浮かび上がらせ、観客の想像力を刺激します。ごくわずかな余白といえるようなものが画面に設定されることによって、想像力の働く余地を創り出しているのです。

 この絵の前に立つと、どういうわけか、しっとりとした情感が喚起され、気持ちの奥深く揺さぶられるような気持ちになってしまいます。墨の滲みやその濃淡を使って、遠景がけぶって見えるよう描かれていたせいでしょうか、郷愁を誘われるような深い味わいがありました。

●王羽氏の作品

 一見するなり、気持ちが強く引き付けられ、立ち止まって見入ってしまったのが、王羽氏の「秘境梵音」でした。展示されていた一角で、際立って見えたのです。一般部門、中国からの出品でした。

 老いた女性の肖像画で、画面の中に特段、意表を突かれるような要素があったわけではありません。ですから、多くの展示作品の中でなぜ、この作品が際立って見えたのか、私自身、不思議に思うほどでした。ところが、数歩、引き下がってみても結果は同じでした。やはり、この作品が飛び込むように目に入ってくるのです。


秘境梵音

 

 幾重にも皺の寄った額、大きく垂れ下がった眉と瞼、皺が深く刻まれた頬、大きな鼻にすぼんだ口元、顎から首にかけての皺の寄ったたるんだ肌・・・・。どれも老いの兆候そのものです。

 いってみれば、老いが深く刻み込まれた顔でしかないのですが、私はこの顔に強く引き付けられてしまったのです。遥か彼方を眺めるこの女性の表情に引き付けられたのでしょうか。それとも、目の表情に集約的に表現されている何か、言葉では説明しえないものに釘付けになってしまったのでしょうか。

 悲しそうであり、不安そうでもありますが、絶望しているわけでもない、微妙な表情です。長年の労苦が刻み込まれた顔であることは明らかですが、悲壮感はなく、どこかしら清らかなものさえ感じさせられます。

 視線を落とすと、女性は手に何か、子どものおもちゃのようなものを持っています。そういえば、この作品のタイトルは「秘境梵音」でした。何か関連があるのかもしれないと思い、まず、画像で調べてみましたが、該当する画像はありませんでした。

 再び、作品を見ると、左手に数珠を持っているのに気づきました。そこで、「チベット仏教」、「仏具」というキーワードで画像を検索してみると、似たような形状のものが見つかりました。マニ車です。

 Wikipediaによると、マニ車とは主にチベット仏教で用いられる仏具を指し、円筒形で、側面にマントラが刻まれ、内部にはロール状の経文が収められているそうです。使い方としては、マニ車を右回りに回転させると、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされていると書かれていました。

 説明文と同じページに、老いた女性が寺院でお祈りしている写真が掲載されていました。左手首に数珠をぶら下げ、右手でマニ車を高く掲げて、祈っている姿でした。この写真を見てようやく、この作品を理解できるような気がしてきました。

 作品の女性は、何かを見つめているような、何か考え事をしているような、“”心ここにあらず“といった表情を目に浮かべていました。だからこそ、私は気になって、視線の先にいったい、何があるのかと思ってしまったのですが、実はマニ車を回転させながら祈り、現実ではない、遥か彼方に想いを馳せていただけだったのかもしれません。

 そういえば、この作品のタイトルは「秘境梵音」です。調べてみると、梵音には、読経の声という意味があるようです。ですから、作品の女性はマニ車を回転させ、心の中で経文を唱えていたのだということがわかります。この女性の表情に清らかなものを感じさせられたのはそのせいだったのかもしれません。

 よく見れば、マニ車を握る右手、数珠を持つ左手、いずれもやや不自然ですし、衣服の表現もやや雑な印象があります。目や顔の表情にみられた繊細で的確な表現に比べ、見劣りがすることは確かです。

 ところが、そのことがこの作品の価値を低めているわけではありませんでした。逆に、顔や目の表情の素晴らしさが強調され、観客の感情移入を誘う作品になっているような気がします。

●宮本信代氏の作品

 この作品を見た瞬間、思わず笑みがこぼれてしまうのを感じました。それほど、幼児の微笑ましいシーンが的確に捉えられていました。宮本信代氏の作品、「ナニ?」です。この作品は作家部門で出品されていました。


ナニ?

 

 何かを凝視している女の子の視線、半開きの口元、ぷっくらした頬、額にかぶった柔らかな毛、透き通るような白い肌、どれ一つとっても、観客の誰もが知っている幼子の特性が見事に描き出されています。

 子どもは凝視するあまり、右足を浮かせ、つられて軽く、お尻を浮かせています。本能的に姿勢を安定させようとしているのでしょうか、ぎこちなく指を折り、左手をついています。不安定な姿勢になりながらも、それでも視線を動かすことをせず、凝視の姿勢を崩しません。見ることに集中しているのです。幼児の行動特性の一つといえるものが巧みに捉えられていました。

 表情といい、動作といい、何もかもが好奇心の対象になっている時期の子どもの描き方が見事です。作品を通して、作者の観察力の鋭さ、表現力の的確さに加え、モチーフを見つめる姿勢の優しさが伝わってきます。

 右肩から肘にかけて白く表現され、そこからやや位置をずらして膝から脛、靴の表面もやはり白く表現されています。そして、白く表現された箇所の周辺は淡い墨の濃淡で処理されていますから、その部分に温かな陽射しが射していることがわかります。

 柔らかな陽射しの下で、子どもの日常生活の一端が愛情豊かに捉えられており、心温まる思いのする作品でした。子どもの肌の柔らかさ、微風に揺れる髪の毛、肌触りのよさそうな衣服の襞、どれも墨ならではの微妙な表現が素晴らしく、印象に残りました。

■多彩な展示作品に見る墨芸術の可能性

 「アジア創造美術展2019」では秀逸な作品が多数、展示されていました。おかげで、多様で多彩な墨芸術を堪能することができました。

 今回は、前回ご紹介できなかった作品について、①民族文化の滲み出た作品、②新奇性、先進性、テクノロジーを取り込んだ作品、③実在感、ニュアンスの表現に優れた作品、という観点から、それぞれ2,3点ずつ取り上げてみました。紹介文を書きながら、改めて墨芸術の可能性を感じさせられました。

 さて、この展覧会には海外からの作品が多数、出品されていました。日本とは異なる文化圏で、墨を使ってさまざまな作品が制作されていたのです。そのことがまず、意外でした。さらに、それらの作品がどれも素晴らしかったので、驚いてしまいました。墨がもたらす変幻自在を自家薬籠中の物にできる力量のある作家が多かったのです。

 偶然、生まれた滲みの形状に、作家がわずかに手を加え、芸術作品に変貌させることができるのは、墨ならではの興趣でしょうし、墨芸術ならではの妙味ともいえるでしょう。しかも、それぞれの作品に込められた世界観には、和文化に内包された自然との共生、ホリスティックな世界観と重ね合わせることができるものが数多く見受けられました。

 墨芸術はまさに自然とともに存在し、自然に沿って形作ることができるという点で、和文化となじみ、世界文化とも調和していける芸術形式なのだと思います。今回、この展覧会に参加し、墨芸術の新たな可能性とその胎動を感じることができました。出品された作家の方々の今後のご活躍に期待したいと思います。(2019/2/27 香取淳子)

チームラボ「森と湖の光の祭」:原始の感覚を甦らせてくれる現代アート

チームラボ:「森と湖の光の祭」の開催

 チームラボによる「森と湖の光の祭」が2018年12月1日から2019年3月3日まで、埼玉県立奥武蔵自然公園の宮沢湖とその湖畔で、開催されています。私は西武池袋線をよく利用しますので、これまで何度か駅でポスターを見かけていました。その都度、いつかは行ってみたいと思っていたのですが、2019年2月16日夜、ようやくその機会が訪れました。

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 看板には日本語表記の下に「Digitized Lakeside and Forest」の文字が見えます。湖畔とその周辺の森がデジタルテクノロジーによって、ショーアップされるということなのでしょうか。

 遠方を見ると、暗闇の中にさまざまな色彩の光が揺らぎ、幻想的な空間が創り出されています。果てしなく広がる暗闇の下で、さまざまな色が互いに競い合っているように見えますし、時に、絶妙なハーモニーを奏でているようにも見えます。これまでに見たことのないスペースが広がっていました。

 それでは、湖畔に近づいてみることにしましょう。

 軽い坂を下りていくと、まず目に入ってきたのが、メッツァヴィレッジという建物です。

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 この建物を横から見ると、物品販売のマーケット棟になっていることがわかります。その前のスペースにはテーブルセットがいくつか置かれています。一休みしたり、軽い飲食ができるようになっているのでしょう。

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 外は寒いので私はマーケット棟の中に入って、狭山茶のソフトクリームを食べました。まろやかなお茶の香りが芳しく、格別の味わいがありました。

 それにしても、広大です。しかも、暗闇なので全体像がわからず、どの方向に行けばいいのかもわかりませんでした。ただ遠方では、あちこちで着色された光が揺らいでいるのが見えます。まるで来場者に誘い掛けているようにも見えます。いったい何があり、どういう仕掛けが施されているのでしょうか。

 取り敢えず、ヒトのいる方向に向かって歩いていくと、標識がありました。

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 左方向に行くと、ムーミンバレーパークとノルディック・スクエア(イベント広場)です。ムーミンバレーパークの文字を見て、開園するのは2019年3月16日だということを思い出しました。

 そこで、ムーミンバレーパークとは逆の右方向に向かい、湖畔沿いに歩いていくと、先ほどご紹介したマーケット棟に並んでレストラン棟があり、その先には、屋外レストラン広場がありました。

 そこには面白い形のテントが設えられており、中にはテーブルとイスが置かれていました。ここで休んだり、軽食を取ったりできるスペースになっているのでしょう。子どもが喜びそうな設えです。すでに親子連れが中に入っていました。

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 暗闇の中でこのテントを見ると、まるで波間に漂うクラゲのようにも見えます。

 そこから湖畔に目を転じると、着色された光を浴びて、木の幹や枝が華麗な姿を見せていました。これもまた、ヒトを幻想的な空間にいざなうための装置なのでしょう。照らし出された美しい枝ぶりに惹かれ、しばらく見入ってしまいました。

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 それにしても、ライトアップされた木々の立ち姿のなんと美しいことでしょう。

 湖畔の一角では、木々が青味を帯びた光に照らし出され、順序よく、静かに佇んでいます。それが暗闇に映え、水面の静けさを際立たせていました。光の祭典にふさわしく、自然の木に人工的な光と彩りが添えられ、美しく変身していたのです。

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 それでは、「森と湖の光の祭」の中心に向かっていくことにしましょう。

■森と湖の光の祭

 森に向かう湖畔の道を歩いていくと、至る所に起き上がりこぼしのような形状の光のオブジェが配置されています。触ってみると、健康ボールのような手触りです。つついてみると、起き上がりこぼしのように、すぐに元の位置に戻ります。それが道に沿って次々と配置され、暗闇の中で街灯のような役割を果たしていました。

 森の中を進んでいくと、ボーリングのピンのような形状のオブジェが置かれている場所がありました。

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 これらのオブジェは、撮影したときはたまたま赤紫色と青色で構成されたピンのようなものでしたが、時間の経過とともに、この色が次々と変化していきます。色が変化する度に周囲の景観も変化し、見る者を楽しませてくれます。

 さらに、起き上がりこぼしのような形状のオブジェが多数、置かれた広場がありました。

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 人々がオブジェの周囲に集まり、触ったり、つついたりしています。成人の身長ほどもある大きなオブジェがまるで自立した存在であるかのように立ち並び、ヒトからアクティブな行為を引き出していたのです。来場者にとっては、ちょっとした遊び道具にもなっていたのでしょう。

 やや引き下がってこの光景をみると、ヒトがオブジェの光に照らしだされ、まるで影絵のように見えます。どこまでも広がる暗闇を背景に、ヒトと光のオブジェがコラボして一種のアートシーンを創り上げていたのです。

 森の中に入っていくと、また違った光景が現れてきました。着色された光に照らされた木々と、光のオブジェ、そして、その中を歩いていくヒトが一体となって、瞬間、瞬間のアートシーンを創り出していました。

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 たまたま光のオブジェに重なるようにヒトが動き、そして、光に照らし出された木々がオブジェやヒトの色彩や形状にマッチした瞬間、その現場がアートになります。暗闇を背景にした現代アートが表出されるのです。

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 左下にピンクのオブジェが見え、右に見える小さなオブジェには人影が重なっています。ここでは典型的な光のオブジェを背景にした影絵効果が表れています。画面の中景には、左から右にかけてV状に青い光で照らし出された木々が浮き彫りになり、果てしなく広がる暗闇にアクセントをつけています。

 よく見ると、ただの暗闇に見えた背景に、うっすらと木々の枝や幹が見えてきます。おぼろな光を受け、背景に沈みこんだ木々や枝や幹からもまた、自然の深淵と広がり、興趣を感じさせられます。

 光のオブジェ、ヒト、自然が奏でるハーモニーがなんと包摂的な美しさに満ちていたことでしょう。

 時間を忘れてしまうほど、自然、ヒト、光のオブジェによって創り上げられる瞬間的なアートに魅せられてしまいました。湖畔から森に向かって歩いていくだけで、自然を巻き込みさまざまなアートシーンが創り出されていたのです。

 チームラボとはいったいどういうグループなのでしょうか。

■暗闇の中の光とサウンド

 インフォ―メンションセンターに置かれていたチラシを見ると、チームラボは、「2001年に活動を開始した学際的なテクノロジスト集団で、集団的な創造によって、アート、サイエンス、テクノロジー、デザイン、自然界との交差点を模索している」と紹介されています。さらに、「チームラボは、アートによって、人と自然、そして自分と世界との新しい関係を模索したいと思っている」とも書かれています。こうしてみると、今回の企画はそのコンセプトに従って表現されたものだということがわかります。これまでにない感覚を刺激され、とても面白い企画だと思いました。

 そういえば、チームラボは、「Digitized Nature」というアートプロジェクトを行っているといいます。

こちら →https://www.teamlab.art/concept/digitizednature

 これを見ると、チームラボは各地で、自然をそのままの形でアートに変えるプロジェクトを行ってきたことがわかります。そして、いまもなお、「自然が自然のままアートになる」というコンセプトの下、一連のプロジェクトを展開しているのです。

 今回、宮沢湖の「森と湖の光の祭」に参加し、印象に残った光景を、私はスマホで撮影した画像でご紹介してきました。ご覧いただいたように、視覚的訴求力の高いプロジェクトであったことは確かです。ところが、実は、音響もまた素晴らしかったのです。木々の間から流れてくる音響が、まるで太古の感覚を呼び覚ますように、ヒトの気持ちの奥深くに働きかけてきます。私がこれまでにない感覚を刺激されたと思ったのは、おそらく、この音響のせいでもあるでしょう。

 是非とも、この音響を味わってもらいたいと思い、音源を探しました。チームラボのホームページの映像から、その一端をご紹介します。音響に留意してこの映像を見ていただきましょう。

こちら →https://www.teamlab.art/ew/autonomous-onthelakesurface/

 現地では、このような音響が至ところから静かに聞こえてくるのです。なんとも奥ゆかしく、そして、力強く、心に響きます。暗闇の中を歩き続けているせいもあって、自然に内省的な気分にさせられていきました。

 チームラボのホームページを見ると、プロジェクトを推進するためのコンセプトが掲げられていました。私が興味を抱いたのは、いくつかのコンセプトのうち、「作品の境界を破壊する」というものでした。

こちら →https://www.teamlab.art/jp/concept/digital_domain_releases/

 説明文を引用しておきましょう。


 脳内では、本来、考えや概念の境界が曖昧である。考えや概念は、いろんな他の考えや概念と影響を受け合って存在している。それが、実世界で作品として存在するために物質に媒介される。そして、物質が境界を生んできたのだ。
 デジタルテクノロジーによって物質の媒介から解放された作品の境界は曖昧になる。作品は、他の作品と互いに影響を受け合いながら、変化し続ける。作品は独立した存在のまま、作品同士の境界は失われていく。


(チームラボHPより)

 いままでそのようなことは考えてもいなかっただけに、これを読んで、とても刺激を受けました。よく考えてみれば、確かに指摘される通りだと思います。この説明文を読んではじめて、私がなぜ、湖畔で内省的な気持ちになってしまったのか、なぜ原始の感覚を取り戻したような気分になったのかがわかったような気がしました。


 それにしても奇妙な体験でした。光のオブジェに誘われるように、気づくと70分ほども湖畔や森を歩き回っていたのです。普段なら途中で放棄してしまう距離なのに、歩き続けたのですが、不思議なことに、疲れを覚えることはありませんでした。

 いったい、なぜなのか、一夜明けて、考えてみました。

 確かに、暗闇の中で、幻想的な空間に浸っていました。そのせいで、知らず知らずのうちに、日常の些末なことを忘れ、疲労を忘れ、時間をも忘れてしまったのでしょうか。あるいは、いっさいの言語情報から離れ、非言語的な情報だけに頼るしかない状況下で、原始の感覚を呼び覚まさせられていたからでしょうか。思い返してみると、不思議な感覚でした。

 ひょっとしたら、これが、デジタルテクノロジーが行き着く果てのアートの形式、あるいはエンターテイメントの形式の一つなのかもしれません。いってみれば、ヒトがテクノロジーを媒介に自然、あるいは環境とコラボし、その都度、変化するアートシーンを鑑賞し、楽しむという形式です。

 そこには境界によって区切られることのない表現の面白みと、意外な発見があります。さらには、瞬間、瞬間に、ヒト、オブジェ、自然が相互に関係し合い、影響し合った結果の美しさがあります。一連のアートシーンからは、これまでのように鑑賞者が受け手として存在するだけではなく、創造者としても存在しうることが示されたのです。

 こうしてみてくると、チームラボはデジタルテクノロジーによって、鑑賞者の心の奥底から原始の感覚を呼び覚ませてくれただけではなく、創造者と鑑賞者との間の境界はいつでも簡単に取り払えることを示してくれたことがわかります。

 「森と湖の光の祭」はまさに、ヒトと自然と光のオブジェが相互に依存し合い、影響し合いながら創造されるアート空間、あるいはエンターテイメント空間でした。しかも、太古と現在を 感覚レベルで繋げてくれたのです。 デジタルテクノロジーを媒介に、 鑑賞者の感性を限りなく広げてくれたという点で画期的なプロジェクトだといえるでしょう。(2019/2/17 香取淳子)

アジア創造美術展2019 ①:仏心と和の心

■アジア創造美術展の開催

 「第16回アジア創造美術展2019」(国際墨友会主催)が、2019年1月23日から2月4日まで、国立新美術館で開催されました。私は2月3日に訪れたのですが、まず、会場に入った途端に驚いてしまいました。鎧兜が二つ、正面に設置されていたのです。

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 正面上方には、大きな円(環)が墨で力強く描かれています。まるでその大きな円(環)を支えるかのように鎧兜が二つ、左右に鎮座していたのです。鎧兜といえば武士の象徴であり、工芸品(美術品)としても貴重なものです。そして、鎧兜といえば武士道を連想し、武士道といえば日本人の倫理観の源泉の一つとして想起されます。

 鎧兜を見ていると、さまざまな思いが胸を過ります。重厚な鎧兜には、いまや多くの日本人から失われようとしている毅然とした態度、風格、和の心といったようなものを重ね合わせることができるでしょう。そう思うとなおのこと、グローバル化の波に押されて消えていった、生活文化とセットになって育まれてきた日本文化が偲ばれます。

 人目を引く大きな円(環)は、墨で勢いよく描かれています。

 濃く太く描かれた先端と、薄くかすれた最後尾との境目に、手描きの「Torch of Asia」が、円(環)をはみ出すように書かれており、その下に円(環)の中に収まるように書かれた活字の「Exhibition」が印象的です。日本(アジア)からの墨文化の光明で世界が繋がり、和を成すということが示されているのでしょうか。円(環)と文字のバランスが絶妙で、力強いメッセージが込められているように思えました。

 さらに、右手前には二本の竹が天井から吊るされており、そこに水墨画と、影絵の人物画がさり気なく掛けられていました。黒いシルエットで描かれた作品を見て、この作品が竹に掛けられていた理由がわかりました。墨竹画を踏まえて考案された、溝口墨道氏の墨人画だったのです。

 入口のコーナーは、展示物がユニークなら、そのレイアウトも斬新で見応えがありました。それでは次に、正面と右面が見える角度から、このコーナーを見てみることにしましょう。

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 左手前にはやはり天井から吊るされた二本の竹に水墨画が3枚掛けられています。右手前で見た水墨画と同様、張暁文氏の作品でした。いずれも墨で満洲の心が表現されています。右手の壁面上方には、黒地に白、赤、青で書かれた「アジア創造美術展」の文字が見え、その下に掛け軸が4点展示されています。

 この角度から入口の展示コーナーを見ると、手描きの「Torch of Asia」といい、掛け軸や水墨画や墨人画といい、国境を越えて、墨でつながる表現世界が端的に示されていることがわかります。そして、大きな円(環)は、無であり、悟りの世界であり、和でもあるのでしょう。まさに仏心と和の心です。入口の一角に設えられた展示コーナーには、今回の展覧会のコンセプトが凝縮されて表現されていたのです。見事な展示の仕方でした。

 それでは印象に残った作品を見ていくことにしましょう。

■小林東雲氏の作品

 会場に足を踏み入れるなり、見入ってしまったのが、入口近くに展示されていた、小林東雲氏の「慈母観世音菩薩」という作品です。

 なんとも劇的な構図に興味をかき立てられ、しばらく作品の前で佇んでいました。

 画面の右側に聳え立つように高く立ち上る波が描かれ、真ん中寄りの白く弾ける大きな波頭の下方には,小さな子どもが描かれています。白く弾け飛ぶ波頭の荒々しさに反し、子どもの姿があまりにも幼くてか弱く、その落差が印象的です。押し寄せる大きな波は太い黒で強調されており、いまにも子どもが呑み込まれてしまいそうで、ハラハラしてしまいます。画面の右側にはそのように観客をハラハラさせる危機的状況が描かれていたのです。

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 画面左側を見ると、菩薩の背後でやはり波が立ち上がっていますが、子どもの背後の波ほど大きくありません。危機的状況を感じさせるものでもありませんし、菩薩の周囲はむしろ明るく光が射しています。怒涛の中でも菩薩の周囲だけは平安で安穏だということが示されています。その光は柔らかく伸び、菩薩を見上げる子どもの周囲にまで達していました。

 よく見ると、菩薩の天衣の端が子どもの身体全体を包むように巻き上がっており、小さな身体にも天衣のようなものがまきついています。その先端は波間に沈んでいますが、このような天衣の形状からは、子どもが無事、菩薩に受け入れられたことが示されているように思えます。

 危機的状況にありながら、子どもの表情が意外なほど落ち着いて見えるのは、おそらく、そのせいでしょう。

 じっと見ていると、あどけない顔の子どもが奇妙なほど静かで、限りなく寂しげなのが気になってきます。子どもながら、まるで諦観に達しているかのようです。不思議に思いながら、思わず、じっと見てしまいました。

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 子どもは顔を上げて跪き、手を合わせています。その頬やお尻、脹脛の肌は白くて柔らかく、無垢そのものです。この世の穢れを知らず、疑うことを知らず、天真爛漫に生きてきた子どもの姿が優しい筆遣いで描かれています。

 微かな笑みを浮かべ、子どもは膝をつき、手を合わせて見上げています。視線を辿ると、慈悲深い菩薩の顔に行きつきます。

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 菩薩は慈悲深い表情を浮かべ、左手に蓮華の花を持ち、右手首に数珠を掛けています。やや俯き加減になって視線を下方に落としていますから、遠目からは子どもと視線を絡ませているように見えます。ところが、よく見ると、視線は交差しておらず、微妙にずれていました。菩薩は目の前の子どもではなく、子どもを取り巻く状況そのものを見ているのでしょうか。解釈の余地が残されているところにこの作品の含意が感じられます。

 作者の小林東雲氏が会場におられましたので、何故、この絵を描かれたのか、尋ねてみました。

 小林氏は、東日本大震災の後、津波で流された子どもを探しまわる父親の姿をテレビで見て、心を打たれ、絵筆を執られたそうです。波にさらわれた子どもはきっとあちらで菩薩に出会い、見守られて幸せに暮らしているに違いない・・・、そういう思いを込めて描いたと述懐されました。

 そういわれてみると、菩薩が身にまとった天衣の端が子どもを守護するかのように包み込み、波間に揺らいでいます。その天衣の周囲には明るい光が射し込み、あたかも子どもが菩薩に見守られているような描き方です。子どもの父親がこの作品を見ることがあるとすれば、どれほど救われた気持ちになったことでしょう。

 この作品ははっきりとした制作意図の下、描かれました。ですから、メッセージ性の強い作品に仕上がっていますが、すべての作品がそうだというわけではありません。墨の流れる状態を見て描く場合もあると小林氏はいいます。その例として挙げられたのが「牧牛図」でした。

 禅宗には、修業の始まりから悟りまでの段階を、牛を見つけ、捉え、飼いならし、連れて帰るまでの10段階の過程に準え、10枚の絵で示された「牧牛十図」というものがあります。絵柄からいえば、この作品は第5段階のものを指すようです。すなわち、厳しい修行の結果、妄想を断ち切り、煩悩を脱してようやく飼いならすことができた段階を表現したものということになります。

 同時期に国立新美術館の3Fで開催されていた「第23回日仏現代国際美術展」に、この作品が出品されていると聞いて、さっそく見てきました。

 横たわる牛に寄り添うようにしている少年の姿が優しく清らかで美しく、感動的な作品でした。安心しきって横たわる牛の表情もまた安らかで落ち着きがあり、見ていて気持ちが安らぎます。

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 この作品の場合、予めこれを描こうと思って筆を執ったわけではなく、墨を流して出来た形状を見て、喚起されたイメージからモチーフを思いつき、作品化したと小林氏はいいます。水墨画というのは下絵を作ってもなかなか思うようには描けず、墨も筆もまた自在に運べるものでもありません。ですから、このように偶然に出会った墨の流れ、勢い、動きなどを活かして描くことも多いというのです。

 小林東雲氏の作品のモチーフからは仏心、そして、自然の出会いを活かして描くという技法には和の心を感じさせられました。

■溝口墨道氏の作品

 入口のユニークな展示コーナーの反対側の壁に展示されていたのが、6枚の墨人画です。その下にはパソコンが置かれ、墨人画で制作されたアニメーションが表示されます。パソコンが載った台には、世尊(仏陀)と無数のヒトが描かれた墨人画が置かれています。これら総体が、溝口墨道氏の作品、「仏の光」です。

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 壁に掛けられた墨人画は、6様の角度から世尊(仏陀)のシルエットを捉えています。一連の作品とパソコンで制作された墨人画アニメーション、そして、世尊(仏陀)と人々を描いたやや大き目の墨人画、それらが一体となってこの作品が構成されています。

 タイトルの下には説明文が書かれていました。溝口氏の制作意図を把握するため、引用してみましょう。


 ある時、世尊はラージャ・グリハ(王舎城)のグリドゥラ・クータ(霊鷲山)で、神々と菩薩、修行僧、一切の衆生に対して『偉大な説法』(大乗経)という教えを説いた。
 世尊が瞑想に入ると、天から燦爛たる花が降り、地が動く奇跡が起こった。
 その時、世尊の両眉の間の毛の環(眉間白毫相)から一条の光が、当方の一万八千の仏国土へ向かい放たれた 。
 その光は、それら仏国土の下はアヴィーチ(無限)大地獄から、上は宇宙の頂に至るまでを照らした。

 その国土の、教えを説く仏や法を求める僧、日常生活を送る衆生たちの姿の全てが見られた。(溝口墨道、展示説明文より)


 これを読むと、一連の作品を少しは理解できるような気がしてきます。壁に掛けられた6枚は、瞑想に入った世尊(仏陀)の様子を6つの角度から描いたものですが、姿勢の良さが際立っています。パソコン画面は墨人画アニメーションの一シーンを捉えたもので、僧侶や人々を前にした世尊(仏陀)の姿が背後から描かれています。人々に対し教えを説いている重要なシーンなのでしょう。

 俯瞰した構図で描かれているのが、世尊(仏陀)と取り巻く大勢の人々を描いた墨人画です。

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 こちらは、静かに瞑想にふける世尊を取り巻くように、多数の人々が描かれています。取り巻く人々は、一見すると、グリドゥラ・クータ(霊鷲山)で世尊(仏陀)の教えを聞く人々のように見えますが、説明文と照らし合わせて見ると、世尊(仏陀)の両眉の間から放たれた一条の光によって照らし出された一万八千の仏国土の僧や人々のようにも思えます。描かれた人々が皆、世尊の方を向き、手を合わせているところを見ると、時空を超えて世尊(仏陀)の言葉に耳を傾けようとするヒトそのものを指しているようにも思えます。

 溝口氏の作品からも、モチーフは仏心を感じさせ、表現技法からは和の心を感じさせられました。

■日常性の中の芸術、芸術の中の日常性

 会場を一覧して気づくのは、生活の中に取り入れられた作品、あるいは生活を取り入れた作品など、芸術作品ができるだけ身近に感じられるよう、展示に工夫が凝らされていたことでした。そのような配慮のせいか、諸作品も単なる鑑賞の対象に留まるのではなく、そこはかとなく生活の息吹が感じられ、実在する意識の結晶のようにも見えます。

 印象に残った作品あるいは展示をご紹介していくことにしましょう。

 まず、入口近くに展示されていた三田村有純氏の「虹色の階段」です。

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 蒔絵作品で日常の光景が捉えられていたのが、とても印象的でした。虹色の階段も寄り添って建つ家並みも傾斜のある道も、蒔絵で表現されているせいか、色彩に独特の深みが感じられ、見れば見るほど味わい深く感じられます。

 小林東晴氏の「月ながむる心」という作品も心に残ります。

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 二曲の屏風に月を眺める女性の後ろ姿が捉えられています。長い髪の毛が弧を描くように揺れているところに床しさが感じられます。誰もが日常的に目にする月を愛で、そこに様々な思いを重ねて鑑賞してきた日本人の気持ちが静かに、そして、美しく表現されています。

 書がまるでオブジェのように展示されているところに、洗練されたセンス、そして、斬新さを感じさせられました。

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 書が灯篭として展示されているところに、日本人ならではの美意識を感じさせられました。

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 温かな光を通して見える文字が新鮮です。ここに和紙による生活文化の一端を見ることができます。

 アジアの子どもたちから寄せられた作品コーナーでは、墨で書かれた寄せ書きが巨大ポールのように聳え立っていました。

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 さまざまな国の子どもたちが筆を持ち、墨で寄せ書きをしたものです。これを見ていると、この展覧会が墨の文化をアジアに広げていくきっかけになっている様子がうかがえます。

■仏心と和の心

 今回は、入口の展示コーナー、小林東雲氏の作品、溝口墨道氏の作品などを中心にご紹介してきました。いずれもこの展覧会のコンセプトが明確に表現されており、取り組み姿勢に新鮮さが感じされたからでした。

 なんといっても驚かされたのは、入口で展示されていた鎧兜です。この意表を突く展示物のおかげで、鎧兜が備えた日本の精神文化としての側面に気づかされたことは有益でした。鎧兜を見て、私はふと、武士道由来の倫理観を思い出したのです。グローバル化の大波の下、ともすれば見失いがちになる日本人としてのアイデンティティ基盤の一つとして、再考に値するのかもしれません。

 小林東雲氏の作品には、伝統芸術である水墨画にアクチュアリティを盛り込んだ柔軟性があり、興趣を覚えました。水墨画の題材、表現技法を使いながら、東日本大震災での被害例とその精神的救済とが一枚の絵の中に見事に表現されていたのです。そこに見られるのは仏心であり、和の心でした。

 溝口墨道氏の作品には、墨人画を使ってアニメーションを創り出した先進性があり、とても印象的でした。抽象度の高い墨人画を使って、世尊(仏陀)のエピソードが表現されていたせいか、エッセンスがストレートに伝わってくるような気がしました。仏心は墨文化とともに国境を越え、世界の隅々にまで行き渡るというメッセージなのでしょうか。取り上げられたエピソードに墨文化の広がりを連想させる要素があったことがなによりも興味深く思えました。

 そういえば、溝口墨道氏の作品の説明文に、「世尊の眉間から放たれた一条の光のように」と書かれていました。このフレーズからは、日本で育まれた墨の文化がやがて、アジア一帯、さらには世界の隅々にまで広がっていくことが予感されます。

 さて、会場には今回、ご紹介した以外に、さまざまな素晴らしい作品が展示されていました。改めて、墨の文化の多様性と奥深い精神性を感じさせられました。今回、ご紹介できなかった作品は、次回、ご紹介することにしましょう。(2019/2/8 香取淳子)

「ボヘミアン・ラプソディ」:フレディ・マーキュリーのカリスマ性を考える。

観るたびに泣いた「ボヘミアン・ラプソディ」

 2018年12月下旬、はじめて「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。評判になっていたので、取り敢えず観ておこうという軽い気持ちでした。公開から1か月半以上経っていましたが、それでも、ひょっとしたら混んでいるかもしれないと思い、開場30分前に着くように出かけました。ところが、平日だったにも関わらず、すでに最前列の席しか空いていませんでした。そして、私のすぐ後で満席になってしまったのです。こんな経験ははじめてでした。

 この映画は2018年11月9日に公開され、その後、右肩上がりで観客動員数が増えています。日本の観客人口は限られていますから、リピーターがいなければ、このような現象はあり得ません。

こちら →https://blog.foxjapan.com/movies/bohemianrhapsody/news/

 実際、リピーターらしい観客を何人か見かけました。

 ドキュメンタリータッチの映画で、感動的な作品でした。ストーリー構成がよくできていたせいか、チャリティコンサート「ライブエイド」に至る直前辺りから、私は泣きっぱなしでした。どんな思いでフレディ・マーキュリーがこのライブに臨んだのかがわかりますし、なにより、ライブで提供された楽曲がどれもすばらしく、取り上げられた曲の歌詞の一つ一つが心に響きます。いつの間にか、画面のフレディの動きに合わせ、足を踏み、リズムを取っていました。ライブシーンに完全にはまり込んでいたのです。

 いかにクィーンのステージが素晴らしいものであったか。映画では、それまで芳しくなかった募金がクィーンの登場を機にみるみる増えていくシーンが挿入されていました。当時、この中継を見ていた人々はクィーンのステージを見て感動し、争うように寄付をしていったのでしょう。募金額は飛躍的に伸びていきました。

 映画を見終えてもこのときの感興は冷めず、私はその後しばらくユーチューブでクィーンの音楽を聴きまくりました。映画館で味わった感動を得たかったのです。

 1月下旬、再び、映画館に足を運びました。今度は日曜日でしたから、席が取れないかもしれないと思い、朝、映画館が開くのを待って出向き、座席を確保しておきました。この日は公開からすでに2か月以上経っていましたが、やはり大勢の観客が詰めかけていました。今回は明らかにリピーターらしい観客が多く、中にはワインを持ち込んでいる二人連れの観客も見かけました。迫力のあるライブシーンが多いので、きっとライブに行くような感覚で映画を見に来たのでしょう。

 今回もまた、私は「ライブエイド」に至る直前から涙が止まらなくなりました。こんなことはこれまで経験したことがありません。そもそも、これまで同じ映画を2回も見ることはありませんでした。ところが、この映画は2回見ても新しい発見があり、よく知っているはずのシーンなのに、独特のサウンドに包まれ、心に響く歌詞を見ていると、自然に涙腺が緩んでしまったのです。そして、再び、言葉では表現しがたい感動に包まれてしまいました。

 この映画はいったい何故、大勢の観客の気持ちをこんなにも揺さぶってしまうのか、その理由を考えてみたいと思います。

1985年7月13日、「ライブエイド」

 イギリスのウェンブリーで1985年7月13日に開催されたチャリティコンサート「ライブエイド」の会場で、クィーンがどれほど異彩を放ち、他の出場者たちを圧倒していたか。それを報告する「クィーンはいかにライブエイドのステージの主役の座を奪ったか」というタイトルの記事をネットで見つけました。2015年7月13日に公開されたものです。日付からは「ライブエイド」の30周年記念に寄せられたものだということがわかります。ご紹介しておきましょう。

こちら →http://ultimateclassicrock.com/queen-live-aid/

 ウェンブリーの会場には有名アーティストやクィーンよりもより人気があり、当時を代表する若いグループも参加していました。ところが、クィーンはその時、80年代初に勢いを失ってしまったグループだとみなされていて、あまり期待もされていなかったようです。

 ところが、この時、ステージで何かが起こったと、その記事は書いています。期待されていなかったクィーンに大観衆が猛烈な喝采を送ったのです。

 クィーンはこれまでの新旧の楽曲の中から6曲をピックアップして繋ぎ、20分間のショーに仕立てました。通常のライブでは最後に披露していた「ボヘミアン・ラプソディ」をトップに、「We are the Champion」を最後に編成したのです。

 「ボヘミアン・ラプソディ」は冒頭の混成パートは省かれ、いきなり、「Mama,I just killed a man」のフレーズが印象的なピアノの弾き語りから始まります。そして、ピアノの弾き語りの「We are the Champion」で会場全体を盛り上げ、大観衆を一体感の中に包み込んでから閉じます。20分間のショーはメリハリを利かせて構成されており、大観衆を引き込みながら、流れを作り、展開していく構造になっていました。フレディ・マーキュリーの計算が功を奏したことは確かです。

 意外性(「ボヘミアン・ラプソディ」)から始まるショーを,「観客との一体感」(「We are the Champion」)で締めくくった構成とメリハリをつけた編成の妙に感嘆してしまいます。ショーマンとしてのフレディ・マーキュリーの企画の才能は実演者としても発揮されました。

 クィーンが登場し、フレディ・マーキュリーがピアノの前に腰かけると、会場を埋め尽くした大観衆が沸きました。間奏の間も絶えず速いテンポでステージ上を動き回るフレディ・マーキュリーに合わせ、大観衆は一斉に高く手をあげ、足を踏み、歓声をあげました。ステージのフレディ・マーキュリーと大観衆とが一体化したのです。

 会場には7万5千人も集まったといわれます。

こちら →

(文春オンライン 2018/1/24より)

 この画像を見ると、このライブの規模の大きさがわかろうというものです。これだけ多数の人々がフレディの一言で手を高く挙げ、声を発したのです。ミュージシャンとしてのフレディ・マーキュリーはショーマンとしての企画力ばかりか、パフォーマーとして抜群の能力を持ち合わせていることを示してくれました。

切れ味のいいパフォーマンス

 映画の「ライブエイド」のシーンでは私もフレディ役のパフォーマンスに引き込まれ、知らず知らずのうちに、リズムに合わせて身体を揺らし、足を踏んでいました。フレディ・マーキュリーを正確に真似た演技に魅了されてしまったのです。

 それにしてもフレディ役のラミ・マレックの演技には驚きます。大観衆を前にしたステージで、まるでフレディが生き返ったのかと思うほどそっくりに、切れ味のいいパフォーマンスを見せてくれたのです。2019年1月28日、第50回全米映画俳優組合賞でラミ・マレックはこの演技が評価され、主演男優賞を受賞しました。実際の顔立ちは全く異なるのに、動作はもちろんのこと、表情までもフレディそっくりに演じきったところに俳優としての力量の高さを窺い知ることができます。

 この時のフレディ・マーキュリーと俳優ラミ・マレックを比較し、並べた画像がありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →

https://front-row.jp/_ct/17168728より)

 向かって左がフレディ・マーキュリーで右が俳優のラミ・マレックです。とてもよく似ています。クィーンの他のメンバーも同様、実物そっくりの俳優が起用されていました。この映画はフレディ・マーキュリーを軸にクィーンの半生(「ライブエイド」まで)を忠実に追った映画です。ですから、実物とよく似た俳優の起用もまた大ヒットの要因の一つだったといえるのかもしれません。

 それでは、実際の「ライブエイド」はどのようなものだったのか、当時の映像で見てみることにしましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=A22oy8dFjqc

 これを見ると、ステージ上のフレディの動きにはどんな場合も、切れがあることがわかります。たとえば、冒頭でピアノを弾くフレディはフレーズ毎に手を高く上げ、エッジを効かせた動きをします。そして、2分45秒ごろから始まるパフォーマンスでは膝をまっすぐに伸ばし、要所、要所で動作を止め、誇張した仕草を見せています。動作が次の動作に移る切り替えの時、動きを止めることによって、躍動感を生み出していることがわかります。

 このように連続した動きの中に静止した動きを取り込むことによって、どんなに遠くから見ていてもフレディの動きが切れ味よく、躍動感にあふれて見えます。フレディはおそらく、ストップモーションの効果を視野に入れてパフォーマンスを組み立てたのでしょう。音楽のテーマ、コンセプトに沿ったパフォーマンスだというだけではなく、どんなに遠くからでも認識できる動きを考案していたと考えられます。

ボヘミアン・ラプソディ

 1回目、最前列の席しか選べなかった私は、見上げるようにしてスクリーンを見つめていましたが、ウェールズの農園で「ボヘミアン・ラプソディ」をレコーディングする辺りから次第に引き込まれていきました。制作過程を扱ったシークエンスが興味深かったからでした。

 2008年にアップされた当時のクィーンのデモ映像を見てみることにしましょう

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=fJ9rUzIMcZQ

(クィーン公式ビデオより)

 1985年の「ライブエイド」では省かれていた混成パートがこのデモ映像には収められています。ハーモニーが美しく清らかで引き込まれます。若いころのクィーンが知性と熱情と冒険心を結晶化させて創り出したのが、この「ボヘミアン」でした。当然、デモ映像もそのコンセプトに沿うものでなければならず、フレディ・マーキュリーが考案したといいます。

 さて、映画ではこの混成パートを収録する時のフレディの姿がとても印象的でした。高音パートを担当するロジャー・テイラーにさらに高音を出すよう、フレディ・マーキュリーは何度もダメ押しをするのです。ロジャーが怒ってしまっても、妥協を許さず、完璧を求めるフレディ・マーキュリーにクリエーターとしての真摯な姿を見たような気がしました。

 そればかりではありません。フレディはテープが擦り切れそうになるほど音を重ね、終に新しいサウンドを創り出しました。こうして、オペラからバラード、ロックなどさまざまな音楽の要素を取り入れ、機材を使ってアレンジし、高い知性が感じられる楽曲を創作したのです。メンバーにさまざまなジャンルの音楽についての素養がなければできることではありません。

 基調となるフレーズを作ったのはフレディ・マーキュリーでした。

 歌詞が何とも魅力的です。映画の中で、「Mama, just killed a man」で始まるフレーズに出会ったとき、私は軽い違和感を覚えました。「今日、ママンが死んだ」で始まるカミュの小説を連想し、不条理な世界を描いているのかと思ったからでしたが、実際はまったく違っていました。

 続いて、「Mama, oh-,don’t mean to you cry. If I’m not back again this time tomorrow. Carry on, carry on, as if nothing really matters.」というフレーズを聞いたとき、不条理とは逆に、母親に詫びて真摯に自分の人生を歩んでいこうとするフレディの思いを強く感じました。

 実は、映画の中では伏線として、最初の部分でフレディが名前を変えたことを示すシーンが設定されていました。フレディ・マーキュリーは当時、イギリス領だったタンザニアのザンジバル島で生まれ、名付けられた名前はファルーク・バルサラでした。故郷で革命が起こった1964年にフレディの一家はイギリスに移住します。

 イギリスで活動するには名前を変えなければならないと考えていたのでしょう。バンドを結成するとすぐ、彼はフレディ・マーキュリーに名前を変えます。唖然とする家族やバンド仲間を前に、決然とした態度でこれからはフレディ・マーキュリーとして生きていくと宣言したのです。

 こうしてみてくると、「Mama, just killed a man」というフレーズは、彼が勝手にフレディ・マーキュリーというイギリス風の名前に変更することによって、ファルーク・バルサラを消してしまったことを指すのでしょう。ですから、その後に、「Mama, oh-,don’t mean to make you cry. 」という歌詞をつないで、生んでくれた母親に詫びたのだと私は思いました。

不安定なアイデンティティの基盤

 18歳で母国を離れ、イギリスに移住せざるをえなかったフレディ・マーキュリーのアイデンティティの基盤がいかに不安定なものであったか、想像を絶するものがあります。

 映画の最初の方で、空港でアルバイトをしていたフレディが、「パキ野郎」とののしられるシーンがありました。パキスタンからの移民と思われたからでしょうが、フレディが実際にどれほど多くの差別的な待遇を受けてきたか、このシーンを見ただけで容易に想像できます。

 移民としてイギリスに移住したフレディはイギリス人風に名前を変え、やがて有名になってお金を稼ぎ、次々とコンプレックスの原因となるようなものを除去していきます。ただ、どうしても取り除けなかったものが、性的指向性でした。7年間も同棲していたメアリーに、自分が同性愛者だとフレディは告白します。当時はまだ同性愛者に対する社会の目が厳しかっただけに、このシーンで私はフレディの誠実さを感じさせられました。ところが、当然のことながら、メアリーは指輪を外し、離れていきます。

 メアリーと別れてから、フレディは同性愛者と行動を共にするようになり、自堕落な生活に陥ってしまいます。日夜パーティを開き、放蕩三昧の生活を送るようになるのです。

こちら →

https://torukuma.com/freddie-gay/より)

 おそらくこのような時期に、エイズに感染したのでしょう。フレディは次第に身体に不調を覚えるようになっていきます。そんな折、連絡の取れなくなっていたフレディを探しに来たメアリーから、「ライブエイド」のオファーがあったことを聞きますが、フレディは知りません。重要なオファーを知らされないまま、享楽的な生活に誘導されていたフレディは、同性愛者のマネージャーに怒り、疎遠になっていたクィーンの仲間に和解を求めます。

 これを契機に、さまざまな個性の4人が相互に尊敬し合い、啓発し合える関係であったことを確認し合います。そして、クィーンとして「ライブエイド」に参加することを決定しますが、しばらく活動をしていなかったせいで、思うように声が出ず、満足のいく演奏もできません。フレディはエイズ感染による体調不良が次第に顕著になってきました。

 クィーンに復帰することで、フレディはようやくアイデンティティの基盤を見つけたように思います。それはミュージシャンとして、パフォーマーとして、そして、クリエーターとしてのアイデンティティです。

 一方でフレディは以前から目をかけていた同性愛者を探し出し、生活を共にするようになります。家族にも引き合わせて承認を取り、創作に専念できる環境を整えていくのですが、身体の方は深刻な状況になっていきます。ライブエイドに向けた練習の際も、以前なら容易に出た声がでず、戸惑う場面も出てきます。クィーンのメンバーは焦らず静かにフレディの体調に合わせ、練習を積み上げていきます。

 そして、クィーンは「ライブエイド」を見事なステージに仕上げました。とくにフレディ・マーキュリーのパフォーマンスは素晴らしく、大観衆をたちまちのうちに虜にしてしまいました。類まれなカリスマ性のおかげでしょう。こうしてクィーンは「ライブエイド」のステージで一挙に自信を回復し、高い評価を得ました。

クリエーター、ミュージシャン、パフォーマーならではのカリスマ性

 それにしても私は何故、この映画に感動し、何度も泣いてしまったのでしょうか。それも悲しくて涙したわけではありません。感動のあまり、泣いてしまったのです。では、何故、感動したのでしょうか。それはおそらく、フレディ・マーキュリーのクリエーターとしての真摯な態度、そして、ヒトを強烈に引き込むカリスマ性ではなかったかと思います。

 いってみれば、私もまた1985年に「ライブエイド」に参加した大観衆のように、フレディのパフォーマンスに惹きつけられ、一種の催眠術をかけられたような状態になっていたのではないかという気がしています。

 たとえば、実際の「ライブエイド」の映像を見て、興味深かったのが、「Radio Ga Ga」とその後で即興的に付け加えられた観客との掛け合いのシーンです。

こちら →https://www.youtube.com/watch?time_continue=89&v=0omja1ivpx0

 これを見ると、7万5千人といわれた会場の大観衆が一斉にフレディの指示にしたがって動いています。フレディが「エーオー」といえば、会場も「エーオー」と呼応し、「リラリラリラ…」と言えば、会場も同じように発声します。まるで催眠術にかかったかのように、意のままに動く大観衆を前にし、フレディはいかにも満足気に見えます。

 このときのフレディ・マーキュリーはまさにカリスマでした。

 たった一人の男がステージの上からパフォーマンスと声だけで7万5千人の観衆を操っているのです。「エーオー」という意味をなさない音を媒介に、フレディと大観衆が掛け合い、コミュニケーションを交わし、互いの存在を認め合っているのです。きわめて原初的なヒトとヒトとの関係、ヒトと集団との関係を見たような気がしました。フレディは非言語的なものを媒介にコミュニケーションを交わせることのできる異能のヒトだったといわざるをえません。

 そういえば、フレディが描いたというデッサンやデザイン画をネットで見たことがありますが、素晴らしい出来栄えでした。優れた美意識を持つ才能豊かな人物だったということがわかります。音楽ばかりでなく美術、身体表現など非言語的能力の卓越したヒトだったのかもしれません。

 こうして見て来ると、移民の子であり、同性愛者であったことが、フレディを超人にしたのではなかったかと思えてきます。ネガティブな立場に身を置くしかなかった状況下で、社会をさまざまな側面から見つめる目が養われたのでしょうし、異文化体験の中から、非言語的メッセージの読み取り能力や発信能力も培われてきたのではなかったのかと思うのです。

 この映画を2回も見て、感動し、涙した結果、総合芸術としての映画の持つ力の凄さを思い知らされました。改めて、映画は言語的要素と非言語的要素との相乗効果でヒトを感動させることができる媒体だという気がしています。(2019/1/31 香取淳子)